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はてなキーワード: モダンとは

2024-11-20

anond:20241120151603

モボ(モダンボーイ)とかモガ(モダンガール)とかもあったから当時の流行りの略し方だったんだろ

だってミスチルとかドリカムって略し方は古いって言われるんだろ

略し方にも流行り廃りがあるんだろう

2024-11-19

バリオリンピック

美しいビーチと青い海を背景に、会場にはモダン建築バリ伝統が融合したデザインが広がり、世界中から訪れる観客を迎えます選手村にはヤシの木がそよぎ、緑豊かな庭園が設けられ、地元文化を感じる装飾が施されています。周辺には地元料理や国際的メニューを楽しめる屋台レストランが立ち並び、祭りのような賑わいが続くでしょう。オリンピック精神がこの熱帯の島に新たな輝きを与える様子が目に浮かびます

2024-11-18

anond:20241118045817

ドラクエそもそもべつに難しくないのに(そもそもコアなゲームを馴染みのないカジュアル層に届けるがスタートなわけだし)

これ以上簡単にしてどうするんだ?もう動画で観れば?はフツーの感覚フツーに理解出来る

ロマサガ2リメイクでも、簡単モードつけておけば良いだろ(鼻ホジ)の姿勢だったしな、スクエニ

 

アクションRPGイージーモードやスト6のモダンモードワールドモードを参考にしろやって言っても、参考にできるゲーム好きが社内にいそうもないので、

同じコマンドRPGメタファーという正解(初日100万本達成)があるので、次回からはそれを参考くださいで良いんじゃないですかね?

2024-11-15

anond:20241115125331

日本ゲーマーに思われてるほど、買い切りガチャゲーで「ジャンルが違う」なんてことないはずだよ。

同じアクションRPGとして、ゲームとして面白くする作り込みのノウハウは同じ。

ただガチャゲーとして売れるには、継続的キャラマップシナリオを高品質に追加しつづけていく体力が必要

そこに関して、「ってことは金かけなあかんな」と真っ当な考え方をして人材確保や開発規模をあげて対応したのが、00年代韓国オンラインゲーム20年代中国モバイルゲーム

前者は国策として支援金があったし、後者バブル景気お金を集めやすかったのがあるだろうけどね。

でも、日本ガチャゲーを作る時の考え方として土台にしたのは、貧弱なガラケーみたいなハードでスキマ時間を潰すための、くだらないゲーム

予算でとにかく射幸心を煽って競わせることで、チープなんだけど連帯感を持たせるバトルでゲームっぽさを演出するアプローチでやってきた。

ソーシャルプラットフォーム根付いてSNSのフレンドを引っ張ってくるからソシャゲなんだけど、文字通り社会ゲームだと思うね。

まり日本最初からガチャゲーをゲーム未満のゲテモノに貶めてしまったんだよ。それでもソシャゲバブル大成功した企業が出た。

で、ユーザー適応して、ガチャゲーは馬鹿になって遊ぶもんだ、という頭になってしまった。

そこに本物のゲームと化した、ガチャだけど上手にマネタイズする作品が入ってきたから、脳がバグってしまった。

スマホゲーム性能が高まるにつれ、買い切りゲームと同等かそれ以上の開発費をかけなきゃいけなくなって、

それでも日本勢はビジュアルだけリッチにしてゲーム構成ゲテモノガチャゲーを引きずったものを作りつづけた。

かつての成功体験があったせいで、抜本的に異なるものを作る勇気あるメーカーは出てこなかったんだね。

さらに悪いことに、中華ゲーのガチャシステム一見自分たちと同じようなものに見えていたから、見習うポイントを見いだせなかった。

ガチャ2.0的な排出地点制御理解したとしても、かつて高確率設定をアピールしてアドレナリン中毒にさせてきた既存顧客に対して、「超低確率天井までまず出ません」みたいなしわしわガチャを魅力的だと理解させるのは難しい。

非常識な方のガチャゲーを基準にしちゃってるからモダンでお利口なガチャゲーのゲーム設計を受け入れにくい。

その点ではモバゲーグリーに触れてこなかった若者のほうが有利だし、素直に「こっちの方が遊びやすい」と感じられるだろう。

このへんの世代間断絶はなかなか埋められなさそうで、そこが先が暗い原因だと思う。

2024-11-14

anond:20241109105403

じゃあPONG入れたりファミコンキン肉マンゲームとかだけ集めて10選にしたらいいんじゃないですか?

使い物になんねーガチの場に出てこねえガキ向け操作モードプロ考慮するモダンを一緒にすんなよ

2024-11-13

ハイファッション史上もっと重要デザイナー10

当たり前だけど全て主観です。

1. ココ・シャネル

 戦後から現代に至る女性向けのハイファッションのベースを作ったと言っても過言ではないと思う。

 ココ・シャネル以降、ハイファッションが多様化ドレス服に限らない仕事や遊びにも使える自由モダンな服が広がっていった。

 彼女がいなかったらモード世界欧州に閉じたローカル予定調和文化に留まっていたかもしれない。

 ジャージーツイードなど素材の転用も有名な話。

 シャネルショーウィンドウ見るたびに思うけど分かりやす流行を取り入れようとしない。

 一見するとコンサバに見えるんだけど一方でちゃんと新しさを感じる。

 独自世界でずっとアップデートし続けている。

2. クリスチャン・ディオール

 ココ・シャネルと並んで当時のモード帝王

 ハイファッションというか上流階級ファッションドレスの再定義をした人かな。

 実際現役時代写真を見ると素材使いと仕立てのバランスがめちゃくちゃいい。男目線でもドレスの膨らみと丈のバランスとか神がかったセンスだと思う。

 と思ったがサンローランがデザインしてた時代かもしれん。古すぎてよく分からん

 のちにエディ・スリマンディオール・オム再ブレイクしたのはもう別物と思ったほうがいい。

 あれは元のクリスチャン・ディオールとはほとんど連続するものがない。

3. カール・ラガーフェルド

 80年代から90年代にいたるモード不毛時代に数々のレガシーブランドを若返らせることに成功したらしいがあんまり知らない。

 初代デザイナー引退後にブランドを畳まず再構築するために外部からデザイナーを雇うことは今では当たり前だがこの人がそのテンプレートを作ったんだと思う。

 彼がいなかったら業界全体がオワコンになり昨今のラグジュアリーブランド全盛時代最近中国不況でまた陰ってきてるみたいけど)はなかったかもしれない。

4. ジョルジオ・アルマーニ

 軽いが上質なミニマルファッション先駆者

 素っ気ない服でも素材や仕立てによってラグジュアリー足りうることを示した。

 「アンコン(ストラクテッド)ジャケット」といって肩パッドが入ってないジャケットを作ったのもこの人。

 一度ジャケットを試着したことがあるが軽くて仕立てがきれいで買おうかと思ったけど想像の2倍近い値段で諦めた。

5. 川久保玲

 日本人だったら、いや日本人でなくとも10選に選ぶであろう。

 ボロファッション、左右非対称、切り替え、脱色、縮絨、製品染め、ジェンダーレスなどあらゆる手法を使って既存ファッション脱構築してきた。

 パリコレデビューから40年以上経つのに未だ健在。コムデギャルソンフォロワー出身デザイナーも多い。

 一時期ハマったがジェンダーレス風味が強くなってきて手を出さなくなった。

6. ドリス・ヴァン・ノッテン

 ハイファッション史上ということでアントワープから一人は選ばないといけないんだけど自分マルタン・マルジェラでもラフシモンズでもなくドリス・ヴァン・ノッテン

 革新性という意味では他の5人と比べると穏やかで分かりにくいが、彼も伝統服やワークウェアの様式を持ち込んでハイファッションとして昇華するという重要役割を担ってきた。

 少しひねりがあるがいわゆる「着れる服」でハイファッションのリアルクローズ化を進めた。

 昔のシャツニットパンツを持っているがまだ使える。

7. トム・フォード

 グッチの起用で大ブレイク80年代完全に死んでいたグッチを蘇らせた。

 本人の見た目通り男性向けにはマッチョな服、女性向けにはセクシーな服で現在ジェンダーレス世界とは一線を画すが、ハイファッションらしく仕立てがよく品が漂うのはやはりセンスの賜物だろうと思う。

 日本人平板な体型には最も似合わないであろうデカピークトラペルのジャケットには憧れた。

 あのラペル見ただけでトム・フォードって分かる。

8. エディ・スリマン

 ハイファッション史上というとちょっと役不足な感もあるが、2000年代タイトファッションの潮流を作った人で当時抜群の人気を誇ったので挙げざるを得ないか

 オーバーサイズ全盛の今では信じられないが、当時スキニーじゃないジーンズなんてアメカジ好きなコンサバおじさん以外は見かけなかった。

 それくらい人気が高くハイファッション内外への影響力が絶大で、セレクトショップオリジナルコピー商品をよく見かけた。

 ディオール評でも触れたがブランド再構築というよりブランドクラッシャーだと思う。

 今はセリーヌでフィービー・ファイロ後の後始末をやってて残念な感じ。

9. キム・ジョーンズ

 ここ10年のモードストリートファッションクロスオーバーはキム・ジョーンズがきっかけだったと思う。

 単にストリート形式を流し込むだけのパイプ役に留まらず、非常に有能なデザイナーでもあり固有の世界観とセンスを持っている。

 ブランドイメージを壊さなギリギリのところで着地させるセンスはとても現代的でブランドからも使い勝手が良いのだと思う。

 マーク・ジェイコブスと似てる。というかルイ・ヴィトンがそういうデザイナーをうまく見つけてるのかな。

 今はディオールリブランディング中でちょっと落ち着いてしまった印象。

10人と思ってたけど9人で止まってしまった。

もう1人誰だろう?

