「ホーム」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ホームとは

2019-02-17

神にフォローされてしんどい

オタクのしょーもない感情の吐き出し。

以前、文字書きが同じ文字書きを妬ましく思っているブログがバズってたけど、系統としてはそれと同じ。

神だと思っている文字書きさんがいる。

神の作品があって、そのジャンルでの自カプに落ちたも同然だった。キャラの造型も解釈も、作品の展開もどれも好みで、感動したのを覚えている。

支部作品を全部読んで、支部プロフからツイッターに飛んだ。鍵はかかってなかった。ベッターのリンクを見つけて飛んで、支部掲載作品も読んだ。どれも素敵だった。少し迷ったけどフォローさせてもらった。当時はハマりたてでフォロワー0のアカウントだったから、ブロック覚悟したが、外されることはなかった。神以外の自カプのアカウントもいくつかフォローして、ジャンル自体勉強をする日々が割と長く続いた。

ある日、神からフォロバされていた。青天の霹靂とはこのことか。この頃にはフォロワーも増えており、怪しいアカウントの見た目から卒業できてはいたが。まさか。誤フォローだそうに違いない。そう思って挨拶もせずに(フォローも無言でしてた)放置していたが、二日経って三日経って一週間経っても神は自分を外さなかった。どうやら誤フォローではなかったらしい。

自分文字書きの真似事をしているが、自カプでは書いてはいなかった。ツイッターでただ壁打ちしては満足していた。そのうち、神からもファボ(当時)を貰ったりして(これも誤ファボだと思っていた)、神に自カプの者として認められたみたいで嬉しかった。ただただ舞い上がって、自カプの似たような話ばっかして、でも今になって思うと、神からの反応はあってもなくても当時は楽しかった。自カプをちゃんと好きだった気がする。

相互となっても神は神だ。神の呟く自カプの話、神が書いた作品、どれも素敵だった。神はツイッター作品テイストも、自分フォローした時から何一つスタンスは変えちゃいない。だからこれは、自分勝手な心境の変化だった。

神のTLに自分がいることが烏滸がましいと思うようになった。少し経ってそれが恥ずかしいに変わった。もう少ししてからは、辱めのように思えてきた。神と自分では圧倒的に、偏差値が違っている。

分かりやすく言うと、自分の「推し(^ω^)ペロペロ」みたいな呟きと、神の「推しのここの発言社会環境に起因するうんたらかんたら」みたいな呟きが一緒に流れているのだ。神は難しい単語や読めない漢字意味不明カタカナをよく使っている。この一文で自分の頭の悪さを分かってもらえると思うが、『頭が良い人間文章なのだ

頭が良い人間が書いてるんだから神の作品面白いに決まっているし、頭が良い人間考察なんだから説得力がある。対して自分は「推し尊い(合掌)」くらいの中身のないツイートばかりだ。

ここまで来るともう無理で、でも自分なんかが神をブロック→解除するのすら申し訳なく、しばらくはミュートにしたり、神がミュートしてくれてると自分に言い聞かせたり、TLを見ないで壁打ちしたりしてた。でもなんか限界だった。

限界感情責任転嫁というひどい着地点に行き着いた。なんでコイツ自分のことフォローしてんの?頭いいこと自慢したいの?と。そういった感情の時だった。自分には自カプ以外にもお気に入りキャラが居たのだが、神がたまたま話の引き合いに出したそのキャラへの扱いが若干自分地雷だったのものからもう大変。この頃には自カプの、なんだろう、界隈の雰囲気?みたいなのがそもそも自分に合わない(壁打ちにばかりツイッターを使う自分と、空リプ合戦で既に強固な繋がりが出来上がってる界隈の人達)のもあって、結局自分が自カプから離れてジャンルから卒業した。

なんだこれで終わりか?って感じかな。

終わりたかったよ自分も。最近困ったことが起きた。

自分全然別のジャンルに居る。そこでは文字も書いてて、拙い自覚はあるけど頑張ってるつもりだ。あの神に比べたら少しだけど、自分には勿体無いくらいの反応もある。

自分ツイッターアカウントは鍵がかかっている。ある日、鍵のアカウントからフォロー申請が来ていたので気軽に承認し、自分申請を出して、許可された。

そのアカウントホームに行って愕然とした。神だった。名前アイコンも何もかも違うけど、神だった。確信があった。いや本当はもしかしたら別人なのかもしれないが、自分には別人とは思えない。神からフォローされてしまった。

今また同じモヤモヤを抱えながら活動している。神はやはり頭が良くて、作品も素敵で、考察は鋭い。自分がウンウン唸りながらなんとか産み出した作品が幼稚でちっぽけでゴミみたいに見える。

自分が神だと思ってる方にフォローされると、嬉しさとか、喜びとか、優越感みたいなのって誰しも感じると思うんだけど、それだけじゃないんだな。自分は今、どうしていいか分かりません。なんで自分なんだろ…。良質な妄想提供してくれる人なんて他にもいっぱいいるじゃん……。

ブロックすればいいのは分かってるんだけどさ。

ホームアイドルイベント帰りの人たちの会話を聞いてたんだけど、静岡大阪京都九州沖縄だ、と今年もあちこち行くらしくて、どこは行けるあそこは都合が悪くて行けないとか打ち合わせみたいに会話してて、

都合がつけば全部行くのかよ!とかなり引いてしまったわ

身なり的にそんなに金持ちに見えないし、収入の多くをつぎ込んでるように見えるけど実際どうなんだろう

そんなにファンがあちこち付いてくるならアイドル地方遠征する意味なくない?

ずっと都内の方がみんなウィンウィンで大喜びじゃないんかな

一回あたりいくらくらい使ってるんだろう

2019-02-16

空いている駅のホーム電車を待っているときに、

他の乗車場所には誰も待っていないのに、自分が待っている場所の後ろに並ばれるのが嫌だ。

(乗換に便利な場所なのかもしれないが)

空いている電車の中で、他の座席が余裕で空いているのに隣に座られたり、

他にいくらでも場所があるのに自分の前に立たれるのが嫌だ。

神経質すぎる自分が嫌だ。

anond:20190216104408

右が男子トイレ左が女子トイレ中央が多機能トイレって必ず決まってるんじゃねえの。目が見えない人とかいるし。ユニバーサルデザインみたいなノリで。

それより駅のホーム改修工事中のアナウンスするやつ、なんか適度にノイズ入っててレトロ感あるあのラジオみたいなやつの方が気になる。マジで風情ある。

2019-02-15

通勤時に

電車で座ってる人を見て「座らざるを得ない不自由な人なんだなあ」と憐憫を周巡させたり

エスカレーターで歩く人を「歩け歩け奴隷ども1秒たりとも無駄を許されてはいないだろう」と想像したり

ホームを走る人を見て「行動の配分をできない大人評価もされない努力をして満足を得ておる無駄ストレスを貯めて無駄遣いの言い訳を作っておる」

などと楽しんでいます

このような楽しみ方をお持ちの方や他に手法をお持ちの方はいらっしゃいませんか?

2019-02-14

最近、朝の通勤電車を1本遅いのに乗るようになった

いつもの11分後の電車

普段会社10分前に着くので確実に遅刻…と思ったら

会社への到着時刻はほぼ変わらなかった

トリックとしては

・後の電車快速で一部区間が早い

・通常はホーム前方車両に乗っているが、後の電車に乗るときホーム後方の車両に乗る。このため乗り換え駅での移動時間が早くなる

・通常は乗り換え駅で混雑のためすぐ乗れず1本見送るが、後の電車に乗ったときは来てすぐ電車に乗れることが多い。このため乗り換え待ち時間が短い

という感じ。

後の電車になる時は乗車の快適さを諦めつつ移動の速さを優先しているのと、ピークの峠を若干越えるため混雑による待ちが発生しない(先の電車に比べて) ということなんだと思う。

もう恒常的に1本遅いのにするかなあ。

ここ2年くらいネトゲ自分ホームだった感ある

家族とは離れているし

リアルの友人なんて年に1、2度会うくらいのもんだし、今じゃ義務みたいなもんだし

職場の同僚であれこれ話すような近しい立場の人って、いることの方が珍しい

で、ゲーム中の人関係をかなり大事にしてた

ホームっていう場所がないと生きづらい

ひどい現場にいた時、仕事が辛い時ほど ゲーム仲間を大事にしてた

2019-02-13

ホームから離れてお待ち下さい

「ほう、無策から…一体どうする気だ?」

「危ない…離れて!」

「真の戦闘力をお見せします…お待ち下さい」

でんしゃのれない

こないだ、人生で初めて痴漢された。

下品表現があります、苦手な方はブラウザバックでお願いします。)

私は優良な受験生である

定期テストでは常にトップ10キープ。某旧帝国大学志望だが、模試ではA判定しかしたことがない。センター試験の結果も上々。マーチセンター利用で抑え、一般早慶上智を取りに行くつもりでいた。

