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2018-02-24

大杉漣さんの死から思う、偉人キャラクター化について

大杉漣さんの死から思う、偉人キャラクター化について

まず、俳優 大杉漣さんに対してお悔やみを申し上げる。

誰もが顔を見れば「ああ!この人!」と思うが、それぞれが頭に浮かべる、大杉漣さんのキャラクターは異なっているだろう。

それほどまでに日本バイプレイヤーとして存在感を放っていた人物である

話は変わるが、今FGOというソシャゲで人気な、Fateというシリーズがある。

Fateとは、歴史上の偉人織田信長ダヴィンチ、はたまた黒髭、シャーロックホームズ)たちを、「英霊」として、現代召喚し、1つの聖杯を奪い合う、というものである。(詳しくはwikiとか見てほしい)

例に挙げた織田信長、これは史実上では男性であるしかし、fate上では女性としてキャラクター化されている。しかも、火を使ってバリバリに戦う。超人である

このように、Fate上では、過去偉人たちは特殊能力を持ち、いわば召喚獣のように戦う存在に設定されているのである

fateに限らずとも、バサラとか、三国志無双とかも同じように、明らかに現実離れ、史実離れした能力を手に入れている。

これを踏まえたうえで、私はとあるツイートを見た。

それは、Fateの中には最近キャラクター英霊として登場しておらず、それは著作権関係であるためだ、というものだった。

これを見たとき思った。シャーロックホームズなどの物語の中の有名人は、あくま物語中の人であるため、著作権が失効すればもう自由にして良いだろう。

しかし、歴史上の人物は、実際に存在していた人間なのである。(ほんとはいなかったとかはひとまず考えない)

言い方を非常にとってもめっちゃ悪くすれば、死者をキャラクター化して遊んでいるのだ。

大半の人はここで思うだろう。いや、もう死んでるし、何百年前の人だしよくね?と。

まあそれはそうなのだが、それでも死人をキャラクター化してることには変わりない。

ここで冒頭の話に戻る。

今、大杉漣さんを二次元キャラクターにして、ゲームなどに登場させたらどうなるだろうか?それはもう非難轟々、その作品を作った人はツイッターで晒され、小学校から高校卒アルを晒される。(妄想

このように、亡くなったばかりの人をキャラクター化するのは誰しもがダメだ!というだろう。

では、美空ひばりさんはどうだろうか?亡くなってからだいぶ経っているし、キャラクター化しても誰も何も言わないだろうか?

いや、そんなことはない。必ず声をあげる人はいる。なぜなら、美空ひばりさんが生きている時代を過ごした人がまだ生きているからだ。

生きている時の美空ひばりさんを知っているが故に、キャラクター化された美空ひばりさんを見て、過去の華やかな彼女イメージを壊された!と怒る人が必ず出てくると思う。

ただ、亡くなってから美空ひばりさんのファンになった人が全く怒らないと言えばそうではない。有名人がなくなるとテレビ特集を組まれることが多いため、そこで知り、ファンになった人は、美空ひばりさんが亡くなった時の世間を知っている。そのために、美空ひばりさんのキャラクター化について疑問を呈するだろう。

だが、もう少しだけ時代を遡り、土方歳三はどうだろうか?生存時を知っている人もおらず、また、亡くなった時の衝撃具合を知る人もいない。そのために、銀魂ドリフターズFATEにおいてキャラクター化されても、誰も何も言わないのである

さあ、長々と書いてきたが、つまり何を言いたいかというと、

実在人物を、死後キャラクター化する際は、

①その人物生存時に生きていた人がいなくなる

さらにそこから数年経つ

このくらいのスパンをあければ、きっと非難の声も少なくなるだろう。

また、人は二度死ぬと言われる。一度目が、肉体の死。二度目が、人から忘れられた時。

しかし、英霊化や超人化など、二次元キャラクター化したとしたら。

誰も生前のかの方は知らなくとも、人々から忘れ去られることはない。そのキャラクター化で二度目の生を受けるといっても過言ではないのではないか

大杉漣さんも、100年後くらいにはクラスバイプレイヤーとしてサーヴァントしてる、かも。

就活疲れたアホ学生の戯言でした。

追記

なんにも調べずに書いたから、間違ったところとかこういうのあるよ!とかあったら教えてください。

2018-02-23

anond:20180223185023

生前障害児だったらおろす、昔みたいに死産にしてもらえればいいのにね

30後半にもなるのに子どもいないとワケありに思われるし

独身ならなおさら人間として問題ありと判断されて昇進もしにくい

しかしいざ子持ちになると職場ではお荷物扱い

そもそも満足いくような給料も出してないんだからもっと支援必要だよね

2018-02-21

膿がたまっていく

甘ちゃんの高卒無職ゴミみたいな人生を振り返るだけのエントリなので、あんまり読まない方がいいです。

人生がよくわからなくなってしまった。

高校を出て、役者を目指して4年。

花は咲かなかった。

蕾すら無かったのかもしれないが。

世代の奴らが大学生活を終えて社会に出る時までには夢を叶えようと思っていた。

今年だ。

22歳になってしまった自分には何もなかった。

そもそも役者を目指した理由すら思い出せない。

貧乏なのに兄妹が多い家で、大学学費がかかるとか思い込んでたから金のかからない進路にしたいと思っていて、メンヘラ彼女と同じ大学に進むため勉強漬けで娯楽を禁じられていた自分解放から突飛な進路を選択したのかもしれない。

まあ、それでも学んだことは学んだ。

自主練はサボりまくったけど、結果として「演技は自分には難しい」ってハードル建設された。

「もうこの道への気持ちは向かないんだろうな」と思う。

途端に何をすればいいかからなくなった。

有能な兄は長年の努力が実を結び、仮にも自分が目指していた芸能関係で巨額を稼ぐ売れっ子になった。

妹は学費関係自分が学ぶのを諦めた分野を勉強して楽しそうにしている。

家の金を心配して進路を選んで、結果が出なくても「自分金銭面では兄妹より家のためになってる」と謎の慰めを繰り返していたら自分には何もなくなっていた。

妬む気持ちはあるけど、まあ兄の努力は知っていたし。自分努力する才能がないことは嫌というほど実感させられたから「兄みたいになりたい!」みたいな気持ちも一瞬で失せてしまった。

