はてなキーワード: 台詞とは
毎日、家事と育児でバタバタしてんのに、うちの旦那は相変わらずアニメ三昧や。
まあ、趣味や言うんやったらしゃあない思て黙っとったけど、最近ほんまに腹立つことがあって。
同じアニメを何回も何回も観るんや。それがもう、こっちからしたら「またそれ!?」って叫びたなるぐらいの頻度で。
たとえば、「リコリス・リコイル」やな。あれ、うちが知っとるだけで5周やで? 5周! 何がおもろいねん?
同じ話やのに! 「またそれかいな」って聞いたら、旦那もニコニコしながら「いや、やっぱこのシーンは最高やな」とか言いよるし。
しかも台詞まで言うてきて、「ええから洗いもんしてくれ」って言いたなるわ。
一方で、「推しの子」は2周ぐらいで済んでんねん。どやねん、お前。
ほんならリコリスだけ何回も観るん、なんでや? その違いが気になってモヤモヤしてくるわ。
そもそもやけど、何でそんな同じもん何回も観れんねん? うちが「またリコリスか」って言うたら、
旦那は嬉しそうに「いや、新しい発見があるねん」やて。「毎回感動するシーンやからなぁ」って。
あんたには「発見」があるんか知らんけどな、こっちは毎日同じ家事ばっかりで、なんの感動も新しい発見もないんじゃ!
その情熱を、ちょっとでも家のことに使うてくれたら助かるんじゃ!
ほんでな、問題はその時間の使い方やで。子ども寝たあと、うちは洗いもんして洗濯物畳んで、明日の準備せなあかんのに、
旦那は「リコリス・リコイル」の第1話からまた観とる。「あ〜、このシーンやっぱ最高!」とか言いよるけど、
こっちは「その時間で風呂掃除してくれ!」って心の中で叫びまくりや。ほんま1話分でも手伝ってくれたら、どんだけうちが楽になるか分かってるんかいな。
そら、新しいアニメ観るんやったらまだ分かるわ。流行りとか新しい話とか、気分転換になるんやろ。
でもな、何回も観たアニメって、もう話知っとるやろ?何がおもろいんかほんま謎やわ。
漫画のネームって実際は絵コンテとか下書きと呼ぶ方がふさわしいよなと常々思う
なぜネームと呼ぶんだ
とりあえずwikipedia見るか……
語源は英単語「name」の「指定する」と言う意味で、写植の書体やQ数を指定するために、台詞を事前に抜き出しておく必要があったところから。つまり、個々の台詞に対して書体やQ数の指定をする作業が本来の「ネーム」であり、そこから台詞そのものをネームと呼ぶようになり、ネーム作業の効率化のために事前に用意するようになったコマ割りしたものにラフな構図や台詞だけを描いたものまでもがネームと呼ばれるようになっていったのである。[要出典]
[要出典]か……
マンガの「ネーム」はいつから描くようになったのか? - Togetter [トゥギャッター]
先人のまとめがあった
1969年頃、「若草」で知り合った年上の漫画家志望者たち(担当さん付いてる)は、いつも編集部にネームを持って行ってました。当時の少女雑誌編集部はどこもそうだったかと。私は70年(中学生です)に別マ編集長に「次はネームで持ってきて」と言われました。
『石ノ森章太郎のマンガ家入門』(1965年)にもストーリーマンガを描く準備として、プロット→シノプシス→コンストラクションときて、コンテ(今でいうネームに相当)を作りましょうと書かれてますね。「物語の細部をかきこみ、コマわりまで完全にしましょう」「めんどうなようですが、この段どりが、もっとも重要なのです」
昔だとやっぱりコンテって呼ぶケースもあったんだな
用例として信頼できそうなのはここらへんか
本来のネームである「個々の台詞に対して書体やQ数の指定をする作業」は今もやっているのかな
詳しくない
死んだ概念かもしれない
