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はてなキーワード: 小学とは

2019-03-24

大事おもちゃを捨てられた

anond:20181013021617

僕が小学生の頃、ばあちゃんの家にK'Nex(ケネックス)というレゴみたいなブロックおもちゃがあった。

僕はそれをとても気に入っていて、ばあちゃんの家にいるときは暇があればそのおもちゃで遊んでいた。

小学4年生になったあるとき、ばあちゃんの家へ行っていつものようにケネックスで遊ぼうと思っておもちゃ箱を開けたら、ケネックスがないことに気づいた。

あれ、どこにいったんだろう、と思ってばあちゃんに聞くけれど、ないわけがない、と言う。

横でそれを聞いていたじいちゃんが、あのおもちゃは捨てた、と言う。

理由があるわけでもなく、ただ、捨てた、らしい。

僕とじいちゃんはあまり仲良くなくて、明らかに僕への悪意があって捨てたのはわかっていた。

飲んだくれて面倒を起こしたりするじいちゃんのことを、僕はどこかで見下していたのだと思う。

数年後に祖父は、認知症で要介護認定をもらう状況になっていたので、この頃にはもう兆しがあったのだと、今は思う。

だけれど、10歳の僕に対して、同じレベル嫌がらせをしてくるじいちゃんのことをそのときは許せなかった。

ただ湧いてくる怒りと悲しさで僕は泣きじゃくった。

見かねてばあちゃんが、同じものを買ってあげるから、と言ってくれたけどそういうことじゃなかった。

悪いのはばあちゃんじゃないから、ばあちゃんに気を使わせてしまったと、さらに悲しくなった。

僕は、じいちゃんが当時買ったばかりのワープロをぶっ壊してやる、と怒鳴り散らしていたのを覚えている。

僕が高校生になって、ふと母とこのときの話を思い出して話していた。

そしたら、自分でも訳が分からなかったのだけれど、涙が止まらなくなった。

いやー、あのときしかったんだよね、と泣きながら母に話した。

初めてこのとき、僕の中でこのおもちゃを捨てられた事件が完結したのだと思う。

結局あのとき、ケネックスを買い直すことも、ワープロを壊すこともなかった。

あれから15年経った今は、じいちゃんはもうこの世にいなくて、あのときのことを思い出しても、少し胸が痛い気持ちになるだけだ。

小さい頃に誰かにされた嫌なことより、誰かにした嫌なことの方がよく覚えている。

あのとき仕返しをしないでよかったと、今は思っている。

好きだった女の子の話

失恋しました。

失恋といえるほどのものでもないのだけど、でもきっとこれは恋だったと思います。私は忘れっぽいたちなので、忘れないよう、書き残しておきます。長いし、重いです。

出会ったのは小学1年生のとき。初めて友だちになってくれたのが彼女でした。誰とでも仲良くなれるような優しい女の子彼女は誰とでも仲良くなれる人だけど、私は違った。人見知りで、自分勝手で、今考えるとどうしようもないような性格だったと思います小学から中学校にかけての様々な件で私の性格はひねくれにひねくれ、自分いちばん醜いとまで思うようになっていきます。それでも小学から中学校までの9年間、ずっと仲良くしてくれました。彼女のことが一番大切だと思いました。

転機は高校ときです。彼女特殊高校に、私は普通高校に進学しました。彼女学校と私の学校そもそもシステムが違うため、長期休みが合うことはほとんどありません。臆病者な私は、彼女に連絡することを恐れるようになりました。彼女のことがとても大切だから勉強部活を私みたいな存在邪魔するのは、私自身が許せない。アルバイトを始めたと聞きました。なおさら、連絡なんてできません。そうなると(もうわかると思いますが)、あとは疎遠になっていくだけです。月日が流れれば流れるだけ、彼女神聖化したまま、私の記憶の中の彼女はやさしくてかわいいの子のまま美化されていき、とうといものへと変わっていきますもっともっと大切になっていきます高校生の間にも、数回遊ぶことがありましたが、私の前では昔と変わらずとてもやさしくて、素敵な彼女のままでした。きっとさらにすきになっていたと思います

