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2023-05-29

バンドのことについて

バンド名は伏せるが、思った事をつづらせて頂く。

自分は某大手バンドが大好きだった。

今のアラサー世代なら名前を聞けばわかると思う、

そして最近若い子のファンも新たに獲得しているあの有名バンドだ。

xx年間ほどファンだったが、今日を持って辞める。

増田ですまん。

もしここで

・辞める宣言など必要ない

・彼らはエゴサしまくっているからバレたら傷つく

・そんな事を読んだ私とファンと彼らが傷つく

・老甲斐〇ね

という思いを若干でもしたなら今すぐにこのウィンドウを閉じて欲しい。

匿名ダイアリーを書くのは自由だ。

見ないのも権利だ。

特に新規ファンは見ない方がいいのでさよならしてほしい。

上記のように「彼らはエゴサしまくっているからバレたら傷つく」

という意見が多々あるようなので、バンド名は伏せておく。

~~【ファン視点ファン層】

・昔からファンが多いが、離れていった人も多い

ファンから見ればコロナ禍での動きがなかったのが良いとも思えたが、

他のバンド音楽を守る為に無料配信したりインスタライブをやったり、

色々していた。彼らは何もしなかった。

いや、影で曲を作っていたのはわかる。

けれどもファンに知るすべはなかった。それが歌を作る彼なりの美学的なものなのかもしれない

新規ファン獲得にシフトしている。

企画がっかりしたという声を自分はよくきいた。

自分も一ミリも見なかった。人は変わっていくものから仕方のないことだ。

ファンクラブをつくらない主義なのは理解したし、それが好きだった。

だが席代の爆値上げ。仕方ないのかもしれないが、そういう区別差別をしない人なのだと思っていた。

何故なら「音楽が全ての人に届くように」という意志のもと、近くの席とか遠くの席とか分け隔てなくやってくれていたと思っていたから。

多分彼らも彼らで運営に動かされて物凄く大変なのだろうが、

自分意思を通さないんだなあと、今回の席料の変化で改めて思った。

ファン層が異様に攻撃である

マスコットキャラクターがいるのだが、そのキャラ玩具にして絵をかいたりモノをつくったりするのはギリセーフとして、

マスコットキャラを使って痛々しい表現をする人が平気でいる。

さらに完全に模造品を作り、ばらまいている。

オリジナルイラストだったりであれば問題ないとは思うが、それも運営ファン層の遊び心を許されている範囲

ロゴをそのままコピペしたりしたグッズを友達以外に配布するのは駄目。

ただ、そういう「めんどくさいことはわかんないし自分がたのしいからいい」という人がすごく多い。

ダメなことをダメという人が淘汰される傾向がある。

ファンは離れたり、入れ替わったり、新しくついたり、色々いる。

それはどのアーティストでも同じこと。

ファン内の謎のルールがあったり、世間一般から見れば異様だったり、もっと言えば宗教じみていたりする。

ライブ会場でのマナーが良いようで悪い。

スマホぱしゃぱしゃ、自撮り、本人撮影、蜜六あたりまえ。

蜜六と〇〇交換しませんか?なんて平気で連絡がくる世界最低。

・一方で80%はまともなファン問題はのこり20%くらいの人たち。

・心に傷を抱えた人が多く、優しく、繊細で、脆い。

からこそ、感情的な人が多い。感情的なのは良いが、匿名で人を攻撃する攻撃性の高さは圧巻。

こういう方はこういう事を、ターゲットを探しながら永遠に繰り返すのだろう。

上記のような行動をする人が一定数いる。

物凄く大事ことなのでもう一度言っておくが

80%はまともなファンだ。

~~【本人たち】

・これは知る由もない。ので客観的に感じたこと。

上記に書いた通り、ファン思いに感じさせているのはすごく上手なのだ

コロナ禍での動きが無かったり、思えばライブ終わりはいつも

・・・・・・いうのは野暮なのでやめておこう、(と思ったら何か動きをしてたらしい)

(インスタとかやってませんでしたっけ…まああの人達らに向いてないんでしょうね……)

・グッズ。もういうことない。

・いい意味でもわるい意味でも、商業バンドなんだな、という感想最後に感じた。

追記したいので書き直したというか一回削除しましたが

何かアプリを出したらしい。内容知らないけど。チラっとなんか見えた気がしたけど。

課金制あるんですかそうですか。

アプリ作るのに金かかるのもアップデートやら申請やら莫大な費用かかるのはわかるよ。

から無料アプリ存在するんだけど、広告で儲けてるんだよ。

あのキャラは「お母さんが100点をくれた時」に描いてくれた子だったような。

みんながぬいぐるみをぶらさげて歩く光景すら違和感があったのに、

うそれでいいんだと思った。

ファンクラブは作らない宣言は何だったんだろう。(ぼんやり)(FCじゃないって言ってる人がいるからいいのか)

(でも客観的に見て今後FC化する恐れはあるよな)