複数人で分担するからこそ指定する必要があり、ひとりで作業が完結するならネーム(真)指定は必要ない
デザイナーとかが活躍する業界の仕事とか業務の流れを全くイメージできない 門外漢すぎる
生きている概念だとしてもネームとはもう呼ばないのかもしれないな
こういう「よく考えると何故そう呼んでいるかわけわからん名前」の語源を調べるの大好き
second(秒)とか なんで2ndが時間の単位やねん、みたいな
おわり 日記
特に二次創作界隈ではおそ松くん・カイジ・コナン・ジョジョ・金カム・ゲゲゲの謎とか人気作品の絵柄の幅が広すぎる上に
一枚絵ではなくシチュエーションや台詞ありきの漫画が好まれる傾向もあるので
AIポン出しの小綺麗な名もなきイケメンが一人で立ってるだけの一枚絵はあまり需要がない
AIを使う人もAIを好む人も少ないのでAIに脅かされることもなく無関係でいられる人が多かったけど
「規約」として明文化された途端「公式に迷惑をかけないようにウォーターマークを入れるのがマナー!!」みたいなのが急速に進み始めてなんだかなあと思う
推しの子は単行本派だったけどあまりにもTwitterがザワついていたため耐えきれずWebとアプリで最終話まで読んだ。読んだらもっと耐えきれなくなったので初めてはてブを書いている。匿名で……。
・打ち切りエンドすぎる
・真犯人がニノだったら「アイドル」と小説の意味も違ってくるぞ!と思ってたけど結局カミキだった。ぽっと出のニノが黒幕よりは良かったけども。
・これだから自らの命を蔑ろにする奴はダメなんだ。結局その瞬間の甘美な自己犠牲(笑)に酔って後先考えていないだけ。命を有効活用するにも無駄遣いすぎる。アクアはもっと上手くやれたはずだし、先手で不意打ちなんだからこちらがコストを払う必要はないはず。自分の命を勘定に入れるのは最終手段にしようや……。もうお前だけの命じゃないんやぞ
・ルビーと有馬かなとあかねがあまりにも可哀想すぎる。全員で草。有馬かな、正ヒロイン競争では勝ったけどそもそも「恋愛」というものの価値が意味をなさなくなったから相対的に負けた。ルビーの人生に負けたんだ。
・ハーレムものの主人公が全員からの好意を一定に保ったまま誰からも恨まれることなく死んだから地獄。大切な人を失った女の子が3人生まれました、あーあ。
・アイは生まれもった「愛情」の欠如から来る闇を「嘘」で覆い隠してアイドルをやっていたけど、ルビーは元から素直だし、現世では愛も受けてるし、アイのことも世間に公表して復讐も終わったからこのままだとただの素直なアイドルになってしまう。「私は今日も嘘をつき続ける(=それが魅力)」をやるために、「最愛の人を喪った悲しみを表に出さない」という闇?を抱えさせられた?の?だろうか?と解釈して納得したけどいらね〜!!!!大団円バースの別ルートを見せてください。
・てか自分から死んどいて死ぬ瞬間は「苦しい、後悔、生きたい」とか思うの本当に勘弁してほしい。これだから自殺は(自殺のアンチ)。馬鹿馬鹿馬鹿アーホ!ドージ!マヌケ!大切な女の子待たせてんじゃねえぞ!せめて自分から死ぬなら苦しまないでほしい。アヘ顔ダブルピースのまま「うれし〜〜〜!きもち〜〜〜!ありがとうございました!」つって死ねる奴以外は死ぬなよナメてんのかカスがよ死ね
・ツクヨミ何?
・「同じ轍を踏むわけねえだろ!」まではいい感じだったのにな〜〜〜〜😭😭😭😭
ここも黒川あかねはCIAではありませんが……?にはなったけど。自ら望んだとはいえそんな危険な役回りをやるなやらせるな
・最終話周辺の2-3話、コマだけの無言カットが多くてどこまでが赤坂アカ先生がディレクションしたのか気になる。メンゴ先生の負担デカくないか?