anond:20241113003128

冷静なご意見ありがとうございます

MtGの状況についてはXで流れてくる噂や齋藤友晴氏のYouTubeで語られている内容程度でしか知らなかったので参考になりました。

仰られるようにマスターデュエルでは比較的良い環境メタゲームが維持されているのですが、環境半年程度先行する紙では安易に強力な手札誘発を刷ってしまたことで天盃龍が激増したり、スネークアイギミックデモスミスアザミナといった強化を貰い続けたことで長期的に環境トップ居座り続けたり、それがようやく制限改訂で終わったかと思えばライゼオル一色になったりと正直MDのためのテストプレイをさせられているのではないかという状況がここ一年以上続いています。とは言え今の遊戯王の中心は間違いなくマスターデュエルで、紙の新規プレイヤーもマスターデュエルから流入ほとんどですしにじさんじ遊戯王などでカジュアル層にもガッツリアプローチするマスターデュエル様には足を向けて寝られない状況ではあるのですが。

MtGMTGAとの競合でスタンからモダンや統率者戦にユーザが流れたという話を聞いたことがあるので、課題として共通の部分があるのかもしれません。なお遊戯王では最近ゲートボールと呼ばれる過去環境再現したルールでのCS開催が盛り上がりつつある一方で最新フォーマットCSは縮小傾向にあります

[] クローラ開発

構造情報の変化の監視について

robots.txtの遵守について

速度/接続制限マルチスレッディングについて

訪問済みURLのKVSについて

法的要件確認について

UAIPのローテーションについて

その他

追加的なヒント

anond:20241112092752

まあお気持ちはわかりますが少し落ち着きましょう。

遊戯王はその出自歴史のせいでMtGプレイヤーから言いがかりに近い攻撃を受けることが多かったのですが、それも今は昔。

MtGは今、盛り上がっているポケモン遊戯王ワンピースなどの国内ゲームと比べ明らかに勢いが落ちており、プレイヤーはとても不安なのです。

近年のMtGスタンダードフォーマット関連の度重なる改訂、高レアリティカードアルターアートや別仕様カードの乱発によるショップ疲弊

統率者やレガシーモダンパイオニアなどのエターナルフォーマットにおける不適切禁止改定オーバーパワーなモダンホライゾンセットのカードによる環境激変と禁止改定

コラボセットの乱発などなど。販売元のWotCの迷走が続いています

遊戯王馬鹿にしてフラストレーションを発散するしかない、かわいそうな人たちとでも思っておきましょう。


変わって遊戯王ですが、近年はデモスミスミスはあれど、なかなか良いカードを作ることが多くなりました。

またマスターデュエルでは素晴らしい調整の結果、2022年に刷られたカードたちが実装されてもメタゲーム健全さを保ちつつ今に至っています。(もちろん大なり小なり波はありましたし、フェス面白くないことが多いという課題はあります)

最近も天杯龍が環境入りしましたが、大方の予想を覆しメタゲームバランスがとれた状態のままです。KONAMIの調整チームの地力の高さが伺えます

おそらくデモスミスベアトリーチェエルフ禁止にするなど必要対策を行ったうえで刷るはずです。これからも良いメタゲームが続くことでしょう。


ちなみに「ターン毎にマナ加速して4ターン目くらいにはほぼデッキを引き切った上で高火力で殴りつづけるアグロデッキWotCに刷って貰えばいい。」と書かれていますが、

現代MtGエターナルフォーマットではマナ加速が速いのではなく、低マナ域のカードの性能が著しく向上しており、2マナ程度でゲームエンド級打点を出す生物を盤面に送り込めますし、

4マナまで行くと打つだけでゲームを終わらせられるカードや1枚引きながら実質エクストラターンを得られるカードなどが刷られています。これはドロー土地を増やす速度がデザイン上厳しく縛られているからです。

MtGはもともと土地というリソースゲームレンジを決めていたのですが、カードパワークリープの中で低マナ域のカードの性能がどんどん向上する中土地や手札の増える速度はデザインで縛られたままだったため、

手札にある低マナ域のカードを着地させて、それが殴りきるまでの間を残りの手札+2~3ドローにある妨害札で守る動きがが強い、という環境ができてしまいました。

私は最近まで、MtG土地システムは言われるほどに悪いシステムではないと思っていたのですが、MtGにおける土地というリソースを増やす速度と土地を盤面から除去する方法デザイン上で強く縛ったこと、

マナ以外のリソースによるカード使用限定的にしすぎたことにより、パワークリープが支払ったマナに対して得られるリソースの増加、という点でしか行えなくなってしまって、カードデザインが硬質化してしまっているなという印象を持っています

近年の遊戯王が、手札、場、墓地エクストラデッキ、除外領域と、ありとあらゆるリソースを使った斬新なギミック(最近だとM∀LICEの除外領域を使ったギミックが非常に面白かったです)を世に送り続けていることと比較すると、現代TCGにおける土地システムの是非についてはちょっと考えてしまますね。


そんなかんじです

2024-11-10

anond:20241110063759

土地システムは好きだよ。

運要素もさることながら、土地のもの活躍するデッキ構築も可能からね。両面土地とタミヨウの英雄譚だけのデッキもあるし。

なにより次元を渡る世界観の構築に一番役に立つ。

どちらかというと、土地が一番他のゲームが真似できない要素ではあるかもだけど。

MtGが良くないのは事実上メインデッキのみで構成している点だと思う。土地も両面カードも全部メインは紙では管理が難しい。ランダム性の楽しみ以前の問題だと思う。

なので初心者が楽しむには土地システムハードルは高いよ。やはり土地専用デッキにわけようとするのがモダンカードゲームだと思う。いまさらMtGでそれはできないけど。

土地自体いかしつつモダンゲームにするには、間違いなくワンピドンシステムのように土地専用デッキ必須になると思うよ。

2024-11-09

遊戯王模倣したカードゲームがない理由

追記ブコメ返信

久々にブコメ見たな

ちなみにTCGという単語を使わないのは、遊戯王にもTCG存在するから混同を避ける目的があるよ

akashi735 ワンピースカードゲームのメインデザイナー遊戯王プレイヤー出身という事実だけで反論が事足りる。

もっと具体的に頼むは

出身からなんて理由じゃないし、デザイナーが元遊戯王プレイヤーから遊戯王に似せているってのなら、あんデザインルールにならんでしょ

kazumi_wakatsu ルールがほぼないのに裁定は大量にあるって、他に模倣が現れないのは単に運営コストが高すぎるからでは…

そうだね、運用コスト馬鹿みたいにかかると思うよ

いまでも一週間で数個の新規裁定が出ているし、過去裁定ブラッシュアップされている

それに大会が行われるとき電話は大体埋まっているわけで、こんなの普通新規ゲームでやろうなんて無謀だよ

コナミ運用コストをかけても総合ルール作らないのは、作りたくても作れないからだと思う

akihiko810 ブコメ。「Force of Will」というMTGライクTCGでは、土地デッキという第2デッキを使うことによって、MTGの「肝心なとき土地を引く可能性(何もできない」というデメリットを克服してて、よく考えてるなーと思った。

モダンカードゲームは大体土地関係クリアしているよね

だいたいはデュエマ方式だったり、ヴァンガやエヴォルみたいになってるし

ただ、共通しているのは共有リソースが常に見える状態になっていることだよね

土地自体マイナスデザインだったけど、現在もきちんと運用されているMtGはすげーとも思う

構造の話をしているのに対してミニマムな話だが、エクストラデッキ遊戯王の大きな発明だと思う。mtg相棒(失敗作)なんかはエクストラデッキからの逆流アイデアじゃないかな。

エクストラ発明かはあんまりからないが、その後のカードゲームに大きな影響は与えたかもね。ちなみに相棒システムは失敗だったが大本はEDHだと思うよ。俺はヨーリオンが好き

gabill 遊戯王デジタルゲームとして実装した人を尊敬する。下手したら金融系のシステムより複雑なんじゃ。

複雑さだけならMtGダントツだと思う。遊戯王は複雑かというとそんなことはないよ。見たままのテキストの動きをするだけだからね。なれれば問題ない。

テキスト冗長で、1ターンで動けるだけ動けるという異質な挙動が難しく感じるのと、結局のところルールの厳密性に欠けるので裁定しか頼りになるものがないという点が複雑に見えるのかな。

裁定たくさんみてきたけど、じゃあその裁定が本当にルールとして正しいのかは実はわからないんだ。

evamatisse 裁定を覚える記憶力すご……ってなるけど、実は大会で使われるデッキの種類は数種類なのでそんなに必要ない。 “常に最新のものしか遊ばれない” / フリーだと細かい裁定は気にせずやる。知ってたら知識自慢になる。