そもそも今の状況を選んだのは自分なのだ

誰も責めようがない。

行き場のない鬱屈した気持ちで胸がいっぱいになり、兄妹から逃げるように隣県に社宅のある仕事就職した。

一切経験のない工場勤務の仕事だったが、高校を出た時と同じように「まあ大丈夫でしょ。高給だし金のためならやれる」と軽い気持ちだったのを覚えている。

結果、一ヶ月続かなかった。

ただでさえ体力が追いつかないのに、毎日残業夜勤、そして現場でのパワハラ精神までやられてしまった。

最初は楽しかった一人暮らし苦痛になり、身も心もズタボロになってギブアップ宣言した。

自分が使えない人間であることを嫌と言うほど思い知らされ、実家に帰ってきた。

働きたくても怖くて一歩を踏み出せない。

そんな自分の不甲斐なさが、余計に心に影を差すように感じながら今生きている。

話は変わるが、数年前、有名ボカロP20歳若さ自殺した。これが生前最後ツイートになる。

https://twitter.com/siinamota/status/624184390592000000

自分ボカロには疎かったのでこの人の事も知らなかったのだが、「気持ちはわかるなあ」ってなんだか謎の同意が心に残っていて、今でも思い出す。こんな無能同意されても気持ち悪いと思う。ファンの方がいたら本当にごめんなさい。

で、なんでこの話をしたかと言うと、自分の体が使い物にならないのを知ってしまったし、心は完全に働くことに対して及び腰だし、細かな体の不調がどんどん明るみに出てきて収拾つかなくなってるし、治すほどの根気も自分にないし。なんかこう、そういう膿のようなものが体にも心にもたまっているのを感じて、リセットしたいなあ、消えて無くなりたいなあ、と思ってしまうから

長年やってるSNSも心の支えだけど、長年やってるせいで「罵倒していいやつ」みたいな扱いになってて。オフで会ってもネット上でも言葉ボコボコにされるし。高卒無職とか言えずに大学生気取ってるから悩みの相談なんて出来ないし。

あと最近若い子がネットに増えすぎ。才能のある歳下がバンバン目に入ってきて痛い眩しい辛い怖い苦しい。自分は絵も描けないし文才もないのでエンタメ素養全然ないんだなって自己嫌悪が止まらない。

とりあえず趣味があってよかったとは思えるけど、リアルネットも本当にリセットしたいなあって思います

とりあえず自分でもわけのわからないまま吐き出してしまった。一文字でも読んでもらえたら自分負担分散するのかなって思います。いやもう書いてるこの時点でだいぶラクになったけど。以上。

2018-02-20

何歳で子供を産むかという話

自分の感じた30代で子供を産んでよかったこと、わるかったことを書いておく。

一人目出産時のスペック

30代中盤/夫婦の両親ともに別居/都内住み/共働き世帯年収700万程度

子供はめちゃめちゃ可愛い未来暮らしていると実感する。

事情は人それぞれだろうけれど、欲しいなら持ったほうがいいと思う。

良かったこ

20代にそこそこ楽しんだので、遊びたいという気持ち比較的薄い。

独身女子友達オールで飲みとか旅行とか趣味とかは人並みに楽しんだ。

欲望は際限がないが、自分の手がでる予算内で得られる楽しさはこの程度とか、

この遊びはもう繰り返しだからいいや、と思えるようになっていた。

独身時代友達連中が変わらずがツイッターで飲んでたりするとうらやましくはあるものの。

自分人生で今後、大きな変化はないんだろうなあ、と漠然と思うようにもなった。

才能が開花するとか、急にどうしてもやりたいことができるとか。

いい意味人生に諦めというか、見通しがついてくる。

世の中色々ある、というのを実感として学んでいた。

話を聞いてくれない上司とか、突然に起こる事故とか災害とかがあるということを身をもって知っていた。

子育ても予想外の連続だったが、人生そういうもんだよな、と落ち着いて対応できた。

それから、いわゆる「ごくふつう」の幸せも手に入れるのが大変だというのも学んでいた。

鬱で休職してしまった同僚や、交通事故で突然に亡くなった友人なんかだ。

生活は大変でも、家族が元気で生きている、というだけで幸せだと思える。

準備をする余裕があった。

例えば、一駅隣の市町村違いの場所

それだけで保育料が月に3万違うとか、出産手当の助成が違うとか。

産むと決めてから時間があったため、じっくり調べる余裕があった。物件選びも。

会社でも、まじめに働いて、新しい人を雇うよりは長く働いてくれる人がいい、と評価をもらえるように頑張った。

貯金も準備出来た。自分無痛分娩だったので、出産最初ベビーグッズでなんだかんだで80万~はかかった。

(うち42万は誰でも助成してもらえる)

こつこつ続けていた投資もそれなりに成長していた。

投資をやってる人ならわかると思うけど、手元の資金一定値を越えるとぐっと楽になる。

育児中は働けないのでとても役に立った。

在宅できる業種の人はフリーランスの準備をしてもいいかもしれない。

妊娠中は時間が出来るので(法律的に働かせてはいけない日数がある)

社会人している間にもてる、数少ない自分人生設計を見直せる数少ないまとまった時間だと思う。

悪かったこ

体力がきつい

まれてすぐの赤ちゃんは二三時間に一度はおっぱいが欲しいと泣く。

最低でも。それ以外におむつ変えて、だっこして、一緒に遊んでなどの体力消費オプション諸々。

睡眠時間がない。ずっと眠い、きつい。

赤ちゃんはめちゃくちゃ重い。すぐ五キロくらいになる。常にだっこの子もいる。

まれてすぐはそんな感じ。腱鞘炎腰痛筋肉痛。つらい。

最初一年精神的にも消耗する。自分が失敗すれば簡単に死んでしまいそうな人間と一緒にいるのだ。

年を食うと腰痛とかもつらい。

三歳くらいまでは目が離せない。逃亡したり、その辺の壁にぶつかってたりする。

出産にまつわる不安が多い。

若いからといって元気な子が生まれるというわけではないが、

年齢が高い分、ダウン症とか障害とかとても気になった。

我が家はどんな子が生まれても受け入れよう、と決めていたので出生前検査関係は一切しなかった。

出産きっかけでなる糖尿病や高血圧もあり、若い方がなりにくいのでは?と思う。

時間がない。

人間妊娠できるのは月に5~3日間程度と短い。

残機が減っていくような不安が常にあった。

二人目、三人目が作れる時間も少ない。

妊娠から出産まで大体一年、次の妊娠までも一年は空けたほうがいいそうだ。

それから自分の年齢が高ければ高いほど、自分死ぬ確率が上がっているわけで。

子供と長く過ごせる時間が減るし、助けてやれる時間も減ると思う。

孫が見れる確率も減る。

私は子供が生まれてとても嬉しかったので、子供が望むなら出来れば結婚出産もしてほしいと思ってるから

大きなところではこの辺かな。

大体、ネットで言われてることほぼそのままだった。

友達には22歳で出産、少し子供が落ち着いても30代前で、

そこから社会人経験を積み始めた子もいる。

高学歴所得二馬力、子なし夫婦バンバン贅沢している友達もいる。

七年間で三人きょうだいを産んで忙しそうにしている友達もいる。

人生それぞれだと思う。

将来やお金不安はすごくあるし、この国の未来は明るいとは思えない。

でも、自分子供を30代でもうけて良かった。

出来れば三人目がほしいけど、金銭的な事情で難しいかな。

2018-02-14

anond:20180212220528

元増田は本当にお疲れ様

前に飼っていた猫は乳癌で長く闘病していたのだけど、生まれた時から一緒に育った猫だったので大変辛かった。

その頃のことを思い出したのは、昨日、その後に飼った別の猫が死んだからだ。便乗するのを許して欲しい。誰かにまれたいわけじゃない。吐き出さないとつらい。


今回の猫は心臓悪化から機能が低下して内蔵まわりを水びたしにして呼吸困難で死んだ。

そんな疾患を意識したこともなく、ほんの三日前の午前中まで元気に普段通りに過ごしていたので寝耳に水としか言いようがない。

細かく書こうとしてみたが、すでに出来事の順番が曖昧になっていることに気づいたのでやめた。ともかくジェットコースターだった。レールが出発地点に戻らずちょん切られていて池の中に放り出された感じだけど。