・えーーん、バッドエンド嫌だ……って思って読み進めてたけど、その割に最終話はあっさりしてるしまるで打ち切りすぎるよ。人気も時間も予算もあったと思うんだけどな……。
・有馬の死体ビンタ、ネットではめちゃめちゃ叩かれてたけど思ったより気にならなかった。直後のミヤコさんビンタで相殺されてるし、その後の台詞と文脈聞いたら泣くしかないでしょこっちも。むしろよく発狂しなかったまである。
・星野アクア死んだって聞いて可哀想だと思ってたけど自殺すぎて許せなくなってきた。
・「ママとお兄ちゃんが照らしてくれた、未来を!」じゃないよほんとにこれでこの漫画終わったんか???自分でも言ってたじゃないかアイドルの寿命は短いって。「どうしようもないほど楽しいお仕事!」が終わったときにルビーちゃんも自殺しちゃいそうで怖いよ。みんな病んでる。何!?別にタイトル回収というわけでもテーマに沿ったわけでもないからこのエンドにした目的がわからなくて怖い。逆にルビーに因果が集まりすぎてて、天童寺さりなの命にはそれほどの価値があったのか?(疑問)になってしまっている。
両親を失った命の重みに耐えられなくて闇堕ちしたカミキに対して、様々な人の命の重みを背負って嘘をつきながらアイドルをやってる星野ルビーの善性と強さをもって勝利としたのか?
女性声優が結婚するたびに相手が特に有名でなければ"お相手は一般の方で~"という台詞が使われる。
この"一般の方"というのは普通のリーマンとかではなく、エンタメ企業勤めだとかテレビ局だとかその関連会社や出版社といったマスコミ関係がほとんどである。
では、普通のリーマンや学生で芸能界とは無縁な人が芸能人の結婚相手の"一般の方"になるにはどうすればよいか?
かなり時間はかかることになる。
クラスの一人ぐらいは必ず声優になる…かと言われるとそうでもない。
演技の意識が高い人が行くことが多い。短期間が多いため、接触を伴う演技ワークショップや主催が人脈形成を助けてくれるならば相手が異性でもすぐに親しくなれるだろう。
東京の山手線の西側から武蔵野線の内側までの範囲には、エンタメ企業やアニメ制作会社や特撮スタジオといった会社が多く存在する。高円寺や阿佐ヶ谷の飲み屋では政治活動家やバンドマンに混じってアニメ会社の社員が飲んでいたりする。
飲み屋の存在は大事である。杉並区の飲み屋や新宿ゴールデン街といった場所だと、バーテンや他のお客さんが「制作会社の人や芸能人と親しくなれそうな所を教えてくれる」といったこともあるからである。
エンタメ企業に入ればたしかに芸能人との接点は増える。芸能人や業界人に会って紹介してもらうのも手である。
なおエンタメ企業の常識は世間の非常識なので長時間労働は当たり前である。たまにホワイトなところもあるが大人気ゆえ入れないものと思ってよい。
あと「どのエンタメ企業に入るか」が重要である。本業がエンタメ以外の企業(書泉、ソフマップとか、あとは新聞社など)に入ると、エンタメ部署に行けなかったときに間違いなく後悔する。
なおエンタメ企業にいて芸能人や業界人と知り合いになっても"一般の方"になれる保証はない。
一番間近で見守る存在になれば頼られて付き合って…といったこともある。
なお女性芸能人がAV女優の場合はマネージャーと女優の恋愛はご法度であるのでAV事務所のマネージャーは受けないこと。
Twitterをやっていると、体感で95%くらいは「動物番組の動物アフレコ」が嫌いっぽい。
私も嫌い。
ちなみに残り5%はペットの写真ツイートのリプ欄で勝手にアフレコする異常者だよ。
そんで最近、『猫が「◯◯」と訴えかけるので◯◯をしてやると満足そうに寝た』のようなツイートが目につくようになった。
これは割とファボられていて、受け入れられているらしい。
まぁテレビ番組のあの不快感は、大人が無理やり出すガキボイスの「わわっ!なんでなんで〜っ」「んしょ、んしょ、登れたよぉ」「ご主人さまに、ほめてもらっちゃお!」のキモさと、思ってもないであろう台詞を動物に言わせる勝手さが気に食わないということだろうが、
私!
海外で同人誌を描いている人の本で日本語版の同人誌の翻訳行いました!
わーい!
って言っても、
ほんのちょっと語尾とか不自然な日本語を整えたりしたぐらいなんだけどね。
まんが日本昔話で言うところの婆さまがよそう文字通り絵に描いたようなそれは美事な美事な大盛りのお茶碗山盛りのほかほか炊き立てのご飯のようにとっても大盛りで盛って偉そうに言っちゃいました!的なその大盛りお茶碗ご飯山盛り山脈に向かってヤッホー!って叫んじゃったと言ったところかしら。
そしてその横の囲炉裏で鍋にかけられている質素な婆さまがこしらえた大根だけの具のお味噌汁みたいなのあれめちゃ美味しそうじゃない?的な!
