はてなキーワード: 存在自体とは
「どちらの可能性が高いか」についての語弊ではなくて、「どちら」が何を指すかの定義に語弊があるって話やで。
以下に、春画が黒人奴隷がいない証拠として全く使えないと言える根拠を示します。
春画は主に性的な内容を描いたものであり、当時の社会全体の風俗や現象を網羅的に描写することが目的ではありません。したがって、春画に特定の社会現象(この場合は黒人奴隷)が描かれていないからといって、それが存在しなかったという結論にはなりません。
春画の制作は、作家の意図や興味、そして市場の需要によって影響されます。作家が描く題材は限られており、特定のグループや現象が描かれていないことは単にそれが作家やその時代の市場の興味の対象外だった可能性があります。
黒人奴隷の存在や非存在を証明するためには、春画以外の歴史的記録や文献も考慮する必要があります。交易記録や外交記録、他の文学作品や絵画など、多角的な証拠が必要です。春画だけを根拠に結論を出すのは歴史学的に不十分です。
江戸時代の日本は鎖国政策を取っており、外国人の存在自体が非常に限られていました。その中で黒人奴隷がどの程度存在していたかは、他の歴史的証拠を基に慎重に検討する必要があります。春画に描かれていないことだけでは、その存在や非存在を判断することはできません。
結論:
春画が黒人奴隷の存在を示す証拠として不十分である理由は、春画のテーマと目的、描写の選択性、他の歴史的記録の必要性、そして当時の社会的・文化的背景にあります。春画だけを根拠に黒人奴隷制度の存在を否定することは、歴史的な検討として不適切であるため、春画が黒人奴隷がいない証拠として全く使えないと言えます。
アサクリ弥助問題があまりにも複雑怪奇になっているのでどんなスタンスの人がいるのか、自分用のメモ。
特別くわしいわけじゃないので、間違ってる箇所は多々あると思う。
下にいくほど複雑かつ解決が難しくなっていく。
ーーーーーーーーーー擁護派ーーーーーーーーーー
・ゲームだしいいだろ派
・面白ければいいよ派
・盗用は謝ったしいいだろ派
~~~~~歴史問題~~~~~
・弥助は侍だと思う派
・弥助は英雄と見てもいいでしょ派
~~~~~国際問題~~~~~
ーーーーーーーーーー批判派ーーーーーーーーーー
・デザイン盗用とかいろいろお粗末すぎだろ派(UBIに日本に対するリスペクトなさすぎ)
~~~~~歴史問題~~~~~
・弥助は侍か言い切れないよね派
・もはやアサクリうんぬんではなく弥助の誇張問題となってる派
~~~~~国際問題~~~~~
①それぞれのスタンス・認識の差が大きいため、各層を隔てて会話すると会話が噛み合わないこととなる。
例えば歴史問題と認識してる人が弥助が侍か否かを話しても、国際問題だと認識してる人には現状の問題はそこじゃないとなる。
逆に国際問題だと認識してる人の意見を歴史問題と認識してる人が見た場合は、そんなことに興味ないとなる。(そもそもアサクリからトーマスロックリー氏の騒動まで把握するのが難しい)
②擁護派批判派どちらにも言えることだが、デマを流す、文章をちゃんと読まない人が多く、どれが正しいのかを把握がしづらい。
それぞれ自分の立場に有利な情報を意図して、または意図せず流すのでかなりめんどくさい。
③国際問題として話す人の中には国内外の右翼左翼の政治活動家もいるため、とてつもなくきな臭くなってる。
極端な意見をいう人も多い。
④発端がゲームであるためどうしても初めてこの問題をみた人は軽くみがち。
⑤5月くらいからほぼ毎日毎週燃料が投下されるくらい問題が発生しており、追うのが大変。
蓮舫さんの勝手連がシールを貼りまくって迷惑をかけている件だ。
立憲民主党側の一部議員たちも苦々しく思ってるが、選挙期間中に表立った批判はされなかった。
選挙後にようやくごく少数の、野党共闘とは若干距離感のある地方議員達によって苦言が呈され、清掃が進められている程度だ。
常識的に考えてこれが批判を浴び、中間層の批判を招くことは明らかなのに、何故やめさせたり批判することがが出来ないのか。過去立憲民主党の選挙ボランティアに関わった思い出とともに書く。
もともと立憲民主党の選挙の実働部隊(ポスター貼りなどのボランティア)は連合だった。もちろんそんな紐付きではないボランティアも大勢いたが、組織化されており、人数の予測が立てやすいことから主力は連合だったと言って良い。
小選挙区の中で、政権批判票を一本化したいのはわかるし野党共闘を否定はしない。
だが、連合と共産党は水と油で、この両者は絶対に交われない(その是非はここでは述べない)
それは立憲民主党幹部も理解していて、だからこそ当初「共産党が自主的に候補者を取り下げる形での協力を」と主張していた。
共産党からみて、また第三者からみても身勝手な主張なのだが、立憲民主党的には連合に配慮してのことだとすぐに分かる(もちろん共産党がこの身勝手な主張を受け入れなければならない義理はない)
結論として、立憲民主党は連合と距離を置きつつ共産党などの野党と共闘することになった。
結論から言うと、連合系からの供給が少なくなり、代わりに市民連合系(SEALDsの流れを汲む団体で、野党共闘の橋渡しをしている)、しばき隊(市民連合とかなり人脈的に被る)系の人脈に連なる人たちが入り込んできた。(当事者の証言として【CLP問題】炎上前から元SEALDs残党たちの広告会社ブルージャパンに注目していた人たち【立憲民主党】 - Togetter [トゥギャッター]など。立憲民主党が資金を提供してきた歴史もある。)
何故これらの人々が入り込んできたかというと、市民連合には共産党に近い立場の人も多く、ここが立憲民主党と共産党の橋渡しをしていたからだ。
非常に内輪色の強いのが特色で、今回の蓮舫さんのでいうと、歌ったり踊ったりとフェス色を出したり、ストリート系の文化を強調(今回のシール貼りも多分これ)したりが代表例だ。
問題点は2点ある。
1点目は、こういった取り組みは内輪の結束に効果はあっても、中間層からはむしろ引かれかねないことだ。
2点目はより重大で、この方々はこれを「若者向け」と勘違いしている点だ。この方々の主力は2000年代に若者だったため、その感覚が全く抜けていないことが理由だが、この方々は活動により「立憲民主党(共産党)への若者の支持率が低い」ことへの対策になると本気で信じている。実際は「若者に人気があるんだろうな、と信じている高齢者」にしか届いてないのだが。
話は逸れるが、「R」シール以外にも、この方々は首都圏各所でシールを貼りまわっている。レイシスト批判や維新批判のシールが主だ(関西の実情は知らない)。主張には賛同できるところもあるのだから、街を汚すのは止めてほしいものだ。政党への支持にも繋がらないと思う。
この活動をやめさせるためには、こういった人材を切る必要があるが、少なくとも早期には不可能だろうと思う。
単純に組織の内部で重用してたり、そちらに仕事を外注したりしてるし、選挙でのポスター貼りなどの主力にもなっているからだ。
一時的に選挙運動を機能停止するくらいの覚悟がないと難しいと思う。
なので、蓮舫さんに表立ってこの活動を批判することは難しいだろう。(こういったことを「善」と思い込んでいる身内への批判であり、それをすると報復(今後協力しない)がある可能性があるので)
共闘ということで、共産党の方々も選挙活動を一緒に行っている。
だが、当然共産党の方々にとっての一番の関心は共産党の勢力伸長だ。
結果として、今回の例でいうと、蓮舫さんの顔写真を印刷した、共産党への募金募集みたいなことが起こる。
こういった運動が得票に結びついている実感はなく、個人的にはお互い候補者を取り下げる形での共闘の方が良いように思うのだが。
(共産党にとっても、昔のように全選挙区に擁立するのは人的にも資金的にも厳しいと聞く。)
ちなみに、前原さんが共産党のことを「シロアリ」と評したのはまさに共産党のこういった体質によるところなのだと思う。
(その点公明党はまともで、「比例は公明」までは言っても募金や入信は求めないよね)
一応X見てると、立憲の議員とか有志でシール剥がしやってるようなんだけどね。蓮舫氏はこれだけ報じられた中で、いつまで「存在自体知らない」みたいなムーブを続けるつもりなのだろう
上でも書いたとおり、「野党共闘とは若干距離感のある地方議員」によってなされてるんだよね。
というか地方議員は、それぞれの選挙では中(大)選挙区で選ばれているわけで、共闘の恩恵がないから、わりと自由に動けるのだと思うけど。
典型例がまとめられていたので紹介する。
シールを剥がすことにすらこのような批判があることから、こういった方々やそれに近い人達を支援者として抱えている立憲民主党には、表立った批判は難しいだろう
JTCの人には石丸のあの感じに対する違和感が比較的少ないんだろうな。石丸のあの責任を逃れ押し付けはぐらかす話術って典型的なJTCの、それも大手銀行のそれだからな。
普通のまともな会社、その辺の中小企業やベンチャーや外資系とかだと、ああいう存在自体がコストになる奴を抱える余裕が無い。基本的に目的目標を達成実現するのが優先で、稀に重大な事故が起きてから一部のクソな奴らがそういう揚げ足取りとか責任押し付けマウンティングを始める。いずれにしても初手からサブウェイ注文出来なさそうな会話する奴はただの無能扱いになる。それがちゃんとした社会人の感覚。
ところがJTCだと「責任」という概念のプライオリティが高すぎて、ああいう奴が溢れかえってる。JTCの環境に慣れてる奴らって全員石丸予備軍だと思うよ。もし自分やばいかもって思ったらサブウェイでマトモな会話の練習しておけ。
前提、原作未読 改変内容それ自体を良い悪い評価判断することはできない。
けどそれにしたって13話中の12話にあの展開を持ってきておいて大団円!!よかった!!!と言えるかは…微妙じゃない?
少なくとも自分は主人公の久美子を通して、久美子の3年間の奮闘や成長を見ていたので、他でよく見る真由の救済のために主人公を放り出しているような構成と終わり方であまり納得できなかった。
再オデで負けた事それ自体は、その後の展開どちらでも組める要素だと思うからいい。
でも負けたなら負けたことを下敷きにして久美子の次への展開なり納得なり、決意なりや、奏者として勝つこと以外の部長としての報われなどをしっかり描いて、今まで久美子を見て応援してきた視聴者を十分に「よくやったな」と納得させて終わらせてほしかったよ。
それが入る後尺がなく、13話はシリーズ思い出ダイジェスト気味に終わってしまい、それが原作的には掴むはずだった勝利を改変した上でとなると…まあ~~~微妙な構成だったなと思う。
全国金は部の悲願であって、久美子のそれと完全にイコールではないはずだし、まして作中で久美子の思想が音楽から別の将来へ移っていったのならますます久美子の3年分の報われはどこへ…?と感じた。
(他所で原作だと全国金が久美子のイコールとなった描写があると見たが、アニメシリーズだけ見ているとそうでもない)
衝撃的な改変展開をもっと早く前に持ってきてフォロー尺や久美子の次への思いや展開を入れたり、シリーズ尺を24話にしたりと上記の急展開オチを回避する方法は他にあるだろうし、比較的取れる制作・会社のはずなのに上記を選択したのは、衝撃度なりバズり度など物語の本筋とは無関係な要素故に選択したと思えて、そこでも微妙だったなと思う。
微妙というか露悪的(?)にさえ見えた。
原作勢が「原作の最後の勝利がご都合気味だった」というのも見たが、それなら突然3年で転校してきて同じ楽器で超絶技巧で今まで合わせたことのないメンバーとも早々に合わせられる真由の超存在自体もご都合と言えてしまうのでは?(原作展開自体に切り込めるならという意味で)
要はご都合要素はその後の辻褄なり展開で納得できたかで希釈されるんだろうけど、アニメ最終話には原作を改変してまで納得できる、活きるものはなかった。
仮説としては原作を通っていると、その後の後日談含めて読み込んでいるからか、ちょっとご都合主義だったなという原作読後感を下敷きにしているから反転展開が響き納得や良かったになっているだけでは?
アニメの道中で久美子が負ける兆しは散りばめられていたともみたが、それなら1期から重ねて来た演出を回想や反芻するように擦ってきてた部分の先には、困難があったけど久美子が報われる事への期待と受け取れる部分なので、最後に梯子を外すも外さないもどちらも揺さぶり要素の1つでしかないと思う。
(単に制作の手抜きだったってならそれはもう何も言えないが…w)
続報で全国大会以降、卒業までの部長としての久美子報われ話をやるってならまた話は変わるが…(それにしてもシリーズとしてちゃんと〆てよとは思うけど)
京アニ事件が絡んでの思想が影響したのか、構成脚本の暴走か知らないけど追ってきた年月の割になんだかなーーーーーーというオチだった。薄味?
2022-05-13 02:43
数年前、どっかの誰かが89channelという日本語版ハッカーニュースを公開したが、現在は失踪してしまってサイトが見ることができなくなっている。
日本人にはハッカー文化は早すぎたんだろうか?そこで試しに2時間かけて本家Hacker Newsの機能性とデザインをほぼ完コピして作った。追加機能は低評価機能だけだ。
「日本のWeb全体がコミュニティの一生の衰退期になっていて面白い人がすでに日本から消滅しているのでは?」を検証したいというのが一つの目的だ。
一昔前は、新しいサービスが出現すれば、面白い人がやってきて試しに使う程度のことはしただろう。ところがゴミコンテンツが飽和状態になると脳内フィルタリングが発動して特定のソースしか頼らなくなる。イノベーションが人々の好奇心に支えられているという事実を考えれば、脳内フィルタリングで冷笑的になっている社会に何かが起こるとは考えづらい。
RMSのようなハッカーは今風のwebデザインを嫌うというのも特徴だが、日本にハッカー(本来の意味)が存在するかというのは怪しいところだ。
このサイトを3年ぐらい放置してみようと思う(もしかしたらバグがあるかもしれんのでそれは修正する)。まあ単に実験だと思ってる。もし何も面白いことが起こらなければ、普段どおりカナダ生活を満喫するかな。