はてなキーワード: 編集部とは
昨日コミティアがあってさ、友人は初参加で自分は10回目くらい。
友人は恥ずかしいのもあって特にSNSで宣伝もしてなかった。自分はもっとたくさんの人に見てもらいたいからSNSで何回も宣伝した。
自分はこんなにSNSで宣伝してやっと20部ちょっと。初参加なんて一部しか売れなかった。
フォロワーの数がすべてではないと思っているが、俺にはフォロワーが数千いて、その中でわざわざ買ってくれる人が20人ちょっと。SNSで宣伝して相互がお付き合いで買ってくれるみたいなこともあるので、作品の内容だけに惚れて買ってくれた人は片手くらいしかいない。5人いたらいいくらいだろう。
友人は現地で惚れてくれた人が10人もいた。それだけ素晴らしかったんだろう。
それと同時に自分は何だったんだろうと思うようになってしまった。
いつも試行錯誤して、勉強して、どうやったら売れるか考えても、何となく参加した友人に抜かれている。
友人のことをバカにしているわけじゃない。あいつは何百ページも書いていた。映画もたくさん見て、講座も受けて、批評までできちまう。
でも俺だって頑張って何本も短編を書いているけど売れる部数はいつもこのくらいだ。たくさんの講座や作品を見ているのにいつも売れる部数はだいだいこのくらいだ。出張マンガ編集部に行って悪いところを改善し、また改めて見てもらって伸ばしていっているはずなのに、売れる部数は変わらない。
何千、いやもう何百万となる絵を描いてきても友人には勝てなかったということだ。
俺の時間はいったい何だったんだろう。この何十年という積み重ねは、無意味だったのかなと思ってしまう。
俺の作品を買ってくれた方には申し訳ない。感想をくれた方にはもっと申し訳ない。こんなネガティブな感情になってしまって。買ってくれたのに。でも、こんな親友とまで思っていた友人があっさり抜かしてくると、何とも言えない。涙が出てくるんだ。だからこの日記を書いている。
友人に負けたとか思う自分も嫌だ。友人はすごいのに、自分には見えない努力をしていたんだろう。わかっているのに、それを妬んでいるのが嫌だ。
漫画のネームって実際は絵コンテとか下書きと呼ぶ方がふさわしいよなと常々思う
なぜネームと呼ぶんだ
とりあえずwikipedia見るか……
語源は英単語「name」の「指定する」と言う意味で、写植の書体やQ数を指定するために、台詞を事前に抜き出しておく必要があったところから。つまり、個々の台詞に対して書体やQ数の指定をする作業が本来の「ネーム」であり、そこから台詞そのものをネームと呼ぶようになり、ネーム作業の効率化のために事前に用意するようになったコマ割りしたものにラフな構図や台詞だけを描いたものまでもがネームと呼ばれるようになっていったのである。[要出典]
[要出典]か……
マンガの「ネーム」はいつから描くようになったのか? - Togetter [トゥギャッター]
先人のまとめがあった
1969年頃、「若草」で知り合った年上の漫画家志望者たち(担当さん付いてる)は、いつも編集部にネームを持って行ってました。当時の少女雑誌編集部はどこもそうだったかと。私は70年(中学生です)に別マ編集長に「次はネームで持ってきて」と言われました。
『石ノ森章太郎のマンガ家入門』(1965年)にもストーリーマンガを描く準備として、プロット→シノプシス→コンストラクションときて、コンテ(今でいうネームに相当)を作りましょうと書かれてますね。「物語の細部をかきこみ、コマわりまで完全にしましょう」「めんどうなようですが、この段どりが、もっとも重要なのです」
昔だとやっぱりコンテって呼ぶケースもあったんだな
用例として信頼できそうなのはここらへんか
本来のネームである「個々の台詞に対して書体やQ数の指定をする作業」は今もやっているのかな
詳しくない
死んだ概念かもしれない
複数人で分担するからこそ指定する必要があり、ひとりで作業が完結するならネーム(真)指定は必要ない
デザイナーとかが活躍する業界の仕事とか業務の流れを全くイメージできない 門外漢すぎる
生きている概念だとしてもネームとはもう呼ばないのかもしれないな
こういう「よく考えると何故そう呼んでいるかわけわからん名前」の語源を調べるの大好き
second(秒)とか なんで2ndが時間の単位やねん、みたいな
おわり 日記
去年だったよね?
恋愛リアリティショー編のアニメ化で木村花さんのお母さんが苦言を呈していたのって
あのあとくらいから急にストーリー締めるような感じに持っていってたし、そこら辺からやる気無くなっていたのかな?って読んでて思った。
実際それが無ければ芸能界裏話みたいなのをネタに続けようとしていたのかな?
ただ読者として思うのは、そもそもアイがストーカーに殺されるとかリアリティ番組で出演者が追い込まれるとか原作者と映像化で確執がおきるとか実際に事件になってるのを題材にしてたんだから、それ相応の覚悟で作者も編集部も描いてるのかと思ったら全然そんな事は無かったっぽいな〜って思った。
2024年4-6月期 雑誌印刷部数を分析する | 広報・PR支援の株式会社ガーオン
https://gaaaon.jp/blog/2024_4-6mediadata#66b98424362a712259f5c021-1723449543860
コロナ禍で息を吹き返したかのように見えた女性ティーンズ(アイドル)誌のMyojoですが、85,000部減の156,667部となり、ここにきてコロナ前よりも悪化してしまったようです。
【2019年】
10代 | 20代 | 30代 | 40代 |
16600 | 6100 | 3500 | 3300 |
【2023年】
10代 | 20代 | 30代 | 40代 |
9500 | 4900 | 3800 | 3800 |
🍵
@KEbab_3tuR
コロナ禍 9万台後半、コロナ明け 7万弱、2023年1~3月と4~6月だけ特需的に8万9万台で、その後7万弱
duet
雑誌「ポポロ」が休刊、32年の歴史に終止符(コメントあり) - ナタリー
https://natalie.mu/music/news/583203
「ポポロ」編集部は、X(Twitter)アカウントを通じてコメントを発表。突然の発表となったことを謝罪しつつ、「1992年の創刊以来、32年以上もの間、絶大なご支援を頂きましたことを、この場を借りまして厚く御礼申し上げます」「長年ご愛読いただき、誠にありがとうございました」と感謝の言葉をつづっている。なお休刊の理由については「諸般の事情」と記されている。
麻布台出版社が刊行する「ポポロ」は、1992年に創刊された月刊誌。STARTO ENTERTAINMENT(旧ジャニーズ事務所)所属のタレントを中心に、人気俳優らが誌面でフィーチャーされていた。最終号の表紙は森本慎太郎(SixTONES)、宮舘涼太(Snow Man)、なにわ男子、Travis Japan、Aぇ! groupらが飾っている。
この前実話BUNKAタブーで見た
実話BUNKAタブー編集部@BUNKA_taboo
「岸田は財務省の犬」「少子化・物価上昇は財務省のせい」財務省が諸悪の根源と信じている奴は全員バカ。世の中には多くの陰謀論があふれ返っているが、あらゆることを財務省のせいにしたがる「財務省陰謀論」もそのひとつだ。バカの頭の構造はどうなっているのか。【実話BUNKA超タブー8月号掲載】
https://x.com/BUNKA_taboo/status/1544324103469137920
「全部竹中平蔵が悪い」と言う人、「全部財務省が悪い」と言う人、「全部自民党が悪い」と言う人、「全部民主党が悪い」と言う人、「全部アメリカが悪い」と言う人、「全部電通が悪い」と言う人、「全部男が悪い」と言う人などなど、皆似た者同士なので、もっと仲良くできるのではないでしょうか。
漫画誌で10選するのは下火になったが、少女漫画について語られてるの少ないな…→じゃあ書いたるわ、一時期定期購読してた別マについてなら書けるかもしれん、で筆を取った。