アルプスの少女ハイジのなんか暖炉でチーズみたいなのを鍋で煮ているシーン級に美味しそうに見えない?的な!くるくる鍋を掻き回しているあの匙も含めての話ね。
でも!でもよ!
全てキャラクターとかマップとかアイテムとかストーリーとか全て網羅した情報を理解していないと、
ふふふ!ふが3つ!
その同人誌を描いてる人、
よくぞ私にそのゲームを題材にした同人誌の翻訳のお手伝い頼んだわね!
超任せてちょうだい!
そのゲームの世界観を完全に全て頭の念頭に置いて網羅している私クラスのレヴェルになると
キャラクターの言葉の台詞の話し方も口調バッチリ任せてよ!って感じだし、
ゲーム作中では出てこない設定の単語とか同人誌の中で出てくると不自然で矛盾があるの。
例えば最初同人誌の中では「コンピューター」って言葉があったんだけど、
ゲームの作中にはそんな言い方を誰もしていなくて、
それに変わる作中の端末の類の言葉は全て「データベース」ってことになってるの。
その世界ではコンピューターイコールデータベースってくくられているので、
その同人誌にコンピューターって言葉があったら世界観がちょっと変くなっておかしくなるの!
そういった言い直しの訂正文言とか、
なのでそれは全部「データベース」って言った方がいいよとか。
この世界ではアンドロイドなどのそういうハイブリッド機械生命体をイコール「人間」と呼んでいるの。
いわゆる私たちと同様の生身の人間のことは区別してその世界では「勇気人間」として
過去に滅びた歴史の中で扱われていて100パーセント「勇気人間」となっているの。
だから作中で「人間」と「勇気人間」が意味混在して間違うと話がおかしくなるのもあるの。
でも、
あんまり突き詰めて私が好きな「重なら」のうな重の如くタニコーの五徳のように重箱の隅をつつくと同人誌のなんか良さもある消しちゃわないようにと
めちゃこだわって翻訳のお手伝いができたのよ!
これは力一杯ちょっと自慢してもいいことだと私は誇れる胸を叩くの!
で!さらに、
さらによ!
皿うどんのお代わりはあとにしてちょうだい!
最初そんなつもり発想3ナノメートルミリセカンドも無かったので
え?私の名前載せてくれるの?って
そんなことになるとはまさか思っていなかったわ。
うー!私このゲーム大好きで良かった!って!
翻訳に関して一応はプレイし直してキャラクターそれぞれの微妙な台詞回しとかも再確認しつつ翻訳にあたったのよ!
つーかさ、
私その人もともと全然知らない人で、
たまたまSNSでその人が作っているそのゲームのキャラクターのグッズを見付けて可愛いので欲しいので売って欲しいです山脈に向かってヤッホー!ってお便りしたのがきっかけだったのよね。
そんでメッセージでやり取りして。
その流れで翻訳のお手伝いお願いしていいですか?って
頼まれた手前中の手前なの。
美味しい手前味噌もいいところ!
今思い逆に言うと、
私みたいな見ず知らずの人に、
あなたこんな大事な自分の大切な作品のコトよく頼むわね?って思ったけど
私はそのゲームのことが大大大大大好きなので
まさに私に任せて!ってうってつけ中のうってつけのお仕事だったの!
なんかどこかの世の中の誰かの役に立ったということが嬉しいわ。
ちょっとしたことだけどちょっとしたぐらいちょっとどころじゃないぐらい嬉しいのよ。
照れ隠しに鼻の下を人差し指でこするジェスチャーをしてエヘン!と言いたいの!
ちなみにゴホン!といえば龍角散よ。
私の書いた増田をまとめて電子書籍にするより前に私の名前がそっちで載っちゃってしまったわ!って具合よ。
そんで、
先日その完成された刊行の本が私の手元にも届いたので、
今日はそんなションテンがあがった話をしちゃったわね。
うふふ。
ゆっくりな朝なので
みかんの花咲く丘公園前駅の駅前商店街の喫茶店でモーニングよ。
ここでいただくモーニングって私朝定食焼き魚定食頼むのそういえば多すぎかしら?って言うぐらいもはやこれしか頼んでいないかも?
