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はてなキーワード: レーベルとは

2024-07-16

BLにも関わらず男しか出てこない漫画・それを読んでいる女が生理的に受け付けない

今更ながら魔法少女オレを読んだが、その巻末の既刊リストがまさに美少女動物園ミラーリングという感じで不自然なまでに徹底的に女キャラの影すらなかった。

Beコミックというレベールはそういう傾向があるようだ。

ゼロサムもかつてはそんな感じの作品が主だったと思う。今は異世界系を取り入れて女成分がかなり増したが。

まあとにかく俺はそういう漫画生理的に受け付けない。

BLのほうがまだ設定は男だが見た目は男の娘というパターンも割とあって、読めるものもある。男オタクというものは見た目よければそれでよしという傾向が強いのだと思う。

一方BL漫画でないのにこの手のレーベルありがちな美男子動物園は見た目も男男してるキャラで徹底的に固めているものだ。

本来美男子動物園であるはずの乙女ゲー以上に、男しか感じられない。ゲームと違ってヒロイン不在、ヒロインがいなくても成り立つような物語意図的に?しているからだ。

こういう漫画は本当に不気味だ。作品自体に感じる嫌悪感もさることながら、この手の漫画を好む読者に想像が及んでしまう。

一体どれほどミソジニーをこじらせたらこんな漫画をたのしめるようになるのだろうか。あるいはどれほどモテなければこんな漫画しか満足できなくなってしまうのか、と。

そしてそのような読者は当然気持ち悪いはず…と嫌悪感が増強されるのだ。

美少女動物園ラブライブストロベリーパニック等女しか出してないのもあるっちゃあるが、一般に(特にラノベ原作の)ハーレムもの主人公はじめなんだかんだ男も出てくる方が多いと思う(ここでなぜかそらのおとしものを思い出す)。

男は非モテで女に飢える状況でも、オタク間の仲間意識とかなんだかんだホモソーシャル的な男への親和性があるものだが、女はこじらせてしまうと本当に「女の敵は女」で、女が一切いない世界理想郷とするようになるのだなと思う。

男向けでも不良漫画は男成分高めな傾向あるし、俺は最低一人は女キャラが出てこないと内容がどうあれ読む気しない程度には、ミサンドリー気味なのかもしれないが、

不良漫画とも違うあの独特の画風は、男しかいないって状況のむさくるしさをさらに増大させるんだよな。

日傘増田同様、この増田がお互いを避けるきっかけになればいいと思うよ。

彼女たちにとっては俺こそ「日傘をさすやつは頭がおかしいと思う、頭がおかしい人」に相当する人種なのだうから

※ちなみにここ最近俺が最低限面白く読めた中で一番男成分が高かったのは「本能寺燃えるんじゃが」か「忍者極道」だろう

2024-07-05

anond:20240705173915

道満普通に楽しめ過ぎてしかもあの程度の性描写なら青年誌掲載でもよくねと思う

エロ漫画あがりの作家ばっか集めたレーベル青年誌(DEDEDEってやつ)のほうがよっぽど卑猥

2024-06-26

カヤちゃんは怖くないの作者って幼稚園教諭やめるとき自分漫画買ってねって園児に言ったらしいけど

人名特殊な読み以外フリガナふってないレーベルから出てる漫画を下手したら漢字の読み一つも知らない園児にすすめるとか正気じゃなくない?

2024-06-25

anond:20240625185357

んー、その可能性がないとはいわないけど

既に盤石のビューワをもってる企業が、新規にビューワを開発しようと思うかな?

と思ったら、つい最近カドコミ作ってたわw

はてな製ビューワはレーベルがたくさんあると導線ぐちゃぐちゃになるから

ニコニコ漫画を置き換えることもできないから、

やっぱり無理だと思うなぁ

2024-06-18

集団制作に鈍感な人多くない?

コロンブスMVの件や原作者死んじゃったドラマの件見てると思う。

インターネットミームで「顧客要望プロジェクトリーダー理解、実際の成果物」みたいなのあるけど、まさにあれでしょ。

多くの人間が1つのクリエイティブに関わると、色んなしがらみやスキル成果物が左右される。

Mr.大森インタビューで語った「楽しいホームパーティー(要約)」は、起案時点ではおそらく真実だったのだろう。

それを具現化すべくコンテを書いた人は全くの無頓着か悪意の塊かのどっちかで、

細部に魂を宿す仕事の人たちはい仕事をした。

その結果ステレオタイプをデティーバッチリで描き切ったAAAクラスの呪物が出来上がった。

個人的に何より拙いのは検収スキルが低かった点だと思う)

制作会社/所属事務所/音楽レーベル/スポンサーのいずれかが疑義を詰めるべきだった)

(余談だけど類人猿見てとっさに刃物抜き出したシーンは大笑いしちゃいました。演出止めろよそれは流石に)