一人一作品縛りを採用しようと思ったんだけど後述の通り原作枠で分裂してる人がいる。河原和音先生は本当にすごい
先に表明すると20代女視点なので昔の作品に対する知識が乏しい。おすすめの名作少女漫画教えてほしいという動機込みでこれを書いている。
フォロワー(後世への影響度)重視というより単に(世代毎比の)売上知名度重視のピックアップ寄り。少女漫画の性質上映像化されたかどうかも加点ポイントにしてて、純粋な漫画評とは異なるかも。
前提終わり
繊細で美麗な作画とフィギュアスケートという題材の相乗効果で、とにかく画面を楽しめる作品という印象。
人知れず練習を積み重ねてきた少女・亜季実は天才で〜、年上大学生の黒川に見初められて〜、あたりの要素だけ拾うと今でいうなろう的な、少女の夢詰めました!感満載ではあるのだが、スケートを父に強制される形で練習を重ねて生きてきたことで親との関係に悩んだり、その後黒川に依存してスランプになったり、っていう展開の厳しさが物語に説得力を与えている。
自分を見つめて頑張んなさい!っていうメッセージ性も感じられる名作。
忍者の末裔で野生児なカバ丸が、死んだ祖父の縁で学園に入学することになり人間化学反応が生まれるラブコメディ。
往年の少女漫画=必ず女主役って解像度の人いるけど、全然男主人公もあるよ!とこれを差し出したい。
カバ丸の行動理念が飯!焼きそば!女子!なアホな子なので単純で可愛い。こう書くとデンジとかとも繋がるな
ヒロイン・麻衣の可愛らしさはもちろん、蘭ばあちゃん(保護者枠)や沈寝(イケメンライバル枠)たちも最早ヒロインだなと思える愛嬌に溢れた作品。
シンママの下で育つ14歳の少女・和希と暴走族所属の少年・ハルヤマの幼い愛を描いた話。とにかく漫画の雰囲気作りが唯一無二な作品。
ローティーンの不安定さと、80年代の漠然と退廃した空気感が表現されてる……のか?80年代を生きていないのでわからん
紡木たく先生の特徴として、とにかくモノローグが多い。少女漫画はここぞ!という時にポエムがちだが、ホットロードはパラパラと無愛想な短文でのモノローグが多く、独特の雰囲気が出てる。ある種女子のための厨二病漫画とも言える。現代で描くとするならトー横立ちんぼガールとコンカフェ闇バイターのカップルとかになるんかな?嫌かも…てかそれって明日カノかも…
次作の『瞬きもせず』の方が好きって人も多そう。
『愛してナイト(1981-1984)』の時点で大ヒットだったが、更なる大ヒット作。
ポンコツドジ、ただひたすらに前向きな女子高生・琴子が、すげなく失恋した容姿端麗成績優秀男子・入江直樹と一つ屋根の下で暮らすことになるところから始まる王道ラブコメディ。
デコボコ喧嘩カップル、大抵の女子が好きだよね。琴子の玉の輿物語であり、スーパーパーフェクトひねくれボーイ入江くんのメンケア物語でもある。
スタート時点で同居から始まるため、それぞれの進学・キャリア・そして結婚生活についてが描かれている。ここら辺の時代までが「女の幸せは結婚」の境目だろうか。
惜しむらくは連載中に多田かおる先生が38歳の若さで亡くなってしまったこと。漫画家、寝てくれ…… アニメによって完結はしている。
ドラマ化・アニメ化済み。ドラマに台湾版・韓国版・タイ版まであるのがすごい。
女子の割に身長の高いリサと、男子の割に身長の低い大谷のラブコメディ。
メイン二人が明るい性格なので、終始和気藹々としたテンションを楽しめる。関西弁が可愛い。
案外、気の合う二人(友達・名コンビ)からカップルへ…ってタイプの少女漫画って少ないかもしれん
身長という普遍的なコンプレックスを取り扱いつつ、大谷を「小さくてもかっこいい!」と読者に思わせられる、等身大なキュンを入れ込む技術。
言わずと知れた別冊マーガレットの代表作。紙電子累計3600万部と、別マで一番売れた漫画。
周囲から貞子と呼ばれ遠巻きにされていたヒロイン・爽子と誰からも好かれる好青年・風早くんの交流を描く、いわゆる"格差恋愛"もののエポックメイキング。少女漫画でヒロインがこういった形のマイナススタートさせられてる作品はこれが初出なんじゃないだろうか。
とはいえ爽子は、コミュニケーションが不得手な日本人形チックビジュアルがある種のマイナスとして描かれているものの、純情・真面目・勤勉・家庭的と愛され要素抜群の超オーソドックスヒロインでもある。
爽子↔︎風早間だけでなく、友人枠の矢野・千鶴との関係、ライバル枠(のちに親友に昇格)のくるみとの関係等、タイトルの通り相手に自分の気持ちを届けることの大切さ・もどかしさが丁寧丁寧丁寧に描かれている。メイン格が真っ当なので「娘に読ませたい少女漫画」的な思惑での人気が高いように感じた。公民館とか図書館の漫画コーナーとかにも入ってる率高い。
ただあまりの人気ぶりに、カップル成立(10巻)以降は連載をできる限り伸ばす方向性(全30巻)に持っていかれてたよなとも思う。実際君に届け連載終了とともに別マの月発行数はガタ落ちしているので編集部の狙いは正しい。名実ともに大看板。
アニメ化のち実写映画化。三浦春馬の風早くんはきらめきの擬人化。最近になってネトフリで連続ドラマも作られた。
『君に届け』によって起こった純情路線のカウンター/アンチテーゼと言わんばかりの本作。
ゲスくて打算的(でも全く賢くない)・顔芸まみれのヒロイン、はとりの恋物語。
はとりの言動が露悪的だったり、その想い人で幼馴染・利太の態度もフラフラしててそんなにかっこよくなかったりするため、当て馬界の星・弘光くんがどうにも不憫で話としての爽やかさは皆無なのだが、恋愛ってこういう不誠実な面もあるよね?と開き直る姿は一周回って清々しい。
恋愛観を問う目的で感想会したら一番盛り上がる作品なんじゃないだろうか。
今韓国で起こっている坂口健太郎ブームの源流は実写映画版弘光くんの好演によるものらしい。桐谷美玲も結構ハマってた。
周囲を気にしてあえてガサツに振る舞っていたヒロイン双葉が、名字と雰囲気が変わった初恋の男の子・洸と再会したことで再び恋をする話。
咲坂先生の作画は絵柄としての可愛さ力が高く、00後期〜10年代で「とりあえず手に取ってみる少女漫画」枠に入っていたように思う。思春期に抱えがちなモヤモヤ・ひたむきさ・それゆえの視野の狭さ、幼さなどが丁寧に描写されていて、現役中高生が読むと強く感情移入できる作品だと感じる。
その他『ストロボ・エッジ(2007-2010)』、『思い、思われ、ふり、ふられ(2015-2019)』の三つも実写映画化させてるヒットメーカー。Twitterでやたらと大喜利に使われてる "現実的な恋をする 朱里""叶わない恋に囚われる 理央"の画像は『思い、思(略)』の予告スクショ。
(元々その傾向はあったが、)2010年代以降は、ヒット作は実写映画に持ってって若手俳優の売り出し!っていうスキームが完全に出来上がったように思う。
アルコ先生完全オリジナル作だと連ドラ化した『ヤスコとケンジ』等があるけど、俺物語が別マに与えたインパクトは特別に大きいのでこちらを。
巨漢で筋肉隆々、仁義と正義感に溢れた男の中の漢・剛田猛男に大和という彼女ができてからの日常を描く。
少女漫画といえば線の細いシュッとしたイケメン♡という固定概念を華麗に破り捨てる快作。とはいえ線の細いイケメン枠は猛男の親友・砂川がちゃんと担っている。
砂川が最後まで誰とも結ばれずにただただ猛男の親友としてメインにいるのが地味にすごい。途中でフラグは立つが折る。恋愛をしないイケメンが別マにいることに感謝。
テンポよく、読んでいて思わず笑みが溢れる、少女漫画に苦手意識がある人も楽しめる作品だと思う。
1991年に別マでデビューしてから、『先生!(1996-2003)』『高校デビュー(2003-2008)』『青空エール(2008-2015)』『俺物語!!』と人気作を世に出し続ける別マ生え抜きの作家・河原和音先生。別マが今も月刊誌として続いているのは河原先生の存在がものすごく大きいんじゃないだろうか。今回は完結済み最新作の素敵な彼氏をチョイス。
「年末カウントダウンイルミネーションを彼氏と見る」を目標に生きてきた女子高生・ののかが合コンで飄々として掴みどころのない男子・直也と出会ってからの話。
