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2017-11-24

anond:20171124160905

女性誌のサイト(奥さま系)にもあります。あとSNSコミュで地道に。

もう言及されてますが、オールアバウト↓こういうの?

https://allabout.co.jp/gm/gt/1228/

シャンプー男子

https://mens.tasclap.jp/a3329

初めての独り暮らしとき掃除洗濯・炊事などのムック本を買って上京しました。

フローリングを水拭きするような母だったので💦

あとホームフリージングの本も役立ちました。

Web情報は多いので、専門家の本は役立ちます。それも時代とともに常識は変わるけれど。

2017-11-22

20代までに結婚という記事タイトルに釣られ過ぎなはてな民

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.e-aidem.com/ch/listen/entry/2017/11/22/110000

そこばかり食いついて記事自体は読んでないだろというのがちらほら

山内マリコは「かわいい結婚」だけ読んだことがある

その中に「地方で仲良く育った2人の女子高卒で片方は上京、もう片方は地方に残る」と言う展開の短編があったけど

最終的に残った方はクソ男と出来婚してお先真っ暗、東京に行った方は社畜生活過労死寸前

と言うどちらも身も蓋も救いもない終わり方をしていた記憶

少なくともはてな民が大好きな「東京天国地方地獄」と言う話でも

「さっさと結婚した女は天国独身女は地獄」って話でもなかったな

2017-11-21

anond:20171121233050

から全体の中の一部の話をするなよ

全体からしたら半分くらいが年収千万世帯だかって統計あったろ

平均にしても貧困上京させられないなんて世帯のこどもごく一部なんだよ

一部で全体を否定するみたいな典型的バカはてなでかますなよ

増田にはインテリしかいないんだろ

2017-11-20

anond:20171120200605

却って辛くなってしまったみたいで、ごめんなさい。

エゴグラムは私、カウンセラーの処でやったんで(4回ほどは通いました家を出て上京する決心したきっかけになりました)

いかもって思ったんですがほんと、お力になれなくてすみません

普段から人に優しくしますか?

質問があったとする。

 

表面的には真面目に振る舞おうと、優しい風に装っているけど、

内心はドロドロの悪態をついていたり、すごく性格悪いとき

質問YESと答えるべきかNOと答えるべきか分からない。

自分の行動と内心が違うことがとても多い。

そういうことですね。

人に優しくしますか?

というのは行動を指しているので、

内心はしんどいし嫌だなぁと思っても、

ちゃんと行動として、優しく出来ているのなら、

それは

はい」を選んでいいと思いますよ。

それと。

文面から、凄くまじめな性格と思う。

親って、親だけは子供に対して、しかるべき時期にちゃんと信頼関係作ってくれなきゃ

子供はかなりつらいまま成長しちゃう気がします。辛いまま、いい子でありたい思いとで、悩む。

凄く分析的だし、頭の回転も速いし、増田さんは本当は素直で優しい人だと思う。

自罰的というか、その部分が出てくると、とらわれちゃうんじゃないかな。



厚労省サイトみつけたので、気分を変えて、みてください。こんどこそ少しは良いいとぐちになれますように。

私もあとでやってみようと思います

http://kokoro.mhlw.go.jp/

2017-11-19

親父が余命2ヶ月なんだか

仕事どうしよう

最後くらい一緒に居たいと思うけど2ヶ月も休む訳にはいかないよな

でもいつ死んでもおかしくないみたいだ

週末だけ帰るってのも上京してるからちと辛い

容態が悪化したら帰るってのもどうなんだろう

親父は仕事熱心な人だから気にせず働けと言うだろう

にゆくオレより未来あるオマエを大事しろ

これまでも大して実家になんて帰ってなかったけどたまに帰った時には十分に楽しんだ

だったら今さら急いで帰ることもないのだろうか

どうしたら良いですか

2017-11-17

日田舎へ帰省したときに出た同級生の話。

一人っ子

離婚して実家に戻っている。

・昨年?子供を産んだ。

子供は元夫の子ではないため養育費はもらえない。

事故に遭って発作が出るようになったため仕事に就けない。

実家の両親は定年退職して、父親パートタイム勤務、母親は畑仕事家事をしている。

 

今は親の金生活できてるみたいだけど今後どうやって生きていくのかと考えてしまう。

生活保護という選択肢もあるけど、

あの田舎でその選択肢は躊躇しそうだなと思う。

でもそれ以外に生きていく道ってあるのか。

 

自分上京して結婚もせず少ない給料ギリギリ生活をしているが、

自分の老後を考えるとこの同級生の話を思い出してしまう。

ありがとう君に届け

大好きだった「君に届け」の連載が、今月発売の別冊マーガレットで終わった。

申し訳ないんだけどネタバレがあるから、「君に届け」のネタバレをされたくない人は読まないでほしい。

実は、29巻が出る少し前から、5年ぶりくらいに毎号別マを買って本誌で連載を追いかけてきた。

少女マンガに傾ける熱量が異常だった小学生中学生の頃ぶりに購入し続けたのだが、あの頃と変わらず女の子たちに夢と希望と居場所を与える別マ、そして「君に届け」がうれしかった。

あれをみんなハッピー大団円とみるか、ひとつ青春の終わりとみるかは本当に人によると思うんだけど、私は後者で、ひとつ青春の終わりとして最高の最終回だったと思ってる。だから、騙されたと思って別冊マーガレット12月号買って。

ここからネタバレ

なんでこの青春終わるなって私が感じたっていうと、最終回ちょっと前で爽子と風早くんがセックスたからなんだよね。

恋愛の段階を丁寧に描いてきたこ作品の中で、初回のセックスが二人の終着点(付近)になるってことは、現実世界で二人の道は分かたれるんじゃないですか?って思ったんだよ。だってセックスを超える恋愛の段階ないよ。

同じことは「ハツカレ」を読んだときにも思った。でも、「君に届け」のふたりの初回セックスは、今まで二人といっしょに大きくなってきた読者の心を思いやって描いてくれたなあと思う。「ハツカレ」も私は好きなんだけど、あの超展開にえっ?!て戸惑ってしまって振り落とされた子たちもいそうなので。

でね、本誌で追って、青春の終わりを感じたからこそ、最終回の絵も台詞モノローグも全てにグッと来てしまってマンガで泣いた。久しぶりに泣いた。

駅の場面は実にずるい。千鶴見送り(ひとり見送る者のくせに笑顔で送り出す人格の完成されぶり)・風早くんとの別れ(”あの”2人が駅でキスもするし呼び捨てもし合ってるし君たちはだれ?成長したね?)で泣き、畳みかけるように車内で読む風早くんの手紙がまあステキで泣き(翔太おまえはよくできた奴だな)、そこで襲いかかってきたモノローグ(1ページまるまる電車が走ってるあにページ!!!なにあれ泣くでしょ)で泣きすぎて鼻水出た。

爽子たちはずいぶんとゆっくり高校生をやってくれた。爽子たちと椎名先生別マ編集部の人たちに、本当にありがとうございましたという気持ちでいっぱい。

出会ったときは既刊4巻で、まだ私は小学生だった。それから10年経ったけど、友人関係絶望した時も、家族との関係に悩んだ時も、好きな男の子に振られた時も、いつも「君に届け」のみんなはそこにいてくれた。高校時代友達と大騒ぎしながら読んだことは今でもいい思い出だ。

みんなの年齢はとうに追い越してしまった。でも、この感謝はずっと変わらないし、この作品はずっと好きなままだと思う。

たぶん自分受験したり上京したり彼氏と付き合ったりっていろんな経験があったからこそ最終回ボロ泣きしたんだろうなあとも思う。

いくつになっても楽しめてしか経験が増えるほど楽しみ方の幅が広がるなんて少女漫画は最高だね!!!