時と場合に寄るからね。ここに書いたことなんてだいぶ抽象的だから

murlock "遊戯王の悪い部分をよけつつ、良い点もほとんど受け継いでいない" というからにはよそに参考にされていない独自の良い点を挙げてほしい。いや書いてあるかもしれないけど見出しでまとめてくれないと読んでられない

良い点


悪い点


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ここ10年くらいのカードゲーム遊戯王マネしていない

遊戯王の悪い部分をよけつつ、良い点もほとんど受け継いでいない

この界隈、ほぼ遊戯王を避けて通れないんだが、遊戯王は完全にカードゲームという遊び方から外れているんだよ

わかりやすくいうと、野球遊戯王だね

野球って他の球技と比べても独自ルール様式ばかりだし、試合展開も全く違う

たいていがサッカーのようにボールをゴールさせるか、テニスのように互いに打ち合うスタイルの中で、野球って1回ごとに攻守入れ替えるし試合自体が滅茶苦茶長くて動きもルールもわかりにくい

そもそも試合会場自体特殊地形だから転用も難しい

仮に新しい球技スポーツを考えるってなると、間違いなく野球ベースにする人はいないだろう

カードゲームにおける遊戯王立ち位置もそんな感じで、プレイヤー層も遊び方も価値観ルールカードゲームという枠ではないんだよ

他が真似しようにも真似ができない


大量展開、シルバーバレット戦術



まず試合運びが異常だ

1ターン目から動けるってのは常識として、1枚が2枚3枚になるという動きは普通カードゲームなら絶対にしてはいけない禁忌

それを可能にしているのがいつでも触れられる手札ことエクストラデッキ

昨今はこいつを媒介になんでも1枚初動がかなえられる

マナコスト存在しないというだけでどう考えてもおかしいが、1ターンに1度という制約がほぼ無意味なくらいには何でもできるのが遊戯王

現代カードゲームマナに相当するコストを設けていないだけでも少数派だが、さらに1枚で複数のアドを稼ぐとかやってはゲームとして成立しない

試合一方的でつまらなくなるから

それをしているのは遊戯王だけなんだよ

けどその状況で面白くしているのも遊戯王なんだよ

このゲームは徹底して他のカードゲームでは禁忌とする過剰な展開をする

それ自体遊戯王の魅力ともいえるので、それに魅了されたプレイヤー絶対遊戯王肯定し続ける

総合ルールがない


次にルール自体がほぼ存在しないのに裁定けが大量にある

この状況も他のカードゲーム絶対にしない

普通総合ルールを設けて、補えきれない細かい部分や独自ルールとする場合裁定を作る

遊戯王そもそも総合ルール存在せず、簡易的ルールの寄せ集めでしかない

「いやパーフェクトルールブックがあるじゃん」という人は総合ルール理解していない

総合ルールは単に箇条書きではなく定義意味が記され、各々の項目の関係性が書かれている

抽象的で網羅的に書いてあるので読みづらいが、それは暗黙の了解による解釈をできるかぎり排除する必要があるから

遊戯王をみればわかるが、ちゃんとした定義意味不明瞭なまま「こうなると思う」という暗黙の了解を元に裁定が決まっている

明確なルールに基づきつくられるはずの裁定が、裁定があるからこういうルールだという逆転現象を引き起こす

例えば「特殊召喚できない」という永続効果があるときに、未開域の共通効果は発動できるが、なぜ発動できるかは実はわかっていない

また、特殊召喚とそれ以外の処理を実行する効果に虚無空間をチェーンする場合には、カードごとに処理の仕方が変わってくる

任意で行うものはそれまでの処理をする、という塩梅らしい

では「カクリヨノチザクラ」のよる除外は行うのに融合召喚における素材の墓地送りはできない、という違いは明文化されていない

https://www.db.yugioh-card.com/yugiohdb/faq_search.action?ope=5&fid=22614&keyword=&tag=-1&request_locale=ja

融合は融合召喚として定義されているからいいものの、なんで「カクリヨノチザクラ」は除外できるのか理由が見当たらない

理由付けはいくらでもできるが、結局それはプレイヤーが「そう感じているから」としか説明ができないのだ

一つ一つは理解できても、では根底でどういう区別をしているのかは何も明らかにされていない

この原因は、他のカードゲームでは「処理できない部分以外は原則処理する」というルール黄金律が根底にあるのに対し、遊戯王はそういう思想がないままやたら裁定けが細かく作られているからだ

明確な理由を示すことがないなら、事例をたくさん作って既成事実にしちゃえってのが遊戯王のやり方

これによって大量の裁定が発生するという問題がある

裁定の良いところはフレキシブルに各カード対応できることだが、そもそも総合ルール問題ないようなものにすら裁定を作らなければならず、結局裁定だけでは総合ルールに足りない

最近は関連するカードを箇条書きにしているので非常にわかやすくなっているが、それでもそこまでのことをしなければ成立しない手間があるのはちょっと異常だ

当然、普通カードゲームはこんな無駄なことはしない

遊戯王は長い年月の中で裁定ルールであるという文化が築かれてきたから、こんなことができる

なので裁定をどれほど知っているか遊戯王ルールに詳しいかがわかる

だが、結局どんなに詳しくとも本質的ルールはどこに行っても不明瞭なままだ

受験数学だけに特化してるといってもいい

あほみたいな試合時間


昨今のカードゲームは1試合時間をある程度抑えることを前提にしている

なので1ターンごとの動きはシンプルであることが多く、ターンを進めるうちにできることが増える

この利点はターン経過とともにプレイヤーの主導権が変わり、初心者でもある程度の動きをできる点にある

けれど、最初の方は数秒で終わることも多いため、ターン数があっても試合時間はそれほどかからない

しか遊戯王は1ターン自体が極度に長い

特に1ターン目は徹底した展開やサーチなどをするため、デッキや手札の入れ替えが大量に発生するしモンスターは場を行ったり来たりする

よって1ターン目なのに5分近くかかるなんてのも一般的

そしてようやく後攻に回っても、さらにそこから展開、妨害と続いていく

遊戯王は1ターンで他のカードゲームの5ターン分以上のことを平気でするからこうなってくる

こうなってくると初心者カードを触れる時間は本当に限られてくる

理解している人には楽しいのだが、結局楽しさが初心者に伝わるまでに試合は終わってしまうのだ

ターンプレイヤーは常に展開をぶつぶつとつぶやき、片方にとっては退屈な時間が初手から流れる

よくいう「対話拒否である

正直、遊戯王プレイヤーコミュニケーション能力がほぼ欠けている

ゲームうまい下手より、むしろこういうゲーム性を否定する人の方が遊戯王プレイヤーから攻撃を受けるケースが多い

対話をしないことが標準の遊戯王では、対話をするかどうかに関して本当にもめる

フォーマットの不在


よくいうスタン落ちは遊戯王にはない

これは一定期間で区切り、その中で発売されたパック等だけを使う遊び方だ

そうではなく昔からあるカードを使えるのは、レガシーなどとも呼ばれる

遊戯王原則初代のカードから最新のカードまで幅広く使える

もちろん多くのカードゲームがずっとカードを使えることはユーザーにとってメリットになるとはわかっている

しかし、最新カードを売りたいのと、インフレ抑制して初心者にも入りやすいようにスタンダードなどの名称フォーマットを区切ることが多い

遊戯王にこう言ったフォーマット概念がないことは明確なメリットである

わかりやすいし、長くやってる人もプレイできるから

同時にインフレしか環境が変わらないことも意味する

例えば昨今は禁止制限が目まぐるしく変わるが、禁止から復帰したカード活躍しているものはどれだけあるだろうか?

