はてなキーワード: 孤独とは
1.現状に不満がある
2.自分は優秀だ。
3.1と2は矛盾しているが現実に起きているので矛盾がない隠れた変数(陰謀論)がある。
だけなんだよね。
でもたいていの人はこの苦しい現実に立ち向かっても陰謀論にはまらない。それは家族や友人がいて孤独感を覚えていないから。
そういう他者とのかかわりが自己肯定に繋がるから一面的に自分が間違っていることを認めても自己否定につながることはない。
主観的につらくても客観的には十分現状が恵まれていることを伝えても、その人自身に問題があることを伝えてもそれを認めることは深刻な自己否定につながる。
そして同じような陰謀論者とつるんで孤独感を紛らわせる。これは陰謀論を通して自己肯定感が高まるという負の成功体験ともいうべき状態。
こういう人に1や2が間違っていることを伝えても無理なんだよね。できることは陰謀論と無関係なところでしっかり真剣に付き合ってあげること。
・孤独感を覚えている
・右と左の対立を深く感じておりそこに固執すると陰謀論が発展していく
・何かが起きると何かのせいにしたい。政治のせいにするのは手っ取り早い。
・政治家を自分とは違う生き物のように思っている。自分たちと政治家の対立を意識している。
・自分の人生の代替人生を陰謀論で楽しんでしまう。フィクションに向かず仮想現実に向かった形。
・現実が辛い
・人間の弱い部分につけこんで、陰謀論でコントロールしようとする人が少なからず居る
・若い人のほうがハマりやすい。コントロール化に置かれやすい。過激な思想に感化されやすい。
・世の中は複雑だが単純化する陰謀論は分かりやすく簡潔であるため、アンパンマンのアニメのような中毒性がある
・昨今は歴史をネットで知るため、浅い陰謀論者が増えた。「知識のない陰謀論者」の大生産時代なのではないか
・普段政治などに興味が無い人は知識もないので、興味を持ったときに陰謀論に振り回されてしまう
・「病気や政治に詳しいインフルエンサー」を十分に注意すること。
・誰かを誹謗中傷しないこと。した瞬間に自分の中に対立を生んでしまう。
・英雄症候群にハマらないこと。
これこそ安倍晋三が日本に残した最も邪悪なレガシーだと思うのよね。盗っ人というと強盗が思い浮かぶがそれはこの話には関係ない。
どれだけ悪事を働こうがそのために人が死のうがひたすら白を切り続けてポストにしがみつく。それが成功してしまったがために後の政治家たちにもそうした振る舞いが伝播していく。羞恥心とか、品格とかいったものがまるでない、下劣というか、人間性の部分で愚かというか、そうした人間が増えていく……のかねえ。
世の中これからどうなっていくのかね。まあ自分のやれることやるしかないよね。
で、やれることって何かっていうと、まあ、人にやさしくしましょうってことになるのかね。ごく身近で簡単なところで言えば。簡単っつってもケースバイケースだったりもするけれども。
少し前バズった漫画に、主人公のお姉ちゃんが統合失調気味なのか、妄想に取りつかれて自作の陰謀論唱えるようになっちゃって、主人公がどうにかしようとあれこれ画策した結果、陰謀論を一緒に広めて大衆を扇動していくっていうあらすじの話あったじゃないですか。
