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2018-11-15

deltarune をインストールできない

一応ネタバレになる?









deltarune、インストールしようとするとlicense agreementが出てくるんだけど、そこで「起こること全てを受け入れてもらいます」と出てくる。

残念ながらその辺に転がってるプログラムに対して何やっても許すよとは言えない。キャンセルを押してしまった。

2018-11-14

[]ボヘミアン・ラプソディ

ボヘミアン・ラプソディ』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向けですぞ

総評

すごいぞなんと140点。点数の基準は「上映時間映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」。なんでサントラ買いたいくらいには良かったです。

ただその一方で実はこの映画感想を書くつもりは当初なくて、というのも自分クイーンリアルタイム応援してたファンではないからなんですよね。もちろん日本人普通に暮らしていればCMやら飲食店の店内楽曲クイーンの曲は耳にしてるし聞けば、あああれね! くらいのことは言えるんだけど。

でもどうせファンの人がたくさんレビューを書くと思ってたんで自分が書く必要はねえでしょうと、思ってました。

フィクションでええやないか

んだけど、実際見てみてその周辺の感想とか聞くと、もやもやした気持ちが募ってきたわけです

やはり133分という限られた尺の中では出来事を省略する必要もあったり、感情動線設計エピソードの順序入れ替えなどは行われているわけです。そういう意味でこれはノンフィクションではなくて、エンドロールにも書かれているようにフィクションです。

本国広報プロデューサーもそう発言しているんだけれど、コアなファンであればあるほどそういう部分が目につき、ニコニコ笑いながら(多分なんの悪気もなく)貶すという光景がなきにしもあらず。

実在人物フレディ・マーキュリーの伝記的な映画でもある以上仕方ないのだけれど、正解/不正解という視点がついてきてしまう。

オタクオタクゆえ仕方がない心性で「かー。しょうがないな、この部分もうちょっとこういう描きを入れてほしかったな。かー」「よくやってるけど30点!(地獄のミサワの顔で想像してください)」的な、本当は大好きなクイーン映画がすごく良い出来で嬉しいのだけれど一言わずにはおれないような。そういう反応多いのです。

気持ちはすごくわかるのだが、ソロで鑑賞にいったこ映画の後ろに行ったカップル男性が「あいクイーンのことになると早口になるよね」で、なんか、すごくいたたまれなかったのだ。

からこのレビューでは物語フィクション)としてこの映画おすすめします。

若い人もクイーン知らない人もちょっとしか知らない人も寄っといで。これはとても良い映画だったよ。知識なんていらないよ。単体で物語としてよかった。だから観るといいよ。そういうレビューです。

何もないという窒息

映画はフレディがクイーン前身バンドであるスマイルメンバーに声をかけるあたりからまりますデビュー前のフレディは当然まだ若く、瞳だけがギラギラした挙動不審青少年で、当たり前の話だけど何も持ってないわけです。

何も持ってないというのは、金も実績も名声も持ってないし、家庭ではなんだか居心地が悪いし、将来の確固たる保証もないということで、その何も持っていないという閉塞感が初っ端から強烈に描写されます

それがすごく良かった。

それは、この映画ロック界のスーパースター伝説偉人フレディー・マーキュリーを崇める映画ではなくて、何にも持ってないチンピラのフレディから始める映画だっていう鮮烈な意思表示なわけですよ。

野心を持った若者っていうモチーフ映画でも小説でもよく出てくるモチーフなのだけれど、若者は野心を持つってわけではなくて、それは全く逆で、財産らしきものは他に何も持ってないから野心ぐらい持たないと惨めでやってられないってことですよね。

作中で描かれるフレディがまさにそれで、デビュー後彼はすぐさまオレ様キャラを発揮し始めるのだけれど、最初デビュー前のシーンでは内気で繊細な少年なわけですよ。オレ様ってのは去勢だとすぐわかる。スカウトの前でも音楽プロデューサーの前でもでかいことを言うけれど、それは「いまは何者でもないチンピラだ」ってことを当の本人たちが痛いほどわかってるからにすぎない。

かに伝説バンドクイーンメンバー全員が稀有な才能を持っていて音楽に愛されていたのかもしれないけれど、でもそれは人間的な弱さを持っていなかったことは意味しないし、何も持ってないし、何も確かなことがない。将来何になれるかわからないし、不安だけど、弱みを見せるわけにも行かない。それって、青少年普遍的鬱屈だとおもう。そういう意味で、スクリーンの中のフレディは、たしかに観客席と地続きだと感じました。

生存戦略としての虚勢

から無駄に見栄を張り無駄喧嘩を売ってオレ様は天才なので何をやっても大成功なんだぞー! と嘘でも吠えなきゃならない。それは文字通りの意味で虚勢なのだけど、フレディはその意地を張り通して段々とスターへの階段を登っていくわけです。

生存戦略としての虚勢で、それがある程度以上に通用成功する。

からこそフレディは問題解決する手法として去勢音楽しか持たないわけです。下手に成功しちゃったから。そして、バンド内で揉め事が起きても、スポンサー揉め事が起きてもこのふたつで解決していくしかない。他のノウハウはびっくりするほど何もない。

でもその問題解決手法アーティストとして成功するために最適化されているために、フレディ個人内面の寂しさや煩悶を癒やす役には全く立たない。

溝ができつつある恋人であるメアリーとの間をなんとかつなぎとめようとするフレディのやり方は、小学性みたいに真っ直ぐすぎて、純真ではあるのだけれど多分恋愛検定で言うと偏差値43くらいでとてもつらい(っていうかお前隣り合った家の寝室の窓から明かりのオンオフ相手確認するとか昭和少女漫画クラスやぞ)。

バンドメンバーとの関係傲慢ワンマンが過ぎてギクシャクしていくが、こち解決傲慢&虚勢に仲間に対する甘えをトリプルでどん!! しているわけでお前よくこんなんで空中分解しないな?(とおもってたら分解した)という感じで、これまた辛い。こっちは偏差値41くらい。素直でない分2低い。つらい。

全体的にコミュ力中学生レベルでしょう(つらい)。

自分性自認ヘテロなのかゲイなのかで悩むフレディは、その鬱屈がたたって恋人メアリーとは距離を置くことになってしまうし、それをきっかけとして私生活が荒廃していくわけです。周辺に金をばらまき、ドラッグ乱交パーティーに溺れていくけれど、それで内面の寂しさは癒せない。

そもそも音楽&虚勢という生存戦略アーティストとしてのし上がることに特化しているので、私生活を豊かにするには役に立たないわけです。それどころかスターダムにのし上がればのし上がるほど、マスコミの下世話な視線に晒され、心無い詮索で私生活崩壊していく。仕事音楽)に逃げ込もうとするその弱い心が、事態を決定的に悪化させてしまう。

バンド危機だし、フレディは仲間からも「キミって時々本当にクズ野郎になるよね」といわれてしまう。スクリーンを見ながら「せやな」と言わざるをえないわけですよ。

フレディは、フレディの才能に殺されつつあるわけです。

でも、やっぱり、救いはある

この映画ふたり大好きな登場人物が居て、そのひとりはバンド精神的なリーダー?であったブライアン・メイ(演グウィリムリー)。この人の演技が、めちゃくちゃ良かった。特にセリフにならない表情の動きみたいなもので、映画の深みを何層も掘り下げてくれました。

喧嘩をした直後に浮かべる「仕方ないなあ」というような許容の表情や、ラストライブシーン中の「言葉にしなくてもわかってるよ」とでもいいたげなさりげない承認の表情など、どんだけバンドが砕け散りそうでも、メンバー音楽に対する愛を、演技だけで表現してのけた。ぶっちゃけすごい。

朴訥な、言葉は悪いけれど垢抜けない田舎者風のキャラ構築だけど、静かな思いやりと知性が感じられるっていう難しい役だったのにね。

もうひとりはジムマイアミハーバー。このひとは、当初クイーンというバンドプロデューサーから紹介された弁護士として登場します。契約面でクイーンを支えるためのスタッフのひとりでした。

出会ったその最初のシーンで(ヤング傲慢な)フレディからジムという名前はつまらないんでマイアミに変えろ」くらいのことは言われて笑いのもととなり、つまりコメディキャラ位置づけです。

でも物語中盤、フレディは誤解と癇癪からマネージャーであるジョン・リードを一方的にクビにしてしまうわけです。そしてフレディは、後任のマネージャーを「次のマネージャーはきみだ」のひとことで、その場に居たジムマイアミハーバー押し付けちゃうわけっすよ。

そんなの嫌でしょ。自分なら引き受けたくないです。だってクイーンの連中は音楽やってるとき以外は飲んだくれてるか喧嘩してるか女といちゃついてるかで、偉そうだし、わがままだし、人の話聞かないし、どう控えめに評価しても糞ガキ(主にフレディ)だもの

でも、ジムマイアミハーバースタジオ演奏しているクイーンを見て、引き受けてしまう。「わかった、やるよ!」といってしまう。それがすごく胸に詰まるシーンでした。

だってさ、たしかクイーンは(主にフレディ)は人の迷惑を考えないクソ野郎だけど、音楽の才能は本物で、それ以上に音楽と観客に対して真摯なのは見ててわかるんだよね。そこだけは本気で一切手抜きしないで、いいものを作ろうとしてるのがわかるのだ。

ジムマイアミハーバー弁護士としてのキャリアもあるし、こんなワガママ集団のお守りなんかしなくても十分生活できるはずでしょ。一方、クイーンマネージャーを引き受けるっていうのは彼らのツアーもついていくだろうし、各方面からの問い合わせやスケジュール管理もしなきゃいけないわけでしょう。それは控えめに言って、人生を捧げるってのとほぼイコールですよ。このわがまま集団を守って、彼らの盾になり続けるという意味だ。

立派な大の男の人生進路変更させてしまう、クイーン音楽のちからってのは、別段彼らの業績を知らないスクリーンこちらの素人にも、やっぱり分かるんですよ。そこで迂闊にもホロリと泣けてしまった。

(あとで調べて、彼ジムマイアミハーバー本人は最後までマネージャーを続けて、この映画制作にも関わったことを知って二度泣けました)

チャンピオンは誰だったのか?

