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2017-06-26

女心ってなんなんだよ!もう!

この前、会社飲み会で3時まで飲み明かしてみんなでベロンベロンになった時のはなし。

終電なんかとっくに逃して、もはや始発待ちの同期の子が近くにある俺の家で一旦寝たいと言ってきた。

当方元カノにフラれて1年近く経とうとしている20代独身ワンルーム一人暮らし

先方、元カレにフラれて2週間の20代独身実家暮らし

とくに何も考えずに、と言うより「なんか面白いこと起きねえかなあ」くらいのテンションでウチに来ることを快諾。

とぼとぼ歩いて我が家に着いたはいものの眠すぎるので寝ることにした。

先方はとにかく寝たいのかベッドにダイブしたので、俺はイスに座って寝ることにした。

電気も消して、いざ寝るかーって時にニヤニヤしだした先方。

何故か俺の手を引いてベッドに誘われる。

やったぜ!と思って横に入って体勢を整えてると、スースーと寝息が聞こえてくる。

野比のび太バリの見事な爆睡

まじかーと思ったけど諦めて俺も寝ることにした。

その後は何事も無く昼に起きて、いつも通りな感じで話しながらササッと昼ごはんを食べて解散

ここから摩訶不思議体験なんだけど、この3日後くらいから何か変な感じになり始める先方。

まず、毎日喋っていたのにほとんど話さなくなった。

そして話しかけてもスッとかわされてしまう。

俺は何かしでかしたのか。分からん

女心ってなんなんだよ、もう…

2017-06-25

うんこ

 「わたし達って、うんこみたいだね」

 

 彼女は泣きながら――いや、涙を流しながらも、笑顔でそう言った。

 

 思えば僕たちは、はじめからうんこみたいだった。

 出会った時から――いや、出会う前からだろうか。

 もしかしたら、生まれた時からうんこだったのかもしれない。

 

 20年と少し前、僕たちは別々の場所で生まれてきた。

 それこそ、うんこみたいに。

 うんこほとんど変わらない方法で生まれ、そして泣いた。

 よほど嫌だったのだろうか。

 それとも嬉しかったのだろうか。

 

 別々の場所で生まれた僕たちは、別々の場所で育ち、別々の場所生活をしていた。

 奇跡でも起こらない限り、そんな僕達が出会うはずはなかったのだ。

 

 しかし、奇跡というのは、まるでうんこみたいにそこら中に転がっていたようで。

 

 ある時僕は、一人暮らしを始めた。

 同じタイミングで君も、一人暮らしを始めた。

 そして僕らは出会った。

 

 部屋を出たときたまたま君と出会ったのだ。

 

 僕は恋に落ちた。

 君を好きになってしまった。

 

 しかし臆病な僕は、いつまでも君にこの気持を伝えることが出来ずにいた。

 

 何年も、何年も。

 

 君への思いはときに高ぶったり、収まったりを繰り返しながら、いつまでたっても出そうで出なかった。

 

 しかしある時、君の方から僕に声をかけてきたのだ。

 それはただの挨拶だった。

 初めての挨拶だった。

 それがきっかけで、僕の君への思いは溢れた。

 溢れて漏れた。

 

 ずっと前から好きだったこと。

 気持ちの波が周期的に襲ってきていたこと。

 それが今漏れ出していること。

 

 すべてを伝えた。

 

 そしたら君は泣きながら、笑いながら言ったのだ。

 

 わたしもおなじだ、と。

 

 

 

