はてなキーワード: 喧伝とは
灘高生が甲南女子大生と昼の性教育をした件なんだけどさ。俺だって字面だけ聞いたら「ふーんえっちじゃん」ってなっちゃうよ。
なんなら友人と「さすがにこれはえっちだよね」って話をするし、友人としかやりとりしないようなSNSなら書いちゃうかもしれない。
俺はここで責められるべきは高校生を直接煽っているという一点だけだと思う。
「茶化しました→茶化さないでください→すみませんでした」で終われば良い話で、反論されて吹き上がるのは恥ずかしいことだとは思う。
だからと言ってまとめて晒し挙げて叩きつぶすのが良いことだとは思わない。そこらの普通の人は下劣で愚か。灘高生は賢くてコレクト。なんて対立構造を生み出すのが正義だとは俺は思わない。
ほとんどの人はその性教育がどう意義があったかなんて興味がない。叩きやすいものを叩きたくて、世の中で賢いとされているものがコレクトな考え方をもっていることを喧伝したいだけ。
たぶん灘高生の多くも「ふーんえっちじゃん」って思ってるよ。実際に真面目な授業だし、真剣に取り組むけども。
表向きにコレクトなコメントを出すこともできるし、実際そう思っている潔癖な子ももちろんいる。
でも多くの子の頭に思いうかぶのは「ふーんえっちじゃん」だよ。なんなら甲南女子大にも「ふーんえっちじゃん」って思っている学生が多くいるはずだよ。
当事者としてSNSに書くようなアホはさすがにいないだろうけどね。
でも俺はその「ふーんえっちじゃん」と思う気持ちは抑圧したくないなと思う。
俺も灘ではないが名の知れた男子校に通ってたけど、 そこに通ってるのは多少、あるいは遥かに勉強はできても、中身はただの男子高校生だよ。
アホな大人がいるのは置いておいても、子供に対して変に神格化してプレッシャーをかけたり、必要以上に失望するのはやめてあげて欲しい。
例えばさ
女は「男怖い」となるわけよ
これがガチで世の中で起きている
まあ大昔ならこの1,2人が子孫残したんだろうしいいんだけど
更に悪いことに、残りの98人のほとんどが100人の女性にグイグイいかない(ってのは言い過ぎだけど)
つまり
・A郡とB郡があって
この市場において、B郡からのA郡の印象が悪くなり、市場全体が失敗する
「基本的に1対1である」という市場においては、「逸脱者だけ多数にアプローチする」となりこの市場が生まれる
「99件の正常と、1件の事件があった場合、1件のみが喧伝されるため評判が落ちる」みたいな状況
これのせいで男女逆にしても起きる状態になってる
BBCの報道以降SNSで続いているジャニーズオタクによる性加害被害者のバッシング、事務所が把握していないわけがない。
被害者に対して申し訳ない気持ちがあるなら、いやなかったとしても世間に反省するポーズを見せる気があるなら被害者への誹謗中傷を控えて欲しいとファンに発信するべきだし、その方が明らかに印象もよい。しかしそうしないのは、ジャニーズ事務所が解体的出直しも被害者救済も頭になく、ファンによる誹謗中傷を「自分たちが本当に言いたくても言えないことを代弁してくれている」とすら思っているのではないかと思わせる。
こういった動きを見る限り、会見で話していた「法を超えた救済や補償」というのもどこまで果たされるか怪しい。裁判で負けそうな相手だけ示談して法を超えて補償したと喧伝し、その他は訴訟で見かけの勝利を重ねるようなことを平気でするのではないか。数十年前の性被害について、それを証明したり詳細に記憶するのは非常に困難である(しかもこの状況は、ジャニーズ事務所による圧力やメディアの忖度などによってうまれている)。そうやって被害者側の主張が法廷で退けられたときにジャニーズオタクが汚い言葉で被害者を罵り、ジャニーによる性被害など本当はなかったのではと陰謀論を唱え始めるのは想像に難くない。