フレディは前述の通り、性自認問題やら持ち前の癇癪から疑心暗鬼になって、「家族」とまで思っていたバンドメンバーを遠ざけて孤独になり、その孤独がつらくてより酒におぼれて生活がぼろぼろになっていく。

でもそういう最悪の時期を、元恋人メアリーの助言で断ち切ってバンドメンバーのもとに戻るわけです。

そこから映画クライマックスへ、復帰のための厳しいレッスンから1985年のライブエイドに向かっていく。自分HIV罹患していて余命がいくばくもないこと。でもそれでも「同情はゴメンだ。俺の望みは残りの人生音楽に捧げることなんだ」とフレディは仲間に言うわけです。

それに対する仲間のアンサーが「お前は伝説だ」と。

でもフレディは「俺たち全員だ」と応えてライブへとつながってゆきます。幾つもの和解があって、ライブ当日、フレディは素晴らしいパフォーマンスを見せる――というのがクライマックスの展開なわけです。そこで立て続けに流れる名曲の数々ですが、やはりひときクローズアップされているのが"We Are The Champions"という楽曲です。

おそらく誰もが耳にしたことがあるこの曲が名曲だってのはもちろんあるんですが、やはり、この物語の中では、すごく重いです。そして良かったです。

この曲は確か公開当時「傲慢歌詞だ」という批判を受けたはずなんだけど、実際映画館で、物語の中で聞くと、ちっともそういう曲には聞こえないんですよ。歌詞のものは「俺たちはチャンピオン勝利者)だ。今まで色々やってきた結果勝利者になった。敗北者に用はない。俺たちはこれからも挑むんだ」というもので、なるほどそう要約してみれば、傲慢にも聞こえます。とくに大セールスを記録した世界アーティストのそれともなれば、そういうやっかみを受けるかもしれない。

でも、そういうふうには聞こえなかった。

しろ、今まで自分たちがやってきた努力や行動のすべてを自分たちは自分たち自身に胸を張っているけれど、それを周囲には理解してもらえてない、“未だ自分たちは最終的な何かを何も受け取っていない”若者である自分が、自分自身に対して「俺たちは勝利者だ」と励ましているような、自分友達鼓舞するような、そんな曲に聞こえるのです。

しかに名声も金も手に入れたけれど、でもだからといってそれがゴールだなんて思わない。今現在環境は決着ではない、だから敗北者に用はない。もっともっとおれたちは目指す何かに向かって、求めていた何かに向かって手をのばすんだ。そんな歌詞に聞こえてしかたがないわけです。

人間人生の何処かのシーンで、自分を励まさずにいられない心境になるってどうしようもなくあると思うんですよ。

苦境にあっても、自分は間違っていない。今まで歩いてきた道は愚かだったわけではない。それを証明するために現在という試練を超えて、未来で何かを手にしたい。

そんな気持ち世界アーティストであろうともそこらに兄ちゃんおっさんであっても、抱くことはある。むしろそこらのおっさんやおばさんだからこそ、自分応援する必要がある。多くの観衆のそういう内面祈りのような感情を、本人に変わって歌い上げるからこそ大スターになれるんじゃないかと思うわけです。

から"We Are The Champions"という曲におけるWeは、フレディでありクイーンメンバーであり、ライブエイドの観客であり、そしてこの映画を見ている人間でもあるわけです。

それがとても良かった。この映画自分に関する物語として見れることが、とても良かった。

これらのことは別段クイーン情報を知らずとも、楽曲に対する知識がなくてもこの映画を見るだけで十分についていけます

この映画は、伝説バンドクイーンというのが居てその偉業にひれ伏すためのものではなく、かと言って歴史的事実に対して○×クイズをするための出題でもなく、音楽に深い愛を捧げた内気な少年プライドと虚勢を頼りに世界と戦った――そして最後には家族の元へと戻り偉大な勝利を得た。

そういうビルドゥングスロマン映画であって、あるいは中途半端知識のあるファンよりも、何も知らない世代や人々にこそ深く刺さるものだったと思います

2018-11-12

ネタバレセルフネグレクト

視聴中のドラマアニメ原作ネタバレサイトWikipedia自分から覗きに行く行為

自分自分の楽しみ奪ってるんだけど単に堪え性が無いともいう

[]SSSS.GRIDMAN 6話

六花ちゃん母親、1話から思ってたけどフリクリハルコさんっぽさがパねえ

ビジュアルも声も・・・と思ってぐぐったらやっぱりハルコと同じ声じゃねーか

からますぎるから誰も触れないのか?もう1話で触れたから終わった話題って感じになってるだけか?

まーいーや

怪獣娘が出てきた

声優が事前ネタバレしたっつってツイッターちょっと話題になってたやつ

ぼろぼろできたない小銭でおごってくれるあの子かわいすぎて胸がキュンキュンした

怪獣バトルはなかったけどアンチクンとグリッドマン取り巻き肉弾戦はあった

しか立花ちゃん面倒見よすぎだろ・・

まあホームレスおっさんだったらあんなことやんないんだろうけど

六花ちゃんソープで働く妄想をしてしまった

あとソファー?かどっかで仰向けになってスマホ動画見てるの、よくあるエロ絵のシチュっぽくて興奮した

おっさんは興奮して腰ふってるけど女はスマホ見て平然としてるってやつ

見終わった後まとめブログみて、そういやBGM劇伴なかったなと気付かされた

それでも退屈にかんじなかったのはカットの妙なんだろうな

コンテがうまいっていうか、退屈しない

あと今更だけどグリリバって全然声老けなくてすごい

2018-11-09

劇場版プリキュアオールスターズメモリーズ観た

劇場版プリキュアオールスターズメモリーズを一人で観てきたおっさんネタバレありの感想



要約すると、今回の敵は使われることのなかったゆえにダークサイドに堕ちたカメラで、自分が写したかった綺麗な記憶プリキュアから奪ったが満たされることもなく、最終的にははなの説得で浄化された、という話。

なんだけど、カメラ本体を見つけた時にさあやがあれだけ反応した、ということはマイナーでも知っている人は知っているのだろうし、そもそも製品として世に出ている以上は開発者の想いをたっぷり受けて作られているであろうに、そこに全く触れられなかったのが残念だった。

てっきり開発者との思い出をみつけて、「なんにもないなんてことはないよ。君だって愛されて生まれてきたんだよ」って展開になるとばっかり思っていたのに。

いや、自分がここ最近やっとのことで世にリリースできたサービスが、売上あがらずあっさりと終了になってしまって、それをミデンと重ねてみてしまっていたと言うのもあるんだけどさ。


世の中の製品基本的開発者製造者から愛されて出来ているんだよー、と年甲斐もなく主張したくなった。まあ、プリキュアという純なものを見たおっさんたわごとです。


あと、出演するプリキュア全員に声があると聞いて、どうすんだろう?と思っていたら、各シーズンごとに数秒ぐらいしかなくて、しゃーないけどとは思いつつもちょっと笑った。


ちなみに平日の最終上映で、本来ターゲットである子供は一人もいなかった。声を出してプリキュア応援する人も、ミラクルライトの輝きも一切なかった

これでは奇跡は起きないよなーとか思いつつ予定調和で話は進んでいくのであった。

2018-11-08

からくりサーカス43巻を読んでいる間ずっと泣いていた

もとい、からくりサーカスとは「変わっていく」物語

 この文章は、大きなネタバレしません。

 未読の方に紹介することを前提にしたものなので致命的なネタバレは勿論ですが、魅力的で多彩なキャラの紹介はしません。

 どの展開もキャラクターもネタバレに溢れているからです。

 ただ、アニメ派の方は些細な説明も今後のネタバレに繋がりかねないので、この文章を読まない方がアニメを楽しめると思います

 また、ちょっとネタバレにも触れたくない方は読むのを止め、是非からくりサーカスをお読みください。

 とても素晴らしいサーカスをご覧頂けますので。

 からくりサーカス。皆々様はご存知でしょうか。

 週刊少年サンデーにて1997年2006年まで、計9年間連載され、全43巻で完結したお話でございます

 私はというと「ほんのちょっと」聞きかじっていました。

 たまに読むサンデーからくりサーカスが丁度載っていて、途中から読んだものから話はよくわからない。

 ただ、「しろがね」という美しい人形のような女性と、人形たちと、「鳴海」という強い青年、そして「勝」という少年がいることはわかってました。

 それくらいの「ほんのちょっと」です。

 さて、そんな私が何故からくりサーカスという漫画を読むに至ったのかというと、「アニメ化」がきっかけです。

 そう、アニメの第1話を見ました。

 アニメ10/11(木)の22:30からTOKYO MXなどで放送開始しています

 私の先程の「ほんのちょっと」の情報アニメで綺麗に繋がりました。

 父の莫大な遺産相続した少年「勝」、彼が助けを求めたサーカスのビラ配りの青年鳴海」、そして「勝」を助ける使命を帯びた麗しのひと「しろがね」、彼女が繰り出すあやつり人形「あるるかん」、襲いくるは「自動人形(オートマタ)」たち。

 物語はそんな彼らの出会いからまり、様々な出会いと別れを経て、彼らの関係性は始まりから大きく「変わり」、そして終わるべくして終わります

からくりサーカスとは、「変わっていく」物語だと感じた

 泣き虫で逃げてばかりだった少年「勝」は、「鳴海」との出会いで諦めずに笑って立ち向かうことを学び、失ったものを心に抱きながら成長し「変わって」いきます

 人を笑わせないと死ぬ奇病「ゾナハ病」にかかった青年鳴海」は、世界中にいる同じ病気で苦しむ子供たちのため、彼らを守るためにと強くより強く「変わって」いきます

 人形のように表情を変えない女性しろがね」は、心が揺さぶられる出会いと別れを経て、家族と呼べる仲間を得て、自然に微笑むことができるような人間らしいひとへと「変わって」いきます

他の登場人物たちもまた、誰しもが「変わって」いく

 34巻60・61ページの「勝」の言葉引用するとわかりやすいでしょうか。

「守りたい人がいれば、僕だって変わっていける。僕だって進化していける。」

「誰も見ていない暗闇でずうっと同じ芸を繰り返す自動人形は、進化できるの!?