あれだけ伝説級の活躍をした「ドラグーン・オブ・レッドアイズ」は制限復帰後は一切見かけることがない

もちろん使うデッキが強いからこそ活躍できたのだが、だとしてもこの状況は元禁止カードとは思えないし、なんなら明日から3枚使えたとしても誰も使わないだろう

ようするに現環境ドラグーン・オブ・レッドアイズが活躍できた環境をとっくに飛ばした高速環境

恐らく3年くらいたてばあのティアラメンツが全て戻ってきても、環境には入らないと予想される

そのくらいに遊戯王インフレインフレカバーする運用がされている

本来、スタン落ちなどのフォーマットの細分化はこういった環境インフレを抑止して誰でも楽しめる一定レベルを確保する目的で作られる

そうすれば「最新パックを買えばとりあえずみんなと遊べる」安心感が得られるのだ

もしもフォーマットが1つなら、過去の強力なカードがなければデッキとして成立せず勝つ楽しさが味わえない

しか遊戯王は強力なインフレによって最新カード環境ともいえるくらいになっている

事実上、ここ数年に発売されたパックだけでも十分に環境入りしている

インフレハイパーインフレが超えるから常に最新のものしか遊ばれない

とはいえ、古いカードすらカテゴリー化して新規を加えることでハイパーインフレの波に乗せてしまえるので、本当にフォーマットが1つだけでよい

こんなことをできるのは遊戯王くらいだ

それは25年以上かけたつくられたカードプールインフレの流れがあってこそだ

普通カードゲームインフレが始まるとユーザー離れをおこし、それを調整しようとしてさらユーザーが減ってしま

からこそ、一般的カードゲーム禁止制限一つとってもユーザーへの配慮説明を怠らない

ときに「○○はデザインを失敗しました」と言い切ることも必要

何の説明もなく制限リストだけ出して終わるなんて特級呪物級は遊戯王以外にはありえない

もし、遊戯王フォーマットを分けていれば「〇〇フォーマットが死んだ」 などと「あのフォーマットオワコン」と内部分裂しているだろう

適度なブレーキと毎年加速するハイパーインフレは1フォーマットだけで完結する遊戯王スタイルしか成立せず、それ以外のゲームが真似することは不可能

遊戯王の動き、ルール商品展開、独特のプレイヤー層は

ある意味ではカードゲーム極致ともいえる

けれど他のカードゲームからすれば見えている地雷を踏みつけてジャンプしているようにしか見えないのだ

大抵のカードゲームMtGのやり方を学んでいるのは、遊戯王を見ても何一つ真似できるものがないからだ

MtGも多くの失敗と成功を重ねているが、そのどれもが時系列で並び明確化している

最近だとナドゥやモダホラの失敗もあるが、これ自体公式がきちんと見解を出している

こういったものが良くも悪くもカードゲーム全体に影響していることであろうことは明白だ


「いや、遊戯王だって多くのゲームに影響しているよ」という人

いったいどれだけのゲーム遊戯王ルール裁定のみの運用をしていると思っている?

特に昨今のゲームでそれをしているのは皆無と言っていい

例えば「特殊召喚」という言葉を使ってるのはゲートルーラーくらいだし、あの大ヒットしたワンピカードにも Permalink | 記事への反応(14) | 02:13

2024-11-08

anond:20241108105136

他ゲーでも簡易入力モードを対戦が成立する程度に作りこむことは可能だったはずだけど、スト6以外は

ボタン連打で使い物にならんほど安いコンボして、とりあえず出るだけの必殺技出させて終わり」

だったのを、モダン入力プロ考慮するレベル(もうプロには全然使われてねーけどさ…)にバランス調整したのが偉いのであって、そこを「アークゲーとかでありましたよ」っていうのは雑すぎでしょ

ゲーム性が~って言うけどそもそもゲーム性に合わない入力方式あっても意味ないじゃんね

anond:20241108091654

ロールバック方式はそれまでGGPOというオープンソースで、市販タイトルだとスカルガールズなどが採用していたもの

ロールバックはよく発生するし強みである水中戦にならないという特徴があるにも関わらずディレイの方がまともに遊べる場合もあった

スト5なんかで自社開発のロールバックもあったけどカクカク水中戦はGGPO以下で、ラグ環境ではプレイできたもんじゃなかった


そこに一石を投じたのがアークsteam版GGXXAC+Rで、発売からしばらくたっているのに急にテスト版の連続公開をしだして、

そこで自社開発ロールバックのみならずリプレイ途中操作ほか熱帯周りの様々な機能研究開発した

成果をGGXrdR2やBBCFなどの発売済みタイトル実装したところ一時的海外人口が爆増したのと

新作のGGSTでも海外バカウケ(そもそもロルバの研究が始まったきっかけがGGST開発前、レヴ2終盤で行われた次回作アンケート海外からロールバックがなかったら買わない」という抗議があったから当初国内で最も望まれていたクロスプラットフォームを後回しにしてまでロルバ実装を優先した経緯がある)

これによってGGPOに頼らず自社開発でロルバ乗せれば外人に売れるという前例ができて今は同人ゲームすら自炊ロールバック実装する流れになってる


という歴史がありながら、それまではオープンソースのGGPOがある程度優秀だったわけで特定ゲームがそれを動かしたわけでもなく

ACPRを10選に入れるのもたまたま過去作のPC版が実験場になっただけなので微妙


ARMSはそれよりも回線相性以前にスイッチのもの入力遅延があるという前提で、どう見せるか(過去にはバンナムPS3亜熱帯ラグるのをどう見せ方で誤魔化すかという研究をしていた)の答えを出したっていうのがエポックメイキングな点であって

通信方式の話だけじゃないんだよね


あと https://anond.hatelabo.jp/20241108101539 にもまとめて反論するけど

0秒マッチングが1番大事で当時ツイッター業界人にメチャ驚かれてて間違いなくその後のゲームに影響を与えてるのと

人口いなかったらEVOJAPANのメイン種目に選ばれてねえから

スイッチが普及してからスマブラSPが出るまでは覇権格ゲーの一画で間違いなかった


モダンに関してはたまたまスト6

空ガがなく対空が重要

SA3イッパツがドライブゲージコンボよりも減る、

キャラ通常時ガードさせて有利な技が1種類くらいしかないしシステムディレイ固めの概念がないため固めの入れ込みの隙間が空きやす

というゲーム性と一致しただけで

別にスト6モダンコマンド簡易システムとして特別すごいわけじゃない

anond:20241107233643

ただモダン入力に関しては他ゲーの連打コンボシンプルモードだのが子供だましの初心者モードだったのに対して、スト6のモダン入力は実戦で使えるレベルのものなので、それらをまとめて「前からあった」は無理がある。

あとARMSは大して流行ってない上にARMSフォロワー全然出てきてない時点で無しだろ

スト6outは同意スト4はまあ…熱帯文化プロシーン考えたら入れてもよくない?)

入れるなら普通にモーコンスマブラのどれか 流石に

2024-11-07

anond:20241107202025

エアプにわか老害


out

鉄拳3:根拠パンチ弱すぎ


スト4:単発ヒットの価値がないコンボゲーなのに目押し必須ゲームとしてゴミすぎるし、格ゲープロがはじまったのはスパ4だし、無印全然プレイされておらずAEまでアケがなくてブレイブルーの後手後手、アメリカ日本の一部の層が過剰にウメハラ神格化した結果流行ってるように見せかけてただけでAEが出てからインカムブレイブルー鉄拳に負けっぱなしだった 反面教師としてなら歴史に残るレベルクソゲー


●スト6:持て囃されてるトレモの機能やバトルハブなどはギルティギアシリーズからパクリアーケードコマンド簡易選択はBBCS2が先、ワールドツアーは激闘パワーモデラーが先、最初からゲージMAXDNFが先、ゲームとして目新しさが世間の印象ほどなく、待ちゲーも脱却できておらず柔道や垂直や下がって中足や10F技など運ゲー要素も強い インフルエンサーを起用したプロモーションだけでもってるだけ


【in】

美少女戦士セーラームーンS 場外乱闘!? 主役争奪戦世間でスト6のモダンすげーと騒がれてるそのコマンド簡易選択が選べるシステムの初出、余談だが格ゲーにおいてモダンという言葉アークのパチが定義した「クラシック格ゲーモダン格ゲー」が先


メルティブラッドアクトカデンツァ同人格ゲーアーケード移植の初で、同人現在インディーズの規模感の展望に強い影響を与えている


ARMSラグ環境への答えをTPS視点と腕を伸ばして戦うという表現で、自然に受け入れられるレベルで出した重要作品であるほか、それまではどんなに早くても10秒以上は待っていたのが当たり前だったランダムマッチングランクマ続行を押下した瞬間に次の相手マッチングする0秒マッチングを実現した格ゲーのみならずゲーム全体の歴史に残るレベル特異点スマブラより前にEVOJAPANのメイントーナメント専用機を貸与するという前例を作ったのもこのタイトル



前にもこういうゲームの激臭10選あってそれ書いた奴と同じ奴か知らんけど

大体ゲームでこれ系の大げさな話をするのって40代以上、それもゼロ年代以降のゲームをろくにやってない老害ばっかりなのなんで?

