はてなキーワード: ライトとは
調べていると、なるほど彼らの持ち歌もなかなかいい。バラエティ番組で見かけた時もなかなか面白かった。
ただ、彼らに関するファンのツイートを見ていると、1人のアイドルを推す人、グループ全体で推す人がいるのはまぁ予想通りだったが、この界隈には「1人のアイドルが好き、他は嫌いだから解散(脱退)して欲しい」という意見がある事を知った。(後に界隈では当たり前のようにいる人種ということも分かった。)
正直、私はまだそのグループのファンと言うレベルではない。そのグループを調べている時点でファンに片足突っ込んでいるのかもしれないが、テレビで見ているくらいなのでファンとしても大分ライト層だろう。
ただ、推しと同じグループメンバーに対するアンチがいること、推しアゲ/他メンサゲが頻繁にされていること、同じ映像を見ていても「ここのMCの○くん優しい」「ここのMCの○はやる気がない」のように極端に捉え方が違っているようなことが結構な量あって、それらを目の当たりにして、なんだか少し疲れてしまった。
リモート会議が増えたことがあり、ノートパソコンやディスプレイの上につける照明が多数出回っている。
使えばわかると思うが、照明を顔に向けるとかなり眩しい。
そのくせ、顔だけ明るくなるので、オバケライトになり、ホラービデオで撮影するようになってしまっている。
YouTuberやらが使う20cmくらいのリングライトにしても、こちらも大きさが足りてない。
部屋全体が均一に明るくなるほうがよく、壁に向けて照明を向けたほうが、変な影ができないため、写りはいい。
最近のプリクラのような、上部と下部の両方から大きな照明をたくといった、場所が取れる部屋ばかりじゃないだろう。
テレビや映画の照明を見ればわかるが、かなり大きいか、色んな角度から照明をあて、変な影がでないようにしている。
どうして、今のようなことがデフォルトになったのか。
1,はじめに
これは最近、あまりにもふとした事で推しがもうすぐ引退するという事実がフラッシュバックしてしまい、情緒不安定の極みになっているため、自分の中で消化するために書いている文章です。
そのため乱文の傾向があり、暗い感情や汚い感情も書いてあるため、自己責任で読み進めてください。
2,なにが起こっているのか
事実のみを書くのならば
『デビューから推してたが最近はそんなに見てなかった推しの配信者がもうすぐ引退する』
これだけです。別に炎上したとかそういう事も一切なく、本人の意向で引退するだけ。
これだけの事が、想像の百倍くらい心に突き刺さっている。
3,自分の浅ましさについて
ものすごく正直な事を言います。最近推しを全然見ていませんでした。
本当に見てなかった。Twitterはフォローしているので、つぶやきを眺めて『おっ、今日も元気だな』ってなってるだけだった。
死ぬほどスパチャしたわけでもない。死ぬほどグッズ買い漁ったわけでもない。デビュー時から推してたと言っても、その程度の人間です。
ある意味その程度の人間だからこそ『辞めないで』なんて口が裂けても言えないんです。言う権利がない。
だって私は推しになにかを還元したか?推しからあれだけのエネルギーを貰って、それをなにかしらの形で返したのか?全然です。
そしてそんな人間にも関わらず、いざ引退ってなると一丁前にショックを受けるのです。口が裂けても言えないけれど、引退してほしくないんです。
推しができるという事は、その浅ましさを嫌というほどに突き付けられるという事だと、私は今更ながら知ったのです。
引退するという事は、自分の中で推しが死ぬという事です。その気配を、本能的に忌避していたのかもしれません。だから私は配信者の炎上や引退にまつわる話題は心底嫌いでした。絶対に見たくなくて、今も自分のyoutubeにはそれ系のチャンネルがいくつもブロックに放り込んであります。
引退したって推しの人生は続くんです。私が今持っているクソみたいな感傷は、推しには一切関係がない。
死ぬほど浅瀬に生きているライトなファンでしかない私ですが、心底推しの幸せを願っています。だからこそ、こんな文章を出す事自体が推しを傷つけるようで本当に嫌です。
推しに死ぬなんていう表現を使うのだって、推しにとってははた迷惑なはずです。それでも使ってしまうのは、私の認識下においては間違いなく死ぬから。
推しが推しとしてあったかもしれない未来の可能性が全て潰える。そのことに勝手にショックを受けているだけの、ダメなファンなのです。
5,最悪の感情
推しが引退を発表してから、あまりyoutubeを見なくなりました。もちろん推しが引退に向けて、最後のスパートとばかりに精力的に配信しているのに、それを見てないんです。