はたちになると、成人式があります。いろいろな場所に散らばっていた友人たちも地元に集まります私たち同窓会をすることになりました。久しぶりにみんなに、特に彼女に会えることが嬉しくて、人一倍かわいくなりたくて、一番お気に入りワンピースを着て、時間をかけて髪を巻いて、丁寧にメイクをしていきました。かわいいねって言ってくれて嬉しかった。あなたにそう言ってもらいたくてそうしたのだから。この同窓会ときに、今度遊ぼうね、と約束しました。彼女卒業後は就職のため地元を出て都会に行ってしまうらしいのです。とてもとても楽しみにして、大学でのテストもいつもより少し頑張れました。彼女はまだテストがあったようなので、終わったらまた連絡してねと言って、そのときは終わりました。その連絡が来ないまま、彼女が都会へ既に向かっていたことを数日前に知りました。

「いつ遊べそう?」「春休みわっちゃうね」「遊べなかったね〜」「もう都会のほうにいるって本当?」何を言っても傷つけてしまうような気がして、この文章を書いている今も、どうメッセージを送ればいいのかわかりません。高校友達と遊んでいるのならば邪魔したくはないなあ、引越しの準備が思うよりも大変で忙しいのかもしれないし…と思い込むことでなんとか今日まで生きてきました。「どうして知らせてくれなかったのかな」とも思ったけれど、たまにしか遊ばない友達に出発の日時を教えるわけがありません。この結末はただの自業自得です。大切にしたくて、私がいちばん醜いと考えている自分から遠ざけようとして疎遠になるなんて、自分もびっくりするくらいのブーメラン。なんて救えない。彼女にとって昔よく遊んだ程度のお友達になっていただけなんです。どうしようもない、始まってすらいない私の初恋はここで終わります

こんなこと、誰にも話せないから、ここに書きました。友達がずっと恋愛感情を持っていたなんて知ったら気持ち悪がられるに決まってる。なによりこんなことを書いている私が、私のことを一番気持ち悪いと思っているのだから。そう思われたくない。彼女に嫌われることは何より怖い。好きだと言うことも今後絶対にない。叶うこともない。だって彼女女の子で、私も女。彼女はたぶん異性のことを好きになる人です。それでも話せるだけで嬉しかったし、満たされていたし、じゅうぶん幸せだった。ずっとずっと仲良くしてくれてありがとうあなたは私の救いで、大げさかもしれないけれど、光でした。あなたは強い人だから、きっとお仕事もうまくいきますあなたがこれから幸せであるようにここから願っています

2019-03-23

(再掲)新小学1年生

生活リズムが変わりますフィジカル的にもメンタル的にも順応するには時間がかかります

やることが変わります。新しいことは楽しいですが、覚えるのは難しいです。

さんるい?瑠衣くんが三人いるの?分かりません。失敗すると恥ずかしいです。

今まで通りのことをして安心したくなります。今までできたことを今もできると確認したいです。

できるようになったことは褒めてもらいたいです。

褒めてもらえなかったり恥ずかしいときは、成長を自慢したくなります

は?おまえ××なんかしてんの?だっさ!ふつうしょうがくせいなら〇〇するだろ!

