はてなキーワード: 一人暮らしとは
両親は英語など堪能であるが私は英会話教室に行くも日常会話をまともに話せない
バイト生活ではあるが車は父親から譲り受けたベンツ(父親は車の収集癖があり何台も所有している)
家はマンション11階の部屋を貰ったので一人暮らしをしている(周囲の目もあり両親は同居をしたくないのだろう)
収入はバイト以外に金融資産があるのでそれで口座にはお金が入ってきている(お金がお金を産むという奴だ)
ただただ私は医者にはなれなかった
ワイは派遣事務をしている女だが、この一節でなぜ派遣先の女性たちがあんなに雑談をしているのかという疑問が解けたとともにぞっとした。
もし雑談がなかったら——…と想像するだに恐ろしいけど、たぶん心が荒んで一人ぼっちになった感覚になると思う。悪いことがなにも起こらなくても自然に涙が出てくるんじゃないかな。脳に薄っすら膜が張ったように自分が遠くなって、舌は痺れて食べ物の味もわからなくなるかも知れない。はじめての一人暮らしでネットさえ通じてなかったときに、にわかに交流が途絶えた数日がそんな感覚だった。心の交流って自分自身を調律して世界に馴染ませるために欠かせなくて、失えばきっと、バランス感覚は崩壊してしまう。
一応女なので(かどうかはわからないが)大元の増田が求めるような雑談というのは必要であればこなせている(と思う)。なんなら初対面の、もう会わない人相手ならそこらの人よりコミュ強かもしれない。
しかし私は、人間、とくに同僚という少なくとも数ヶ月は一緒に過ごさねばならない人間とはできる限り関わりたくないので、絶対自分からは話しかけないし、極力話しかけるなという雰囲気を出してぼっちを満喫している。運の良いことに、今の職場は個人業務なのでコミュニケーションがなくても業務に支障はないし。
しかし、ほかの事務員を見ていると、みんなよく話をしている。苦痛だろうなあと思っていたら、それがそうでもないらしい。毎日席が変わるのだが、翌日の座席表を見て「明日の席話せる人いないじゃん辛い」とちゃんと悲しがっている人を見て、この人たちは嫌々ではなく雑談がしたかったのか…と心底驚いた。
シングルマザーで帰ると彼氏が居て追い出されるから友達の家にいるとかなんとか
・生活費
誰も助けてはくれない
金は貸すかもしれないけど
じゃあすぐ働けばいいじゃん、となるけどそれは長期的に見たら悪手
エグいなあ
今までの人生思い返したけど
抑圧されて生きてきた割に上手いことちゃんと少しでも利益があるように選択してきたね
今年はコロナ禍でやってた浪人を一人暮らし始めてからもやろうと思う
どうも仕事してるけど人生が何も楽しくないし何かにつけてイライラするのはやはりこんなに俺は賢いのに相応の職に付けてないことだろうと
じゃあやり残したことというか昔実家にいた時に出来なかった大学受験(現役の時は指定校でコロナ禍の再受験は冬場の家庭内感染によって断念)をもう一度やってみるか
何年か前に住んでたところで、今日みたいに大雨で深夜に避難指示が出たことがある。
身寄りのない一人暮らしで一階のボロアパートだったから在宅待機はできなくて
貴重品と防災バッグ、少しの着替えを持ってカッパかぶって家を出た。夜中の一時くらいだった。
真っ暗で普段通らない道だったから少し迷っちゃって、20分くらいウロウロした。
深夜なのに役所か自治体かの人たちが出迎えてくれて、とにかく自分以外の人がいることに本当に安堵した。
当時転職と引越しをしたばかりで、頼れる人が本当にいなかったから、行政に心から感謝した。
体育館はそこそこ人がいて、壁際はもう他の人がいて空きがなかったので、
真ん中あたりで、自分と同じく独り身っぽい人の近くに荷物を置かせてもらい
あんまり覚えてないが子どもがいる地域じゃなかったので、高齢のご夫妻か、自分みたいな独り身が多かったかな。話し声はあまりなくて、みんな静かにじっとしていた。
トイレに行く時は、近くの人に荷物を見ててもらうようにお願いした。