 飽きた。

2017-06-24

零細にやたら高スペック新人が入ってきた。

賃金は安いし、ノーといえない下請け仕事も多く、採算度外視で全力を注ぐ羽目になる業務さしこまれ

ひどい残業

ビジョン現場と上とが食い違っていて、どこに向かっていいのかわからないまま

みな目先の仕事で手一杯。

だれも経営してない、いつまで体力がもつかわからないっていう、

零細そのままの会社である

そんななか、やったら高いスペック新人が入って来た。

スペックの詳細は隠すけど、仮にAと呼ぶ。

こんな零細にそんな人、なんでこんな会社に応募してくんのか、

その時点でまずなにかおかしいなと思うべきなのだが、

それを見抜く力のない社長は、

やたら高スペックのAをチャンス、とでも思ったのだろう。

Aを丁重に迎え、始めはパートの応募のはずだったのに

いきなり正社員入社してもらう、ということになった。

パート社員が大半を占める現場なので、異例のことであった。

Aはきりっとした様子で、晴れて入社日にやってきた。

零細に突如あらわれた高スペックのAを、みんながまぶしく思った。

なにより人当たりがよく、入ってすぐ古株の社員と打ち解けた。

社長以外の社員も、Aを気に入っているようだった。

Aは慣れないながらも、一つひとつ

与えられた仕事を着実にこなしていたように思う。

ほかの社員がなにか仕事を頼んでも、愛想良く引き受け、

少しクオリティは甘いかもしれないが頼んだ方も気持ちがよくなる、そんなタイプだった。

そんな彼が、あることをきっかけに、

突如、会社に来なくなった。

始めは、「貧血気味で…」という理由だった。

そういう日が何日か続いた。

それで、ついに無断欠勤となり、上司は騒ぎだした。

電話をしても、つながらない。

何回かけても、かかってこない。

しばらくつながらない状態だったが、

ある日、Aから連絡が来た。

「体調が悪くて、出社できず申し訳ない。なんとか生きている」、といった内容だったようだ。

いったい全体、どんな体調なのか…

ちいさな会社だ、みな心配になった。

なかに心配業務がすこしおろそかになった社員もいた。

Aは一人暮らしなので、家で倒れているといかん、

様子を見に家に行こう、という案が出た。

しかしまた間髪を入れぬタイミングで、

「母が来て、病院に連れていってくれたので、大丈夫です。」

という連絡が来た。

なんだ、よかった、と上司はほっとした。

……

そこからどうなったかというと、彼は、もともとある病気を抱えていたとのことで、

今も休養中だ。

2017-06-22

母親再婚すると言っている

本当はめでたい事なのかもしれないけど、ものすごく嫌悪感を抱いている

こんな事を考える前に家からたかったが、父親一人暮らし許可していない

母親の両親は離婚している訳でも無いのに、自分気持ちが分かると言っている

でまかせだ 結局二言目には「あんたは甘えられるから良いよね」と言う

母親彼氏を家につれてきたいと言い出して、

今回は自分絶対に嫌な事を伝えてどうにかなった

でも母親は家から出ていって欲しい旨を言ってきているか

隙を突いて彼氏を家に入れるんだろう。嫌だ。

でもそれを受け入れるのが本来家族なのかもしれない。再婚に関しては知ったこっちゃないけど

母親彼氏が家に来るのは絶対に嫌だ。でもそれも受け入れるべきなのが家族なんだろうか

考えるだけで頭が痛くなってくる こんな家族に生まれたことをこれから一生後悔してやる 

子どものことも考えず離婚という選択肢を取る両親全員死ね

2017-06-21

1人で生きている感覚

最近、生きていて生活にあまりにも彩りがない。

ツイッターで垂れ流すのもあまりに情けなくてこっちに来た。2月ぶりに増田

ちょっと色々あるから番号つけて書く。

1.

去年の12月から一人暮らしを始めた。

タイトルの件とはそれほど直接的な関連ではないと思うけれど、じわじわ効果をもたらしていることだと思うので最初に書く。

2.

中学卒業から工学系で、周囲は常に男女比9:1よりも偏った状況。

その上でモテない。

お笑い気質というか、三枚目タイプなことと、

育ちから来る自分に自信が無いこと、

それから背が無いこと。いろいろ合わさってこんな感じ。

たぶん「人は良いのかもしれんけど彼氏として隣に置くのは嫌」と思われてる。

どうせ増田だしイキリ男子しとくけど、見た目は普通より大丈夫なはず。後述のアルコールの場でもウケは悪くない。

3.

仕事情報系。特に今は情報派遣社会人は4年目。

知らんチームの知らん業務4月から一人でぶち込まれ仕事中。

4人くらいいるメンバー(それぞれ自分より年上だけど普通に先輩くらい)とはゲラゲラ笑いながら話すけど、距離は近くない。

3月まではかろうじて同じ会社の仲の良い先輩が隣に居た。思えばこれはなかなか大きかった。

4.

その4月からのチームが残業上等すぎる。

今日もついさっき帰った(23時過ぎから書き始めた)。

毎日遅い。朝食を抜く、あるいは出勤中にコンビニ仕入れる日も増えた。

夕食を抜く日も増えた。

やりたいこともやるべきこともどんどん溜まっていく。そのくせ土曜は半分寝る。

ネットゲームとかツイッターとかするけど、それが唯一の他の人との絡みだと感じる。

5.

1人暮らし初期の頃には街コンにも行った。それからやたらバーに通った。

1月2月街コンに8回くらい行った。この6月まで残った収穫は無い。

2月からふらっと入ったバーで友達が出来たりして、結構通った。

やたら毎週誘ってくる友達(男)ができたのが大きい。

その場とかそこから寄った相席とかで会った女子とやたらLINEしたりした。

そっから二人でメシっていうのも5月連休までで何件かあった。

これもぶっちゃけ「やたら誘ってくる友達にはまだLINE送れるかな」くらいしか残っていない。

人と話したいタチなので随分に楽しかった。

6.

で、そのバー通いとかも5月連休からしていない。

先週あたりからやたら誘ってくる友達からの金曜LINEも止まったと思う。

何があったって訳じゃないつもりだけど、

相席で会った女子と一緒に連休最後にメシ食った時、

そこそこ酔って色々好き好きアピールしすぎて(実際かなり好みな性格だった)、

その上できっぱり断られたのがなかなか大きい気がしている。今思った。

変なタイミングで書くけど、彼女居ない歴ほぼ人生で、唯一「付き合おうか」ってなった19歳の時の年下は1週間で別れた。

7.

と、まあここまであって、これから先、深い交友を結べる相手が得られる確率なんて無いんじゃないかと思った。今日の帰路。

どれだけ飲み屋で会っても刹那的。その場限り。その日限り。

というか出会いがそういうところなせいで連絡を取ってもなんだか建前取り繕い気味。しんどい

ツイッターグダグダやってるとたまに同級生とメシ食いに行こうってなって、これが本当に楽しい。知った相手と会うのが本当に楽しい

しかしながら恋愛とか恋人とか結婚かいう話になると同級生はあてはまらない。ていうかほとんど男だ。

唯一一人だけ未だにメッチャ好きな女子がいるけど、そいつは何年も前に、いや去年もだな、断られてる。友達だって言い切られてる。

8.

