「博物館」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 博物館とは

2024-06-19

東京には美術館博物館みたいな文化資本が沢山あり、教養が昂る筈なのに、どうして都庁のアレみたいなダサいのが出るのか?

美術館博物館や種々のイベントに触れてれば自然教養センス高まる筈なのに・・・

どうしてオリンピックのアレみたいなのが出てくるんだ・・・ 街並みやビルセンスも感じられないし・・・

2024-06-17

https://anond.hatelabo.jp/20240614205200 タグ付けソースつづき

文字数制限かなんかで途中で切れる……

2003年 (第8巻)11月 特集食の安全安心環境
2003年 (第8巻) 4月 特集学術の再点検  ―ジェンダー視点から(2)ジェンダー
2003年 (第8巻) 1月 特集日本計画 Japan Perspective社会
2003年 (第8巻) 5月 特集地域生活安全保障社会
2003年 (第8巻) 6月 特集:ITによる科学能力開発国際会議情報
2004年 (第9巻) 2月 特集こころ科学する医療人間
2004年 (第9巻) 5月 特集:持続可能社会のための科学技術に関する国際会議2003 -エネルギーと持続可能社会のための科学エネルギー
2004年 (第9巻) 1月 ●学術会議は考える学術教育
2004年 (第9巻) 3月 ●「日本学術会議法の一部を改正する法律案」について学術教育
2004年 (第9巻) 6月 ●日本学術会議法の改正によせて学術教育
2004年 (第9巻) 8月 特集科学する心を育てる学術教育
2004年 (第9巻)10月 特集科学ジャーナリズムの進展のために学術教育
2004年 (第9巻)12月 特集日本学術会議第143回総会について学術教育
2004年 (第9巻)特集:第4回アジア学術会議(SCA)学術教育
2004年 (第9巻) 特集日本学術会議主催公開講演会学術教育
2004年 (第9巻) 科学技術への理解共感を醸成するために学術教育
2004年 (第9巻) 特集日本学術会議第142回総会 新生日本学術会議の在り方学術教育
2004年 (第9巻) 特集科学技術政策の在り方学術教育
2004年 (第9巻) 特集:高度専門職教育日本社会学術教育
2004年 (第9巻) 特集科学責任所在学術教育
2004年 (第9巻) 9月 特集日本学術会議から農林水産大臣への答申  地球環境人間生活にかかわる水産業及び漁村多面的機能の内容及び評価について環境
2004年 (第9巻)11月 特集都市生活環境を考える環境
2004年 (第9巻) 4月 特集学術の再点検 -ジェンダー視点から(その3)-ジェンダー
2004年 (第9巻) 7月 特集人口減少社会パースペクティブ社会
2004年 (第9巻) 特集科学国境歴史政治・国際
2005年 (第10巻) 5月 特集国境を越える生殖医療と法医療人間
2005年 (第10巻) 1月 ●学術会議は考える学術教育
2005年 (第10巻) 6月 特集日本学術会議第144回総会について学術教育
2005年 (第10巻) 7月 特集:今、教養教育を考える学術教育
2005年 (第10巻) 8月 特集21世紀学術における横断型基幹科学技術役割学術教育
2005年 (第10巻)10月 特集日本学術会議第145回総会学術教育
2005年 (第10巻)11月 特集日本学術会議20始動学術教育
2005年 (第10巻)12月 特集:第146回日本学術会議総会 日本学術会議新体制スタート学術教育
2005年 (第10巻) 特集:第19期の活動を振り返って学術教育
2005年 (第10巻) 特集新日本学術会議における人文・社会科学系の活動について学術教育
2005年 (第10巻) 2月 特集大陸棚画定を考える環境
2005年 (第10巻) 特集自然災害災害
2005年 (第10巻) 4月 特集:どこまで進んだ男女共同参画ジェンダー
2005年 (第10巻) 特集犯罪科学する社会
2005年 (第10巻) 特集:事例を中心に見る統計科学現代価値情報
2005年 (第10巻) 特集学術研究個人情報情報
2005年 (第10巻) 9月 特集人間宇宙物理
2005年 (第10巻) 3月 特集:持続可能社会のための科学技術に関する国際会議2004 ―アジアの巨大都市地球の持続可能性―歴史政治・国際
2005年 (第10巻) 特集:第5回アジア学術会議(SCA)歴史政治・国際
2006年 (第11巻) 5月 特集ライフスタイル健康医療人間
2006年 (第11巻) 6月 特集:終末期医療 ─医療倫理・法の現段階─医療人間
2006年 (第11巻) 8月 特集臨床医学研究の発展のために医療人間
2006年 (第11巻)10月 特集スポーツ科学医療人間
2006年 (第11巻)12月 特集科学技術イノベーション学術学術教育
2006年 (第11巻) 1月 特別座談会科学コミュニティーとしての新たなミッションを考える学術教育
2006年 (第11巻) 2月 特集新世代が変える日本学術会議学術教育
2006年 (第11巻) 4月 特集日本学術会議第147回臨時総会学術教育
2006年 (第11巻)11月 特集日本学術会議新体制 ─日本学術会議第149回総会─学術教育
2006年 (第11巻) 特集座談会:「科学上のミスコンダクト」学術教育
2006年 (第11巻) 特集 シンポジウム:「技術者の倫理社会システム学術教育
2006年 (第11巻) 特集新世代が変える日本学術会議(続編)学術教育
2006年 (第11巻) 特集日本学術会議改革ヘの軌跡と課題学術教育
2006年 (第11巻) 特集日本学術会議第148回総会学術教育
2006年 (第11巻) 9月 特集海洋生物学の新たな時代環境
2006年 (第11巻) 特集環境教育環境
2006年 (第11巻) 3月 特集男女共同参画の一層の推進に向けてジェンダー
2006年 (第11巻) 特集ジェンダー学と生物学対話ジェンダー
2006年 (第11巻) 7月 特集公共性ルネッサンス ─21世紀市民社会を考える─社会
2006年 (第11巻) 特集統計から見た日本経済格差社会
2007年 (第12巻) 5月 特集医療崩壊させないために医療人間
2007年 (第12巻)12月 特集保健医療と個人情報保護医療人間
2007年 (第12巻) 特集社会福祉教育近未来医療人間
2007年 (第12巻) 特別講演:寄生動物国民及び政策感染症ミレニアム開発目標 / ロバート・メイ卿医療人間
2007年 (第12巻) 特集化学今日から明日へ化学生物
2007年 (第12巻) 1月 特集科学者の行動規範学術教育
2007年 (第12巻) 2月 特集博物館が危ない! 美術館が危ない!学術教育
2007年 (第12巻) 9月 特集:第7回アジア学術会議学術教育
2007年 (第12巻) 特集:学協会機能強化のための調査学術教育
2007年 (第12巻) 特集日本学術会議第150回総会学術教育
2007年 (第12巻) 7月 特集:脱温暖化社会へのチャレンジ環境
2007年 (第12巻) 特集子どもを元気にする環境とは ─政策の現状と評価こども
2007年 (第12巻)11月 特集自然災害軽減に向けてパラダイムの変換を災害
2007年 (第12巻) 6月 特集地域研究最前線 ─知の創成─社会
2007年 (第12巻) 8月 特集:法的制度としての私と公をめぐって社会
2007年 (第12巻) 特集21世紀における生活科学役割社会
2007年 (第12巻) 4月 特集:人文社会科学役割責任人文
2007年 (第12巻) 特集物理学の今日から明日へ物理
2007年 (第12巻) 3月 特集歴史としての戦後思想としての戦後歴史政治・国際
2007年 (第12巻)10月 特集中国東アジア科学技術と持続的社会歴史政治・国際
2007年 (第12巻) 特集政治学の今日から明日へ歴史政治・国際
2008年 (第13巻) 1月 特集シンポジウム 医療システムのゆくえ医療人間
2008年 (第13巻) 8月 特集生殖補助医療のいま ─社会合意を求めて─医療人間
2008年 (第13巻)12月 特集:信頼に支えられた医療の実現 ─医療崩壊させないために─医療人間
2008年 (第13巻) 特集:医工学先端研究と教育創造的結合医療人間
2008年 (第13巻) 特集生物科学今日から明日へ化学生物
2008年 (第13巻) 7月 特集科学コミュニケーションメディア学術教育
2008年 (第13巻) 9月 特集:若手研究者の育成学術教育
2008年 (第13巻)10月 特集高校における地理歴史教育改革学術教育
2008年 (第13巻)11月 日本学術会議第21期スタート -第154回総会開催-学術教育
2008年 (第13巻) 6月 特集瀬戸内海浅海を考える ~浅海その生物生産環境とその保全防災環境
2008年 (第13巻) 特集:脱温暖化森林木材役割環境
2008年 (第13巻) 特集環境学のミッション環境
2008年 (第13巻) 特集総合工学役割展望工学
2008年 (第13巻) 特集明日社会共通資産 ―建設系分野からの重点研究課題提案工学
2008年 (第13巻) 4月 特集人口ジェンダー  ―少子化対策可能か―ジェンダー
2008年 (第13巻) 3月 特集:わが国の自殺の現状と対策社会
2008年 (第13巻) 特集リスク Permalink | 記事への反応(0) | 10:30