パンが嫌いなわけじゃないんだけどね。
そんで
今日の焼き魚の朝定食は鮭か鯖か!どっちか!ってことなんだけど、
久しく鯖ばっかりなシーズンが多くて、
今日は珍しく鮭よ!
それに、
ニケの世話でも忙しいし、
まあそれだけで朝早起きしてるわけじゃないけれどね。
だんだんと寒くなってきたので、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
フリーザの問いかけに対する悟空の「だから滅びた」の台詞をまともな意味で理解できない人に対して「読解力が足りない」「国語がんばれ」とか言ってる人がいるが、的外れだと思う。
反語を「知らない」から理解できないんだというような言い方をしている人がいるが、それは変だ。
たとえるなら楽曲には義務教育では習わないテクニックや理論もさまざまに駆使されているが、その理論等知らない人でも大概、理論が主張する通りの聞こえ方、印象を感じるものだろう。
学校が授けるのは、ある表現を見てそれが「反語」と呼ばれるような類型であることを判断したりどういう効果を持つ表現であるかを意識化するための知識である。
それは創作のために必要な知識であって、理解に必要な知識ではないのだ。
もっと根底の、たとえば幼少期からの会話の経験が圧倒的に不足していて、会話の暗黙の流れというものがまともに身についていないとか、その原因に言語性IQが著しく低いことが与っているとか、そういう問題なのだと思う。
もちろん反語というような知識等を得て分析的に理解するための道具を学べば、この一局面においては他の人と同じような理解をできるという巻き返しはできるだろう。
しかしそもそもこのレベルで知識の助け抜きでは理解につまづく人は、あらゆることへの理解について、いちいち知識として学んでいなければ、平均レベルの理解力には持っていけないということになる。
たかが人並みの、つまり大衆が娯楽として聴くのと同じ感覚で曲が聴けるようになりたい人に、音楽の理論から学ぶことをすすめるだろうか?
そんな失音楽症の人へのもっとも現実的で思いやりのあるアドバイスは「諦めろ」だろう。
悟空の台詞すら理解できない人も、国語学習なんていくら進めても本質的には対処療法にしかならないので「来世に期待しろ」というのが優しいアドバイスだろう
※そもそもあのシーンはアニメでも再現されているが、アニメになったところで台詞が同じ以上理解できないことは容易に想像できるから「読解力」の問題というのはやはりずれてる。
この種のおそらくは冗談や社交辞令も理解できないであろうタイプの人が人並みになるまで国語を勉強するには、他が疎かになるレベルで時間を費やさなければならないことが推測されるわけで、やはり無理に人並みになれるように背伸びするのではなく、苦手なものは諦めると割り切るべきではなかろうか。
そもそも冗談や社交辞令を国語を学べば理解できようになるのだろうか。
たとえばネットミームになっているような台詞を軽く口に出そうものなら、彼は即座に「それは〇巻の〇ページ目だね」と返してくるのだ。
で、確認すると合っている。何巻のどのページっていう細かいところまで記憶してるって、普通ありえないだろ!?