自分は普段寝つきがいい方だが、さすがになかなか眠れなくて、ずっと川の水位情報を見ていた。
4時くらいに雨が減り始めて、明け方避難指示がなくなって、少し眠った。貴重品はリュックに入れて腹に抱えて寝た。
8時ごろ雨が止み、みんな帰宅し始めたので、自分も行政の人に挨拶して体育館を出た。
結果的には自宅は無事だったし、避難明けの太陽はとても美しく感じたけど
家族がいないことが少しつらかったな。
賃金は決して高いとは言えない。むしろ大卒平均よりは下だと思う。
学生の頃から格差問題に関心があった。結局、複合的な理由から本格的にその道に進むことはなかったが、自分でお金を稼ぐようになったらわずかでも寄付に回したいと思っていた。
毎月1500円。このくらいなら続けられると思った。
当時はアプリゲームユーザーだったから、ガチャを数回我慢すれば捻出できる額だった。
当たるかどうかもわからない少年たちのイラストデータに1500円を投じるよりも、その1500円で地球のどこかに生きている少年がご飯を食べたり、学校に通ったりする方がいいに決まっている。
しばらくは順調だった。生活は決して楽ではなかったが、そのうちアプリゲームにも飽き、趣味にあまり金を使わなくなった。
UNHCRから定期的に郵送されるお知らせを見て、現地でどのような支援が行われているのかを見ると嬉しくなった。
立ち行かなくなったのはウクライナ侵攻のあとだった。
本当は欲しいわけでもないものに偽物の物欲を見出し、浪費を繰り返すようになった。食料をストックすることができず、食べられるものはすぐに食べ尽くしてしまう過食が止まらなくなった。
そしてこの泥沼の精神にずぶずぶと入り込んできたのがUberEatsだった。
仕事が終わってすぐにベッドへ飛び込む。休みの日はそもそもベッドから起き上がれない。もちろん自炊する元気も、外に出て食料を買ってくる元気もない。ストックしていた食料はすでに食べ尽くしている。
そのまま朝が夜になり、空腹が怠惰を上回ってくる。胃がきゅうと締め付けられるように痛む。
かといってベッドから出る気力は全くない。
そのまま数時間は耐えるのだが、あるとき空腹の痛みが誤魔化せないほどに切迫してくる。
そうすると、半ば祈るように縋るように、UberEatsを使ってしまう。
極度に疲れているから、決断能力がない。適当に店を決めても、何を頼むかで10分以上悩む。悩んだ挙句判断能力もないから、まともな時なら「店で食べればあの価格なんだから、Uberで注文するのは勿体無い」と思うようなものに決めてしまう。
一度のオーダーに1500円くらいかけて、ハンバーガーセットとかを頼んでしまう。
しかもすぐに支払いが完了するデビッドカードを使えばいいものを、口座から引き出せる現金が減ることが恐ろしくなり、1ヶ月後に引き落とされる方のクレジットカードを使ってしまう。
やがてハンバーガーセットが玄関先に到着する。外気の中で食べものがだめになってしまうことを想像し、食事を無駄にしたくない気持ちが身体を突き動かし、ベッドから出る。そして誰にも見られないように素早く回収し、一人の部屋で貪る。
金がなくなり憂鬱になり、そしてまた布団から出られない日にUberEatsを使ってしまう。悪循環に陥った。
口座に給料が入っても、カードの引き落としですぐにスカスカになる。
それが恐ろしくなって、クレジットカードで毎月支払っているものを洗い出し、解約していった。
自分は1500円の使い道として、難民に食事や医療を提供する方ではなく、自宅までハンバーガーセットを届けてもらい、悪趣味な広告をブロックし音楽をバックグラウンドで再生する方を選んだ。
難民状態という不条理に追い込まれる人々の状況を少しでも良くしたくて、募金をしていた。
そのはずなのに、毎月支援していたのとほぼ同じ額のお金を使ってハンバーガーセットを買い、体脂肪をどんどん増やしている。
これ私も昨日観てました。親は息子に対して「反抗期もなくいい子だった」と。