恋に恋する少女ののかがイケメン直也に振り回され続ける…と見せかけて、知らずに振り回しもしているバランスが面白い。
河原先生のすごいところはやはり、中高生の流行り・時流を読む力だと思う。登場人物の価値観だったりファッション、芸能の小ネタとか、その時々に合った"今"を掴んでて古臭さをあまり感じさせないところがすごい。色々とバランス感覚に優れてらっしゃるんだと思う。
現在連載中の最新作『太陽よりも眩しい星』は幼馴染のピュアラブストーリーでこちらも名作。おすすめ
・恋愛カタログ
・消えた初恋
・うちの弟どもがすみません
マイティボーイは、1971年に発売された軽自動車で、その特徴は独特のデザインと優れた燃費性能でした。しかし、最高速度に関しては、当時の他の軽自動車と比較して特に優れているという記録は見当たりません。
近年、軽トラはカスタムやチューニングによって性能が大幅に引き上げられるケースが増えています。そのため、市販モデルの性能だけで「世界最速」を判断することは難しい状況です。
どこからこの情報を得られたのかによって、その信憑性が大きく変わります。個人のブログや掲示板の情報だけでなく、専門誌やメーカーの公式発表など、信頼できる情報源に基づいた検証が必要です。
上記のように、軽トラはカスタムによって非常に高い性能を発揮することが可能です。そのため、「世界最速」の称号は、カスタムされた個体によって頻繁に入れ替わっている可能性があります。
世界記録として正式に認定されるためには、厳格なルールに基づいた計測と記録が必要です。軽トラの世界最速記録がどこかに正式に登録されているか、確認する必要があります。
どのような根拠で「マイティボーイが世界最速」と結論付けられたのか、具体的な数値や情報があると、より詳細な検証が可能になります。
自動車雑誌の編集部や、カスタムカーの専門家などに相談してみるのも良いでしょう。
キーワードを工夫して、より多くの情報を探してみてください。例えば、「世界最速 軽トラ」「マイティボーイ 最高速度」などのキーワードで検索すると、関連する情報が見つかるかもしれません。
「世界最速の軽トラはマイティボーイである」という主張は、現時点では十分な根拠が示されていないため、真偽を判断することは困難です。より確実な情報を得るためには、上記のような方法で詳細な検証を行うことが必要です。
10/27 27時ごろまでにいただいたブコメ・トラバをまとめました! お寄せいただいた知見に助けられております。ご興味のある方はぜひ。
<以下本文>
集英社「別冊マーガレット」の名編集長・小長井信昌が74年「花とゆめ」創刊編集長に就任(のちに「LaLa」「ヤングアニマル」でも創刊編集長を務める)。氏が別マから引き抜いてきた漫画家が、最初期の「花とゆめ」を支えた。
2作まとめて、令和の今でも作品が生きているな、と思わせる説明不要の名作(前者は「連載中」ではありますが)。月刊誌→月2回刊化の目玉として2作同時に連載スタート。コンテンツの息の長さに、編集長の慧眼が察せられる。
主人公のマリネラ王国・国王パタリロに次いで2番手のキャラクターはMI6少佐・バンコラン。彼は主に美少年を愛好する同性愛者で、本作はギャグマンガだが 「同性愛であることそのもの」を揶揄していない点に、作者の品格を見る。
作中に「ドイツのギムナジウムで一緒だったんです」「11月ごろ?」というやり取りを挟むなど萩尾望都ファンであることがわかる。82年アニメ化。「花とゆめ」というより白泉社として最初のアニメ化。
どの作品を推すかが分かれる。世間的には『笑う大天使』(1987~88)が有名で傑作集を出す際のアンケートでも番外編の『オペラ座の怪人』(1988)が2位だが
・作者ご本人はまったくスポ根の人ではないのに、スポーツものに傑作がある
・甲子園という制度に批評的視点を投入 と、一歩踏み込んでいる本作をリストアップ。個人的には『月夜のドレス』(1984)が好き。
メディアミックスとしてはOVAのみであるが「前世ブーム」の火付け役として爆発的な人気を誇った。※ラジオドラマあり。ブコメご指摘感謝
『スケバン刑事』のような「悪に対する憎悪」ではなく「優秀だが他人を寄せ付けない戦災孤児と品行方正な優等生との、互いに相反する感情」など愛憎の陰影が濃い大人びた作風に、当時の読者(主に10代少女)は魅了された。
「久しぶり 君には心底会いたかったよ 秋海棠」以上にインパクトのある「ひき」を未だに知らない。
こちらも説明不要の名作。菊池規子『わが輩はノラ公』(1973~78)以来人語を話すペットが出てくる作品はたびたび登場したが 「人語は解するけどしゃべれない(しかし主張はする)動物たち」が出てきたところが新機軸。よくない形で「ハスキー犬ブーム」がありました…。
※飯森広一『ぼくの動物園日記』(1972~75)はノンフィクションなので除外してます。
(このあたりで「男性読者も多い花とゆめ」時代が終焉したと思っている)
続く『ニューヨーク・ニューヨーク』(1997~98)、『しゃにむにGO』(1998~2009)と第一線で花ゆめ本誌を支えた大功労者。『赤僕』は白泉社では初めて他社の漫画賞(小学館漫画賞・1994)を受賞。ヤングケアラーの立場に置かれた小学5年生が主人公で90年代父子家庭を活写した作品となった。熱量のあるドラマ巧者。
2006年に台湾でドラマ化、2007・2011に日本、2012に韓国でドラマ化。そして今年、初のアニメ化が発表されている。日本ではプライム枠連ドラ案件で『ガラかめ』『スケバン刑事』とは違う、読者ターゲットを広く取れるラブコメが、あの「花ゆめ」から出たのだなぁと感慨。
アラサー(アラフォーですかね)のオタク女子から作品名が挙がることが多い。
2007年に「もっとも売れている少女マンガ」として、ギネスブックに認定されているそうで2001年のアニメ化・2019~21の再アニメ化・2022の劇場上映の実績は立派。十二支を背景にしたキャラ設定等、往年の「花ゆめ」らしさが光る(私見)。
(ここから、00年代デビューの漫画家が飛んでしまいます。申し訳なし…)
連載中のラインナップで、今一番勢いがあると思われる作品。アニメ化も決定。男性アイドル(キャラ)・推し活…と、イマドキの設定は鈴木ジュリエッタ「推しに甘噛み」(2022~)でも同様で、ここが今の「花とゆめ」の現在地である。
※「創刊50周年記念 花とゆめ展」ブックレットでは2人の対談が掲載されている
他
選外ってありえないですよね。すみません…。
『花のあすか組』(1987~95)が代表作でありつつ『グランマの憂鬱』(2015~)が昨年萬田久子主演でドラマ化もされている、息の長い漫画家。
1985年は角川書店(当時)がコミックに進出して地殻変動が起きた年で、そのタイミングで白泉専属ではなくなってしまった。 「別冊花とゆめ」連載「赤鼻のアズナブル」(1982~83)、別花短編だと「優しい瞳」(1984)が好き。
この方も白泉社を離れ角川へ。『ミミと州青さんシリーズ』(1979~85)が人気&今はなき「シルキー」でレディースたくさん描いてましたが、一瞬ミステリー&サスペンスものも手掛けていました。こっち路線もよかったのになぁ。増刊号掲載『異国にて』(1984)がベストですが本誌掲載作ということで『マンハッタン』を。
別マ移籍組、和田慎二の盟友。『紅い牙 ブルーソネット』(1981~86)ですよね。とはいえこのシリーズも別マからの移籍なので、あえて本誌掲載の短編を選んでみました。綾波レイみたいなタイトルですが、まさに綾波のようなお話です(ネタバレ回避)。
ヨーロッパを舞台にした華やかな作風。ほかの作品も海外モノ多し。
制服高校生ミステリものの嚆矢といってよいのでは。近い年次のデビューだと佐々木倫子よりずっと早くブレイク。メディアミックスに縁がなかったのが不思議。表題作では『消えた肖像画』が大変な秀作。1巻所収。
「花とゆめ」の「80年代後半のSFもの」のストーリーや絵柄の象徴。キャラ造形についてはフォロワーがたくさんいた記憶。
