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はてなキーワード: 目線とは

2021-05-16

anond:20210516192901

なにを否定してるのか分からない。

開発者目線でいえばきちんとエラー定義しようって話に落ち着く、エラーレベル定義し、可能であれば番号も振り、利用者用のメッセージトレース用のログメッセージを分けよう、という話をしている。

これは私の現場では普通のことになってるよ。

anond:20210516015317

総武線の駅から土産物屋?を横目にちょっと歩くとある宗教施設のX号館があるのだけど、建物の中はデイケアサービス施設に近い雰囲気だったな。

 

しか受付で手続きを済ませた後、事務員の付添いで所定の部屋まで案内された気がする。その時はエレベーターから出て左右左右右と曲がったところにある小さな部屋に通されたけど、通路の壁に偉い人の撮った写真や大きな姿見が掛けてあって、場違いな中にも何らかの意図を感じたのはよく覚えている。そのフロアはとにかく壁やパーティションが多くて、ワイヤーフレームで描画したダンジョンのように位置や方向感覚がつかみづらく、全体が見渡せない構造だったのが印象的だった。

 

応対してくれた方はスーツの胸にバッジを付けており、若く卒なく頭の回転も速くといった感じだった。終始笑みをたたえて柔和な感じを出しつつも、その射るような目線には「そうかそうか、こういう感じか」となんだか納得させられるものがあった。

 

長文すまんけど、普段入らない(そもそも入れない)ところに入る時の特別感ってなんかあるよね。

大学生を見て鬱になる2

anond:20210516093950

さらに、同時に車の後ろから走ってきたバイクに急ブレーキを踏ませてしまったのだ。

バイクに乗っていた人に少し驚いた顔で「大丈夫ですか?」と言われたので、大丈夫ですと答えると、そのまま走り去って行った。

自分は彼に「すいません!」と謝ったが、もはや彼の怒りは頂点に達していた。

ちょっと考えればわかるでしょ。なんで後ろ確認しないの?」と続けざまに怒られた。

完全にタメ口である

しかもそれは明らかに目上の人間が使う言葉自分を叱った。

先の一瞬の安堵は地獄の底に叩き落とされた。

恥ずかしくて憤死しそうだった。

よくよく考えなくても、自分ミスに対しての至極当然の怒りである

あわや事故になるようなミスをしでかしたのは自分から、怒られるのはもっともだ。

しかし、恥ずかしさはそこではない。

30近く年下の男に怒られたのだ。

しかもきつい言い方で怒られたことがショックだった。

今まで逡巡していた彼の自分に対する目線は明らかになった。

彼は自分に敬意を払うつもりなぞさらさらなかったのだ。

すべてが、この怒声で改めて思い知らされた。

もう自分ミスなどどうでもよかった。

そんな彼の怒っている顔を見て、申し訳ないという気持ちは生まれなかった。

ただただ自分が情けなくて情けなくて仕方がないという気持ちと、先輩に対するタメ口が許さないという気持ち、そして、なにより普段クールに演じている自分が、こんなことで怒られるのをローラに見られたことがつらかった。

そして怒られている最中、気になったのが彼女の顔である

彼女が今どんな表情をしているか気になった。

しかに怒られるべきミスをしてしまったのは自分である

しかし、彼は人生の先輩に対してあるまじき怒声で怒鳴ったのであり、これは許されることではない。

そこはローラ自分に対して気の毒に思い、心配してくれるはずだと思い込んだ。

から彼女の顔がすごく気になった。

優しい心の持ち主の彼女なら、自分些細なミスよりエグザイル無礼な態度のほうが許せないと思うはずだし、自分に肩を持ってくれるはずだと信じた。

彼女はきっと、心配そうな顔で自分を見ているに違いないと、そう信じて、彼女の顔をちらっと見た。

この期待はあっさり崩れ去った。

彼女の顔はまったくの「無表情」だった。

今まで見たことがないくらいの「無表情」だった。

いつも笑顔彼女の無表情など、見たことがなかった。

彼女の無表情は何を意味しているのだろう。

おそらく、いや、間違いなく「怒り」を表しているのだろう。

自分に対して怒っていたのはエグザイルだけではなかったのだ。

彼女自分のどんくささと勘違いに怒っていたということに、やっと気が付いた。

そして、うなだれながら自宅に帰った。

そもそも彼は自分に対して敬意があったからいじらなかったのではなかったのだ。

ここが勘違いの始まりだった。

彼は自分認識していなかったのだ。

から、いじるほど関心すらなかったのだ。

無関心だったのだ。

そしてそれはローラも同じだった。

あそこの塾にいる人間みながそうなのかもしれない。

自分など、いてもいなくてもどっちでもいいのだ。

しろいないほうがよいのだろう。

10年以上も司法試験勉強を続けたのは、皆を見返してやりたくて、女にもてたくて始めた。

しかし、何年頑張っても結果をだせなかったら、このざまである

女にもてないどころか、関心すら寄せられない。

クールに気取っても、何の関心も抱かれなかったのだ。

そう思い、いつものように塞ぎ込んだ。

2021-05-15

anond:20210515214717

ベスト選択をしてないからじゃない?

