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はてなキーワード: 問題視とは

2019-03-18

anond:20190318141212

貧乏であること」には生活保護適用されるし「格差解消」として問題視もされる。

しか性的な部分の格差は「自業自得」され、一切の救済もない

2019-03-17

ハリウッド映画脚本女性容姿描写の話と愚痴

VOGUE特集か何かでのそういうツイートを見た。

脚本容姿についての描写性別で偏りがあるんだって話。

それを書いた人は男性に書かないなら女性も書かなくていい、というような事を書いてた。

いやそれも違うんじゃないのって思った。

男性でもキャラクターを表す上で容姿描写される事自体はあると思う。

実際ハリウッド脚本現物読んだ事なんかないけど。

でも女性脚本による恋愛映画なんかでの相手役の描写には間違いなくあるはず、というかセリフバンバン出て来る。

ハンサムだと表される役の俳優さんはまさにそう演じているように見えるし、そういう作品女性監督女性脚本コメンタリなんか大体ずっとハンサムハンサム言ってる。

キャラクター容姿の詳細自体性別関係なくあるものだろうしプロットに関わるなら余計にそう。

から問題脚本にそういう見た目の描写がある事じゃなくて何でそれが女性に偏りがあるかって事だと思う。

まずは単純に女性脚本家の絶対数問題はあると思う。

創作する上で登場させるキャラクター理想を反映させるのは珍しい事でもないし、その中で外見の描写が入る事はある意味当然の事でもある。

から女性容姿を讃えるような描写が多くなってるのは単純に数の偏りって面があるんじゃないかなと思う。

でもこれはたぶんそういう話ではないとは思うけど。

脚本容姿描写する目的ひとつに書いた人間が持つキャラクターイメージの伝達がある。

これはキャラクター創作、脚色する上での要素だからそれ自体問題ではない。

美しさを描く事に罪はないし、美しいとするキャラクターを作る事にも問題はない。

美しさは主観的定義によるものから

そして次いで、ひとつ客観的な印象の提示がある。

外見情報によって社会的にそのキャラクターがどのような立場、印象にあるかを客観的に示す要素。

問題はこっちにあると思う。

これも社会一般の印象を引用するに過ぎないわけだからそれ自体問題ってわけではない。

問題なのはその引用した社会一般の印象の方。

男性キャラクターでも必要なら容姿描写される。

それが性別で偏りがあって女性描写必要とされる事が多いなら、それは男性以上に女性容姿共通認識として印象への判断材料ひとつになっている、またそれだけ女性容姿ステレオタイプ的な印象が紐付けされている、という事になる。

男性より女性の方が容姿の美醜が社会的立場内面性格を表す要素として一般的認識されている、そういう話。

脚本という性質イメージを伝えるためにステレオタイプ共通イメージを用いた伝え方をするのは、あくま方法論としては仕方ない部分もあり、それは責め切れない面もある。

だけど恐らくツイートで訳されていた女優さんたちの口ぶりからは、そういう脚本家側の引用する共通認識彼女達の考える、今意識として持つべきとされる認識が許容する範囲を越え、既に共通イメージとしては過去のものとすべきところから引っ張られたもので、そういうところに辟易しているのだとそう感じた。

から男性を書かないなら書かなくていい、は、ある意味思考停止的な発想だな、と思った。

書いてる事が問題なんじゃなくそう書く事で伝わる共通認識があるとする、そこに問題意識を持たない事に平然としてそれを書く、その感覚問題なんだから

それは今後女性脚本家が増えて理想像を反映した男性容姿描写が増えても解決するものじゃない。

美しさの描写といっても同じように男性脚本家の理想を表した女性像の描写も、個人的範疇のものはそこに自由はあるべきで批判すべきものでもないし、キャラクター主観としての描写安易非難すべきものじゃないし。

考えるべきはその価値観社会のどこからどういう体で引用されたものかって部分なんだと思う。

容姿描写自体問題なんじゃないんだ。

でも見てる近辺でたくさんRTされてて何も言えずに誰も見てないような増田で書くのだ。

気がちいせえ。



あとついでに言うと容姿を美点とする場合に知性や能力性格比較して容姿で表される事自体問題視する人もいるけど個人的に正直それこそ問題だなと思う。

書いたみたいな容姿偏重問題なのは分かるけど、それなら必要なのはその容姿地位まで知性等の要素を持ち上げる事で、バランス取るために容姿を落として相対的にやるのは結局今まで知性で苦汁舐めてた感覚容姿を持ってる女性に味わわせる事になってて、それって知性を持つ女性を掬い上げるために容姿を持つ事の価値を低く見積もり直すって事だからどうなのって思う。

突出した美しさと突出した知性はどちらも自立して価値が同じようにあるべきものなのに、今は美しさそれ単体では魅力として、特に女性意識として認められなくなって来てる部分はあると思う。

からこそ美しさだけで女性を表す事が問題視されるんだとも思う。

魅力ある人間とされるものを表するに足りない要素だけで、その相手表現する事になるから

悪意は無くても、あなたはそれしか持っていない、となってしまう。

同時に男性からは根強く美しさは魅力として捉えられる部分も大きいから、女性が知性を自立した魅力だと捉えていてもそれ以上に求められるという面もある。

その齟齬でまた女性側に容姿が持つ価値への否定的感情が増してまた男性との価値観差異が酷くなって、となった結果また容姿価値を低く見積もってそれを世に提示して、更にまた容姿を褒められる事への価値を低く捉えるようになってって女性自尊心には悪循環に思える。

からそれを止めるために男性が美しさって要素へ持つ価値基準否定して齟齬を埋めようってなってるんだけど。

やっぱりそれも男性が高く認める美しさって要素の価値を下げさせる事によって、それ程には正しく評価されてないとされる他の面との差を縮めようというやり方で、それは魅力としての美しさっていう本来多くの魅力がそこにあるべき正しく高い位置に置かれていたそれさえその価値を失わせる結果になる、というかなってるわけで、やっぱり良いやり方とは言えないんじゃないかな、と思う。

本当は美しさもそれだけで100%魅力だし知性も性格100%の魅力なのになって思う。

絶対値あんま変わらない相対的な差の埋め方って何にしてもよくないよほんと。

美しい事の価値を据え置かないで下げてバランスとるの求める人多くて内心悪手でしかないってほんと思ってる。

思ってるけど匿名でもないと言えないのだった。

そして溜飲を下げるのだ。

気がちいせえのだった。

よくないわ。

2019-03-16

Q 自衛隊エンタメ業界なのでしょうか?

結構な頻度でオタッキーイベント右翼の人向けのイベントが(税金及び税金で雇われている隊員の時間を使って)開かれていますが、これらは自衛隊仕事として正しいのでしょうか?