小中学生の頃は少女漫画に熱意を注ぎながらも、いつか大人になったら飽きるのかなあってちょっと不安に思ってたけど、そんなことはないか安心しろと昔の自分に言いたい。飽きない。超楽しい

なんか集英社の回し者みたいになってきたけど違うからね、これで入社させてくれるなら入社させてほしいよ

てかこれだけ青春の終わりとか言っといて来春の別冊マーガレット5月号(2018年4月13日(金)発売)で爽子と風早くん結婚してたら超恥ずかしいな!

婚姻って恋愛の究極の終着点とも捉えられるよね!

でも買う!!

超楽しみだから来春まで生きるね!!!

2017-11-15

痴漢たことがある

二十数年前に、上京して満員電車通勤しはじめたころ。

いつも満員だったけど、その日は事故かなにかの影響でいつもより更に人が多くてぎゅうぎゅう詰め。

女子高生とお互い正面で押し付けられて身動きできなくなった。

相手は胸はガードしてたけど、下半身無防備

足を相手の股間にぐいぐい押し付けた。

相手は逃げようとしてたけど異常な人の多さでまったく動けないの。

ほんとうに魔がさしたわ。

まらなくてよかった。と時々思い出して胸をなでおろしてるけど、女子高生に対する反省とかはしたことありません。

死んでしまった好きだった人の話

もし運命の恋とか、一生に一度の恋みたいなものが本当にあるとするなら、私の運命の恋はもう終わってしまったと思う。

この話をすると、年上の人は必ず「若いなあ」とか「何度恋したってそう思うよ」とか、そういう言葉をくれるし、私もなんだかんだ言ってそうなんだろうな、とも思う。しかし、それでもあんな大恋愛は二度とないんじゃないかとも思う。

付き合っていたのはたった1年程度だった。その前後も入れれば5年くらいにはなるけれど。今思えばそんなドラマチックな出来事もなかったかもしれない、何せもう随分前のことになるので、鮮烈だった記憶も薄れてきた。

それでも一生に一度の運命の恋であったと今も思う。私も彼も若かったから、余計そう思うのかもしれない。もしくは思い出としてひたすらに美化され続けていくからかもしれない。まさしく身も心も焦がすような、そんな思いをずっと抱いていた。

今は新しい恋人がいて、良好な関係を築けていて、とても幸せだしこの状態がなるべく長く続いてほしいと思う。当然とても大切で、愛しているといって差し支えないと思うのだが、あの彼ほど好きかといわれるとそうでないと思う。

ただ一つ言っておきたいのは、今の恋人が決して二番手になっているというわけではなく、ただ「歴代恋愛ランキング」で言ったら彼が1位だということだ。今の恋人のことは、今の時点で一番好きだ。かつての彼のことは今は割とどうでもいい。生きているのか死んでいるのか、それさえもあまり興味がない。

ただ、あのまだ20代差し掛かろうかという若さでもって、必死に全力で愛し合ったあの時の彼に注いでいた愛情が、私の人生における最大火力だったと思うだけだ。あの、私を守るように、それでいて暴力的なほどに愛してくれた彼のことは今でも好きだと思うが、その彼はもういまどこにもいない。いなくなってしまった。死んでしまったといって差し支えない。今生きている彼はほとんどもう別人のようになってしまったのだから

今の恋人にそれだけの熱量を注げるようになりたいとも思わない。あの熱こそがかつての彼と私を引き裂いてしまったと思うから。今の恋人には今の恋人にあった愛し方があるし、現時点でそれはきちんとできているように思うので、あの火力はもう私には必要ない。

もし、時をやり直せるのなら、私は彼とやり直したいと思わなくもないのだが、それでも結局彼は変わってしまっただろうし私とは道を違えるだろうから、それならそもそも出会わない方がいいなとも思う。これを人は未練だとか言うのだろう。

彼のことを断ち切りたくて、彼と出会った土地から上京して数年経った。たまに彼のことを思い出す。会いたいとも思う。だけどそれは私のことが好きだった彼であって、そんな人はもうどこにもいないのだ。然様なら大好きだったあなた

2017-11-11

上京して初めて行った場所

ゲームセンター

ボウリング場

ネットカフェ

・海

・おしゃれなバー

・0101(丸井)・ルミネなどのデパート

映画館

八丈島

バーガーキング

オリジン弁当

ファミレス

・ひとりカラオケ

ドトールルノアールなど喫茶店

業務スーパー

無印良品

・スイパラ

雑貨屋

・(Book off以外の小さな古本屋

ディズニーランド

100円均一回転寿司

住みはじめはおっかなかったけど、住んでみるとなんでもそろって、いとあわれかな東京暮らし

2017-11-05

anond:20171104231131

上京した奴が地元バカにするのと一緒。地元イジメられていれば尚更の事。

移動した結果望んでいたものが手に入った成功体験で万能感もある。

男女で差があるのは結婚のしやすさ(日本女性不細工でもモテ男性モテない)と人生目標の違い。

2017-11-04

都会の人はなぜオシャレか

地価が高い

部屋が狭い

部屋にいるより外に出かける

人目が多い

見た目を気にする

 

これ、上京するまで分からなかった

なお地方では家でゆったりできるし、人目があまりいか適当になりがち

オシャレしても見られない

2017-10-30

anond:20171030071811

びっくりしました。

私も東京に住んでいたけれど、定期券も、出てきたし

網棚の上に忘れてたものも出てきたよ。

東京マナーイイと思ってたし。今でもそうじゃないかと思っています

私は地味な女で、上京前も、上京後もまったく見かけが変わらないような人だったんで、

職場と家の往復で、遊ばなかったので(遊んでも女友達の家でごはんとか猫と遊ぶ)

