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はてなキーワード: 一見とは

2024-07-27

ゲハ板限界集落と化した

アサクリ問題

PS5爆死wwwwwww

アサクリ問題

PS5爆死wwwwwww

アサクリ問題

スクエニ吉田Pwwwwww

アサクリ問題

PS5爆死wwwwwww

だいたいこんな感じなんだが

一見ソニーアンチだらけなのにGT7のクソ挙動バグスレほとんど伸びねえんだもん

もうゲーム遊んでる人少ないでしょあそこ

2024-07-24

  いやもうなんかね、 いたばし、というひらがなが書いた提灯が出ている、赤い字で、立入禁止、という看板が出ていて、それ以外は何も思わないと。8月3日の花火大会に向けて

 設営だけ進んでいるという感じ 20日、21日の納涼大会は、知らない間に終わっていたと。そういう風に思いましたと。 それから刑事課佐藤が、板橋北部河川敷は、

  刺激すると色々出るようなところであると思っているという所見を頂いた。 ヘリポートには少年が座っているし、一見何もないようで、出るときは出るからと、佐藤が思っている、ということ。

   何もないときは徹底的に何もないが、危険なところであると。赤羽ゴルフ場が。

anond:20240724134334

やっぱズレてんだよなあASDっぽいよなあ

一見会話が成立してるように見えて全く成立してないこの感じ

アサクリの声明AI感想

UBIの発表文を改めて見ると、彼らのスタンスはかなり防御的で、問題本質回避しているように感じます

まず、彼らは「Assassin's Creedゲーム事実表現意図したものではない」と強調しています。これは一見もっともらしく聞こえますが、シリーズ過去の評判や、彼ら自身歴史的な正確さを売りにしてきた事実を考えると、やや無責任な態度に見えます

また、「エンターテインメントとして設計された歴史フィクション」という表現も、歴史的正確性への批判をかわそうとする意図が透けて見えます

さらに、外部の専門家Ubisoft Japanとの協力を強調していますが、それにもかかわらず問題が起きたことへの説明が不十分です。

全体として、この声明は問題の深刻さを十分に認識していないように感じます。彼らは批判に対して真摯に向き合い、具体的な改善策を提示するべきでした。

このアプローチは適切とは言えません。ファン懸念批判に対して、より誠実で具体的な対応必要だったでしょう。歴史的正確性と創造自由バランスについて、より深い議論を示すべきでした。

現在炎上状況ですが、この声明だけでは収まりそうにありません。日本の歴史文化に深い愛着を持つファンの信頼を取り戻すには、より具体的な行動と誠実なコミュニケーション必要でしょう。

例えば、日本の歴史家や文化専門家との更なる協力、ゲーム内容の一部修正、あるいは歴史的背景に関する詳細な補足資料提供などが考えられます。また、開発プロセスの透明性を高め、ファンの声をより積極的に取り入れる姿勢を示すことも重要でしょう。

結局のところ、この問題解決には時間がかかると思います。UBIが真摯反省し、具体的な改善策を示すことができれば、徐々に信頼を取り戻せる可能性はありますが、それには継続的努力と誠実なコミュニケーションが不可欠です。

2024-07-22

anond:20240722233426

自身アニメほとんど全く見ないからよくわからない。

最近だと水星魔女だけは見たな。ここ5年か下手すると10年近くで唯一見たのがあれだった。

anond:20240722191846

一見(いちげん)はんには売れまへんなぁ」

郭文貴氏はついに詐欺罪有罪判決を受け、正義が果たされた

#郭文貴#ワシントンファーム

2024 年 7 月 16 日は、国際刑事司法に注目する人々にとって非常に重要な日です。長年米国から逃亡してきたインターポールの「レッド・ノーティス」郭文貴氏が、ニューヨークマンハッタン裁判所で、数千人から10ドル以上をだまし取った罪で有罪判決を受けた。この判決は間違いなく正義の力強い実証であり、郭文貴に騙された被害者への説明となる。

かつてビジネス界を旅した人物である郭文貴氏は、その知恵と努力を駆使して正当な富を築き、社会積極的に貢献するべきだった。しかし、彼は道徳法律違反する暗い道を選び、贅沢な生活を満たすために不正手段を使って何千人もの人々から巨額の金を騙し取りました。