 「勝」はいます、「人間」は変わっていける。「自動人形」は変わることができない。ただ繰り返し命じられたことをなぞるだけの機械人形

 「変化」こそが人間に与えられた宝であり、それがある限り人間は立ち止まらず、前へ歩んでゆくのだと。

過去のどのような失敗すら呑み込んで、未来を目指すのだと。

 「変われない」のならば、それは人間であっても人間とはいえない。

 「変われた」のならば、それは人間でなくともきっと人間なのではないか

からくりサーカスは、人々が「変わって」いく物語

 初登場時はあんなに憎たらしかったアイツも、嫌悪感を抱かせたアイツも、どうしようもないと思わされたアイツも、懲りないと呆れてしまうアイツも、みんな「変わって」いく。

 では、何故変われるのか。

 それはきっと誰かとの「出会い」があったから。

 強い男の背中を見たから、一目惚れをしたから、守ってくれる優しい腕があったから、叱り飛ばしてくれる母親がいたから、家族のような仲間たちと出会たから、逃しがたい敵を見つけたから。

 それは様々な出会い千差万別

 運命的であり、偶然のものであり、愛する人であり、憎い相手であり、敵であり、味方であった。

 誰しもが誰かと出会い、変わり、前へと進んでいく。

 是非、1巻から大きく「変わった」彼ら三人と、その仲間たちの活躍をご覧くださいませ。

 私はアニメきっかけに当時無料開放されていた5巻まで読み、最初は耐えていましたが続きが気になって仕方なくなり、全巻まとめ買いしました。

 でも、そうでなくとも構いません。

 勿論原作漫画に触れることを推奨したいですが、人の「出会い」は千差万別漫画を試しに1巻だけ買っても、漫画喫茶で読んでも、友人から借りても、アニメを見るのでもいいでしょう。

 無理に漫画を読むものではないし、絶対に触れろとはいいません。こういうもの自分の中で「触れたい」と思う気持ちが大切だからです。

 ただ、この私の文章を読んで、少しでも興味が出たのなら、ちょっとくらい触れてみようと思えたのなら、心にとめておいてください。

 「からくりサーカス」という物語があることを。

私は最終巻である43巻を読んでいる間、ずっと泣いていた

 変わった彼らの今に泣き、成果に泣き、辿り着いたもの、得たものに泣かされました。

 キーワード「笑顔」。そこが一番好きなシーンです。

 私はおかげさまで、とてもとても、愉快で心躍る、胸が張り裂けそうになる素晴らしいサーカスを見ることができました。

 それを是非、貴方にもご覧頂きたいと思ってしまうのです。

 よろしければ「からくりサーカス」、愉快で胸を打つサーカスに、触れてみてくださいませ。

仮面ライダービルド感情破壊されて2ヶ月が経過した

2018年8月26日 日曜日

仮面ライダービルド最終回を迎えた

全49話だった

放送終了後

私はただ呆然と震えることしかできない何かと化していた

とんでもない最終回だった

本当にとんでもない最終回だったのだ

序盤からストーリーを展開しつつバディ要素で感情感情をぶつけてくるとんでもない作品だとは思っていた

冬の映画

夏の映画

やはりバディ要素を軸足に、感情感情へとボディブローを叩き込んでくる徹底してとんでもないヤツだった

そして最終回

ここまでの全てが詰め込まれ感情迫撃砲真正から受け止めた私の感情は、完全にバラバラになっていた

とんでもない

いや、とんでもないという言葉ではとてもおさまらない

尊いという言葉すら陳腐かもしれない

今までの積み重ねから期待していたものを遥かに超えた幕引きは、あまりにも力強く、切なく、暖かく、そしてなにより、過酷一年を戦い抜いたバディへの最高の祝福だった

これ以上はないと心から思えるそのさまを見とどけて、ただ呆然テレビの前でへたりこむしかできなかった

そこに、一年間追い続けた作品が完結してしまたことへの悲しみは存在していなかった

間違いなく、ライダー達の掲げた愛と平和は成し遂げられたのだ

それからひと月と少し

ばらばらになった感情がひとかたまりに落ち着きを取り戻しつつあった10月

ファイナルステージという、ヒーローショーとトークショー構成されるイベントを観に行った

ショーは、最終回の隙間で起きたエピソードを描いていた

迫撃砲などというものではない

レールガン

レールガンで撃ち出された感情が、私の感情を真っ直ぐに貫いていった

やっとそれとなく固まりかけていた感情は、それはそれは綺麗に爆発四散した

一瞬、現実現実なのかわからなくなった

あの最終回を更に加速させる素晴らしいステージを、まさか、生で、目の前で、目にすることができたのだから

最後握手会ライダー達と交わした手の力強さだけが、ああ確かに現実であるのだと伝えてくれた

会場からの帰り道、粉微塵になった自分感情を眺めて

ああ、これで「仮面ライダービルド」は改めて完結したのだな

とわかってしまったら、あとはもうどうしようもなく、ただ泣くことしかできなかった

ならば、私にできることは、ただひとつしかない

こうしてネタバレを極力回避するようにした結果回りくどく詩的なものになってしまった記事をしたためている今も、私の感情は未だ夢心地のような塩梅を見せている

それでも、いや、だからこそ、それらを含めて、今、こうして書きとめたかった

脆くも強いラブ&ピースを掲げ謳い続けたライダー達のことを誰かに伝えたかった

仮面ライダービルド」を、彼らの「物語」を、とにかく一人でも多くの人に知ってもらいたくて仕方がなかった

からもし、この記事を読んで心揺さぶられたのならば





どうか、彼らの生き様感情を、そしてそれらが行き着く結末を、見届けてはくれないだろうか



追伸

12月1月発売の関連商品数を確認してからというもの

正気で年を越せるか期待と不安でいっぱいです

2018-11-04

手塚治虫作品無料公開されてるから色々読んで感想を書く 2日目

https://anond.hatelabo.jp/20181104013756 の続き。

 

時計仕掛けのりんご

ねとらぼの本キャンペーン記事ブクマオススメされてた短編集。SF多めだけどそうじゃないのもあってごった煮。どれも面白かったけど、頭抜けてるのが『バイパスの夜』。バイパスを走るタクシー舞台であり、それが最初から最後まで最大限に活用されている。無駄ひとつもない完成品。

他には『悪魔の開幕』と『帰還者』がオススメ。『悪魔の開幕』は何を言ってもネタバレになるので騙されたと思って最後まで読んでほしい。『帰還者』はアレな言い方だけど、富樫のレベルE読んだような読後感。手塚治虫天才で、本当になんでも描けるんだなということがよく分かる。

 

新撰組

父の仇を追って新選組に入隊した深草丘十郎。そこで彼は後に親友となる謎の剣豪少年・鎌切大作と出会う。幕末の動乱を、ふたり少年はどう生き抜くのか。

ブコメオススメされてたから読んでみたけど、うーんこれは傑作だ。

ひとことで言うと美しい『アドルフに告ぐ』。物語を彩る様々な立場キャラクターたち、実際の歴史を背景に躍動する主人公、そして全てはラストに結実する。美しい。圧倒的に美しい。子どもとき出会えていたら本当にたまらなかっただろうなー。これから何度も読み返したい一冊。

 

日本発狂

北村市郎、通称イッチはとある夜、幽霊の行進と出会う。偶然知り合った記者情報交換することになるが、彼は交通事故で死んでしまった。本当にあれは幽霊だったのか? 駅のホームで見かけて以来、つきまとってくるようになった美少女の正体は?

これもブコメからホラーものかな? と思ったら斜め上に話が転がっていくのがさすがというかなんというか。気負わず笑いながら読んでいいやつだと思われる。「歓声とファンの数とは比例します」「ンン?」「これ歓声の法則」といった切れ味抜群のギャグもあったし。

 

『紙の砦』

これもブコメより。手塚治虫自伝的な作品を集めた短編集。悲惨戦争体験と、そんな中でも漫画を描き続けた戦中、ようやく悪夢のような戦争から解放され漫画家として立身していくぞ(でも漫画雑誌もない荒野でどうやって?)っていう戦後が主。

特に響いたのは表題作でもある『紙の砦』。時は戦中。特殊訓練所にいながらも隙あらば漫画を描く大寒少年オペラ歌手を目指す美少女出会う。

戦争って悲惨だしいいこと何もねーなっていう感じが色濃く描かれる。司馬遼太郎終戦の時に浜で泣きながらなんでこんな馬鹿戦争をしたんだって嘆いたらしいが、手塚のそれは叙情も何もなくただただ早く終わってほしい悲惨ものとされているように思う。

そしてラスト特に辛い。仮に――戦争手塚が両手を失っていたら、手塚は、日本漫画界はどうなっていたであろうか。

悲惨戦争話が多い中で『という手紙がきた』は一服の清涼剤。『トキワ荘物語』はとてもしんみりさせてくれる。『動物つれづれ草』も好き。

 

鳥人大系』

人類が退化し、代わりに鳥類惑星支配者になった世界を描く。その新たな世界鳥人は高度な文明を築き、ホモ・サピエンス鳥人家畜になっていた。そして鳥人たちはかつての人類のように相争い、滅亡の道をたどる。

