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TM NETWORK史上最も重要なGet Wild 10選
https://anond.hatelabo.jp/20241028143457
でブコメに
といういつものジャーゴンがついていたので、えっ、Get Wildごときで聞き分けが出来ないの?じゃあ、こっちだとどうなんだろ、とおもって書いてみたGetWild増田です。
Pizzicato Fiveは本格的にファンになったのは95年ごろだけど、それ以前も周りの友人にファンがいたり、学校帰りに当時のHMVに通っていた渋谷系世代なので基本的な流れはだいたい抑えられているはず。
こちらも選考基準は独断と偏見だが、TMと違ってPizzicatoは再結成をしていないので、歴史的には解散以降の方が長くなるので、Pizzicato Fiveとしての音源はフォローできるだけしておく。
Get Wildと違って1枚にまとまった作品集はないけど、検索すればそれなりに出てくると思うので、必要に応じて聞き比べを。
https://anond.hatelabo.jp/20241012181121
オリジナルバージョンはもともとフジテレビ系で始まった「ウゴウゴルーガ2号」のオープニングテーマとして作られた。曲名は矢野顕子からの引用。小西康陽曰く「放送が7時からだからこのタイトルを引用した」とのこと。オリジナルバージョンは実は小西ではなく福富幸宏の編曲によるハウスミュージック。とはいえ、この時期のPizzicatoの諸作はマニュピレーターとして小西氏をサポートしていた福富氏なので、他の曲とがらっとバージョンが違うわけでもない。イントロのピアノのグリッサンドのようなアルペジオや「A New Stereophonic Sound Spectacular」というサンプリングなど後々の小西氏のシグネチャーサウンドがちりばめられている。個人的にはこのバージョンのサビに使われるシンセの「テッテッテッテテーテ」という音が好きなのだが、意外と他のバージョンでは使われていない。
シングルのカップリングバージョン。音が当時のニューヨークハウスっぽい。もともとそれなりに長い原曲だがこれはさらに長く8分ほどある。1ループのフレーズを繰り返してボーカルだけ残すこのパターンはいかにも当時の向こうのR&B曲のハウスミックスって感じでかっこいい。フィンガースナップの音とか時代だなあと思う。途中からオルガンのアドリブが入って自我が芽生えたみたいな感じなのもよい。一番DJ向きなバージョンでDJミックスのCDなどにはこれが入ってることがわりとある。
「ウゴウゴルーガのピチカート・ファイヴ」が初出のリミックスバージョン。mfsbというリミックス名がわかる通り、原曲のニューヨークハウスをフィリーソウル風にアレンジ。一番生音っぽいバージョンなのとブラスやストリングスの入り方など非常に華やかなバージョンなのでこれが一番好きな人が多いと思う。「デデッデデッ」というストリングスのアタックが非常に気持ちよく、後々のカバーでも割と参照されている。原曲にもあったピアノのグリッサンド風のアルペジオや「A New Stereophonic~」のサンプリングなども効果的に使われていてこっちが原曲だと思ってる人も多そうなくらいによい。一番人気のあるベスト盤Pizzicato Five JPNにもこのバージョンが収録されている。
実はこの前後で、Pizzicato Fiveは長年共にした高浪が離脱し、小西と野宮の二人になる。それを反映したアルバムOverdozeは結構シリアスなトーンであり、そこに収録された東京は夜の七時もその不安感を反映した10分超えのニューバージョンとなった。福富がアレンジをしてるのは同じだが、なんかサウンドの取り方が日本の90年代ハウスっぽくなってる。いや日本の曲なんだが。そしてここまで書いてこなかったが東京は夜の七時は華やかな曲調のわりに歌詞はかなり冷たい都会の不安感を表したような曲なのだが、それがさらにクローズアップされたような歌詞に変更されている。正直、この曲名とメロディにこんな不安定な歌詞ありかよと思わせる。今だったら大森靖子が書きそうな歌詞。
2001年の解散時にでたベスト盤 Pizzicato Five R.I.Pに収録されたニューミックス。リミックスは小西が当時使ってたDJよしお名義でリミックスしている。変則的なブレイクビーツや不安感のあるシンセパッドを使ってたり、当時を思い返すと、小西さん完全に解散したくてたまらなかったんだろうなと思わされるリミックス。途中途中で時報の声が入ったり不穏すぎる。なんか全体的にせわしない。
ここからは解散後のカバーなど。小西氏がreadymade internationalの運営に本格化していく中で、新たなミューズとなったのが野本かりあ、というか外部目線的には、小西は本当は野宮を首にして第4代目ボーカリストとして野本を起用したかったんだけど、Pizzicatoのパブリックイメージが野宮になっていたのでレーベルなどから拒否されたんじゃないかと思えてならない。これも世相に合わせて歌詞を変えている。アレンジは前のバージョンからかなりアップテンポの4つうちになってる。このバージョンのマニュピレーターは吉田哲人。野本はもともとテクノ好きだったらしく、その意思を汲んだのかけっこうハードテクノっぽいリズム。小西はこのバージョンがお気に入りらしく、自分がDJするときはこれをかけることが多い。ちなみに故KAGAMIのリミックスもある。この辺の東京テクノ人脈とreadymade周辺はもっと接近した方がよかったと後から思う。
ソロ活動が割と自身の渋谷系パブリックイメージの再生産状態になっていたようにはたから見えていた野宮が「東京は夜の七時の盆踊りバージョンを出す」というニュースを聞いたときの、往年のファンの複雑な心境を想像してほしい。というかその企画、小西はよく許可したなと思った人が大多数だろう。俺も思った。もともと、ケイタマルヤマの「おしゃれ盆踊り」という新宿伊勢丹の屋上でやる盆踊り企画のために作られて、そこで披露されたらしい。いちおう振り付けもある。狂気か。Get Wildですら盆踊りはないぞ。まあそういったこともあるので、僕は全く聞く気が起きなかったのだが、今回の記事のためにはじめてちゃんと聞いてみるとこれはこれでよいのではという複雑な心境になってしまった。というかアレンジが良く出来すぎている。なんだこれ、モダン盆踊りの傑作かもしれない。しつこく入る「いよーっ」という掛け声が今の時代だとすゑひろがりずを想像させすぎて勘弁してほしいが。
2016年のリオパラリンピックの閉会式で披露され、ぼんやりTVを見ていた渋谷系好き中高年の度肝を抜いたカバーバージョン。椎名林檎が歌詞を大きく書き換え、編曲も行い歌は浮雲こと長岡亮介。歌詞の変更は小西と何度もやり取りしたと言われてる(含みを持たせる言い方)。東京のプレゼンテーション的な曲調になっていてかなり感動をさそう内容のプレゼンテーションだった。五輪関係は権利が色々がんじがらめらしく正式な音源リリースはない(※追記: そうだよね?配信されたという話もあるが見つからなかったので)。東京は夜の七時という曲をJ-POP史上にリプレゼンテーションした作品という点で、この曲のファン的には感謝したい。
小西が2018年に久々に野宮とコラボした少林兄弟バージョンを入れようかと思ったが、個人的な好みでこちらを。韓国人のシティポッププロデューサーNight Tempoを起用したバージョン。Pizzicato Fiveのオリジナルバージョンをしっかりと参照したバージョンで正直複雑な心境になるくらいによい。ほとんどのカバーやリミックスがmfsbを参照していると思われるのに対し、原曲を参照しているというのが興味深い。Night Tempoは言動やシティポップをめぐるあれこれもあって、あまりよく思わない人が一定数いる、かつ、おそらく旧来のPizzicato ファンにはそういう人が多そうだが、この90年代ハウスな音は原曲への深い理解があると脱帽せざるを得ない。全東京は夜の七時の中ではトップ3に入るくらい好き。
順序は前後するがなんとなくこれが最後がおさまりが良さそうなので。「井上順のプレイボーイ講座12章」に収録されたジャズインストゥルメンタルバージョン。もともと「円楽のプレイボーイ講座12章 / 前田憲男とプレイボーイズ」というアルバムがあり、それの現代版として作られたアルバムで井上順のナレーションが乗ってる。(いちおうナレーション無し版もある)軽音楽的なジャズインストでクリーンなトーンのギターの音が良い。そして気づいた人も少ないかもしれないが東京オリンピックの閉会式で使われている。つまり浮雲版と対になってる作品である。
ということで、また書いてみました。
ほんとはあと数曲(特にカバー曲でヴァニビとかを)入れたかったのですが、泣く泣く断念。
個人的には東京は夜の七時はPizzicato Fiveの曲では好きな曲としては6位くらいなので、そこまで思い入れはないです。
一切の脈絡が皆無。ネタバレも全部する。思い出した順に書く。たまに自分語りも遠慮なくしてる。全部乱文。
一応高校〜大学でずっとラヴェルを弾いていた身なので、伝記的要素を含む部分についてはほとんどが「史実により既知」であり、8割がたネタバレを喰らっている状態。その中で「例えシナリオが外れても、余程地雷を踏まない限り彼作曲の音楽がずっと流れてるっぽいからそっちで楽しめるしな」という期待半分、保険半分。
結果としては大当たりだったけど。
初っ端から病気(史実)。開始10分程度でサラッと彼のバックグラウンドとルーツのおさらい。ローマ大賞の落選。「お母様はスペイン?いえ、バスク人です」。15分で作曲依頼を受けるスピーディー加減。ラヴェルがちゃんと包み隠さないマザコン(史実)。時代設定的に正しい、遠慮のないタバコ演出。モクモクしてない時がないのでは?
音の演出。「全てがリズムから始まる(トントトトン)」がキーワードで、机を叩く指、時計の秒針(規則正しく、まるで体に染み込ませるかのような1秒刻みを60回)、教会の鐘の音、ザーザーという雨音エトセトラ、エトセトラ。猫が布を引っ掻く音、床の軋み、風、そういったありとあらゆる身の回りの生活音からすら、「音」とインスピレーションを拾おうとする彼が印象的。
何より工場の機械音、壮大で、規則正しく、統一感があって、それで彼のルーツにも関わるもの。彼のお父様は確か工場の技師ではなかったか...。
音楽の使い方、そのメリハリ。基本的に何かしらの形で音(音楽、ラヴェルが自分で弾くピアノも含)が流れているところ、母親の葬式の間に「マ・メール・ロア 妖精の国」が流れて、納棺したらしばし「完全な」無音。遺品を眺めている間とか。彼は、母親が亡くなってから意気消沈して数年間音符を譜面に置くことができなかったと聞いているので、あの「完全な無音」がそれを表しているのかも。
ちなみにこの曲は私も大好きな曲。音響の関係なのかそれとも本当に演奏がそうだったのかわからないけど、薄いシルクを何層にも重ねた向こう側から星を拾おうとする感じの繊細な音の「揺らぎ」があって、タイトルに場面にも相応しく儚くて、もしかしたら今まで聞いた中で一番好きな演奏かもしれないと思った。
あらすじの面。基本的に史実を派手に脚色したりすることのない、極めて「元ネタに忠実」で誠実なパターン。
メインキャラのミシアはラヴェルにとってのミューズ的な存在として描かれていて、まあ実際そうとしか言いようのない感じ。双方ラインを引いていて、その中でミシアは彼女にできる精一杯でラヴェルに近づいて彼の芸術を後押ししていた印象。ボレロを「良い曲だから、ぜひ外に出して」というあたりなど顕著。
ラヴェル→ミシアは、ある意味「敬虔」に近い崇拝の仕方をしていたと思う。キスじゃなくて曲を書いて捧げたいという思考回路。それが彼にできる精一杯の愛情表現?
物語の終盤で彼がミシアに「少しは愛していた?」と聞いたら「もっとずっと」って返ってきたのはあまりにも切なすぎないか。それに対して無言で呆然とするラヴェル。病気のせいもあってすでに一人老け込んでしまって、記憶障害も失語症もある中で、なんとか断片を拾い集めて、「少しは愛していた?」と問うのはミシアにとっても少し残酷だし、まあ割と「今更気がついたの?」みたいな面もある。そして「その拾い集めた断片であなたがようやく認識したものよりも、もっと、ずっと」ということなのだから。
命の終盤で知るには手遅れ感が、もう取り戻せないもののような感じが強い。
少なくとも二人は恋人になって一般的な恋人たちが踏む手順を全て踏みに行く「愛」じゃなくて、もっとこう、違うんだよね。詩的な感じがある。
あと、作中でミシア、マルグリット、イダ、マダム・ルヴロが4方向から、それぞれがそれぞれにできる「母親」的役割をしていたもの中々面白かった。
多分、一人でも欠けてたら色々もっと難しかったねと思う。作曲も、人生も。
だって、誰が「エナメルの靴がなかったら指揮できないです」ってなると思うねん。ルヴロ婦人めっちゃ爆走して靴だけ届けにきてたよ。
【ちょっと残念だったところ】
寂しかったともいう。従軍(といっても病弱により医療班・運転手)したところはしっかり描かれてたけど、それがきっかけで書かれた「クープラン」への言及が皆無。
【結局ボレロって】
作中でも「初っ端から病気」ラヴェル、病気になって体が上手く効かなくなり始めた頃に作曲した(ほぼ晩年の遺作扱い)のが「ボレロ」なのであんな真っ直ぐ空に突き抜けるような物を、あんな堂々として力強い物を、一体何を考えながら書いたんだろうってずっと思ってたら10年くらい経った気がする。
そしたら今回の映画ですわ。...って話。
大学生の時にモダンダンスの授業があって、そのレポートで私がテーマにしたのもラヴェルの「ボレロ」と作中でも踊られていたバレエだった。(もっとも私が題材にしたのはシルヴィ・ギエムのバレエなので、今回の映画内のものとは相違あるが...)(しかも「踊りだけ」に集中してレポートを書けばいいものを、余計に音楽に割いた文量が多かったために若干の減点を喰らっている。)
舞台は酒場の円卓、官能的な踊りを披露する踊り子と、周りを囲んで踊る男性たち。実際(これも映画内で言及あったが)絶妙なエロティックさがあるのだけれど、どちらかというと「存在の主張」をするかのように体を余すことなく使う振り付け(それ以前のバレエ作品というと「この世のものではないかのような舞」が多いので、その対照的位置づけとして)。
曲の音程が徐々に下がっていく箇所でも「むしろあえて」手を高くあげ、足を振り上げ、天井を見つめるような独特の「極めて原初的な生命力」のアピールを感じる踊り。スネアドラムの規則正しい音が、私たちの中にある何かを鼓舞しているように聞こえるまである。
去年、あの家を出る半月前くらい。引っ越す引っ越さないみたいな話で親と大揉めに揉めたら、仕事から帰ったあと19時くらいに追い出されて12時半くらいに入れてもらえるまで3センチヒールの靴で12キロとか歩いたことがある。(昨今話題になった狂歩に近い感覚。この場合、時間帯が時間帯なので、落ち着いて座る場所がなかったのも原因の一つだけど...)
その時、夜露が降った時間帯に濡れながら聞いたのも「ボレロ」だったな...という遠い思い出。何もかもがしんどくて仕方がなかった時に「規則正しく徐々にクレッシェンドに向かって、やがて崩壊する」音楽に救われたのは、私の人生の中で無視できないと言っても過言ではないと思う。
...夜露に濡れて、住宅地は灯りもまばらで暗くて、あんな時間帯に歩いている人なんかいなくて、ボレロがイヤホンから流れたときはすごい泣いてたけど、それでも、
規則正しいスネアドラムに引きづられるように、ヒールの靴できちんと歩いた。あの曲が最後「噴火するかのように」崩壊するのと同じように、私も「あの家の暮らしを終わらせてやる」と誓ったのを覚えている。
あれを思い出すたび、私はいつも冒頭の問いに戻る。
「病気になって体が上手く効かなくなり始めた頃に、なんで真っ直ぐ空に突き抜けるような物を、あんな堂々として力強い物を書けたんだろう、一体何を考えながら書いたんだろう。
そしてそれが100年以上経って私のような人間をある意味で救ったなら、あの曲の持つ力ってなんなんだろう」
まあ、考えながらというか...今日見た映画だと割と「メロディをふり絞ってた」けど...笑
ちなみに「同じリズムの繰り返し、催眠のよう」と映画内で言及があった。「確かに!」である。
少なくとも今日、私は「一つの解釈」を見ることができて非常に満足。
史実ラヴェル、脳の手術時に脳みそに生理食塩水をぶち込まれて四日後くらいに亡くなるわけで...。ナレ死とかやだなーって思ってたら。
手術する病院に行く車に乗り込むあたりからかかっていたのが、ボレロだった。
なんと、作中通して詩的なエロティックさ、生命力の象徴として描かれ扱われ、私たちに散々見せつけてきたあの「ボレロ」が
(本人や友人たちは知りようもないが、ラヴェルの最期を知ってる観客にはわかってしまう)死にに行く道中の、「葬 送 曲」になったのである。
「ラヴェルさん、靴をお忘れです!」「今はいいよ、後で届けてくれるかい」の会話すら、もはや「処刑場へ向かう馬車に乗る直前の風景」に見えるまである。
まさかラヴェル手術後の死に顔に登場人物たちのリフレインと一緒にボレロを聴くハメになるなんて、思ってもいないです。
最後は彼の亡霊のように、若く蘇ったラヴェルが指揮をふります。
中学部活動「ヒップホップ禁止令」生徒ら泣いて抗議 国会で論議も:朝日新聞デジタル
https://digital.asahi.com/sp/articles/ASS6B3DY5S6BULLI00BM.html
ここでコメントしてる識者も、ただ「ヒップホップ」というジャンルが禁じられたことを批判するだけで、実際のダンスがどのようなものだったか不明なところに誰も疑問を持っていないのが気になる。
高校のダンス部とかで、ヒップホップとレゲエが融合したような曲に合わせる振り付けは、かなり卑猥なものもあるんだよね。
腰を突き出して、前後に振るような動きがもう、基本になっているような。
そういうものを実際に見たならば文句を言う保護者がいても不思議はないと思うし、識者もまず実際のそれを見てからコメントすべきではなかろうか。
記事ではちゃんみなやアリアナ・グランデとあるので、そんなに官能的なものではなかったのだろうが(そもそもそれらのアーティストってヒップホップと括れるようなものか?)、ちゃんみなとて中学生がやったらけっこうエグい振り付けもある。
ちゃんみな - ハレンチ (Dance Performance Video) - https://youtu.be/SelCtJYqKSk
ちゃんみな - 美人(AREA OF DIAMOND @ 横浜アリーナ)- https://youtu.be/-pufWP99JmE
歌詞を身体表現やジェスチャーに置き換えることで、直接的なテキストの引用を避けることができます。しかし、以下の点に注意が必要です:
1. **表現の類似性**:元の歌詞が強く連想されるような表現や振り付けは、著作権の保護対象となる場合があります。特にオリジナルの歌詞の意図や内容をそのまま伝えるような場合は注意が必要です。
2. **パフォーマンスの場**:商業的な場や公の場でのパフォーマンスは、著作権の監視が厳しくなります。非商業的な場や教育目的の場合は緩和されることがありますが、完全に免除されるわけではありません。
3. **コンテキストの重要性**:具体的な文脈や使用方法によって、著作権侵害の判断は変わります。オリジナルのコンテンツを尊重し、適切なクレジットを提供することも重要です。
このように、歌詞を身体表現やジェスチャーに置き換えることは著作権の問題を完全に回避する方法ではなく、特定の状況によっては依然としてリスクが存在します。具体的なケースについては、専門家に相談することをお勧めします。
三ツ葉市のゆるキャラに葉渡賢治が選ばれた。
葉渡賢治が12,375票で1位、みつはきゅんが265票で2位、みっちゃんが76票で3位だった。みつはきゅんが三ツ葉市のゆるキャラに最もふさわしいと思ったので、葉渡賢治はみつはきゅんに投票したが、選ばれたのは圧倒的に葉渡賢治であった。そんな馬鹿なと思った。だいたい葉渡賢治は三ツ葉市のゆるキャラに立候補していない。しかし、それを言うならみつはきゅんもみっちゃんも、第4位の葉っぴぃも自らの意思で立候補したわけではないから、異議を申し立てる根拠としては不足しているだろう。第2位のみつはきゅんは緑色がイメージカラーのアニメのヒロインのようなキュートなキャラクターであった。第3位のみっちゃんは二頭身にデフォルメされた中性的なキャラクターで頭部に三箇所結った髪が三枚の葉っぱのように見える。第4位の葉っぴぃはギザギザの葉っぱが特徴の植物が地雷系ファッションに身を包むキャラクターであった。葉渡賢治は葉渡賢治だった。葉渡賢治38歳。三ツ葉市立三ツ葉第一小学校、三ツ葉市立第一中学校を卒業、三ツ葉市立三ツ葉高校入学・卒業、三ツ葉市立三ツ葉経済大学入学、大学卒業後は三ツ葉市の老舗和菓子屋・三ツ葉堂に就職、3年前に看板商品である三ツ葉大福製造ラインの責任者に就任、で今に至り、三ツ葉市のゆるキャラに就任。
市の命令で、葉渡賢治は市役所から徒歩10分の場所にある8畳1Kのアパートに引っ越しをすることとなった。他の自治体では大抵のゆるキャラは市役所の倉庫に押し込められているので、専用のアパートを与えられることはゆるキャラにとって異例の待遇である、と市の観光課の人間は言った。これまでは6畳1Kの部屋で生活をしていたので、わずかにグレードアップしたことになる。普通ゆるキャラはクルマを運転しないだろうし、ゆるキャラが交通事故で人を轢き殺すなどすればそれは前代未聞の事案で、どのように対処すればいいのか誰にもわからないので、リスク管理のためにクルマは売却が推奨され、それに従った。引っ越しとクルマの売却に伴って勤務先である三ツ葉堂への出勤が困難になったため、退職した。
就任式には何を着て行けばいいのかわからず、葉渡賢治はスーツで行った。市役所の3階。「それでは三ツ葉市の新キャラクター、葉渡賢治38歳さんです、拍手でお出迎えください」と女性の司会役が言い、俺が入室する手筈になっていた。葉渡賢治のゆるキャラとしての名前は、本名の他「38歳」まで含まれているのだと葉渡賢治はこの時に知った。つまり「葉渡賢治38歳」がキャラ名である。来年とかどうするんだろう、と思った。葉渡賢治は拍手で出迎えられ、ゆるキャラとしての葉渡賢治の姿がみなさんにお披露目された。ゆるキャラとしての葉渡賢治の姿というのは、この場合、スーツ姿の葉渡賢治のことである。昨日は髪を切り、家を出る前に入念に髭を剃り、ヘアオイルを付けて髪を乾かし、化粧水を顔に塗りたくるくらいのことはしたが、葉渡賢治が葉渡賢治であることには変わりなかった。
思ったよりも厚みのある会場の拍手の音で薄々気付いてはいたが、おびただしいカメラのフラッシュに意表を突かれた。葉渡賢治を見に来ている人がたくさんいた。マスコミとかだろうか。フラッシュの眩しさにしかめっ面になりそうになったが、そうだ、俺は三ツ葉市のゆるキャラなんだと思い出し、できるだけゆるキャラとしてふさわしい振る舞いをしようと心掛けた。少なくともゆるキャラはしかめっ面はしないだろう。そんなゆるキャラを葉渡賢治は見たことがなかった。三ツ葉市のゆるキャラに葉渡賢治が選ばれてからというもの、葉渡賢治はゆるキャラの勉強に余念がなく、大抵のゆるキャラの顔面にはうまく言語化できない愛嬌があることを発見していた。だから、葉渡賢治は笑顔とも微笑みとも無表情とも言えない、強いて言えば、いつも行っているラーメン屋でいつも通りの醤油ラーメンAセットをオーダーする時の表情(よく観察するとわかるが、殆どのゆるキャラはこの表情をしている)をして、大量のフラッシュをやり過ごした。
会場は大きな多目的室のような場所で、皆の衆目が集まる正面に、緑色背景に白抜きで三ツ葉市と書かれた市松模様の大きなボードが聳え立ち、その上に「三ツ葉市 ゆるキャラ就任式」と書かれた横断幕が設えられている。簡素な作りではあったが、今日の葉渡賢治のために用意してくれたかと思うと率直に感謝の念が溢れた。市長は既に市松模様の大きなボードの前面にいて、登場した葉渡賢治に手を差し伸べ、我々は握手をした。市長の手は大きくて温かく、焼き立てのパンのようだった。フラッシュが一層大きく焚かれる。醤油ラーメンAセット、醤油ラーメンAセットと葉渡賢治は念じて、パンのことはひとまず忘れた。マイクを持った市長が司会に促されて喋り始めた。
「えー、葉渡賢治38歳さん、今日からあなたは我が三ツ葉市をより一層盛り上げる存在として、大いに期待していますし、市一丸となってその活躍を後押しをしていきたいと考えています。よろしくお願いしますね。さて、三ツ葉市を躍進していく政策としては三枚の葉っぱがあります。昨日考えました。一枚目は教育。日本に誇る三ツ葉市立三ツ葉経済大学。ね。これがその大きな役割を担い、地域経済をますます活性化して行くでしょう。すごいですね。二枚目は産業。三ツ葉堂の三ツ葉大福がブランチで何回取り上げられたか知ってます? それはもうね、何回も取り上げられてるんですか? 三ツ葉市ってのは交通の要所ですから、お土産もたくさん売れるってもんですよ。ね。そして三枚目。それがこのゆるキャラですよ。これから、はま……、は……、はわ……、はわたり、けんたろう、だっけ? そうそう、あはは、ねぇ? ってーかビシッとスーツで決めちゃって、ゆるキャラなんだからゆるい格好でよかったのに。パーカーとか。あ、でもゆるキャラはパーカー着ないか。ね。誕生日いつ? いま何歳? あーね。そうそう、歳とったら名前の歳も一歳増やして、葉渡賢治39歳になるから。直木三十五みたいで格好いいだろ? あ、どうせなら漢数字にする?」
市長の演説が終わると、委嘱状が授与された。市長から確かに委嘱状を受け取った。酔っ払っているのかなと思ったが、その挙動は素面のそれで、特に酔っ払っているわけではなさそうだった。額縁に入っていて重みがあった。正面にそれを掲げるとたくさんのフラッシュが焚かれた。やがてマイクが手渡され、司会者が「葉渡賢治38歳さん、意気込みをお願いします」と言い、葉渡賢治が喋る番になった。何を言うべきか迷ったが、「大好きな三ツ葉市を盛り上げて行きたいと思いますので、よろしくお願いします」と言って礼をしたところ、隣の市長が「君、ゆるキャラってのは喋らないんだ。喋ってるゆるキャラを見たことがあるかい?」と耳打ちし、うっかりしていたと思った。「何かそれっぽいポーズでもしておきなさい」と市長は続け、俺はとっさに左手を自らの腰に当て、右腕を天に掲げたそれっぽいポーズをした。会場からは笑い声が漏れた。俺のゆるキャラとしてのコミカルさが会場の笑いを唆したのであれば、ゆるキャラとしての初めての仕事としては上出来だろうと思われた。やがて葉渡賢治は音楽に合わせて「みんみんみんなの三ツ葉ダンス」を踊った。ワルツだった。式典の最後で披露するから覚えてきてくれと言われていたやつで、おそらくこれも上出来だった。キャラソンで三拍子の音楽はあまりないように思われ、攻めてるな、と思った。左手を自らの腰に当て、右腕を天に掲げたポーズでダンスを終えた時、会場に迎えられた時と同じくらいの拍手の音が鳴った。
俺はこれからゆるキャラとしての自覚を持った暮らしをしていくことになる、と葉渡賢治は思った。給与は前職のものが引き継がれ、家賃は半額の補助が出る点も同様だったから、ひとまずは生活には困らないことになっていたのは幸運であった。おそらくゆるキャラはコンビニ弁当を買って食べないから、しっかりと自炊をすべきだろう。三ツ葉市を後押しするキャラなわけだから、肉よりも野菜多めの生活がいい。ゆるキャラにサプリメントを摂取するイメージはないが、活動を下支えする健康のためには取り入れるべきかもしれない。アルコールはこの際やめるべきだ。タバコはそもそも吸っていないが、タバコの原材料は葉っぱなわけで、敢えて喫煙を始めたほうがいいだろうか。いや、さすがにそれは考えすぎだ。タバコをスパスパ吸っているゆるキャラがどこにいる。夜は早めに寝て、朝は早めに起きたほうがいい。過度な筋トレはゆるキャラとしての外見を毀損するから、きっと避けた方がいいだろう。どちらかと言うと、ご飯をもりもり食べて丸々と太った方が愛嬌が出るだろうな。
初めての仕事は就任式から4日後の葉渡マラソン大会であった。パーカーを着て行った。一ノ葉町、二ノ葉市、三ツ葉市、四ツ葉町を合わせて葉渡地区と言い、一ノ葉町のいちかてゃ、二ノ葉市のにのの、三ツ葉市の葉渡賢治38歳、四ツ葉町のよもぎんが会場に来ていた。よもぎんを見るのは久しぶりだった。実は俺は小学生の頃、隣町である四ツ葉町のお祭りに行った際にたまたま会場に来ていたよもぎんを友人と共にふざけてボコボコにしたことがある。よもぎんはよもぎ団子を模した緑の丸いキャラクターで、そのふくよかな見た目は子供たちをして、体当たりをしてくれ、サンドバックにしてくれと言わんばかりのように思えた。よもぎんは複数の子供たちにもみくちゃにされながれも笑顔を保っていて、それが更に子供たちの加虐心を駆り立てた。子供のやることだったし、よもぎんは丸くて厚い「側」に覆われていたように思われたので、死活問題になるようなダメージはなかっただろうが、いま思えばむごたらしい仕打ちをしたものだと思える。
葉渡マラソン大会の会場にはキッチンカーなどが集まり、老若男女大勢の人で賑わいを見せた。マラソン大会という名のお祭りであり、我々ゆるキャラは集客のための賑やかしだろう。俺はランナーに手を振ったり、子供たちと触れ合ったりしながら、かつてのよもぎんのように四方八方からボコボコにされやしないか懸念していたが、杞憂であった。かねてより思っていたことであるが、最近の若い人は礼儀正しくて、思いやりがあり、優しい。「本当にリアル葉渡賢治だー」などと子供たちは言い、俺は求められるままに子供たちと握手をしたりした。
ひとしきりの子供たちが離散すると、大きな丸い物体が視界に入った。俺の記憶にある若々しい新緑のよもぎ色ではなく、数年に渡って浴び続けた太陽光線で色褪せ、汚れや黒ずみが目立つ、言われれば確かによもぎ餅かもしれない、という物体であった。側面にはわずかにへこみがあり、これはあの時に俺が蹴りを入れたへこみだろうか。よもぎんは俺の眼前に佇み、俺を見つめていた、気がした。実際のところは俺を見つめていたかどうかわからない。たいていのゆるキャラにはどこを見ているのかよくわからないようなところがある。何か言いたげなようにも思えたが、やはり実際に何か言いたいかどうかはわからなかったし、そもそもゆるキャラは喋るべきではなかった。やがてよもぎんは去っていった。俺の目は確かによもぎんの背を見つめていたが、何を思えばいいのかまではわからなかった。
葉渡賢治39歳は全日本ゆるキャラグランプリで審査員特別賞を受賞し、その名を全国に知られることとなった。同年、地上波テレビに初出演。つぶあん同盟という深夜番組で、芸人さんが1〜2分程度のネタをする番組だった。葉渡賢治には人を笑わせるようなネタがあったわけではないが、「おまかせで」というオファーを頂いていたので、三ツ葉市のPRをし、フル尺でオンエアされた。SNSや動画サイトでも切り抜かれて大いに拡散し、コアなお笑いファンを中心に話題になった。三ツ葉市は葉渡賢治のテレビへの出演オファーは全て受け入れ、それとは別にインターネット動画配信も精力的に行い、着実に人気を獲得していった。葉渡賢治39歳のグッズが制作され、三ツ葉駅で販売された。特にアクリルスタンドは好調な売れ行きのようで、葉渡賢治39歳を前面に押し出したパッケージデザインに刷新した三ツ葉堂の三ツ葉大福は前年に比べて売上が約25%向上したとのことである。
葉渡賢治40歳は全国を飛び回る多忙な日々を過ごした。市のPRのみならず、県や地方の宣伝にも駆り出された。グッズは39歳のものから40歳のものへ刷新され、商品数を増やしたこともあり、売上金額を更に伸ばした。アクリルスタンドの他、クリアファイル、Tシャツ、トートバッグは特に人気だった。終売となった葉渡賢治39歳のグッズはフリマアプリでプレミア価格で取引された。
葉渡賢治41歳は全13話で深夜アニメ化され、毎週のようにSNSでトレンドに浮上した。これは葉渡賢治の声優デビュー作でもある。実は葉渡賢治40歳10ヶ月あたりで極東経済という雑誌が「なぜ葉渡賢治は40歳でブームが終わるのか?」という挑戦的なタイトルで記事を出し、かなりページビューが回っていたようで、このまま葉渡賢治は終焉に向かうかと思われたが、アニメが起死回生の立役者となったというわけだ。
翌年には葉渡賢治42歳のマンホールが市内に5か所設置された。これは葉渡賢治の聖地巡礼をする観光者への秘策であった。さすがにマンホールは毎年デザインを刷新するわけにはいかないから、葉渡賢治アプリのカメラで撮影するとARで葉渡賢治の現状の歳が浮き出てくる仕様になった。就任時に動画サイトに投稿していた「みんみんみんなの三ツ葉ダンス」は葉渡賢治43歳4ヶ月の時点で1000万回再生を記録した。
葉渡賢治は45歳になり、葉渡賢治45歳になった。葉渡賢治45歳はアニメの時ほど多忙でもなく、しかしイベントに呼ばれればそれなりに盛況という、ライフワークバランスの取れた時期であった。できるだけ丸々とした愛嬌のある体型を維持しようとしていた葉渡賢治であったが、ここ最近は太りやすさを感じており、愛嬌のある体型をオーバーしているようであることが気になっていた。愛嬌とは丸々としていることであり、腹がだらしなく出ていることではないだろう。以前よりも頭髪が劇的に薄くなっているような気もしていた。
平日昼の帯番組「ひるとん」で、リリースされたばかりの新曲「三ツ葉にあつまれ!」のプロモーションのために生放送でダンスを披露することとなっていた。良く言えば安定、悪く言えば停滞していた葉渡賢治の人気を今一度ブーストするための満を持してのリリースであった。楽曲制作、MV作成、振り付けなど、「三ツ葉にあつまれ!」には潤沢な予算を投入したと聞いている。気合いを入れなければならない。
「さーて、今日は、三ツ葉市から特別ゲスト、葉渡賢治45歳さんが新曲を披露してくださいます。それでは聴いてください、「三ツ葉にあつまれ」です、どうぞ!」とアナウンサーが言い、スタンバイしている葉渡賢治の姿がモニターに映し出されたのが見えた。モニターに葉渡賢治の姿が映し出されたということは、生放送で全国のお茶の間のテレビにも葉渡賢治が映し出されているということだ。音楽が鳴り、葉渡賢治45歳は周りに従えたちびっこダンサーと共に踊り始めた。やはり子供の人気は不可欠とのことで、ダンサーは10〜14歳の男子2人、女子2人の4人であった。葉渡賢治の両隣に男女2人、後方に並んで男女2人という体制であり、葉渡賢治を合わせた計5人がステージで新曲を披露した。新曲の振り付けはデビュー作よりもテクニカルで、葉渡賢治の加齢と体重では踊り切るのが難しく、MV撮影時にはNGを出しまくり、現場はピリピリしていたように思った。葉渡賢治は醤油ラーメンAセットのことを考えながら生放送を踊り切ろうと思ったが、最近ではにんにくたっぷり餃子付きの醤油ラーメンBセットも気に入っており、迷いが生じた。曲の終盤、メンバー全員が2回転スピンを披露する箇所がある。2回転スピンとは、2回くるくるとその場で高速で回ることである。葉渡賢治はこれを苦手としていて、これがこの日最大の山場だろうと考えていた。
事件は起きた。いざ2回転スピンの場面になると、加齢、肥満、緊張など様々な言い訳はできると思うが、葉渡賢治は2回転目によろよろと右にバランスを崩した。葉渡賢治の右にはダンサー最年少である10歳の女性(本名非公開)が配置されており、不覚にも葉渡賢治は彼女に激突、葉渡賢治は彼女に覆い被さるように倒れ込んだ。この場面はSNSや動画サイトで切り抜かれて大いに拡散し、ネット民による数々の自発的な検証が行われ、「葉渡賢治の右手が女児の胸を掴んでいる」「葉渡賢治の唇が女児の首すじに触れている」「葉渡賢治の右膝が女児の脚と脚の間に入り込み、女児は開脚を余儀なくされている」「葉渡賢治の汗とよだれが女児の衣装に付着している」「葉渡賢治の息はにんにく臭そうである」「それ以降の女児の泣きそうな顔は見ていられない」「それでも最後まで踊り切った女児はプロ」「人生で一番気分の悪いものを見させられた」「葉渡賢治とかいうセクハラ野郎」「犯罪者」「消えろ」などという書き込みがあった。
どのゆるキャラにも否定的な意見は最低一つはある。養老塚市のよろよろには「どんくさい」、木宮町のきのやんには「アドリブが効かない」、千脈市のちーおには「正面を向け」など。しかし、彼ら/彼女らゆるキャラがいちいちSNSをチェックしてそれらネガティブな意見を閲覧して真に受けているようには思えないし、何しろ彼ら/彼女らにはゆるキャラという「側」が鎧のように装着されているように思われ、その無機質な「側」がダメージを吸収あるいは反発して無効化しているように葉渡賢治には思われた。その点、葉渡賢治はそれら誹謗を生身で受けざるを得なかった。葉渡賢治は葉渡賢治それ自体がゆるキャラだったからである。葉渡賢治はSNSはもちろん、ニュースサイトのコメント欄、匿名掲示板への書き込みなど、自らへの誹謗中傷を全てチェックした。なくなった仕事の退屈を埋めるように、まるでそれが葉渡賢治の仕事 Permalink | 記事への反応(1) | 17:38
岡崎律子を知ってる人は多くないとは思うけど毎年この時期になると思い出してしまう。
そのうちどこかの記事にまとめるかもしれないけどそうなっても許して欲しい。
2004年3月17日に彼女がリーダーをしていたメロキュアのベストアルバム『目処ディアスハードキュア』が発売された。
彼女の作る楽曲、歌声は俺の荒みきった心にスーッと染み渡る即効性があった。
本当に生活や世の中への不安を共感してもらえたような気持ちになれた。
CDが発売されてかしばらくしてストアイベントをやるとの告知が出た。
たしか突然だったと思うけど当時飛ぶ鳥を落とす勢いで調子にのっていた俺は
「こういうのは発売前に告知しろ!コロムビアは常識が無いのか!?」
「もうアルバム買っちゃったしどうすればいんだ!」
などと思ったのかもしれない。
渋谷のHMVでのイベントはアニソンには似つかわしくない場所だよなと感じたのは覚えている。
そもそも当時44歳の彼女は表に出てくることはほとんど無いのだ。
俺は勇気を振り絞ってヤングの街渋谷の領域に行く決心を固めた。
今にして思えばこれは虫の知らせだったのかもしれない。
イベント当日の2004年4月6日渋谷に場違いな俺、いや、俺達は100人くらいだったと思う。
HMVのCD売り場にちょこっと作られたイベントスペースに集合させられた。
表現は悪いかもしれないが、ソーセージの試食や半額弁当に群がるハイエナの如き様相だった。
ハイエナ共を囲った鎖の外には望月久代も来ているのも確認できた。
明らかに業界人じゃないし通りすがりの一般人でもない普通の人が何人か認められた。
この時受けた感銘は一生忘れることはない、し、この気持に異論を唱える人は誰ひとりいないと思う。
彼女は『ふたりのせかい』では振り付けまで披露してノリノリだった(この振り付けはこの楽曲を耳にするとついやってしまうくらいお気に入り)。
MCでは(別に嫌というわけじゃなかったけど)はしゃぐ彼女と、イメージとの違いに若干の違和感はありました。
相方の日向めぐみも「リーダーはしゃぎすぎだからもっとおさえて!」と訝しげにしていた。
握手会でも彼女は丁寧にコミュニケーションをとっており、日向の流れ作業とは本当に対象的だった。
ものすごい牛歩だったけど、そろそろそのくらいで!とか声を荒げるスタッフはいなかったのも印象的だったな、やるじゃんコロムビア。
そしてそれは突然訪れた。
イベントから1ヶ月後の2004年5月12日に彼女の訃報が読売新聞に掲載された。
俺達は知るすべは無かったかが2004年6月6日の読売新聞の追悼渉によると1年ほどの闘病生活だったそうだ。
2003年の5月に胃ガンと診断され翌月から入院、病室にキーボードを持ち込みでクリエイティブ作業を継続。
(ちなみにこの記事に掲載された彼女の写真は2004年の3月に撮影されたものであった…)。
日向めぐみ、望月久代の「なんて目をするんだ…」という様相は俺達に向けられた侮蔑の眼差しではなかった。
場違いな普通の人たちはケアマネさんかもしかしたら医療関係者だったのかもしれない。
このような状況下で『メロディアス・ハードキュア』は造られ俺達に届けられたのだ。
突然のイベント告知は彼女の体調次第、おそらくは彼女がわがままを押し通したのだろう。
正確なところを知るすべは無い…しかし俺は感じ取ることは出来たのだ…
2023年を振り返ると桜月の出来が良かったことが一年の弾みになったんだろうな、あれで運営も行けると思ったんだろうな、と納得できる。
表題曲はスルメで聴くほどに泣けるし、アニラでも良い位置で歌われてた。
Coolはmvの完成度が高くてキャラの派生ビジネスにまで結びついた。
無念ももしかしたら真実も出色のクオリティで、3rdツアーの充実に貢献した。
夏の近道は言わずもがな、3期躍進のスプリングボードになった。
Liarはまあ笑。
これで他坂との差別化、というか棲み分けを固めて、欅回帰と言われかねない路線にもズイズイと進んでいけたのだと思うと、やはりナスカ神。
あとリリース時のミニライブ見返すと桜月のラストがれなぁが一人上手に歩き去る振り付けになってて、これが更に哀愁を醸し出して良かった。
昨日子ども連れて「くるみ割り人形」を観に行ったの。好きなんだよ、クリスマスの「くるみ割り人形」。色とりどりのチャイコフスキーの名曲に合わせて、エレガントからキュート&セクシーまで幅広い衣装とゴージャズな舞台装置、それにロビーを埋め尽くすバレエ少女の数々!みんなが幸せに暮らしているんだな〜この世は素晴らしいぜああ生の喜び!って錯覚できるじゃん。劇場の外はGAZAとか温暖化とか汚職とか炊出しとかデフレとかポイ捨てとかパワハラとか首切りとか胸痛むことばかりなのに、「くるみ割り人形」を見に行けば何も考えずに心を踊らせる体験に浸れるから、好きなんだよ。
でも、今まで特定のバレエ団のくるみしか見てこなかったから、噂には聞いてたけどこんなに解釈と演出と振り付けが違うなんて思ってもいなかった。出産前に観ていたバレエ団のくるみは、ねずみも子役も子供がやってるハートフル系でヨタヨタ踊りも「ん〜かわいい!」ってなるやつ。話もほぼ絵本通りのベーシックな、ドイツの貴族のクリパで魔術師風味のおじさんがアグリーなくるみ割り人形くれるけどウェルカムな少女クララはいい子だねってことで小さくなって夢の国にレッツゴー。最後は目覚めて、夢を見ていたの…わたし?トウシューズ抱きしめエンド。安心安全安定のくるみ。
今回初めて観に行ったバレエ団のくるみ、メッセージ性が強すぎ。こども向けだったから踊りにナレーションで解説が入るんだけど、クリパの主催者が少女クララになってるし、そもそもクリパじゃなくて大戦後に行方知れずと成り果てた一族友人が身を寄せ合って慰め合うための慰労会なんだって。戦争で死んだ知人空似の顔人形を両手に持って大広間で踊る人々。それもうパーティの面影消えて葬式の亜種じゃん。お菓子の国で出会う、チョコレートのスペインの踊り、お茶の中国の踊りも、完成された素晴らしい音楽をバレエの幅広さを感じさせるキュッとしたキャラクターダンスで見せてくれる最高の場面なのに、随所に挟まる「この踊りはクララの心の強さを表しています」のナレーション。表してないから!そのコサックダンスは人の心とか表さないから!強いて言うなら大麦糖の美味しさを表してるから!ドロッセルマイヤーおじさんが子どもたちにねだられて出す機械仕掛けの人形の踊り、これも息を呑むような幽玄な踊りなのに、「あっ!これは行方不明になったトレバー!こんなところにいたのね」とかナレーションがついちゃう。戦争で行方不明になった友人が機械仕掛けの人形になって帰ってきたら嬉しいどころかホラーじゃん。極めつけはネズミの王様対くるみ割り人形のたたかいの踊りに被さるクララの心情代弁風ナレーション「戦争はやめて!」。その直後にくるみ割り人形サイドを名指しして会場の子供の声出しを煽る「みんなもクララを応援して!がんばれーがんばれー!」って何?戦争やめさせたいならワンサイド応援させんなや。世相反映しすぎ!非戦のメッセージが強すぎ!調べたらリーマン・ショックのあとからこの演出やってて東日本大震災で死者追悼風味が増したらしいけど、暗い世相を夢のバレエに何で反映したのさ。最後に、逃げるように会場を後にする友人知人と今生の別れをキメるクララ、馬車に乗って立ち去るドロッセルマイヤーおじさんにすがりつくも振りほどかれ門は閉まり瀕死の白鳥みたいに泣き崩れるクララ。S席買って、絵本と紙芝居であらすじ確認して、楽しみにしてきた我が子、全体の悲壮さにポカンとしちゃってたよ。なんでこの演出で10年続いてるの?これ好評なの?終幕で舞台にどーんと出てくるメッセージボード「wish happiness for all people everywhere.」、分かるよウクライナやガザの事考えたら貴族のクリパ観に来てる場合じゃないって思っちゃうよね。キリスト教の博愛精神でより恵まれない人に愛の手を差し出すべきって日だよねクリスマスは。でもこっちは2万払って家族連れて遠くまで夢見に来てるんだよ、非戦は他所でやってくれ!せめてパンフとWEBに独自解釈書いてからチケット売り出してくれ!
これ本当は団員の中にもこの演出どうなの?クリスマスに商業的にやるには偏りすぎてない?って思ってる人がいるでしょ、でもそれ表立って言えない雰囲気なんでしょ。コールドの振りが揃ってないなーとか上手い人はいても脇役やってるぞ?とかカーテンコールそんな回数求められてないのにまた幕開いたぞ?とか、きっとこのバレエ団は自浄作用も客観視してくれる存在もいないんだなと思うと、期待外れだった怒りと閉鎖的な組織の成果物見せられた胸糞悪さでダッシュで劇場を出ました。ていうか、私が観たのは一体何だったの?
誰か、来年のクリスマスに子供を安心して連れていける、夢のようなショーを知ってたら教えてください。もしくは他バレエ団のくるみの様子を教えてください。
以下は、自分が把握している範囲の裏紅白歌合戦2023元ネタ。面白さを解説しているものではないことに注意。
(続く)
先日先行上映が始まったシャニアニ
私は現行ミリオンライブを追っているミリPであるが、シャニマスも2年ほどかなりのめり込んでやっており、アイドル園田智代子と放課後クライマックスガールズというユニットを愛しているため、初日の朝8時、劇場へ視聴しに行った。
ここから数行は本筋とは関係ない私の感想であるため読み飛ばしてもらって構わない。
視聴した感想だが、今は半引退状態だがシャニマス熱を再燃させられる、そんな良いアニメだった。懸念していたCGも本編と劇場スクリーンで見る限り、さほど違和感なく見れ、アクションシーンやライブシーンなどダイナミックな動きも多く、見ごたえがあった。
よく比較対象に上げられるミリアニについてだが、2Dになるべく近づけようとする作風であるミリアニと、3Dの良さを生かしたシャニアニという感じでどちらが良いとは一概には言えず、好みによって別れる、そんな出来となっている。
原作を準拠したキャラデザに、人数を絞ったおかげか衣装差分も各キャラに複数あり、汗をかいた時や雨に濡れた時の髪の毛差分などモデルは凝っている印象だ。
だが横顔の描写が時々怪しいときがあり、観客モブのCGもザ・ポリピクといった感じであまり出来は良くない。しかし、それを含めてもCGアニメとしては中々高クオリティとなっている。特にライブシーンは各アイドルの個性が振り付けに現れており、音響も含めてかなり良かった。
ストーリーもシャニマス初期の空気感そのままを上手く表現しており、ゲームのイベントコミュに近い感触を受けた。
クスリとなるような細かい小ネタ(飲み物がシャニマスのスタミナ回復アイテムであるソーダになっていたり、千雪のダンボールから雑誌、”アプリコット”が出てきたり等)も多く、カードイラストの再現のようなカットや表情も複数あり、既存ファンからしたら憎い演出だろう。
ユニット単独回もそれぞれクオリティが高く、好印象。個人的にはMVの撮影やトークショーでの姿などライブ以外でのアイドルのお仕事風景をじっくり見ることができたのが嬉しかった。
また推しびいきではあるが、放課後クライマックスガールズ単独回である4話は特に良く、終盤のヒーローショー、ライブシーンでは思わず手を強く握ってしまった。
総じて、元シャニPである私からするとかなり満足度の高い作品であり、2章以降も行きたいと思うような作品であった。(感想ここまで)
ではタイトルにも描いた通りなぜ感想が賛否両論で両極端になるのか、それは”あまりにシャニマス初期のコミュの雰囲気をそのまま映像にしてしまった”のと”新規視聴者にはあまり優しくない内容だった”からだ。
まず前者に関して、そもそもシャニマスのシナリオが評価されだしたのは今回シャニアニに登場していないストレイライトやノクチル等の後発ユニットがゲームに登場し始めてからなのである。
飽くまで筆者がプレイしていた時に抱いた印象なので、話半分で聞いてほしいが、後発ユニットが登場するまでの一年間のコミュは後発ユニットが出てからの所謂”攻めた”内容の話でなく、かなりゆっくりアイドルの人間性や関係性を描写していくものだった。
後者の新規視聴者に優しくないという点にもつながるのだが、それからの個別コミュやイベントコミュをしっかり視聴している既存Pなら十分楽しめる内容ではある、が言ってしまうと少し冗長なのである。
後発ユニットも初期ユニットと同じ数に増え、再序盤から刺激が強いコミュを見てきた2年目以降のユニットが推しのPからしたら初期のゆったりとした雰囲気流れるコミュは少し物足りなさがあるだろう。
今のコミュを見て期待したら思ってたのと違うといった感じか、これが1、2年目に放送されたアニメだったらもう少し評価は変わっていたであろう。
そして後者に関して
感想にも書いた通りユニット個別回はクオリティが高く、ミリアニ7話、8話やアニエムのユニット個別回と遜色ない出来だと思っている。
ではなぜ新規視聴者に優しくないのか、それは各ユニット個別回が正確に言うとイベントコミュの”2話目”に該当する話だからだ。
もちろんそれ単体で話は成立しているものの、アルストロメリアの最初のお仕事、放課後クライマックスガールズの合宿などアニメ作中で語られるのみの”1話目”が意図的に抜かされている。
ではその”1話目”がどこにあるのか?既存Pならご存知だろうが、各ユニットのゲーム内最初のイベントコミュにそれが該当している。
なのでゲームをプレイしていない新規視聴者には存在している”1話目”が把握できておらず、評価が著しく下がってしまったのではないか、と考えている。
なぜこのような構成なのか?恐らくだが近々リリースされるであろうシャニマス初の音楽ゲームである”シャニソン”が関係していると思われる。
シャニソンのリリース日は1月あたり、それに対してシャニアニの放送日は来年の4月、3ヶ月の空きがある。
シャニソンで入った新規ユーザーはそれぞれ気に入ったユニットのイベントコミュ"1話目”を見て、それからシャニアニを見る。そういう流れを想定しているのではなかろうか。
またシャニアニからシャニソンに触れる新規ユーザーもそれぞれ各ユニットのイベントコミュ"1話目”を見ることができる。シャニソンがある前提の作品なのではないかと感じた。
そう考えると内容がシャニマス初期に近い雰囲気なのにも多少納得がいく。
長々と書いたがある程度前提知識がいる作品で且つ今と少し違う初期シャニマスを再現した雰囲気の作品なので感想が両極端になるのではないかと思った。
しかし、今回単独回がなかったイルミネーションスターズはイベントコミュ"1話目"になる話を幕間で描写しようとしているし、まだ全体の3分の1しか公開されていないので作品そのものに適性な評価を下すのは難しいと思われる。
2章以降の展開に期待したい。
・悪くはない
おもしろくなくはない。
少なくともクソ邦画見たときみたいに時間全部返せとは思わなかった。
正直、キャストの一部は滑ってると感じた。
オチはクソ。
地獄の花園は「OL派閥もの」と「ヤンキー漫画」を悪魔合体したような作品で
「これ、ヤンキー漫画によく出てくる〇〇なやつだ~」
みたいなのを、全部セリフで説明してくるんだけど、これがすげーウザい。
映画はさ、映像のメディアだから見てれば「あ、これヤンキー漫画のやつだ」ってわかんのよ。
バカリズムはフリップ芸的な静的な笑いから来てるからかわからんけど、
見てれば全部わかることを追加でセリフでしゃべらせてしまうのは本当に止めてほしい。
そこを含めてギャグなのかもしれんけど、ただただウザったいし、
素直に洗練されてねーなって感じになってるのがイタい。
ただ、ヤンキーみたいな見た目の女性がコント「OLの日常」みたいな会話をしてるのは地味に好き。
この辺はバカリズムの強み出てたなと思った。
昔、バイオレンスアクションをバカクソDisったときにも書いたんだけど、
アクションを真面目にやれよ。
主役の永野芽郁は実は喧嘩が超強いという役どころなんだけど、キック一つとっても
常に足が曲がっていて「こんな奴が強いわけねーだろ」としか思えない。
パンチも腰が入ってないし、強さに説得力がない。あんなフォームで人殴ったら手首折れるわ。
カンフー・ハッスルよろしく敵がポーンって飛んで行ってもそれは視覚的に強さを見せることにはならない。
ジョン・ウィックにハル・ベリーが出た時だってハルはキアヌお気に入りのコンバットスタジオで
実銃バカクソ撃ちまくってタクティカル指導もめちゃくちゃ受けてちゃんとアクションしてたぞ。
ハル・ベリーくらいの出演料もらってたらそれくらいやりますわ!って言われたら、まぁ、
るろうに剣心とかキングダム、ハイローみたいにアクションちょっと頑張ってる作品も増えてきてるのに
アクションが大事な作品にこんな素人女を素人のまま連れてくるの、やっぱよくないと思うんだよ。
マトリックス撮るときにキアヌは1年半くらいカンフーの修業したらしいよ。
30代女だけど私も似たような経験がある
中学生の時、学校の出し物で当時大流行していた青春アミーゴをクラスのみんなで楽しく踊って撮影して上映会をしよう!っていうことになったんだけど
女子で振り付けをまったく知らないというのは私と生徒会長のたった2人で
頭脳明晰で運動神経抜群の生徒会長はすぐさま振り付けを覚えたけど私だけ何回やっても覚えられなくて当日涙と鼻水を垂らしながらぐねぐねと奇怪な動きをすることになった
私が小中学生の時ってジャニーズに興味がないのは私みたいなアニメばかり見てるブスで根暗なキモヲタかスポーツに打ち込んでる爽やかボーイッシュ女子くらいで
普通の女の子らしい女の子(流行に敏感でおしゃれ、コミュ力高い)はジャニーズが好きなのが当たり前で共通言語であり
その共通言語を持たないのであればスポーツの成績で尊敬されるとかそれ以外に誇れるものがないとクラス内で最下層に所属することになるっていうイメージだったから
最近「弱者女性の趣味と言えばジャニーズ」「ジャニヲタは弱者女性」「鉄ヲタの対義語はジャニヲタ」みたいに言われてるのを見ると
ええっ!!?ジャニーズと言えば強者女性の趣味では!!?と驚いてしまう
どこかでターニングポイントがあったのだろうか?K-POPの影響?
小学校5、6年の時、クラスの出し物で男子全員で光GENJIの曲に合わせて踊らされた。
振り付けや並び位置(配役)は女子のカースト上位の何人かがディレクションした。
20人弱いた男子のうち、俺はもちろん端の端で、本番の講堂の舞台では左右にある幕に隠れて見切れるような位置で、モブらしいいてもいなくてもいい踊りをしていた。
ディレクター女子ズは自分たちが配役して真ん中に据えた7人しかほぼ見てないので、踊りの下手さで怒られたりはしなかったが、
踊りたくもない踊りをさせられてどこか辱めを受けているような感覚はあったし、
女子による圧倒的なルッキズムでの男子の順位づけを目にしたし、
今でもこうして覚えてるってことは、俺にとってそれなりに心に刻まれた出来事だったんだろう。
あの時の不愉快さ、理不尽に晒されている怒りは、仕切っていた女子への憎しみは、当時はさほど強烈なものではなかったが、今でも思い出せる感覚だ。
あれは加害だったなと、今となっては思う。
【追記】
追記しとくかー
タイトルが釣りであることはすみません。でもこのタイトルじゃなかったらこんなには読まれなかったんだろうなと思う。
まぁ読めばわかる通り、幼い女子からキツいルッキズム差別をくらったってだけの話だが、
おんなじような体験した人いんじゃないかなーって思って書いてみた。
年齢をみんなが気にするのが不思議だけど48です。
人口の多い年代なんでここにもそんくらいのオッサン多いやろうと思ってたけど。
ゴリけんっていう(不細工ということにされてる)芸人が、小学生の思い出として
「好きだった光GENJIの振り付けを覚えて学校で踊ったら、『町田くん(ゴリけんの本名)は光GENJIを歌ったり踊ったりしないでください』と女子に泣かれたそうな。そんで学級会にかけられて、町田はみんなに迷惑かけたのを謝れと先生に言われた」と。
芸人なんで話は大きくなってるんやろうけど、大なり小なりこういうことってあったんだろうな。
男も女も傷つけ合うのはお互いさまなんちゃうの。
2022年、ロシアのウクライナ侵攻直前のオリンピック。ドーピング疑惑で世界の敵になったカミラ・ワリエワが私の推しだった。
多種の四回転ジャンプを難なくこなし、なおかつそれが難しいということすら理解のできないたおやかさで着氷する。それはあたかも高難易度のジャンプすらバレエの振り付けのひとつのようで、優雅でスムーズ、フリーレッグや手先まで極めて丁寧な演技をする推しは、誰にも勝てないと他の選手や他の選手のファンを震撼させるという意味で「絶望」と呼ばれていた。
彼女にはすげえ身体能力で軽々ジャンプを飛べる以前に、幼い頃から体に染み込んだバレエの素養がある。だから例えば彼女が20代後半まで頑張れたら、あるいは女性版羽生結弦のようになるのではないかとワクワクしていた。
そのとき私の推しはまだ15歳、リンクでは皆を容赦なく絶望させていても、エテリチームの妹みたいな可愛い少女だった。アジア系の少数民族の血を引く顔立ちは日本人好みのする愛らしさで、チームの先輩がおみやげに買ってきた日本アニメのぬいぐるみをずっと大事にしている、そんな子だった。
でも薄々は気づいていたような気がする。推しのリンクメイトがいいサプリを知ってから調子がいいのという発言をして周囲が血相を変えたりしたことはある。
それでもドーピングのことが報じられたときに耳を疑ったのは、どこかでエテリコーチは本当はいい先生であってほしいという願望があったからだと思う。
推しがグルーミングされているとき、ファンもまたグルーミングされているのだ。
実を言うとこの件のずっと前から、エテリコーチはスケートファンの嫌われ者だった。彼女に師事するロシア選手が好きな私たちも、エテリの指導方針のことは快く思ってなかった。ドーピングは陰謀論交じりの疑惑にすぎなかったが、児童虐待としか思えないウェイトコントロールが横行していることはみんな知っていた。選手本人がどれだけ私は頑張っているかの自慢として、ほとんど空気しか食ってないような食事内容を暴露しているので。
でも水で太る体質なので水さえも制限されているというインタビューにざわめいた後に、まともに食っているチームメイトがいて「揚げ物を制限されちゃった」とかいう比較的まともそうな制限の話をしているのを見ると「なんだー。それぞれの体質や性格に合わせて厳しい制限される子もいるだけで、自分でコントロールできる子はちゃんと食べてるんだね」と思っちゃったりする。
エテリはスケートのことしか考えてない使い捨てだという愚痴ツイートの後に、エテリコーチは選手に常々「私たちはスケートをしていない人生のほうが長いんだからよく人生設計と健康を考えて」と言い聞かせているほっこり話が流れてきて「なんだー」と思っちゃったりする。
頑張る推しを肯定すればするほど虐待に加担しているなんて、そんな事実に耐えられるほど、普通のメンタルは強くないのだ。コーチ陣と仲良しの写真や記事を見ればやっぱり「厳しいけど個々に合わせた指導をしてくれる名コーチ」「お母さんみたいな人」という言葉を信じてしまう自分がいる。そのソースを集めてきてしまう自分がいる。
1kg体重が増えればバランスが崩れて今までできていたことができなくなる競技だ。やりすぎだが必要ではある、という気持ちもあった。1kg増えるだけでできないとか、そもそも四回転ジャンプが飛べなければいけないということ自体が呪いだとは言えるだろうが、その「たかだかジャンプ」のために15年生きてきている人間を前になんでそんな残酷なことが言えるのかという感情もあった。
ちなみに私自身の立場としてはドーピングには強く反対していて、はっきりとドーピング反対とエテリチームへの批判を何度もツイートしているし、そういうツイートにたくさんいいねを押した。RTした。それはあたりまえ。
児童保護の観点とか、医学上の観点とか、まっとうな意見ばかり支持していたいけど、そればかりじゃない。もともとロシア女子のアンチだった人とか、なんとなく男子のトップ選手を超える身体能力を持つ女子選手が実在することが気に入らない人とか、とにかくロシアという国を馬鹿にして日本すごいということが言いたい人とかが、あることないこと言ってくる。そもそもロシアのスケートを推しているお前らには芸術やスケート鑑賞のセンスがないとまで言われる、オリンピックにしかフィギュアスケートを見ない人に。ジュニアから見てきた15歳の女の子に向かって、炎上している女になら何を言ってもいいと思っている人たちのセクハラまがいの発言や画像貼りが投げかけられるのもつらかった。ドーピング検査がシロだから何の問題もなく出場してるはずの他の選手まで、女子の筋肉じゃないから筋肉増強剤だとかいやいやむしろ実は女じゃないんじゃないのとかまで悪口を叩かれた。
果てはスケートの有識者ですロシアの有識者ですという人までが酷い陰謀論で記事を書き始め、それが良心で拡散していく。例えば「ロシアのスポーツ選手は貧しい少数民族から人身売買同様にモスクワに出されてきて家族は逆らえない」みたいなやつとか、当時の採点基準でなんにも問題がないスコアを出してきて「ロシアには採点の忖度があってやたら高得点な選手は真っ黒」とか言い出すやつとか。
推しがそんなデマで侮辱されているのが嫌で訂正しようとすると、ドーピング擁護派のほうにカウントされる。なんだこれ。ポジショントークで気持ちよくなってんじゃねーよオッエー。
ちょうどエテリチームの他の選手がドーピング検査をスルーしようとした話が聞こえてきたこともあり、ジャニーズ報道とそれにまつわる意見を見てたら、なんかあのドーピング事件のお気持ち長文を書いて吐き出したくなったのでした。
きっとジャニオタさんの中にはあのときの私みたいな気持ちになっている人もいるんでしょう。
反発するジャニオタさんにそんなに推しが見たいのか自分の欲望優先なのかという言葉が投げかけられているけど、私の身の回りのジャニーズ好きな人でジャニーや会社の対応に憤ってない人はいないです。
ただただ推しやファンにかけられたグルーミングに苦しんで、これ幸いと推しに投げかけられるデマやセクハラに苦しんでおられるんじゃないでしょうか。
でも駄目だ、ああいう児童虐待がシステムになってるところって解体しないと終わらないんだよ。ジャニーとかエテリとかだけ消えても。
あの次のシーズン、暗い怒りと挑発の表情でメディア批判のプログラムを滑ったカミラワリエワの目を忘れない。あれをまんまと国内プロパガンダに利用したロシアを許せない。あちら側に行ってしまった推しと画面越しに目が合って、その瞬間の焦げつくような怒りと絶望をどう言い表したらいいのだろう。
私の推しを搾取していたのは国だけど、ジャニーズは企業なんだからなんとかなるでしょ。解体されてほしい。
ただ、CM降板の企業はちゃんとこれはタレントに対してではなく「ジャニーズ事務所という組織」に対する抗議なんだと表明して不採用にしたほうがいいと思うな。
https://news.yahoo.co.jp/articles/76e97329d9e950b9a3b32d23a1595e89e579ad9f
Newjeansをマリトッツォとかなぁぜなぁぜ扱いしているところがまず誤解です。
正直、あたしはニュジが日本の若者に流行ってるかどうは知りませんけど
去年デビューしてからというもの、とっくに世界で評価を得ています。
日本のおじさんが注目したからって廃れるような「ブーム」ではありません。
aox 毛がめっちゃ長いですね
一定期間活動してから次の曲に向けてまた潜伏というのを繰り返します。
その都度、ヘアメイクを次のコンセプトのものへチェンジするので
triggerhappysundaymorning K-POPのアーティストって性的を売りの一つにしてんじゃんよw 単におっさんがキモイって差別したいだけでしょ?いやま、おっさんは当然にキモいのだけれども。
じつは韓国のファンダムは「性的」という部分に関しては繊細なほど敏感で
よく性的な振り付けが問題になって禁止になったりしていました。
Newjeansに関してはデビュー当時、「幼すぎる」と批判がありました。
このENCOUTの記事があえて煽って書いているだけで
発端となったTweetは「特定の人物に向けて言っている」と明言しており
https://twitter.com/suruli/status/1693184305382724028
https://dinvia.diary.to/archives/22104716.html
K-POPのアーティストやファンを見下していた宇野維正なる人物が
「NewJeansサイコぉ~」「NewJeansの3年後を想像したくない(ドヤ)」
と急にマウントを取り始めたためK-POPファンダムが困惑したという一幕があったようです。
そのような前提があっての今回の一連のTweetを「ENCOUT」というイナゴメディアが
いかにもおっさん叩き、新参叩きという感じで煽り立てて書いてしまったというのが現状です。
(勿論、発端となったTweetも決して褒められた表現ではありませんが)
sekiryo おじさんという物に穢れと蔑視を付与して叩いて快感を得てるんだから若い女性に性的な眼差しを向けると主張している事とやってる方向性は同じだよね。「おじさん」の性的消費じゃん。
metaruna 今の世の中で唯一叩いていい存在、それがおじさん。かわいそうランキングが低すぎる。なのにいまだに父権社会とか事実無根のいちゃもんつけられて叩かれる存在、それがおじさん。
dusttrail 子供(最年少は15歳)をエンタメ消費する時点で誰しもが目糞鼻糞ではないの?そんな、「私の消費は良い消費、おじさんの消費は汚い消費」みたいなこと言われても。
したがって、このような「おっさん叩き」と受け取ったコメントは誤解です。
また、以下のような「新参叩き」と受け取ったコメントもすべて誤解です。
doksensei なんというか、全てのファン/オタクはアル中(アルフィーファン)を見習え、と思うな。新規いつでも大歓迎!みたいな懐の広さと柔らかさがある
zubtz5grhc ルールを知らない新規と厄介な古参との対立なんてどのジャンルでもあるある。叩く対象が中高年男性ならば安心して記事出せるし絶賛される。これが女性や若者が対象だったら許されないけれど。
pitti2210 別にJ-POP知らなくてもPerfume聴いていいと思うし、K-POP無視してNewJeans聴いていいと思うけど、おじさん名乗ったり加齢を拒否するのはひたすらキモいと思った。
正直、一K-POPファンとして今回の騒動は迷惑でしかありません。
もっと言えば個人的にはべつにK-POPファンダムなんて無視して
NewJeansだけ聴いててもいいし、そんなもんは自由です。
むしろいままで見下していたものが良かったとき素直に「良い」といえるこの方は
素晴らしいと思いますよ。
napsucks ぱっと見右側の2人が等身大パネルに見えた
だから何だよw
お、おーすとらりあに同名に寿司屋があるんよ。
そこのことだから!