若者らしく、クラブかには行ったことないんで、地味子の意見です。

最高の都市だと思ったよ。皆優しいし。

そんなに変わってしまったんだね。悲しいなぁ。

近隣にコンビニが3つもあったけど、どこでビニール傘おいてても、

帰りに晴れて、置き忘れて帰っても、翌日行ったら自分のは必ずありました。


しろ親元で(地方だけどド田舎じゃない)、

ブーツのかかと修理するのに、デパートに持ってくところで

網棚に置いてたら、持ってかれてしまった

(綺麗な紙袋に入れてたのでもっといいものと思ったろうか)

学生時代、移動教室で机に財布入れたままだと出てこなかったこともあるよ。

2017-10-29

男性慣れしてない女性に教えてあげたいこと

女性が知らない男性秘密

うんこのこと

男性にとってうんこ漏らしは日常的ではないが、いつ起きてもおかしくないイベント

生理未満、妊娠以上くらいの発生頻度。

中山秀征も、

新婚一年目でソファ脱糞

上京したてで原付運転中に脱糞

レンタルビデオ屋で脱糞

脱糞エピソード3連発を語ってる。

性欲のこと

意外と我慢出来る。

セックスがしたいけど、相手がいないかゼルダで遊ぶ、みたいな性欲と別の欲の相互変換が可能

夢中になれば全て忘れられる。

結婚

専業主婦男性負担が大きいだけじゃなく、女性リスクが大きい。

なにしろ3割が離婚するわけだし。

と思いつつも、それを言い出せずにいる。

女性経験

30代でも1/4が童貞

風俗経験も含めてそれで、彼女いない歴=年齢はもっと多い。

野菜

男性ビタミンC以外のビタミンは十分に肉から取れると思ってる。

一部のミネラルについては植物性のものから取る必要があるが、貝類などで代用出来ると思ってる。

女性は「野菜」という栄養素があると思ってるのではないだろうか。

食物繊維?これ以上お通じよくなったら困るよ。

ちんこ

まれてはじめてのオモチャ、生まれてはじめての友達

おっぱいの次にちんこが好き。

びっくりするほど個体差があって、大きくなってもポークビッツからポカリの細い缶みたいな極太まで様々。

東京の分隊

うちの親戚見てると、田舎と都会でうまく役割分担してるよ。

 

もしも両親が大病を患ったときは、気軽に宿泊できる場所があれば、上京やすいんじゃないかな?

普段離れていても緊急時には役に立てるなら負い目を感じなくても良いと思います

良い病院リサーチはしておく必要があるけどねw

2017-10-27

弟との暮らしを思う

上京し、一人暮らしを初めて暫く経つ。

今更になって、実家暮らしを懐かしむようになってきた。しかしそれは厳密に言えば、弟のいる暮らしを懐かしんでいる、という気分である

そろそろ肌寒いからだろうか。その影響の無い訳ではないと思う。

ましてや雪国地方都市にある2DKの団地には子ども個人の部屋の割り当てがなく、弟と二人で万年敷きっぱなしの布団に寝起きしていたことと関係のないわけではあるまい。

布団の調節に難儀するこのくらいの時期であれば、これまでは寒ければくっついて寝るというだけで解決できていたのである

一人暮らしになって初めて、その癖が付いていたことに気付いた。弟の居ないこの暮らしは、近々私に風邪をひかせる予感をもたらしている。

大学の友人とするゲーム高校の頃の友人としたそれと変わらないが、やはりマリオカートにおけるセンスというものは弟との日常的な手合わせ、日頃の鍛錬においてこそ磨かれるものということも分かった。

過日ようやく手に入れたSwitch版は、やはり場数の不足が目立つプレイングが多いように感じる。これは年末に持ち帰る課題としたい。

自炊のためにスーパーへ出掛ければ、弟の好物が眼に入る。時計が22時を指せば、もう寝たかな?と思う。

次第に慣れて来つつある東京での暮らしで、ふとした拍子に脳裏をよぎるのは父母のことでも郷里のことでもなく、実家で私の遂に成し遂げなかった一人部屋ライフ満喫している弟であったりするのだ。

年末帰省が今から待ち遠しい。お盆からまた少し大きくなっている筈の10歳には何を土産に持とうかと、既に考えている。

2017-10-24

anond:20171024180944

それ単に、地元じゃない場所引っ越したことで、自然情報を求めてるのと、見える情報が目新しく感じるだけ。

要するに上京もんの目線になってるだけだわ

自分東京で年に1か月ぐらい大阪仕事で詰めることがあるけど、関西もじゅうぶんその手の情報的なモノにあふれてるし、

TVとか地方は金無くて番組作れないから町ぶらばっかりやってんかなとか思ってた。

大阪仕事一緒にしてる地元の人らも十分「新し物好き」だし、普通にくいもんやに行列もできてるじゃん。

anond:20171024152850

こういうの、

地方出身の人は少なくとも上京するだけの行動力がある人が多い(転勤などであっても、全国転勤の総合職ってだけでそこそこ行動力のある人だと思う)

東京出身の人はそうでない人も含まれている

というだけの話だと思う

私は文京区出身だけど店探すの好きだし、幼馴染にはどっちのタイプもいる。

anond:20171024103437

田舎学校にいる市内でも有名な素朴系美少女を無理やり上京させていまどきの化粧させてデビューさせようと思ったらイマイチ地下アイドルみたいになっちゃったような残念感

砕かれた鏡

(この日記は、「副業風俗レポを連載していたのだが、」https://anond.hatelabo.jp/20171023190844を「俺が編集者ならこう書き換える」という内容に無断で編集したものです。)

お久しぶり~。とにかく更新が滞りがちなこの連載。今回はちょっと趣向を変えて、生まれて初めてアジアンエステに行った日のことを書くぞ。もう六年半も前の話だ。僕のドスケベオイルマッサージ道はこの日から始まったのだ!

某月某日、夜。駅前商店街を歩いていると、妖しく点滅する立て看板が目に入った。

中国式マッサージ 60分¥6000

インターホンを鳴らすと、異様に背の低い白髪の老婆が出てきた。待合室に通され、メニューを渡された。メニュー表には複数コースが書かれていたが、婆さんは大きな目をさらに大きくして90分一万円のコースゴリ押ししてきた。僕は気圧されて、よくわからないまま一万円を払った。

部屋に案内されて、ベッドに腰かけていると、小柄な女の子が入ってきた。名前はナナちゃん。第一印象はツンとして見えるが、笑うと一気に表情がやわらぐ。かわいい! 大きな目に長いまつげ。ピンク色のぽってりした唇が印象的。髪は長めで、えり足がスッキリとまとめられている。あらわになったうなじセクシーしかし、何より目を引くのはオッパイ。かなりでかい! 上着がパンパンに膨れあがってる。そして、むき出しになった太もも。僕が太ももフェチになったのは、この日がきっかけかも。ミニスカートからのびる二本の素足。た、たまらん....。