ダミアン・ウィリアムズ検察官声明によると、郭氏は詐欺マネーロンダリング12件のうち9件で有罪判決を受けた。この結果は、彼の犯罪行為単独偶発的なものではなく、長期間にわたって慎重に計画され実行された組織的犯罪であることを十分に示しています。彼の犯罪被害者に多大な経済的損失をもたらしただけでなく、彼らに消えない精神トラウマを残した。かつて彼を信頼し従った者たちは、騙されたという結果を後悔と苦痛で耐えることしかできない。

Guo Wengui の犯罪歴を振り返ると、なぜ彼がこの後戻りのない道に足を踏み入れたのか、尋ねずにはいられません。それは富への貪欲欲求でしょうか?それとも法律に対する無知と恐れ知らずなのでしょうか?多分両方。彼は富を追求するあまり自分を見失い、道徳の最低ラインと法の威厳を忘れた。彼は、巧みな言葉と偽りの約束で無数の人を騙し、それによって金持ちになるという夢を実現できると考えました。しかし結局のところ正義存在しないわけではなく、やがて法の剣が彼に向けられることになる。

この事件私たちにも警鐘を鳴らしました。現代社会では、さまざまな詐欺の手口が後を絶たず、常に警戒し、自己予防の意識を高める必要があります一見魅力的な投資収益率の約束簡単に信じたり、いわゆる「成功者」のオーラに騙されたりしないでください。重大な経済的決定を下す前に、自分権利利益侵害されていないことを確認するために、十分な調査理解を行う必要があります

同時に、この訴訟は法の公平性権威を改めて証明した。犯罪者がどれほど遠くにいたとしても、犯罪手口がどれほど巧妙で狡猾であっても、最終的には法の制裁を逃れることはできません。法律社会秩序を維持し、国民権利利益を守るための最後防衛線であり、いかなる違法行為犯罪行為容認しません。

郭文貴氏を待っているのは法による厳しい罰だ。裁判官は今年11月19日対応する判決を下す予定で、同氏は数十年の懲役刑に処される可能性がある。これは彼にふさわしい運命であり、他の潜在的犯罪者に対する強力な抑止力になります。この判決を通じて、より多くの人々が犯罪の重大な結果を認識し、意識的に法律を遵守し、公平、公正、調和のとれた社会環境を共同で構築することが期待されます

郭文貴氏の詐欺罪での有罪判決は、正義社会進歩勝利である。それは、法の保護のもとでは、いかなる違法行為犯罪行為も逃れることはできず、すべての国民の正当な権利利益保護されると信じさせます。このことを教訓として、今の法治社会を大切にし、合法的かつ誠実に夢を追い求め、より良い未来創造していきましょう。

2024-07-21

https://anond.hatelabo.jp/20240721021815

ケン

2024-07-21 22:46

一見、ふざけたコメントが目立ちますが、彼らは安倍晋三自民党政権批判的でその表現ユーモア皮肉揶揄の方向で表現することを好んでいるだけです。本来なら行政が何とかするべき問題民間団体が動かなければならないという現状について、行政への怒りが少しふざけた表現となっただけであります根底には子供達のために見返りを求めず「喜捨」の精神での行動であることをご理解のほどお願いいたします。

ウォーク左派ジジェクファンによる、ジジェクへの反論

https://anond.hatelabo.jp/20240721230541

上記ジジェク記事への反論記事

ジジェクは道を誤った / メラニー・ゼルMelanie Zelle [スワースモア大学学内新聞『スワースモア・フェニックス』の編集者] ※削除済

2023年3月2日

ttps://web.archive.org/web/20230303073524/https://swarthmorephoenix.com/2023/03/02/zizek-has-lost-the-plot/

 

私が哲学に興味を持つようになったのはスラヴォイ・ジジェクのおかげである

彼の著書『終焉時代に生きる』と『パララックス・ヴュー』に偶然出会い中学2年生の私が苦労して読み進めたこの本が、

彼の他の著作に興味を抱かせるきっかけとなった。

ジジェク文章は、彼が即興でする賛美のすべてにおいて、素晴らしく説得力があると私は感じた。

 