こうなった時、過去選択肢はもうつぶれたと思っていい。

掘り返して掘り返して、8年も連絡を取ってないような中学同級生に居た好きな女子かい選択肢を信じられるほど夢を見ていない。

ていうかそのかつての中学同級生も何も変わらず8年とか過ごしている訳が無い。何が言いたいのかわからんがとにかく地に足がついた話じゃない。

ついこないだも「結婚相手学生時代までに知り合った相手 **%」(忘れたけどそこそこ高いパーセンテージだった)とかいう話も聞いた。

やっぱりそういうことだと思った。

結婚するほどに距離の近くなるような相手普段日常から顔を合わせる機会のあるような相手普通に考えて居ない。

特に業界なのはあると思うけど、マジでそんなもん居ない。

--

色々書いたし結論もねえけど今こんなかんじ、自分用の「こんときのお前こんなんやったぞ」メモになるだけかもしれんし、神のような増田ユーザーから天啓が降ってくるかもしれんと思いながら書いた。

ぶっちゃけ勘のいい知り合い(主にツイッター同級生)に見られたら特定されるんじゃねえかって気もするけどわざわざ言わなきゃ増田なんぞ見ん奴ばっかりだろう。

とりあえず将来的には転職かなと思う。既に転職カード1回使ってるからしんどいんだけど。

あとまあ個人的には認めたくないんだけど、色々広い範囲の状況は変わってないはずなのにこんなに落ち調子な原因については、絶対4月から残業のせいだよね。ほんと国外仕事してえ。日本は嫌いじゃないけど日本労働社会人間に厳しすぎる。サルだって生きてんだからみんなもっとルーズでいい。そっちのが健康だし幸福だろたぶん。

話が逸れた。以上です。お疲れ様でした。歯磨いて寝ます。メシ食ってねえ。

私はインターネットに住んでいる

私の年齢を仮に33歳としよう

 

0歳から18歳の18年間を実家がある地域で過ごし

18歳から24歳までの6年間を大学がある地域で過ごし

24から33歳までの9年間の半分を会社がある地域で過ごし

24から33歳までの9年間の半分を一人暮らしの自宅がある地域で過ごし

そして

15歳から33歳の18年間のほとんどをインターネットの中で過ごしてきた

 

私はインターネットに住んでいる

どこへ行こうが、それは変わらない

子供でも生まれない限り

2017-06-20

おhぢhfgそい;ぼw;g

いつもの風景

いつもの…違う…

将太がおらへん。

将太だけが、おらへん…

これが現実なんやって思ったら

また涙が出そうになってもうた。

教室に入った。

みんな一斉に、うちを見た。

空気が重くなるのが分かった。

その時やった…

好きです好きです

から~♪

うちの好きな長渕剛の『巡恋歌』セイッ!

クラスメイトみんなが歌ってくれた。

うちも泣きながら歌った。

愛していますよと Ah

ハッ セイヤー

甘い言葉の裏には~♪

オラッショ! セイッ!

一人暮らしの寂しさがあった

そうや…将太が助けてくれたんやもん。

将太、 うち…幸せやで

長渕「セイ!」(ジャカジャカジャカジャカ)ギターひく

親にバイだとCOしたら

親にバイだと告白したら、「うん、そうか」とあっさり。拍子抜けして安心したのも束の間、次の句には爆弾発言

ビアンなら心配だけど、バイなら最後は男の人と一緒になって子供産んでくれるね」

ふざけるんじゃないよ。

なんで社会要請パートナー性別を選ばなきゃいけないんだ。そもそも恋愛感情性別関係ないんだから、男を好きになるのも女を好きになるのも運次第なのがわからんのか。

子供なんて以ての外、絶対に欲しくないよバーーーーーーカ!!!!!