「哲学者の永井均さん、M・ヴェーバーを精読したこともない人が社会学を叩くのは自分が馬鹿であることを喧伝しているようなものであるとの見解を示す」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2221010
このブコメの話。
自然科学におけるリチャード・ファインマンの権威性と人文科学におけるマックス・ヴェーバーの権威性を並べちゃうのは典型的なダメな議論という気がする。
人文系の教育には原典講読という伝統文化があるが、自然科学の教育において原論文を精読することは比較的めずらしい。大学の社会学科でヴェーバーを読んでいない学生はモグリだろうが、物理学科でファインマンを読んだことない者はいくらでもいる(はず。「ファインマン物理学」シリーズはそれほど人気のある教科書とはいえないし、一般向け作家として人気があったのは一時代前だろう)。
現代の「社会学」についてまともにコメントをしようとするならマックス・ヴェーバーの著作、少なくともその教科書的(=広く合意のある基礎的な)解釈を知っている必要がある、というのはそれほど異論のないことだと思う。なぜなら社会学をはじめとする現代の人文科学の議論は、過去の学者がつくりあげてきた概念(言葉)をその文脈込みで参照し、再解釈しながら展開されているからだ。M・ヴェーバーの理論が現代社会学の基礎の一部、別のいい方をすればある種の共通の言語的基盤となっていることは否定できない。そして人文科学における二次文献は不可避的に当該の文献の著者の解釈や文脈を帯びたものになるので、そもそものM・ヴェーバーの議論を知るためにはM・ヴェーバーを(できるかぎり原語で)読む以外の方法がない。
他方で物理学をはじめとする理学系の自然科学について、たとえば放射性物質の一般的な性質などについてあれこれいうために特定の原論文を読む必要はまったくない。たとえばアインシュタインの原論文を読解することと、相対性理論を理解することはそれほど関係がない。読むのは凡百の大学の教科書でもいいし、なんなら「一般読者向けに」(ただし適切に数式を用いて)書かれた解説本でもいい。
なぜなら現代の物理学の最新の知見、つまり多くの者がもっとも妥当であると認める理論についての解説は、基本的に誰が書いたものでも同じ前提、同じ内容、同じ結論になるからだ(基本的に法則と定理にもとづく数式の展開によって示される)。知見のコアは何らかの前提のもとに何らかの理路を示す数式の展開もしくはその結論であって、誰が書いたか、どう書かれているかといった文脈は関係がない。
物理学はたしかにこれまでの物理学史(歴史に名を残す偉人と無数の無名の研究者たちの論文の蓄積)の産物だが、その到達点を知見として理解するために科学史を理解する必要は基本的にはない。ファインマンは特定の業績によってノーベル賞を取ったが、その業績について知ろうとする場合でも、必ずしも彼の書いたものによって理解する必要はない。
ふーん?一点突破でもなんでもいいけどこれ以上ないぐらい二次創作肯定派を騙される論法だと軽く物事を発明した気分になったぐらいだけどなあ?俺自身は何年も知恵袋で二次創作周りの口論見てきた上でのこの投稿だよ。
それなのに結局肯定派は知恵袋で見てきたようなゴネ方しかして来ないのは望月新一のIUT理論が賛否両論ある如く天才のそれだからこそ反発したがるってことなのか、それとも単に何を言われてもカルトじみてて一行たりとも都合よく曲解することしかしないから周回遅れの反応になるのか…
暴行罪関連だとたとえば腕引っ張る程度なら暴行と感じるか感じないかやられた側の感覚は別れると思うけど、暴行罪はその行為を同意してる限りは成立しないってんで親告罪的でもあるが、だからといって初対面相手に同意してくれることを期待して腕引っ張ることをデフォでして大丈夫、あるいは自己責任として喧伝していいと思うか?