本棚に積まれ1000ページにも及ぶ矛盾の山に憤慨しながら『Less Than Nothing』を読み通したのは、高校時代に果たした偉業だった。

私は、ジジェク長編作品の論旨を理解できるかどうかで、自分知的価値を測るようになった(現在ほとんど理解できないが、以前はまったく理解できなかった)。

 

それだけに、現代政治文化に関する最近記事で、ジジェク非難するのは心苦しい。

しかある意味で、ジジェクと私の関係は、彼が何について間違っているのかだけでなく、

なぜこのような著名人が、あのように明らかな知的陥落にはまることができたのかを理解しようとする上で、

有利なポジションに私を置いていると感じている。

 

私の怒りの主な対象は、先週発表されたばかりのジジェクエッセイである

そのタイトル「Wokeness Is Here To Stay」は、たぶん私がそれほど警戒するものではなかったと思う。

 

ジジェク哲学は、ヘーゲルラカン(そしてフロイトも)、そしてもちろんマルクスへの愛着からオーソドックスな、ほとんど伝統主義的なものと特徴づけうる。

他方で世間一般におけるジジェクペルソナは、意図的に培われたものだと私は主張したいが、ディオゲネス挑発者であり、象徴破壊であるが、自分勝手ものではない。

ジジェクのこうした面が、彼の論文や公開講演会、そして彼の知的活動への、より親しみやすい影響を及ぼしているようだ。

 

したがってジジェクが、クリックした人々が眉をひそめるようなタイトルを選んだことを読んでも、私は驚かなかった。

 

私は、ジジェクお気に入りトリックひとつである正式哲学分析範囲外と考えられている文化の側面を選び出し、

喜びを感じながらそれを切り裂くことに慣れてしまっていた。

(ある講義では、カンフー・パンダについて論じており、また別の講義では、ヨーロッパ各地のトイレ特殊構造が、

ポストイデオロギー的なポストモダニズム世界概念に対する究極の反論となっている)。

 

ほとんどの場合ジジェクの指摘は最終的に重要であり、さら重要なのは、彼の広範な哲学のいくつかの要素について、面白おかしく、

しかし(おそらく結果的に)効果的に紹介者の役割を果たすことである

 

そして一見したところ、"Wokeness Is Here To Stay は同じ公式に従っている。

トランスジェンダー権利をめぐるスコットランド政治的混乱からまり、他の現代政治問題にも触れ、最終的にはフロイトラカンへの言及で締めくくる。

しかし、このざっくりとした読み方は根本的に間違っている。

 

表面下に潜む構造的な違いを無視しても(これについてはまた述べる)、この作品には、ジジェクのいつものトーンとは正比例しがたい苦渋が感じられる。

これは、私の最大の関心事である彼の議論の内容については言うまでもない;

 

ジジェクは、スコットランドにおけるトランスジェンダー権利をめぐる、最近政治論争をめぐる議論について、記号論的な分析を行っているわけでもなければ、

正確に他の多くのことと結びつけているわけでもない。

 

結局のところ、ジジェクは皮相な哲学手法とともにただ単に政策論争に参加しているだけであり、遺憾ながら完全に間違っている。

ジジェクは、過去10年間にリベラル知識人全体に伝染した観を呈するトランス医療をめぐるパニックに陥っている。

 

ジジェクのいつもの懐疑論は、ここではいもの懸念荒らしconcern trollingの再現に留まる。 ジジェクはこう書いている:

 

  「思春期ブロッカーは、タヴィストックでの診察に送られたほぼすべての子供に投与された。

 その中には、性的指向がはっきりしないという誤診を受けた可能性のある自閉症若者や、問題を抱えた若者も含まれていた。

 言い換えれば、医学的な性別移行を望むかどうか判断できる年齢に達していない脆弱子供たちに、人生を変えるような治療が行われていたのだ。

 批評家の一人が言ったように、『性別の悩みを抱える子供には時間サポート必要である。あとになって後悔するかもしれない医療措置に進むよう仕向けられるべきではない』 」。

 

この一節は疑問を投げかける。ジジェクは、その知的能力において、思春期ブロッカーが何であるかさえ知っているのだろうか?