……嘘である

センターパーセンテージゴミクズだったので旧帝は諦めた。某地方国立大学に志望先を変えたが、いかんせん不本意な変更のためちっとも二次試験へのモチベーションが上がらない。滑り止めの私立には落ちた。お先真っ暗な18歳女子高生である

前述の通りたいした脳味噌は持っていない。というか、受験勉強をあまり頑張ったとは言えない。はっきり言って容姿だってゲロ擬人化したようなものだと思う。おまけに太っている。女子高生というのは若くて元気なので、決して良い顔面を持ち合わせていない人でも雰囲気で可愛く見えるものなのだが、太っているとなると話は別である。おまけにプライドの高いオタクで、自分センスがあるのでみんなとはちょっと違うものを好きになるのだと言いながら、高尚ぶった漫画考察ツイートしたりする。たいした文章も書けないのに将来の夢は作家だ。どうしようもない人間だ。

こんな私だが、先日私大入試に向かう途中、連続で3回痴漢された。

1回目は電車内だった。カバンがやけにケツに当たると思ったら痴漢だった。30分間ずっと揉まれた。

2回目も電車内だった。挙動不審の男がいたのでクスリでもキメてるのかと思ったら痴漢だった。後ろならまだしも前を攻めてくるとは度胸がある。ずっときょろきょろしている様子は誰がどう見ても怪しかった。

3回目は駅構内だった。アンケートにご協力お願いしたいと言われたがその男バインダーファイルも持っていなかった。これはあやしいと思いつつ、しかし肩を掴まれしまったので恐怖で逃げられなかった。ずっと卑猥言葉をしゃべっていた。私は反応に困り笑ってごまかすだけだった。5秒だけ、と言ったかと思うと私を引き寄せ胸を揉んだ。意味がわからず硬直した。男はお礼を言って逃げて行った。

どれも私は声をあげたり逃げたりすることができなかった。

怖かったというより、そこには別の意識があった。

信じてくれなかったらどうしよう。

父は私のことを「一応女の子」と形容した。いつだったか学校休みがちになった時も「こんなに大きいお腹をこさえてるから動けないのか」とよくわからない暴言を吐いた。ナンパされカラオケに連れて行かされそうになった話も信じてくれなかった。「物好きがいるもんだ」と言った。

恐らく痴漢の場面を見ている人なんかいないだろう。彼らは巧妙に人から隠れる場所上記行為を行っていた。

もし私が痴漢冤罪をする人に仕立て上げられてしまったら?

こんな容姿自意識過剰とか思われたくない!

とはいえ、1回目の直後はしばらくショックで動けなかった。逃げ込んだトイレでぼーっとしながら、LINEを開いた。親友電話をかけ、なるべくユーモラスに出来事を話した。彼女は最寄駅まで迎えに行くと言ってくれた。道中詳しく話しながらも「なんかもうネタだけどね〜」とへらへらしていたのだが、それでも彼女は本気で心配してくれた。帰り際に私を抱きしめ、なんかあったら言うんだよ、と言い残して去った。感謝してもしきれないほど友達には恵まれている。来年から医大生の彼女は、最高の友人である

大人に言おうと決意したのは3回目の後である。道行く男性の顔が怖くて見れなくなり異常を感じた。一度最寄駅まで帰ってから一大決心をして学校に向かった。最終下校前になんとか滑り込み懇意にしている国語教師を呼んだ。彼の顔を見ると一気に気が抜けて安心できた。先生も私の話をちゃんと信じてくれて、頼りにしてくれてありがとうと言ってくれた。詳しい事は同性の先生の方がいいと女の先生を呼んでくれた。私のことを「面白い生徒」として扱っていた先生が、女性部分をちゃん尊重してくれたことが嬉しかった。先日アメリカ新婚旅行に行ったこ先生も、最高の教師である

さて3回痴漢にあった私は学習した。

まず、制服東京に出てはいけないのだ。

痴漢なんかする奴らは要するに女子高生ならどうでもいいのである。女の尻を触りたいだけなのである特に私のようななんかブスでポケーっとしてて騒がなそうな女の子は格好の餌食である

私は入試私服で行くことを決めた。

来たる2月7日法政大学試験日、私は小学生の頃から着ているおんぼろコートに身を包み、市ヶ谷キャンパスへ向かった。

行きは良かった。

女性専用車両というのは偉大なる発明である身体を包むフローラル香り、見渡す限り女性、さほどぎゅうぎゅう詰めではない車両痴漢で神経がぴりぴりしていた私にとって、安心できる空間

……問題は帰りである

夕方東武東上線下りの混み具合は絶妙である急行は座れないけど別にぎゅうぎゅうじゃないよ、程度。

ホームにはそれなりに人が並ぶ。

私は階段を登りきった途端硬直した。鼓動が早まるのを感じた。ひと、ひと、ひと、ひと……と思って動けなくなった。彼らが車両に吸い込まれても私は立ったままだった。階段を降りて、別のホームから出る普通列車に乗ることにした。それでも隣に男性が座っていると怖くて呼吸が早まった。ぶるぶる震える手でキーホルダーのぬいぐるみをもにゅもにゅした。途中でもーむりと思って電車を降りたりもした。それでも家には帰らなければならない。顔面蒼白で終点近くまで普通列車に揺られる私は異質だったと思う。ふらふらになりながら最寄駅に着くと、はあ、とため息をついた。

乗れないんだ、と思った。

もう、私は電車に乗れないんだ。

明後日試験だった。学習院大学の目白キャンパスへは池袋で乗り換えをしなければいけない。早めに家を出たつもりだったが、女性専用車両池袋駅に着くと、構内にはそれなりに人がいた。人の波をかき分けるうちになんだか気分が悪くなりスタバに寄った。店員のお姉さんの笑顔に元気をもらい、コーヒーを飲み干したのち山手線に乗車するため改札を通った。が、階段を登ってまた身体が強張るのを感じた。

ただ人が並んでいるだけなのに、怖い。ホームの柱に寄りかかっていると駅員さんに変な目を向けられたので、背筋を伸ばした。電車が入ってくると、中にたくさん人がいるのが見えて、また気持ちが悪くなった。人の出し入れを3回見て、電車に乗れないことを悟り、入場料を払って改札を抜けた。

1時間ほど池袋駅周辺を散歩した後、ゆっくりゆっくり普通列車に揺られて帰った。

流れて行く景色を眺めながら、私はどうなるんだろう、と思った。

親には受験をすっぽかしたことを言わなかった。

代わりに、痴漢にあったこと。それで電車に乗るのが怖いことを伝えてみた。母は笑った。

「そういう時期はあるわよね」

一瞬、意味理解しかねた。よくよく聞いてみると、母は思春期男性の目が気になってしょうがない、と電車に乗りながら思っていたそうだった。

「もう、好きな人以外嫌いだったから。男友達にそれ話したら、お前はそんな良い女じゃない、って言われたんだけどね」

間接的に自意識過剰だと言われているようにしか思えなかった。違う、あなたのそれとは全く違う、私はショックで一時的パニック障害のようになっていて、そもそも男性から目を向けられてるなんて思ってないし、身体勝手に、と必死反論を試みた。

けれど、上手く言葉にできなかった。

私大入試はまだ終わってない。国立二次だってある。

でも、私は当分、電車に乗れそうにない。

でんしゃのれない。

2019-02-12

夢って不思議だな

極楽とんぼ山本が駅のホームを汚いふんどし一丁で歩いていている。自分から声をかける。

何故か自分のことをかなり慕ってくれていて、「この前は本当に迷惑かけました。」とか言われながら、一緒に電車に乗ろうとする。

そしたら、横からリリーフランキーが歩いてきて、「あっリリーさん」って山本と2人で声をかける。

ストール巻いて、ハットをかぶってかなりおしゃれでニコニコしてる。

リリーさんは電車に乗らないみたい。

リリーさんは自分たちを見て、「昔この吉祥寺で飲んだよ。どうしてかわかる?」って質問してきた。

自分たちがわからない顔をしてると)1つ目は当てたからだよ(パチンコの台をいじるポーズ)。2つ目はお前らを連れてく(飲みに)ためだよ。

2つ目の理由を聞いて2人で思わずカッコいいーって声を揃えてしまう。

そのまま3人で駅を出て、近くの土手煮込みのお店で飲むことになって、リリーさんが先に席に座ったところで目が覚めた。

今はLAセドナ観光を終え、アメリカフェニックス空港近くのモーテルで早朝発の便のために1泊している。

リリーフランキーは5年くらい前に渋谷新南口駅近くで見かけた。極楽とんぼ山本は1年くらい前にキャットストリート近くで見かけた。

今ここで彼らと再会する不思議

リリーフランキーの誘い文句は今考えると意味不明

2019-02-11

anond:20190211200754

あ、ごめんストレートにはしたくないのか。

ストレートにするだけでツヤっとするのでストレートにしちゃうのがオススメだけど

現状を活かしたいならトリートメント施術ホームケアに金使う

活かさなくてもいいならストパーしてアイロン使って巻くのがいいと思う

2019-02-09

anond:20190209102924

ホームの端で走り回ってる子供自体を見ないんだが

(それが理解できない歳の子なら手を掴んで離さなければいいだけだし)

