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はてなキーワード: 一人暮らしとは

2017-08-16

母親ビッチ

母は今彼と旅行に行っているので書く。母がビッチだと気付いてから本当に毎日がつらい。

居酒屋をやっている。この時点でビッチ度が高い

離婚したけど父とたまにあってる

仕入れ先の人と夜遊びしている

バイト店員と夜遊びしている

店に来るいろんな外人といなくなることがある

ビッチでもいいんだけど一番つらいのはインスタとかでイイママアピールしてること。わたし写真とってあげたりしてるけど実際は遊んでばかりでお母さんっぽいことはしてくれたことない。ママ自分によってるみたいな。

一緒に住んでないのに(たぶん遊びたいか一人暮らししてる)毎日弁当作って洗濯してますアピール朝帰りしてるから朝いないくせに。

わたしネタにつかうのが一番つらいからやめてほしい。ビッチでもいいけど。

今彼におそわれたくないので注意したい。ここにこっそり記録してみようと思っています

こんな時間にふと目が覚めたんだけど一人暮らしだし周りには誰もいない

外はまだ暗く静かで俺しかいない

あぁ結婚たかったなぁって心から思う

あれこれ振り返ってみると自然と涙がポロポロこぼれてしま

暗闇の中寂しさを埋めるのはネットしかない

日が上れば仕事が始まる

忙しさですこし忘れることができる

結婚たかったな

結婚してるやつは勝ち組だよ

こういう種類の寂しさは本当につらい

僕と認知症祖母

地元に帰ると基本的祖母に会いに行く。

しかし住んでるのは、家は家でも老人ホームだ。

僕は老人ホームに行くのが嫌いだ。

正確に言えば、『認知症の進んだ祖母のいる老人ホーム』に行くのが。

今年で96歳。

あと1年半ほど生きていれば、大正昭和平成、そしてその次と、4つの時代を生きていることになる。

10年前までは普通に一人暮らしをしていたけれど、ある日偶然足を骨折してしまった。

年のせいでなかなか回復せず、やっと治った頃には筋肉の方が衰え、どんどん動けなくなった。

これじゃ一人暮らしはもう無理だということで親戚の家に移ることになった。

最終的に、介護する余裕のある伯母(祖母からすりゃ娘)の家に住むことになり、割と裕福な家庭だったので段差を無くしたり手すりをつけたりするようなリフォームなどもしていた。