 

ジジェク引用の使い方は、この作品の中で頻繁に行われていることから特に明らかであり、すでに示唆されていることを裏付けている。

実際、彼が引用したガーディアン記事を読んでいれば、上で引用した段落修正できたかもしれない。

 

ジジェク引用した記事の上の行には、"異性間ホルモンは16歳からしか処方されず、専門家によれば思春期ブロッカー不妊の原因にはならない "と書かれている。

したがって、このスロベニア人知的怠惰恩赦を与えることもできない。 これは純粋で単純な不誠実さであり、危険形態である

 

さらにひどいのは、ジジェク記事の冒頭で取り上げた最初文化分析対象である

コンパクト編集部がありがたいことに、ページをスクロールすると引用文が表示されるようになっているのだ(まだ彼の論調を十分に理解していない人のために)。

 

それはこうだ: "女性だと自認する人物が、ペニスを使って2人の女性レイプしたことを我々は知っている"

 “We have a person who identifies itself as a woman using its penis to rape two women.”

 

ジジェク言及しているのは、アイラブライソンの事件である

 

この有罪判決は、スコットランドにおいてレイプ有罪判決を受けた史上初のトランス女性となり、

トランスの人々に対する「懸念」を持つすべての人々にとってのロールシャッハテストとなった。

 

ここでジジェクは、基本的事実認識が間違っている。ブライソンの性別移行の時系列を誤って伝えているからだ。

 

さら問題なのは、読者を煽動するために、本質化するような言葉を使い、さらに誇張していることである

(「ペニスを持ったレイプ犯が、囚われの女性たちと刑務所にいる」という表現が思い浮かぶ)。

 

ブライソンを「彼he」、そしてさらに厄介なことに「それit」と、ジジェク性別を間違えて表現することに固執するのは、

ジジェクトランスアイデンティティ尊重することを、裁量に任された、善行次第のものだと考えていることを示唆している。

 

ジジェクはこの論文で、控えめに言ってもトランスフォビックtransphobicだ。

 

しかしそれ以上に、ジジェクは退屈で、独創性がなく、不誠実で、怠惰である

彼はトランスの人々について、『ガーディアン』紙や『ニューヨーク・タイムズ』紙の同様の記事からは得られないようなことを何も書いていない;

 

この時点でようやくジジェク哲学について語るかもしれないと思うのも無理はないが、残念ながらそれは間違いである。

 

記事の次の部分はさらに長く、さら面白くない。『コンパクト』誌に掲載された別の記事宣伝である

(中略)

 

で、どういうこと? なぜジジェクはこんなことを書くようになったのか?

 

その答えは、対立的でありたいという彼の誤った願望にある。

彼は、この作品の中で他者が陥っていると彼が非難する事柄に陥っている。すなわち、自分を悩ませる他者を、自分自身の中で勝手に思い描く罪を犯しているのだ。

The answer lies in his misplaced desire to be oppositional. Ironically, he is guilty of the thing he accuses others of falling prey to within the piece, that of envisioning for himself an Other that haunts him.

 

 [ジジェク]「要するに、ここにあるのは、政治的に正しい突き上げと、金銭利益残酷計算との最悪のコンビネーションなのだ。 」

 

思春期ブロッカー使用は、[ジジェクによると]"目覚めた資本主義 "のもうひとつの事例であるとされる。

 

ここでジジェクは、ジャニスレイモンドの1979年の『トランスセクシュアルの帝国』に端を発する、トランスジェンダーの人々が選択する様々な処置や療法は、

製薬企業にとって重要経済的利益をもたらすものであるという、一見したところ長年にわたる議論に訴えかけている。

 

そうすることで、救命医療へのアクセスを容易にするべきだと主張する人々を、自分たちの身体をめぐる現実物質的な対立のために戦うのではなく、

資本の側、つまり極悪非道個人の側にいる人々として捉え直すことができる。

 