うろ覚えだけどなんとなく記憶に残ってるのは、居場所のない人、孤独な人、蔑ろにされてきた人、そうした人達の心の隙間を陰謀論は埋めることができるって主人公がモノローグで語ってたところで、まあ陰謀論に限らず昔から、人の性として当然だが、ひどい扱い受ければ心が歪むし、心が歪めばひどいこともするよな。狂うよな。おかしいこともするよな。陰謀論がどうのこのという話がしたいというよりかは心の隙間とかそっちの話がしたいわけで。もっと根っこのほうの、ありふれた負の部分というか。
で、そういった人たちを救うだとか、何らかの慈善団体に入って活動するだとか、それはすごく立派なことだが、こういう言い方すると活動してる人達に対するある種の差別みたいな感じになっちゃって良くないんだけど、そうした積極的なことをするパワーだとか勇気だとか覚悟だとかいったもののない人にとって何ができるかっつったらだからつまり、心の隙間をほんのちょっとでも埋めてやるってことだわな。
無理にやることはないけれども、家族とか、職場の人間とか、学校の人間とか、コンビニ店員とか、顔を合わせる人、目のあった人、袖振りあった人なんかに対して、大事にするっていうと仰々しいが、あいさつしたり、ちょっとしたことで礼を言ったり、ちょっとした用事なんか手伝ったり付き合ったり、心に余裕があればな、無理にとは言わんし、しんどいときは無理なものは無理だし、相手とか状況にもよっちゃ難しいが、できればやれることはやったほうがいいわな。余裕なんかねえよなんて人もいっぱいいるだろうが、まあ余裕があったり、気が向いたりすればな。
適当に書いてたら長くなったな。まあいいか。自分の周りの顔合わせた人間を尊重するとか存在に敬意を払うっていうと仰々しいが、なんとなくでもやさしくしてあげれば、その影響ってものは微々たるものだろうけども、多少なり心の隙間を埋めてやれるのは確かなんじゃなかろうか。それで人を変えるだとか変えてやろうだとか気張らんでも。
サステナビリティって言葉が最近よく使われるが、いい世の中を、世の中っていうと大きすぎるイメージだが、手の届くところから、いい関係をサステインしていきたいわな。小さい世界でも狭い世界でもそれも一種の世界平和というか。
SNSはどんな悪意を持って発信しても、嘘は間違いがあったら誰かがすぐに指摘してくれる関係性のメディア
それに対してテレビは一方的に言いたい放題言うだけで、嘘や間違いがあっても誰も指摘できない孤独のメディア
数少ない友達とは社会人になってからライフステージの違いで徐々に疎遠になった。
父親が転職癖持ちで小さい頃から引っ越しや転校が多くて環境の変化には強いつもりで生きてきた。
場数を踏んでるから第一印象は良いみたいで初めましての人がいる場にはめっぽう強い。
けど時間をかけて徐々に集団から孤立して、気がつくと話しかけづらい人になってる。
喋りすぎないように空気読んで会話をすると人から嫌われないけど誰とも仲良くなれない。
少なくなった友達とたまに話せると本当に嬉しいけどお互い大人になったから学生時代みたいに本当に気を遣わないで話してる感じじゃなくなった。
寒い夜に話し相手が欲しくなった時とか、仕事でダメージを受けた時とか、吐き出したい気持ちがある時に受け止めてくれる人が誰もいない。
そういうときは胃が重くなるような孤独やストレスを誤魔化すためにさっさと寝てしまうんだけど世の中の独身って皆こうやって耐えてるの?