友達が変わります。仲の良い人が他の人と楽しそうにします。さみしいです。

さみしい時にうるさい人が近くにいると、怖くなります

さみしい時にふざけて大きな声を出してないと、さみしくなります

さみしくなると、慰めてほしくなります

今まで通りに受け入れてもらいたい気持ちになります

小学生という肩書の重さは誇らしくもありますが重たく感じるときもあります

それなりの筋力が付くには個人差があります比較不公平に感じます

年上の人が意地悪をしてきます

大きい声を出したり、たたいたり、好きなものバカにしたりしてきます

ゴールデンウイークが明けて2週間くらいで年上の人から順に落ち着いてきます

このあたりから周りの人たちと話をするのが楽しくなってきます

家でできないことを学校でやる作戦はけっこう楽しいです。

さみしい時はさみしいということを大人に言ってみましょう。

家族に言えない時は学校先生でもいいし公文先生でもいいし習い事先生でもいいです。

話を聞いてくれない大人より、話を聞いてくれる大人の方が多いです。

あとは適当に楽しんでください。

2019-03-21

それってお前のせいじゃないか

少し前の同窓会で、怖い話を聞いたので書き残す。

冗談か嘘だといいんだけど。

その怖い話とは、知人の昔話だ。

彼は小学生の頃、可愛いクラスメイト(以降A子とする)に恋をした。

偶然にもA子の髪の毛を手に入れた彼は、おまじないをすることにした。姉の部屋におまじないの本があったらしい。

A子が自分を好きになりますようにっておまじないをすればよかったのに、彼はこんなおまじないをしたんだそうだ。

A子が男の子たちから嫌われますように。

多分、恋のライバルを蹴落とす系のおまじないだったんだと思う。

A子が自分以外の男から嫌われたら、自分を好きになってくれるとでも思ったんだろう。

小学5年から高校3年まで、毎日そのおまじないをしたんだって

まじないのおかげか、A子は彼氏も出来ずにいたそうだ。

で、彼は大学進学のために上京大学恋人を作って結婚子供ふたり出来た。

最近、彼がA子について調べたら、まだ独身だったそうだ。

「A子、30代半ばにもなって、まだ独身なんだって。きっと顔は良くても性格が悪かったんだな。告白しなくてよかった!」

なんと彼は、A子に執拗におまじないをかけたのに、告白どころか話しかたこともなかったんだ。

まじないのことを恐る恐るきいたけど、

「おまじないなんか効くわけないだろ。もうA子とは関わりないし、結婚出来ないのは自業自得!」

ケラケラ笑っていた。

A子は今でも、全く記憶にない男に呪われているのかもしれないと思うと、とても怖かった。

2019-03-15

幼少期の記憶が消えてる人っている?

私は幼少期の記憶が途切れ途切れというか、殆どない。

記憶にあるのは小学校5年生くらいからだ。

それ以前は本当に断片しかなく、今覚えているのは幼稚園児のときいじめられて

トイレに居るところを遠くから見ているという静止画1枚という程度しかない。

言って信じてもらえないことが多いんだけど、同じような人って居ないのかな。

小学校5年生の段階で、周囲の人のことサッパリ知らなかった。例えるなら急に乗り移った感じ。

一応周囲の人の名前は分かるけど、昔のことはサッパリ覚えてない。

昔の自分人格も、友達とどう接していたのかという過去のこともサッパリだった。

育ててくれた祖母と毎週のように会っていたのに、どう接していたかも分からなかったし

幼馴染に言われるまで、幼馴染ということも知らなかった。

そこから先は、大体の事を覚えてる。

ならなぜ、私は幼少期の事を全く覚えていないんだろう?

私と言う人格形成されたのが小学5年生のときということなのだろうか。

じゃぁそれ以前は誰が自分を動かしていたの?

結局良く分からない。

anond:20190315101413

いや、ワイ32歳が小学6年生の時に小1の子青色(水色)のランドセル背負ってたからその大学生小学校の時から普通にあったと思うで

2019-03-10

anond:20181109190531

  |l、{   j} /,,ィ//|     / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

  i|:!ヾ、_ノ/ u {:}//ヘ     | あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!

  |リ u' }  ,ノ _,!V,ハ |     < 『僕はアベベを見ていたと

  fト、_{ル{,ィ'eラ , タ人.    |  思ったら好きな事になっていた』

 ヾ|宀| {´,)⌒`/ |<ヽトiゝ   | 催眠術だとか超スピードだとか

  ヽ iLレ  u' | | ヾlトハ〉.   | そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ

   ハ !ニ⊇ '/:}  V:::::ヽ. │ もっと恐ろしい小学惑星の片鱗を味わったぜ…

  /:::丶'T'' /u' __ /:::::::/`ヽ \____________________

2019-03-09

anond:20181029210411

無料サンプルでツンツンとアベベを見つけた。

癒し系】夢の小学惑星【イシハラショート・ストリーズ

https://www.youtube.com/watch?v=gw3mv1tCHFo

ツンツンは32秒からアベベは40秒から

無料サンプルなので、見どころのアベベの事が好きなんだろの場面は入っていないけど。

ユーチューブチャンネルはあるけど会社自体はどうも解散したのだろうか?