うーーーん、あんまりきじゃないかなー。

短編連作の形を取りながら鳥人たちの誕生、栄華、末路を描くんだけど、風刺的な要素の強く出過ぎてて胸焼けする。『むかしむかし……めでたしめでたし』みたいなただの焼き直しにすぎない作品もあって、低調な短編はとことん低調。

ただそこは手塚神、すげー読ませるのもあって、『うずらが丘』は物語の展開力とオチの冷淡な語りおよび視線がさすがの一言だし、『トゥルドス・メルラ・サピエンスブラックバード)』のような掛け値なしのイイハナシダナーにはホッとさせられた。

とはいえかなり疲れさせられるお話であることは間違いないかな……。

陽だまりの樹

時は幕末世渡り下手だが一本気な府中藩士・伊武谷万二郎女好きだが顔の広い蘭方医の卵・手塚良庵は最悪の出会いを果たす。だがふたり腐れ縁のように固く結びつき、ともに動乱の時代を駆け抜けていく。万二郎は下級武士ながらとある事件きっかけで出世街道上り、一方の良庵は大坂適塾を経て江戸種痘所開設に尽力する。ふたり青年と、日本未来はいかに

うーん、感想の言いにくい作品面白かったけど、中盤から物語に暗い影が落ち始め、読むのがちょっとしんどくなってしまった。手塚作品にしては長く、それでいて物語が綿密に練り上げられていることは間違いないんだが、同時に間延びしてしまった感も否めない。万二郎主人公に据えたがゆえの限界という面もあり、愛すべき馬鹿には違いないけど、もうちょっとどうにかならんかったのかというのはある。同じ幕末を扱った『新選組』が青雲の物語であるならば、『陽だまりの樹』は凡庸な人たちの物語、という感じ。

人生に思い残しがある者は死に場所しか生きた証を残せない、という話はあって、彼女名前だすとアレなのでボカします)にそれが与えられたのはしみじみ良かったなーと思う。ひきかえ万二郎はそういう悲愴さとも無縁で、さいごまで読者をすっきりさせてくれないやつだった。だけどやっぱり憎めない。

お気に入りキャラクターは、平助、お紺、お品。三人にはいっしょに酒を飲んでもらって、生きてりゃそりゃ辛いことのひとつやふたつあるよなーって盛大に愚痴ってほしい。

 

あとがき的な

2日目の昼ぐらいに気づき、結局それからひたすら読んでた。ああ、もっと早く知っていれば!(BJとか火の鳥とかが入ってないのは読んだことがあるから火の鳥は再読しておきたかったけど、せっかくの機会なので未読作品を優先した)

全体的な感想を言えば、俺がおっさんからだろうけど、青年向けの作品の方が読み応えあった。『ジャングル大帝レオ』や『海のトリトン』は当時革新的だっただろうけど、さすがにいま初読だと平凡って印象が拭えない。それらに並ぶ子ども向け作品の『リボンの騎士』は、今でもおもしろいし、男の子の心と女の子の心が入った王女様が王子様のかっこうをしなくちゃいけなくて……という設定を思いつく手塚神ほんと神ってるなと。

大人向け作品はやはり『アドルフに告ぐ』が文句なしの傑作。行き当たりばったりで連載していたというブコメがあったけどマジか。震える。

短編イチオシは『バイパスの夜』かなー。「極限まで削ぎ落とした体に鬼が宿る(byライスシャワーCM)」じゃないけど、無駄が何一つ無い完成品とはまさにこのこと。

今回よんだ中で一番好きなのは新選組』。あそこまで美しい作品はなかなかない。

一番好きなキャラクターは『リボンの騎士からヘケート。容姿性格、行動力、作中での立ち回り、どの要素も俺の心を惹きつけてやまない。心に残るキャラクターだった。次点で『陽だまりの樹からお品さん。

それにしても本当に手塚神がいてくれてよかった。日本漫画界に残した足跡の大きさからしてもそうなんだけど、それ以上に何十年たってもその著作が色褪せずに面白いってほんとすげーこと。これからも多くの人に手塚治虫の諸作が読みつがれていくことを確信して筆を擱く。

 

あ、ひとつだけ忘れてたか最後に。青年向けの漫画レイプネタがやたらぶっこまれるんだけどなんでなん……。

クソみてえな失恋の話

とうとう眠れなさに耐えきれなくなってこんなところにまで文章を書いている。なんてバカなのだろう。

最初から……というのが苦手なのでわかりにくいかもしれないが、まあ深夜に書き込んでいる哀れな女の話を聞いてほしい。

ある女の事を考えてどうにも眠れない。

……なんて陳腐な出だしなんだろう。平安時代なら残りすらしない歌の一つでも詠めたかもしれない。

さて同性愛について悩んでいる人も多いだろうし、別にミリも悩んでいないと言えば嘘になるが、本題ではないので割愛させて頂く。

じゃあ何が問題か。彼女が私の愛を受け取ってくれないということだ。

もちろん好きでもない奴の愛なんざ受け取れるか!というのはごもっとである。だが、そもそも彼女は私に好かれていることを理解していない。多分。

なんで曖昧かというと一度は告白まがいのことをしたからで、いやそれもうほぼ告白じゃね?というレベルだけど。

でもこの間「私が君のことをどう思ってると思う?」という話題で「ウーーン、何か感情を向けられていることはわかるよ」って返されたからもう何?全然わかんない。彼女のこと全然わかんないよもう。

別にいいけどさ!!!!???さすがに問題あるよね!!!!????失恋すらさせてくれないって何!!!!!!!??????

いや思い当たる節はあるっていうかほぼこれ。彼女アダルトチルドレンだ。

素人判断でもわかる程度に偶像してる。もちろん人間なので完璧はいかない(そうだったら困る)が、”誰か”の理想になりたいというのが根幹にあるらしい。

正直引いた。

まあ気持ちはめちゃくちゃわかる。なんせ私も愛着障害じみてるから……でも実行しちゃうあたりが手に負えないっていうか……


ちょっと話は変わって。「輪るピングドラム」という作品をご存知だろうか。

未視聴の人はこの辺りでクソ日記を閉じてアマゾンプライム会員になってほしい。そして全話見てほしい。名作だから。あとこの先ネタバレがあるので。

運命果実がないまま100回キスをするとどうなるか?透明になる。

ならば運命果実とは何か。答えは概ね同じと信じたい。

まあ、つまりだ。彼女は私の林檎を受け取らない。これはいい。別の人から貰えばいいのだ。

しか彼女はあらゆる林檎を受け取らない。そうしてキスを続ける。消費されていく。無自覚なままに。

透明になどなって欲しくないのに。

少し前に「透明になるのは困るなあ」と言われた。

そんなこと言われたら頑張るしかないじゃないか。なんてひどい女だ。

彼女のことをどう思うか言葉にしてはいけない。そう決めてしまった。むしろそうでもしなければ、本当に告白してしまいそうだったから。

でもこんな話、きっと誰にも読まれずに電子海の藻屑になるだろう。最初の話をしても大丈夫なはず。

最初はきっと哀れみだった。なんだか寂しそうだったから離れがたくなった。

一緒にいたら楽しかった。今だって何をしても楽しい。それだけ。それだけなんだよ。

いっそ君が全てを知ってしまえば楽になるのに。でも何も知らなくていい。こんな重いもの、見るだけで胸焼けするだろうし。

最近は、梨に偽装して林檎押し付けている。彼女、梨は食べるようだから

いつか彼女林檎だと気づいたら勝ちだ。一生気付かない可能性も高いけれど、そうなってくれたらもういいのだ。

さっさと私のいないところで幸せになってほしい。

ちょっと耐えきれなくなってこんなところに書き込んでしまったが、もし知人が読んでしまって、私に気づいても素知らぬふりをしてほしい。恥で死んでしまう。

勢いでここまで書いたからわかりにくいと思う。ここまで読んでもらえて嬉しいが、もう二度とお目にかかりたくないものだ。

2018-11-02

ネタバレに対する”俺の”価値観

1.ネタバレを受けずに読みたい作品がある場合インターネットを断つ

ツイッターはてなブックマークなどを見ていると、どうしてもネタバレな内容を含む文章と触れてしまう。

もちろん「ネタバレをする人が悪い」というのも一つの価値観だろうけど、僕はこれに関しては自己防衛の方が楽だと判断している。

理由は、ネタバレ禁止法律で制定されているわけでもないのだから、話すやつは話すし、その時に嫌な思いをするのは結局自分から

自分が嫌な思いをした後から、どうあがいてもその嫌な気持ちは消せない以上、自己防衛を徹底した方が楽。

なお、インターネット以外では喋る相手などいないので、問題ない。


2.そうでない作品は気にしない

自分人生の中で全ての本を読むことができない以上、自分ファーストインプレッションネタバレなしで読みたい! と思った作品以外は気にしないことにしている。

なんていうか「それはそれじゃん」と思ってしまうんですよね。

例えば、ここでいきなり近年の高く評価されてるミステリ小説「屍人荘の殺人」のネタを割りますけど、

ゾンビが出てくる」「そのゾンビがいるという設定を利用したトリックがある」「序盤で名探偵が死んで、ワトスン役と別の女性名探偵が新しくコンビを結成する」

このみっつを割られた状態で僕はこの小説を読んだけど、すごい面白かったし、割られずに読んだときとその面白さを比較することに意味が全くないと思ってるんですよ。

じゃあどこをネタバレされたら僕は嫌だっただろうか? を逆算すると

P302「——あげない」強い口調。「彼は、私のワトソンだ」

これを引用されてたら、さすがに「ネタバレ踏まずに早く読んでおけばよかったー!」と後悔していたかもしれない。

まあ…… よくわかんないや。結局、自分直感で嫌だと思ったらネットを絶ってさっさと読むし、そうじゃなかったら気にしないです。


3.自分が書く文章ではネタバレをあまり気にしない

ネタバレネタバレじゃないか、の範疇なんて人それぞれだから、全員に配慮してたら何も書けないと思っている。

なので、その時々、その相手と逐一意見をすり合わせるしかなく

かつ、ネタバレを気にする人は、作品の公開から時を経てば経つほど減って行くので、

「海は割れる!」「ユダは裏切る!」「かぐや姫最後月に帰る!」レベルまでいかなくても、その文章を読む人のタイミング次第では問題にならないケースもあって。

なので、それらには基本的に気を使わず、書きたいように書くしかないんじゃないのかなあと。

もちろん、自分の中で「これはネタバレせずに読んで欲しいなあ」と感じた時は、その配慮をしていきたいとは思ってます


4.俺のネタバレせずに読んで欲しい、という気持ちはあまり世間の人と折り合いが合わない

以前、ある人にゲームの紹介を書いてくれと頼まれて紹介した際に「XXXとは最後お別れするんだよ」と書いたら、ネタバレやめろや、と怒られたことがある。

正直、僕にはこれがネタバレになるとはあまりピンときてなくて。

かに言われてみると、スタッフロールの間際に起きる出来事を書くのは軽率だったかもだけど、それ以上にこのお別れがいかにこのゲームシリーズ的に重たい意味があるのかを知って欲しいし、その感情の整理をしたかったんだよね。