・ある一人がやらかしたのだが、ファンもほぼ受け入れているし、

メンバーも受け入れている。これがどうにも理解できない。

メンバー仲良く(見えるよね、そりゃファンからしたらね)音楽をやっていることに、

違和感を感じているひとが、まるで異物みたいである。

この一件で、私はメンバーを受け入れられなくなった。

・彼が神だ、聖人だ、と言われているのはわかる。

じゃああとのメンバーは?と思う。メリットと言えば仲良しバンドだと言えることであろう。

それだけで充分に人気を保てるし、バンド名で安心するだろうし。

ただ、歌手がもう一人だちしてもいいのではないかなあと思う。

と、まあ簡単に思いつくだけでも上記があげられるのだが

それでも非常に感謝している。

勇気も元気も楽しい想いでも素晴らしい友人も離れてもそばにいてくれる友達もいる。

ももちろんいる。いまの色々な事の糧になっている。

自分人生形成してくれたものひとつである

とても大事もので、宝物だった。

ありがとう、その気持ちだけは物凄くある。

矛盾しているように感じるかもしれないが、本当にありがとう。と思っている。

~~ツアーラストに行った。

ファン層はがらりと変わり、昔から風物詩だったグッズ交換会やら何やら色々あったみたいだが、そこはもはやよく知らないので割愛する。

年代は様々だが、第一印象は「若返ったなー」という気持ち

もちろん昔のグッズを身に着けているひともいるが、20代前半くらいの人の姿も目立つ。

楽しそうで羨ましかった。

自分も楽しんでいる中の一人だった。

さいたま新都心駅を降りた時、ピアノ演奏をしている人がいて、

「なんの曲だっけ」と思いつつ素通りしたが、上手だった。

けやき広場は久々だ。

彼らで言えば〇年ぶりか。

コロナ禍もすっかり終わり?なのかアルコールも売っていてあの頃と変わらない新緑の広場

あの空間でいろんな友達と待ち合わせしてあったりしたなあ、と思い出す。

綺麗な想い出は綺麗なままだ。

今でも仲良くしてくれている子とあったのもあそこだ。

多分あのころ大親友で大好きだった子も来ていたのだろう。

人生っておもしろいな、と思う。

人は変わる。

あなたが変わらなくても自分は変わる。

彼らも変わる。

想いも変わるし、ルールも変わる。

知らないうちにいろいろ変わっている。

この数年間のうちに誰かを亡くしたり、誰かが結婚したり、誰かに子が生まれたり、沢山あっただろう。

アーティスト歴の長い彼らは「普遍性」を求められる一方で「変わらなければいけない」こともたくさんあるだろう。

全て理解した上で、自分はその「普遍性」をとても高潔ものだと感じていたことに気付き、

普遍性」って良いようで悪いし、悪いようで良いし、一見宗教じみでるし、本人たちも大変だろうし、

大変じゃないように意識しないようにしているのかもしれないし、運営うまいことやってるんだろうし、

でも、ず-っと、仲良しでやっていかなければいけないのって大変だろうなあと思った。

もう大人から大丈夫だろうけど、20代の時とか凄かったよね。

まあそんなふうに人は変わっていくものなのだ。それは、忘れないで欲しい。

今でいえば推し活だったのだろう、色々なこと。

今では全くやる気にならない。

ちなみに誰の意見も読んでいないし、これを投稿したところで、コメントを見るも見ないも決めていない。

そのくらいどうでもよくなってしまったのが、事実だ。

冷めたことをわざわざ記事にする必要はないのではないかという批判は来るだろうことはわかっている。

だが、そういう風な思いをしたり、或いは他の理由で去っていった人が、

自分の知っている限りで物凄く沢山いる。

そして、その人たちは別のところで音楽を楽しんでいる。

彼らと私の最後ライブは、楽しかった。

色々思うことはあった。

はっきり言って、マナーは悪かった。

ファンの若返りが進んでいるのだから仕方ないかもしれないが。

「〇〇しないでください」と言ってることをするのは、小学生でも理解できるだろう。

あとは個人的意見ではあるが、少なくとも、弦の響きが消える瞬間まで拍手しないか

煽られたら拍手するか、そこらへんは常識だと思っていたが。

それも自分ルールしかいかもしれないしな。

ただ、最後に独特のソロフレーズがある曲の一瞬終わりだと思わせる空白の時間拍手するのは

「この人この曲聞いたことあるのか」と思ってはしまう。

そういう細かいところを気にするのも良くないんだろうし、自分が間違っている可能性もあるのだが、

でも。せめて曲を大事に聞いて欲しい。曲を大事に聞かせて欲しい。

ああ、いや、違うか。

彼は「自由に楽しんで」と言っていたので、あっているのか。

自分重要ソロフレーズの直前に拍手されるのは違和感を感じるが、彼らがいいならもういいか

ライブの詳細は伏せる。

今更ネタバレも何もないが。

彼に最後に言われた。

「また絶対会おうな」

曲にもたくさん言われた。

歌詞フレーズ引用するとばれるので言わないけれど。

でもな。

自分は、今日さよなら、と思って首を横に振った。

やっぱり最後は凄く、泣いてしまった。

タオルすら持ってなかったのは失敗だった。

凄く好きだった。

xx年間、大好きだった。

〇にたいと思った日に、いつも支えてくれた。

怖い時に隣にいれくれた音楽がたくさんあった。

過去アルバムなら歌詞は全て覚えてる。

言われた言葉も暗記している。

こんなに大好きだったのに、彼がしたかったらしい「約束」がもはや

本当に本当に真っすぐ綺麗な純粋ものなのかどうか信じられなくなっていたし、

もうこんな気持ちに変わった自分は来る必要性はないのだと改めて感じた。

好きだった音をまた聞く機会があるのかないのか、と言ったら

現時点ではないと言い切れるが、

未来に何が起こるかわからない。

大地震がおこるかもしれない。

噴火がおきるかもしれない。

誰かがなくなるかもしれない。

その時にまたあの音が、自分幸せにしてくれたり、強くしてくれたり、弱くしてくれたり、

自由奔放にさせてくれたり、色々な経験を積ませてくれたり、友達を全国に作らせてくれたりした、

あの優しい音と歌詞が頭の中に聞こえてくるのかもしれない。

その時はその時で、未来予知なんて自分にはできない。

完全に自分勝手な記事だが、これが今自分が言える限界だ。

もっと言いたいことは沢山ある。

おひとりおひとりと対面で話して、あの時何故。と言いたい人もいる。

あれは何を思って。

彼らの音楽の何を聞いて、何を思って、そうなったんだ?と言いたい人もいる。

けど、もう関係のないことなので本当にどうでもいい。

さよなら

ずっと、ありがとう

2023-05-27

マッチングアプリをはじめて人生が少し良くなった気がする

マッチングアプリを始めて1年くらいたったんだけど、年収とか顔写真とかマッチやすくなるために必要ものはたくさんあるのはわかってた。

でもマッチングアプリ関係を構築する上で避けて通れないのが「雑談」だということは始めるまで気づかなかった。

雑談」…正直これまであまりしてこなかった。

学生時代友達家族とはそりゃするけど、まだよく知らない相手と急に雑談をしなければいけないというのはかなりハードルが高い。

本来「しなくていいこと」なんだよな雑談て。しなくていいことはしないほうがいいと思っていた。

雑談はいわば無から有を生み出すに等しい。自分にとってはそれくらい難しい。

先の見通せない真っ暗なジャングルで道なき道を進んでいくような心細さがある。

相手がノリノリで話してくれれば、少なくともその時はいい。でもそういう相手おんぶにだっこコミュニケーションはいずれ相手に飽きられてしまう。

飽きられるというか、雑談て共同作業から二人で一緒に楽しい時間を作ってゆこうという感じのふわっとした結束感が無いと、その先の関係性を構築しようという気にならないのだろう。

そりゃそうだ。だって将来は共に楽しく暮らそうって相手を探してるわけだから最初の共同作業すら丸投げする人間は見込みなしと思われるにきまってる。

雑談」が必要だ、ということに気づいてからはとにかく打席に立つ、試行回数を増やす、それ以外にやり方がわからなかったから。

そうしているとだんだん「道」が見えるような感覚があった。

さっき真っ暗なジャングルと言ったが、一見何の手がかりもないようなジャングルの中でも相手の口ぶりや間から獣道のような突破口を見つけることが増えてきた。

あるいはかつて自分が通った道、話題デッキという道しるべがある方角。

そういう特訓の結果、雑談スイッチのようなもの自分の中に生まれた。

例えば仕事中の取引相手と、昔なら仕事の話が終われば「あ、じゃあこの辺で…」と言って別れていたところで「獣道」が目にとまる。軽く一言二言、相手の様子次第では数分間の雑談をしてから別れるようになった。

そしたら最近はなんか仕事がしやすい。

はっきりとした変化じゃないけどちょっとした頼み事とか相談をしやすくなったし、されるようにもなった。

マッチングアプリをはじめて人生が少し良くなった気がする。

彼女はできてないけどな。

anond:20230526043327

回避HSPの併発って言われると、それもう回避じゃなくてNPDの過敏型が正体じゃないの?


自己愛パーソナリティ障害

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E6%84%9B%E6%80%A7%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E9%9A%9C%E5%AE%B3

回避傾向を持つ群

騒々しく見栄っ張りで、傲慢で人を利用するという明確な自己愛パーソナリティ障害人物像とは対照的に、過度に傷つきやすく、失敗を恐れ、恥をかかされることを心配するために人前に出ることを避ける過敏なタイプ自己愛パーソナリティの人々がいる[48]。彼らは周囲の人が自分にどういった反応をするかに非常に敏感で、絶えず人に注意を向けている。批判的な反応にはとても過敏で、容易に侮辱されたと感じる。人に非難されたり、欠点を指摘されることを恐れ、社会的に引きこもることで葛藤を避け、自己の万能世界を築きあげようとする一群である自分は拒絶され軽蔑されるだろうと確信しているために、スポットライトを浴びることを常に避ける。表面的には内気で抑制的に見えるが、その実、精神内界には誇大的な幻想を抱えており、自己愛活動の大部分を空想の中で行い、それを人に知られないようにしている。彼らの内的世界の核心には、誇大的で顕示的な秘められた願望に根ざした、強い羞恥心がある。

一見すると慎み深く、ときに深く共感的に見えることもあるが、それは他者純粋な関心があるように見せたいという彼らの願望を取り違えているだけである。彼らは自分の心的防衛の最終段階にある抑制的な行動しか目に入らず、自分のことを恥ずかしがり屋で自己主張ができない人間であり、当然受けるべきものも得られない性格だと考えていることがある。現実には持続的な人間関係を持つことが出来ず、共感性の欠如を示し、内に秘めた誇大的な自己像は慎重な面接を繰り返していくことで徐々に明らかになっていくのが、潜在型のナルシストの特徴である[48]。