まあそんな感じで、みんなで煮詰めたスープ単独意思を見出すのは難しいってことです。

ライトノベル40年史にかんして

https://lightnovel.jp/blog/archives/2024/0616.html

いやさあ、あれがないこれがないってのはキリが無いてのはよくわかるんだけど、それをいわないとこういうのって楽しめなく無いか

特にこの記事はこの人の趣味みたいなのを色濃く出してますよって路線なので特にね。

というわけでしょうもないあれもないをブロックごとに

新しいのはしらないので途中でおわっちゃうけど。

1982年 キマイラ吼 /夢枕獏 /ソノラマ文庫

ラノベ論者ってまあ例によってキリがないからなんだろうけど直接の隣接領域であるゲームアニメはまだ言及しても一般小説やら映画かにあんまり触らない方向なんだよな。

まあこの段落よりももっとあとのほうが顕著だけど。

このブロックだと時代というか朝日ソノラマというレーベル範囲でいうと言及がそこまででもない部類だと剣の聖刻(ワースブレイドシリーズ藤原征矢か。

TRPGブームとかだったんだけど、みんなその雰囲気わかるかな。

1984年 なぎさボーイ・多恵子ガール /氷室冴子 /コバルト文庫

ここらへんはそれこそ「新井素子しか読んでない」だったのであんまりなにかいえることはない。

絶句」は大好きです。

1988年 聖エルザクルセイダーズ /松枝蔵人 /角川文庫

宇宙皇子』とかアルスラーンとか。あとラノベ史的には最大の大物と言っても過言ではないロードス島か。

このあたり、ちょっとから続くTRPGブームを少し頑張っていて、枠外扱いとしてドラゴンランスとかがやっぱベースになるんじゃないかなあ。

語らないのはちともったいない気がする。

ナインバースが斬新だとされたのはレイスリンガリガリで血を吐きながら魔法を放っていたからというのはやっぱあったわけで、そこらへんは重要じゃないかなあ。

1989年 ハイスクールオーラバスター /若木未生 /コバルト文庫

読めてない領域だなあ。

アンチ能力者の設定の元ネタは「魔法の国ザンス」か。

1991年 ユミナ戦記 /吉岡平 /富士見ファンタジア文庫

富士見ファンタジア時代

一般的にはここからラノベ時代かなあ。

野性時代とかスニーカーはまあとして、富士見ファンタジア大賞とドラゴンマガジンというサイクルを作ったという点で大きいのかなとは思った。

例のアレサイト落ちてるけどドラゴンマガジンってまだ続いてるんだよな。すげえよ。

このブロック言及されてないのだと「ザンヤルマの剣士」が好きだった。

最終決戦に挑む前にヒロイン食事するシーンがあるんだよな。

なんかそういうディティールがたのしかった。

1996年 星くず英雄伝 /新木伸 /電撃文庫

電撃文庫の登場でいよいよもってラノベ時代か。

この記事だと言うまでもって感じだが、やっぱ「フォーチュンクエスト」はエポックだったのでは。

ゲーム文庫って体裁だったのでブギーポップマルチエンド構成なんだよね。

こんなやりかたあったんだ、って当時は思った。

1999年 月と貴女に花束を /志村一矢 /電撃文庫

ブギーポップのヒットから現代物が増えたってのは確かにそうなんだろう。

あとまあちらっとかいてあるがエロゲーね。

現代人にはわからんだろうが当時はエロゲーサブカル最先端で、学園ものとかが強かったのよ。

あとまああえていうまでもないけど「ジョジョ」ね。

1999年 流血女神伝 /須賀しのぶ /コバルト文庫

マリみてはいまおもうとなんであんなヒットしたんだっけとおもうところはある。

フルーツバスケットとかもこのあたりだっけ。

カレカノもこのあたりか。

そういうタイミングだったのかな。

このあたり本格的に爆発するのはちょっととはいえ秋山瑞人阿智太郎とかやらなんやらでおもしろい時期だった。

2024-06-17

セスの件は事務所謝罪で終わった話じゃない?

それなのに、ミセスへの批判とか、批判への批判ってなんのためにやってんの?

https://mrsgreenapple.com/news/detail/20373

6月12日Mrs. GREEN APPLE新曲コロンブス」のミュージックビデオを公開いたしました。

映像Mrs. GREEN APPLE所属レーベルであるEMI Records所属事務所Project-MGA で制作いたしましたが、

歴史文化的な背景への理解に欠ける表現が含まれていたため、公開を停止することといたしました。

当社における公開前の確認が不十分であり、皆様にご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます

今後はこのような事態を招くことのないよう細心の注意を払い、皆様にお楽しみいただける作品をお届けしてまいります

これが全てだよね。これからは公開前にチェックしていこう。防止策を考えていく段階に入ったわけだ。

公式がこう言ってるのに掘り返して、やれポリコレおかしいだの、じゃあ他のものも燃やすべきだとか騒いだり、頭おかしいんじゃないの?ファンを名乗っただけの暴徒が多すぎる。ましてや、私が納得いかいか説明しろとか、議論が十分じゃないとか。お前は何様なんだよ。おまえ程度のファン感情一つがそんなに重要か?公式声明に従って、済んだこととして受け入れて、いつもどおり応援していけばいい。なんでそんな簡単なこともできない?

もちろん、ミセス表現の自由を求めてデモしていこうとか、そういうことを言ったならそういう応援の仕方もある。でもそうじゃないでしょ?