ただ、これに限らずネタバレラインでは割と折り合いが合わない。

これは「1.ネタバレを受けずに読みたい作品がある場合インターネットを断つ」という自分ルールがあるせいで、

どうしても「もし自分なら、ネタバレが嫌な作品の紹介はそもそもして欲しくない」と思ってしまうからかなあ。

まあ気をつけてはいくけど、今後も失敗していくんだろうなあ。

あらすじの説明はどこまで?

物語のあらすじや登場人物説明は、どこまでならネタバレにならないものだろうか?

例えば『桃太郎』の説明をするにあたっては、「桃からまれ桃太郎が、犬と猿とキジを連れて鬼退治する話」と言ってしまってよいのだろうか。


この短い文の中に、物語の肝ともいうべき“意外な展開”のネタバレが詰まっている。

  • からまれる。
  • 動物を仲間にする。
  • 最終的にはあの強い鬼に勝つ。



こんなの聞いてしまったら、おばあさんが川で桃を見つけても(中に入ってるんだろ?)って思っちゃうよね。

それが大きな桃であっても(だって中に人が入ってるんだろ?)って知ってるから、美味しいのかな? 食べられるのかな? なんてワクワクは無いよね。

犬を仲間にするにあたってキビ団子を使うところは、ちょっと意外性があって楽しめるかもしれない。ただ、(これはネタバレを聞いてしまたこととは無関係だが)その後に猿とキジをまったく同じ方法で仲間にするのは、飽きるね。

鬼ヶ島いくら死闘を語ったところで、勝つって分かっちゃってるんだよな。




かといって「川を流れてきた桃から始まる冒険」じゃあ、さっぱり分からん

漫画ナラノアドゥ』の終わり方にがっかり

ネタバレ注意







なんなんだよーこの打ち切りエンド。

1巻のあとがき担当編集から「○割を削りましょう」とか言われたってあったから、

何かしら消化不良になるのは覚悟してたけど、まさかこれ程とは。

作中12人いる魔王のうち、5人は姿も名前も出てこなかった。

主人公名前を付けた人間主人公契約した天使の正体も目的も分からずじまい。

物語序盤に別れた、仲間キャラの友人と妹は、モブに殺されましたって説明で終了。

最期の数ページは説明不足過ぎて意味が分からない。

ifストーリー?「こういう構想をしてました」っていう後書き?

悪魔の要素を身につけたことで人ならざる存在になりつつあった

仲間キャラ、罪人の部隊、人工魔王悪魔人間達とどう関わっていくかとか

話の広げ方はいくらでもあっただろうに、

なんでこんな雑な終わり方してしまったんだ。

全巻そろえる程、気にいってたのに。

2018-11-01

[]猪ノ谷言葉「ランウェイで笑って」

ランウェイってのはパリコレとかでモデルが歩く道のこと

すげー面白い

でも何が面白いか語ろうとすると1話ネタバレを盛大に踏んでしまうことになるから難しいというジレンマ

1話だけでも読んでくれたあとならいくらでも話せるのに

そうなんだよこいつ1話ででっかい仕掛けを持ってきてるすげーマンガなんだよ

まずそこが面白いってのが未読者にも語れることだな

1話だけでも試し読みしてくれ

うーんでも週刊少年マガジンという少年マンガ誌でこんなテーマでやるのはほんとすごいわ

魅せ方もどんどんうまくなっていって、コマ割りもどんどん大胆になるからすごい読み応えがあるし

なんかなによりも作者がめちゃくちゃ急成長シてる感じ

ド派手なシーンの画力とか大暮維人っぽさも感じたし

あー早く続きが読みたくてたまら

anond:20181101171022

正直なところそんな辛いことがあったらゲームやらなくなっちゃうな。

からまとめてストーリーだけおっかけるとか、ネタバレちゃうとかする。

anond:20181101125704

コミックスで追ってたドクターストーンうっかり読んじゃってたいへんなネタバレにあったからもうやらない

銀英伝

銀英伝を、フジリュー版で初めて読むファンが「あの場面」(原作2巻)に直面…「過去ファンもこれを乗り越えたのか」←「そうだ、頑張れ」「この後もな…」※まとめでは内容ネタバレあり - Togetter https://togetter.com/li/1283432

なんで銀英伝古参ファン新規に対してマウンティングしてくるんだ?

Twitter等でちょっとでも話題にしようもんなら上から目線で食いついてきて悦に浸ろうとする。

僕はアニメ初見で、普通に面白いとは思ったけど

古参からアドバイス(笑)が鬱陶しくて作品のものが苦手になってしまった。

わざわざ劇場にまで行って続編を見ることはないと思う。

2018-10-31

映画search/サーチ」の致命的な欠点

ネタバレ

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あの状況で死体遺体)見つかってないのに殺人認定とかありえない。

緻密な脚本とか片腹痛いわ。

2018-10-30

[]劇場版 はいからさんが通る 後編 ~花の東京大ロマン~

劇場版 はいからさんが通る 後編 ~花の東京大ロマン~』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨です。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向け。

総評

なんと100点。点数の基準は「上映時間映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」。とは言え、これ、評価難しい。良いところと悪いところと混在しつつ、今の自分からこの点数なんだけど、ちょっと違う自分だったらこの点数は著しく下がっていたんじゃないかと思う。いつにもまして主観的な点数であり他の人におすすめする自信がない。

アニメとしての出来は良かった。演出音楽なんかも水準以上の仕事をしてたんだけど、キャラデザ脚本声優の3点がそれ以上の出来だった。しかそもそも企画で疑問な点も多々ある。

無茶ぶり企画

大体の話原作マンガはいからさんが通るからして相当ボリュームが大きい作品なのだTVアニメ42話やっても完結できてないのがその証拠で、その原作を100分ちょいx2の前後編にまとめるということが最初から無理難題

から素直に作れば駆け足どころかダイジェスト気味になり、点数なんて30点前後になるのが当たり前だと思うのだ。今回の劇場版は、その問題に対して、脚本とか演出技術とかをぶっこんで善戦してたことは確かなんだけど、それってつまり「ハンデを克服するための戦力投入」に他ならないわけで、100点から先に積み上げていく役に立ったかと言えば難しい。

原作ジャンルは一応ラブコメということになると思うのだけど、原作はいからさんが通る』には実は様々な要素が詰め込まれている。主人公紅緒と伊集院少尉の間のラブロマンスを中心としつつも、大正期うんちくマンガの側面、スラップスティックギャグの要素、膨大な登場人物群像劇、そして女性の自立というテーマももちろん重い。

今回の映画企画では、これを前後編で本当にうまくまとめてある。駆け足感は否めないもの違和感は感じない。このへん優れた原作映画脚本の特徴でもあって、印象は原作に忠実なものの、実を言えば改変は結構大胆にはいってる。

今回映画で例を上げれば、大震災後の炎上する廃墟をさまようのは映画では紅緒、少尉編集長という3人なのだが、原作ではさらに鬼島を入れた四人だ。三角関係描写とその解消をクライマックスの中心に持ってくる構成シンプルに伝えるため、鬼島は退場させてあり当然セリフ再構成圧縮されている。

しかし一方でそういう技術的な圧縮だけでは全く追いつかないわけで、群像劇的なキャラクターを絞り、ギャグパートほとんど捨て去って、映画で残すのは「主人公紅緒を中心とした(はっきり言っちゃえば伊集院少尉と青江編集長との三角関係ラブロマンス」と「大正ロマン期の女性の自立」というふたつの大きなテーマに絞った。その判断は正解だと思う。

正解だと思うんだけど、じゃあそのふたつが現代的な視点で見て満足な出来に達しているかといえば――この部分が評価に迷った原因だ。

ダメピープルどもと光のプラスワン

はいからさんが通る』の原作からそうなので、映画(だけ)の問題点というわけではないのだけれど、個人的見解で言うと登場人物のメインどころのうち三人がダメピープルだ。

初っ端から大戦犯のラリサ=ミハイロフ。ロシア貴族である彼女は、満州出征中に部下を救うために突出して倒れた伊集院少尉を見つけ、その命を救う。しか戦争の傷跡で記憶を失った伊集院少尉に、自分旦那(死亡済み)の面影見出し、都合よく嘘記憶刷り込みして、自分の夫として病気自分の世話をさせるのだった。

いやあ、ないでしょ。どんだけよ。しかも病弱な自分を盾にして伊集院記憶を取り戻したあとも関係強要するのだ。クズでしょ(言った)。一応言葉丸めダメピープル(女性なのでダメンズではない)と呼んでおく。

じゃあ、そのラリサの嘘の被害者たる伊集院少尉主人公紅緒の想い人)はどうなのかと言えば、彼もまたダメピープルなのだった。記憶を失っていた間はまあいいとしても、記憶を取り戻し紅緒と再会したあとも、病弱なラリサの面倒を見るために彼女のもとにとどまり続ける。命の恩人だと言えばそりゃそうなのかもしれないが、周囲の誤解をとくでもなく、未来への展望を示すのでもなく、状況に流されて、紅緒のことが大好きなくせに「他の女性を偽りとはいえ面倒見ている関係」を続ける。続けた上でそれに罪悪感を覚えて、紅緒から身を引こうとする。

それだけなら海底二千マイルゆずってもいいけれど、ラリサが死んだあとは紅緒のもとに駆けつけるあたり、手のひら返し恥知らずと言われても仕方ない罪人である(言った)。っていうか伊集院少尉ラリサ関係は明らかに共依存でしょ。カウンセリング必要だよ。

とはいえ主人公紅緒もけして潔白とはいえない。病気ラリサに遠慮をして、二人の間の愛情を誤解して別れを告げられ、告げたあと、心がフラフラしている時期に、少尉実家を助けてくれた編集長にほだされて交際宣言。他の男性伊集院少尉のこと)を心に宿したまま、編集長結婚式まで行ってしまう。それは伊集院少尉に対してもそうだけど、青江編集長に対してはより罪深い。その嘘はやっぱり問題だと言わざるをえない。

――こういう恋のダメピープルトライアングルが炸裂して、映画の前半は結構ストレスが溜まった(この辺個人差はあると思う)。このダメピープル共が。問題解決しろ

まり北川悦吏子なのだ

両思い恋人がいい雰囲気になって決定的にくっつきかけたところで、理不尽トラブルが起こり二人は引き裂かれる! どうなっちゃうの二人!? 以下次週!! で、次週になってトラブルを乗り越えて、またいい雰囲気になると今度は二人が(独りよがりの)善意から身を引くとか、ずっとお幸せにとかいい出して、誤解のすれ違い。神の見えざる手によってやっぱり二人は結ばれない!

連続ドラマのアレ。アレなのですよ(机バンバン

北川悦吏子だ!」といったけどそれは北川悦吏子女史の発明品というわけではなく、自分の中での代名詞彼女だと言うだけなのだけど。もっと言うのならば、年代的にみても北川悦吏子が『はいからさんが通る』やら『キャンディ・キャンディ』に影響を受けた可能性は高く、むしろ原点はこちらだ。イライラは軽減されないが。

そんなイライララブロマンス時空において癒やしは青江編集長である

光のプラスワンこと青江冬星はまっとうで良い人なのだ。登場時は女性アレルギー(と大正時代的な女性蔑視)があったものの、雇用主として新人編集者である主人公紅緒を導き、支え続ける。その人柄に触れて、紅緒に対する愛情自覚したなら、変にこじれぬように即座に自分の口から誤解の余地のない告白を行う。これ以上イライララブロマの炎症を防ぐその手腕。良いね

しかも「お前の心に伊集院がいるうちは土足で踏み込まない」「いつかその気になったとき思い出してくれれば良い」といって加護者の立場に戻る。見返りを求めず、高潔で、慈悲深い。癒やしのキャラだ。

読めば分かる通り自分編集長推し原作当時からだ)なので、そのへんは差し引いてほしいのだが、ダメピープルの中にあった彼が一服の清涼剤であったのは確かなのだ

この映画のおそらく二大テーマである「紅緒を中心としたラブロマンス」はダメ人間もの間違った自己犠牲イライラするし(加えて言えば、何の罪科もない編集長貧乏くじも納得し難いし)、「大正ロマン期の女性の自立」については、無邪気と言えば聞こえはいいが無軌道体当たり主義の紅緒の迷惑編集長が尻拭いし続けるという構造なので、本当に自立しているのか怪しく、どっちもそういう意味ではスカッとしない。

まりこの映画は(原作込みで)イライラする。

60点。レビュー終わり。解散!!

大正東京の迷い子

でも、そうじゃないのだ。そうじゃなかったのだ。

上映終了後、イライラ&60点だと思っていたら、意外なことに結構穏やかな満足感があったのだ。この気持ちはなんだろう? 不思議気持ちで、言語化時間がかかった。

なぜなのか考えた。

紅緒が可愛いあんだけダメな娘なのに、可愛い

やったことや構造を追いかけていく限りイライラキャラではあるはずなのに、可愛い

やばいことに原作よりも可愛い

現代的に変更したキャラクターデザインと、作画と、なによりその声が印象的なのだ

作中、紅緒は本当によく「少尉」という言葉を口にする。二言目にはそれだ。

このおてんば娘は作中のセリフの大半が「少尉!」なくらい連呼なのである伊集院少尉のいるシーンでは脳内その声でいっぱいなのだ。声の表情というか、演技が本当に良かった。

少尉の事で頭がいっぱいで、東京から満州に行き、馬賊親玉体当たりで話を聞き、少尉を探して駆け巡る。東京に戻ったあとも諦めきれず、その面影を探して、亡命ロシア貴族にまで突撃を掛ける。紅緒は、たしかに、周囲を顧みない行動主義で、無鉄砲なおてんば娘で、そこにはイライラさせられる要素があるにせよ、少尉を求めてさまよう姿は、涙を一杯にたたえた幼子のように見える。

それでようやくわかったのだけれど、結局紅緒は子供だったのだ。

少なくともこの劇場版後編において、紅緒は迷子の子供だった。

愛する伊集院少尉とはぐれて、彼を探すために声の限りにその名を呼ぶ子供だった。

それが胸を打ったし魅力的だった。スクリーンこちから彼女を助けたいと思った。

劇場版 はいからさんが通る 後編 ~花の東京大ロマン~』は迷子の紅緒をハラハラキドキしながら見守り、応援する映画なのだ

大正ロマン期の女性の自立」というテーマに対してイライラするのも当たり前だ。彼女は行動力だけは溢れていて、家を出てしまうわ、死んだ(と思いこんでいた)婚約者実家に行って支える手伝いをするわ、女性ながら出版社就職するわするのだが、どれも力が足りずに周囲に迷惑を掛けてばかりで、そういう意味では「自立」はしきれていない。むしろトラブルメーカーだ。でもそんなのは子供から当たり前なのだ

彼女はその実力不足から失敗してしまうけれど、チャレンジをするのだ。失敗はチャレンジの結果であり、チャレンジをするという一点で彼女の幼さは正しい。

前述したとおり自分推しは青江編集長なのだけれど、彼は作中、何らミスらしきことをしていない。つまり罪がない。罪がない彼が、恋愛において自分の望んだ愛を手に入れられない(紅緒は最終的に伊集院少尉とくっつく)のが納得がいかなかった。その理不尽さにたいして原作読了時は腹がたったのだけれど、今回映画を見終わってしばらく考えたあと、仕方ないのかもと、やっと思うことができた。

なぜなら紅緒は(この映画物語の期間では)未熟な子供からだ。その子である紅緒が、青江編集長という加護者とくっついてしまうと、その保護力のお陰で自立できない。青江編集長は全く悪意はなく、むしろ大きな愛情で紅緒を守るだろうし、その実力がある人だろうけれど、その愛情は空を羽ばたく紅緒にとっては重すぎる。

はいからさんが通る』は紅緒が自立していく物語ではなくて、未熟な子供である紅緒が、自立のスタートラインに立つまでの物語なのだ。だから作中で自立してないのは当たり前なのだ

無鉄砲子供で、何かあればすぐべそべそと泣き、でも次の瞬間笑顔で立ち上がり再び駆け出す紅緒は、この映画の中でとても可愛らしく魅力的だった。

その紅緒は自分の心に嘘をつくという罪を犯し、同じく自分の心に嘘をつくという罪を犯した伊集院少尉と結ばれる。伊集院少尉少女漫画約束として「頼りになる加護者」として登場したが、罪を犯して紅緒と同じ未熟者のレイヤーに降りてきた。降りてきたからこそ「これから自立するいまは不完全な紅緒の同志」としての資格を得た。

青江編集長は同志ではなくてやはり保護者だから、どんなに良い人でも、「これから一緒に成長していく同志」にはなれない。

考えてみれば、紅緒が少尉を好きになった理由は「優しい目で見てくれたから」だった。けっして「助けてくれたから」ではない。彼女にとって助けてくれる(実利)は重要ではなく、ただ単にそのとき自分を見ていてくれれば十分だったのだ。

そういう意味で、青江編集長スパダリであり、伊集院少尉スパダリから降りて結婚相手になったといえる。宮野Win。「立川オワタぁ!」とか「ちゃんちゃんちゃんちゃんか♪」とか言い出さないんで、格好いい主要キャラみたいな演技だったからな。

顔を上げて光に向かって

そういうふうに言語化が落ち着くに連れて、紅緒の親友・環がしみじみと良かったな。と思えた。

「殿方に選ぶのではなく自らが殿方を選ぶ女になるのですわ!」と女学生時代気炎を上げていた彼女大正デモクラシーにおいて「女性の自立」を掲げて紅緒とともに時を過ごした親友である彼女

でも、彼女と紅緒の間にあるのは思想共鳴なんかではなかったと思う。

女性の自立」と言葉にしてしまえばそれはどうしてもイデオロギー的な色彩を帯びざるをえないけれど、本作においてそれは、そこまで頭でっかち教条的ものでもなかったのだろう。

劇場版サブタイトル元ネタはおそらく菊池寛短編小説「花の東京から来ているのだろうけれど、そこで描かれた女性(の自立と言っていいのかなあ)も、現代フェミニズム的な意味でのそれではなかった。どちらかと言えば「どんな環境でもめげずに生き抜いてゆく」という、ただそれだけのことだった。

それはもしかしたら、現代価値観ではむしろ非難される態度かもしれない。なぜなら、男性支配的な社会で「めげずに生きる」というのは、ときその男支配社会迎合しているようにも見えて、原理主義者には利敵行為とされるかもしれないからだ。

でも人間は結局与えられた環境ベストを尽くすしか無い。まだまだ男権社会的な大正社会も、作中クライマックスで描かれる関東大震災崩壊した東京も「与えられた環境」だ。

その与えられた環境の中で酔っ払って肩を組み、愚痴を言い合いながらも諦めずに笑い合う同志として、紅緒と環のコンビ尊い

ことによると、紅緒と伊集院少尉のそれよりも確かな絆があったのではなかろうか?