アメリカ精神医学会精神障害の診断と統計マニュアルDSM)において、自己愛パーソナリティ障害人物批判挫折に伴う傷つきに非常に敏感なため、社会的ひきこもりの人々にも見られることを報告している[49]。グレン・ギャバードは、潜在型の自己愛パーソナリティ障害の人々は回避パーソナリティ障害や社交恐怖と多くの点で関連していることを指摘している[50][51]。また牛島は、現代操作診断基準DSM)においては顕在型の傲慢タイプ自己愛パーソナリティ障害と診断されるが、潜在型の過敏なタイプ回避パーソナリティ障害(あるいはスキゾイドパーソナリティ障害)と診断されてしまうことが少なくないと述べている。これらは精神力動的には同じもので、単なる表裏の問題に過ぎず、背景にある自己愛性の問題を把握することが必要であることを指摘している[52]。また丸田は、典型的症例は無関心型と過敏型の特徴のどちらかを示すが、臨床的にはほとんどが両者の混合型であり、ひとつの症状軸である他者の反応に意を介さない vs 他者の反応に対して非常に敏感」を取り上げても、その反応は振り子の両極のように大きく揺れ動くのが特徴(健康な人は揺れが少ない)という点を指摘している[53]。現実自己愛パーソナリティ障害は、ギャバードの分類した無関心型の極から過敏型の極へと至る線上のいずれかにプロットされると考えられる。

自己愛パーソナリティ障害は、対人関係における搾取的行動、共感性の欠如、激しい羨望・攻撃性・自己顕示欲という諸々の特徴を示す[57][58]。彼らの持つもう一つの側面は、その傷つきやすである意識的レベルでは、それは無力感空虚感、低い自尊心羞恥心に由来するものである。それは彼らが求めたり、期待する支持が与えられない状況や、自己主張が不可能なために退避するような状況において、親しくなることを回避するという行動で表現されることがある[58]。自己愛病理は軽症から重症まで連続的な広がりをもち、その自己表現形式も多様である

仁藤夢乃ジャニーズ被害問題に出てきている理由は「ホスト業界への貢献」

理由は2つある。

1.「辞めジャニ」(辞めジュ大量発生によるホストの質アップ

ホスト世界で「辞めジャニ」(または「辞めジュ」)という用語がある。ジャニーズ(主にジャニーズJr.)を辞めてホストに転身した人のことだ。

こんな用語が出来るくらいなので辞めジャニホストの人数は結構いる。これは一例。

https://chamchill.jp/host/host-column/ex-johneys-jr/

もしジャニーズ性被害問題もっと炎上して、今ジャニーズに居るジュニアや若手達が立ちいかなくなったら、ホスト業界に流れ込むことが容易に予想される。

ホスト業界に肩入れしている仁藤夢乃にとってはぜひそうなって欲しいだろう。

2.「ホス狂」増加によるColabo需要のアップ

辞めジャニホスト転身急増により、所謂「ホス狂」(ホスト狂い)にクラスチェンジするジャニオタが多数発生することが予想される。

ジャニオタがホス狂になる可能性は現時点ではあまり高くないのだが(バンギャからのホス狂転身のほうがはるか確率が高い)、辞めジャニホスト転身が急増すると話は変わってくる。

そして、辞めジャニを追っかけてホス狂になった女子は、漏れなく体を売ってホスト資金を稼ぐようになる。

こうなればもうホスト業界ハウハだし、Colaboの需要も爆上がりだ。あとは説明を省く。

まとめ

ジャニーズ性加害問題とColaboは一見無関係そうに見えても、利害関係を紐解くといろいろ見えてくる。仁藤が顔出してきてもおかしくないのである

anond:20230526141354

脳内嫌悪対象の像ができあがってて、そいつに行動を支配されてるよね。

一見不可解な仁藤イズムはそれで説明できるし、

同じ嫌悪対象の像を共有できる人たちからは何があっても擁護されるよね。

男性的で(女性的でない、私達とは違う)、嫌悪を催す、邪悪な何かを倒さなければならぬという教義なんだよね。

「行動しないで失敗するより、行動して失敗しろ」と言ってる人ってFX競馬で全財産溶かした人からは目を逸らすよね

「行動」することが重要じゃないんだよなあ……。

自分なりのロジックを組み立てた上で、失敗した時でも次に繋がるような決断を取った上で、行動しろ」じゃないと駄目なんだよなあ。

大事なのはロジックを組み立てること」「実際にそれを持って決断すること」なんだよ。

成功した人のやり方を上辺だけ真似してる人はそれが見えてないから、外から見て分かった気になり「行動すればいいんだ!」と思ってしまう。

サイコロ振って模試で良い点取っても何の意味もねえのよ。

そもそも「行動しない」って人生においては一切不可能で、「現状維持」も行動だし「撤退」も行動なんだよね。

雪山遭難して無理に動かないで待つのも「行動」だろ?

問題があるのは「決断材料をこれ以上増やせる目処や、状況の変化を待たなければいけない理由がないのに、決断を先伸ばしにする」ってことだよ。

一見何もせずに1日経過したように見えても、そこに「1日待つことを決断した結果の1日」と「単に決断することを先延ばしただけの1日」だったら全然違うわけ。

とにかく行動しろ論者はそこが分かってない。

まあ確かに行動って決断してるように見えるけど、状況に流されて漠然と動いてるだけの行動だったら実際には何も決断してないよ。

たまに居るんだよなあ……「上司現場見てこいと言ったから来ました」で本当に何も考えずにやってきてる奴とか……ああいうのは全く何の決断もせずに行動していて、全く次に繋がらないパターン

こういう「行動しただけで満足」みたいな奴、「行動させたから成長したはず」みたいなソイツの上司、ほんっとうっに考えがスッカスカすぎて苛つく。

2023-05-26

anond:20220602113845

無印良品家具って棚のサイズとかを頻繁に変えるから「これ壊れたから交換しよう」というのができない。

長く使い続けられるみたいなイメージだけど、そんな事無くて。

なんか一見清楚に見えるけど実はビッチみたいな。

消費者サイドが何もかも激ショボだと言わないといけない

消費者自身が満足しないことが需要

人の欲は無限大

すなわち経済的フロンティア無限大

今までになかったいいものが作られること

一見したことのないバージョンアップでも有給をとって店舗に並ぶように消費者が正しく評価すること

2023-05-24

anond:20230524121255

開発者が男だとなぜわかるのか。

一見そう見えても性自認は違うかもしれない。

男が求める会話の正体はすべて自慢です

一見マウントじゃないように見せかけてマウントする

iPhone使ってるんだ」→Androidの方が安くて性能いいのに情弱だなの意

「なかなか趣味時間取れなくて」→おまえと違って仕事バリバリやってるんだぞの

マックなんて何年も食べてないな」→そんな安い食事をするのは若い頃だけだよ。大人もっと良いもの食べないとの意

  

相手の話に繋げてさらに上回るマウントを言う

相手最近Youtubeでみた◯◯っていうキャンプグッズを買ってさあ」

返答「ああ。あれね。俺は△△を使ってるよ」→おまえより高級な品を使っているの意

相手最近ギターにハマっててさ」

返答「あー。学生のころ俺もやってたわ」→俺はとっくに習得してるぞ、今頃やってるんだの意

 

自虐マウントを言う

ボーナス去年より相当下がったな」→自分より小さい会社の男にだけ言う、俺は大企業勤務だぞの

「嫁がうるさくてさ」→ニコニコしながら発することで夫婦円満かつ嫁の意見も聞く理解ある夫だぞの

 

④以下同じような内容でキャッチボールする

これがいわゆる男性の会話。

言葉を交わすたびにマウントを挟める隙を見つけてはマウントしていくという行為意識せずに行える。

もちろん直接マウントする男もいるが、そういう男は敬遠されるので意外と隠れマウント会話の方が多い。

ただ女にはほぼ通じないアピールなので女相手だと焦って直接的なマウント会話を披露してしまう。

そのため女に「さしすせそ」で返させるだけで喜んじゃう。

さ→さすが

し→しらなかった

す→すごい

せ→センスいい

そ→そうなんだ



⑤ちなみに男のいう論理的な会話とはこれ

「へー。iPhone使ってるんだ」→ Androidの方が安くて性能いいのに情弱だな

「そうそう。やっぱ見た目がいいからさ」→ Androidダサい

スペックはどんな感じ?」→ Androidの方が性能いいのに

A15からかなり速いよ。ゲームサクサク」→必要スペックは満たしてる

「ふーん。iOSって最近どんな感じなの」→Androidに多少は追いついたのか?

