はてなキーワード: 一社とは
なんやかんやあって鬱だと自覚できる範囲では人生二度目の鬱状態になった。
一度目の鬱の時は投薬等もあり治療開始から一年程で寛解と言える状態に至ったが、今回は通院もしていない。
今後の人生お先真っ暗。。。と言いたいところだが、実際のところ一社会人として一応の社会適応だけはできている。
何とか通勤し仕事をこなしそれ以外は布団の中で鬱と格闘するような状態なので決して健康的とは言えないとは思うが、
これを絶望全開で語ろうとするほど図々しく生きていないつもりである。
(この「普通の」社会人生活を消化できているという事実だけが自分の心の支えになっていると思う。)
前述の通り社会人として一応の体裁は整えられているものの、もう四捨五入すれば30歳といった年齢の域に達していながら
友人はおらず、恋人には手ひどい裏切りを受け、生得的に持っている身体障害は緩やかな悪化の一途であり、精神的にはまあ最悪の60%くらいといったとこか。
人生をいつどこで間違えたのか明確なターニングポイントはおそらくない(敢えて言うならば身体にハンデを抱えて生まれてきた時点で間違っているのだろうけど)のだが、
何をどう間違えたかは案外明確な気がしている。
ちょっとそのことについて書き散らしたいなあと思った次第。
ここでもよく職場の不満日記を目にするけど、たいてい仕事が増やされたとかそういうのが多い。
基本給10万、他は抱えてるタスク作業ごとに何万円、ってすればいいじゃん。
タスクが終わるなら何時間かけてもいいし、何時間休んでもいい。
これ究極じゃん。
あの人はあれだけもらってるのはタスク多いから当然だ、って納得するし不満もない。
あの人は家庭の事情でタスク少ないから給料も減るしみんな納得。
これでみんな納得で仲良しな職場になる。
今も使われてる「なんちゃら手当」だけにするイメージ。
ベースサラリー+顧客A見積作成手当+顧客Bアフターフォロー手当、みたいな。
<追記>
手当が大項目だけだと、
顧客A対応手当と顧客B対応手当は、規模が違うのに不公平じゃん!となる。
それさえしっかりできてれば、
まあこれができるのはせいぜい数百人規模の会社までかなあ。
<追記2>
https://youtu.be/iGZUJLjtGWo?t=213
<Q&Aコーナー>
世の中のサラリーマンってそんな同僚の給料とか仕事量とか把握して
5000円でも違ったりするとギスギスする。
中途で入ってきて、役職が高かったりすると、まず古参の平社員とトラブルになる。
「なぜあいつのほうが多いんだ!」というのは、判断基準がクリアじゃないからで、
もしそれをクリアにできれば、
究極の民主主義じゃん?ってことで書いた。
基本は同じ発想ですよ。
営業マンと開発・間接部門がギスギスするのはコミッション性と固定給制の違いも一因としてある。
少なくとも不公平感がなくなるかなと。
これは書いた直後に思った。
少人数だと談合とかが起きるのは明白で、だから全社で透明にするしかないですね。
あと、給与も全員オープンにすることが前提となるので、まずそこがイヤな人は入ってこないから、
そういう人材がキックバックとか談合を好むとは思えない、ってのはあるかも。
「自分は今月これだけのタスクをやったので給与アップを希望します」
って言える人が入ってくる。
これを公平に達成するには、一社だけだと厳しくて、絶対にブラックボックス化する。
タスク内容を国レベルでオープンソースにしないとだめかもしれない。
ああいうかんじ。
「A社ではこれこれタスクを〇〇円でやってました~」って実績で活動すれば、
「ウチでは〇〇円ですが大丈夫ですか?」みたいな。
それこそ資本主義じゃない?