前述の癌の猫について、飼い主の都合で痛みを長引かせてしまったという自覚があることと、呼吸困難の苦しさ(丸二日間ずっと苦しみ続けて睡眠もとれないのを目の当たりにみしている上、完治の見込みは一切無い)を考慮して安楽死を選んだ。

選択自体には後悔は一切していない。猫はもちろん一秒でも長く生きることを選ぶだろう、意識だってまだあるのだ。自分の顔を声を、撫でる手を認識している。酸素室で比較的楽な一瞬、しっかりとこちらを見て立ち上がった時、確かに意識はしっかりしていた。でも、苦しさが限界まできてから眠らせるんじゃ意味がないと思った。少しでも早く楽にさせてあげたいと思った。口から垂れた水滴がうっすらと紅色だったのを見て、呼吸困難の後、血を吐くというのは本当なんだと思ったし、そこまでさせるのは本当に可哀想だと思った。前日の夜、撫でさすりながら「この呼吸困難は落ち着くことはない」と悟った時の悲しさは深くて、その時にもう決断したのだ。落ち着かないんだから、早い方がいい。でもそれは今日その日のことだとはわかっていても、何時何分になるのか、どうやって決めればいいのか。その瞬間までずっと考えていた。今はまだ撫でれば寄り添ってくる。声をかければ反応がある。尻の付け根を撫でればしっぽも跳ねる。でも決めてしまったら最後もう二度と触れあえない。

バックヤードに入って声をかけてから就業時間ギリギリまでそばにいる許可を得て、酸素室のそば椅子に座って猫をずっと眺めていた。猫は午前中は水を飲んだりできるまでに安定していたが、午後から酸素室に入れる前のように口を開いて呼吸する状態に戻っていた。心臓を圧迫するから俯せになるより座る姿勢の方が本来は楽なのだが、疲れているので伏せっていた。どうにもできないのでアクリル板の前で声をかけていた。顔と顔を付き合わせてスリスリするのが好きな猫だったので、なるべく顔を近づけて、たまに話かけるようにしていた。

しばらくして猫が体を起こした。そのまま頭をアクリル板に擦り付けスリスリとした時、私は撫でてやることができなかった。すぐに猫は座りなおし、また伏せてしまった。この仕草が猫から最後要望だったこと、それにその瞬間に応えてやれなかったことだけが、後悔として未だに引っかかっている。最後の瞬間まで何もかもを飼い主が勝手に決めるんだから、その時の「撫でて欲しさ」くらい絶対的に満たされるべきだった。

その後、酸素室を明けてもらってチューブを口元に持って行きつつ撫でたりもしたし、それで尻尾はピンと張ったけど、そんなの飼い主が触りたくて触っただけだし、今こうやって失われた手触りを惜しんでボロッボロに泣いているのも飼い主の勝手なのだ

死も病も生きとし生けるもの代謝を続ける生物すべてに降りかかる災難であって、この出来事もことさら特別運命ではない。だけど、なんでついこの間までピンピンしてたのに撫でて温めても治らないのかわけわかんないし、その直前に何か特別なご褒美がないものか、よくわからんと感じてしまうのだ。ペットとして生きものを振り回している人間の罪悪感から来ているとか、そういうたいそうなもんじゃなく、あの時に応えてあげたかったと、叶わなかっただけに後悔というより残念感がドーッと心を浸したまま浮き上がることはたぶんない。

安楽死想像よりも一瞬の出来事で、ハッキリ言ってまだ生きてる状態なのではと思いつつ死体を抱えて帰宅したが、やはり運動としての反応がない以上、死んだものではあった。体温は一月の寒さ程度では全然去らず、猫を抱えているとき特有の暖かさがあった。その意味ではまだ肉体は生きていた。肉体が生きている、感触は変わらず生前のままなので、猫とはまだ別れていない、「魂はまだ離れていない」という感覚ストン理解できた。通夜をするのだと決めた。

猫を抱いた人は了解されていると思うが、猫を抱くというのは小さいものの魂を抱くということだ。あれの温かさはそういう種類のものだ。スピリチュアリズムとかではなく、あんなに小さくて柔らかくて温かい繊細な感触をするものが、電池もなしに瞬発力を持って動くことに感動する。あの感触を得るために(あと鳴き声や舐める舌を得るために)人間は猫を飼っている。

この撫で心地を一瞬でも多く体験したいと思って、コンパクト姿勢にまとめて、体から熱が去らないようにバスタオルで包みながらずっと撫でていた。

やがて家族が飯の支度が出来たと呼びに来たので、二回目の呼び立てで立ち上がって猫を置いた。いつまでも続けているわけにはいかないのは分かっている。ただ、失われるものを少しでも得たいという、やはり飼い主の勝手欲望であって、そんなものは不純な気もしたが別れの儀式なのだと思えば許されるのではという気もした。

寝る時はベッドのそばのローテーブルに安置した。なかなか寝入れないので無料ガチャを回そうとソシャゲを起動したのだが、そういえば一昨日もこれをプレイしつつ俯せになっていたら猫が胸の下に入り込もうと邪魔をするので追い払っていたなと思い出した、とその時は泣かなかったが今泣いている。そのことは特に後悔はしていない(猫は実際に邪魔な時は邪魔だ)のだが、失われた瞬間の尊さときたら途方もない。猫が生きている時は「寂しい」の気持ちは押し込められていて、ともかく理不尽な病に苦しめられている猫の「運命」が「可哀想」だという気持ちで頭がいっぱいだったのだが、死んでしまうと寂しいに浸ることが許される。寂しいは自分状態への反応なので、順番を間違えてはいけない。

翌朝、猫の体は冷えていたが、水が溜まった下腹部がぶにぶにとしているせいで毛並と相まって生前の手触りを保持していた。腹に顔を埋めると猫本来香りは一切しなかった。発症してから口臭や小便の匂いもせず、口鼻や肛門に詰め込まれている綿と、昨夜寝かせる前に口元を拭った時の消毒剤の匂いがした。