そうじゃないのに、勝手にそういうことをやってるからファンを束ねるアーティストの程度が知れるなって思われちゃうんだよ。反省しろよ。

コロンブス擁護派が、執拗MV解釈にこだわるのはコミュ障って感じる

どういう意図で作られたか?ではなくて、どう受け取られたか?が重要で、それによってレーベルタイアップ企業イメージがどうなると予想されるか?が問題本質でしょう?

それなのに、見る側の解釈のせいにしたり分析力のせいにしたりする人を見かける

それってどうでもいい細部にこだわっているだけのように見える

たとえばラーメンを見せれば糾弾される社会があり、そこでうどんの絵を描いたらラーメンと誤認され糾弾された、としよう

そこにラーメンを見せたいという意図がなかったことが分かっていたとしても、ナルトメンマチャーシュー乗せたうどんの絵を描けば、そりゃあ批判は免れないでしょ、ってなるのが普通だと思う

現実、多くの人がラーメンと誤認したわけだから、それが本当はうどんだったかどうかなんて関係ないよね、って

でも、現実今回のコロンブスの件で擁護している人たち (擁護ではなく事実論理的説明だ、という表現もあるが) は、なぜか麵の太さを執拗解説するような姿勢を見せている

論理的解釈すればうどんでありラーメンではない、と

まあそれはそうかもしれないし、そこは否定しない

でも、その主張に対する素直な感想としては、うどんなのはそうかもしれないけど、じゃあナルトメンマチャーシュー乗せずにかまぼこ海老天くらいにしとけばよかったよね、って思う

だって絵のうどんラーメンを見分けるポイントってそういう記号的なものから来る印象でしかないのが現実から

から、印象を超えた厳密な解釈なんて世の中では広く受け入れられることはない

今回はその記号にあたるのが、コロンブスと猿だった


残念ながら世の中には不文律があって、ここまではOKだけどこれを表現したらアウトね、っていうルールがなんとなく存在する

そのルールを参照したときに、違反に該当すると思われたものは、公には存在できないのがこの世の中の慣習

それがいいかいか議論があると思うし、全面的にいいとは思わないけど、それを言ったところで世の中は変わらないんだから仕方ない

公に、っていうのは、大きな企業複数絡み、社会イメージを良好に保ちたい人たちが大勢関わっているときに、という意味合い

アーティスト個人レーベルで、表現に自信や信念がある場合、その表現を取り下げたいと願う関係者が存在しないことから問題ある表現も取り下げる必要はなく存在できる

でも、今回の件は、アーティスト個人問題ではなく、所属レーベルコカコーライメージも絡んでいる

「厳密な解釈では差別意図がないのは明白」だとしても、それを主張し続けるよりも企業イメージを優先したいのは当然

からあのMVは、今の世の中であの形では存在できない

シンプルにそれだけの話だ

実際彼らは最短で取り下げ謝罪し、ダメージを最小限に抑える正しい振る舞いをしたわけだ

誉められていいと思う


結局のところ

あのMVが公開され続けるべきか否か?という問いに対しては、ステークホルダーイメージダウンを懸念する以上存在できない、一般人はその判断に関われない、が答えとなる

じゃあそのイメージダウンに関して、あのMVは本当にイメージダウンにつながるか?という問いに対しては、一定割合直感的に問題のある表現と感じた以上はイメージダウンはある、というのが答え

で、そんなわかりきった事実に対して、きちんと解釈すればどうこう、ってのは、正直この問題の本筋から完全に外れた遊びとしか思えない

まさに、解釈なんてどうでもええやん、解釈本質ちゃうやんって話

本当にそんなにMVの内容解釈にこだわりたいのなら「公開され続けるべき」とか「批判者の解釈は正しくない」とかとは離れた文脈で、フラットに「こういう解釈が正しかろう」という文学的解説であるべきだ

もちろん批判者側も、センシティブイメージを想起させるMV内の表現のみに対してアウトを表明する権利があるだけ

アーティスト音楽性そのもの批判するのはもちろん違うし、それどころか人間性や知性について言及するのは完全に間違っている

こはちゃんとわきまえなきゃいけないのはわかってほしいところ

2024-06-13

anond:20240612202143

そんな事言い出したら少年向けレーベルでも「ラノベ」とは呼べないものも数多く出てくるよ

初期のスニーカー文庫ロードス島戦記富野由悠季小説版ガンダムなど、かなりの硬派路線だったと記憶しているが。富士見ファンタジア文庫はそれよりはライトだが、既存漫画アニメゲームの流れを汲むものだった。

それらとは少し毛色の違う、いわゆる狭義の「ラノベ」の始まり電撃文庫からだと思う

セス会社謝罪ごまかしてなくて少し好感度あがった

6月12日Mrs. GREEN APPLE新曲コロンブス」のミュージックビデオを公開いたしました。

>本映像Mrs. GREEN APPLE所属レーベルであるEMI Records所属事務所Project-MGA で制作いたしましたが、

歴史文化的な背景への理解に欠ける表現が含まれていたため、公開を停止することといたしました。

>当社における公開前の確認が不十分であり、皆様にご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます

誤解のある表現とか言ってたら、多分あと数年こすられてた

anond:20240612202143

ライトノベルという名称が生まれた時点でコバルト系の小説ははっきりと含まれてたってことはもう少し知られてもいいとは思う

ライトノベル少女向けレーベルは含まれるのかの議論になると明らかにこのへんを事実誤認のまま語られることが多いか

ライトノベル - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%8E%E3%83%99%E3%83%AB