しかし伯父と伯母も70過ぎで、どちらかと言うとそろそろ介護される側だ。

だんだん余裕がなくなり、近くにある老人ホームに移ることとなった。

それ以前にもデイケアでお世話になっていた所なので安心ではあった。

しか他人ばかりの、自分で好きに出来ない施設に送られるというのはどうにもモヤモヤするものがあった。どうにもできなかったけど。

1年ほどは普通に過ごしていた。

でも、老人ホームに入り2年目になったあたりでボケ始めた。



確か大学2年生の夏休みだろうか。

車椅子にこそ座っているが、至って元気そうな姿を見て安心した覚えがある。

僕の顔も名前も覚えていた。

でも、ちょっと舌が回っていないようだったし、母と祖母の2人にしかからないような話をしていた様子だったので、僕は横で微笑むしかなかった。

祖母はしきりに

『伯母夫婦が私の貯金勝手に使っている』

という旨の話をしていた。

僕は

『世話をしていたとはいえ、勝手に使うのはなあ』

と、少し伯母夫婦に不信感を覚えた。

僕はバカだった。

足腰以外は至って健康だと思っていた祖母は、既にボケていたのだった。

だって、2人にしかからない話をしていたのではなく、優しく話を合わせていただけでしかなかった。


次の帰省で会いに行った時、

残念ながら症状は進行していた。

僕の顔を見て、

『〇〇かい?(別の孫の名前)』と言った。

正直、親戚の家に移った8年程前から半年に1度ほどしか会っていないし、仕方の無いことだと思った。

この辺りからは杖を使って歩くこともダメになっていた。

車椅子から職員に肩を抱えられベッドに移る姿は悲しいものだった。

この時は、話している途中で僕のことを思い出したようで、すると

タンスにお菓子仕舞ってあるから出そうね』と言って立ち上がろうとして、隣にいた職員に止められていた。何度も。

もちろんタンスにお菓子などない。

その時、祖母の頭の中では、自分はまだ自由に動けて、僕はまだ小学生くらいの小さい子供だったのかもしれない。

切なくて涙がこぼれた。

感動映画とか、ドラマとか、漫画とかを読んでも基本泣かない人間なのにだ。




そして今回。

まり帰省出来る金がなく、1年ぶりの帰省となってしまった。

僕は大学卒業して社会人になった。

祖母の中では僕がどう映っているかからないが。

もう、祖母が僕のことは露ほども覚えていないことを覚悟して向かった。

顔を合わせると、

『どちらさまですか』と言われた。

娘と孫だ。

前までは名前を言えばなんとか思い出せていた。

しかダメだった。

僕はむしろスッキリしたのかもしれない。

その後も、ずっと祖母は見知らぬ人間と話すように、敬語を使い続けた。

しかし、途中から

『見覚えのある方ですね。どこでお会いしましたっけ?』と繰り返すようになった。

中途半端希望的な言葉を言われ、ここまでこらえていた涙が出てきた。



すこし話はズレるが、

僕は日本一泣ける歌はPV込みで

ミドリカワ書房の『恍惚の人』だと思っている。

僕の祖母もこの歌の歌詞みたいに、

一番関わりのある(面会に来る)伯母の名前だけを覚えている。

でも、自分の娘だということはよく分かっていない。


僕はこれからも、祖母と顔を合わせるたびに泣いてしまうだろう。

そして、きっと祖母が死んだときは、それほど泣かないのだと思う。

理由は、はっきりと言うのはあまりに非倫理的であるように思われるので

心のうちにとどめておきたい。匿名であってもだ。

親孝行 したいときには 親はなし」

こんな言葉があるけれど、今では亡くなるのではなく、

無くなってしまうのだ。記憶が。思い出が。

寿命は延びたかもしれないけど、やはり五体満足である期間は短い。

子供の作文の締めくくりみたいになるけど、

やはり親も先は長くないし、出来ることは今のうちにしなきゃいけないなと思った。

2017-08-15

じいちゃんが話してくれた特別じゃない戦争の話

じいちゃんに聞いた戦争体験話。特別感動的でもないし、奇跡的でもない。

だけどもうじいちゃんは死んだので俺しか知らない話になっている。だからここに残す。

* * *

小学生の頃、寝る前とかにじいちゃんに

怖い話をして」

とねだると必ず戦争の話になった。

子どもの俺は口裂け女とか人面犬の話がして欲しいのに、じいちゃんは必ず戦争の話をした。

話は大体決まっていて、「船の甲板にいて戦闘機が襲ってきたら跳弾が危ないから伏せろ」だとか「射撃台が打たれるからちかづくな」というような使いようのないTipsだった。

子どもながらにじいちゃんは歳だから気の利いた怪談話とかを知らないんだなと渋々聞いていた。

* * *

俺が社会人になって家を出て数年したある日、じいちゃんから突然電話がかかってきた。

なんと田舎から出て来て、一人暮らしの俺の家の前まで来ていた。

平日だったので仕事中だったが早退してじいちゃんに会った。

じいちゃんは俺の家に上がるわけでも、観光をしたいというわけでもないというので、仕方なく一緒に近所の喫茶店に行った。

適当世間話をした後、なんとなくじいちゃんに戦争の話を聞いてみた。俺が大人になって戦争の話を聞くのはこれが初めてだった。

聞くと、じいちゃんは当時18歳で西日本の港の練習艦に乗っていたそうだ。

そして、練習艦での日々を教えてくれた。

なんでも戦争末期には毎日のように戦闘機が飛んで来て襲われていた。そこで辛かったのが迎撃するための射撃手を決める方法

戦闘になれば射撃手は最初に狙われるためほぼ確実に死ぬので誰もやりたくない。しかし上官が当日の射撃手を募れば率先して手を上げなければ気絶するまで殴られる。

死ぬのがわかっていても手を上げなくてはならない。選ばれた戦友は必ず死ぬという毎日が本当に辛かったそうだ。

じいちゃんは運がいいことに声がでかいために伝令係に選ばれることが多く、射撃手には選ばれなかったらしい。運がいいと思いつつ、相当なうしろめたさがあったと言っていた。

最終的に練習艦は港で撃沈され、泳いで陸まで逃げて生き延びた。

じいちゃんの声がもう少し小さかったら俺は生まれてなかったかもしれないかと思うと当時の人の命の儚さ、不安定さのようなものを感じた。

最後に俺が練習艦はい艦船に乗ってたなんてすごいねというと、じいちゃんの目つきが変わってこう言った

「違う。わしが練習艦に乗っとったんは落ちこぼれだったからだ。学校で頭が良くて成績のいい奴らは先に選抜されて大和武蔵に乗ってみーんな死んだ。わしより優秀な奴らみんな笑顔で『さよなら』と言って死んでいったんじゃ。だからわしはあれから一度もさよならと言ったことはない。さよならなんて言ったらいかん。」

* * *

別にその日は戦争の話をしにきたわけじゃないだろうけど、俺はじいちゃんにとって戦争がどういうもので、「怖い話をして」というとなぜ戦争の話をするのか少しでもわかってよかったなと思った。

じいちゃんは、その後ガンが見つかり、突然の訪問の日から半年以内にあっさりと死んでしまった。ガンは告知しなかったそうだが、じいちゃんなりに残りの時間は感じていたのだと思う。