隊員募集のための広報活動という意味でなら分かるのですが、そう考えるにはあまりにもエスカレートしているものや、対象若者相手ではないもの関係している企業OBの人しか呼ばれていないイベントなども多く見受けられます

こういった活動税金無駄遣いや、隊員の練度強化不足、装備や施設の整備維持能力低下につながると思うのですが、これらが全く問題視されていない所をみるに、これらは自衛隊がやるべき活動の一つとして認識されているようです。

そこで疑問なのですけど……こういった事をするのが本職ってそれはもうエンターテインメント業界ですよね?

自衛隊ってエンタメ業界だったんでしょうか?

anond:20190316095959

子ども自分に都合の良い玩具にするタイプ

肉体的虐待問題視されるようになったけど、こういう教育虐待正当化されてる

子ども先天的障害アピールする人には怪しいの多い

ピエール瀧が二十代からコカインやってたことに関して

ずっとやってたのに廃人になってないの凄いとか、コカインって実はそこまで危険じゃないんじゃないか?とか、今までコントロールできてたの凄いとかい感想散見されるけど、それ違うよね。

ずっとタバコ吸ってたり、長年副流煙さらされてきのに肺癌にならずに平均寿命越える人もいるし、毎晩の晩酌は欠かさなくても、病院のお世話になるような依存症の症状は表れない人もいる。

タバコ吸ってるから必ず肺ガンになる訳じゃないし、クスリやってたから必ず廃人になる訳じゃない。

からって「タバコクスリもそこまで問題視しなくていい」って話にはならんでしょ?

少なくとも、タバコ大嫌いのはてなーさん逹は。

野党支持者は自民以外が与党なって自衛隊が暴発したら責任をとる?

小西洋之議員罵倒自衛官供述全文 「国のために働け」「ばかなのか」 “国民の敵”発言否定

https://www.sankei.com/politics/news/180424/plt1804240032-n1.html

政治】 「連隊長発言は間違っていない」「鳩山総理はいいかげんだ」 ~政権批判の1等陸佐、2中隊長“間違ってない”★2

https://tsushima.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1269471745/

民主党共産党が大嫌いな人が自衛隊の99パーで、目に見えたら悪態をつきたくなる隊員が全員

法律で云々と左翼があれこれ言っても、左翼議員を見たら24万人全員が殴りたくなるくらい左翼議員が嫌いな本音は変えられない

「信頼してくれ、では同盟維持できない」陸自連隊長発言http://www.asahi.com/seikenkotai2009/TKY201002100509.html

露骨に反抗姿勢をとっても自衛隊の内部で問題視されないくらいに、非自民党議員自衛隊の全員から嫌われている

野党投票する左翼は、野党政権を取ったせいで公務員が足を引っ張って、汚点にしてやろうとなって、

結果的東日本大震災で何万人も死んだことをいいと思うの?

自衛隊ほか公務員が素直にしたが痛いと思う議員がいる自民党政権下で熊本自身広島の水害でほとんど死んでないことをどう思うの?

法律や小難しい理屈よりも日本人の命のほうが大切だと思わない?

2019-03-14

anond:20190314214854

GとかBとかは性欲の件でよく問題視されたり批判されたりするけど

少なくとも元増田典型的な性欲で動くだけのやつなんだな

2019-03-11

anond:20190310214530

公共空間論はわかるんだけど、その割には

学校官公庁公園などといった公共空間に設置されている裸の少女の像や裸婦像の絵画など

って言うほど問題視されないよね。叩かれるのは大抵「萌え絵」と呼ばれるアニメ調のイラストばかり。そういうダブルスタンダードさえなくしてくれたら議論余地はあると思うんだけどね。逆に言えば、絵画かに文句がついたときに「とうとう芸術にまで~~」とか言って嘲笑する空気には乗れない。

「性表現エロ猥褻」なのか?という問いばかりが先行して、それに対する答えを用意している人が少なすぎるのも問題じゃないかな。

結局、なぜそれを批判されたときに心がざわつくかと言えば、それが我々のsexual expressionであり、「ミニスカート」や「タトゥー」と同様に我々のアイデンティティー構成しているからだと思う。そう考えて見れば、なぜそれらが「公共空間」において許されないのか?という問いにも一応の説明がつく。公共施設の職員が、「ミニスカート」や「タトゥー」を「義務付け」られていたら、やはり問題だろう。個々人のアイデンティティーは、誰から侮辱されない権利を持つ代わりに、誰にも押し付けはいけない義務がある。

ところで、我々のアイデンティティー構成する「性表現」を「エロ猥褻」呼ばわりしてきたマジョリティーの皆さん、今度はあなた方の番ですよ。いい加減、公共空間からあなたがたのsexual expression撤退してはいただけませんかね。あなたマジョリティーの考える「素敵なセックス」が、いったいどれほど公共空間にあふれているか、未だに気付いていないんですか?それが一体どれほどのセクシャルマイノリティーに対し、「君たちは所詮アブノーマル」という傲慢不快メッセージを伝え、侮辱してきたのか、ほんの少しでも考えていただけませんか?

anond:20190311044818

みんな表現の自由とか言ってるけど、それって公共空間デザイン論であって表現の自由関係なくね?

いいえ、表現の自由しかない。

公共空間デザイン」などと言うのは「世界を思うままにしたい」と言う歪んだ欲望に過ぎない。

自分他人がいるのが世界自分表現他人表現も認める、それが出来ない者をファシストと言う。

ドスケベアートを何の説明もなく公共空間に持ち込んだらそりゃ公共空間デザインとしては問題視されるだろ。

問題視する方がおかしい。

「ドスケベアート」とは主観であり、それもただ一個の表現

ある種の表現に対する己の偏見差別意識他人にぶつけてるだけのことで、許される道理微塵もない。

フェミの反応もオタクの反応も見ながら我々クリエイターは世に出す表現範囲を考えているので、そもそも真の表現の自由は、公共空間においては存在しない。

客でもない奴らの反応など見るに値しないのに、勝手自分権利を捨てさる方がどうかしてる。

俺は一度フェミ仕事を殺されてるが、それでも全く妥協する気は無い。

そもそも君が「自分で狭めてる」行動こそ表現の自由実在を示してる。それを狭めてない他人がいて、それをぶっ叩く蛮族がいて、そして君は蛮族の側につく?

クリエイタープライドあんの?無いなら無いで、他人押し付けんな。死ぬなら一人でどうぞ。

anond:20190311022926

すまん。文章を書くのは得意ではないんだ。三行に要約したものは下記の通り。

みんな表現の自由とか言ってるけど、それって公共空間デザイン論であって表現の自由関係なくね?