進学校では生徒会長、大学に入ってからの一人暮らし、ホストになる時には昔からの友人が強く反対したけど聞き入れてくれなかったそう。
もう15年前だけど初めての一人暮らしの夜はいまだに記憶に残ってる
もちろん特に何かあったわけではないんだけど東京事変の娯楽を聞くとその時の期待と不安の入り混じった感情がいまだによみがえる
元増田(https://anond.hatelabo.jp/20230531142029)です。字数制限超過したのでみたいなのでこちらでコメント返しします。
引き続きコメント返しです。ほんと説明不足ですいません。ただの愚痴をこんなに読まれると思わなかったから、だいぶ端折ってました。
あんまり長いと「長すぎる」と叩かれるかと思ったけど、端折ると「解像度が低い」になるのか。詳細に書いたほうがいい場合もあるんだなあ。
勉強になります。ついでに元記事の誤字もちょくちょく直しています。
ほんとにね。片道1時間半~2時間弱かかっていたので大変だったけど、地元では遠方への通学って結構普通だったんだよね。
さすがに遠いので大学(大学院)近くに一人暮らししたかったけど、当時はガソリンも今より安かったし、一人暮らしするよりも
実家に数万入れて車で通うほうが経済的だった。ゼミに入るとずーっと研究していて、風呂と寝床のために帰っているだけだったし、
ちょっと一人暮らしは贅沢だなと思ったところもある。運転は好きだったから、長距離運転も息抜きととらえて何とか頑張れた。
今回の件に関しては、クソ店長が女を馬鹿にするクソだったことに加えて、単純に人としてクソだった。
ただその後ほかの店舗を回って車を見ることもあったけど、やっぱり男性が横にいるだけで対応が違う人はいる。
結婚後、私の車を買うために夫を連れて何店舗か回ったことがあるが、夫がお手洗いで席を外すと、
夫が戻ってくるまで話をしない販売員がいたりね(私のお金で購入することは先に言ってある)。
実際問題として、女だと相手にしない販売員がいる現実はあると思う。
ほんとそれ。でもね、当初(女性店長時代)は地元ではすごく評判で、私も本当に嫌な思いはしなかったんだ。
最初はボロい70万程度の軽を買ったときも、予算に合わせていろんな車を探してくれ、欠点も含め細かく説明してくれた。
今思えば、店長がクソに変わってから店舗のスタッフもコロコロ変わっていたし、もしかしたら色々問題のある店舗に変わってしまってたのかも。
ディーラーを信頼できるかはちゃんと考えていかないとだめだなと思った。予算に限りある学生時代だとなかなか難しかったけれど。
もし親にお金借りられるとかなら、メーカー直営から出世払いで新車買った方が断然安心だなって思う。
6か月点検以外にも、そのディーラーでできる定期点検は全部受けていたし、
走行距離がめちゃくちゃだったので、2~3か月に一度はオイル交換に行き、簡易的な点検も受けていた。
毎回のように予約を忘れていたけどな!あまりに毎回同じ対応だったので端折りました。
店長不在で他のスタッフに対応してもらった方が全然いいくらい。
一般の人よりかなり点検はしていた方だと思っていたが、結局そのディーラー(クソ店長?)がザルだったから無意味だった。
もしかしたら整備士も途中で変わっていたのかもなあ。今となっては分からないが。
整備記録でもずっとエアコンベルトについては問題ないことになっていたがもう信用ならない。
その通りで、田舎にJAFはすぐ来ない。田舎は通常は2~3時間(ひどいともっと)かかるのが普通。
私もJAFを利用するのはこの時が初めてではなかったが、それまではそれくらい待った。
このときもJAFに電話して「到着まで時間がかかる」と言われ深夜3時過ぎに絶望しかけたが、再度JAFのコールセンターから電話があり,
運よく近隣の市でレッカー対応後の隊員がいたらしく、急ぎで来てもらえることになった。不幸中の幸いだったと思う。
40分くらい待ったら来てくれた。一仕事終えた後に来てくれたJAFのお兄さんにも感謝。