もうじいちゃんが死んでから何年も経つ。

他の戦争体験の話に比べたら大した話じゃないけど、俺のじいちゃんの話をなんとなく世の中に流しておきたかったので書いた。

おしまい


追記:たくさん読んでくれて嬉しいです。ブコメで指摘があるように一人称は「わし」と言っていなかった。じいちゃんの一人称は「わっち」だったのだけどこれは地元言葉なので書き換えました。

2017-08-14

親に結婚させられた

21歳の時、つまり大学在学中のときに親に結婚しろ命令された。

もちろん嫌だったけど小学校から中学高校大学と進路先まで親に決められてきたし、反発しても仕方ない家族だということはわかっていた。

中学生ときは親に支配に反発して家を飛び出したりもしたけど、その度に自分で道を決めるのは無理なんだって思い知ってきた。

もう小さな発心けが心残りだったけど、ほとんど不自由なく幸せ毎日を過ごせてきた。つまり慣れた。ずっと親に決められたことに反発心を持ちながらも慣れることで適応してきたように思う。

親に大学を決められた時は何も思わなかった。それこそ小学生最初の頃からそこに行くと決められていたし、それが自分目標だと思っていたから。

それでも大学生になって一人暮らしを始めると楽しかった。もう8時までに寝なくてもいいし、門限も守らなくていい、開放されたんだって思った。

だけど、その日母親から電話が来た。着信拒否は許されない。出ると自分結婚すること、相手に会うことなどをいつものように伝えてきた。

相手は26歳の男性。色々な職業をしていて、性格おっちょこちょいだけど人をいたわる心をもっている人。ただ残念なのは身長が私より低いことぐらいかな。

そして結婚した。一回デートした後に数週間も経たずに。大学にはそのまま行かせてもらえた。

それでもやっぱり小さな親への反発心のせいでどうしても相手を受けれられずにいた。例えばすることを求めてくる時にどうしようもなく気持ち悪くなったりした。そういうときはやめてくれる人で良かった。

でも次第に慣れた。親に進路を決められたときのように、慣れた。

から今となっては彼を拒絶する気も全く無くなった。愛はないけれど、慣れはあった。

これを書いたのは今日妊娠二ヶ月目であることが分かったから。

これもすぐに慣れると思う。

気持ち悪かったらごめんなさい。

家事外注ってあたり前だと思ってた

予備校時代から家事外注アパートに住んでたから当たり前だと思ってたら以外とマイナーだったんだな。

大学社会人結婚を経ても家事なんてほとんどした事ない。嫁も含めて。

先日話題になってたシルバー人材食事以外全部お願いしてる。

一人暮らしなら一万、夫婦子供ができても2万ちょいあればほとんど何もやらずに済む。まあ、子育ては別だけどな。

都会住みで家事自分達でやるとか本当悪手だと思う

2017-08-13

理由のない多幸感

数年に一度あるかないかタイミング

じっとしているのが難しいほどの幸福感としかいえない気分に包まれる事がある

とくになにも理由のない瞬間

バスにのってどこかへ移動している時であったり

夕飯の買い物のためスーパーをブラついている時であったりする

それはごく短い時間で終わってしま

これは一体何なのだろう

ほかの誰にでもある事なのだろうか

まりこのような体験を聞く機会は無いが…


ちなみに

毒親と同居していた期間や、離婚した配偶者生活している間にこの気分が訪れた事は一度もなかった

かといって、特に今の中年貧乏一人暮らし毎日に満たされているというわけでもない。

わけのわからない寂寥感や悲しみ、絶望を感じる事もあるが

こっちは望まなくてもしばしばやってくる。

一人暮らしで伴侶もいなくてペット買ってるやつ

老い死ぬ頃って地獄じゃね? 耐えられる? 仕事しながら介護できる?

童貞、もしくは素人童貞を煽れば訪問販売成功する

訪問販売で何度も売上上位になった俺がお前らに教えてやる。

適当に話して、相手童貞か聞き出す。男の一人暮らしキモいのは大抵童貞から

後は自分の売る物を買えば童貞でも人生改善できる。

敗北者から浮上できると力説する。

もし、購入を断るようなら「お前は人生改善する気がない、野垂れ死ね。」及び侮辱による訴訟をちらつかせれば絶対に売れる

初めてセックスしたとき

人それぞれ、状況も、相手も、何もかも違うだろうから皆の話を聞かせてほしい。

ちなみに僕は19歳の時で、相手は当時付き合っていた彼女だった。

の子は同じサークルの同学年の同学部の子で、4月に知り合い、6月に付き合い、8月に初めてそういうことをした。彼女も初めてだった。

7月夏休みになってから僕たちは少しずつそういうことの階段を登り始めていて、その日は会う前から、もうそういうことをするぞっていう素晴らしい空気があった。

その階段を少しずつ登っている時は、彼女の胸のあのそこはかとない膨らみと、それを触ったとき彼女の唇から出る艶めく吐息が、天国への階段もこれほどまでには心躍らないだろうっていうほどに僕をときめかせていたのだけれど、いざそういうことをするとなると僕は怖気づいていた部分があった。