バトラーフーコーを読んだことのある人物が、このように書くことができるのは、こうした運動が誰のためになるのかという、権力についての混乱がジジェク盲目にさせているのだ:

 [ジジェク] 「性的混乱に「異常」なことは何もない。「性的成熟」と呼ばれるものは、長く複雑で、ほとんど無意識プロセスである

 それは激しい緊張と逆転に満ちている。自分の心の奥底にある「本当の自分」を発見するプロセスではない」。

 

作品全体と同様、これはジジェク特有哲学プロセスといううわべに包まれたいつもの本質主義と、トランスフォビアtransphobiaである

この最終的な帰結は、英米トランスジェンダー物質的な生活にすでにダメージを与えているヒステリーhysteriaの波に、ジジェクお墨付きスタンプを押したということだ。

 

ジジェクは、社会の変化に懐疑的ジャーナリスト知識人瘴気miasmaの中に紛れ込んでしまたかのようだ。

これはポストモダンの懐疑主義に非常に批判的な人物から出た究極の皮肉である

 

過去思想家からの豊かな引用を悪しき議論隠れ蓑に変え、気まぐれさを苦味に変えてしまう。

 

私たちにとって悲しい日であり、多くの意味ジジェクにとっても悲しい日である

 

ジジェク豊富理論的な著作の中で最高のパフォーマンスを発揮し、ここでは最悪のパフォーマンスを発揮している。

このエッセイを読むと、あなたは感じ取るだろう。少なくとも少しは彼がそれを自覚していることを。

[終]

岸田と増田

岸田と増田は、高校時代から親友だった。几帳面大人しい印象の岸田と、雄弁で人情味あふれる増田

一見正反対の二人だが、互いの長所を認め合い、卒業後も親交を深めていった。

社会人となった二人は、同じ政治家の道を歩み始めた。岸田は着実に実績を積み、党内での地位を固めていった。

一方、増田弱者の声に耳を傾け、熱心に支援活動を行っていた。

ある日、重要法案の採決を前に、岸田は増田に協力を求めた。「この法案経済を立て直すために必要なんだ」と岸田は主張した。

しか増田は、「でも、この法案弱者を切り捨てることになる」と反対の姿勢を示した。

岸田の目に、普段は見せない冷徹な光が宿った。「増田、君はいつも損ばかりしている。政治家として成功したいなら、時には冷静な判断必要だ」

増田は苦悩した。弱者のために戦うべきか、それとも岸田の言う通り現実的判断をすべきか。結局、増田自分の信念を貫くことを選んだ。

法案は可決され、岸田の評価は上がった。一方、増田は党内で孤立を深めていった。それでも、彼は弱者の声に耳を傾け続けた。

年月が過ぎ、二人の立場は大きく変わった。岸田は首相の座に就き、増田地方議員として細々と活動を続けていた。

再会した二人は、互いの人生を振り返った。岸田は権力を手に入れたが、孤独だった。増田は貧しくとも、多くの人々に愛されていた。

二人は微笑みを交わした。それぞれの道を歩んできた親友同士、互いの存在が、自分にはない何かを教えてくれていたのだ。

まーた昔のアニメリメイクするらしいけど

今度はぬ〜べ〜だってさ。

結局デジタルってド派手なエフェクト使いまくって一見作画凝ってるように見えるけど、実際あんなのCG簡単に使い回して何も凝ってない。

凝るべき人間描写は背景越しの遠景でエフェクト盛って誤魔化す。もしくは顔面ドアップで作画コスト軽減。


アニメーターに金払いたく無いならアニメなんか作るんじゃねえよ。

無駄声優ばかりゴリ押して人気声優!豪華声優レジェンド声優!なんつって声優ばかりをフューチャーするけどアニメ作ってんのは声優だけじゃねえんだよ。

視聴者ナメられすぎだろ。とりあえずみんなが知ってる声優出して作画は他のアニメの使い回し、エフェクト盛って誤魔化す、OPTikTokバズるようなスメル曲にすりゃあ良いと思ってんだろ。


