はてなキーワード: 高須とは
実は「松本の笑い」というのは単体では成立しない
というのも、本人も語ってる通り、浜田と一緒でなければ吉本に行かなかっただろうって言ってるから
で、三人でつるんでた伊東、浜田、松本で伊東と浜田が喧嘩した時、浜田を選んでいる
喧嘩の発端は2003年12月27日にて開催された『放送室 高須ちゃん生誕40周年祭り』日本武道館公開録音にて、伊東本人が「浜田が俺の弟をようおちょくって、最初は俺も笑っとったけど段々兄貴としてムカついた」ことが喧嘩に発展したと述懐している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E5%BF%97#%E7%B5%8C%E6%AD%B4
この記述の通りなら、浜田の笑いは昔からイジリ芸からの嗤いだったことが分かる
ダウンタウンとして人気が出て
いまさらそんな必死に切断しようとするくらいなら相方になるなやって思うんだよね
汚い事は全部浜田に背負わせんのか?と
元増田ですけども。
男性は女とは違って「嫌がっているのにセックスさせられても自業自得の自己責任だ」、とか、男性は「尊敬する先輩男性のために違法ギリギリ(構図は売春あっせんです)の女衒のようなことをするのが当たり前だ」みたいなことですかね。
それとも他の点においてですかね。
男は女より切実にセックスしたい性別なんやで!一度セックスしたくなったら後戻りできへんねやで!、みたいなことですか?それ、法改正されてるので改正前よりもびっくりするぐらい有罪になりやすくなりそう(それまでは立件が難しく泣き寝入りすることが多かったから改正された)ですし、そもそも女だってちゃんとセックスしたい人はしたいですし一度スイッチ入ったらやっぱりセックスしないわけにはいかないわよ!てなります。
男は女と違ってより多くのタネを残したい生き物なんや!(これ、しょっちゅう松ちゃんが言ってたよね…そして高須っちゃんが引いてた)って話ですかね?それは現代でもお互いの合意があれば愛人との間に子供がいる人(というか婚外子)は割と多くいますし合意があれば合法です。合意があればな。婚外子は数年前の民法改正では、嫡出子よりも権利が小さかったんですよ(おどろくよね現代日本なのに生まれの違いで法律の扱いが違ってたのよ2016年まで)。でもそれも改正されたので、双方合意があってちゃんと愛人の子にも養育費を支払えるなら全然合法です。合意ならな。ちゃんと金払うならな。
まぁ↑は私の勝手な想像なので、あなたが言っている非対称性を教えて?具体的に例示をしてもらえると、あなたの言うことも私に理解できるかもしれないし、反論するにしても、↑よりはもう少し穏当にできるんですけど。
もっと言えば、あなたが考える「男女の非対称性」があるとして、お身内に女が一切いない環境でもないでしょう?母親はいるでしょうし、彼女や妻や娘や、女の知人友人もいると思うんですけど、そういう人たちに向かって「男女には非対称性があるんだから、男は松ちゃんみたいなことをしても当然なんやで?女は黙っとき?」とか言う感じですかね…
そういえば思い出したけど、松ちゃんは若い頃、娘は要らん(男のえじきになるから的な)て言うてたり、あとはこれはネタとしてだけど娘が出来る奴なんてダメな男だ(産み分けができると信じている様子でした)、女を満足させられてたら男が生まれる、ハマタはアレやが男2人産んでるから中々のもん、娘しかいない遠藤はあかん、田中は普段なよなよしてるけど息子2人で、あれでなぁ、とか言うてたんだよな。
で、松ちゃんは娘一人なんだよな笑