廃車の判断は、JAFの人にレッカーしてもらって、隣市の修理工場のあるメーカーの大型販売店までレッカーで持っていき、後日正式に廃車となったよ。
でもレッカー前に私が通学通勤のことを心配していると、JAFの人が試しに車乗って、エンジンかかるかとか、アクセル踏んだときの感触とかいろいろ見てくれて、
「経験上、多分廃車だから期待しないほうがいいよ」みたいな感じで言ってくれた。
諦めて交通機関で行けって意味だと思う。朝7時からスーパーでバイトがあって間に合うか焦っていたので、ズバッと言ってくれて助かった。バイトは休んだ。
でも、そのJAFの人、本当に不思議な人だったんだよね。くそド深夜に呼ばれても、すごいニコニコ嬉々として車を見てくれるの。
それまでのJAFのお世話になったことや、親がJAFを呼んだのに一緒にいたこともあったが、あんなに楽しそうに仕事するJAFの人は初めて見た。
車にもすごく詳しい人で、あれやこれやと色々話してくれた。天職なんだろうと思う。
ほんとにね。あとにも先にもあんなに親切なJAFの人は初めてだった。これからもその人を指名で呼びたいくらいファンになった。
実際には、JAFの人がその場で特約を読み込んでくれて、「もしかしたら特約で対応できるかも!」といって、保険会社のロードサービスに電話して色々聞いたり交渉してくれた。
「〇〇大まで通ってるの?じゃあ車ないと困っちゃうよね~」と言って、よろしければ保険屋と電話しましょうか?といって色々話付けてくれた。
JAFのすべての人がここまで親身になってくれるわけでもないから、本当に親切にしていただいたのだと思う。ディーラーの引きは最悪だったがJAFの引きは良かったらしい。
私もパニックになっていたところ親身になっていただき感謝したし、感謝のあまりその人の名前を覚えておいて、後日JAF本社にお礼の手紙を送った。
10年くらい前のことでおぼろげだが、保険は損保で、代車等諸費用特約でみたいな名前だったはず。(期間無制限かは分からん。期限ありかも。)
JAFの人が先に保健屋に電話して交渉してくれたからか、翌日保険の担当者から電話があり、レンタカーを借りる店舗とか借りられる期間とかを教えてもらって、
ト〇タレンタカー行って、次の中古車を買うまでの2週間強のあいだ、一番グレードの低いであろう普通車を借りた。スムーズだった。
もしかしてレンタカー代がかからないなんてありえないんですかね?私が言っていることって間違っている?間違っていたらすまん。
じゃあなんであのときレンタカー無料で借りられたんだろうか…。幻…。毎日寝不足だったから幻かも。むしろなんで無料だったか教えてほしいくらい。
ほんと嘘松だったらハッピーなんだけどね。自分でも、学生時代の自分がこんなクソ接客に耐えていたなんて信じられない。
未だに正月に実家に帰るとこの話で盛り上がって、いつまでも消えない怒りのエネルギーでクソをののしり合う地獄の正月になってるんだよ。
これが現実のほうがしんどいから嘘であってほしいよマジで。ここに愚痴書いてすっきりしたので、嘘松乙と言われる分には全然いいのですが。
私を馬鹿にするのはまあいいがJAFの人の人格を否定するのは許さん!
でも実際問題として、JAFの人でも「女性に何言っても分からないか…」みたいな態度の人にあたったことはある。
単純に今回の件はJAFの人がとことん親切だったことに救われた話だった。
いやだから本当はそうしたいんだけど、こっちが女ってだけで見下す人がいるから保険で連れてけって話をしてんですよ。
そりゃいい大人だし自分の金で一人で買い物したかったよ。若い女が見下されるから男連れて行くって自分でも悔しいに決まってんじゃん。
でも一人で行ってヘタすると損害こうむるのは自分だし、何店舗も巡って、持ち帰って調べてまた店行って、みんなできるか?そんな暇すべての人にないぞ?
痛い目みた30代の私はできるけど、免許取ったばかりの若い人だとなかなかそこまでできないだろ?
それに関係切りづらい面倒な販売員もいる。そうならないためにも簡単にできる対策の一つが「男性連れていく」って話をしてるんだよ。
20代中盤になり、将来を考え一人暮らしを決めました。親に初めて相談した時には少し怒ったような口調で「実家からでも電車を使って職場に通えてるじゃないか」「転勤になっても車でかよえないのか」「お金がたまらないぞ」と言われました。
それでもしたいと伝え、物件探しに着いてきてもらいました。しかし、その時は不動産屋さんに物件探しが早すぎると言われました。それが半年くらい前の話です。
満を持して部屋探しに良いと言われた引越し予定日から1ヶ月半前。
本当は物件の良し悪しを見極める力に不安があった為、親についてきてもらおうと思っていました。最後まで親に頼る人間。
しかし、親との都合が合わず、1人で物件探しをして、良い物件を見つけ親に相談すると、「いいんじゃない?もう不動産屋さんに連絡したら?」とすんなり了承を得ました。不動産屋さんにこの物件で暮らしたい旨をメールで伝えました。
深夜になって実家を出ることが実感として湧いてくると、涙が止まらなくなってしまいました。
家族仲が良く、姉妹とも親とも話が絶えない家でした。冗談を言い合ったり、たまにお互い甘えすぎたり不機嫌を出したりして険悪になったり。もし一人暮らしをしたら、帰ったら明かりと暖房がついていることも、今日あった話をすることも、思いついた冗談を言って笑い合うことも、川の字で寝ることも、誕生日になった瞬間おめでとうと直接祝ってもらうことも、家族の誕生日当日にケーキをみんなで囲むことも無くなると思うと、寂しくてしょうがなくて。どうしようもなく涙が出てきました。
思い返せば、入居日を相談した時にぽろっと「早くない?」と言ったり、遊びに戻ってくるねと言ったら「忙しくてそんな暇はなくなるんじゃない?」と言ったり。端々で親も寂しさを感じていることが伝わります。
大昔に「大きくなったら一人暮らししようかな」と言った時「えー、寂しいじゃん」と笑っていた親を思い出しました。それでも今は「一回してみれば良いよ」「大丈夫、なんとかなるよ」と言ってくれます。本当に良い家に生まれたな、恵まれていたんだな、と改めて実感しました。
次の日の朝、いつもより多く話しかけてくる親。駅まで送ってもらう時に、あーもう送り迎えをしてもらうことって30回もないんだろうなぁと思うと悲しくなりました。
(20代中盤で完全送迎甘やかされ人間。一応理由があって駅から遠いのですが、治安が悪くて仕事終わりに自転車で帰れるような土地ではないのです。)
親に頼っているなんて恥ずかしい、自立しなければと思っていたからやっと頼らずに済む、親に負担をかけなくなるぞ!と晴れ晴れしていましたが、いざとなると送り迎えをしてもらいながら今日あったこと、最近の話ができないことも悲しく、寂しいです。
初めてこのダイアリーを使うので、コメントに返信できないかもしれませんが、無視しているわけではないことをご了承いただけたら幸いです。
私はレズだ。自分がレズだということは小学生の時から薄々気がついていて、何年もかけて咀嚼して受け入れてきた。今更そのことを常時悲観して過ごしているなんてことはない。
冒頭にこのような文を置いたのはこの話に欠かせないことだからで、決してマイノリティであるということを見せびらかしたい(?)訳ではないということをご理解いただきたい。
年齢は伏せるが、私は今実家を出て一人暮らしをしている。家族との関係は悪くはないが、とても仲がいいという程でもなく、実家の猫の様子を見せてもらうために定期的に通話をするくらいの関係で落ち着いている。先日その通話で、祖母が心臓病らしいということを告げられた。手術をすればまだ生きていられるとか、祖母はそういう状態になっていたらしい。私は自分から祖母と連絡を取ろうとしていなかったため、そのことを全く知らなかった。親が祖母の病気を知らせてきたのは、きっと私から祖母に連絡をし、元気付けて欲しいという意図が込められていたのだと思う。しかし、私はまだ祖母に連絡を取ることができていない。
私が幼い時、私と祖母との関係は良好だった。祖母は私のことを可愛がってくれ、遊びに来るたびに色々なところへ連れてってくれたし、小学校の運動会も毎年見にきてくれていた。私ももちろん祖母のことが好きであり、祖母が帰ろうとするたびに駄々をこねたりもしていた。
しかし、自分がレズであるということに気がつき、1番そのことに悩んでいた中学生の時だった。その日も数ヶ月に一度祖母が遊びに来る日だった。祖母がテレビをつけると、NHKだったか、当時はそれほど取り上げられることのなかった性的マイノリティの特集がやっていた。そこではレズビアンのカップルのインタビューが放映されていた。私はその番組が見たかった。自分が将来なるかもしれない姿だったからだ。だが、それを見て、祖母は「気持ち悪い」と言った。衝撃だった。自分を愛してくれていると思っていた祖母が、自分の持つ属性を全否定したのだから当然だと思う。当時の私はその出来事にひどく傷つき、そこから私は段々祖母のことを避けるようになった。勉強で忙しいから、とか理由をつけて祖母が来ても部屋に篭ったり、一人暮らしを始めてからはバイトを理由に祖母の家への帰省を断ったりしていた。そうして祖母との関わりが薄くなった今、病気のことを知ったのだ。