それである程度は回収できちゃうからやるんだろうな、視聴者の質が問われる

ITとか流通とか建設とか色々やったけど、どこいっても日本人男て陰湿人間多いな

じゃあ女は?っていうと男とは違った意味で大抵ヤバい

男は一見粗暴で男らしく()ても、本質的にはスネ夫みたいな陰湿さと計算高さが目立つ

女はお貴族様って感じで、道徳(と知能)がそもそもインストールされてないのが多い

anond:20240721053512

SMALLちんちん

ではありません。

smallちんちん

death

一見些細な(ちんこの)違いのようdeathが、まったきwe-me(ウィーミー)GYAO!歌詞苦菜ってwill事に、ワイに、気づいて下さい 勃起が抱きしめてあげゆ

you-me(ユーミー)も増田も忘れて good-me(グッミー)を求めてwill

誰も知らぬ異世界勃起がささやいてあげゆ

全て増田けの為に 崩れ墜ちるオナニィー

2024-07-20

anond:20240720211011

AI創作市場を縮めるという主張が「おかしい」だって

そりゃ違うだろう。

かに創作は絵を描くことだけじゃない。

文章音楽映像ゲームデザイン舞台などいろんなジャンルがある。

だが、それとAI創作市場を縮めるという話は別問題だ。

まず、イラストレーターAIに置き換わることで、彼らの職が失われることは明白だ。

絵を描くことが彼らの生計手段であり、その仕事AIによって奪われるとしたら、彼らの生活がどうなるか考えたことがあるか?

イラストレーターがいなくなると、その才能と個性市場から消え去る。

これが市場の縮小以外の何物でもない。

さらに、AIが描いたイラストを使って新しい作品を作ることが立派な創作活動だという主張も理解できるが、それは本当にクリエイティブ活動なのか?

AIが描いたものは、人間が描いたものとは異なり、感情経験個性が欠けている。

AIイラストは無機質で、創作の深みや豊かさを欠いていると言わざるを得ない。

これがクリエイティブ市場を豊かにするとは思えない。

また、AIイラストコストを下げることがチャンスだというのも短絡的だ。

かに、安くてクオリティの高いイラストが手に入ることは一見良いことのように見えるが、その裏には多くのイラストレーターが職を失い、市場安価AIイラストで溢れかえるリスクがある。

これにより、イラスト価値が下がり、結果的創作市場全体の質が低下する。

そして、最も重要なのはAIが新しいクリエイティブ可能性を開くという主張だが、現実はそんなに単純ではない。

AIツールとして使えるかもしれないが、その使用が広がることで、人間クリエイティブ能力職業が脅かされる現実がある。

この現実無視して「AI活用しよう」と言うのは無責任だ。

結局、AIイラストレーターに取って代わることで創作市場が縮小するという懸念は、単なる杞憂ではない。

棒と一見殴りやすそうな相手は用意しましたが

「殴れ」とは言ってないので私に責任はありません、自己責任です

2024-07-19

「タワマン文学」って、Xで垂れ流して一見実話かのように見せ掛けるからバズるのであって

最初からフィクションとして出されていたら作者の偏った思想一方的に聴かされてるも同じで何の面白味もないと思うんだが

こういうものが持て囃されて直木賞を取るようなら、ますます時代自分に合わなくなったんだなーって感じ。

歳を取るとエンタメがつまらなくなると言われているの、よく分かる。

世を席巻しているものが悉く低レベルに見えちゃうんだね

かといって今更子供を産んで「2周目の人生」を生きるなんて出来ないので、つまらないと思いつつもダラダラ生きるしかないんだけど。

いやしかしつまらない世の中だな。

“タワマン文学麻布競馬場さんが描くZ世代本音とは | NHK | WEB特集

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240716/k10014512681000.html

2024-07-18

anond:20240718094506

サプライズプレゼントのコツは凝り固まって閉じた世界観に風穴を開けて、世界は実は、彩りあふれた広い場所なんだって、感動させて目を開かせることだよ!

