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はてなキーワード: 共感とは

2018-10-18

いも太郎

昨晩「いも太郎」というアカウントから無差別フォローされた。

https://twitter.com/cinemaniaoff

ブロックしようと思ってツイートを見に行くと、恋愛ポエム垢でした。そこにはありふれた言葉が並び、西野カナ以上に共感しか狙っていないようなものばかり。でも、フォロワーが40万もいて、すべてのツイートに1万いいねくらい付いてる。

それだけなら「あぁ、自分の知らない文化があるんだなぁ」と思ってそっ閉じするだけなのだけど、よく見ると、2009年12月登録と書いてあるわりにはツイート2018年9月末以降しかなく、全部で47個のみ。ただ、本人がいいねしているツイートは1万個以上あるので見てみると、直近は日本若者っぽい内容が多いのに、ある時期以前はトルコ語映画政治サッカーの話がほとんど。明らかに途中で中の人が変わってる。

で、こんな謎なアカウントなのに、名前の横には認証済みマークが付いてる。このアカウントの素性、そして、無差別フォローを続ける目的って、何なの??

けもなれの仕事ができない人たち

「獣になれない私たち」二話を視聴した。

主人公新垣結衣さん演じる深海晶は、仕事が出来ていつも笑顔気遣いもできる女性だ。

職場潤滑油として重宝される彼女は、彼女が望んでいない、営業アシスタントという役職以上の仕事を任されてしまう。

スケジュール変更に振り回される他部署へのフォロー、いい加減な新人教育担当じゃない取引先への謝罪有給中にも朝イチで電話がかかってくる。

彼女に溜まっていく心労を察することもなく、出来る人だからと、同僚たちが自身仕事を「私よりも深海さんの方ができるから」「俺の辛さなんてわからいから」と消極的押し付けていくシーンがある。

ここを見ていて、私はこの同僚のように「人に仕事押し付ける側」だと思った。

自分仕事に自信を持てない人間だ。毎回何度もミスするし、自分が嫌になるし、何度も辞めたくなることがあった。穏健な職場なのではっきりと辞めろとは言われないけど、よくトロいとかボケてるとか言われる。客観的に言えば人をイライラさせるタイプだ。

そんな自分が嫌になるけれど、自分ではきちんと仕事ができるという自信が持てない。だったら自分よりできる人がやってもらった方が結局コストが下がるんじゃないの?と思ってしまう。

本当は仕事ができるようになりたいけど、自分がすると結局修正フォローを入れなければならなくなり周りに迷惑がかかる。はじめの数回はいいけれど、常態化してしまえばもう自分のする仕事への信用は無くなるだろう。だったらその状況を開き直るしかできない。

上野松任谷という仕事できない同僚たちのコンプレックスまみれの気持ち共感していた。それに対する主人公の晶さんがどのような心労を溜め込んでいるかを、このドラマを見てやっと気づけた。

彼女のような人がいるから私のような弱い人間はつい甘えてしまう。けれど彼女も弱い人間だということに

気づいた。晶も自分たちと同じだと。

今の仕事ができない状況から変わりたいと思う。どうすればいいかからないけれど。

ドラマの中でもそのような気づきが彼らに起こってほしい。でも、この同僚たちは変われるだろうか。

このドラマの終わり、仕事ができない同僚たちは仕事ができるようになってるのだろうか。

仕事ってそんなすぐできるようになるのだろうか。

今後のドラマの展開がとても気になっている。

あと、甘ったれの私達の天敵は恒星のような直球で現実をぶつけてくる人なので、会社待遇要求恒星が突っ込んで行くのかもしれないと予想している。

ドラゴンボールの一件で思い出したんだけど、

俺は子供の頃からジャンプ漫画がほんと無理で、

ほとんどまったく読まずに生きてきたんだよね。


何が嫌って「努力・友情・勝利」が嫌いだから

そもそもジャンプ文法が肌に合わなかったんだけど、

同じくらい苦手な理由があって、

ほら、20年くらい前のジャンプって小学生の間では

いじめっ子が読む漫画」って印象なかった?


クラスの中でも粗暴で声と体格の大きい

いじめっ子が好き好んで読んでる印象が強すぎて、

ジャンプは悪い奴、嫌な奴が読む漫画なんだって思ってた。


で、そんな「いじめっ子」にとっての「努力・友情・勝利」って、

友情は「いじめる側の仲間たち」だし、

勝利は「喧嘩で勝つこと」だし、

努力は「喧嘩に負けないように強くなること」

になるわけじゃないですか。


そもそもジャンプ漫画って結局は暴力が強い方が勝つ、

そこに友情努力というエッセンスが乗ればいい話に見える。

ってギミックだと当時は感じていたわけですよ。


要するに、ひ弱で友達も少ない陰キャな俺にしてみれば、

完全に敵が読むものって印象がめちゃくちゃ強かった。


それから年を重ねてもその印象は抜けなくて、

どうしてもジャンプ漫画が好きになれないし、

読もうとも思えなかったんですよね。


ただ、そんな中で数少ない読んだ作品

ヒカルの碁』と『デスノート』だったんだけど、

ぶっちゃけあの2つって、陰キャのための漫画じゃん?


明らかにいじめっ子

暴力で成り上がってきた人間に対するアンチテーゼ

奴らが暴力を鍛えていた間に、

俺ら陰キャが静かに磨いてきた知能での

反逆、仕返し、ぶち壊しだったわけで。


からこそ、リア充のように振る舞いつつも

本質が明らかにぼっち陰キャ夜神月共感するし憧れるわけじゃん。


てなわけで俺は基本的ジャンプ漫画が好きじゃないし、

オタクってみんなジャンプのこと嫌いだと思ってたわけ。


が、昨日の騒動を見て、オタクがみんなしてドラゴンボールを褒め称えてて、

あれ?お前らオタクなのにジャンプを支持するの??

それが普通なの??明らかに暴力の塊じゃん。

俺らを迫害してた暴力のものじゃん???


てな感じで混乱したわけ。


以上。

2018-10-17

最近ネット匿名相談(こことか)は、8割以上「解決ではなく共感を求めている」

と心がけるようになってから無駄ストレスを感じることが減った。

みんなもそう思うといいよ。

ドミノ倒れ

退職ラッシュになりそうでつらい

炎上案件もつらい

人に共感しすぎちゃダメになる

涙腺決壊

ああどうして私は

anond:20181016205553

ハンタにも言えるけどあまりにも登場人物がテキパキ動けると共感できない

毒親に育てられた自覚

毒親から逃げられた記念に書かせてほしい。

毒親エピソードはたくさんあるけども、一番大きなものは「ママが正解」の呪いだった。母は私を育てる上で「何事も自由に選ばせた」と思っているだろうし、表面上はそうなっている。しかし実際は母が望んだもの以外を選べばたちまち気分を害し、相づちがおざなりになり、もしその後私の選んだものに少しでもケチがつけば「やっぱりママが正解だった」と笑った。

この「やっぱりママが正解」は今でも私の根底に残っており、何かを選ぶ時(特にその選んだもの・ことを母に見せる予定がある時)には母の反応を必要以上に気にしてしまう。また、母の望んだもの以外を選択した時にはひどい罪悪感、人でなし感に襲われ、何かあると「やっぱり母の言うことが合ってたんだ」と思ってしまう。そんなの気にしなくていいと笑われるだろうが、幼少期から刷り込みなのでもう一生振り切れないだろうと諦めている。今となっては実害もないし。