やらないくせによくゼロ年代以降のゲームを腐したり神格化したりよくできるよね

漫画特にジャンプ話題でもそうだけど40代以上って自分少年時代絶対だと思い込んで他の世代のことを知らないくせにやたらと大きく見せてマウント取る特性があるよな

マジで老害だわ

AIに書かせた「ハウス史上最も重要10曲」

1. Frankie Knuckles - "Your Love" (1987, シカゴ)

ハウスの教父」と呼ばれるFrankie Knucklesによる「Your Love」は、ハウスミュージックの基礎を築いた代表作の1つです。この曲は、シカゴレジェダリーなクラブ「The Warehouse」で生まれサウンド体現しています。滑らかなシンセサイザーベースライン、Jamie Principleのセクシーボーカルが特徴的で、今日でも高い評価を受けています。Knucklesは、ディスコエレクトロニックミュージックの要素を巧みに融合し、新しいダンスミュージックの形を作り出しました。「Your Love」は、その後のハウスミュージックの発展に大きな影響を与え、多くのリミックスサンプリング対象となりました。この曲は、ハウスミュージックの持つ感情的な深さと踊りやすさを完璧バランスさせ、ジャンル定義的な作品となっています

2. Marshall Jefferson - "Move Your Body" (1986, シカゴ)

Marshall Jeffersonの「Move Your Body」は、「The House Music Anthem」というサブタイトルが示すように、ハウスミュージック精神体現した楽曲です。シカゴハウスシーンで生まれたこの曲は、ピアノハウスの先駆けとして知られていますキャッチーピアノリフと反復的なリズム、そして「Gotta have house music all night long」という歌詞は、ハウスカルチャー本質表現しています。Jeffersonは、この曲でハウスミュージックメロディックな要素を導入し、ジャンル音楽可能性を広げました。また、歌詞ハウスミュージック自体について言及している点も革新的で、自己言及的なトラックの長い伝統の先駆けとなりました。「Move Your Body」は、ダンスフロア熱狂させる力と音楽的洗練さを兼ね備え、今日でも多くのDJプロデューサーに影響を与え続けています

3. Mr. Fingers (Larry Heard) - "Can You Feel It" (1986, シカゴ)

Larry HeardMr. Fingers名義でリリースした「Can You Feel It」は、ディープハウスの原型を作り上げた楽曲として高く評価されていますシンプルながら洗練された制作は、当時としては革新的でした。ローランドシンセサイザードラムマシンのみを使用し、1テイクで録音されたという事実は、ハウスミュージック本質体現しています。深みのあるベースラインエモーショナルシンセパッド、そして微妙に変化するリズムパターンが、聴く者を瞑想的な状態へと導きます。この曲は、ハウスミュージック精神性と深みをもたらし、単なるダンスミュージックを超えた芸術形態としての可能性を示しました。後のディープハウステックハウスの発展に大きな影響を与え、今日でも多くのプロデューサーDJ尊敬され、頻繁にプレイされています

4. A Guy Called Gerald - "Voodoo Ray" (1988, マンチェスター)

A Guy Called Gerald(本名:Gerald Simpson)による「Voodoo Ray」は、イギリスアシッドハウスシーンを代表する楽曲です。マンチェスターで生まれたこの曲は、独特のサウンドと反復的なリズムで、後のレイブカルチャーに大きな影響を与えました。Roland TB-303ベースラインシンセサイザーの特徴的な音色と、サンプリングされた「Voodoo Ray」というフレーズが印象的です。この曲は、アメリカハウスサウンドイギリス独自感性解釈し、新しい方向性を示しました。「Voodoo Ray」は、クラブシーンだけでなく、イギリスのポップチャートでも成功を収め、ハウスミュージック大衆化に貢献しました。また、この曲の成功は、後のUKガレージドラムベースなど、イギリス電子音楽シーンの発展にも大きな影響を与えました。

5. Masters At Work - "To Be In Love" (1997, ニューヨーク)

Masters At Work(Kenny "Dope" GonzalezとLittle Louie Vegaデュオ)による「To Be In Love」は、ニューヨークガレージハウスシーンを代表する楽曲です。India Arieソウルフルボーカルラテンの要素を巧みに融合させ、ハウスミュージックに新たな深みと洗練さをもたらしました。この曲は、ディスコハウス伝統を受け継ぎながら、90年代後半の音楽性を反映していますリズミカルパーカッション、温かみのあるベースライン、そして感情豊かなボーカル絶妙バランスを取り、ダンスフロアを魅了します。Masters At Workは、この曲でハウスミュージックにおけるソングライティング重要性を示し、単なるビートトラックを超えた音楽的深さを追求しました。「To Be In Love」は、今日でもハウスクラシックとして高く評価され、多くのDJプロデューサーに影響を与え続けています

6. Fatboy Slim - "Right Here, Right Now" (1998, ブライトン)

Fatboy Slim本名Norman Cook)の「Right Here, Right Now」は、ビッグビートハウスの融合を象徴する楽曲です。90年代後半のクラブシーンを席巻したこの曲は、サンプリングブレイクビートを巧みに使用し、エネルギッシュでキャッチーサウンドを生み出しました。特徴的なギターリフと「Right here, right now」というボーカルサンプルは、瞬く間に人々の記憶に刻まれました。Fatboy Slimは、この曲でダンスミュージックロックの要素を融合させ、より広い観客層にアピールすることに成功しました。ミュージックビデオも話題を呼び、MTVの頻繁な放送により、ハウスミュージック大衆化に大きく貢献しました。「Right Here, Right Now」は、エレクトロニックダンスミュージックメインストリーム進出する上で重要役割を果たし、2000年代以降のEDMブームの先駆けとなりました。

7. Stardust - "Music Sounds Better With You" (1998, パリ)

Stardustの「Music Sounds Better With You」は、フレンチハウス黄金期を象徴する楽曲です。Thomas BangalterとAlan Braxeによって制作されたこの曲は、Chaka Khanの「Fateからサンプリングしたギターリフを中心に構築されていますフィルターハウス代表作として、ディスコサンプリング効果的に使用し、90年代後半のハウスミュージック方向性を示しました。反復的なリズム中毒性のあるフックは、ダンスフロア熱狂させる力を持っています。この曲の成功は、フランスエレクトロニックミュージックシーンを世界的に注目させる契機となり、後のDaft PunkJusticeなどのアーティスト活躍につながりました。「Music Sounds Better With You」は、ハウスミュージック商業成功芸術価値の両立を示し、今日でも多くのリミックスカバー対象となっています

8. Eric Prydz - "Call On Me" (2004, スウェーデン)

Eric Prydzの「Call On Me」は、2000年代に入ってからハウスミュージック商業成功大衆への浸透を象徴する作品です。Steve Winwoodの「Valerie」をサンプリングし、キャッチーリミックスに仕上げたこの曲は、クラブシーンだけでなく、メインストリームのポップチャートでも大きな成功を収めました。特にセクシーミュージックビデオが話題を呼び、ハウスミュージックの新たな側面を示しました。Prydzは、この曲でクラシックロックモダンハウスの融合を実現し、幅広い年齢層にアピールすることに成功しました。「Call On Me」は、ハウスミュージックがポップミュージックの主流となる過程重要役割を果たし、後のEDMブームの先駆けとなりました。また、この曲の成功は、サンプリングリミックス可能性を再認識させ、多くのプロデューサーに影響を与えました。

9. Disclosure - "Latch" (2012, ロンドン)

Disclosureの「Latch」は、2010年代UKガレージハウスの融合を象徴する楽曲です。若手デュオのDisclosureと、当時無名だったSam Smithコラボレーションによるこの曲は、ハウスミュージックとポップの架け橋となりました。洗練されたプロダクション感情的ボーカルの組み合わせは、クラブシーンだけでなく、ラジオストリーミングプラットフォームでも大きな成功を収めました。「Latch」は、ディープハウスの要素を取り入れながら、キャッチーなポップメロディを融合させ、新しい世代リスナーハウスミュージックを紹介する役割を果たしました。この曲の成功は、エレクトロニックダンスミュージックメインストリームポップに与える影響力を示し、2010年代以降のダンスポップの方向性を形作る上で重要役割を果たしました。

10. Yellow Magic Orchestra - "Firecracker" (1978, 東京)

Yellow Magic Orchestraの「Firecracker」は、厳密にはハウス以前の楽曲ですが、電子音楽の先駆けとして後のハウスミュージックに多大な影響を与えました。坂本龍一高橋幸宏細野晴臣によって構成されたYMOは、この曲でシンセサイザーリズムマシン革新的使用し、未来的なサウンドスケープを創造しました。特にローランドシンセサイザードラムマシン使用は、後のハウスプロデューサーたちに大きなインスピレーションを与えました。アジア音楽要素とエレクトロニックサウンドの融合は、グローバルな音楽シーンに新たな可能性を示し、テクノハウスの発展に寄与しました。「Firecracker」は、その独特なリズムパターンメロディラインで、特にアシッドハウスの発展に影響を与えたとされています


……なんか納得感も有るしオチかいい感じなんだけど味はしないな。元増田の方が味と臭いはあった。

https://anond.hatelabo.jp/20241102140715

2024-11-01

PIZZICATO FIVE史上最も重要な「東京は夜の七時」10

TM NETWORK史上最も重要Get Wild 10

https://anond.hatelabo.jp/20241028143457

ブコメ

「全部同じじゃないですか!?」「ちがいますよーっ」「これだからしろうとはダメだ!もっとよく見ろ!」

といういつものジャーゴンがついていたので、えっ、Get Wildときで聞き分けが出来ないの?じゃあ、こっちだとどうなんだろ、とおもって書いてみたGetWild増田です。

Pizzicato Fiveは本格的にファンになったのは95年ごろだけど、それ以前も周りの友人にファンがいたり、学校帰りに当時のHMVに通っていた渋谷系世代なので基本的な流れはだいたい抑えられているはず。

 

こちらも選考基準独断偏見だが、TMと違ってPizzicatoは再結成をしていないので、歴史的には解散以降の方が長くなるので、Pizzicato Fiveとしての音源フォローできるだけしておく。

Get Wildと違って1枚にまとまった作品集はないけど、検索すればそれなりに出てくると思うので、必要に応じて聞き比べを。

 

もちろん元ネタこち

https://anond.hatelabo.jp/20241012181121

 