その後、猫を弔ったわけだが長くなりすぎたので割愛する。

私が猫を看取ったのはこれで六匹目になる。回数を重ねるにつれ慣れるものだと感じていたのだが、正確ではなかった。この最後の一匹になる前は多々飼いをしており、一匹が死ぬことで猫の気配がなくなるということはなかったのだ。

最後の一匹になってから四年。この一匹だけは老衰でヨボヨボになりボケてあちこちに放尿するのを世話しながら息を引き取ることになるのかなと、なんとなく考えていた。



ペットロスという単語検索してみたら気が滅入った。

例えばこの文章を書きつつ号泣するというのはよくわかる。自分体験を振り返り、気持ちを盛り上げて文章化するものからだ。

だが、なんの切っ掛けもなく涙がこぼれることがあって、その時の心境は確かに「悲しい」だから心体は一致しているものの、ささいな刺激で表出するので本当に困る。「悲しい」には悲しいし、寂しがっているのだが、そうしたいと思っていないのに気持ちが昂ぶってしまい困る。

その一方でその気持ちから断ち切られたくないと考えている自分もいる。猫の感触仕草を声を忘れたくない。何度も振り返って記憶に焼き付けたいと願っている。その中でその愛している相手がこの世のどこにも存在しないことを感じて自動的に涙が流れる

時間解決することはわかっている。涙がなくても気軽に思い出せる日はたぶん遠くない。でも今はいっぱい悲しい。悲しいので涙が流れるし鼻水は垂れるし、一昨日からずっと目蓋が腫れぼったいしおでこまわりが熱いし、今年はもう必要ないなと思っていた鼻セレブを買った。

猫のことが悲しすぎない心持ちになったら、また新しい猫を引き取ろうと思う。一匹目の生まれた時から一緒にいた猫と死別した後、猫はあの一匹だけだと思っていた自分を変えたのは昨日看取った猫だった。

猫は猫それぞれで全然違い、個性や猫格を持っている。上手く付き合える確証なんてない。でも捨てられたり放棄された猫と暮らすのはどんな相手だろうと悪くないものだし、そのことで幸せになれる猫がいるなら今までの飼い猫たちにも報いることにならないだろうかと、そうも思うのだ。それこそ飼い主の勝手解釈で猫にしてみたらどうでもいいだろうが、一匹でも多く飯で腹いっぱいな猫が増えるなら猫好きとしては嬉しい。




一匹目の猫は乳癌で死んだ。

腹が腐る匂いと一緒に眠っていた。腫瘍の膿を拭って消毒液をかけないといけないのだが、大きく身をよじって嫌がるので雑な対処しかできなかった。爪を切られるのさえ嫌がる猫だった。

最期が近くなるとトイレがうまくできなくなり、尻まわりに糞をつけていたので臭かったが、その頃になると体もうまく動かせなくなっていたので拭き取ること自体は楽だった。しかし、腰が抜けて糞尿の上でのたうつようなことが度々あり辟易した。

最後の日、私が居間インターネットをしている時に「ニャア」といつもの声で呼びかけてきたが、私は怒っていたので相手をしなかった。

学校から帰って死んだ猫を見つけた時、ついに来ものが来たということはわかっていたが、そのことが理解できなかった、というのが当時のノートを読み返してよくわかる。生きていた時なら絶対にしないことを猫にした。首を持って持ち上げた。そのまま持ち続けていたが、反応がなくて、手を離した。床に落ちた。現象として確認した。信じられないものを目の当たりにしたあの時の気持ちを私は今でも忘れていなかった。紙から取り出せる。いつでも。

風呂場に遺体を持ち込んで糞と膿を荒い流している間、全世界への呪詛を吐きながらずっと泣いていたことも覚えている。初めて触れた身近な死だった。なんて残酷なんだろうと思った。

あの頃のように大声を出して泣くことも、荒々しい気持ちになることも、もうないだろう。

供養もなにもかも、飼い主の勝手で、寄り添ってくれたあの瞬間だけが本物だった。

anond:20180213235016

親戚「あそこで号泣している方は生前どのようなお付き合いが?」

喪主「いえ…甥の会社の同僚で、まったくの見ず知らずの他人です…」

親戚・喪主(なんだ、あいつ…)

2018-02-13

頭痛から回復した時に起こる異様なモチベーションの上昇について

僕の体質の話。

2週間に一度くらいの頻度でウィークエンド頭痛に悩まされている。

いつも決まって左側頭部が痛くなり始めて「あー、来たな」と思ったら

寝ようが頭痛薬飲もうが痛みレベルが最大になるまでは引かない、やっかい頭痛

ガンガン痛くなるレベルまで来て初めて長時間睡眠で治ったり、頭痛薬が効くようになる。

主に休日で寝過ぎたり、リラックスしすぎたりすることが原因で発生する片頭痛一種らしい。

(脳の血管が拡張して当たったらいけない部分に当たって云々)


これのせいでよく貴重な休日をほぼ全日にわたって極低パフォーマンスで過ごさざるを得なくて、

なんて面倒な体質なんだと腹も立つのだが、一点だけ謎のメリットというか、

痛みを耐え抜いた後に待っている、ボーナス的な現象がある。

「その日のうちに頭痛回復した場合に限り、回復後にやる気がモリモリ湧いてくる」というものだ。

前述したとおり、この頭痛から回復するためには痛みMAX時にたっぷり寝るか頭痛薬を飲むしかないのだが

「その日のうちに」という条件を満たすためには大抵の場合頭痛薬を飲む」しか方法はない。

痛みをこらえてフテ寝して、翌日の起床時に治癒していた場合には起こらない。


休日の起床時から始まって、痛みのピークを迎える昼過ぎ夕方ごろに頭痛薬を飲むと、3時間後には痛みが消えている。

その後、頭痛発症中の下げモード挽回するかのごとく、なぜか気分が高揚してくる。

本来やろうと思っていたが頭痛によってできなかった事、に対するモチベーションがめちゃめちゃに湧いてくるのだ。

もしかして愛飲するナ○ンエースに何か入っているのか、とも思ったが

「前日の夜から始まって翌日に引っ張ってしまったケース」が日中自然治癒した場合でも起こる事が最近分かった。


成功パターン①】

 起床     !頭痛発生!   !!!!痛みのピーク!!!!     治癒           就寝
 ├────────┼~~~~~~~~~┼wwwwwwwwwwwwwww~~~┼米米米米米米米米米米米米┤
       (あー、来たな)  (頭痛薬を飲む)  (やる気モリモリ)  (よかった。寝よう)

成功パターン②】

 起床                        !頭痛発生!    !!!!ピーク!!!! 就寝     
 ├───────────────────────────┼~~~~~~~~~┼wwwwwwwww┤
                          (来るのが遅い!) (つらい。諦めて寝よう)

 起床(翌日)           治癒                        就寝
 ├~~~~~~~~~~~~┼米米米米米米米米米米米米 ┼────────────────┤
 (起きてもまだ痛い)  (何か自然に治った。やる気モリモリ)       (よかった。寝よう)