ドスケベアートを何の説明もなく公共空間に持ち込んだらそりゃ公共空間デザインとしては問題視されるだろ。

フェミの反応もオタクの反応も見ながら我々クリエイターは世に出す表現範囲を考えているので、そもそも真の表現の自由は、公共空間においては存在しない。

2019-03-10

表現の自由戦士に肩入れしない理由について述べる

毎回フェミ晒しあげられる光景を見る度にモヤモヤする。ブコメだけではではいつも言いたい事が何も言えず、一度そのモヤモヤを雑ではあるが増田アウトプットしてみたいと思い、不慣れな長文を書いてみる。当方フェミに同情的な商業クリエイター、オタ男性

フェミの主張の大筋は要するにエッチものを世に溢れさせるなという主張だと何となく考えている。この問題は非常に議論しづらい難しさがある。例えばエッチものとはそもそも何なのか誰が決めるのかという切り口だけでも大変複雑な難問であり、それに対して「表現の自由侵害」「お気持ち押し付けるな」という反論だけでは有効カウンターになってないのではないかというのが俺の見解だ。後に詳しく説明するが、この問題において議論されるべきだと俺が考えているのは公共空間デザイン表現の自由バランスについてなのである。ところが当のフェミからもオタからもそのような議論がされている様子はほとんど見られず、見るも無残な中傷合戦に終始している。クリエイターからはそのような話が出る事が多々あるのだが、オタもフェミもこれらの問題に対して無関心を貫いていると言わざるをえない。ある意味で我々の価値観の過渡期であるにも関わらず、肝心の論点が置き去りになるその不毛な状況に対しての失望こそが俺が感じるモヤモヤの正体なのだ、とようやくこの文章を書きながら気づいた。

例えば近年、学校官公庁公園などといった公共空間に設置されている裸の少女の像や裸婦像の絵画などがフェミによって問題視されるケースがある。一見するとそれは荒唐無稽な主張かもしれない。しかし裸の女性というモチーフ西洋芸術文脈においては古くからの一大ジャンルではあるが、一方ではエッチモチーフでもあり、我々は単にそれをエッチものと捉えてはならないと繰り返し教育を受けてきただけに過ぎない。パブリックアート公共空間における彫刻や造形、絵画のあり方としては、すでにエッチものには疑義が生じているという状況と考えてもいいだろう。

言うまでもなく公共空間というものは幾多もの他者自分とが相互に関わりあう空間であり社会のものである。そのような場にエッチ創作物がさも当然のように鎮座する事が保証されるのが表現の自由というのはいささか暴論だ。他者と関わりあう場だからこそ公共空間における表現は常に綱渡り的なバランス取りを強いられる。仮に頭のおかしフェミによる病的なクレームであるにせよ、クリエイターは観客のリアクションを受け止めざるをえない。おそらく世の大抵のプロアマ含めたクリエイターはそれを十二分に自覚しているはずだ。つまり表現の自由公共空間社会という危うい綱渡り最初から常に晒されており、真なる表現の自由というのはそもそも幻想なのである。真なる表現の自由がもし完全に存在する空間があるとするなら、それは引き出しの中の鍵付き日記のような私的領域における創作という場において以外はありえず、フェミがそこまで創作行為批判しているようにはどうにも思えない。公共空間作品を送り出す以上、我々は常に公共空間にとってセーフかアウトかを社会に対して問いながら、あるいは喧嘩を売りながら生きていく他なく、現代においてエッチもの忌避されるならばそれは綱渡り判断材料の一つと捉える他ない。それは別に表現の自由侵害でも何でもない。元から創作活動というものはそういうものなのだ

そんな議論ができればいいなとは思うのだが、フェミもオタもそういう話には興味がないらしい。公共空間からこそ快不快という主観のぶつかり合いが大切なのに、一番のキモであるお気持ち」が軽視されている現状は何なんだろうな。

anond:20190309020555

このレスについて

横田です。増田意見が難解だったので、意訳しました。下記スタイル対訳しています

原文

訳文

対訳

運用問題がないって認識下でなされた警察のその判断とそこに基づいたあくまで罪であるとしたからこその行動を罪ではないって視点から倫理性の面で語るのってよくわからないなと思う

誤認逮捕冤罪可能性なんかの議論でならわかるけど

警察が罪である判断したことに対して、"倫理性の面" (後述) から、罪にはならないって主張しているのがよく分からない。

誤認逮捕冤罪ってことなら分かるけどさ。

ラクガキ器物損壊として万引き窃盗いじめ暴行とする時に対応する警察はそれを罪だとして行動するわけだけどその一連の流れに対して親とかがそれは罪じゃないって言い分で子供の将来性がとかただのいたずらで補導なんてって子供への倫理的な面から非難してたとして一方的に展開される罪じゃない論の上のその自論は違和感がすごくてそれは実際罪かどうかとか警察対応妥当性がって話じゃなくて単純に警察が法に則ったとするそこに対して罪じゃないとしながらその根拠は示さず行動の結果や動機や影響のみを持ち出して非難するその感じが何かズレてるように感じるから元増田論理には同じような感じを受けた

例えば、落書きなら器物損壊万引きなら窃盗いじめなら暴行として警察対応するよね?

このとき補導された子の親が「子供の将来がー」とか「ただのイタズラなのにー」って感じで "倫理性の面" から非難するのって、違和感がすごくない?

上記行為が罪には当たらないって主張したいんなら、子供への影響を持ち出して "倫理性の面" に訴えるんじゃなくて、罪には当たらないと考えるその根拠を言ってほしいわけよ。

元増田論理も、この親の論理と同じようにズレてる気がするんだよね。

それが罪だと定義されるならそこでの警察側の動機所詮付随事項でしかないしノルマだろうが上司への点数稼ぎだろうが罪になるんだって大義があるからこそ与えられてる権力行使が許されるわけなんだから一番大きなそこをひっくり返してないのに罪として扱っているからこその言動自体やその影響をそうではないという前提で問う意味ちょっとわかんないなって思う

ノルマのためにー」とか「上司への点数稼ぎのためにー」とかっていう動機警察側にあったとしても、それはただの付随事項でしかないんだよ。

動機が何であれ警察権力行使したのは、それが罪である定義されているから。

なので警察批判したいんなら「ホントにそれが罪である定義されているの? 」って部分を問うべきなんじゃない?

そこをひっくり返さずに、罪には当たらないという前提で、警察コメントとかその影響について論じるのってちょっとからない。

その権力行使における妥当性への配慮ってだけならわかるんだけど罪でないのだから単なる人権侵害しかないってやるにはわからない

「罪にはなるだろうが、運用問題があるだろ」っていう主張なら分かるんだけど、「罪ではないか人権侵害」って主張してるのが謎。

本来そこやるなら運用への認識問題とその理解意識の低さによる結果引き起こされた影響、同じ事が起こる懸念警鐘とその責任って流れだと思うけど問題視するのが補導した動機適当性や対象の選び方ってのもちょっとわかんないなって思う

運用問題があるだろ」ってことを主張するにしても、触れるべきポイントがちとズレてないかい?