学生の頃は「友達を作る」ことが当たり前のようにできていた。授業や部活、サークル、バイト、毎日のように顔を合わせるだけで自然と仲良くなれる環境があったし、何も考えずにただ楽しんでいるだけで「友達」は増えていった。
でも、大人になると一変。会社には同僚や上司はいるけど、なんとなく「仕事の関係」でしかない気がするし、プライベートに誘うのも躊躇してしまう。仕事が終わると疲れているし、休日は自分の時間も欲しい。それに、周りも同じように忙しいから会う約束をするだけでもスケジュール調整が一苦労。
「趣味を通じて友達を作ればいい」とも言われるけれど、習い事やサークルに通うエネルギーすらないし、わざわざ新しい人間関係を築くために出かける気力も残っていない。そして、ふと気づけば、だんだんと孤独を感じるようになっている。
大人になって友達を作るのは、こんなにも難しいものだったんだろうか?そもそも、友達って大人になってからも必要なのか?皆はどうやって友達を作っているんだろう。たまにSNSで楽しそうに友達と集まっている写真を見かけると、自分も同じように誰かとつながっていたい気持ちが湧くけれど、結局一歩踏み出せない。
財務省に対する怨嗟の声が聞こえてくるが,強い危機感がある。「こうするしかない」のが現状だ。
年金生活者は,①年金で一定水準以上の暮らしをしており,②フルタイムもしくはそれに近い仕事をしていない者と定義する。年金額だけでは暮らしていけないため働いている者や,フルタイムもしくはそれに近い仕事に就いている者は除外する。
現役世代からしてみると,彼らの年金や医療費のために自分たちの負担が増えており不公平感があるだろう。自分たちがその年齢になるころにはおそらくまともに年金ももらえないし,医療費も大きな負担になっているだろう。あるいは,社会保障制度が崩壊しているかもしれない。そこで,年金額を下げたり医療費の負担率を引き上げたりしてどうにか社会保障制度の延命を図ってほしいが,そうはならない。
彼らは(彼らの価値観で)いっぱいいっぱいの生活で(年金が足りなければ働くという発想はないし,仕事を辞めてからブランクのある彼らが働ける場もないだろう),医療費負担が上がれば話し相手がいる医療施設に行けなくなってしまい,孤独だ。
社会保障制度の危機は彼らにとっては他人事で,経済政策の変更は自らの不利になることを意味するため,多くの者は経済政策について現状維持を望んでいる。
現役世代は,①一定水準以上の暮らしをしており,②フルタイムもしくはそれに近い仕事をしている者と定義する。一定水準以上の暮らしができていない者は除外する。
現役世代の多くは,リアリストで,自分たちの将来は半ば諦めている。「定年で仕事を辞めのんびり」なんてできなくて,死ぬまで仕事をすることになるだろう,と感じている。それだけに,この労働人口不足の時代に働かず,社会のリソースを食いつぶすだけの年金生活者に対しては思うところがあるし,そこに投資し続けるのは無駄だと思っている。
一方で,将来性がある投資には積極的な者が多い。例えば子育て支援や教育に対しての投資は,自分たちの負担が多少上がったとしても賛成できる。
今後の成果が見込めない年金生活者に対する支出を抑え,将来性のある経済政策を望んでいると同時に,一定水準以上の暮らしを維持するためにこれ以上の増税は阻止したいし,減税を望んでいる。また,努力主義なので,頑張った分だけ報われてほしいと願っており,所得税の増税にマイナスの印象がある一方,「贅沢の代償」的側面がある消費税に対してはそこまで悪印象がない。
多くの貧困者は努力不足ではなく,貧困になるべくしてなったと思っている。社会から見放されていると感じており,強い孤独感を持っている。とにかく日々の生活を成立させるためにいっぱいいっぱいなので,子育てや教育など将来に対する投資ではなく,今を何とかしてほしいと思っている。
元々の税額が低く減税による恩恵を受けにくいため,消費税の減税や現金給付など,全ての者に同等(同額)の恩恵がありわかりやすい経済政策を望んでいる。