「最新バージョンだとこういうのとか、こういう感じかな」→ AndroidカスタムしなきゃいけないけどiOS最初から使いやす


https://anond.hatelabo.jp/20230522140610

2023-05-23

デスノートでLが最期に「が…ま…」って言ってたけど

真剣に考えたら何だと思う?

①が…間違っていてほしかった…→月との間に友情が芽生えていた。

②が…まだ手はある…→ニアとメロの存在示唆した。

③が…負けか→一見潔いが、ニアの話でLがゲーム感覚事件解決してる事が判明するのでゲームクリアならずみたいな感じで逝った。

④が…松田がいる→馬鹿野郎がふざける伏線

anond:20230523015651

極論訴えれば勝てるからまだマシ

女は嫌いなコンテンツを消したいがために「性差別子供のためといった一見否定しにくい大義名分」を掲げるからタチが悪い

それでいて本人は腐女子で「性別反対にしただけの似た様なコンテンツ」を好んでるみたいな例が多い、今回もそう

2023-05-22

インドのモディ、クソすぎない?

ウクライナ問題政治問題でも経済問題でもなく人道的な問題

↑コレって一見ロシア非人道的行為のことを言っているように見えるしゼレンスキーに対してはそう取られるように言ってるけど、

この戦争きっか自体ロシアの主張する「ドンバス地域で人道犯罪の餌食になっているロシア系住民の救済」だから

捉えようによってはウクライナ側の非人道的行為を指していると主張することもできる。

少なくともロシア側に発言とがめられてもそのように言い訳できる。

八方美人というか二枚舌というか、ダブルミーニングを使いこなして非同盟を貫く姿勢みたいなものを感じたけどやっぱクソすぎるわ。わがままモディ。

自分がいるところを応援したくない

学校体育祭球技大会日本代表戦といった、「自分がいるところを応援しよう」的なムードにどうしても嫌悪感を感じてしまう。

理由はわからないが、否が応でもこの状況を見せられ、そういうことを強制されるような雰囲気になるのが受け入れられない。

ここでは、そのエピソードを紹介する。

体育祭

小学校は赤白に、中学以降は多数の色に分かれて多くの競技より得点を競う体育祭

士気鼓舞すべく、組ごとに黒板に絵を描いたり有名歌謡曲替え歌を作ったり掛け声を挙げたりで絶対優勝しようと騒ぐ。

私は、小学校のころから、なぜそこまでして優勝を目指したいのか、なぜ別に優勝などどうでもいいと考えている人まで巻き込もうとするのか理解ができなかった。

ここでは体育祭の話のみをするが、球技大会などその他チームを組んで競い合う行事すべてにいえることである


時は流れ、何の因果か、私は教育実習生として、体育祭前の学校にいた。

生徒だけでなく教師絶対優勝しよう的なことを言っていたが、ますます理解できなかった。

まり嫌悪感が激しいので、終業前の学活でこんなことを言った気がする。

「負けろ」だとか「優勝は諦めろ」みたいなことは言わない。

だが、優勝に固執したり、その結果他のクラスとの関係が悪くなったり見下してはいけない。

しかしたら優勝できない、場合によっては最下位のこともあるだろうが、もしそうなったとしても「これでよかったんだ」と思えるようになってほしい。

自分より上位のクラスに対しても、下位のクラスに対しても、惜しみない拍手を送ってほしい。

他のクラスも「敵チーム」ではなく、同じ仲間だ。

その相手に対して負けろだとか自分クラスが勝つだとか思わず、お互い応援しあって、楽しんで体育祭を終えてほしい。

それと、体育祭へのモチベーションは生徒によってさまざまだが、くれぐれも優勝しようというムード強制するようなことはしないでほしい。

幸い内心は指導教員にはバレず、怒られたり大学クレームを付けられたりすることはなかったが。


その1年後、私は教師として学校現場に赴任した。

どこもそうなのかもしれないが、やはり生徒も教師も似たようなことを言っていた。

バカバカしいので授業の際に「あんまり無理すんなよ。優勝なんかより心身の健康大事から」的なことを繰り返して言った。

同じチームの教師からは「チームが優勝できるよう応援してください」と言われたが、ハイハイとだけ言って、あとは見守るだけに徹した。

日本代表

2年に一度(夏季冬季)のオリンピックに加え、ワールドカップWBCその他において、日本代表というチームがあって世界各国の代表チーム試合を行う。

これはスポーツだけでなく、ノーベル賞など、日本人が参加するあらゆる競技や賞で起こる話である

テレビ新聞インターネット…あらゆるメディアでこのことが取り上げられる。外出してもビル電車の画面に映ってくる。

否が応でも見せられるのだ。

しかも、どのメディア最初から最後まで口をそろえて日本側を応援する。一見中立そうに見えても最終的には日本側の勝利言及する構成となる。

中には日本が負けそうになると中継を別の競技に変えたり、負けると(ノーベル賞場合日本人候補者が選外になると)軽く扱って次の話題にすることもある。

まり日本に肩入れしない取り上げ方をしているところ、あるいは相手チームを応援しているようなメディアはないものか。

(日本の負けを望んだり、日本が負けて喜ぶのはまあいいとして、個人的にはそれで相手を全速力で煽るシバターみたいなのはいただけないが)

考えていること

なぜ、そこにいるというだけで、同じところのチームを応援しないといけないのか、理解に苦しむ。

あくまでただ偶然彼らと同じところにいただけであり、彼らやチームとは何のつながりもない。それなのに、なぜ応援しなければいけないのか。

(別に愛着を持ってここにいるわけではないので、勤務条件や文化などでもっといいところが見つかればさっさと移住したいとも思っている)

自分がいるところ以外を応援してはいけないのか。一歩離れたところから傍観するだけではいけないのか。


なんというか、自分がいるところ(特に日本)だけを応援するムード気持ち悪くて仕方ない。

どうすればいいんだろう。

2023-05-21

anond:20230521010046

聞かれた事に増田がそのまま答えてるから会話が広がらないんじゃない?

昔、お見合い職業を聞いたら「夢を売る仕事ですw」って答えてくれた女性が居たんだよ。

そう言われたら凄く気になるじゃん。舞台俳優アイドルアスリート

実際はマットレスメーカーの開発かなんかの人だったんだけど。

それを「夢を売る」って表現するところが会話を楽しませようとしてくれてるんだなって思って好感を持った。

住んでる場所でも同じだよ。これは俺の話だけど、俺は多摩センターに住んでるんだけど住んでる場所聞かれて多摩センターなんて言っても全く盛り上がらないし、どこ?って言われて終わりだから毎回サンリオって答えてる。

Q.住んでる場所は?A.サンリオ 一見意味不明だけどサンリオで埋まった多摩センターの駅の写真とか見せるとかホントサンリオだ〜ってなるし、ちょっと盛り上がるでしょ。


相手に興味を持ってもらいたかったら相手が興味を持ちそうな回答をしなきゃ話にならんよ。

住んでる場所聞いて馬鹿正直に多摩センターって答える奴に興味なんか持てるかよ。

アンフェ事情忖度する最近アニメモヤモヤする

最近見たロボットアニメモヤモヤしている。


アニメでは「親子の関係」みたいなのもテーマの一つで今流行毒親要素も描かれている。


主人公母親主人公に対して優しい言葉をかける一見優しい母親で、

ヒロイン二人の父親はどちらも「子供の事なんて考えずに一方的自分の考えを押し付ける」という、いかにもな高圧的毒親タイプ


しかし話が進んでいくと、実は父親は物凄く不器用だったり一方的ながらも、彼らなりにヒロイン達の事を思っている一方で

主人公には優しかった筈の母親は、実は主人公の事なんて大事でも何でも無く(実の親子では無いらしい)