手を掴んで止める事が出来ないくらい大きくなってるのに「ホームの近くで走ったら危険」という事が理解できない、って

増田が言ってる通り、一種障害児なんだろうか

anond:20190208134100

これに対して綺麗事で返してる連中は

迷惑危険ハードルがめちゃくちゃ高くて

子供が騒いでもホームの端で走り回ってても放置してるからそもそも叱っていないと考えたら納得がいった。

チャレンジとは何を意味するのだろうか

国鉄日本の鼓動だ。

延々と続く2本のレールには力強い鼓動がある。このレールは、知らない町と町をしっかり結びつけ、多くの人々を運んでいる。

しかし、その役割は、「人を運ぶ」ことだけではないのだ。単に「国鉄人間荷物を運ぶだけ」なんて考える人には、決して力強い国鉄の鼓動は伝わってこないだろう。

鉄道を愛し、多くの鉄道知識を持っている人でも、本当にこの鼓動をはだで感じたことは少ないはずだ。

かに鉄道知識として知れば知るほど楽しいことが出てくるだろう。

でも、「20,000㎞にチャレンジする」……それは、すばらしさの再発見につながっているのだ。知識から体験へ。今、その鼓動を求めて、未来に続く2本のレールにチャレンジしてみよう。

踏破は青春ドラマ作りだ。

終わることのないロマン、それが列車の旅だ。部屋にじっとこもっていては、自分の心にカビが生えるだけ。部屋の窓から見えるいつもの風景は、ただ立ち止まり、決してなにも話しかけてはこない。とにかく出会いを求めて旅に出る。

ひょっとすると列車座席に隣り合わせたこから何かが生まれるかもしれない。ある日見たり、聞いたりするもののすべてが出会いなのだ

たとえば、車窓にそよぐ風の音、新鮮な潮の香り。これほどすばらしいものはないのではないか

こんな新しい自然出会いが旅と鉄道の心につながっていく。そんな時、心は少しもひからびていず、いつもいきいきしているのだ。

踏破はスポーツ心をかきたてる。

チャレンジとは、自分で考え、自分で動く、自分自身のための行動といえる。この精神こそ、スポーツと呼ぶにふさわしいものだ。

列車の旅には、楽しさとロマンがある。その上踏破をめざすチャレンジャーにはスポーツという楽しさがプラスされるのだ。

時にはマラソンのように、そして100m競争のように踏破の旅はチャレンジの楽しさを教えてくれる。

踏破ルートは3,000m障害10種競技と同様に、バラエティに富んでいる。ルート選択も実行するのもチャレンジャー自身だ。

これこそスポーツと呼ぶにふさわしい記録への挑戦なのだ

チャレンジには責任名誉がある。

チャレンジャーは、それぞれの方法で完全踏破への道を切り開いていくことに心を燃やしているのだ。

そこには、自分自身問題として果たさなければならいことがある。

責任ある行動、多くの義務、これらをすべて実行したチャレンジャーのみが誇り高き名誉を獲得できるのだ。

いわば、人生ドラマがそこにある。よりすばらしいものを手にしたチャレンジャーには限りない自由可能性があたえられているのだ。

どんなタイプチャレンジャーか?

チャレンジしていくと、各自それぞれのスタイルが生まれてくる。

列車待ちのホーム洒落服装に身を包み、小首をかしげ詩集をひろげているちょっと気どった人。

駅弁の食べ方ひとつにも、うんちくをかたむける本格派の人。

おもしろいことを探しに出かける娯楽追求派の人などいろいろだ。

どんなスタイルの人でもチャレンジすることの中に、何かを見出しているのだ。

体験という言葉のまえには、どんな耳学問も色あせてしまうように、チャレンジする中で、自分スタイルを作り出してみよう。

チャレンジとは生きることの証明

から旅の一歩が始まる。

"停車場に、そを聴きに行く"と啄木がうたったように駅にはさまざまの土地から人々が集まり、またさまざまな土地へと旅立っていく。

始発駅…駅員さんに何か尋ねている人がいる。売店お土産を買っている人。家族連れ。新婚さん。そして、カメラ片手に20,000㎞にチャレンジする人。通りがかりの人に頼んで、自分と駅名表示板が一緒に写るようにシャッターを切ってもらう。これで始発駅の証明写真ができたわけだ。

ふと、駅の大きな時計を見あげる。発車案内表示板がカチャリと変って、次の列車案内を示す。やがて、駅のアナウンスが構内に響きわたる。こうしてチャレンジの旅が始まる。

1枚のキップが話しかけてくる。

日本中には、いったい何本の列車が走っているのだろうか。もし、そのすべてに乗ることができたなら、これはすばらしいことだ。時刻表をうめつくす駅名のひとつひとつが語りかけてくるにちがいない。

手に握られた1枚のキップには、いま通りすぎてきた駅の余韻が残っている。改札口でキップにパンチが入れられた時から自分だけの旅の世界が大きく広がっていくのだ。この瞬間の心のときめきこそチャレンジャーに贈られるファンファーレなのだ

どの列車に乗るかは自由だ。

ELDLECDC、そしてSL特急場合もあるし、急行普通列車場合もあるだろう。旅は始まり、心がはずんでいく。流れ変わっていく車窓風景。春なら満開の山桜トンネルをくぐり、夏はふりしきる蝉時雨の中を、秋は祭りのお囃子の響き、冬は凍てつく空気の中をひたすらに列車は走る。車窓に黄昏が迫り、黄昏は夜をひきつれてくる。寝台車からだをやすめて聞くレールの音はなつかしい旅の子守唄だ。

どこへいこうか東西南北楽しい駅名

日本列島を東西に長く走ったり、日本海と太平洋を結んだり、1線区1線区がつながり日本中を網羅していく。

いかにも郷土色(おくにがら)をあらわしていたいう楽しい線区名もあれば、少々読むのに骨が折れる難読名の線区もある。

こういう線区名がどうしてついたのかを考えてみるのも頭の体操になるだろう。走る場所列車の種類で線区ごとの印象も、まったくちがってくる。

それらをひとつひとつ味わいながら踏破するのも楽しみのひとつだ。

終着駅にはムードがある。

駅にはいろいろな趣がある。その中でも、終着駅は、心ときめくムードを持っている。大都会終着駅、ひなびた寒村をひかえた終着駅高原終着駅など、それぞれの良さがある。

しかし、どの終着駅も、どこかしら似た雰囲気をもっている。そこから先は、列車が行かないという、キッパリとしたいさぎよさと寂しさが待っているのだ。終着駅の長いホームを口笛をふきながら大股にしかゆっくりと歩いてみる。改札口で駅名表示板にもたれながら、通りがかった人に写真を撮ってもらい駅を出る。1線区が無事踏破し終ったのだ。

鉛筆で踏破した線区を塗りつぶす。チャレンジャーの心ときめく一瞬なのだ

まずはチャレンジカードを手に入れること。

どの線区でもいいから、始発駅~終着駅まで、列車に乗ろう。けれども、踏破認定を受けるには、乗車(踏破)したという証明必要になる。それが始発駅と終着駅写真だ。写真と会員申込書などを"いい旅チャレンジ20,000㎞。推進協議会"事務局宛に送る。そうすれば、事務局からチャレンジカードが送られてくる。これでチャレンジ

2019-02-08

anond:20190207004137

児童相談所 拉致 静岡市」などと検索すれば、当事者(親)が発信する記事を閲覧することができる。Twitter実名発信すら行っている。

彼らの主張と、裁判所認定事実とを対比しながら読めば、恐ろしさが伝わってくると思われる。

-----

損害賠償請求事件

東京地方裁判所平成21年(ワ)第25349号

平成25年8月29日民事第44部判決

口頭弁論終結日 平成25年4月25日

       判   決

(第1,第2 省略)

第3 争点に対する判断

1 認定事実

 前提事実に加え,後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

(1)本件小学校入学前後の経緯

ア 原告Q1は,原告Q2及びQ9との同居を始めた平成19年2月頃,Q9が時間を守らないこと,嘘をつくことを矯正させる必要があると考えて,原告Q2との間でQ9へのしつけの方法について話合い,その結果として,原告らは,Q9が小学校入学した同年4月頃から,Q9が上記の点について原告らの口頭での指導を守らなかった場合には体罰を与えることとした。

 原告らの体罰は,当初は頭を軽く叩く程度であり,その後顔を平手打ちするようになり,同年6月頃からは,Q9に木製の子ども用バットを持ってこさせて,臀部をバットで叩くことなどがあった。

(甲4,75,原告Q1本人)

イ(ア)Q9の所属するクラス担任であるQ12教諭は,平成19年4月頃,Q9の顔に痣があったこから,その痣について聞いたところ,Q9は,タンスの角にぶつけたと述べた。Q12教諭は,その後,Q9の顔の別の位置に痣があることを発見した。

