はてなキーワード: 上京とは
私の両親は6歳のころに離婚した。
ある日突然、父が私と姉を実家に連れて行った。
父は離婚したくて、両親に相談したところ連れて来いと言われたそうだ。
ところが、祖父母は「私ちゃんは育てられない」と言ったらしい。
父は祖父の会社で働いていたし、両親の手がないと子供を育てられない、自分だけでは育てられないから、両親の言うことを聞くしかなかったらしい。
祖父(父の)は祖母(母の)に電話をして、「その家を三日以内に出ていけ、お前の娘(母)は大阪に連れて帰れ」といったそうだ。
母は私と姉を父の実家に迎えに来た。私はその時のことを覚えている。
祖父母と母親の言い争う声、母の泣き声、今なら母が不憫で仕方ない。
母は当時28歳とかで、父は37歳とか、実家は遠方で誰も頼れず、誰にも気が付かれず、頭のおかしい義両親にいじめられていたのだ。
母の実家がサラリーマン家庭であることを馬鹿にし、週に何度も小言を言いに訪問し、二人の娘のうち、一人だけをかわいがり、母は参っていたんだと思う。
そんな状況の中で子どもを拉致られ、取り返しに来たら罵倒され、姉の方は絶対に返さないけど、妹の方なら連れて帰れと母は言われたのだ。
祖母が実際にそういったらしいが、隣にいた私の父は一言の反論もしなかったそうだ。
母と私はこうして二人で暮らすことになった。
別居状態で姉の親権を一年ほど争っていたけど、父からの婚姻費用も貰えす、離婚は成立していないので母子家庭状態かつ収入もほぼないのに児童扶養手当も貰えない状況で、母は離婚に応じるしかなかったらしい。
父は私に毎週会いに来た。父は私のことが大好きで、一緒に暮らしたいとしきりに言っていたし、なんでも買ってくれて何でも食べさせてくれた。
私は父が大好きだった。
母との暮らしは極貧だったうえに、母は病んでしまってアル中、家はゴミ屋敷だった。
家の中にコバエが死ぬほど飛んでいたし、シンクはカビだらけ、家中めちゃくちゃだった。
怖いもので、私はそんな家の中でまともな感覚を失い、その状態に完全に慣れていた。細かいエピソードは割愛させてもらうが、私も母もまともじゃなかった。
そんな中、母に彼氏ができた。(離婚後、男遊びはまあまあしていたみたいだけど、さすがに育児放棄はしてませんでした。毎日帰ってくるし、男を連れ込んだりもしてません。そんな中一人の男が彼氏になりました。)
これを読んでくださっている人の中には、ヤバイ!って思った人がいるかもしれないけど、そうです、やばいです。
この彼氏、DV男でした。すぐ不機嫌になるし、すぐキレるし、機嫌を取ってあげないといけないタイプでした。なんでや!!!!
母はこの男と付き合いだしてから、家にいるときはずっと電話していた。マジでずっと。
母はキッチンでずっと電話してて、私はリビングで一人でご飯を食べて一人でテレビを観て、母と会話なんてほぼしない生活になった。やば。
私が母と話したくて話しかけに行くと、あっち行ってて、って感じだった。なんかかわいそうになってきた笑
まあ当然私は不愉快極まりないわけで、最悪!!って感じでした。
その男と初めて会ったのはいつだったかな、忘れたけど、私と母でその男の住む地域に遊びに行った。
その時、その男は私と母をいろんなところに連れて行ってくれたけど、私は終止不機嫌。
なんせ父が大好きだったし、母が違う男に夢中になり、無理やり連れてこられ、何もうれしくないんだから。
その帰りの電車で母に叱られた。
私は何も反論できなくてぽろぽろ泣いた。なんか悲しくて悲しくて仕方なかった。
そのうち私と母の暮らすアパートに男は入りびたるようになった。最悪である。
母とその男の喧嘩は壮絶で、すごい怒鳴りあうし、母は携帯を折られるし殴られるしガチやばかった。
私は殴られたことないけど、なんで付き合ってるのかわからなかった。
夜、私に風呂に入ってこいって命令して、私が風呂に入っているときに子作りしていた。グロすぎ。ちょっと成長してからあの時のあれって...ってなった時吐きそうになったわ。
そのおかげで、私が小3のときに母に赤ちゃんができたので、母はその男と結婚すると言い出した。意味不明だった。
引っ越すから父や姉と会えなくなるし、転校することになって、今度は私が病み散らかした。