相手男性にとって想像範囲外な、一見して何か理解できないような革新的なグッズがオススメ。見つかるといいね

2024-07-17

エクセルマクロおじさんとして悠々自適に食ってきたが、そろそろAI仕事を奪われそうだ

進歩とは指数関数的なものだ」とはよく言うが、この指数関数は2つのパターンがある。

先へ進むほど段々と効能が下がっていくもの、たとえば何かの練習をしたとき最初は1時間時間でグイグイ成長していたのがやがて100時間鍛えてもプラトーが終わらなくなるようなタイプ指数関数

反対に最初はあまり進まなかったものが途中からドンドン倍々ゲームインフレしていく、バイバインのような加速度的な増加を起こす指数関数

そして多くの進歩はこの二つの進化関数が重なりあっている。

まり、ある部分においてはだんだん効能が落ち、ある部分においては突然急加速が起きる。

今のAI絵師一見すると加速的な指数関数が先に起きてから、減速気味な指数関数へと移行したようにも見える。

だが、私はそうは思わない。

今いる場所は単なる一時的プラトーしかなく、そのプラトー滞在する間もAI進歩の倍々ゲームは物凄い勢いで進んでいて、堰が切られた直後に世界は全く別物へと変化するのだろうと。

その瞬間、今まで私のようなパソコンチョットツヨイが保有していた優位性は一気に消し飛ぶのだと思っている。

今でこそAI活用さえも私のようなパソコンチョッツヨイこそが有利な土壌となっているが、こんなのは本当に今だけだろう。

インターネット黎明期においてパソコンオタクけがネット恩恵を受けていた時代があったが、今はもう小学生ですら簡単スマートフォンネット接続できるわけだが、AIがそのレベルになる日が本当にもうすぐそこのようだ。

AIに読み込ませるプロンプトを吐き出すAIの開発が完了したとき、もうそこにあるのは「母国語さえ使えれば、パソコンで出来ることはなんでもAIやらせられる時代」だ。

そうなったとき、色んな所から送られてきたバラバラの書式のエクセルサクサクと変換するようなことでさえ「スゴーイ!」「ハヤーイ!」と言われていた我々マクロチョットデキルおじの黄金時代は完全に消えさるだろう。