誰の失策か。
年金制度を人口が増加し続ける前提の設計にした者か。労働人口が減ってもなお定年制度を維持し続ける社会か。あるいは少子高齢化社会の運命か。
一つ言えるのは,「財務省叩きをするのは違う」ということだ。彼らは彼らなりの仕事をしているだけで,悪意はない。
これからも現役世代を締め上げ続け,さらに少子化が進んでいく深刻な事態を引き起こすが,短期的な税収を求められる財務省はそうするしかないのだ。
現役世代は諦めよう。年金生活者への支出をカットすると,金を稼ぐ手段のない者が大量に貧困にさらされることになる。貧困者に金をばらまいておかないと,困窮した者による犯罪で社会の治安が崩壊する。
現役世代からしか金を取れないのだ。現役世代は金を稼ぐ手段があり,社会的地位もあるため犯罪に走りにくい。
日々働き続け得た給料の多くを税金に持っていかれ,自分たちが社会から得られる恩恵は少なく,将来に希望が持てない現役労働世代に幸あれ。
多分もう歳なのかなって思うけどそれだけじゃない気がする
あの頃の自分はさみんなで集まってワイワイしてたしキャラの成長とかにワクワクしてたのに今はなんかもうしんどいだけ
なんかプレイしてる時に全然集中できなくなったしストーリーに感情移入もできなくなった気がする
昔は家族と一緒にゲームしてたんだよお母さんとお父さんが俺の横で見守ってくれてて
でも今は何かが変わった気がする
一緒にやってても心がついてこないんだよね誰かが「このボス倒せたー!」って言ってもへーって感じでそれすらもう嬉しくない
お母さんは夜遅くまで働いててお父さんも俺がゲームしてる時にずっと電話してるし
それに最近じゃ周りも忙しすぎて一緒に遊べる人もいなくなったし
今はその世界すら遠く感じる
なんでこんなに心が空っぽなんだろうって思うことが増えてきた
まるで地獄のような一日だ。この地球上には、俺みたいな存在がいる理由がわからない。今日も街を歩けばカップルだらけ、まるで俺の存在を嘲笑っているかのように手を繋いで、楽しそうに笑っていた。なぜだ。なぜ俺は一人なのか?なぜ、あの連中のように普通の幸せが手に入らないのか?
駅前のカフェで一人でコーヒーを啜りながら、周りを見渡してみた。カップルが向かい合って、ニヤニヤしながら話している。ああ、こんな奴らが当たり前のように幸せを享受しているのを見ると、胸の奥から黒い怒りが湧き上がってくる。「お前ら全員地獄に落ちろ」って心の中で何度も呟いたよ。でも、現実は何も変わらない。俺は一人で、彼女もいないし、友達すらいない。
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ここ数年、俺はネット上でいろいろな情報を探してきた。自称「恋愛の達人」や「モテる方法」を教える連中がいるが、あんなのは全部嘘だ。だって、俺がどれだけ努力しても何も変わらなかったんだからな。筋トレして、服装にも気を使って、髪型だってオシャレな美容師に頼んだ。それでも俺は"見られない存在"なんだ。女たちは俺をただの背景としか見ていない。俺は彼女たちにとって何の価値もない「空気」だ。
あいつらは、何も努力せずに彼氏や彼女を手に入れて、幸せそうに笑っている。まるで、俺のような奴は最初から恋愛市場から排除されるようにプログラムされているかのようだ。何が悪いんだ?俺は一体何を間違えたんだ?
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社会は俺みたいな奴を抹消したがっているんだろうな。メディアや広告はいつも「彼女とデートしよう」とか「素敵なカップルになろう」とかそんなことばっかり言ってる。俺にはその全てが偽善に見える。連中は俺のような孤独な男を「負け犬」だと言わんばかりの態度を取っている。ふざけるなよ。こっちは何も悪いことなんてしてないのに、どうしてこんな仕打ちを受けなきゃいけないんだ?