けれどもうその恐れを超えるほどに我慢限界だった。

彼女の滑らかな肌や蠢く舌は、脳みそがチカチカするほど僕をバカにしてしまっていて、妊娠させてしまうかも知れないといったことや、上手く出来ないかもしれないといったことも全てどうでもよくなっていた。

僕は彼女結婚するに違いないと確信していたし、彼女が初めてキスをした男(付き合う前にキスはしたことがあるという話を聞いていた。)に会ったら、彼がどんなにいいやつでも絶対に叩きのめしてやると決めていた。まあ要するにバカだった。

その日僕は一人暮らしの家で、悪事をはたらくときに襲ってくるあの蠱惑的な恐怖とそわそわ歩き回ることで戦いながら彼女を待っていた。

彼女がやってきたときには僕は既に疲れ果てていたほどに恐怖は強かった。

行為自体はつつがなく終了したものの、三ヶ月後くらいに僕たちは普通に別れたし、普通に連絡も取らなくなったし、たまに校内で見かけてもなんとも思わなくなった。

その行為事態は大した問題じゃなかった。そこに至る過程や結末といったもの物事には重要なんだと知った。

お盆休みですることがなくてエロ漫画を読んでいて思い出したので書いてみたくなったし聞いてみたくなった。

皆はどんな感じだった?

2017-08-12

https://anond.hatelabo.jp/20170812202707

民間家事代行って、不在時鍵預かりの上での家事サービスってかなり割高になるじゃん。

トラブル起きそうに決まってるのに、シルバー人材センターで対応するとは思いにくい

で、家に本人がいるのに、紙皿紙コップ使って食事するようなだらしない一人暮らし家事やらせるって、

相当効率悪いというか…意味あんのかそれ?と思う。

からあれは女煽りの浅い釣りかなーと思ってんだけど、

一方で「洗濯物は毎週一回実家宅配便で送って、きれいに畳まれものが送り返されてくる」という

試用期間中5月に辞めたビックリ新人実体験があるので、100%釣りとも言いにくく。

2017-08-11

エアコン使う方が賢い

古い賃貸一人暮らしして3年目でついにエアコンを買った

量販店工事費込みで8万円

買う前は高い買い物だと思ってたけど暑い家の中で何もできなくなる機会損失考えたら遥かに徳だった

今は家の中にいても何かをしようという気力がある

進んでなかったプログラミング勉強もできるし楽器練習もしたいと思えるようになった

活字の長い本も読めるし友達を家に呼んでみようって気持ちににもなってる

夏だけでも2ヶ月くらい自宅で過ごすのが無駄になること考えたら費用で8万円かかって毎日電気代100円かかるとしても余裕で元取れる

いから買わず扇風機我慢してた自分馬鹿だった

この調子乾燥機能付き洗濯機乾燥機付き食洗機買って今話題シルバー人材に部屋の掃除頼むようにしよう

その代わり金を稼ぐことに意識を集中させたい

一人暮らしはじめたけどさみしい

最近始めた一人暮らし最初はよかったんだけどどんどん寂しくなってきた。

こんな真夏なのに自分の周りだけ冷え冷えしてる。

でかけても世間の人はみんな誰かと連れだっていて愛し合っている。私はただ疲れて帰るだけ。なにしてんだろ。

からも愛されないのかもしれないという思いに苛まれて苦しくなる。

好きだった人は気がついたら知らない人と結婚していた。

おめでとうって気持ち自分はやっぱり独りだって気持ちとでしばらくは泣いてた。

一人暮らししたら変われる気がしたのに現実はずっと寂しさが紛れない。

寂しい、抱きしめられたい、好きっていわれたい。

皆が楽しそうにしてるお盆休みに私はこのワンルームに独り。実家にも帰りたくない。友達にも話せない。

つらい。

https://anond.hatelabo.jp/20170810185150

わたし女だけど、この程度のことも人にやってもらなわきゃ仕事と両立できないなんて、

火事どころか仕事もできないんだろうなーって思いました。

シルバー人材センターの人は来るけど、彼女は来ないのかな?せっかく一人暮らしなのにね。

家事仕事もできないうえに彼女もいないんだなーって。かわいそう。

できるのは増田釣りだけだね!

家族嫌い

家族ってか母親が嫌いってのは人でなしなのかな?

最近月に一回顔合わせなきゃいけない用事があるんだが、本当に会いたくない。

別に暴力を振るわれて育ってきた訳でもないし、ほぼ女手一つで育ててくれたんだけど、

なんかこう自分勝手というか、ものの言い方がキツかったりして、一緒にいると嫌な気持ちになるし、疲れる。

本人は全く悪気は無いんだけど、耐えられなくて、実家からは出て一人暮らししている。

けど、こういう話を恋人とか仲のいい友人に話しても、

お母さんかわいそうだよ。って反応。みんな。

この歳になって1人で暮らしてるのはかわいそうって思う一方、

2,3ヶ月に1回顔合わせてるんだから十分だろって思ってるんだけど。

みんな家族のことどう思ってるの?

そんな仲良しなのみんな?

https://anond.hatelabo.jp/20170810185150

一人暮らし家事なんて大変じゃないよ。

誰かの食事を作ったり、誰かの汚したものをきれいにしたり、誰かのゴミを捨てたり、

することにストレスたまる

しか無償で。お礼もなし。

そりゃ切れるよ。

2017-08-09

https://anond.hatelabo.jp/20170809232630

家事スキルじゃなくてやる気の問題が大きい。

一人暮らしできっちり家事していた男でも、結婚した途端に妻がやって当たり前感覚で何もしない、ってのはよくある話だし。

そもそも育児だの介護だのは女でも結婚するような若い世代はやった事がない人の方が多いし。

それに収入多い女が専業主夫前提で婚活しても誰にも相手にされない、ってのが現実

主夫が欲しいなら恋愛結婚で捕まえるしかないと言われてるが、

恋愛結婚だってそんなレアな男はなかなか見つからないしね。

まして稼いでる女の周りは同じく稼いでる男だらけなわけだし

そういう男が収入捨てて主夫になりたがるわけがないし。

なぜだろう、家にいるとダメになる。

一人暮らしをしているんだけど、布団の上にいると何もやる気がなくなるし、危機感とか焦りも無くなるし、体が鉛のように動かない。

家にいえると風呂に入るのもご飯を食べるのもやる気がなくなる。

から最近はなるべく家に帰らないようにしている。

幸い漫画喫茶にはシャワーがあるし人がいる。

私の家はけっこう貧乏なんだけど

私の家は年収から考えるとけっこう貧乏な方だ。それでも色んな人に甘やかしてもらったか幸せ暮らしているという、私の家族の自慢話。

私の家は父、母、姉、私の四人家族。父は中小企業会社員、母はパート、姉は新卒社会人、私は大学一年生だ。

私が父の年収を知ったのは去年の夏だ。東京私大に行きたいと父に相談したところ、私大に行かれると実はお金が大変だからできたら国立大に行ってほしいと言われた。もうとうに50歳を過ぎた父の年収は300万円代だった。これが子供のいる家庭においては、普通よりちょっと少ないということは私にも分かった。私はそこで初めて、自分の家が実はけっこう貧乏なんだということを知った。母はよく「うちは貧乏から」と笑っていたし、勿論お金持ちだとは思っていなかったけれど、まさかそこまでだったとは。母は貧乏ラインが高いなぁなんて思っていた。私は18歳になるまで知らずに生きてきた。

私の実家は北の方にあって、一軒家だ。私の家はお小遣い制ではなかったけど、欲しいものは基本、何でも買ってもらえた。本も洋服も。遊びに行く時にはお金をくれた。そのお金の残りを貯めて、よくゲームを買った。たまの休みの日は母と日が暮れるまでゲームをした。物欲はそこまである方じゃなかったから、それで十分だった。少し足りなくても、あとはお年玉で上手くやりくりすれば難なく一年過ごせるくらいには余裕があった。そのお年玉も余って今では40万ほど貯金がある。母は料理上手なのであまり外食はしなかったけど、それでも誕生日にはかなり美味しいお店に連れてってもらった。本格カレーが食べたくなったら食べに行った。学校で忙しくなる前は海外旅行も何回か行った。一年に一回は家族旅行をした。姉は大学留学をした。短期と長期、二回も。私の家はどちらかと言えば少し裕福な方なんじゃないかと思っていた時期すらあった。

でもよく考えたら、小学生の頃から母は一日中働いていた。私は小さい頃病気がちだったから、薬代もけっこうかかっていたと思う。中学生になって病気が落ち着いてからも、母はずっと働いていた。それでも朝ごはん夜ご飯は必ず一緒に食べてくれたから、あまり働いていた印象がなかっただけなのだ。姉は実家暮らしだが、大学時代から家にお金を入れていた。祖父母は家電など大きな買い物の時必ずお金を出してくれていた。親戚も会うたびにせっせと私たちお小遣いをくれていたように思う。私が親戚で一番下の子どもだったこともあるのだろう。父だって毎日必死に働いていた。何の疑問も抱いていなかったが、つまりそういうことなんだろう。私が当たり前だと思っていた生活は、周りの大人必死に働いて維持してくれていた生活なのだろう。それまでずっと、気づかないでいただけなのだ

私大、ごめんね。力なく呟いた父はいつも通り頼りなげだった。

もっと早く言ってくれたら、もっと我慢したのに。

首を振ってそう言ったら父は、我慢させたら頑張る意味がないでしょうと笑っていた。

そっか、ありがとう

姉と母とは仲がいいが、父にはあまり良くしてあげられない。嫌いなわけじゃないが難しい。でもこの時ばかりは、素直にそう言えた。

私は四月から都内国立大に通っている。田舎から出てきて一人暮らしバイトはしているが、学費は父が出してくれている。家族に言わせれば貯金しなさい、だそうだ。いいと言っているのに、家族は毎月仕送りもしてくれる。それも一般的に見たら決して多い額じゃないんだろう。でも月に一回送られてくるダンボールいっぱいのカレーや米、日用品なんかの金額を足したら、決して少なくもないはずだ。

次の月曜日、二ヶ月ぶりに実家に帰る。バイト代ほとんどが貯金から滅多に手をつけないけれど、この間少し引き出した。そのお金高速バスの予約をとった。そしてその残りで、父の好きな東京ばな奈、母の好きな鳩サブレー、そして姉が好きな化粧品ブランド限定商品を買って帰るつもりだ。

そういえば、大学の成績はまずまずだと思う。テストの手応えはばっちりだ。レポートはどうかな。少し自信がないけれど。これから先も休まず通って、早く立派な大人になりたい。早く働いて、今度は私が家族旅行に連れてってあげるのが夢だ。母は死ぬまでに一度フィレンツェに行ってみたいらしい。私が何回だって連れて行ってあげたい。

今回はお金に限って書いたけど、どんな面から見ても私の家族は素敵な人ばかりだ。私はそんな家族が大好きで、今から会うのが楽しみでしょうがない。早く帰りたくてうずうずしている。

私の家はけっこう貧乏なんだけど、

私はたぶん、かなりの幸せ者だ。

73歳義母と同居を続けたいのか続けたくないのかわからない

マンション暮らし

73歳義母と同居したら家で全くリラックスできなくなった。

学童帰りの息子を一人にしないですむようになったが、息子は義母なついていない。

私は家のローンを半分払っているのに、家に居場所がない。

義母リビングにいると、家族だけで過ごしている感じがなく無言になる。

子供のために頑張って働いていたが、義母と同居したので子供部屋を持てなくなった。

義母ネガティブ発言が多いが、嫁姑問題によくある嫌味は全く言わない。

そこは素晴らしい。

ただ、正しいことしか言わないので堅苦しい。

洗濯と週一回夕飯を作ってくれるのは助かるが、それ以上は期待できない。

同居前はよく話をしていたし仲もよかった。

同居してから些細なことでもめて話をしたいと思わなくなった。

ただ些細なことなので私が我慢をすればすむ話なのだが、生活はその些細なことの積み重ねで気持ちが晴れない。

義母一人暮らしをすすめて、承諾を一応してくれたが、本心では同居を続けたいのだと思う。

義母は足の調子がよくない。

老いからの転居は認知症リスク高まるという。

倒れたらどうしよう。

でも私の祖母は93歳まで生きた。

から20年間も今の狭いマンションで同居することなんてできない。

でも、もし2、3年で亡くなったら、同居解消を後悔しそう。

倒れたらどうしよう。

でも私の祖母は93歳まで生きた。

どんどん義母に対する思いやりがなくなっていく。

同居は解消したいが、同居を解消した途端に義母が倒れたらどうしよう。

どうしたらいいと思う?意見をききたい。

今の気持ちを整理できる本があったら教えてほしい。

自分はこれまで優しい人間だと思っていたが、違った。

優しい状況でいられる範囲しか優しくできない。

リラックスしたい。

2017-08-07

日本三大疑似事実

昔は女は一人では生きていけないか結婚するしかなかった←大嘘

男女限らず一人暮らしは今よりずっと楽

未婚率が低いのは主に世間体独身では家が買えないか

2017-08-06

あれから雨が嫌いになった

社会人としての生活にも慣れてくると同時に一人暮らしの準備を始めた。

いい年して親のもとで暮らすのは恥ずかしいという思いが半分、誰の目も気にせず一人でのんびり暮らしたいというのがもう半分の理由だった。

賃貸不動産サイトを見ているとどの部屋も素晴らしく見えてくる。

その中でひときわ家賃の安い物件を見つけた。

1Kの小さな部屋だが駅からの徒歩、設備、周辺環境、どれをとっても文句なしだった。

それにしてもこの家賃の安さはどういうことだろうと思い「備考」の欄を見ていると

【告知事項あり】

とあった。

すぐにピンときた。これが事故物件というやつか。

家賃よりも好奇心に引き寄せられるように不動産屋に電話をした。

「……ていう物件見てみたいんですけど」

「……ですね。少々お待ちください」

受付の女性担当者電話をまわした。

「お待たせいたしました。……の内見をご希望とのことでよろしいでしょうか」

はい、安かったのでちょっと見てみたいなと思って」

こちらは不動産サイトか何かでお探しになられたのでしょうか」

「そうですね」

担当者はひと呼吸置くとトーンを下げて言った。

「ではご覧になられたかもしれませんが「告知事項」が一つございましてですね、あの物件、前の住人の方が部屋で亡くなってまして…。なのでこのお値段となってるんですが…」