とは、面と向かって言えないから誤魔化しておく。早く一人暮らししたーい。

疲れているときは、爆音ライブに行かないほうが、いいかもよ

この前の日曜日ライブハウスに行ったら難聴になりました。

自分普段そんなに積極的音楽を聞く方ではなくて、大好きなミュージシャンもおらず、

からこれが初めての音楽ライブでした。

ですが、なかなか会えない地方在住のドラマー友達が、東京ライブをやるということなので、

いい機会だと思って渋谷の小さなライブハウスに足を運んでみたのです。

それは複数バンドが出演する形式ライブでした。

友達の出番はスタートしてから何組かが演奏した後だったのですが、

せっかくなのでライブハウス空気を味わってみたいと思い、最初から行ってみることにしました。

雑居ビルの地下に降り受付をすませると、薄暗いフロアにはまばらな客、

その誰もが所在無さげに立っていて、気だるい空気が流れていました。

しばらくそんな空気に浸っていると、定刻になり、フロアの照明が落とされました。

そしてたぶん、難聴の原因となったバンド演奏が始まりました。

そのとき私は運悪く、スピーカーの前に立ってしまっていたのです。

フロアはそんなに混雑していなかったのですが、そのバンドボーカルは、客の海の中を泳ぐタイプの人だったようでした。

それを知っているらしき人たちが、なんとなくステージ近くのスペースを空ける動きを取りました。

ライブ素人たる私はそれに流されてよくわからないままに移動してしまい、

スピーカー前のポジション取りをしてしまったのでした。

そして始まった演奏はシャウトの連続リズム結構好みでしたが、何を言ってるのかわかりませんでした。

耳がピリピリする感覚。これがライブか、と高揚しつつも、若干の不快感は否めませんでした。

その後友達バンド演奏も聞いて(前までのバンドたちと対照的に、落ち着いた曲調でとても良かった)、

ライブハウスを後にしたのですが、その時はまだ耳に異状が生じていることに気づきませんでした。

なぜならライブハウスを出るとそこは休日渋谷で、ざわざわの嵐だからです。異常な音空間では、耳の異状が際立たないのです。

何かがおかしいな、と思ったのは帰宅してからでした。

何も動かない、テレビラジオもつけていない一人暮らしの家なのに、キーンと響く音。

それは耳の中から聞こえていました。耳鳴りです。

うるさいところから静かなところに移動したからかな、と考えましたが、一時間、二時間たっても消えません。

不安に思いつつも、とにかく寝れば治るだろうと思い、その日はいつもより早めに床につきました。

しかし翌朝、耳鳴りは収まっていませんでした。

危機を感じて、その日は平日でしたが勤め先に一報を入れて、最寄りの病院にかけこみました。

急な訪問?だったため、病院では3時間待ちました。

その間は、スマホライブ後の耳鳴り意味を調べて戦慄していました。

そしてようやく先生に話を聞いてもらい、耳の検査

結果は、まさにライブ爆音さらされた影響からくる難聴だとのこと。

左耳が、高音域をキャッチできなくなっているようです。詳細は省かれましたが、その影響が耳鳴りという症状で出ているらしい。

とにかく早めの対策大事だ、と言われて薬を処方されました。血流を良くする顆粒タイプの薬と、ビタミン剤。一日3回。

飲み続けました。良くなると信じて。常に耳の中でキーンと鳴る音を打ち消すために、暑くもないのに、扇風機を回し続けました。

最近やっと落ち着いてきましたが、それでもベッドに入ると気になる時があります

思うに、あのライブの日は疲れていた気がします。午前中から別の用事都内を飛び回った挙句ライブ参戦。

いくら無知だったと言っても、スピーカー前にいたら音が大きいことはわかるはずです。そして体力低下。悪い条件が重なりました。

仮に好きなバンドがあったとして、そのライブでこうなっていたら、好きなものを嫌いになるという一番苦しい体験をしてしまうところでした。

たいして音楽が好きじゃなくてよかった。でもたぶん、ライブはもう行かない。もう二度とごめんだ。結構お金かかったし。

から、疲れているときは、爆音ライブに行かないほうが、いいかもよ。

2017-06-17

就活ってたいへん

就活、そろそろ終えようと思う。

滑り止めの企業とかは一社エントリーせず、興味の出た企業25社ぐらいの面接を受けて、最終面接にさえ進めないまま20連敗ぐらいして、ああこのまま内定貰えなくて社会ゴミとして生きるのかな〜それなら来年3月31日死にたいな〜とか思ってた。とはい6月の頭頃からは興味のない、ぶっちゃけここなら入れるだろ、みたいなブラックっぽい企業説明会とかも行き始めてた。

そんな中で唯一最終にこぎ着けることができた企業の最終が圧迫面接20連敗してても圧迫はここが初めてだった)で、また死にたくなってたけど、なんでか内定を貰えた。まだ選考が残ってる数社は選考辞退したところもあれば、一応受けているとこもあるけど、まぁその内定をもらったところに入社するのだと思います

内定をもらった企業はいいなと思ってた25社のうちの一社だし、その上福利厚生もたぶん結構良くて、申し分ないな〜とか思ってたんですけど、本社が都会にあって、たぶんずっと都会で働くことになる。

私は地方出身で、地元大学に進学して、今も実家からこの文章を書いています就活中はやりたい仕事かということばかり考えていて、働く場所なんて気にしてなかったけど、いざ内定をもらって、地元から離れて一人で暮らしていくと思ったらなんか不安になってきた。これが世に言う内定ブルーなんだなあと思いながらも、まじで結構不安で、大好きな実家で、大好きな家族といつもと変わらずただ喋ってるだけで寂しくて泣きそうになる。

私はオタクで、一人で都会に出て現場に行くことも多々あるので、たぶんいざ一人暮らしを始めたら普通に楽しめる気もする。けど、あと何回親と会えるんだろう、とか思ったらやっぱり寂しくて泣きたくなる。一人暮らししてる大学生とか社会人ってそういうこと考えないのかな。

友達には都会で就職したくて、わざわざ都会で働ける会社を選んで面接を受けに行ってる子もたくさんいる。一生都会で働くことになるなんて羨ましいって思われるのかもしれない。けど私はやっぱり寂しくて、もっと色々考えて就活したらよかったなって今更思います。でもも就活をする気力もない。考えすぎなのかもしれないけど、祈られるたびにやっぱり私は社会必要とされてないんだって思った。まぁ必要とされるほどの人間じゃないこともわかってるし、実際なにも成し遂げてないし、なんの役にもたってないから仕方ないんだけど。でもそんな事実を真っ向から叩きつけられたのは結構堪えた。

連敗中はあんなに欲しかった内定なのに、手に入った途端に欲深くなるのもださくていやだ。やっぱり来年3月31日に死んだほうがいいのかもしれないですね。まぁそんなこと言っても絶対死ねないけど。就活自分のいやな部分とたくさん向き合うことになってまた自分が嫌いになった。就活ってたいへん。