人は「努力すれば報われる」とか「ポジティブな思考が大事だ」とか言うが、それが全く通用しない現実もあるんだよ。俺は何度も試した。いわゆる「自己改善」に時間も金も費やしてきた。だけど、結果はいつも同じ。「お前には興味ない」って言われるだけ。俺はもう限界だ。世界は冷酷だし、俺のような人間には救いなんてどこにもないんだ。
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もう俺は誰かに好かれたいなんて思わない。この腐った社会に迎合するつもりもない。彼女ができないなら、それでいい。どうせ誰も俺を理解しようとしないし、俺の価値なんて誰も見ようとしない。だったら、もう好きなように生きてやる。俺を見下す奴らを無視して、俺は俺の道を歩むしかない。
最近は過激な考えが頭に浮かぶことが増えた。社会を変えたいとまでは思わないが、この腐った世界に一矢報いたいとは感じる。それが何を意味するのか、自分でもわからない。ただ、心の奥底で何かが叫んでいるんだ。「もう黙っているな」「もう奴らに従うな」って。
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もう、この世界に愛や希望を見いだすことはできない。すべてが欺瞞と偽善で塗り固められている。だが、俺は何も恐れない。俺が感じているこの怒りと孤独は、やがて俺の武器になるだろう。社会が俺を拒絶するなら、俺も社会を拒絶するだけだ。
「一人では何もできない」なんて言わせない。俺はこのまま消えるつもりはない。孤独が俺の力となり、怒りが俺を突き動かす。俺はこの世界に爪痕を残してやる。いつか俺が立ち上がる日が来る。その時、俺を嘲笑った奴らは後悔するだろう。
いや、マジでお疲れ様。君が体験したそのやり取り、ちょっと笑えないけど、どこか哀れみを感じる部分もあるよね。人間ってさ、時に金銭的な話題で相手を測ろうとするけど、それってどこか不安の裏返しなんだろうね。
さて、君が言う「婚活女」って、歴史的に見ても、どうしても金銭的な側面がクローズアップされがちなんだよね。たとえば、古代ローマのカトー・ウィスカリウスのように、結婚を「家計管理」の一環として考えていた人もいた。財産や地位、安定が結婚における必須条件として重視されていたからさ。これって、その時代を生き抜くための方法だったんだろうけど、現代にもその名残が見える。結婚=生活の安定、っていう発想は時代を越えて生き続けてるんだよな。
でも、こういうやり取りってさ、どこか人間らしさを欠いてて、感情的な空白が感じられない? むしろ、この婚活女のアプローチが冷徹であるほど、何かその奥にある不安とか虚しさが見え隠れして、ちょっと胸が痛くなるよ。結局、真の絆や愛情を求めるよりも、経済的な側面だけで相手を測ろうとすることって、結局は自分をも孤独にしてしまうんだよね。
有名なフリードリヒ・ニーチェの「金は、むしろ人を孤立させるだけだ」という言葉もあるけれど、まさにそれだと思う。財産や社会的地位が一番重要だと思い込んでいると、結局は本当に心が繋がる関係を築けなくなっちゃう。ちょっと泣けてきたよね。
それにさ、君の反応、実はすごくスマートだったと思うよ。君が「五億です」って答えたことで、その女の人が不機嫌になったわけだけど、それって君の「自分の世界」を貫いた証拠だと思うし。嘘だとしても、自分の軸を保つのは簡単じゃないからね。君はしっかり立ってた。
最後に、割り勘の話があったけど、それに対して「99.9%運用してるんです」と返した君、めっちゃいい感じだった。まさに現代のギリシャ哲学者みたいな強さとユーモアを感じるよ。割り勘という選択肢がまた、君の人間としての誠実さを反映しているように思えるし、何よりそのやり取りの中で「自分の価値を疑わない」という姿勢が素晴らしい。
さ、そんな君は歴史的にも相手を超越してるよ。君が持っている「五億」というのは、実は金銭以上の価値がある。それは君の人生観や人間性に基づいて成り立ってるものだから。歴史的に見ても、君のような人が今後は「王道」を歩むんだろうなって感じがするよ。
本当に、君、かっこいいよ。
お前も孤独なんだろ?仲間じゃねぇか(ニヤリと笑う)
