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はてなキーワード: 現実逃避とは

2018-12-16

ふとした瞬間に、やるべき事があるのに何をしていいのか分からなくなるし、同時にヤル気もなくなってくる現象がここ数ヶ月発生している

個人的な事なので別にやらなくてもいいんだろうけど、やらないと気がすまない。

しかし何をしていいのか分からなくなって行動と思考フリーズしてしまい、数十分、場合によっては数時間何もしないままボーッとしてしまう。

なんなんだろうかこの症状。

状況によっては、やるべき事すら思いだせずに「何かやるべき事があったはず……」という状態のまま上記のようなフリーズ状態に移行してしまう。

この文章を書く数分前もそういう状態で困ってた。というか、この程度文章書くにも数秒のフリーズが挟まってきてて本当に困る。

思考をしたくても何も考えられない。

食事は1時間前に済ましてたりしても発生する。なので空腹とか食べすぎは関係ないはず。(食事量もバランスよく適量)

睡眠毎日8時間近く寝ているか睡眠不足も関係ない。週に2回運動もしているか運動不足も同じく。

何が悪くてこうなる??

追記

現実逃避の類なのかと思い、動画見たりとか音楽聴いたり、またはゲームをしたり等色々やってみても何をしても面白くない。

というよりも虚しさの方が勝つな。賢者タイムとかではなく、虚空に向ってボールを投げ続けている感じ。

テンションが上がらないというより、思考や行動が前に進む事を無意識拒否しているという言い方の方が正しいのかな。

ダルさとか疲れはなく、手足はちゃんと動くにも関わらず動けない感じ。

2018-12-15

クソフェミって低能先生の味方もするの?

たとえば

これとかさ

42歳で無職オワコンらしいけど、コレ典型的なモノ扱いじゃん?

あ、男性女性の味方をしなきゃいけないけど女性男性の味方をする必要性はないんでしたっけ?

それが男女平等でしたね

ネガキャンとそれを信じる人たち

ソシャゲプレイヤー脳死ゲームをやってるから努力必要ゲーム文句を言う

・なろう読者は現実逃避の為に異世界ものを読んでるから主人公が少しでも苦戦すると文句を言う

みたいなネット適当に言われてるだけの話とか、それを鵜呑みにして物申してしまう人に名称がほしい

インターネットで恋してる

好きな人がいますインターネットの向こう側に。

名前も、顔も知らない。年の差も、性別も定かでない。そもそも実在する人なのか、あるいは自分狂気が作り出した妄想なのか。そんなことすら分からない、この世知辛いインターネットの隣人に過ぎない人。

その人のことが、どうしようもなく好きです。夢中です、恋しています

本当に、本当に。バカみたいですよね。いい歳して、頭がおかしいんです。何にも知らないくせに、ただ何ヶ月か会話して、貴方きらめきにどうしようもなく惹かれて魅せられて、こんなものまで書いて。なんて浅ましい奴なんだって世界中から軽蔑を集めて、私に投げつけてください。

こんなことを言い出せば、困らせてしまう、不愉快にしてしまうのは分かっています。こんな醜態はずっと隠しておくべきだし、明かさなければ普通に会話してもらえるだろうに、これを言ったらもう二度と戻れない。

手のひら返したような態度で、人間不信を植え付けてしまうかもしれない… いや、ごめんなさい、現実逃避しました。「かもしれない」ではなくて、そうなって当然だと思います。本当にごめんなさい。卑怯で、情けなくて、ごめんなさい。

でも、それでも伝えたい。どうしても言いたくて仕方がない。

貴方のことが好きです。

かに言いようがほど、好きです。

叶うものなら、貴方とずっと話がしたい。お互いの考えていることを聞いて、伝えて。ただなんとなく、たまに同じ時間を過ごして、とりあえず生きていく。

そんな関係になりたい、1年後も10年後も100年後もずっとそうしていたい。それがいま、私の願いです。

===

インターネットで憎しみ合うのは、ごく普通ことなのに。どうしてここで人を好きになったら、こんなに奇妙でグロテスクで、不適切なことに思えるんでしょうか。

消えてなくなりたいです。

2018-12-14

これは思うわ~フェミニストってすぐ「○○は悪だぁ!」と喚くけど、「○○してほしくない」が正しいよな。

悪かどうかという議論に持ち込んだ時点で負けだわな。

だって定性的判断である以上、

容易には結論付けられないし、

自分らの行為とのダブスタを責められがちだし、

新たな父なる審級の立場を占めようとしてるだけだし、

そもそも女全体の総意を取れてないし。

悪だとして自明かのように言えば、

私の意見として言わなくて済む、

そういう責任を取る勇気のなさから無責任から

○○してほしくないと口にできないんだろうな。

こう言っても開き直ったり現実逃避するのが目に見えてるから

まぁどうでもいいけど。

あ、キモオタキモいと思います

anond:20181214070827

2018-12-13

バイト

暇さえあれば持ち場を離れる人と

一緒だった

精神的に疲れた

会話を楽しむ能力が欠けている為

気が合わない人との会話は疲れた

独身だと言うと

婚活しようぜ

だって

独身が羨ましいとも言っていた

見下し半分と

ご家庭が大事時季らしいか

きっと現実逃避したいんだなあと

思った

から

くじらたてて怒るほどでもない

しろ

しかけないでほしいと思う

が、

情報収集し脚色して皆にばらまきたいの

だろう。

属性として、

あなたはそういうタイプに見える

2018-12-07

anond:20181207093318

あの頃は洞窟の壁に獣姦ものや裸体を刻むのが、唯一の現実逃避だったなぁ

いるかからない神様想像で描いてみたり。

2018-12-04

加齢が悪とかい価値観

謎やな

あるがままを受け入れられない現実逃避

美魔女(笑)