ナナ「初めてですか?」

僕 「はい

ナナ「先にシャワー浴びますか?」

僕 「あ、はい

ナナ「じゃあ、脱いで待ってて」

ナナちゃんが部屋を出ていく。言われるままに服を脱ぐ僕。上半身裸になったところで、ナナちゃんがバスタオルを持って戻ってくる。いたずらっぽい笑みを浮かべながら、僕のズボンベルトを引っ張る。脱ぐように促しているのだ。恥ずかしながら、僕はすでにビンビン。ナナちゃんがそれを見て、キャッと笑う。腰に白いバスタオルが巻かれると、腹部がふくれあがり、その形状はまるで雪山

一緒にシャワールームへ。ナナちゃんが全身をやさしく洗ってくれる。「後ろ向いて」「はい、前」「もう一回後ろ」ころころと向きを変える僕。後ろ向きになると、ナナちゃんの手首が僕の足のつけねを通って、さわ~、と尻の穴を通過。最高だ...。タオルで体を拭いてもらい、部屋に戻る。紙パンツを渡されたが、明らかに小さい。無理して履いてみたが、思いっきハミ出てしまう。ナナちゃんがそれを見てウフフと笑う。

ナナ「うつぶせになれますか?」

僕 「あ、はい・・・

ナナ「・・・やっぱり、あおむけでいいよ。うつぶせ、痛そうだから

うつぶせだと、いきり立ったモノが圧迫されて痛いと判断されたらしい(笑)それで急遽、あおむけの態勢から始めることに。ナナちゃんが僕のひざの上にまたがると、太もも感触がじかに伝わる。う~ん、たまらん!

まずは首筋のマッサージ。ナナちゃんが前かがみになると、はだけた胸もとから谷間が見える。膝を動かすたびに、スカートの中もちらり。これってわざと!? そして、ここから先は怒濤の展開。まだ序盤なのに、ナナちゃんが僕の全身にオイルを塗り始めた! 本来うつぶせでじっくりと肩や腰をもんでから、ようやくあおむけになり、オイルが登場するのは後半なのだしかし、ナナちゃんは通常のセオリーをすっ飛ばして、大暴走。おそらく僕の興奮が伝わり、一気にスパークしたのだ! 奇跡フュージョン国籍を越えた魂の交感。ナナちゃんの指先が、僕の体の上を縦横無尽に滑走。そのなめらかな滑りは、ロシアフィギュアスケーターユリア・リプニツカヤ選手のようだ。僕はあっという間にフィニッシュ。開始からわずか30分。瞬殺だった...。

本来、こういったマッサージは焦らしてナンボ。ナナちゃんの施術はあまりトリッキー過ぎた。でも僕は大満足! 最高のアジアンエステデビューであった。

🌑

これは、ある風俗系のサイトのために書いた原稿である。そのサイトが突然閉鎖してしまい、行き場所がなくなった。自分で言うのも何だが、本当に下らない。僕は二年近く、こんな文章ばかり書いていた。この記事は、新しい店を取材する時間が無かったので、苦しまぎれに昔話を書いたのだった。結果的にこの原稿は陽の目をみなかったわけだが、書きながら当時のことを色々と思い出した。

あの頃、実は僕はドン底の状態だった。親から継いだ会社倒産させた後だったのだ。単なる地元中小企業だったが、そこそこ歴史のある会社だった。古参幹部裏切り横領大手の参入、理由を挙げればキリがないが、結局は僕が無能だったのだ。すべてを失った。恋人も仲間も、みんな去って行った。絵に描いたような転落人生だ。酒びたりの日々。毎日、目を覚ます頃にはすでに日が暮れかけていた。時計を見るのもつらかった。起きるとすぐに冷蔵庫を開けて、安い缶酎ハイあおり、またベッドに戻る。酒が切れたらコンビニに行って、缶酎ハイカップ麺を大量に買い込む。そんな生活が何ヵ月も続いていた。

いよいよ金が尽きてきたので、警備員バイトを始めた。まわりは爺さんばかりだった。地元では警備員仕事高齢者の受け皿になっていた。爺さんたちと一緒に働いているうちに、まだ20代後半だった僕も、老後みたいな気分になっていた。

件のエステに行ったのは、そんな時期のことだった。前述の通り、僕は30分で果ててしまった。そのあとどうしたかというと、ずっと彼女とお喋りをしていた。彼女は色々な話をしてくれた。まだ来日して三年足らずで、日本語ジブリアニメ勉強していると言っていた。なぜか子供の頃の写真を持っていて、それを見せてくれた。山村風景を背にして、薄汚れたシャツを着て立っている、仏頂面の少女が写っていた。それが彼女だった。話を聞いてみると、彼女は非常に貧しい家に生まれて、家族を支えるために、日本出稼ぎに来ていたのだった。

僕も自分のことを話した。地元中小企業の二代目社長社員は26人。趣味スキーテニス、車はベンツを2台所有。どれも過去には本当のことだった。でもすべてを失っていた。僕は彼女に、会社経営の苦労や、幹部に対する不満を、現在進行形の悩みとして語った。彼女の前では社長でいたかった。悲しい見栄だ。話しているうちに、自然と涙が流れてきた。彼女がそっと抱き寄せてくれた。僕は彼女の胸に顔をうずめて泣いた。しばらくのあいだ泣き続けた。あのとき彼女はどんな気持ちだったのだろう。異国で、初対面の男が、いきなり泣きだしたのだ。理由もわからなかったはずだ。かなり戸惑ったにちがいない。

ナナちゃんと話した翌日から、僕は仕事で新しい現場に入った。美術館の警備スタッフだ。スタジオジブリレイアウト展覧会だった。そこでマズイことが起きた。彼女が客として入場してきたのだ。どうやら彼女は一人で、オレンジワンピーススニーカーを履いて、髪はポニーテールにまとめていた。相変わらずちょっとツンとしていて、喋らなければどこからみても普通若い女性だった。僕はあわてて顔を伏せた。見られてはいけない。彼女の中ではまだ僕は社長なのだ。警備服を着ているはずがないのだ。彼女は食い入るように展示物を見ていた。僕は帽子限界まで目深に被り、ばれないようにした。

午後になって、今度は外の駐車場ですれ違いそうになり、あわててトラックの背後に隠れた。警備員なのに、僕の挙動は完全に泥棒だった。彼女は僕の前を通り過ぎて、その先の角を右に曲がっていった。彼女は僕の視界から消えた。

数日後に、地面が揺れた。これまでにないぐらい、大きく揺れた。巨大な津波が来て、あらゆるもの破壊した。そう遠くない場所で、原子力発電所が爆発した。日常が奪われ、何日も、何週間も、不安状態が続いた。

僕はやることもなく、ふと思い立って再びあの店に行ってみた。当然のように閉まっていた。インターホンを鳴らすと、ゆっくりドアが開いた。中からあの大きな目の老婆が顔を出して、「やってませんよ」と言った。