本来なら、問題のある運用によって引き起こされた事象、同じことが起こる懸念責任所在、という流れで論じるべきだと思う。

それなのに、補導した動機適当性、対象の選び方(中学生を選んだ)ってのを問題視するのはちょっと理解できない。

いたずらに対する見せしめでもこれが殺害予告とか爆破予告なら補導もしゃあなしなんだから中学生だとか警察側の動機じゃなく罪ではないんだって部分を展開しないままじゃモラル向上の晒し者にされるためだけに行われる人権侵害って論理は成立しないと思う

もしこれが殺害予告とか爆破予告のイタズラだったら補導もしゃあなしでしょ。

中学生からとか警察側の動機がとかじゃなく、このイタズラが罪に当たるかどうかをまず考えるよね。

そこを考えずに、モラル向上の晒し者にするという理由だけで補導されたか人権侵害、っていう論理は成立しないと思う。

警察側はあくまで公僕としての責務において罪となる行為モラル向上の意図でもってって言ってるんだからそもそも見せしめ晒し者にするためだけに補導したのではない、そうなったのは当人が法を犯した結果であるのだから当然である、というスタンスだし実際罪になるのであれば晒し者になったのも自業自得な面があるとは思う

と言っても警察側は、モラル向上の意図補導したのであって、晒し者にするという理由だけで補導したのではない。

結果としてそうなったのは当人が法を犯したかである、というスタンスだし、実際に罪になるのであれば自業自得な面があると思う。

そこの運用おかしいとするなら説得力を持たせた客観的にどうおかしいかの話が前提として必要でそれがないと正直万引きキッズかばバカ親と言ってる事変わんなくなっちゃうと思う

この運用おかしいと主張するのならば、どうおかしいのかの説明必要で、それがないと万引きキッズかばバカ親と言ってる事は変わらなくなる。

子供なのにただのいたずらで補導なんて大の大人が狭い部屋で子供相手に酷いいじめられたらどうするの受験に影響したらって言ってるのと変わらない

子供のイタズラなのに補導なんて、取り調べまでするの、学校いじめられたらどうするの、受験に影響したらどうするの、って言ってるのと大差ない。

罪は罪でしょって話じゃなくてなぜ罪ではないか罪とする警察解釈のどの部分がどのようにって根拠が示されないままそれを事実として論理を展開する感じが同じ印象

訳注:この文章は難解だった。間違ってるかも)

単に「罪は罪でしょ」と言いたいわけじゃない。

罪に当たるとする警察解釈のどの部分がおかしいのかの根拠を示さずに論理を展開する感じが、バカ親と元増田って同じだよね、と言いたいのだ。

そこでの警察側への動機批判警察組織における問題点への指摘でしかないわけで罪か罪じゃないかとはまた別の話だし

警察側の動機への批判は、警察という組織問題点を指摘しているだけで、罪か罪じゃないかとはまた別の話だし。

その動機によって罪でないものが罪とされたのだと言うなら余計にどの辺りが罪でないのか補導家宅捜索について警察の言い分のどこがどうおかしいのかは前提に必要な気がする

警察側の動機によって罪でないものが罪にされたのだと言うのなら、どの辺りが罪でないのかの説明が、余計に必要になる気がする。

それに、補導や家宅捜査についても、警察側の言い分のどの辺りがおかしいのかの説明必要な気がする。

からこそ交通違反言われた坊さん達はそこを示すため衣を動き辛いと定義する事への反証として動きまくったわけだし

からこそ、僧衣を着たまま車を運転して交通違反を切られた坊さん達は、罪には当たらないことを示すために、僧衣が動き辛いとする定義への反証として動きまくったわけだし。

中学生補導した警察が正しいとかじゃなくて論理の展開の仕方がなんか意味わかんないというかブッ飛んでんなって思った

中学生補導した警察が正しい、と言いたいわけじゃなくて、論理展開の仕方が意味分かんないというかブッ飛んでんなって思った。

増田

勝手に意訳してゴメンね。間違って解釈してるところもあると思う。

できれば次投稿するときは、もう少しだけ、おれら側に歩み寄ってくれると嬉しいです。

増田意見、納得する部分があるから

javascriptって難読化できるんだけど、増田も何か意図があってそうしたのかしら)

ちなみにおれは、兵庫県警はすげぇ恥ずかしいことをしたと思うよ。ま、理屈は組み立てられないけど。

2019-03-09

anond:20190308194950

運用問題がないって認識下でなされた警察のその判断とそこに基づいたあくまで罪であるとしたからこその行動を罪ではないって視点から倫理性の面で語るのってよくわからないなと思う

誤認逮捕冤罪可能性なんかの議論でならわかるけど

ラクガキ器物損壊として万引き窃盗いじめ暴行とする時に対応する警察はそれを罪だとして行動するわけだけどその一連の流れに対して親とかがそれは罪じゃないって言い分で子供の将来性がとかただのいたずらで補導なんてって子供への倫理的な面から非難してたとして一方的に展開される罪じゃない論の上のその自論は違和感がすごくてそれは実際罪かどうかとか警察対応妥当性がって話じゃなくて単純に警察が法に則ったとするそこに対して罪じゃないとしながらその根拠は示さず行動の結果や動機や影響のみを持ち出して非難するその感じが何かズレてるように感じるから元増田論理には同じような感じを受けた

それが罪だと定義されるならそこでの警察側の動機所詮付随事項でしかないしノルマだろうが上司への点数稼ぎだろうが罪になるんだって大義があるからこそ与えられてる権力行使が許されるわけなんだから一番大きなそこをひっくり返してないのに罪として扱っているからこその言動自体やその影響をそうではないという前提で問う意味ちょっとわかんないなって思う

その権力行使における妥当性への配慮ってだけならわかるんだけど罪でないのだから単なる人権侵害しかないってやるにはわからない

本来そこやるなら運用への認識問題とその理解意識の低さによる結果引き起こされた影響、同じ事が起こる懸念警鐘とその責任って流れだと思うけど問題視するのが補導した動機適当性や対象の選び方ってのもちょっとわかんないなって思う

いたずらに対する見せしめでもこれが殺害予告とか爆破予告なら補導もしゃあなしなんだから中学生だとか警察側の動機じゃなく罪ではないんだって部分を展開しないままじゃモラル向上の晒し者にされるためだけに行われる人権侵害って論理は成立しないと思う

警察側はあくまで公僕としての責務において罪となる行為モラル向上の意図でもってって言ってるんだからそもそも見せしめ晒し者にするためだけに補導したのではない、そうなったのは当人が法を犯した結果であるのだから当然である、というスタンスだし実際罪になるのであれば晒し者になったのも自業自得な面があるとは思う