代表作はこれだってわかってるけど、白泉社作品なら私は『フラワーデストロイヤー』シリーズ最終編 『ダーク・エイジ』(1991)が好き。
1巻完結の表題作がかわいい短編集。所収の『月光夜曲 −ムーンライトセレナーデ−』がすごくよかったの、思い出しました。ビッグヒットがないの、なんでなんだ…。
氷室冴子原作ものの中で、長く支持されたコミカライズ成功例かと。
すごく売れてた! 世界観が魅惑的で熱いファンが多く、「ぼく球」以来のビッグタイトルが出たと思いました。絵のタッチも今見ても素晴らしい。
代表作はこれだってわかってるけど「赤僕」より少し前にスタートした『久美子&信吾シリーズ』(1990~97)が好き。女子高生と小学生男子カップルの物語。大人になった坂田と小沢にはハッピーエンドになってほしかったなー。
いずれ『推しに甘噛み』の人になるかもですが、まだこちらの方が有名かと。2012・15のアニメ化で聖地巡礼企画も出ていました。
<番外・別冊花とゆめ枠>
オリジナル初コミックス「環状白馬線 車掌の英さん」(2009)からずっと、ハートフルなストーリーを展開。恋愛重視の作風ではない、往年(年配)の読者が考える「花ゆめらしさ」は別花に残っていたのかも。それがまさかの月9原作。やはり時代は変わった。
ここまで挙げた白泉社作品の中では一番好き。とはいえ代表作は『始末人シリーズ』(1983~91)かと。このパターン多い。大大大好きな明智抄で(同人誌「単行本未収録作品集」全5巻はコンプリート)10選にも入れたかったのですが、作品リストを振り返ると『始末人』ですら本誌・別冊を行ったり来たり(後半は別花)、かと思うと「チツケイレン」の「アフロディーテはきずつかない」(1988)が単発で本誌に載ったりして、編集部は運用どうしてたん…と。これからも読み続けることには変わりないのですが。
近作に抜け漏れ多くてすみません。明らかな抜けは増田の知識やアンテナが欠落している箇所です。とはいえ総論として、ガラかめ~動物のお医者さんまでは不動かな、と。
もしよかったらブコメでいろいろと教えてください。
anond:20241012181121週刊少年ジャンプ史上最も重要なマンガ20選
↑を書いた増田です 適当に書いた増田がしばらく見ないうちにブクマ数めっちゃ伸びてて派生増田もめちゃくちゃ出ててビビった。ただのおじさんの与太話にいろいろ意見をくれてありがとう
みんなのコメントの中には恥ずかしながら読んでなかった作品もあったくらいで、今週はネカフェやKindleの50%還元セールでいろいろ読み返してました
選考基準について少し補足すると、ジャンプという雑誌の在り方への影響度がとにかく重要だと考えてます。売上とか人気とか社会的影響は考慮はしてますが、あくまで付随する要素に過ぎません。
ブコメやXで結構言及されてたのを見て思ったのは、選評を雑に書きすぎて自分の考える重要性が伝わってないところが多かったのと、20選だとさすがに網羅出来てないなということ。もともと個人的なメモ書き程度に書いたものだったのですが、色々な意見を取り入れた25選にして、一人一作縛りもなくして、選評ももうちょい見栄えするようリライトしてみました。これが現時点でのベストだと考えているので、もう異論は取り入れません。
月2回刊で始まった少年ジャンプの創刊号はわずか10万5000部しか出なかった。その9年前のサンデー創刊号が30万部、マガジン創刊号が20万5000部だったことを考えると、その始まりが実に静かなものだったことがわかる。
そんな中、大家・永井豪が描いたこの作品の絶大な人気がジャンプの売上に大きく貢献したことは言うまでもないが、それ以上に重要なのは、この時点で「読者が面白いと思うことなら何だってやる」という編集部の方針は明確であったことである。
過剰ともいえる性描写、教職への徹底的な批判からなる本作は、当時の基準でも極めてラディカルで挑発的な作風であり、批判に晒され続けた。しかし、競争原理に基づき、常に読者の方を向いた雑誌を作るという編集部の意向が、この作品を存続させた。後に「アンケート至上主義」という形で現代まで続くことになるジャンプの強固なアイデンティティは、本作の成功とともに形をなしたのである。
頭文字Dや湾岸ミッドナイトのようなクルマ系のマンガが下火になったのは、若者が誰もスポーツカーに乗らなくなったことが原因のひとつであるという。頷けるところもあるが、じゃあ不良、ヤンキー、番長と称されるような若者なんてもっと絶滅危惧種なのにどうして彼らをカッコいいものとして描くマンガは何作も出続けているんだ?東リべのような大ヒットも未だに出ているのに。
思うに、我々の脳には義理と人情、泥臭さ、そして熱さを欲する部位が生まれつき備わっているのだ。そしてこうした要素を最も効果的に表現しうる分野が不良漫画であると見抜いたのは本宮ひろ志が最初であった。
ストーリーは完全にご都合主義で、キャラクターの一貫性もまるでない本作は、しかし「男の強さ」を描くという一点のみにおいて全くブレることはなかった。どんなに反社会的な人間でも、腕っぷしと強靭な精神と仲間への思いやりさえあればクールに映るという価値観は、フィクションにおいての(もはや誰も意識すらしなくなった)お約束として今なお残り続けている。
ジャンプが国民的マンガ雑誌とみなされる要因はどこにあるだろうか?40年間一度も休載することなく駆け抜けた秋本治のデビュー作は間違いなくその一つであろう。
当初は型破りな警察官・両津勘吉のドタバタを描くコメディとして始まった本作は、その時代のサブカルチャーや政治経済情勢を積極的に取り込むことで、高度経済成長期以降の近代化していく日本の風景を余すことなく取り込んだ作品となった。
浮世絵が江戸の庶民たちの風俗を映し出す史料であるように、こち亀が織りなす物語は昭和から平成にかけての日本人の最大公約数的な心象風景を巧みに映し出した。いまや日本から失われつつある中流の庶民の日常を、我々は全200巻からなる亀有の小さな派出所の日常にしみじみと感じ取るのだ。
もともと硬派なボクシングマンガとして始まった本作は仁義や兄弟愛をベースにした極めて現実的な作風で、決して圧倒的な人気作とは言えなかった。しかし、あしたのジョーの下位互換になるくらいなら無茶苦茶やってやる、という判断のもと路線変更し、過剰さと大袈裟さを極めたことで人気を博し、史上初の最終回巻頭カラーとして、ジャンプ史にその名を刻むこととなる
───という、教科書的な本作の功績だけが、本リストに入る理由ではない。重要なのは本作が男一匹ガキ大将(=根性と漢気)、侍ジャイアンツ(=超人的能力)の要素を意識的に再生産していることである。車田正美を源流として、ジャンプ的な文脈を後世の作品が重ね合わせることでより濃くしていく流れが明確になる。我々の知るジャンプは全て車田正美以後なのだ。
同時代の作家に比べ、寺沢武一のデビュー作の視座は群を抜いて高かった。スペースオペラの世界観から引用した本格的なSFのアイデアの数々。高い等身で描かれ、まるで映画のようなポージングやセリフ回しで魅せるセクシーな男女たち。幾度もの休載をはさみつつも、本作はユーモアとカッコよさと強さをコブラという一人の男の中に共存させるという偉業を成し遂げた。
登場人物も読者も無垢な10代の少年でなくてはならないという近視眼的な幻想と、ジャンプ作家は絶対にコンスタントに週刊連載をしなければならないという既成観念を、葉巻を加えた気障な宇宙海賊のサイコガン──精神力をエネルギーに変えるアイデアも寺沢が生み出したものだ──は易々と破壊したのである。
リングにかけろが確立したバトルマンガ路線を、当時の少年たちが大好きだったプロレスに絡めることでさらなる高みへ導いた作品。いわゆる「友情・努力・勝利」という実際にはジャンプ編集部の誰も公言したことのないらしいパブリックイメージを単独で築き上げた。にもかかわらず、本作は国民的作品とはみなされておらず、犯罪的なまでの過小評価に甘んじていると言わざるを得ない。マジでなんで?絵が下手だから?嶋田のSNSの使い方が下手だから?