作品著作権はどうなっているのだろうか。

良い作品なだけに気になる。

anond:20181102221852

やあ (´・ω・`)

ようこそ。

このサントリーCCレモンサービスから、まず飲んで落ち着いて欲しい。

うん、「また」なんだ。済まない。

仏の顔もって言うしね、謝って許してもらおうとも思っていない。

でも、アベベを見たとき、君は、きっと言葉では言い表せない

「ときめき」みたいなものを感じてくれたと思う。

小学惑星では、そういう気持ちを忘れないで欲しい

そう思って、君を呼んだんだ。

じゃあ、注文を聞こうか

2019-03-08

anond:20190308213132

相対的なことを指す概念なのに絶対的定義なんてあるわけねえじゃん

賢い小学3年生レベルのことを大発見顔で書くんじゃねえ

2019-03-07

anond:20190307160156

で?君は何が問題だと思ってる?

俺は野党議員のこういう発言象徴される、ノーリスペクト姿勢ダメだと思ってる

anond:20190307114347

一国の首相に対し「安倍総理の知性は小学2年生以下、良心幼稚園児以下だろう。」って...

恐るべきは、左翼からこの暴言をいさめる発言が出てこないってこと

anond:20190307114028

品がなさすぎる左翼の例


なお、国会議員

どうしてこれで支持者が増えると思うのだろうか...

SNSが出来てからいじめが酷くなった

なんてよく言うけど、私が受けてきたのを聞いてから判断してほしい。

SNSなんてなかった時代、私がいじめられたのはざっと7年ほど。SNSがない時代に起こるいじめは大体無視、仲間外れぐらいだろう。私もそれを受けてきた。

幼稚園からの近所の付き合いがあって幼馴染の女の子がいた。その女の子をAとする。そして小学一年の時にAと友達になって、私とも友達になった子をBとする。

ほぼ毎日一緒に遊んで、時にはお泊りもした。

小学校四年

私に好きな子が出来た。ませているかも知れないが、バレンタインで盛り上がっている時期だ。丁度好きな人告白するチャンスだと、AとBが後押ししてくれた。家に招いてチョコレートを渡そうと、ABが家に来て一緒にチョコを作り、当日家にやってきた好きな子チョコを渡した。OKをもらって、すごくうれしかった記憶がある。

お返しが気になって仕方がなかった。お菓子の詰め合わせをもらった。その後付き合った子の妹と遊んだり、家にお呼ばれして遊んだことがある。ただ一回か二回ぐらいで、他はABと、付き合っていた子の友達と一緒に遊んだぐらいか

五年生。

AとBが私に無視しだした。ただ私は鈍感だった為、それがいじめであると気が付かなかった。BがAに対して愛称で呼んでいたので、私も呼んでいいかと聞いたら「XXは駄目」と言われた。そうか、私はだめなのか。でもまぁ名前で呼べるからいかな。とも思ったが、どことなく心は傷付いていた。だれもいない所で、なんで呼んだらいけないのだろうと思って泣いた。

そして無視があったり、一緒に遊んだりするときに、Aが「あれが欲しい」と言ったので、私はお年玉から少し高価なおもちゃを買った。Aがとても喜んで私といっぱい遊んでくれたので、「お金を使ってモノを買ってプレゼントすれば、みんなが私とお話ししてくれる」という方程式が出来上がった。

そしてあまりしかけてくれなくなった付き合っていた子も、プレゼントを渡せばいっぱい話しかけてくれた。無視していたAとB,好きな子その男友達に、500円を放り投げて取った人にプレゼントという、投げ銭までしていた。そういう遊びをしていたのだ。私が無視されず、かつ喋りかけてくれて、この友達の輪に入れる「手段」だった。

クリスマスパーティーもAB,付き合っていた子とその男友達がやってきて、一緒にパーティーをした。なんとABは前日泊りでケーキも作った。そしてみんなでケーキを食べた後、出かけて「私が財布を出して物を買って喜んだ」その帰り、実は下剤が私のケーキに忍ばされていて、帰りに腹具合が悪くなった。漏らす手前まで来るほどの痛みに、周りがにやにやとしていたのは覚えている。結局近所の家に駆けこんでトイレを貸してもらった。今でも感謝している。