そこの運用おかしいとするなら説得力を持たせた客観的にどうおかしいかの話が前提として必要でそれがないと正直万引きキッズかばバカ親と言ってる事変わんなくなっちゃうと思う

子供なのにただのいたずらで補導なんて大の大人が狭い部屋で子供相手に酷いいじめられたらどうするの受験に影響したらって言ってるのと変わらない

罪は罪でしょって話じゃなくてなぜ罪ではないか罪とする警察解釈のどの部分がどのようにって根拠が示されないままそれを事実として論理を展開する感じが同じ印象

そこでの警察側への動機批判警察組織における問題点への指摘でしかないわけで罪か罪じゃないかとはまた別の話だし

その動機によって罪でないものが罪とされたのだと言うなら余計にどの辺りが罪でないのか補導家宅捜索について警察の言い分のどこがどうおかしいのかは前提に必要な気がする

からこそ交通違反言われた坊さん達はそこを示すため衣を動き辛いと定義する事への反証として動きまくったわけだし

中学生補導した警察が正しいとかじゃなくて論理の展開の仕方がなんか意味わかんないというかブッ飛んでんなって思った

2019-03-07

CoinhiveだのでブラクラだのでJavaScript話題な中、

  

これで笑ったけど、警察GA問題視しているという話になるのでは……?

anond:20190307164740

陰湿」はリスペクトが残っているが「小学生並」はアウト、という感性はないなあ。

見解の相違だね。

少なくとも後者がアウトという点は同意が取れてるようでうれしいよ

そういう「俺の支持を得たければ俺の好みに振る舞えよ」と恫喝するような論法は良くないと思うよ。

野党下品な振る舞いをするから支持できない」と言うなら

与党下品な振る舞いをするから支持できない」と表明すべきだし、

同じことやってる両者のうちの一方だけを問題視してもう一方を支持するなら、

それは「投票しない言い訳」を探してるだけだったってことよね。

君が「恫喝」と呼ぶそれは有権者として当然の選択じゃないかな?

俺は下品なふるまいをする野党議員を支持しないし、それに輪をかけて下品な支持者を掣肘しない点にも不振を抱いてる。

それは与党にしたって同じ。ただ、与党議員野党議員ほど下劣人格攻撃をしてるってのは見ないね。なんかある?

そして、そもそも俺は与党支持者でも何でもないよ?

俺は選挙ごとに公約読んで投票先を変えてるもの。なんのかんの大抵泡沫に入れてるな。

今の野党メインストリーム政策的にも姿勢的にも支持者層的にも全く支持できる要素がない

anond:20190307163755

陰湿」はリスペクトが残っているが「小学生並」はアウト、という感性はないなあ。

どっちもアウトだよね、普通に考えれば。

そういう「俺の支持を得たければ俺の好みに振る舞えよ」と恫喝するような論法は良くないと思うよ。

野党下品な振る舞いをするから支持できない」と言うなら

与党下品な振る舞いをするから支持できない」と表明すべきだし、

同じことやってる両者のうちの一方だけを問題視してもう一方を支持するなら、

それは「投票しない言い訳」を探してるだけだったってことよね。

anond:20190307161029

http://www.asahi.com/special/minshu/TKY201006080380.html

急先鋒安倍氏だ。8日の講演で、北朝鮮による拉致事件実行犯とされる辛光洙シン・グァンス容疑者の釈放運動に菅氏が携わったとして「史上まれに見る陰湿左翼政権」と主張。1999年の国旗国歌法成立に反対したことを取り上げ、「君が代日の丸をおとしめてきた人物首相になりおおせた」と述べた。

国会でもヤジ飛ばしまくりみたいだし、別にリスペクトしてるわけでもなければ自重してるわけでもないよなあ。

いや、インターネッツ見てれば、どう考えても右と左で罵倒飛ばしあってるし、

なんでそこで野党およびその支持者だけを問題視するのか分からん

エコチェンバーに引っかかってんじゃないの?

2019-03-06

anond:20190306222258

きれいごと

リア充店員には強気に出れず、つっけんどんに対応されても文句を言う度胸がない客がほぼ全員

キモオタ障碍者雇用すると、通常問題視されないようなことも客が気に食わなかったら強気クレームをつける

トラブルが起きた時どっちが厳密に悪かより、客が指摘するorしない、発覚するorしないのほうが重要だし本質です

2019-03-05

anond:20190304092619

単に相応しくないというのとその判断が出来てない事の問題であるのに環境セクハラなんて言葉で間接的に自身への被害を主張するのは気持ちが悪いです。

あなた女性でないならセクハラという言葉をダシにした男性オタクへの嫌悪感の発露でしかなく同じく自身嫌悪感セクハラという言葉を利用する点が気持ちが悪いです。

これが少女写真なら、なんて言っておられます少女写真だったとしてその問題の焦点が女性へのセクハラだなんて言う人はどこかおかしいように思います

その場合どう考えても問題子供の人権範疇のものであり、その大きな何より優先すべきものを前にしてハラスメント理由の中心に問題提起するという異様さは自身で疑問に思われなかったのでしょうか。

その例はイラスト死体が描かれたポスターに対して実際の人間死体がそこにあったら問題だろう、皆嫌だと思うだろう、というようなズレたものです。

法的に倫理的問題性を提起し得るものを挙げているのにその問題の中心を個人に与える主観的不快感に据えて論じるのはいささか自己中心的に過ぎます常識を疑います

そしてその法的な問題と法的には問題が無い部分での許容されるかされないかの話が然も比例するかのようにやるのもわざとなら逆に自論への自信の無さを感じ説得力を削ぎますし気付いていないなら混乱しているように思います

壇蜜CM問題お茶の間に相応しくない表現であるという話で彼女キャラクター彼女がやっていた過激グラビアから自己プロデュース女性へのセクハラの一旦であるから、という話ではないです。

また未成年児童ポルノ搾取男性向けの完全に一から作られた理想像女性像と彼女のようなある程度自己責任においてセクシャルさを滲ませている女性をそのキャラクター性で起用したCM等を混同するのはそのような性的オープン女性への差別であり女性性的ものに対してこうあるべきだ、という旧時代的な役割強制です。

それをセクハラ、と定義するのも本来主観的ものであるハラスメントへの価値観女性全体に強いる女性性的許容度の幅を一視点で決め付け無視した全体主義的で短絡的なステレオタイプ的発想です。