多分、自分の中で、それを見る事で推しが死ぬ事が決定づけられるからなんだと思います。
死ぬ覚悟を決めた推しを見れないんです。だけど、なんで推しがそんな覚悟を決めたのか見たい。
そんな感情で、お手軽な切り抜きに向かおうとする自分がいます。それがもう本当に最悪の気分になります。最低のファンである事を自覚させられるからです。ゴシップ記事なんて死ぬほど嫌いなのに、今の私はそういうものに飛びついてしまいそうです。
それが最悪すぎて、youtubeが見れなくなりました。多分、私はこのまま推しが死んで、全てが無に帰すまで、見れないと思います。
見ないという選択を、私はしてしまうと思います。これ以上、死の気配に近づきたくないから。
見ないという選択は、推しに対する情報が無であるという事です。そうすると私のような最悪の人間はどうするのか。
ああだったのかな、こうだったのかな、こうだったのかもしれないな、だったら引退も仕方ないよな。
そんなやり方で自分を納得させようとするんです。本当に最悪です。推しをなんだと思ってるんだ。お前に推しのなにが分かるんだ?
本当に最低の押し付けです。見知らぬ人間である推しに、自分の理想を押し付けてるのです。本当に、心底、唾棄すべき行為です。
だから私は、このままだと自分を許せなくなりそうで、この文章を書いています。
6,消化
じゃあ結局、どうすればいいのか?結局のところ答えは出ています。
正しく推しを見つめて、死ではなくその先に行く推しを知って、それを見送るしかないんです。
二度目ですが、私は本当に推しの人生の幸せを願っています。推しが推しとして幸せを掴めなかったのなら、その先で幸せになってくれた方が1億倍マシです。
先ほどは、きっとこのまま私は推しの死を見れないと言いました。
だけど同時に、ちゃんと見送らなければいけないと思っています。
私は結局、最後まで自分の事しか考えていない最低のファンです。
それでも、幸せになってほしいと願う事を許してください。
7,最後に
ここまで長々とお付き合いいただいた方、本当にありがとうございました。
どこに落ち着くのかは自分でも分からないまま書き始めた文章でしたが、結局は私の自己満足による決意表明になってしまいました。
ウクライナ情勢で戦争とか諜報に神経質になる昨今にしては、リアリティーラインが低いおかげで気を抜いて見れるのがいい。
逃げ恥は、漫画は未読だったが、ドラマは毎週楽しみに見ていた。
ガッキーと星野源のリアル結婚にきゃっきゃしたくらいにはハマっていた。
どちらの作品も、仕事の遂行のため、効率性のため、社会的圧力をかわすためなどの、「愛情ではない理由」で偽装結婚をするのがストーリーの出発点、骨格になっている。
そして、そんな偽物の家族・パートナーシップが、いつの間にか「本物の家族」、「本物のパートナーシップ」になるというところがエモくて、ウケている。(と自分は勝手に思っている。)
つまり、「旧世代やら社会のの結婚の押し付けうぜぇ」という入り口から、でも幸せな結婚したいよねぇっていう気持ちに対して、ほらこれが見たかった家族でしょ?って提示してくれる。
一見、「家族」ということのアンチテーゼっぽい作品なのに、実はゴリゴリに保守的な幸福感を提示してウケているのが、興味深い。
目を落とせば、その合間に見える横断歩道。
ふと、この横断歩道の白い部分だけ使って渡りきることができたら…と思い始める。
小学生かよと思いつつ、渡りきれたら、今日は何か良いことがあるような気分になった。
先程の思い通り、横断歩道は白い部分を踏みつつ進む。
そして、丁度3つ目の白線を踏むその瞬間にそれは起こった。
横断歩道が七色に輝き出したのだ。
横断歩道は塗色が剥がれかけ、白い部分も所々、アスファルトをあらわにしている。
剥がれかけた白色も、フラットデザインのようにのっぺりとした面になる。
これは帰って知ったことだが、横断歩道の線幅には規定があり、45~50cmなんだそうだ。
そして、その間には同じサイズの隙間がある。
つまり、白色部分を渡り続けるには、その2倍の距離ずつ進まなくてはいけない。
小学生のような幼い子どもにとっては、大股になったって渡れない幅だろう。
実際、3つ目までは何の苦もなく渡りきれた。
それなのに、私の希望は結局叶わない。
もはや、その塗色は白色ではなかったが、その上を踏みつつ渡りきった。
もはや白色など見えもしないのに、色の規則的な移り変わりが音楽を思わせたのだ。
人に聞けば楽しくも感じられるだろうその体験だったが、気づけば涙が流れていた。
振り返って見る光景も、どことなくにじんでいた。七色の先に点滅する緑色。