いつどんなときでも、どんな環境でも、うつむかず、意気軒昂と拳を突き上げて、笑顔で生きていこう! 女学生時代無鉄砲友情のそのままに、二人は大正という時代自分人生を描いた。

女性の自立」と主語をおけば、それは成功したり失敗したりしてしまう。でも彼女たちが持っていたのは、成功したり失敗したりするようなものではない。どんな環境でもくじけうず、へこたれず、転んでも立ち上がって歌を歌いだす。それはイデオロギーではなく心意気の問題なのだ彼女たち二人のあいだにあったのはモダンガールとして時代を先駆ける思想などではない。ただ単に、お互いがかけがえのない友達で、楽しかったのだ。

女の子は元気よく未来に向かって生きる!」。紅緒が愛しく思えたのは、多分その一点だったし、伊集院少尉彼女を愛したのもその一点だった。本作では描写が欠如していた伊集院少尉も、そのテーマに沿うなら、大震災後の東京意気軒昂未来をつくるべきだ。紅緒同様「未熟者の仲間」になった彼はそれが出来るし、その義務もある(でないと編集長はほんとうの意味道化者になってしまう)。

原作を読んだ学生時代には持てなかった視点をみせてくれた。その意味合いにおいてこの映画には100点をつけたく思う。

2018-10-26

魔法少女リリカルなのは Detonation 見てきた(ネタバレ有り)

事前情報なしで見てきた。

開始早々まさかの前回のあらすじで「あ、これ二部映画の後編か」となる。

二作目が Detonation なら一作目は Ignition とかだったのかな?

まあ、それでも大体粗筋は把握できてバトルてんこ盛りで楽しめた。

東京駅やらの東京各所が舞台なのもなんかパトレイバー2 the Movie を彷彿とさせた。

なのはシリーズだし、可愛い女の子は本当は悪くない騙されてただけだったんだ!オチかなと思っていた所に山寺宏一が出てきて、「あ、こいつラスボスだろ?」と思ったら案の定ラスボスだった。

なのはさんはいつも通り無茶しすぎで、こりゃ10代で体後遺症ボロボロになってますわ、という感じ。

猫の3人が主役ら3人と声優一緒なのは前作見れば理由分かるのかな?

フェイトさんちょっと影が薄かったけど、ユーノ君など1期メンバーもそれなりに存在感あったね。

あと田村ゆかりすごいねー。高町なのは、はもとよりそれより幼いなのはちゃんと演じてる。

島本須美聖少女艦隊バージンフリート海野潮風あたりとか松井菜桜子突撃!パッパラ隊のランコあたりは「うーん、ちょっと厳しいかな?」って感じたけど。まったく違和感がなかった。

初見は厳しいかもだがなのはシリーズを見てきた人なら楽しめるんじゃないかな?

2018-10-24

anond:20181024135051

お前は言語化できてる。

ちょっとややこしい話だが「ワクワクできるから好き」はOKなんだよ。まぁどうしてワクワクするのか、まで分解したほうが絶対良いけど、とりあえずそれは良い。多分俺がお前に何かおすすめ作品と、どうしておすすめか聞いたら「この作品ストーリー展開が良い。ワクワクできる」くらいは言えるじゃん。どんでん返しネタバレ回避で言わないかもしれないし、それはOK

やばいのは大別すると

A:それすら言えずに「うーんまぁ好きだから」とか意味わからんこと言うやつ。好きなのはもう聞いたっちゅーねん。

B:「ワクワクするから好き」なのに全然違う理由を言うやつ。「こういうキャラクターが居るから」とか「こいつが監督から」とか。自分が感じた事じゃないけど、言いやすい事を言う。これもまじで居る。感想文が手段じゃなくて目的化しちゃったやつな。厄介。

2018-10-23

この「若おかみは小学生! 」のレビューがあまりに酷かったため解説

若おかみは小学生! 」の劇場版について、まだ見ていない人がいたのであれば今すぐこんなサイトを閉じて、最寄りの公開館を検索して1800円支払い予約しなければならない。

歴史に残る」や「必ず泣く」というような強い言葉は使いたくないが、間違いなく傑作である大人が1800円を支払って見るには十分価値のある作品である

さてそんな名作についてレビューのなかで悪しざまに語るレビュー存在する。それもかなり強い語調でだ。

(正直PVを渡すのも馬鹿らしいので出典元表記としてURLは末尾にだけ記載する)

本当に同じ映画を見たのか?と感じるほどひどい内容だ。

ただそれを感情的コメントしていても仕方がない。そこで何が問題かについて引用しながらコメントしていく。

なお筆者もまだ一度しか映画を見れていない。原作アニメも見ていないまったくのにわかである

本編内容について誤解、誤読があれば指摘がほしい。

また、以下盛大にネタバレすることになるため、もしもまだみていなければ今すぐこんなサイトを閉じて、最寄りの公開館を検索して1800円支払い予約しなければならない。










純士 俺ら夫婦はまず、あの絵がダメなんですよ。神社とか旅館かに代々伝わる霊的なものを題材に取り入れつつ、命の大切さや、別れは寂しいことじゃないんだよってことを描きたかった作品だと思うんだけど、そこにオタク要素の強いキャラが大集合して、絵がワチャワチャしすぎたせいで、なんだかよくわからなかった。着想はいいのに、それを生かせてなかったような気がします。こういうのは絶対、実写のほうがいいですよ。

純士 いや、できると思う。アニメでこういう神社とか旅館とか霊とかをテーマにするなら、宮崎駿みたいな絵じゃないとキツイ。それか『河童のクゥと夏休み』みたいな絵。やっぱ人を感動させたければ、それにふさわしい絵のタッチってもんがあるんですよ。特別きれいなわけでもない、古風な絵。そういうのだったら感動したかもしれない。この作品は、萌え系の絵ですべてを台無しにしちゃった感がある。

中略

――おふたり趣味に合わなかっただけでは?

純士 いや、それだけじゃないですね。自分が今YouTube動画配信を始めたから感じるんですけど、アニメであれ実写であれ、人って、ただ道を歩いてるだけの映像じゃ楽しめないんですよ。転んだり立ち上がったり、知り合いに会ったり音が入ったり。そういう変化やアクシデントがあるから楽しめるんだけど、この作品に関しては、常に一定リズムで進んでる感じがあって、どこがサビなのかもわかりづらかった。ハッとしたのは、最初事故だけ。事故ときは、「あ、なるほど。ただのワチャワチャしたアニメじゃないんだな。結構ヘビーな話を放り込んできて、ここからいい話になるんだろうな」と思ったんですよ。ところが、全然そうじゃなかった。つまらないだけならまだしも、看過できない部分もあったし。

絵柄の問題点について。古風な絵 = ふさわしい絵という観点には根拠不明。「萌え系の絵ですべてを台無しにしちゃった」ということで、後述のように趣味に合わなかっただけ、と考えられる。インタビュアー趣味に合わなかっただけでは?という質問に対しての返しが、絵柄から動き・アニメーションの話にシフトしていて話がずれている。

ここから想像だが、萌えであるという前提の時点で彼らの嗜好から外れたため、後半部分はそれを強化するための言い訳になっているのではないか

純士 おっこの勤務体系は、ほとんど労働基準法違反だろ! と思いました(笑)家業を手伝う場合労基法に触れないみたいだけど、あのハードワークは手伝いの域を超えてるでしょ。小学生女の子が、両親が死んだショックを抱えたまま旅館に行ったら、紫メッシュババアにまるめこまれて、奴隷のように働かされるなんて……。

ハードワークという描写はない。

例えば旅館自体が潰れる寸前で主人公ハードワークすることでそれが建て直されるようなストーリーであれば、直接的にハードワークな描写がなかったとしてもそう感じるかもしれない。

しか主人公旅館仕事に関わる前、旅館に到着したタイミングで来客が来ていることからも、冒頭時点で旅館女将中居板前の三名で運営は回っていて、閑古鳥が鳴いているわけではない事がわかる。旅館メンバーハードワークさせる動機がない。

冒頭、父親も「忙しそうで挨拶できなかった」みたいなことを言っている。(はず。この点うろ覚えなので間違っていれば削除します)

逆に、旅館経済的に困窮しているような描写はない。途中、ピンフリが春の屋旅館問題点を指摘するが、そこでも潰れそうといった話はない。

ハードワークについても、例えば家に帰ったおっこが自室で疲れている姿をみせるといった描写があればそれも想像されうるが、なかったはず。

主人公小学校に通い学生生活に支障をきたしているわけではない。放課後に友人たちと遊びにでかけてすらいる。

「紫メッシュババア」と悪しざまに語っているが、それは旅館女将であると同時に娘と義理の息子をなくした母親である。その忘れ形見であり、同じそれ以上の痛みを抱えた孫を家族として迎え入れた女将に対して、なぜそのような悪意を持った視点を向けられるのか。

