はてなキーワード: 聴覚障害とは
逸失利益裁判の敗因は原告陣営に数学力(特に統計学の知識)がある人がいなかったからと考えてみる。
そもそもなぜ障害者という括りの中で算出されなければならないのか?個人には無数の属性があってその数だけ括り方もあるはずだ。
聴覚障害があるという共通項で集めた人の収入の分布は確かに低いところにピークがある山なりのグラフになって、それは健常者で集めたものの85%に相当するのかもしれない。
しかし件の女子も該当するような、成績がこういう数値以上という基準で集めたグラフだと、むしろ健常者という基準で集めたグラフよりも高いところにピークがあるものになるかもしれない。あるいは基準とする属性の取り方によっては、障害者のピークより上にしか分布してないグラフになるということもありえる。
そうなったグラフの対象となっている人に障害者も含まれてるなら、いっそう件の女子の逸失利益も健常者平均より高いとする確度も上がるだろう。
もちろん属性の取り方に応じてたとえばk個の属性があるとしたならΣ(i=1→k)kPi通りのグラフが考えられることになり、グラフの母集団の大きさとかグラフに障害者がどれだけ含まれているかに応じて数学的に適切な重みづけをして、数学的として合理的に算出されるべきだろう。
しかし少なくとも単に健常者平均の85%というのは明らかに知識不足ゆえの統計学的に稚拙に過ぎる考えである。
もちろんここで裁判官を咎めてもしょうがない。立証責任があるのは原告側である。原告陣営が統計学の専門家と弁護士も交えたうえで係りあって、数学的に説得力ある主張としてまとめたものを弁護士が力説する必要があるのである。
とはいえなるべく易しく説いたとしてもそれでも裁判官が理解できるのかという疑問はある。
裁判官には国会の委員会にあたるものもないから、結局これ以上易しくできないというところまでやさしく力説したのも虚しく理解できないからと今回の判決と同じ結果になっていたかもしれない。裁判官の向学心に無関係に自由心象主義を採用していることの問題である。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221018/k10013862771000.html
個人的な話だけど、ヘルプマークってなんか意味あるのかね?正直、あれつけてる事によって社会的には混乱することのほうが多いんじゃないの?
そもそも、あれって色んな人がつけてるよね。弱視の人もそうだし、聴覚障害の人もいれば、精神疾患の人もいるし、高次機能障害とか内臓疾患の人とかも。
障害のある人って幅広いから、まぁ色んな人がヘルプマークつけてておかしくはないよね。
つけてる側はいいのかもしれないけど、つけてる人を見る側はあれを見てどうしたらいいの?
最近地下鉄で「ヘルプマークをつけている人に席をお譲りください」みたいなことが車内アナウンスで流れてて「え??」と思った。
ヘルプマークつけている人が座ることを必要としているかどうかなんて、わからないじゃない。
そりゃ膝が悪いとかなら座ったほうがいいだろうけど、必要ない人も多いよね?それを十把一絡げにお譲りしないといけないなんてことないでしょ。
それとあれを見て、我々は何をヘルプしたらいいの?
裏側にどういう障害やら疾患やらがあるかを書いてるらしいけど、普段は見えないじゃない。
てんかんとかで倒れたりしたら、そういうのも役立つかもしれないけどさ。
正直、あれ見てると弱者マウント感じるんだよね、地下鉄のアナウンスもそうだけどさ。
「私はヘルプマークつけてるんだから弱者なんだ、保護されるべき・贔屓されるべきだ」みたいにさ。
俺たちだってそりゃしんどいときもあるし、調子が悪いときもあるじゃない。でもそれを「疲れてるから、体調悪いから」なんて外からわからない。
そんな疲れている人より、元気なヘルプマークの人が席を譲られるべきなんだろうか??
なんというか、あのマークのせいで障害を持っている人とかヘイトだいぶ集めてると思う。
ここのアンケートでも公共交通機関で配慮してもらったというのが一番役立ったとあるけど、配慮する側だって人間だからね。しんどいときとか配慮できないからねぇ
http://www.gp-sri.jp/report/detail029.html
視覚障害…眼鏡や点字、ユニバーサルデザインの普及
知的障害…グループホーム等で負担をかけない軽度の作業を行ってもらうなどする
このように、身体障害や知的障害の場合、あくまでも外部的な道具や社会的なシステムの改善によって当事者の生きやすさを補助している
しかし、
精神障害や発達障害…薬漬けにして社会に合わせよう!とにかく薬だ薬!薬さえ飲めば全て解決!!
精神障害や「発達障害」だけ、明らかに対処がおかしいんだよなあ
本当に「発達障害」が障害ならば、必要なのは障害があってもスムーズに社会生活を営めるような機器の普及や
労働時間の短縮や同調圧力の緩和などの社会的な取り組みでしょう
それがなんで障害者の方に薬を飲ませて健常者社会に適応させる事しか考えられてないの?