私と母は、その男が住んでいる県に引っ越した。毎週のように会っていた父とも会えなくなり、友達もいない、親戚もいない、来たこともない土地に連行された。
小4にして人生どん底、母しか頼れないのに、母は新しい夫の世話と赤ちゃんに追われ、私は人生でこのときが一番孤独だった。
私の反抗的な態度に腹を立てると、男はその文句を母にぶつけて喧嘩がはじまる。
喧嘩は私のせいだと母に怒られる。
(あと母のいないところで若干セクハラされたことある実は。忘れてた。)
私と母はこのころから毎日のように喧嘩していた。今思えば、私の反抗期(?)と母の余裕のなさがベストマッチだった。
私は母に殴られるし、物投げられるし、首絞められるし、髪をハサミで急に切られるし、児相案件では??って感じだった。
母も母で、めんどくさい男の機嫌を損ねるうっとうしい娘と生まれたての赤ちゃんを抱えた貧乏生活で、すっごい大変だったんだと思う。今ならわかるよ。
まあ自分で選んだんやろって昔は思っていたけど。
当時はマジで貧乏で、母は私に、「パパに電話してお金もらって」って言ってきてた。
正直これは本当にしんどくて、父は母にお金を渡したくないから、超板挟みだった。ちなみに母の再婚後に父は養育費を払うのをやめました。
母もわかっているから、私が欲しいものを買うお金をもらう体で頼めって言ってきた。あれが必要、これが必要、あれが欲しいこれが欲しいって言えみたいな。
私はその電話を本当にしたくなかったけど、母は絶対に譲らないから、電話するまで何時間でも迫ってきた。
小学生の私はそこで折れないほど強くなかったから、父に電話してた。
父にお金をせびるのは中学生くらいまで続いたかな、父には申し訳なかった。私もつらかったんだけどね。
私は本当に病んでて、小学生の頃は腕切ってた。笑
中学校に入ってからは人生楽しくなってきて、部活に勉強に忙しくしてて、私の中で家庭が占める割合が減ってきたから、そこまで病み散らすことがなくなった。
母と男と弟で普通の家族なのに、私邪魔じゃねって思っていたことぐらい。
でも母との仲は最悪で、喧嘩はヒートアップしてた。私も体力がついてきたので普通に殴り合いしてた笑
そういえば母はなぜか友達と遊びに行くことをよく思っていなかったのがすごく不思議。その喧嘩すごく多かった気がする。
高校受験の時はそれなりにもめた。私は県外の高校に行って親元を離れたかったけど母は猛反対。
私も頑張って説得しようとしたけど、結局無理で戦意喪失、勉強する気が失せて公立落ちて私立に進学することになった。
高校に入ったらもう無敵、親に何言われようが無視。なんでも強行突破できるくらいには私も強くなった。
バイトも早々に始めたけど、はじめの一年くらいは母管理だった。普通にお金取られてたけど、ほんと大したことない。小学生の頃のつらさに比べたら屁でもない。
あ、高校は自分のせいで私立になっちゃったので学費はバイト代で払うと申し出た。
3か月に一度13万くらいの引き落としがあって、私は月3万母に手渡し。
補助金は後から振り込まれるので、いったん払う必要があり、私はバイト代を渡していた。
私立助成が月3万ちょいあるから、絶対黒字だったけど、私そんなに払わなくてよかったけど払ってた。自分が私立選んだんだし、母はいるって言い張ってたし。
あと携帯代も1万円渡してたから、毎月母に4万円手渡ししていた。
だからいっぱいバイトしてた。友達出来てすごい楽しかったから、別に苦じゃなかった。
さあ大学受験!私は絶対に実家を出るという強い意志があったので、都内の大学に進学することを決めた。
父の出番が来ました。父です。私の父は先述の通り私大好きなので、私が上京するよと言ったら大喜び、生活費を出してくれることになりました。
さすがに一緒には住まなかったけど、生活費(家賃、光熱費、食費)を毎月定額で支援してくれた。
わたしってスーパーラッキーガールだと確信しました。なんて恵まれてるんや。
ちなみに学費は全額借金です。これは仕方ないし文句もない、私の責任において私がしっかり返済する。
大学行けただけで大感謝。ほんと素晴らしい人生。ラッキー人生。
大学に入学し、一人暮らしがはじまると、お金に余裕は全然ないながらも、めっちゃ楽しい生活。