媒体時間帯に相応しいかどうかとその対象自体問題は全くの別の話です。

私はこの起用はパンツでも水着でもズボンでもあなたと同じく相応しくはないと思います

私は現実存在しない少女キャラクターには抵抗嫌悪感もありません。

なぜなら二次元少女女性現実女性とは全く違う存在からです。

あなた混同されているようですが。

児童ポルノ吐き気しますしもっと厳罰化してもいいと思っています

個人的にはアイドルという免罪符未成年特に義務教育修了以前の少年少女商品化において露出仕事内容を規制すべきではとも思っています

ですがアニメ漫画キャラクター性的さについて内容の必然性に関わらず女性向けの作品における男性の扱いと同じくそれが女性の権利を侵すものであるとは全く思っていません。

でもこの場合税金での起用には相応しくないと思っています

アニメ自体もある程度知っていますが内容が例え全編シリアス所謂男性向けと言われる描写が全く無かったとしても放送されていた時間からして、加えてその放送時間に合わせた明らかに意図された性的さを含むキャラデザとしても公的機関による人目に触れる範囲の起用は相応しいとは思えません。

それが深夜アニメ視聴層が主な対象であるイベント等で期限付きで限定的掲示されるものであるというなら別ですが。

いであなたは露出の面で異議があるようですが露出それ自体問題ではないかと思います

問題媒体とそこに合わせたキャラクターデザインです。

これが攻殻機動隊少佐であったなら露出度は変わらずともここまで問題視はされなかったはずです。

そしてまたこのような少女的にデフォルメされた絵柄の成人女性作家性別を問わず存在し、もし作中の少女達が成人女性という設定であってもこの問題は起きていたように思います

ですから対象キャラクター実年齢も問題ではありません。

あなたがやられたように現実女性で表すなら幼い顔つきの成人女性写真なら、という話になります当人人間性や選択実年齢でなく見た目による年齢でもって、前述した攻殻機動隊のように例えばしっかりした歳相応の顔立ちでモデル的な体躯女性では同じような露出度で性的さや倫理性の面で問題がないとされる事を幼い顔付きの女性ハラスメントという視点で語られるのであればそれは顔つきによって制限を強いる差別意識によるものでそれこそ嫌悪すべきものですがイラスト場合は違います

現実ならば成人しているかどうかが焦点になるのも当然ですが二次元の絵は現実女性ではありません。

問題少女であるという部分や露出自体ではなく深夜帯に放送されるアニメに沿ってデザインされた性的さを伴うキャラクターデザイン、という部分です。

ドラえもんのび太達と共に水着姿のしずかちゃんが描かれた海水浴ポスターがあったとして、それが税金によるものだとしてもこんな風に問題視はされません。

そんなアニメCMが流れたとして壇蜜CMのように問題になりますか?私はそうは思いませんし実際そうはならないでしょう。

あなた少女露出度合い自体問題の核のように壇蜜の明らかな性的さと並べていましたが、ワカメピノコ下着を短いスカートから覗かせる姿は同じ性的さを伴うものでしょうか。アトム露出度はそれ以上ですが問題ではありませんか?

同じようにレジャー施設CMで楽しく遊びはしゃぐ水着姿の女児男児は肌の露出度という面では変わりませんがいかがでしょうか。

また少女漫画誌の夏号での少女水着姿が描かれた表紙やポスター付録女性へのセクハラだと捉える人がどれ程いるでしょうか。

少女性的さが描かれる事が女性全てにおいて一律にセクハラ定義だとするのならバルテュス公的に所有されている美術館では展示すべきではないのですか?

あなた少女である事や露出度について一線を越えたと表現されているようですがそれではそれらは筋が通りません。

繰り返しますが、問題税金で深夜帯用に性的意図を持ってあつらえられた見た目のキャラクターを起用した、その1点です。

また、これがもし成人女性で、明らかに成人しているという見た目のキャラデザで絵柄も一般的アニメと変わらず衣装性的でなく露出が少なかったとしても、成人向けゲームで著しく性的な役目を持つキャラクターであれば、それが税金でもって多数の目に触れる場へ掲示されるのであるならそこに問題があるのは明らかです。

それを知れば嫌悪感を持つ女性も多いでしょう。

ですがよく知らなければただのきちんとした成人女性イラストです。

少女でなく露出もなく性的もの連想させる絵柄でないか問題ない、としますか?

それもそのキャラクター女性へのセクハラから問題なのではありません。

ハラスメント主観的概念であり、性的キャラクターだと気付かなければ嫌悪感は抱きようがありませんし、イラスト自体のものには何ら問題はありません。

そしてまた上述したように少女であっても露出度の面でもキャラクターによっては税金での起用も問題にはなりません。

そこで考えるべきなのはただ公の場に税金で起用する媒体のものか、という問題なのです。

キャラクターの持つ性的さへの意識の低さ自体、それが問題なのではと思っておられるのかもしれませんが、それも違うかと思います

例えば峰不二子露出如何に関わらず性的アイコニックさを存在として含むキャラクターであり、その起用は知名度としてそれをも加味したものなのは明らかですが、ならばそれは意図されたセクハラにあたるとされるのでしょうか。

問題媒体による特徴的方向性一般的な許容度の差への意識の低さです。

許容度とは単純に知名度と個々の主観の集積であり実際の客観的性的さの度合いは関係がありません。

実際峰不二子は多くの少女女性キャラクターよりも露骨性的さをもって描かれています

そしてゴールデンタイムでの峰不二子であれば許容される性的表現知名度のない深夜アニメ女性キャラクターであれば同じ時間帯でそこに印象の差が出るのは明白です。

それが許容度の差です。

そしてそれはハラスメント客観的性的さで定義されるものではない、出来るものではない、という事でもあります

峰不二子自体は実際のところ成熟した大人の女性とはかけ離れた少女性が前面に押し出され、そのような感性でもって同時に性的である、というある意味一部の方が口にする男性に都合の良いキャラクター像ですが、広範囲メディア露出による知名度によって逆に印象の部分的角化が起こりそれが許容度に影響しています

攻殻機動隊なら、と書きましたが少佐原作での性的さがアニメ知名度に押されている例です。

ですから性的自体、またその対象の実際のキャラクター自体への印象はそのまま許容度に比例するものでもありません。

一切性的な要素がない役回りだとしても成人向けゲームキャラクターであるなら顰蹙を買うように内容やキャラクター性的さは必ずしも直接的に問題に繋がるものではありません。

BPOが深夜帯のアニメの子供への影響に関してのクレームに苦言を呈しているように深夜帯のものは深夜だからこそ許容されている部分があるからこそ逆に人の目に触れるのであれば気を付けるべき事があり、あのキャラクターデザインはまさにその部分の象徴のようなものです。