ふるさと納税は、制度ができた経緯からしてトータルで損だの云々は主眼じゃない。
有名な話だけどふるさと納税という制度を作ったのはガースーこと菅前総理。ガースーが総務相時代に立ち上げて官房長官時代に完成させたもの。
ガースーはこのとき建前では秋田県出身のエピソードを元に地方創生や格差是正のためだと喧伝してたけど、実際の本心は、地方交付税交付金の采配に基づく総務省官僚の既得権益をぶっ壊すのが目的。
毎年総額十数兆円の交付金を全国の自治体に配分する総務省の権力はまぁ絶大で、最近時々ひっくり返されたりしてるが、例えば兵庫県の前知事みたいな元総務省官僚の天下り爺(次の斉藤も元総務省じゃないかというツッコミは一旦置いといて)がいっぱいいる。ポジションは知事だけじゃなくて色々あるけど。
もちろん他の省庁も地方自治体への天下りはあるが、自治体にとってお金配りおじさん元締めの総務省はまさに別格。
そういう総務官僚の既得権益天下り構造にメスを入れようとガースーが導入したのがふるさと納税。
ふるさと納税で、地方の自治体が曲がりなりにも自前で稼いで地方交付税交付金への依存度を低減させ総額自体も圧縮し、自治体への総務省の支配を弱めようとしたんですな。
ガースーは反対する総務省の高級官僚を全部左遷させてふるさと納税制度を推進したそうですが、逆にいうとそれだけ総務官僚は抵抗したということ。
まとめるとガースーの総務省改革の集大成として出来たのがふるさと納税であって、ガースーに言わせりゃ業者への資金流出は必要コストでそれを払っても余りあるメリットが得られるちうことになるんですね。
(追記)
総務省の自治体支配やら既得権益やらそんなもんあるのか?陰謀論では?と疑う向きも有りそうなので
親が冷房は28度が良いんだ!って聞かねぇんだよ。下手したら親が熱中症になるぞ。年取ってるから体の感覚がアレなんだよ、だから冷房の温度大事。
なんか一時期28度にしましょう、ってテレビだの職場だので推奨してたよな?なんかの研究の誤読がなにか知らねーが、そんなの推奨されるこっちゃないんだわ。経営側が体の良い経費削減策として取り入れてたけどよぉ。
お前ら全員、テレビも職場もポスター作成会社も、全部訂正しろ。詫びなくても良い。【28度喧伝してたとき以上の声で全部訂正しろ】
人の親殺そうとしてんだぞテメェら。責任持てや。まだ間に合うから、【28度喧伝してたとき以上の声で全部訂正しろ】。別に大したリスクじゃねぇだろ。金の問題なんて命に劣後すんだろうが。【28度喧伝してたとき以上の声で全部訂正しろ】。
ブコメ共もハンチクな知識で「28度にしてないとかあり得ない〜」とか言ったことがあるなら謝罪しなくていいからここで訂正していけ。
https://twitter.com/hirox246/status/1690265282001141760
@hirox246
日本政府のセキュリティがガバガバなのを「日本人は優秀な技術者が居ない」とか言われますが、winnyの金子さんを逮捕したり、検索エンジンを違法にして国内開発を出来なくしたり、エンジニアを使いこなす側のホリエモンを収監したりとか、技術者ではなく政治家のせいですよ。
パワハラとかセクハラとか嘘をついて泣き叫ぶ嘘つきおばさんとWBPCと人権ビジネスのせい。
だから頭悪いわけ。
誰も小山に切り込んでいない。
小山昇の本って、めっちゃくちゃ読みやすいんだよね。だから、学のない僕みたいな人間に刺さる。でもよくよく見ると、自社や自分の素晴らしさを喧伝してるばかりなんだよね。どちらかというと宗教に近い。宗教に近いから信者がいる。
門外不出の経営ノート: 2泊3日で165万円! プレミアム合宿LIVE講義
小山昇による本