僕 「いつごろ再開しますか?」

老婆「もうやらないよ。おしまい

僕 「・・・

老婆「みんな中国に帰ったよ」

僕 「ナナちゃんは?」

老婆「ナナも帰った。モモも帰った。サクラもユキもみんな帰った。日本は危ないから」

当たり前だが、ナナちゃんとはそれっきりだ。僕はほどなく上京して、小さな広告プロダクション就職した。その後、仕事で知り合った風俗関係者に請われ、メンズエステ体験レポを書くようになった。

最初のうちは、アジアンエステ取材する度に彼女のことを思い出したものだが、最近はすっかり忘れてしまっていた。女性の胸に顔をうずめて泣くなんて、あの夜が最初最後だと思う。

地震で粉々に砕かれた鏡の上に今は別々の人生が映し出されている。ナナちゃん、元気だろうか。

2017-10-23

副業風俗レポを連載していたのだが、

諸般の事情サイトが閉鎖されてしまった。原稿が一本無駄になってしまったので、はてな匿名ダイアリーに放流する。

🌑

お久しぶり~。とにかく更新が滞りがちなこの連載。今回はちょっと趣向を変えて、生まれて初めてアジアンエステに行った日のことを書くぞ。もう六年半も前の話だ。僕のドスケベオイルマッサージ道はこの日から始まったのだ!

某月某日、夜。駅前商店街を歩いていると、妖しく点滅する立て看板が目に入った。

中国式マッサージ 60分¥6000

インターホンを鳴らすと、異様に背の低い老婆が出てきた。待合室に通され、メニューを渡される。メニュー表には複数コースが書かれていたが、婆さんは90分一万円のコースゴリ押ししてきた。僕は気圧されて、よくわからないまま一万円を払った。

部屋に案内されて、ベッドに腰かけていると、小柄な女の子が入ってきた。名前はナナちゃん。第一印象はツンとして見えるが、笑うと一気に表情がやわらぐ。かわいい! 大きな目に長いまつげ。ピンク色のぽってりした唇が印象的。髪は長くて、えり足がスッキリとまとめられている。あらわになったうなじセクシーしかし、何より目を引くのはオッパイ。かなりでかい! 上着がパンパンに膨れあがってる。そして、むき出しになった太もも。僕が太ももフェチになったのは、この日がきっかけかも。ミニスカートからのびる二本の素足。た、たまらん....。

ナナ「初めてですか?」

僕 「はい

ナナ「先にシャワー浴びますか?」

僕 「あ、はい

ナナ「じゃあ、脱いで待ってて」

ナナちゃんが部屋を出ていく。言われるままに服を脱ぐ僕。上半身裸になったところで、ナナちゃんがバスタオルを持って戻ってくる。いたずらっぽい笑みを浮かべながら、僕のズボンベルトを引っ張る。脱ぐように促しているのだ。恥ずかしながら、僕はすでにビンビン。ナナちゃんがそれを見て、キャッと笑う。腰に白いバスタオルが巻かれると、腹部がふくれあがり、その形状はまるで雪山

一緒にシャワールームへ。ナナちゃんが全身をやさしく洗ってくれる。「後ろ向いて」「はい、前」「もう一回後ろ」ころころと向きを変える僕。後ろ向きになると、ナナちゃんの手首が僕の足のつけねを通って、さわ~、と尻の穴を通過。最高だ...。タオルで体を拭いてもらい、部屋に戻る。紙パンツを渡されたが、明らかに小さい。無理して履いてみたが、思いっきハミ出てしまう。ナナちゃんがそれを見てウフフと笑う。

ナナ「うつぶせになれますか?」

僕 「あ、はい...」

ナナ「あおむけでいいよ。うつぶせ、痛そうだから

うつぶせだと、いきり立ったモノが圧迫されて痛いと判断されたらしい(笑)それで急遽、あおむけの態勢から始めることに。ナナちゃんが僕のひざの上にまたがると、太もも感触がじかに伝わる。う~ん、たまらん!

まずは首筋のマッサージ。ナナちゃんが前かがみになると、はだけた胸もとから谷間が見える。膝を動かすたびに、スカートの中もちらり。これってわざと!? そして、ここから先は怒濤の展開。まだ序盤なのに、ナナちゃんが僕の全身にオイルを塗り始めた! 本来うつぶせでじっくりと肩や腰をもんでから、ようやくあおむけになり、オイルが登場するのは後半なのだしかし、ナナちゃんは通常のセオリーをすっ飛ばして、大暴走。おそらく僕の興奮が伝わり、一気にスパークしたのだ! 奇跡フュージョン国籍を越えた魂の交感。ナナちゃんの指先が、僕の体の上を縦横無尽に滑走。そのなめらかな滑りは、ロシアフィギュアスケーターユリア・リプニツカヤ選手のようだ。僕はあっという間にフィニッシュ。開始からわずか30分。瞬殺だった...。

本来、こういったマッサージは焦らしてナンボ。ナナちゃんの施術はあまりトリッキー過ぎた。でも僕は大満足! 最高のアジアンエステデビューであった。

🌑

自分で言うのも何だが、本当に下らない。僕は某風俗サイトで二年近くこんな文章ばかり書いていた。先の記事は、新しい店を取材する時間が無かったので、苦しまぎれに昔話を書いたのだった。結果的にこの原稿は陽の目をみなかったわけだが、書きながら当時のことを色々と思い出した。あの頃、実は僕はドン底の状態だった。親から継いだ会社倒産させた後だったのだ。単なる地元中小企業だったが、そこそこ歴史のある会社だった。古参幹部裏切り横領大手の参入、理由を挙げればキリがないが、結局は僕が無能だったのだ。すべてを失った。恋人も仲間も、みんな去って行った。絵に描いたような転落人生だ。酒びたりの日々。毎日、目を覚ます頃にはすでに日が暮れかけていた。時計を見るのもつらかった。起きるとすぐに冷蔵庫を開けて、安い缶酎ハイあおり、またベッドに戻る。酒が切れたらコンビニに行って、缶酎ハイカップ麺を大量に買い込む。そんな生活が何ヵ月も続いていた。

いよいよ金が尽きてきたので、警備員バイトを始めた。まわりは爺さんばかりだった。地元では警備員仕事高齢者の受け皿になっていた。爺さんたちと一緒に働いているうちに、まだ20代後半だった僕も、老後みたいな気分になっていた。

件のエステに行ったのは、そんな時期のことだった。前述の通り、僕は30分で果ててしまった。そのあとどうしたかというと、ずっと彼女とお喋りをしていた。彼女は色々な話をしてくれた。まだ来日して三年足らずで、日本語ジブリアニメ勉強していると言っていた。なぜか子供の頃の写真を持っていて、それを見せてくれた。山村風景を背にして、薄汚れたシャツを着て立っている、仏頂面の少女が写っていた。それが彼女だった。話を聞いてみると、彼女は非常に貧しい家に生まれて、家族を支えるために、日本出稼ぎに来ていたのだった。