ただ定期的に母から金貸してって言われることがだるいくらい。消費者金融とかに借金してほしくないから貸してたけど返ってこないのであげたことにする。
母と距離を置くようになったらめっちゃ仲良しになった。最高。マジ友達。
私と母は一緒にいろいろ乗り越えてきた戦友で、家事育児(弟)も完全ツーオペで、離婚も再婚も貧乏もDVも全部一緒に一生懸命乗り越えてきた戦友。
母の苦労を一番わかっているのは私で、私のことを一番よく知っているのももちろん母。
母は立派な親じゃないし、立派な人間っていうわけでもない。
親なのに、母なのに、大人なのに、って私はずっと理想の母と比べていたけど、母は母でしかないことにようやく気が付いた。
母は母なりに一生懸命やったし、母もどうすればいいかわからなかったし、申し訳ないとか本当はこうしたいとか、いろいろ考えてたはず。
だから今恨んだりしない。文句は全然言うけど母を断罪できるほど私は偉くないし。
ちなみにDV男はDVこそしなくなったけど、(何回か警察沙汰になってる笑)いまだにわがままくそ自己中男です。
でも昔に比べたらほんと丸くなった。ちなみに私のこと大好き。マジで。帰省するの超楽しみにしてるっぽい笑
父は私を溺愛しているから、私と一緒に住みたいとか、将来は一緒に住もうとか、私と暮らすのが人生の目標だったとかいろいろ言ってきます。
皆さんどう思いますか。
どういった経緯で離婚に至ったのか思い出してください。
私はちょっと複雑なんです。
私と母をある日突然捨てておいてって思っちゃう。姉と突然引き離して。
離婚はどっちが悪いとかじゃないとはいえ。手段は悪かったんちゃいますの。
父がいなければ大学に行けてないし生活もできてないから感謝はもちろんしているけど、私と母がどんだけ苦労したと思ってますの???
ついでに姉も大変病み散らかして大変こじらせていて、ヲタクの高校中退のフリーター。
姉が父の実家でどんな思いで暮らしてきたと思っているの。ある日突然母親を奪って。
私は母に申し訳なくて父と一緒に住むことはとてもできない。でもはっきりそう言えない。今は父に生かされてるから。
これはコンプレックスの話なんですけど、いとこの存在が私の家庭環境コンプを刺激するんです。
それぞれ大変なこともあると思うけど、私の目には普通で幸せな家庭に写る。
いとこたちは両親がそろった家で、食べるものにも住むところにも困らず、お金の苦労も知らず、本当に大切に育てられている。
誰かを恨んでいるわけじゃないけど、自分が惨めで仕方ない。
私が欲しくて欲しくて仕方なくてどんなに努力しても頑張っても望んでも絶対に手に入らないものを生まれながらに持っているじゃん。
普段は接点ないから感じないけどたまに関わると自分が惨めになってて。
そんなどうしようもないこと考えるなよって思うけど、ほんとに誰にも言えなくて、誰かに聞いてもらったらすっきりするかなと思ってこれ書くことにした。
長すぎて誰も読まないかもしれないけど、私の誰にも言えない話を読んでくれたら本当にうれしいしこの気持ちが晴れる気がする。
読んでくれて本当にありがとう。読んでくれる人がいたらまた思い出話させて。
これについて色々考えてみたが、埼玉県が位置している地理的な要因ということに突き当たるのではないかという結論に達した。
北関東3県に接していて、そのさらに北側には東北地方・新潟県が広がっている。
埼玉県内を通っている東北・上越新幹線、東北自動車道、関越自動車道は、これら東北地方と首都圏を結ぶ幹線ルートである。
なので、埼玉県=東北地方・新潟県のイメージがついてしまい、それがダ埼玉に結びついているのではないか。
東北地方から上京する東北人の人達が埼玉に住むパターンが多いことからもわかるだろう。
埼玉県そのものがダサいのではなく、東北地方のダサさと同一視されている。
大宮や浦和の街並み自体は、決してダサくもなく日本有数の洗練された都会だと思うよ。
これならば、ダサさとは無縁で洗練されたイメージのある神奈川県についても説明できる。
神奈川県内を通っているのは、太平洋ベルト地帯を通る東海道新幹線と東名高速道路である。
日本最大の人口と工業地帯を擁する京浜~東海地方~京阪神地方を通る二つの大動脈であり、神奈川県はこれらと同一視されている。
トランプが大統領になったときだって、「オバマはケニア生まれで大統領の資格はない」とか、「ヒラリーは嘘つきだ」とか、そんかスキャンダルばかりだったじゃん。