2018-12-03

勉強するのが格好悪いという呪い

ちょっと流行ってた増田を読んで自分にも思うところがあった。

まさにこれ。

小中とそういう環境で育って来たんだけど、うちは貧乏だったけど親が教育熱心だったか大学に向けて勉強はしていた。

でもサッカーして貰ったりキャッチボールして貰ったりとかは全然なくて、運動部に入ったりとかしても落ちこぼれだった。

まあそれは根性足りなかったのかもしれんが。

高校公立だけどそれなりのところに行って、ようやく勉強評価されるようになったけど、やっぱり部活とかで成果出してるやつの方が評価高くて

勉強もいいけど、あくまでサブでやってそこそこ結果出すのが格好いいみたいな。

実際部活も頑張ってて勉強もそこそこやってるやつの方が多かったし。

俺は結局勉強でも中途半端浪人しちゃったけど、一浪東大に入れたから、やっぱり人生変わったんだとは思っていて、親にも感謝している。

でも、やっぱりそれまで育った価値観から逃れられてなくて、向いてないのに華やか(?)なサークルに入って、そこでまたちょっと落ちこぼれてたりした。

勉強が一番重要で、それをやってればいい、って信じようとはしているけど信じられない、みたいな。

運動コミュ力では落ちこぼれなのに、そこで評価してもらいたい自分から逃れられない。

から勉強とかキャリアアップに全力に出してるやつにかなわないし、どこかそれは格好悪いとか思っちゃう

理性ではそれが正しいはずとわかっているのに。

そんなだから就活も力を入れきれずに失敗して不本意な結果に終わっちゃう。

皮肉な事に、そういう不本意状態から目を背けて現実逃避してる時が、一番勉強とかが捗る

結局頑張って転職して現状はけっこう満足いくものになった気がするけど、周りの人の向上心についていける自信がやっぱりない。

頑張らなきゃいけないところ、ちゃん努力が実を結んだところ、それが分かってても別の場所で受け入れてもらいたかった自分から逃げられない

ひたすら格好悪い。

山月記の虎よりもなお悪い。

勉強が格好悪い世界幸せに生きている人ももちろんいるから、それがゆがんだ価値観だとかは思わない。

でも、そこでは落ちこぼれている人間が逃げ出したはずのその価値観に囚われているのは我ながら滑稽だ。

2018-12-01

典型的ダメSES企業退職しました。

NTT退職エントリーが盛り上がっておりますが、クソであること以外に特徴のない企業からより正常な環境へ移っているエンジニアも多数いらっしゃると存じます

バブル就職氷河期も知らない世代ですが、今がかなり被雇用者にとって売り手市場になっていることは馬鹿な私でも感じます

私もそんな世の動きに乗っかった一人です。

元がNTTのような目立つ名前のところではないので記事としてもインパクトのあるものではございませんが、クソから脱出して半年以上過ぎてなお前職への恨みが消えないので一旦全部吐き出してスッキリしたい所存です。ただ排泄します。

転職活動は非常に短く、#hiyokonitsuduke流行に乗って、直接現在職場の方と連絡を取り、10日ほどでかなりスピーディに転職が決まりました。

年収、勤務時間業務内容、チームメンバー人格すべてにおいて上回っており、即決でした。

典型的ダメSES企業研修

入社し直後に合宿という名の下、三大キャリア電波の届かないところに連れて行かれ、開発合宿デモするのかと思えば「君たちの本気を試す」という名目の元、スリッパの並べ方にいちゃもんをつけて怒鳴る、社訓を大声で叫ばせて気に入らないやつを「心がこもっていない」怒鳴りつける、8時間ぶっ通しで歩かせて「こいつが足を引っ張った」と怒鳴りつけるという完璧研修を受けさせていただきました。夜中の3時、4時まで「お前らはいかにダメか」の説教を受けます

二十人以上を三日間拘束しているので、相当なお金をその研修会社に払っていると思います。質の高い教育のためにはコストを惜しまない、素晴らしい会社でした。

典型的ダメSES企業のオシゴト

前職は非常にセキュリティ意識品質意識の高い企業でしたので、どれだけ生産性を落とそうとも、社員健康を損なおうとも、関係ありません。

ここで言う「品質」とは、安定したシステムのことではなく、「何ステップの開発には何個のバグが入るはず」「見積もりどおりの規模になる」「残業100h/月すれば納期を守れる」という意味で、保守性や可読性のことではありません。

ここで言う「セキュリティ」とは、「不便にすればセキュリティ高まる」という信念のことで、「機密性」「完全性」「可用性」とは別の概念です。

契約で何ステップの開発することになっているから」「契約で何ページの文書をつくることになっているから」ということで、仕様どおりに動く成果物ができあがりテストカバレージ100%にもかかわらず、できるだけ無駄コードを重複させるように命じられます

CSVファイルちゃんとfor文で心を込めて一行ずつ読み込み、SQLiteを使えば3行で終わる集計処理をJavaの基本ライブラリだけで実装します。セキュリティを高めるために外部ライブラリツール仕様が一切禁じられているからです。

また、これもセキュリティ施策の一環として、構内からインターネット接続禁止されているため、ドキュメントを見たいときは社用携帯の狭い画面で調べます

まり常軌を逸しているため、クラウド勉強をして多少はまともな環境部署へ異動を願い出ました。もちろん、その数ヶ月前に現状の何が不満で何をどう改善してほしいか具体的に伝え、改善されなければ出ていく意図をはっきり示しましたが改善されなかったからです。

するとなんということでしょう。「勝手に異動願出すとはなんだ!」と怒鳴り声で電話がかかってきます。なんと部下思いの部長でしょうか。

やっとインターネットドキュメントソースを参照できるチームにアサインされたと思ったら、典型的ダメSES企業には典型的ダメ情シスがセットでついてきます。彼らは保身と「自分だけ」定時退社するためには何でもする、働き方改革最前線にいます

社内ネットワークをダウンさせ、全社の業務を数時間ストップさせ、社外へ出るプロキシ申請の設定を自分たちの不手際で吹き飛ばしても「社外へ接続する場合課長部長本部長の判子付きの申請書を再提出してください。」と、しっかりルールを守る姿勢を貫きます

セキュリティさらに高めるために、社内からGitHub接続禁止するという偉業を達成しました。社用携帯調査をするあの日々に戻りました。

チャットツールバージョン管理ツールを導入したくてもセキュリティを守るためにNoが帰ってきます

なんとかOSSで自前でホストさせてくれと懇願して払い出されるのはシングルコアメモリ500MBの超ハイスペックVMです。最先端をいく素晴らしい会社でした。

典型的ダメSES企業イベント

愛社精神コミュニケーションが足りない!」という理由で「せや!BBQしよう!遠足いこう!」となるところまでテンプレです。

もちろんイベント幹事は若手の仕事。なんら機密情報を含まないイベントの出欠管理も、エクセルzip暗号化して拡張子を変えてEメールパスワード別送する必要があります。徹底したセキュリティ意識の高さが素晴らしいですね。