あっという間の人生だった

今思い出せる最初記憶幼稚園の時の記憶

あの頃は何をするにも全力でただ目の前の出来事のみを楽しんでいた。

幼稚園の送り迎えはおばあちゃんがしてくれていた。

やがて小学生になり少しずつ目の前の事以外にも目を向けられるようになったのはこの頃だろうか。

両親が共働きなので、平日の夕飯は殆どおばあちゃんが作ってくれた。

不味いなんて一度も思った事はない。

何もしないで目の前に並べられた夕飯をひたすら口に運んでいた。

そして、中学高校と進むにつれ次第に大変そうに母が考えた献立通りにご飯を作ってくれていたのを覚えている。

大学に進学すると共に状況し一人暮らしを始めた。

自分料理をするようになって初めてその大変さを知った。

やっとその時気がついたのである

あの時もっと夕飯を作る事手伝えばよかったと。

その思いを何処かで抱えつつ今日まで生きてきた。

自分の言うワガママも全て受け入れてくれていたおばあちゃん。

何をするにしてお節介だったおばあちゃん。

嫌だと思っていた時もあった、そうじゃなかった時もあった。

でも、そういうのも含めて全部思い出だ。

そして、いつまでもずっと元気で生きている世界が続くものだと何故か思っていた。

勿論そんな筈はなく、次第に弱っていく姿を見てなんとも言えない気持ちになった。

何れ自分もこうなってしまうのだろうか、両親もこうなってしまうのだろうかと考えてしまった。

こういう考えをしていつも思う、もっと優しく接してあげればよかったと。

いつも後悔してばかりだ。

あの時手伝えばよかった、そんなに怒る必要も無かったと。

昨日から地元に帰って、あの頃と変わらない場所に行った。

自転車に乗せてもらって、ガチャガチャやらせて貰った店。

その帰り道、後ろに乗りながら急なカーブにいつも危ないと思ってたこと。

そんな何気ない出来事が今では本当に大切な思い出だ。

そんなおばあちゃんの葬式今日に控えながらこの文章を書いている。

直接面と向かっては恥ずかしくて言えなかった。

ごめんなさい。

ほんとに今までありがとう

今頃何してんだろうなぁ。

2017-06-15

同人誌頒布している警察がといきなり自宅にくる可能

一人暮らしならい

実家だとアウティング問題になる

毒にも薬にもならない内容だと自認しているからと言って、犯罪者予備軍に影響を与え「ない」と言い切れるわけがない

表現は常に他者に影響を与える

今回は供述を受けてという話だが

次は容疑者の自室にあったから、にならないと誰が言い切れる?

ブラウザお気に入りに入っていただけで影響をはかることだってできる

WEBであれ同人であれ増田であれ、なんらかの表現活動をしていて、それを家族に明かされては困るのなら、今すぐ引っ越すべき

そもそも同人誌よりWEBのほうが多数の目に触れる

例外はない

モラハラより孤独に耐えられない

夫のモラハラが嫌で別居したけど、夜一人が寂しくて辛い

婚前は一人暮らしだったのに、どうやって生きてたのかわからない

無視されても罵倒されてもいいから、一旦戻るとするか

実家暮らしになって1年で使った金額はっぴょー

677587

用途

・家にいれる金

・その他趣味お菓子


うーん思ったより使ってるねえ

まあ一人暮らしだったら家賃だけで超えてる金額だって思うと、

一人暮らししてたときってすげー金かかってたんだなあと思うねー

あとこれ調べるのにエクセルのオートサムってのはじめてつかったんだけどめっちゃ便利だねこ

適当数字かいたせるえらんでオートサムボタン押すだけで全部たしてくれるとか

電卓入力するよりラクで確実だわー

いろんな場所適当数字入れてオートサムやる遊びしてしまったよ

2017-06-14

https://anond.hatelabo.jp/20170614144427

被せられた袋の中で酸欠で死んだりしてるから大して変わらん

殺人よりも軽いと思ってる人に向けて一人暮らしの本で警告が書かれてたよ

https://anond.hatelabo.jp/20170613200342

そーだよ。自炊してもそんなにお金が浮くことは無い。逆に一人暮らしは高くつく。

ただ、訳の分からない輸入食材を食べたく無い、添加剤の入ったものを食べたくない...

できる限り安全食材を選んで、その上で節約したいとなって、自炊じゃないの?

時間が掛かる、食材無駄が多くなるっていうのは、自炊にはついて回る。

一人暮らしをはじめてから納豆が美味しく食べられなくなってしまった

子供の頃は納豆なんかご飯にドバっとやってマゼマゼして平らげてたもんだが、今じゃその先にある食器洗いの面倒さが先立ってしまい、できるだけ茶碗に触れないよう少しずつご飯に乗せておそるおそる口に運ぶしまつだよ。

2017-06-13

http://anond.hatelabo.jp/20170612235930

とりあえず、おめでとう。

ブコメでも出てるけど酒の勢いに任せたか、無理な空元気で書いた文章っぽくてつらい。

俺もいない歴だけど、毎年の誕生日は押しつぶされそうになるわ。

しかも年を重ねるごとに酷くなっていくね、これは。

趣味もないし貯金もないしやり甲斐ある仕事もないけど、大抵の場所には一人で行けるし、なんとか一人暮らしする程度の収入はある!!!

友達は進学と就職で縁が切れたからいないけど!!!!でもまぁなんとか寂しいなりに暮らしてる!!!

きっとこの先40になっても50になっても一人だろうし、死ぬ時もきっと一人!!!

俺も数年前までそんな感じで趣味・友人なしだったけど、これは病むから本当ダメ

学生時代しか深い付き合いの友達ができないってのは勘違いから、無理にでも趣味作れ。

これで平気だ、って自己暗示を掛けても孤独人間を蝕んでいくぞ。

増田に書きなぐってる時点で黄色信号一人暮らしのようだし余計危ない。

若いのにセルフネグレクトから孤独死、なんて事態になったら父ちゃん母ちゃん泣くぞ。

美大に行けなかった女

祖父画家だ。

美大卒業してすぐに専業画家として独立

その道の人が喉から手が出る程欲しがる賞なんかも受賞して、

から見ると画家として順風満帆人生を送ってきたように見えると思う。

しか祖父プライベートでは周囲にかなり迷惑をかけてきた。

戦争で家が燃え盛る中、貴重品には目もくれず画材だけ持って逃げたり、

駆け出しの頃余裕のなさからちょくちょくヒステリーを起こしたりとか、

そういう話はよく祖母とその息子(=私の父)から聞いたし、

画業が軌道に乗るまではかなりの貧乏暮らしをしていたらしい。

そのせいでうちの家系アート関係仕事に対して風当たりが強い。

父が美大ではない一般大学を出、一般企業サラリーマンとして就職した際は

一族からまともな奴がでた」と周りが泣いて喜んだという。


孫の私は小さい頃よく祖父の家に預けられていた。

(私も祖父都内住みなので、母が忙しい時、面倒を見てもらっていた)