トランプの選挙活動っていったら、野球帽作ったりTシャツ作ったりだったじゃん。
ほんと、政策なんかどうでもいいの。
トランプが国境に壁を作るとか言ってたのと同じように、所沢あたりに関所を作るっていっときゃOK
なんでもわかりやすいのがいいんだよ。
有権者は石丸伸二と石丸幸人の違いだってわかんないんだから、政策アピールするのなんか無駄。
関所はやりすぎでもさ、埼玉県民のせいってのはなかなかいいよ。
都民が家買えないのはのぼってくる埼玉県民のせいだから、10年以上東京に住所があると家買いやすいようにするとか言えばいいんだよ。
どうすりゃいいか知らんけど、そういうのはアタマがいいやつらに任せて、埼玉ヘイトを叫んでおけばいい。
都民が近所にある大学に通えないのは、学力が高いだけで調子に乗って上京してくる田舎もんのせいだから、東京にある大学は都民枠作れとか、そんなんでオーケー。
石松某氏や石丸某氏に票を入れた若者を叩く風潮はどうかと思うぞ。
なんかそういう、知識人(ぶった)連中に馬鹿にされる原体験って、けっこう根深いわけ。トランプ大統領誕生って、そういうのの積み重ねが原因だと思うよ。
まあ石丸伸二も冷笑系でどうかと思うけど、敵対勢力をどんなに小馬鹿にしたって信者は喜ぶだけで離れないわけだし、あの姿勢も正解じゃないかな。
なんていうか、気が熟してなかったというのと、やっぱり資質が足りなかったんだろうな。
石丸叩きとか、立花孝志叩きが、いい感じに若者の反骨精神に火をつけて、四年後にもうちょっといい役者が登場すれば、きっと面白いことになるよ。
橋下徹みたいな人物、ちょっと違うな、アイツは賢すぎる。もっと、騒ぐだけの、小泉純一郎みたいな感じのほうがいいのか、いや小泉も違うな。
やっぱり石原慎太郎かな。
死んじまったけど。
あれをもっとアホにしたようなキャラがそのうち都知事になるよ。
傲慢そうだし。
までは誰も異論ないんだと思うけど
「東京には文化があってすごいから、文化的活動してないし金もないしライブハウス行くとかの安い消費しかできてないけど、東京住んでるから私はお前ら田舎者よりすごいんだよ」って上京しただけの田舎者に言われるとね
色々思うところがあるよね
そこそこのレベルの国立理系を目指してて、落ちたから一浪して、もう一回同じところに落ちて、今は何とか滑り込んだ地方国公立にいる。
上京したいって思ってたはずなんだけど、実際今いるところから東京行くのも地元から東京行くのもそんなに変わらないっていうレベル。
大学ってよく人生の夏休みだって聞くから、大学入ったらサークルやったり趣味やったり資格勉強したりしたいなあって思ってたんだ、思ってたはずなのに、実際来てみたら普段の勉強でそれどころじゃない。
というか自分が真面目に取り組みすぎてるだけなのかもしれない。要領が悪いくせにプライドだけ高いから、課題も予習復習もちゃんとやらないとって躍起になってるだけなのかも。
周りは意外とサークルとかバイトとか、課題やばいって言いながらやってるのに。情けない。
数年付き合いあるネットの知り合いには趣味を作れって言われるんだけど、正直やってる時間、というか余裕がない。授業受けて、電気代節約のためにギリギリまで図書館に残って勉強とかTwitterとかして、家帰ったら軽く飯食って風呂入って寝てる。他はずっとTwitter。
大学始まってまだ3ヶ月だけど、同じ学科で割と話す人とかには真面目なヤツって思われてる。キツい。中学まで勉強ができてたからって進学校行って底辺だった典型的な例なので、今後どうなるかが目に見えている。勉強とか得意じゃないから。
もう一ヶ月もしたら夏休みになる。実家に帰省している間はバイトをしようかと思ってるけど、そうしたら勉強する習慣がなくなってしまいそうで怖い。というか帰省したら一人暮らしの感覚も忘れそう。
大学生って何が良いんだろうな、もっと要領が良かったら適度に手を抜けたんだろうか。それともみんなこんなに苦しいと思いつつそれを隠しながら生活してるんだろうか。
百合子は島嶼部に真っ先に演説に行ったり初日に間に合うようにポスター送ったのが流石だわ
よく言うじゃん「彼氏が私には優しくても、店員に失礼だとドン引きする」みたいなの