【失敗パターン

 起床                 !頭痛発生!      !!!!ピーク!!!!        就寝     
 ├────────────────────┼~~~~~~~~~┼wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww┤
                   (中途半端!)           (頭痛いままだけど寝るしかない)

 起床(翌日)                                     就寝 
 ├───────────────────────────────────────────┤
 (寝てる間に治った。いつも通りの朝だ)              (頭痛いだけだった。損した)


やる気モリモリ状態でのパフォーマンス頭痛生前の平常時を大きく上回り、集中力高まるのが自覚できるほど。

ロウアー期を経ねばアッパー期に入れない事を考えるとトータルの能率は然程上がらないのだが、

集中力がそのままクオリティに直結する作業をうまくこのタイミングに持ってくると、かなり捗る

この現象は、一体何なのだろうか。同じような体質の人はいるのだろうか。

もし自分だけの特異体質なのだとしたら、なんて不安定特殊能力を引いてしまったんだと生まれを呪うほかない。

2018-02-08

anond:20180208175528

故人のキャラを過剰に大切にすることは、故人のキャラを逆に殺している。

無条件の評価生前仕事ぶりを無視している。

ご受戒も戒名も要らん

私本人は、特定信仰を持たない。寧ろ持ちたくないし、嫌い。

夫は日蓮正宗信徒

再婚同士。

先月、姑の一周忌だった。法要正宗のお寺で行った。

私的には、夫の信仰尊重するけど、和して同ぜず。そんな感じ。夫もそれで良いと云っていた。……直前まで。

話は遡るけれど、義母の本葬のとき夫の息子(成人済み。私とは血縁も縁組もない)に、「正宗ですか?」って聞かれた。

普通、成人済みで家も出て行った息子が、父親再婚相手(の実家)の宗教なんか、いちいち確認しないと思う……。正直ドン引きだったけど、葬儀の忙しさで正直すぐにそんなことはすっかり忘れてた。

それを思い出したのが、姑一周忌の直前。数十分前。

なので、

「お義母さんの形見分けとか、お義姉さん(夫の姉。僧侶の妻)からいろいろお手紙が来てたみたいだけど、私は信徒ではないから、お数珠とかは宗教的ものは受け取れないし、生前の縁も薄かったから、何もいただく気はないよ」

って話した。ついでに、

「私は信徒じゃないし、入信する気もない。お弔いだから参列するし、お経も一緒にあげるけど、信徒さんかって誰かに聞かれたら否定するよ。それは解ってね」

とも話した。

そうしたら夫が、

「ご受戒だけ受けて、戒名は貰ってないって今回は誤魔化す。戒名ないとうちのお墓に入れないから」

とか云う。

ねえ、それおかしくない?

何で宗教とかで、嘘つかなきゃいけないのよ?

私、散骨希望って云ったよね? 戒名も年忌も要らないって。

別に妻が信徒じゃなくったっていいから、入籍したんじゃないの?

嘘ついて誤魔化さなきゃならない存在なの?

入籍して5年。ずっとそう思われてきたってことか?

なんかもうとにかく許せない。

もし今土下座で許しを請われても。頭蓋骨粉砕して【いとしきみこと】するまで、踵落としするレベル

姉が僧侶の妻だからって、自分再婚相手宗教まで日蓮正宗にしなきゃなんねーのかよ。冗談じゃねーよ。

結婚前にお互い尊重するって約束したのは嘘かこの野郎。騙してやがったのか糞野郎

だいたい、嘘で受戒だの戒名だのって、本当の信仰心を持って日蓮正宗信徒やってる方に対し、すっごく失礼だろ。

何の落ち度もない真面目な信徒さん(夫にしてみりゃお仲間さんだ)に対して、私が無礼な振る舞いをすることになると、何故気づかないんだよ!

一人の信徒が(しか僧侶の身内とか、信心の持ちようがかなりディープ人間)、非信徒に対しそれをやるってことは、日蓮正宗全体として、嘘OKってことと受け取るぞこのド腐れ野郎。例え方便ってやつでもな!

離婚を考える程ではないんだけど、信頼感がマイナスになってしまった。

この1か月、言葉にも態度にも出さないようにしてるけど、本当に辛い。

仏壇ブチ壊したくなる。

2018-01-26

anond:20180125203231

生前何もかもオープンにしてから死ぬ時はコアを吐き、後継者に死因をデバッグして貰うのはどうか

2018-01-25

プログラマーらしい死に方考えた

死んだあとにメッセージを出すんだ

世間に置き土産をする

botみたいな感じ?

 

アイディアネタ帳

メールで送る

動画投稿する

物理的に手紙で送る

・「君がこれを読んでる時、ワタシはもう死んでるだろう」という天丼(3回目くらいでセルフツッコミ、5回目から捻り)

生前なら炎上しそうな悪ふざけ

・死に芸、あの世レビュー

・「はいどーもー、電子悪霊◯◯でーす」

・「殺す気か! あ、死んでた」 ← 使いすぎると飽きる

・「今日は私の○回忌です。墓参りに行きましょう」というお知らせ(明るい調子で) ←死んだ日をどう取得するか、IoTでできそう

bot化して、幽霊みたいに存在してるような振る舞いをする

・要約ツールを駆使して、死語の世の中についてそれっぽい意見を言う ← 実は生きてる説が出ると良い

・「俺の財宝か?欲しけりゃくれてやる」 ←ネタが古すぎて理解されない

・1回忌くらいに「死後Hackやってみた」というネタQiita投稿

・動的遺書

 

課題

・送る人が居ない

技術革新メッセージ方法が変わる

バグ修正保守ができない → 外注使えば解決?死んでも契約遂行してくれる人

・「どうせ死んでないんだろこいつ」に対する返しが難しい、「は?ちゃんと死んでるし!」しか言えない

・ウケなかったら辛くて死にたくなる

 

 

___

 

おい伸ばすな

俺もちょっとサムいと思ってんだから

シュール系より素直に怖がらせるほうが面白いかな、死者から手紙が届くみたいに、死者が幽霊の真似する(真似?)

2018-01-22

就職他界している父の話。

私は大学4年生で、春から社会人になります今日テストをよっぽど間違えてなかったら。

父は私が大学在学中に他界しました。突然です。

私はそれを受け入れられなかったり受け入れたりしながら今を過ごしています

なんか、就活をしていて面接の時に聞かれることがあるんですよ、ご家族はどんな方ですか?とか、お父さんは何されてるんですか?とか。

その度に私は父が生きている体で生前職業とかそういう話をしてきました。突然「いや、父は他界しているので…」とか言われても面接官の方もちょっと気まずいじゃないですか、たぶん。

内定を頂いている企業もその質問をされて、いつもみたいに生前の父の話をしました。

でも、たぶん働いてからなんだかんだで私の父は生きていないってことがバレる日が来ると思うんです。

その時私はなんで嘘ついたんだ、とか思われてしまうのかな、それで信用を失ってしまうのかな、と不安になっています

からといって面接の時に他界していて、というのが正解だったとも思えません。

ずっと隠し通せばいいのかな。できる気がしない。

2018-01-20

親と絶縁してる

何も困らない

父親が死んだと連絡があったが別に言ってもない

ていうかそれ以来、電話も取ってない

家を買う時とか資金援助されたり生前分与されてる家庭って結構あるのかな?

