はてなキーワード: 自由主義とは
みんなを補助しよう、って考え方だと思う。
個人の権利や自由を大事にするという意味で、個人主義者に似ている。
社会全体で助け合っていこうなという意味で、出生主義者に似ている。
個人側から見ると個人主義。社会は個人の権利を保障するための装置。
社会側から見ると全体主義。個人は社会を成立させるための道具。
出生主義者はだいたい、全体主義。でも全体主義のなかには出生主義者でない人もいる。
反出生主義はだいたい、個人主義。でも個人主義のなかには反出生主義でない人もいる。
たぶん、コメントの考えは個人主義かつ自由主義でしょう。出産は個人の自由だが、社会はそれをサポートすべき。って思想ではないかな。俺も賛同する。それでいいと思う。
これは結構難しい話な気もする。
まず、ゼロ年代までの日本において、政治組織は主婦層の奪い合いを行っていた。
数が多く、政治活動を行う暇があり、組織に拘束されておらず、思想的に特定の傾向がないが横のつながりはあるという、まさに格好の動員対象だったからだ。
ただし当たり前だが動員というのは上から自由に政治的思想を植え付けられるわけでなく、自由なタイミングで動員できるわけでもない。
比較的どうでもいい案件については積極的に下から吸い上げて常に運動欲を満たし、「自分たちが動かしている、声が届いている」という実感をもたせるのが重要。
主婦層に共有された嫌悪感があり、社会悪だという方向に持っていきやすく、婦人会による規制運動を展開することで低コストで定期的に運動実績を満たしやすい。
要するに叩くのに丁度いいから自民も公明も各種の野党も性表現規制論をだし、逆に政敵の手柄になりそうな風向きのときだけそれを批判してきた。
矯風会もこのころ潜り込んでいろいろやっているが、別に思想的には主体性を発揮したわけではない。
あくまで普通の女性が、「素朴な感性」を運動で増幅させた結果に相乗りしただけだ。
大半の政治家にとっては「自分の票にならなければどうでもいい、だがある程度便利使いするため風向きを読んでたまにコメントする」程度の話題だった。
リベラルと呼ばれてるが中身は様々な人々にとっても大半は同じだろう。
しかし、ネット時代で性表現市場が拡大し、規制論者もオタクの声もでかくなったことで、この話題はそれなりのネタに昇格した。
ただ、山田太郎はうまくやったが、ワン・イシューで国会に1議席確保できるぐらいというのは、小さくもなく大きくもない、なかなか微妙なラインである。
これも基本的には思想や強力なトップダウン利権があるわけではない。
普通のオタクが「素朴な感性」を運動で増幅させた流れをうまく利用したということになる。
こういうネタは言論屋や政治プレイヤーとしては非常に扱いが難しい。
「普通の人々」の「素朴な感性」というのは、たいてい思想的にはメチャクチャであり、民主主義にも自由主義にも完全に敵対している。
なんとなく思ってるだけならまだしも、運動で増幅させるとカルトの原理主義と対して変わらない。
それでいてカルトと違って思想的核のない多数派だから、批判にも難儀する。
山田太郎も統一教会と絡んだりしているが、こういう連中がオタクを「操って」いるというのはいろいろな意味で間違っている。
オタクの普通の言動に素直に乗っかれば自分の主張が認められる部分がありそうだから、のこのこやってきたというだけだろう。
矯風会が政治に熱心な主婦層によってくるというのも、主流はあくまで強大で消し難い「素朴な感性」のほうで、矯風会なんてのは張り付いた雑菌の如き存在だ。
「素朴な感性」に公然と敵対する人間は、たとえ理屈の上で正しいことを言っていても、政治レベルではあっさり抹消される。
逆に、そうなってない人間というのは、理屈以前の話で、「素朴な感性」にうまく忖度しているからこそ生き残れている。
だから、問うべきは、リベラルの人々は、一般人の、あるいは自身の中の「素朴な感性」と自由主義が対立する事実にどう向き合うか?
という話だが、これに真剣に答えること自体も「素朴な感性」への敵対の一種であるから、政治プレイヤーとしては公然と議論することは難しいだろう。
さもそういう主張が真っ当で正しいことみたいに信じてる人がいるみたいだけど、そういう人ってとことんウクライナ戦争に関して他人事なんだなって思ってげんなりする
その隣国の暴挙を目の当たりにし、さらに核保有国相手では簡単にアメリカもヨーロッパも味方になって一緒に戦ってくれることはないというのが明らかになっている
そんな中で日本が自分の国を守っていくには、軍事だけでなく、国際社会のあらゆる場面で存在感を発揮し、自分たちは西側、自由主義国であることをアピールする必要がある
要するに、日本がどの陣営の所属でどんな考え方を持つか主張し続けることで、正面から敵対するのは得策ではないと共産主義国に思わせなきゃいけない
ウクライナはロシアとヨーロッパの緩衝地帯だから、という意識もあるのだろうし、東アジアでは北朝鮮が緩衝地帯という意識なのだろうけど、現実は日本韓国北朝鮮の三か国が緩衝地帯だ
アメリカからすると三国すべて失うのは安全保障上問題だから日本をバックアップするだろうと思われるとはいえ、最終的には防波堤という意識しかなかろう
中国も核を持ちアメリカと友好ではない以上、日本でいつ何が起こってもおかしくはない
そんな状況を本気で自分事と考えたら、ファシズムの動画に日本の天皇が入っているのはまずい
日本は今でもその子孫を象徴として掲げているので、過去と決別し歴史修正をせず直視する、というなら天皇家を滅さなくては辻褄が合わない
現実それはできないのだから、歴史修正と言われようが当時の政治家の責任であり天皇家はかかわりがないとしなくては今の日本の不利益になる
感謝を求めるのも同じこと
いくら武器弾薬供与国への感謝だから日本は関係ない、とは言え、ことあるごとにウクライナ自身に日本の貢献を発信してもらうことが、有事の際の日本防衛につながる
ウクライナを日本が支援するのは、可哀そうだからではなくて、助け合いをしっかりしとかないと日本も助けてもらえないからだ
だからこそ、感謝を求めるのは当然だし、それがないのなら支援など国益につながらないことになってしまう
なんというか、具体例を挙げると
なにか八百長くさい・わざとらしいやり取りや行為を「プロレス」と呼ぶ → プロレスはそんな物じゃない!プロレスとはリングの上の神聖なうんぬんかんぬん
なにかふわふわした良く分からん文章や表現を「ポエム」と呼ぶ → 詩を馬鹿にするな!ポエムを蔑称で使うやつは教育を受けてないうんぬんかんぬん
こんなことはまあ良くある事だと思うしTwitterとかでも度々バズったりしてるが
もっと深刻なことでいうと
ある絵や映画とかを見て単純な感想をいう(あるいは性描写を単純に受け取る) → 日本の美術教育は実践的になっておらず無責任な大衆を大量生産しうんぬんかんぬん
不毛な議論を「宗教」「神学論争」と呼ぶ → 神学はれっきとした哲学の一分野でありその様な用法で使われることは日本の文化環境の頽廃うんぬんかんぬん
なにかの独裁的な様子を「北朝鮮」みたいと言う → 諸外国を引き合いに出すのは差別、日本なら日本の歴史で例えろうんぬんかんぬん
なにかの出来事に対して「どっちもどっち」「相対主義」をとる → 相対主義は日本の悪癖で、ガンダムやひろゆきの見過ぎの悪影響でうんぬんかんぬん
みたいな、用語その物への「雑」さによる、無数の人々の対立って常にあるわけだよな。
言葉狩りには至ってないが、用法が普及しきってしまっていて修正できない事への専門家のいら立ちとでもいうか。
相対主義を漫画やアニメで「理解」することとかはもっと深い問題だとは思うが。
でも実際、大勢の人間が「なんかこの絵よくわかんねーけどおもしれー、うわーおっぱいだー」「相対主義ってのは、そういうもんだろー」「神学論争うぜー宗教くせー、もっと現場にこいや」みたいな理解をして、そして毎年そんな人間が再生産されている以上、
「雑」とされる感性ってどこまで雑なのか、それこそ大衆の理解がなんで間違ってるって言えるのかということになるよな。
もちろん用語の使い方が差別的だステレオタイプ的だとか個別の問題にあるにせよ。
東大や慶応早稲田の偉い先生よりも、アニメ(制作者自身がどう考えてるかは別)や、ひろゆきが影響を与えているとして、
この国が資本主義・自由主義であり何を選んだり消費するかの自由がある以上、庶民の「雑」な意見と理解を、「間違い」って言い切る事は出来るのだろうか。
大坂なおみは父親がハイチ系アメリカ人で母親が北方領土にルーツがある日本人だけど、
「母方が日本人」みたいな背景すらないアフリカ出身の黒人同士が、日本に帰化して純黒人の子供を作り、
インターナショナルスクールなどで英語しか話せない子供に育てて、
「見た目が黒人だし、日本語が全くわからないけど、国籍だけは日本なので日本代表」としてオリンピックに出て優勝して欲しい。
その黒人が、男性の身体のまま、ホルモン療法なども一切せず、「心は女性」を自称して、女子競技で金メダルを取ると最高だな。
はっきり言ってしまうと、それはインターネットに無学な人々、とりわけ女性が増えたからだ。
女性は遺伝的に、同調圧力に弱い。物理的に強い対男性のみならず対女性においても、常に友好的で良好なコミュニティを築いていくことが、生命の安全と継承に資してきたからだ。理をぶつけることよりも和を最優先する性質がある。
だから本来は自由であるように思慮深くゆとりを持たせて設計されている社会システムの中にいても、些細な衝突も起こさないように独善的なローカルルール、マナー、しきたり、儀式、プロトコルみたいなものを次々に生んでしまう。
かつそれを増長させて歯止めが効かないレベルにまで先鋭化させてしまいやすい。社会システムとして必要な猥雑さまでも刈り取ろうとする勢いだ。それは理に基づく訴えに見えて、内実は和の思考による歪み、贔屓を強く受けている。
男性のように、対立という事象に正面から向き合って物事をすりあわせていくアプローチが女性は苦手で、そもそも対立的な局面から逃げようとする。
そのために過度に自分たちを縛るルールを作り、それを正当な規律と思い込み、広く他人にまで押し付けるようになっていく。
そうした同調圧力と空気による支配は、未開な時代ほど色濃く、通りやすく、古代中世の宗教などにもよく見られたし、島国としてある意味で精神的な発達が遅れた日本人は特にそうした「空気」に抗えない国民性を持つ。
このような状況を俯瞰的に認識できていればいいのだが、無学な人間であるほど、過去の宗教などが犯していったのと同類の過ちを、ネット上で再現してしまいがちだ。およそ「炎上」というものをドリブンしているのは、そうした過ちに対する意識が低い人間と言える。
ネットの無名の群衆は、近代の偉大な思想家たちの理性によって基盤が作られた自由主義社会の意義をたやすく踏みにじる。
古代人類のように人間の集団心理に訴えかけて、理性やルールではなく、人情と裁量によって現代社会の均衡を崩そうとしている。
しかも当人たちは自覚がないどころか、より正しい「理性」を代弁し、より社会を健全にしているという認識でいる。まさしく独裁国家のような思い上がりである。
一度そういうムーブメントが起きてしまうと、それは国家レベルで誤った政策を国民が後押ししてしまうことにすら繋がる。ここ十数年でもそれを感じさせる国際ニュースは枚挙にいとまがない。
ミニスカートを履いて肌を露出したから娘を殺してしまうイスラム原理主義の父のようなもので、己の主張が行き過ぎたパターナリズムを後押ししている可能性がないか、常に気をつけてほしいものである。
SFが現実になっていく場面を我々は何度も目にしてきたが、ディストピアまでもが現実化してほしいと心から願う人はそういないはずだ。
センセーショナルに流布される傷ついた誰かの心に寄り添う情の心ではなく、多様な境遇を想像しどのような人も生きやすい均衡的なシステムや振る舞いを考える理の頭だ。
事前シミュレーションで勝機なしと分かっていた太平洋戦争になぜ日本が突入していったのか、そういう部分を理解できる人になら私の危機感が伝わるはずと思い長々と書かせてもらった。
ベンジャミン氏は「付き合えるけど、どうせ破局する」なので、「モテない」と言っていいのだろうか…?
「付き合えるけど破局する」とは、交際開始に必要な能力は持っているが、交際維持に必要な能力は持っていないというものになる。
「モテない」という言葉は「交際開始に必要な能力」を持っていない人に適した言葉なのでは。
「交際維持に必要な能力」のみ持っていない人を、「モテない」「非モテ」に入れるのは不適切なのでは?
例えば、恋人いない歴=年齢の完全童貞の50歳と、30人と交際したが全員と破局した人間を、同じ「モテない」で括るのは、
雑過ぎるし無理があるんじゃないだろうか。ヒキニートとジョブホッパーくらい違う。
また、「現在交際相手がいない」ことへのアプローチを考えてみた。
気持ち:交際相手がいないことを辛い・寂しいなどと感じるor別にネガティブに感じていない主観的な状態
「事実」にアプローチするか「気持ち」にアプローチするかで分かれる。
事実へのアプローチ①:「交際開始に必要な能力」「交際維持に必要な能力」を身に着ける
事実へのアプローチ②:異性に不利益を被らせる「ありのままの自分」を受け入れさせる
②は、異性に対して「自分Win・異性Lose」の関係を強いることになる。
男性は傾向として、若い女性が好きな傾向にあり、容姿も美人であったほうが良いと思いがちで、
性格がキツい女性は苦手で、男性が話す内容をつまらなそうにせず興味深そうに聞いて欲しがっている。
男性は若い女性よりもお婆さんを好むようになれとか、男性は美人よりブス・デブを好きになるようになれとか、
そういうことを言ったところで……無理だろう、好みの改変は。
残念ながら、幸運にも「ありのままの自分」が異性に利益を与える個体は、「ありのままの自分」が受容されている。
不利益を被らせるような「ありのままの自分」の形をしている個体だから、モテないとか、維持できず結局破局するという事実が出力されているのである。
過剰適応からの鬱というリスクがある①か、性犯罪者・モラハラ加害者となりうる②を選ぶかを考えることになる。
②を選ぶ人間は異性から忌避される。異性を損させる存在なのだから、当たり前のことである。
事実へのアプローチを、「両方拒絶」すると、気持ちへのアプローチとなる。
気持ちへのアプローチ①:恋愛以外の人生の楽しみを見つけ、熱中する(勝てないゲームからの離脱)
気持ちへのアプローチ②:ミソジニー・ミサンドリー活動し、異性の価値をマイナスに見積もる(すっぱいぶどう)
①は他害要素が無いため、相互に人権を認め合う自由主義社会で受け入れられやすいアプローチだ。
異性から歓迎されない特徴を持っていても、個人的に幸せに健康的に生きられる方法として最も輝いているのが①だ。
そして大勢を包摂しているのが②である。熱中できるポジティブな何かが何もなくても、
ロシアをどうにかしてやれという号令のもと作ったNATOの自衛対象は東側だろ。
別にロシアのこと適しなんかしてないのにあのメンヘラが絡んでくるんすよーみたいな感じで雰囲気だけで押し切ってる感じがほんとにうざい。
もはやロシアの言っていたNATOの東方拡大をやめるか、ロシアに対する敵対的な条項を消すか法的な枠組みで無効にするかしろ、と言ってたの覚えてるやついないんじゃないのか。
この辺の主張一切無視してあいつは頭おかしいみたいなのほんとにキモい。
ロシアでは報道も政府にコントロールされてるとか自由主義から見たらいろんなことしてんのは別に否定しないしやめたほうがいいんじゃないのと思うけどさ、今回の戦争でロシアが一方的に侵略者にされてるの、日本人ならどこかおかしさを感じないもんかと思う。