僕も自分のことを話した。地元中小企業の二代目社長社員は26人。趣味スキーテニス、車はベンツを2台所有。どれも過去には本当のことだった。でもすべてを失っていた。僕は彼女に、会社経営の苦労や、幹部に対する不満を、現在進行形の悩みとして語った。彼女の前では社長でいたかった。悲しい見栄だ。話しているうちに、自然と涙が流れてきた。彼女がそっと抱き寄せてくれた。僕は彼女の胸に顔をうずめて泣いた。しばらくのあいだ泣き続けた。あのとき彼女はどんな気持ちだったのだろう。異国で、初対面の男が、いきなり泣きだしたのだ。理由もわからなかったはずだ。かなり戸惑ったにちがいない。

この話には後日談がある。翌日から僕は仕事で新しい現場に入った。美術館の警備スタッフだ。スタジオジブリレイアウト展覧会だった。そこでマズイことが起きた。彼女が客として入場してきたのだ。どうやら彼女は一人だった。僕はあわてて顔を伏せた。見られてはいけない。彼女の中ではまだ僕は社長なのだ。警備服を着ているはずがないのだ。彼女は食い入るように展示物を見ていた。僕は帽子限界まで目深に被り、ばれないようにした。午後になると、今度は外の駐車場ですれ違いそうになり、あわててトラックの背後に隠れた。警備員なのに、僕の挙動は完全に泥棒だった。

数日後に、地面が揺れた。これまでにないぐらい、大きく揺れた。巨大な津波が来て、あらゆるもの破壊した。そう遠くない場所で、原子力発電所が爆発した。日常が奪われ、何日も、何週間も、不安状態が続いた。再び店に行ってみると、当然のように閉まっていた。インターホンを鳴らすと、ゆっくりドアが開いた。中から背の低い老婆が現れて「やってませんよ」と言った。

僕 「いつごろ再開しますか?」

老婆「もうやらないよ。おしまい

僕 「・・・

老婆「みんな中国に帰ったよ」

僕 「ナナちゃんは?」

老婆「ナナも帰った。モモも帰った。サクラもユキもみんな帰った。日本は危ないから」

当たり前だが、ナナちゃんとはそれっきりだ。僕はほどなく上京して、小さな広告プロダクション就職した。その後、仕事で知り合った風俗関係者に請われ、メンズエステ体験レポを書くようになった。最初のうちは、アジアンエステ取材する度に彼女のことを思い出したものだが、最近はすっかり忘れてしまっていた。女性の胸に顔をうずめて泣くなんて、あの夜が最初最後だと思う。ナナちゃん、元気だろうか。

中学から友達フレネミーだった話

 「フレネミー」という言葉をご存知だろうか。

アメリカ大人TVシリーズセックスアンドザティ」などにも登場し、「フレンド(友達)」と「エネミー(敵)」から作られた造語で、いわば友達の顔をしながらも実は敵である人を指す言葉だ。

かげながら悪口を言ったり、マウンティングしてくる人などを思い浮かべる人もいるだろうが、フレネミーのなかでも厄介なのが「居場所をとる」「対象と成り代わる」人たちだ。

 私は最近中学時代からの友人Aをこれを理由音信不通にした。

Aと友達であった時は、得体の知れないモヤモヤを感じながらも「私の心が狭いのかも」とあまり考えないようにしていた。

ある日「フレネミー」とい言葉を知りぐぐると、ネットにかかれた説明はまさにAそのものだった。

そして多くの人、とくに女性で悩んでいる人が多いこともビックリした。

私のように長年「なにかおかしい、でもなにがおかしいんだろう?」とモヤモヤストレスをためながら、でもどうしていいかからない人たちの少しでも助けになればと思って書こうと思う。

 初めに結論を述べるとフレネミーへの対処法は「距離をとる」というのが一番効果的だ。

穏便に済ませたい人には申し訳ないが、フレネミー普通関係を築くのはほぼ無理だと思ったほうが良い。

 Aとの付き合いは長い。中学高校と一緒で、よく遊んでいたし連絡も取り合っていた。

大学は私は東京、Aは地元大学へいき少し間疎遠になった。

ある日、中学同窓会があった。そこでAと2年ぶりに再会しまた連絡を取り合うようになった。

専攻が近いためレポート前などはお互いスカイプしながら徹夜したり、彼女東京へ遊びに来ることもあった。この頃のAは私にとって何でも話せる気の合う友人だった。

 大学卒業後、Aは地元社会人になり、私は地元にはもどらず東京フリーターをしながら資格勉強をしていた。

Aは志望していた業界が人気だからと諦め、近いけど違う業界就職した。お互い新生活に追われながらも時々連絡をとりあっていた。

私が資格をとってやっと社会人になれたのがそれから3年後の春、ある日Aから東京で改めて学生をすることにした、初上京から色々よろしくー!不安がいっぱいだー!」とラインがきた。

私は嬉しかった。中学からの友人が近くに住むぞ!と意気揚々東京で仲良くなった友人達にAを紹介しようと飲み会などをセッティングした。

 夏にAが上京しまカフェで会うことにした。

私の電車人身事故で遅延し走ってカフェへいくとAが店前で待っていた。そのとき「あれ?」と思った。

彼女が着ているスカートが私がお気に入りのものだとSNSに何回かあげているものと全く一緒だった。

でもブランド品だしかぶることだってあるかな、とその時は何も言わずそのスカートについても触れなかった。

 諦めた業界へ30歳までにもう一度挑戦したい、と専門学校へ入りなおすことを決めたA。

夢を語る彼女の姿に私も嬉しくなったが、Aがふとカフェ内のすみの方で手を握り合っているカップルに対して「あんな顔でよく人前でいちゃつけるよねー気持ち悪くない?年齢考えてって感じ!」と周りに聞こえる声で言った。

私は突然のことにビックリしたし隣の席にいたおじさんたちは怪訝な顔をしていた。

 この頃はAのこういう行動に対して「東京生活ストレスが溜まっているのかも」「環境がかわって神経がたっているのかな」と思っていた。

これは私に非があるが、あまり深く考えないようにしていた。同級生の悪い方向への変化を認められるほど私自大人になっていなかった。正直このとき違和感を信じていれば、と今でも思う。

 私はAをよく遊ぶグループ趣味グループ習い事や同僚など様々な自分が属するコミュニティの人たちに紹介した。

Aは少しシャイだが、私の長くからの友人ということもあり私をネタにしつつ徐々に皆と仲良くなった。

18歳で上京したとき友達ができるか、親元を離れて生活できるか不安だった自分を思い出し、なるべく彼女孤独を感じないよう色々なイベントにも呼んだ。

春はお花見、夏はバーベキュー、秋はおうちパーティー、冬はスキークリスマスパーティー忘年会などなど、私が今まで毎年していたことにAが加わった。

 冬のある日、お台場イベント大人数で遊びにいくことになった。

駅で合流し、Aもそこにいた。私と全く同じコートを着て、同じカバンをもってそこにいた。

周りは「おおおーさすが中学からの仲だね!」「おそろい可愛い!」と盛り上がり、Aは「私このブランド大好きだからなあ~」と何食わぬ顔で話している。

このときもしかして真似されてる?」と、前のスカートの件とあわせて疑うようになった。

その日はあまりAと話さないようにした、なんだか話す内容から次なにか真似されたら嫌だな、となんとなく思った。

 そのあとも真似は続いた。一度違う友達に「真似されるのってちょっと辛い」と漏らしたときに「あなたのことは大好きなのよ」「そんな真似とかなんとか中学生みたいな悩みもつなんて」と笑われた。

なんだか自分の心が狭く子供っぽいことで愚痴ってるように感じてその後、このことは誰にも言わないようにした。

新しい服やアクセサリーをつけて次にあったら彼女が同じものを持っている、それについて特に触れるわけでもなく、周りも「おそろいだ~」と笑うのみ。そのたびにちょっともやっとしてる自分人間として未熟なんだと落ち込んだ。

 その後、Aの真似はファッションだけでなく趣味や考え・意見にも及んだ。

私が軽い気持ちで参加したボランティアで関わったスウェーデン伝統工芸に惚れ込み、実際にスウェーデンへいったり友人にも「本当に好きなんだね、いつかスウェーデン人結婚したりして」と笑われるレベルにその話をしていた。

Aは最初興味がなさそうにしていたが、「最近スウェーデンに興味がある」に始まりあたか自分はずっと前からスウェーデンが好きというような態度をとるようになった。

私が参加しているボランティアにも来て「私の友人なんです~」と色々な人たちと仲良くなっていった。

この頃になるとAの髪型服装は後ろからみれば私と区別つかないレベルに一緒になっていた。

 私はこの頃には彼女のまるで私の居場所というかコミュニティ内のポジションに居座るかのような、私の成り代わりになるかのような態度にかなりイライラしていた。

しかし、最初に色々な自分コミュニティにAを紹介したこからどのコミュニティで遊んでも彼女がいる状態になっていた。

どのコミュニティでも私が誰かと話していたらAが寄ってきて、いつのまにか私が話していた人とAが話し、私が傍観者のような立ち位置になることが繰り返された。

 Aの他者に対する暴言ますますひどくなり道端で「あんデブでよくあんな服着れるね」「ババアのくせにあの髪型痛い!」と言ったりしていた。

私はそういう言葉をきくたびに疲れるようになっていった。

 この頃一度ネットで「友達に居場所を奪われる」「友達コミュニティを乗っ取られる」と検索たことがあった。

ヒットしたのはほぼほぼ中高生の悩みで、それに対して「人をとるとかとらないとかものじゃないんだから」「まねしたっていうけど自意識過剰では?」という意見を読み、自分モヤモヤしていること自体が間違っているように感じた。自分性格が悪い心の狭い人間だといわれてるような気持ちだった。

 段々私はAに限らず友人たちと会うのが億劫になっていった。

何か買ってもそれを着たり使ったりするのが怖くなり、何か新しいことに興味がわいてもそれを人に話すのが嫌いなった。集めたスウェーデン工芸品も全部売り払った。

不思議なことに私が中々イベントなどに顔をださなくあると毎日あったAからラインはパッタリと途切れた。

 Aに真似されるというのが、大げさだが自分アイデンティティをどんどん奪われていくような感覚だった。

同じ趣味教室に通う同僚が心配して声をかけてくれた時、いっそぶちまけてラクになろうと思ったときに「Aも心配してたよー!」と言われ何ともいえない脱力感に襲われた。

 Aはその後も私の友人達遊んだ様子などをSNSにアップしていた。

最初は同郷の長い付き合いの友人が自分の友人達と仲良くなっていくのが楽しかったし嬉しかった。

なのに私はなぜか友人達と会いにくくなり、孤独を感じるようになっていた。

28歳にして人間関係を丸ごとAにもっていかれたような感覚だった。

 春先に会社帰りにバーへ立ち寄った。

久々にお酒が飲みたくなったけど誰かを誘うのも面倒だし、誘って「Aも呼ぼう」ってなるのが怖かったので一人だった。

しばらくぼんやり飲んでると隣に40代くらいの女性が座った。とても身なりが綺麗な人、仮にBとする。

マスターを介してBさんが話しかけてきた、彼女大手アパレル企画をしている人でいわゆるキャリウーマンだ。

しばらく他愛もない話をしてたが、私はふとAのこと、今の自分の現状を話したくなった。

バーで会った私のことを今日知った人、私の属しているコミュニティのどこにも属していない「他人」だから話せると思った。

 ポツポツと話し出しBさんは真剣な顔で聞いていた。

私は「子供ぽいんですが」「本当こんな悩み馬鹿馬鹿しいんですけど」「自分の心が狭いのはわかっているんですが」「女子中学生みたいですよね、ほんとしょうもないんですが」とそういう前置きを何度も使った。

話している最中に、自分が寂しいと思っていることをやっと受け入れられるような不思議感覚だった。

 18歳で初めてきた東京最初友達も知り合いもいなかった。

大学でできた友達大学の外でできた友達フリーター時代にであった人たち、就職してから一緒に働いている同僚、ボランティアで一緒に一生懸命になった仲間…それまで考えたこともなかったけど、人間関係というのは自分が築き上げてきた財産だ。

それが、その財産が急に人の手に渡ってしまったような感覚、Aに対する不信感とそれを誰にも相談できない孤独さ、私がいた場所に私と同じ服やアクセサリーカバンをもっているAがいる違和感

 話しながら涙と鼻水がでていた。Bさんがティッシュをくれたけどたりなくてマスターが箱ティッシュをくれた。

Aとの楽しかった思い出がいっぱい頭をかけめぐった。でもAが東京にきてからは辛い思い出の方が多くなった。

Bさんは「それってフレネミーってやつよ、辛かったね」といってお酒を一杯奢ってくれた。

 「年齢の話はしたくないんだけど」と前置きしてBさんが話してくれた。

人間は年齢と共に人格が少しずつ変わること、それがいい方向に変わる人もいれば悪い方向に変わる人もいる。私はながいAとの付き合いのなかで無意識にAの味方をして自分直感違和感を信じずそれでストレスが溜まっていること。

子供っぽいというが誰だって自分が見つけたものや持っているものを真似されたら気分が悪いこと。自分テリトリー必要以上に入ってくる人間には注意しなきゃいけないこと。

そして、Aは私がいたポジションにおさまることで優越感や承認欲求を満たしているのだから、それはもう友人とはいえない、と。人との関係には寿命があるということ。

 決定的だったのは「あなたはAさんを色んなコミュニティに紹介したけど、Aさんはあなを彼女コミュニティに紹介はしてくれた?」という質問だった。

私はハッとした。Aは学校での友人の話やイベントの話をしてくれるが私をその人たちにあわせたり、イベントに呼んでくれたことは一度としてなかった。

 Aは他の友人たちに悪口を吹き込んだりはしてない(と思う)が、なんというか私と他の友人達遮断する影のようだった。

私の前にAがいて私は彼女の影のなかにいるような、段々彼女が私のオリジナルで、私がコピーのような感覚というか、成り代わられるというのは自分を消されるような恐怖感があった。

今でも何でAがそういうことをしだしたのかはわからない。私は真似されるような魅力のある人間ではない、もしかしたらAはAで寂しくて必死だったのかもしれない。

決定的なことをしたわけじゃないが徐々に食い込んでくるあの不気味さから、私はもうAに会うのはやめようと決意した。

 Bさんは別れ際少しこわばった顔で「彼氏旦那ができたときに、彼女に紹介しちゃダメよ」と言った。

私は帰って「フレネミー」で検索をかけた。冒頭にのべた通り、多くの人々がこの厄介な存在に悩んでいることを知って、不謹慎ながら少しホッとしてしまった。

 Aとの関係は綺麗には切れない。

自分所属しているコミュニティ彼女もまたしっかり根を下ろしているか共通の友人が多い。

でも、Aとは今では全く会っていない。何度か会う機会はあったが私がそういう場には絶対に行かないようにしている。

友達結婚式などどうしても会わざるえない事で今後会う可能性はあるが…。

そういう制限のなかでなかなか会えない人もできてしまったが、前より心が平穏だ。

周りは不思議がっている人もいるし、友人伝手にAの話も聞くことがあるが、それはもうあまり気にしないようにしている。

 夏になって私は新しい趣味に手を出しそのつながりで新しい友人ができた。

前に比べ人に警戒心を抱くようになったけど、やはり人との繋がりから得るものは大きい。

自分が着たい服、身につけたいもので遊びに行き、好きな話をしても真似される心配がないのが嬉しい。

ずっと付きまとっていた違和感がなくなって、孤独感が消えた。

 「フレネミー」は十人十色、Aのように真似をしてポジションをとろうとする人や、マウンティングしてくる人、心配するふりして不安を煽ってくる人…色々いるみたいだ。

今もし、友達のことでしんどい思いをしている人がいたら、一旦冷静になって考えて欲しい。その人は本当に友達なのかどうかを。

「そんなことぐらいで」と他人が言う事でも自分しんどいのなら、それは「そんなことぐらい」じゃないのだ。

 時々Aと過ごす時間が多かった十代を思い出し少し悲しくなったりもする。

しかしたらずっと先の将来でまた友達になっているかもしれないし、もうこのまま会わずに終わるかもしれない。

 長文&駄文失礼しました。

2017-10-21

anond:20171021183346

戦後インフラを整えてきたのはいまのジジイババアからなあ…。高度成長期地方から金の卵と呼ばれ上京日本経済成長を土台で担った。道路電気水道などのインフラが整ったのもこの頃。その当たり前の便利をいま享受している。バブル期24時間戦えますかと働いた。男女雇用均等法が施行されたのもこの頃。

ジジイババアになって弱者になったらポイ捨てかぁ〜。弱者排除していけば数十年後には姥捨山ができてるでしょうね。あなたはそこに行きたいのね。

子育て世代や若年層の不満を高齢者にぶつけるのは理論すり替えですよ。どちらの福祉も両立する方法模索することすら放棄してるのですか。

現役大学生だけど同級生母親うつ病率が高い

普通そういう家庭ってクラスに一人くらいって感じだと思うけど、観測範囲だけで4,5人いる。

何でかなーと思ったけど俺らの母世代って、女性でも仕事に生きることを「夢見ること」が認められてた世代なんだよね。

社会的な機運の中で女性社会進出が推奨されてて、夢を持って上京して仕事に着いたり自由に生きたりしたんだけど、

そこで自由恋愛して結婚出産となってから母親」でしかいられなくなった世代

俺らの世代場合「やりたいことなんてやれなくて当たり前」という諦観が染み付いてるけど、

彼女らは「やりたいことがあるのにやれなかった」という後悔だけ残ってしまった世代なんだなあ。

あと母親うつ病でなくても片親だって人とかも多い。子供を産んでもやりたいことをやるってなると離婚という手段選択肢になるんだろうね。

まあ普通に考えればこの不況の世の中で「子供育てながら仕事バリバリ!」なんてのは本当に一部にしか許されないよなあと思う。

2017-10-20

好きな人」がいる人が、心底羨ましい。

18歳の頃、初めて彼女ができた。

相手のAさんは同じバイト先の2コ上の先輩。高校生の僕にとって、その人はちょっぴり大人だった。

「Aさんって、お前のことが気になるらしいよ」。

Aさんの想いを友人伝いに聞いてからは、バイトの時以外でも会うようになって、

から「お付き合いしてみますか?」と提案をし、付き合うことになった。


次の彼女Bさんは、同じ大学同級生

Bさんは、福岡から上京してきた女の子で、実家がとてもお金持ちだった。

二人で飲みに行く機会があって、そのままBさんの家に泊まりに行くことになって、

その日は何もせずに寝たけど、起きてから付き合うことになった。

から「付き合ってみますか?」と提案した。


Cさんは、大学卒業後に新卒で入った会社の同僚。

Cさんの仕事ミスを、僕が助けたことがきっかけで、Cさんは僕のことを好きになったらしい。

そのことを同僚伝に聞いて、これも僕からお付き合いを提案した。


今付き合っているDさんは、年下の大学生

マッチングアプリで知り合った彼女は、いわゆる一般女の子

クラスメイトだったらあまり喋りかけないタイプだ。

1回目に会った時に、彼氏がとてもほしいと言っていたので、「付き合ってみる?」と僕から提案

彼女はその提案をすんなり受け付けて、今はもう半年になる。



小学生の頃、好きな人がいた。

その好きな人とは、ありがちな「転校」というお別れ方をし、今はどこで何をしているかはわからない。

自分から「好きだ」と思っていたことがある女の子は、今までその子一人だけだ。

歴代彼女たちは、人としては好きなのだけど、多分それは「love」ではなく「like」なのである。(気持ち悪い言い回しだけどあえて使う)

今年で27歳になるが、これから先、自分人生で「好きな人」が現れないのではないだろうか。

ドラマ映画でよく見るような「純愛」を僕は経験しないまま死ぬのではないだろうか。

そんな不安不安なのか?)が心をくすぐる。

好きな人」がいる人が、心底羨ましい。

どうしたら「付き合いたい」と思う女性を見つけることができるのだろうか。

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