知床の事故、事故った船を整備せずに使ってたとか、業務を分かってない二代目社長とか、仕事を理解してるベテランをクビにするとか、クビ切りでコストカットして黒字になったのは自分のおかげと自慢するコンサルとか、アカン話がガンガン出てきてるな…
ネット民もそう。
これって政府がやっていることと同じ。
洗濯機に入れたら汚れが落ちるって考えは全く間違っている
新しい洗濯洗剤が出るたびに繊維の奥の奥の汚れが落ちる、みたいなことを喧伝するくらいで、実際のところは洗濯しても繊維の奥の奥の汚れは落ちない
汚れが残った状態の服は乾燥機を使っても、着ているうちに繊維の奥に残った汚れに雑菌が繁殖して生乾きと同じ状態になる
その結果匂う
見た目が綺麗になったから洗濯できている、と考えるのは大きな間違い
極細繊維とか中空繊維の汚れは更に落ちにくくて、エアリズムとか着てる独身中年男性は洗濯機買い換えなくていいから服買い替えた方がいい
漬け置きして汚れが落ちやすくしてから洗濯機に入れてもいいけど、そこに手間をかけるならドラム式を選ぶメリットとはってなるし
毎日の挨拶のように感染者数、重症者数、死者数からその日のニュースが始まっていた日々はもう記憶の彼方。
最後に記録されてる累計死者数は7万5千人ほど。
42万人おじさんと言われてたぐらいなので35万人ほどは死者数が減少したのであろう。
この数を「徹底した感染対策の末これだけに抑えた」と感染対策行政に携わる人は喧伝する。
善悪の話をすると「人が死ぬことがいいですって!?」と言う人が現れる。
なので増田だ。
しかし命の問題だけでも、「人の交流を抑制する政策」は婚姻数を明らかに減らした。ひいては少子化を一気に進行させた。
金銭的にもかなりの金額が浪費された。これは後に国債償還という形で後世にのしかかる。
少なくともこの2点だけでも「コロナウイルス感染症による死者数を減らす感染対策」には、社会を悪くした側面がある事は明らかだ。
ではどの位の死者数になるべきであったのだろうか。
個人的には100万人死んででも問題ない、むしろ500万人位までなら死んでいたほうが、一時の混乱はあっただろうにせよその後の社会の維持はより容易なのではないかとすら思う。
同じ500万人死ぬとしても、老若男女関係なく死ぬエボラと違いコロナで500万人死んだとしておそらく490万人ほどは高齢者だ。450万を下回ることはない。
高齢者が490万人消え、社会を維持する生産年齢人口にはほとんど影響はない。
それどころか仮に450:50としても、450万人の高齢者の医療介護需要が消えるため労働力がその他の業種に供給される。生産年齢人口全体から50万人へっても医療介護以外への影響は少ない。医療介護は需要が減少するため人手不足にはならない。
医療介護需要が減少すれば社会保険料率が毎年のように上がり給与は増えども手取りは増えずなどというバカな現象も起こらないし、経済的に安定すれば婚姻数も増え少なくとも今のような少子化の急速な進行はなかった。
ワクチンができた時点でいち早く通常の経済活動を再開し、死ぬときは死ぬ、と割り切るべきだった。
未知の感染症で対策が何もないから2類、と言っていたのだから、遅くともワクチンが日本に入り始めた段階で2類騒ぎは終わればよかった。
医療介護年金、これらの日本が抱える金銭的な問題を一旦軽減する最大の機会を得ながらみすみす金をドブに捨て続けてしまったのがこの感染対策であったというのが増田の結論だ。
疫学や感染症の専門家はコロナウイルス感染症の死者数を抑える事しか見ていない。その対策が社会を良くするのか悪くするのかは見ていない、ということを考慮せずに彼らの言うことを鵜呑みにしてしまった政治家の責任は重い。
しかし自分たちの提言が後世のためになるかどうか、という視点には立っていないことをlimitationとして明言していなかった「専門家」の今のこの結果を見た上での態度はデカすぎるとおもう。