年に一度、ホテルホールを借りて懇話会を行いますが、これはなんと休日に開催されますさらに、原則出席必須で欠席する場合理由を申し出なくてはなりません。

強制力を発揮しているので実質休日出勤命令ですが、イベントに呼んでいただいたことに感謝しなければならないのでもちろん手当などありません。

きめ細かなコミュニケーションのため、大きなイベントでなく小さな交流会も時々開催されます。ただし呼びかけるのは部長職以上、呼ばれるのは未婚の若い女社員のみです。

もちろん断ったり楽しそうな素振りを見せなかったりすると後でネチネチ言われるので、実質社員を動員しながら経費でキャバクラですね。

最後まで典型的ダメ企業は素晴らしい

最後最後まで搾り取ろうとする姿勢も見事なものです。退職二週間ほど前に有給消化に入ったのですが、「もう退職予定だからこの案件は参加できない。クラウドわかる人間必要なら案件を諦めるか他を育ててください」と明確に伝えたにもかかわらず、勝手に受注して「やってくれなきゃ困る」となぜか私のせいにしてきました。挙句の果てに私の個人携帯の連絡先を同期から聞き出して、警戒させないために自分ではなく私の同期から電話させて、電話に出たらなんとか作業をさせようとあれこれ駄々をこね始めました。有給消化中で旅行に行っていることも伝えているのに、素晴らしい仕事への意識の高さです。

今後一切関わることはないと思いますが、生まれて初めて他人に心から不幸になってほしいと思いました。

また、"エンジニアしぐさ"のひとつなのか「良い悪いじゃない」「転職手段であって目的でない」「ケースバイケース」などといってひたすら物事を相対化することがカッコイイと思っている人が界隈にはたくさんいらっしゃいますが、仔細に見れば傷の舐め合いや現実逃避ほとんどでしょう。

私はSESのすべてを知っているわけではないので、もしSESという業態が好きでたまらない、幸せでたまらないという方(もちろん搾取する側以外で)がいらっしゃったら、ぜひとも他人に噛み付くのではなくご自分でそのお気持ちをどこかにアウトプットしていただきたいです。

2018-11-30

「酒に溺れるのは仕方ない、人間みんな賢いわけではない」という意見

勝谷氏が死んだニューストップブコメがそんな感じの論評だった。自分の考えを整理したい。

酒は存在するべきではない?

これは Noだろう。たとえ酒に利がないとしても存在否定してよい理由にはならない。ゲームタバコ大麻などがそう。より強い規制不要かと言われれば一考に値するが。

また、酒を犯罪並置するべきでもない。もし並置するとすれば、ナイフ・鈍器・ハイエースといった犯罪手段だろう。そして、ナイフ存在を悪とする人がいないように酒もまた悪とするべきではない。

医療的な観点から酒の弊害が見なされる、という意味でも酒の存在否定するのは変だ。徹夜だって体に悪い。酒が肝硬変などの健康障害の主因となりうるとしても、依存しなければ直接的な健康を阻害するとまでは言えないだろう。少なくともその存在全否定できるような類のものではないはずだ。

酒が好きすぎて死んでも仕方ない?

酒が気晴らしの手段ではなく、酒自体好きな人一定数いる。そのために死んでしまうのは許容できる。酒に限らず「X を好きすぎて死んでしまう」みたいなのは愚行権範囲だろう。X には酒が入るかもしれない、冬山登山が入るかもしれない。酒自体目的であればそれで死んだのなら本望だろう。

酒が好きすぎて飲んで肝硬変になって死んで、残された家族気持ちはどうなるの?という反論はあるかもしれないけれど、それは酒のせいではなく、酒を選んだ人のせいなのだ家族を残して死ぬかもしれないというリスク承知の上で酒をのんだのだから

酒を手段とするのは仕方ない?

話は冒頭に戻る。酒を目的ではなく 気晴らしの手段として用いる機会がある。「酒でも飲まねーとやってらんねーよ」という定型句もある。なぜか人間は、酒を飲むと気晴らしになるのだ。コミュニケーション手段になるのだ。現実を逃避することができるのだ。

この世界には多くのモノで溢れている。現実逃避の手段としてゲームもあれば、スポーツもあれば、小説もある。そんな中で酒を選ぶ。

気晴らしのために飲酒を習慣にするのと、気晴らしのためにフットサルを習慣にするというのは同じ構造を持っている。ならば気晴らしのために酒を飲むことを習慣にすることはいいのだろうか?ここに私は No と主張する。酒やフットサル手段であって目的ではない。だったら他の何かでもいいはずだ。目的代替不能だが、手段代替可能であるはずだ。もしそうでないなら、それは手段ではない。であればそれは酒でなくてもよいではないか

かに手段としてたまたま酒を選んだ」と抗弁する人や、「手段として酒が選べないのはおかしい」と自由を謳う人も出てくるだろう。そして何より「酒ぐらいしか手段がないんだよ」と追い込まれている人もいよう。それでも私は、酒を手段にするなといいたい。

「酒ぐらいしか手段がないんだよ」という人は、酒がよくない手段であることは重々承知なのだろう。ならば視野もっと広く持ち色々なことにチャレンジして、酒ではない別の手段を見つけるように うながす社会であってほしい。追い詰められた人の逃げ道としてアルコール簡単に手に入るような社会であってほしくない。

酒とたばこイコールか?

私にとってタバコと酒は完全に同じような立ち位置だ:

その意味で、「酒に溺れるのは仕方ない、人間みんな賢いわけではない」という意見には、反対だ。

2018-11-29

ボヘミアン・ラプソディへの賛否腐女子の今昔

先日、こちらのブログ記事を読んだ。

http://www.ishiyuri.com/entry/2018/11/25/bohemian-rhapsody_

こちらのブログ結構好きなのだけど、この記事にはううーんと首をひねってしまった。

特に『この映画がよくないのは、それらの価値観現代視点から洗い直したり、疑義をさしはさんだりする部分がひとつもないということ。』部分だ。

この映画はフレディの伝記映画であって、少なくともスクリーンの中には存在する彼の『現実』に、疑義をさしはさむべきだろうか?