海外アイコン的スーパーモデルの方は男性誌と女性誌で同じ水着姿でも表情やポーズを変えていく、といいます

露出度やその当人自体問題なのならそこに差は無いはずですが実際は媒体により、求められる印象によって差を持たせている、というのです。

腕で胸を隠したようなマタニティヌード女性誌とAVパッケージでは公での許容度は全く違うものです。

オタク勢の意識おかしさを指摘するにしてもそこです。

パンツ水着ズボンかは大した問題ではないのです。

そして深夜ノリをそうだと理解できていないバランス感覚の無さ、許容度、拒絶感に対しての意識の低さ、それらの問題露出度、年齢による倫理的適当性も別の話です。

許容度が高ければキャラクター性的な要素があっても問題の声はあがり難く、また少女水着姿、下着露出した姿でも倫理性を問う声は大きくならず、逆に性的な面での許容度が低い媒体であればどれだけ性的さを削ごうと問題視は免れない、というのは少し考えれば分かると思います

また現実フィクション、絵では何もかもが変わって来るというのも常識で考えれば分かる事かと思います

加えてそれが税金で行われるかどうか、もそうです。税金で無ければ許容度が跳ね上がるようなものは山ほどあります

からこそ私は税金での起用が相応しくない、という表現をしています

そこを全て混同し、または混同させるように現実少女に対する倫理性を問題としてすりかえる事で主観である自身嫌悪感客観的正当性付与しようとするのは人の我が見えるようで違和感しかなく気持ちが悪いです。

もの区別ぐらい、少なくとも現実少女と絵の区別くらいつけられたらいかがかと思います

バカみたいだけど、弟と俺は違う人間だと気づいた

自分語りしたくなった。

親共働きで、ベビーシッターの人によくお世話されてた。それが普通だった。お世話になるのだから行儀良くしなさいと言われてたし、実際他人だ。冗談も言い合うし頼りもする、無理も言った。でも、それなりの距離感を取って暮らしてた。

他人が家にいるのもそれほど苦じゃなかったんだな。

暫くして弟ができた。俺が小学校にあがってすぐ産まれた。その数年はホント幸せだった。帰ったら家に親がいて、色んな事を話したりした。

母のお腹がおおきい時は、一緒に名前を考えて、呼び掛けたりした。今の子はヒョンタなんて呼び掛けるのかな。俺の時代はそれが普通だった。

まれたらオシメも替えた。うんちだったとき俺もビビって泣いたよ。小学生にうんちのショックは大きかったんだ。

成長して、母も仕事に復帰した。シッターさんと俺と弟で夕方まで一緒にいて、遅くに両親がそろう日常に戻った。

俺には日常だったが、弟には違った。オネショをしたり、シッターさんに癇癪起こしたりしてた。親は特に問題視してなかった。夜グズっても構わず寝るし、躾たり叱ることはあっても、一度も声をあらげたことはなかった。もっぱら俺の役目で、いつも「お母さんたちこまるでしょ」と言って宥めた。

弟は小さいうちから、見てわかるくらい落ちこぼれた。それを咎める人は誰も居なかった。勉学もそうだが、素行が悪く、しょっちゅうシッターさんが謝りにいった。親じゃなかった。

夜更けになるとみんなそろう。そこで俺は幸せだった。でも弟はどうやらそれも耐えられなかったようだ。親の前でイライラした態度が増えた。

親は特に咎めもしなかった。「そう」とだけ言って不機嫌さを受け流してた。

俺には昔からの弟だった。自然体で接してたと思う。

俺も大学生になって、弟は中学生になった。俺にはずっとそのままの態度だった。オネショが止まったのを俺はからかった。

家で吠えずに、外で発散したらしい。家は一見平静になった。授業もサボるようになってたが、俺も含めて咎めはしなかった。自由にすればいい、彼の人生なんだから。ポツリと父が言ったのを覚えてる。

この頃は家政婦さんって呼ぶ方が正しいのだろうけど、俺にはずっとシッターさんのイメージがある。補導された弟の迎えはいつもシッターさんだったから、子供の世話をしてたと言える。親は来たことなかった。

弟の誕生日に、両親共早く帰れるから、皆で家族ご飯食べようと言った。弟は表情を押し殺して「気が向いたら」とだけ言った。

母は急な仕事ダメだった。弟は無表情に「そっか」と言って、俺のカレーと親父の買ってきたケーキ食った。

暫くして、大学友達と飲んでたら、電話があった。知らない番号だったけど。どこかの店舗らしい。弟が万引きしたと。

補導はされてたけど、深夜にうろつくとかが理由で、ホント犯罪って初めてだったとおもう。飛んでって、道中で親へ連絡した。

「知ってる、連絡が来たけどいけないから、シッターさん呼んで」怒りがわいたが、そんなもんかとも思った。

店に行くと、事務室に案内された。

「ご家族が来ましたよ」

弟の顔がパッと明るくなったのを良く覚えてる。俺の顔を見て、ばつの悪そうな顔になったが。

盗もうとしたのはガム一個らしい。今回だけはと言うことで、二人でペコペコ謝って済ませてもらった。

帰り道、店から出たら、即座に怒りに任せて一発かました。弟は痛そうに頭を抑えて聞いてきた。「怒ってる?」

当たり前だ、と怒鳴り付けた気がする。そっかぁと言いながらぼんやり俺の顔みてた。

「お母さん怒ったかな」と恐る恐る聞かれた。なんて答えたらいいかからなかった。

「怒ってないよ」と言った。「怒らないよあの人は」

弟は苦笑いしてた。「そうだよなぁ」小さな声で「ありがとう」と言った。俺は聞こえないふりした。

そのあたりから、急に弟の素行が落ち着いた。高校卒業して、家を出た。結婚して、この間子供ができた。

俺は全く作る気になれない。良い家庭が想像つかない。でも弟はたぶん違うっぽい。

なんか違って、たぶん良かったんだとおもう。

2019-03-03

anond:20190303211817

北方領土安倍放棄して固有の領土と言わなくなっても新聞社はどこも問題視しないだろ

日本人に期待しても無意味からだよ

2019-03-02

電子書籍の「遺産相続」はどうなるのか?

 当方は紙の本と電子書籍に同じ価値はないと思っている。

 それは大半のネットユーザーも同様であると思っていた。

 しかし、どうやらここ「はてな匿名ダイアリー」においては電子書籍を推すものが多いようだ。

 さて、電子書籍派の皆さんは「遺産相続」についていかがお考えだろうか?