いついかなる時でも暴力絶対反対というならまだ分かるんだけど、BLMの時は暴力を肯定する人がかなり多かったから矛盾を感じるんだよな。
しかも皮肉なのが、よりによってアカデミー作品賞を取ったのが聴覚障害をテーマにした『CODA』だって事。
あの作品は主人公こそ健聴者だけどその家族は聾者で、手話によらなければコミュニケーション出来ない。
そういう人達が侮辱されたらどうするの?少なくともその場で直接には言い返せないよね?
後日準備をして丁寧に抗議するしかない?そうこうしているうちに相手が何処かに行ってしまって行方知れずになるかもしれないのに?
「言葉で言い返せばいい」という理屈は言葉を適切に効果的に使える人に限定されるよね。
CODAの予告編にも下品な言葉で言い返すシーンがあったけどさ。
また、女性が侮辱された時にその夫や恋人が怒って行動に出るのも家父長制だとか言うのも。
じゃあ女性は男女の間には体力差腕力差があるのに、男から侮辱された時には常に自分一人だけの力で立ち向かわなければいけないの?あるいは力を借りる事が許される相手は女性だけ?
最近気がついたんだけど、夜の8時45分とかにEテレでやってる「手話ニュース」てのがホント有能。
今まで、オレは聴覚障害じゃねーしNot for Meだね!って思ってザッピング中にチラッと見ても、まじまじ視聴することはなかったんだけどさー。
ちょうどその時間どこの局もおもんない番組ばっかだったんで、ちょっと気まぐれ的に「手話ニュース」見たんよ。
そのときどきの「最重要な時事ネタ」だけ(ほんの少し、季節の話題とか和み系もあるけど)淡々と要点だけ簡潔に報道してくれて実に捗る。
「街の声」とかいう、どーでもいいそこらへんの通行人が述べる感想とか、キラーン!だのシャキーン!だのジャジャーン!だのと余計な効果音が付いてたりとか、声優の声色で印象操作だとかが全くないのがものすごくスッキリ。満点だわw
ハラスメントとされる行為の中には「それは一般社会でも犯罪だろ」というものもあれば、「それは別に一般社会では犯罪ではないだろ」というものもある。無断で尻を触るなどは一般社会でも強制わいせつ罪にあたるし、服を破くとか持ち物を壊すとかの嫌がらせをしたら器物損壊罪になる。しかし、では例えば「無視をする」というのはどうか?
一般社会において、私が誰かから何度か声をかけられて無視したとしても、それ自体はなんの犯罪にもならない(それが犯罪になるならこの世はナンパ師の天下になってしまう)。しかし、若く健康で聴覚障害を持たない大学教員が、自分が指導している学生からの再三の礼儀にかなった問いかけをガン無視したとしたらどうか。これはハラスメントではないか。
一般社会において、二人きりで食事をしようと持ちかけることや他者に愛を告げること、あるいは「セックスしよう」と誘うことは完全に自由である(それがダメなら親友に「おい、今度サシ飲みしようぜ」というのもダメになってしまう)。しかし、たとえば上司が(とりわけ異性の)部下にこれらを持ちかけたら紛れもないハラスメントということになる。
つまり、「一般社会では自由だが、職場などの特殊な環境では処罰の対象となる行為」というのがあるわけだ。それらは本来自由な行為であるのだが、一定の条件下では処罰の対象になってしまう。ということは、その範囲はなるべく厳密に設定されなきゃいけないということになる。だって、本来自由であるはずのものを罰するんですよ? その条件はきちんと決めておく必要があるでしょう。
アカデミックハラスメントは、「研究・教育機関、および学会等の学術組織において、立場が優越的な者から下位の者に対して行われるもの」と定義されるのが一般的だ。
たとえばある人物の公表された論文に「くだらん論文だ」「こんなのなんの価値もない」「こんな非生産的な研究にカネと労力が注がれているのは嘆かわしい」ということはまったく自由である。公開された論文については誰もが言及する権利を持っているからだ(表現の自由)。しかしそれを指導教授が受け持ちの院生に言ったらアカデミックハラスメントになる。
もしこの定義を崩せば、たとえば大学教授であるナンパ師が見ず知らずの女子大生に声をかけるのもアカデミックハラスメントということになってしまう。それはどう考えてもおかしいだろう。アカデミックハラスメントというのは、あくまで学術的機関・組織での権力関係に基づいて設定されるべきものだ。
では、大学でも学会でも縁がない非常勤講師やテニュアトラックの助教に誹謗中傷された任期なし准教授は「アカデミックハラスメント」の被害者なのか?