正直、俺もハンターハンターは好きだし、連載再開が決まるとちょっとテンション上がるくらいには興味があるんだ。
けど友人といると、自分がそこまで熱心なファンじゃないってことを痛感させられる。
ハンターハンターの名場面やセリフの深さについて語り出す時の顔は、本当に誇らしげだし、熱い。
こっちがなんとなく「そうだよな~」と適当に相槌を打つと、友人は得意げに肯いて、さらに語り出す。
そんな友人なんだけど、どうしても引っかかる点がある。
それは彼がハンターハンターを話題にするときに、なぜか必ず「ハンターハンターハンター」と、一つ余分に「ハンター」をつけて言うことだ。
最初にそれを聞いたとき、聞き間違いかな?って思ったんだ。けど、彼は確かに「ハンターハンターハンター」と三回「ハンター」を重ねて言ってた。
その後も何度か彼と会うたびに、彼は律儀に「ハンターハンターハンター」と言い続けていたんだ。
流石に気になって、「一つ多くない?」と聞こうかと何度も思った。
でも、彼が「ハンターハンターハンター」と言うときのあのドヤ顔を見ると、どうしても指摘できない。
それに、彼は自分が「ハンターハンターハンター」と言ってることに気づいてないわけじゃないように見えるんだ。
むしろ、あの「ハンター」の追加が、彼なりのこだわりみたいな気もしてくる。彼が得意げに「ハンターハンターハンターってさ~」と話し出す度に、つい「どうして?」と考えてしまう。
もしかしたら、あの「ハンターハンターハンター」には彼だけが知っている深い意味があるのかもしれない。
そう考えると、「一つ多くない?」と聞くこと自体が、ある種のタブーのように感じてしまうのだ。
それに「ハンターハンターハンター」なんて言い方、普通はありえない。
だから彼はそう言うことで、あえて俺を試しているのかもしれない。
「本当に理解しているのか?」とか、「お前もこの深さについてこれるか?」とか、そんなメッセージが含まれているように感じてしまうんだ。
この増田に対して多くの弱者男性が「嘘松」「女が書いた」「本当の弱者男性ではない」などと必死に創作性を疑っているのが気になった
いや、御託はいいから弱者男性くんはさっさとカウンセリング受けてみたり精神科行ったりしてみれば?って正直思っちゃうんだよな
弱者男性を自称してるくらいなんだし生きづらくてしょうがないんでしょ?
生きづらさが軽減された実例が一個提示されたんだから真偽を疑う前にこれを参考にしてみればいいんじゃないの?
っていうか精神の問題について精神科行って専門家の判断を仰ぐって極めて王道の考え方じゃないか
何をそんなにおそれているんだろう
やれ、いじめについて言及しなさすぎだの(いや恋愛観の話が主題なんだからそりゃ精神歪んだきっかけなんて省略するだろ)
やれ、オタクならもっと漫画やアニメの話を詳しく語るはずだの(いや恋愛観の話が主題なんだから以下略)
やれ、男は感情的な問題を主語にしないだの(いや精神科行って精神が歪んでたことに気づいたって話なんだから感情の問題を主語にするだろ)
普段の弱者男性様の聡明で冷静なご思考とは裏腹に、この増田に対しては半ば統合失調症ばりの推理ごっこによって必死に女認定をしようとしている人が結構多い
一体なにをそんなにおそれているんだろう…
自分が不幸なのは社会のせいではなく自分の考え方のせいって認識するのがそんなに大変なことなのだろうか
ドラゴンボールは漫画ではなくてアニメから入ったので漫画の印象が薄い
友人の家にあった本を借りて途中まで読み、その後はサンデーで読み漁った
ちなみに「うしおととら」も置いてあったが絵がキモくて読まなかった
少年のスポーツといえば野球かサッカーかという時代に一大旋風を巻き起こしたバスケ漫画
陵南戦のメガネ君は忘れられないし
山王戦が始まる前の緊張感が半端なくて読んでて喉がカラカラになった
ブラックジャックとかアドルフに告ぐも面白かったけれど、やっぱり火の鳥こそが手塚治虫ライフワークの集大成
小学生・中学生・高校生・大学生・社会人のそれぞれのときに読み直して新しい発見がある希有な作品
源義経を悪人に描いていることに衝撃を受けたし、大人になってから読むと彼が可哀想にも見えてくる不思議
平均的に毎回面白いだけではなくてクリティカルヒットを何回も飛び出す、ギャグ漫画として異常な作品
作画はスタッフを増やせばどうにかなるかもしれないがギャグで毎週笑わせるのは本当に大変だったと思う
「チョ☆チョニッシーナマッソコぶれッシュ☆エスボ☆グリバンバーベーコンさん」はいつでも突っ込めるように覚えている
どこまで忠実なのか知らないけれど江戸時代がエグすぎて軽くトラウマ
小六のあのシーンとかが好きなんだけど分かる人が周りに全然いない
小学生の時にはキモくて読まなかった「うしおととら」だったけれど中高生ぐらいで読み始めてどっぷり漬かる
その流れでからくりサーカスを読み始めたが、10選の中でもトップ3には入る素晴らしさ
例の「べろべろばぁ」のシーンとか、「笑うべきだと分かったときは、泣くべきじゃ無いぜ」とか、非常に素晴らしいですね
福本作品はカイジとかアカギが人気だけれどどう考えても天が至高
停電からの九連宝燈はさておき、東西戦が最高に面白いし、その後の話も非常に良かった
「凡人が長生きしても暇なだけ」っていう台詞がめちゃくちゃ心に残ってるけど、あれって「銀と金」だっけ・・・?