2024-06-14

https://anond.hatelabo.jp/20240614204953勝手タグ付けソースだよ

1996年 (第1巻) 5月 特集:脳の科学こころ問題医療人間
1996年 (第1巻)11月 特集高齢者介護医療人間
1996年 (第1巻) 4月 (創刊号) 特集戦略研究と高度研究体制学術教育
1996年 (第1巻) 6月 特集:第3回アジア学術会議学術教育
1996年 (第1巻) 8月 特集日本国際賞受賞記念講演会から学術教育
1996年 (第1巻) 9月 特集:若手研究学術教育
1996年 (第1巻)12月 特集:第124回日本学術会議総会学術教育
1996年 (第1巻) 7月 特集地球環境問題を考える環境
1996年 (第1巻) 特集:転換期にある工業産業工学
1996年 (第1巻)10月 特集女性科学研究ジェンダー
1997年 (第2巻) 2月 特集パラダイムの転換学術教育
1997年 (第2巻) 3月 特集大学改革任期制学術教育
1997年 (第2巻) 6月 特集伝統と新しい地平 ―第4回アジア学術会議学術教育
1997年 (第2巻) 7月 特集:第125回日本学術会議総会学術教育
1997年 (第2巻) 8月 特集:第16期から17期へ学術教育
1997年 (第2巻) 9月 特集:第17期の発足 ―第126回日本学術会議総会学術教育
1997年 (第2巻)10月 特集:高度研究体制確立を目指して学術教育
1997年 (第2巻)11月 特集地域における学術活性化を目指して学術教育
1997年 (第2巻)12月 特集:第127回日本学術会議総会学術教育
1997年 (第2巻) 特集:2国間学術交流レイシア派遣団報告学術教育
1997年 (第2巻) 4月 特集地球食料問題を考える環境
1997年 (第2巻) 1月 特集平和共生歴史政治・国際
1997年 (第2巻) 5月 特集グローバリゼーション産業空洞化歴史政治・国際
1998年 (第3巻) 3月 特集クローン羊"ドリー":遺伝子科学のはかり知れないインパクト    化学生物
1998年 (第3巻) 特集クローン羊"ドリー":バイオテクノロジー最先端で今、何が、どうなっているか    化学生物
1998年 (第3巻) 2月 特集二国間学術交流 スイス及びスウェーデン派遣団報告学術教育
1998年 (第3巻) 6月 特集21世紀科学への視点 ―第128回日本学術会議総会学術教育
1998年 (第3巻) 7月 特集アジアにおける学術の直面する課題 ―第5回アジア学術会議学術教育
1998年 (第3巻)12月 特集:新たなる研究理念を求めて ―第129回日本学術会議総会学術教育
1998年 (第3巻) 1月 特集地球未来 ~人間の存続環境
1998年 (第3巻) 5月 特集地球惑星宇宙科学の現状環境
1998年 (第3巻)11月 特集食品研究の新領域をさぐる ―食とからだの科学を中心に環境
1998年 (第3巻) 4月 特集ジェンダー   ―社会的文化的性別」と現代ジェンダー
1998年 (第3巻) 8月 特集日本経済課題展望日本ビックバンに向けて社会
1998年 (第3巻) 9月 特集行政改革課題展望社会
1998年 (第3巻)10月 特集ライフスタイルの転換と新しい倫理 ―21世紀社会に向けて社会
1999年 (第4巻) 4月 特集生殖医療とその社会的受容医療人間
1999年 (第4巻) 1月 特集21世紀に向けた学術の新たな改革学術教育
1999年 (第4巻) 3月 特集国民の期待に応えて ―科学最前線から学術教育
1999年 (第4巻) 6月 特集:IGBPの研究成果の統合に向けて ―第130回日本学術会議総会学術教育
1999年 (第4巻)10月 特集日本学術会議創立50周年学術教育
1999年 (第4巻)12月 特集:わが国の大学等における研究環境改善について(勧告) -第131回日本学術会議総会学術教育
1999年 (第4巻) 2月 特集ごみを考える環境
1999年 (第4巻) 8月 特集海洋環境
1999年 (第4巻)11月 特集科学技術社会社会
1999年 (第4巻) 特集少子化問題社会
1999年 (第4巻) 5月 特集学会インターネット情報
1999年 (第4巻) 9月 特集学術からみた「美しさ」について人文
1999年 (第4巻) 7月 特集人口環境 ―持続的発展に不可欠なアジア役割 ― 第6回アジア学術会議歴史政治・国際
1999年 (第4巻) 特集科学技術の発展と新たな平和問題歴史政治・国際
2000年 (第5巻) 1月 特集学術研究の国際ネットワーク学術教育
2000年 (第5巻) 3月 特集:第7回アジア学術会議学術教育