あの瞬間は終わったのだ。
様々な色の車に隠されながら、その横断歩道は元の白色だった。
その白色は、剥がれかけながらも非常に鮮やかに感じられた。
横断歩道が白色であるのは、視認性が高いからなのだと身を以て知ったわけだ。
そんな蛮行の理由を聞かれて、「今日は何か良いことがあるような気分」だったからなんて言えない。
なぜなら、私は大人になったのだ。
つまりはそういうことだったのだ。
やがて、その様子を見るに耐えられなくなって視線を上げる。
かの国で、虹は不幸の象徴だと言われる意味がわかったような気がした。
虹は私を惑わし、不安を残していく。
まるで、虹のような突然の出来事だった。
ライトなコンピュータユーザを一切合切無視してギークがギークのため情報共有するためのエントリ。
感想ははてブへ、質問はトラバに投げれば誰かが答えるんじゃないか?(他力本願)
セキュリティの懸念があるけれど通常モードはセキュアを維持するため機能制限があるので制限開放のため開発者は初手でデベロッパーモードにするしかない。
利用途中でデベロッパーモードにするとストレージがファクトリーリセットされるので注意。
Webでエンタメを楽しんだりWebツールを中心に利用するのであれば、5万円未満の低性能機で必要十分。
この用途では実質的にタブレットPCのような運用へなりやすいのでフリップする2 in 1機やタブレット機がオススメ。
ただし、Webベースのゲームは楽しめるがAndroid Appレイヤーを用いたゲームは非常に厳しいので諦めたほうが良く、そこそこの負荷の掛かるAndroid Appツールも鈍足でストレスになるのでWeb版があるならそっちを使ったほうが良い。
Core i7クラスのCPUや16GB以上のワーキングメモリ、SSDストレージなど高性能機でChromeOSを使うとその分だけ快適になる。
Android Appレイヤーを用いたゲームも快適に動き、ウマ娘クラスの3DCGなAndroid Appゲームも高速に動く。
しかし、高性能機は空冷ファンを搭載していることが多く、高負荷を掛ければファンは唸るしウルサイ。
Google Play StoreにてAABパッケージがほぼ強制になったとは言え、開発段階でx86_64を意識しないと処理が非効率になりがちのようなので、Android Appレイヤーを中心に運用したいと思っているのであれば素直にARM機を探してきたほうが良い。
1つのIDEで開発をしクロスプラットフォーム対応することが流行っている昨今、自動でガベコレに頼っていてリソース管理経験に乏しい開発者はマジで底辺にしか漂流できないので覚えたほうが良いぞ。
それがWeb系のフロントエンドでもバックエンドでもそうだから底辺から脱したいのであれば覚えろ。
しっかりリソース管理できているChromebook向けビルドはアーキテクチャによらずサクサクなのでクロスプラットフォームなビルドはマジで開発チームの腕が如実に反映される。
ちなみにSnapdragon 8 Gen1なChromebookの公式発表は今のとこ無いのでAndroid Appレイヤーをブンブン回すのは難しい。
メーカーはもうちょっと頑張れ。
Chromebookの大半はタッチスクリーンディスプレイを搭載しているし、Android StudioでAndroidManifest.xmlを何も考えずに生成すると勝手にChromeOSをサポートするので結果的にChromeOSで動くAndroid App数が多くなるという現象が起きている。
Android Studioが雑なのかXcodeが厳密なのかは意見が分かれると思うけど、タッチパッドでiOS App操作というセンスがクソなのは万人が納得するところだと思う。
ARM系のSoCであればワンチャンいける可能性はあるものの、市場に出ているChromebookの大半はx86_64でGPSモジュールを積んでいないのでGPSを使おうと思うとBluetoothあたりでGPSレシーバを接続するしか無い。
当然A-GPSは使えないので精度がそこまでではないから期待し過ぎに注意。
Android AppレイヤーではUSB over MIDIが使えるのでDTMあたりに活用することは可能なものの、iOSと比較してレイテンシがそこそこ大きくDTMに活用しようと思うユーザは不満を持ってしまうかも知れない(ハードにもよるけど0.5msecくらいズレる)。
そもそも既存のAndroid AppなDAWはVSTやLV2などの外部プラグインに対応していないのでAUプラグインが使えるiOSのほうがDTMへ向くんじゃないだろうか?