目的の為に「優しい母親」を演じているだけに過ぎない、という描写になった。


そして物語が進み、毒親だった筈の父親達は、ヒロインを命がけでかばったり、

かと思えばもう一方の父親はお互い知らないままヒロイン攻撃しあって、最終的にはヒロインに刺されて殺されるのに

死ぬ間際に「お前が、生きてて良かった…」みたいな事を言って

刺した事を責めないばかりか無事に生きている事を安心して死んでいくという

厳しい父親が実は子供の事を不器用に強く思っていて…という、ありがちながら古き良き父親像が描かれるのに対し

一方で母親は、主人公を相変わらず優しい言葉洗脳し数人を犯させるという、サイコパス的な毒親に描かれて辛かった。


何がモヤモヤするかって、家庭を顧みず子供を押さえつけ支配しようとする父親」でも、実は子供の事を強く思っているのに

「ひたすら優しく前向きな言葉をかける母親」は、実は子供の事なんてなーんも考えてない冷酷な人、と描かれている事。

別に父親=悪!母親=善!というステレオタイプな親子の関係の描き方が必ずしも悪い訳では無いにしろ

それにしたって父親を良く描き母親を悪く描きすぎなんじゃね?って思った。


昨今のフェミニズムに対する反発やミソジニー揶揄して描写している(そしてその否定も今後描かれる)

というのであれば、まだ納得いくんだけどね……今の所は正直あまり期待できない。

話の筋は面白いだけに、親子関係描写についてはあまりにも紋切り型モヤモヤというよりイライラする。

家父長制肯定?この辺りも最近のアンフェ事情忖度とかしてんのかね…

後で否定描写入るにしてもちょっとね…


まーアニメ自体が男中心の男性社会に合わせてるからかも知れないけどさ。

自民脳や壺オタク、暇アノンとかも絶賛しているみたいでそこら辺のポイントが合わないのかもしれない。

社会性が無い彼らと同じ作品を楽しんでいる事自体が凄くキモい……

2023-05-19

実録!ホントにあった怖い大阪

知り合いに難波って名字の子店員してるんですが、知らない一見から梅田ちゃーん」呼ばれたんですよ。あーはいはい対応すると「そこはもっと南や!言うとこやろ!」ってキレられたんですって。怖いわあ大阪

anond:20230519121739

動画形式だと、必要情報があるかどうかも一見ではわからないし、動画内にあるとしてもシークバー動かして探さないといけないでしょ。

文字形式ならそんなことせずともページ内検索すれば、必要情報があるかどうか一発でわかる。

自称コンサルタントツイッタラー過去パワハラ体験を美化するな

ああ、まただ。またあのコンサルタントを名乗るツイッタラー過去パワハラ体験を美化している。

彼は過去パワハラ体験を「成長の糧」として語り、それを経験たからこそ今の自分があると言う。それは一見、強さや成長を示すように見えるかもしれない。しかし、それは過去パワハラ体験を美化し、パワハラ合理化する危険行為だ。

心理学では、これを防衛機制の1つである合理化」と呼ぶ。つまり過去パワハラ体験を「成長の糧」として美化し、パワハラ合理化する行為だ。しかし、これは危険思考パターンであり、パワハラ被害者パワハラ正当化する結果を生む。

このような思考パターンコンサルティングファーム社員に広まると、組織全体に悪影響を及ぼす。パワハラが「成長の糧」とされると、パワハラを受けた社員パワハラを受け入れ、それを正当化するようになる。これは組織生産性を低下させ、組織風土悪化させる。

コンサルタント自称するツイッタラーは、自身の影響力を考え、過去パワハラ体験を美化する行為をやめるべきだ。それはパワハラ被害者にとって、またコンサルティングファーム社員にとっても、そして組織全体にとっても有害だ。

2023-05-18

生成型AIは全く役に立たない

生成型AI、その実、全く役に立たない存在だと言えるでしょう。一見すると我々の生活を便利にするかのように見えますが、実際にはその背後には見過ごされがちな深刻な問題が潜んでいる。それは生成型AIが、我々人間自然共存するという原点から逸脱させているという事実だ。

第一に、生成型AIは我々が自然環境に対する理解を遮る可能性がある。AI存在は、人間現実世界から離れ、仮想世界に足を踏み入れるように促す。その結果、自然界とのつながりが希薄になり、その結果、環境問題に対する理解という重要視点を我々から奪う。

第二に、生成型AI人間自然界と調和して生きるという能力を弱める可能性がある。人間進歩は、自然界と調和し、そのリソースを持続可能方法使用する能力に大きく依存している。しかし、生成型AIの便利さは、我々が自然環境との関わりを無視し、AI依存する生活を選ぶことを促す。

第三に、生成型AI人間自然環境に対する尊敬の念を損なう可能性がある。人間文化芸術は、しばしば自然からインスピレーションを得る。しかし、生成型AIの出力は無機質で、その内容は自然界の美しさや力強さを再現することができない。これにより、我々の文化芸術はその深みと繊細さを失う可能性がある。

最後に、生成型AI地球リソースを不必要に消費する。AIの開発と維持には大量の電力が必要で、それは地球の有限なリソースを使い果たす。こうした消費は持続可能社会を築く我々の努力に逆行し、地球生態系さら危険晒す

以上のように、生成型AIは我々の自然環境との関係を損ない、リソースを浪費するという観点から、「全く役に立たない」と言える。AIの開発と使用に際しては、自然環境との関係を深く考えることが重要だ。我々は、技術の便利さに目を奪われることなく、自然との調和を最優先に考えるべきだ。

  安倍晋三犯罪一言でいうと、こいずみじゅにいちろう場合時代東京が全てであったのに対し、安倍晋三場合政治政策は、一億総活躍で、その具体的きりわけは、

   東京都民は徹底的に自慢するだけでいい、仕事地方人がやるというものであるので、東京一見凄いようにみえて、安倍政権になってから東京は凄いように見えるだけで近寄ってみたら

  クソカスみたいな場所になった。

   死んだかどうかわからない安倍晋三は、馬鹿が、この社会提供したすごくいい人であるかのような悪魔的な写真掲載するが、東京に来ても分かるように、凄いようにみえるだけでクソカスみたいな

  ところである

   安倍晋三勉強をしないような人であるとか、なんとかはともかく、こいつの政治政策ウソばかりでその実相ないし正体を発見するときは、書いてあることはほとんどウソで、実は地方工場人間

  が働いているというものである。また、極めて頭の悪い児童からみればとても素晴らしい人物みえるが、その大人としての正体は、警察を背景に様々な偽計や術策を用いている悪魔であり、

   その正体をしらばしるほど、全く凄いとは思えなくなる。

  安倍晋三提供した社会とは結局のところ、頭が悪くて楽しい社会である安倍提供しようとしたこ社会は例えばイオンリテールなどの商品をみらば分かる通り、頭が悪くて犯罪性の高い楽しい

   社会に尽きる。そのような内容を提供しようとした限りで安倍晋三は愛されていたかもしれないが現在では状況が違う。

    平成24年以降、安倍晋三の悪いところの方が目立ち始め、次第にその正体、暗黒面が露呈するようになった。

    そのため、安倍晋三に対して、次第にくそが、と思うような人が増えて今のようになったのではないかと思う。

anond:20230518154925

ジャニー喜多川氏は、玉石混交少年の中から大人になった時モテる顔になる少年を選び出す能力が優れていたと言われてるね。だからジャニー喜多川氏が亡くなったら事務所としてはおしまいだとも。」

そう。「モテる」というのはつまり、人々の内に秘められた劣情、性的欲求いびつ欲望変態性を掻き立てるということ。それは大っぴらには言えない。したがって「ジャニーズファンになる」ということで合法的代替してきた。