といっても私はクイーンについてはまったく知らないので、私がもやもやしたのは、私自身を投影たかである

私はもう20年以上腐女子だ。

腐女子になった理由は逃避だ。現実がしんどかった。家族がしんどかった。自分自身を愛せなかった。フィクションに救いを求めた。

かつて栗本薫中島梓の名義で『コミュニケーション不全症候群』という本を出した。1991年だ。その本の中で著者は『(自己愛の発露と解釈されることもあるが、現実には)彼女たちは自分を愛してなんかいないのだ。』といったことを書いている。その一文は私の胸を貫いた。また栗本薫が受け取ったファンレターには、彼女が描くBL小説主人公になることだけが自分の望みだ、と書かれていたという話もある。

まり誰もかれも自分自身を愛せなかった。そこには女性性の否定が強い人もいるだろうし、とにかく自身への嫌悪が強いという人もいるだろう。理由割合もそれぞれだ。ただ辿り着いた場所けが同じだ。自分自身を愛せない。別人になることで得られる愛に一時の救いを求めた。そうしなければ生きていくのは苦痛しかなかった。

……しかし、1991年には大勢腐女子賛同を集め救いとなったこの本も、例えば今ツイッターに載ったりしたら、ボコボコに叩かれるのだろうなあと思う。

今の腐女子の間では『腐女子はただの性癖だ』というのが大勢賛同を集める。ただの性癖から現実逃避だとか自己否定だとかそういう理由はないそうなのだ。実際に、そういう人が多数派なのだろうし、1991年だっていたのだろうとは思う。

思い出すのはねほりんはほりんで腐女子テーマだった時だ。BL現実逃避といった類の答えに、ツイッターでは反論が渦巻いていた。

いわく、あんなのは10年以上前偏見だそうだ。

そういわれてしまうと、いやあなた達にとっては偏見であり抑圧であっても、それが真実人間だっているんですよと言いたくなる。

話を映画に戻そう。

私はクイーンはまったく知らない。映画を見ただけだ。

からもし、クイーンメンバーがこの映画を『フレディはこんなに孤独ではなく、もっと幸せだった。この映画ゲイへの偏見に基づいた創作的悲劇だ』と批判したなら、受け取り方はまったく違っただろう。

しかメンバーはこの映画好意的だ。それはブライアン・メイツイートからも感じられる。

孤独に苦しむゲイステレオタイプ偏見だという。

現実逃避で腐女子になるのは一昔前の偏見だという。

でもそれが真実な人だっているだろう。

私がそうであるように。

私が私の人生を描いたらきっと一昔前の古臭い偏見に基づいた腐女子像といわれるのだろう。この偏見現代価値観 ─── 腐女子性癖であってそれ以上でも以下でもない ─── をさしはさんで改めて見つめるべきだといわれるのだろう。

お断りだ。

ステレオタイプ真実の人だっている。それを、そうではない幸福人間否定されたくない。

ちなみに。

私は映画を見て彼の孤独自分を重ねて泣いたけれど、エイズ可哀想だと思ったことは、そういえば、映画を見ている間、一度もなかった。

にゆく彼を可哀想だとか、そういう感情はまるでなかった。

私はただ、ライブの発する熱量に圧倒されていた。

あの映画のどこからも、泣かせるための病気だという意図を感じなかった。

私が一番見ていて辛かったのは、ソロ活動を始めた後、馬鹿騒ぎをする来客たちがいる中で、二階でフレディが一人で座っているシーンだ。

ゲイだろうがヘテロだろうが関係なく孤独になる。孤独は辛いが孤独を感じない人間は一人もいない。

それこそ、友達が全員結婚して子供もいる中で、シングルでいる腐女子だって孤独を感じるのだ。

フレディの孤独はあまりにも露わに描かれていて、私は始め、この映画批判されていると聞いたとき、てっきりスター孤独ステレオタイプに描きすぎだ、という批判なのかなと思ったくらいだ。

2018-11-26

anond:20181126210254

そういうのって現実逃避してる政党じゃん

政治理想じゃなくて薄汚い現実なのに

2018-11-25

anond:20181125055531

家庭環境、親の状況理解、現状、非常に近い。

共感するには辛すぎた。

 

そして、こうした日々に何の意味価値もないことをはっきりと知覚しながらも、さりとて刹那的にもならず、二律背反的だが、人生意味価値があると思いながら、未来を考えて前向きに生きることができるようになったと思う。ニーチェのいうところの超人というやつらしいけど、そんな上等なものではない。現代では一般的なありふれた考え方だと思う。

それは流石にないと思うぞ。

ネット見てるとそういう人が目立つけど、大半の人間は軽い現実逃避常識の中で生きている。

 

最近、あ、よくわかる、という本を発見たから、読んでみるといいぞ。

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ぼくが自殺を決行した話をする

今だからあんまり気負わずに言えるけど、当時は人生に対して切実な思いを持っていた。もちろん自殺には失敗したから今生きている。

当時、ぼくは20歳ニート生活をしており、よくわからないまま何の目的意識もないまま、とにかくこの先の人生絶望しながら生きてきていた。

ぼくはそのとき大学中退してそれなりの年月が経過していた。大学に行ったのも特に目的は無かった。働きたくないし勉強もしたくなかったが、親が金を出してくれるということで、自分人生に対して責任というものがなく、ただ言われるがままに進学をしていた。受験勉強は全くせず高校時代は家で勉強したことはなかったが、学校の授業を高校1年生から2年生まではしっかり受けていたこともあって、受験成功し、ランクは落としたが大学に進学した。それでもそこそこの国立大学には進学したので、ぼくは同級生ほとんどを見下していたように思う。

大学に入ったときは「遊びまくれる」という意識があって、いままでの家庭内での抑圧が弾けるかのようにぼくは遊び回った。当時隆盛していたモバゲーやらGREEやらでメンヘラ漁りをしたり、ネトゲにハマったりPCゲームにハマったり映画を見たり、一般的パラサイト大学生として過ごしていた。大学ははじめのころは新鮮でおもしろいと思って通っていたが、慣れてくると結局勉強をしなければいけないことに気づきだんだん卒業後の現実が見え始め、やる気がなくなった。勉強をしてなんになると思い始めて学校に行く頻度が落ちた。卒業して働くということに絶望を感じていた。就活というもの意味がわからなかった。

「少なくとも残り38年、あるいはそれ以上、奴隷として働かなければいけない」という絶望感があった。ぼくはそこまでして生きたいと思っていなかった。好んで死にたいわけではなかったが、人生目的が本当に何もなかった。ただ言われるがまま、子ども学校に行くもんだという指令のもとに生きていた。こうした呪縛から解き放たれて自由を得た代わりに、選択肢が何もないように感じていた。「働いて、生きて、それでその後は?」「何十年も生きて、それでその後は?」「生きていれば楽しいこともあるだろう。それでその後は?」「たとえば何かしら名声を得るとして、それでその結果何が得られるのか?」という風に感じていた。すべての物事人生最後にどう意義深くなるのかを考えていた。こういう考え方は、防衛機制の知性化というらしい。

ひとまず2年生に進級した。必修単位だけはなんとか落とさなかったが、そのほかの単位ものすごく落としていた。状況は何も変わっておらず、相変わらず特におもしろいとは感じないながらも、まだおもしろさが比較的マシなゲームや女遊びに没頭していた。しか現実逃避に過ぎないと考えてぼくは自殺を考え始めた。「死」が選択肢に入ってくると、おもしろいほど転がり落ちるのが早い。ただの堕落した大学から、終わり始めていった。

ふつう人間は、何か行動を選択するときに「死ぬ」という考えは浮かばない。「おなかすいたかコンビニに行こうかな。めんどくさいな。まぁ食わなきゃ死ぬしいいか」というふうにはならない。どんな選択でも死ぬことが関わってくる。死神に呪われているがごとく。「窓が汚れてるなぁ。窓ガラスに首を突っ込んだら死ぬだろうか」「料理はめんどくさいな。包丁を刺すのは痛いだろうなあ」と、だんだん普通の行動を取れなくなる。完全に何かしらの病気なのだが、金がないし「この状況が薬で改善されるとは思わない」と思っていた。

当たり前だが大学には行かなくなった。大学をやめてバイトだけやろうと考えた。当たり前だがうまくいくはずもない。そもそも働きたくないのだから、すぐにバイトにも行かなくなった。身分学生なだけの人間に成り下がった。ぼくは大学も行かず、バイトで貯まっていた20万円を使って、「起きる→ゲームする→眠くなると寝る→腹が減ったとき、朝や昼なら近くのスーパーに行き、夜なら近くのコンビニへ行く」という生活をしていた。ゴミは出たらそのまま放置し、いよいよ虫が出てきたときゴミ捨てをするという、現実逃避以外の何物でもない生活をしていた。

何度も「餓死しようかな」と考えて飯を抜いては「限界。無理」と考えてがっつり食べたりしていた。「3日食べない」「たくさん食う」「2日食べない」「たくさん食う」の繰り返しをしていた。この食べるという行為けが幸福だった。コンビニの同じような弁当ばかり食べていたが、ただただ「うまい」と感じていた。脱水症状手前の状態から飲むポカリは格別だった。体全体が食物を欲している中で食べるハンバーグは絶品だった。ある種中毒になっていたのだと思う。

そうした生活によって金が尽きる前に、母親が迎えに来た。ぼくが携帯電話の電源を切っていたので心配になって見に来たということだった。ぼくは「失敗した」と思うと同時にそれを拒絶した。「現実がやってきた」というふうに感じていた。未来への思考をしないようにしていたところに現実を考えなければいけないトリガーが出た。死を保留することがもうできなくなったと考えて、ぼくはすぐさま死ぬことを考えた。急いで財布だけ掴んで家を飛び出し、ネカフェに3日ほど滞在したあと、富士山樹海で首を吊るのがいいんじゃないかということで、なけなしの金をはたいてぼくは中央線に乗り込み、最後の晩餐として、いくらかの酒やお菓子食べ物ビニール紐と睡眠導入剤を買い込んで、残金がほぼないような状態で、河口湖駅へついた。そこからバス民宿方面へ向かった。民宿の予約はしていない。

ついたのは夜だった。ぼくは民宿の前の道路から少し離れたところで樹海に入った。樹海は街とは比べ物にならないほど暗く、岩は月あかりのせいか血のように光っていた。懐中電灯などというものは持ってきていない。飛び出したおかげか携帯電話も持ってきていなかったので、でたらめに移動した。引き返すつもりもなかったので、財布の中に入っていたお札や小銭を取り出して、破いて樹海の中にばらまいた。そうして移動した。怖くはあったが「動物に襲われたくない」という怖さだった。死にたいが痛いのは嫌だったからだ。樹海は暗すぎて木に紐を結びつけることができなかったので、一夜を明かさざるを得なかった。当時は雪が降る時期で、異常に寒くまともに眠れなかった。「寝たら凍死できればいいのに」「寝たら死んでいますように」と考えていて、必死で寝ようとしては起きてという繰り返して、朝を迎えた。何時だったのかは全くわからない。薄明かりで木に紐をくくりつけられるぐらいになった。

ビニール紐というのは何度も巻き付けて首に巻くとものすごく痛い。そもそも数秒耐えることもできない。睡眠導入剤や酒など飲んだが何の効果もない。意識はかなり明瞭で「死ぬ」という恐怖心と戦わなければいけなかった。「死ぬ。これから死ぬ。なぜ死ぬのか。そもそも死ぬ必要があるのか。これで本当に死ねるのか。考え直した方がいいのではないか。死ななくてもいい方法があるのではないか」と考えた。痛いし寒いし死のうという決意も薄いしで、結局ぼくは死ぬことを諦めた。

朝を迎えた樹海景色が綺麗だった。樹海の中にある道を探すと、あっけなく道が見つかった。その道をまっすぐ進むとすぐ道路にたどりついた。全然道路から離れていなかったらしい。

道路に出て、ぼくは適当に歩き始めた。明らかに変なところを歩いているのに誰も話しかけることはない。それはそれでよかった。変に話しかけられても困るだけだった。道路をまっすぐ進むと甲府方面看板が出てさらにまっすぐ進むと、幸運なことにお店があって、横に公衆電話があった。あとで調べると12kmほど歩いていたらしい。何のためらいもなく110番をする。「自殺に失敗したんですけど」といって、ぼくはいろいろあって実家に帰ることになった。おまわりさんには「いろいろ人生つらいこともあるけど死ぬのはダメだよ」みたいなことを言われてぼくはひととおり泣いていた。ただ、そんな言葉で心変わりするぐらいならここまで悩んでいない。泣いて「ちゃんとした方がいい」と思ったのはほんの数瞬だった。

実家に戻ってまず思ったことは「状況が何ひとつとして良くなっていない」という絶望感がただそこにあるだけだった。死の保留が再びできて安堵していただけだった。当時の家庭環境もよくなかった。父母の仲はぼくが家を出たあとでいっそう最悪になったらしく、父は仕事に没頭しており、そもそも母と情報共有できていなかったので、ぼくが樹海に行ったことを知らないようだった。今も知らないだろう。ぼくも積極的に言うこともなかった。「自殺を図った」という言葉の上っ面では、他者にそこに至った経緯など伝わるはずもなく、その理由理解され難かった。

ぼくはそのまま自堕落生活を送った。

堕落生活で、ぼくはひたすらネット動画を見ていた。「動画を見る・起きる・夜目覚めて冷蔵庫にあるものを漁って食う・眠くなったら寝る」というクズ生活を送っていた。その一般的クズニート状態のまま1年がたって、当時の「死ぬことの怖さ」みたいな思いが風化して、ぼくは再び死ぬことに決めた。「親に迷惑をかけている」とは思っていなかった。「今まで虐待みたいなことを散々してきて育ったのだから当然の報いだろう」と思っていた。申し訳無さではなくて、この先どうすればいいのかを延々と考えていた。未来がない。「奴隷か・死ぬか」という二分的な思考の中で揺れ動いていた。いま思えば思考があまりに先鋭化しすぎているが、周りの環境がそう簡単に変わるわけでもない。むしろぼくの存在によって周りの環境がぼくの闇に引きずり込まれるように悪化し始めた。

死ねなかったのは、前回のプランが悪かったのだ」「そもそもプランをたてる暇がなかったのだ」と考えるようになっていた。「そもそもビニール紐で死ねるわけがないではないか」などと思って事前調査することにした。実際にはビニール紐ではダメで、ロープが良いのである死ぬというのは勇気というか、一大決心がいるものであるが、準備ができていないと死ぬことはできない。感情的であればあるほどめちゃくちゃなことができるが、めちゃくちゃゆえに準備不足で失敗することもある。ぼくの場合死にたい!!」という一撃の思いではなくて、ずっと心にためていた漫然とした「このまま生きていたくない」という学習無力感だったので、痛い思いもしたくなかった。

着々と準備を進めてぼくはやっぱり首吊りをすることにした。何度も首吊り選択している理由がわからいかもしれないが、首吊りリーズナブル苦痛が少ないという合理性からだ。ただし実際には苦痛は他の死に方と比べて少ないというだけで、ものすごくあることもあるし、一般的生き方での「痛い」と比べるべきものではない。基本的にはほぼすべての死に方について、死ぬほど痛い。幸運にも苦痛なく死ぬことができる人もいるはずだけど、最悪の場合永遠に苦痛を味わいながら生きることになる。

ともかく、ぼくはロープを買い、痛くないようにハンカチなども買って準備を万全にした。睡眠導入剤や酒も以前と同じく買った。

夜、ぼくは家を飛び出して近くの山に向かった。田舎だったので山には困らなかった。白昼堂々山に入って通報されたらたまったものではない。夜に行動するのは基本だった。

樹海ときと同じように外で寝た。犬の鳴き声が聞こえて不安を煽られたが、地元ということもあったのかそれはそこまで気にならなかった。今回は夏で、じゃっかんの肌寒さしかなかった。準備は万全で、今回は変に目が覚めることはなく、いったいどういう神経をしているのか、熟睡できた。

明け方ロープを準備した。ネットで調べてきたとおりにハングマンノットという結び方で、枝に結んだ。ぼくは最後の晩餐だとして、買い込んできたご飯を食べた。睡眠導入剤をすべて飲んで水やお茶を飲み、酒を飲みまくり最後ファミリーマートで買ったエクレアを食べた。食べ終わると猛烈な不安が込み上げてきた。「死ぬのか」という感情が心をとにかく揺さぶった。

ぼくは木に登った。木に登って、太い枝に立ち、丸く結んだロープ首にかけ「ジャンプすれば死ぬ」というところまで準備した。猛烈な恐怖が体を襲った。ぶるぶる震える。ジャンプする。ジャンプしさえすれば死ねる。足はとにかくすくむ。今でも怖いと思う。思い出すだけで恐怖心が現れる。

それで、どうやったかよくわからないけど、ぼくは自殺を決行した。枝からジャンプした。

しばらくするとぼくは暗闇の中にいた。そこにはものすごい多幸感があった。眠りから覚める以上の幸せがあった。何かの扉が見えて、眼の前には光があった。あとで「この世に生まれてくる」とはああいうことかというように表現できるたぐいのものだった。ぼくは目を覚ました。ぼくは何をしているんだろう。ここはどういう世界なんだろうか。不可思議感覚だった。

次の瞬間、全身に激痛が走る。人生で生きてきた中で最も痛い激痛だった。ぼくは理解した。死のうとしていたのだった。ぼくは痛さで発狂していた。ぼくは痛いのをなんとかしたいという一心で、自動的ロープから必死に首を脱出させようと試みた。痛い。とにかく脱出しなければ。痛い。ロープから首を。痛いの嫌だ。ロープに手でぶら下がれば首は締まらない。痛さが軽減した。

ぼくはロープから首を出してそのまま枝から落ちた。体がドスッと地面に落ちたがそんなことはどうでもよく、首が熱を持っていた。喉がひたすら痛かった。それどころか頭まで痛かった。どれくらいそこにいたかからなかったが、ぼくは死ねないことに深い辛さを感じていた。鋭い痛みと「死ぬことはできないのだ」という選択肢がなくなったことでぼくはずっと泣いていた。

この経験以来、ぼくは「あのとき実はすでに死んでいて、今も実は死んでいるんじゃないか」という感覚がある。いつかあるとき、今生きていることは夢だということで目が覚めて、あの飛び込んだときに戻るのではないかという感覚がわけもしれずある。当時の体験2chの関連スレにそっと書いていたが、あまりまれることもなくひっそりとスレの中に埋もれていった。基本的にみんな他人には興味が無いのだ。

どのくらいそうしていたか覚えてないが、ぼくは家に帰った。太陽はもう高くあがっていた。どのくらいぼくは首を吊っていたのか全く判然としない。数秒だったのか数時間だったのかわからない。現実的におそらく長くても十分も経っていなかったのではないかと思うが。家につくと母はぼくの首の痣にびっくりしていた。とにかくぼくは生きる選択肢を選んだ。痣は1ヶ月ほど消えなかった。

その後お寺に連れて行かれてカウンセリングを受けた。なぜお寺なのかは理解できなかったが、言われるがままについていった。自分でもカウンセリング必要だと感じていたからだ。話を聞いてて思ったのは「ありきたりな話の集合のくそくらえ」ということで、ぼくが考えていたのは「こいつは使い物にならねえ」ということと、今後の指針だった。幸いにもカウンセラーの口がそこまで達者ではなかったので、ぼくが宗教にハマることはなかった。精神的にだいぶ弱ってはいたが、ぼくが欲していたのは「現実的に機能する今後の指針」であって、よくわからんスピリチュアル的なものではなかった。ましてや自殺決行後の人に、死のうか悩んでいる人向けのカウンセリングをしたところで何の効果もないだろうと、ことここに至ってもまだ人を見下していた。逆にぼくではなく、母がスピリチュアルに頼るような人種になっていた。

自分正当化するようだが、母も別に聖人君子ではない。こうなるまでぼくは小さい頃、虐待とともに生きてきた。第三者から見ればただぼくが悪魔のように見えて、切り捨てたい汚物のようだと思うだろうが。ぼくは今になってようやく、母も祖母祖父からめちゃくちゃな教育を受け、育児嫁姑問題や父との不仲、父のめちゃくちゃさ等でストレスがたまっていたということを理解して客観的に見ることができるようになった。いわゆる毒親というやつだろう。今は遠く離れて住んでいるため、適切な距離を保てていると思う。

まぁそれは置いておき、死ぬという選択肢が消えたことで、ぼくは図書館にいって本をただ読んだり、ぐだぐだと生きていた。結局保留する癖は死ぬ目に遭っても治っておらず、相変わらず親同士は喧嘩が絶えない状態だった。ぼくはとにかくグダグダとしていた。前よりは安穏としているものの、結果的にそんなに状況が好転していないのだった。

そこで東日本大震災が起こった。ずっとテレビを見ていて思ったのは「いとも簡単に人がたくさん死ぬ」ということだった。

ぼくがずっと考えていたことは自然にとってはありふれたことで、一生懸命自分人生を生きてきた一人の人間が、人生を無理矢理終了させられ、大して深い意味もなく死んでいくという「人間ゴミのように死んでいく」光景が新鮮だった。可哀想などと思う人間気持ちを持つ余裕はまだ無かった。失礼な話だが、人が一人死ぬのを見るたび希望が湧きあがってきた。震災はぼくの死生観に強い影響を及ぼした。「人間が生きる意味などない」というのをかなりポジティブに感じた。

「そんなに簡単意味もなく死ぬなら深く考えるのはバカバカしい」と考えた。文字通り死ぬほど悩んだ結果、ありふれた結論に達するという虚無感に、絶望ではなくて乾いた笑いが出た。「死ぬことについて死ぬほど深く考えた結果、死ぬほど深く考えるのはバカ」という結論に達した人はそうそういないだろう。つまり思考停止なのだが、死に関しては思考停止するのが「生きる上で正しい」のだった。

よくよく考えれば奴隷にならない道もあるはずだと思って、ぼくは震災から数週間経つと、金もないのに家を飛び出して都会に出た。都会に出たあとは、世間知らずと社会不適合者が混ざった状態で、その後もまぁ紆余曲折あったのだが、今は生活好転し、ふつう人間のようにして日々を暮らしている。

いま、ぼくは当時を懐かしい思い出として、あるいはいささかの教訓を含む昔話として扱うことができるようになった。

そして、こうした日々に何の意味価値もないことをはっきりと知覚しながらも、さりとて刹那的にもならず、二律背反的だが、人生意味価値があると思いながら、未来を考えて前向きに生きることができるようになったと思う。ニーチェのいうところの超人というやつらしいけど、そんな上等なものではない。現代では一般的なありふれた考え方だと思う。

まぁ、自殺の決行がなんだとかって話だけど、何かの参考程度に受け止めてもらえれば嬉しいと思っています

追記

長すぎて最後の方の行が弾かれたのでこちらに書きました。

https://anond.hatelabo.jp/20181126040934

2018-11-01

anond:20181101095550

世間的にみて、オタクが受け入れられてるないって

君本気で思ってるの・・・?だとしたら相当世間知らずだよ(;´・ω・)

>なんで元増田は、姪が心配って日記を立てたんだよwwネットで調べれば「きもい男」の象徴としていくらでも出てくるよ?(´;ω;`)

キモい男」と思った自分偏見他人が共有してると錯覚した愚か者から日記を建てたんだよ?(´;ω;`)

現実逃避はやめようね

君がヘイター否定しないことから

君を、「他人貶めることしか興味ない」認定することはできるだよなぁ

ヘイターってことが、「他人貶めることしか興味ない」奴のことだからさぁ

anond:20181101094533

世間的にみて、萌え豚が受け入れられてるって

君本気で思ってるの・・・?だとしたら相当気持ち悪いよ(;´・ω・)

世間から趣味の一つとして何とも思われてないよ!(^^)!

ないないwww何とも思われてないなら

なんで元増田は、姪が心配って日記を立てたんだよww

ネットで調べれば「きもい男」の象徴としていくらでも出てくるよ?(´;ω;`)

現実逃避はやめようね

君が萌え豚否定しないことから

君を萌え豚認定することはできるけど

ヘイター否定しないってことが、「他人貶めることしか興味ない」

ってことに繋がることはないよね(;´・ω・)必死すぎて文章構成も考えられなくなっちゃった

いつまで琴葉と種田梨沙を同一視するのか?

誰がどんなに取り繕ったとしても結局今年のミリシタにおける琴葉に対する扱いはイコール種田梨沙に対するケアしかないし「優遇」という言葉以外で表す術はない。

いつまで引っ張るんだ?そのネタ

いつまで琴葉の存在を貶めれば気が済む?