要するに人生リソースって金と同じなんだよね。

安い粗悪品を買ったとして、それが別の欲しい物を手に入れる貯金のためだったとしたら後悔しないわけよ。

でも浮いた金も無駄遣いしたらそれは単なる安物買いの銭失い。

 

大学の話が出てるけど、選択ってもっと大局的なプランニングことなんよね。

大学ってそれだけでは結果が出ない「過程」だから選択肢としてはあまり価値がなくて、高校生目線で言うなら将来の夢…つまり職業選択あたりが現実的な「選択」だろうか。

腹が減ったから飯を食う、新しいおもちゃがほしいから買う、そういう短いスパンで完結する行動は選択とは呼ばないじゃん。

 

冒頭にベスト選択って言葉を使ったけど正直そんなもの結果論しかなく結局どんな選択にも後悔がついてまわるけど

それでも選択に最低限保証される価値っていうのがあるんよ、例えば給料とかね。

そういうのを織り込んで自分選択いくら人生リソースを割けるか、大いに悩む必要がある。

それをせずに選択したつもりになってるだけだと流行りに踊らされて無駄金使うのと変わらない。

同じ後悔でもどちらが自分にとっての礎になり得るか、考えるまでもない。

 

選択っていうのがそもそも難しい。なかなかできんのよ選択ってやつは。

から高校生みたいなガキの時分では職業くらいしか見えない。

大人になるにつれ視野を獲得した結果、選択肢が増え吟味する能力も上がっていく。

その次々生まれる突然の選択肢に対して全対応できるようにいい大学に行く、というのは選択の保留でありながら割と正解に近い行動だとも思う。

自分がいつ何処で選択したのか、明言できるようであれば特に言うこともない。モヤモヤすら織り込んだ選択だったということだろう。

もも自分がまだ選択していないと感じたなら今から何かを選択してみるのもいいかも知れないね

ベスト選択はないが、ベストと思える選択をする努力はするべきだ。

anond:20210514235615

自由主義社会では孤独の辛さは

人間関係を保つように心がけて友人を増やす

孤独でも楽しめるような趣味を持つ

のどちらかでしか解決しないんだけど、それを言うと、自称弱者男性は「自助強制するのは差別」と言って怒り出すよね。

貧困属性による不当な取り扱い、イジメのような他者から攻撃に共助・公助はありえても、孤独自助しか方法がない。

かに友人や恋人家族になることを強制することは人権侵害になるからだ。

この増田のような自称弱者男性の話を聞くと、自分孤独改善するために、他人を利用しようとしているようにしか思えない。

あるいは自助以外で満たされないことを理解したうえで解決する気はなく、ただ他人を叩くためのツールにしている。

孤独に陥る理由貧困があれば共助、公助貧困改善する対策をすべきだと思うし、公助として"自助サポートする講習(コミュニケーション講座とか)"や、市民同士の交流を促す催事をするのは良いことだ。

だけど増田貧困が原因の孤独じゃないし、例えば上記みたいな公助があったとしても利用できないんじゃないかと思うんだよね。

臆病でプライドの高い人にとって、友達を作る努力ストレスを伴うから

増田のように貧困が原因でもなく、孤独を楽しめるタイプでもなく、友達を作る努力が辛いタイプ人間は、やはり絶望(孤独絶望というのなら)に寄り添って生きるしかないんじゃないかな。

第三者目線で言うなら、ほっとくしかない。

もしくは、自由主義を捨て、国家から財産家族を配給されるような共産主義を目指す。

革命をおこすしかないよ。

2021-05-14

コンビニ自動レジに思うこと

今までははいくらになります、言っていわれたあとで店員さんにお金を手渡しするプロセスがあった。

だけど今はレジ打ち後に駅前のきっぷのようにお金を入れて店員は突っ立っている。

結局ゆくゆくは全自動化してゆく流れだという話なんだけど、そこにあった目線を合わせる行為がない。

例えば店員さんにお金を渡すときちらとでも顔は目に入るし、そうでないときでも手はみてしまう。

このときになんとなくこの店員さんはこんなひとなのか、がさつなのか丁寧なのかという感覚がある程度想起される。

少なくとも感じるものゼロではない

ところが、自動支払は商品レジ提示して向こうが適当機械をいじったらもううつむいてる。

こちらも想像するところも感じ入るところもない。

まさに今こうしてPCスマホに向き合ってる気分。

本来行為は値切りであったり、娘さん元気にしてるなんて会話が発生したり、今日は新鮮な魚が入ったよという呼び声があって、それ自体コミュニティだった。

今の商行為殆どコミュニティではないことは約一世紀過ぎてるから仕方ないにしても、商から人間を切り離す行為なんじゃないかと思ってしまった。

その行く突き先は資産管理、つまりビットコインなんかの仮想通貨

そこに人が全くおらず、金と商品けが回る世界

みんながめんどくさくなるので、むしろ宅配業者と話すなんてこともない。

実際自分宅配業者とは話さない。自分気持ち悪く感じるし、宅配のひとも迷惑だろうから

この世界観はカードを使ってるひとからしたら当たり前だったんだろう。

しかカードとはまた別次元の、ひとを介さな世界が出来上がろうとしている。

大衆大衆のためのコミュニティスペースを持つ場はどんどんなくなってる。

個人的に、全ての人間がテレワーカーになればいい、程度に考えていたものの、そうした光景が消えること自体にはもの寂しさがある。

漫画男性向けと女性向けに分かれているのはなぜですか

漫画雑誌文化の一部であり雑誌には男性誌女性誌があるからというもっともらしい説明を聞きました。

それにくわえて漫画は娯楽性が高くて男には戦いと美女、女には恋愛イケメンを主な目玉にやってきたから男女の偏差が生まれやすいからということだそうです。

けれども雑誌文化ということであれば日本近代文学雑誌文化です。同人誌です。

しかラノベなど一部のジャンルを除いては男性向けだとか女性向けとか公式にあるいは読者が言う傾向は見られません。

それについて調べてみると文学そもそも女が見るようなもんじゃなかった時代販路なりが成立したんだろうといいます

(漫画手塚リボンの騎士赤塚がアッコちゃんやってた通り勃興早々に少女漫画分岐していた。 )

しか見ていないからわざわざ男性向けと自称するまでもなかった。そこから女性が参加するようになれば、余計なラベリングがされていなかった雑誌はおのずと総合誌的な色合いを帯びるようになったということでしょう。

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しかし「販路の成立の仕方」ということで見ると、映画音楽小説と似た事情だと思います

映画音楽を男や女しかしまなかった時期があったとは考えにくいですね。

映画 男女比」と検索するとハリウッド映画の男女不均衡が調査で浮き彫りに」という見出しも出てきます。男女不均衡を話題として取り上げること自体が、映画はかつで男女に等しく楽しまれたものだったという前提を示唆しています

(ちなみに、男女差が当たり前にある漫画文化目線で見ると男女不均衡を記事にすること自体にも違和感を禁じ得ないでしょう)

音楽にしてもそう。伝統音楽典型的でしょう。ケルト音楽ケチャ中国音楽を男女の一方しかしまなかったということがあったでしょうか。

(まあ中国音楽ドラマで悪の皇帝宮廷音楽を楽しんでるのを見てるから男の娯楽みたいに見えてきますが)

他にも伝統音楽というのは数多ありますが、このようなもの部族みんなで囲んで楽しまれるようなものだっただろうから目的的にも性差が組み込まれようがないわけです。

現代でもCDショップに行ってもアイドルのを除けば男女で棚分けされていることもありませんしね。

ちなみにゲーム場合ハクティビズムが源流にあってこれはギーク趣味、男に偏った文化だったしょう。事情として小説(=文学)に近いと思います

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映画音楽場合では娯楽性という面でも漫画と近接していると思います

けれども娯楽本位だから、チープな文化から男女差が起こりやすいという言説は退けられるべきでしょう。

映画でもマーベル系は男性客に偏ってるのかなという印象もありますが、恋愛主題としてきた多くの映画別に男性向けとか女性向けとか言われていません。これらはたとえば崇高なメッセージが込められていたか作品としても高尚なものへと昇華し鑑賞者の性別凌駕したのでしょうか。

そういうこともあるかもしれませんが、そうじゃないものも十分多いと思います

映画は高尚だから自分の性に関わらず楽しめ、漫画はそうじゃないから性に依存するというのは、漫画側に対する不当な矮小化に思えます

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音楽だって純粋な娯楽でしょう。上手い人のピアノ即興曲は男女に関係なく人を魅了します。またその旋律に男女の物語を乗せることができるという点でも映画漫画との違いはありません。

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媒体という表現のあり方が性差を生んでいるかもしれないとも考えました。

その意味では音楽を除き映画漫画が同じ視覚表現なので近似しているように見えます

また美術館に展示されるような絵画についても、このような芸術もまた上流階級の主流である男性にもっぱら楽しまれていた点では小説に近い事情ですが、引き合いに出したいと思います(現在美術に男女差が見られない理由過去販路の成立の仕方に限る必然性がないから)。

映画は実写。小説デフォルメされています。この点はむしろ絵画に近いでしょう。

また小説との比較では、小説は文が主体漫画は絵が主体という違いがあります

これらを総合すると、絵による視覚的な刺激は文章と違って刺激が強く、男性に好まれるような描き方は女性にとっては関心を呼ばないばかりか嫌悪感すらを抱かせやすい(逆も然り)という意味排他性が強い表現なのかもしれない、ということがまず言えそうです。

しか問題主体が絵であること自体ではなく、絵画との相違点としての、漫画における絵の特徴が関係しているのだというところに焦点が絞られると思います

ではその違いは何か、そこが難しいところなのです。

漫画は実写と比べてもかけ離れたデフォルメを使っているから」と言ってみても、それは程度問題しかなく、特徴を質的に捉え切れたことにはならないでしょう。今の私の頭で考えられるのはここまでです。

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蛇足

ちなみによく考えるとテレビなんかは男女差のないこれ以上ない卑近な例ですよね。男女差があるように作っては最高でも人口の半分程度しか視聴者を期待できないということで、視聴率の点でテレビ局が困るのです。

もちろんドラマなどには二兎を追う者は一兎をも得ず式の一方の性別によく愛されるような内容に仕上げる制作方法も見られると思います

しかしたとえばNHKゴールデンタイムバラエティーなんかわかりやすいと思いますが、(ためして)ガッテン日本人のおなまえの視聴者に男女の有意差があるとは到底思えないでしょう。

それには「ためになる内容を提供する」テーマ的な部分と、人材的な部分があるのかもしれません。

名前雑学とか医学知識かいうことのお役立ち度合いに男女差はないでしょう。

人材的な部分というのは、アイドルでもイケメン美女でもなく、とにかく無難ルックスの人たちで出演陣を固められてる傾向があるということです。

男女の一方に好かれるような人を起用すれば、その人数が奇数であればどちらかの性別に向けた色合いを帯びてきてしまうのは自明でしょう。

しかもたとえ人数的に均等であったとしてもパワーバランスの点で完全に均衡させるのは難しいから、やはりおのずと偏りが生まれしまうと思います

逆に特に容姿の端正さで採用されたわけでもないアナウンサー適当バラエティタレントにはそういう意味でのフックがありませんから、そういう人たちで絵面を構成させることで、ポリコレも真っ青なTHE中性的番組が生まれるのだと思います

anond:20210513230214

自分にとって面白いかどうか」と「子供に見せるに相応しいかどうか」で目線が変わるのは当たり前

鬼滅面白いと思ったパパママでも、でもこんなグロいやつを子供に見せるのは辞めとこうとなった人は沢山いたわけで

まあ鬼滅は元々子供向けではない深夜アニメからそれでいいんだが、プリキュア最初から幼児向けだしね

anond:20210514111655

なにその意地の悪い目線

金渡すの止めてやれや

anond:20210514114159

全部国民目線じゃん

食品流通リスクを大きく考えてだし、子宮頸がんは調べてみたらワクチンリスクより定期検診などの予防策のが良いって話でしょ。

コロナワクチンは知らんけど

福島原発作業員被爆基準ターンオーバーしない網膜基準しろって話とか、まともな政策結構出してるし

お前が許せないかどうかと、仕事してるかどうかを一緒にしちゃってるのって痛いぞ

anond:20210514113159

マジマジ

まともな政策立てたりもしてるし、自民党が有利になるための選挙制度を逆手に取ったり、大立ち回りしてるじゃん。

支持できるかは別として、政策国民目線だし、「国会議員」としての役割はめちゃくちゃ果たしてるぞ

子供を持つ怖さ

28独身女性バツイチ子なし。

漠然子供に興味のない人生だったが、いつからか「恐怖」になったので気持ちを書き留めておく。

こんな時代に生まれる子がかわいそうという話ではない。

長いので暇な人だけ読んで欲しい。

思い出せる限り、私には(運の悪さによる事故以外で)死にかけたと思っている経験が二つある。

一つ目 8歳くらい

ある休日、近所の歯科医院に自転車で向かった。

自転車を停めていると、近くに若めの成人男性が立っており、隣の駐車場の方に手招きされた。

陰鬱雰囲気で声が小さい人で、なんと言って呼ばれているのかわからなかった。

その人は扉の開いているワゴンへ向かい、また私を手招きした。

何か用があるのかと途中までついて行ったが、変だと思ったか、予約を思い出したか歯科医院に戻った。

あの時車までついて行ったら、良くてその場での性犯罪被害、悪くて殺されていたと思う。

二つ目 13〜14歳くらい

実家マンションの中層だったが、ある日鍵を忘れて、学校から帰宅後、親が帰るまで待つしかなかった。

そういうことはたまにあり、慣れていたが、その日はどうしても家に入りたかった。

実家は角部屋だったので、玄関脇に非常階段があり、その塀がそのまま連続して、実家ベランダに続いていた。

(その間に、両腕を広げたより大きい幅の、薄い衝立が塀の上に沿って設置してある)

当時の私は、塀に立って衝立を辿りベランダ侵入できないだろうかと考えた。

実行直前まで行ったが、ベランダに入っても窓の鍵が開いてなかったら意味ないじゃんと気づき、やめた。

実行していれば、階数的に甘く見ても7割くらいの確率で死んでいた。2割は大怪我

衝立はどう考えても脆弱だったし、太め中学生体重の大半を支えられるつくりのはずがなかったからだ。

親になり得る年齢になって気づいたこ

前置きが長くなったが、この二つは大人になった今でも怖い。

だが、本当に恐ろしいのは、この裏にもたくさん死にかけた経験があるだろうと容易に確信できることだ。

一体どのくらいの確率をすり抜けてここまで成長できたのか。

そしてきっと私が特別というわけではない。

世の中の全ての大人が、子供時代に「すり抜けて」きている。

私は頭のいい子供だった。

勉強は飛び抜けてできたし、同級生軽率な行動も「そんなことしたらどうなるかわかるのに」と比較大人目線を持っていた。

進んで危険なことをしたがるヤンチャ少女でもなかった。

そんな子が、中学受験を総なめにし希望中学に入った子がその先で大真面目に考えることが、「5階の塀をつたってベランダに入れないだろうか?」である

子供判断力の無さは想像を超える。

1件の重大事故には、重大事故に至らなかった29件の軽微な事故が隠れており、さらにその背後には事故寸前だった300件の異常があるというハインリッヒの法則は、子供の日常にもある。

判断力に欠け、好奇心が強いことを考えると、もっと異常の裾野は大きいだろう。

私も特別怖いのがあの二件というだけで、ボールを追って車道に飛び出したこともあるし、携帯を持っていなかった小学生の頃、塾帰りに迎えの親との連絡がうまく取れず、21時過ぎに暗い神社裏で1人ずっと待っていたこともある。

覚えていない危険もきっと無数にあったと思う。

いや無理だろ

子を持ってしまうと、親としてこれらの危険を18年回避し続けなければならない。

その責任の重さが、命が傷付けられ失われる可能性の高さが恐ろしい。

過保護干渉の親は批判される。

かに良くない結果を招くと私も思う。

でも子供の遭遇しうるものを考えると、気持ちはわかってしまう。

ある程度自由にさせつつ、これらを予測して全回避なんて絶対不可能だよ、って思っちゃう

まとめ

再婚は考えていないけど、もし機会があっても、この恐怖がある限り、子供は持てないかもしれない。

子供引きこもりになるかもだの発達障害かもだのの怖さ以前にこれがある。

みなさんは怖くないのですか?

2021-05-13

anond:20210513234323

色男ではないというのは妻目線なだけで、「あの人がまさか」はありがちでは。

anond:20210513091613

逆だよ

海外の方が親の態度が悪いし、それでも周りの目線が温かい

少なくともアメリカではそうだったよ

アメリカ駐在族の幼い子持ちの奥さん達が日本帰国になると嫌がるってのがよく分かる

漫画家になりたい。

また出版社の連載コンペに落ちました。

連載コンペに出すには、具体的に何をしなければいけないかというと、まずは漫画を描かないといけません。

紙やお絵かきソフトを使って、お話を描くのです。ページ数はそのコンペや漫画の内容によって様々。

例えば16Pを3本、48枚。42Pを2本、84枚。

お話が出来たら、次は絵です。

稀に、「ネームの方が良かったな」という悲劇を避けるために、編集部人達は絵をきちんと見ますお話いくら面白くても、絵が手抜きはいけません。勿論、付加価値の付いてる漫画家達は別です。

なにせ新人漫画家には実績がありません。

ということは、信頼もありません。

編集者はきちんと「この漫画は売り物になるのか」という目線で見ます

そんなわけで、先程の48枚・または84枚に本番さながらの絵を描きます

連載となると、どんなキャラが出てくるか、どんな展開になるか、わからないのでキャラプロフィール必要です。

これで完成です。

漫画、48枚。タイトルと一緒にコンペに出します。

制作期間は様々ですが、だいたい最低でも2ヶ月は欲しいところです。

さてここで、冒頭に戻ります

48枚が紙切れになってしまいました。絵もまだまだ研究しないといけないみたいです。

研究には模写が1番。自分の絵柄に近い漫画家の本を貯金で何冊か買います

一応経費扱いにはなると思うのですが、帰ってくるのは来年です。

仕事から帰ってきてから模写する体力があるわけもなく、休日に一気に研究に入ります。 

研究してるときにふと、自分がなにをしているのかわからなくなります自分漫画金銭的な価値がないことがわかってしまったせいかもしれません。

こんな時、漫画主人公なら「売れて見返してやる!」と言うのでしょう。僕もいつも結果的にはそう思います

そうだ。その漫画を清書してコミティアTwitterなどに載せるのもありですね。研究をしつつ、漫画を清書して、働く。時間が足りません。

うまく時間を使えない自分もどんどん嫌になってしまます目標に沿って、練習するつもりで少しずつ原稿を進めます

担当さんから催促が来ました。次の連載コンペに挑むために新しいお話を1から考えないといけません。

そんなときに、献本が届きました。

献本というのは、デビューしたところの雑誌が毎月届くことです。

あー。新連載が何本か始まってますね。自分よりも前にデビューした人です。

漫画競争じゃない』という言葉を聞いたことがあります競争してるわけではないけど、周回遅れは実感します。

才能、運、時間の使い方。メンタルなのか、技術なのかはわかりません。 でも、どこかが劣っているのは確かです。自分突破できないもの突破してるのは事実ですから

もう1人の新連載の人は、コミティアからの引き抜きです。この人に関してはスカウトなので、持ち込み投稿した人間処遇が違うのは当たり前なので特に何も思いません。

絵も技術即戦力になる人たちを選んでいるわけなので、お話の面は悩んだりするそうですが、基本的には、星3というわけですね。実装された時に最強。

僕は星1くらいですかね。2くらい欲しいところだけど、1ヶ月も、作画で躓いて代原の直しをしてる姿を見るとそう判断を下さざるを得ません。

そういえば、デビューしたての頃や持ち込み時代自分を星1と評価したことはありませんでした。

それは多分僕たちが見ている漫画を描いてる人達のことを星3だと思っていたから。

そしてそこの世界には、星3しかいないとも思っていたからでした。

同い年の友人は家を建てたり、車を買ったりしているのに、僕は年金すら親に払って貰っています

ゆったり不幸のまま、いつの間にか歳をとって死ぬのかと思うと今すぐにでも漫画家なんか辞めた方がいいと思うのです。

2021-05-12

アメリカに渡米してウインチェスターファームって牧場を立ち上げた、社台の遠戚だけど、わりと遠い吉田さんのTwitter発見して図らずもずーっと読んでた。

叔父にあたる吉田牧場経営者火事繁殖牝馬を失ってアブクマポーロとともに余生を見つめながら実質牧場も畳んでしまったけど、

仲違いしてアメリカ新地を求めて旅立ったこちらは数年おきにケンタッキーダービー生産馬を出すなど成功している模様。

Twitterを読むとすごく良さそうな人柄が偲ばれるし、写真面白いし、獣医牧場生産者と経営者って目線が交互に伺えるので競馬の話でも全然飽きない。

コロナ禍で先が見えない中、ゴールドシップクリアファイル携帯すればお守りになるよと奥様に助言をもらってその通りにしているのが草。

この写真とか素敵

https://twitter.com/NaoyaYoshidaUSA/status/1334992522393825282

牧場広いなー

2021-05-11

高橋洋一・池江瑠璃子のコメント欄

https://twitter.com/YoichiTakahashi/status/1391207118502383621

https://twitter.com/rikakoikee/status/1390638021943316482

これ見てると、個人の感想の羅列しかなくて、個人感情延長戦上に果たして理想的政治はあるんだろうかと思ってしまう。

アスリート目線で言えば、オリンピック開催して欲しいに決まってるけど、参加したいなじゃなくてオリンピック開催して欲しいなって高橋洋一みたいに呟いたら矢のような非難がくるわけでしょ。

まぁ高橋洋一笑笑とかつけたのは馬鹿しか言いようがないけどさ。

理性的な人は、池江さんみたいな個人オリンピックの開催是非を問うたり辞退の要請をするべきではないっていうけどさ。

じゃ、高橋洋一ならいいわけ?って思うのよ。いや、内閣官房参与という立場から、というのはわかるんだけどさ。

それで、人の死に敏感な人を慮って内閣官房参与オリンピック開催を推進するべきではない、というのならば、アスリートのためにオリンピックを開催しようとする政治家はどうすればいいわけ

少数意見から無視なのかしらん。人の死を軽んじるな!だったらお前が死ね!くらいまで言われてもアスリートのためにオリンピックを開催しようとするのは自由から、そういう主張をするならば、死ねと言われても仕方がないってことになるのかな。

そんで「コメントが羅列されている」だけにすぎないのに、あたか世論がそこにあるかのような話がされているのとかが気持ち悪くて仕方ない。

youtube流れる会社採用cm

最近YouTubeを見ているとよく某会社採用cm流れるのですが、なんだか引っかかってしまったので書きます

◇めちゃめちゃカンペを読む

 cm後半にかけて業績や福利厚生などの会社概要説明する場面がありますが、女優の方が明らかにカンペを読んでいて、「一企業広告なのにそんなにカンペバレバレで読んで大丈夫なの?」と思いちょっと笑ってしまいました。また、これがYouTube流れるまでに、制作した人や経営陣など多くの人の目に触れたはずであろうに、誰もストップをかけなかったことに驚きました。

◇「前はあんなだったのに…」

 cmの内容としては、「就職した先輩に久々に会ったら、雰囲気が変わっていた」様子を後輩目線でみるものです。就職後の先輩の比較対象として就職前の先輩の姿がcm中に出てくるのですが、その姿が「眼鏡をかけておさげ髪の大人しそうな女学生本棚の前で本を探している」というものでした。

 「あんなだったのに…」っていうほど悪いか?おとなしそうな女の子かわいいじゃん…

 しがない一個人とはいえ、こうやって人の記憶に残りここに書き込ませるほどの違和感を植え付けている時点でcmとしては成功なんでしょうね。手のひらで転がされている気分です…

声優いじめが発覚とか監督によるPの裏事情暴露とか監督オレオレ感出しすぎて原作クラッシャーとか万策尽きて作画崩壊とか、アニメイマイチって評価は不幸の理由みたいに多種多様だとは思うけど、主人公性格が悪すぎて全然売れなかったというのは後にも先にもはねバド!だけだと思う。というかそれしか知らん。原作から入ったんで見てたときは気づかんかったけど、考えれば画風と一緒に性格モチベーションがクルックルに変わってた綾乃に整合性を持たせたらあそこまで傍若無人陰湿我儘闇落ち娘になったんかな。薫子試合だけは薫子目線やし、凄く面白いので何度でも観たんだけど、他はやっぱりうーんこの

人にキレるって自己中にならないとできないよね

人が争うときってどちらか一方だけが悪いってことはほぼ無くて、程度の差こそあれ両者に非がある。

で、相手の怒りはこちらの非に対して向いているから、まともに聞いているとチクチク刺さってこっちの怒りが削がれる。

から人にぶちギレるためにはそういった第三者目線の両者を俯瞰する視点排除して完全に自分の中だけに視点を置かないとできないんだろうな。

2021-05-10

今さ、ウマ娘全国2位トレーナー配信放送見てたんだけど外野コメントでやたら知ったかぶりする奴らがいて草だったんだけど

それは違うとかレースで勝ちたいならそのスキル取っちゃダメとかどの目線で書き込んでるか謎だったわ

全国二位より上から目線になれるって何位なんだ?

anond:20210510215131

老人目線的には、いまの50代から下が過剰情報量ネイティブとでもいえるのかな

UI直感にわかるやろって思うやつも、経験あってのものからなぁ

女性向けエロ商業でも同人でもBLが人気だけど、男性向けエロ百合ってあまり人気なくない?

商業だとほとんど見かけたことないし、同人東方?のを見かけたことあるくらい。

女は二人を第三者目線で眺めて萌える人が多いけど、やっぱり男は竿役に自己投影して興奮してるの?

人生で初めて推しを攻めにして気づいた、「受け」「攻め」呼びの気持ち悪さ

「受け」「攻め」

ここではBLでの性的役割呼称の話をします。

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私は今のジャンルに来て初めて、推しを攻めにしました。

推しを攻めにすると、書く同人誌が全て”ぼくの考えたかっこいい推し”になり、最高です。

メチャメチャ捗り、推しカプの同人誌を2年で6冊出しました。

そして、ふと気づきました。

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「受け」って形容、やめたい。

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推しアイドルゲームアイドルなんですが、低身長で童顔で、公式女装した経験もあり、ぶっちゃけカワイイです。好き!

推しカワイイと何が起こるかというと、ツイッターでみんな「⚫⚫は受け!」と言うのです。

わたしも(逆カプが読めるタイプ腐女子なので)、まあそうだよなー可愛いもんなーくらいにしか思っていなかったのですが、

2年間毎日推しのことばかり考えすぎたせいで、推しをもはや自分のように考えてしまう瞬間があり、

自分推しだったら受けって呼ばれるのモヤつくな…」と思いました。

わたし推しファンからのどんな目線にも100パーの笑顔で答えてくれる最高のアイドルであることは書き添えておきますが…!)

-

そのとき、2つのことを省みました。

-

-

1つ目。

「⚫⚫は受け!って言い方、

人のパーソナリティーを性行為時の役割で言い表すのモヤる。

ま⚫こ!と呼んでるのと変わらなくないか。」

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仮に自分他人から不特定多数とのセックス関係性を勝手空想されたら結構嫌な思いするよな…。

脳内痴漢みたいなもんでは…?

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ただ、わたし推しを攻めにして初めてこの「受け」呼ばわりの気持ち悪さを感じたので、

おそらくBL愛好者たちはキャラクターをそう断ずることに痛みを伴わないんですよね、、。

BL愛好者が口にする「受け!」は、

JKが口にする「カワイー!」くらいの重みなのでは…。

自分経験からそうだと思っているだけで、BL愛好者の全員がそうとは限らないです)

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2つ目。

推しが受けと呼ばれるのは嫌だけど、推しが攻めと呼ばれるのは嬉しいわたしは、

おそらく『男性役』をステータスと捉えている。

わたしのこうした態度も、ホモソーシャル擁立する態度のひとつなのではないか」。

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わたしは、「受け」呼びを居心地が悪いと感じたけれど、

「攻め」予備に対してはむしろ心地良ささえ覚えました。

そんな自分が、男性社会に憧れる弱者しかなく、男性の優位性を賛美しているように思えて、

女性として男性格差なく働きたい自分との齟齬

すごく気持ち悪く感じました。

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これは私個人価値観問題なので、

単純に気づけてよかったとこなんですが……。

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ここまでの2つを省みはしものの……。

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私も例えば「運動部のこと攻めの代名詞だと思ってる」とか言うときはあり、

そういう強い言葉で言い切る会話は大概楽しい、ので、切り離しがたくもあります

「くすぐられて泣いちゃう⚫⚫くんは受け」

「⚫⚫くんは主人公から攻め」

「⚫⚫くん口弱いの公式設定だから攻め」

「⚫⚫くん攻め大手なのわからん、線の細いお姉さんお兄さんは受けだろ」…

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自分の話してきた言葉は、全て

”受け/攻めという役割にふさわしいものとして大別される要素の分類”のつもりでしたが、

仮に何人もの自分を見ている人に自分セックスとき女役/男役と言われるとしたら…と考えると、

いやでした。

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から、これから「受け」「攻め」

個人名に性行為時の役割に由来するカテゴリをつけるのを避けたい……

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と、思ったのですが。

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でもわたしにとって彼らの左右がこっちであることは重大なので書かざるを得ず、、ウウン、、。、

みたいな葛藤も抱えました。

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わたし推しカプは、

身長年下童顔(女顔)お料理上手×高身長筋肉塩顔いざってとき頼れる男

みたいなカップリングなので、

いわゆる逆カプがとても多いです。

BL二次創作を好む者の多くにとっては、受け攻めが異なる時点で別のカップルになります

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どうしても、A×Bって書きたいんです。

もしもB×Aしかきじゃない人がA×B表記のないA×Bを読んだら不愉快になるだろうし、それを理由攻撃される。

わたしはA×Bを好きだと世間に表明しておきたい。

だって、A×Bであることは、わたしの愛するふたりが恋し合って見つけた大切な関係性だから

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わたしが冒頭に

推しを攻めにすると、書く同人誌が全て”ぼくの考えたかっこいい推し”になり、最高」と書いたように、

「攻めの⚫⚫くんだけが好き」「受けの⚫⚫くんしか見たくない」

は確実に存在するのです。

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受けとか攻めとかの呼称を左とか右とかに言い換えても本質は変わらんし……。

受け攻め書いておかんせいで炎上するのこわいし……。

どうしたって、確立してしまったBL的な自分の好みがある以上、

新しいキャラクター出会いの子の恋を書きたいと思ったら、

「⚫⚫は攻め」「⚫⚫は受け」

洗礼を逃れることは出来ないし……。

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もう腐ってしまたことを無垢だった己の魂に謝罪しながら生きるしかない……。

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なんかこういう感じ、

みなさんには伝わりますか……?

めんどくさい捉え方すんなって話でもあるのでそろそろ終わります

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そういうモヤモヤでした。以上です。


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補足

言葉足らずだったのでいちおう補足に来ました。

この記事の受け取り方は人それぞれだと思うので、

とくに正しておく必要もないことなんですが……。

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「他の人が」「そのキャラがそう認識されている状況を気持ち悪がるから」「他の人を不快にさせないためにやめたい」んじゃなく、

わたし自身が」「他人にそういう言葉を使うことに無配慮自分気持ちいから」「自分の使う言葉に痛みを持つためにやめたい」

という話でした。

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2021-05-09

友達結婚式

去年のこと。

友達結婚式を挙げるということで、お誘いをいただいた。

とても仲が良く、毎日連絡を取るわけではないけど、お互い思い立ったときに急にLINEで会話を始めたりどこかに遊びに行ったりする、そんな付き合いを10年くらい続けてる友達

お祝いしたい気持ちはとても強かったが、世の中はコロナが猛威を奮っている。

ふたつ返事で参加を伝えたものの、式の日程が近づくにつれ状況は悪くなり、ついに会社から「同居家族以外との飲食は一切禁止」と通達が出てしまった。

「カクカクシカジカで結婚式いけないかも…」と寂しい連絡をしたところ、会場側と調整してくれて挙式だけの参列もOKということになった。

式の当日はいい天気で、友人夫婦は二人ともとてもキレイだった。

最悪ご祝儀だけPayPayで投げるか…とか思ってたので、部分的にでも参列できたのは嬉しかった。

なんだっけな、ああそう、それで、アスリート目線オリンピックは新婚夫婦目線結婚式みたいなものじゃないかなと思った。

結婚式をしたい夫婦がたくさんいるように、オリンピックに出たいアスリートはたくさんいる。

結婚式をしなくても夫婦は生きていられるように、オリンピックがなくてもアスリートは生きていられる(経済的精神的な生死ではなく身体的な生死)。

結婚式感染リスク高まるイベントであるように、オリンピック感染リスク高まるイベントである

そうだとすると、やっぱり今のアスリートに向けられている批判は意地悪だなと思う。

オリンピックをやりたいと言う(あるいはやりたくかいと言わない)と叩かれる。

結婚式したいなという希望を口にできないのは辛いのではないか

オリンピックが開催できる形を考えたいと言うと叩かれる。

挙式だけならいいかも、親族数人だけならできるかも、みたいな検討すら許されないのは辛いのではないか

そもそもオリンピック自体アスリートが声を上げてどうこうというものではないと思う。

結婚式の開催自体に親類や職場などの事情が絡むのと、オリンピックの開催自体委員会スポンサーなどの事情が絡むのと似ていると思う(クソくらえってとこも含めて)。

アスリート全員が「断固反対」と声を揃えれば話は別だが、それはないだろう。できるものならやりたいと考える選手はいると思ったほうが自然だ。結婚式もできるものならやりたいと考える夫婦が必ずいるように。

ちなみにオリンピックに出たくなくて(あるいはオリンピックを諦めて)選考辞退したり競技引退したりしているアスリートはもういると思う。パラの選手では見かけたけど、ある程度有名じゃないと報道あんまりされないし、どの程度いるのかは知らない。

まり、だからオリンピック否定しない選手を叩くのは、結婚式をしたい新婚夫婦を叩くのと同じくらい可哀想だと思った。

俺はよう叩かん。選手たちは振り回されながらもこれまでよく頑張っていると思う。

ぶっちゃけオリンピックはやるべきでないと思うが。

なんかグダグダ日記になってしまった。

後で見返して自分で何言ってるかわかるんだろうか…

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