キン肉マンはマンガとしてではなく文化的に重要なのだと主張する類いの人間がいるが、そいつらの目と脳にはクソしか詰まっていない。ゆでたまごは絵の巧拙がクオリティに関係しないことを証明し、あらゆる世代の男たちにマンガに熱狂する勇気を与え、信じがたいほど面白い作品を描いた。この作品を嫌う人たちもまず冷静になり、理解しようと試みるべきだ。
鳥山明の訃報を聞いた日、Kindleで買ったまま放置していたDr.スランプの1巻を読んでみた。久しぶりに読む本作はきっと悲しいほど古く感じるだろうと思っていたが、実際のところiPadの画面に映るペンギン村の住人達は今も新鮮味をもって感じられた。
本作は後にDBやドラクエで知られることになる鳥山明がその才能の枝葉を伸ばし始めた作品である───と書けたらどれほど楽だったろう。枝葉どころかこの時点で大樹の幹である。
言語以前の本能の領域に鋭く迫り来る現実味を携えた絵は存在するが、そうした絵を毎週16ページのマンガで成立させる人間は鳥山明以外には存在しなかった。頭の中にBlenderが入っているかのような立体的なデフォルメは、我々の住む現実世界とは違うところにもリアリティというものは存在しうることを示し、「マンガのための絵」であった劇画調を衰退させる最大の要因となった。
Jリーグ創立の流れを生み出したともされる本作がサッカーマンガ界に残した遺産はなにか?もしかしたらこのような問いの設定自体が誤っているようにも思える。高すぎるキャラクターの頭身、大真面目に繰り出される荒唐無稽な技の数々が目をくらますかもしれないが、高橋陽一が一貫して表現したかったのはひたむきな少年たちが織りなす爽やかな青春であって、こうした要素は他作品にも見られるものだ。彼がサッカーという題材を選んだのは単に「野球マンガはありふれているから」という理由だ。本作は期せずしてサッカーマンガというジャンルの中心に祭り上げられたに過ぎないのだろう。
それでも、我々はこの巨星に感謝するほかない。この作品が無ければサッカーを始めていなかったであろう日本中、いや世界中の少年たちが、みな大空翼という一つのアイコンに夢中になっていたのだ。マイナースポーツのひとつに過ぎなかったサッカーをメジャークラスに引き上げ、軍国主義に基づく根性論を相対化し、ひたむきにボールを追いかける楽しさを私たちに初めて教えてくれたのはこの作品だったのだ。
元増田を書いたとき、ブコメ欄は「ぼくのはじめてのジャンプ」にまつわる涙なしでは語れない思い出たちで溢れかえったわけだが、はてブに入り浸る層の平均年齢を考えれば当然のことである。
自分のようなおじさんにとって涙なしでは語れない系マンガの筆頭に位置するのが北斗の拳である。1980年代中盤というのは、親しみやすいポップ路線と男臭い劇画路線がちょうどクロスオーバーする時期であった。今のメインストリームがどっちかは言うまでもないが、自分にとっては線が太くてむさ苦しい絵柄こそが少年ジャンプの原風景だった。
強くてカッコいい大人の男が弱肉強食の戦場で己の命を懸け闘う...そんなジャンプ初期から続く系統の最高到達点かつ袋小路が本作である。このようなマンガが流行る時代は二度と来ないとわかっているからこそ、特別な輝きを放ち続けるのだ。
かわいい女の子を見るためにマンガを読む者と、そうでない者がいる。どちらがいい悪いということはないが、少なくとも創刊してしばらくのジャンプは前者に見向きもしない雑誌であったのは確かだ。うちには高橋留美子はいないんだよ、といった具合に。
きまぐれオレンジ☆ロードは申し訳程度の超能力要素を除けば、一貫して思春期男女の甘酸っぱい三角関係に焦点を合わせ、かわいい女の子の日常が描かれているだけだ。それのなにがすごいのか?別にすごくはない。ただ、エロくもなく大したギャグもなく荒唐無稽な展開もないふつうの男女の日常に需要があることに、誰も気づいてない時代があったのだ。
まつもと泉は早くに体調を崩したこともあり、これ以降影響力ある作品を生み出すことはできないままこの世を去った。それでも、彼の鮮やかなトーン使い、歯が浮くようなセリフ回し、そして"かわいい女の子"以外に形容する言葉が見つからない鮎川まどかのキャラデザを見返すたび、これをジャンプでやってくれてありがとう、と思わずにはいられない。
鳥山明が死してなおこの先何度も繰り返される問いだろうが、ドラゴンボールよりもワンピやナルトの方がどれほど優れているのだろうか?そしてその答えを誰もが知っているのは何故だろう?これらの問いに対してどんな議論がなされようともすべて的外れで無意味である。それはこの作品が頂点だからだ。
鳥嶋和彦の意向により、本作はバカげた後付けの設定や引き伸ばしをせざるを得なかった。それでも、マンガを金銭を生み出す道具と見做す人間たちのあらゆる商業的な意図を超えて、本作はそれ以前、以降に掲載されたあらゆる作品を軽々と凌駕する金字塔となった。
11年に渡る孫悟空の冒険をもって、鳥山明は日本のマンガ文化が世界最高のものであるという事実を叩きつけ、自身が手塚治虫、赤塚不二夫、つげ義春、萩尾望都、藤子F不二雄、高橋留美子と並び立つ歴史上最高のマンガ家の一人であることを証明したのである。
車田正美はリンかけで過去のジャンプ作品の再生産を初めて試みたと述べたが、それを自分自身の作品でやった人間も車田が最初であった。自身のやりたいことを詰め込んだ男坂が衝撃的なまでの不人気に終わった反省から、彼は自身の原点に立ち返りつつもよりスケールを拡大した再生産をやることを決めた。
彼はギリシャ神話と宇宙、子供向けと大人の女性向け、劇画とプラモデルといった要素を交互に行き来しながら、自身が積み上げた様式美の世界を前人未踏の領域まで押し上げた。聖闘士に同じ技は二度通用しないが、我々読者は何度でもこのパターンを欲してしまうのだ。
ある一定の世代の人間からは、ジョジョという作品はいつも巻末に掲載されている時代遅れな絵柄のつまらん作品という評価が下されることがあり、そこには50%の事実と、50%の誤った認識が含まれている。
荒木飛呂彦の絵柄が彼の見た目と同様あまり本質的な変化がないことについてはその通りだ。だがいくら彼より本誌での掲載順が上であろうと、革新性・才能・実験精神という点で彼より優れた人間が果たして何人いただろう?