 Q12教諭は,同年5月下旬頃,Q9が忘れ物をして登校してきたため,どうしたら忘れ物をしないようにできるか尋ねたところ,Q9は泣き出して,自分学校の支度をしていることのほか,原告Q1は殴るので恐いこと,原告Q2はQ9を守ってくれなくなり,原告Q1と一緒に怒ってばかりいるが,以前はそうではなかったことなどを述べた。そこで,Q12教諭は,Q9に対し,先生はいつも君の味方であり,先生が守ってあげるなどと述べた。

 原告らは,同月31日,本件小学校担任教諭保護者との間での連絡帳に,Q9から先生が守ってあげるという発言があったと聞いたが,その発言真意確認を求める旨の記載をした。

(イ)本件小学校のQ13教頭は,同年6月5日,原告ら宅を訪れ,原告らと面談した。その際,Q13教頭は,虐待の疑いがある場合についても適切な対応をとる必要がある旨述べ,原告らは,今までQ9はしつけを行われずに育ってきており,Q9を良くするのは今しかないこと,しつけの方針として,悪いことをしたら殴ること,虐待を疑っていることは理解していることなどを述べ,Q12教諭上記(ア)の発言について,Q12教諭からの直接の謝罪要求した。これを受け,Q13教頭は,一旦本件小学校に戻り,Q12教諭と共に再度原告ら宅を訪れ,Q12教諭上記(ア)の発言について,誤解を招く発言であったとして謝罪した。

 Q9は,同日以降,Q12教諭に対し,先生が来てくれてから殴られなくなったと述べた。

(ウ)Q9は,同年6月29日,右大腿部,右肩に赤色の跡があり,Q12教諭が,Q9がプールに入る際にその跡について聞いたところ,Q9は,原告Q2から叩かれたと述べた。

 また,Q9は,同年7月2日,右目の下部に痣があり,Q12教諭からその痣について聞かれたところ,原告Q2に殴られたと述べたが,Q13教頭からその痣について聞かれた際には,Q9は転んで怪我をしたと述べた。そこで,同日,Q13教頭原告ら宅に架電したところ,原告Q2は,Q9が2日続けて許せない嘘をついたこから原告Q2が殴った,私も人間から感情的になると述べた。

 原告Q1は,同月3日,本件小学校架電し,Q13教頭に対し,原告らは冷静にQ9をしかっていること,同じ状況であれば原告Q1であっても殴っているはずであり,原告Q2も同じ方針であることなどを述べた。これに対し,Q13教頭は,殴らないで育てることをまず考えるべきであるなどと述べた。

(エ)Q12教諭は,同月4日,原告から,本件小学校教育方針等についての意見記載された手紙が送付されたため,同日午後3時頃,原告ら宅を訪問した。その際,原告ら及びQ12教諭居間にいて会話をしていたところ,原告Q2は,一旦居間を離れてQ9の部屋に行き,Q9を叩き,居間に戻ってきた際に,「今私,Q9のこと,叩きましたから,守って下さい。叩きました。嘘ついたから。」などと述べた。

 その後,本件小学校のQ14校長教務主任及び生徒指導主任原告ら宅を訪れ,原告Q1から学校で行う教育と家庭で行う教育区別をしたガイドラインを示してほしいという要望があったため,Q14校長ガイドラインを示す旨述べて,同日午後8時30分頃にQ14校長らは原告ら宅を離れた。

(甲11,17,18,乙ろ2の12,乙ろ15,証人Q13)

(2)本件一時保護に関する経緯

ア Q14校長は,同月6日,静岡市教育委員会に対し,前記(1)イの経緯を報告した。静岡市教育委員会は,同月10日,静岡市α区の要保護児童対策地域協議会児童福祉法25条の2参照)の定例実務者会議において,Q9を要保護児童として提示し,Q13教頭が前記(1)イの経緯をまとめた報告書(乙ろ2の12の1ないし6丁)を提出した。上記会議に出席した静岡市児童相談所の所員は,同日,本件小学校に対し,Q9は保護を要する児童であるため,今後Q9に痣等があった場合には児童相談所に通告するように指示した。

イ Q9は,同月13日の登校の際,左顎及び左目下部に痣があり,Q14校長がその痣について聞いたところ,Q9は,嘘をついたことを原告Q1に怒られて殴られたと述べた。そこで,同日「Q14校長は,静岡市児童相談所架電してQ9について通告した。また,同日のプールの授業の際,Q9の大腿部及び背中に痣があることが確認された。

 静岡市児童相談所は,同日,上記通告を受け,子ども虐待対応の手引き(平成19年1月23日付け雇児総発第0123003号厚生労働省雇用均等・児童家庭局総務課長通知。乙ろ2の10)及び静岡県中央児童相談所作成家族支援ガイドブック(乙ろ2の11)に基づき,上記アの会議に参加していた所員等による緊急受理会議を開催し,Q9に行うべき支援及び援助の内容を判断するための虐待処遇アセスメント指標(乙ろ2の6)で判定をしたところ,虐待の程度は,5段階の上から2番目(打撲,広範囲の軽外傷等)であり,調査格付は,生命を脅かす(又は高い可能性がある。)状態として,直ちに立入調査を行うこととなる「R-1」と判定された。また,静岡市児童相談所のQ15主任主事ケースワーカー)等の所員3名が,本件小学校に立入調査をして,Q9の顔から足にかけて痣があることを確認し,Q9に聞き取りをしたところ,Q9は,原告からは,Q9が時間を守らないという理由毎日殴られること,原告Q2の方が多く殴ること,原告Q1からおもちゃバットでいろいろなところを殴られ,原告Q1から殴られた際に血が出たことがあることなどを述べた。静岡市児童相談所は,上記立入調査をした所員からの報告を受け,上記虐待処遇アセスメント指標及び所員の合議に基づき判定をしたところ,Q9の支援・援助格付は,直ちに一時保護必要となる「AA」と判定された。

 静岡市児童相談所長は,Q9に痣があり,Q9も原告から殴られていることを認めたこと,本件小学校から家庭訪問をした後も原告から虐待継続していることが確認できたことに基づき,Q9を一時保護し(本件一時保護),その後に原告ら宅に架電し,原告らに対して本件一時保護したことを告げた。

 Q9は,同日,静岡市静岡病院のQ16医師の診断を受けたが,同医師作成診断書には,「全身に打撲によると思われる皮下出血を認める」として,〔1〕両下眼瞼,〔2〕左顎部,〔3〕右肩甲骨上,〔4〕左大腿背側,〔5〕右下腿膝下部前面及び〔6〕両殿部について,「いずれも鈍器,または靴による打撲跡と考えられる」,「上記外傷について全治一週間と診断する」との記載がある。

 静岡市児童相談所は,同日,静岡県中央児童相談所の一時保護施設にQ9の一時保護委託した。

(甲11,乙ろ2の4ないし6・12,乙ろ15,16,乙は3の1・2,証人Q17,証人Q13)

(3)本件一時保護開始後の経緯

ア 原告らと静岡市児童相談所は,本件一時保護が開始された平成19年7月13日以降,電話等でやり取りをしたが,次のとおり,原告らは,Q9に対する体罰虐待ではなく,親である原告らの意思無視して本件一時保護継続することは不当であるとの意見を繰り返し述べた。

 原告Q1は,同月20日,静岡市児童相談所のQ15主任主事との電話で,虐待はしていない旨述べ,暴行肯定されると考えているかとの質問に対して「ええ,肯定されますよ。当たり前じゃないですか」「一時的感情だとかそんなことで虐待を繰り返してきているわけじゃないんだ」,「責任ある体罰っていうのだってあるんだ」などと述べ,静岡市児童相談所のQ18統括主幹との電話で,同月27日,「Q9をおたくらに任せますけど,やつが20歳ぐらいになったときにまともな,私らが考えているような大人になってなかったら,抹殺しますんで。おたくらも含めてよ。」,同月30日,「子どもがこう,おれらの考えてたとおりに教育できなくなったときに,おまえらどういう責任とる。とらなかったときは,おまえ,リンチしてもいいか」,同年8月1日,「根本からお前らの育て方とか教育論が間違ってるのに,何で間違ってる奴らと俺らが話し合わなきゃいけないんだよ。」などと述べた。また,原告Q2は,同年7月23日,Q18統括主幹との電話で,「私達は少なくとも体罰体罰だって考えてるんですね。私の思う虐待と言うのは自分憂さ晴らしですね。」,「体罰っていうのは暴力とは違う」などと述べた。