ライトノベル」の命名は、1990年初めにパソコン通信ニフティサーブの「SFファンタジーフォーラム」において、それまでのSFファンタジーから独立した会議室を、会議室シスオペであった“神北恵太”[注 1]が「ソノラマ・コバルト」などのレーベルから出版物に「ライトノベル」と名付けたことが始まりであるとされる[23][24]。

2024-06-12

少女小説、もしくは「女性向けラノベ」とラノベ関係

言いたいこと:少女小説ラノベに含めても無視してもボコボコに叩かれる」という難しい状況がある。

女性けが省かれるラノベ150選

いま、ライトノベルオールタイムベストを選出する作業が進められている。

ラノベ社会に認められるためには、売り上げだけが唯一の評価である現状では差し障りがある。文化としての成熟には体系化と批評存在必須であり、その一歩としてたいへん意義のある活動と言えるだろう。

その暫定的な成果であるラノベ150選が先日公開された。

あくまで叩き台であり、作品数的にもより拡張した形を目指していくようだが、現時点でも各年代に目の行き届いた、ラノベ歴史の流れを俯瞰できる内容となっている。

ただ、この手の企画はどのような基準で選んだとしても、あれがないこれがないという不満はどこかから出てしまものだ。ラノベ150選も例外ではない。

その中で今回特に目についたのが、「女性向け作品がない」という声だ。

これに対する企画者の返答は、女性向け作品については単独ガイドブック等が先行して存在しているから、というものだった。

合理的判断だと思うのだが、これでも納得していない人は多い。少女向けをないがにしろにするのか?と憤慨し、容赦なくボッコボコである

増田は、ライトノベル少女小説(もしくは「女性向けライトノベル」)の歴史のものについてはともかく、ライトノベル少女小説との関係性についてはちょっとした知識がある。

今のままでは企画者氏があまり不憫なので、これについて簡単解説しておこうと思う。

「ソノラマ・コバルト系」から始まったライトノベル

用語としての「ライトノベル」が誕生したのは、1990年

ニフティサーブSFファンタジーフォーラム内で増えてきたある種の若者向け小説話題を別会議室独立させるにあたって、管理人神北恵太氏が命名したものである……

といった事実は、ラノベ史ではすでに常識と言っていい情報だ。

もちろん名前はそうでも、ジャンルとしてのラノベ自体が90年に突然生まれたわけではない。起源をいつとするかは諸説あるものの、ラノベ作品はそれ以前から存在していた(存在命名の順であってその逆ではない)

そのようなラノベ小説群は「ライトノベル」が定着する以前には、個人コミュニティごとにさまざまな呼ばれ方をしていた。そのうちの一つに、ジャンル代表的レーベルから取った「ソノラマ・コバルト系」というものもあった。

言うまでもなく、コバルト文庫少女小説代名詞というべきレーベルである。つまり命名の時点では「ライトノベル」は少女小説(の少なくとも一部)を当然に含むような形で規定されていたということだ。

(ここでの「少女小説」とは当時のコバルト文庫ティーンズハート文庫などのことであり、たとえば吉屋信子や創刊直後のコバルトシリーズなどは当然ながら想定していない)

以後、他メディア化の機会などの関係男性向け作品の方が存在感はあったものの、ライトノベル(的なもの)は女性向けを含めたひと塊のカテゴリとして扱われていく。

2000年代に入り、語としての「ライトノベル」が一般に定着して以降も、この認識はそれほど変わっていなかったはずだ。

少女小説ライトノベルではない

この状況に大きな変化をもたらす出来事が、2010年代前半に起こった。

まずは2013年とある文学研究者ツイッターでこのような発言をしている。

少女小説ラノベそれぞれのジャンルについての価値判断を含んでいるとまでは言わないが、これが少女小説の側に立った発言であることはまず間違いないだろう。

少女小説ライトノベルではない。

それまでの一般的なラノベ定義史観を覆す、非常に大胆な主張である

ただ、一部のラノベ読者が過敏に反応はしたものの、この時点ではアカデミシャンとはいえあくまでいち個人の主張に過ぎなかった。

それが正式な形で世に出たのは、2014年のことになる。著書としての刊行である

この本で研究者氏は丹念に事実を積み重ねた論証により、まさに「少女小説歴史的にライトノベルではない」ことを証明してしまったのだ。

詳細は省くが、

少女小説戦前から少女文化独自伝統を直接的に受け継ぐ文学ジャンルライトノベル戦後マンガ文化等の影響から新たに生まれた新興の娯楽であり、その出自からして全く異なる別物である

ということだ。

この、市井オタクではとうてい太刀打ちできない完璧な形の少女小説ラノベ論の出現により、少女小説ラノベ派の多くは白旗を上げて沈黙することとなる。逆に、少女小説ラノベの枠内で扱われることに不満を感じていた少女小説業界関係者・読者は、我が意を得たりと快哉を叫んだ。

日本文学研究者による恐らく初めての本格的なラノベ論ということもあり、この本はもともとラノベ少女小説に興味のあった人間にとどまらず、幅広い層の人々に読まれていった。今やラノベ関連の研究ではほぼ必ず参照される一冊となっており、アマチュアでもラノベ定義歴史を語るなら必読と言っていいだろう。