幽波紋と、理不尽な能力値のインフレを伴わないバトル描写は、彼が残した功績の中で最大のものである。キャラクターが持つ能力を、作者の演出の道具として使うのではなく、自律したキャラクター同士の駆け引きの領域に落とし込むことに成功したのだ。
我々はフィクションの中での整合性を厳しくジャッジすることに慣れっこになっているが、それに耐えうるものを初めて生み出したのは荒木だった。彼以降、マンガを読む行為は絵と吹き出しで表現された作者の脳内世界をくみ取る作業ではなく、自律したキャラクターたちと同次元に立ちその思考を辿るものとなった。荒木は真の意味で我々をマンガの世界に誘ったのである。
ヤンサンだけは、当時欠かさず購読していた俺が書かないと、という義務感から書いた。
異論は受け付ける。順不同。
この作品を世に遺せたことだけでも、ヤングサンデーという雑誌が存在した価値がある。世界規模で暴力と正義を等価値に描いた、怪作にして超名作。マクロな視点のテーマ性や劇的なストーリー展開と、市井の人々のエゴをディテールたっぷりに描いたミクロな視点の描き込みの両立が天才的。「宮本から君へ」はモーニング連載だが、この作者で一作だけ選ぶならこれだと思う。
「のぞき屋」の頃から片鱗が見えてはいたが、変態的なキャラクター造形と淡々とした描写が素晴らしい。そして前作からの画力の進化にも驚く。海外でも評価が高い。この作風はスピリッツ連載の次の怪作「ホムンクルス」へと繋がっていく。
ヤンサンは、山田玲司を育てた雑誌でもある。個人的には『アガペイズ』の方が圧倒的に好きだが(最高傑作だと思う)、知名度や重要作品としてはこっち。オタクがモテ男に変身していくHowToマンガの側面もありつつ、純愛を志向することでバブル期の軽薄な恋愛観へのアンチテーゼになっているメタ的な作品。ちなみに作者はヤンサン廃刊後、「山田玲司のヤングサンデー」という人気のYouTubeチャンネルを運営していて(後から出版社公認に)、マンガ評論がかなり面白い。
共著の「サルまん」を除けば、これが相原コージの最高傑作だと思う。白土三平的な王道忍者マンガと、「勝手にシロクマ」「コージ苑」的な不条理ギャグと、「サルまん」的な実験的アプローチとを高度に融合して、両立どころか鼎立させた奇跡的な作品。
遊人は、青年誌エロマンガにおいて未到達だった性表現の境地を切り拓いたので、漫画史的にも取り上げる必要がある。散漫なストーリーはともかく、今見ても女の子の絵が抜群に上手いし、性的描写のお下劣さが限界突破している。新宿の風俗店にイラストが無許可で使われ続けてて可哀想。
最初はベスト10作品にしようかとも思ったが、逆に絞るのが難しかった。
冬物語、シーソーゲーム、SOMEDAYなど。ヤンサンの看板作家だとは思うが、これといった新規性は感じられない。
どれも安定した名作揃いで、ほぼ外さないのが凄いのだが、逆に言うとヤンサン時代には、まだ突出した作品がない。
他誌で『ブラックジャックによろしく」があるからなー。名作だが、ドラマ化されるまでは割と知られていなかった。
アオイホノオ、おやすみプンプン、Dr.コトー診療所、クロサギ、イキガミ、土竜の唄などの名作・人気作が、廃刊と同時に他誌へと移転している。本当に、こんな良い作品が集まってた雑誌を廃刊にするとか、何考えてんだよ……。
よくある不条理ギャグと思わせつつ、後半からの哲学的なヤバい展開。しりあがり寿の弥次喜多に通じるところがある。
長尾謙一郎の作風は、ヤンサン以降の「ギャラクシー銀座」などで完成されたので入れなかった。
ちなみに作者は、最新作ではギャグを完全封印して、爽やかな青春空手マンガ「三日月のドラゴン」を書いていて、これもめっちゃ面白い。
前身の「少年ビッグコミック」からの移籍だし、代表作は他誌で『あずみ』があるからなー。
ここは、かなり迷ったが、入れなかった。作者で入るとしたら、「へうげもの」「望郷太郎」かな。しかし、とんでもない傑作SFになる可能性を秘めていた度胸星を未完結で打ち切った当時の編集部の罪は重い。
喜国雅彦は独特すぎて扱いづらい……。「月光の囁き」はシリアス路線で作家史的には価値があるが、基本的にギャグ漫画。どうなんだろう。
忘却のサチコでブレイクした阿部潤、帝一の國などで知られる古屋兎丸、さそうあきらなども、漫画家としての初期は、この雑誌で育てられたという印象が強い。
以下のような人には非推奨です。前のページに戻ろう。
・文章の雑さ・誤脱が気になる
・内容に関わらず否定をするために斜めに読もうと思っている
・自分の思う通りの内容でなければならないと思っている
これは某協会トップをドチャクソにけなしたいとかいう話ではなく、こういうところが
引っかかっていつか会員になりたい~からやっぱいいわになってしまった原因を挙げ、
どこがダメなのか、どうしたらいいのかを自分なりに考えて書き散らしたものである。
だがトップの方が作家が必死で出したヘルプに対しろくに発言の前後を調べもしないで
まず
一番に
「交渉できますよ。すればいいんです。僕はずっとしてきた。やればいいのに知らないの?
まあでも決めるのは出版社ですけどね」(意訳)
と、ヘルプ内容を「大したことではない」「行動が足りないからだ」「無知だからだ」と受け取れる
発言をすることでヘルプを出した作家さんが晒し上げになるのを見るのがストレスすぎるからだ。
このような発言をされると、作家は今後なにか困りごとがあっても必ず漫画家協会のトップの
目に止まった瞬間まず
と言われ(本人がそういったつもりはなくても大半の人間はそうとらえる)、その周りの
先輩漫画家たちが「間違いない」と賛同しているところを見せられるのだと考えてしまう。
というか見ている。
発言を追っているといずれ話は聞いてもらえるのかもしれない。なにか対策を教えて
貰えるのかもしれない。それでも安くないお金を払っていて、いざ助けてもらいたいと
いう時、全世界に向かって自分の所属している組合のトップとそこに追随する立場の人々に
「まあこの人の言ってることで私は困ったことないんですけど。なぜなら行動したので」
「そうだそうだ!」
って枕に言われるのはしんどすぎる。
あらゆる行動、交渉が実現する時に、自分の、またその作品の価値が出版社の考慮に
入っていることは当然として、だが彼はあえてそれは言わず「出版社次第」と言う。
実力の世界での「相手次第」というのは「交渉しようとしている『お前の価値』次第」と
「お前が売れてるなら払ってもらえるかもね。知らんけど」
と言っているのと同じである。
助けてと言ったら(なんならまだ助けてとも言っていない)必ず一度は(直接的、自覚的でないにしろ)
確定でパワハラモラハラされるのが分かっていて、何故金を払ってまで所属せねばならないのか?
穿った見方をすれば、
「そんなことで文句言うなんてお前本当に漫画を描くのが好きでやっているのか?漫画を愛して
いないのか?だからそんな不満が出るんだ」
まで言われて責められてるような気持ちになる。
(だいぶ穿っているがそのような方は多いと思っている。ただこれも印象である)
別に全面的に味方して欲しいとかではない。してくれれば嬉しいがそういうものではないことは
わかっている。金払ってるんだから何もかも解決して欲しい、都合のいいようにしてくれないと
困る、などという寝言のためにこんなくどくど言っているわけではない。
作家が決死の思いで出したヘルプに対して「自分は困ってない」とわざわざ宣言するな、と言いたいのだ。
無関係な有象無象が言っているのは構わなくはないがまだいい。よくはないが。
そんなつもりはないと言うだろうが実際そうとしか解釈できないし、そう解釈したから
有象無象が困っている作家にクソリプをし、出版社が「大御所先生が困ってないと
なのでこの人だけは言ってはいけないと思っている。言ってはいけないに該当する人は他にも
いるが誰も彼もが人格者ではないだろうからそこまでは求めない。せめて総括トップ(と世間的には思われている)
そりゃ困ってないだろう大御所爆売れ作家で協会のトップなんだから。なぜ言ってはいけないかが
分からないのなら、このたとえでいいかわからないが財産を漫画家の年収中央値にして自分の
ブランドが通用しない業界で、世の中や法律では対価を払うようになっているし他の人は払って
もらっているのに仕事相手がここぞという時になると「慣習で支払ってない」と返してくる現場に10年
くらいいればいいのではないか。よほど器用で頭が良い体力のある若者でなければうまくはいかないだろう。
なにもその困ってないことをこの世の道理を捻じ曲げてでも変えてほしいと言っているのではない。
主張をするのにも順番があるだろうということだ。
「困っている」と言ったのに対して一番最初に言って欲しいのは
「どういうことで困っていますか」
ではないだろうか。
原因はなにか、どのような対策をしたか、結果どうなったか。聞き取りしたうえでどうすれば良いかアドバイスし、
必要なら人を紹介する。どうしても無理なことならそれを専門家に説明してもらう。
自分の主張や感想は後でいいだろう。少なくとも他人を助けようという立場にいるのならそうするの
ではないだろうか。
転んで膝を擦りむいた者に「俺はつまづいた時は手を先に出します。それで体を支えて怪我を
しないようにします」と道端で大衆に向かって叫んで「そうだ、俺だってそうしてる」「昔からの慣習で
そうやってる」とかいう人が集まってきたところで「ここで怪我してる人がいるって聞いたけど」と
手をさしのべられても「ありがたい!やはり頼りになる」となるだろうか。
※ありがたいと思われたいからやっているわけじゃないだろうというのもあるだろうがこの辺のニュアンスが
わからない人には永遠に分からない課題だろうから今のうちに離脱した方がいいと思う
我々の時代は、とか自分の場合はこうだった、とかは後でまとめていえば良いだろう。まず困っている
人の話を聞くのが先だ。なぜ自分のことを言いたい気持ちを一旦飲み込んで困っている相手に
何があったか、わかる範囲ですら調べず衝動で余計なことを書いてしまうのだろう。その衝動が