 静岡市児童相談所のQ19主任主事心理士)及びQ15主任主事は,同月20日から同年8月31日まで,一時保護施設を訪れてQ9と面談,行動観察,心理テスト等を行った。Q9は,同月8日以降の面接で,原告らと会いたくなく,施設から帰りたくない旨訴えた。Q19主任主事は,Q9について,同年9月20日開催の静岡市健康福祉審議会児童福祉専門分科会児童処遇審査部会に「現段階では,本児の家庭に対する拒否感が強く,両親と距離を置き,守られた環境下で,本児の話に耳を傾け,個別には母性的で受容的な対応が望まれる。」,「これまでの養育環境により本児の情緒面での成長が阻害されてきた結果が示されており,今後,両親の養育態度に改善が望めないようであれば,家庭との分離はやむを得ず,児童養護施設への入所が適当であると考える。」との心理診断の結果を提出した。同部会では,Q9の入所措置承認を求める申立てを行うことに異議は出なかった。

 静岡市児童相談所のQ20所長は,上記原告らの発言心理診断の結果及び上記部会の結果を踏まえ,原告らによる暴力継続される可能性が高く,Q9も帰宅拒否していることから児童養護施設への入所が適当であるとして,同年9月25日,入所措置承認を求める申立て(本件申立て)をした。

(甲11,14,乙ろ7の1ないし7)

イ 原告らは,同年9月28日,静岡市児童相談所を訪れ,Q20所長,Q17参事平成20年4月1日に静岡市児童相談所長となった。以下「Q17」という。)等の所員と面談した。この面談の際,Q20所長らは,本件一時保護の経緯や,Q9については児童虐待防止法2条1号所定の暴行が行われたもの判断していると説明したが,原告らは,「体罰虐待はこれ別物ですから」,「しつけの段階で,あざができるほどたたかなきゃいけなかった」などと述べてQ9の返還を求め,静岡市児童相談所はこれに応じなかった。

(甲9,10,乙ろ7の10)

ウ Q20所長ら及び原告Q1は,本件承認審判及び本件勧告がされた後である平成19年12月21日,静岡市児童相談所面談した。原告Q1は,本件承認審判の「二度と虐待に該当するような体罰をさせない」という文言から虐待に及ばない体罰については容認されたもの解釈している,体罰主体にしない努力はするが,目的によっては必要なこともあるなどと述べたのに対し,Q20所長は,しつけ自体否定するわけではないが,体罰を伴うしつけは子ども心理的な影響があり好ましくない,本件勧告を受けて,静岡市児童相談所から原告らに対する指導方法について年明けに提案する旨述べた。また,原告Q1が,原告らがQ9の通学している安西小学校に面会等を申入れることは問題となるか確認したのに対し,Q20所長は,今の状態だと問題となる旨述べた。

 静岡市児童相談所は,平成20年1月頃,上記提案として,Q9と原告らの家族統合に向けた「ご両親への支援プログラム」(以下「支援プログラム」という。)を作成した。支援プログラムでは,〔1〕目標は,「Q9君が安心して生活できるような家庭づくり。」であり,〔2〕方法として,原告らが静岡市児童相談所を訪れ、概ね1か月に1回2時間程度を目安に面接実施し,面接以外にも課題の提出をお願いすることがあること,〔3〕2月から3月頃にQ9の気持ち確認し,写真ビデオレターなどを通した親子交流を始めること,〔4〕Q9が原告らに会いたいという気持ち確認し,5月から6月に児童相談所内で原告らとQ9との面会を実施し,6月から7月初旬に親子での外出を実施すること,〔5〕面会・外出時の親子の様子,Q9からの外泊希望確認し,児童相談所所員による家庭訪問実施した後,7月初めに家庭への外泊を開始すること,〔6〕外泊が繰り返される中で,良好な親子関係が認められ,引取り後の支援のあり方について共通理解が得られれば,家庭引取りとなることが記載されている。

 Q20所長ら及び原告Q1は,同年1月11日,静岡市児童相談所面談した。静岡市児童相談所のQ21心理士支援プログラムについて説明するなどしたところ,原告Q1は,支援プログラムは本件勧告無視したものである原告らは体罰をしているのであって虐待暴力ではない,一時保護自体間違っている,おれは日常生活の中で普通にやっていく中で必要であれば絶対体罰は使う,まずはQ9を帰してもらいたいなどと述べた。そこで,Q20所長は,再度提案をする旨述べた。 

 Q20所長ら及び原告Q1は,同月24日,静岡市児童相談所面談した。Q17が,本件勧告に基づいてQ9を帰宅させるためには,虐待に該当するような体罰はしないことが条件になる旨述べたところ,原告Q1は,裁判所原告らが虐待をしていないと認めており,Q9をすぐに返してもらった上で静岡市児童相談所による指導を受けるというのが原告らとして譲歩案の全てである静岡市児童相談所原告らの意見を聞かずに一方的な主張をしているなどと述べた。

(甲9,10,乙ろ5の2,乙ろ7の11・12)

エ Q9は,平成19年12月31日,静岡ホームで転倒して頭を打ち,CT検査をしたが,脳に異常は認められず,頭部挫傷と診断された。

 静岡市児童相談所は,原告らに対し,上記転倒事故を通知せず,原告らは,平成20年3月7日に静岡市個人情報保護条例に基づき開示を受けた文書により,上記転倒事故の発生を認識した。

(乙ろ1)

オ 原告Q2は,同年2月1日,静岡市児童相談所に対し,Q9の毎日の詳しい言動や様子を報告しない理由等の回答を求める質問状を送付した。また,原告らは,同月8日,静岡市児童相談所を訪れ,本件抗告棄却決定に対して特別抗告申し立てた旨伝えるとともに,親権行使するとして,Q9の毎日の一時保護施設及び小学校での言動を報告することを求めた。さらに,原告Q1は,一時保護期間の7か月でQ9の身長が2.4センチメートル体重が1キログラムしか増えていないという理由で,Q9への精神安定剤等の投与を疑

2019-02-07

鬱の治療がつらい

鬱の症状だって勿論つらい。

でも治療治療でつらい。

治療には時間がかかる、それは頭で分かっているつもりだが、いつまで続くか分からないことに気が遠くなる。

幸い、鬱は甘えだという言葉を投げかけてくる人は周囲にいない。

客観的にみて、回復傾向にあることは間違いないだろう。

全盛期(?)と比べたら本当に体調が良くなっている。

でも、最近治療をがんばることに疲れてきた。

正直に言うと、早くホームにでも飛び込みたい。

ああ、疲れた

疲れてしまった。

ここまで書いて、涙が出てきてしまった。

ごめんなさい、この文章をここに書き残させてほしい。

2019-02-06

anond:20190206203415

ガッツリ資産貯めて有料ホームで楽しく遊びくらすよ

同じ棟に入ってる芸能人友達になったりする

2019-02-05

おーいみんなー!俺にぴったりのゲームを推薦してくれーー!!

ぜんぜんゲーマーじゃないから選び方がよくわからん。でも決してゲームはきらいじゃないし寝食忘れて熱中したゲームもいくつもある。話題ゲームをちょこちょこやって当たりをひいたりハズレを引いたりしている。スイッチプレステ4、SteamMac)、iPhoneゲームならできるよ。最近当たりをまったく引けなくて辛いので、下のリスト見て俺にあったゲームを推薦してもらえませんか。

俺的に当たりだったゲーム

これらはぜんぶ寝る時間削ってやった。なんか他にも大事ゲームを忘れている気がする。思い出したら付け足すかも。



俺的にハズレだったゲーム

細かく書いてくと切りがないので一般に人気のあるやつに絞る。



基本的にすぐ課金とか言ってくるゲーム萎える。えーっと、なに?なんかアップグレードにジェム要るの?んでジェムはコインで買えるんだ。ふーん(この辺でもう最初からコインでUGさせろよとイライラしはじめる)。んで、100コイン300円ですーとか言われるとそっ閉じ

あと最初我慢を強いられるゲームも嫌い。これはたぶん俺がおっさんになったからだと思う。さっさと面白さを体験させてほしい。ちょっと我慢すれば絶対面白くなるから!っていうのを信じて進めるほどの情熱がないのかなぁ。それはそれで損してると思うけどそう思っちゃうんだからしょうがない。

最近アプリチュートリアルも大嫌い。「ここをタップ!(なんで?コレなんのボタン?)」「ここをタップしてアップグレードしましょう(なに?するとなんかいいことあるの?)」「ここへドラッグ!(俺は今何をしてるんだ)」「おめでとう!勝利です!(いや置いてけぼりなんですけど・・・)」「今度はあなた一人でやってみまs(ホームボタンポチー)」みたいな感じ。これは上にも書いたが俺自身最近ゲームの前提知識が不足してるせいもあるのかもしれない。2度めで恐縮だが、俺に理解できる難解さはフィールドランナーまでかもしれない。あのゲームチュートリアルがいっさいないが、超基本的なところからステージスタートするのでそもそもチュートリアル不要。やってくうちにシステム簡単理解できる仕組みになっている。すべてを理解する前の段階でもゲームの楽しさは十分味わえる。

このような感じです。こんな俺でも楽しめるゲーム、みんな、どしどし応募してくれよな!待ってるぜ!よろしくお願いいたします。

2019-02-03

[]はてなホーム活動している総会屋っているのかな

山本一郎総会屋2.0と呼ばれて久しいが、はてなでいろいろな物事炎上させている人達って交換条件で企業二束三文のもの(メルマガnote.mu)を売って金を引き出したりしてないのだろうか。

例えばそごう・西武グループ広告が立て続けに燃やされていたけれど、脅迫を断った結果だとしたら…

宮城周遊

郡山は雨だ。

文字通り真っ暗な車窓に、水滴が張り付いている。

新白河行きの列車は、郡山10分ほど停車するらしい。

ホーム上の喫煙所煙草を吸って、戻ると間もなく発車した。

少しでも遅れると困る。このまま大宮まで在来線を乗り継いでいかなければならない。

グーグルからの通知で、宇都宮から遅れているとの情報を受け取る。

日付が変わる頃には家に着いていたい。

明日仕事だ。

土曜の7時過ぎ、平日なら都内方面へ向かう大宮駅の在来線ホームにいるはずだが、この日は打って変わり、新幹線ホームにいた。

手には仙台行きのやまびこ号の特急券

金曜の夜のうちに、鳴子温泉の宿を取っていた。

昨晩熟睡できたおかげか、頭はすっきりしている。

少なくとも午前中には宿に着いてしまう、余裕を持ちすぎた旅程だった。

出発の5分前に新幹線は入線した。構内のブックエクスプレスで買った本を読みながら発車を待つ。

宇都宮福島を通り過ぎ、あっという間に仙台駅に着く。

雪が降っていた。

西口ペデストリアンデッキの隅々には黒く汚れた雪がそこかしこに避けてあった。

本来なら、鳴子温泉にまっすぐ向かうのであれば、古川行きの特急券を用意するのが一般的だが、気分の変わりやすい私は、なんとなく先のことを見越して仙台行きでやめておいた。

別に仙台から東北本線陸羽東線を乗り継いで行っても問題ない。

また、結果的にその通りになったのだが、仙山線に乗り迂回しながら鳴子温泉にも行ける。

コートポケットの中には行き先指定乗車券ではなく、乗り降り自由周遊券が収まっている。

これでふらふらと時間の許す限りどこまででも行ける。

宿には、17時にチェックインを予約していた。

雪を見たら必ずどこかに行きたくなる。

仙台に降った雪にそそのかされ、仙山線山寺を目指すことにした。

山形県境を超えると、雪が濃くなった。

車窓には白色が占める割合が高くなり、車輪が雪を踏みしめる音が聞こえる。

1年前も、ほとんど同じ時期に山寺へでかけた。

大学卒業を控えた、卒業論文を書く合間の旅だった。

私は学生身分から社会人になったが、仙山線のこの風景は何も変わってはいない。

立石寺までの道のりや、参道茶屋雰囲気、何もかもそのままだ。

昔のことを考えていたらなぜか気恥ずかしくなり、1時間滞在した後、すぐに山形方面を目指した。

あの頃は、貧乏学生新幹線なんて使えず、全て鈍行での旅程だった。

羽前千歳新庄と乗り継ぎ、ようやく鳴子温泉に着いた。

駅前では旅館のおかみさんボートを手に掲げ、待っていてくれた。

一晩お世話になる宿は、とても素晴らしいものだった。

ネット口コミ通りのご飯、こじんまりとした雰囲気

なによりも、お湯が最高であった。

鳴子の湯は、湧き出る箇所によってその特色が全く異なる。

今回の宿は、これでもかというほど白く濁りきり、硫黄匂いで脱衣所どころか、宿全体が溢れていた。

2階建てですべてが和室こたつストーブ。更には湧き出る源泉の温度を利用したヒーターが備えてあった。

夕食後は湯に浸かり、酒を飲んで、気付くと朝を迎え、あっという間にチェックアウトをしていた。

駅前喫茶店コーヒーを飲み、列車を待った。

小牛田行きの気動車に乗り込む。目指すは女川だ。

かつての震災実家青森の私は、知っておくべきことではないかという観念があった。

女川駅前からまっすぐに海岸まで伸びる道。

整然としている。真っ先に思い浮かんだ感想

列車の中で見た女川までの車窓は、やはり想像していたとおりだった。

テレビで見た光景がそのまま拡がっていた。

しかし、女川駅前は違っていた。

復興の力とはすごいものだ。震災直後の町の有り様は、詳細には私にはわからないが、一つだけ言えるのは、さっきまで見ていた車窓とは全く異なっていた、ということだ。

地元の人、観光客公共施設、そこで働く人たち。

これこそが活気だと感じた。

もちろん、横目には未だに復興前途の痛ましい風景がある。

だか、確実にここには人が住んでいる。そういう気分にさせた。

私はその後、今日何度目かの温泉に浸かり、土産を買い、ただの観光客という身分でそこにいた。

観光客でいられるということは、よく考えてみれば、それはもう立派な町だ。

間違いなく東北は立ち直ってきている。一部分の一瞬を切り取っただけを見た私が言うのは甚だ軽薄で軽率であるが、そう思わずはいられなかった。

一年前、仙台から鈍行で東北本線を上ったことがやけに懐かしくなり、私は300km超の道のりをゆったりと列車に揺られている。

この文章を書いている間に、すでに新白河に到着した。

残りの時間は少し眠ろうと思う。仙台で少し買いすぎてしまった酒がもう底を尽きた。

なんとまあ奔放で堕落した2日間だっただろう。

明日二日酔いがやってこないことを祈る。

anond:20190203203107

警察とか、鉄道会社に直接言えばいいんじゃないですか!

駅のホームにはカメラがあって録画されています

危険行為であれば警察も動いてくれるはず。

こんな真偽不明な内容が善意によって拡散されているのが恐ろしいんです。

ストーカーが、逃げた女の人を「妻が行方不明です、連絡求む」と言って女の人を殺した事件と同じ、危険行為なんです。

次に参りますのは東京サラリーマンです。

「みなさん覚悟を持ってくださいね?」

指揮官役の男がホームの上の我々に叫んでいる。

私の右手は震えていた。右手を抑えると今度は左手まで震えだした。

「おいお前、今日が初めてか?」

隣にいた大男が声を掛ける。

「お前、武器持ってねーじゃねーか」

「どうすんだよ、まったく、俺の貸してやるから使ってこい。」

私は10キロはありそうな鉄の塊を大男から受け取った。

モーニングスターって言うんだ、かっこいいだろ?」

大男はそのままホームの先へ歩いて行った。

電車は1分もしないうちに姿を見せた。

電車の中は、異様な光景だった。黒いスーツとバッグの人間で溢れかえっていた。止まる時までどの顔も下を向いていたので表情はまるで見えなかった。

電車が止まり、扉が開いた瞬間、サラリーマンたちがドッと外に飛び出してきた。最初攻撃で我々の「相手が整っていない間に襲いかかる」という計画はあっけなく崩れてしまったようだった。

私に武器を渡した大男など何人かが踏みとどまっていたが、それもサラリーマンの渦の中に巻き込まれていき、1人また1人と消えて行った。

我々は総崩れになって散り散りに退却した。大変な負け戦になったと思った。階段を降り、改札を出た。大通りへ向かうのは右だが私は左に走った。それが良かったのか、こちらへ追ってくる人数はだいぶ少ないようだった。

このまま逃げられるんじゃないだろうか...そう思った時、背中に鈍い痛みを感じ、私は派手に転んだ。後ろを見るとビジネスバッグが落ちており、1人のサラリーマンこちらへ歩いてきていた。

「お前、俺に走りで勝てると思ってんの?こっちは皇居の周りを毎日2時間走ってんだよ?」

つかつかと私の目の前に来てバッグを拾った。

絶体絶命だと思った時、急にサラリーマンうずくまり、変な声を出したかと思うと、息が小さくなっていき、うううと声を出して動かなくなってしまった。

過労死」と私は思った。働きすぎたサラリーマンは時々その限界を超え、死んでしまうことがあることを私は知っていた。

九死に一生を得た私は、そのまま駅を出て、寂れた街を走って行った。誰にも会わなかった。

とにかく、東京サラリーマンのいないところへ行こう。

走りながら私の心は、堅く堅く決心を固めていた。

2019-02-02

京王新宿駅の一ウォリアーからのお願い

 京王線新宿始発の(準)特急電車戦場だ。

 座れるか、座れないかぐらいの位置行列に加わる。うまく動けば座れるが、座れないこともある。その勝負はほんの数秒で決まる。ここで勝負を落とせば、良くて調布、下手をすれば府中あたりまで立ち続けなくてはならない。苦行である

 この戦いで重要なのは、競合するのが同じ行列に並んでいる乗客だけではないということだ。座れるか座れないか微妙位置行列に加わった場合、より重要なのは同じ車両の別のドアに並んでいる乗客との競争になる。

 ドアとドアとの中間ぐらいに位置する座席は、行列間の闘いになる。そこではお互いの陣地をどこまで拡張するかが戦われているのだ。

 こうした見方にたてば、行列の先頭に立つ者は切り込み隊長である。先陣を切って戦場突入し、後方部隊が陣地を拡大するための時間を確保しなくてはならない。

 ところが、である

 新宿駅は乗車ホームと降車ホームとが分かれている。全員がそのルールに従うなら問題はないのだが、なかには乗車ホームから降りてくる乗客もいる。

 一般的マナーとして、われわれは電車でもエレベーターでも降りる人を優先させるよう教えられている。言うまでもなく、そこには合理性があって、乗る人を優先させると降りられない人がでてきてしまう。

 しかし、繰り返すが、新宿駅は戦場である

 われらが切り込み隊長が乗車ホーム側に降りてくる乗客を悠長に待っていると、われらが領土はまたたく間に敵軍に蹂躙されてしまう。

 そのため、われらが切り込み隊長には、一般的マナーはとりあえずスルーして、降りてくる乗客の横をすり抜けてでも戦場突入してもらいたいのである。乗車ホーム側に降りてくる乗客は、すでにマナー違反しているのだから、その横をすり抜けることはマナー違反だとは言い難いのである

 というか、混んでいる時間帯に乗車ホーム側に出たい人は、まずはいったん降車ホーム側に出て、乗り降りが落ち着いたところで乗車ホーム側に通り抜けてもらいたいのである

 京王新宿駅の一ウォリアーとしてのお願いである。

2019-02-01

病みダイエットしようとしたら勢い余ってODした話

病みダイエット【やみ-だいえっと】(名)

利尿剤や下剤などの薬物服用、過食嘔吐などを含めた不健康ダイエット方法のこと。通称病みダイ

※この記録は無理なダイエットお勧めするものではありません。むしろ、心身ともに破壊されます絶対にやめましょう※

私は幼い頃から食べることが好きだった。朝も夕飯も机に一汁五菜は軽くないと拗ねる父親と、料理大好きでそんな父のリクエストにも軽く応えてしまえる調理師免許持ちな専業主婦母親の元で育った。ちなみに、お昼は幼稚園高校と全て私学に通ったせいで給食というものに縁がなく、15年毎日母親手作り弁当をぶら下げていた。

想像に難くないと思うが、育ったのは年齢だけではなく横幅も順調に大きくなった。なんと小学校6年の頃は160cm 75kg、高校卒業する頃には165cm 120kgと、小さい頃から大きくなるまで痩せていた期間がまるでないエリートデブの道を歩み続けた。

高校卒業後は医療系の大学へ進学し、日々講義試験、実習に追われる中で次第に「このまま社会人になってもあまりにもデブすぎて患者さんに説得力ないよなぁ……」などと思い始めた頃に、1年を通した病院実習が始まった。その実習では、比較的学年の中でも声の大きい男子を含めた3人と一緒になった。

声が大きいだけで真面目というわけではなく、講義サボるし実習も出来る限り出ない。課題は出来る学生のものを借りて写す。テニサーの女好きで、まあ、いわゆるクソみたいなパリピ存在のやつだった。

あー、多分実習の課題は全部私が見せるんだろうし、代返もさせられそうだし面倒だなと思っていたところ、実際その通りの展開となった。「どうせ君真面目だから全部見ていくでしょ?俺早く帰りたいから早めに抜けるわ。悪いけど、学生1人いれば先生の班への印象もいいもんで最後まで残っておいて」などというお願いは日常茶飯事で辟易していたが、文句を言って関係が悪くなるのも嫌で黙って従っていた。

そんな折に彼が別グループ男子学生たちに向かって、休憩室で「いやまじアイツと一緒とかないわwwwこう、もっと可愛い女の子と一緒に実習できるの期待してたのにあのデブスと一緒なのはマジ最悪www」とこれ見よがしに言っているのを聞いてしまった。

実際彼としては本心なのだろうし、普段なら受け流せた発言だったはずだ。エリートデブとして培われたデブやブスといった単語に対する免疫力を舐めないでほしい。ただ、その時は課題のことや出席のことなど散々肩代わりしてやっていた頃だったため、「(お前散々人に迷惑かけといてその言い草はなんなんだよ)」とそっち方面イラついてしまった。

そして、このままではあまりにも自分デブ過ぎて医療関係者としての説得力にかけるという自覚もあったために、ダイエットを決意した。

実習は忙しく、生活自体が気をつけないといとも簡単破綻する。食事制限するにはもってこいだった。まずは食事イベント(上の先生が奢ってくれる、友達ご飯に行くなど)以外では極力摂らなくなった。

しばらくすると、何かを食べようとしても食べることへの罪悪感から物が胃に収まらなくなった。友人たちと食事をして帰宅するとそのまま猛烈な吐き気に襲われて、トイレで全部吐いてしまう。食べることは好きだけど、そのままでは太ってしまう。味を感じられればあとは吐けば良い。そういった思考に陥り、ここから過食嘔吐生活が始まった。

ご飯はそこそこ食べるのだが、しばらくすると吐いてしまう。そして吐いたことによってスッキリする。体重計に可能な日は朝夜寝る前と乗り、前回より10gでも増えていると耐えられなくなった。市販の下剤を飲んだり、長風呂で汗をかい数字だけは減らす日々。最終的にはあんなに好きだった食べることさえも苦痛となり、ほぼ絶食状態へ。

ただ、流石に缶コーヒーを週で2本しか飲まなかった時は、病院へ行く電車に乗ろうとして意識ブラックアウトしてしまった。電車ホームの間に落ちた私を助けてくれたOLさん、サラリーマンのお兄さんには感謝しかない。

そして体重の推移を事細かに記載し続け、2年で50kgほどの減量に成功した。max125kgはあった体重が、75kgまで減った。

途中、1ヶ月で20kgほど体重を落とした際は体重減少性無月経や低体温に悩まされたりもしたが、体重を落とす速度を緩やかにした結果改善した。一時食事が食べられなくなってしまった身体は、母親献身的な支えによって今まで通りに食事が取れるまでに回復した。

今考えると人外かというレベルの三桁デブ卒業した私は、その後は一応デブ人間として生きることができた。なにより、デブ御用達の大きいサイズ専門店ではなく、その辺の普通のお店で服が買えるようになったことが一番嬉しかった。

大学卒業し、リバウンドもなく2年間は社会人として仕事を続けた。3年目になり、異動した先の職場はかなり激務だった。食生活も乱れまくり、気がついたら体重は10kgほど増え、85kgほどになっていた。流石にこのままではやばいと思い、再度生活見直しを始めた。なるべく体を壊さずに、ジム通いや食事内容の変更をするように心がけた。その後、通っていたジムの周辺で連れ去り殺人事件が起きたこからジムだけはやめてしまったのだが。

そんな折に職場の同僚が、長らく付き合っていた彼女遠距離の末に別れたという話を聞いた。何やらとても美しく優秀な女性だったようで、彼としては結婚も考えていた相手との破局に未練タラタラだった様子であった。

「君も早く彼氏作ったら?」

「いやー、私デブだしブスだし無理かな。今は仕事も忙しいから、そのうちね」

私も親からここ数年結婚に関しては強く言われ始めていたが、自分容姿一般男性ウケしないことは誰よりも重々承知していた。だからこそ、まずは自分の見た目をなんとかしてからでないと、恋愛結婚を考えるなど分不相応だという気持ちが強かった。男性からしたら、こんな見た目の女に好かれても迷惑しか思えない。

別に同僚はただの同僚であり、入職から今までなぜか常に私に対しては上から目線が強かった男だった。そんな彼からの面倒な詮索に関しても、適当にあしらって話を終わらせて帰ろうと思った。しか自分元カノ容姿性格その他ひたすら褒め続けるのを聞くのにも疲れた適当自分卑下して話の腰を折り、さっさと撤収に限る。しかし、それがなぜか彼の変なスイッチを入れてしまったようだった。

「どうせ自分の見た目がダメから、とかいうんでしょ?正直言ってそれはそう。太ってる女が好きな男はまずいないから。俺も細い子が好きだしね。男はね、女が男の顔しか見てないのとおんなじで身体が良ければ顔とか性格は割とどうでもいいんだよ。」

「はぁ……?」

突然何を言いだすんだこいつ、と思ったが彼の勢いは止まらない。

「君はまず痩せること。痩せればモテるよ。胸もデカいし、綺麗になると思う。だから明日から君はご飯食べちゃダメファスティング!!筋トレ!!!わかる?ファスティング筋トレからね!!」

「」

「あと男を見つける努力が足りない!!ちゃん婚活とかしてる?あ、みんなで出かけた帰りとかよく飲み屋街でナンパされてるの見けど、あーいうのに着いていけば良いじゃん!簡単に男できるし、新しい世界が広がるよ」

「いや、そういう明らかに一杯飲んだらこのあとホテルへ的なのは……」

実はこの1年前くらいに、知らない男に夜道で車に無理やり乗せられかけたことがある。そのとき抵抗して逃げ切ったが、今でもあの時のこのまま車に入れられたらどこかで知らない男に犯されていたかも、下手したら殺されていたかもと言った恐怖が色濃く、それを伝えた上であまりそう言った話題は、とお願いした。通っていたジム付近での殺人女性が連れ去りの果てに殺されたというものだったため、余計に怖かったのである