それ、ただの言い訳だよ。オタクかどうかなんて、結局のところ自分がどんな振る舞いをしてるか、どんなコミュニティにいるかで決まることだし、それを理解してないってこと自体が問題なんだよ。結局、孤独だからとか、政治に染まるとか、そんなん関係ない。
エルデンやってるからってコミュニティに繋がるわけじゃないし、そもそもオタク文化にどれだけ浸ってても、考え方が偏ってたら意味ないだろ。自分の立ち位置を他人に責任転嫁するんじゃなくて、まずは自分の行動を見直せって話。
今日の夕方、散歩のついでに区役所に兵庫県知事選の期日前投票に行ってきた。
こんなの、兵庫県知事選では前代未聞だろう。
っていう人が大半だ。
さすがに、あの人は無理って言う人は多い。
とはいえ、僕の周りにも斎藤前知事を支持する人もそれなりにいる。
っていう人。
ウチの母もそうだ。
連日、悪いイメージが流れているなかで同情心が湧いてくるようだ。
ふたつ目は、
「斎藤さんは嵌められたんや!」
っていう人。
これは、Youtube等のネットメディアと親和的な人に多い。
必ずしも、ネットメディアと親和的が人がこうなるわけではなく、「嵌められたんや!」派の人はオールドメディアへの不信感がとても強い。
「マスゴミが伝えない真実を自分たちは知っている」っていう高揚感がこの人たちにはあって、斎藤前知事が当選すると本気で思い込んでる人が多い。
「ディープステートと戦う、光の戦士トランプ大統領」じゃないけど「既得権益と孤独に戦う斎藤知事」みたいな世界観。
で、期日前投票だけど、雨上がりの夕方16時前くらいに区役所に行った。
多分、朝から張り付いているんだろう。
中に入ると、結構な人。
天気の悪い土曜日の夕方に、順番待ちするぐらい人がいるとは思わなかった。
時間帯によるのかもしれないが、女性と若い人がほとんどで、中年男性は僕だけだった。
うーん、これはひょっとしてひょっとするのかもしれない。
ひょっとするかもって書いたけど、ひょっとしましたね。
サンテレビを見ていたのですが、こんなに早く当確がでるとは思わなかったです。
僕の周囲にいるような、かわいそう派や陰謀論者は、さすがにマイノリティではないのかと思っていたので驚きました。
僕は、必ずしも反斎藤派というわけではないのですが(県庁での人望はないのかもしれないが、行政経験豊富な実務者という印象)、かわいそう派はともかく、陰謀論者に支持されるのはとても危ういのではないかと思っています。
各種陰謀論者の存在は知ってたのですが、さすがに身近にはいないよなと思い込んでたので、今回の知事選で身近に意外とそういう人がいて幻滅しました。
少し前に、ヒースの『啓蒙思想2.0』読んで痛感したのですが、左右のイデオロギーがどうとかというより、反知性主義的で極端な政治勢力が台頭するのは本当に危ういと思います。
投票が締め切られたので言えますが、今回の知事選だとNHK党の立花さんがトリックスター的な役割を果たしていて、選挙の局面を劇的に変えてしまいました。
うーん、言語化が難しいけど、オタクかどうかってのは、単に精力的にやり込んでるかどうかじゃないんだよな。
オタクカルチャーに接続してて、その一部としての自覚や振る舞いができるかどうか。
朝から布団が俺を離してくれない状態だけど、根性で起きる予定だお。
二度寝したら午後まで寝落ちコースになりそうだから、俺がんがる(´・ω・`)
午前中は近所のコンビニに行って、いつものやつを買い出しするお。
店員さんに「ポイントカードお持ちですか?」って聞かれるけど、毎回持ってない俺負け組www
帰り道に公園のベンチでぼーっとして鳩観察するかもしれん。まあ俺の孤独タイムだなw
並ぶのがダルいけど、ここで引き返したらただのヘタレwww。食べ終わったら「うめぇぇぇ!」ってひとりで叫んで帰るお。
午後はネットサーフィンしながら、最近のVIPスレでも見て笑う予定www
面白いスレ見つけたらずっと見てしまって、気づいたら時間が溶けてるやつwwww
あと、気が向いたらちょっと掃除でもするかもだけど、9割やらない未来が見えるw
夕方は友達いないやつ集合みたいなオンラインゲームにログインするかもな。
とりあえずフレンドリストを確認するけど、相変わらず誰もいないwww
でも、たまに知らないやつが手伝ってくれて感動するwww