東京は夜の七時 (1993年

オリジナルバージョンはもともとフジテレビ系で始まった「ウゴウゴルーガ2号」のオープニングテーマとして作られた。曲名矢野顕子から引用小西康陽曰く「放送が7時からからこのタイトル引用した」とのこと。オリジナルバージョンは実は小西ではなく福富幸宏編曲によるハウスミュージックとはいえ、この時期のPizzicatoの諸作はマニュピレーターとして小西氏をサポートしていた福富氏なので、他の曲とがらっとバージョンが違うわけでもない。イントロピアノグリッサンドのようなアルペジオや「A New Stereophonic Sound Spectacular」というサンプリングなど後々の小西氏のシグネチャーサウンドがちりばめられている。個人的にはこのバージョンのサビに使われるシンセの「テッテッテッテテーテ」という音が好きなのだが、意外と他のバージョンでは使われていない。

 

東京は夜の七時(talking toolbox mix)(1993年

シングルカップリングバージョン。音が当時のニューヨークハウスっぽい。もともとそれなりに長い原曲だがこれはさらに長く8分ほどある。1ループフレーズを繰り返してボーカルだけ残すこのパターンはいかにも当時の向こうのR&B曲のハウスミックスって感じでかっこいい。フィンガースナップの音とか時代だなあと思う。途中からオルガンアドリブが入って自我が芽生えたみたいな感じなのもよい。一番DJ向きなバージョンDJミックスCDなどにはこれが入ってることがわりとある

 

東京は夜の七時(readymade mfsb mix)(1994年

ウゴウゴルーガピチカート・ファイヴ」が初出のリミックスバージョンmfsbというリミックス名がわかる通り、原曲ニューヨークハウスフィリーソウル風にアレンジ。一番生音っぽいバージョンなのとブラスストリングスの入り方など非常に華やかなバージョンなのでこれが一番好きな人が多いと思う。「デデッデデッ」というストリングスアタックが非常に気持ちよく、後々のカバーでも割と参照されている。原曲にもあったピアノグリッサンド風のアルペジオや「A New Stereophonic~」のサンプリングなども効果的に使われていてこっちが原曲だと思ってる人も多そうなくらいによい。一番人気のあるベスト盤Pizzicato Five JPNにもこのバージョンが収録されている。

 

東京は夜の七時(one year after)(1994年

実はこの前後で、Pizzicato Fiveは長年共にした高浪が離脱し、小西と野宮の二人になる。それを反映したアルバムOverdozeは結構シリアストーンであり、そこに収録された東京は夜の七時もその不安感を反映した10分超えのニューバージョンとなった。福富アレンジをしてるのは同じだが、なんかサウンドの取り方が日本90年代ハウスっぽくなってる。いや日本の曲なんだが。そしてここまで書いてこなかったが東京は夜の七時は華やかな曲調のわりに歌詞はかなり冷たい都会の不安感を表したような曲なのだが、それがさらクローズアップされたような歌詞に変更されている。正直、この曲名メロディにこんな不安定な歌詞ありかよと思わせる。今だったら大森靖子が書きそうな歌詞

 

東京は夜の七時 (the last episode)(2001年

2001年解散時にでたベスト盤 Pizzicato Five R.I.Pに収録されたニューミックスリミックス小西が当時使ってたDJよしお名義でリミックスしている。変則的ブレイクビーツ不安感のあるシンセパッドを使ってたり、当時を思い返すと、小西さん完全に解散したくてたまらなかったんだろうなと思わされるリミックス。途中途中で時報の声が入ったり不穏すぎる。なんか全体的にせわしない。

 

東京は夜の七時(the first cut) / 野本かりあ2006年

ここから解散後のカバーなど。小西氏がreadymade international運営に本格化していく中で、新たなミューズとなったのが野本かりあ、というか外部目線的には、小西は本当は野宮を首にして第4代目ボーカリストとして野本を起用したかったんだけど、Pizzicatoのパブリックイメージが野宮になっていたのでレーベルなどから拒否されたんじゃないかと思えてならない。これも世相に合わせて歌詞を変えている。アレンジは前のバージョンからかなりアップテンポの4つうちになってる。このバージョンのマニュピレーターは吉田哲人。野本はもともとテクノ好きだったらしく、その意思を汲んだのかけっこうハードテクノっぽいリズム小西はこのバージョンお気に入りらしく、自分DJするときはこれをかけることが多い。ちなみに故KAGAMIリミックスもある。この辺の東京テクノ人脈とreadymade周辺はもっと接近した方がよかったと後から思う。

 

東京は夜の七時(盆踊りversion) / 野宮真貴2016年

ソロ活動が割と自身渋谷系パブリックイメージ再生状態になっていたようにはたから見えていた野宮が「東京は夜の七時の盆踊りバージョンを出す」というニュースを聞いたときの、往年のファンの複雑な心境を想像してほしい。というかその企画小西はよく許可したなと思った人が大多数だろう。俺も思った。もともと、ケイタマルヤマの「おしゃれ盆踊り」という新宿伊勢丹屋上でやる盆踊り企画のために作られて、そこで披露されたらしい。いちおう振り付けもある。狂気か。Get Wildですら盆踊りはないぞ。まあそういったこともあるので、僕は全く聞く気が起きなかったのだが、今回の記事のためにはじめてちゃんと聞いてみるとこれはこれでよいのではという複雑な心境になってしまった。というかアレンジが良く出来すぎている。なんだこれ、モダン盆踊りの傑作かもしれない。しつこく入る「いよーっ」という掛け声が今の時代だとすゑひろがりず想像させすぎて勘弁してほしいが。

 

東京は夜の七時〜リオは朝の七時〜 / 浮雲2016年

2016年のリオパラリンピック閉会式披露され、ぼんやりTVを見ていた渋谷系好き中高年の度肝を抜いたカバーバージョン椎名林檎歌詞を大きく書き換え、編曲も行い歌は浮雲こと長岡亮介歌詞の変更は小西と何度もやり取りしたと言われてる(含みを持たせる言い方)。東京プレゼンテーション的な曲調になっていてかなり感動をさそう内容のプレゼンテーションだった。五輪関係権利が色々がんじがらめらしく正式音源リリースはない(※追記: そうだよね?配信されたという話もあるが見つからなかったので)。東京は夜の七時という曲をJ-POP史上にリプレゼンテーションした作品という点で、この曲のファン的には感謝したい。

 

東京は夜の七時 feat. Night Tempo / 野宮真貴2021年

小西2018年に久々に野宮とコラボした少林兄弟バージョンを入れようかと思ったが、個人的な好みでこちらを。韓国人シティポッププロデューサーNight Tempoを起用したバージョンPizzicato Fiveオリジナルバージョンをしっかりと参照したバージョンで正直複雑な心境になるくらいによい。ほとんどのカバーリミックスmfsbを参照していると思われるのに対し、原曲を参照しているというのが興味深い。Night Tempo言動シティポップをめぐるあれこれもあって、あまりよく思わない人が一定数いる、かつ、おそらく旧来のPizzicato ファンにはそういう人が多そうだが、この90年代ハウスな音は原曲への深い理解があると脱帽せざるを得ない。全東京は夜の七時の中ではトップ3に入るくらい好き。

 

東京は夜の七時 / 小西康陽プレイボーイズ (2019年

順序は前後するがなんとなくこれが最後がおさまりが良さそうなので。「井上順プレイボーイ講座12章」に収録されたジャズインストゥルメンタルバージョン。もともと「円楽プレイボーイ講座12章 / 前田憲男プレイボーイズ」というアルバムがあり、それの現代版として作られたアルバム井上順ナレーションが乗ってる。(いちおうナレーション無し版もある)軽音楽的なジャズインストクリーントーンのギターの音が良い。そして気づいた人も少ないかもしれないが東京オリンピックの閉会式で使われている。つまり浮雲版と対になってる作品である

 

ということで、また書いてみました。

ほんとはあと数曲(特にカバー曲でヴァニビとかを)入れたかったのですが、泣く泣く断念。

個人的には東京は夜の七時はPizzicato Fiveの曲では好きな曲としては6位くらいなので、そこまで思い入れはないです。

2024-10-27

日曜美術館とか久しぶりに見て

東洋画とか西洋画とか宗教画って存在感の出し方なのかなと。

輪郭で陰影で濃淡で比較的な大きさで。

白黒とカラー彩度対比やデフォルメのようなイラストなのは近代的で

若冲の、ひいては一村の濃密な色彩はそこからモダンを感じるのかと

2024-10-24

富裕層課税強化より、より稼げて人の為になる仕事を増やす方が良いのでは

  1. 富裕層に累進性で課税出来たとして、格差解消のために分配し始めると、大した救いにならないのではないか
  2. 皆が考えている富裕層だけでなく、東京共働き層にも課税対象となり、よくわからなくなる
  3. 税の徴収と分配のコストは、馬鹿にできないのでは(マイナンバー所得把握して、徴収・分配をコンピュータ自動化して・・・、は理想だが出来ないのでは)
  4. 下手なことをすると老老介護で親を看取った瞬間に税金払えず住む家がなくなるってことになる