そんな中で私が唯一幸運だったのが、「自分母親おかしい。そしてそれは周りの人に気づかれない方がいい」という自覚があったことだ。毒親という言葉もない時期に、早い段階でそれに気づけて本当によかった。無事に逃げられたのもそのおかげだと思う。というのも、大人になって気がついたのだが、私の母のような過保護タイプソフト毒親に育てられた人は一定存在する。ただ、それを口に出すかどうかで周囲からの印象は大きく変わっていく。

私が最も気の毒だと思ったのは、以前勤めていた職場40歳近い女性が「門限があるからごめんなさい」と飲み会への参加を断っていたのを見た時だ。ごめんなさいと言われた幹事男性は「◯◯さんちはお母さんが厳しいからなぁ」と笑い、女性は「そうなんですよ、もう」と困り笑いで返していた。

ごめんなさい、母が。

ごめんなさい、母が。

飲み会以外の話題でも、彼女は毎回毎回繰り返してきたのだろう。その結果、彼女職場で「少し変わっている」というポジションにおさまっていた(もちろん大人なので皆あからさまにはしないが)。

また、この女性は「映画を観に行ったら上映直前で母から電話があり、帰らなければならなくなった。しかたないか映画あきらめた」というかなりパンチの利いたエピソードも持っていた。それを笑い話として職場で話してしまうのもまた彼女の不運であったように思う。

私も毒親持ちとして、彼女の話にああ〜わかるわかると思ったことが何回もある。しかし、私がひそかに共感する部分でほかの人々は「えー!?」「それはやりすぎだ」と驚いていた。これは推測だが、彼女は母の話をして周囲から驚かれるのをどこか特別なことのように感じていたのかもしれない。

姉御タイプの同僚が時々彼女に言っていた。

「そろそろ独り立ちしなくっちゃ!」

軽い口調だが、それは真剣忠告だった。

しかし、私はそれを聞くたびに彼女がその忠告を受け入れて独り立ちすることはないだろうと確信していた。なぜなら、彼女の中には私と同じく、そしておそらく私より強く「やっぱりママが正解」の刷り込み存在しているはずなのだから

何かを決める時、親が基準になっていませんか?何かを断る時、親を理由にしていませんか?周りにいる人々は、あなたとおなじくらい親の話をしていますか?親子仲がいいのは悪いことではないし、毒かどうかの基準は人それぞれだ。職場彼女だって、望んで母親そばにいるのかもしれない。

それでも、自覚なく縛られ続けている人々が少しでも減ってくれればと思う。

ワールドトリガー感情描写が下手なだけ

anond:20181016205553

要はこれって、あの作者は感情を絵にするのが上手じゃないという単純な話だと思う。

感情表現っていっても、ワンピース僕のヒーローアカデミアみたいに泣き顔をドアップで見せろとか、感情優先で頭の悪い展開をやれってな話じゃないよ。

ワールドトリガーって意外に感情で動くシーンも多い。というか、ストーリーの楽しみってのは感情的なもので(数式や理屈だけで展開するもの物語とは言わない)、そこを異常に毛嫌いする方が変なんだけど。

増田の書いている三輪もそうだし、そもそもチカを守ろうとするメガネくんや借りを返すためにそこに着いていく木虎とか、戦略的な見せ場でありながら戦いそのものを楽しんでいたランバネイン、自滅するエネドラなど、感情で行動するシーンもキャラもそれなりにある。

なのにその印象が弱いのは、作者がそこを強調出来てないからなんだよね。(エネドラはかなり強調されていたと思うが、逆にエネドラくらいじゃないと印象的な感情描写をしないともいえる)

展開に感情起因のゴタゴタがなくてストレスを感じにくいのはいいんだけど、それと引き換えに肝心のクライマックスでも読者の感情を煽るような絵と演出になってないってのは、やっぱりちょっと弱い。

ドラゴンボールの有名な場面も「ギャルパンティおくれー!」「クリリンこのことかー!」「バカヤロー!」「バイバイみんな」、

ハンター×ハンターも「今すぐ君を壊したい」「余はこの瞬間のために生まれてきたのだ」など、全部感情的な瞬間。キャラ感情描写ってのは少年漫画では凄く重要なわけ。

漫画を書くならまずはキャラの表情を最低20種類は書けるようにしようという指南もある。

他のメジャー少年漫画と比べればすぐわかるけど、ワールドトリガーそもそも喜怒哀楽その他の表情がものすごく乏しい。顔だけじゃなくて、体も感情表現をしていなくて、ある種棒立ちと言える描き方が多い。

キャラ主体となる少年漫画としてはかなり異色の作画で、ただの新人なら真っ先に直されるところだ。そこが許されてるあたりが、この作品ストーリー構成非凡さの証明でもあるんだけど。

ピンチになってキャラがあせってる場面でも、非常に形式的な表情しか書かれていないので、「うわー大変だメガネくんどうなるんだ」と読者の感情をあおる力が弱い。人によっては、ただ答え合わせを読まされているような白けた気分にもなると思う。やはり読者はキャラと一緒にドキドキしたいのだ。

過去の回想で姉の助けを求める三輪も、涙を流してこそいるが、なんていうか物凄く曖昧な表情だ。これでは三輪が姉の死を悲しんでいることは理解できても、共感しない読者が出てもおかしくない。

印象的な場面として記憶に残らないので、三輪いくらネイバー憎悪をむき出しにしようとこのシーンが頭によぎらないのだ。こういう点が辛い。

感情描写が薄いところも含めて「それが味」といえなくもないけど、ネームはそのままに人物作画や表情を少し変えるだけで劇的にプラスになると思うので、これは欠点と言っていいと思う。面白いんだけどね。

いじめ探偵を見て思う事。第三者が介入した所で何も物事解決しない

この話はあくま日本国民一億2000万人いる中の、ある一人の意見であって、他の人たちに当てはまるかどうかはわからない。

ただ、小学校2年からいじめられて、おかげで中学高校パシリ生活を送り。

30過ぎるまで、その影響を引きづってた人生を送った結果たどり着いた結論として、

「もし自分の子供が出来て、もしいじめられる立場にあったら、絶対こういう風に教えてあげよう」と思っていた事だったから、これを機に書いてみたい。

はてなダイアリーもなくなっちゃうし。

や、マジはてな最高。 昔は増田意味も知らなかったのに(俺の嫌いな元上司名前でもあるから、なおさら敬遠してた。はてな

いじめられるのは仕方ない。人間社会である以上は。

ドラマリーガルハイ堺雅人演じる古美門研介が、岡田将生演じる羽生晴樹に対して「それが人間だ!(それが人間という生き物だ)」と一括するシーンがあるんだけど、まさにそうで、人間って生き物の中で生きてる以上はいじめは必ず発生します。 

何故なら人間には感情があるから。 あなたも心当たりあるでしょう?

不潔な人とか、臭い人とか、電車で奇声あげてる人とか「キモイw」とか言って敬遠してるでしょ?

みんな、知らず知らずの内にやってんだよ。「身を守る」とか言ってね。

社会でも普通に仲間外しやらいじめは発生しますよ。あなたもその当事者の一人ですよ?

人間社会である以上必ず発生する。これは仕方ない。

さて、そのいじめだが第三者が介入して力ずく解決するのはいかがなものかと思う。

環境が変わればまた、弱いものいじめは発生する。

「いやー、人間関係合わなくて会社やめたんだよねー」

・・こんな理由で辞めた人に対して、多くの人はこう思うでしょう

「次の会社大丈夫なの? また同じ理由で辞めない??(特に面接官なんかそうだと思う)」

学校も同じだと思います

今の学校いじめを、あらゆる手(教師や周りの大人や何なら教育委員会とか)を使って潰したとしても

環境が変わればまた人間は弱いものをつぶしに来る。

いじめが辛いのはわかります。俺もそうでした。30超えた今だからこんな事書けるっていうのも自覚はしてます

ただ、探偵さんや教育委員会含めて第三者のおかげでいじめ解決した本人(俺もその一人に該当するだろう)は

その後果たしてどうなるか。 考えたことってありますか?

全員が全員ではもちろんないけれど。

ほぼ全ての子が成長しない。

しろ心の傷を負っただけで何もプラスにならない訳です。少なくとも自分はそうだった。

ドラクエで言うなら(第三者のおかげで)瀕死状態戦闘から逃げられた(ステータスゲージが黄色じゃなくて赤の状態)のはいいんだけど

そこから傷が回復するのには相当な時間がかかる。

自分場合はどのくらいかかったと思いますか?

答えは未だに治っていません。

(かなり治ったけど)

よく聞くでしょ。

いじめられるまでは活発だったのに、いじめられてから急に性格が反対になってしまった(おとなしくなってしまったとか・etc

自分もその一人だと思っていて、小学校2年生まではクラスリーダー的な感じだったと自認していましたが(小学校の話だけど)

いじめられてからは、一転しておとなしくなって嫌われるのが怖くなって衝突するのが怖くなって。

嫌われる勇気」に出てくる主人公を地で行く感じになってしまった。

この文章を読んで、いじめられた事のない人はこう思うんだ

「かわいそう」「うちの子供にはそうさせないようにしよう」

共感よろしくって感じだね。可哀そうって一番嫌いな言葉なんだけど、まあそれはいいとして。

この精神状態になるだけで、社会に出てから大分遅れを取ってしまうことは、ほぼ間違いないと思う

(少なくともサラリーマン生活においては)

さて話を戻そう。

第三者が介入しないのがダメならどうするか?

もちろん、子供いじめに気付くってのが大前提なんだけど、気づいた前提で話を進めたい。

俺なら子供にこういうだろう。

「俺が後の責任全部取るからそいつの所に行って殴って来い。言いたい事全部言って来い。言いがかりでも構わないから」

なんでこんな事を言うのか。

例のいじめ探偵さんと一緒に出演していた女性は(俺の見解では)かなり、思い込みが激しい状態だったと思う。

気持ちはわかる。俺も今でも似たような気分になる。ヒソヒソ話しをされてたら、俺の悪口言われてるような気分になるアレな。

いわゆるコミュニケーション不足。

といえば簡単だが、じゃあコミュニケーションって何なのよって話なんだよね。

たぶんいじめらしきものはあったんだろう。

出演者女性曲解した部分もあったかもしれない。

それを埋める為の、話し合いが必要という事。 たぶんお互いの溝は埋まらないでしょう。殴り合いになってケンカ別れになるかもしれないでしょう。

でもそれでいいと思う。

~さっきから何言ってんだこいつって?~

大事なのはここからで。

この辺りのフェーズ学生時代経験しておくことが大事だと言いたい。

特にいじめられてる子達に。

社会に利用される人たちは総じて弱い人であって、自分を主張できない人。自分を通せない人

(全員ではないけど、その要素はあると思ってる)

いじめられる子達にも共通項は多いと思ってるよ

(俺もそうだったから)

学生時代はその練習が出来るチャンスなんですよね。周りのクソ共が何と言おうと。

自分で(もしくは、周りの親に知恵をもらいながら)はねのけるのが、本当の意味の成長なんじゃないかな。

そうしないと、本当に「私は(俺は)過去いじめられた事がある」だけで終わっちゃうんです。

そうじゃなくて、「いじめられた事があるけど、そいつら全部ぶんなぐってやったwwwww」ぐらいにしてくれれば、自分の傷も癒されるし、

何より「自分意見を通すこと」の「加減」 ←ここ大事! が肌感覚で身につく。

加減がわからいから、喧嘩出来ないし、出来ないかいじめられるでしょ? みなさん。

(みんなじゃないと思うけど)

高校なんて、親もいて、教員もいて周りに迷惑かけてもある程度は許される時期じゃないですか。

ここで他人に頼るようじゃ、社会に出てからも同じだと思うんです。

・・・・って事を15歳の時の自分に言いたかったな。

余談だけど

自分は一度、小学校の時にいじめてくる主犯格クラスの奴に抵抗的な事をした事があったけど、それからしばらくいじめは無かった。

相手ビビったんでしょう。大人の今になったらわかる事ではあるけれど、小学生あのころに戻れるなら言ってやりたい。

「気のすむまで殴れ」って。別にストレス発散したい訳じゃなくて、あそこでそういう事を経験しておくことっで

将来社会に出てから、不良なんかが隣に座った時にやけに動悸が激しくなる・・・なんて事もなかったと思うんですね。

(実際小学校高校の間に起こしたケンカ(少なからずもあった)は、実は社会に出た今でもかなり人間関係の駆け引きの部分で役に立っている)。

俺には子供はいない

から子供が出来たらこの考えは変わるのかもしれない。みんな子供大事ものね。

でも大事からって生暖かい風呂に入れっぱなしにしていると、いずれ一人では出られなくなりますよ。  それが今回の文章趣旨です。

それだけです。

長くなりました。

おなか減った。

2018-10-16

anond:20181016023133

まじわかりみ

年齢的にも処女的にも共感しかない

そこまで酷い目には遭った事ないけどオナホとして見てくるアレまじきっついよな

2018-10-15

死ぬしかないなと思う

 近しい親戚が、末期の肝硬変だ。

 治療拒否していて、余命は約二年。

 ただ、親戚は治療拒否していて、周りの説得で、最低限の投薬治療は続けているが、飲酒喫煙も辞める気は無い。

 つまり、最長二年だけど、もしかしたら今年中に、もしかしたら今月中に、亡くなるかもしれない。

 知ったのはつい最近で、とても元気で溌剌とした人で、まだ四十代になったばかりで。

 おかしいだろ、と思った。

 死ぬべきなのは、親戚の○○じゃなくて、私だろうと。

 いつも思う。

 周りで誰かが死にかけるといつも思う。

 もうこれはメンヘラ十年選手の染み付いた思考の歪みだ。

 母も体が弱い。大量の薬を毎日飲んでいる。

 「長生きは出来ないから」が口癖だ。

 今すぐ死ぬ病気はないけれど、家系的にもあまり長生き出来ないとずっと予感していて、事ある毎に伝えてくる。

 父は六十後半で、働き詰めの人だから、あと十年、二十年、と考えるだけで涙が出てくる。

 一親等の中で、恐らく私は「誰かの誕生を祝う」ことよりも、「誰かの旅立ちを見送る」方が多くて。

 なんせメンヘラなもんで、家族は何もかもを一番最後に私に伝えてくる。

 途中経過を伝えたり、問題が起きてすぐ報告すると、私が考え過ぎて体調を崩すから

 気遣いが有難いと思いながら、それよりも何よりも、一人だけ仲間はずれにされている思いの方が強かった。

 なんでメンヘラになったって、別に特別事情はない。

 ネットで大好きな人がいて、恩人だと思っていた人がいて、その人とは、掲示板で話すことも、感想メールを送ることも無く、気付けば死んでいた。

 親族の方からの報告を見て、絶望した。

 もっと早くこの人の事を知っていれば。

 もっと早くこの人に声をかけていれば。

 ネットだけの話だ。

 私は一方的にその人を知っていて、一方的にその人の書く文章の大ファンで、一方的に命を繋がれていた。

 初めて、その人に感想を伝えようと掲示板を開いた時だった。

 薬物多量摂取からの、事故死だった。

 まるで小説みたいだな、と思った。

 泣いて泣いて泣いて泣いて、その頃おかしくなった。

 眠れなくなって、鎮痛剤をたくさん飲むようになって、腕を切るようになって、ご飯を食べなくなって、それまでは曲がりなりにも「普通健康体」だったのが、壊れて行った。

 家から出なくなった。人と関わらなくなった。

 別に後悔はしていないし、あの時あの人の事を知らなければなんて思いもしない。

 自分性質を幼少期から遡ってみると、あの時喪失がなくても、いずれ何かしらの形でぶっ壊れてたのは間違いないのだ。

 それが少し早まっただけだった。

 未成年期の自分は本当に頭がおかしくて、厨二病メンヘラを同時に併発して、ネットだけでそれが発露するならまだしも、現実の体でも行うようになると問題だぞというのがよくわかった。

 高校生位の頃になると、周りの友人はみんなメンヘラだった。

 むしろメンヘラしか残らなかったと言っていい。

 みんな死にたくて、なんとか繋がり続けることでお互いの命を延命していた。

 そんな中で喪った友人もいた。

 彼女解離性同一性障害で、電話をしていても急に人格が変わり、話が終わってしまうこともあったし、メールをしている最中にいきなりよくわからない文章が送られてきて、なんだろうと思っていると、後日別人格が送っていたことが発覚したりした。

 そんな彼女が亡くなったのは、ほぼ医療ミスだった。

 肉体はひとつでも、彼女の中には命がたくさんあって、私は一人を喪ったのでは無く、彼女の持ちうる人格すべての数と同じだけの友人を喪ったのだ。

 遠方に住んでいたのでご葬儀には行けなかったが、法事に参加させて頂いた時、無力感が凄かった。

 それから特に親しい友人も作らず、飲み屋はっちゃける位の仲良しがいる程度。

 友達はいない。知り合いはたくさんいる。そんな状態だ。

 メンヘラなのでいつでも死にたいのだが、「死にたい」じゃなくて「死なねば」と思う時がある。

 「もう死ぬしかねえな」

 「これは死ぬしかねぇわ」

 「さて、いつにするかな」

 旅行行く予定を考える程度の軽さで私は死を考える。

 精神疾患人間は、死との距離がとても近くなる、という漫画Twitterで読んだことがあるけれど、本当にその通りだ。

 家族よりも恋人よりも、いつもいつでもそばにいる存在

 さて、父親仕事解雇されたらしい。

 一大事である

 私の給料は、家族を養えるほど多くはなく、私の体力は、Wワークをする程存在しない。

 メンヘラ人生の積み重ねは、私から基礎体力を奪って、いつでも赤ゲージだ。

 昼間の仕事調子よくなってきて、毎日残業だけど、少しずつ頑張ろうと思っていた矢先だ。

 久しぶりに、思った。

「さて、いつ死のうか」

 前に思った時は、首吊りを本当に序盤に失敗して、通っていた精神病院ヘルプを出して入院させて貰うことで延命措置を取った。

 何もかもから逃げるには、精神科閉鎖病棟はとてもいいのだ。

 ちなみに自傷が酷く、全てのストレス自傷で誤魔化す事で頭がマシだった人間なので、他の人が喫煙量に制限をかけられていた中、「煙草を吸えば自傷我慢出来るなら、幾らでも吸いなさい」と無制限だったので、一日三本の煙草を大切に吸う人の横で、ほとんどの時間喫煙所とベッドで過ごした。楽しかった。

 いつ死のうか。と思うことは、つまり、何か今大きなショックがあれば、私は死ぬという事だ。

 あれは怖い。

 頭が全く働かなくて、働いているのに、体のコントロールが効かなくて、黙々と紐を括りつけている自分を泣きながら見つめているのだ。

 あれは怖かった。

 今の仕事は昼間のバイトなので、どんなに仕事を頑張っても直ぐ様給料が上がるわけじゃない。

 Wワークをするには体調が悪すぎるし体力が無さすぎる。

 基本赤ゲージだから、少し無理をすると起き上がれなくなってすべてが崩壊する。

 貯蓄も特にない。私個人の話ではなくて家計的な意味で。

 比較絶望だ。

 色んな支援脳裏を過ぎるけれど、なんてったってマイナス思考人間の考えることなのですべてが「どうせ」に終結する。

 とりあえず落ち着く為に腕でも切るか、と思ったので、色々な在庫仕入れに行く前に落ち着こうと、だらだらとこれを書きながらエンドレス煙草を吸っている。

 虐待を受けていたわけでも無ければ、性暴力被害にあったことも、パワハラを受けた訳でもないし、家族には比較的恵まれている。

 ただ私が、この社会で生きる事に適応出来ないのだ。

 多分生まれ時代を間違えた。

 メンヘラはみんな思ってるだろうけど、情報過多で刺激に溢れた世の中は、メンヘラには毒なのだ。生きてるだけで戦場だ。

 色々、考えなきゃいけないことも、やらなきゃいけないことも沢山あるのはわかっているけれど、脳味噌が諦めてしまっていると、なんだかなぁという感じである

 とりあえず眠って起きて、冷静になったら誰かに相談しよう。

 

 指示やアドバイスではなく、共感が欲しい。

 共感して、一緒に悩んでくれて、もしくは、抱き締めてくれる何かが欲しい。

 落ち込んだ時は手触りのいい大きなものを抱き締めていると落ち着くよと、誰かに言いながら抱きしめる。

 

 昨日買ったアルパカぬいぐるみはよその家のにおいがする。

 私は明日、生きているだろうか。

 鬼滅の刃アニメ見たいから、あと一年くらいは生きてる予定なんだけども。

 人生わからんね。

anond:20181014032639

太ったことをステロイドのせいにしてる時点で共感できなくなってしまった。

ステロイドによる食欲には野菜の大量食いとかで肥満回避できるよ。結局は自己管理がモノを言う。

医者一生懸命病気治療してくれてるわけで、自分にできることは生活習慣(食事運動)を整えて、病気に強い体づくりをすることくらいしかないと私は考えてる。

うつになったのはステロイドの影響もあるんじゃない? 私はステロイド躁状態うつ状態になったよ。

2018-10-14

好きな絵描きさんでもあるリア友

はじめまして

インターネットの片隅に私の吐き出すものを留めておきたいけど、支部に書くのもなぁと思ってここに書きにきました。

私は趣味Twitter自分が描いた絵を呟いたり、あるいは友達空リプ(くうりぷ)するだけの垢で時々話したりする人間です。

自己紹介はこれぐらいにしておいて、本題に入ります

私は中学生の時、部活学校の事で精神的に辛すぎてメンタル系の病院入院したことが何度かあります

当時は唐突死にたいとさえも思いました。

絵を描く事が唯一の救いだったのですが、部活美術部で、絵を描くと部活の事を思い出してしまうと主治医に話したことで、初めての入院3ヶ月のうち、はじめは絵を描く道具の持ち込みは禁止されました。

しばらくして、持ち込みの許可が出ると私は自分が考えたキャラクターを沢山描きました。

見回りに来た看護師さんに描いた絵を見せると上手だね、と言われる事がとても嬉しかたことを覚えています

そして、入院生活に完全に慣れた頃。

タイトルの通り、そのリア友出会いました。

私が記憶している中では、作業療法活動に初めて参加したリア友が描いたぬり絵を見て、話しかけたのが最初だと思います

そのぬり絵を見て、私は驚きました。

リア友が描いた鳥の絵はとても質感と量感が表現されていて、まるで動き出しそうな絵でした。

さらに驚いたのは、その子が同い年だということです。

同じ年齢で同じ絵を描くという趣味で、私達は個室のホールで一緒に毎日絵を描きました。

私は毎日驚きました。

ある日は漫画扉絵の模写をし、ある日はイラスト資料集に載っている洋服を使った全身の女の子の絵を描き...。

驚いたのは彼女の模写をする量とスピード分析力、そして正確さです。

私の周りにいる中学生ではそのような子はいませんでした。

私もリア友を真似て、退院してからも模写をしてた時期がありましたが、今も模写も絵も上手くありません。

きっとこの人は将来、大物になる。

そう確信した私はやってもいなかったTwitterを親からバレないようにこっそり始め、リア友IDを交換し、外泊の時にフォローしました。

そして、私は3年ぐらいリア友の成長を見守りながら、自分も絵を描いてきました。

リア友は今、中学生の私がほぼ予想していた未来の途中にいます

よく、Twitterではフォロワーステータスでは無いし、フォロワーファンではないという見方もあるとは思いますが、私はリア友の1ファンとして、多くの人がその子の絵に共感し、拡散されている事がとても嬉しいです。

しかし、私は心に何処か引っ掛かりがあります

それは、県の高校美術展についてです。

私は制作したい作品顧問先生相談した結果、作品上、いきなりB1サイズで描くのは厳しいという事で、最終的にパソコンで合成する形となりました。

その場合、数少ないCG作品として出品することになります

しかし、リア友CG作品として出品する事を知りました。

私はCG作品審査の目が何故か厳しいらしい事を知っていました。

今年こそ、審査の票を入れて貰いたいと気合いを入れて描いていたものでした。

非公開の垢で見たリア友CG作品はとても綺麗でした。

他人所為にしたくはないけれど、私は落ち込みました。

あの綺麗な絵に勝ち目なんかない、

あの作品より私の作品は劣っている、

私の作品は恥ずかしい。

もし、あの子作品が賞を貰えたとして。

私はリア友の絵を沢山拡散してくれた時と同じように、喜べるのか...。

私がずっと溜めていた事を文章に起こせて、少し楽になりました。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

愚痴

楽したくて底辺校に入った自分が一番悪いし間違ってたのはわかるけど人が蹴られてるのを大喜びして見てる人たちと一緒にいる空間しんどい。よくわからない何が面白いの?やめようとか言ったり止めたりしたらみんな面白くなさそうにするし不機嫌になるしいい子ちゃんとか言われるし。それ繰り返してたらそのうちハブられそうで正直こわい残りの時間1人で陰口言われながら過ごせるほど強くないし。自分が可愛くて放置してる時点で同類なんだろうけど。

友達痴漢された時だって爆笑して話聞いてるしそんなのおかしいし私は心配したけどみんな笑ってるし。盛り上がる話の内容がいつも頭悪いし、何が面白いのかわからない。愚痴だって自分馬鹿さを露呈してるような内容ばっかで恥ずかしくないの?ちょっと教師の声がでかいくらいでキレるし意味わかんない一々キレなくちゃ生きていけないの?逆にしんどくないの?「授業受けたくない 教師はわざわざ受けてやってるこっちに感謝してほしい」とか、義務教育じゃないんだからやめればいいじゃん、そういう意図で言ってないのはわかるけど言ってることさすがによくわからない 声もでかいしほんとに恥ずかしくないの?最初の方は適当に合わせてわかる〜って言ってたけどそれすら最近できない何も共感できない表面上でも共感できないだからといって他のグループに入っていけるほど社交性ないし なんでこうなったんだろって考えてもここを選んだ自分のせいでしかなくてこんな性格自分が悪いし全部全部全部自分が悪いし本当に何やってるんだろう。残り数ヶ月だけどいじめみたいなことして喜んでるとこ見てもう心が駄目になってしまった。

嫌いな字書きを二年間監視した末のポエム

 二年間監視していた女性同人作家がいる。

 私は彼女が嫌いだったけれど、彼女は私が好きなようだった。リプライで、コメントで、DMで、何度も好きだと伝えられた。彼女が私のファン自称していたのは、そのジャンルでそのカップリングを書く作家が、当時はまだ少なかったからだ。

 デリケートジャンルだった訳で、そこに関しては多くは語りたくないけれど、彼女の事だけは、声だかに話したい。誰でも良いから、私が彼女に抱いた巨大な感情を知って欲しい。この感情は少なくとも嫉妬じゃない。私は、彼女を手酷く馬鹿にしたいだけ。でも、私以外の人が彼女馬鹿にするのは、凄くいや。誰にも共感できないと思うし、共感して欲しくない。この憎悪は私だけが背負って生きていきたい。

 まず、私の事。

 私は、そのジャンルの、そのカップリング(以降ABと書く)で活動する同人作家の中で、私はなかなか優れていると思っていた。ブックマークの数も、評価の数も、フォロワーの数も、私が一番多かった。そのくせ、私は誰一人フォローせず、誰のどんな作品ブックマークしなかった。私が何に影響され、普段どんな生活を送り、どのような感情創作活動をしているのか、あまり知られたくなかった。マシーンのように、不定期に、キャプションも空欄のままの作品を、そっと投稿する。すぐに私の作品大勢から評価される。それが何より気持ちよかった。私はABの界隈では「人気者」だった。いかにもオタク染みていて、私が大嫌いな賞賛の一つでもある、「神」という呼び名で崇められ、不特定多数から崇敬された。

 次に、彼女の事。

 私がこのジャンルで最も優れている、というおごりは、ABで活動し始めて一年ほど経ってから、徐々に揺らぎ始めた。とても恐ろしい経験だった。十年以上前に、このジャンル活動していて、一時期は離れていたが、私の作品を読んで影響され、またABの創作活動を始めたと、そう語る人物が現れた。それが「彼女」だった。

 彼女の方から、私に丁寧なメッセージを送り、それから、私のツイッターアカウントフォローしてきた。彼女は私より十歳ほど年上で、理知的で、社交的な、そういう普通女性だった。初め、彼女は私の信者の一人に過ぎなかった。しかし、次第に、私は彼女存在を恐れるようになった。自分でも気付かない内に、彼女作品、もしくは彼女自身に、背後からにじり寄られ、両の手のひらで、首を絞められるような錯覚に陥った。

 何故なら彼女は、私よりも、私が愛する二人に関する知識が深かったからだ。上辺だけじゃない、もっと奥のところ、つまり関係性の考察が私よりもずっと優れていた。それは私に大きな不安感を与えた。初めて、他人の事を脅威だと感じた。彼女作品は、正直、拙かったけれど、どこか惹かれるものがあった。少し多すぎる改行の隙間、句読点の少ない文章の終わり、生き生きとした、人物の躍動を感じた。描写はとにかく簡素で、今二人はどこにいて、どんな体制で、何をしているのか、さっぱり分からなかったけれど、矯正前の乱れた歯並び、にきび跡の残る頬、デビュー当時の乱暴な喋り方といった、妙なリアリティ、そういうものが光っていた。それは誰もがわざわざ書きたがらない部分であったし、あえて言うなら余計な部分であった。それなのに、彼女はそれを描いた。荒削りなのに、かえってくっきりと形作られ、私の脳味噌の裏っ側にこびり付いた。私はそれが悔しかった。

 彼女は、十年以上前の二人の関係性を知っていて、しかし言ってしまえばただそれだけの事で、知識量の差はあれど、現在の二人の関係考察し、創作するのなら、大した問題では無い。と、私は自身に向かって必死にそう言い聞かせていた。

 この頃から、私は彼女の行動を毎日監視し始めた。彼女は、ABの他にも、様々な物に手を伸ばしていた。ツイッターでは、鍵を掛けたアカウントで、女性アイドルスポーツ選手可愛い可愛いと褒めそやし、片手間に自カプの作品投稿していた。そして週末には贔屓の選手応援する為に、何度も何度も海外へ行っていた。タイオーストラリア中国韓国イギリスネパール。いつ働いているのか、いつ眠っているのか、ついに最後まで何も分からない人だったけれど、金も暇も学もある人だった。

 しかし、彼女の一番嫌いな所はそこではない。彼女はよく、フォロワー食事をしていた。対面の席に、人の手が写り込んでいる、カフェ居酒屋写真が、画像欄の大半を占めていた。そのようなツイート投稿される度に、私は嫉妬で狂うようになった。スマートフォンを放り投げて、かんしゃくを起こしそうになるのを、グッとこらえて、そのツイートを見て見ぬ振りをした。泣きそうになった。

 彼女の事を一番知っているのは私だと思っていたし、彼女は私の事が一番好きなのだと、そう思い込んでいた。それは私の勝手妄想だったけど。でも、あの時は本気でそう思い込んでいた。でもそうじゃなかった。私は彼女の一番ではなかったようだった。

 私は彼女とだけ、よくリプライを送り合っていた。他のフォロワーには素っ気ない返信ばかりして、見向きもしなかったけれど、彼女にだけは、何度か読み直した返信を、少し緊張しながら送っていた。私は所詮、ここ数年のABしか知らない女だったから、彼女に落胆される事だけは、絶対に避けなければならなかった。

 手放しに認めて欲しかったのだと思う。数百人から匿名評価より、ちっぽけな彼女からの、ちっぽけな一人分の評価が、喉から手が出るほど欲しかった。私は彼女が大嫌いだったし、懐かれるのはうざったらしかったけれど、嫌われるのはもっと嫌だった。彼女作品に対して「好き」とはただの一度も伝えなかったけれど、私の作品彼女がつまらないと感じるのは、絶対に嫌だった。

 結局、そのジャンルの、ABとはこれっぽっちも無関係な部分が、とてもじゃないけど見ていられなくなって、私は呆気なくABから離れた。移動先のカップリングは、ABとは何もかもが違う。そのソシャゲジャンルでは、以前よりも作品への評価が恐ろしく低い。ブックマークフォロワー数もなかなか増えない。伸び悩む閲覧数を見て、ある種の諦観を抱いている。今までの経験から、このカップリングは、長くて一年だな、と見当を付けている。ゲーム内のイベントで高い順位を取るよりも、定期考査の結果で十位以内に入りたい。私は今年大学受験を控えている。

 もし、彼女がこれを読んだとしても、まさか「あの」人物だとは、考えもしないだろう。ね、そうでしょ。アラサーだと自虐気味にツイートしていた彼女が、浅ましい十代の私に対して抱いた感情の全てを、いっそ知り尽くしてみたい。きっと私は、顔も知らない、十も年上の彼女に、言いようのない羨望を抱いていた。唯一勝っていると思っていた小説だって、心のどこかで、彼女には劣ると感じていた。

 ふとした時、彼女に会いたい、と思う。

 彼女の住む都内マンション天井に、直径一センチにも満たない、ちいちゃな穴を開けて、屋根裏の暗がりから、そっと生活を覗いてみたい。ノーメイクのその顔を一目見てみたいと思う。間の抜けた声を聞いてみたいと思う。彼女馬鹿にしてみたい。何でもいいから、私より劣っている部分を探して、なんだ、この程度の人か、と落胆したい気分になる。

 私が、日々の中、ふと彼女の事を思い出すように、彼女も私の事を思い出す時は、あるのだろうか。大嫌いな人だけど、どこか虚しい。悲しくはないけれど、一向に清々しい気持ちにもならない。プールサイドに落ちたまま、拾われない、錆びたヘアピンのような、惨めな気分。

 あの人が綴った言葉も、あの人自身存在も、私の脳味噌の裏っ側に、まだベットリとどす黒くこびり付いている。

感想が怖くて読めない話とその他

とある界隈で2次創作をしている。小説らしきものを書く、ただそれだけの人間だ。

これは書き捨てたいと思って、書いただけの話だ。とりとめのないことを心の赴くままに吐き捨てた。私の話で、私以外の何者にも関係ない話だから読み流してほしい。思うがままに何の順序も考えず、適当に書き連ねただけのものだ。

大まかには1次創作から2次創作に移った時の話と感想が苦手って話だけど。

昔1次創作をしていた頃がある。その時は2次創作なんて物は知らなくてただひたすらに1次創作に耽っていた。2次創作を知ったのはなんとなく始めたツイッターだった。なんとなく自分の好きなラノベタイトル検索して、引っかかったのが2次創作だった。

ああこういう創作もあるのかと思った。

私が知っているはずの世界と、根を同じにして別の花を咲かせた世界と思った。だけど大樹になることは出来ずに、ただ大樹に寄り添うように花を咲かす創作だと思った。

初めて2次創作を書いたとき2次創作に逃げるんですか?という内容のことを言われたことがある。

その時1次創作をやっている方に少数ながら2次創作を見下している方がいることも知った。「自分世界創造できないくせに」といった種類の言葉を何度か見た。

その時、彼もしくは彼女の言うことが理解できなかった。今も理解できない。2次創作が何故「逃げる」ことになるのか理解できなかったのだ。今では少しだけその方の言いたかたことはわかるけれど、共感することも理解を示すこともできない。

私は1次創作をしていた身として世界を創る難しさも楽しさも苦しさも少しは味わった身ではある。

私は2次創作を行なっている身として他人が描いた世界に自らの書きたいことを表現する罪深さと難しさと楽しさを少しは知っている。

かに世界があるというのは書きやすいことを認めよう。世界観やキャラクターといった大樹がしっかりと根付いている世界で行う2次創作は書きやすい。だけどそれだけだ。

だけど1次創作だって世界を創った私には世界観、キャラクターストーリーは分かっている。私の中には世界観やキャラクターといった大樹は根付いている。ストーリーという枝葉まで理解できている。だから書きやすさは変わらないと思った。

だけど誤解しないでほしい。

読んでもらった時に理解されやすい、評価されやすいというのは2次創作だと思う。だけど書きやすさについては変わらないと思うと私の意見を述べてるに過ぎないのだ。

1次創作だろうが2次創作だろうが、書くのはしんどい

それに1次創作しろ2次創作しろ、私は書きたかった話を書いただけだ。

私にとってはただそれだけのことだったから、なんで「逃げ」と言われたのか理解できなかった。

私は感想を貰いたくない人間だ。そのくせ承認欲求は人並みにある。支部小説をあげて、ブクマされたら嬉しい。n人があなた小説ブックマークしましたって通知が来たら嬉しいのだ。

だけど私は感想が読めない人間なのだ支部感想の通知も切っている。

感想を書くのにはかなりの労力が必要だと分かってるから悪いとは思う。だけど私は読むことができないから貰いたくない。その労力に見合う何かを私は受け取れない。付け加えていうのならば、私はその労力に値する何かを返すことも出来ない。

端的に言えば怖いのだ。心が弱い。私は自分の心が豆腐以下だと知っている。何でポッキリ心が折れるのかわからない。

感想というのは基本的善意によって書かれたものだろう。だが中には罵詈雑言を入れる人間もいると知ってるからだ。

私は弱小物書きだから誹謗中傷ガンガン送られてきたとかそんなことはない。

一度、二度ぐらい誤って感想を見たときちょっとした私の柔い心に針が刺さったことがあるから見たくない。それだけだ。

でも小説は読んで頂けたら嬉しい。楽しんで頂けたのなら嬉しいのだ。

だけど私は自分の心の弱さを知っている。

書くことが好きだという気持ちを無くしたくないから、感想は読めない。

申し訳ないなとは思う。

悪いと思う。

だけど善意を悪意かもしれないと疑う自分がいる。

きっと私はこれから感想を読むことはないと思う。

道端で若い女に抱きついて逮捕される奴とかいるけどさ

そういう奴って意外と何十年もまじめに生きてきたおっさんなんだと思うわ

でもふとした拍子に理性のタガが外れる

なんか共感できてしまうんだよなー

二次創作活動をしている。気がつけばツイッターフォロワーもそこそこいて、ピクシブフォロワーもそこそこいる。ブクマいいねリツイート結構貰う。

販売会でも持っていった本は完売できるし、通販も二日三日で売り切れてしまう。

きっと、そこそこなんだと思う。

ある程度の創作者が、誰かに見てもらいたい、理解してもらいたい、賞賛してもらいたいって願う、その立場に近い位置はいると、自分でも思う。

ただ、怖い。

たくさんの目が怖い。

もともとごく少数の知人に見せるために創作をしていた。それこそ二次じゃなくて、一次で。

それがいつのまにか二次にはまり、しばらくするとぼちぼち良い評価を貰うようになって、それが嬉しかった。ツイッターもやっていないあの頃、十ついたブクマに友人に見て見て、と嬉しそうに報告していた。

ある時、爆発的に評価された。

その作品は、その万を超えるであろう創作のあるジャンルの中で、ブクマ数順に並べ替えて上から数えればすぐに見つかる程だ。

しかった。純粋に嬉しかった。こうなればいい、ああなればいい、絵空事妄想がここまで評価されたのだ。気がつけばフォロワーも増えていて、いいねブクマ投稿してから時間が経った今でもポツリポツリと伸びる。

そこからだった。

作品を上げれば、一定数は必ずブクマいいねを貰えるようになった。

嬉しい、と。そう思っていた。

認められている、共感されている、評価されている。それは創作者が必ず願うことで、嬉しいに決まっている。

ただ、一度疑ってしまった。

「この人の作品から

創作の内容じゃなく、私自身だから

なにを言ってるんだお前は、と自分でも思う。でも違うのだ。フォローしてくれている人が、上げて数分もしないうちにブクマをする。それは、本当に内容を見て、素敵だ、好きだ、共感できる、と思ってくれたのだろうか。この人の作品なら間違い無い、と思い込みブクマじゃないだろうか。

このブクマ数は、いいねは、自分作品の正当な評価なのだろうか?

人間から、誰だって依怙贔屓してしまうと思う。その贔屓の対象になっていないのか、不安で仕方ない。自分は本当に、この評価に値する作品創作できているのか、分からない。誰も教えてくれない。かけてるよ、すごいよ、と言ってくれる人はきっと贔屓目で見てくれているからだと、一度疑ってしまった自分は、信じられない。

フォローしないで、と思う。自分を見ないで、と思う。見て欲しいのは作品だ。そこに自分を入れないで欲しい。

最近創作をし始めた人に、相談される。ブクマが伸びない、いいねが伸びない、閲覧数が増えない。どうすればいい、と聞かれるのだ。

その人からすればきっと、自分はその人の憧れの対象なのかもしれない。

いい子ちゃん優等生自分は、「人目なんて気にして創作しちゃダメだよ。他人の為の創作じゃなくて、自分の好きなもの創作しよう」と模範回答をする。

本音は、そんなこと聞かないでと叫びたい。

最初の一つこそ、正当な評価かもしれない。けれどもだんだん、usersタグに引き寄せられて色眼鏡評価が増えてるのかもしれない。この人の作品から、という評価かもしれない。

自分を見ないで欲しい。

フォロワー多くていいな、と言われても、やめてほしい。違うのだ。自分はただ、創作したいだけなのだ評価して欲しくて創作を始めたんじゃない。私にとって創作はもう呼吸と同じもので、息を吐けたからと言って賞賛して欲しいわけじゃない。ただ、吐き出した息に混じった酸素を誰かが吸うのかもしれない、そう思って世に出してみただけだ。

評価してほしい、賞賛されたい。

しかにそう願う時もあったはずなのに。

いつから人の目がこんなに怖くなったんだろう。

そんな面倒くせえ感じなら創作やめちまえ、と思うが、やめられない。

結局自分は息を吸うように創作し、見ないで、と願いつつ世の中に自分の好きなものを増やすべく作品晒していくのだ。

anond:20181014032639

>がんサバイバーがエネルギッシュな姿を

さらすことは勇気を与えるかもしれない

>でもサバイバーがエネルギッシュにならな

>ければいけないという無言のプレッシャー

> がある。

ホント、これ。

勇気をもらうひとだけじゃなく、劣等感を感じるひとも沢山いる。

負けていい、弱音を吐いていいって言ってくれるひとがもっといたらいいのに。

どうにかこうにか生きてる、ってだけで、褒めてくれとは言わないまでも、誰に後ろ指さされる筋合いもないよね。

そういう気持ち共感して寄り添ってくれる恋人そばにいてもらいたい。

でも、ワタシももはやどうやって作っていいやら…

anond:20181014070303

研究に対し、パトロンが惜しみなく金を出すというパターンはあるのだろうか?

さもないと、アカデミズム or 資本主義競争 or そのハイブリッド のどれかか。。。

 

私は研究者ではないが、

日本における近代的自我問題に関しては、非常に共感する面がある。

家族主義儒教道徳西欧個人主義の間で、すり潰されるような感覚

草枕』の有名な一文を思い出す。

 

これは文系に蓄積があると思うので、色々と漁っていきたいところだ。

anond:20180925051542

ツイッターリンクから飛んできたんだけど、これはSSですよね?

なかなか病んでいて、楽しかったです。この話、共感できる人いると思うな。

2018-10-13

たんぽぽ川村滝沢カレン

この二人の空手動画を見て、川村さんに共感するという声がしばしば聞こえる。それは別に良い。

ただ周りが笑っているのは川村さんが不細工からではないことは知っておいてほしい(川村さんの顔や表情が笑いの足しになっているのは否定しない)

動画を良く見よ。川村さんは、打ち返してこない相手ビビって腰が引けている。おっかなびっくりに打ったと思えば、終始「怖い」と嘆いている。打つ前から気持ちが負けている。いやだいやだと消極的だ。状況から逃げたくて堪らない。

一方の滝沢カレンさんはどうだろうか。最初からしっかりと打とうとしている。前に行って、競技積極的に参加している。手数も多く、嘆かず、実直だ。どちらも同じように素人なりの柔柔な打ち方をだが、しかし、違いは一目瞭然である。これは滝沢カレン美人からそう見えるのではないのだ。

それが終わって川村さんの号泣である。もうそれだけでも十分に面白いが、男性陣に叱咤されたのが「不細工から」と勘違いしているのが、ことさら面白いのだ。違う。そうじゃない。臆病だからだ。男性陣は、特にノブコブは終始励ましていたのだが、それが叱咤に聞こえたのだ。

興奮している時というのは自分の体や動きを客観視しにくいものだ。だから滝沢カレンさんとの差を、川村さんは認識できなかったのだろうと思う。自分彼女と同じようにしていると思ったのかもしれない。それで男性陣が滝沢カレンに肩入れしているものだと思ったのだろう。その乖離が、余計に滑稽なのだ

彼女の臆病さには共感できないわけではない。むしろそうだろうと思うものだ。共感するのだ。だがそれを含めて喜劇なのだ

ツイッターでの人間関係ツイッター疲れ

私は二次創作活動をしている。

大半のSNSには登録し、作品投稿したり次イベント頒布する同人誌宣伝使用したりしている。

その中でも特に活用しているのがツイッターだ。

上記のような使い方+同じ趣味作品CP好きな人フォローし、時にフォローされて交流を深めることにも利用している。

しかし、最近ツイッターアカウントを消してしまおうかと私は悩んでいる。

私は同人活動を始めたのは数年前からだが、ツイッターはそれ以前から利用していた。

ただ、頻繁に呟きをするわけでもなく、本当に登録しているという形だけのものだった。

それが今は、朝起きたらツイッターを開き、昼休憩でツイッターを開き、夜就寝前にツイッターを開く。ご飯3食食べるのと同じようにツイッターをしている。

自分でもツイッター中毒なのだろうなとは思うけれどもやめられない。(中毒なんだからそりゃそうだ)

やめられない理由ひとつに、ツイッターの「いいね」や「リツイート」の機能があげられる。

これ自体はい機能だと思うし、この機能に私もずいぶん救われた。

でもこれが私自身を苦しめるものひとつになってしまった。

作品投稿すればリンクをつけてツイッターに呟く。

原稿の進捗を呟く。

萌えツイートする。

そこに目に見える形で「いいね」や「リツイート」が押される。

単純に気分がいい。

満たされたような気持ちになった。

いいね」や「リツイート」というのは、大半が「あなた共感しますよ」「あなたのこの作品・呟きいいね!」という意味合いで使われているだろう。(リツイート場合リツイートされた先での反応にもよるけど)

最初は、自分創作したものいいねリツイートで広まり感想いただき共感してくれる人、自分共感する人と交流を深められ、なんて最高なんだという思いでいっぱいだった。

なにせ、私がWeb創作をしだした頃は個人サイトに溢れ、サーチやBBSWeb拍手やメールフォームなどを積極的に設置するスタイルで、イベントなどに出ない限り同じ趣味の方と交流できないだけでなく、感想ひとつ貰える機会もなかなかなかった。

それだけに、ラフ感想を送り合え、なおかつ思いを言葉にするのが難しい人や直接感想を送るのが難しい人は「いいね」や「リツイート」で好意を示せるのだからツイッターはすごいと思う。

からだ。だからこそ、手軽に人と繋がれるこのツールにのめり込み、疲れ果て、今そこから離れようとしている。

いいね」や「リツイート」、「フォロワー」の数が目に見えるのだからもっと欲しい、もっともっとという欲求が生まれた。

それがいつしか、以前よりも反応がないと「あれ、今回のは良くなかったかな…」とあれだけかきたかったネタのはずなのに、ひとつ作品を作ったというスッキリとした気持ちにならなくなってきてしまったのだ。

感想が欲しい』『反応がないから辞めます』系のツイートが定期的にバズる度に、「自分楽しいから創作してるだけで、感想貰えなかったから辞めるというのはどうなの?」という意見が出るけれど、私は心の中で「そうだよね。私もそう思う」という思いと、「でも感想はやっぱり欲しいよ…」という思いに苛まれる。

感想別にいらない、系の人の話を見ていても、正直、「ツイッター作品投稿サイトにあげている時点で、やっぱり誰かに見て欲しいんだよ。承認欲求あって当たり前だよ。人だもの」と思ってしまう。

そうじゃない、と言い続ける人もいるだろうけど、人が見る場所投稿しているのだから、少なから承認欲求があるはずなのだ

そういうものだと思っているし、駄目なこととも思わない。

でも、そんな思いとは裏腹に「承認欲求があることが見えるのはなんか嫌な人間みたい」という思いも同時に抱えてしまう。

それが今になって、だんだんと苦しくなってきてしまった。

また人間関係でも、現実人間関係とはまた違っている。

それが私は最後までどこかしっくりこない事があった。

ツイッターでの交流基本的本名でないやり取りになる。

同人仲間でも、私の本名を知っているのはひとにぎりの仲のいい人たちだけだ。

そんな中、ツイッターで知り合って、お泊まりし合うような仲になった友人。

LINEでもやり取りするし、本当の親友だと思っているが、最近その友人がツイッターの裏アカウントを削除した。

そのアカウントは身内のみ招待している状態で、私もその中の1人だった。

それが、別でもアカウントを作っていて、その裏アカウントさらに少数の人としか繋がっていないようだった。

それにものすごくショックを受けた。

アカウントをかなり転々としていたその友人だけど、私のこともずっとフォローしてくれていたのに、どうして。

嫌になったのかな。

何かしたのかな。

そんな思いがぐるぐると渦巻いて、しんどい

相手にとって私はボタン一つで離れられる存在だし、他に仲良くしてた人(中にはちょっと愚痴を言っていた人)とは繋がっていて、私との繋がりはもういいんだ、と思った。

そう考えてしま自分が嫌だし、なんだかその友人に執着しているようでそれも苦しい。

リアルだと、直接何かを言い合ったり出来る。

でもあくまでも始まりネットからだし、直接会うには距離も離れすぎている。

LINEで連絡を取っても、裏のさらに裏垢を教えてもいない人間が知っていたとなったら、それはそれで相手も気味悪がるだろう。

表垢では繋がったままなのが、またしんどい

いっそ全部すっぱり切ってくれればいいのに

ああ、でもそれはそれで精神ダメージは大きいだろうな…とか思ったり。

ツイッターの恐ろしい面だと思う。

ボタン一つで相手交流を断つことが出来る。

上記の事があり、なんだかもうすべて疲れてしまった。

ツイッターでの愚痴

文字しか相手を見ていないのにその人の人間性を否定する。

自分の考えの押し付け

ツイッターは本当に素晴らしいツールであるというのは、私の本当の気持ちだ。

知らない世界を教えてくれるし、気軽に心が救われることもある。

でも、なんだか疲れちゃったなぁ。

こんな気にし過ぎな性格ではなかったのにな。

ああ、これがツイッター疲れか。

フェミ感情論に走るのは許されるのか

フェミが、「DVを救いたい、レイプ被害者を救いたい、シンママの子育てを支えたい」とかなら、よくわかる。

しかし、

「私のお気持ち共感しろ」という、女性ありがちな、「共感コジキ」をやるための、『ダシ』として底辺女性を『使っている』としたら、それは許されないと思う。

  

フェミが、「お気持ち」を語るときに、その動機は何なのかをハッキリさせて欲しい。

その理由が、「私が単に何となく不愉快だ」ではそれは、『あなた個人問題である

それが一般論として、「こういう女性が困っている」のなら、それは動機として納得できるかもしれない。

  

そのあたりを無視して、

ブサメン気持ち悪い」とかの「不純な動機」で、「男性と話するのが気持ち悪い、男性恐怖になったのは男性優位のせいだ」などと、振りかざすのなら。

「そういう女性の声は聴きません」となってしまい。

本当に考えられるべき底辺で苦しんでる女性迷惑になる。

anond:20181012215351

ガチモテなかったデブスおばさんだったら、そんな繊細な時期なんてないし共感できないと思うが

女はみんな男に粘着されるとは限らない

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