僕は特に構わないと答え日時を決めた。

当日は豪雨という絶好の事故物件日和の中、担当運転マンションを訪れた。

短い廊下の両側に台所とトイレ風呂という造りになっていた。

僕はそれぞれを順番にチェックしながらいよいよ部屋と廊下を仕切っているドアを開けた。

部屋に入ると誰かがなかにいた。姿は見えないが誰かがなかにいた。

幽霊や魂といったあやふや存在ではなく実体を持った「誰か」がいた。

「こんな感じでリノベーションしてあるんで室内は綺麗なんですけどね。いかがですか」

淡々と喋る担当に僕は怖気づいたさまを隠しもしなかった。

「もう大丈夫です。ありがとうございました」

玄関脇に立てかけた傘を取り、逃げるように玄関を出たとき僕は目を疑った。

傘が綺麗にたたまれボタンまでしっかり留まっていた。

僕には日頃傘をたたむ習慣はない。

帰りの車内はお互い無言だった。

時折ナビを操作する担当に向かって「僕の傘たたんでくれましたか」とは怖くて聞けなかった。

20年ぶりに高校入試問題を解いてみた。

20年ぶりに高校入試問題を解いた。

36歳一人暮らし独身無職

当時は全教科とも80点は取れていたと思う。

まれ都道府県と違うけれど、そこは誤差みたいなものとして。

暇つぶしというか、自分を振り返るために。

国語

5択ではなく、筆記で書かせる問題が多くて、しか登場人物の心情を書かせたりで、難しいところがあった。

現代文センター試験よりも難しいくらいだと思ったが、自分センター試験を受けたのは遠い昔なので、なんともいえない。

現代文文法問題を解きながら、現代文文法古文のそれに比べて難しいように感じた。

いまいち型にはまりきってないし、解説を読んでも解釈余地があるような気がした。

古文はとてもやさしい。

高校での授業が単純に上位互換だったからだと思う。

数学

代数確率はすごく易しく感じた。

これも、高校での授業が中学の授業の上位互換だったせい。

図形に補助線を入れたりして、相似の三角形を見つけて、比を取って長さや面積を求める問題全然解けなかった。

余弦定理を使って解けないかと思ったが、やっぱり相似を見つける必要があって、結局全然無理だった。

中央値や最頻値を計算させるなど、データ処理の基礎が問題になってたりするのが、昔とカリキュラムが違うんだろうなという感じを受けた。

理科

マグニチュードが1違うとエネルギーはどれだけ違うか?

みたいな問題があった。

地震速報が間に合わない理由を書かせるとか、やっぱり震災の影響ってこういうところにもあるんだなと実感。

生物細胞の絵や模式図は、解くには問題ないが、ちょっと変で、中学校の授業大丈夫か?と感じた。

社会

地図グラフから読み取らせる問題が多かったりして、すっかり暗記科目だった高校社会科よりも、SPIに近い感じで面白かった。

18歳選挙権ネタに触れるのも、今っぽくてよかった。

歴史問題は、かなり易しかったが、その反面ちょっとどうかと思ったりした。

断片的に「~の改革」みたいなキーワードだけ覚えてもつまらないと思う。

歴史はある程度のボリュームを学ばないと、そうさせたダイナミズムを学ばないと楽しくないと思う。

英語

これはかなり易しく感じた。

これも、単純に高校の授業が中学上位互換だったからだと思う。

英文読解が、将来の夢だとか、未来地球にむけてとか、夢のあるテーマなのが中学生らしくて、泣きそうになった。

簡単文章で、こんな少ない語彙で、こんなにも人を感動させられるのかと思った。

総評

全体を通してみて、思いのほか楽しかった。

高校の授業が中学上位互換だった科目(古文代数英語)は、非常に易しく感じた半面、高校選択科目になったような幾何や、地学は久々に解くとかなり疲労した。

何事も慣れなんだなと思った。

出来ないのではなくて、難しいのではなくて、慣れていないだけ。

努力すれば、人はなんでも出来るようになる。

努力を怠り、時間が経過すると、どんなことも忘れてしまう。

それから、18歳選挙権や、地震についてかなりのボリュームが割かれてたのが、とてもよかった。

大学入試だと、多少の時事ネタはあるものの、これほどは割かれない。

少なくとも自分大学入試を受けた時代は。

あの時はわからなかったことが、今だとわかることもあった。

問題者の意図だったり、未来を担う子供たちへの希望だったり。

2017-08-04

生きてけるんかな

高卒、今年から社会人

自分が本当に馬鹿すぎたせいか会社らしい会社は落とされまくった。ワードエクセルはいじれるし、事務がいいなーなんてふわっと考えていたけど世間は甘くなかった。そこで、ずっと避けて来た接客業なら、なんとかなるかなと考えた。もう選んでいる場合ではないと、地元飲食店に駆け込んだ。地元正社員求人ほとんど減っている中、そこはうちの学校用に募集をしていてくれていた。