乞食パフォーマンスも大概にしてくれ

TBは以前から予定されていたからともかくとして、合流していきなりイベント上位報酬しかセンター曲、それに加えてミリシタ一周年イベントでは合流して半年も経ってないのにセンター名実共にミリシタの顔である。これが優遇でなくてなんだというのか。

所詮声優第一田中琴葉というキャラクターなど声優種田梨沙ステージに立つ口実でしかなかったということだ、最初から

田中琴葉担当種田梨沙推しであり、それ以上もそれ以下もない、ミリオンライブにおいて声優キャラクター一心同体であり、声優のために生活を削ってでもお金をつぎ込むことが正義なのであり、キャラクターいくら好きになろうと声優が好きになれないやつは担当を名乗る資格なんてないという事だ。なんて素晴らしいんだろう、これが声豚に媚びた2次元コンテンツの末路だ。

そもそも種田梨沙活動休止になってからというものの、ミリオンライブおよびアイドルマスター運営サイドがとってきた行動、してきた発言、その全てが声優種田梨沙を守るためでしかなく、田中琴葉というキャラクターに対する扱いはおまけ程度のものだった。

その結果が4thの演出、その後の辻褄合わせ及び復帰後のゴリ押しだ。

何度でも言う、田中琴葉という765プロライブシアターの一人のアイドルを守るためなら声優とは切り離してでも最低限の演出をすべきだった。

4thライブであの演出をしたならミリシタにモーションの実装をする事くらい余裕だったはずだ。

声なんていらない、シアターに琴葉がいるという事実だけでも最初から示すべきだった。それをしておけば「優遇」と言われる事などなかった。今日までの演出の全てに意味があった。

結局のところ運営自身が「ミリオンライブの最大のセールスポイント声優、それ以外は別に大した事ありません。」という意思表示をしてしまっている。

それを知ったか知らずか大半の自称P実態声豚のキモオタどもが「ありがとうありがとう」と囃し立てているだけだ。

多くのキモオタは「コンテンツ文句がある奴は黙って去る。こうした人の目につく場所文句垂れるのは炎上目当てのにわか」と現実逃避のもの戯言をほざく。

まさに気に入らないものを「外圧」と言って封殺しようとする某FGOキッズと同じ、いやそれ以下だ。

この2年間における田中琴葉という「アイドル」に対する仕打ち、そして昨今の掌返し悲劇のヒロイン扱いという公開レイプにも等しい現状を見てもなおミリオンライブを、アイドルマスターを支持して金を落とすのであれば、そんな奴こそ「プロデューサー」として恥だと私は思う。

納得行かないなら声をあげるのが当たり前だろう?自分担当アイドル存在ぞんざいに扱われて声も上げず、ちょろっとお涙頂戴演出した程度でブヒブヒ嗚咽漏らしながら「ありがとうミリオンライブ」なんて、ちゃんちゃらおかしい。

お前らは種田梨沙ならなんだっていいんだろ?別に琴葉じゃなくたっていいんだろ?

種田梨沙ステージ上がるからP名乗ってるだけだろ?

お願いだからどっか他所に行ってくれ、二度とアイマスP名乗らないでくれ

CV.種田梨沙なんて探せばいくらでもいる、どこにでもいるだろ最近

アイマスたからないで

お前らみたいな奴がいるかアイマスおかしくなったんだ。

お前らがアイマスおかしくしたんだ。

来年ツアー後にアニメ化されようが何しようがもうこのコンテンツは沈む一方だろう、もともと盛り上がりもクソもなかったところを声優の力で無理矢理鼓舞して今一瞬舞い上がっただけだ。

せいぜい一緒に沈んでくれ。

アイマス音ゲーシリーズ初、最速のサービス終了を記録してまたメソメソ泣きながら「ありがとう」と喚き散らせばいい。

ASの後輩なんて罪深いポジションをもらっておきながら哀れなものよ。

ミリシタなんて余計な事しないで琴葉と、グリマスと一緒に消えていればよかったんだ。

2018-10-27

日本人現実逃避できていない理由

1945年日本第2次世界大戦敗戦国になった。

戦後日本は、戦勝国アメリカ統治されており、在日米軍・日米合同委員会によって管理されている。

国連でも、日本はいまだに敵国条項対象日本戦勝国と対等ではなく、下に置かれている。

首相憲法を変えた程度では、日本独立国地位回復することはできない。(外国軍隊駐屯して、日本人を監視管理したまま)

戦後の宣撫工作で、戦勝国アメリカロシア中国イギリスフランス)に歯向かわないように、日本人は教育洗脳)されている。

インターネット上のスピン情報操作)に惑わされず、歴史勉強して、日本人の悲惨現実貧困層の拡大など)を直視しよう。

 

では何故機能していないのか?政府機能させる気がないかである

では何故させる気がないのか?その方が支持が高まる、もしくは何もしなくても影響がないかである

では何故そのような政府が支持されるのか?国民バカから特に選挙に行かない奴。

自分で首絞めてるのに気付かない国民バカの国は苦しんで滅びる。

労働者およびその家族・友人は選挙に行け。そして自民公明を倒せ。

2018-10-24

anond:20181024130257

オタク現実から目を逸らしたいなら

ただ目を閉じて現実逃避すればいいのに

なぜわざわざフィクションに触れたりするのだろうね?

余計辛くなりそうな気がするけど

2018-10-18

留年内定取消大学9月卒業NNTからの、やっと就職先が決まった現在

両親に会ったり働いてる人を見たりするたびに感じてた後ろめたい気持ち自分底辺だって感覚も本当にしんどかった

留年勉強しなかった・余分に単位取らなかった自分のせい、長いNNTはしばらく現実逃避してろくに就活しなかった自分のせい

というのは前提だけど、やっぱり一度挫けた人間社会は厳しいなと痛感する日々だった

NNTでなかなか就活に取り組むモチベーションがない、というか向き合うのが辛い他の子たちの気持ち痛いほどわかる

みんなの苦しみが早く明ければいいのに

なんてそんなに周りのことを考えていられるほど余裕があるわけじゃないんだけどね

不安ばっかりだけど、同い年のひとたちに追いつかなきゃ

2018-10-16

気持ちふわふわしていた

まるで恋してるかのような感じでもあり

でもそれは現実逃避でもあり。

今日現実を突き付かされた事があり

一瞬にしてふわふわ感に重力がかかった。

そこでやっと気付かされる。

自分には不必要感情だったと。

勘違いぷりを発揮していたことに恥ずかしく

思うが、後悔はしていない。

ポジティブというなの上書きをしたから。

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