2000年 (第5巻) 4月 特集世界科学会議21世紀のための科学学術教育
2000年 (第5巻) 7月 特集:第17期を締めくくる成果 ―第132回日本学術会議総会学術教育
2000年 (第5巻) 8月 特集:第17から第18期へ学術教育
2000年 (第5巻) 9月 特集:第18期始まる学術教育
2000年 (第5巻)10月 特集俯瞰研究プロジェクトへのアプローチ学術教育
2000年 (第5巻)11月 特集研究業績評価 ―実態問題学術教育
2000年 (第5巻)12月 特集:第18期活動計画の全容学術教育
2000年 (第5巻) 特集各部抱負学術教育
2000年 (第5巻) 特集:第8回アジア学術会議学術教育
2000年 (第5巻) 特集世界科学アカデミー会議学術教育
2000年 (第5巻) 2月 特集安全災害
2000年 (第5巻) 6月 特集男女共同参画社会における日本学術ジェンダー
2000年 (第5巻) 5月 特集司法改革課題展望社会
2001年 (第6巻) 2月 特集21世紀とヒトゲノム医療人間
2001年 (第6巻) 4月 特集21世紀と新エネルギーエネルギー
2001年 (第6巻) 1月 特集21世紀科学役割を問う学術教育
2001年 (第6巻) 3月 特集21世紀科学アカデミーデザインする学術教育
2001年 (第6巻) 5月 特集学術活動のための次世代育成学術教育
2001年 (第6巻) 6月 特集:「科学技術」の概念を人文・社会科学へと拡張学術教育
2001年 (第6巻) 7月 特集大衆化された大学での教育はいかにあるべきか学術教育
2001年 (第6巻)11月 特集日本学術会議改革に向けて学術教育
2001年 (第6巻) 特集:常置委員会の目指すもの学術教育
2001年 (第6巻) 特集日本社会の変容と教育の将来学術教育
2001年 (第6巻) 特集:第1回アジア学術会議学術教育
2001年 (第6巻) 特集特別委員会活動経過学術教育
2001年 (第6巻) 8月 特集遺伝子組換え食品をめぐる最近の動向環境
2001年 (第6巻)10月 特集:食から見た21世紀課題環境
2001年 (第6巻) 9月 特集10代は変わったか!こども
2001年 (第6巻)12月 特集データベースの新たな保護権利制度導入反対への初の声明情報
2001年 (第6巻) 特集21世紀IT社会情報
2002年 (第7巻) 5月 特集医療最先端医療人間
2002年 (第7巻) 8月 特集ナノテクノロジー化学生物
2002年 (第7巻) 9月 特集動物実験化学生物
2002年 (第7巻) 1月 特集新世紀の日本学術会議学術教育
2002年 (第7巻) 3月 特集科学技術新世学術教育
2002年 (第7巻) 6月 特集:新しい日本学術会議に向けて!学術教育
2002年 (第7巻) 7月 特集ノーベル賞100周年記念国際フォーラム創造性とは何か」学術教育
2002年 (第7巻)11月 特集:変革をめざす国立大学 ―学長たちは考える学術教育
2002年 (第7巻)12月 特集日本学術会議の今後の方向に向けて!学術教育
2002年 (第7巻) 特集:「大学の自立」と「学術経営」のあり方を探る学術教育
2002年 (第7巻) 特集:第2回アジア学術会議(SCA)学術教育
2002年 (第7巻) 特集学術科学研究の成果と社会学術教育
2002年 (第7巻) 4月 特集学術の再点検  ―ジェンダー視点から(1)ジェンダー
2002年 (第7巻) 2月 特集創造性と日本社会社会
2002年 (第7巻)10月 特集:「身体障害者との共生社会」の構築に向けて社会
2002年 (第7巻) 特集日本計画社会
2002年 (第7巻) 特集グローバル化時代対応する高等教育課題歴史政治・国際
2003年 (第8巻) 2月 特集研究教育現場から見た国立大学改革学術教育
2003年 (第8巻) 3月 特集科学社会 ―いま科学者とジャーナリストが問われている―学術教育
2003年 (第8巻) 7月 特集私立大学さらなる発展学術教育
2003年 (第8巻) 8月 特集:第18期から第19期へ学術教育
2003年 (第8巻) 9月 特集:第19期始まる学術教育
2003年 (第8巻)10月 特集:新しい学術の体系学術教育
2003年 (第8巻)12月 特集:第19期活動計画学術教育
2003年 (第8巻) 特集活動計画各部抱負学術教育
2003年 (第8巻) 特集:第3回アジア学術会議(SCA)学術教育

2024-06-09

anond:20240608235641

セカンドオピニオンを勧める。第一希望の行きたい病院じゃなくても他の病院探してみたら?