「本日は良いお日柄で・・・」「趣味はなんですか?」「アハハハハ…(ちいかわ)」
そこでオープンソース化ですよ。
JDに書かれているタスクと募集職種でだいたい平均値に収れんしていくはず。
同業種で業務内容がめちゃくちゃ違うなんてことはないんだから。
まとめたら国が基準として発表する。
今までになかった新しいタスクの時にどうするか、は、
それをベースに毎月全社員で固定タスクの単金に落とし込んでいく、みたいな。
そのために、参考にできるオープンデータ(勘定項目)みたいなのがあればベスト。
50項目も抱えてれば、明らかに給料高くても誰も文句言えない、みたいな。
むしろ「この毎月発生してるトラブル解決タスクはなんですか?」と、
突っ込まれてやりづらくなりそう。
すべてガラス張りのタスクになるから、闇でやるのが好きな人はいろいろ不都合感じそう。
まあ実現性はともかく、
「スキルの希少性」は、その人の財産になるのでは?と思ってる。
今の正社員システムは、スキルの希少性がない人ほど、転職できなくなる。
他社で使いまわせないから。
逆に会社としては都合がいい。
とがった人材を作らせない。
これで飼いころしにできる。
成績表の英語数学美術体育でオール3の人材を作る。(忠誠度だけは5)
これがほとんどの会社員の、「月曜日に仕事にいきたくない病」の、
遠因なのではないかな?と思ってる。
今回は、どれかを5にしてほかは2とか1でいいという案ね。
タスク量を定量評価して、人事に反映させるのが上司の仕事なんだけど、日本の場合は給料払えば定額使い放題と思ってるから、優秀な人間の評価ができない。お金を稼ぐには残業。優秀かどうかは能力ではなく(時間)
ある意味、処女を開発して洗脳させるのが新卒採用だからなあ・・・。
経営者には都合がいいのだろうけど。
時間給だと、どうやって一つのタスクにかかる時間を延ばすか、にスキルポイントを振ってしまうのはあると思う。
結果として、その人の能力50%も使ってないってことになるのでは?
JDを明らかにして、その人が意識的にスキルをチョイスしたほうが、長期的にはいいと思うけどなあ。
完全歩合制みたいなの考えたりもしてたけど、結局それやりだしたら無能が弾きだされるし、
効率最優先になって、どんどんいらない仕事が減っていく(失業者だらけになる
そろそろおかしいんじゃね?と気づいていいんじゃないかっていう。
まあ効率最優先になると、国レベルでどんな弊害が出るかもしれないし。
なので10万円っていうのは、ベーシックインカム・セーフティネットのつもりで書きました。
まあAIやRPAが発達すると、多かれ少なかれそっち(効率優先)の方向になっていくのかと。
そういうことができなくさせるための仕組みづくりが、今回のアイデアって感じですね。
民主主義を捨てると何が起きるかってことが。
ほかの社員への協力というのもタスク化されるから、それも成果として可視化される。
あと、このモデルが仮に実践されるなら、教育も必要なくなると思ってる。
最初からタスク内容が100%分かって入ってくるのでミスマッチがない。
風通しについては、
給与とスキルデータが全社員に可視化されるから、全員スケルトン状態。
誰もやりたがらないタスクは少しずつ対価が値上がりしていく仕組みとか試してみたくはある
これは思いつかなかった。
これができれば究極だよね。
明らかなブルシットジョブでも、誰もビッドしなければ値上がりして、最終的に誰かが食いつく。
MSはバルマー時代にこういう評価制度を導入したら皆が自分の短期的成果に繋がる仕事だけする状態になったので、ナデラCEOが「他メンバーの評価に貢献したら評価ポイントがつく」という制度に改革したという逸話がある
「マネージャが自分の仕事やキャリアを助けてくれる」のあたり。
https://www.publickey1.jp/blog/22/1_regional_scrum_gathering_tokyo_2022.html
そんな回りくどいことよりやっちまえよ、セックス
やっちゃえ日産
「社内持株制度ではなく、普通にインデックス型の投資信託にすればよかった」
通常の株は売買するための最低限の単位が100株とか1000株とか決められてる。
だから1株の価格が10,000円でも、単位が100株の場合、最低でも一度の売買に100万円がかかる。
社内持株制度はこの単位を無視して、給料から天引きで自分の指定した金額分の自社株を買うことができ、
さらには会社から奨励金として購入金額の何%かを補助してもらえる。
自分の場合、社外の人は利用できない特権的な位置づけと奨励金10%に惹かれて、
社内持株制度で毎月3.3万円(給料から3万円+会社からの補助3千円)でコツコツ投資していた。
会社の業績が伸びて株価も上がっているときはプラス数十万円くらい行っていたのだが、
ここ最近はどちらもやや下り気味で、結局プラスマイナスゼロ近くまで下がってしまった。