別に援助されたくもないし欲しくもない

もし遺産があっても放棄する方針だけどね

2018-01-17

anond:20180116230147

ばっきゃろー恥ずかしいことある

おれは「地球留学している異星人。人類文化マニア些細な習慣の摩擦に萌えを感じて熱心に収集している」っていう設定で日記つけてるからあんたも「明治時代舞台作家普遍的な愛の形を追究するため、若い肉体に憑依して自由恋愛を楽しんでいる。生前行けなかったイギリスに今も憧れている」っていう設定で日記つけてみて下さい。

ファイトですよ。

2018-01-11

anond:20180111082040

その転生先が虫や動物植物でないのかどうか

転生先のホスト細菌含めて無数にあるなら転生するだけサイクルが巡ってくるのかっていう問題

善行を積めばまた人間に転生しやすくなる?誰が判定しているのか

神というのが原初意識を指している可能性は高いけど

死後の意識生前意識を追跡できる方法って今後科学的に解明されるんだろうか

お前のおじいちゃん、今銀座オカマやってるよ!とか

哲学的ゾンビ人間の魂を宿すってのは違うでしょ、赤ん坊のころから性格が表れてるんだから

それに赤ちゃんが親を選べるなら赤ちゃんポストされる親を選ぶか?

生前記憶を頼りにした自分ママを選ぶという説は信じられない

まれてすぐ死ぬ赤ん坊や捨てられる赤ん坊はどうなのかと

母親はいらないと思って産まれてきたということか、前世の罪ということなのか

ネグレクトしてきたりヤクザヤンキーの親の元に産まれてくる赤ん坊は何で選んだのか

疑問が尽きない

2018-01-08

全国の学校から宿題をなくしま

妻が宿題に殺されてから10年が過ぎました

妻は小学校教員でした

生前彼女はいつも残業していました

帰宅時間はいつも10時頃でした

それでも仕事が残ることがありました

からよく仕事を抱えて帰ってきました

お持ち帰り残業です

日々の宿題もそこに含まれていました

学期末ともなればひどいものでした

宿題テストの採点や通知表などなど

諸々の合わせ技で死にそうになっていました

そして実際に死にました

妻は宿題に殺されたのです

しか文部科学省は何ら対策を講じませんでした

しろ教員負担は増えるばかりでした

過労死もなくなっていません

から私は決めました

今年の4月から全国の学校宿題廃止しま

公立私立関係なく全廃しま

宿題を出すことを法律禁止しま

もし出した場合は即刻解雇です

そして罰金2000万のおまけが付きます

私が決めました

全国すべての学校に必ず従わせます

それが手っ取り早く教員負担を減らす方法からです

そもそも今の学校仕事の量が多すぎるのです

文部科学省に変わって私が教員負担順次減らしていきます

宿題の次は文部科学省のものを段階的に解体していきます

どうせあってもなくても同じですから無くしま

そして廃止した分の予算教員給与に回しま

新学期の全校集会なども廃止しま

校長無駄話も廃止しま

ミントな僕らです

道徳時間もなくしま

いくら道徳時間人権の尊さを説いても無駄なのです

人権教育している側が人権を守れていないのですから

無くしてしまっても全く問題ありません

道徳に代わってデモンズソウル義務しま

あれはいゲームです

失敗から多くのことを学べる最高の教材です

学びとはどういうことなのかを教師に代わって教えてくれます

しょうもないクレームを入れてくる親がいれば私にご一報ください

そういった輩も法律によって干渉できないようにしま

親が教員無用負担押し付け行為にも刑事罰を課しま

もちろん形だけの法律にはせずきっちり裁きます

私が法律を変えます

私は教員の味方です

4月から宿題廃止しま

2018-01-04

木の枝に首を吊って亡くなる自殺遺体が多い青木ヶ原樹海だが、ローガン・ポール(Logan Paul)さんが撮影して大晦日投稿した動画にも1人の男性が映り込んでおり、彼は卑語を交えて遺体に声をかけ、紫色に変色した手をも紹介した。これには「YouTuberとしても度を越した行為」「人としての良識を疑う」「死者へのとんだ冒涜」といった厳しい批判が相次いだ。

https://a.excite.co.jp/News/world_clm/20180104/Techinsight_20180104_460004.html遺体の実況中継か

まあ首吊り遺体生前を装って話しかウンコ漏れますよとか言う類の卑語で茶化してるんだったら馬鹿だな

卑語って何だろうな記事でも卑語とし書かれてない卑語って

2018-01-03

嫌父

久々に実家帰省したら、父親の部屋の棚にでかくて分厚い嫌韓本が飾られてた。

本棚じゃなくて、家族写真や絵皿のある飾り棚に堂々と。

さらには家族普段使ってるダイニングテーブル図書館で貸し出した嫌韓本父親スマホと共に置いてあった。

正直、普通に引いた。

今思うとたしか兆候はあった。

父は昔からキムチが大っ嫌いで冷蔵庫に入ってるとくせーくせーと露骨嫌悪感を示してた。

帰省して久々に家族揃って外食ってときも、たまたま近場にあった韓国料理屋にはいろうとしたら回れ右して逃げ出したし。(大人気なさ過ぎて母親も弟も呆れかえってた。結局ラーメン屋に変更した。中国はいいんだ)

料理が嫌いなだけだと思ってたから、まさか嫌韓本にまで手を出してるとは思わなかった。

亡くなった父方の祖母生前はがっつり新興宗教にはまって高額な壷やネックレス買わされてたかまさか遺伝、、、?ってちょっと違うか。

いや、人それぞれ色んな思想をお持ちだと思うのでなるべく否定したくはないです。

正直8、9年前の嫌韓ブーム?の時はまとめ記事とか少し鵜呑みにしてたことはあったし。学生の頃ね。

まぁ、いいんだけど、、、、、、

せめて人の目に触れる場所にそういう本を置いてほしくない。

父親の部屋っていっても元々祖父母のリビング二世帯で住んでた)だったから、今でも親戚が家に集うときはその部屋を利用することになってる。

え、私が東京にいる間も何度か集ってたよね。その時も嫌韓本でかでかと飾ってたの、、つかそれ以前に家族普段利用するダイニングテーブルに平気で置いとくとかありえないんですけど。

私が神経質すぎるのか、一度通ったことある身だから過剰反応しちゃってるのか、、延々もやもやしてしまう。

解決策としては父親に「こういう本は片付けておいて」ってそれとなく諭せばいいんだけど、この話題に触れるのって同時に父の闇にも触れるようで、めちゃくちゃ怖い。というか、もう父とはなるべく関わりたくない。これ以上嫌いになりたくない。