ただし、DAW単体でDTMを完結するとレイテンシはほとんど気にならなくなるので絶対にAndroid AppでDTMが不可能というわけでもない。
Linuxレイヤー側でDTMをするのはレイテンシが大きすぎるしJackも上手く動作しないのでオススメできない。
ChromeOS向けマルチタスクへ対応していないとAndroid Appはフロントエンド(プライマリ)からフォーカスが外れてバックエンドへ行くとスリープする。
Android Appがスリープされることを考慮しておらず例外処理がされていないとAndroid Appはそのまま落ちる。
まぁAndroid Appがスリープされることを考慮しておらず例外処理がされていないとAndroid Appはそのまま落ちるっていう部分はAndroidスマホで実行しても同じなので正直に言ってスリープされることを考慮しないデバックってAndroid App開発者は何やってんの?とは思う。
ICT教育で日本中の学生がChromeOSを使うようになっているので、ゲームであれツールであれ何であれChromeOS向けのマルチタスクは考慮しておくとスリープしたり落ちたりするAndroid Appよりも支持されるのは間違いないのではないか。
LXC/LXDなのでDockerに慣れ親しんでる人にはわかりやすいかも?
デフォルトのイメージはChromeOS向けにカスタムされたDebian。
別のLinuxディストリビューションへ置き換えることも出来るが一部機能が制限される可能性がある。
ChromeOSで動作するGoogle日本語入力とは別にLinuxレイヤー側で日本語入力を用意する必要がある。
選択できるIMは幅広いのでMozcだろうがSKKだろうが漢直だろうが何でもイケる。
ただ特殊なものを選ぶとChromeOS側と齟齬が発生するのでfcitx-mozcあたりが無難っちゃ無難。
ChromeOSへマウントされたUSB機器、というかシリアル接続された機器はLinuxレイヤー上から認識しない。
見掛け上で接続されているハードのすべてはソフトで仮想接続されているだけなので、一部経路から上手く認識しなかったりする。
つまりLinuxレイヤーではUSB Pass Throughが使えないが、Android AppレイヤーではUSB Pass Throughが使えるということ。
Linuxレイヤーでゲームやろうと思ってもUSBゲームパッド動かないのでマウスとキーボードで完結できるFPSみたいなゲームしか上手くプレイできないぞ。
言うなればAndroid Appレイヤーでスクリーンキャプチャ系のアプリによってLinuxレイヤーで動くGUIアプリをキャプチャしようと思ってもキャプチャできず撮像は暗転している。
ChromeOSがホストでLinuxレイヤーとAndroid Appレイヤーはゲストなのでそりゃそうなんだけど気付かないとハマる。
LXC/LXD on LXC/LXDになるので面倒くさくなること請け合いだ。
どうしても仮想環境がChromebookに欲しいのであればKVMとかのほうが安定している。
ただしゲストOS上へ仮想環境を構築しているという前提は認識しておくべき。
つまりゲストOSの制限はKVMも引き継ぐ。
ただしこれはDockerが導入できないという意味ではない。
自分で解決する気概があるのならばDockerは便利に使える。
CLIツール系は普通に動くのでWeb開発であれば何も意識しないで普通にできる。
ただ、PSD形式みたいなもんは扱いにくいのでWebデザイナーは悲しい思いをするかも知れない。
GIMPやInkscapeなども動くけれどデザイナーはAdobe使いたいんじゃなかろうか?
Android App向けIDEのAndroid StudioはChromeOS向けが存在するのでAndorid App開発が可能。
しかしデベロッパーモードでなければエミュレータや実機デバックに制限が発生するので注意。
UnityやUEを使いたいところだけれど、Linux版のUnityやUEは不安定なのでゲーム向けIDEが欲しいのであればGodotがオススメだ。
ライセンスはMITなので商用利用だってイケる。
3Dのほか2Dゲームもいける上に、最近のIDEよろしくマウスでポチポチとUIを作れるし、軽量動作、物理演算、日本語ドキュメントまで揃っているので中高生もガンガン使える素晴らしいIDEだ。
浅い部分を触っているうちはYoutubeを観たり、プリインストールされているGoogle Play StoreからAndoird Appをインストールして使うみたいな気軽な運用ができる。
言ってしまえばライトユーザの視点ではノートパソコンの形をしたAndorid機がChromebookだと言える。
しかし一度Linuxレイヤーへ手を出すとUbuntuという何でもできるようになったLinuxディストリビューションが存在する中で、昔懐かしい複雑怪奇なLinuxディストリビューションを体験することとなってしまう。
ただ、Chromebookで何でもやろうとするからそうなるだけで、APTからIDEをインストールしてちょっとした開発をするなんて使い方であるならば業務利用でも意外となんとかなる・・・というか何も意識しないで使える。
そもそもHTTP使えるなら今どきの開発は何とかなるので、Chromebookへ対してギークがゴチャゴチャ言うのはほぼ間違いなく不満を言いつつDIYを楽しんでる。
Ubuhtuならばアレができるコレができると言うならば最初からUbuntu使えよって話。
ギークとは不便を見つけてゴチャゴチャ言う、そういう鳴き声の動物なのだ。
少なくともGoogle系エコシステムとしてのChromeOSは非常に完成度が高くなりつつある。
Googleアシスタントは元よりAndoridスマホとの連携もよく、ハードウェアへもそこそこの投資ができるのであれば多くのChromebookではUSIペンが使えるし、USBポートはUSB-Cだ。
そこそこのChromebookは多くの場合HiDPIなIPS液晶でありグレアなのは気に食わないが美しい。
デベロッパーモードにするとセキュアさは下がるが普通に使えばローリングリリースのアップデートを無償で得られ、Gentoo LinuxベースなChromeOSは潜在的なマルウェアの絶対数がそもそもWindowsやMacよりも少ないという利点がある。
Bluetoothイヤホン・ヘッドフォン・ヘッドセットも使えるし、NestスピーカーやNest Hub、Nest Camを持っているのであればGoogleアシスタントからのコントロールが容易なのは想像が付くだろう。Android AppレイヤーはGoogleのホームマネジメントアプリであるGoogle Homeも動く。
大胆にも憎きCapsLockキーをデフォルトで殺し、Everything Buttonキーとして独自キーバインドを与えたのも面白い。
もちろんこれは選択するハードによるものの指紋認証でロックを解除することまでできる。
Googleエコシステムへ浸かっていてGoogleへ個人情報を捧げられるのであればChromebookはアリな選択肢だと断言できる。
敢えて欠点を挙げるのならば、たった一言で欠点を表現することが可能だ。
「Chromebookじゃなくても別に良くね?」
そう、ギークがLinuxを使いたいのであれば別にChromebookじゃなくても良い。
というかギークは別にLinuxじゃなくともHaikuであろうが超漢字Ⅴだろうが喜ぶ生き物だ。OSは別になんだって良い。
このエントリは単にChromebookという新しい沼へギークの皆さんをご案内しているに過ぎないのだ。
喧嘩が発生しない
Twitterというリングの上で殴り合いもなくヤジも飛ばない
お互いが同じ方向をなぐっているから殴り合いにならない盛り上がらない
ライト層にまで大人気の試合となりチケットは完売、ヤジもとびまくる
よって、言及数が増える
たとえば表現の自由側にしても
抗議による宗教2世漫画の連載中止という重大な実害があった件についての言及は、たわわの件より圧倒的に少ない
実際は喧嘩がしたいだけ
https://anond.hatelabo.jp/20220507222410
女性の権利だの表現の自由だのと仰々しい旗掲げてるが、男と女で憎しみあって喧嘩をしてるだけだろう
その間にもお前らの同級生たちは愛するパートナーを見つけたり夢をかなえたりして幸せになろうとしてるのに
われわれはいつまでも殴りあうだけ
喧嘩が発生しない
Twitterというリングの上で殴り合いもなくヤジも飛ばない
お互いが同じ方向をなぐっているから殴り合いにならない盛り上がらない
ライト層にまで大人気の試合となりチケットは完売、ヤジもとびまくる
よって、言及数が増える
たとえば表現の自由側にしても
抗議による宗教2世漫画の連載中止という重大な実害があった件についての言及は、たわわの件より圧倒的に少ない
実際は喧嘩がしたいだけ
https://anond.hatelabo.jp/20220507222410
(可能性は限りなく低いが)ネタバレになりうるので、見たくない人はみないでください。というか読む価値はほぼありません。
あんまり突飛な予想はできないし、割と”当たり前”な方向の予想しかしてないので。ほぼ確実に外れます……
1つ目は、酒とバラの日々(Days of Wine and Roses)について。S6Ep01の冒頭は、この映画の音楽をBGMに、恐らくブレイキングバッドで逃がし屋で逃げた後、ソウルの屋敷が差押えされるシーンがセリフ無しで描写される。映画「酒とバラの日々」では、アル中の夫婦の内、夫は立ち直るが、妻はアル中を認めずに夫の元から去ってゆく。この"アル中"は、BcSにおいてはハワードをはめる詐欺、悪事の事ではなかろうか。キムが悪事を止める事・認める事が出来ずに、ソウルの元を去っていく、もしくはソウルと何らかの理由により離ればなれにならざるを得ないという事で、これはBreaking Badにキムが出てこない事の説明になる。Breaking Badの時代にはキムは死んでいるという予想も世では根強いが、これは正直あり得ないと思う。理由は後述。
S6がスタートし、ジミー&キムは、ケトルマン夫妻との類似点が強く示唆されてる。ジミーはキムの言う事に強く影響される。
クレイグケトルマンはベッツィーの言いなりだ。役所から金をくすねたのも、ほぼ間違いなく彼女の入れ知恵で、その言い訳についても彼女の受け売りだ。彼らが横領した金をマイクが盗み、それをジミーがばらした時、金に執着を示した(金のありかに飛んで行った)のもベッツィーで、クレイグはあまり執着していなかった。「ピクニック」のテントでジミーとお金のバッグを引っ張り合ったのもベッツィーだ。S1Ep04で、くすねたお金の正当性をジミーに話しているときも、クレイグは事前にベッツィーに言い含められたことを喋っているに過ぎない。クレイグが執着したのはベッツィーだ。S1Ep01で初登場した際に、ベッツィーは赤いブレスレットと鞄を見につけているが、クレイグはライトブルーのシャツにネイビーのネクタイだ。赤は犯罪やその人の危険性を示している。いい人は青い。(cf. https://www.youtube.com/watch?v=1tN2K_Rq_K4 / https://twitter.com/petergould/status/570055433001369600)
他方、ジミーとキムについてみてみると、S1Ep05で、ネイルサロンでキムがジミーに高齢者法を勧めた直後、ジミーはチャックに高齢者法を専門にしようかと語っている。S6Ep01では、キムが「ソウルが乗る車はこういうの、ソウルの事務所はこういうの」とジミーに彼女の思うソウル像を語っている。S5Ep10から言及されだしたハワードを陥れる事についても、ジミーが乗り気でなかったのを、キムが促した。S6Ep03でも、ジミーはヒューエルに"A couple months from now, there are people whose lives are gonna be way better." と語っている。これはS5Ep10でキムに吹き込まれたことそのままだ。ジミーはキムの言う事をどんどん内面化している。そして、クレイグと同じく、ジミーも妻であるキムに執着している。
クレイグが詐欺などの言い訳をベッツィーに吹き込まれた通り喋ってるのは、ジミーのこれらの出来事と恐ろしいほど似通ってる。この2つのカップルの違いは、金に執着するベッツィーと、正義に執着するキムなんだと自分は予想する。勿論この正義はキムの考える正義で、それを実現するのはハワードを陥れる事によってすぐ手に入るサンドパイパー和解金で、結局金だ。キムはハワードに散々嫌がらせをされ、ジミーを貶されて気分を害してきたが、彼の社会的生命を終わらせるのは完全に一線を超えている。
ここまで2組のカップルの共通点を描いてきた制作チームが、このことをこれから起こる事の暗示として使っていないとは思えない。
実際、ジミーはここまでキムの言いなりで来たわけではない。キムが嫌がる事もやってきた。だからこそ、S6でそれが変わることの暗示としてケトルマン夫妻を再登場させたのでは?
ただ、ケトルマン夫妻は、少なくとも今の所、お互いを裏切るような事はしていない。これがジミーとキムの今後にも当てはまってくれることを願ってやまない。例え"Days of Wine and Roses"のように、キムがジミーの元を去る、もしくはなんらかの理由で離ればなれになるとしても。
滑りのジミー(Slippin' Jimmy)という二つ名を持ち、シカゴサンルーフを(運悪く)子供にみられて性犯罪者になりかけたジミー。彼ははS1では兄思いの善良な人間だった。更生していたのだ。そして独立開業の弁護士として悪戦苦闘してもいた。金に困って当たり屋をたくらんだり、横領犯のケトルマン夫妻から弁護士報酬として口止め料を受け取ったりはしたが、そもそも金に困った原因はチャック(兄)にもある事が描写されている。チャックの負担が無ければ困っていなかったのかどうかは判断がつかないが。
S1終盤に兄の2度にわたる裏切りが発覚し、Marcoの形見のピンキーリング(Slippin' Jimmyの象徴)を身につけ、少し"カラフル"にはなったものの、ジミーはS6になっても、未だに暴力的な事に拒否感を示し、ケトルマン夫妻のような非暴力犯罪者へのシンパシーをも持っている。これはBreaking Badで描かれていたソウル・グッドマンとは明らかに一線を画している。
BrBaS2Ep08で、「ヤツ(バッジャー)を殺せばいい」と言ったり、S5Ep10でハンクを"ベリーズ送り(殺すの暗喩)"にする事を提案するような、一線を越えたソウル・グッドマンにはまだなっていない。フランチェスカに白眼視されるようになった理由もまだ不明だ(ベターコールソウルではまだ非常に愛想が良い)。あと10エピソードでこのラインを超えるにはどういう流れがあるか、と考えると、これはもう「そうある事をキムが望んだから」以外に無いんじゃないかと現時点では思ってる。多分99%外れるんだろうが。実際、ジミーはBreaking Badでキムが「El Camino」で話したような車と事務所を実現している。これが、ケトルマン夫妻との類似点を描いてきた元になっていると考える。
一方でキムはどうか。貧しい家庭に生まれ、HHMの郵便室で働きながらロースクールに通い、弁護士になった。S1では上昇志向で、ハワードみたいなまっとうな弁護士に憧れて、そうなろうとしている彼女がいる。S1では法に触れる事も倫理的な問題もない。
S2Ep01で、キムはBreaking Badの最初の一歩を踏み出す。被害者はケンだ。ホテルのバーでGiselleとなり、ジミー扮するViktorと一緒に株屋をハメて、高級テキーラを奢らせた。しかし、せっかくD&M(有力弁護士事務所)に入れたジミーが、スクワットコブラーの証拠ビデオを捏造するという「危ない橋」を渡った事を非難し、二度としないで、という位には理性的だった。しかし、S2も後半になると、独立と同時にHHMから引き抜いた大規模クライアントメサ・ヴェルデを、チャックの口先で取り戻されてしまう。ジミーは書類を書き換え、兄に恥をかかせる事で、メサ・ヴェルデをキムの手に戻すことに成功する。キムはこのことを知るもジミーを責められず、逆に証拠隠滅を促すまでになっている。
S4ではヒューエルの投獄を避けるために、自ら大掛かりなお芝居を発案し、ジミーと一緒に検察・法廷を欺く。S5では暴走気味のジミーの足手纏いにならないように(という言い訳で)ついに結婚。ジミーがカルテルと仕事をするのも止められず、ジミーの危機には自らカルテルのボスに接触したり、言い負かしたりし、ついにはハワードを陥れる計画を立てるまでに。理由は社会的弱者への弁護に必要な金を調達するため、ではあるが。
S6Ep02の最後には、赤黒だんだら模様のブラウスを着て腕組みしており、最早悪人として描かれている。Ep03ではさらに「I guess it's basically... Do you wanna be a friend of the cartel, or do you wanna be a rat?」なんてセリフを吐くまでになっている。
こうしてみると、この物語が始まった時からの変化は、キムの方がジミーよりも何倍も大きいように思える。もはやS1の頃の、「あと2年頑張れば大手事務所のパートナーになれる」まっとうなキムは居ない。この先、さらにエスカレートしたキムが理想とするソウル・グッドマン。Better Call SaulのジミーとBreaking Badのソウルを超える壁は、このキムの理想・想像ではなかろうか、という予想は的外れだろうか。
Season5までの第一話は、Breaking Badで逃亡した後、ジーン・タカヴィクという人になり切ったジミーのモノクロ・フラッシュフォワード・コールドオープンで始まる。Season6のポスターは、そのジーン(白黒)が色鮮やかな赤い上着を羽織ろうとする瞬間が使われている。ソウル・グッドマンの復活の暗示(ほとんど明示)だ。
これは、Better Call Saul S4Ep05のコールドオープンで、フランチェスカに頼んだ11月12日の午後3時の件でもあるだろう。
さて、ジミー・モーガン・マッギルは、逃亡直前ソウル・グッドマン事務所に置いておいた金とわずかな思い出の品だけを持って姿を消し、ジーン・タカヴィクとなった。そのジーン・タカヴィクがソウル・グッドマンに戻る動機はどれくらいあるのか?想像力に乏しい自分には、キム・ウェクスラーの為としか思えない。どういう窮地のキムをどうやって助けるのか?これも想像力無さすぎて分からない……
一方で、キムを窮地に陥れるのか?という問題だが、こちらも現時点ではラロしか思い浮かばない。Better Call Saul最強ヴィラン笑うボス。彼は、Breaking Badでのガスのセリフ「あんたとホアキンだけだった。彼が最後の身内だ。サラマンカの名前は— あんたで終わりだ」と、Breaking Badでは一度も姿を見せない事で、Breaking Badタイムラインが始まる前に死亡しているというのが通説だった(名前だけはソウル・グッドマンが言及している)。
ここまで、Better Call SaulはBreaking Badの前日譚として、数々のEaster Eggを飾り立ててきた。それらはかなりストレートかつ不自然さのないものだった。視聴者的にも予想を裏切られるようなEaster Eggは無かったように思う。1点だけ、予想外のEaster Eggを埋め込んでくるとしたらここではないか、ここでそれを使うのが一番効果的ではないか?というメタ視点で、ラロの生存を予想している。生存とはいっても、ソウルはラロの死を知らず、ガスやヘクター(こちらだけは万一がありうるか?)はラロの生存もしらない。そういう形の計画的失踪をたくらめる知性も持っている。お膳立ては十分では?
以上、まぁ大した事も書いてないが、この中の少しでも当たってたら後からドヤ顔したいので、アリバイ的に投稿しておく。
いやぁ、しかしまぁ、本当に面白いドラマだよ。世界最高峰だよ。脚本だけじゃない、演技も映像も音楽も、すべてが最高峰。今のご時世、一挙配信ビンジウォッチ(一気見)が流行りだけど、1話ずつ(S6最初は2話公開だったが)公開されて、1週間その話題と次の予想でここまで盛り上がれる作品が今あるんだろうか?これからこれを超える作品が出てくるんだろうか?それが疑問に思えてしょうがないレベルでベターコールソウルにぞっこんだ。