誹謗中傷の被害者ではあるだろう。それは正々堂々裁判に訴えて賠償金をもぎ取ればよろしい。それについてはなんの異存もない。しかし、同じ大学の同僚ではなく、学会で顔を合わせているわけでもなく、直接の権力関係があるわけでもない(むしろ被害者の方が立場が強い)場合には、それはアカデミックハラスメントとみなされるべきではない。
そしてアカデミックハラスメントではないのなら、自ずと罰されるべき発言の範囲も違ってくる。上に挙げた「くだらん論文」の例を考えてほしい。これを指導教授が院生に対して執拗に言ったら学内でお叱りを受け、場合によっては戒告などの処分に発展するだろう。だがもし、これを評論家が大学教授に向けて言ったのだとしたら、地裁から最高裁までのすべてで「単なる論評であり誹謗中傷とはいえない」との判決が出るはずだ。論文を読み、それをどう評価するかは自由だからだ。「こいつは無能な研究者だ」というのはどうか。指導教授が院生に言ったら一発でハラスメントだろうが、評論家が具体的に論文を引いてこいつの言ってることはおかしいと指摘した上での話なら、自由な論評の範疇ではないか。「彼女はどうしようもないバカな極右だ」「彼は救いようがない愚かなフェミニストだ」というのはどうだろう。「某教授のやってることはニセ科学だ」「某教授のジェンダー研究なんてまともな学問じゃない」はどうか。さすがにこのへんになると裁判でも危ういかもしれない。しかし、これを評論家が言うことすら許されないのだとしたら、言論の自由とは、表現の自由とはいったい何なのか。
現代のベートーヴェンとか騒いだのはNHKとその視聴者であって本人に非は無い。
マスコミの取材で事実が歪められて報道されるのは普通のことであり、取材を受けた者がいちいち指摘していたらキリがない。
まして、佐村河内はただの作曲家であって、マスコミの事情に通じているわけでもない。いざ映像が出来上がれば「事実と違うけど、こんなものか」となるのが普通。
ということである。佐村河内の名義で発表することは両者合意の上である。当然だが新垣にギャラも支払っていた。
冷静に考えて、この行為に何の問題があるのか理解できない。およそどんな業界でも普通に行われている100%正当な行為だと思う。
そもそも、曲聴いて良いと思ったなら、ゴーストライターだろうがなんだろうが関係無いのでは?
最後に、佐村河内が実際は聴覚障害を持っていなかったとか言う奴もいるが、これはあり得ない。
聴覚に対して精密な検査をするのだから、演技で難聴になれるわけがない。また医者が診断書を偽造するのは当然処罰の対象になる。わざわざそんなリスクを負ってまで、難聴認定するメリットは無い。
例えばアメコミなんかだと「黒人ヒーローや女性ヒーローを出せ」と言って、実際にそういう作品も増えてきている訳で。
日本の作品だって聴覚障害なら「君の手がささやいている」や「聲の形」、車椅子なら「パーフェクトワールド」や「ジョゼと虎と魚たち」、自閉症なら「光とともに…」、など障害を扱ったフィクション作品は色々ある訳で。
感動ポルノとか揶揄されながらもそういうものに励まされたという当事者もいるんだよ。
「統合失調症に対する偏見を助長するな」とフィクションに対して言うのなら
「統合失調症の人が普通に学校に通って青春したり恋愛したり、仕事をして生活していったりヒーローとして活躍したりするようなフィクションを増やして欲しい」
という主張では何故ダメなのか。
いや実際需要あると思うけどね?
なかなか完了されない
エラー報告レシートが出てくる、PayPay側にも金額が増えていない
万札が飲まれた
横の受話器とって連絡しろと画面に出る
レシートには他に連絡先窓口が書いて無いので仕方なく備え付けの受話器取る
備え付けの受話器とってもつながらず
受話器置いたりとったり、2-3回でつながる
オペレーターへ電話が繋がっても周りがうるさくて声がよく聞こえない
電話が難しい、後で連絡できる他の手段はないかを尋ねるが無いと言われる
オペレーター(バイト)が偉そうなオペレーター(上長)へ変わる、早口
聞き取るだけで精一杯で上手く返事ができない
返金は
1、今アルソックが金持ってATMに向かうので待つ(30分ぐらい待ってくれとのこと)
2、後で銀行振込
今回は3で返金してもらった
脳が焼き切れるぐらい疲れた……
世の中は電話口だと4桁の数列が聞き取れなかったり、
聞くことと話すことが同時にできないガイジ用にできてないのはそうなんだけど
金回りのトラブルサポートが電話オンリーなのはほんとどうにかして
IQ120あっても耳が悪いだけですごいガイジ扱いされるのつらい
いや、ガイジ扱いでもいい
ゆっくり話してくれたり聞き返してもうろたえたりしないで
ただ繰り返し淡々と話してくれる人だと助かる…
めっちゃいいひと~~ありがてぇ~で終わり。
たいていそうじゃないので、いきるのつらい