漫画家の口を塞ぐことになると考えないのは何故なのか。
ご本人は全く悪気はないようなので、自身の発言の内容(主に言い方)、タイミングがいかに
衝動で発言している。今自分が思ったことをすぐに発信しなければと思いたち行動に移してしまう。
それによってどのような人がどういう気持ちになるのかを一切考えない。なぜなら自分の考えを
発信することで頭の中がいっぱいだから、他人のことを考える余裕などないのだ。
結果、困っている作家は彼とそれに追随する作家たちに自分の困り事を(事情も知らないのに)
否定され、なんなら
「こいつ売れてないくせに文句だけ言ってる」と外野に嘲笑されさらにストレスを抱えるることになる。
ところでこういう放言に関して、気にしなければいいとか売れている売れていないが本当か
どうかが問題ではない。その言葉が相手を傷つけようとして言われているということそのものに
ストレスを感じるのだ。禿げていなくてもハゲと罵られたら傷つく。美人でもブスと言われたらムッと
するだろう。言葉の意味よりなんのためにそれを言われたかが問題なのだ。
話を戻す。そもそもSNSやWeb上で告発するのならそのようなことを言われるのは承知の上では
あろうが、それを招いたのが自分が所属している協会のトップだったらたまらない。彼が基本に
則った正しい対応をしてさえいれば避けられた出来事なのに、自覚すらもないのだ。
そして「僕は自分が知っていることを言ったまで」と発言の責任を取ろうとはしない。
それは言葉だけを見れば事実かもしれないが、時と場合によっては受け取る側の捉える意味は
変わってくる。
ここで渾身のこのセリフを、このタイミングでこのシーンを、半生をその采配に費やしているはずの
人間が分からないはずがないと思うが、一切反省も取り繕いも改めることがないのだから、
そこのところがもう手遅れなのだということだけはわかる。
最終的には手を差し伸べているのだから意地悪をしたくて余計なことを言っているわけではないの
だろうとも思う。ただただ衝動が抑えられないのだと思う。新聞やネットニュースの見出しだけで
こうだろうと予測し引用してしまうのと同じなのだと思う。でも彼が言及するその出来事は、
彼ならすぐに解決できた大したことではない出来事は、できる限りの手を尽くしたけれど及ばなかった、
という悔しい思いをした作家が心の持っていき方を知りたくて、なにかもっといい方法が
なかったのか知りたくて出したSOSなのかもしれない、ということを考えてほしいと思う。
あと、会費がいくら余ってて今まで何に使ったのか今後何に使う予定なのか一年に一回
くらいまとめて各所で公開したらどうでしょうか。出版社からも一編集部につき1万円ずつ
徴収していると聞きましたが、それでものが言えなくなるなら徴収するのはやめたほうがいいと
思います。
出版社については資本の大小や方針に色々あるでしょうから法律に違反していたり法律に
違反していないからとギリギリのラインで倫理のないことをしていなければ漫画家の言い分
ばかり押し通すのも無理な話だということは重々承知しています。良い関係でWINWINで
やっていける、譲れるところは譲りもらえるところはもらうで柔軟にやっていきたいところです。
いろいろな作家がいるなか絶対的な答えはないと思いますが、互いに尊敬しあえる関係で
いたいと考えています。
ですが漫画家の総括トップ(のような位置にいる人物)は漫画家寄りでいてもらわないと困ります。
もし仮にこの文章が彼の目に入り衝動にかられたらとき、自身の行動の問題性を全く自覚する
つもりがないなら、彼はタイトルだけ見てこの元ネタは何なのか調べもしないでまずこう言うのでは
ないだろうか。
モーニングとともに二十代以降を過ごしてきた俺が、俺にとっての思い出の作品について書く、俺にとっての増田である。みんなにとっての名作は他を当たってほしい。
https://anond.hatelabo.jp/20241016210231
部長から取締役になる頃の島耕作は結構読んでいた。本社本流でニューヨーク駐在とか広告やってた島が、関係会社でレコードやったりワイン売ったりするのを見るのは楽しかった。天童よしみがモデルと思しき歌手とヤってしまうのも島らしくて良かった。ただ、電機メーカーの傍流ビジネスで実績をあげた島が初芝のトップに上り詰めるのと前後して、初芝がトップメーカーから転落していく様は、日本経済の地位低下をリアルタイムで見せつけられるようで悲しい気分になる。そんな中でもなんとなく島がマイペースにキャリアを積み上げていくのが、まさに茹でガエルの日本という感じで俺をイラつかせるのである。
まじで下品で最高である。吐く時に「ロッパー」とか言ってみたい。「ロールミー、ロールユー」とか「おい!〇〇屋!」とか父ちゃんに呼ばれて、変な職業のおっさんが出てくるのが大好物だ。時代の雰囲気としては、ダウンタウンの不条理コントと同じ流れだったのかもしれない。
ドラゴン桜に書かれていることはいちいち信用できる。「バカとブスは東大に行け」とか。
何回も巻頭カラーにされたりして、編集部も頑張って推していたが、あまり人気が出ずに連載から外れていった隠れた名作である。
「ほのぼの原始時代生活記」みたいな雰囲気から始まるが、物語に漂う違和感がどんどん膨らんでいく。進撃の巨人やエヴァがあそこまで人気を得ているのに、なぜ令和の我々は「暁星記」のことを忘れているのだろう。
99年に掲載の山下和美の短編。おっさんがロックをする話。めっちゃ熱い。当時読んだ時は俺はおっさんの息子に近い年だったが、今はこのおっさんに近い歳である。
なんで?今だって人によって払ったり払ってなかったりでしょ
もし単行本の書き下ろしに原稿料を払うようにするとなると、その編集部(もしくは出版社)が取引するすべての作家に同じ待遇を始める必要がある。
単行本は作者のもので、出版社や編集部は出版の手伝いをしてるだけだと言うなら、売り上げから10%を作者にではなくて、売り上げはまず全額作者に、その数%を出版社、印刷会社、製本業者にという形でないとおかしい。
作家側に肩入れする人って
自営業と雇われの区別がついてないとか都合よくミックスして得の部分だけ出してくるのよな。
表紙無しで出てるものやありものの絵で表紙作らせてるものも多数あるから
・表紙に手間かけた方が作品がよくなる、もっと売れるので描きたい
・表紙にも原稿料が欲しい
ってのがあるのはわからないではないけど
あひるの空とかブラックジャックによろしくとか、表紙絵を描かない選択をした漫画家もちゃんといるんやな
なんかtwitter(X)でまたこの手の議論が再燃してたので、思うところを書いてみる。
個人的には「表紙の原稿料くらい払ってあげなよ」と思うけど、払わないのもまた理屈としてはわかる。
まず一般的に、漫画編集部がどんな時にお金を払い、どんな時に払わないのか、以下にざっと整理する。
(※勿論例外もあるが、古くからある出版社の多くはこのようなシステムになっていると思う)
→漫画雑誌の表紙絵などを依頼される場合、当然、原稿料が支払われる。勿論連載原稿にも原稿料が支払われる。
→アンソロジーコミックなど、自著以外の単行本の表紙イラストを依頼されて描いた際にも、ちゃんと原稿料が支払われる。
③自著の単行本の表紙、本文の描きおろし、修正作業などには原稿料は支払われない。
→???
今、③が問題になっている。
なぜ③で表紙の原稿料が支払われないのか?
ロジックとしては簡単で、「自著の単行本絡みの書き下ろし報酬はすべて著者印税に含まれる」ということになっている。
書き下ろしで小説を出版する場合、書き下ろしの本文原稿だからといってその原稿に「原稿料」は出ない。印税がもらえるだけ。すべての報酬は印税にくるまれている。
ただし、「雑誌」に連載した場合は印税とは別に原稿料がもらえる(これはマンガ家も同じ)。
ちなみに小説単行本の表紙や挿絵を担当するイラストレーターは、勿論「原稿料」をもらえる。だが「印税」はもらえない。
そういう仕組になっている。
要するに、印税が発生する仕事に原稿料は発生せず、原稿料を貰うような仕事には印税は発生しない、という感じになっている。
「雑誌の表紙絵などを描いて原稿料をもらい、その時の原稿を単行本表紙に流用する」という裏技ならある。
これで間接的に単行本の表紙に原稿料を発生させることが出来る。
ただ、これも売れている作家だから出来るような方法かもしれない。
「いやいや、そもそもなんでちょっとのお金をケチるんだよ。商品の大事なパッケージ部分なんだから、普通に表紙に追加のお金出せよ」と感じるかもしれない。
もし単行本の書き下ろしに原稿料を払うようにするとなると、その編集部(もしくは出版社)が取引するすべての作家に同じ待遇を始める必要がある。
一人だけ特別に払うというのは難しくて、場合によっては出版時に交わす契約書の文面を修正する必要も出てくるかもしれない。
今後制度が変わるにしても、編集部の垣根を越えて(あと更に上層部の人とかも含めて)コンセンサスをとるのに時間がかかると思う。
だから、現状はとりあえず
「既に表紙の原稿料を払ってくれるのが判明してるところ」を選んで仕事をするしかないと思う。
最近できた新しい出版社や編集部は、最初から古い出版社とは違う方式でやっているから、
しかし、そうやって仕事先を選べる作家というのも、結局「力のある作家」に限られる……。
原稿料って原稿に支払われるお金じゃなくて原稿をお借りすることに対する原稿使用料が本当のところだからでしょ 雑誌もアンソロも
これはそう。勘違いされやすいけど、出版社が言う原稿料というのは「依頼料(請負料)」じゃなくて「掲載使用料(レンタル料)」みたいな扱いに近い(だから雑誌とかアンソロなど、他者の著作物に寄稿する時に発生する)。
だから、もし自著の単行本の表紙原稿に出版社からお金を払ってもらおうという場合、それは「いわゆるいつもの原稿料」とは全然別の名目として払われる可能性がある。(宣伝協力の謝礼金とか?)