めちゃめちゃ口語でテキスト書いてて、別に女であることを隠す必要ねえか(一昔前はネットで「女」だと疑われた瞬間に謎のハラスメントの矢がいくつも飛んできてきたもんじゃよ。なのでネットでは無性別テキストを使用していた)、と思って書いていたので、女だと思わなかったとブコメられて驚いているのですが、さては「女!なら叩く!!!!」みたいな、ゼロ年代のにちゃんねらーのノリじゃなかろ?令和にもなって。
日頃、ブクマもしてるんですけど、結構前からブクマにも松ちゃんイタイわ、とか言っているので、そういうことではないです。
むしろ「色々イタい人だけど面白いとずっと思っているし、一方で、熱量強く好きだった時でも「この松ちゃんはなんだかなぁ…」といやな気持になること結構あったので、それを、なんかいいように/または悪いように歴史修正されたくないなぁと思って書きました。
昔は天才、セックススキャンダルが起きた今は凡人と言いたいわけではないです。
「(下半身も倫理観も、そしてお笑い能力においても)ダメなところもたくさんある、でも面白い芸人」だと思っている人が、ここにいますよー、と言いたかったのです。
「あの癇癪は面白がらせようとしてやってんだよバーカ」という見解も理解できますし実際そういう側面もあると思う。でも、どちらかと言うと「コントロール不能な癇癪が出てきてしまったが、周囲の協力もあって何とか笑いにできた時もあった」という程度だったんじゃないかなあ。記憶が美化されてない?
そういえばHEY3で誰かとテトリス対決やって勝てなくて癇癪起こしてたこともあった記憶が。私そのころはもう「ダウンタウンの出てるTV全部見る」みたいな状態ではなかったので又聞き&その時に聞いた友人たちからも批判的なニュアンスが強かったんですよね。
放送室のどこかの回で「別の松本が出てくる」というような話をしていた回があったかと思うので、誰か音源を持ってる人が居たら確認してくださると。ラジオ番組のCDを出してたんで、持ってる人は持っていると思います。言うこと聞かないもう一人の松ちゃんがでてきてもーてたな、とか高須っちゃんに言われてた記憶があるので、おそらく「笑わせようとして制御した癇癪」ではないのではと私は思っています。異論ももちろんあるでしょうが。
私も分かんないんですけど、吉本興業とABCが終わらしてくれない可能性は小さくないんじゃないかなと思っています。
もちろん多くの芸人さんにとって「松本人志に高得点を入れてもらいたい」というのは、強いモチベーションになっているとは思いますが、リアルタイムでダウンタウンの漫才やコントを見ていた層はもう審査員席に座っている世代で出場者も当然若くなりリアルタイムでダウンタウンがお笑いをやっている」ところは見てない人たちが大半。「松本さんの評価が高かった」という形骸化されたトロフィーのようなものになっているのかなーと思ったりもするので。
出場者数も馬鹿みたいに増えているてその分「M-1の運営で飯を食ってる人」も増える。あとはM-1は決勝メンバーで営業ツアーをやったりしているらしいし、中川家・サンドイッチマン・ナイツの漫才ツアーという(すごく楽しそうなのだが行ったことがない)、儲かるショーバイとしての広がりも見せている。M-1で稼ぎたい人が多くなればなるほど、松本が審査員から降りようが、大人のショーバイの都合でM-1はマストゴーオンする可能性は高いんじゃないかなぁ。確か、after紳助のM-1再開後の年は、松ちゃんは紳助への仁義もあるし的なことで審査員をやってなかった記憶がある。それでもまぁM-1は行われたし次の年にシレっと松本人志は審査員席に座っていた。松本さんもそういう風にやっていたわけですし。
お上品ではないです。お上品ならダウンタウンでげらげら笑わないと思う。下劣だったり差別的だったりするのもお笑いだし多くは許容できるんですけど、私は女なこともあってか、ミソジニーが強く出ているネタは、ダウンタウンだろうが別のお笑い芸人だろうがちょっと笑われない時があります。それは上品だからではなく、私の「なんで笑いたいのに不快な気持ちになるんだ」という個人的な都合です。
「皆好きだって言ってるけど、どうも乗れない零れ落ちるミソジニー感を受信しちゃってどうも…」ということで言うと、バカリズム、和牛、ニューヨーク、ブラックマヨネーズ、さらば青春のとか、面白いネタも多いしお見掛けするとゲラゲラ笑う時も多いんだけど、なんかどうもなー、もうちょっとちゃんとミソジニーがこぼれないようにジップロックのふた閉めてくれへんかなーって思う時もある。それはダウンタウンの若いころにも思っていました。
でもこれは私が女で、ミソジ強い人がどうにも苦手という個人的な事情であって、上品だからではない。上品な人はそもそもお笑いを見ないだろう浄瑠璃とか見てるんちゃう知らんけど(浄瑠璃も世話物できわめて上品ではない話だったりするけども)
そういえば、寄席で落語を見ていると噺家がよく言うマクラで、白杖の人(目が見えない人)が客席にいたら出来ないネタがある、というのがありますね。師匠から連綿と小さい寄席で続けられてきた芸ならではの処世という感じ。お笑いってのは根本的に上品ではありえないし、それを言えば人間は根本的に下品だしね。
ハマタさんについては、故ナンシー関(消しゴム版画家)の「いま日本で一番メガホンが似合う男」という言葉があって、まさにそれが言い表しているのかなと思います。あとは水ダウの「結果発表~~~~!」の企画とかね。
松ちゃんという天才の相方として諦めたこととかも結構あるのかな、とたまに思う時はある。徹底的に「回答者席」に座ることがないんだよねハマタさんは。その代わり日本で一番メガホンが似合うし結果発表の声がでかい。
たけしが松ちゃんとのインタビューで「相方の能力がすごいのが羨ましい」って言ってたのを覚えている。たけしはなぁ、相方きよしさんだもんな。きよしさんは今回の件でもXでいっちょ噛みしてて笑った。
息子さん(ハマ・オカモト)のベースが死ぬほどくっそ上手くてカッコいいのとしっかりとしたタレントさんでもあるので、ハマタさんはかなり良いお父さんなんじゃないかなと思ったりしている。
愛人がいる報道は定期的に出てるけど女性からの被害訴えが今のところないので、それならば当事者間(ハマタさんと家族と愛人)の問題ですね。まぁどっちかと言うと下半身はたけしタイプ(ヤリコンではなく愛人)なのかなと想像。しらんけど。
(誰も読んでないだろうけど追記)
そういえばハマタさんは「回答席に座ったことがない」どころか、ひな壇や「その他大勢の場」にセットされたことが、ほぼ無いのではと気づいた。松ちゃんは「大喜利の回答者の一人」になっていたけれど、ハマタさんは若手の頃からずっとMCだ。
「ひな壇に大勢の芸人を並べて…」というバラエティのスタイル自体をダウンタウンが作ってきたような面もある(DTDXなど)から、というのもあるからひな壇経験がないということもありそうだけれど、例えば「one of コメンテイター」みたいな場所にいるところも見たことがない。しいて言えば笑っていいともか。そりゃダウンタウンはいいとも嫌いだったのも納得できるし、逆にハマタをひな壇に座らせたらずっとそっぽ向いてリアクションとか絶対に取らなそうだ。
ダウンタウン、好きだったんですよ。
蛇足を補足しました***************************
https://anond.hatelabo.jp/20240116110533
訴訟をうけて更に心に湧いた感想を書きました(24/1/24)
https://anond.hatelabo.jp/20240124115643
以下本文*************************************
中学生~就職するぐらいまで。80年代の後半から2000年すぎぐらいがピークで好きだった。
東京に住んでるんだけど、雑誌で「今大阪ではダウンタウンっていう面白いコンビがいる!」という記事を見かけて、大阪に住む従弟にお願いして4時ですよーだのビデオを送ってもらってクラスの友達と見たりしていた。関東地方だとなかなか見られなかったから渇望感もあって、東京で見られる番組が始まった時はすごい熱中して見てたなぁ。夢で逢えたらも深夜の1回目から見てたし、ガキの使いも第1回から、ごっつええ感じもパイロット版の時から楽しみで、レギュラー番組始まってもリアタイで見てた(彼氏とデート中でも今日はごっつリアタイするから帰る!といって家に帰ってた)。笑っていいともも録画して見てた。現実で追っかけしたりはしなかったが(面倒なので)、ガラの悪い言葉を使い攻撃性の高い悪いことをだらだらと話すガラの悪い二人組が新鮮だったし、実際とても面白かった。
面白かったんだけど、どうしてかいつの間にかあまり見なくなり、そして「あーあ」と思ってしまうようになった。なんでそんな風に自分が変化したのか、大昔の面白くて夢中だった時の記憶を掘り起こしてたのだが、そうすると、今回の事案にもつながるような「あー松ちゃんのこういうところ嫌いやー」って思うところがリアタイ当時から結構多かったなと思い出してきた。嫌いなところが結構あったのに、それでもダントツに面白かったんだけどね…。
松ちゃんはかなりの癇癪持ち。癇癪発動中のシーンが苦手だった。「ごっつええ感じ」という番組は日曜20時~毎週1時間のバラエティ番組で、コントと企画コーナーのほかにチーム対抗でゲームをやるコーナーがあった。そのゲームでうまくいかないと松ちゃんは簡単に不機嫌になり癇癪を起こす。持っている道具を投げたりとかする。なんで面白がりたくてTV見てるのに不機嫌な人を見続けなきゃならんのか…とチャンネルを変えることもあった。今思うと、短気の癇癪持ちは年を取っても治ってないどころか悪化してたんかなと思う。
彼らがまだ若手のころ、深夜で大喜利の番組(ダウンタウン汁、だったかな)をやっていた。もちろん松ちゃんは面白かったが、同時にそこそこの打率でドン滑りもしていた。大喜利のセンスは実は本人や周囲のイメージほどは高くないんじゃないかなと当時から思っていた。その番組だと突出してたのは板尾で、コンスタントに打率がいいのは今田、たまにすごい面白いのは東野。ほんこんさんは当時も今も変化なく面白くなかったがそれはまぁ今回の件とは関係ない。
この「松本的ファイトスタイルの大喜利」は今のお笑いの礎になってることは確か。でも一方で、みんなが大喜利楽しむようになって、松ちゃんより大喜利上手い芸人たくさんいるね…とも思う。いい時代になった。
松ちゃんは、ドン滑りしたあと照れてかわいくなってる時もあるが、えーなんでぇ!とデカい声で不満を言ったりジャッジをしていたハマタに悪態付いたりしたり、回答席に並ぶ後輩たちに嫌味を言ったりと滑ったあとのおムズガリがすごかった。この癇癪が発動していると、何でこんなの見てるんだとお笑いの世界から正気に戻り私はTVを消して寝ちゃう。
大ベストセラーのエッセイも読んだ。それなりに面白かったのだがそれよりも賢さがあまり感じられない文体で、分かってはいたが正直少し引いた。たけしの週刊誌連載はたけしが喋ってるだけでライターが書き起こししてるが松本は自分で全部書いている、というのが喧伝されていたが、喋り起こしの方が口語体の雰囲気が残って逆に賢くなさが目立たなかったんじゃないか。当時は大学生で中学生相手の塾講師をやっていたのだが、中学生の作文みたいな感じだな…と思った。内容や主張は、まぁTVで日々見聞きしてることとそこまで差がなかった。
知的ではない、ということで言えば、ダウンタウンはタモリとの相性が良くなかった。笑っていいともが楽しくなかった、というのは後に本人も言っていたが「タモリを中心に和気あいあいと出演者がしゃべっている」のが嫌だったという趣旨のことを言っていて、改めて、まぁそうだろうなぁ…としみじみする。
松本人志と高須光聖の放送室というラジオ番組が始まって、しばらく聞いていた。思えばこのラジオ番組が、私にとっては好きなタレントではなくなっていく過程の番組だったんじゃと思う。ラジオ番組の中で悪い遊びをした話などが語られていて、こちらは社会人になっていたので、芸人とは言えうーん何か、と思うようになっていたのもある。「悪い遊び」は要するに今般話題になっているような遊びだったんだろう、高須氏はどちらかというとその遊びには混じってはいない様子で、「悪い遊びの話を適度にマイルドにして話させる」役割。そして内容がやばすぎそう…となると「ええなー自分、でもほどほどにしときーや」とか言っていたので、一部のブコメで「女衒の放送作家って高須ジャネーノ?」というのは、知らんけどたぶん違うと思うで?と言っておきます。
高須氏に諫められた後の松ちゃんは聞く耳持たず、俺が一番正しい!と叫んだりする。例えば社会問題(アメリカが嫌いだという話とか、女性差別度の強い話など)テーマの時も、あまり行き過ぎないように窘めるニュアンスの合の手を入れる高須っちゃんに松ちゃんがだんだんイライラしてキレる、というのも、年に両手の数では足りないぐらいはあったと思う。やっぱりイラチよね…「間違ってようが、どうあっても俺が正しい!」という感じだった。知性がね、ないんだよな…
音楽番組「HEY!HEY!HEY!」を見ていて、本当に音楽興味ないんだなぁこの人、と思っていた。長渕剛は好きらしいので、音楽に興味がないというよりも自分と異なるものには興味がないのかもしれない。
そもそもあの番組は歌番組のはずなのに歌の尺が短い(ダウンタウンとのトークが皆さんのお楽しみでしょう?という)異色の番組だったのだが、トークの中でアーティストが創作の苦労っぽいことを話し出すと、松ちゃんのトークのギアが1段さがって熱くなっていくことがよく有った。俺たち生み出すもの同士の苦しみありますよね!と。まぁそうかもしれんけど、トーク番組なのだしゲストの話もっと聞いてよ…乗っかるならお互いの生みの苦しみを面白おかしく喋るのが仕事じゃん…と思うのだが、松ちゃんはただ共感するだけのことが多くて、なんていうか「特権性」をアピールしたいんだろうなと理解した。当時はダウンタウンの人気が権威化しつつある時期だったのでアーティストの方が「松ちゃんと僕たち同じ生みの苦しみ抱えてますよね!」とヨイショ成分も混じえつつ盛り上がっていたから、まぁいいんだろうけど。
そしてこれも「俺は特別なのだから特別扱いされるべき」という、おそらく彼が今でも思っているだろうことを補強していってしまっていただろうなとも、まぁ後付けだけど、考えたりする。
ごっつええ感じがTV局との複数のもめごとで終わり、コントのDVDを作った(面白かったよ)が一部の好事家にしか受けず、カルト的な人気があった深夜番組(一人ごっつシリーズ)をやっていたが、長く続けられる番組ではなく(発想力だけで何でも何とか出来るほどの天才ではなく。まぁそれができたら人間ではないと思うし)、ある時期から映画を作る方向に向かっていった。
あまり評判が良いとは言えない「大日本人」を作る前から雑誌で映画評の連載をしていた。これが、知識不足による滑り気味のツッコミと的外れな評論も多くあまり面白くなくて、会社においてあったその雑誌をたまに見るたびに、これ映画作るとしたらやばいんじゃないかな…と思っていた。映画は総合芸術です、という言葉の真偽は分からないけど、少なくとも2時間近くのストーリーを作って落ちまで持って行く、というのは、彼には向いてない仕事だったんだろう。映画進出については、まぁ色々思惑(吉本が映画祭やりたいからとかね)もあろうが、たけしを意識したのかなぁ…どうだろう、でもたけしにある知性とリリシズムが、松ちゃんにはないんだよな。
そういえば、当時、たけしと松ちゃんの対談を何度かしていて、聞き出したい松本&はぐらかし哲学するたけしの噛み合わない対談が 面白かった。たけしは年を取るとお笑いは続けられない、反射神経が衰えると言い、それに松ちゃんは食いついてた。じゃあ筋肉付けていこう、ということだったのかな、知らんけど。
頭悪くても金が無くても面白くできるのがお笑いであって、もっと言えばそれこそがダウンタウンが生み出して作り上げていったお笑いだった。とにかく面白かったし、今だって当意即妙なコメントとかやっぱり抜群に面白いと思う。
それまでの芸人の世界では、知性の代わりに師匠について修行するという手段があったわけだが、師匠がいない吉本芸人の第一号でもあった彼らが見せてくれた発想の笑いはとても新鮮で切れ味が鋭くかっこよかった。
でも物理的に年を取り、そして社会も思ったより速いスピードで変化している時に、知性も修行による積み重ねもなく、他人と対峙し自分と向き合い笑いを作り続けていくのは、やっぱり簡単じゃなかったんだな。
発想って心身の老化とともに多くの場合は衰えるし、ウィークリーで進むメディア、デイリーで流れていくウェブの世界で「王様」でい続けるのは難しい。「松本、動きます」の宮迫騒動の時にもばれてしまったがSNSの使い方も絶望的にダメだし。
若いうちはアナーキーさとして好意的にみる人もいた(それが理由で嫌いな人もいた)、気に入らないものすべてに噛みついていくスタイルは、今のように「お笑いの権威」のようになってしまったら、単なる癇癪持ちのハラスメントでしかない…。権威を捨てるかハラスメントを捨てるかしないと、社会面ニュースに頭の悪さを露呈するコメント垂れ流す仕事ぐらいしかできなくなっちゃうじゃん。
爆笑太田じゃないが「椅子からコケる王様」をいつか演じることができればいいけど、まぁあんまり期待はできないかなぁ今のところは。
松本人志がお笑いの世界からいなくなったらどうなる、という声もあるみたいだけど、まぁ全然ダイジョブじゃないかなぁと思う。島田紳助はレギュラー何本も人気番組抱えてて引退したけど、お笑いもバラエティ番組もマストゴーオンだ。M-1の審査員も紳助引退からの復活で積極的に若返りを図っていて、むしろ松ちゃんいなくても大丈夫な筆頭だと思う。今の若手は(口ではもちろん最大限の敬意は言うだろうが)「松本人志に評価される」ことの重さもかなり軽くなってると思うし。
名古屋に住んでないから河村たかし氏のパワーがどれだけあるのかは分からない。日本保守党にとって適した人物なのかもよく分からない。それでも意外性は感じた。それだけで日本保守党は上々のスタートを切ったのかもしれないと一瞬思った。
高須院長の否定的な反応に村西とおる氏が乗っかったかと思ったら、その村西が一方では日本保守党の結党大会でも応援演説していて、頭がクラクラしてくる。
でも、このように有権者を混乱させることで関心が維持されるという作戦にまんまと乗せられているのかもしれない。
支持者が旧Twitterで、既に国民民主党と同程度の支持を集めているとも言っていた。まさかとは思うが、本当にその「まさか」が近い将来起こりそうな予感もする。
捉え方にいろんなスタンスの人がいて、一言に「擁護側」「批判側」としても互いに違和感が嫌悪感になりそして憎悪分断になるだけかなーと。
ただ一般化できるほど自分も見識があるわけじゃないので、とりあえず自分の捉え方をリスト・言語化してみようかなと。
まあ、自分がすっきりするためだけに書いてるんだが。これって私の感想ですよね。
まずタイトルをリストして、その後それぞれについて書くという流れで。
「そこに行けば飯にありつける」という支援の仕方は良い者かなと思う。
更生とかうるせぇよビルとか入って受付とか嫌だ、みたいな人を拾うという意味で。炊き出しと同じね。
その上で話しやすいようにするってのもいいと思う。
ただ弱者の区分が性別ってのはちょっとどうなんだとは思う。これ最初強めに思ってたが、例えばバスケ奨学生やってるイノタケに「ハンドボールは救わないのか!」って言うのも筋が違うなと思うので、ある程度はしゃーないのかなと。性別による区分けは男子校女子校の例もあるし。
ただしもし「女はみな弱者で男はみな弱者ではない」みたいな論法に持っていくならそれは全然承服しません。「加害性」とかいう言葉で加害してくるなら否定します。
これはシンプルに。あと誹謗中傷する奴とか。それが代表向けであれ暇向けであれ被支援者向けであれ、クソである。
まあそういう連中こそ「助けたくない顔をしている救うべき弱者」かもしれないけどね。知らんけど。
私が目をつぶっているような弱者を支援してくれる人々がちょっとザルい会計してる、とかは正直別に良くね?って思う。
もちろん、今批判的な見方をしている人々が公金の使われ方に関する会計の重要性を見ているのは分かるしだからこそ納税者への説明は不可欠であることは分かるが、自分は本質的には些末な問題と考えている。
自分は「政治家が不倫したからなに?政治に関係ないだろ」と思うタイプの人間なので、意味のある事をしている人たちが多少ダメなとこあっても別に良くね?と思う。
ただし。仮に2桁万超えるような金をポッケナイナイしているようなクソオブザイヤーみたいなのがいるならその限りではない。それは「【目的】が真実」でないことを示すからだ。
「【目的】が真実なら」というのはそういうことで、後述するがそれが金でなく政治的主張であってもクソオブザセンチュリー。
だからさっさとごめんなさいして、サボってた領収書関連をかき集めて、ない分はキチンと説明して、再発防止の説明をしましょう。
てかそれで大半の人(「公金の使い方ちゃんとしろ!」の人)は引いていくよ。残った連中はそれころ「暇アノン」と定義しちゃえば後は収まる。だって目に見えて批判する余地があるのはそこだけだからね。なぜしない。
今金払って雇ってる会計士?だかなんだかいるんであれば、引責辞任とかしてもらったほうがよいのでは。
あとは任命責任?とかいうよくわからない責任があると思うならその辺引責していただいて範を示していただいて。
自分は任命責任なんてどうでもいい派だけどね。あ、インチキ任命は別ね。利益供与とか。
代表の人、行動力があるとかはとてもいいと思うし実際に形にするってのは素晴らしいことだと思う。
それはなかなかできることじゃないし、いろいろ味方やコネクションを作ってやるのに細かいことや言い方を気にせずやっていく必要があるのはスゲー分かる。
ただ継続していく、ってのは団体の中だけでなく外部に向けてもある程度気にしなきゃいけない。
スパイシーな物言いもしてもいいんだけどその場合はより根拠をしっかり持たないと、継続していくってのは継続的にいろんな目にレビューされることを意味するわけ。
そういう意味で、雑に火付けする印象のこの代表の人は、団体の継続は苦手なんじゃないかと思っている。
立ち上げと継続で人が変わるってのはプロジェクトではよくある話なので、支援がやりづらくならないためにも継続が得意な人に交代したらどうだろうか?
もしくはせめて「お目付け役」を付けるか。代表を利用したり代表の信者だったりするような人でなく、弱者支援というところを純粋に共感して見れる人。
立ち上がって運用に入ったプロジェクトは、もはや私物ではない。利用者を一番に考えた采配が必要。
完全に関わりを絶つ必要はないけど、権力は持たないようにする。後任があまりにも頼ってくるなら、キチンと独り立ちできるようにしないと。
なんか被支援者をどこどこに連れてった、誰誰のお手伝いさせた、みたいな話も聞くけど、こういうのやめよう。代表や運営は与える側、強者になっている。
希望するからと言っても、少し呼びかけとかしてるなら「いかなきゃかな」とかなるわけ。
なんなら相手から言ってきても「御恩いただいてるから奉公しなきゃ」という思いかもしれない。(ちょっと話題になった「恩知らず」もいるだろうが、そればかりではないでしょ)
弱者支援という【目的】があるなら、それを利用するのは自身の信条を汚すことになってるよ。
逆にそういう活動に参加することを目的として支援に近づいてくる輩まで出てくる。そうなるといよいよ【目的】が果たせなくなる。
よく「○○の関係者は△△に参加しないでください」というのがあって、「行きたいのになんでいけないんだ~私は私なのに理不尽!」みたいなルールあることあるけど、そういうのには意味があるんだよね。
団体の運営ってそれくらい慎重なところを持たないといけない、【目的】を果たすなら。
自分の持つ【別の目的】にそれを利用しようという思いがもしあるのなら、それはやめてください。ついでやら相手から言ってきた、でもダメです。権力勾配による「強制性」がそこにあるからね。
動機が嫌悪や個人的体験なのは全然いいけど、それを「復讐の道具」にするならクソ。「被支援者が救われることのみが私の復讐なのだ」であれば、それは良い発散の仕方だとは思うがね。
温泉むすめとか根拠薄弱なお気持ちを社会問題とか大げさなことを言ったり、室井佑月とかどう考えてもちゃんと謝るべきところ謝んなかったり。
室井氏の件はせめて「誤解を与えたのであれば謝ります」と言えばまだマシなんだが、その言葉をポイズニングしているゆえにそれより悪手の「謝らない」を実行するのが本当にクソなんだよね。しかも「意図的に攻撃されてる」みたいにして。少なくとも室井氏に関してはお前謝る立場だろ。炎上にかこつけて攻撃してくるやつらに関しては批判すべきだが、それはお前が火付けした後の大衆に対してもやれ。主に性嫌悪の連中だよ。そこに関してだけは、暇の態度を見習え。
でこれなんだが、こういう代表の活動とか被支援者の弱者性を利用して政治の話につなげていこうという〇モいジジババがいるなら、本当に心底軽蔑する。
ハッキリ言ってやってることが高須署名と同じレベルだし、もし仮にそういう「畑」を作るために弱者支援を利用しているのだとしたら、もっと最悪、クソオブザヒューマン、真の悪。
弱者はどこまでいっても利用される。弱者性の搾取、女性性の搾取という意味では「性的搾取」とも言える。
共産党だか自民党だか立憲だか知らんが、そういうのがいるとしたら本当に心底マジで悪だよ。
支援の役得みたいに考えてるなら、本当に滅んでくれないかな。まだ被支援者に合意の上で肉体関係を持つ支援者の方がマシ(後者は更迭されるけど、前者の方が自分的にはクソなのに野放しなんだよな)。
それでいて被害者ムーブして、もしそういう利用してるならほんと呪われるぞ。自分の心にまで嘘ついて自分まで洗脳しても、おてんとうさまは見てるからな。
正直ここまで届かずに終わる前に、本当はここが実際どうなのか、というところには届いてほしい。仮にコラボと代表だけ切り捨てられるとかされてここがグレーのままになるなら全然納得いかない。
まあ暇のベースは私怨なので、彼女の切り捨てまでいけばOKなのかもしれないが。自分的にはもはや代表はどうでもよくて、そういう背景をはっきりさせてほしいと思っている。
非常に難しい部分だけど、謝らないことで注目が残り続けているこの問題で会計について詳細に確認する中で、万が一その金の流れからそこが「炙り出される」もしくは「全くの妄想の陰謀論である」ことが分かれば、それが一番いいなと思う。