まりジャニー喜多川は、非合法欲望一見合法エンタテイメントに変換する、欲望ロンダリング装置だった。

ジャニーズ成功させたのはジャニー喜多川性癖

ジャニーズがあれほど圧倒的な人気を博したのは、まさにジャニー喜多川変態的な小児同性愛者だったかである

一つは、彼が好む少年、つまり変態的な小児同性愛者が好むようなタイプ少年スカウトされ、登用されてきたという点。

ジャニー喜多川は、そのあたりの予見能力が圧倒的に卓越していた。

もう一つが、そのようにして選ばれた少年たちが継続的に性被害を受けることによって、パーソナリティが歪められ、立ち振る舞いや容姿、表情などが変容したという点。

何も知らずに祇園や色街に入った少女が「男」によって育てられ、妖艶さを身に着けてきたのと同じ。

ジャニーズアイドルがそのようにして「見出され」「「育てられた」「作品」だったからこそ、これだけ人々の劣情を掻き立て、人気を集めたのである

ジャニーズアイドルを鑑賞する際に得られるどこか嗜虐的な喜び、BL的な妄想、そういったものはすべて、この2点に起因する。

したがって彼の異常な変態性がなければジャニーズ成功はありえなかった。

きれいなジャニーズ」などありえない、論理矛盾なのである

一方、我々の内面には、秘められた劣情、性的欲求いびつ欲望変態性がある。ジャニーズアイドルはそれを掻き立てる。人々は、自らのこの欲望をあからさまに求めることはできない。したがって「ジャニーズファンになる」ということで合法的代替してきた。

まりジャニー喜多川は、非合法欲望一見合法エンタテイメントに変換する、欲望ロンダリング装置だった。

すると結局何が言えるか。

もしジャニー喜多川糾弾するのであれば、「ジャニーズ的なものを愛でる喜び」自体放棄する覚悟でなければならない、ということである

ヨルシカコンポーザー:ナブナが紡ぐ歌詞マジで良い

俺はヨルシカコンポーザーであるブナが大好きで、中でも特にその歌詞が好きだ。特にボカロ時代歌詞が好きだ。なので、俺が良いと思った歌詞ランキング形式で紹介する。

ヨルシカコンポーザー:ナブナについて

ヨルシカボーカルのsuisとコンポーザーはn-buna:ナブナ構成されており、もともとナブナボカロPだった。Pだった頃から”ウミユリ海底譚”や”夜明けと蛍”などの曲で人気を博していた。ヨルシカ代表曲は”僕は音楽をやめた”や”花に亡霊”。

第5位

背景、夏に溺れる(2013/8/20発表)

夏の終わりを歌った曲だ。歌詞は情景描写に終始していて、極めて抽象であるのにも関わらずびっくりするほど切ない気持ちにさせる。歌詞に時折現れる「君」との……これは何だろう? 別れではない、まるで夏の間だけ現れる神秘的な何かとの出会いと別れ? かな? 

こんな風に、よくわからないのになんかよくわかりそうで、聞き手想像余地を多分に与えている点がこの歌詞のよいところ。

“君の声が響く 夏の隅を

街に泳ぐさかなのように”

一番のサビの締めくくりの歌詞だ。この歌詞センスヤバい

君の声が響く 夏の隅を

の”隅を”のワードチョイスがすごい。通常”夏の”に続く言葉ではない。

“街に泳ぐさかなのように”の”街「に」”の”に”がすごい。普通なら”街「を」泳ぐ”としてしまいそうなところを”に”にしている。ほんとすごい。ほんと良い。

原曲と、俺が一番いいと思う歌ってみたリンク(りぶが歌ったやつ)を掲載しておく

原曲

https://www.nicovideo.jp/watch/sm21638600

りぶが歌ったやつ↓

https://www.nicovideo.jp/watch/sm24409321

第4位

始発とカフカ(2015/8/31)

 カフカの「変身」をモチーフにしたリズミカルな曲だ。しかしその陽気な曲調と歌詞のどことなく闇を感じる歌詞が独特の魅力を生んでいる。

“伝えたい事しかないのに何も声が出なくてごめんね”

“見返すには歩くしかないのに上手く足が出なくてごめんね”

これは毒虫になってしまった歌詞主人公言葉であるのは間違いない。とりあえずこの歌詞はなんかいい。すごくいい。

興味深いのは”見返すには歩くしかないのに”の”見返すには”という部分だ。ここに歌詞の中の主人公、あるいはナブナ自身の何かに対するコンプレックスや、攻撃的な意思の顕れを見ることができる。

https://www.youtube.com/watch?v=j-cQ97A0OPM

第3位

メリュー(2015/5/12)

リズムの感じはウミユリ海底譚と似ているような気がする。なんか良いんだよな……(語彙力の消失)。この曲の歌詞マジでいい。

灯籠の咲く星の海に心臓を投げたのだ

もう声も出ないそれは僕じゃどうしようもなかったのだ”

心臓が痛いから死んだふりの毎日を見なよ

もういっそ死のうと思えたなら僕はこうじゃなかったのだ”

“どうせ死ぬくせに辛いなんておかしいじゃないか

俺のお気に入りはこの中の”どうせ死ぬくせに辛いなんておかしいじゃないか”という歌詞だ。生きるのも死ぬのも嫌だった高校時代めっちゃ共感したのを覚えている。

https://www.youtube.com/watch?v=Jak2qiq_jJo

第2位

ウミユリ海底譚(2014/2/24 発表)

独特なテンポが特徴的な、900万回再生された大ヒット曲である

この曲は……アイデンティティ確立ができていない、モラトリアム期間にある少年少女が抱く不安の歌と考えればいいのか? わからん

サビで繰り返される”僕の歌を笑わないで”という歌詞がナブナ自身の思いだと推察するのは妥当だと思われるが、初音ミクが歌っているのに胸に迫るような感じがするからすごい。

“僕を殺しちゃった 期待の言葉とか

聞こえないように笑ってんの”

Cメロにあるこの歌詞を初めて聞いた時、やば!!!! と思った。人をほめたり期待したりすることも罵倒否定と同じように、その人を縛り付ける呪いになってしまう……みたいな。そういう感じ、な気がする。

https://www.youtube.com/watch?v=7JANm3jOb2k

第1位

ラプンツェル(2016/7/6)

つい最近、偶然町田ちまというvtuberが歌った「ラプンツェル」がランダム再生で流れてきて、歌詞ものすごくいい、誰が書いた歌だろう? と思ったらナブナだった。ガチビビった。

以下この曲のネタバレを含む。

この曲は童話ラプンツェルモチーフとしており、そのテーマ性はラプンツェル物語を知っていればそれほど難解ではない。すなわち、叶わない、あるいは叶ってはならない恋の歌……であると思われる。一見童話世界の歌だと思わせておきながら、Cメロ

“空いた灰皿やビールの缶が示した心象風景は”

という歌詞差しまれる。これによって舞台現代であることが明らかになり、一気に物語が具体的な様相を呈してくるのはこの歌詞の興味深いところだ。

さて、第一位にふさわしい、俺が最も好きな歌詞は二番のサビにある。

“僕の目に君が見えないなら

何が罰になるのだろう”

この歌詞を聞いた時、戦慄した。こんな日本語があっていいのか? 夏目漱石I love youを「月が綺麗ですね」とか訳したらしいが、もうそんなの比にならないレベル天才的な表現だ。この言葉意味を俺自身説明するのはあまりにも無粋なので、ここでは控えておく。

短歌でやり取りして恋情を婉曲に表現しまくってた平安時代貴族でも卒倒するくらい良い言葉だ。主人公の痛ましい想いがこれでもかというほど伝わってくる。

原曲

https://www.youtube.com/watch?v=1okLHuZUftU

町田ちまver

https://www.youtube.com/watch?v=XlUhsBX2bLY

2023-05-17

俺が「推しの子」を第一話で見るのをやめた理由と、「アイドル」で露呈したikuraの限界、あるいは「アイドル」という誰にも歌えない歌について

昨日投稿した記事がとてもありがたいことに伸びたので、調子に乗って別の話をしようと思う。軽い気持ちで書いてたらクソ長くなった。

これを読む前に注意してほしいのは

・これはアニメ推しの子」を見た感想だということ(漫画ではない)
ネタバレが含まれること
・全部俺の主観的意見にすぎないこと

だ。

え、「アイドル神曲やん

YOASOBIの「アイドル」を聞いて、これはすごいと思って推しの子を見た。

そして第一話でアイが殺されて「??????」となった。あまりにも納得がいかなかった。それは以下のような理由による。

第一話、そして主題歌アイドル」で提示されたこ作品テーマ性について

偶像としてのIdolを死守する(「嘘が愛」とかアイっていう名前からも推察できるように)というのが最序盤のテーマだったわけで、そこに子供がいるっていう嘘を死守するっていう物語があって、さらにIdolとしてファンを愛してるっていう嘘(本当は誰のことも愛したことがないから)もあるから、その嘘が本当のこと(ファンとほかの人々を心の底から愛することができるようになる)になる、っていうのが大筋のストーリーになるべきだったわけだ。