「田舎のカッペ弱者」を切り捨てないというのは都心に住んでる者からも好印象
実際に任期中の百合子が本当に田舎にも優しかったかは異論もあるだろうが、「優しいフリ」ぐらいはできる
他のやつはフリすらできないで最初から島なんかにポスター張りに行くつもりがなかったり、輸送の遅れを計算に入れられなかった
暇空とかは、奈良の田舎から上京して今は港区に住んで、都会人ぶりたくて仕方ない
「多摩格差はどうでもいい」と言い切るし、都内にも鄙びたところがあるという実感に欠けるので
「映画館が無料になる電子クーポン作れば票を稼げる」と勘違いして公約にしちゃう
島に映画館なんかねえんだわ、交通費かかるんだわ、恩恵受けられない事柄に税金そそぎこむ宣言されても票取れないんだわ
「弱者女性支援なんて俺と無関係なことに税金使われるのは嫌だ」で弱者男性の人気集めた奴なのに元が奈良カッペだから東京の地理関係疎そう
同感
自然豊かな田舎で育って東京に上京したけど田舎には戻れないかな
毎週散歩しながら入ったことのないコーヒー屋に行っているが行きたい店が無くならない。一杯1000以上する高級なコーヒーを楽しめる店では、コーヒーの概念が変わる出会いもある。
日本にある海外料理店の多くは、日本人向けに作られている事が多くつまらない。海外旅行に行った時の知らない味との出会いのような体験ができない。東京には現地の人が通うような本格的な料理店が多い。散歩をしていてふと見つけたお店で、名前も知らない料理・味に出会うと感動する。
散歩をしていてふらっと入ったギャラリーで、一目惚れをして作品を買うことがある。検索したって見つからないようなアーティストにふとしたタイミングで出会う事ができる。ギャラリーは定期的に入れ替わるからいつでも新しい発見がある。
街中でストリートミュージシャンに出会えるのも東京ならでは。つい足を止めて感動したら投げ銭をし、Instagramをフォローする。都心に行けば行くほどレベルが高く、都心から離れれば離れるほど癖が強くなる感じも楽しい。東京には多様性がある・自由である、好きなだけ表現していいんだと実感させらる。
書き始めたらキリがないな。美術館展の多さや、舞台、クラシック、ジャズの公演の多さは言わずもがな。クラブ音楽も楽しめる。東京周辺の音楽専用アリーナの完成度も高い。一度知ってしまうと地方の音楽ホールやドームでは満足できない。
同感
自然豊かな田舎で育って東京に上京したけど田舎には戻れないかな
毎週散歩しながら入ったことのないコーヒー屋に行っているが行きたい店が無くならない。一杯1000以上する高級なコーヒーを楽しめる店では、コーヒーの概念が変わる出会いもある。
日本にある海外料理店の多くは、日本人向けに作られている事が多くつまらない。海外旅行に行った時の知らない味との出会いのような体験ができない。東京には現地の人が通うような本格的な料理店が多い。散歩をしていてふと見つけたお店で、名前も知らない料理・味に出会うと感動する。
散歩をしていてふらっと入ったギャラリーで、一目惚れをして作品を買うことがある。検索したって見つからないようなアーティストにふとしたタイミングで出会う事ができる。ギャラリーは定期的に入れ替わるからいつでも新しい発見がある。
街中でストリートミュージシャンに出会えるのも東京ならでは。つい足を止めて感動したら投げ銭をし、Instagramをフォローする。都心に行けば行くほどレベルが高く、都心から離れれば離れるほど癖が強くなる感じも楽しい。東京には多様性がある・自由である、好きなだけ表現していいんだと実感させらる。
書き始めたらキリがないな。美術館展の多さや、舞台、クラシック、ジャズの公演の多さは言わずもがな。クラブ音楽も楽しめる。東京周辺の音楽専用アリーナの完成度も高い。一度知ってしまうと地方の音楽ホールやドームでは満足できない。
私と兄は3つ離れてる。
物心ついたころからとにかく私のことを可愛がってくれる兄で、甘やかしてもらってるおかげか今までずっと仲が良くて大きな喧嘩をした記憶はない。
私も兄も大学進学を機に上京して、東京で会社員をしながら一人暮らしをしているけど、今も月1回ペースで一緒に食事や買い物に行ったりするし、どうでもいいLINEも結構日常的にしてる。焼肉食べた~とか