父親とは小学校の高学年から社会人になるまでの長い間、反抗的な態度を取っていた。嫌いだったとこ挙げてくと、

ひどく無神経でありがた迷惑

私や弟の育児も都合が悪いと母に投げ出して逃げる

口が悪くいつもへらへらしながら人の悪口ばかり(運転中は荒くなって周りの車の愚痴吐きまくる。)

いつもその場しのぎの会話で内容もすぐ忘れる、興味が無いのか子ども誕生日すら覚えられない

子どもも呆れる程大人げない行動をとる

一応定年までサラリーマン万年係長)してたし、露骨暴力浮気癖とかギャンブルとかそういうのはないけど、どこかうだつがあがらなくてクズ思考回路尊敬できなくて同じ空間にいるのが苦痛で仕方なかった。(芸能人でいうと愛嬌も才能もない突き抜けてない蛭子さんって感じ。蛭子さんは好きだよ。)

そして何よりも、その人の血筋をがっつり受け継いでいることに対して嫌悪感がはんぱなかった。

自分にも当てはまってるんだろうなーと。父親も、そして自分も大嫌いだった。

、、これがただの反抗期と呼べるものなのはからないんだけど、多感な時期で反抗期を迎えた子どもはこんな感情抱くものなのかな。ちょっと異常な気はしてるんだけど。

そんな反抗期らしき時期も、上京して離れて暮らして、ようやく落ち着いてきた。

もういい加減大人になった。多面的な部分も受け入れて嫌な部分はそっと見なかった事にする許容も生まれてきた。

最近はなるべく避けたりせず、最低限の会話は心掛けてる。

そんなフェーズで見つけてしまった嫌韓本

ちょっとさすがにきついか増田で吐き出して記憶にふたをすることにしました。

とりとめのない駄文でごめんなさい。文章におこすと気持ちが冷静になれていいですね。

いつか父も、自分のことも好きになれたら良いな。

2018-01-02

反出生主義の論理的誤謬

反出生に限らず、この手の誤謬は非常によく散見される。

  • 「何のために生まれてきたんだろう?」
  • 「俺の人生には何の意味があるんだろう?」
  • 「そんなことして何か役に立つの?」
  • 人間存在はこの世界にとって善なのか?」

これらの疑問はどれも共通の誤りを含んでいる。

それは、「人生を外側から見なければ答えを出しようがない」という点である

意味がある」とか「役に立つ」という言葉について

これらの言葉は、「対象をとる」言葉である

まり、「何にとって」意味があるのか、「何の」役に立つのかという目的語を定めなければ意味が定まらない。

意味が定まらないということは議論俎上にさえ上げることができない。

たとえばドラクエをしている人に

と聞けば、

レベルを上げるためだ」

と返ってくるだろう。

ところがこの答えは「ゲーム」という狭い枠組みの中の話でしかない。

レベルを上げることは強い敵を倒すために意味がある。

→強い敵を倒すことはシナリオを先に進めるために意味がある。

シナリオを進めることはゲームクリアするために意味がある。

となって、それ以上は辿れない。すなわち「スライムを倒して何の意味があるのか」という疑問には、

ゲームクリアするうえで】という限定指示が暗に付属していると解釈せねばならない。

これがもし「【人生において】何の意味があるのか」という疑問だったならば、

ゲームを楽しむことで人生満足度を上げるため」

とでも答えないといけない。答えが変わるということはすなわち元の疑問が全く違う疑問に変わっているということだ。

ところで冒頭に上げた疑問のうち、

  • 「俺の人生には何の意味があるんだろう?」

これはいったい、「何にとって」なのか?

他人にとって」、ならば、まだいい。

厳密には、「他人人生に対して何か満足度を上げるようなことができるのだろうか?」という疑問になる。

これは疑問として成立する。

しかし「俺にとって」ならば、これはおかしな話だ。

「俺の人生意味」なんていうのは、「俺の人生」が一度終わってみないと確定しない。

しかし、「俺の人生」が終わっているということは、「俺」はもういないということである

いない対象にとってどんな意味があるかという疑問は、疑問として(語用論的に)成立していない。

一応、死後の世界存在仮定すれば、その疑問を持つことは可能であるが、

神ならぬ我々には死後の世界の詳細がわからない以上、その疑問には「絶対に回答できない」。

絶対に回答できない疑問は、やはり疑問として成立しない。

反出生主義について

反出生主義のキモは、

という主張にある。

かいことを言えば、効用関数とかリスク選好度はどうなんだとか色々突っ込むところはあるのだが、それよりも最も重要なのが、この主張は

ということだ。

言うまでもなく、この比較は、「人生を外側から見なければ評価できない」ことの典型的な一例である

まれ場合と生まれない場合評価を、期待値で測るのか、期待効用原理で測るのかはたまた他の方法なのかは反出生主義の主張からは読み取れない部分だが、

いずれにせよ彼らは「生まれない場合評価フラットゼロである」ということを前提としている。

ここがクリティカルな誤りだ。

我々は人生内部のことしか検知できないため、そもそもまれない場合評価をすることができない。

いわば、生まれない場合評価はNullであり、Nothingであり、#N/Aである

死後や生前世界存在しない場合評価値が存在しえないという意味#N/Aであり、

それが存在する場合、正当な結果を知りえないという意味#N/Aだ。

#N/Aとの比較結果は当然#N/Aであり、前提が成り立っていないことがわかる。

(追記)

これに対する言及です(忘れてた)

anond:20171230111228

2017-12-30

anond:20171230111228

面白い考え方だとは思ったけど、それ以上に言葉遊びというか、哲学遊びな気もするな。

マイナスは確実にあるが、もしかしたらプラスもある」より「確実にマイナスはない」のほうが合理的と言うけれど、

誰もが「限られた時間」や「あり得た未来」という代償を支払い続けて生きている以上、マイナスのない行為など存在しない訳で、

代償を恐れることは即ち生きることを、何もしないことも含めた全ての事象を恐れるに等しい訳で、

・車には交通事故という、他者権利侵害するマイナスがあるから倫理的廃止した方が合理的

インターネットはそれによる犯罪の誘発という、他者権利侵害するマイナスがあるから倫理的廃止した方が合理的

もっと言えば、

現代人は限られた資源一方的使い捨て、将来や発展途上国の人が活用する余地権利侵害しているか科学技術自体廃止した方が合理的

・限られた食物を消費することは他の誰かが食べられた食物を、特に貧困地域の人の生存権を奪う事に繋がるから生命活動廃止した方が合理的

なんて論法根本的な部分は変わらないと思う。

これが「出生」というセンシティブ大事適用されてるから、物凄く鋭敏に聞こえはするのだけれど、

世界色即是空プラスマイナス存在せず、苦痛存在しない楽園では快楽認知定義存在することはできず、

人の認識が生み出す虚構世界に対し、絶対的普遍的価値を見出そうとするが故の苦悩と言うか、

ある種の『悲劇のヒロイン症候群』的な思考遊びでしかない気がする。

------

「出生による苦痛」を特別視して、且つその前提条件を割と当然のように語られる方が多い印象だったので追記。

これはもはや宗教的な話になってくるのだけれど、

何故、「生まれてくる前の世界が、苦痛認識存在しない“無”である」ことを当然のように前提にしているの?