政治で変えられると言うが、何か良くしようとして今の状態になっているのであって、どこかに影響を与えないパッチを当てるのは用意ではない。


国内仕事をどう作るかが重要であろう。

定年後で体力がなくなった状態で、肉体労働しか残ってないというのもオカシナ話だし、ソフト提案してくる解決策がタイミーみたいなマッチングというのもオカシナ話だと感じている。

また、メディアに関しても、GAFATSMCNVIDIAなど、年がら年中報道して株投資家の方の需要に答えているかもしれないが、結局のところ、国内仕事を作れていない。

投資NISAをしてないのが悪いのだという意見もあろうが、両手で数えられるような企業に左右されるのも変な話だし、対応した人がより豊かになるのは許容していいが、してない人も稼げる仕事がある方がベターだろう。

メディアネットも、もっと国内研究内容だとか、国内企業で何を研究しているかなど注目した方がいいだろう。


国内で作れてないものでも車輪の再開発無駄だとか、今更無駄だとか、そういうのも結局駄目だったのだ。

モダンCPUGPUを作れていなければ、AI向け半導体のチャンスが来ても作れやしなかった。

設計できる人も、人の育成方法も、伝えるべき教育内容も、なにもない。

ソフト時代だが、半導体設計するソフトも作れなかった。

野球観戦で応援するように、海外企業で勝った負けたなど一喜一憂するエンタメしかならなかった。


日本研究内容についてもメディアネットで関心向けれるべきだろう。

今の日本戦略は、海外で金になりそうな内容が出てきたときキャッチアップできるだけの人材が確保出来ていればいいというものだ。

研究なんて何が当たるのかわからいから広く金をばら撒かなければ、という意見があるが、

海外で金になりそうな研究が出てきたら金を注ぎ込めば、当たりくじを引く確率が上がるという戦略である

海外研究所・企業政府とどれだけ対等か、不利な契約を結ばされないようにするかということで文系重要視される。

だが、結局、国内に活かせる産業もなければエコシステムもないので定着しない。


最初海外に対して見劣りしようとも自分達でやらねばならない。

そして研究内容が国内産業につながっていることも重要だろう。

いくら世界通用するような凄い研究結果であっても、国内に活かせる企業がなければ、次の研究費は注ぎ込めないし、研究者の給料も上がらない、

単にライバルを有利に働きかけているだけになる。

アカデミアの人達には申し訳ないが、国内企業の興味関心から外れた内容ばかり研究できるほど、もう人も金もないのだ。

今の企業研究内容が当てはまらないのであれば、会社を起こして稼げるということを証明しなければ、研究者は有力なアウトプットを出せるのだから高給取りにならなければとはならない。

論文KPIになっているので仕方ないが、重要なのは論文以外のところなのだ

2024-10-14

内見動画とか見てると快適でモダンダイニングキッチンとかウォークインクローゼットとかで目が肥えて和室団地に住む気がなくなるのも少子化寄与してるのではないか

2024-10-13

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く その4

https://anond.hatelabo.jp/20241010224911から続く

おしん物語根底を流れているのが、「恩」であり「仁義であるということをこれまでの感想でも書いてきた。おしんイコール辛抱する精神というイメージが広く流布するなか、金儲けに走った息子の根性を叩き直すために、田倉家を滅ぼしてでもライバル会社に利する行動に出た、という物語ハイライトは、意外にもあまり注目されていない。私も正直なところ、全話を通してみるまで知らなかった。

今回は、物語類型としての「おしん」をみてみたい。

流浪するおしん股旅物としての評価

おしんは一代記ものとしては、タイムスケールがとても長い。おしん1901年昭和天皇と同年に生まれた設定である

そしておしんが生きた少女時代から後期高齢者の83歳になった1984年まで、それぞれの時代があまりにも違い過ぎるので、1983年の田倉家のシーンから明治回想シーン時代を一気に2世代くらい遡るときタイムトリップ感が半端ない

1983年おしんが息子・仁を裏切って、並木商店への説得どころか、積極的大手スーパーへの並木土地の売却を進めてくれとお願いした背景には、並木商店隠居の大旦那並木浩太に対する並々ならぬ恩があるからである

それは、どのような恩だったのか。おしんは息子たちには何も過去を語ってこなかったので、仁には知る由もなかった。そもそも並木浩太とは何者なのか。

おしんも誤解されるのが嫌でそれまで息子には一度も語ってこなかった。しかし、前年の1982年17号店進出を知ったおしんが息子の行動を阻止しようとしたとき、仁は、それが母の初恋の人への配慮であることを悟る。そして、仁はいう。商売ってそういうものじゃない、「母さん、みっともないよ。」と。今風にいえばいい歳してエモいことを言い出してんじゃねえよと思われたのであろう。案の上、誤解されてしまったおしんであったが、なすすべなく工事は進み、ついに開店当日を迎える。おしんはこれまでの人生の回顧の旅に出るのである

おしんと人の縁

おしんと浩太のいきさつをかいつまんでかくのも、がっつり書くのもいずれもけっこうしんどいしかし、今回のテーマの「股旅物」がわかるように、ややガッツリ目に書いておこう。股旅とは、大正時代に生み出された物語類型ひとつで、一宿一飯の義理人情に従って流浪する物語であり、多くは渡世人やくざなどが主人公である股旅物の元祖長谷川伸は、その後の日本小説戯曲、そして映画テレビドラマに至るまで多大な影響を与えた人物である。「飢餓海峡」で知られる水上勉は、長谷川伸の「夜もすがら検校」を読んで作家を志したことはよく知られている。「夜もすがら検校」を発表したのは1924年である明治が遠く過ぎさり、大衆大正デモクラシー自由への過大な期待から人々が少しずつ醒め始め、もう一度生き方を見直そうしていた時代である

2000年代になると、日本映画ドラマの潮流は変わり、義理人情といったテーマ陳腐ものとして忘れ去られてゆく。20世紀末までのドラマでいえば、「北の国から」が長谷川伸的な一宿一飯の義理人情世界観でつくられた恐らく最後ドラマだろう。吹雪の中を助けに来る馬、泥付きの一万円札などに表現される世界は、まさに長谷川伸系譜なのである

おしん回想シーンだけをみると、浪花節にあふれた、まごうことな股旅であるしかし、おしん物語面白いところは、浪花節陳腐化し、古臭いものになってしまった現代1980年代)と交差している点である

キーワード加賀屋への恩】

並木浩太とおしん最初出会いは、おしん16歳、山形酒田の米問屋加賀屋奉公へ来てから7年が経った頃だ。おしんは、加賀屋の跡取りの長女・八代加代と姉妹同然に育ちながらも、大奥様・八代くにからは、肉親の孫娘・加代よりも商売イロハから茶道裁縫など良家の子女としての教養を徹底的に教え込まれていた。このときにの指導によって身に着けたものの考え方や教養が、のちのおしん人生で役に立つのである。加代はというと、将来は良家から婿をもらって加賀屋をどうせ継がさせられる自分のつまらない運命うんざりしていた。絵画が好きだった加代は、東京で別の”自由”な人生があるのではと夢をみる少女だった。そんな折、農民運動活動家・浩太と出会った。酒田訪問した際、官憲の目を逃れるためにおしんとお加代に助けを求めたのが最初出会いであるおしんとお加代は同時に、浩太に恋心をもってしまう。大正デモクラシー時代だった。インテリかぶれした加代は平塚雷鳥の本を手元におき、人形の家を著したイプセンなどに憧れを抱いていた。当時、大衆のなかで勃興していた人権運動先進的だと中身もわからず憧れていたのである農民運動、カッコいい!加代は浩太の活動ロマンを感じて恋に落ちてしまった。一方、おしんは、土地を持たない小作農民の自立を助けたい、という浩太の純粋な思いに心を打たれていた。おしん小作の娘であった。小林綾子が主演した「おしん少女編」では、おしんの母・ふじが冬の川に下半身を沈めて妊娠中絶を図ったり、小作農民の悲哀がこれでもかというくらい暗く描かれていた。そしておしんは冬の川に入った母の姿をみて、6歳で材木問屋奉公へ行く決心をしたのであるいかだに乗って、母ちゃんと叫ぶ、有名なシーンのアレである

ともあれ、加代とおしんは同時に同じ男性に恋をした。そしておおらかで情熱的な性格の加代は恋心を隠すことができず、おしんに打ち明けていた。そしてやがて加賀屋の跡取り娘でありながら、何もかも捨てて浩太へ会いに東京家出してしまう。しかし、おしんは、奉公先の跡取り娘であるお加代様の恋を大切に思い、自分の思いはそっと封印した。一方の浩太は、東京に出てきた加代の猛烈な求愛を受け止めつつ(東京で加代と同棲までした)、本心最初からおしんが好きだったのである

おしんは加代の家出理由加賀屋に伝えることが忍びなく、おしん加賀屋から暇をもらって帰郷する。帰郷したおしんを待っていたのは、おしん女郎部屋へ売り飛ばそうとする父・作造と口利きの男であった。さら実家で目にしたのは、奉公先の製紙工場の過重労働健康を害し、肺結核で放り出され、今や死を目前にした姉・はるの姿であった。いまわの際に、はるは女衒に騙されそうになっているおしんを救うべく、自分の夢が髪結いになることだったことをおしんに告げ、東京の知人の髪結い師匠長谷川たかの住所を訪ねるように、伝えて息絶えた。