着飾らなくて良くて、好みとかも知り尽くしてるから一緒にいて楽だし
結構大変な家庭環境だったから大変な時期を子供の頃から支え合ってきた戦友って感じもあって
若干キモいことを書くとお互い唯一無二の存在って思い合ってると思う。
友達や彼氏と過ごすのとは何が違うの?って思われるかもしれないけど
個人的に一番大きいのは、兄とだと思いっきり方言で会話できるってこと。
訛りの強い田舎の出身で、方言で話すと普通にしているのに語気が強く聞こえてしまうようで「怒らないで」と怯えられてしまうから普段は東京の友達や彼氏の前では完全に封印してる。
東京で何年過ごしても標準語が身についてる感じがしなくて、今でも外国語を話している気分だから、兄と方言で話していると解放感と安心感がすごくて楽しくて喋りすぎてしまう
まあそんな感じでいつものように兄と話をしていたら、話の流れで「おいしい海鮮を食べたい」「レンタカー借りてきれいな景色見に行きたい」という話になり、2人で秋ごろに2泊3日で北海道旅行に行くことになった。
……という話を友人にしたら「兄弟仲おかしくない?泊まりの旅行って普通じゃない」と言われた。
確かに、兄弟で旅行ってあんまり聞いたことないかもしれない。特に男女の兄弟だと。
当たり前に部屋は別だし、いつもの遊びの延長という感じなのでそんな風に言われてびっくりしてしまった。そもそも成人した男女の兄弟はあまり遊ばないのか?
兄弟仲良いに越したことはないと思ってるから兄との関係を改める気は全然ないんだけど
↑には大批判なのなんでだよw
金がすべてじゃないが、650万じゃ子供を3人育てるのは無理だし、戸建ても分譲マンションも無理なのは事実だろう?
だって成り立つだろうがw
独り身が幸せなのか、選択肢がなく独り身なのかは本人しかわからないけどな
そして38歳にもなるのに独身。校内トップの秀才が故郷を捨て上京したというのに、安月給(年収650万)で東京に消費され哀れだなと。大人しく地元にいればトヨタの事務か公務員にでもなって結婚して、デカい戸建買って、子どもも2〜3人くらいはいながら羽振りのいい生活ができただろうに。
[B! togetter] 秀才の同級生が「とにかく陰湿で閉塞感のある西三河からは出たい」と東京の大学に進学、都庁に就職。38で独身。地元にいれば子供二、三人はいただろうに哀れ
このポストは滅茶苦茶叩かれててそれ自体には賛同しかないんだけど、
蔑まれる事はないんだよな
このポストからも分かるように陰湿なクソオスなんて九州に限らず日本全国何処にでもあるんだよ
>
https://x.com/moja99758134/status/1809247484159590705
moja🧚♀️
@moja99758134
実は先日東京で偶然同小、同中だった同級生の女の子にばったり会った。中学では常にトップ10(200人中)に入り、岡崎高校(県内トップ校)卒業後は「とにかく陰湿で閉塞感のある西三河からは出たい」と東京の大学に進学→そのまま都庁に就職、実家も和歌山に移転、西三河には成人式以降戻ってないと→
moja🧚♀️
@moja99758134
·
15時間
そして38歳にもなるのに独身。校内トップの秀才が故郷を捨て上京したというのに、安月給(年収650万)で東京に消費され哀れだなと。大人しく地元にいればトヨタの事務か公務員にでもなって結婚して、デカい戸建買って、子どもも2〜3人くらいはいながら羽振りのいい生活ができただろうに。
風呂に入る前には脚力トイレに行きたくない、ということで大を我慢したまま風呂に入り、そのまま便意を忘れて就寝。とかやってたせいかどうかは分からないが、便がカッチコチで全く出なかった。人生で一番力んで何とか出した。
そして尻を拭いたら血がついていたのである。
血便!?もしかしてがん!?と思い、がんの症状を調べたりして怯えて眠りについた。
そして翌日、尻の穴が痛いことに気がついた。
激痛というわけでもないのだが、座る時とかちょっとだけイテッとなる。がんじゃなくて物理的に切れただけかと安心しつつ、切れたのか…という謎の感慨に包まれた。
これが一昨日の話である。
今日32歳になった。初めての経験で尻を痛めている32歳の出来上がった日である。
まだ笑い話にする勇気はない。