麗子 しかもあのおばあちゃん、おっこの頑張りを褒めたったらええのに、ずっとイビっとったやろ。あれが可哀想で、可哀想で。そりゃ精神的に追い込まれて、お化けも見るわと思ったわ。

女将はおっこのおばあちゃんであると同時に自分仕事に対してプライドをもっている。おっこに対して強めの言葉をかけるのは仕事に関わる部分だけだ。

ただ、おっこの立ち振舞が上手になっていくことについてコメントするようなシーンはなかったので、全体の印象として女将フォローをしていないようにみえ、それが「ずっとイビっとった」というように記憶される可能性は考えられるかもしれない。しかし、女将がおっこへの気遣いがないわけではない。裾の長さや、温泉プリン差し入れなど、おっこに対して明確に気遣いを見せるシーンが存在する。

にゆえこ夫婦女将に対して悪印象を持つか意味がわからない。

純士 若おかみとして旅館看板を背負って成長していく感動の物語……って言うけど、そもそもの子が望んだ職業じゃないでしょ。最初はいやがってたわけだし、あの子には選択権もなかったわけだから

嫌がっている描写はない。

つぶやきが誤解され若女将仕事が始まるわけだが、誤解される途中驚く描写はあるが、否定したり嫌がったりしている描写はない。

選択権がない、というのものどの描写をもって言っているのか不明旅館に引っ越すための条件として手伝いことを強制されるといった、それこそこの夫婦想像するような鬼畜じみた人間性描写があれば別だが、そのような描写はない。ここでもないシーンを勝手想像して自ら悪印象を植え付けている。

親が死んだばかりで弱ってる少女を、お化けを使って洗脳して、勝手人格まで形成ちゃう。あの調子だと、おっこは旅館が潰れるまでおかみじゃないですか。可哀想に。

前述の通り、旅館経済的に困窮している描写はない。おそらく、潰れた旅館を立て直すというステロタイプストーリー誤読していると思われる。

お化けを使って、というのも意味がわからない。うりぼうたちは自発的におっこに対して働きかえけこそすれ、旅館側は幽霊については一貫して認識していない。

純士 おまけにやたらと界隈で人が死ぬし。

麗子 命を軽視しすぎやねん。ああいうのは、子供が真に受けて見てしまう恐れがある。「死んでもまた会える」と思ったら命を軽視するから、あれはアカン。

作中での死者は、

  • 主人公の両親
  • お客の妻(作中時点で故人のため作中で死ぬわけではない)
  • 女将の幼馴染(作中時点で故人のため作中で死ぬわけではない)
  • ピンフリの姉(作中時点で故人のため作中で死ぬわけではない)

で、大半が作中ですでに故人であり、冒頭の事故以外に死者が出るわけではない。本当の同じ映画を見ていたのだろうか。それを受けての「命を軽視しすぎる」発言も何を見ていっているのが不明

おっこは死者すべてをみえるわけではなく、うりぼうと美陽の二人だけがみえるだけ(それも能力自体が徐々に弱まって、最後にはなくなる)。

うりぼうと美陽が見えることで、たとえばそれを女将ピンフリにつたえ、死者と伝えられなかった思いなどを相互にやりとりするようなことができたかもしれない。そんなシーンはおそらく女将ピンフリの感情を強く揺れ動かすことができる、感動的なシーンになるだろう。感動的ではあるが、それこそ死後また会えるというような誤解を生む安易に感動に走ったストーリーだ。

そしそてそんなシーンは存在しない。

おっこが両親に会えるのは幽霊が見える能力のためではないと思われる。おっこが両親を見えるのは夢と、本人にはそのように見えているというレベルしかない。(他の幽霊たちがおっこの両親とやりとりするようなシーンはないため、そのように想定される)また、両親の姿を幻視することも、その死をうけいれることで無くなることが示唆されている。

亡くなった人のことを思うこと、それを受け入れることは命を軽視することにあたるのか

純士 いや、作者は決して命を軽視してないと思うよ。「死を暗いものにしないように」と考えて、子ども向けに「愛と希望」に持っていこうとしただけでしょう。ただ、おひよ(妻の愛称)みたいに揚げ足を取る人間が出てくるのも仕方がない作りではありました。

前半主人公が両親の死に対してのリアクションする描写を見せなかったことが抑圧から爆発のメリハリになっていたと感じたし、その爆発によって、主人公もしっかりと暗い死の影を感じていて、それをいかに受け入れ乗り越えるかが最大の見せ場だった、と筆者は感じた。

まり十分に死が暗いものであるという認識ができる作りになっているし、むしろ子ども向けに「愛と希望」” というのが一体どの部分をみてそう思ったのか本当に意味がわからない。

純士 占い師の女がポルシェを走らせてるときに、謎のアニソンがかかったじゃないですか。あれを聴いて、殺意が芽生えましたよ(笑)

――えっ? そうですか? あの曲、キャッチーでとてもいいし、オープンカーの開放感とのマッチングも最高だと思ったのですが。

純士 てことは、お前も作者側の人間なんだな。髪をかき上げて、サングラスをかけて、ストローを使わずお酒を飲んで、オープンカーに乗って外へ連れ出してくれて、高級な服やらなんやらを買い与えてくれる。そういうお姉さんがいたら格好いいだろうな……という作者の価値観、作者のオタク脳を、俺は許せない。実際あんなことをできるのは、歌舞伎町風俗嬢ぐらいのもんですよ。それを勝手に美化しやがって。気持ち悪い。

宮崎駿作品は持ち上げるが、現実にありえない理想化されたキャラクター像をもってこの作品を腐すというのはダブルスタンダードではないか

また「実際あんなことをできるのは、歌舞伎町風俗嬢ぐらいのもんですよ。それを勝手に美化しやがって。気持ち悪い」に至っては本人の露骨職業差別意識がでていて目も当てられない。

以上、はっきり妄言の類といって差し支えない内容だと思うが、この内容を本気で受け取って映画を見ない選択をしてしまう人がいたらそれは大きな損失である。今すぐこんなサイトは閉じて(略

上記引用箇所はすべて以下サイトから引用しています

http://www.cyzo.com/2018/10/post_179145_entry.html

2018-10-22

結局腐女子原作などどうでも良かったのだ

某人気漫画スピンオフ結構売れている。キャラ人気に頼ったものであることを否定するつもりは無いが、そこそこ気楽に読めて、今まで知らなかったキャラのことを取り上げられるのはファン向けで興味深いものがある。

需要供給は確かに存在する。スピンオフのメイン男キャラ女性人気は間違いない。

そこに重点を置くなれば、某スピンオフには女キャラは出てこなかったのかもしれない。

しかし女キャラはしっかり出てくる。そりゃそうだ、元作品ラブコメだらけなのだから

そのスピンオフは作者監修(もはや作品を隠していないが)で、かなりのところまで原作者意向に沿って描かれていることが明かされている。

元の作品内容を知っていれば、その女キャラがメインで出て来るのは連載前からも予想できたことだった。

しかし反発があった。ラブコメ炎上した。(なんの漫画バレバレである)

実はそれまでは恐ろしいほど絶賛されていたのだ。

しかしそれ以降、手のひらを返したように、レビューは荒れまくった。

アマゾンのレビューを参考にして漫画買う人がどれくらい居るだろうか?1巻も荒らされてたが売れまくっている。

書かれたレビュー内容を否定するつもりはない。いや、内心なにいってんだコイツ?と思っては居るが、感想自由だ。書き込んだ人が本当に思っていることなのかもしれない。

しかしだ。もはや、身元を隠すという脳すら無かったのだろう。

その漫画腐女子専用スレ

「尼レビュー酷評書いた」「荒れてるのが嬉しい」「もっと書こう」「これが一般意見だ!」「はやく漫画終われ」

との書き込みが何度も散見されている。

確実にその腐女子専用スレアマゾンレビューでのネガキャン煽動しているのだ。

いわゆる「解釈違い」というもので気に食わないということはあるだろうが、何故そこまでしてしまうのだろう。

このスピンオフ青山が(名前出しちゃった)プロットまで立てていて、2巻では10話中実に7話が作者の考えた話になっている。他の話もネームから手直しが入っており、内容はギャグ日常寄りだが原作と同等扱いが出来るレベルだ。

それでもスピンオフ作者が執拗に叩かれている。原作とは違う、と怒られる。(繰り返すが漫画は売れている)

そして、キャラ叩きだ。

腐女子スレで堂々と登場キャラを叩いている。

キャラに至っては叩くのが当然レベル。メインの男より女のほうが原作には前から居るキャラなのにね…。

それにキャラ別グッズ売上マウントが酷い。グッズなくても生計立ててきた漫画なのに、売上によってスピンオフに出すキャラ変えろとか無茶苦茶言ってるのだ。

自分たちが気に食わない内容は全て不要だ。金を払うのは自分たちだ。気に食わないから買わない。ネタバレ見て叩いてやる。

アンチスレなら分かるが(?)、そうでないのが怖い。ツイでも同じことをしているやつがいる。人の感想お節介に苦言を言うためのアカウントがあるのだ。毎日毎日発狂するように批判を繰り返している。それがいくつもある。やばい

重ね重ね言うが、原作を見ていれば、この漫画がどういうものなのかは分かる。決して腐女子向けでは無い。腐女子が期待するようなことは多分この漫画では無理だ…。

言い方は悪いがここまで腐女子がこの漫画でつけ上がってしまったのは、金に目が眩みサービスしてしまった公式サイドにあるのかもしれない。

なんとかしてくれ。普通に感想が呟けて、普通に読める日は、後どれくらい待てば来るのだろうか…。ノイジーマイノリティサイレントマジョリティについて考えるばかりである

名探偵コナン95巻はめちゃくちゃ重要な巻です。

ゼロ日常2巻も既に発行部数110万部になってます

犯沢さんも売れてます。ぜひお買い求めを。

上に書いた話は犯沢さんのことかもしれないよ!?

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