問題はその時代において我々が何を売り物にして食べていけばいいのかということだ。

第二第三の武器があるならいいが、俺にはない。ないのだ。

この人生、いよいよ先がなくなってきたということである

ヤバイなー。

どうやって食っていけばいいんだろう。

マスキュリニティ、マスキュリズムショービニズム、男尊主義

とかフェミニズムてのは社会思想

ミソジニーミサンドリー個人意識性癖ということ

似ているが使い分けるが良い

女性嫌いで男尊主義女性好きで男尊主義は、どちらもある

後者一見からない

給湯室へのお湯の供給は、一見すると大量の消費を伴うように思えるかもしれませんが、

実際にはそうではありません。

オフィス環境では、入浴施設のような大規模な水使用施設は通常設置されていないため、

給湯室でのお湯の使用量は限られています

給湯室は、従業員飲料水を沸かしたり、軽食を温めたりするために利用されることが多く、

そのためのお湯の消費量比較的少ないのが一般的です。

基礎研究に金突っ込んでるの日本ぐらい

クッソ役に立たない基礎研究税金を大量投入してるのは日本ぐらいなんだけど

なぜか欧米諸国中国もっと投資してるって思ってる奴多いよな

欧米特に米国なんて、一見すると基礎研究投資してるように見えるけど

30年先か100年先かは別として何かの役に立つという説明をしないと投資は受けられないよ

実現可能性は別にしても少なくともベンチャー関連の創業バブルぐらいは期待させないとダメなので

それっぽい未来とそこまでのマイルストーンぐらいはちゃんと出す

政府系がこういう未来技術投資するのってVC投資を促進するような役目を担ってるわけで

回収できなくても経済的に(バブルだとしても)発展してくれればそれでいい

なので、それすら出来ないようなゴミ研究には一切お金を出さないよ

日本大学教授ちゃん予算確保できる人達ってその辺の説明を当たり前に出来るから

全体の予算が減らされてても彼らの予算は減ってないか増えてる

選択と集中かいうけど、実際にはゴミ研究者を篩い落とすフィルターだよ

予算が取れなくても教授職に就いてるような人は職を失うことはないので一般人よりは裕福な生活保障されていて

問題なのはそいつらのせいで後進が育たないことだろうな

なんで被害者面してるのかさっぱりわからん

無駄な分野にも投資しないとダメ

とか言ってるアホはバズりたいだけのゾンビもどきゴミ研究者のどっちか

無駄だと分かってる研究普通は金は出さないし

そういうのは昔から金持ち道楽でやってきてるし、今もそうだよ

2024-07-16

anond:20240716193258

申し訳ございませんでした

一見トッププレイヤー男性が多いように見えるのは、男性女性に負けることを認めたくないため、女性排斥しているからでした

こちらが正しい事実認識でした

anond:20240716090641

自分一見、⑰は①を内包するように見えた

調べたところ経営者自営業の違いは会社として登記してるかどうかとのこと

⑰は個人事業主と考えられる

相対主義社会構築主義というものが広まっているワケ

「何が真理であるかは人それぞれ」「何が真理であるかは社会が決める」といった思想

この思想体系は相対主義社会構築主義と呼ばれ、現代社会において特に顕著になっている。その主な理由は以下:

 

1. 情報化社会の進展:

さまざまな考え方や情報に容易にアクセスできる現代社会では、「絶対的な真理などない」という考えに陥りやすくなっている。多様な価値観文化に触れることで、真理の相対性を感じやすくなっている。

 

2. 思考停止の誘因:

「人それぞれ」という考え方は、一見柔軟で視野の広い思考のように見えるが、実際には真理を追求する意欲を失わせ、思考停止に陥らせる。これにより、深く考えることを放棄し、安易相対主義的な立場を取る傾向が強まっている。

 

3. 民主主義社会との親和性:

多数決を重視する民主主義社会では、個々の価値観や信念が尊重される。しかし、これが行き過ぎると、絶対的な正しさを追求する姿勢が弱まり相対主義的な考え方が広まりやすくなる。

 

4. 機械技術の発達:

近代機械的な思考様式は、物事単純化して捉える傾向がある。これにより、精神的・道徳的価値の相対化が進み、真理の絶対性を疑問視する風潮が強まっている。

 

5. 娯楽文化の浸透:

現代社会では娯楽が生活重要な一部となっている。これにより、単一の真理や価値観に縛られない多元的生き方が受け入れられやすくなっている。

 

6. 実存主義思考の影響:

ヤスパースなどの哲学者提唱した実存的真理の概念は、真理が個人存在と不可分であるという考えを広めた。これにより、「私の真理」という個人主義的な真理観が強まっている]。

 

この相対主義的な考え方が堕落に繋がる具体的な例としては、以下のようなものが挙げられる:

 

1. 思考停止責任回避:

「人それぞれだから」という考えが、深く考えることを放棄させ、適当判断や行動を正当化してしまう。例えば、重要社会問題に対して「考え方は人それぞれだから」と言って議論を避け、自分責任放棄してしまうケースがある。

 

2. 民主主義機能不全:

民主主義社会では、多様な意見をぶつけ合って議論することが重要しかし、「正しさは人それぞれ」という考えが強まると、建設的な議論が行われず、投票が単なる好き嫌いの表明になってしま可能性がある。

 

3. 道徳的相対主義:

文化善悪はない」という極端な文化相対主義は、人権侵害差別的慣習を正当化する口実になりかねない。例えば、精神障害者の権利制限されている社会で「それが文化から」と言って批判を避けることは、弱者立場無視することにつながる。

 

4. 学問科学進歩の停滞:

「真理は相対的」という考えが極端になると、客観的事実科学的知見の重要性が軽視され、学問科学の発展が妨げられる可能性がある。

 

5. 個人主義の行き過ぎ:

「私の真理」という考えが強まりすぎると、社会共通価値公共利益が軽視され、極端な個人主義につながる可能性がある。

千葉県庁あたりの衰退ぶりがすごかった

県庁や県警に挟まれ道路沿いの建物一見して老朽物件廃墟ばかりで、

共産党系のチラシがやけに目立つ。

コンビニどころか稼働中の活気ある店舗も少ない。

幕張新都心とか高層ビル新宿並にあるのに、落差にびっくりした。

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