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はてなキーワード: 体現とは

2023-06-10

女の敵は女」を女が体現しないで欲しかった

畑は違えどイベント仕事をやっていた事があるだけに、埼玉県グラビア撮影会騒動はあまり他人事に思えなかった。

そこそこの規模のイベントが、土壇場で中止。

これが会場側の一方的な都合であれば損害賠償可能であろうが、あくまでも「会場側の都合だが先に問題を起こしたイベント開催側に原因がある」

というスタンス(に見える)ので、会場側も全力で責任転嫁するだろうし仮に損害賠償請求しても全額は認められないだろう。

こういう場合、大抵は泣き寝入りである相手が一民間ではなく公営(に近い)というのも大きい。

主催する側もそうだし、イベントに関わるスタッフ飲食店の損害は計り知れない。

舞台に立つ出演者の裏には、何十倍もの名も無き関係者がいるのだ。

会社員ならまだしも、大半はフリーランス(自営業)。損害は全て自分ら持ちで泣き寝入り

主催側も損害を被ってるので気持ちはともかく無いものは出せないのでどうしようも無い。

例の共産党関係者と支持者以外、本当に誰も得していない事件だと思った。



自分別にグラビアアイドルなる連中に対し好感を抱いている訳では無い。寧ろ忌避感情がある。

人間ステータスがあるとすれば、彼女らは外見にかなりの割合を振っている人達である

無能美人」が一般企業職場に潜り込んで来た時の事を想像して欲しい。

ポンコツぶりに頭を抱え、注意しても、注意した方が「美人嫉妬してるw」などと男達には小馬鹿にされ

ポンコツ美人の方が庇われ、こちらが悪者にされる。女同士でも似たような事が起こる。

「外見が良い」というのは男だけでなく女からの好感にも繋がるからだ。

どんなに迷惑をかけられ相手に非があったとしても、「美人嫉妬する非美人」の構図に見られがち問題

外見だけの無能美人は、是非とも外見が物を言う世界に居続けて欲しいのが本音だ。

性を売り物に「出来る」様な人達が、一般社会に来られる方が困るのだ。

グラビアだのアイドルだの、興味も無いし触れたく無い界隈だが、そういう界隈が無いと困る人間一定数いるのだ。

それが所謂グラビアアイドルであったり、「美人嫉妬する非美人」にさせられる一般人なのろう。



さて、撮影会の中止に関わったという共産党女性議員達。

どう見ても中年の、若い頃も決して美人サイドにはいなかったであろう人達

人達いくら否定しようが、どう見たって構図は「若く綺麗な美人達に嫉妬して仕事を潰した中年ババア共」である

共産ガールズ(中年)達は、本気で、嘘偽り無く、嫉妬気持ちは無かったのかもしれない(寧ろその可能性は普通に高い)。

政治思想に基づき、撮影会女性性を商売にする悪徳行為だと、未成年も参加するかもしれない事を本気で危惧し、

嘆いて、イベントの中止に熱意を捧げたのかもしれない。


だとしても、構図としては「美人達の仕事を潰した中年ババア共」である事に変わりは無い。

嫉妬して」という一文が抜けた所で、事実と結果は変わらないかである

仮に通行人を鉄パイプで殴った人間がいたとして、何となく気が向いたから殴ったのか、

マスクをしている馬鹿さ加減を分からせてやろうと思い仕方なく鉄パイプで殴打したのか、

動機は違えど「人間を鉄パイプで襲撃した」という事実に変わりは無いので、情状酌量余地が多少あるのか無いのか、という違いしか無い。

そして今回の場合は、既に被害アイドル連中以外の多数に渡って発生している為、情状酌量などしている余裕は皆無である



イベント仕事経験があるから思うのかもしれないが、ビジュアルイメージというのは本人・第三者が思っているより重要である

例えば某Kutoo運動が失敗に終わったのは、「前を向いて腕を組み勇ましく睨みつける女性ハイヒールを履かされ後ろ向きで俯いている」

という、男性との協調では無く対立姿勢を強調してしまったせいで、いつものフェミニズム運動の域を超える事が出来なかった、というのも原因の一つだろう。

逆に某暇空の運動がある程度成功しているのは、「美少女探偵とそれに振り回される美少女助手」という二次元美少女エッセンスを表看板にした事により、

やっている事の過激さ・エグさをある程度緩和しつつライトオタク層を取り込む事にある程度成功たかであると私は考えている。


ビジュアルイメージという観点からすれば、「美人グラビアアイドル仕事台無しにした中年女性笑顔ファイティングポーズをキメている」という、

人達意図とは全く関係無く「美人を叩きのめして勝ち誇る中年女性達」というネガティブスティグマを植え付ける事に見事成功している。

恐らく共産ガールズ(中年)達はそういう意図として受け止められるとは思ってもいなかっただろうし、心外だろう。

けれども完全にビジュアルイメージの展開に失敗してしまった以上、誤解されるのは仕方ない。素直に反省すべきだ。



「ブスが美人美少女アニメに嫉妬して潰す」「ブスは美人を妬んでいる」なんてのは、男共の差別的偏見である

実際には美人だろうが何だろうが「嫌い」「気に食わない」「ムカつく」から叩いているケースが殆どだ。そこに嫉妬は無い。

しか嫉妬している「様に見える」構図というのも確かにある。今回の共産ガールズ達などはまさにそのものだった。

何故もっとまともな人達を表に出さなかったのか。共産ギャルズ(20代後半~30代)は…正直厳しい。

少しは顔のマシな共産マン達が前に出て「性の商品化に反対します!」とでもやっていれば、まだ多少はマシだったと思う。

けれど事実として、「美人嫉妬妨害する不美人達」「女の敵は女」という構図が出来てしまったのだ。


女の敵は女」などという、男達にとって非常に都合の良い言説を、何故体現してしまったのか。

何故女自身が男達の偏見助長する様な愚図を自ら描いてしまったのか。

それが非常に解せないし、許し難い。

2023-06-03

正しい組体操は一人で四つん這いポーズ

独立体現

ピラミッド構造の打破、虐げられない自由をあらわす

僻地工場に配属された女性新入社員が辞める問題

なお@メーカー経理

@maker_keiri

弊社人事部で起きてたこ

ゆるふわ業務しかしてこなかった人が女性活躍推進で管理職

女性仕事活躍できる!」をモットー女性活躍を更に推進する

女性新入社員の初期配属を僻地工場

新卒女性社員が軒並み退職

女の敵は女体現してて草

https://twitter.com/maker_keiri/status/1664575356882542593

2023-06-02

ひろゆきの「2ちゃんねらーっぽさ」ってなんなのだろう

ひろゆきって単に場所を作っただけで住人は勝手に集まってきただけなのに、ひろゆき自身2ちゃんねる空気感体現したようなザ・2ちゃんねらーみたいな性格をしているのはなんなのだろう。

インスタグラム創業者別にインスタグラマーっぽくはないし、ツイッター創業者別にツイッタラーっぽくはない。

ひろゆきだけサービスと本人の性格が一致しすぎてない?

2023-06-01

女性に対するセクシーっていう評価は「エロい+カッコいい=セクシー」っていう足し算なんだけどセクシー日本人女性っていないよね。

日本人カワイイ体現しようとする。

ちなみに萌えは「カワイイ+エロい=萌え」。

好きだったソシャゲユーザーへの呪い

 好きだったソシャゲが死んだ。

 死んだとは言っても、サ終したという訳ではない。「好きだった」部分が死んだのだ。かなり時間を使ってやりこんだし、過去に6万円程度のガチャ天井を4回しているので課金額もかなりのものだ。4年間ほど、いや今思えば楽しく遊んでいたのは3年間ほどだが、それでもかなり長い間楽しませてもらった訳だし時間と金を注ぎ込んだこと自体は後悔していない。ゲーム内でもゲーム外でもたくさんの出会いと喜びをくれたことには感謝している。だが、もう好きだったものはそこにはない。そう確信してしまった。

 ここからはかなり具体的な話になるので、やり込んでいる人が読めばどのゲームか一発で分かってしまうだろう。こんなタイトルURLを開いている時点で大丈夫だとは思うが、好きなゲーム悪口を言われたら気分が悪くなるような人は今のうちに引き返して欲しい。

●好きだったところ

 そのゲームの特徴を聞かれた時、自分なら独自システムによる戦略性の高い戦闘を挙げる。場にランダムに出現するコマンドを敵と奪い合い、自分のやりたいことを通しつつ相手の行動を妨害しつつ戦う。運要素は完全に排除することができない程度には強いものの、一定ターンごとに任意コマンド使用して特殊コマンド使用することができたり、編成のリーダーのみが編成全体に与えることができる特殊効果がかなり強かったりするため、編成や立ち回りの方が重要度は高い。

 自分も敵も様々な戦略で戦うことができ、使いやすさや汎用性にこそ差はあれどユニットレアリティ存在せず、完全な上位互換下位互換というものは一応ない。様々なユニットおよび戦略を使うことを推奨され、難易度現在実装されているメインストリーの半分を読むだけでもかなり高いとされている。だが、様々な戦略の軸となるユニットを全てガチャで引き当てなければならないというわけではない。基本的に配布のユニットがかなり強いことと、実はやろうと思えば工夫次第で任意ユニットを軸にゴリ押すこともできなくはないこと、また実装されたのは最近のことではあるがそのステージクリア編成とその編成での攻略の様子をゲーム内で見ることのできる機能もあることから、意外となんとかなってしまう。この「意外となんとかなる」がユーザーごとに全く違うゲーム体験を生み出しているのだ。他のユーザーの話を聞いたり公式サイトなどで未所持のユニットの性能を確認したりしていると、新しいユニットを手に入れることでゲームが更に広がるのだろうと感じられた。だからこそ、ガチャ産のユニットが無くてもクリア自体にそこまで支障のないゲーム性ながらも、遊びの幅をもっと広げるためにガチャ産のユニットで遊ぶために課金をしたものである

 このユニーク戦闘システム面白さはよくカードゲームに例えられていた気がするが、リアルタイムPvPも楽しむことができる。正直に言うと野良はかなり過疎っているが、特定ユニットリーダーにして一定回数PvPイベント勝利すると称号を貰うことができると知ってPvPイベントに参入して以来、趣味パで定期的に楽しんでいた。

 また、グラフィックストーリー音楽ゲームの没入感を深めるにあたってとても貢献していた。イラストストーリーは少し癖が強く万人受けするものではないのだが、良い意味ソシャゲらしくない重厚長大シリアスファンタジーだ。加えて戦闘中のキャラクターモデルBGMはどこに出しても恥ずかしくないハイクオリティである。他のゲームでは中々お目にかかれないような癖の強いキャラクターたちにも、愛着が湧くというものだ。

 また、ソシャゲありがちなギルド機能やフレンド機能もなく自分のペースで気楽に遊べるのも特徴だ。通常のイベントは低難易度ストーリークエストクリアすれば誰でも確定で配布のユニットや装備を入手でき、ランキングなどはない。レイイベントはあるが、育成が進んでいないユニット個人で得られる報酬の量が減る代わりに育成済みの状態で使うことができ、さらに弱かろうとどんどん救援に入ってもらったほうが上級者も得をするシステムなので寄生はむしろ歓迎されている。システムさえ理解すればレイイベントさえも気楽に遊べる。

 新感覚戦闘システム!色んなキャラクター活躍できる!美麗グラフィック!壮大なストーリー個性豊かで魅力的なキャラクター達!と聞くと、有象無象ソシャゲで見たキャッチコピーみたいになるが、少なくとも自分の中ではこれらを真の意味体現しているゲームであった。

 本当に、好きなゲームだった。

●少しモヤモヤし始めた頃

 最初にこのゲームに対して引っ掛かりを覚えたのは、あるイベントで配布されたユニットとそのイベントで顔見せがなされ半月ほど後に実装されたユニットにまつわる騒動であった(実は以前にもここに無関係ではないと思われる優良誤認騒動からの大規模な返金がなされているが、関連性の説明憶測の域を出ないのでここでは割愛する)。どちらも既存キャラクター衣装違いのユニットであったが、前者のキャラクターの方はインストールして間もない頃にガチャで入手していてそれなりに愛着が湧いており、後者キャラクターのことは元から少し苦手であった。

 問題イベントは、自分が色眼鏡で見ている部分もあることを否定はしないが、ストーリーでの後者キャラクターに対する贔屓があからさま過ぎて酷いと感じてしまったのだ。これまでのイベントで配布されるユニットはいずれもストーリーの軸となるキャラクターで、配布としてそのまま主人公一行に定着する流れを一応描写しており、一方でガチャ産になるユニットに関しても顔見せから一時的使用できない期間が生まれ理由けが一応というレベルではあるがなされていた。初期のイベントはかなり雑な部分が目立っておりこの限りではないが、方針が定まった頃からは2年くらいずっとこの傾向であった。だから、配布キャラとしてバナーに載っている時点で、そのキャラクターが主役のイベントになると少なくとも自分は思っていた。しかし実際は半月後のガチャの方のキャラクターがずっとヨシヨシされるもので、イベントで配布されたキャラクターも、なんなら同時実装の方のガチャ産のキャラクター(半月後に実装されたキャラクターとは別)もイベント本編では完全におまけ、ヨイショ要員であった。イベントの内容に関しては賛否両論ではあったが、少なくとも自分は最低最悪だと思った。

 性能面バランスも酷いものであった。基本的に配布が強く、上位互換下位互換概念ほとんどないゲームだったのだが、配布の方のユニット採用する理由を考える方が難しいというレベルで扱いづらく、ほとんどの場面で初期に配布された別のユニットの方が扱いやすいとされるものだった。そして、半月後にガチャ実装された方のユニットはピン刺しでも当時実装されていたほとんどのステージ簡単攻略できる、所謂「ぶっ壊れ」であった。しかも一緒に編成するユニットの行動に制限がかかるタイプの性能であったために、特定ユニットを除けば他のメンバー特殊コマンドを発動させ、敵の攻撃分散させて庇うだけの係である。編成や動きを工夫する楽しさが台無しである。余談だがこのユニットによってPvP環境崩壊し、ただでさえ少ないPvPの住人は更に減ったらしい。当時の自分は極たまに強いと聞いた編成で潜るくらいでやり込んではいなかったが、未だにトップメタで大暴れしている。

 しかしここで一つ加えたいのは、自分ストーリーにも性能の調整にも怒ったが、個人的に一番嫌だったのはこの二つではない。大炎上し、直後の公式配信コメントは全て荒れに荒れ、中の人レイボスに挑む配信にて配信部屋に運営に対する暴言ネームで入室したユーザーが出るとんでもない放送事故も発生した。荒らし行為をしないユーザー自分を含めてたくさんの人が意見を送ったのだが、それを受けてのプロデューサーレターにざっくりこう書いてあったのだ。

「配布されたユニットは扱いやす初心者向けの性能である半月後のガチャ実装されたユニットは扱いづらい代わりに爆発力のある玄人向けの性能である、と認識している」

そう、ユーザー認識とは真逆なのであった。テストプレイをした時に何も思わなかったのか。元々そう認識していたにしても、ここまで色々直接送られて尚そう言えるのか。言いたいことは山ほどあったが、それまでまめに良かったところも直して欲しいところも意見として送っていたが呆れて何も書く気にならなかった。

 半月後のガチャの方のキャラクターは人気であったから、人気のキャラクターを目立たせてからガチャに入れて儲けようという姿勢否定しない。ソシャゲとして運営している以上インフレ否定しない。使いやすかったり汎用性が高かったりするユニットと、そうでないピーキーユニットが出るのも仕方のないことであるしかし、性能に対する感覚のズレが顕になってしまった。これまで信頼していた運営バランス調整の感覚に初めて明確な不信感を覚えた出来事となってしまった。

ユーザー層の変化

 先述した炎上したイベント賛否両論ではあったが、ストーリーの質はおしなべて良かったためユーザーによってその方向での布教がなされていた。メインストリーが進むと主人公とメインストリーでの配布キャラクターが中心の冒険からガチャ産やイベント配布のキャラクターもほぼ全てが出演する群像劇へとシフトし、様々なキャラクターフォーカスして個人ストーリー描写されてきた伏線が回収されるようになった。好きなキャラクター世界観の深掘りのなされるメインストリーに大きく絡むと嬉しいものではあるが、同時にある歪みにも繋がっていった。

 特定キャラクターに関する掘り下げだけを目当てにメインストリーを読もうとすると、戦闘が難し過ぎるのである

 布教する側はもちろん新感覚システムによる歯応えのある戦闘ストーリーキャラクターとともにプッシュするのだが、いかんせんこの謳い文句有象無象ソシャゲと同程度に捉えられがちであるキャラクターレアリティがなく誰でも活躍できると言われても、しっかり考えて立ち回らなければ全く勝てないし、育成やレベリングによるゴリ押しはあっという間に効かなくなる。なんなら育成もストーリーをある程度進めないとドロップ素材の関係ストッパーがかかる。フレンドやギルドがなく自分のペースで遊べるが、裏を返せばフレンドの強いユニットギルド機能等を使った育成素材の提供にも頼れないということでもある。

 そこで布教した側が勧めたのが先述した炎上イベント半月後のガチャ実装されたユニットであった。

 当時実装されていたストリーを読むだけであれば、ほぼ全て中途半端な育成状況でも簡単な立ち回りで可能にしてしまう性能で実質的戦闘スキップ権となったのである半年に1回のペースでガチャ産のユニットや装備を指名する権利を3000円ほどで購入する機会が訪れるため、とりあえずストーリーだけ読みたいならこのユニット!と言われていた。

 だが、そのユニットだけで全てクリアできるというのも戦闘を楽しみたいユーザーにとって面白いはずがない。その声に応えようと、その後実装されるステージではそれだけでは絶対クリアできないように敵の性能が調整されていった。「ぶっ壊れ」のユニットクリアできないような搦手調整を行えば巻き添えで他のユニットが使いづらくなり、シンプルに「ぶっ壊れ」火力を耐えるHP盛る調整が成されれば瞬間火力が出ないがどんな相手も固定値で削る等のユニットが使いづらくなってしまった。まあそれでも当の「ぶっ壊れ」はしれっとゴリ押せてるんだから笑える話であるが。ストーリーだけを読みたいユーザーにとっては3000円で購入した戦闘スキップ権が機能しなくなり、「戦闘が難し過ぎる」という声が大きくなっていった。

 メインストリーストーリーだけを楽しみたい層と戦闘を楽しみたい層の両方を満足させることは難しいと考えたのか、次に開発は住み分けを試みようとしたようだった。ストーリーイベントとは別にランダムに現れるボスミッションに合わせて様々な編成を組んで攻略していくエンドコンテンツや、PvPをやり込みたいユーザーのためにPvPイベントを開催したりした。しかし、ここでも同志を増やしたくて一生懸命布教を行ったことが仇になってしまう。というのも、イベント産のユニットを入手するだけなら簡単で、フレンドやギルドがなくランキングイベントもないため自分のペースで気楽に遊べるという触れ込みでユーザー布教を進めた結果、対人コンテンツやエンドコンテンツアレルギーを持つユーザーが増えてしまったのである。エンドコンテンツ報酬暇人向けの作成コストの重い装備の素材、PvPイベント報酬は各種称号であった。自己満足であることを前提に自分はどちらもかなりやりこんだが、特に後者特定ユニット一定回数勝利することで対応したユニットに関する称号を得られるということが、キャラクター目当てかつ対人コンテンツが嫌いなユーザーを刺激してしまったのだ。前者も好きなキャラクターを極限まで強化したいのであれば作成コストが重かろうと作りたいものであり、こちらはエンドコンテンツが嫌いなユーザーを刺激してしまった。そうしてキャラクター目当てのユーザーからはどちらも不評となってしまたからなのか、エンドコンテンツの内容に関しては1年近く更新されておらず、PvPイベントは1度きりの開催となってしまった。当初はこれらで楽しんでいた戦闘が好きなユーザーもあっという間に離れていった。

 気がついたら、戦闘を楽しみたいユーザーの方が少数派になってしまっていた。

キャラゲー化

 ストーリーキャラクターだけを目当てにするユーザーが増え、戦闘を楽しみたいユーザーが減っていくと、必然的にこのゲームキャラゲー路線を歩んでいくことになった。

 まず、メインストリー戦闘なしである程度のところまで読むことができるというキャンペーンを定期的にやるようになった。ゲームなのにゲームをやらなくても良いって時点でもう意味が分からない。ゲームを楽しめないユーザーに楽しんでもらうための施策をして欲しいし、ゲームをやらないでストーリーを読みたいなんて言うユーザー迎合しないで欲しい。

 このゲームでは定期的に既存ユニットに渡せる専用の装備が実装される。専用の装備により、スキルテキストが変わり使用感が改善されるのだ。実装したユニットスキル効果を直接いじる形の調整はほぼしないため、実質的テコ入れである。また、キャラクターごとに衣装違いの別ユニット存在する場合、現時点では片方だけを開発が選んで実装することになっている。この装備もはじめは使いづらいユニットから実装されていたが、徐々に元の使用感に関係なく直近のストーリーに登場したキャラクターなどから選定されるようになり、そのキャラクターの中でもより使いづらい方から手を入れるかと思えばそうでもなくなっていったた。ただ、先述の炎上イベントで開発の性能のバランス面に対する感覚が信用ならないことが判明してしまっているので、もしかしたら開発的には使いづらそうな方から実装しているのかもしれない。

 次に、レベルキャップ解放実装された。一見すると戦闘の幅が広がりそうな機能だが、これが大違いである。このレベルキャップ解放にはとんでもないコストがかかる。新しいキャラクター10人ほど既存の最大レベルまで育成するよりもコストがかかる。だが、レベルキャップ解放により増えるステータス雀の涙かつ全キャラ共通の固定値で、スキルテキストも全く変わらない。つPermalink | 記事への反応(2) | 07:36

2023-05-29

anond:20230529160433

俺は将来まで続く保険みたいなメリットを感じてるけどね

1人だとどうしようもなくなる局面でも2人いるとどうにかなるみたいなことはあって、親がまだ生きてる間は最悪親に頼ればいいやって感じだけど、そのあとを考えると(結婚できる若いうちから)相手を見つけて保険料払ってる的な 相手が倒れても当然こっちが面倒見るし、お互いがお互いの保険みたいな感じ

逆に言うと1人が気楽って人たちはそりゃ気楽なんだけど何か起こったらどうするんだろって思うわ 結婚しててもどうにもならんことはあるし逆に敵対ちゃう可能性もゼロではないだろうけど、それでも割合的には1人の時よりはどうにかできやすいと思うんだが

でこう言うこと書くと事実婚がどうだのって言われるんだけど、法的、かつ周囲の人たちに夫婦認識されてることによる強制力ってそこそこ強いからそういうのあるとやっぱちゃん相手サポートしようってなるんだよね

片手間でグループに参加してる人は信用できないのと同じで、やっぱ両足ズブズブに沈めこみあって逃げられない上でお互いの関係性を縛るとなんだかんだいろんなところで一緒に頑張ろうってなるんだわ そう言うのなしで事実婚でもいいじゃんって言う人たちもいるけど、あなたたち理論値で理想体現しながらずっと生きてきたんならさぞすごい社会的身分ですごい資産持ってたりするんだろうなと思ったらそうでもないし、理想論をずっと語ってる人間ほど脆いんだよな実際は

2023-05-27

anond:20230527175837

お前みたいないい年こいて母親に対する理想てんこ盛りの人間いるか増田ダルいんでしょ。鼻息荒くコメントしてるわりに元増田がこの文章を書いた意味体現してて草

母親ってだけでこんな意味不明なこと言われるんならやりたくないわ

anond:20230526133103

いじめられっ子いじめっ子

いじめられる前にいじめ自主的体現して

いじめっ子いじめをする機会を実質的に奪ってるってこと?

いじめっ子いじめをさせないのあたまいい!

でもきみが君に対してセルフいじめっ子なっちゃった

2023-05-25

anond:20230522080118

さっき見たけど、いつもは同じ正義体現するグループとして活動している人同士が、SNS上でお互いに潰し合うような批判をしていて、本当に悲しかった。

特に、はてぶでいつも女性の味方をしてくれているユーザTwitterアカウントも持っている人がいるんだけど、教授のことを冷たく突き放していた。

弱者男性界隈や人文系ホモソーシャル界隈を批判する時は一緒に活動できていたのに、なんで性分化や性転換の話題になるとこんなに正義同士の不毛で悲しい衝突が頻発してしまうんだろう。

2023-05-18

NTRとその効用

 NTR的視座を持って生きることは人生を豊かにする。

 それは、つねにおもいがけない可能性に対して開かれた態度であり、慣習的な物事の結びつきを超えてあらゆる未来否定せず、支配と被支配の天地すらもあいまいに塗りかえる。そうした状態政治性を求めるのならば、こういいかえてもいい。NTRとは革命である、と。

 NTRの宿る瞳は風景革命する。たとえば、あなたは都会とも田舎ともいいづらい、郊外住宅地に住んでいて、そこにしゃれたパン屋さんが建っているとする。味はそこそこで、町のなかでさえ注目度は低い。あなたはその店へ日常的に通い、品揃えと定休日完璧に把握し、なんとなれば五回に一回は店主が声をかけて二言三言挨拶をかわす。ちゅうくらいな好ましさがある。

 ある休日幸福な遅起きをしたあなたはその店に向かう。しかし閉まっている。開店時間は過ぎているし、定休日でもないのに。店の扉に張り紙がしてある。「Aデパート地下街新春スイーツフェア出店のため、誠に勝手ながら、〇日~×日はお休みさせていただきます」。

 世界がすうっと冷えて遠のいていく。

 そのデパート毎日百万人が乗り降りするような規模の駅の前にそびえている。

 そこに行くと、よく見知ったパンが知らない装いで売られており、おそらくあなたが手をふったとしても、他人のふりで無視されてしまう。三百円の買い物ごとにスタンプを捺してもらっているあなたカードも、存在しないものとされるだろう。

 もうあのひとかみごとに皮が崩れ散るクロワッサンも、あの固くなった餅のような生地ベーコンピタも、もうその手には届かない。あの店は二度ともどってこないではないか。そんな感覚あなたは襲われる。

 開期が終わると、パン屋はもどってくる。以前の顔のまま、あなたのとなりに、なにひとつ変わっていないかのように。

 だが、変わってしまったのだ。なにかが決定的に以前とは違うのだ。

 営業再開初日朝一番あなたはその店を訪れる。柔和な顔立ちの店長が、変わらぬ笑顔で「焼きたてですよ」といいながら、あんパンを棚にならべる。あなた礼儀正しく待ったあと、ひとつをトングでつかみ、瓶入りの牛乳といっしょにレジに出す。

 店の外のベンチで、あなたあんパンにかじりつく。

 あなたが知っているかはわからないが、あんパンパンのなかでもっと官能的なパンだ。NTRを体現している。それはおはぎと逆の極にある存在だ。おはぎで餅米を包んでいたオラオラ系のあんこが、西洋象徴であるパン出会ったとたん、しずしずと包まれるに甘んじている。 あなたあんこパン咀嚼しながら、自分が今、寝取っていると同時に寝取られているような、ふしぎな感覚を味わう。それこそがNTRの奥義だ。シナイ山モーセはふたつの神の名を与えられた。ひとつはYHMH。もうひとつはNTR。発音できないことはそれ自体神聖さの証だった。

 能動受動ーー寝取りも寝取られもNTRというひとつ言葉に封じられている。わたしたちはそうした矛盾を孕んだ言葉を何の違和感ももたずに使っている。どちらでもあり、どちらもない状態こそが自然なのだ。そうした状態自然にすることで、わたしたちは今ある景色転覆できる。


 NTRという言葉の両義性に想いを馳せるときわたし菅井の顔を思い出す。

 九十年代の善き日々に、わたしフリーランスでいわゆるNTRビデオレターディレクターをやっていて、彼はそのプロデューサーのようなポジション助監督的な雑用からポストプロダクションまでを一手に引き受けていた。

 あの時代を知らない子どもたちには、NTRビデオレターヤラセだと思っているものも多いと聞く。たしかにそうした側面があったのは否定できない。特に大手制作会社がAVのついでに量産しているようなものは、最初から商業的な流通を折り込んで、俳優を雇って制作されていた。

 だが、わたしのいた現場みな本物で真剣だった。寝取るほうには寝取るもの矜持があり、寝取られるほうには寝取られもの葛藤があり、そしてかれらを撮るわれわれはそうした昏い機微、愛の真理といってもいい、そのさざなみのような感情を、一コマも撮り逃すまいという気概があった。誰もが真剣に傷つけあっていた。

 独立系の低予算のチームである。撮ってくれと頼むのも、大手発注できないような貧乏若者ばかりだ。ビデオレターを撮って、送りつけたい。その情熱が何よりの対価だった。

 菅井もそんな情熱しか財産を持たない若者のひとりだった。彼と出会ったのは大学のあるサークル飲み会のことだ。三次会だったか四次会だったかを先輩の家に転がり込んでおっぱじめ、みなひとしくへべれけになったノリで、先輩が「おもしろものがある」とVHSテープを取り出した。

 それは当時話題になっていたNTRビデオレターで、メーセッジを収録している最中寝取られ女性(四十代の主婦という触れ込みだった)が感極まって泣き出し、泣くのはよくあることだったが、その上にすさまじい量のゲロをぶちまけて寝取り役も撮影スタッフも大騒ぎ、という内容だった。要はネタビデオである。皆視聴済みの有名作で、先輩もそのことをわかっていたはずだけれど、みな初めて観る体で盛り上がった。

 そして、例のゲロの場面が来ると、みんなで爆笑した。わたしも笑った。下に見る笑いだった。そうした笑いを仲間内で共有することが結束である、と信じていた。

 だが、菅井はそうでなかった。

 それまで部屋の片隅でちびちびキリンなどをやっていたのがいきなり、「笑うな!」と叫んだときは、おどけた反語表現なのかなと思っていたが、先輩にくってかかるに及んで本気だとわかった。

 押し倒された先輩の顔に浮かんでいたのは暴力を振るわれた怒りではなく、驚きと困惑だった。わたしたちも止めるでもなく、ただひたすら唖然としていた。先輩もわたしたちも、NTRビデオレターに対して真剣になる人間がこの世に存在するなどとは思わなかったのだ。 菅井酔っ払いすぎだとして家に帰され、後日、酒の席のことと暴行は不問にされた。菅井サークルで、なんとなくアンタッチャブル存在になった。

 サークルの他の人間たちとは逆に、わたし菅井に興味を抱いた。

 当時のわたしはNTRビデオレターの大半をヤラセだと考えていた。そうした作り物にたいして、あそこまで入れ込める人間がいるというのは不思議というより驚異だった。

 菅井はふだんから近づきがたいオーラを発している類いの一匹狼だったが、こちからしかけると意外に愛想良く応じてくれた。

 彼のNTRビデオレターについて該博な知識を持っていた。その歴史からジャンルゲームチェンジャーとなった名作の存在業界構造まで、事細かにしかも大変おもしろく教えてくれた。良い教師だった。

 あるとき、彼の部屋でふたりだけで宅飲みをしていたときわたしは彼に訊ねた。「どうしてNTRビデオレターにそんなに興味を抱いているのか?」

 菅井は、酒気に染まった赤ら顔しばらくゆらゆらさせたのち、立ち上がり、押し入れからひとつのVHSテープを取り出した。

 部屋の明かりを消し、無言のままビデオデッキにそのテープを挿入する。あまり上等とはいえない画質に、ベッドに座った二人の裸の男女が浮かび上がる。男のほうは下腹が出ていて、若いようにも中年のようにも見える。女のほうは透き通った印象の美人だった。

 男のほうがピースをしながら口上を述べる。さしてオリジナリティのない、平坦なセリフだった。菅井はその口上にかぶせるように、ぼつぼつと、VHSテープの来歴を語りはじめた。

 ビデオに映っている女のほうは菅井の伯母であるという。知的でやさしくて、幼心に憧れの存在だった。伯母夫婦には子どもこそいなかったものの、傍目から見れば、仲睦まじく、理想夫婦といった趣に見えた。夫婦菅井をかわいがってくれ、週末にはよく遊びに連れて行ってもらったそうだ。

 その伯母が急な病で若くして亡くなった。菅井高校生のころだ。意気消沈する伯父を励ますために、菅井は伯父の家をたびたび訪問して話し相手になったやった。

 しかし、伯父は一方的に話す菅井に黙って相づちを打つだけだった。菅井が三人で出かけた思い出を語らおうと、アルバム場所を聞くと、伯父は「焼いた」といった。そこで菅井は初めて、家の中から在りし日の伯母の写真という写真消失しているのに気づいた。

 菅井はそのことを問い詰めようとしたが、伯父の返答は要領を得ず、ついには泣き出してしまった。

 菅井は長らく伯母について伯父の前で触れずにいた。だが、大学進学が決まって伯父の家に挨拶へ行った日、めずらしく伯父が上機嫌で出迎えてくれた。自分から菅井にいろいろ話しかけてきた。流れで伯母の話題にもおよび、ひさしぶりに伯母の思い出について深く二人で語り合った。良い時間だった、と菅井はいう。

 微笑みながらも目頭を熱くしていた伯父は、ふと思いついたように席を立って、どこかからかVHSテープを持ち出してきた。なにそれは、と菅井が訊ねると、伯母の映っている唯一のビデオだという。

 そして、菅井と伯父はそれを観た。ふたりとも、ひとことも喋らなかった。

 伯父の訃報を聞いたのは、菅井大学下宿引っ越した直後だった。自殺だった。

 わたしたちの観ているビデオレターは山場にさしかかっていた。VHSと自らの由来を語り終えた、菅井の横顔はブラウン管の青い光にぼうっと照らされ、かそけく浮かび上がっている。画面を凝視している。そこにあるのが歓びなのか、哀しみなのか、あるいはまた別のなにかなのか、推し量ることはできない。

 その横顔に、初めて世界を知らない角度から見た気がした。

2023-05-16

追記した】俺が「うっせぇわ」と「可愛くてごめん」を毛嫌いする理由と、そこから読み取れる現代若者劣等感

単刀直入に言おう、俺は「うっせぇわ」と「可愛くてごめん」が嫌いだ。

「可愛くてごめん」は最初気に入って何度か聞いていたが、しばらくしてからその歌詞から漂う人格だんだん嫌気がさしてきて、気づくと聞くのをやめていた。

その二曲の歌詞分析していこうと思う。

「うっせぇわ」について

初めて聞いた時、なんて痛々しい歌詞だと思った。この歌詞考えたやつ絶対黒歴史になるだろ。

高校生が考えた歌詞に違いない。と思ったが調べてみたらこ歌詞を書いた作曲家は25歳らしい。嘘だろ。じゃあ天才だ。

まずこの曲の歌詞の大意は、社会に出るまでに敷かれたレールに対する反抗というこれまでの音楽で幾度となく繰り返されたありきたりなテーマだ。

こういった思考中高生に多く見られるというのは同意してもらえると思う。

しかしこの歌詞には奇妙な点がいくつも見受けられる。

「うっせぇわ」における”大人”像

『ちっちゃな頃から優等生

気づいたら大人になっていた』

というフレーズを見てほしい。この時点でこの歌詞における主人公は”大人”になっている。

これはどういう意味大人か? 

俺の意見では、”社会のレールに乗ってしまった”という意味での”大人”だと思う。

精神成熟を示す”大人”では決してない。

精神的な成熟を示す”大人”という形容詞は”気づいたら”なっているものではないからだ。

さてここで作者の話に戻るが、作曲家は通常の社会のレールに乗ってなれるものではないので、この作者は仮想主人公を立てていると考えられる。

そう考えると歌詞の奇妙さが浮き彫りになってくる。

それは、この”大人”像があまりにもディティールが低いということだ。

・最新の流行は当然の把握

経済の動向も通勤時チェック

・純情な精神入社しワーク

社会人じゃ当然のルールです

・酒が空いたグラスあれば直に注ぎなさい

・皆みながつまみ易いように串外しなさい

会計や注文は先陣を切る

ステレオタイプ過ぎないか? 俺が最初高校生が考えた歌詞か? と感じたのはここが大きい。

俺の考えだと、この歌詞仮想主人公高校生くらいだ。というか社会に出た人間がこんなこと考えてたらヤバくないか? いくらなんでも幼稚すぎるだろ

俺の初めてこの曲の歌詞を聞いた時の感想は、

社会のレールに乗るくだらない社会人になりたくない、という中学生高校生の痛々しいメンタリティ表現した曲』

だった。

「うっせぇわ」から読み取れる肥大した自己承認欲求

現代は誰もが「何者」かになりたい時代だ、としばしば指摘される。「うっせぇわ」の歌詞は痛いほどその事実体現させていると思う。

一切合切凡庸な あなたじゃ分からいかもね』

という歌詞は、自分はほかの者たちとは違う、一切合切凡庸ではない「何者」であるという宣言に他ならない。

他にも、

・頭の出来が違うので問題はナシ

絶対絶対現代代弁者は私やろがい

・私が俗に言う天才です

自分特別だ、と思うことがどれだけ特別じゃないことかとかそういうことも気づいていない青臭い歌詞だ。

まりにも幼稚な自己承認欲求の発露だと言わざるを得ない。

「うっせぇわ」における”陰キャ復讐

はぁ?うっせぇうっせぇうっせぇわ

あなたが思うより健康です

作曲者自身

自身お気に入り歌詞は「あなたが思うより健康です」というフレーズだという。syudouはまだネットシーンでのみ活動をしていた当時に、ネット音楽が「病んでいる」「暗い」というイメージで片づけられていたことに不満を持っていたといい、それに対してガツンと伝えたいという思いが上記歌詞に込められている”

と言っていたそうで、これはつまるところ”大人”に対する反抗というこの曲のテーマに加えてもう一つ、”陰キャ復讐”というものがあるということだ。暗い、根暗陰キャは実は強いんだぞ! というシンプルテーマだ。

「うっせぇわ」における”卑怯さ”

俺が最も気に食わないのは

『つっても私模範人間

殴ったりするのはノーセンキュー

という部分だ。

昔の有名なコピペを思い出す。

初カキコ…ども… 俺みたいな中3でグロ見てる腐れ野郎、 他に、いますかっていねーか、はは

今日クラスの会話 あの流行りの曲かっこいい とか あの 服ほしい とか ま、それが普通ですわな

かたや俺は電子砂漠死体を見て、呟くんすわ

it'a true wolrd.狂ってる?それ、誉め 言葉ね。

好きな音楽 eminem

尊敬する人間 アドルフ・ヒトラー虐殺行為はNO)

なんつってる間に4時っすよ(笑) あ~あ、義務教育の辛いとこね、これ”

この最後のほうにある

尊敬する人間 アドルフ・ヒトラー(虐殺行為はNO)

という部分が「うっせぇわ」の歌詞めっちゃ似てる。すごい似てる。

結局、この曲の歌詞とこの曲に共感している人々は、自身社会のレールに乗ることを受け入れた”模範的人間”なんだ、という肯定的評価を(無理やり)することで、国家による法的な統治に安住している卑怯者に過ぎず、その自分が語る反抗もせいぜいSNSで(しか匿名で)文句を言うくらいしかする度胸しかない。

うわあ、まさしく陰キャって感じだ。

と俺は思ったわけだ。ああ、もちろん犯罪行為肯定しているわけではない。

「可愛くてごめん」から読み取れる凄まじい劣等感

この曲で最も頻発される「可愛くてごめん」という歌詞に関する俺の考察を述べておく。

まず想像してほしい、橋本環奈が「可愛くてごめん」と言ったとする。そんなことを言われてしまったら俺たちは何も返す言葉はない。「はい可愛いです」と答える以外の余地はない。

さてここで考えてみてほしい、

橋本環奈は「むかついちゃうでしょ? ざまあw」

と言うだろうか?

まあ俺の意見では、橋本環奈はそんなことを一ミリも思わないだろうし、言うわけがない。橋本環奈にとって自分可愛いことは息を吸うことと同じくらい当たり前のことだからだ。わざわざ自慢する必要がない。

そして本当に可愛い女の子は、自分のことを可愛いなんて言おうものならほかの女子から攻撃を受けるので、心のそこでそう思っていたとて口に出さなものだ。

まり本当の勝者は他者の僻みに迷惑をかけられることはあれど、そこから一転攻勢、「むかついちゃうでしょ? ざまあw」などとは絶対に言わない。ここに「可愛くてごめん」に秘められた興味深いメンタリティ表現されている。

この曲の歌詞の真のテーマも”陰キャ復讐”だ。

ここからは完全に俺の想像な。

この「可愛くてごめん」の主人公は、学校では地味な女の子で(確かPVでもそう表現されてたかな?)、周りの、いわゆる”一軍”女子に憧れ嫉妬し、ある種、僻みさえしている。

そして休日になると自分の好きな可愛い服を着て、メイクをして、”可愛く”なって街に出かける。そう――”一軍”女子と肩を並べるために。

主人公少女見えない敵と戦っているのだ。

可愛い自分嫉妬する誰かがいると思い込み(実際にいる可能性はもちろんある)、自分のことを僻む、顔の見えない誰かのことを意識し、自撮りSNSに載せて、自分可愛いことを証明することで、そうした誰かと一人孤独に戦っている。

その誰かとは実は、スクールカーストてっぺん位置する一軍の女子を僻み、コンプレックスを抱く自分なのだ

「可愛くてごめん」について考察してるとなんか可哀そうだなという感情がわいてきて、執筆当初にあった嫌いという感情が薄れてきた

俺もこんな風に匿名掲示板で嫌悪を吐き出すという陰キャムーブをしてるなと今思ったw ダブスタかもしれん

誰もが「何者」になりたい世界SNSの発展によってもたらされた。他人いくらでも比べることができる世界で、自分という唯一無二の存在が本当に唯一無二であるということを証明する必要がある。

俺もこんな記事を書いて「何者」になったつもりなんだろう。伸びるといいな。

追記

ありがたいことにたくさんのコメントを頂いた。

いくつか興味深い指摘があったのでその点をもう一度考察してみた。

「可愛くてごめん」と推し

この指摘は、「可愛くてごめん」の歌詞はほかの人からバカにされたりする自身趣味に対する偏見をはねのける少女精神性を表現したものだ、というものだ。

ではその観点からもう「可愛くてごめん」を考察してみよう。

そうした精神からこの曲の歌詞を振り返ると真っ先に浮かぶ疑問はこれだ

“なぜ自身趣味バカにされたり、見下されたりすることへの反抗が「自身可愛いこと」なのか?”

これはルッキズム少女価値観支配されていることを示していると言える。しばしば言われるように”可愛い正義”というやつだ。この価値観の元では”可愛い”者は強く、”可愛くない”者は弱いのだ。

「可愛くてごめん」の歌詞は、「うっせぇわ」の”あなたが思うより健康です”という歌詞精神性が完全に一致している。

からバカにされたり、根暗や変わっていると思われる蔑まれがちな趣味を持っている私(≒いわゆる陰キャ)の私でも可愛いぞ(≒強いぞ)! という主張だ。これは”陰キャ復讐”という文脈に回収できるのではないだろうか? 

そして、その精神性の内側には普段抑圧されているマイノリティコンプレックスがある。

そのコンプレックスが最も示されているのは、「可愛くてごめん」の歌詞すべてと言っていい。

「可愛くてごめん」と連呼することは、可愛くない自分を無理やり鼓舞するために必死に主張しているように見える。私は可愛いのだ! ということを全身全霊で認めようとしている。それは他者に向かっているように見えて、自分自身を納得させるために繰り返されている。

「可愛くてごめん」と何度も伝えることは、”可愛くない”自分をどうにか自身で騙し、”可愛いのだ”と自分で認めるために過ぎないと言える。

そうすることで「私は強いのだ!」と納得しようとしているように見える。


あと、「うっせぇわ」も「可愛くてごめん」も作詞者がそう考えている、と俺自身が思っているわけではないよ。正直ここまで若者に刺さる歌詞を詳細に書くことはマジですごいと思う。

実際こうやって俺が嫌いになっているという事実こそがこの曲の歌詞が素晴らしいものであるということの証左でもあるしね。

あと、「それを嫌うお前の中にそういう精神性がまだ少し残ってるからだろ」的な指摘があって笑ったwww

その通りだ

2023-05-12

良かった

座席指定の事前購入制の映画館で購入後に座席変わってくださいと言われることに対して、不快感を抱くことは間違っている、交渉提案してきた相手問題があるんじゃないとか書かれたけど、やっぱりそもそも交渉しようとする時点で規約違反相手が圧倒的に間違っているんだから不快感を抱くのは当然だよな

まりにも「自分が間違っていること」が「正しい」と信じきっている長文を書かれていて気圧され、自分おかしいのか……?と錯覚させられそうになったし、同類認定を受けていたけど、少なくともあれと同類ではないな

身をもって拗らせるとやばい、を体現してくれたんかな……

2023-05-10

注目エントリ

AIに絵を食わせて何が悪いの?

↑Chu!AI絵師でごめん ジャン!

届きませんね そのリプライ を体現していてオモロ

2023-05-09

マリオ映画めっちゃ良かった

多分皆見に行ってるし、ツイッターやらnoteやらに山のように批評が上がっているから書く必要は正直無いんだが、この感動を残しておきたくて書いておく。

マリオ映画めっちゃ良かった。

私はマリオは兄がやっているのを横で見ているだけだったのだが、それでも胸が熱くなり、色々な思い出が蘇り、そして帰宅マリオソフトを買った。3D。そしたらいきなり映画に出てきた透明の土管が出てきて、とても嬉しかった。

正直ストーリー陳腐だし、新規ストーリーとかオリジナルキャラクターとか出てこない。新規ゼロ。全部知ってるし、展開も分かる。でも、それがいい。某実写化のように、変に監督メッセージ性が入っていたり、夢主みたいな主人公マリオ世界に迷い込んで?!みたいにならなくて良かった。マリオという皆が遊び、共に育ってきた旧友を、監督やらプロデューサーのくっだんない実験場やら最強の主人公発表会やらにされなくて、本当に、本当に良かった。

同時に、そうなってしまった映画作品を思い出してげんなりする。マリオ成功たから、今後は原作へのリスペクトと忠実さを体現した作品が増えるのかな。増えてくれるといいな。

立花孝志アウシタン

かつて出版されていた月刊OUTみのり書房

アニメサブカルポップカルチャーを扱った雑誌

 

1980年代、我々アウシタンは巨大資本による商業汚染と戦った。

だがNEWTYPE(角川)による掃討作戦にあっけなく敗退

流浪の民となり、同人、やがてネットの片隅に安住の地を求めた

だがそれすらもマネタイズ毒牙荒らしたのがドワンゴ

我々は虐げられた民

 

彼らは「法的に問題ないじゃん、そもそも正当なIP持ってるのは我々」

その通り、奴らはビジネスコンプラ遵守、著作権を正しく取得し正統なコンテンツとして利益を得る。

我々は彼らのお情けで二次創作を黙認頂いてる身。

喧嘩になりゃ「二次創作禁止な」の一言で終わる

彼らは正しい

 

そんな歴史当事者である我々アウシタンが「立花vs川上対談」をどう観たと思う?

拍手喝采どころではない。

専制と隷従、圧迫と偏狭から解き放たれた気分

立花孝志は隠れアウシタンに違いない、本人に自覚がなかろうが名誉アウシタンとして認定する

 

いや、現実的には刹那

結局最後に勝つの右派保守正統である奴らだ。

NHK党は瓦解寸前

どーすんの

 

ともかく、321対談は面白いので是非見てもらいたい。

京大エリート大資本高卒チンピラフルボッコ論破されて発狂する様子だけでも笑える

 

残念なのは新生ReHacQ

やはり素人集団ではグダグダになってしまうのが物悲しい

マイクミキシングすらまともに扱えない

テーブル一つも準備できない

テレ東ではありえない品質

 

やっぱ大資本はすげぇわって体現しちゃってんのなw

2023-05-06

anond:20230506105448

実際、キューバは、皆が貧しく平等社会に陥ってしまって、

なかなか発展できそうにない状況だよね。

キューバフィデル・カストロは、西側から独裁者だなんだと酷い言われようだったけど、

本人は富を蓄えることもしなければ、身内びいきもせず、

理想主義体現したような人物だったけど、国の経済は良くならなかった。

2023-04-27

anond:20230427190247

大人同士で同意があればセックスしても誰も傷つけない」と主張する人もいますが、それは間違いです。

現実には大学生新入社員など、20代前半の女性が酒やドラッグ酩酊させられ、「同意」を捏造するという性犯罪の手口が横行しています

大人同士であろうが、同意があろうが、「生きた人格のある人間相手セックスしてもよい」という狂った倫理観肯定すること自体性犯罪蔓延奉仕しているのです。

そもそも対人セックスなんて人生必要はありません。

増田ネタで言ってるんだろうけど、これがマジでアクセ価値観やぞ

 

脱毛したり臭いに気をつけたり、シチュエーションに気をつけたり、涙ぐましい努力してるの理解不能

そこまでして子作り以外のセックスする必要あるか?(常に感染症リスクであるし)だし、

なんなら体外受精出来るのにセックス自体する必要あるか?って話よ

 

セックスって結局はSMと同じく脳内ファンタジーなのよね

セックス必要なのは相手に対する思いやり尊重以上に、"ファンタジー" である

セックスにガッカリとは "ファンタジー" の体現力が足りないという意味である

2023-04-25

守られる女のアイドル的な需要ってもう完全になくなったんだなと感じる

流石にプリキュアレベルで戦う女ばかりってわけじゃないし、ヤンクミほど男気がある奴ばかりでもないんだが、単に男に守られるだけで終わるような置物女の人気はすっかり落ち目になった。

いわゆる陰キャや内気タイプの女であっても一人の世界の中で唯我独尊している姿を売りにしている。

森ガール的な役作りでさえも、過酷環境でも可愛さを振りまく執念を隠すのではなく滲み出させていく方向に舵が切られている。

男が助けてあげる女という存在需要が急激に下がっているのだろう。

一人前の一個人であることが大前提で、その上でルックス可愛い系かかっこいい系かおっぱいエロエロ系かといった分岐をしているパターンしかない。

箸より重いものを持ったことがない深窓の令嬢や、病弱でサナトリウム暮らしている死にかけの鶏ガラ女のアイドル的な市場価値はもう0に等しいのだろう。

代わりにマチズモのような物を体現した女が増えてきて、腹筋が割れていることを自慢気に語るような女も多くなった。

その一方で男のパターン特に変わっていない。

1人では何もできないヒモ男は相変わらず一定需要があるし、死ぬまでヤンキー精神年齢10才児もやや落ち目だがまだ人気は残っている。

人気のなくなった男のパターンはないが、同時に人気の増えた男のパターン特にない。

三高を頂点としたピラミッドは相変わらずだし、金が続くうちは汚いオッサンにも需要があるのも変わっていない。

共働きが基本となり夫=ATMという感じも薄れてきたが、それでも給料が低いと相手にされにくいのは変わっていない。

男の稼ぎが少ない分を女が補ってやるという発想はあまり浸透していないように感じる。

アイドル流行りも細マッチョ系が相変わらず強く、この傾向ここ50年ぐらい膠着しきってねえかと。

女が求める男の変化の無さは本当に凄い。

アニメイケメンも相変わらずアゴが尖っている。

女はミーハーで男は頑固というが、男が求める女は直近の四半世紀で変化しつつあるのに、女が求める男には全く変化がない。

この違いはどこから来ているのだろうか。

2023-04-20

anond:20230420063044

そうかな?結局芸術家スポンサーバイヤー意向体現するので王や神の威光が大事だった時代には保守になり、資本主義的な時代には神の見えざる手お金があればたいていのタブーは吹き飛ばせる自由万歳アナーキズム個人自由万歳左翼的になるのかも。

いま左翼って定義がよくわからないな。資本主義拝金主義はだめだ、というコミューン理想論みたいなのが左翼なんだろうか。はてサと言われてる人たちはコミュニティ志向じゃなくて反対で、PTAはイヤ、家族の縛りはイヤ、私は私、みたいな徹底的な個人主義だよね。それって左翼?我儘アナキスト

2023-04-15

anond:20230415102122

超正常刺激という概念がある。

超正常刺激を体現した存在フィクションとするならば、本来フィクトセクシャルであるという考えは正しい。

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