祖母は古い時代の人間だからそういう価値観が染みついているということは理解できる。私のような性的マイノリティに気持ち悪いという感情を持つ方は他にもいると思うし、そのこと自体を否定はしない。祖母もまさか目の前にいる孫がレズだとは思いもせずその言葉を言ったはずだ。理解もしているし、仕方のないことだとは思う。
ただ、思うのだ。もし私がレズだと祖母に言っていたら、祖母は私を同じように扱っていただろうか。祖母自身が気持ち悪いと言った属性を持つ私を前に、祖母はどう振る舞うのだろうか。祖母のことは好きだ。ただ結局私はあの言葉からずっと、祖母にとって自分は受け入れられない人間だということに傷ついているのだと思う。
同県内の比較的離れた地域から知人伝で来た案件。概況は以下の通り
流石にもう来ないと思うけど、また見合いオファーが来たら「息子はゲイだ」とか「無精子症で婚約破棄になった」とかガチのウソをつかなければならなくなる。
俺、リボ払いで人生やっちゃった人なんだけど、もし破産したらただ貧乏なだけじゃなく自分や家族の選択できる未来が極端に減るんだ
奥さんに管理してもらうなり、そういう自助会に参加するなりしないと、子どもの食うものすら借金で買う羽目になるよ
400万で60万は一人暮らしならまだ「冬のボーナス全ぶっぱしちゃったわw」で済むけど子どもいるんだしかなりきついはず
リボ払いでやっちゃった時のエントリ、ヒマだったら見てくれ→anond:20230511165452
いつどこでどうやって自殺したのか知りたくなるが、ブラウザの検索履歴に残るのも、かといってシークレットモードを使うのもなんだか癪に障る。
だからいつも「いいなあ、自分も早く死にたいなあ」って思うだけだ。
とはいえ、自分は「死ぬしか後がない」というほど追い込まれているわけではない。
自分は20代前半で、シス男性(身体的性・性自認がともに男性)で、異性愛者で、大学を卒業しており、家族との関係も円満で、住む場所もあり、友人もいる。
社会的に見れば、よほど恵まれている方であるという自覚はある。
新卒で入社した企業と相性が合わず、ここ2週間ほど仕事を休んでいること。
微熱などの体調不良が続き、心身共に疲弊した状態が続いていること。コロナでもインフルでもなかった。
クリエイティブな趣味に没頭しようとするも、集中できずスランプが続いていること。
そのような状況を改善しようともせず、「できない自分」に酔って自己憐憫に浸っていること。
そんな中でも一番の理由が、「生きることに希望がないから」だ。
二十数年生きてきて、今まで上手くいったためしの方が少ない。
もちろん完全なゼロではないが、それでも他の人より劣っていたり、社会に上手く溶け込めなかったことの方が多い。
今までそうだったのだから、これからもそれが続いていくのではないか。そんな不安に苛まれている。
前置きが長くなったが、本題に入ろう。先日、自分は自殺未遂をした。
もともと希死念慮はあったが、ここまで強く、そして具体的に「どう死ぬか」まで考えたことはなかった。
その日は突然だった。
いつものように仕事を休み、Twitterで「死にたい」だの「いかに自分が無価値な人間か」を呟いているうちに、「本当に死ぬか」という気持ちが膨れ上がってきた。
失禁があると聞いていたので、足元にタオルや珪藻土マットなどを敷いた。
死ぬとしたら遺書や遺言を残すつもりだったけど、そんな気力はなかった。
その日はもう遅かったし、一人暮らしだったから邪魔は入らないと思った。
何もできなかった日だったので、自殺の準備をしている時間は生き生きとしていた気がする。
ネクタイの片端をドアノブに結んだ自分は、仰向けで横になり、首を吊った。
息苦しかったが、それだけだった。
意識が朦朧とするわけでも、視界がぼやけるわけでも、音楽が歪んで聞こえるわけでもなかった。
結果は同じだった。
大学時代に読んだ『完全自殺マニュアル』によれば、首吊りは最も楽で確実な自殺方法だという。
曰く、一瞬にして意識が飛び、苦しみを感じることもなく死ねるとかなんとか。
自分が首を絞める箇所が悪かったのだろうか。それとも、この本に書いてあることが間違っていたのだろうか。
今となっては分からないが、その時の自分は、死ぬことすらできないという絶望を抱きながらスーツを脱ぎ捨てた。
あれから数日経つが、今のところ自殺をしようとは思っていない。
満足したからなのか、死ねないことが分かったからなのかは分からない。
もっと良い首の吊り方を探すかもしれないし、別の死に方を見つけるかもしれない。
でも、それまでは頑張って生き延びてやろうとは思う。
より良い自殺のために。