電子書籍は面倒

 はじめに断っておくが、この話はそれなりに面倒くさい。

 この「面倒くさい」という点が話のメインである

 電子書籍を避けたがる人間の中には、こういった面倒くさいことを考えたくない人間も少なからずいるだろう。

 (なお電子書籍定義曖昧であるきらいがあるようだ)

 (本投稿における電子書籍商品としての電子書籍とし無料PDFなどは除く)

質量のある電子書籍質量のない電子書籍

 一言で「電子書籍」といっても質量のあるものとないものがある。

 質量のあるもの(コンテンツカセットなど)の場合、紙の本と同様に法的には所有物とされるはずだ。

 であれば所有者が死ねば所有物として遺産相続対象となるだろう。

 (もしかするとエンドユーザーライセンスで利用は禁止されているかもしれない)

 問題質量のない電子書籍だ。

所有権ではなく使用権

 質量のない電子書籍は法的には「所有権でなく使用権」とされるらしい。

 このあたりは「プラットフォーム規約」によるので一概には言えないが。

 気になったのであれば、お使いの電子書籍プラットフォーム規約確認していただきたい。

 (なにより面倒なのが電子書籍規約によって、その扱いが異なる点だろう。そして規約は無数にある)

 で、使用権個人に与えられるもの死ぬ消滅するのだという(※要規約参照)。

 この時、天涯孤独の身であれば話はシンプルで死んで誰に迷惑がかかるでもない。

一家に一冊?一人に一冊?

 例えば紙の本なら、同じ本は一家に一冊あれば十分だろう。

 電子書籍場合、「一家に一冊」というような言い方は成り立つだろうか?

 ここでもまたもや規約によって扱いは異なる、ということになる。

 仮に「家族単位での共有のような扱いが許可されている」とする。

 (なお許可されないのであれば電子書籍が人数分必要から「紙の本より数倍高額な価格設定」というだけだ)

 その場合、最悪のパターンが「一家電子書籍の名義がすべて一人に集中しており、その人物死ぬ」ことである

 そうなると、一家単位電子書籍がすべて消滅することになる。

不正アクセス禁止法

 名義の持ち主が死んだとき遺族は速やかに規約に則った手続きをとらなければならない。

 手続きとは名義の持ち主が死んだことを通告するか、アカウントを削除するかなどだろう。

 そうなれば当たり前だが名義と関連付けられた電子書籍の内容を見ることはできなくなる。

 もしも名義の持ち主の死後も遺族が死者の名義でアクセスすれば不正アクセスということになるはずだ。

 不正アクセスは現行の通称デジタル万引き(違法ダウンロード)よりも重罪である

 静止画ダウンロード違法化がどう転んでも犯罪行為というわけだ。

 さて、あなた親族ITリテラシーは十分だろうか?

電子書籍は本当に遺産相続できない?

 「使用権であり所有権でない」というプラットフォームの言い分は通るだろうか?

 あるいは電子書籍の「使用権を持つもの死ね使用権消滅する」という仕組みは国民の持つ感覚とかけ離れたもの判断されるかもしれない。

 将来的に法改正などがあり電子書籍がすべて遺産相続対象となる可能性もあるのかもしれない。

 もっとも、その可能性は限りなくゼロに近いだろう。

 誰か正解を知っているだろうか?

 恐らく、正解は実際に裁判などしなければ分からない類のものではないだろうか?

相続待ち作戦

 もし電子書籍遺産相続が認められるのであれば、それはそれで問題ではある。

 電子書籍相続できるならそれを見越した行動がデフォルトとなるのだ。

 電子書籍はかさばらないし、劣化もしない。

 劣化しないデジタル資産遺産相続できるのであれば、やがて飽和するだろう。

 身寄りのない老人から気まぐれで電子書籍相続できる可能だってある。

 「待っていれば無料電子書籍相続できる」可能性があるなら、個人としては敢えて購入しない戦略もありうる。

 名づけて「相続待ち作戦である

 (身寄りのない老人の相続狙いだけなら「親族でなければ相続できない」などとすればいいのだろうが)

 (まぁ、恐らく電子書籍遺産相続することはできないだろう)

無意味な指摘か?

 もっと電子書籍ユーザーは事前に電子書籍について十分調べているはずだ。

 流石に遺産相続ができない可能性に気づかず電子書籍を買いあさっているような人間実在しないだろう。

 恐らく、新聞雑誌などの紙媒体で捨ててしまっても惜しくなかったもの電子書籍で買っているのだろう。

 もしくは遺産相続など最初から考慮していないか、生涯一人暮らしの決意を持つか、といったところか。

 しか電子書籍布教しようとするとき遺産相続の点を伏せても騙しきれるわけがないと思うのだが、どうだろう?

出版社見解は?

 まさか出版社が「電子書籍遺産相続」の面倒くささについて把握していないわけがないはずだ。

 であるにも関わらず、その点について特にアナウンスがない点を不思議に思う。

 電子書籍ではなく紙の本を売りたいなら、この点をアピールして電子書籍ネガティブキャンペーンすることだってできたはずだ。

 順当に考えると出版社としては「名義の持ち主が死ねば、もう一度全部買いなおせ」といったところなのだろうが。

 読者の側からすれば「電子書籍で安くなる」どころか「人数分購入する」羽目になり、逆に高くつくのである

電子書籍は「遺産相続」を考えると、途端に面倒くさくなる。

 以上に述べたとおり、電子書籍遺産相続を考えると途端に面倒くさくなるのである

 紙の本なら、扱いはきわめてシンプルで、こんな面倒くさいことはないのに。

 恐らく、今後この問題が表面に浮上してくるだろう。

 今のところ表立って問題視されていないのは電子書籍ユーザーがまだ若く死んでないためではあるまいか

 あるいは水面下ではすでにトラブルが発生しているのかもしれない。

2019-03-01

anond:20181126192228

ほんとはね、こういう人は工場とかで働くべき人間なんですよ。

自分という社会歯車ちょっとモータもついてないんです。

まわされないとまわれないんです。

から工場とかでまわされないと働けないんですよ。

コネだなんだで分不相応なところにぶち込むから精神まで病むんだ。

親が低学歴から貧乏から、いい教育が受けられない、大学に行けない、東京に出られない、、、etc

いわゆる「トンビが鷹を生んだ」状態場合、今はかなり問題視されてますよね。

でも逆はどうでしょう

「鷹がトンビを生んだ」場合です。

トンビは鷹になるように望まれ、常に自責の念と周囲の嫉妬にさいなまれます

鷹のポジョションを与えられたりなどすればなおさらのことです。

さらにそういう人が周囲の期待に応えようとすれば、自分の身の丈に合った無能でもやっていける環境に身を置く(転落の道)ことさえ自分で選べずにその場でぴたりと動けなくなってしまう。

分不相応ならどっちも病むんですよ。

親が優秀でも無能な人、高学歴でも仕事ができない人、日本精神患者なんてほとんどこんな奴らばっかりでしょう。

から上に行く道はもちろん必要です。

すべての子供にすべての人たちにその道を整備したい。その道の存在を、歩き方を教えたい。

でも上から下に行く道も同様なのではないでしょうか。



別に工場バカにしているわけではないですよ。

まあそうとしか読み取れないと思いますが。

適材適所です。

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