社内持株制度は所詮一社決め打ちであり、投資の基本である分散投資とは逆方向に位置するもの。
27歳になった私へ。
2社目の早期退職。もうまともな一般企業への就職は難しいでしょう。
そこそこの難関高校からまあまあな難関大学に入って、資格も取って、
一般企業に内定をもらって、まあ周りからは表向き普通の人生に見えたのではないかと思います。
虐待されてても、毒親に苦しめられてても、自律神経失調症になっても、統合失調症になっても、
未成年の頃に性被害にあってても、発達障害と診断されても、不登校でも、自殺未遂2回して入院しても、
一社目をパニック障害でやめてても、そんなこと周りからは分からないしね。
幸いなことに、中学でも高校でも大学でも少数ではあるが友人はいた。
けれど、統合失調症と発達障害とこれまでのトラウマもろもろは大きすぎた。
もうまともに頭が働いている気がしないし、何も考えられる気がしない。
常に頭にもやがかかっていて、誰に何を言われても何も頭に入ってこない。
就活の季節ですね。
私は高校から給与のもらえる省庁大学校へ進学し、初めて社会人になりました。
その後なんやかんやあって就活をしたのですが、新卒の就活とは違って中途入社と同じような就活になりました。
やはり経歴がよろしくないのかいろいろな人からお祈りされました。
何社の人と面接をしたか忘れるくらいにはたくさん面接をしました。
当然成功確率を上げるために就活本を読んだりセミナーに参加したりもしました。
今になって思うのですが、これは正しいことなのかと疑問に感じています。
改善とはダメだった理由をもとに論理的に考察して、成功する確率を上げる行為です。
面接でダメだった理由を教えてくれないと次の面接に向けた改善ができないではないですか。
お祈りすることは御社の勝手ですが、なぜご縁がなかったかと思った理由も一緒に書いて送ってほしいものです。
会社側が「この人は自社にはなじまなそうだ」と思ったからなのか、私に非があったのか。
それすらわからずに次の機会へと挑むことは、いかなることであろうと非常に危ういことだと思います。
敗因の分析を許してくれないこの就活という戦いは、アンフェアだなと感じざるを得ません。
確かにエージェントを利用すれば多少のアンフェアさは解消されますが、それでも完全ではありません。
時間がない、お金もない、一人の就活者にそこまで手間暇かけてはいられない。
そうですね。
ただ、会社としての価値やブランドは向上すると思いますし、多くの人を採るよりも少数精鋭という考え方ならできるかもしれませんね。
MARCH以下の大学である日東駒専を卒業してから5年が経った。所属していたサークルのメンバーの現在の立場が面白かったので共有したい。
地頭が良いか体力があれば、なんだかんだ日東駒専でもそこそこ上手く世渡りができるようだ。
そこそこ頭の良い高校を出た同期は新卒でベンチャーに入り数年間働いていた。地頭は良いので仕事を問題なくこなしていたようで、気づけば某大手通信会社のマーケティング部に引き抜かれた。
野球部で3年間シゴかれた反動で大学は音楽系サークルに来た同期。地元の市役所にしれっと入り、若手の有望株として活躍している。
平均的な都立高校を出た彼は就活に失敗し、日々店頭に立って接客業に勤しんでいる。後輩の育成担当とはいうものの給与は低く、シフト制なので土日に友人と遊べないのが辛いらしい。
・頭の悪い都立高校卒
偏差値が40台の都立を出た彼は資格を取ろうと意気込み、卒業後はバイトをしながら公認会計士を目指していたようだ。バイトも勉強も上手くいかなかったらしく、フリーターとして日々職を転々としている。
・頭のいい県立卒
千葉のトップレベルの県立を出た彼女は関西の機械メーカーに就職した。男子以上に仕事に精を出し、転職して今は愛知の自動車メーカーの調達担当としてコスト削減に勤しんでいる。
・頭の悪い県立卒
要領の悪かった彼は一社目を一週間で辞め、契約社員や正社員をかなりの頻度で行き来し、数年経ってようやく地方の文具店に就職した。給与はかなり低いが生活コストも低いらしく、慎ましやかな生活を送っている。
コードがかぶることもあるだろうし車輪の再開発とも言うからコピペはいいかもしれないけど技術ブログも丸パクリしてるよね
「#駆け出しエンジニア」が勉強と称してどこかで見かけた記事を再生産してるのももちろん、IT企業もブログ丸パクりやってるのをよく見かける
〇エンジニアは拾ってきた内容をそのまんま載せて募集記事のページ書いてるし、その他の一般系の企業がでもたまに社内ブログみたいなのにそういう記事がある
2年前に書いた俺のブログがほとんどそのまま転載されて参考文献にも示されず最後には人材募集してます!という決まり文句で占められてる女性に人気の音楽ソシャゲ会社の技術ブログ見たときは驚いたわ
もちろん一社員が勝手にやってるんだろうけど、罪悪感とかないのか?