自著の単行本に原稿料が発生するというのは原稿料の定義上ちょっと変な話になってしまうので、支払いの名目を工夫して建付け上の整合性をとる感じになると思う。
一方で、作家にとって原稿料って「労働の時間対価」的な感覚が強いから、こういう話を聞いても「いや何をいってんの?」ってなるのもわかる。
週刊少年ジャンプ史上最も重要なマンガ20選 https://anond.hatelabo.jp/20241012181121
週刊ビッグコミックスピリッツ史上最も重要なマンガ5選 https://anond.hatelabo.jp/20241014232424
週刊ヤングマガジン史上、最重要な漫画10選 https://anond.hatelabo.jp/20241016182953
月刊アフタヌーン史上、最重要な漫画10選 https://anond.hatelabo.jp/20241017235116
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上記シリーズが好きなので、コロコロ大好きっ子の自分も書いてみた。
コロコロは小学生をターゲットとしているため、「自分が子供の時に読んだ時代の作品が一番で、それ以外の作品はそもそもほとんどor全く知らない」となりがちと思われる。そのために「なぜこの作品が入っていないんだ!」という感想を抱かれやすい可能性はあるかもしれない。なるべく公平に選んだつもりだが、あくまで独断と偏見による10選であることをお断りしておく。
いきなりの番外扱いで申し訳ないが、コロコロコミック自体が『ドラえもん』の総集編本として創刊された歴史があり、以降現在に至るまでコロコロコミックにとって『ドラえもん』はいつの時代も特別な存在である。他の雑誌にこのようなスペシャルofスペシャルな作品が存在している例ってあるのだろうか? その存在感と功績は他と比肩できるものではなく、殿堂入りという形で別枠とさせていただく。
ちなみにコロコロコミックに掲載された『ドラえもん』は基本的に「小学一(~六)年生」といった学年誌などで発表された作品の“再録”で、藤子Fの生前コロコロ向けに新作が描かれたのは実は数話のみである。(『大長編ドラえもん』についてはコロコロコミック描き下ろし)
コロコロコミック史だけでなく、マンガ史に燦然と輝く画期的な「ビデオゲーム」漫画の始祖。
単に「ビデオゲーム」を題材とした作品というだけでなく、その後コロコロコミックは「ラジコン(RCカー)」や「ファミコン」「ミニ四駆」といった子供向けホビーを題材としたヒット作品を多数生み出すが、その礎を作った記念碑的作品である。企画はコロコロ編集部発案によるものだが、この題材をすがやに描かせた慧眼も光る。
「つるセコ」などの名台詞を生み出し、アニメ化もされたのむらしんぼ最大のヒット作。元よりギャグ作品の多かったコロコロの中でも当時際立ったヒット作となったが、この作品の画期的なポイントとして「4コマ漫画」という点も見逃せない。当時でも4コマ漫画は“古典的”な形式と見られており、当時では新聞はじめ大人向けマンガ以外で見かけることは意外と少なかったが、児童誌にこのフォーマットを定着させた功績は大きい。
後に『ゴーマニズム宣言』などの大人向け作品で名を馳せる小林よしのりだが、言うまでもなく元はギャグ漫画家である。常識外れに大金持ちのおぼっちゃまが主人公で、ち○こやウ○コなど下ネタも多く小学生男子のハートをガッシリと掴む。「ともだちんこ」「こんにチワワ」などの茶魔語も子どもたちの間でブームとなり、平成初頭のコロコロコミックを牽引する大ヒット作品となった。
ホビー漫画に力を入れるコロコロは田宮模型(タミヤ)とのつながりは深く、同社とのタイアップによるメディアミックス戦略は『ラジコンボーイ』(大林かおる/1983~1989年)を嚆矢とするが、その戦略が大きく花開いたと言えるのがこの作品。田宮模型の「ミニ四駆」も、そしてこの作品もお互いの相乗効果で大ヒットを果たした。当時のミニ四駆ブームを牽引。
熱血主人公の多いコロコロコミックだが、シンプルにスポーツを題材とする漫画は意外と少ない。
その中で、スポーツ漫画といえば「野球」「サッカー」が多くを占めていた時代に、小学生には非常に馴染み深い「ドッジボール」をテーマにした新規性は、意表を突かれながらも「なるほど!」と唸らせられる。アニメ化のほか、ファミコン・スーファミ・ゲームボーイ・PCエンジン・メガドラ・ゲームギアと、当時発売されていたありとあらゆるゲーム機でゲーム化もされている(すげえ)。
コロコロコミックにゲームのコミカライズ作品は非常に多い。ヒット作も数多いが、その中でコロコロを代表する作品をどれか一作を選べと言われたら、これしか無いだろう。
任天堂の人気キャラ・スーパーマリオを題材とした沢田ユキオの超ロングランギャグ作品。連載開始は1990年で、なんと現在も連載中である。昭和末期~平成以降に生まれた子どもなら、きっと誰もが一度は読んだことや目にしたことがあるであろう。
コロコロの歴史を語るうえで、80年代から活躍し『江戸っ子ボーイ がってん太助』『学級王ヤマザキ』などアニメ化されたヒット作も数多い樫本学ヴ作品を外すわけにはいくまいが、その中から『コロッケ!』をセレクト。一話完結ギャグやタイアップ作品の多いコロコロコミックとしては珍しい、連続冒険ストーリー漫画である。2年にわたるアニメ化、そして樫本学ヴはこの作品で小学館漫画賞児童部門を受賞した。
21世紀のコロコロコミックの『顔』である。じーさんと孫が織りなす子供向け不条理ギャグの大ヒット作品。表題作は2010年で連載終了しているが、続けざまに『でんぢゃらすじーさん邪』『なんと!でんぢゃらすじーさん』と20年以上に渡り、コロコロの看板作品として現在も続編が描き続けられている。
強烈で個性的な文房具のキャラクターが繰り広げるギャグ作品。2004年連載開始、現在も続く超絶ロングラン作品である。でんぢゃらすじーさんと並び、長らくコロコロの2大ギャグマンガとして君臨。一話が短めでサクッと読める。SNSを見ると、コロコロコミックは卒業しても、このマンガだけは読み続けているという声もちらほら見られる。
どんなものでも盗み出す怪盗ジョーカーを主人公としたたかはしひでやすのヒット作。魅力的なキャラクターたち、一部では強引とも評される(?)トリックも含め子どもたちの大きな支持を得た。
別冊コロコロに連載開始され、その後月刊コロコロに移籍。根強い人気でアニメもシーズン4まで続く。別コロ時代を含めると10年以上という長期連載で、連載開始時に小学校高学年だった子どもは連載終了時にはもう大人だが、最終話は見届けられたのだろうかと気になる。
一作家一作品縛りのため選外としたものも含め、次点作品を挙げておく。他の方の意見も聞いてみたい。
・とどろけ!一番(のむらしんぼ)1980-1983
・がんばれ!キッカーズ(ながいのりあき)1984-1989
・かっとばせ!キヨハラくん(河合じゅんじ)1987-1994
・爆走兄弟レッツ&ゴー!!(こしたてつひろ)1994-1999
・爆球連発!!スーパービーダマン(今賀俊)1995-2001
・うちゅう人 田中太郎(ながとしやすなり) 1998-2004