一方、加代は、浩太の心がおしんしか向いていないことを悟り、浩太のいない東京を去り、加賀屋を継いで見合い結婚する。

キーワード日本髪結いのおたかへの恩】

こうして、はる姉ちゃんが叶えなかった夢を託されたおしん東京へ出た。女郎部屋を売り飛ばそうとした父のいる故郷に心を残すものはなかった。髪結い師匠たかは、江戸時代から続く髪結いの昔気質職業観を持った女性だった。一人前になるための6~7年の下積みの苦労は当然であり、弟子には甘えを許さなかった。

しかし、大正という時代は、江戸から明治まで続いてきた日本髪の伝統の衰退期であった。大正浪漫とか大正モダンと言われる時代が到来しており、洋髪が東京流行し始めていた。おしんが修業している3年間の間に大きく時代が変わりつつあったのである

大衆身分から解放され、より自由髪型を求めるようになっていた。髪型をみれば、人妻なのかそうでないのか、はたまた、その人の職業身分がわかる、という時代は終わりつつあった。弟子入りなんてせず洋髪の専門学校をでて、理髪を仕事にする時代がきていた。おしんには洋髪のセンスがあった。たかおしん独立をすすめる。たかはいう。「昔は厳しかったんですよ。6年も7年も修業してやっと一人前になったら、それからまた、お礼奉公をして。10年近くもただ働きをして覚えたもんなんですよ。そんなことは今は通んなくなっちまったけど。やっぱりご時世ってもんですかね」。これは紆余曲折を経ておしんたかの元から独立し、その後、客先で出会った男性・田倉竜三と結婚挨拶たかを訪れたとき言葉である。その時、5人いたたか弟子はついにたった一人だけになっていた。

田倉商店を竜三の妻として支えるようになったおしんであったが、商売は順風ではなかった。おしん夫婦を陰で支えていたのはたかであった。田倉の経営が傾くと、おしんたかを訪れ、髪結いをして夫を支えた。たかもまた、洋髪の時代おしんの才覚を必要としていた。客商売は人の縁、ひととのつながりを大切にすることだと心に刻んだのはこの頃である

一方、田倉商店開店休業状態に陥るほど経営悪化していたが、おしん髪結いで稼いでいたので竜三はプライドを傷つけられ、すっかりおしんが稼ぎ出した金で遊び歩くようになってしまった。師匠たか相談すると別れちまえという。「ダメな男はどこまでいったってダメなんだよ」とすっぱり切り捨てるが、おしんは亭主をダメにしたのは自分だとと気が付いた。夫の更生のために妻の自分は黙って夫についていく姿勢を示すことを決意し、長谷川洋髪をやめることをたかに申し出る。稼ぎ頭のおしんに辞められるのはたかにとってもつらいが、受け入れる。やがて蓄えもつき、明日食べるコメもないどん底におちて初めて竜三は再起を決意する。しばらくは順調に田倉商店再生が進んで、おしん洋裁の才能も手伝って、田倉は子供服店を開店することになった。しかし、その直後、関東大震災おしん夫婦の夢を完膚なきまでに打ち砕いてしまうのである工場火災で焼かれ、絶望した竜三は「佐賀ゆっくり休みたかおしん佐賀はいいとこばい。。。」といって佐賀への帰郷の心を固める。竜三は大地主の三男坊なのである。こうしておしんにとって地獄佐賀編がスタートすることになった。

さて、佐賀に三男の嫁として入ったおしんを待ち構えていたのは、姑による徹底的な虐待だった。数か月もすると、おしん佐賀地獄から脱出を心ひそかに誓い、東京師匠たかのもとに、東京に戻りたいと手紙を書くのであるたかの元にいけば助かる、自分の腕一本で生きていると信じた。必死の決意で脱出し、やっと髪結いを再開しようとするも、さらなる不幸がおしん絶望に突き落とす。佐賀で夫に振るわれた暴力が原因で、右手の神経に麻痺が残ってしまっていた。髪結いを諦めざるを得なくなった。

こうしておしん流転の人生が始まる。屋台出店からまり故郷山形酒田と流れ流れ、ついに浩太の紹介で三重伊勢の魚の行商に落ち着き先を見出すのである佐賀に残った夫といつかは一緒になれると信じて手紙を書き続けるのである

キーワード:浩太の恩】

浩太の実家貴族院議員の父を持つ、太い実家だと先に書いた。しかし、浩太にとって本当のやすらぎのふるさとは、おばの伊勢実家網元のひさの家であった。浩太は、流浪人生を送るおしんを見かねて、伊勢網元をやっているおばのところに下宿し、行商を勧めるのである。これまで米問屋での奉公に始まり、ラシャ問屋子供服洋裁、洋髪・日本髪、農家の嫁地獄酒田の飯屋をやってきたおしんめし加賀屋は加代とおしんが切り盛りし、おしんにとって加代の元気な姿をみた最後の思い出となった。その職業遍歴に今度は魚売りが加わることになった。

伊勢に来て、笑顔を取り戻したおしん。竜三もおしん魚屋をやる決意をしてくれ、おしん人生好転し始めていた。

一方、加代の人生は、暗転した。加賀屋本体が夫の先物取引の失敗で負債を抱え倒産した挙句、夫は自殺してしまう。八代家の両親は過労で衰弱、入院費を工面するために加代は借金のかたに売春宿に沈められてしまう。両親は相次いで亡くなり、生まれたばかりの希望を抱えた加代をみて、おしんは救出を誓うが、借金の額に手が出せなかった。加代は翌日酒を煽って死んでしまった。希望は田倉で引き取ることにし、加賀屋の再興を果たしたい思いから、養子にはせず、八代苗字も変えなかった。

一方、浩太は長く続けてきた農民運動に行き詰っていた。治安維持法により、弾圧が厳しくなり、ついに6年間も投獄され、苛烈拷問の末、転向を迫られた。敗北者となった浩太は、心身の傷をいやすために伊勢のおばのところに帰るのである。すっかり引きこもってしまい、おしんとも口を聞こうとしなかった。やがて、浩太は実家の縁談に応じて、並木家へ婿入りすることになって静かな人生を送るのである。やがて少しずつおしんとも再び心を開くようになるまで十数年を要した。

田倉家では、雄、次男の仁、そして希望がすくすくと育っていった。雄は戦争で亡くなるが、戦後も仁と希望兄弟のように母おしん魚屋を支えていた。大人になった仁が商才を発揮する一方で、希望商売に向いていない自分を見つめ直し、自己実現のために陶芸の道を歩みだす。

屈折10年、陶芸師匠の元で修業した希望がようやく独り立ちできる時期が来た。そのときに、希望のための釜・新居の支援をしたのは浩太である。お加代さんとの縁を思い出してのことである。浩太は、折に触れて田倉家のおしんを見守るように生きていた。おしんセルフサービスの店に挑戦するときも、銀行からの借り入れにあたって、浩太は並木の自宅を抵当にいれてくれたこともあった。

股旅物を取り込んだ現代劇~義理人情は古臭い観念かという現代人への問いか

さて、長いことおしんの半生を振り返ってきたが、一旦冒頭の仁のセリフ1983年の場面)に戻りたい。

仁が17号店の出店を並木商店の近くに計画していることを知っておしんが反対したときのことである初恋のひとに迷惑がかかる?「母さん、みっともないよ。」というのが仁の反応であった。しかし、もし仁が母おしんの半生をもう少し知っていればそんな言い方はなかっただろう。おしんは人の恩に深く支えられて生きてきたのである。田倉スーパーの出発点となったセルフサービスの店にしても浩太の支援があってこそであった。

ドラマ構成として興味深いのは、おしんの半生を、徹底的に(一年間のドラマの大半部分を費やして)一宿一飯の義理人情で「世話物」的に(つまり当時の生活感覚として)描いておきながら、おしん戦後現代にいたる高度経済成長おしん自身義理人情を忘れてしまたことに気が付く、というメタで重層的な構成であるおしんにしても、商売は食うか食われるかだ、という厳しい姿勢戦後を突っ走り、16号店までたのくらスーパー事業拡大させてきた戦犯なのである。それが今になって17号店は昔に世話になった人に迷惑がかかるから反対、はない。突然反対し始めた母を見た1983年の仁の目からは、義理人情なんて古臭いものだという感覚であり、母の物語は「世話物」ではなく完全に「時代物」なのである。大切なものを置き忘れてしまった気がしたおしん問題17号店開店当日、失踪する。この世話物時代物が交差する、ところもドラマおしんの魅力である

2024-10-11

anond:20241011171957

昔のヤクザの安っぽいタトゥにそっくり

ファッションでいれるなら、カラーワンポイント柄が日本人肌色には映える。

センスのいいモダンアートが彫れる彫り師に恵まれなかったみたいな印象。

anond:20241011124549

都筑区に住みたいなあ

駅前が全部ちゃん設計されてるモダン雰囲気なんだよなあ

あんなオシャレ空間で登下校する女子高生勝手に美意識が磨かれるんだろうなあ

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