その重要過程(アイが少しずつ成長していく)が完全にすっ飛ばされたので肩透かしを食らったという感、殺されるところでいきなり愛してるって言っていて、正直第一話だけだとアイに対して人間としての共感が全くできない。

この物語評価されている大きな要因としては、まず推しの子自分がなるっていう第一話のインパクトコメディ性、次にアイが死んでしまうっていうさらに劇的な展開。

これ自体別に悪くないと思うが、やはりアイが本当の愛を知る過程スキップしているので作品としての完成度が低下している。

たぶんその理由として乳幼児だと行動の幅が狭すぎるっていうのがあるのかなーと。簡単に動かせないから話を作りづらいっていうのがあったんだと思う。それをどうにかするのが脚本家仕事ではあるんだけど。でも子役ルートがあるならそういう問題もなくないか

また、アクアルビー父親に関する伏線第一話だけっていうのもつらいポイントではある。

どうしてもそこからストーリー展開が難しくなる。第二話以降の話は割と自由に進めることができるはず(ルビーアイドルを目指すとか、主人公父親を捜すとか)で、その辺の先の読めない感じは面白い

クール目の最後でアイが殺されたりしてたらもっとよかったんじゃないかなーとか思った。

何よりOPが完全にアイの歌なので納得のいかなさがすごかった。

「え!? この感じなのにこの1クールを全部このOPでやるの!?!?!?!?

となってショックのあまりここで見るのをやめてしまった。

次に、YOASOBI「アイドル」について(こっちのほうが喋りたい)

初めてこの曲を聞いた時とんでもない衝撃を受けた。

それは初めてYOASOBIの「夜に駆ける」を聞いた時に感じた衝撃と同じものだった。

まず、「夜に駆ける」が空前絶後のヒットを叩き出した最大の理由について述べようと思う。

もちろんこれは俺の意見であって、完全に正しいということを主張したいわけじゃない。別の意見があればコメント等に書いてほしい。

”この曲が大ヒットしたのは既存音楽流行りを踏襲しつつ、独自の要素を絶妙塩梅ミックスし、絶妙な斬新さを表現することに成功たからだ”と俺は思う。

これがどういう意味もっと分かりやすく言うと

今までの曲と同じようでちょっと違う、なんか斬新な感じがする曲がヒットする

ということだ。「白日」とかがわかりやすいかな?

音楽というのはほぼすべてが感覚で成り立っているので、それを正確に記述することは本当に難しい。

「夜に駆ける」が大ヒットした要素

「夜に駆ける」を語るにはまずコンポーザーのAyaseについて紹介する必要がある。

Ayaseはもともとボーカルとしてバンド活動を行った後、解散したのちいわゆるボカロPになったミュージシャンだ。

ボカロP:Ayaseを象徴する代表曲は「幽霊東京」や「ラストリゾート」が挙げられる。

初めてこの曲を聞いた時の俺の感想は、”よくあるボカロ曲だなあ”というものだった。

正直これらの曲はボカロ曲としては古典的な印象を与えるものだと思う。DTM感が強い、打ち込みで構成されたボカロ曲……という感じだ。

しかしここで重要なのは、実はこれらの曲でAyaseのパーカッションリズムに関する凄まじいセンスが光っており、それが当時のネット音楽トレンドにぴったりとマッチしてある程度の人気を博していたということだ。

Ayaseのリズム感に関する才能には目を見張るものがある、というのは上記の二曲を聞けばたぶんわかってもらえると思う。もちろんこの曲が発表されてから時間が経っているので、当時は真新しくとも今では多少風化しているように感じるかもしれないけど。

「夜に駆ける」においてもそのリズム感が遺憾なく発揮されている。ただ、この曲がそれまでのAyaseの曲と大きく違うのは

・繰り返される転調

ボーカリストikuraの存在

だ。

この二つの要素が、「夜に駆ける」が大ヒットした要因だ。


一つ目の繰り返される転調に関しては「夜に駆ける」を聞けばわかる。最後Cメロのところとか二回くらい転調してる。で、たぶんなんか普通の転調とは違う感じがする。音楽知識がないのでその辺はわからないけど。まずそこの斬新さがある。異論は認める

ボーカリストikuraについて

「夜に駆ける」がヒットした最大の要因だと思う。


個人的に、歌手ikuraの卓越した点は二つ。

ikuraが持つ優れたリズム
自我の顕れない説得力のある歌声


まずikuraが持つリズム感についてはもうとりあえず「夜に駆ける」聞いてみてほしい。歌詞の子音がバスドラとクラップ気持ちよくハマっている。

この文章を書くにあたって今一度「夜に駆ける」を聞いていたら、そのikuraのリズム感の素晴らしさについてちゃんと語りたくなったので細かく述べる。興味ない人は飛ばしてください。

イントロの”沈むように「溶けて」いくように”の「溶けて」のリズム感が良い

・”二人だけの空が広がる夜に”ここのリズム感は全部いい

・その次の打ち込み感のあるピアノめっちゃいい

・”さよなら「だけだった」”の「だけだった」のリズム感が良い

・”その一言で「すべ『て』がわかった」”の『て』が良い

・”日が沈みだした空と君のすが「た」”の「た」のリズムの取り方がマジですごい

Bメロの”いつだってチックタックと「鳴る世界で」”の「鳴る世界で」のリズムの取り方がすごい。

Bメロの”触れることな言葉うるさい声に涙が”ここのリズムは全部すごい

・サビの”騒がしい「日々に」笑えない「きみに」”の「日々に」と「きみに」のリズムの取り方がすごい。

・二番のBメロは正直全部リズムの取り方すごい。”信じてたいのに信じれないことそんなのどうしたってきっと これからだっていくつもあってそのたんび怒って泣いてくの”ここがすごくいい

・その後のピアノソロめっちゃいい。

Cメロの”もういや「だって疲れただって」”の「だって疲れただって」のリズムがすごい。

ここにリズムの優れた曲を作るAyaseとのシナジーがある。偶然にしては出来すぎたユニットである

これが「夜に駆ける」がハマった一つの理由

次の”ikuraが持つ自我の顕れない説得力のある歌声”について

これは説明がとても難しい。

歌手には二種類のタイプがいると俺は思う。それは、

自分のことを歌う歌手

・なんでも歌える歌手

の二種類だ。一見後者の方がなんでも歌えて優れているように思えるかもしれないけど、事態はそんなに単純じゃない。

まず前者について具体例をいくつか挙げようと思う。

自分のことを歌う歌手について

とりあえず例を列挙する。

りりあ「浮気されたけどまだ好きって曲」

米津玄師「アイネクライネ」というか米津玄師はほぼ全部自分の話をしている感じがする。

back number高値花子さん

実はほとんどのバンドマンは自分の話しかしていない。ヨルシカが「八月、某、月明かり」の歌詞で叫んでいるように「心を売り出し」ているのだ。

ちなみにヨルシカは「詩書きとコーヒー」でも「寿命を売るなら残り二年」とか歌っていたりして、そういう自分のことしか歌えないナブナ自身をどこか皮肉めいて表現していたりする。

りりあの「浮気されたけどまだ好きって曲」を聞いてほしい。これ絶対自分の話だろと思って調べてみたけど明言してないっぽい。なら自分の話と考えていいのかな?