大学時代にコピペが悪だと植え付けられて、ライセンス、著作権をきっちり守ってコピペも1000行中5行ぐらい汎用的なものしかしない自分が現代社会では赤点なんだろうな
自分はいわゆるゆとり世代。2013年度新卒。希望通りでは無かったが、特段苦労する事もなくトントン拍子で中堅の会社に就職した。周りをみても、就職活動の苦労は、第一希望の業界や会社に入社することは出来ないがどこで折り合いをつけるかだった。無い内定の友人達は、どうしても希望の職業に就きたいか、モラトリアムを延長したいかと言った感じ。
モラトリアムを謳歌した友人達も、自分で何か始める、または数年遅れですんなりと就職。
一方、自分の親はバブル世代で、自分が逆立ちしても入れない企業たちから囲い込みされてその中の一社に入社したらしい。親の就活話しを聞くと、羨ましくて自分達は苦労したものだと思っていた。
ちなみに母親は専業主婦だったが、新卒時に超大手企業に勤めていたため、今でもその経験を買われ再就職は用意だったらしい。
親族の構成もバブル世代とゆとり・さとり時代で構成されている。
会社に入ってからは、いわゆる氷河期世代の人達もいたが、自分達や親世代と同じようだと思っていた。たまに飲み会で当時の就活苦労話等も聞いたがイマイチよくわからなかったし、今思えば、彼らは氷河期でも勝ち組の人達だったんだなと思う。
しばらくして、違う事を経験してみたくなり退職。職業訓練校に通う事になった。
訓練校では生産管理を学んでいた。クラスメイトの構成は、バブル世代3割、ゆとり世代3割、残りは氷河期世代だった。バブル世代の面々は、リストラにあった人もいたが、子育てが終わり早期退職し、今後はゆっくりしたい人や現場から管理職へキャリアアップしたい人達だった。一方のゆとり世代は、自分のように違う事を経験したくなった人、モラトリアムを味わいたくなった人、結婚を機に退職した人、フリーターから正社員を目指す人々だった。
自己紹介で今までの経歴を話すのだが、もちろんゆとり世代は学生に毛が生えた内容だった。
驚いたのは氷河期世代で、華やかな経験を持つ人達もいたが、就職に失敗しその後派遣を転々としているとか、40代過ぎてバイトの面接も受からないだとか、就職を諦め今まで資格取得の勉強をしてたが年齢的に諦めたとか、ブラック企業を超える漆黒企業で長年勤め身体を壊したとかだった。
今まで、正直、氷河期とか言ってるけど結局は自己責任じゃないか?と思ってたが、こうも世代が偏ると明らかに不平等さが際立っていた。
氷河期世代の人達は愚痴っぽく、ゆとり世代の呑気さや、バブル世代の経歴について、よく愚痴を吐いていた。気の毒だとは思ったが、話を聞くのは正直辛かったし、氷河期世代で無くてよかったと思った。
訓練校生の就職活動は、ゆとり世代は若さを買われ、バブル世代は経験を買われトントン拍子に進んでいった。
氷河期世代は、漆黒企業経験者や技術職以外は難航していたように思う。若くも無く、経験や技能を持たないものは選ばれないのか。
見ていて辛くなったが、どうする事も出来なかった。
★この記事はいわゆる「"LGBT"教育」についてそのへんの素人が管を巻いている話です★
前段は省くが、高校生を対象としたデザインコンテスト(毎日・DAS学生デザイン賞 第36回高校生デザイン賞)の結果一覧を見た。
その中の「プロダクト部門」で部門賞を受賞している作品が(より正確に言うなら、この作品が部門賞を受賞していることが)むちゃくちゃショックだったのでここに書いておく。
審査員を非難したい気持ちはなくはないが、問題は日本全体のLGBT理解の鈍さだと思うので、運営(毎日新聞社と(一社)総合デザイナー協会)だけを責めるのも違うと思う。
「これが日本の現状なんだよなあ」みたいな諦め感と「それにしてもひどいな!?」という憤りを書き散らしているだけなので、関係者の方々はどうか適当に読み飛ばしてほしい。
早速本題に入るが、本大会のプロダクト部門賞受賞作は、『Say hancall』という作品である。こちらの作品紹介のスライドを見れば分かる通り、「性別」を表す記号を組み合わせた図柄の「はんこ」が4つ並んでいる。
みなさんは「LGBT」について考えたことはありますか?
日本は異性愛者が一般的だという考えが多いと思いますが、少なからず同性愛者・両性愛者・心と体の性が一致していない人がいます。今もなお、そのような人たちへの差別意識がある人は多いのではないかと思います。ですが、人生は一度きりだし自分らしく生きるのが一番だと思いませんか?
そこで私はSay hancallを提案します。男女の記入欄にぽんっと押すだけで自分の性を理解してもらえます。世の中のイメージは無視して自分の性をオープンに楽しんで欲しいです。
デザイン意図としては、いわゆるシスヘテロ(「心身の性」が一致する異性愛者)が「一般的」な日本社会で、LGBT当事者が差別に負けずに「自分の性を理解してもら」い「自分の性をオープンに楽し」むことを応援する、「LGBT理解」を目的にしているのだろう。
しかし、私はこの作品がその目的を達成できているとは到底思わない。むしろ、逆効果なのでは?とすら感じてしまう。
以下にその理由を思いつくまま列挙する。
・「男女の記入欄」に何で性指向を記入しなければいけないのだろう? 性指向に関わるLGBと性自認に関わるTを同列に扱うこと自体に無理があるというのはもう散々言われていることだが、現在の日常的な質問で「性別は?」と聞かれて「異性愛者です」と答える機会はまずないだろう。にもかかわらず作品の企画としてそれが通ってしまうのは、日本のLGBT教育がいかに「性的マイノリティー」の解像度を上げないままお題目だけ唱えているかの証左ではないか。
・「自分の性を理解してもら」うことをカジュアルに考えすぎではないか。性指向や性自認に限らず、人種や家族構成など自分が持つ「マイノリティとしての属性」を誰かに打ち明ける、理解してもらうということは、本来すごく負荷がかかる行為だ。嫌われるかもしれない、わかってもらえないかもしれない(そして現実としてそれが杞憂で終わらないことは少なくない)……当事者たちは、そんな不安を抱えながら、カミングアウトする/しないを決めている。間違っても、マジョリティ側が「自分らしく生きるのが一番! 言っちゃおうよ!」と強引に背中を押すことがあってはならないはずだ。
・徹頭徹尾「"LGBT"問題」を他人事として扱っている雰囲気がある。LGBT当事者が「自分らしく生きるのが一番」だと思っていないとでも言うのだろうか。そうしたくても社会や周囲の人々、内面化された自分自身の偏見から、「自分らしく生きる」ことを抑圧されているケースが多数ではないのか。「世の中のイメージは無視して自分の性をオープンに楽しんで欲しいです。」などというのは、本来マジョリティ側が負うべき、現在の差別的な社会を是正する努力を放棄した上で、マイノリティが「自分の性をオープンに楽しむ」ことを強要し、それをもって「LGBT差別の根絶」を図る、極めて傲慢とも捉えうる発言だ。
以上のような理由から、私個人はこの作品を受け入れ難かったし、もしこれが「LGBT理解を促進する素晴らしいデザイン」だと称賛されるのなら、それはとんでもない話だな、と思わざるを得ない。
もうたくさん似たようなコメントが来ているかもしれませんが、失礼します。
とても読みやすい記事でした。読みやすい日本語を書けるというのは、それだけでとても素晴らしい技術です。本当です。
記憶力がよいのもとても羨ましいです。社会に出たとして、どんな場所でも新しい技術を勉強し続ける必要があります。勉強する習慣のある人、勉強できる人はずっと新しい技術で新しい仕事を続けられます。(例えばIT業界であれば、新しい言語が生まれ、新しいシステムが生まれ、古いアプリケーションもバージョンアップで新機能を搭載し…常にそれらを勉強し続けられる人間が強いです。)
コミュニケーションを取ることが真に得意な人たちは、苦手な我々とも正しくコミュニケーションを取ってくれます。言葉の足りない我々に何度も質問を重ね、真意を汲み取ってくれます。卑屈にならず、尊大にならず、悪意を振りまかず、礼儀を持って接していれば、友達にはなれないかもしれませんが仕事に取り組むパートナーにはなれます。
