はてなキーワード: 知識とは
見つけたぞ
何を?
永遠を
それは太陽の沈む海だ
「山のあなたの空遠く」の上田敏、「巷に雨の降るごとく」の掘口大學はじめ、明治期の日本には多数のすぐれた翻訳家が存在した
当時の翻訳家というのは単に外国語の専門家であるだけでなく、和魂洋才の機運の中で西欧のすぐれた思想を輸入する使命を持った知識階層でもあった
そんな中、ランボオ(って書くと古風な感じがして好き)の作品も多数翻訳されたのだが、しかしこの「永遠」にはなぜか決定版と言えるような訳がない
本当にいろんな人が訳を残しているのだが・・・
就活行き詰まり大学生だけど、周りが院進すればいいじゃんとか留学すればいいじゃんとか休学すればいいじゃんとか気軽に言ってくるのめちゃくちゃイラつく。
私だって本当は英語使った仕事がしたいけど大した資格もないし、サークルなし部活なしビジネスの知識なしよわよわ就活生でとてもじゃないけどそんなところから内定もらえないから3年以内にTOEIC900以上と他言語の資格(今いくつかやってる)と通訳案内士とその他諸々の資格とって転職で行きたいとこ入るか金貯めてキャリア投げ打って社会人留学してゼロから始めるか…って思ってる。(勉強の大切さと面白さにあろうことか大学3年の12月に気がついた)
友達や知り合いにも何人か留学する人がいていいな〜と思うけど、別にその子が決断できて偉いんでも何でもなく、ただ家が金持ちなだけじゃんとか思ってしまう。
留学行った子のSNS見て日本と変わらない食事してたりするとなおさらイラつく。せっかくだから外国でしか食べれないもん食えよ!!!!!!(最近はガチ中華等の外国料理にハマりよくわかんないけど美味しいものばっかり食べてる、日本でもこんなにいろんなもの食べれるんだね)
家があんまり裕福じゃないからバイトするためにサークル入れなかったり一応研究したいこともあるし現在進行形で就活うまくいってないけど院進も休学も留学もできないよって言われたりしてるのに、受ける企業探してる時、親は世の中金じゃないって言ってくる。金があればこんな思いしてないが????
『中学生から生理痛で病院巡りをしてきた私が、出会えてよかった医師とは?』
https://laundrybox.jp/magazine/honebone-8/
このコラムを読むと、月経困難症で苦しめられていた筆者は病院巡りを繰り返してようやく良い医者に出会えたみたいだけれど。
なんでそんな事しなきゃいけないんだ?ってつくづく思う
医療制度がまともに機能しているならば、一個目の病院で成果が得られる筈では?
なんでこんなに「良い病院は患者が自分で探すのが当たり前」みたいになっているのか……そして患者の方もそれを疑問に思わないのか……
つくづく、医者には当たり外れがあって当たり前に受け入れられているんだよな。それがそもそもおかしいと思うんだが。医者って狭き門の入試をくぐりぬけ、高度な国家試験を経て、研修をして医者になってる訳でしょ?
なのになんで最低限の知識や技能、コミュ力すら備えていない医者がこんなに多いの?おかしすぎない?
特に婦人科は酷過ぎる。相手が女だと思って舐めているとしか思えない。男性医師は勿論女性医師ですら酷い。
この人も『ご年配の女性の医師に「子どもを産めば楽になるよ」と気の遠くなるようなことを言われ、中学生の私はわかりやすく落胆してしまいました。それまでにあと何回生理がくるというのか…。』って言われたらしいし。
元・夫が、ある場所で「離婚したとはいえ、元・妻が傷つけられるのは許せない。何らかの対応を検討する」と言っていることを知った。この元・妻というのは、何を隠そう私のことだ。はてな匿名ダイアリーに書いているのだから、隠すも正体を明かすもないが。
「傷つけられる」と元・配偶者が言っているのは、かつて私がある人物から受けたセクハラについての情報が広まって、私が心無い言葉を浴びたり、中傷される状態を指しているようだ。
今になって「元・妻が傷つけられるのは許せない」と言い出すぐらいなら、何故あの頃、言ってくれなかったのか。そう思って、元・配偶者ながら、というか元・配偶者だからこそ余計に、私はゲンナリしている。
私にセクハラをした加害者は、元・夫の仕事上で付き合いがあり、仕事以外のプライベートな時間や場でも私たちと交流が有った、私たちよりも年長の男である。
加害者は、私にセクハラしただけでなく、そのことを仕事仲間などに自ら話したりもしていた。懺悔としてではない。愉快な話としてである。つまり、セクハラをした時にだけでなく、その後にも継続的に、私は傷つけられ続けている状態に置かれていた。
セクハラされた時、私は「そういうことは止めて下さい」と加害者に対して言ったのだが、私の憤りや恐れや嫌悪の感情をまるで理解しようともせず、軽い口調で「ゴメンゴメン」みたいな感じで誤魔化されただけだった。今でも「もっと強い口調で言えば良かったのでは?」「いっそ殴ったり蹴ったり物を投げつければ良かったのでは?」「何故あの時、もっと適切な反撃ができなかったのだろう」と、自分自身に対して不甲斐無さを覚えて、自己嫌悪に陥ることが度々ある。
さらに私が苦しむ原因になったのは、その頃は婚姻関係にあった現在の元・夫が、私の側に立ってくれなかったことだ。
加害者から私がセクハラを受けたこと、それに対して私は憤りや恐れや嫌悪を感じたこと、加害者へは私に対する謝罪をするように要求して欲しいことを、その頃は夫であった彼に訴えた。それに対する彼の反応は「あの人も悪気があった訳ではない」とか「あの人は昔気質の人だから」とか「あの人は冗談のつもりだったのだから、怒るのも大人げない」とか、概ねそういった言葉だった。漫画『寄生獣』でパラサイトと会話する主人公・新一が、昆虫か何かと話している気分に陥る描写があったが、私も新一と同じような気分だった。つまり元・夫は、加害者の側の人間だった。だったという過去形ではなく、であるという現在形で言うべきだろうか。
会社勤めとか役所勤めの仕事などであればその組織に訴え出て処分を要望するとか、金銭や知識を持っていれば弁護士などに相談するとか、何かしら対処の仕方があったかもしれないが、私は上手いやり方を思いついたり実行したりすることは出来ず、そうこうしているうちに私たちは、元・夫と元・妻という関係になった。
あの頃、彼は「馬鹿馬鹿しい話だ」と言った。近頃の彼は「これまでは馬鹿馬鹿しい話だから取り合わずに放置していたが、いい加減、噂を広められて元・妻が傷つけられるのは許せない」と言っているようだ。私にとっては、あの頃も現在も、少しも馬鹿馬鹿しい話ではなかったのに。
私の元・夫が「馬鹿馬鹿しい話」として放置できなくなったのは、決して私が苦しんでいることが理由ではないことを、私は知っている。元・夫が黙っていられなくなったのは、加害者の男が批判されているからである。元・夫は、あの男のことが大好きなのだ。
最近では、何処の業界や職場でも大なり小なり、セクハラは良くないことであり、するべきではないし、セクハラをする人がいれば止めたり批判するべきであるという意識が浸透し始めた。私にセクハラをしたことを愉快な話として吹聴していた加害者の男と、私を救ってはくれなかった元・夫が関係している仕事の世界にも、少しは変化があった様子で、私に対するセクハラの話を愉快な話とは受け止めてはもらえなくなったと聞いている。
このため、加害者の男は「大袈裟に話して誤解を招いた」と言うようになったらしい。大袈裟?誤解?私にしたことを、そのまま本人が言い触らして回っていたのに、いったい何が大袈裟で何が誤解なのだろうか。
元・夫は、誰に対して、どんな対応をするつもりなのだろうか。私がされたセクハラの話を誰よりも他人に広めたのは、ほかならぬ加害者本人なのに。元・夫は、加害者を批判したり止めたりしてくれなかったのに。まさか、加害者を批判する人たちに対して「元・妻が傷つくから許せない。セクハラについて語るのを止めろ」と言うつもりなのだろうか。仮にそうだとしたら、それを何故あの頃、加害者に対して言わなかったのだろうか。元・妻である私を救おうとしなかったことが知れ渡ると、元・夫としては困るのだろうか。
セクハラの被害者が、セクハラの加害者に対する批判を食い止めるために、よりによって元・配偶者から利用されるという救いの無い境遇を知ってもらうために、理解してもらうために、自分の気持ちを吐き出すために、はてな匿名ダイアリーに書いた。
数学者の岡潔の情緒論をたまたま動画で見たのですが、ところどころ自分と共通する結論に達しているところがあり、なるほどやっぱりなあと頭を何度か頷かせました。
は、やはり情報補完という技術の域をあまり出ない技術だと思いました。岡潔の言う情緒から発生する智よりもそれら技術は抽象度が低いのです。
とは言っても、欧米人が大好きな緻密な論理も、その発展物であるコンピュータも、情緒ないし直感も、相反するようで、内実それら二つの智は地続きで人の頭の中で常に相補相乗して何かしらの筋肉運動へと変換されていますから、これらの捉え方は政治における右翼や左翼といった不毛な論争をするための物差しのようであり、事を知るきっかけみたいなものでもあり、機会と思考の拡張以上でも以下でもない一種の流行的なら認識手法であると割り切って観察すれば何か穏やかな感じがします。
自分は高度な数学どころか高校生くらいの数学も、概念をチラホラと知るくらいで、まともな計算訓練をしたことがないですが、論理をカンストしたと自分で思ったタイミングがあります。論理をカンストするとは、「人間が人間である以上は習熟し得ない、もしくはまったく到達し得ない知の領域までの論理的な到達手法を発見した」というような意味で使っています。もちろん、現実的時間内での到達手法です。もしそうでないなら、無限の時間やエネルギーを想定しさえすれば誰でも簡単に論理をカンストできてしまいます。
その観点から観れば、今この社会の中を生きる多くの大人たちは、車輪の再発明を、時代と共にアップデートされた道具を使って、ちょっと違う色や形や量や時間の使い方でもって何度も再現しているだけのように観えます。これは継承という親から子へ引き継がれていく営みに対する喜びや自己満足の歩みであり、多くの場合その歩みの中に真なる野心などないということがうかがえます。本質的には、一人一人が自分の体と感覚とその時代にある新しい道具を使って先人の追体験をしているだけという場合がほとんどということです。そうした営みに対して尋常ではない対価が与えられるのが欧米人主導で生み出された現代社会です。
しかしこうした継承ないし営みは、ネタは出尽くしているから当然といえば当然であり、例えば元素の数が大きく変わったりしたわけでもなく、物理法則が変わったわけでもなく、人間のもつ感覚器の細胞の数や種類が誤差を超越して変化したわけでもありません。仮にそれらが変化したとしたら多くのこと、もしくは全てゼロからやり直しかもしれません。しかし、今のように先に進まないのであればいっそゼロにすれば良いのではないかとさえ思う時もあります。
中世という名の暗黒の時代を乗り越えた人類は現在、白黒の時代を生きています。この白黒の時代はいつまで続くのでしょうか。
制御を失った先には必ず痛みがあります。我々には身体中のあちこちに痛覚がありますが、この痛覚の上限を超えて与えられた刺激は周辺組織の量的な死と連続して繋がっています。我々は痛覚を頼りにこの死から免れて生き延びてきました。反面、代謝という緩やかな死は快楽でした。
現代社会はますます死の恐怖が増大してきているように思います。欲を与えられ、欲を満たす手段も与えられ、それに付随するように死への恐怖も増大したのです。過剰な欲は、死を過剰に恐ろしく禍々しいものへと変えます。情緒を失った人間とは実に愚かです。
どこか暖かい南の国のビーチでセクシーな水着を着た美女たちに囲まれてパフパフコンテストを開催したいです。一体どの美女が一番パフパフがうまいのでしょうか。
この世界観、設定、気軽さ、これはまさにメタバースです。メタバースなんて言ってますが、元々が人間一人一人の頭の中は小宇宙ですから、メタバース的な世界観の中を我々は生きています。最近だとイスラエルの歴史学者であるハラリさんのサピエンス全史で国家というフィクションへの言及があったようですが、共同幻想論は30年以上も前に日本人が提唱していました。そのルーツは海外かもしれませんが、そんなことは鶏卵問題の彼方でしょう。
いずれにしてもユビキタスをIoTと言ったり、真ん中分け(エロ分けとも言われた)がセンターパートとか言われたり、言葉の額面が時代や状況に合わせて最適化されていきます。不思議なことに呼び方が変わると人が肯定感をもって動き出すという事もあるようで、パフパフ コンテストにも早急に新しい名前が必要です。
https://business.nikkei.com/atcl/opinion/16/011000038/060500036/?P=3
「では、優しい(ように見える)医者、言い換えればコミュニケーションが上手な医者こそが、名医なのだろうか? という疑問が浮かびます。」
って言われても、医者である以上知識技術は備えていて当然という前提じゃないの?(ていうか備えてなかったらまずい。そんな医者からは医師免許を剥奪しろ)
だったら優しい(ように見える)医者、コミュニケーションが上手な医者の方がいいに決まってるじゃん
仮にコミュ力だけはあって医者としての技量が不十分な医者を名医だと思い込んだとしても、それは患者のせいじゃなくてそういう医者を排除できないシステムの問題でしょ
人間が生きるって犠牲のもとに成り立っているという知識がない、なんて無垢な増田なんだ。
環境学的にはもうすでに地球の人口で持続可能性な社会は成り立たず、土壌が腐り農地にもならず、海洋資源は枯渇、世界各地で水源地の枯渇。これから温暖化もさらに深刻化し、世界規模で食糧不足が発生する。MITかどこかが2100年までに人間が地球で生存できる環境はほとんど失われるそうだ。
突然ですが、皆さんのITエンジニアのイメージはどんな感じでしょうか?
今日はそんなIT業界のエンジニアにこれからなりたい方にお届けしたいお話しです。
コンピュータ専門学校や大学でコンピュータ系の学部を出ていたり、
個人的にプログラミングが好きで個人活動をされていたりして新卒時に就職活動をしてこの業界に来られる方だと思います。
Webなどで人気のRubyやPHPなどでWebサービスの作り方を教える教育サービスを受講して来られる方でしょう。
教育体制や会社の規模、企業の顔である事務所の所在地やエントランスに騙される事無く、
自分がどんなことをやりたいか(本当に今考えているやりたい事が自分の為になるのかも考えて下さい)、
『甘くないです、どんな勉強をしてこようが相当の覚悟がなければ半年持ちません』
『あ、そもそも半年持たない前に、この業界に入れません・・・』
え?
何で???
こう思われた方は多いと思います。
けどこれ事実なんですね、
ではその辺りを私の私見になりますがお話していきたいと思います。
中途でこの業界にきたということは1~2年でその方たちに追いつかないといけないんです。
なぜ追いつかないといけないかと言うと、
30歳を超えた経験の浅いヒヨコPG達に優しく教えてくれたり、
バリバリの専門性特化になるかマネジメントを経験していって管理側に行くそんな時期だと思います。
そんな人材が求められる年代で悠長なことは言ってられないのがあります。
また、有名なWebサービスをやっている企業が新卒以外で即戦力にならない、
エンジニアの下地もできていない方たちを中途採用するでしょうか?
たいていは第二新卒などの中途採用で未経験者を採用しているのは、
そうです、ずばり、
『え、でも20代30代の未経験の方も歓迎って書いてる企業もありますよ?』
1年が経ち2年が経ち。。。
『あれ、気づけば34歳、今年35歳やん、俺(わたし)何してんのやろ????』
積んできた3年~5年の経験はエンジニアとしての開発スキルではなく、
開発できない35歳、
これが現実です。
なので、本当にエンジニアを求めている企業は中途採用での未経験は取りにくいのが現状です。
でも、中には頑張って努力をしてくれる方ならと年間2~3人中途未経験を採用している企業もあります。
そんな先が見つかると良いですね。
と言いつつも、知ってか知らずかわかりませんが、
年間5名ほどの方は未経験採用していないのを承知で応募させて欲しいと言ってこられます。
お互いのためこれだけは決めている事です。
『何が何でもエンジニアになってやる!』
『仕事だけではなくプライベート削ってでも勉強して1日も早く独り立ちしてやる!!』
もちろん1年以上の経験者が欲しいですが、
かつ努力ができる方なら歓迎です。
身内がコンビニ店長のワイとしてはオーナー店での深夜コンビニバイトをおすすめしたい。
色々理由はあるけど、第一に廃棄飯がもらえる点が大きくて額面給与に対して食事補助が概ね2-3万円程度上乗せされると考えて貰えたら良いと思う。
かつ深夜帯は専属で入って貰える人が少なくてそのままリーダー格への昇給が見込める。
ガチでアジア系の外人しか居ないので話が通じて真面目な日本人は経験なしでも大歓迎だろう。
コンビニ志望は学生などの一時的なバイトが多くて慢性的に日常安定して入れるフリーター不足に悩まされてるので真面目に働けば競争相手が少ない夜勤は狙い目。
深夜帯は基本1-2人で昼帯と比べると少人数で良いため人間関係にも悩まされる事は無いだろう。タワマンの前とかじゃない限り、気楽に出来る。
後はまぁ社員じゃないのでバイトってもメリットだろう。社員ほどの責任を負わなくてよくシンドかったら比較的休みやすい。バイトだからね。
一応、ステップアップとしては複数店舗抱えているイケイケのオーナー店だとドミナント戦略で新規出店時にバイトがそのまま昇格して店長になれる事もある。
身内、というか中卒の嫁はこのパターンで月30万+出来高で貰ってるので割りとアリだと思ってる。
コンビニで社員経験があれば完全自動化でも進まない限り、生涯転職で悩む事は無くなるだろう。
ただ店長になると流石に夜勤だけってのは厳しくなるというか逆に昼勤がメインになるかも知れないので択の一つとして。
もし、ご結婚されていたらコンビニで得たノウハウを持ってFCで独立というのも視野に入るかもしれない(立地次第で地獄見るのであまりオススメはしないが)
ウーバー以前の配達員だけど、一方通行なんかがあるからチャリの機動性がハンパないってのはあった
ビルの隙間入っていって、表からじゃ存在がわからない谷間にあるアパートや、一般人宅の庭に入っていって裏に回ったら階段があって2階だけアパートとか、癖がある場所は多かった
ウーバーとかの配達って、手数料分若干高くても配達してもらうことに価値を見出す人が利用しているシステムだから、食事は常に業務スーパーで安く済ますって考えの人とは相反していて、マニアックな下層の配達先は存在しない違いはある気がする
https://twitter.com/smasuda/status/1529736482797531136?t=cG0wDOuC_8WntwPOawvGcw&s=19
とは言っても俺は専門的には門外漢で資料的価値について語ることはできないので、代わりに遊びにいったときの話をする。
俺自身は声優のライブならいきます!音楽の知識はありませんという人間だから、恐らく残されるだろう数少ない楽器を見てうぉーすげー!とはぜんっぜんならなかった。
ただ、民族楽器のコーナー(こっちは残らない、下手すれば燃えるゴミになる)はすごい面白かった。
例えば管楽器のコーナー。
ミャンマーとかヒマラヤ山脈より東の地域はスラッとまっすぐな木製なんだけど、西の地域だったり北アメリカだったりは大きく反り曲がったりでこぼこしたりしてる。
これは何でかって言ったら竹が原生してるのかどうかなんだって。
地理的要因が地域の文化や文明にどう影響を与えるのかを明確に示し一望できるのはこの資料館ぐらいなんじゃないだろうか。
「まだ」HPでは資料館の紹介はされており、管楽器の展示風景も写真で確認できる。
もしよければ一度見てもらえればと思う。
https://www.daion.ac.jp/campus/museum/
ちなみに竹がない地域は骨や角から髄液を抜き取ったものを加工して楽器にしたから反り曲がったりでこぼこなのらしい、こういった話は学芸員のおじさんから聞いた。
そう学芸員のおじさん、これだけではなくいろんなことを教え、体験(!)をさせてくれた。
様々な知識を実践の中で教えてくれて単純に感謝の気持ちもあれば、あくまで自分の興味が持てる視点でしか見れない自分に当時は少し恥ずかしい気もした。
今の大学のトレンドは、官民との共同研究とそれに連なる形での実践学習だ。
「実学教育!」なんてファミマで腐るほど流れてるけどその結果がこれなのか。
俺が経験したような「実践」を、未来の音楽家たちに学んでもらう場を残すことは大きな価値があるはずだ。
また先に書いた通り音楽だけに留まらず、文化が何に影響を受けるのかを具体的に証明している証拠としての価値も非常に大きい。
最初のツイートの続きにかかれてる通り近くの空き校舎を利用することもできるはずだし、設立している豊中市は松本氏を名誉市民にするなど音楽文化に対して興味も大きい。
どのようにこの貴重な資料館をできる限り同じ形で存続していくのかについての議論を、大阪音楽大学理事の方々には深めてもらいたい。
代数学とか整数論は東大生でもかなりやっている、 組合せ論の問題は洗練されたものになってくるほど別に専門知識がなくても独自の検討で
解けてしまうものもある。一方で、平面幾何の問題だけはもうどうにもならない。
まず解いたことがない。基本的に平面幾何の問題は図を描いて説明するだけになるためなんといっても図を描くことが大事だが
補助線を引いたり、色々と難しい。
2006年にペーターショルツが解いた幾何の問題は結論から言えば解けない、 解法2のように独自の考えでベクトルを使ってシコシコ解く方法もあるが
2013年の組み合わせの問題は10人しか満点がいなかった。2011年にリサ=ザウアーマンが解いた幾何の問題は、非常に難しい。
解法1が最もエレガントだが、解法2のミケルの定理を使うのは複雑すぎる。
だよなぁ。アセンブラ が出て来ても、高級言語コンパイラが出て来ても、プログラミングの仕事が消えて無くなるわけではないし、むしろ以前より高度な概念を理解する必要になって来ているし、一方キーパンチャーのような職業は消滅した。
まあ世の中の半分はバカなので仕方ないんだけど
永遠にウダウダ言ってて、加害された!傷ついた!弁護士は二次加害してくるからブロックした!私かわいそう!みたいなの
警察に言っても過呼吸でろくに説明もできないから門前払いされてるだけなのに、警察が辛いとか言い始める
性被害の知識がないため何が性被害なのかを理解しておらず、勝手に傷ついたり自尊心を下げたりして、自分で認めたくなくて警察に行かないという判断をしたくせに後でやはり傷ついていた、時効があったとか言い始める
これで相手が悪い!周りが悪い!私は悪くない!って暴れても無理じゃない?大人しく病院行けとしか言えない
加害者が悪いのは事実だけど、被害を認識したり被害を訴えたりできない人が何かしてもらえるわけないじゃん
そりゃ無理ゲー
集約して割り振るのはね、データみたいに仮想空間とか計算上で仕分けができるならいいんだけどね
病院みたいな現実だとね、物理で窓口とか待合スペースを圧迫するの。
受付だけにしても、さばけるのは一瞬じゃなくて、一人に何分ってかかるの。
で小さい病院でいいですっていっていいのは、国家資格がないとできないの。ナースや受付の人にはできないから。
その地域の人が、最初に一通り、大病院の先生に見てもらうまで治療に進めないって、それこそ詰みだろ。待ち時間の間に死ぬわ。
そう考えるとね、一定の国家資格に合格した人しかつくれない場所にまずはそれぞれ行ってもらうのが一番効率的なの。
膨大な金と人生の貴重な時間である15歳(志す)~25歳(留年・浪人・研修修了)をそれに費やした人ってことだよ。医者の時点でもうそれが出来た人だよ。
そこまでしてやっと得られる知識と技術に頼ろうとしてることを自覚して謙虚になったほうがいいし、いいアイディアは現実に落とし込むと、もっとよくなるよ。