この曲は浮気された女の子の心情を歌うにしてはリアリティが高すぎる。

汚れた君は嫌いだ

君を汚したあいつも嫌いだ

この歌詞の下のほう、「君を汚したあいつも嫌いだ」ってそっちにヘイトが向く心情を表現できるのすごくないか? 普通浮気された曲って恋人に対する恨みつらみで話が終わると思っていただけにびっくりした。

こんな風に自分のことを歌う曲は”その人の人生の重み”が自然と声に乗っかるので、ものすごい破壊力がある。

でも、こういう歌手がほかの人の作った歌を歌うと、どことなくちぐはぐな感じになる。なんか違うな~とか、ぐっとこないな~みたいな気持ちになる。

あとこのタイプ歌手一発屋で終わる傾向が多い。劇的な経験がないと歌えないならそうなるのも必然、という感じはする。

なんでも歌える歌手について

ikuraやAdoはこのカテゴリーに分類される。

こういう歌手ボカロ文化の発展で増えたと思われる。

歌い手文化はいろんな人の曲を歌うっていう前提があるわけで、そこでさっき挙げたような自分の歌を歌うタイプ歌手歌い手文化にそぐわない。

自分共感できる曲だけを歌うことでその問題解決してる人もいるっぽいけれど。

なんでも歌える歌手の例を挙げる。

・ikura

Ado

Aimer

・yama

・suis

とかなんか今流行りのアーティストばっかりになった。

ヨルシカはナブナ個人的な、本来だったら本人にしか歌えないような歌をsuisが上手く歌っている感がある。

これらの歌手限界まで自分の色を出さない。でも無個性とは違う。ただひたすらに歌詞にひたむきに向き合って、そこから読み取れる感情をまっすぐに表現している。だから聞く人の心にダイレクトに届いているように思う。

「夜に駆ける」とikuraの関係

YOAOBIのコンセプトは”小説音楽にする”だ。このコンセプトとikuraのどんな曲も歌うことができるという特性は実に親和性が高い。

「夜に駆ける」の元となった小説は「タナトスの誘惑」というものだ。

あらすじをめっちゃざっくりと言うと、死にたがりの彼女を助けた主人公だったが実は彼女死神で、最終的に一緒による闇に飛び降りるという、中二病要素をこれでもかと言うほど詰め合わせたような物語だ。大学生が書いたらしい、笑った。

さて、どれほどこの物語がチープであろうとしても、この歌を実体験として生々しく歌うことができる人はなかなかいない。テーマが重すぎるし、全体的に闇が深いものからだ。

ただ、ikuraは「夜に駆ける」を独自解釈することに成功している。

この作品自体をどことな俯瞰的に見下ろして歌うことによってそれはかなった。過度に主人公ヒロイン感情移入するのではなく、どこか客観的視点から物語淡々と紡ぐように歌う感じ。無機質な――機械的な、ある種ボカロっぽい歌声と、どことな人間の闇を感じさせるPV(このPVもあの原作小説から作ったとは思えないほどクオリティが高い)が悪魔的に融合した。

これが「夜に駆ける」がヒットした二つ目の要因だと思う。

もう一回PV見てるけどやっぱりいいな。

本題のYOASOBI「アイドル」のすごさについて

制限が新たな芸術を生む”的な言論があったりする。「アイドル」が素晴らしい曲であるのにはここに要因がある。

今回の場合

・Ayaseが持つ独自リズム感とベースライン

・最新の曲調(Adoが歌う「踊」に似てるとか指摘されてるね)

・”推しの子”のOP要求される、アイドルソングライクな(コール差しまれるなどの)要素

この三つが程よくミックスされた結果、既存の物にはない斬新さを持った曲としての大ヒット……だと思う。

YOASOBI「アイドル」とボーカルikuraの限界

この話をするにあたって、YOASOBI「アイドル」の歌詞について軽く説明する必要がある。

アイドル」の歌詞原作推しの子」とそのスピンオフ小説の「45510」をもとにしたものだ。

まず「推しの子」のあらすじを一瞬で説明すると

医者主人公のところに推しアイドル(アイ)が妊娠出産のために入院してくる→出産日に主人公が殺される→気づいたらアイの子供に生まれ変わってた→アイドルなので子持ちはまずい→なので必死に嘘で隠す

というものだ。

そしてスピンオフ小説「45510」の主人公は、アイとかつて同じアイドルグループ所属していた女性だ。

アイドル」の歌詞の中での主人公は歌の途中で変わっている。二回目のサビまではスピンオフ小説の「45510」の主人公がこの歌の主人公で、その後はアイ自身の歌に変わる。

1サビまでの歌詞は「45510」の主人公の、アイに対する憧憬を描いたものと思われる。同じグループの中でも抜きんでて人気のあるアイに対する羨望を表現している。

ここの歌詞をikuraは上手く歌えている。

問題はその後だ。

アイドル」の二番の歌詞についての見解

この話をするためには歌詞掲載しないといけない。

はいはいの子特別です

我々はハナからおまけです

お星様の引き立て役Bです

全てがあの子のお陰なわけない

洒落臭い

妬み嫉妬なんてないわけがない

これはネタじゃない

からこそ許せない

完璧じゃない君じゃ許せない

自分を許せない

誰よりも強い君以外は認めない

これはアイが所属するアイドルグループ「B小町」の別のメンバー:「45510」の主人公の心情を描写したものだ。正直、この歌詞を書いたAyaseは天才だと思う。

一見最初はアイに対する強烈な嫉妬心を表現しているように見えて、最後には

完璧じゃない君じゃ許せない

自分を許せない

誰よりも強い君以外は認めない

とアイに対する信仰とでも言うべき強い感情の発露を描いている。この一見相反するようでいて、しかし同一の感情を詳細に表現したセンスマジですごい。

ikuraはこの二番を歌いこなせていない

Vtuber歌ってみたとかを聞いた時に「お、この曲はこの子マッチしてるからいい感じだな」とか思ったことがないだろうか? 俺はその現象を”人格一致ボーナス”と呼んでいる。

ikuraの人格と「アイドル」の二番はあまりにも相性が悪いと言える


たぶんikuraはまっすぐに、幸せに育ってきたタイプ女の子なんだと思う。だから、こうした嫉妬などのどす黒い感情にそれほど縁がないのではないだろうか? なので、それを歌おうとしても、どうしてもうわべだけのものになってしまう。

先ほどの話に戻る。世の中には

自分の歌を歌う歌手

・どんな歌も歌うことができる歌手

の二種類が存在する、と言った。

しかしそれを逆に考えてみてほしい。つまり世の中には

とある人間しか歌えない曲

・ある程度どんな人間にも歌いやすい曲

の二つがあるのだ。

そして「アイドル」という曲は”とある人間しか歌えない曲”に属する。それはこの曲が極めて個人的体験(この場合だと、45510の主人公とアイ自身体験)をベースに紡がれているからだ。

ikuraのスター性と「アイドル」の明るい部分は極めて親和性が高い。特に一番のサビなんかは完璧に歌えている。しかし、45510の主人公のアイに対する嫉妬などのダークな部分は歌えない。聞けばわかると思うが、なんだか上っ面で歌っているような印象を受ける。

かに愛されたことも

かのこと愛したこともない

そんな私の嘘がいつか本当になること

信じてる

まれないアイの家庭環境を背景とした暗いCメロ歌詞だ。やっぱりここでも、ikuraの歌はどことな空虚な感じがする。ikura自身にこんな経験がなく、想像することさえも難しいからだ……と思う。

あるいは、

【ikura】今回は、レコーディングする前にたくさん話し合って…。どういうイメージで、どういう声色で、ニュアンスでやっていこうかっていうのを考えながらレコーディングしました。

【Ayase】そしてたどり着いたのが…「最強のかわいい!」です。僕はikuraがレコーディングブースに入って一生懸命歌っている中、勇気づけるようにディレクションブースからもっと自分のことかわいいと思って!」って伝えていました。https://news.yahoo.co.jp/articles/32691ffa10659b427d43550c4eda76ad09a1ea74から引用

とあるように、レコーディング環境が足を引っ張ってしまった可能性もある。

アイドル」の歌ってみたをいくつか聞いてみると、この二番を上手に表現する歌い手を何人か発見した。やはり、こうした現代的な嫉妬経験がある歌い手のほうが歌声説得力が増す。

しかしこうした歌い手は同時に、サビの部分で顕著に表れるアイが持つ底抜けの明るさ、可愛さを表現することが難しい。

アイドル」を完璧に歌える人間存在しないかもしれない、とか思った

あと原作読んでる人に聞きたいねんけどこの「45510」の主人公って作中で出てくるん?

というかここまで細かく考察してると逆に「推しの子」の続きが気になってしまった

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