自分も39歳独身女性だけど今飲んでる薬が合ってて希死念慮やむやみな劣等感がなくなって毎日楽しいよ 最近は1人で美術館博物館を巡ってる

2024-06-08

横浜トリエンナーレへの批判を読んで(前半)


文字数制限にかかるようなので、前後に分けて挙げます。)


前置き


第8回横浜トリエンナーレ野草:いま、ここで生きてる」がこの土日で終わります。私も見に行って、なかなか面白く思いました。ところが友人によると、SNSでは批判の声が多いそうですね。あまりそういうものは見ないようにしているのですが、友人がその場で例を見せてくれたので、ついいくつか読んでしまいました。そのとき感想は、ひとことで言うと「批判者の言うことにもわかる点はある。でもキュレーターはそれなりによくやっていたと思うし、今回が最悪だとか、他の回に比べてどんどん悪くなっているとか、そんな気はしない」ということでした。そこで友人といろいろのことを話し合ったのですが、今はそれを思い出しながらこの文を書いています


今回の展覧会には魯迅の『野草』という短編集が深く関わっていますが、魯迅は「おおむね、折にふれてのささやか感想を述べたに過ぎない」と述懐しています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。魯迅感想短編集『野草』を生み、『野草』がこの展覧会を生み、この展覧会が人々の感想を生み、そしてその感想がこの感想を生みました。もしこの感想を読む人がまた新たな感想もつならば、それで満足です。


人は物事に触れて感想を持つものだと思いますSNS批判の中にも、「これは感想にすぎない」というような留保をつけるものがありました。感想自由にあるべきと思います。そして、感想を読んだ感想というもの自由にあるべきでしょう。今はくだんの批判を読み直さず、またあまり調べものもせずに書いていますが、不十分なところはどうぞ悪しからずご理解ください。これは「論」ではなく、「感想」のつもりです。


野草』と「文の国」


今回の展覧会の特徴は、「作品」と「意味」のバランスを探る点にありました。多くの作品は、ただ「見て楽しむ」ものではなく、「意味を考える」ことが求められるものでした。そのバランスキュレーターの側でうまく作れているか、そして鑑賞者がそれをどのように読み解くかがカギになっていたと思います


今回のテーマは「野草」というのですが、その裏には魯迅の『野草』という著作が密接しています。これは展覧会中にも幾度となく示されており、魯迅の『野草』の本も展示してありました。この本は「二十四篇の短文から成るものですが、「スタイルはまちまちであって、詩あり、散文あり、また即物的もの追憶的なもの観念的なもの象徴的なもの風刺的なものなどが入り混り、内容形式ともに多傾向」なものとなっています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。この本は意味があるようで意味がない、意味がないようで意味がある、詩のような文のような、芸術のような政治のような、一種独特雰囲気をもった作品集です。


これを読んでから展覧会を見渡すと、「キュレーターたちは横浜美術館を一冊の現代版『野草』にしようとしていたのではないか」ということに思い至ります


そう考えると少し納得できる点もあります。それは「文」への偏重です。友人は次のように話していました。「私は今まで、展覧会作品を見ればよいと思っていた。作品を見ずに解説ばかり読む人があれば、本末転倒だと考えていた。つまり言葉を軽視していたのだ。ところが、今回の展覧会では作品の多くに意味があり、その意味キュレーター解説を読んで初めてわかるようなものが多かった。入口にはタブレット文章が並べられ、その左側の階段の上には本を並べた一角もあった。さらには猟師へのインタビューがあったり、詩が作品として出ていたりと、言葉への重視が目立った。」


しかし、これは考えてみればさほど奇妙なことではありません。ふつう、広く「芸術」 (art) と言うときには「文学」を含みますし、「美術」 (fine art) というときでも「詩」を含むことがあります。「芸術」は「造形芸術」に限られたものではありません。もちろん、ただの書籍文章が「芸術」と言えるのかどうかは議論余地がありえますが、言葉芸術距離がそう遠いものでないことは確かです。


さらテーマの「野草」が魯迅の『野草』に由来するものであることを考えると、今回の展覧会の裏地には文学がぴったりと張り付いているような気がしてきますキュレーター中国出身であるということから、なんとなく心のなかに「文の国」という言葉が浮かんできました。三千年の歴史をもち、科挙試験にも詩が課され、書という芸術をいだき、詩文文字芸術でないなどと疑ったことのない文化の国のイメージとともに。


作品との対話


いっぽう、日本一般に「芸術」というとき、それは詩文を容れえないほど偏狭ものなのでしょうか? 批判の中には「文」への偏重に対する疑問もあったように思います。そのような人々にとっては、あたか展覧会からあなたの思う芸術とは何ですか?」という問いが投げかけられたような恰好になっているわけです。


では、「芸術アート)」とは何でしょう。批判する人たちの中には、自分にとって「美しくない」「面白くない」から芸術アート)ではない」と断じたい人もいるようです。でも、現代アートは「美」への問いかけを含むものではないでしょうか。デュシャンの「泉」などはまさにその代表だと思います。また、「芸術」における「言葉」といえば、シュルレアリスムと詩の関係だとか、20世紀初頭の芸術家たちがしちくどい宣言を次々と打ち出したりだとか、いろいろと思い当たることはあるはずです。そういうところに「美しいもの芸術なのか?」とか「言語表現芸術無関係か?」といった問題ゴロゴロと転がっているわけで、簡単に「これは芸術だ」「これは芸術じゃない」と判断できるはずはありません。その人たちの考える「芸術」は、どのくらいの狭さなのでしょうか。


鑑賞者は芸術に触れるとき、常に戸惑い、「作品の受容」ができない事態に直面する可能性をもっています。そのような時こそ、自分の中にある固定観念を見直す機会かもしれません。今回、批判したくなった人が多かったということは、それだけ作品からの「問い」を受けた人が多かったということでもあります。そうなると鑑賞者は、やっかいなことですが、自分の回答を練らなければならなくなります批判ひとつの回答ですし、その回答に満足せず、さらに新たな回答を考えてもよいわけです。陳腐な言い方ですが、「作品との対話」が必要展覧会であったと言えるのでしょう。