例えば『六道輪廻』みたく、今より悪い世界から現世というより良い,より苦痛のない世界へ生まれ変われるという可能性は?

これは別に宗教論議をしたい訳ではなくて、現代科学では出生前も死後も“あること”も“ないこと”も分かっていない以上、

「出生前世界が無である」と信じるのは「出生前世界存在する」と信じることと根本的には同義でしょう。

もっとも、「子どもを産む以上、その責任覚悟を持とう」という“信仰”の話であるならば、個人的には良い教義だと思います

2017-12-28

死んだら無です

私の全ての意識は刈り取られ、完膚なきまでに何も残りません

魂とかありません

まれ変わったりしません

天国地獄六道黄泉もありません

まれてきた意味とか、使命とかありません

私は、純粋物理現象の結果としてただ生まれてきただけです

そして物理現象としてただ死んでいくだけです

救世主殺人犯も等しく死に、等しく無に帰ります

物理現象は決して善や悪を判断しません

から、好きなように生きましょうよ

生前に行うすべての行動は、生前で完結しま

少なくともそう考えるのが最も合理的です

この世界自分死ぬまでに、自分が得る得点を最大化するゲームです

得点とは自分の満足のことです

まれる前や死後の世界勘定に入れて戦略を組み立てるのははっきり言って下手なやり方です

そして、他人というのも本来どうでもいいことです

自分以外の人間生物にちゃんとあなたと同じような意識が宿っているかどうかすら知りようがないのです

このゲームにおいて他人というプレイヤーは味方でも敵でもありません

それぞれが得点を最大化する過程で、自分戦略マッチすれば協力しあえるし、逆なら排除しあう関係になるだけです

他人を喜ばせて嬉しい、傷つけて悲しいというのは結局あなた自身得点を増減させます

そう考えたほうがきっと楽ですよ

こういうことを話すと、きっと、じゃあ自分利益のためにいくらでも悪いことしていいんだな、とか

気に食わなければいくらでも殺していいんだな、とか意見をいただくでしょう

そのとおりです、してもいいんです

逆にしてはいけない根拠はなんなんでしょうか

先に書いたように物理現象善悪判断しません

人間が100メートル飛び上がるのはおそらく「できないこと」でしょうが

人を殺すのは「できること」の範囲に入ります

物理的に、です

刑法では殺人は罪になりますが「殺してはいけない」ではなく、「殺したら罰を与えます」としか書かれていません

それは当然のことで、いくら刑法ダメと書いても、本人が決心するだけで実行できてしまうのですから

刑法に駄目と書くことにあまり意味はありません

となるともはや宗教上の理由しか残っていないわけですが、

これも先に書いたように私は死後の世界云々を否定しています

殺人を否とする根拠はどこにもありません

(というか、この現代宗教上の理由『だけ』で『全ての』人の行動を縛るなんて無理がある手法です)

たとえば私に限って言えば、それでも殺人を犯さないのは、それはこのゲームにおいて得点が下がる行動だからです

精神的、金銭的、あるいは刑罰的な理由で、様々な方向から得点がガリガリ下がります

得が全くありません

これは日本システムがそういう風に上手く作ってあるからです

他の人にとって困る行動をすると、自分自身得点が下がるように、法律できっちりとルール付けしてあるからです

これが法律の最も重要存在意義です

それでもやはり殺人の方が、余りあるマイナスを乗り越えてでも得点が上だとなった時、私はきっと殺すでしょう

そうやって世の犯罪は起こるはずです

これが私の宗教です

2017-12-27

葬式お笑いネタにするのが嫌いだ

年末も近づいたこの季節、TVではM-1を始めとしたお笑い番組が大量に流される。

漫才コント、色んな形態芸人たちのネタ披露されるわけだが、

自分葬式ネタにした漫才コントが大嫌いだ。


母親を亡くしたのは四年前で、自分でもずいぶん長いこと引きずっているとは思う。

また、自分科学の徒であることを自認しているので、死後の世界だの霊魂だのが現実にあるとは思っていない。

ただ、自分を育ててくれた母親が、死とともに完全に消滅したと思うのも辛い。

生前まり親孝行できたとも思っていない。ようやく孫の顔を見せてやることができ、

これからやっと親孝行ができるかと思った矢先に、母は病で亡くなった。

からその母のためになることを何かしたい、母を喜ばせたいと強く思った。

もう死んでるのに。

肉体は完全に死んで、脳も活動を止めてしまい、客観的には母の人格は完全に失われてしまったというのに。


葬式というのは本当に優れたシステムで、一定ルールに従った服を着て、決められた儀式を開催し、

決められた受け答えをこなしていけば、死者のために尽くしたことにしてくれる。

それなりに信心深かった母のことだ、母が祖父母にそうしていたように、自分が母に対して正しく儀式を執り行えば、

母はきっと喜んでくれるだろう。

そう信じて、その場にしゃがみ込みたい気持ちを抑えながら、とにかく正しく、つつがなく儀式を終えるように努力した。

列席者もおそらく同じ思いで、ひたすら正しく、何事も起きないように儀式を進めてくれた。

その無言の一体感が、少なからず悲しみを和らげてくれた。


ところが、お笑いネタとして葬式を消費する場合、そうはいかない。

奴ら芸人は、ひたすら「正しくない」葬式舞台で演じ、それを観客が嘲笑う。

例えば無神経な葬儀会社人間を演じ、遺族の神経を逆撫でするような発言を連発する。

自分が母を送った時に、もしそうやって葬式台無しにされたら、と思うと恐怖しか感じない。

亡くなった母のために何かしてやれる唯一の機会を、一人(あるいは二人)の馬鹿のために奪われてしまうのだ。

さら恐ろしいことに、その状況はどうやら、他人から見たら面白いらしい。

死者を悼む無言の一体感など全くなく、喪主が何とか儀式を正常に戻そうと無駄にあがく様は、

どうにも笑えて仕方がないらしい。


恐怖だ。

そう遠くない将来、父も送ることになるだろう。

自分はその時も、信心深い父のために、正しく、つつがなく儀式を進めようと努めるだろう。

そのときTVでうまくいかない葬式を見て嘲笑っていた人々は、どう思うだろうか。

どこかで「喪主セリフが飛んだら面白いのに」「焼香の時に誰かが祭壇をひっくり返したら面白いのに」

とか思ってるんじゃないだろうか。

もしそうなった時、場を収めようとする自分は、やっぱり笑えて仕方がないんだろうか。

その時が怖い。

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