これによりパラダイムが決定的に転換し、少女小説ラノベに含めるような人間は、もはやそれだけで時代遅れな「分かってないやつ」の烙印を押されるまでになったのだ。

フェミニズム的な意識の高まりにより、女性文化少女小説)の功績を男性側(ラノベ)が都合よく収奪してきた、という構図に気まずさを強く覚えるようになったのも、この傾向を後押しした)

この空気の変化は以前/以後と呼んでいいほどに劇的なものであり、刊行から10年経った2024年現在にいたっても、更新される気配は特にない。

少女小説ラノベでなくても

お分かりだろうか。

まり少女小説は「ライトノベル」ではない、というのは、もともと少女小説サイドが言い出した主張なのだ

現在では、ラノベ定義歴史との関連で(特に男性の論者が)少女小説に触れる際には細心の注意が要求されるし、実質的にはほぼタブーに近い。

企画者氏がラノベ150選から女性向けを除外したのも、世間のその暗黙の風潮におとなしく従ったという側面がやはりあるのではないだろうか。

加えて企画者氏の場合は、かつて不用意にレジェンド少女小説作家を「ライトノベル作家」と呼んで、少女小説から激しい批判に晒された当事者でもある。そのため今度は、なおさら慎重に配慮したつもりだったのだろう。本人としては。

結論として今回の件は、気遣いがすれ違ってしまった悲しい事例ということになる。

少女小説読者といっても一枚岩ではないし、自分はそんな配慮ぜんぜん嬉しくない。多数派がどれだけ否定していても自分少女小説ラノベに含めるべきだと言い続けるぞ。という人もいるだろう。その気持ちもよく分かる。

分かるが、少女小説ラノベに含めても無視しても必ずどちらかからボコボコに叩かれることになる、板挟みの苦しい立場のことも少し考えてみてはもらえないだろうか。

オールタイムベスト企画者氏は現在文化としてのラノベ保全のため「ライトノベル図書館」の設立計画を進めており、クールジャパン予算を獲得すべく自民党国会議員に働きかけている。ラノベオールタイムベストはその陳情材料にもなる予定らしい。

こうした活動文化的な意義を踏まえた上で、できれば多少の意見の相違は呑み込み、振り上げた拳をどうかそっと下ろしてはくれまいか……

という、無関係第三者増田からのお願いでした。

レスゾーン

長え! 一番言いたいことを最初に置いとけよ。

追加しときました。

核心部分が何で匿名やねん

はてな規約関係っすね

ラノベルーツの1つは少女小説である」と「少女小説ラノベである」は意味全然違うと思うが(後者を主張してる人いる?)

ラノベオールタイムベスト”に、ある少女小説を推すとした場合、(少女小説全体やレーベル全体ではなく)少なくともその作品は「ラノベ」で(も)あることが自動的に前提となるのでは。

逆に言うと、ラノベではないがラノベオールタイムベストに入れろ、は通らない。

逆になんでそんなに熱心に漫画しろラノベしろ女性向けのもの排除したがるのがわからんモチベが怖い。

排除ではなく、少女小説の側がラノベに括られることを拒否した運動があった、という話です。

クール・ジャパンから公金を引っ張るために少女レーベル未分化期を無視するのは仕方ないキリッ されて、納得は出来ないですけど………

リストから少女向けを除外した理由(と思われるもの)と、批判トーンをなるべく抑えてほしい理由は、別々に書いたつもりです。

wikipediaより「1990年初めにパソコン通信ニフティサーブの「SFファンタジーフォーラム」において〜「ソノラマ・コバルト」などのレーベルから出版物に「ライトノベル」と名付けたことが始まりコバルト入ってるやん

はい

その話を本文に書いています

その、とある文学研究者って誰だよ。名前を出してくれないと分からないよ。2013年の事なら記憶にありそうなものだが思い当たる人がいない。

ツイートの件はともかく、著書の話を見ても心当たりがないなら、たぶんそもそも知らないんじゃないかな……

そんな知らん研究者お気持ちなんか知らんがな その研究者とやらが何言おうが150選選んだのはその企画者だろう

その「知らん研究者お気持ち」が定説化して力を持ってしまっているという現実があるのです。

 「女の扱いがわからいから透明にしておきました!」

たとえとして適切か分かりませんが。

ナンパ不快に感じるA子さんと、女をナンパしない男は無礼だと信じるB子さんがいるとします。二人のナンパに対する意識は、事前に外から判断できないものします。

この場合男性が取るべき行動は、ナンパをするではなく、ナンパをしないになるのではないでしょうか。

後者消極的不作為に過ぎませんが、ナンパ行為はA子さんにとって積極的な「加害」となるからです。

2024-06-01

anond:20240601102859

虚構推理文庫になってもノベルス感があるし、アンデッドガール・マーダーファルスノベルスで出版されたことないけどノベルス感がある

ラノベレーベルから出た作品ノベルスを感じられた時期は案外一瞬で、ノベルス感とラノベ感は基本別物って印象

うおおおおおノベルス雑語りしたくなってきたー!!!

ノベルスがライトノベルか否かって言われたら雑なノベルス語りをしたくなってきたぜ!!!!!