友人はまたこうも言っていました。「かつては『現代芸術抽象的すぎて何が描いてあるかわからない』という時代があり、その後に『現代芸術は難しくない、何も考えずに作品面白がろう』という時代が来て、それはひとむかし前まであった。でも、それが終焉すべきときに来たということかもしれない。今は言葉時代なのでしょう。考えずして何が現代芸術か、ということになっている。地味でつまらなかったといった批判もあるようだが、休日ちょっと芸術に触れてみよう、子ども芸術に触れさせてみよう、デート美術館に行ってみよう、特に『何も考えずにただ作品面白がろう』と期待した人にはつまらなかったかもしれない。」


しかに、昔からの(または昔ふうの考えをもった)現代芸術の鑑賞者の中には、「芸術とは面白がるもの」という考えから抜け出せず、新しい潮流に戸惑う人がいるかもしれません。「金を払って楽しみに来た」という手合いには、気の毒だったと言えるでしょう。しかも来訪者への間口は大きく広げられていたので、そのようなミスマッチを生むしかけは念入りに準備されていたともいえます。今回は横浜美術館改装後の久々の展覧会であり、規模も大きく、宣伝もあって、多くの人を誘い込む要素がありました。そのような場で横浜美術館は「人を面白がらせる」展示をすることもできたはずです。しかし、実際には「人を戸惑わせる」展示を行いました。だからがっかりした人も多かったのでしょう。


私も「キラキラ」な楽しい芸術が好きです。だからそういうものが多いと嬉しいし、その逆ならばがっかりします。しかし、美術館の目的には「レクリエーション」もありますが、決して「レクリエーション」だけを目的とした施設ではありません。今回、美術館はこのような大規模の展覧会で、作品との「出会い」と作品からの「問いかけ」を提供し、人々を「戸惑わせ」てくれました。その意味で、美術館はよくやったと思うのです。「キラキラ」な楽しい回があってもよいし、「地味」な考える回があってもよい。美術展はそういうものだと思います


過去トリエンナーレ


ここで、ちょっと過去トリエンナーレを振り返りたいと思います


私が初めてヨコハマトリエンナーレに訪れたのは2011年の第4回「OUR MAGIC HOUR ――世界はどこまで知ることができるか?――」でした。この年は東日本大震災の年で、印象としてはとにかくキラキラと輝くような回であったということです。震災後の混乱をアートがどう扱うか、芸術家の間でもまだ折り合いがつかずに、ただ思いつく限りのことをやってみたといった印象で、宝箱の中の宝石をぶちまけて転がしてあるような、たいへん魅力のある回でした。私にとってこの回は「よい」の標準になっています


2014年の第5回「華氏451芸術世界の中心には忘却の海がある」もたいへん期待したのですが、この回は言ってみれば「地味」な印象で、まだ青かった私は「ハズレ」だと感じました。しかし、友人はこの回も面白かったと言っています。この回は「忘却」がテーマで、戦争中に作家芸術家がいか体制側に立ってはたらき、戦後その責任もとらず、反省もせずに「忘却」したかということを、当時かれらが執筆した文章を並べて示していました。このころには震災後の政権交代脱原発などの流れの中で、世の中を動かすのは「政治であるという意識が出てきていたためかもしれません。


2017年の第6回「島と星座ガラパゴス」は、博物館の表に救命ボートがびっしりと張り付けられていました。「ネトウヨ」に関する展示もひとつふたつあったことを覚えていますが、これもきわめて「政治的」でした。長期化する安倍政権さなかにあって、政治右傾化懸念されていたことも影響していたのでしょうか。(「政治性」の話は、後で少し触れたいと思います。)


2020年の第7回「AFTERGLOW――光の破片をつかまえる」は久々の「当たり年」でした。2011年に次ぐキラキラの再来です。入口から光り輝くカラスよけのCDのような装飾、メビウスの輪のような形をした光り輝く金属の骨組み、巨大な腸を模した造形、赤いカーペットをひいたでこぼこの「道」映像作品「遅れてきた弟子」、そのほかここでは言い尽くせないもろもろの楽しい展示の連続


きっと第7回が初めてのヨコトリ体験であった方々は、2011年の私が次回に期待したように、第8回にも「キラキラ」を期待したかもしれません。しかし、べつに横浜トリエンナーレは「キラキラ展」ではないので、地味な回もあるのです。その意味で言えば今回はやや地味だったかもしれません。しかし「地味」には「地味」なりの「味」があるものです。今回はその意味で「ふつう」と「よい」の間くらいと感じました。決して「悪い」ではなかったと思います


いわゆる「政治性」


今回の展覧会が悪かったという人の中には、展示が「政治的」だという人もいたようです。もちろん、芸術政治であることの何が問題なのかとか、政治生活と密接なものである以上は程度の差こそあれ政治的でないものなどありうるのかといった疑問も出てきますが、今回の展覧会を見て私が感じたのは、むしろいわゆる「政治性」の薄い部分があることでした。キュレーター中国出身の方ということなので、もしや特に日本のために配慮(手加減)したのではないかという疑いさえ感じました。


しかに、今回の展覧会ではヨーロッパ戦争に関連する展示や国粋主義者移民反対デモ映像が展示されていました。それがひとっところに固めてあるのではなく散らばしてあったのは、この会場をひとつ世界見立てて、このような出来事遍在していることを忘れてはいけないと示したようにも見えます


そのデモ映像ひとつを見ているときでしたが、後ろを通りかかった人が「ヨーロッパ、壊れてんな」とつぶやきました。まことに然り! だがそれを言えば日本だって「壊れて」いるのです。日本でも人種差別デモが行われていますヘイトクライム危険もあります。「人種差別」がわたくしたちの身近にあることは、ネットを少し覗いてみればすぐわかることです。


思い返せば2014年2017年はかなり「政治的」な展示があったと思いますしかし今回、キュレーター日本問題ひとつも指摘しませんでした。日本美術展が国粋主義的主張をもった人々の抗議で中止に追い込まれ事件もそう遠い昔のことではありません。日本美術表現自由にできない国です。キュレーターたちは日本に気をつかってくれたのでしょうか? それとも日本で波風を立てて攻撃されることを恐れたのでしょうか? それとも今の世界を広く見たときもっとも新しくもっとも重い問題にしぼってとりあげようと考えたのでしょうか? それは知るよしもありません。もっと自由表現への危機は(またすこし違った形で)キュレーターたちの出身である中国にもあることでしょう。展覧会中に示されたように、ヨーロッパ安全ではありません。世界じゅうで似た現状があります


しかし、日本が名指しで批判されなかったからと言って、日本が許されたわけではもちろんなく、これらの作品なかに普遍性見出し、これを「鏡」として日本の現状を見ることが求められているのだと思います。それらの作品が見るに堪えない現状を示しているとき、それに怒っても意味がないでしょう。それは鏡をヒョイと覗き込んでみて、「ああ醜い! 私の美学に反する。美はいったいどこにある?」と怒るようなものです。


ところで、批判者の中には展覧会のこのような政治的な「傾倒」や「変質」がここ10年や20年の変化だと振り返る人もいますが、私には展覧会なかにその説明があったように思われます。今回の展覧会は、これも魯迅の『野草』をテーマとしているためかもしれませんが、歴史を強調するものが多くあり、あるところでは史料紹介の様相すら呈していました。木版画をめぐる日中交流史の展示では、魯迅木版画という簡易で複製可能芸術を通じて、民衆文化を届けようとしていたことが紹介されていました。これは「芸術」が一部の特権階級のものではなく、民衆のためのものであるべきではないのかという問題を、当時から現代に向けて投げかけなおした一面もあると言えるでしょう。また、皇国史観へのアンチテーゼとしての縄文土器や、学生紛争撮影した写真が展示されていたのは、芸術政治問題が降って湧いたものではなく、日本でも半世紀以上にわたって連綿と続いている問題であることを示していたと思います


(後編へ続きます。)

https://anond.hatelabo.jp/20240608093350


2024-06-02

vtuber リベ・ラルオのプロフィール

性別 男

年齢 38歳

身長 171センチ(本当は167)

体重 62キロ

居住地 東京

出身  秘密

好きな言葉 多様性文化資本

嫌いな言葉 愛国ホモ

好きな場所 美術館博物館劇場文化を感じられる場所東京

嫌いな場所 田舎豊田京都

嫌いな人 頭の悪い人、アプデートしない人、環境のことを考えない人

他には?

2024-06-01

anond:20240601093148

わかる。中学校のころめっちゃ模造刀ほしくて親にめっちゃ反対されながら買ってしまった。

厨二病だったのかと思いきや、大人になってから行った観光地の城で偶然実物の日本刀を見てから博物館行くのが楽しくなってしまった。

東京国立博物館みたいな超強いところはそれはそれは充実しているし、割と地方博物館でも(日本文化なので)数振りは展示されていたりするんだよな。

2024-05-31

anond:20240531060924

なぜわざわざ「資本」って言葉が使われてるかといえば文化教養のような形のない物も貨幣や財のような富と同じく

社会的地位経済的利益を生む元手となることに注目してるから社会的地位経済的利益再生産に寄与する」ことが一番重要ポイントなんだよ

美術館博物館なんて「庶民にも文化の片鱗に触れさせてやろう」って施設でとてもじゃないが資本なんて言えるもんじゃないんだよな

阪神岡田監督が「親が有力なタニマチだったか子供のころから阪神選手が家に来て野球教えてくれた」とかそういうのが文化資本だよね

音楽家とかも大体親が業界とつながりがあって子供の頃から高名な音楽家と面識があったとか多いしね

東京文化資本百番煎じ

そもそも文化資本定義とは

フランス社会学者ピエール・ブルデューによって提唱された社会学における学術用語の一つであり、金銭によるもの以外の、学歴文化的素養といった個人的資産

とのこと

東京には個々人が様々な文化資本教養体験を積める場所が多くある。以下例を挙げると

A. 一流大学で行われる授業や研究、一流の文化人講師を務める講座、芸能人が集まるテレビスタジオクラブ

  日本リーディングカンパニー経営者が集まる会合大型書店の専門書・洋書コーナー、

B. 野球サッカーコンサート等が頻繁に開かれる球場美術館博物館、かつては若者文化の発信地だった渋谷原宿オタクが集まる秋葉原、金と欲望暴力歌舞伎町六本木

  デート観光釣り野宿もできるお台場マルチ商法詐欺師がカモを連れ込む新宿喫茶店外国人と話ができるカフェバー瀟洒議員会館の威容

等々、文化的体験を積める場所は数え切れない

また、一流大学や一流タレントだけでなく、準一流大学アイドルの卵など、場は階層も深い

資格教養が無いと参加できない場もある(主に上記Aで挙げた場所)し、誰でも参加できる庶民場所もたくさんある(上記Bで例に挙げた場所

多様な経験ができる事と、その厚みが厚い事(日本語が下手)が東京文化資本とやらだと思う

なので美術館博物館以外の東京文化資本と言えば、たくさんありすぎて列挙する事すら大変だと思います以上終わり

2024-05-30

anond:20240530175720

プロ代々木駅近くの紀伊国屋洋書売り場で過ごしてるから

あれが新宿一の文化資本だと思うよ

美術館やら博物館やらの薄っぺら文化資本論してる人達と違って真の教養ある人間しか楽しめない場所だし(増田のお手本みたいなマウンティング

昔は全フロア書店楽しい場所だった

anond:20240530154607

ほんならヴァルハラについて機械翻訳からコピペ

イギリスノルウェーのすべてをレビューすることはできませんが、ロンドン(Lūndonjon / Lūndyn / Lunden)をレビューすることができます

西暦873年にそこに立っていたであろうものの多くは欠けていますユービーアイソフト歴史家は、ウィキペディアからこの地図を参考にしたようだ。

https://en.wikipedia.org/wiki/File:Map_Londinium_400_AD-en.svg

しかし、その地図には、当時のロンドンの少量の建物が含まれています。このレベル歴史研究では、ウィキペディアのような一般的知識サイトは不十分です。

他の歴史家が詳細を知りたい場合は、お気軽にお気軽に。

一般

または、フォーラムの南にあるCandelwic Strætのロンドンストーン(Millarium / Praetoriumゲート)から放射する道路パターン:

Trajectus Way:Douegæt(川までダウンゲート)からLondon Stone(Candelwic StrætのPraetoriumゲート)まで

Wæcelinga Stræt(Praetorian Way):南東からニューゲートまで

Earninga Straete (Ermyn/Ermine street a.k.a.オールドノースロード)は、Wæcelinga Stræt southwarkに同行し、南西からDouegætに入り、Cripplegateまで北上しました

ヴィシナルウェイ(フェンチャーチ通り)TrajectusからAeldgate(旧門)を通ります

フォーラムの東:

フォーラムの西:

クリップルゲート:

ルンデンウィッチ:

ゲームには一般的な「Lundenwic Abbey」が1つあります9世紀には、ルンデンウィッチには5つまたはおそらく7つの修道院があっただろう。

現代ウェストミンスター(ルンドンウィッチの南)

他のいくつかの観察:

  • 服は歴史的な、間違った色ではありません(青は純粋に黒い衣服と同様に、非常に高価な衣服の色でした)。ほとんど誰もそれらを持っていないだろう。ほとんどの北欧衣装は、茶色、赤、黄色、緑の優勢な色を持っていただろう。かなりカラフルです。彼らはすべて同じ制服を持っているわけではありませんが、Ubisoftがそのように描くことを選んだ理由は明らかです。
  • ノルウェーの季節はすべてめちゃくちゃです。深い冬のように地面に雪がありますが、栄養屋台は新鮮な夏の作物でいっぱいです。昼と夜のサイクルは季節などと一致しません。些細なこと。
  • 襲撃中に奴隷を取ることができない。これはバイキングの襲撃の大きな利益でした。誘拐された奴隷を売り返す。
続きを読む:**イングランドのこの期間に興味がある場合は、ここでさらに読むことができます

anond:20240530124908

せっかくだから自分語りでもしてみる。

私は上京組だ。地元は市内にライブハウスが2軒あるくらいの地方都市

高校までを地元で、大学を別の地方都市で過ごし、就職上京してきた。

上京後のある休日、私は暇を持て余していた。

私は予定がないとひたすらゴロゴロしてしまうタチなので普段はなるべく予定を詰め込んでいるのだが、その日は何もなかったので昼まで寝てご飯を食べてそのままダラダラしていたのだ。

ふと「ライブに行きたい」と思い立ち、ライブハウスサイトを回ってみた。

東京には星の数ほどのライブハウスがあり、週末にはほぼ全てのライブハウスで何らかのライブが行われている。

何軒かのサイトを巡ると、ちょうどその日に私の好きなバンドライブがあることを知った。

私はその場でライブの予約をし、電車に乗ってライブハウスに向かった。

ライブハウスに向かう道中、私は心から「ああ、これが東京か」と感じた。

ふと思い立った1時間後には好きなバンドライブが見られる。常にどこかで数え切れないほどの人たちがライブをしている。

私の知っている地方都市ではそんなことはない。

ハコはせいぜい1~2軒、そこそこ名の知れたバンドでも回ってくるのは年に1回あればいいほう。それを何ヶ月も前から予約し行くものなのだ

その気になれば毎週でも自分の好きな様々なバンドを見ることができる。というか、見ていた。

DJをやったことがある。

と言っても専門的な知識なんて何もなく、ターンテーブル再生と切り替えとちょっとした調整くらいしか知らない。

知識をつけて本気でやる気もないし、集客を頑張るつもりもない。

音楽繋がりで会った友だち数人と企画して、身内を30人くらい集めて遊ぶ。そんな感じだ。

ちょっと声をかければ数十人の趣味仲間が集まり、場を共有して楽しむことができる」

そこで一緒に遊んでいた友だちはイベント企画にハマり、ちょっとしたインディーズバンドを呼んで外部集客含め100人くらいのイベントをやるようになった。

こんなことができるんだな、と思った。

美術館は何度も行っているけど、正直よくわからない。

からないなりに「綺麗だな」とか「すごいな」と思うことはある。

それよりは博物館科学技術館みたいなところのほうが楽しいな。

どうやら私は物事の仕組みや分類みたいなもののほうが好きらしい。

あ、でも文化庁メディア芸術祭はとても楽しかった。終わっちゃったのが寂しいな。似たようなイベントってどこかでやっていたりするんだろうか。

そういう「自分は何が好きか」というのも、行ってみなければわからないみたいなところがあるよね。

なので、行ける機会がある人は知らないものにもどんどん触れてみるといいと思う。

基本的に遊んでいるだけなのでそれを文化資本と呼んでいいのかどうかはわからない。

けど、東京楽しいよ。

anond:20240530141832

なんかもうずーっとオーバーツーリズムだよなぁ

一人のときは、平日の空き時間にふらっと博物館でも公園でも行けたけど

家族と一緒となると土日や長期休みしかなくて、必然激混みなんだよな


まあそれは東京に限った話ではないか?

anond:20240530140028

ワシ名古屋福岡に住んでた時は博物館美術館行ってたけど東京にきてからはほぼ行かなくなったわ

どこもかしこも混みすぎてて嫌になるから

なんなら地方旅行先で雨降った時に東京でもやってる展覧会見たりする

東京の人は混雑というコストを考えてなさすぎやなあと思うわなあ

anond:20240530105001

正しくは「東京に住むことによって得られる文化資本がある」だよね

とはいえ美術館がある!博物館がある!」っていったってそこに頻繁に行くような層は東京でもそこまで多くはないし

学生時代本屋だの映画館だのレコード屋だの古着屋だのに寄り道ができたのが文化資本だったって言うサブカルっ子もクラスのごく一部で

たいがいは学校と家の往復、せいぜい帰りにファミレス寄るぐらいの生活から地方イオンにたまってヴィレヴァンで買い物してる高校生とそんな変わらない

東京文化資本

先日、Xにて以下の投稿議論を読んでいた。

東京以上に安全で清潔で文化資本エンタメの集積があり、住環境も整い、交通移動手段が超高度に発達し、緑も多く、食文化も高度に発達し、経済的にも豊かな都市があるのなら知りたい

これに対して自分の考えをつらつらとまとめてみたので

興味がある人は見てほしい。

ちなみに自分九州出身東京在住10年目のサラリーマンだ。東京と他の都市との比較についてはフラットに見れていると思う。

この投稿安全、清潔、エンタメ交通手段が発達していて経済的に豊かであるという点については強く同意している。だからこうして自分も住み続けているし移住する考えも今のところ無い。

(住環境については東京含めた首都圏は良くないと思う)

しかし『文化資本』や『食文化』についてはどうだろうか?

よくある『文化資本』の解釈としては美術館博物館、立派な図書館コンサートホールが多数ありそこで開催される催しに気軽に参加できるという点や、マイナージャンル文化でも人口が多いため一定需要があり、その需要のもとにお店が成り立つといったものである

しかしほんとうにこれらは文化であると言えるのだろうか?自分としてはこれらは全て文化ではなくどちらかというとエンタメであり、消費される事を前提とした工業製品のようなものだと認識した。

これらを文化として捉えて口に出す人々はほぼ例外なく消費するお客様立場としてこれらを文化として捉えており、自分たちの手で作るといった皆無に等しいからだ。美術館の展示においても商業的な最高の見込みのある展示物をよそから借りてくるor他所で作られた東京で保管しているものを展示しているだけなのだ

そういった商業第一主義の中で商業的に優れたものをありがたがるという点で文化ではなくエンタメだと考えた。無論エンタメという視点で捉えれば東京世界でも5本の指に入る優れた都市であると思うが、それが文化か?と言われると疑問が残ってしまう。

食文化についても同様にミシュランの星獲得店数が世界一や高級店の数、価格帯を持って優れているとする人が多いがそうは思わない。それも同様に商業的に正しいとお墨付きがついたものをありがたがって消費しているにすぎないからだ。

このように考えていたら以下のような引用投稿されていた。

東京世界一」類の話をされると「とりあえず関西に負けてないか?」と思うことが多い。シンガポールNYの前にまず大阪神戸を見ましょう。ここに挙がっているもの大半で東京日本一でさえない。

この引用投稿に対して以下のように感じた。

(今回は文化面について掘り下げているので他の項目については触れないので悪しからず)

食に限らず日本文化本拠地はやはり関西にあると考えるし、文化という観点で捉えると関西が優れていると思うり日本の歴史首都は千年以上前から関西にありそこを中心に今の日本につながる文化が作り出されてきたからだ。中心が江戸に移った後も上方文化として文化をひと足先に作ってきたのも関西だ。

東京の人はよく、関西文化(特に食について)が乏しいとか言うが、そういう人は串カツたこ焼きお好み焼きぐらいにしか理解ができないのだろう。和食日本料理の原点はやはり京都大阪にあり、日本酒なども発祥はそっちの方にある。そらが理解ができない時点で勝ち目がないのだ。

この話をわかりやすく置き換えると東京=アメリカ関西含む西日本=ヨーロッパ関係に似ていると思う。

アメリカは近現代以降に建国してそれ以降急速な発展を遂げて世界一の国になった。世界一の国には優れたエンタメが無数にあり、商業的に成功している。

しかそもそもアメリカヨーロッパから逃げ出した移民移住先であり、地名ですらヨーロッパ各地の地名が由来になっている。ニューヨークですらそうだ。

言語も結局Englishでありイギリス言葉なのである

アメリカイギリスフランスイタリアよりもエンタメという視点で捉えると優れているが、文化という視点では到底太刀打ちできないことに異論はないと思う。

それは上記の3カ国だけでなく他の無数の国々も同様に。

日本中国文化という視点ではアメリカを圧倒的に凌駕するだろう。

東京関西関係上記の言い換えでだいたいの説明がつくだろう。

長くなったが東京という街全体の全てがエンターテイメントであり、それが世界でも五本の指に入る優れた街である事を誇りに思ってほしい。

だが、エンタメ文化は違うものであること、日本国内でも東京が1番になれない分野があることも理解してほしいと思ったのでこのような記事を書いてみたが意見を聞きたい。

p.s.

職場にいる東京まれ東京育ちの上流階級ぶって世田谷オバさんが一々東京が何にしても1番である事を常々言ってくるのが鬱陶しく鬱憤が溜まっていたところこの論争に行き着いたという背景もある。

あと、ツイート引用方法がわからなかった為、

そのまま文中に記載しておりわかりづらいのは申し訳ない。

追記

思いの外反響がたくさんあってびっくり。

上手く書ききれなかったこともあるので追記ときます

まず、東京全否定するつもりはありません。

冒頭の引用文化資本食文化以外の項目については

東京圧勝です。あたりまえです。

また、現代東京文化というもの否定していません。それらはエンタメに当たると指摘しており、エンタメ日本一どころか世界一ですらあると思っています

ではなぜ文化エンタメを分けたかというと元の引用があえて分けて記載をしており、実際に自分も地続きではありますが別物だと考えています

エンタメが積み重なって長い時間をかけて定着することで文化になると考えています

古い例で言えば源氏物語はただの異常性癖恋愛小説ですし、枕草子はおばちゃん愚痴を綴ったTwitterみたいなもんだと思います

ただ、どなたかコメントにあったように現代エンタメの消費スピードが早く盛り上がっては消えての繰り返しで定着がなされていないことから文化昇華する前に次の流行の爆発が起きて焼畑農業みたいな事を繰り返しているのでエンタメ文化への流れが途絶えつつあると思っています

そういうことからエンタメ面では首都圏を含めた東京が圧倒的に上ですが、それが文化かというと違う気がします。

あと、Twitter民がミシュランの店数や美術館などの箱物が多く展示が充実していることを文化資本の例としてあげるのをよく見かけるのでそうでは無いだろ?と言いたいところから始まっています

あと世田谷のおばちゃん代沢に大きな一軒家を持っており、子供が成人する時にそれぞれ1億あげたそうです。

そういう意味で皆さんが想像する鬱陶しい世田谷マダムイメージ通りだと思います

2024-05-16

anond:20240516045242

女性身体学校生活会社員として暮らしていくためにハンデがあるのは事実

そもそもその仕組み(学校会社)って明治時代以降たかだか100年程度の間に出来た常識で、

古来、女性子供を産むことが出来るというのが一番の身体的特徴でしょう。

あなたがいくつかわからんけど、子供を産むってすごいことだよ。

世の中にヒトが一人増える。何千年も何万年も続いてきた種を継続させることが出来る。

俺は縄文関係博物館を観に行くんだけど、最後はコレ。

子供を産み育てる、ということがいか尊いことか。

自分の何百代、何千代も前のご先祖さまから渡されてきたバトン

電気水道も無い時代から渡され続けてきたバトンを次の世代に渡せるのって凄いことだよ。

2024-05-15

御座候って、あずきミュージアムをやってるだけで一歩先いってる

姫路といえば姫路城だが、御座候もある。

御座候では、世界初のあずきをテーマとした博物館で、社会貢献もしているのだ。

他とは違うのだよ

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん