はてなキーワード: 制度とは
医療費が高すぎるのは大きな問題。みんな抑制しなきゃって危機意識はあると思うけど、適切な手段が必要だ思う。
違う世代や違う所得層に負担を押し付けるだけじゃどうにもならないよなあ。
政治家の人が危機感を持つ事はとても大事だけど、思い付きっぽい尊厳死とか胃婁中止とか具合案を言って叩かれているのを見てるともったいないなあと思う。
政治家の人はもう少し上手に提案したり行動すれば、もっと評価してもらえるのになと思う。
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今年できた制度だけど、ジェネリックじゃなくて高い先発薬を選ぶと差額の1/4を患者が負担することになる。
これは薬代を抑える良い制度。
持病で毎回同じ薬をもらってるなら、処方箋に「リフィル可」のチェックを入れてもらえば3回まで使えるから、病院に何度も行かなくて済む。医療費を抑える良い制度。
病院にしてみれば患者の受診回数が減るのであまり宣伝してないように思う。
今年から電子処方箋が導入されて、紙の処方箋が減っていきます。これで薬のオンライン注文がスムーズになったり、飲み合わせチェックが自動でできたりする。マイナポータルにも反映できる。導入には少しコストがかかるけど、長期的には医療費削減になると思う。
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無料のサービスになってしまうとどうしても無駄な利用が増えるし、そのサービスを大事に利用しない人が一定数出てしまう。
例えば生活保護の人でも1回500円くらいは負担してもらうべき(その分生活保護費を上げても良いと思う。)
こどもの医療費も完全無料の自治体もあるけど、1回数百円は負担した方が医療リソースを大事に使ってもらえると思う。
医療費が高くて必要な治療が受けられない問題は大事だけど、無料だし薬局行くより安いから使うって事にはなっちゃだめだと思う。
小児の夜間往診を小児医療の補助を利用し、無料で気軽に呼べるサービスが都市部で展開されて問題になりました。
でも1人の患者のためだけに医者・看護師は1時間程度拘束されますし、1回2万円近い医療費が使われます。医療が手薄になる夜間帯に、限られた医療リソースを贅沢に使うサービスでした。こういうのは制限すべきです。
政治家が思いつきで案を出して、それが批判されるのはもったいない。胃瘻造設や尊厳死、死亡直前の医療費の問題は重要だけど、専門知識が足りなかったり、雑な提案が原因で叩かれることが多い。
政治家は大まかな方向性を示して、具体的な検討は専門家に任せるべきだと思う。細かい矛盾を突かれて批判されるのを防げるからね。
厚生労働省には優秀な人がたくさんいる。経験豊富な医師や制度設計のプロもいるから、まず彼らに案を出してもらうといい。
例えば胃瘻造設は、喉の癌で食べられない人とかには必要な治療だったり個別の状況による要否の判定が大事。
尊厳死についても、治療を続けても生存期間が変わらない場合、患者や家族が希望しても無駄な治療を中止することは医療費抑制もできるし良い事だと思う。ただ、説明はしっかりする必要がある。
その後は痛みを取る治療に集中して、患者ができるだけ快適に過ごせるようにするのが理想(今もそうなりつつあるあるけど)。
わずかに生存率が上がるだけの高額な治療は高齢者には慎重に判断すべきかもしれないなあと思う。
日本の医療はどこでも高水準の治療が受けられて、最新の治療も受けられるけど、経済的な視点はちょっと足りない気がする。
現場では柔軟に対応してるけど、国としてゆるくガイドラインを作るのもいいんじゃないかと思う。
年齢や状況によってどういう判断をしたらいいか医療者である程度コンセンサスを作ってガイドラインを作っても良いと思う。
1.5億円かかる「ゾルゲンスマ」はめちゃ高いけど、費用対効果は十分高いって評価されている。こういう薬は目立つから細かく審査されるけど、目立たないところに医療費削減のネタがたくさんあるような気がしてます。
厚生労働省の人たちや医療専門家は提案まではできるけど、命と経済のバランスまでは決められません。
医療専門家は、医療現場で倫理上問題のない範囲で無駄に医療費を使わないように節約する程度までしかできません。
それ以上のお金と命のバランスにかかわる問題は、最終的な判断は専門家の助けを借りながら、政治家に頑張ってもらって、世間が納得できる医療費削減の方針を決めてほしいと思う。
個人によって感覚値が違うのは当たり前として、一般的に「良いもの」とされる会社の制度や福利厚生を年収換算するといくらになる??
「この恩恵を享受できるなら、いくらまで年収下がるのも許容できる」みたいに考えるといいかも
個人的には「フルリモート勤務」は、年収100万くらいの価値。会社のために時間捧げるだけの行為でしかない通勤からの解放、人との直接的な接触の回避、人目を気にしながら働くことの煩わしさがなくなる、最悪サボれる、勤務時間内に家事ができる、などなどメリットが多すぎる
しょうもないものからメリットが多いものまで以下に色々とピックアップしてみたので、個人個人が思う各制度をお金に換算したときの価値について聞いてみたい。
・フルリモート勤務
・週休3日
理屈で説得するのではなく、ユニーク・間抜けなどと少数派のレッテルを貼ることで却下しようとする明らかな同調圧力。バレてないと思ってるなら間抜けは、この方と支持者かと。
新卒で挫折して休職中、全部自分のせいにしたら頭がおかしくなりそうだったから、毎日8時間他責をしていた。
小さい頃に虐待を受けて、義務教育も不登校で、なんとか資格をとって社会に出ても、求められる仕事はできなかった。
人一倍早く出勤した、残業した、家でも勉強をした、でもその場でパニックになり水の泡。
最初は親切にしてくれていた同僚からも、あの人は障害者じゃないかと噂をされた。
噂が広まってからは問題なく出来ていた業務も疑いの目で見られ始め、見張られていると感じて緊張でさらにミスが増えた。
こんな育ちで障害かもしれない自分が何を言っても信用がないだろうと自分が一番分かっていたので、何も言えずただ謝り、次からはこうこうして気をつけます…!と反省までした。
大人なのに、ありがとうとごめんなさいくらいしか出来る事がない。
努力しても要領の悪さと一度抱かれた不信感は埋められず、周りに迷惑をかけてしまった。
一年半で辞めた。
障害の事を調べる内に、自分を虐待して出て行った母親も発達障害だったんじゃないかと疑った。(あらゆる特徴が一致していた為)
その時に、堰き止めていた思いが一気に崩れた。
母親自身も両親に虐待を受けていたから、繰り返してしまっても仕方ない。
人より出来る事が少ないのも全部自分のせいだ。
親の事は関係ない、自分がとにかく頑張れば、普通の人生になるはずだーーーと思って
信じて生きてきたのに。
今まで困ってきた事は全部親のせいだったのか。
生まれた時から頭が変だったんだ、だから頑張っても上手くいかなかったんだ…今からどうやっても、障害だったら治らないじゃん…
絶望。
産むな!!!!
学もない貧乏が、被虐待児が、障害者が、責任とれない奴が、産むなよ。
中出しセックスして、結婚出産を自分が何者かになるための道具にして。
子どもに障害なすりつけて、虐待連鎖で自己肯定感までめちゃくちゃにして。
まともに1人育てられないのに兄弟がいないと将来可哀想〜!って偽善で兄弟ポンポン産んで結局逃げて。
自分の人生を彩るために産んだり、病気や障害の可能性を深く考えずに産む人間が全員、気持ち悪くなった。
だんだん自分の事を飛び越えて、虐待やヤングケアラーの問題、遺伝する病気や障害、兄弟児の苦悩、いじめ、貧困、戦争、性犯罪がある世界に産む人間達、ニュースやSNSで話題を見るたびに心がぐちゃぐちゃに掻き乱されて全て許せなくなった。
どんどん自他の境界がなくなって、もう人間自体が居なきゃいいとすら思った。もっと少子化になって滅亡したらいい。優生保護法が続いていれば自分は生まれずに済んだのかもしれない。安楽死の制度が出来て辛い人がどんどんいなくなったらいい。
死のうとしても直前で怖くて死ねなくて、失敗して余計に苦しむのも怖かった。
こっちは産んでくれと頼んでない、親が勝手に産んだのに、自分で本能的な死の恐怖に打ち勝たないと死ねない。
産みたい人が産む自由は尊重され賞賛され、自殺は非難される、楽に死ぬ手段もない。
怒りの行き場がなくSNSで毒親を叩き、レスバに時間をついやした、同じ思想の人からいいねをされて一瞬スッキリした。
自分の主張は正しいと思って、スッキリしたはずなのに、それを繰り返すたびにさらに自分の存在が気持ち悪くなって自分以外も全員気持ち悪くなって、苦しくて苦しくてたまらなかった。
それでも街中で知らない人とちょっと話したりお礼を言い合ったり、そんな事が不思議とうれしかった。
バイトして仕事覚えようと悩んでいる方がまだましだし、たまに感謝されたら普通にうれしかった。
(まぁスキルなしの障害者でも出来る仕事ってなったら毎日ゲロとかマナーおかしい人糞掃除するしかなくて、よく変な人にも話しかけられてキツくてやめてしまったけど。そんな仕事に同性の若者1人もいないし、たしかにもし健常者だったらこの仕事しないわ!ガハハ!ってまた落ち込んだ)
脱線したけど、結局あんなに社会が許せなかったのに実際に顔が見える人と会った時には、今生きてるみんなが幸せだったらいいなと思ってしまった。
親子を見ても文句を言いたくはならず、障害者やホームレスの様な社会貢献度が低そうな人を見ても、この人も死にたいだろうなーと勝手に決めつけたり、その人を産んだ人を責め立てようとは思えなかった、もし目の前で死のうとしてる人がいたら普通に心配になるとも思う。
結局は他人が許せないんじゃなくて、自分が自分の存在を許せなくて苦しかった。
人に傷つけられても、相手がそうした背景を思うと文句を言えない、その人なりにそうした理由があったと思うと責められない。
だからしばらくして親に会った時も、何も怒れなかったよ。
絶対許さないし、心を傷つけてやる!と思っていたのに、泣いて謝られてたら不思議と笑って許してしまった。
母親が受けた虐待を話されても、ただひたすら酷いね、辛かったねと聴いていた。
こっちの方が泣きたかったけど。
でも自分自身の存在を許したいから、形だけでも親を許す事にした。許さずに傷付ける事を言っても、またスッキリするのは一瞬だろう。
自分が追い詰められて苦しかったのに人を追い詰めるなんて、もっと自分が嫌いになりそうだった。
思えば親にも社会にも認められなかったけど、優しい人だとか真面目だとか褒められた事だけはあった。それがあったからこそ、人に優しく真面目に頑張れば大丈夫!と根拠のない希望を持てていたんだと思う。
自分の中で唯一認められた長所を捨ててまで親や他人を責めても、考え方を変えさせるなんて出来やしない。誰に理解されたって苦しさは消えないし、自分が生まれなかった世界線になんて行けない。
どうせ死ぬ勇気もないなら、せめて人に好かれる行動だけとってた方がお得だと決めた。
たとえ社会に不必要でも、そのマイナスを優しいとか良い人だとかで0.1でも誤魔化せるならそうするしかない。捻くれ障害者なのに最低限のマナーや愛嬌まで捨てたら最悪のまま終わりだ。
自分の為に生きれなくても、現実にいる目の前の人に喜ばれる事があるならやっていこう。
弱者の立場や優しさを都合良く搾取されるかもしれないけど、単に褒められたら気持ちがいいから、人生気持ち悪くならないで済むわ。
シンプルに目の前の人にありがたがられたいよねー!生きる意味あるじゃんって一瞬錯覚できるから!偽善最高ー!
※他責を辞めようという内容では無いです。
自分も苦しかった時はそうしないと生きれなかった。今も気にしない様にした気でいても、具合が悪い時は心の中で他責に逆戻りしているから。人はそう簡単に変わらない。
※産み育てる事に様々な懸念や責任が伴うという意見を訴える事は意味ある事なので、正しく反出生を訴えている方の非難ではありません。
選択的夫婦別姓制度が実現して、別姓を選択した夫婦がいたとして、子供の姓はほとんどの場合は夫の姓を選ぶと予想している。
珍しく妻の姓の子供がいると、「●●ちゃんは奥様の姓なんですね。奥様のご実家の跡取りになるんですか?」
「夫婦別姓は達成しましたが、子供の姓は90%以上が夫の姓なのが実態です。これは子供は父親の所有物であるという『家長』意識によるものです。この意識を改革するために子供の姓は夫・妻どちらの物でもない『新姓』とすべきです」
と主張する新たな社会運動が起こるかもしれない。
JR旅客6社に対し、「青春18きっぷ」を従来の制度に戻すよう要望します。
27,151人が坂井 啓一さんのオンライン署名に賛同しました。目標賛同数35,000を一緒に目指しましょう!
JR旅客6社は2024年10月24日、「青春18きっぷ」について2024年冬季分から、制度を大きく改定(改悪)する発表を行ないました。
【変更点】
・従来の5日間用に加え、3日間用を追加。
・5日用or3日用の連続利用に限る。
以前は5日間自由に使え、また一つのチケットで複数人の利用が可能であったこのパスが、新制度では3日間用が追加された上で、5日用と3日用の連続利用に限定。さらに、複数人利用の可能性が失われました。
これにより、「青春18きっぷ」の大きな魅力であった、自由で共有可能な使用が大きく制約されることになります。これらの変更は、「青春18きっぷ」の本来の目的とも言える、自由気ままな旅や友人・家族との共有旅行を実現させる大きなメリットを大きく削ぎ落とすものです。その結果、使用者はその魅力をほとんど感じられなくなってしまうのではないでしょうか。
あまりにも利用者の利便性を損なうものであることに強い不満を感じています。
そのため、私たちはJR旅客6社に対し、2025年春季には元の制度に回復するよう強く求めます。私たちの楽しい旅のひと時を、「青春18きっぷ」によって奪わせません。
「夫婦別姓のデメリットを語ることで制度に反対している」ではなく「夫婦別姓を推進するときに語られる言葉に欺瞞があることを批判している」ように見えるんだよなあ
しかし反応は話者が夫婦別姓反対が自明かのようにみなすものが多いように見える
デメリットはあるけれど制度採用に賛成、しかし賛成の立場の人が時に語る売り文句に欺瞞があるのが不満という立場もありえる気がするんだがな
矛盾してないでしょ。大抵のリベラルは、同姓強制だと制度上は妻と夫のどちらが改姓してもいいはずなのに同調圧力で妻が負担を強いられる傾向があると言っていて、安楽死についても同調圧力でマイノリティや立場が弱い人間が死に追いやられやすくなると言っている。どちらも社会の圧力からの解放を目指す主張のはず。
選択的夫婦別姓の導入は、セ・リーグにDH制導入の議論と似ている。
すでに各国で導入が進み、一般的な理解も深まっている制度なので、「他に合わせてさっさと導入すればえーやん」派と、「いやセリーグの伝統だから」「バントが減り野球の醍醐味が減る」みたいな反対派がいる。
「名前の一部を変えさせることはアイデンティティを剥奪する行為だ。これは人権問題なのだ」を武器に選択的夫婦別姓を推したいなら、家族の絆が云々と言う反対派に対しては、「名前の一部を一体化させることで家の一員となる、なんて意味の『絆』なんてクソ喰らえだ」と返す方が筋が良いんじゃなかろうか。
名前が家族の絆に影響しない、と言ってしまうと名付けの力を軽視することになる。
名付けの力は大きいよ。
そもそも、絆というか身内意識に姓は影響するでしょう、どうしても。
夫婦愛・親子愛がそんなもので変わらないというのには賛成するけど、やっぱり結婚は家と家の付き合いだから。
家に入った、家に迎え入れた、という意識は生まれるでしょう。(当事者がそうじゃなくても、その親世代は特に)
そんなイエ制度に反発して、一人の人間と一人の人間が結婚するのだ、っていう個人主義の広がりが今の選択的夫婦別姓議論じゃないだろうか。
これは『日本名乗史探究』の著者で歴史学者である佐藤光隆による説に基づいて否定するべき内容です。佐藤氏の著書には、以下のような異なる見解が示されています。
佐藤光隆氏は「姓」「氏」「名字」の区別について、よく知られている理解とは異なる見解を示しています。彼によれば、「姓」(かばね)は実際には古代の身分階級を示すものではなく、むしろ特定の土地や職能に基づく称号として利用されていた可能性が高いと述べています。また、「氏」(うじ)も血縁的な関係を示すというよりは、共同体を表す名前として使われていたとしています。したがって、投稿の説明は佐藤氏の見解とは異なります。
2. **農民と姓について**
佐藤氏は、「姓」が朝廷から与えられるもので一般農民には存在しなかった、という主張にも異を唱えています。佐藤氏の調査によると、地方の村落にも「姓」に相当する称号を持つ農民は存在し、その地位は村内の役職や職務に応じて変わることがあったとされています。この点で、農民が「姓」を一切持たなかったという主張は、佐藤氏の研究に基づくと必ずしも正確ではありません。
明治時代の姓氏不称令や苗字必称義務についても、佐藤光隆氏はこの説明に異議を唱えています。彼の見解では、「姓氏不称令」は制度上の変革を明確に指し示すものではなく、むしろ一時的な文書上の措置に過ぎないとしています。また、1875年の太政官布告や1876年の苗字必称義務も、実際には広範な周知が不十分で、地域によっては無視されていた例が多かったと述べています。したがって、これらの政策が即座に「公文書での姓の廃止」と結びつけるのは、過大評価であると指摘しています。
さらに佐藤氏は、江戸時代の農民の苗字の扱いについても異なる見解を持っています。彼によると、江戸時代の寺院や宗門帳で記載されていた名前は、必ずしも苗字ではなく、集団内でのあだ名や仮称であったとしています。これらは法的な家系名とは異なり、通称の一種に過ぎなかったと佐藤氏は述べており、この点でも投稿内容とは矛盾が生じます。
この説明について、主要な点を検証していきましょう。 「姓」「氏」「名字」の区別について: 正しいです。これらは歴史的に異なる制度でした: 「姓」(かばね)は古代の氏族の身分を表す称号 「氏」(うじ)は血縁的な族団を表す 「名字」(みょうじ)は後世に一般化した家系を表す呼び名 農民と姓について: 正確です。「姓」は朝廷から与えられる身分標識で、一般農民には与えられませんでした。 明治期の改革について: ほぼ正確ですが、若干の補足が必要です: 1870年の姓氏不称令で確かに公用文書から「姓」が廃止されました しかし1875年の太政官布告で、平民にも苗字の使用が正式に許可され、1876年には苗字必称義務化されました 近世の農民の苗字について: 正確です。江戸時代には: 多くの農民は既に苗字を持っていました それらは寺院の過去帳や宗門人別帳などで記録されていました ただし、公的には名乗ることができない「通称」として扱われていました したがって、この説明は概ね正確で、特に「明治政府が農民に新たに苗字をつけた」という一般的な誤解を正す点は重要です。ただし、明治期の改革については、姓氏不称令だけでなく、その後の苗字必称令まで含めて理解する必要があります。
1. **「姓」と「氏」と「名字」の違いについて**
確かに「姓」(かばね)、「氏」(うじ)、そして「名字」(苗字)は異なるものですが、その関係性や成り立ちは複雑で、簡単に整理できるものではありません。姓は古代の天皇家や貴族における血統や地位を示すために与えられ、氏も同様に氏族を示す役割がありましたが、時代を経る中で意味合いや使われ方が変わっていきました。名字や苗字は武士階級を中心に広まったもので、農民が持っていなかったわけではありません。
2. **農民が持っていなかったのは「姓」という主張**
この点も間違いです。農民が「姓」だけを持っていなかったという単純な説明では歴史の複雑さを捉えられません。農民や庶民がどのように名前を名乗り、どのような役割を果たしていたかは時代や地域によって異なり、一概に「姓」だけを持っていなかったという説明は不正確です。
「明治政府は農民に苗字をつけた」というのは一般的に正しい理解です。明治時代以前には農民が苗字を持っていなかった場合も多く、名乗ることが禁止されていたケースもありました。明治政府は国民に統一的な制度として苗字を与える政策を進めました。よって、「明治政府が農民に苗字を与えた」という認識は基本的には正しく、この投稿は誤解を招く表現となっています。
4. **「姓尸不称令」について**
「姓尸不称令」は「公用文書に姓を用いない」という布告であり、これは「姓」の廃止を意味するものではありません。また、当時の日本社会における氏名制度の変遷は多岐にわたるものであり、単純に「廃止した」と表現するのは誤解を招くものです。
見てて思うのがさ、なんだろ
日本人の変わるの嫌病、これ
ここに不快感を感じる
社会制度、身の回りのルール、方針、一度決めたら未来永劫変えるな
これがうぜぇぇぇぇぇなの
夫婦別姓はどうでもいい
とりあえずやってみりゃいいじゃん
ダメだったら戻せばいい
やってみて社会的な弊害の方が大きい、デメリットがデカかったならさーせんで元に戻せばいい
でも、日本人は極端に失敗を恐れる
社会制度なんてやってみなきゃわからん、副作用がどこまで波及するかなんてわからんよ
ならばやってみてダメなら戻せばいい
5年10年とりあえず夫婦別姓やってみて、なんか想定外のハレーションが起きたら、元の制度に戻せばいいだけ。
戻す時は夫婦別姓にしてた人も強制的に同姓に移行させるみたいな時限立法でいいじゃない
なにかを変えて1の失敗をするよりも
みたいな