ということでしていきます

ライトノベルノベルスの違い

そもそもライトノベル」と「ノベルス」を分ける定義の人たちってのは昔から連綿と存在していて、例えばノベルスって言うとどういうものかっていうと以下のようなレーベルです

等々……

さて、ライトノベルとどう違うの?と言われると、ものすごい簡単にいうと「文庫新書か」という分け方になる

ライトノベルは主に「文庫」で書かれているレーベルを指すことが多く、ノベルスは「ノベルス版(新書版)」と呼ばれるちょっと細長い感じの本で二段組で書かれているものを指す。

違いはそれだけか?と言われるとまあそれだけなんだが、もうちょい踏み込むにはノベルスの歴史を知る必要がある

1950年代ごろだと、そもそも日本における新書サイズの本と呼ばれるものは「岩波新書」に代表されるお堅い学術書が主だったもので、それに対して光文社が「大衆向けのもうちょいわかりやす教養レーベルを作りたい」として作ったのが「カッパ・ブックス」と呼ばれるレーベルになる

(余談だが著者近影という文化を始めたのもこのレーベルが初らしい)

で、そこから姉妹レーベルとしてフィクション物語を扱う「カッパノベルス」が創刊された。

カッパノベルスは松本清張西村京太郎小松右京など書いた日本ミステリSFエンターテイメント小説に多大な影響がある作品を出して大ヒットを飛ばした。

それを見た他の出版社もこぞってノベルスレベルを立ち上げてそれぞれのレーベル作品を発表していった。

これが大体1960年から1980年くらいにかけてのものすごい大雑把な流れで、ライトノベルより早い段階で日本エンターテイメント小説ノベルスは多大な影響を及ぼした

特にミステリファンタジージャンルに関してはこのノベルスの影響度が尋常じゃないほど高く、ミステリだとカッパノベルスや講談社ノベルス、ファンタジーに関してはC★NOVELSなどで有名作品が数多く存在する

ライトノベルノベルスに含まない人の意見

じゃあ、なんでライトノベル定義論でノベルス含む含まない論争になるかというと、ここからは若干雰囲気ベースになるが「出自ターゲット層」じゃないかというところになる。

ノベルスは刊行されているものを見てみるとわかるが結構ターゲットの年齢層が高い。ぶっちゃけサラリーマンとかそっちくらい向けの作品群が多いのだ

この辺りはレーベルの当初から社会派ミステリ松本清張などを使っていることからも伺えるだろう

内容としてもハードボイルドや伝綺小説などが多く、いわゆるエンターテイメントの中でも硬派でおじさん主人公のもの結構多い

対してライトノベルというものは、ジュブナイル小説と呼ばれるいわゆる青少年向けの文化に影響を強めに受けていて、ターゲット層的にも青少年ないし大学生くらいが主だったターゲット層になる

この辺りの歴史的経緯から来る文化圏の違いみたいなものが、「含まない」という人たちが多い理由ひとつだろう

ライトノベルノベルスに含む人の意見

では逆に、「含む」派閥がなぜいるのか。というと、そもそもノベルスの歴史を見てもカッパ・ブックスの成り立ちからして、「大衆向け」でありエンターテイメント小説の土壌としてあったのはここまで話した通り

で、ライトノベルも言ったらエンターテイメント小説の集合の一部なわけで、まあ内容的に近しい作品が多いからだ

この辺り、時代を経るにつれライトノベルノベルスというのは似た成長を遂げた経緯を歩んだところがある

ライトノベルは様々な近傍文化漫画アニメゲームジュブナイル小説)をごった煮でまとめていったというのだけれども、

ノベルスは時代が経るにつれて対象である大人たち」の変化を受けて、アニメ美少女ゲーム文化さらにその近傍文化を取り入れていき、ライトノベルと似たような変遷を辿っていった

特にこれらを取り入れていったのが、講談社ノベルス(及び講談社BOX)とC★NOVELSである

講談社ノベルス(BOX)で言うと、西尾維新奈須きのこ佐藤友哉など

C★NOVELSで言うと、茅田砂胡多崎礼

あとはどちらにも書いている森博嗣京極夏彦などなど……

上記作家たちは、ご存知の通り小説もさることながら、アニメゲーム漫画などにも多大な影響を与えていった(というか奈須とかに関してはゲームそもそも出自ではある)

これらの作品群は内容的にライトノベルでも出ていてもおかしくない作風のものもあれど、ノベル刊行になっている

また、ライトノベルにおいても、「C★NOVELSで出てそう」「講談社ノベルスで出てそう」みたいな作品結構ある

個人的には紅玉いづきさんとかはわりとC★NOVELS風味かなと思ったりもする)

実際「ブギーポップシリーズ上遠野浩平講談社ノベルスで「殺竜事件」等の「戦地調停シリーズ」を書いているし、ラノベ出身作家ノベルスレベルで書いている例も多い

まとめ

こういった経緯で位置としてはめちゃくちゃ近い位置にあれど、しかし、ノベルスをラノベに入れるか?みたいなのがとても別れやすい、という妙な性質がこの二つにはある

個人的には、まあ歴史的経緯もあるし、レーベル史観でいいんじゃね?という意見なのでノベルスはノベルス、ライトノベルライトノベルでいいかなあと思っている

ただここまでの歴史的経緯を踏まえても、現状似ている作品群も多いというのはあるので、含める気持ちもわかる

なので、もし今後議論する際には内容派閥レーベル史観派閥かの宣言くらいはしてもいいんじゃねえかなあと思う

ただそれはそれとして、ノベルス、ライトノベル双方に面白い作品はたくさんある

ノベルスが好きな人も、ライトノベル好きな人もそれぞれお互いに合う作品結構あるので探してみるのもいいのではないだろうか

更新履歴

24/06/01

指摘があった「ノベルス」と「ノベルズ」の表記ゆれ修正。ちなみに表記は「novels」を日本語読みしたものなのでどっちもあるっぽく、出版社によっても呼び方に揺れがある。(トクマノベルズはズ、講談社ノベルスはス)。自分もなんかノベルスっていったりノベルズと混ざっていってしまうので癖です……

2024-05-24

anond:20240524125151

電撃文庫は公に「ライトノベル」を名乗らないので「ライトノベル卒業した人」なんて表現をしないのも自明なんですよねえ。

電撃文庫”を読んで大人になった読者や、ずっとおもしろ小説を読み続けたいと思っている大人へ向けて、アスキー・メディアワークスが贈る世代を超えたエンタテインメントノベル

https://dengekionline.com/elem/000/000/202/202421/

ラノベ卒業した人」と「電撃文庫卒業した人」は明確に違うんですよ。

電撃文庫は「青少年向け」のラノベレーベルから青少年より上の年齢層への狙いが成り立つわけです。

そして、それはむしろラノベ編集部大人ラノベ読者として捉え直した」と言えるんですね。

さらに言うと富士見Fから派生した富士見Lやコバルトから派生したオレンジ文庫もあるので、

それ以外のライト文芸レーベルは基本、一般文芸の中のキャラ性の強いところを集めて出したもの

も嘘ですね。

ライト文芸ラノベ一種

これは揺るぎない事実なのですよ。

2024-05-15

1度目のアニメ化

計6誌に連載されていたにもかかわらず、連載当初はあまり注目されていなかったという[19]。1973年最初テレビアニメ化が日本テレビ放送網で行われたが、制作会社日本テレビ動画解散により半年で終了。『ドラえもん』の人気も一段落したとみなされ、漫画連載の終了も模索されるようになる。

単行本の発売と2度目のアニメ化による人気爆発

単行本1974年8月から刊行開始された。第1巻はレーベルてんとう虫コミックス』の第1号作品である

単行本は当初、全6巻だけでの予定で刊行開始されたが小学館にとっても予想外のヒットとなる。この反響を受け、1977年には各学年誌掲載されたドラえもんがまとめて読める雑誌コロコロコミック』を創刊。人気・知名度さらに上昇し、単行本1978年の時点で1500万部を売り上げた[20]。そして1979年に再びテレビアニメ化、その翌年には映画もヒットを記録し、社会現象となった。1979年発行の単行本第18巻は、初版印刷部数が100万部を記録した[21]。2019年11月時点で関連本を含めた国内累計発行部数は約2億5000万部を[22]、2020年時点で全世界累計発行部数は3億部をそれぞれ記録している[23]。1974年8月発行の単行本第1巻は5.4ヶ月のペースで毎年重版が行われており、2019年11月時点で246刷に及ぶなど[24]、小学館代表する作品となっている。

本作が爆発的にヒットしたことで、

本作の出版物のみならずアニメーションなどのメディアおもちゃなどのグッズは巨大産業と化した。1980年代の前半から藤本執筆活動は本作の短編大長編作品が中心となり、それまで定期的に発表していたSF短編仕事を引き受けることができなかったり、『エスパー魔美』の新作執筆不可能になったりする等の弊害も生じた。

1979年から続くアニメ放送

人気を維持し続け長寿番組となっている。放送しているテレビ朝日は、同社(およびANN系列局)の実質的マスコットキャラクターとして扱っており、さまざまな番組広報誌などでドラえもん意匠使用している。災害発生時には「ドラえもん募金」の名前募金活動が行われている。

高い知名度から教育分野にも広く浸透している。小学校教科書に『ドラえもん』のキャラクター使用されているほか、大学入試問題にも登場した[25]。

2002年には、

タイムアジア版の「アジアヒーロー」25人の一人としてドラえもんが選出された[26]。『日経エンタテインメント!2007年10月号「最後に読みたい本・マンガは何ですか?」というアンケートでは第1位にランク入りした。

2024-05-12

anond:20240512101949

金額だけでいえば今は7000万で1クール作りきれる時代になってきてる。特に委員会式で国内音楽レーベル(とその関連会社としてのソフト会社円盤屋)を組み込まなければオーバーヘッド大分軽くなって同じ額集められるならフットワークの差も含め出来ることに大きく差が出てくる。

(そういう座組が出来るチームはそもそもフットワークが軽いので同じ予算で出来ることが多い)

もはやアニメはそんなに高額事業じゃないよ。地上波というかテレビを捨てれば更に安く作れる

2024-05-04

好きな本教えて

公募に出してみようかな〜っていろんなレーベル見てたけど明らかに「このレーベルのこのカラーによる面白さ」が違うよね。つまりハマる人もハマる層も様々あるわけで。

まあ小難しい話は置いといて増田諸氏の好きな本教えて。


ちなみに増田最近読んで面白かったのは『ほねがらみ』芦花公園 /著

2024-05-03

電子書籍サイト漫画の品揃えについて

そのプラットフォーム独自レーベル(たとえば、めちゃコミックオリジナルのようなもの)であれば、どんなにマイナーサイトでも大手にはなくてそこでしか配給されていない漫画というのは考えられますが、そのような場合を除外したとして、たとえるならbookliveやシーモアになくてコミックフェスタとかよむるんとかにだけ或る漫画があるというようなことはあるのでしょうか?

マイナープラットフォームにある漫画はそこ専用のレーベルでさえなければ大手にも当然あるが、大手にはあってマイナーなところでは配給されていないということもあると思っています。なのでプラットフォームオリジナルレーベルさえチェックすれば、それ以外については大手サイトを見れば、電子化されている商業漫画については、極力二度手間になることも省けつつ漏れなくチェックできるはずという考えのもとで漫画を漁っております

しかし、あえて大手契約せずマイナープラットフォームとだけ配給契約する意義はわかりませんが、かりにそのようなことがありえるまたは実例として既に知られているならやり方を変えなければなりません。

そのようなことがあるのか教えて欲しいです。よろしくお願いします。

2024-04-27

anond:20240427182918

前述のとおり、公式レーベル一覧をまとめている組織であるならまだいいのですが、

そうでない場合いかにそのレーベル作品数が一番多そうなサイトを見つけたとしても、また実際数自体は最大であったとしても

それをそのレーベルに関する漏れの無い目録として活用することはできないということなんでしょうね。

その数最大のサイトにはなくて、そうでないサイトで売られてる作品があるということがあり得るのでしょうから

(これに対して読者側から行える抜本的な方法論があればよいわけだが、そもそも電子書籍プラットフォーム自体、ラブコスメみたいな自社レーベルだけ取り扱ってるようなところを除外したとしても、「これですべてを列挙した」と判定することは難しい)

しかし、古い漫画ならまだしも、電子書籍流通確立されてからの、紙と電子がセットで発売されるようなレーベル(=雑誌掲載)の作品でも、著者の口出しに左右されるんですね?

漫画家が出版社契約した時点で、電子化も拒否できない契約内容になっているものかと思ってました。

(その方が、それこそいちいち新作のたびに著者にどのサイトならいいかとかお伺い立てるような手間がいらず、プログラム自動化された流れでレーベル登録した漫画を一括で統一的に電子販路に流せていろいろ管理も楽でしょうし。)

特にネット上の出版と小売の関係に関する不可解なこと

レーベル作品数が合いません。

マンガmeeというレーベルについて、シーモアとbookliveで作品数が違っています

シーモアは162件なのに対して、bookliveは160件です。

https://www.cmoa.jp/magazine/10555/

https://booklive.jp/search/keyword/k_ids/12687

また、このようなことが起こるのはなぜなのでしょうか?

出版と小売の関係における仕組みを考えると、ある出版社があるレーベルを持っていて、そのレーベル作品をある小売、すなわちこの場合電子書籍提携して売ろうとするとき、「レーベルを売りに出す」のだから、そのレーベルに属する作品全てがその小売先で売り出されることになると思います

ということは逆にいえば、ある電子書籍サイトである作品を見つけたとき、それがあるレーベルのものだったならば、その電子書籍サイトではそのレーベル作品は(特に在庫概念がないので)全て置いてあるはず、と推論されるはずです。

まりそのレーベルを扱っている電子書籍サイトという条件であればどこであっても、そのレーベルについて同じ作品数を保有していることになる、サイトによるそのレーベルに対する微妙ラインナップの違い、漏れがあるおそれを心配する必要がない、ということになるはずです。

しか事実として、上記のように、同じレーベルなのに作品数に違いが生じています

一部の電子書籍サイトだけ見て、「このレーベル作品はこれで全てだ」と思い込んでしまうと、それが誤りであるという可能性があるわけです(今回の場合、162件ですら全てではなく、他のサイトではもっと多くの作品数がある可能性があるということ)。

今回は集英社という大手レーベルということなので、そのレーベル作品を一つ漏らさず知って吟味したうえで読む作品を決めたいという場合でも、公式サイトを見れば漏れなく知ることができる可能性もあります

しか電子書籍サイトレーベルを出しているようなところには、果たして法人格を持っているかも謎で、公式サイトも当然ないみたいな組織もあります

このような場合考慮すると、特定レーベル作品サイトによってあったりなかったりするのは困ります。このようなことが起こるのは素人イメージとしてですが出版と小売間の構造上、一見不可解です。

どうしてこのようなことが起こっているのか、出版構造に詳しければ解説していただけるとありがたいです。

2024-04-24

anond:20240424173109

なろうみたいなネット小説書籍化しただけでバカ売れ、

コミカライズアニメもヒット、原作者の預かり知らずなスピンオフも出てくるとか

ここ10年弱はよくあることだよ

そりゃなろうのヒット作青田買いラノベレーベルも出てくるし

作画ワナビ並みレベルでもコミカライズ作画担当になれるってワケ

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