父が幼かった頃はまだ生活に余裕がなく、祖父子供の面倒を見る事はなかったが、

絵が売れるようになってからできた孫の私の事はかなり可愛がってくれた。

祖父は私にお古の画材をくれ、好きに絵を描いていいと言ってくれた。

仕事をする祖父の近くに陣取り、見様見真似で絵を描き始める。

幼稚園児の絵なんてプロの目から見なくても下手くそだし、祖父から絵を褒められた事は一度もない。

それでも下手な絵を量産し続ける私を見る祖父の目がとても優しかったのは覚えている。

やがて私は外で鬼ごっこをするよりも絵を描く方が楽しいと思うような子供に育った。

近所に住む幼馴染の友達も絵を描くのが好きな子で、

放課後はその事一緒にスケッチブックを持って公園に絵を描きに行くのが定番コースになった。




そんな私に家族はいい顔をしなかった。

小学生の頃、近所のお絵かき教室に行きたいと何度頼んでも全部無視された。

でもテレビでみかけた新体操選手を見て一言可愛いと言った次の日には新体操教室を探してきてくれた。

数学が苦手だとぼやいたらすぐにそろばん教室に行かないかと勧められた。

家族は私が絵を描く事以外に興味を持ってほしかったのだと思う。

一回だけ口を滑らせて「美大とか美術専門学校に行きたい」と言ってしまった事がある。

父は大激怒あん鬼のような形相をした父親を見たのは後にも先にもあの時だけだ。

親戚中に言いふらし、それから何人もの親戚から連日の様に

「お前に祖父のような才能はない」

美大に行くような奴はそれしか生き方を知らないろくでなしだけだ」

「お前は絵の為だけに人生を棒に振れるのか、そうとは思えない」という電話がかかってきた。

安定した仕事に就いてほしいという彼らの気持ちもわかる。

でも「美大楽しそう」は中学に入ったばかりの小娘の言葉だったのだ。

それからずっと絵を描くのが好きだという気持ち封印し、

隠れてノートに絵を描いてはいものの、普通大学に入って普通にOLとして就職をする道を選んだ。

それでも社会人になっても絵を描きたい欲が抑えきれず画塾に通い始めた。

美大の夜間コース金銭的にも時間的にも無理だった)

この頃になるともうこれから芸術の道に進む事はないだろうと安心したのか、家族から白い眼で見られる事もなくなったし、

祖父コネでもらった展覧会チケットも興味があるのなら、とくれるようになっていた。

画塾に通い始めた事も「社会人になって趣味を持つの大事な事」と肯定的な目で見てくれるようになって、少し認められた気がして嬉しくなった。

ただ一言「お前、絵描くの好きだったんだな、知らなかった」と言われるまでは。

あぁ、幼稚園小学生の頃あんなにお絵描き教室に行きたいと頼み込んだの覚えていないんだ。

後、大学一人暮らしを始めてから同人漫画も描き始めた。もちろん家族には言っていないけど。

同人イベント金銭のやり取りをするようになってから、絵一本で祖母、父、そして父の妹を食わせ、大学まで行かせた祖父のすごさを再認した。

親戚が私に才能がないと言った気持ちもわかる。私は祖父になれなかった。なろうとする事すらおごましい。

でもこの趣味出会った友人達には美大とかアート系の専門学校に通っていた人も多くて、やっぱり羨ましくなってしまう。

そしてその人達ほとんどは家族の言う「芸術の道に進むしか能がないろくでなし」ばかりではないし、

卒業普通OLとして社会人をやっていけている人にもたくさん出会った。

デザイン系の仕事をして会社に雇われている人もいれば、

祖父自営業画家として生計を立てていたように、フリーランスとしてやっている人もいる。

何より皆、人より絵を描くのが得意な「社会常識のある普通の人」だったのだ。

美術系の学校に進む人は全員頭がおかしいという親戚の言葉は、

美術を専攻するとOLという道は閉ざされるから絶対に稼げないという親戚の言葉

嘘だった。

そして思ってしまうのだ。

正直言ってしまうと同人誌はそこそこ売れているので、私に絵の才能が全くなかった訳ではないと思う。

もし美大に行けてたら…祖父の様に専業画家として大成功する事は無理でも、デザイン系のOLとかで生活できる程度に稼ぐ事はできていたのかな…と。

甘い考えだってのはわかっているけれども。

父の口癖はこうだった。

「本当に何かをやりたい人はどんなに反対されても勝手にやる。祖父は家が燃え盛る中、泣きながら画材を持ちだして死にかけた。手塚治虫戦争中、絵の具がなかったか自分の血で絵を描いた。芸術の道に進むというのはそういう事だ。」

きっとそうなのだ

私が本当に美大に行きたかったのなら、親戚中に反対された中学の時点で家出でもすればよかったのだ。

バイトをできる年齢になったらお金を貯めて、学費自分で賄えばよかったのだ。

そうしなかったのは心の底から美大に行きたいと思っていなかったからなのかもしれない。

ないとは思うけど、明日北朝鮮ミサイル東京に降ってきたら、私は真っ先に通帳とか印鑑とかを持って逃げると思う。

そして、足腰が弱ってあまり歩けなくなってしまった祖父は、それでも若かった頃と同じようにパニクりながらカンバスと絵の具を持って避難するだろう。

そういうところなのだ、親戚が「芸術家ろくでなしだ」と言うのは。

通帳は全部祖母に任せて自分画材だけ持って逃げるから

明日おまんまがなくなって、家族全員打ちひしがれていても、スケッチブック燃えなかった事を泣いて喜ぶような人だから

本物のミサイルなんてそうそう見れるもんじゃないと喜び勇んでスケッチを始めるかもしれない。

因みによく一緒に公園スケッチに行ってくれた幼馴染は高校から画塾に通う事を許され、無事美大合格卒業後は有名なゲーム会社就職した。

彼女ものすごい努力をしていたのを私は知っているし、就職の報せを聞いて私も嬉しかった。

でも北朝鮮ミサイルに対して彼女はどういう行動をとるだろうか?

私が趣味世界出会ったデザイン系の仕事に就いている人達は?

紙と鉛筆を持って逃げるだろうか?

幼馴染とは今でも仲がいい。

同人活動を通じてできた友人の中にはジャンルが変わっても付き合ってくれ、一緒に旅行に行くような仲の人もできた。

積極的美大とか専門の話はしないけれども、そういう話題になっても自分の知らない世界の話を聞くのは単純に楽しいし、新刊ネタになるかもとワクワクすることもある。

でも嫉妬心を全く覚えないと言ったら嘘になる。

日本火の海になった中で、紙と鉛筆でなくて通帳と印鑑を持って避難するような人だったとしても、彼女達が美大進学を許された特権階級である事は変わりないのだ。

そう思うと何だかもやっとしてしまう。





一時期このもやもやから逃れたくて、絵を描く事を伴わない趣味を探した事がある。

スポーツをしてみたり、美味しいご飯屋さんを探してみたり。

このスポーツ団の制服可愛いから模写したいとか、肉の「照り」の部分を絵の具でどう表現しようかとか気付くと考えてしまっていたけれども、頑張って思考の外に追い出していた。

そんな中、某韓国アイドルにハマった。

お気に入りだったのが音大出身で抜群の歌唱力を売りにしている子。

彼の美しい歌声に乗った異国の言葉は心地よくて、生まれて初めて海外アーティストの曲を買った。

ある日、彼が番組企画ファンの為にイラスト色紙を書いてくれる事になった。

その日の彼は機嫌が良かったのか、普段はあまりしないプライベートな話をしながら色紙を書いてくれた。

小さい頃から歌う事が好きだった事。

母親に勧められて合唱団に入った事。

歌手を目指し挫折した経験を持つ母が、音大合格した時泣いて喜んでくれた事。

色紙を書き終えた彼はそれを満足そうにカメラに見せ、言葉をつづけた。

「歌も好きだけど…絵を描く事も好きです。上手くはないけどね。僕の従姉妹がこの絵を見たら笑ってしまうかも、彼女美術大学に通っているんだ。」

頭を鈍器で殴られたような感覚がした。

今までアイドルと言うのは自分とは全く別の世界に住んでいる人間だと思っていた。

この世に存在しないくらい見た目が美しくて、スタイルが良くて、歌やダンスが上手で。

からどんなにイケメンアイドルを見てもこんな人と付き合いたいとか、

どんな美人アイドルを見てもこんな風に美しい女性になりたいとか、そういう気持ちが湧いてきた事はなかった。

自分人生と関連づけられなかったのだ。

特に彼は外国人だったので、そうした傾向が強かったんだと思う。

でも彼の口から美術大学」という言葉がでてきた瞬間、一気に身近な存在になってしまった気がした。もちろん悪い意味で。

音楽芸術だという当たり前の事を思い出し、生まれて初めてアイドルに対して悔しいという気持ちが湧いてきてしまった。



彼は芸術家になる事を親から応援されてきたんだ。従姉妹さんも美大に通っているという事は、きっと一族の大半が協力的なんだろう。

羨ましかった。私も応援されたかった。

美大に行きたいという言葉を発した時に、罵詈雑言を浴びせられるのではなく、彼の母親の様に応援してほしかった。

彼が歌うのが好きだと気付いた母が、彼を合唱団に入れてくれたように、お絵かき教室に行きたいとせがんだ私の事を父に認めてほしかった。

本当は新体操選手なんかに憧れてはいなかったんだ。

お絵描き教室が駄目なら新体操も駄目だろうと思って発した言葉だったのに、すぐに新体操教室を探してきてくれた親に対してショックを覚えたんだ。

美大コンプレックスから離れる為に始めた趣味だったのに、またもや同じ気持ちを味わったあの日、結局このコンプレックスはどこに行ってもついてくるんだなという絶望感を覚えた。

もちろん、高校から画塾に通って美大進学をした幼馴染、趣味を通じて知り合った美大出身友達

皆親を説得するために苦労をしたんだと思っている。

そしてただでさえ狭き門である芸術系就職活動成功させる為に、

反吐を吐く様な努力をして作品ポートフォリオを作り上げたんだろう。

きっと私には想像もつかないような辛い道のりだったに違いない。

大好きなアイドルと彼の従姉妹だって日本よりさらに厳しい学歴社会と言われる韓国音大美大進学を決めるのには相当な覚悟があったはずだ。

音大合格して彼の母が泣いたのだって、その一悶着があったからという事もあるかもしれない。

でも。本当に悪いけど。その内誰だって祖父レベルに達しているとは思えない。

祖父の様に絵の神童と呼ばれていたという話も聞かない。

祖父彼女達と同じ年齢だった頃に描いた絵を見ると、素人から見ても月とすっぽんの差がある。祖父の様な天才じゃなくても美大に行かせてもらえる彼女達。特に幼馴染は「本当は美大に行きたかった母親が大賛成」してくれて、祖父の様な絵に対する執着心もないのにすんなり画塾に通わせてもらえて、本当に羨ましかった。