そして、友達という夢が目覚める。

付き合っていた子の妹が私に話しかけてくれたのだ。休み時間の賑やかな中庭で、偶然出会った。今でも覚えている。

「本当は、XXさんの事お兄ちゃんきじゃない。XXさんを虐めようって話になって、チョコを渡すから受け取って付き合って喜ばせて、あとで振ろう。その後無視したりして虐めよう。それを前に体育館相談してた」

とても、意味が分からなかった。まず「私は虐められていたのか」という自覚から始まる。そして「幼馴染だった子が、五年生でも家にきて遊んで寝泊まりし合ったのに、虐めの輪に入っていたのか」という事。そしてじわじわと「あれは虐めだったんだ」と、悲しみが湧き上がってくるのだ。だが、ほんの僅か「冗談かもしれない」とも希望している。

付き合っていた子の妹に「ありがとう、分かった」と伝えたあと。私はすぐに付き合っていた子に「ごめん、好きな子が出来たから別れる」と言ったのだ。これは実は自暴自棄になったわけではない。虐めていた奴がずっと付き合っているフリをしているのがむかつくから先手で振った。あと本当に少しだけ気になっていた子が居た。

振ったことを聞いたのだろう。AとBが「好きな人は誰」なのかを必死に聞いてきた。なぜそんなに聞いてくるのかは今になっても良く分からないが、私は名前を告げて、本当に振った日の放課後、その気になっていた子にアタックした。

それを見たAとBは「ごめん。XX。実はXXの事虐めてた。(好きだった子の名前)と(その男友達)とグルになって虐めてた」と私に伝えた。

虐めた理由は「うざかったから」というものだった。

そして、学校先生や親を巻き込んで私に虐めていた親たちが謝ってきた。私はただ幼馴染と友人を手放したくなかった。それだけでお金というものを使ったのだ。お金は返ってきた。

私の親が幼馴染に「家の泊りあいっこまでして遊んでいたぐらいだから、これからも一緒に遊んであげて。」と言ってくれたが、結局それ以降遊ぶことも、学校でしゃべることもなかった。

中学になったら、私の妹の友人である男、女二人組に石を投げられた。罵声も浴びせられた。それを私の友人が見ている。恥ずかしさの方が勝った。

その三人組に渡しがなにかしたとかではない、面識がなかった。結局意味が分からなかったので、生徒指導先生に伝えたら大人しくなったが、未だに謎である

とにかくいじめと言うのはSNSが出来ていなくても酷かった。それだけ。今でもクリスマスバレンタインは苦い思い出だが、きちんと信頼できる友達も、彼氏もいる。だが、謝ったかおしまい、というのはやはりちがう。結局傷ついていて、今でも思い出す事にかわりはない。

虐めをしている人。マジでくだらないからやめとけ。

虐められている人。虐めている奴は結局お前の反応を見て楽しんでるだけだから、どんなに友達だろうと縁を切れ。私は縁を切った。友達そいつだけじゃない。

2019-02-25

おばさんを男と思っていた友人

友人は、おばさん(父親の妹)のことを小学低学年の頃まで男(つまり おじ)だと思っていたそうだ。

LGBTとかではなく、特に体が大きいとか、声が低いとかということもなく、今にして思えば、どう考えても女性なのに。

発覚したきっかけは「自分の親戚を分かる所まで書く」みたいな宿題。(今はいろいろと配慮が要りそうな課題だが、その辺はおおらかな時代だった)

普段からマコちゃん」(仮)と呼んでいたため本名が分からず、母親に聞きに行ったところ、

マコちゃんは お父さんの妹だから『おばさん』だよ」と教えられたそうだ。

今までマコちゃんが遊びに来るたびに一緒にお風呂に入っていたのが、急に恥ずかしくなって、

マコちゃんが来る日は明るいうちから風呂を沸かして、先に入ってしまうようになったのだそうだ。

(なんで一緒に風呂に入って女だと気が付かなかったのか不思議だが、子どもの知恵なんてそんなものかもしれない)

本人は、「たぶん いつも ズボン履いてたし、ヒーローごっこをしてくれていたから、男だと思い込んでいたんだろう」と分析している。


なお、マコちゃんは、この話の頃は20歳前後ですが、今は50代のはずです。そこの君、パンツを履きなさい。

2019-02-18

小学6年の時、友達が唾液の付いた何かを女子に渡すか何かする時、「生死に関わるから気を付けろ」とふざけて言ったが、エロザルであった俺には、「精子に関わる」と聞こえた。ハッとしてその後少しして友達に「キスしても子供は出来ないぞ」と助言したのを、今日ふと思い出して仕事中思わず唸り声をあげてしまった。



マスコミはそれを書かないから。」

そういう問題

自分ができたことを「努力が十分ならできるはずだ」っていうの、何かのハラスメントにならないの?