浦沢直樹作品はHAPPYもYAWARAもMONSTERも読んだけど20世紀少年が最高に好き
こう言うと多くの人が「なぜ?」って言うけど、普通に全編通じて面白いよね
特に浦沢直樹っていろんなところの解像度が高いのが良くて、YAWARAだと富士子さんの赤ちゃんの顔とかがまさにそれ
20世紀少年は「普通の人が大人になったときの小学生時代の記憶」に対する解像度が凄く高い
それを踏まえてのあのオチなのでめちゃくちゃ良かった
怒ってる人を理解できない
これも「なぜ?」って言う人が多いけれど、三部のインフレからの四部での能力バトルっていうのが斬新すぎて満足度が高い
ラスボスがド変態なのに好感度高いってのも凄いし、ラスボスを追い込むのが川尻隼人っていうのが最高
まぁ一番ラストを持って行ったのが承太郞なのはちょっとアレだけど、まぁいいんじゃないすかね
チェンソーマンとどっちにしようか迷ったけれどやっぱりファイアパンチ
ところが改めて読み直すと序盤から映画っぽさがかなり強いことに気付く
特にドマの村のあそことか、凄いですわ
銀河英雄伝説(道原かつみ)はかなり影響を受けたけれど、途中で終わってしまったのが残念
まぁ選外は上げ出すとキリが無いけれど、パッと見たところマガジン作品が入ってないね
GTOとか今日俺とか一歩とか大好きでずっと読んでたしMMRとか話題になる前から見てた(そして信じてた)
ただ人生の10選に入れるか、って言われるとちょっと違うかなぁ
B級ホラー映画とか深夜アニメとか、そのトンデモ展開っぷりにツッコミを入れつつニヤニヤしつつ、局所的なスプラッター描写やら美少女キャラな可愛さを楽しむジャンルの作品というのがあると思う。私はそういうジャンルを好んで見るが、今やってるチェイサーゲームW2は私にとってそのジャンルに該当する。
なんといっても尺が短く、その中で飽きない程度にストーリー展開があり、それでいて筋書きにリアリティが無いため真剣に考察するほどでもなく適度にどうでもいいので、何も考えずにリラックスして観ることができる。娯楽が飽和して人々の可処分時間をコンテンツが奪い合う現代にあって、特に短い動画に慣れたZ世代にはひょっとしてこういうのが受けるのでは?とも思う(私は少し上のゆとり世代なので推測だが)。チェイサーゲームWのときも大体そんな感想だったが、W2はトンデモ度がいささかパワーアップしている。
そんなトンチキ系ドラマでも毎週楽しめる一番の見所はとにかく中村ゆりかさんが可愛い。顔も声も仕草も本当に可愛い。たまに出る中国語台詞も可愛い。そういやそもそもこのドラマ観ようと思った理由が、可愛い女の子が話す中国語が好きだからだった。
で、私は楽しく観てるんだけどツイッターでその出来の悪さに対する批判をよく見かける。展開が雑とか人物造形がおかしいとか。それはマジでそう。ドラマなんて気に食わないなら見なきゃいいんだけど、レズビアンを名乗る人物が出てくるドラマは割と数が少ないもので、百合ドラマが好きなオタクは慢性的に百合ドラマに飢えているので多少気に食わなくても観てしまうところがある。これはオタクの弱点。
しかし、10年くらい前は体感もっと百合ドラマは少なくて、百合メインのドラマじゃなくても百合シーンが存在するだけで有り難い、くらいの温度感だった気がするのが、今ではただの百合ドラマでは満足せず質の良い百合ドラマを望む声がこんなにも多く上がるのだな、と感じる。それだけ百合ドラマがジャンルとして確立しつつある気がして感慨深い。
なんか本当にうっすらとした体感でしかなくあまりに根拠薄弱で自分でもホンマか?と思うので、近年の百合ドラマの数の変遷とか誰か気が向いたら調べてみてほしい。