もし、私の祖父画家じゃなければ。天才じゃなければ。

しかしたら説得できたんじゃないかって思ってしまう。

家出なんかしなくたって、絵の具の代わりに血を使わなくたって、北朝鮮ミサイルが降り注ぐ中、愛用の画材を泣きながら探し回らなくたって。

しかしたら、私にも美大に行かせてくれと説得できたのかもしれない。

彼女達が本当に羨ましい。泣くほど羨ましい。

祖父の様に絵を描く事しかできないわけでもなく、(少なくともデザインOLをやれる程度のコミュ力はあって)、でも祖父の様な並外れた才能があるわけでもない彼女達が

家族から美大進学を許されたのが、本当に悔しい。

祖父天才じゃなければ。数回頭を下げただけで私も美大に行かせてもらえたかもしれないのに。


祖父の事は聞かれない限り他人に話してはいない。父の職業ならまだしも祖父の事を聞かれる事は稀だし、自分から言いふらすような事でもない。

でもごくたまにある。お祖父ちゃんは何をしている人なの?と聞かれる事が。

そして答えると大抵「だから増田さんも絵が上手いんだね!」と返ってくる。

(もちろんお世辞だ。私は下手ではないと思っているけれども、上手くもないと思う。ただ、そういう仕事をしていない限り社会人になってまで絵を描いている人は案外少なく、相対的にそう見えるだけだ)

そんな時自分がどんな顔をしているのかはわからない。

絵を描く楽しさを教えてくれたのは祖父

お金にならないのに、今まで絵を描き続けてこれた情熱を持てたのも、祖父遺伝なのかもしれない。

でもそれを仕事にしなかったのも間接的には祖父が関わっている。

そして何より、私には祖父ほどの才能がなかったのだ。

2017-06-12

あと5分で30歳〜〜!!!

誰かと付き合うとかイイカンジになるとかもなく!!!処女のまま!!!30歳になります!!!

趣味もないし貯金もないしやり甲斐ある仕事もないけど、大抵の場所には一人で行けるし、なんとか一人暮らしする程度の収入はある!!!

友達は進学と就職で縁が切れたからいないけど!!!!でもまぁなんとか寂しいなりに暮らしてる!!!

きっとこの先40になっても50になっても一人だろうし、死ぬ時もきっと一人!!!

そういう生き方しかできなかったから仕方ない!!!ちょっと寂しいけど仕方ない!!!

あと2分!!!

何にも変わらない明日だけど記念に( ✌︎'ω')✌︎

誰もいない家に帰るのが怖い

自分が後に帰る日は、安全だと分かっている家に帰れるのですごく気楽。旦那と一緒に帰る日は、まあ、仮に誰かいても二人いれば何とかなるんじゃないかな…。たまに自分が先に一人で帰るときはとても緊張する。

揃って不在にしてた夜に窓を割って空き巣に入られたこともあって、ドアに鍵がかかってても安心できないことも分かってるし。(そのあとめちゃめちゃ雨戸閉めて防犯の柵ついてなかった窓に全部つけた。高かった…)

結婚前に一人暮らししてたとき会社の寮で全住人が知人だったからそこまで不安じゃなかった気がする。

旦那は体が弱いし寂しがり屋なので独りにしないようにしなきゃと思っているけど、子どももいないし、老後に弱った状態自分が独りになったらどうしようと時々考える。

グループホームとかがいいのかな?

一人暮らしという逃げの一手

20数年ずっと実家暮らしだったのですが、ここ最近心身共に厳しくなってきたので一人暮らしを始めました。

色々書きたくて仕方がないんだれど、とりあえず今の心境だけ。

まず、家に帰って休むことができる、休む場所があるということを考えるだけで心が弾みます

身内がいない、考えなくていい、何もしなくていいというのは、ほんとうに嬉しいです。

機嫌を伺わなくてよかったり、気配を感じなくて済むというのは楽です。

一人暮らしで多少の音を感じたとしても恐らくそんなに気にしないと思われます。それは私にとって見知らぬ人だから

気分の高低差が激しく一人では生きることができないあなたに私は遂に嫌気が差したのです。

から私は一人暮らしを決めた(逃げた)。

でもあなた大丈夫

隣にずっと恋人がいるのだから。昼はどこかに出かけ、夜になると一緒に帰ってきて壁となり合わせの部屋に朝まで二人でいるのだから

心が狭い人間と思われたくないから、性格が悪い奴だと思われたくないからずっとずっと我慢してきたけれど。

いよいよ辛くなってきました。なんとなく壁越しに話している声が聞こえる、気配がするのは私にとって重くのしかかってきます

どうして私があなたのためなんかに一人暮らしという逃げを選択しなければいけないのかというのは今でも思うけれど、これしか選択肢がなかったように思えます

とりあえず、私は今をせいいっぱい生きようと思いますあなた普通生活が送れるといいね

きっと私がいなくなったのだから、今まで以上にずっと一緒にいるのでしょう。泊まるのでしょう。それであなたが無事に生活できるのなら良いです。

姉より、心を込めずに書きました。

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