こつこつ勉強ができるなら、資格を買ってもらえる業界はオススメです。宅建、簿記、CCNP…色々な業界で、資格が昇給要件になっていたり、転職する際にも有利だったりします。
もちろん新卒3年目ぐらいまでなら第二新卒として雇ってくれるところもあるので、必ずしも一社目が合わなければそこで無理する必要もありません。やってみないとわからないこともあります。企業の中で希望の部署に行けないことも、同じ業務内容でも社風が合わないこともあります。これから時代も変わり、転職ももう少ししやすくなっていくんじゃないかと思います。
※こちらについては、転職により社内でのスタートが遅れることや、新卒同期がいないことによる弊害もありますので、メリットだけでないことはご理解ください。
周囲やネームバリューにとらわれず、できることをやっていくのでよいと思います。やりたいことはなくても、勉強ができることが有利に働く職種から見ていくといいかもしれません。大金持ちにはなれないかもしれませんが、共依存のご両親から離れて一人暮らしできる程度には稼げるでしょう。無駄な飲み会にお金を使わないのであれば、婚活資金を貯めて、結婚を目指すこともできるでしょう。
書き出したときに考えていたよりかなり長くなってしまいました。失礼いたしました。よりよい未来がありますように、お祈りしております。
弊社のある商品はおかげさまでそこそこ以上の人気を誇り、設計、製造、予約の段階見てもかなりの売り上げを見込める。
そもそも発売前段階からわれわれ現場では「この商品は転売ヤーに買い占められて一般には広く出回らないであろう」という風潮が強く、社内の士気にも影響が出るほどだった。
それに対して上層部の反応は鈍かった。
もちろん、彼らには彼らなりの観点があるようなのだが、どうしても「ある一定の販売数が売れれば良い」という考えがベースにあるようで、転売対策にはなんとなく乗り気ではない雰囲気があった。
われわれ現場も上層部との雰囲気のズレに気づきながらも、転売という問題が始めから存在しないというような雰囲気で仕事をしていた。
雰囲気を読めるやつが出世するし、上にのし上がるのである。(だから俺は出世できないのである)
転売対策は予約段階から行われたが、これがもう適当だった。どれだけ適当だったかは言うまでもあるまい。
そして最終的な転売対策は販売店の「裁量」で行われることとなった。
これは非常にいい加減な対策であり、正直転売対策としてはなんの効果もない。
上層部もうすうす転売が横行するであろうことは予想できていたが、そこはゆるい雰囲気でなんとかなるだろうという風潮が社内を支配し、われわれ下っぱもその空気を読んで見ぬふりをしたのである。
そして販売日。
そこには一瞬で転売屋によって商品が買い占められ、全く買えない阿鼻叫喚、地獄絵図、怒号が飛び交う様子が広がっていた。
怒りの矛先は転売ヤーだけではなく我が社にも向かった。怒る消費者たちが広報部に押し寄せた。もちろん対応するのは我々下っぱである。
だがそれでも上層部の反応はゆるかった。
私のような下っぱが上層部の高度な思考回路を推測することは難しいのだが、簡単に言ってしまえば
「売れてるのだからいいだろう」
ということなのであろう。
しかしながら(これもまた詳しい話はできないのだが)、弊社の商品は一回買われて終わりという性質のものではないのである。つまり転売屋に買い占められ、流通が滞ればさまざまな面から支障が出るのである。
もちろんわれわれ現場も上層部もその問題には気づいていたのだが、その事実は雰囲気で封殺したのである。
上層部もその頃になると現実に直面し焦り始めたようで、申し訳程度の転売対策を施したが、なんの効果もなかった。
もちろん上層部は効果すら期待していなかったのであろう。なんとなく、対策をとった方がいいと言う雰囲気が強かったからやったまでであろう。
最終的に社内として出した結論は「販売量を増やせばなんとかなる」であった。