無事内定いただき3月の終わりごろから研修を行い、社員として、必要最低限生活していけるだけのお給料を頂いてお仕事をし始めた。

飲食店はいうが、店長さんも奥さんもアルバイトも皆優しく、忙しい時も助け合って、ひどく疲れるようなことはない。いわゆる、激務とか大変とか辛いとかそういうことからかけ離れた仕事に就くことができたと感じた。憂鬱気持ちになるほど思い詰めることなんてないのだから

しかし、体の方が変になった。

5月6月7月8月。もう4ヶ月目になるけれど、ひとつき働いたあたりからどうも変だった。

1日に15時間寝る日が平気であったり、めまいフラフラ、出勤途中に気持ち悪くなって動けなくなったり。家で嘔吐しまくったり。大抵月の終わりからまり、2週間ほどひどい状態が続く。

内科に行き相談すると「起立性調節障害」かもしれません。まぁ、気持ち問題から、あまり暗いこと考えないでね。若いうちから薬出すのも良くないから。気持ちを明るくね!言われてがっかりした。よくわからない病名を出され、現在しんどいのに対して薬は出せませんと言われると、どうすればいいかからない。それに私、なんも暗いこと考えてない!

具合悪くなる日が周期的なものだと気づく。生理関係あるかと目星を付けて婦人科へ行く。元から自律神経が崩れやすいのに加え、生理前〜中でホルモンバランスが崩れるから倍辛くなるのかもね〜とのことであった。若いからピルとかより漢方で治して行きましょう!と方針が決まり、しばらく飲んでいるけれど、いまいち効かない。(これについては相談中)

と、ここまでいろいろ書いたが、4ヶ月いろんな病院に行って、治療の糸口を探っているけれど、うまくいかない。

出られない日が続く時もあり、やはり社員にはふさわしくない。社会人としても最低だ。

やめたほうがいいに決まっているけど、私は次の仕事が見つけられない恐怖や、借りてしまったアパート、具合の悪い私を認められない母に悩んでいた。

迷惑を一番被っている店長は私のことを本当に気遣ってくれている。こんな扱いづらい私でもやめろなんて言葉一度も言わずに、体調不良のことについていろいろとアドバイスをくれた。病院の紹介もしてくれた。そこで詳しく話し合いをしながら、私はどういう人間だったか振り返る機会があった。

いままで学校生活してきてどうだった?

すっかり忘れていたが、しょっちゅう寝坊していた。起きれたら起きれたで朝の講話で倒れていた。貧血ではないので意識してこなかった。長くたつと気持ち悪くなって来てそのまま意識失うなんてしょっちゅうだった。下痢もすぐなる。運動はかなりできない。体調を崩しやすい為、保健室によくお世話になっていた。

病院に行く機会なんてないし、健康診断には何も引っかかることはないから、「健康」だと思い込んでいたけれど、ずーっとずーっと、起立性調節障害らしき症状が出まくっていた。

私の仕事にはA番、B番とシフトがある。9時から18時と、13時から24時。「生活リズム」というものを維持するにはとても難しい。その上で立ったままという仕事は向いてないのかもしれないなと、気づいた。元から自律神経が変なら、どうすればいいんだ。老化すればもっと悪くなって行くとか医者に言われたなぁ。嘘って言ってよ〜!

やっぱり迷惑をかけないためにも絶対にここはやめなきゃいけないのに、でも、怖い。本当に怖い。

母親に言われて一人暮らししてる。アパート代は二年契約ちょっと安くしてもらった。でもやめて引き払ったら違約金めっちゃかかる。

親に相談しようってなった。母子家庭、女手一つで育てきった母は私の体調不良を全部甘えで片付けて来た。相談しても聞く耳を持ってくれなかった。

どうすればいいかからない。ていうかこれ、仕事もつけずに野垂れ死ぬしか選択肢ないきがしてきた。のたれ死ねたらいいけど、そんな簡単に人って死なないしな。

接客ていう選択肢が潰れたら、もう私がつける仕事ない気がする。うげぇ、どうしよう。ほんと生きてけるこれ?最近毎日泣いてるけどなんも解決しないなぁ!幾らか貯金してやめて就活しようとか思ったけどそもそも給料最低限だから、これで病欠してると全然もらえなくて親の補助もないから本当にお金ない……こんなとこに書くぐらいだったらもっと頼れる機関とかあるのかな?ないか。うわーんどうしよ。

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