2019-02-17

子供を持って気づいた事。

保育園幼稚園の年長さんくらいの年齢で、折り紙の角をきっちり揃えて折れる子供というのは、かなりの少数派だということ。

私はその年頃にはそれを難なくこなしていて、担任から皆の前でやたら誉められた記憶があるが、何でそんな事で特別誉められるのかわからんと思っていた。

しかし、自分子供を持ち、我が子とその同級生達とふれあって初めて、かつての私みたいな子供はひどくマイナー存在だと知った。

あと、小学1年生の多くが一桁の引き算で躓くという事にも驚いた。特訓すれば最終的には出来るようになるみたいだが、一度授業を受けて理解する子は、あまり多くないようだ。

それが普通なのだ。

2019-02-15

痛いニュース(ノ∀`):立憲・枝野氏 「日本総理大臣小学6年生並みで情けない。うちの息子の方がまだまし」 http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1987534.html

うちの(股間の)愚息が申し訳ない、と言う下ネタはまだですか?

2019-02-13

12男児強制性交か 女を逮捕

 福岡県に住む小学6年の男児12)と自宅で性行為をしたとして香川県警高松西署は

1月22日午後9時24分、同県高松市に住む自称パート従業員長尾里佳容疑者(22)を強制性交の疑いで逮捕した。

同意のあるなしにかかわらず、13歳未満の子どもを守る法律抵触したのだった。

 逮捕きっかけは同日午前中にあった匿名情報提供

捜査員が容疑者宅に行ったところ、容疑者被害男児が一緒にいて、

容疑者が“前日の午後11時ごろ性交しました”と素直に認めた。

オンラインゲームで知り合ったと供述している。男児は“福岡の自宅から1人で来た”と話しており、捜索願は出ていなかった」(捜査関係者

http://news.livedoor.com/article/detail/16011632/

ひょえー。

2019-02-11

anond:20190211003712

女性器はイヤラシイ形をしているが、個人的にはもっともっとイヤラシイ形をしていてほしかったと思う。

一例を挙げると性的に興奮したら女性から最長3mぐらいまで伸びるような

触手を出して男性器に絡み付き、膣内に引き込むといった機能が備わっていてもよかったのではなかろうか。

もし実際に女性器にそうした機能があったとしたら、私は小学6年生ぐらいの色白で髪が長くて大人しい、

赤いリボンとフリフリフリル可愛い服がトレードマーク学校一の人気者の美少女小学生に生まれ変わりたい。

そして学校で授業中エッチなことを考えたために、

自分の意に反して膣内から触手がうねうね出てきて、

最初スカートの上から膣口を手で押さえ込もうとするが、

押さえつけようとしている手の脇から触手がはみ出してきて、

ついにはスカートの裾まで進出し恥ずかしい粘液まみれの触手が生々しい臭気を周囲に漂わせながら

斜め前の席に座っている好きな男子股間に伸びてゆく場面をクラスメイト全員に見られてしまい、

赤面した顔を両手で押さえて泣きじゃくったあげく、

遠い街の学校に転校したい。

2019-02-09

幼稚園児を助けた思い出

ヤフトピに子供が2歳児を助けたってのが出てた

それ見て、自分が昔幼稚園児を助けたときのことを思い出した

  

俺の地元は村で

最寄りのちょっと開けた場所、今で言ったらイオンモール的なとこまで車で2時間とかで

村民はみんな知り合いだったり親戚だったりていう、そんな場所だった

  

用水路ザリガニかなんかとってたんだよ、その子

釣竿もどきをふりまわしてた

自転車でそれを横目に通り過ぎて、村唯一の雑貨店マンガ買ってきたら、その子がいない

飽きるの早いなー、と思いながら、なにげに行きより用水路の近くを通ったら、無言でおぼれてる子供と目があった

すげーびっくりした

心臓とまるかと思った

声出して助け呼べよ

さっきの子だって理解するより早く、妖怪かなんか見ちゃったみたいに感じた

顔真っ赤にしてばっしゃばっしゃしてんの

  

そのまま通り過ぎられないじゃん、さすがに

俺その時小学3年生で、そこそこ身長あったのもあって、なんとかできる気もしたし

どうやったかは覚えてないけど、なんとかその子を引き上げて放心してたら、急に超音量でそいつが泣き始めてさ

さすがにそれを聞きつけた大人がきて大騒ぎになって、それから母親にスゲー怒られたこしか覚えてない

大人を呼びなさい!ってさ

  

次の日、その子母親がうちに来て、俺と父親(こういうときだけ出てくる)に、あやまってあやまってありがとうの次にまた二回あやまって、ってのをエンドレスでやってた

  

その後もその子母親は俺を子供の命の恩人としてずーっと扱い続けて、いろいろお祝いもらったりなにかっていうと気にかけてもらった

でも、それはそれで居心地多少悪くて、大学で村から出られた時、ちょっとほっとしたのも事実

  

の子自身とは、それ以降ほとんど話すこともなかった気がする

  

今年、正月実家帰ったときに、その子が嫁さんと子供つれてうちの実家あいさつに来たんだ

こっちで暮らします、って

で、その嫁さんにまで、命の恩人扱いされて、実家に帰るのがなんかまた若干おっくうになった

感謝されるのがいやなんじゃないんだけどさ

2019-02-08

総武線女子高生の話し方がやばい

千葉行きの総武線に乗ってたら帰宅中の女子高生が三人乗ってきた。

隣の空席に二人座ってわいわいやってたのだけど話し方が気になって仕方ない


女子高生A「なにその小学生時代、やばない?」

女子高生B「小学四年の頃は担任がやばすぎて闇期」

女子高生A「理解

女子高生C「キャンプの時の言動が斜め上過ぎてやばい

女子高生A「それな」

女子高生B「やめろそのコメントは私に刺さる」

俺氏スクッと席を立つ

女子高生B「あ、席空いたよ座る?」

女子高生A「座る」

なんなん、今時の女子高生の話し方ってこんなんなん?

それとも違和感あるの俺だけ?

2019-02-07

野田市の一件で思い出したこと

連日、報道が続いている野田市小学4年生の虐待死の件

これを見ていたら、もともと風邪調子が悪かったのに加えて、

どうやら心も風邪をひいてしまったようで、テレビネットを見るのが辛くなっていることに気づきました。

なんでかな??と思ったら、

私にも「助けて」が届かなかった記憶があったからなんです。

3才から8才くらいまでの間、身内に虐待された経験があります

まれて間もなく父が事業に失敗しまして、

我が家は大借金を抱えてしまいました。

その返済のため、父は年に数回帰宅するだけで、

地方都市単身赴任して馬車馬のごとく働いていましたし、

母も平日はフルタイムで働いていました。

そのため、私は民間保育所に預けられたり、

親せき宅をたらい回しにされたりしていました。

虐待を受けていたのはその頃です。

相手は15才年上の従兄弟でした。

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怒鳴られたり、はたかれたり、ぶたれたり・・

まあ突然、乳幼児の面倒をみろと押し付けられ、

仕方なく引き受けたものの、

どう扱ってよいものか困ったのでしょうね。

いうことも聞かないし‥

それで小さい子供に"言うことを聞かせるため"に必要なのは「力」だと思ってしまったのだと思います

さな子供にとって大人の「力」って圧倒的なんです。

でも力をふるう方って得てして、相手との「差」をあまり意識していません。

それまで、従兄弟のことはどちらかといえば、いいお兄ちゃんと思っていたのですが、

虐待がはじまってから恐怖の対象しかなくなりました。

叔母のことは好きだったので、

叔母宅に行くのはむしろ楽しみですらあったのですが、

それ以来、今日は叔母の家に預けられる日だ思うと憂鬱になりました。

苦しくって、つらくなって、

母にももちろん言いました。

虐待」なんて言葉は知らなかったから、そのとき自分なりの伝え方で・・

でもね、一切信じてくれないんです。

なぜかっていうと、

兄弟にとってはあくまで「躾」のつもりから

いうことを聞かないから、いい子にしてないか叱った。

相手にそう言われてしまえば、

からすれば預かってもらっている立場だし、

申し訳ないという気持ちもあるからそこでおしまい

あげくこちらは「〇〇お兄ちゃんの言うことをちゃんと聞きなさい!!」さらに叱られます

しかも、そうやって「S.O.S」を出してしまたことで、

「余計な事しやがって」と、虐待さらエスカレートしていきました。

いじめでいう「チクった」あとと一緒です。

怒鳴られる、ぶたれるくらいのレベルから

モノを投げつけられたり、刃物を振り回されたりと恐怖レベルが上がりました。

で、そのトラウマってずっと残ってるんです。

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これ、実はもう40年前の話です。

どんな友達がいたとか、どんな場所に遊びにいったとか、

まして家族楽しい団らんの思い出とか・・

その頃の記憶なんてほとんどないにもかかわらず、

悲しいか

「殺される!!」と思った恐怖感

首を絞められたときの手の感触

繰り返される怒鳴り声

とても鮮やかに、そこだけ4K映像のように、

リアルに生々しく、昨日のことのように思い出せてしまます

時間が経ったから、セピア色になる・・・なんてことはありません。

その後も母にS.O.Sを出し続けたのですが、

同じバターンの繰り返しでした。

しろ言えば、言うほどにエスカレートしていきました。

そのうち大好きだった母のことさえも、

自分がこんなに言っても信じてくれない、

まったく頼りにならないという不信感を持つようになりました。

その母も年老いて、いま介護をしていますが、

正直、いまだにそのとき気持ちは拭えません。

そんな中で、唯一、私のS.O.Sを受け止めてくれたのが母方の祖父でした。

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兄弟による虐待エスカレートしていく中、

気が付けば、叔母の家を飛び出して、

電車に乗っていました。

一人で電車に乗ったの自体がそれがはじめてでした。

叔母の家から祖父の家までは電車で1時間くらい離れていました。

年に何回か行く程度でしたし、

我ながらよく迷子になることもなくたどり着けたものだと思います

当然ながらケータイも、GPSもありません。

祖父は私が物心ついたときには、

パーキンソン病を患っていて、ほぼ寝たきりの生活でした。

しかし、まだ小学校1,2年生の私が

一人で泣きながらやってきたことに驚いて飛び起き、話を聞いてくれたのです。

その上で母や叔母に電話をかけて、一斉招集をかけてくれました。

夜になって、祖父母宅へ全員が集まりました。

叔母に連れられて、従兄弟もやってきました。

そして急遽始まった親族会議

祖父は従兄弟虐待事実を問いただしました。

気が付けば、祖父と従兄弟が殴り合いの大げんかになっていました。

戦争を生き残ったとはいえ

もう70過ぎの、しか普段寝たきり生活祖父です。

兄弟は当時二十歳そこそこで血気盛んな年でしたから、

いきなり呼びだされて、殴られたことで、

「このじじい」みたいな感じで殴り返していました。

それでも祖父は顔を真っ赤にして踏みとどまり

最後は従兄弟を叩きのめしました。

「力」には「力」で教えないとわからないんだ!!

しか、そんなようなことを言っていたように思います

この一件があってから、さすがに状況は改善され、

虐待されることもなくなりました。

一人で祖父の家までいけてしまうということがわかったためか、

今までのように叔母の家に送られて、迎えに来るまで待つ必要もなくなり、

親が仕事で忙しいとき祖父の家まで行くようにもなりました。

母を含めて、身近な何人かの大人必死でS.O.Sを出していたのに、

それをちゃん受け止めてくれたのは祖父だけでした。

いまもどこかにあの日の私みたいに「助けて」を言っている子はいのでしょう。

それを聞いてあげられるかどうか、気づいてあげられるかどうか

子供の言うことだから聞く耳を閉じてしまっていないか

この社会にいる人みんなに考えてもらえたらと思います

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