「んー、俺の彼女もよく声かけられてて大変だったけど、そんな雰囲気なかったよ」

「それはすごく美人さんだから、手軽に犯せそう!みたいな軽いタイプが選ぶ相手じゃなかったんだよ。意外とそういうところは相手選ばれてるよ」

「ふーん。まあ、君の場合身体から始まる関係もありじゃない?まずは行動あるのみ!今度はそういうのにも着いて行ってみなきゃ!世界を広げよう!!」

愕然とした。こんなに気軽に性犯罪に巻き込まれるかもしれないような提案をされたこと、そうでもしなければ男なんかできないと言われたことがショックだった。

かに私はデブだし、ブスだけど私にも人を選ぶ権利出会いを選ぶ権利はあるはずなのに。ほぼ同じ内容のことを、その日の夜に別の同期と3人で出かけた時にも言われた。別の同期がトイレに立つと、私に言いたいことをぶつけてくるという状態であった。

それ以来精神的に参ってしまい、同期がいる前では満足に食事をとることが出来なくなった。それでも腹は減るため、職場我慢した分家ではありえないほど食べてしまう。そうすると罪悪感で吐く。過食嘔吐が再発した。マロリーワイス症候群のようになり、血を吐いたりもした。

この時、別の同期は3人で卓を囲んでいた時もその時の飲み会での私への態度が酷かったことに、ひっそりと気付いていたらしい。

あいつには後から言い過ぎだぞって言っておいた」

「気を遣わせてごめんね、ありがとう

「でもあいつなんて言ったと思う?『あのくらい言っても良いくらいの関係は築いてるから大丈夫』とか言ってんだぞ?クズか?」

親しき仲にも礼儀あり、とはよく言ったものである過食嘔吐に苛まれながら、さら職場で彼と会うことが苦痛になった。なんと、それ以来私にあれだけ断食しろと言っておきながら

パン余ったんだけど、食う?」

飲み会やるんだけど、来てよ」

と、職場で声を掛けてくるのだ。パンなどは断ったが、もしかしたら飲み会などは誘いに乗るしかなくて物を食べている私を内心馬鹿にしているのかもしれない。お腹が空いてごめんなさい、ご飯を食べてしまってごめんなさい。後で全部ちゃんと吐いて綺麗にします。

エスカレートした被害妄想は止まらなくなり、仕事に行きたくなくて、消えない食欲の罪悪感から彼の顔も見たくなくてしょうがなくなった。でもデスクは隣だし、仕事も被っている。どうしても無理だ。昼休みを隣のデスクで過ごすことも苦痛で、女子ロッカー椅子腰掛けて過ごすようになった。

何らかの方法で胃を悪くしてご飯が食べられなくなれば彼は許してくれるのではないか。ふと、そんな考えが頭をよぎった。

これは名案かもしれない。

簡単に胃をやるとすれば、数年前にダイエットしていた時に一番効いたのは、アイスコーヒーの1Lパックを1日で2本弱飲み干した時だった。なるほどカフェインは胃酸の分泌を亢進させる働きがあるから、胃は傷めつけられそうだ。ついでに利尿効果もある。ちょうどいい。

カフェインについて調べると、そういえばエナジードリンクと錠剤の併用が原因らしいという死亡事件が一時期話題になっていたことを思い出した。カフェイン人間個体差はあるものの、ある程度摂取可能だが、その他の哺乳類にとっては猛毒である。また、人間にとっても中毒域と致死量の幅が狭い。嗜好品としてのコーヒー程度ならば問題ないが、錠剤の多量摂取は気軽にやると急性カフェイン中毒を引き起こすし、下手をすれば死んでしまう。

ならば、中毒域に入らない程度でカフェインを飲んでいい感じに胃を悪くしてやろうと思い立ち、ドラッグストアカフェイン剤を購入した。

家に帰って1回2錠1日2回までと書いてあった箱を開けると、茶色い錠剤が20錠出てきた。とりあえず2錠飲んでみたが、何の変化もない。

時計を見ると17時半。明日から仕事であることをまた思い出し、次第に同僚に会いたくない気持ちと恐怖と嫌悪感がむくむくと頭をもたげだ。いっそ身体が壊れればしばらく休職できるかもしれない。頭の中でカフェイン中毒量と致死量計算した。体重換算で一箱飲んだら中毒量は超えるが、致死量全然超えない。まだ両親も健在で、死ぬわけにはいかない。全部飲んでも死なないなら、いっそ全部飲んで身体さえ壊れてしまえばいいのでは。仕事休みたい。

気付いた時には20錠分の空のPTPシートを手にしている自分が、床に座り込んでいた。

タイミングよく実家母親から電話が来た。何を言ったのかは朦朧としていたためにあまり覚えていないが、同期が嫌で仕事に行きたくなさすぎて薬を飲みすぎてしまたことは伝えた気がする。

4時間半ほど経ち、動悸と頭痛、冷や汗と吐き気に苛まれているところに焦った母親が高速を飛ばしてやってきた。ベッドに横たわる私と、ゴミ箱の中の薬の空き箱やシートを確認すると、

「そんなくだらない男のためにこんなことしないで。死のうとするならママも一緒に連れて行って」

と泣き崩れてしまった。

大丈夫致死量は飲んでないか気持ち悪くて胃が悪くなるだけで、そのうち薬が抜けたらよくなるから……この量じゃ絶対死なないから。計算たから……」

その後のこともおぼろげなのだが、職場への救急搬送は意地でもされたくなかったため、一晩母親の付き添いで明かした。朝、立って歩くこともやや覚束ない状態となった私は上司電話をしたが、ODのことは踏ん切りがつかずに伝えられなかった。

気持ち悪くてずっと吐いてます今日仕事は出られそうにありません……」

腸炎か?ノロ流行ってるからなぁ。君、一人暮らしだろう?飯も食えない、水も飲めないだともう入院したほうがいいんじゃないか?受診手続きを整えるから

そう言って電話は切れた。上司はどうやら感染腸炎を疑っているようだった。母親病院で補液をして早く血中濃度を薄めるように、という。まず、上司や先輩たちは私が精神的に不安定だったことを知らない。ODを疑われる要素は職場には絶対にない。もし、血液検査異常などで疑ってかかられたとしても、抗不安薬抗うつ薬などと違って、カフェイン中毒はそれを念頭に置かないとバレる可能性は低いだろう。

そしてそのまま感染腸炎疑いとして入院となった。血液検査異常も少なく、ODはまるで疑われなかった。母親自分自身の通院があるため、入院手続きだけして実家とんぼ返りした。部屋を出る際、再度泣きながら

「もうこんなことしないでね。もし死にたくなったら一緒だからね」

と言われたことを覚えている。

気持ち悪さに苛まれている間、何よりも強く思ったのは少しくらい太っていてもいいから、本来なら美味しくご飯が食べられる身体大事にしたほうがいいということだ。

あれだけ好きだったお粥も、お魚の煮付けも、サラダも、まるで喉を通らない。無理に食べても全て数分後には吐き出している。制吐剤を打ってもらわないと夜は眠れないほど胃が辛い。切り取って水洗いしたいほどに苦しく、ベッドの上でひたすらのたうち回っていた。睡眠不足でうとうとすると悪夢が見える。同期が笑いながら私を蔑んでくる。はっとして起きると、気持ち悪さで苦しい。夜通しその繰り返しだった。

しかし、致死量までは飲んでいないのも本当で、制吐剤と補液で徐々に改善傾向にある。食事お粥半量程度なら口にできるようになった。それでも頭痛と心窩部不快感は残っているのだが。

こんな苦しい思いをするのなら、そして親に多大な心労をかけるならこんなことしないほうがマシだったと思う。

でも、食事が取れるようになってくると、再度食事をすることへの罪悪感が生まれてくるようになって来ているのも事実である。あまりにも辛かったこからODは2度としないが、もしかしたら退院できてもまたしばらくは過食嘔吐や拒食からは抜けられなくなるかもしれない気はしている。

ダイエットを考えている方々には、こんな自分身体を痛めつけるようなことはやめるべきと伝えたい。適度な食事制限と、運動が遠回りに見えても何よりの近道だ。むしろ少し太ってたって、美味しいものを美味しく食べられることは、こんな風に身体ボロボロにするよりは幸せかもしれない。

ダイエットしている人や、太っている人が周りにいる人は、その何気ない一言相手の心を大きく傷つける可能性があることを今一度考えて過ごしてほしい。私は思いとどまれたが、私も両親という枷がなければ勢い余って致死量まで飲んで死んでいたかもしれない。

自戒を込めて、記録に残そうと思った。

まだベッドから降りて動き回るのはつらいが、そろそろ退院と自宅療養が見えてきた。今は身体が辛くて精神も持たないため、今後の仕事での身の振り方や、今回の件に関しての相談をどうするかについては身体が良くなったら考えることにする。

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん