「ヨーロッパ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ヨーロッパとは

2018-07-20

オリンピック期間は毎日祝日にしてしまえばよい

ヨーロッパみたいな夏休みを導入して生産性欧米基準にまで引き上げよう

2018-07-19

anond:20180719172907

許すもなにも相対的経済力に劣る国には何の権限もないよ

アフリカヨーロッパ奴隷商に散々蹂躙されて未だに反撃もできてないよね

anond:20180719115518

この調子KKOと発達を排除し続ければ100年さきはヨーロッパのような美男美女だらけの日本になってる

2018-07-17

anond:20180717123335

古代エジプトだと胸に動物じゃなくて、動物のものが神だよね(セトとかアヌビスとか)

動物意匠を盛り込んだ鎧ってヨーロッパの方とかにルーツがあるのかなぁ…

2018-07-16

anond:20180716191249

そんな考えで、日本ウナギ批判しとるとしたら、実らんからヨーロッパ引っ越した方がええよ


日本は、たいがい、自分自然の上位だなんて思ってないか

からウナギ食い尽くしに批判するんやし

2018-07-11

anond:20180711122612

子供日本人盗撮されたと外国旅行サイトに書くのはどうだ?

宿で差別されてほかの客の食事と内容が違ったとかスリッパ自分らだけ使い捨てだったとか露天風呂に入るなと言われたとか

観光地外人自分らだけ別料金だったとかタクシーで同じ道をぐるぐるとかも

特定施設や宿のコメントで書くと営業妨害と言われかねないけどドコドコ地方とだけ書けば自由自在

日本掲示板でなく日本無関係でかつ日本と仲良くなさそうな国

日本から問い合わせがあっても情報開示しなそうな法人又は個人サイトで現地語で書き連ねるとその国の外人来なくなると思う

外国排斥デモYoutubeに実際の映像があるからそれと組み合わせて例えば

俺はヨーロッパで明らかに見た目欧米人なのに現地民に集団にらまれ子供が泣いたとかいろいろやりようはあると思う

まれた、ように見えた、だけならただの個人の感想だしね

2018-07-10

anond:20180710002920

かに、何をもって美しいかというのは主観的ものだ。お歯黒なんて今じゃキモイだけなのと同じ。

ただ、普遍的な美しさというのはやはりあって、客観的ヨーロッパ系の造形的美しさはある。頭の形とか、顔の彫りとか、日本人のようなガニ股じゃないとか、足が寸胴で胴長短足でないとか。

2018-07-09

医療関係者モラル - 看護師倫理教育歴史

https://anond.hatelabo.jp/20180709055614

の続き

 ダニエル F.チャンブリス著、浅野祐子訳「ケアの向こう側 看護職が直面する道徳的倫理的矛盾

 この本は、病院フィールドワークを行い患者医療者に起こっていることを目の当たりにしたことをもとに書かれています目的は「ナース日常業務の中で倫理的問題をどのように捉え、対処しているかを、詳細に、かつ弁護できる程度の一般化をもって記述すること」です。

 第1章は、「ナース世界、すなわち病院は、一般社会とは全く異なる道徳システムを持っている。病院では悪人でなく善良な人がナイフを持ち、人を切り裂いている。そこでは善人が、人に針を刺し、肛門や膣に指を入れ、尿道に管を入れ、赤ん坊頭皮に針を刺す。また、善人が泣き叫ぶ熱傷者の死んだ皮膚をはがし、初対面の人に服を脱ぐよう命令する」といった衝撃的な言葉で始まり、「一般人にとって身の毛のよだつ残酷物語もここでは専門家商売なのだ」と続いています

 確かに病院一般生活とは異なる独特の世界がありますしかし次第にそれが普通のこととして「日常化」され、業務は「ルーチン化」されていきます。チャンブリスはこの「ルーチン化」とともにナース感情は平坦化し、そこで生じる出来事に対する感受性も失われていくと述べています患者さえもそのルーチン化に含まれていきます患者は人としてではなく、一つのケースとしてしか認識されないようになるのです。その結果、ナース患者に生じる多くの倫理的問題道徳的問題認知しなくなっていくのだと分析します。

 しかし、倫理的問題こそナース積極的に関っていくべき必要があるはずです。なぜなら、ナース患者擁護する立場にあるからです。アメリカでも、アメリカ看護協会(American Nurses Association )による「看護師の倫理綱領( Code of Ethics for Nurses)」にそのことが明記されています

看護歴史倫理に関する書籍の紹介

 こういった事実を知っているかどうかで、未来は大きく違ってくるはずです。まずは、女性から看護師だから、そういった犯行は起きない、という偏見先入観を捨てる必要があります

 それどころか、むしろ看護師という職にある限り、必然的モラル倫理的に気が付けば滅茶苦茶な様態になる職だと認識し強く自覚し、教育をしていくことが必要です。

歴史の浅い日本看護職、その虚飾


 根源的には人類共通の「死と病への畏れ」があり、日本においても仏教思想的な浄・不浄・穢れの概念から科学が発達していない時代に、やはり皮膚・血や体液・死を取り扱う医師助産師看護師、洗濯、理髪は賤業と見なされていた。(ヨーロッパでも同様に血を扱う理髪師兼外科医

 それゆえ、日本近代的な専門職としての看護の始まりにおいては、やはりナイチンゲールの「白衣の天使」というイメージを輸入し、キリスト教徒信心深い修道女禁欲規律使命献身と清純のイメージを全面に打ち出し、「聖**看護学校」「聖**病院」「**マリア病院」、はたまた教会修道女の誓い(神との結婚まり禁欲貞操の誓い)を真似た宣誓と戴帽式といった、実際には看護師はキリスト教徒でもなく修道女でもないのにも関わらずそのイメージ一般大衆に植えつけ印象付けてきた。

 中身と行動が伴っていない虚飾はまったくの茶番

 問題なのは日本看護はその上っ面のイメージ形式だけを輸入し、本質的な使命と人間性道徳教育倫理観を輸入し損ねたことだ。欧米文化圏では文化的に刷り込まれているキリスト教道徳価値観倫理観すらも持ち合わせていない日本で。。。

 そもそも現代日本看護教育は、戦時中軍隊式日赤十字従軍看護婦養成伝統をそのまま引き継いできてしまったものだ。

日本では戦後長らく,看護研究に関する倫理問題はおろか,「看護倫理一般についての空白期が1980年代初頭まで続いた.かつて日本看護師には,清楚さ,奉仕精神医師への従順さ,組織への忠誠,規律と秩序の維持等の,専ら内面的な美徳を備えた者であることが期待され,それに応答することが看護倫理であった.しかし,戦後民主主義が浸透し,経済的に豊かになる中で,過去看護師像に対する強い反発と反動日本看護界に広まり,抑圧された過去看護師像を想起させる「看護倫理」そのもの敬遠されたことが,この空白の背景にあるといわれる.その結果,米国では1960年代からすでに看護研究に伴う倫理的課題に対する積極的応答が看護界全体においてみられたのに比して,日本看護界における対応1980年代中頃になるまでほとんど皆無であった.

http://homepage3.nifty.com/cont/42_2/p519-30.pdf


この時期(1951-1966 年)の看護倫理に関する教育内容は、「ナイチンゲール誓詞」などの倫理規定のほか、看護師にとっての礼儀作法、心構え、守秘義務、対人関係など、戦前の流れを引き継ぎ美徳中心であったとされる。

1967 年の指定規則改正では、看護学が基礎科目と専門科目に分けられて体系化がはかられる一方で、「看護倫理」という独立した科目は削除された・・・

この時期(1967-1988 年)には、1967 年のカリキュラム改正前の看護倫理は、看護婦としての心構えや人類愛、使命感、奉仕などの精神性で貫かれており・・・

1989 年に指定規則改正されたが、このとき看護倫理を「看護概論」の中に含むという「注」も削除された。これによって、看護倫理に関する記述指定規則から全く無くなり・・・

1996 年の指定規則改正でも、看護倫理に関して独立した科目は設けられていない・・・

2002 年に出された文科省看護基礎教育の在り方に関する検討会報告「大学における看護実践能力の育成の充実に向けて」(文部科学省, 2002)の中では、人間尊重擁護方法について「看護職者は、対象者治療及びケアを受ける過程で遭遇する具体的な場面で、常に、その人の尊厳権利擁護する立場で行動できることが不可欠である」と述べられている。また、その教育方法についても「学生自身がその意味に深い関心を持ち、看護職者が対象者権利擁護者として機能することの意義を追求できるよう、具体的な看護事象を用いた演習を組むなど、学生同士の討論や患者などの対象者などから学ぶ方法採用することが大切である」とされている。さらに、人間尊重について「対象者立場に立つこと、個人文化背景・価値信条理解意思決定必要情報提供自己決定権人間としての尊厳人権尊重インフォームド・コンセント実践支援プライバシー保護個人情報の取り扱い、セカンドオピニオンの意義などについて」と具体的に言及し(た)

https://www.osaka-med.ac.jp/deps/dns/pdf/zasshi/09.pdf

 プライバシー尊重とか超超基本的倫理についてやっとここ数年になって看護教育の課程に組み込まれただけ、以前は全くありませんでしたとか、冗談かよ、な状態

 恐ろしいことに本来あったり前の守秘義務でさえ、看護師においてはほんの10数年前まで存在してなかったというお粗末さ。

秘密の保持に関する保助看法上の条文は法 制定当時にはなかったが、平成 13 年(2001) の法律第 87 号で第 42 条の 2 として新たに追加されたものである

今の30代以上の看護世代…そしてそういう世代から教わる今の看護師達。

日弁連日本弁護士連合会)も懸念表明

 ところが,我が国には,このような基本的人権である患者権利を定めた法律がない。

そのような中で,今日我が国医療は様々な場面において多くの重大な課題を抱え,患者権利が十分に保障されていない状況にある。

...

ところが,いまだ,患者権利に関する法律は制定されていない。

...

 日本医師生命倫理懇談会による1990 年の「説明同意」についての報告も,こうした流れを受けたものではあるが,「説明同意」という訳語は,インフォームド・コンセント理念を正しく伝えず,むしろ従来型のパターナリズムを温存させるものであるとの批判を受けた。

http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/jfba_info/organization/data/54th_keynote_report3_1.pdf

看護師=モラル高い人達」という幼稚な幻想や、看護師が何か問題を起こせば「環境による被害者」という風潮を、周囲やメディアも含めて、煽り過ぎている現状があります

 今日日本では、医療現場のみならず、世間一般の中にも無知蔓延し、患者の当然の権利を「モンスター患者」の一言黙殺しようとする風潮がある、とまで言える。

続く

https://anond.hatelabo.jp/20180709080702

お前ら「サッカーで国を応援するとかダサいこれだから日本は…」

ヨーロッパさん「ウヒョー!流石我らが代表!」

お前ら「ぐぬぬ…」

なろうの異世界転生って

やたらと近世的だよね。

帝国王国など別の国なのに共通組織ギルド存在してたり常備軍があったり。

と思ったら、金貨銀貨銅貨が同じ量、流通してたり。これは、例えば銀貨10枚が金貨1枚に換算されたりするんだけど、近世ヨーロッパでは金は貴重だから金貨銅貨に換算されることはない。というか、これは日本江戸時代からきてるんだろうか。ヨーロッパ基本的銀貨がメイン。

結婚恋愛結婚があるし。

もっと中世的な世界観を書けないのだろうか。各国の連携のないギルドとか、地方領主が争い続けてて国の単位がやたら小さかったりとか、基本的ヒャッハー世界とか。

2018-07-07

anond:20180707150628

演歌は創られた伝統」というのは要するに、「演歌はニセモノの日本の伝統だ」ということですよね。

「ニセモノ」というのは、「ホンモノ」があるから成り立つわけです。ホンモノが明確ではないのであれば、ニセモノも明確ではないということになる。

だとすると、

演歌はニセモノの日本の伝統だ」という主張をするためには、

「これがホンモノの日本の伝統だ」という主張が必要不可欠なはずです。

これは正しい。

まずそもそも日本」という単位自体ナショナリズムのものといっていい。

ゲルナーは『民族ナショナリズム』において"政治的単位民族単位を一致させようとする政治的原理"をナショナリズムと捉えた。

日本の伝統と言ってしまうと必然的にそうなる。

肯定する場合でも否定する場合でも主語日本にしてしまうとそうなる。

国家及び民族主語にして語る時点でナショナリズム的と言っていい。

演歌はもともと西洋音楽から日本の伝統ではない」

ということを自明であるかのように語る人がいっぱいいるけど、全然自明じゃないです。

もし仮に、日本は古来から文化的排他的海外のものを寄せ付けなかった、とかい歴史的事実存在するのであれば、

演歌はもともと西洋音楽から日本の伝統ではない」というのは正しいと思います

でも実際には、そんな歴史的事実存在しないんですよ。

箏も三味線も、もともとは海外ナウい楽器だったし、雅楽ももともとは海外ナウい音楽ジャンルだったわけす。

仏教インド発祥だということはだれでも知ってることのはずです。

ようするに、もともと海外のもの伝統になる、ということは日本では古来から普通のことだったわけです。

というか世界的に見てもそれが普通なんですよ。


この段落は非常に雑だし、前提がおかしい。

当該社会集団が何を選択的に残し、何を排除たか。何をナウいと考え、何をダサい判断たか

その価値判断は誰によるものか。どういう思想によるものか。

そういった当該社会集団による意図的選択連続としての受容史を単なる伝播、自然淘汰と読み違えている。

インド仏教日本仏教は全く違いますよね。

また、楽器で例えるなら韓国伽耶琴と日本の琴は全く違いますよね。

ダルシマーヤンチンは全く違いますよね。

文化は伝播してもそのまま伝わるわけではなく、ある種の選択判断が生じている。

雅楽だって日本韓国昔ながらのスタイルのままだと主張しているが、実際には微妙な違いがある。

その価値判断伝統の名の下にくだすのがナショナリズム的言説でしょ。

たとえばですよ、

正月によくかかる「春の海」という曲はたいてい「伝統音楽」の棚においてあります。この曲は洋楽邦楽ハイブリッドです。形式的には完全に西洋音楽です。

から

「春の海は形式的には洋楽から日本の伝統じゃないよ」

という意見もあります。でも同時に、

作曲者バリバリ邦楽演奏家なんだから日本の伝統じゃん」

という意見もあるわけです。

で、このふたつのどちらが客観的に正しいかということを実証することは不可能です。人それぞれ価値観が違う、としか言いようがない。

いやそもそも音楽学者で《春の海》をそういった視点分析する奴は今日びいないです。

伝統かどうかというのはもはや何の問題提起にすらならないんですよ。

なぜならその枠組み自体幻想だという前提で読むからね、まともな音楽学者は。

伝統」とはなんなのか、「日本」とはなんなのか、「音楽」とはなんなのか、

とういうような哲学的な問いにきっちり答えないといけないはずなんですよ、もし演歌はニセモノだと言いたいのであれば。

「創られた伝統」という概念と「創られたわけではない伝統」という概念は、どこがどういうふうに違うのか、

ということを哲学問題として、きっちり論理的説明しなきゃいけないはずなんですよ。でも、そんな作業してる音楽学者なんていないですよね。いたら教えてください。


とっくに議論されています伝統の創出についてはホブズボウムがまず前提。

ヘルダー、ダールハウスタラスキン、ヴィオラリーマン、リッサ、アドラーも読んでどうぞ。

特に19世紀ヨーロッパナショナリズム芸術関係が盛んに論じられていたので、

この分野の先行研究として学びがある。ロシアスペインフィンランドハンガリーなどなど。

繰り返すけど伝統って自然に生じるものではなくて、外と相対化されて初めて気づくものだし

伝統自体共同体による幻想なんだよね。

割と最近テレビラジオ地方地方性を駆逐したのではという話もあって面白い

北海道沖縄も、東京の発信する音楽文化に染まってしまったという話で、

それが国家音楽民族音楽だと大衆勝手に読み替えられているという話ね。

音楽って人間社会性そのものだよねってのはブラッキングの『人間音楽性』の指摘だが、

そういう純粋なる民族性の罠にはまってないですか。増田

あれ、演歌の話どこいった。

殺処分がなくならない本当の理由

それは、日本島国から

順を追って説明するぞ。

殺処分ゼロ、飼ったら最後までってしたとするぞ。

困るのはペットショップとその上流のブリーダーだろ。

ペットショップブリーダーも、不良在庫ゼロを目指さないといけない。

まず思いつくのは売れる犬種だけ少量生産、究極的には注文生産しかない理屈

ところがどっこい、島国だとマーケットがあまりにも小さい。

そんなところで需要に合わせて繁殖犬を減らすと、あっという間に近親交配。

そりゃ、兄妹交配なんかはしなくても、数世代の中に血縁だらけ。

さなマーケットで勝ち抜こうとすると、人気の毛色、人気の血統にこだわるからなおのこと。

10年でずいぶん遺伝病が増えたよ。

ざっくり、犬は10年で3世代回る。

3世代あやしい交配してりゃ当たり前だよな。

ここ10年はトイプードルチワワが全盛で安定してるけど、最近急上昇の柴犬トップに躍り出たら恐ろしい。

親の数限られてるのに急に増産なんか出来んだろ?

ちょうどよく血が遠いペアなんか用意難しいだろ?

言わずもがなだ。

ガンガン産ませて増やして、余ったら食べるなり殺すなりして調整する。

動物を飼うというのはそれしかない。

殺したくないから産ませないなんて、生物の仕組みとして無理もいいとこ。

ヨーロッパはいいよ。

広いし、全体でみれば人が多けりゃ需要が多いし。

アメリカも。

こんな、たいして需要がない国で全ての犬種全ての毛色を血統維持なんか無理に決まってんだろ。

雑種以外販売禁止くらいのことしないと殺処分ゼロなんか、遺伝病を生むだけで逆に非人道的だろ。

ヨーロッパの立派な国々が死刑やめろと言ってるんだから

素直にやめればいいのに

日本ヨーロッパより優れた政治判断してることはほとんどないんだから

2018-07-06

から強くならない

キリンカップ 9、10、11月に国内でやるんだって

そのたびにヨーロッパから呼び寄せて、時差ボケ、不調、レギュラー落ちなんだが?

2018-07-05

anond:20180705194414

輪廻転生理論からすると前世カツオノエボシで今世が人間って事はよっぽど良い事をしたんだろうね

カツオノエボシ史には間違いなく載っているだろうし、おそらくザ・ベストカツオノエボシ100にもランクインしているだろう

よく大名の生まれ変わりだとかヨーロッパお姫様の生まれ変わりだとか釈迦の生まれ変わりだとかへルメスの生まれ変わりだとかラ・ムーの生まれ変わりだとかエロヒムの生まれ変わりだとか自慢してる割に今パッとしない人がいるけど、その人たちってよっぽど悪いことをしたんだろうね


からカツオノエボシの生まれ変わりであることに誇りもって胸張って生きていった方がいいと思う

anond:20180705141324

ないよ。

http://lite-ra.com/2014/07/post-228.html

海外プレイヤーはほんとうにみんなアソコの毛を完全脱毛していてツルツル状態らしいのだ。  ヘア処理はもともと欧米女性の間で10年以上前からブームになっていたが、数年前から男性にも飛び火。股間に汗をかきやすサッカー選手を中心に広まりヨーロッパサッカーリーグでは今や一種のエチケットになっているらしい。

2018-07-03

結局は慣れ

サッカーに限った話じゃないんだろうけど、慣れ、経験値の差ってのは厳しい状況になればなるほど出てくるもんだな

特に守備陣は経験値の差が出やす

人達も言ってたが吉田と、昌子では明らかに差があった

散々叩かれた川島にしても、ヨーロッパでのプレー経験という点で彼以上のGK日本に居ない

なので「もっとヨーロッパ移籍する選手を~」という声は今後強まっていくだろう

ただ、それだけだと個人としての経験が積み上がるだけだ

もちろん個の能力向上や慣れも重要だけど、日本主体のチームで戦う経験も不足している

代表戦だけでは限界がある

Jリーグのチームがヨーロッパ南米クラブと戦う機会をもっと増やさないと、この経験不足は埋められないだろう

なにかと金がかかりそうだが、やるしかないんだろうなぁ

サッカーヘディング禁止になればいいのに

昨日、米サッカー協会10歳以下はヘディング禁止にしたというニュースを見た。

何年か前にも、ヨーロッパプロ選手ヘディングの影響で、引退後もパンチドランカーみたいな症状に悩まされてるという報道を見たことある

危険からということで禁止になれば、背の低い日本人に不利な要素が一つ減る。

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん