はてなキーワード: 正式とは
黒羽から出てからすぐに診断が出たわけじゃなくてな、4月24日に出て、 9月30日からひかり学園に通院し出した。 野田省治による正式な診断は、 平成27年2月28日
5月頃になって、 要点をまとめると次のように書いている。
満期出所してから症状は余計に悪化し、知り合いの専門家に聞いたら、アスペルガー症候群で統合失調症と指摘された。
健康管理支援員が、 令和4年7月1日ごろの話で、 東大法の成績表を受領した。 良の成績が並び、客観的に優秀な成績なのは認識できるが人間性までは分からない。
令和5年の記録 3,5月 主、河川敷での拡声器の使用があるということ。昼夜逆転しており、生活相談の■氏(内線 )
武蔵野病院でカンファレンスをする際には同席願いたいということ。
黒羽刑務所の話、 裁判の話、 最初は主に有利に運んでいたが、裁判官に暴言を吐いたせいで形勢不利になり有罪になってしまった
ということ。
令和6年1月17日 主が、 板橋区役所情報公開の鵺山氏から着電。 主が、 12点ほどの福祉課の記録の開示請求をしたということ。
追記をはじめに書くべきとのブコメがありましたので修正しました。
○増補新版にしか弥助の記載がないってコメントあるけどそうなの?そもそもロックリーの本の方が先にでているらしいし、頑張ってこんな微妙なウソつくのはどうなんだ。/そもそも記載は本当でも南蛮人から買うしかない
○弥助の事書かれて無い2017年版大航海時代の日本人奴隷持ってるけど、2021年発行増補新版の間で何かに目覚めたんかな?17年版は序章の改宗ユダヤ人が異端狩りを逃れて日本へ逃げ込む所なんか凄い面白い本なんだけど
そしたらロックリー先生初出、岡・ソウザ先生がそれを取り入れた可能性もあるのか
そしてそれを取り込んでしまったせいで目茶苦茶な記載になったのかも
(肥後に弥助の妻子がいたと読み取れる件について)
○その部分は、校正の最終段階で、段落を丸ごと削除した際に残ってしまったミスです。2021年の再版刊行時にすでに修正済みです。アカデミアの方であれば、そういったことが生じることはご存知ではないでしょうか?それに、弥介の話は前段落で終わっているのは、文章を読めば理解できるところです。
○なおkindleは初版以降の修正は反映されないことが確認されたため、本日中央公論新社と協議の上、Amazonに修正依頼しました。来週には修正される予定です。本日大規模重版かかりましたので、同じ頁の数字の誤字も修正されます。ご指摘、どうもありがとうございました。
(後掲岡先生のXより)
アカデミアでは段落丸々削除する程度のミスは当然に生じうるから問題なし、またこれを弥助の話と取るのは読解力の問題、とのようだ。
弥助の話をしている流れで肥後の妻子の話を続けているのだから、普通の読解力だと弥助の話と受け取ると思うのだが。アカデミアの方々の高度な読解力は凄いね。
また、私なら、まずミスしてしまった本を読んでしまった読者に謝罪するけどアカデミアの流儀は分かんないね
なお、「廿」については修正されていそうだが、「器量すくやか」の誤読(?)についてはコメントされていなかった。
「戦国大名は黒人奴隷を求めた」説、ロックリーさんの捏造ではない
かもしれない。
アサクリの弥助問題から派生して、日本大学准教授のロックリー先生が、「戦国大名は黒人奴隷を欲していた」とデマを流している、との言説がある。
しかし、これはロックリー先生のデマではないのではないか、との意見がX上で交わされているので、ロックリー先生の名誉のためにまとめておこうと思う。(リンクが多くなりすぎるのでリンクは省略)
東京大学史料編纂所の准教授の岡美穂子先生と、その配偶者であり東京外国語大学特任教授のルシオ・デ・ソウザ先生の共著である「大航海時代の日本人奴隷 増補新版」(中公選書)という学術書がある。
屈強で珍しいカフル人を従者にすることは、日本人にとっては「富貴」や「威風」の象徴で、交易に関係する大名たちはこぞってその所有を望んだと思われる(215ページ)
また、ロックリー先生の著作の「信長と弥助」(太田出版)にはこうある。
ロックリー先生の著作が2019年出版、岡・ソウザ先生の著作が2017年であることから、ロックリー先生は岡・ソウザ先生の著作を参考に書かれた可能性がある。
つまり、岡・ソウザ先生は従者と記載しているのを、ロックリー先生が奴隷と言い換えてしまったようなのだ。母国語ではないせいで細かいニュアンスが変わってしまったのか、意図的なのかは不明だが。
ちなみに岡先生・ソウザ先生の著作に「「富貴」や「威風」の象徴…こぞってその所有を望んだと思われる」とあるが、その根拠は示されておらず、不明である。岡先生・ソウザ先生の博識にてらすと論ずるまでもないことなのかもしれない。
ただ、ロックリー先生の著作は英語版では内容が異なるという話もある。そこまで追えていないが。
商売上手の中央公論新社が、話題になったこの機会を捉えて「大航海時代の日本人奴隷 増補新版」を増刷してくださるそうだ。(https://x.com/chukoshinsho/status/1815737944243573035)
せっかくの機会なので皆様も是非お読みいただきたい。
注目すべきページがある。(https://i.imgur.com/aQlemYT.jpeg)
書籍内では「16、7歳」(4行目)とあるが、実は信長公記では「廿六、七」と書いてある。もちろんこれは26、27歳のことであり、①単純なミスが発見できなかったか、②「廿」という文字が読めなかったか、ということになる。ケアレスミスだろうか。
書籍内では「穏やかな気性」(5行目)とある。これも信長公記にあたってみると、「器量すくやか(健やか)」とあるが、現代文に訳すのならば「立派な」や「頑丈な」、「才気にあふれた」といった意味となる。これもケアレスミスだろうか。
書籍内では肥後に妻子がいたとされている(後ろから2行目)。文脈上これは弥助のことだと思われるが、史料中で弥助に妻子がいたことを示すものはまったくない。何を根拠にしているのだろうか。
ルシオ・デ・ソウザ先生は、ロックリー先生の最新作「A Gentleman from Japan」の推薦を書いており、関係は良好だと思われる。
岡美穂子先生によると次の通りだ。
「ゲンダイ」系の媒体、上からの圧力にも曲げず、頑張ってらっしゃいます。どうせ競馬と女性の裸の写真しか載っていないんだろうから読者の質など知れていると、オカミはタカをくくっておられるのかもしれませんが、なかなかどうして、左翼系知識人から、かなり支持されておりますのですよ。私は左翼でも、知識人でもありませんけど。でも右翼は絶対嫌だ。
そんなこんなんで、お友達がいるわけでもない日刊ゲンダイで、本が紹介されました。とても嬉しいです。
https://web.archive.org/web/20201101144221/https://mdesousa.exblog.jp/m2017-06-01/
岡先生のブログによると、左翼系知識人は日刊ゲンダイをかなり支持しているとのこと、また、御本人は左翼でも知識人でもないけど、右翼は絶対嫌とのことだ。
ちなみにこのブログは、2024年5月16日まではウェブアーカイブにて確認できるが、岡先生が今回の弥助・黒人奴隷議論に御参加されるころには既に削除されてしまっている。
弥助・黒人奴隷議論に際し、岡先生のなされた御発言をまとめておこうと思う。
○これだけ「歴史修正主義」って叫ぶ人が出てきてるのに(笑)、右系論壇が沈黙しているのは、さすがにこの問題に関わったら、常識を疑われると認識できているのだろう。
○将来を嘱望されていた呉座さんがあんなことになってしまったのは、あなたたちのような人と不用意に繋がってしまったからでしょうね。
○「権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まった」という文章を否定しろ、という意見が多いようですね。ここで迂闊に発言すれば揚げ足をとられそうです。外務省から正式な要請があれば、史料付きでやっても良いですよ。外務省がこの問題を本当に「国際的な国益問題」と判断すればですが。
○私はロックリーさんの著作は、日本語も英語も「歴史読みもの」であり、学術研究であるとは考えておりません。しかしそれが書かれるにあたって、彼が様々な文献にあたり、想像を超える努力をしたことは存じております。
○彼等にとって、ロックリーさんの著作が、歴史や日本への関心を形成するバイブルであるのだとしたら、それを否定するのは、彼等をとても傷つけることであり、それに対する防衛として、ネットの中で「歴史戦」が展開されているのでしょう。
○に「裏で」繋がっていませんが。私が海外で出版した本のレビューを権威あるジャーナルで紹介してくれたのは彼ですし。面識のない人を「あんた」と呼ぶのは、いかがなものでしょう。おそらく、現在表に出ている人間で、彼を表舞台に連れてこれるのは私だけですが、こんな人のためにはできませんね。
ここから、①右翼・右派に対する敵対心がある、②ロックリー先生の著作は読み物だが、ロックリー先生の努力やそれを信じる人のためにも否定しない。(ロックリー先生は史実と主張しているが)、③政府から言われれば自身の著作を修正しても良い、④ロックリー先生とは夫婦揃ってかなり深いつながりがある、という御意見をお持ち・事実関係であるいうことが読み取れそうだ。
著名な学者であり、岡先生の同僚でもある隠岐さや香先生まで、岡先生擁護の論陣を張っていた。
日本史研究者への歴史観にまつわる誹謗中傷、オンラインハラスメントは「アジアにおける学問の自由への脅威」の一例として報告されるレベルでして、まさに言論弾圧の一種として国際的にも認識されています
https://www.asianstudies.org/publications/new-threats-to-academic-freedom/
ちなみにオンラインハラスメントの日本での事例として、隠岐先生御紹介のページでは望月衣塑子さんの新聞記者が挙げられている。あれってフィクションじゃなかったっけ…?
元々侍と武士は同じ意味だったが、時代を経ると侍は高位の武士の意味になってる。
侍(さむらい、サムライ)は、古代から中世にかけての日本における官人の身分呼称、あるいはそこから発展的に生じた武士の別名である。
「侍」という言葉は元来は、朝廷の実務を担い有力貴族や諸大夫に仕える位階六位下程度の下級貴族(官人)を意味した
武芸を仕事内容とする技能官人である武士が発達すると、「侍」は武士を指すようになった。
さらに、武士階層の裾野は広がり貴族に連なる支配階層に加え、本来は百姓身分である地侍や徒士、卒、足軽なども武士に含まれるようになると、「侍」は武士の中でも比較的高い地位にある「騎馬戦闘の権利資格を有する階層以上の武士」を指すようになった。
足軽(あしがる)は、平安時代から江戸時代の日本に存在した歩兵の一種。
概念によっては、雑兵(雇い兵)と混同されることが多いが、足軽は正式に登録された下級武士であり、雑兵は戦いがあるたびに金銭で雇われる軍兵のことである。
弥助が侍かどうかの話があるが、そもそも侍の定義を明示してないと話が始まらない。
足軽だったとしても下級武士であり武士=侍の時代の定義に従えば足軽も侍と言うことも可能なので議論する上で当たり前だがそもそも言葉の定義についてはっきりさせておく必要がある。
それも証拠能力として正式に採用されるレベル→そんなもの聞いたことない
GREEとDeNAがソシャゲ競争してた時代→その時代から絵柄も使用ソフトも筆も全部変わってるで
コイツ飛びやがったリスト→そんなものは作らない、時間の無駄。契約終了も音信不通もしてないし、イラストと紐付け管理なんてしない
AIで手癖や特徴を比較してSNSのアカウントと突合→そんなソフト聞いたことない
でも締め切り遵守率低いのも社会性皆無なのが許されてるのは
○日本の戦国時代では黒人奴隷が流行ってた、イエズス会は奴隷を禁止してたのに。
○真田広之のSHOGUNで黒人武士が出てこないのは差別と糾弾された。
こんなのが一般的になってんだぞ
ちなみに東大准教授の岡美穂子さんは誤りを正さないことに肯定的。
理由は「それを信じた彼らが可哀想だからじゃないか」という趣旨。しかも、外務省から言われたらやるという権威主義。
彼等にとって、ロックリーさんの著作が、歴史や日本への関心を形成するバイブルであるのだとしたら、それを否定するのは、彼等をとても傷つけることであり、それに対する防衛として、ネットの中で「歴史戦」が展開されているのでしょう。
「権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まった」という文章を否定しろ、という意見が多いようですね。ここで迂闊に発言すれば揚げ足をとられそうです。外務省から正式な要請があれば、史料付きでやっても良いですよ。外務省がこの問題を本当に「国際的な国益問題」と判断すればですが。
ちなみに岡先生の配偶者のルシオ・デ・ソウザさんは、このデマの発信元のロックリーさんの著作の推薦文を書くなどの近い関係。
趣旨は「歴史学者へのオンラインハラスメントは言論弾圧だ!」とのこと。
日本史研究者への歴史観にまつわる誹謗中傷、オンラインハラスメントは「アジアにおける学問の自由への脅威」の一例として報告されるレベルでして、まさに言論弾圧の一種として国際的にも認識されています
https://www.asianstudies.org/publications/new-threats-to-academic-freedom/
ちなみに隠岐さや香先生の例示した報告では、日本におけるオンラインハラスメントの事例として安倍晋三によるものを挙げている。なんとその出典は新聞記者(映画)。あれは望月衣塑子記者によるフィクションなんですが・・・隠岐さや香先生大丈夫?
Core Keeper、Factorio、Satisfactory、Slay the Spire、FTL
Core Keeperは日本文化が好きな開発陣が作った見下ろし探索ゲーム。装備を強化しながらフィールドを広げつつサバイバルと建築要素を楽しむ感じ。まあまあ面白いがソロだと微妙かもしれない。
Satisfactoryは9月に正式リリースで値段上がる可能性がある。従業員として無人の惑星に降り立ち、本社に素材を送り続けるゲーム。時間泥棒
Factorioは無人の惑星に墜落した主人公が工場建設を経てロケットを打ち上げるところまでがゴールのゲーム。10月に宇宙DLCがやってきてロケットを打ち上げた後が楽しめるようになる。時間泥棒
Slay the Spire ローグライクデッキ構築インディーゲームの金字塔。デッキをビルドできないとクソゲーになるけど時間泥棒
FTL インディーゲームという分野を打ち立てた金字塔 古典感は否めないものの、宇宙系で探索×バトル×ランダム性がOKなら買い
https://anond.hatelabo.jp/20240721230541
ジジェクは道を誤った / メラニー・ゼルMelanie Zelle [スワースモア大学の学内新聞『スワースモア・フェニックス』の編集者] ※削除済
ttps://web.archive.org/web/20230303073524/https://swarthmorephoenix.com/2023/03/02/zizek-has-lost-the-plot/
私が哲学に興味を持つようになったのはスラヴォイ・ジジェクのおかげである。
彼の著書『終焉の時代に生きる』と『パララックス・ヴュー』に偶然出会い、中学2年生の私が苦労して読み進めたこの本が、
ジジェクの文章は、彼が即興でする賛美のすべてにおいて、素晴らしく説得力があると私は感じた。
本棚に積まれた1000ページにも及ぶ矛盾の山に憤慨しながら『Less Than Nothing』を読み通したのは、高校時代に果たした偉業だった。
私は、ジジェクの長編作品の論旨を理解できるかどうかで、自分の知的価値を測るようになった(現在はほとんど理解できないが、以前はまったく理解できなかった)。
それだけに、現代の政治文化に関する最近の記事で、ジジェクを非難するのは心苦しい。
しかしある意味で、ジジェクと私の関係は、彼が何について間違っているのかだけでなく、
なぜこのような著名人が、あのように明らかな知的陥落にはまることができたのかを理解しようとする上で、
有利なポジションに私を置いていると感じている。
私の怒りの主な対象は、先週発表されたばかりのジジェクのエッセイである。
そのタイトル「Wokeness Is Here To Stay」は、たぶん私がそれほど警戒するものではなかったと思う。
ジジェクの哲学は、ヘーゲル、ラカン(そしてフロイトも)、そしてもちろんマルクスへの愛着から、オーソドックスな、ほとんど伝統主義的なものと特徴づけうる。
他方で世間一般におけるジジェクのペルソナは、意図的に培われたものだと私は主張したいが、ディオゲネス的挑発者であり、象徴破壊者であるが、自分勝手なものではない。
ジジェクのこうした面が、彼の論文や公開講演会、そして彼の知的活動への、より親しみやすい影響を及ぼしているようだ。
したがってジジェクが、クリックした人々が眉をひそめるようなタイトルを選んだことを読んでも、私は驚かなかった。
私は、ジジェクのお気に入りのトリックのひとつである、正式な哲学的分析の範囲外と考えられている文化の側面を選び出し、
喜びを感じながらそれを切り裂くことに慣れてしまっていた。
(ある講義では、カンフー・パンダについて論じており、また別の講義では、ヨーロッパ各地のトイレの特殊な構造が、
ポストイデオロギー的なポストモダニズム世界の概念に対する究極の反論となっている)。
ほとんどの場合、ジジェクの指摘は最終的に重要であり、さらに重要なのは、彼の広範な哲学のいくつかの要素について、面白おかしく、
しかし(おそらく結果的に)効果的に紹介者の役割を果たすことである;
そして一見したところ、"Wokeness Is Here To Stay は同じ公式に従っている。
トランスジェンダーの権利をめぐるスコットランドの政治的混乱から始まり、他の現代政治問題にも触れ、最終的にはフロイトとラカンへの言及で締めくくる。
表面下に潜む構造的な違いを無視しても(これについてはまた述べる)、この作品には、ジジェクのいつものトーンとは正比例しがたい苦渋が感じられる。
これは、私の最大の関心事である彼の議論の内容については言うまでもない;
ジジェクは、スコットランドにおけるトランスジェンダーの権利をめぐる、最近の政治論争をめぐる議論について、記号論的な分析を行っているわけでもなければ、
正確に他の多くのことと結びつけているわけでもない。
結局のところ、ジジェクは皮相な哲学的手法とともにただ単に政策論争に参加しているだけであり、遺憾ながら完全に間違っている。
ジジェクは、過去10年間にリベラルな知識人全体に伝染した観を呈するトランス医療をめぐるパニックに陥っている。
ジジェクのいつもの懐疑論は、ここではいつもの懸念荒らしconcern trollingの再現に留まる。 ジジェクはこう書いている:
「思春期ブロッカーは、タヴィストックでの診察に送られたほぼすべての子供に投与された。
その中には、性的指向がはっきりしないという誤診を受けた可能性のある自閉症の若者や、問題を抱えた若者も含まれていた。
言い換えれば、医学的な性別移行を望むかどうか判断できる年齢に達していない脆弱な子供たちに、人生を変えるような治療が行われていたのだ。
批評家の一人が言ったように、『性別の悩みを抱える子供には時間とサポートが必要である。あとになって後悔するかもしれない医療措置に進むよう仕向けられるべきではない』 」。
この一節は疑問を投げかける。ジジェクは、その知的能力において、思春期ブロッカーが何であるかさえ知っているのだろうか?
ジジェクの引用の使い方は、この作品の中で頻繁に行われていることから特に明らかであり、すでに示唆されていることを裏付けている。
実際、彼が引用したガーディアンの記事を読んでいれば、上で引用した段落を修正できたかもしれない。
ジジェクが引用した記事の上の行には、"異性間ホルモンは16歳からしか処方されず、専門家によれば思春期ブロッカーは不妊の原因にはならない "と書かれている。
したがって、このスロベニア人に知的怠惰の恩赦を与えることもできない。 これは純粋で単純な不誠実さであり、危険な形態である;
さらにひどいのは、ジジェクが記事の冒頭で取り上げた最初の文化的分析対象である。
『コンパクト』編集部がありがたいことに、ページをスクロールすると引用文が表示されるようになっているのだ(まだ彼の論調を十分に理解していない人のために)。
それはこうだ: "女性だと自認する人物が、ペニスを使って2人の女性をレイプしたことを我々は知っている"
“We have a person who identifies itself as a woman using its penis to rape two women.”
ジジェクが言及しているのは、アイラ・ブライソンの事件である。
この有罪判決は、スコットランドにおいてレイプで有罪判決を受けた史上初のトランス女性となり、
トランスの人々に対する「懸念」を持つすべての人々にとってのロールシャッハ・テストとなった。
ここでジジェクは、基本的な事実認識が間違っている。ブライソンの性別移行の時系列を誤って伝えているからだ。
さらに問題なのは、読者を煽動するために、本質化するような言葉を使い、さらに誇張していることである
(「ペニスを持ったレイプ犯が、囚われの女性たちと刑務所にいる」という表現が思い浮かぶ)。
ブライソンを「彼he」、そしてさらに厄介なことに「それit」と、ジジェクが性別を間違えて表現することに固執するのは、
ジジェクがトランスのアイデンティティを尊重することを、裁量に任された、善行次第のものだと考えていることを示唆している。
ジジェクはこの論文で、控えめに言ってもトランスフォビックtransphobicだ。
しかしそれ以上に、ジジェクは退屈で、独創性がなく、不誠実で、怠惰である。
彼はトランスの人々について、『ガーディアン』紙や『ニューヨーク・タイムズ』紙の同様の記事からは得られないようなことを何も書いていない;
この時点でようやくジジェクが哲学について語るかもしれないと思うのも無理はないが、残念ながらそれは間違いである。
記事の次の部分はさらに長く、さらに面白くない。『コンパクト』誌に掲載された別の記事の宣伝である。
(中略)
で、どういうこと? なぜジジェクはこんなことを書くようになったのか?
その答えは、対立的でありたいという彼の誤った願望にある。
彼は、この作品の中で他者が陥っていると彼が非難する事柄に陥っている。すなわち、自分を悩ませる他者を、自分自身の中で勝手に思い描く罪を犯しているのだ。
The answer lies in his misplaced desire to be oppositional. Ironically, he is guilty of the thing he accuses others of falling prey to within the piece, that of envisioning for himself an Other that haunts him.
[ジジェク]「要するに、ここにあるのは、政治的に正しい突き上げと、金銭的利益の残酷な計算との最悪のコンビネーションなのだ。 」
思春期ブロッカーの使用は、[ジジェクによると]"目覚めた資本主義 "のもうひとつの事例であるとされる。
ここでジジェクは、ジャニス・レイモンドの1979年の『トランスセクシュアルの帝国』に端を発する、トランスジェンダーの人々が選択する様々な処置や療法は、
製薬企業にとって重要な経済的利益をもたらすものであるという、一見したところ長年にわたる議論に訴えかけている。
そうすることで、救命医療へのアクセスを容易にするべきだと主張する人々を、自分たちの身体をめぐる現実の物質的な対立のために戦うのではなく、
資本の側、つまり極悪非道な個人の側にいる人々として捉え直すことができる。
バトラーやフーコーを読んだことのある人物が、このように書くことができるのは、こうした運動が誰のためになるのかという、権力についての混乱がジジェクを盲目にさせているのだ:
[ジジェク] 「性的混乱に「異常」なことは何もない。「性的成熟」と呼ばれるものは、長く複雑で、ほとんど無意識のプロセスである。
それは激しい緊張と逆転に満ちている。自分の心の奥底にある「本当の自分」を発見するプロセスではない」。
作品全体と同様、これはジジェク特有の哲学的プロセスといううわべに包まれたいつもの本質主義と、トランスフォビアtransphobiaである。
この最終的な帰結は、英米でトランスジェンダーの物質的な生活にすでにダメージを与えているヒステリーhysteriaの波に、ジジェクがお墨付きのスタンプを押したということだ。
ジジェクは、社会の変化に懐疑的なジャーナリストや知識人の瘴気miasmaの中に紛れ込んでしまったかのようだ。
これはポストモダンの懐疑主義に非常に批判的な人物から出た究極の皮肉である。
過去の思想家からの豊かな引用を悪しき議論の隠れ蓑に変え、気まぐれさを苦味に変えてしまう。
私たちにとって悲しい日であり、多くの意味でジジェクにとっても悲しい日である。
ジジェクは豊富な理論的な著作の中で最高のパフォーマンスを発揮し、ここでは最悪のパフォーマンスを発揮している。
このエッセイを読むと、あなたは感じ取るだろう。少なくとも少しは彼がそれを自覚していることを。
[終]
言語とは、特定のルールに従って情報を伝えるためのシステムです。
CSSは、ウェブページのスタイルを定義するための特定のルールセットを持ち、それに従って情報を伝えます。したがって、CSSも言語の一種です。
CSSは汎用プログラミング言語(例:JavaScriptやPython)とは異なり、特定の目的(スタイルの定義)のために設計されています。
Turing Completeでない言語も言語として認識される例として、HTMLやSQLも挙げられます。
CSSも同様に、特定の目的を果たすためのスタイルシート言語です。
世界中のウェブ標準を推進するW3C(World Wide Web Consortium)は、CSSを正式な言語として認識し、仕様を策定しています。
AIって画像生成だけじゃなくて「この絵とこの絵はクセが似てる」ってのを判別できるんだよね。それも証拠能力として正式に採用されるレベルで。
これって絵師にとっては大打撃なわけ。トレパク?そんな優しい話じゃない。信用問題。
GREEとDeNAがソシャゲ競争してた時代、絵を大量に発注する必要があったんだけど、絵師の締め切り遵守率って40%切ってたんだよね。
まぁそれだけでフリーの絵師様って社会性皆無なの解ると思うんだけど。
前金せしめて締め切り破った後逃げる絵師様がマジで多かった。遅れてすいませんと言いながら納品するだけマシなレベル。マジで飛ぶ奴多すぎ。
もちろん信用問題になるわけだけど、数が多いし訴訟に勝った所でかかるコスト的にはその時間を開発に充てた方が利益になる。
だから「コイツ飛びやがったリスト」だけ控えておいて、その場は血涙流しながらじっと耐えた。
で、この時足引っ張りやがったクソ共のリストが過去実績と共に最近流出したわけだ。
その結果AIで手癖や特徴を比較してSNSのアカウントと突合が進み、ケツ巻いたクソ共が特定されて今に至る。
その複垢のまぁ、多いこと多いこと。あのアカウントとこのアカウントの中の人は同じで、過去どっちも飛んでる信用事故持ちってのが証明できるわけだ。
この信用事故リストが最近匿名化されて出版社とソシャゲ会社が組むAIタスクフォースの議論で出て共有された。
つまり今、我々は絵柄パクだけでなく信用事故持ち絵師に関しても企業の枠を超えて情報交換してる。
絵柄盗まれたとか抜かしてるそこのカス。お前過去飛んでるのこっち知ってるからな?証拠出たからな?足引っ張ったのバレたからな?
●はじめに
これは相手に向けて書いたものではなく、相手を批判する意図はない。
もしこれを読んで相手を批判しているように思えたのならそれは私の表現力の乏しさによるものである。
また、フェイクを入れずに書いているので、両者の友人知人は「もしや」と感じるかもしれない。
だとしても二人に触れずにそっとしておいてほしい。
以上のことを踏まえて、了承していただける方のみ先を読み進めてほしい。
●登場人物
私=筆者
一次創作をする。
絵と文章を嗜む。
A
この文章は、Aとの出会いから別れまでの備忘録と私自身の反省のためのものである。
●Aと私の関係性
そして縁が切れたのが我々が28歳になる年の2月ごろ。
薬10年を共に過ごしてきた仲だった。
間違いなく、一番仲が良かった友人だった。
高校3年間はクラス替えもなく、いろいろな話をして、真剣な話もして、時には喧嘩をしたりすることもあったが、それも乗り越えてきた。
大学は別々の道に進学することになったが、それでも毎日のようにLINEで会話を交わし、時々二人で遊びに行っては日が暮れるまで話し、解散後も夜が明けるまでLINEで話をしていた。
私が新卒で入社した会社の研修で2か月東京に行くという話をしたときはとても寂しがってくれたことを今でもよく覚えている。
Aは絵を描くことが好きだ。
絵を描くことが好き、と一概に言っても色々幅があるが、私から見ればAの「絵を描くことが好き」とはAのアイデンティティであり、Aの人生そのものなのだと思っている。
自分の気持ちを言葉にするのは少し苦手のようだったが、感情を絵に込めるのは大得意でAの描く絵には喜怒哀楽様々な感情が乗せられていた。
私も少し絵を描けるが、どちらかといえば絵を描くことは好きではなく自分の描く絵は好きという難儀な性格をしている。
そんな私と比べると、Aの絵に対する思いは尋常じゃないものなのだと思う。
私の作ったキャラクターやお話のファンで、この世のキャラクターの中で一番、私が作ったキャラクターが好きとまで言われたこともあった。
そのキャラたちしか描いてないのではないかという時期があった程度にはたくさん。
Aが絵を描いてくれることが嬉しくて、私はAにたくさん自分の創作の話をした。
●事のあらまし
Aと私は今までの一次創作の積み重ねを本にしたいという話になった。
私が書いた小説や、私から聞いた話をもとにAが描いた漫画の断片はいくつかあれど、それらを本という形に残したくなった。
そこで一次創作の同人誌即売会を調べ、Aと私の二人で本を出すことになった。
私は今まで書いた小説を集め、書き下ろしの話を追加した短編集などを3冊作り、Aは私が文章で書いていた短い話を漫画の本にした。
ところが肝心の即売会は諸事情で中止となり、半年後に延期になってしまった。
頑張って作った本たちはひとまず通販に置いて、Twitterのフォロワーを中心に頒布することができた。
半年後になってしまった即売会を待つ間、Aと私は喧嘩をしてしまった。
Aが私の地雷を踏みぬき、私が苦言を呈したことがきっかけだった。
私としてはその場で謝罪をもらって、それで終わりで良かった。
喧嘩をしたつもりはなかったのだが、思えばAの様子が変わったのはそこからだった。
多分おおもとの原因はここなのであろう。
Aの様子が変わり、Twitterにも出てこなくなったことが心配で、私はAに手紙を書いた。
仲直りをしたときの電話で、数か月後に迫った即売会の話になった。
「せっかくまだ少し時間もあるし、もう一冊本を作りたい」とAに伝えた。
Aもそれに賛同してくれたので、私は本の攻勢について説明した。
前に話していたネタで、漫画の本を作りたい。長くなりそうで作画が大変だから、今回は私が全部作画をする予定で、と。
Aは「あの時のネタか」と喜んでくれ「すごくいいね」と言ってくれた。
その会話の中でAが言った。「その漫画読みたいな、何なら私が描きたいくらい」と。
しかしどうにも作画コストがありそうなので、Aに全部描いてもらうのは申し訳ない。
だがAがそこまで言ってくれたのが嬉しくて、Aにも制作に参加してもらえたらと私は返答した。
結果、表紙と人物紹介ページの立ち絵だけAに作画を頼み、あとは全て私が自分で描くことに落ち着いた。
そして私は自分が描く予定で考えていた表紙のラフや、キャラの立ち絵のポーズのイメージを送り、Aに制作をお願いした。
私は今までAが描いてきたファンアートに対して何か対価を支払ったことはなかった。
強いて言うなら「新しくお話を作ること・考えること」を対価としていたのかもしれない。
だが先の喧嘩のこともあり、好意で描いてくれたものに対しても何かお返しをしたいと感じていた。
なので今回の制作に対しても「お礼をする」とAに伝えていたのだった。
Aの作業も私の作業も少し進んだころ、二人で遊びに行く機会があった。
そのときに私はAに「お礼として晩ご飯ご馳走するよ」と伝えた。
Aはそれを聞いて少し渋い顔をしたあと「じゃあ2回分で」と答えた。
Aの返答に少し違和感はあったが、私は2回分の晩ご飯をご馳走することを了承した。
だがしばらくした後、Aから「晩ご飯2回分と、表紙・立ち絵を描くことは釣り合ってないと思う」と言われた。
もともと私が全て描くつもりで考えていたものを、Aが描きたいと言ったから急遽参加してもらうことになったのだ。
つまり、好意で描いてもらうものに対して、私も好意でお返しをするという形だったはずだ。
どちらかと言えば同じサークルのメンバーで1つの本を共同制作する形に近い認識であった。
だから「"依頼"に対しての"対価"が釣り合ってない」と言われたことは、私としては違うと感じたのだ。
しかし、自分の描きたい絵を後回しにして人から頼まれた絵を描くことは大変なのは私にも分かる。
「じゃあ、何なら釣り合うと思う?」とAに聞いてみた。
Aは「考えておく」と一言。この話はこれで一旦おしまいになった。
Aから"対価"の話はされないまま、その後もお互い制作を進めた。
とうとう絵と漫画は完成し、本が出来上がった。
私は刷り上がった本を一冊と、同時に一人で制作していたグッズを合わせてプレゼントした。
本を開き完成した漫画を読み、楽しそうにリアクションを取るAの姿は、無理をしてそのように演じているように見えた。
長い付き合いなので、Aが気持ちを抑えてそれらしく振舞う癖があること、しかしそれが下手でバレバレなことは私にはわかっていた。
Aはそのときも、何かの感情を押し殺してそれらしく振舞っていた。
そのまま迎えた即売会当日。
その日はたまたまAの誕生日でもあり、私は今回のお礼と誕生日プレゼントを兼ねていくつかプレゼントをした。
細かくは覚えていないが、確かお土産菓子と、Aが一番好きな私のキャラのイメージ香水。
それからAは自分へのプレゼントとしてiPadを購入していたので、1000円ほどの有料のイラストアプリを入れてもらおうとiTunesカード1500円分をあげたのは覚えている。
iTunesカードは突発的な思い付きで、昼ご飯を買いにコンビニに買いに行ったときにふと目についたのだ。
「昼ご飯買ってきたよ。あとこれはい、あげる」と、さらっと渡したのだが、Aのリアクションは
「はあ……」と言ったものだった。
即売会も終わりに近づいた時刻、Aから「そういえばお礼の話だけど」と話が始まり「いろいろ考えたけど、1万円で」と告げられたのだった。
……イラストの有償依頼で、表紙(カラーイラスト)と立ち絵数名分を依頼した、となると確かに1万円は破格だろう。
友人同士の"共同制作"ではなかったのだろうか。
"共同制作"ならAが「印刷費をいくらか出した方がいい?」と聞いてきた際に頂いておいたほうがよかったのだろうか。
私は1万円を支払わなかった。
その代わり1万円分のお礼はすると伝え、今回渡したプレゼントはお礼も兼ねていることと、今日のご飯代、打ち上げのカラオケ代で1万円くらいになりそうだから、それでどう?と言った。
続けて「もし対価としてお金を要求するなら、それは話を引き受けるときにするべき話で、後から1万円でと言われても了承はし難い」と伝えた。
「今回はお互いのすり合わせがちゃんとできてなかったから、それは両方の責任だと思う。お礼に関してはあくまで好意で渡している。もし足りなかったら今後遊ぶときに代金持つよ」とも伝えた。
Aは最後まで納得がいかなそうな顔をしていて、頑なにカラオケ代を受け取ろうとしなかったが、私はそれらの代金を全て押し付けて、その日は解散になった。
あくまで私の価値観として、金銭が発生するやり取りは"契約"だと思う。
"依頼"を受ける"対価"として「これくらいの金額で」と提示し、双方合意の上で契約が成立するものだと思う。
「描いてもらいたいんだけどいい?」「描くよ」「ありがとう。お礼はするよ」
そこに金銭のやり取りが発生するとどちらも言わなかった。
私はこのやり取りのことを友人同士の口約束だと捉えていたのだった。
Aはその後、即売会の後処理や事務的なやり取りを私と交わし、私と連絡をすることはなくなった。
またもや大変長くなったが、ここまでが事のあらまし。
●縁切りに至ったきっかけ
約1年、Aと会話をしなかった。
そんなことは今まで初めてだった。
しかし連絡がなかったとは言え、TwitterやLINEは相互のまま。
まだ縁が切れたわけじゃなかったのだ。
Aが私に対して思うところがあるのは嫌でも分かった。
まだ友人関係を続けるなら清算が必要だし、縁を切るならそれはそれも仕方がない。
迷ったが、Aの誕生日に「おめでとう」と送った。約1年ぶりに発した言葉だった。
そのときのやり取りは消してしまってもう残っていないので、事実とは異なる可能性がある。
ぽつりぽつり、とぎこちなくやり取りを交わしたが、かつての親友を歓迎する雰囲気は全くない。
まだ怒っているか尋ねたところ「そうだね」と返事が来る。
「私のことが嫌いになったならもう現れない。あなたの前からいなくなる」と縁を切る提案をした。
とてもとても時間が空いて、Aから「嫌いとか、勝手に決めつけるのやめてほしい」と返事が来た。
『なんだその返事は。どう考えても「お前もう無理」が態度ににじみ出てるんだよ』
『そもそもお互いちゃんとすり合わせができてなかったことが原因だからどっちも悪いところあったんじゃないのか』
『なんで私だけが悪いみたいな態度を取られなきゃいけないんだ』
『謝ろうにもそっちの意見を聞かない限りは本当の謝罪なんて無理だろう』
私のこのときの率直な思いだ。
しかし、まだこれなら修復ができるかもしれない。
「私は今でもまだ友達だと思っている」と伝えると「私も同じかな」と返ってきた。
会う約束をすることになったのだが、いろいろあって実際に会えたのはさらに半年後だった。
ちゃんと話し合おう、主観で悪かったと思うところは謝って、相手の口からもきちんと思いを聞いて、
粗相があるなら謝ろう。誤解があるなら解けるまで言葉を交わそう。
そう思っていたはずなのに、久しぶりに会って私の口から出るのは、薄っぺらい近況話や中身のない話だった。
その日の私とAは、傍から見ればいかにも友人っぽかったと思う。
私に至っては。もはやAのご機嫌取りに近かったのかもしれない。
いかにも友人っぽい二人は、大事な話もできずにいかにも友人っぽいまま解散してしまった。
その日を境にTwitterなどでやり取りは再びするようになったが、心理的距離は変わらないままだったと思う。
それでも私の誕生日には簡単なイラストが贈られたので、私もAの誕生日にイラストを贈った。
私はその年、結婚式を挙げる予定があったため、Aのことも誘ってみたのだが
Aはその日どうしても外せない予定があったらしく、申し訳なさそうな顔をして断られた。
しかし祝福はしてくれていて、Twitterに載せた前撮りの写真にもコメントをくれたり、
行くことはできなかったけど、祝福はしているという雰囲気であった。
年末、式に招待した人たちに年賀状を出そうとリストを作っていたところ、
招待したけど来られなかった人にもお礼状として年賀状を出そうと考えた。
AにLINEで住所を聞いた。Aの一人暮らし先の住所は知らなかった。
Aからは「正月は帰省しているので実家に送ってほしい」と返事が来た。
私は過去の年賀状のファイルを実家に置いてきていたため、再度実家の住所を聞き、送った。
送った年賀状は「あて所に尋ねあたりません」のスタンプが押され、返ってきた。
Aに聞くと「省略した住所だったからかな?これが正式な住所だから送ってみて」との返事。
住所を訂正し、切手を貼り直し、再度送った。
再び、スタンプが押され返ってきた。
原因はどうやら転居届を出していたことだと分かった。
Aに「一人暮らし先の住所教えて。それか、直接渡すからどこかで遊ぼう」と伝えた。
Aは「年賀状のためだけに会うのは申し訳ないし、仕事が忙しくなりそうな予感がしてるから
しばらく遊ぶのは無理かも。何か手間かけない方法で……局留めとかできないかな」と返信した。
……私はもう疲れてしまった。
「年賀状のためだけに会うのは申し訳ない」はどう考えても「会いたくない」の言いかえだと思う。
局留めなんて提案もバカバカしい。住所を教えたくないだけなのがよく分かる。
「分かった。じゃあ会わなくていいから、どこかで話をする時間がほしい」
私はそう伝えたが、これは仲直りだとか謝罪だとかのためではない。絶縁のための話がしたかった。
話したくないことはよく分かったがそうも言ってられない。
LINEがブロックされたのかと思い、確認してみたがそんなことはない。
ただただ、無視をされていた。
数日経って、AがTwitterでスペースに参加しているのが見えた。
別のフォロワーがホストのスペースにスピーカーとして参加しているようだった。
よく見てみると、スペースに入る際に匿名で聞く機能が追加されているのが分かった。
盗み聞きのような気分だったが、そういう機能があるのだから使ってみることにした。
他愛のない会話。Aは楽しそうにしていた。
私はAに追加でLINEを送ってみることにした。
目につきやすいように、短文で3件ほど。
わざと気を引くような言葉も選んだと思う。
スペースで何か反応があることを期待したものだった。
しばらく待つと。案の定Aはその件について触れ始めた。
「まあ、私(A)の中ではね、友達としてはね、もうあのときで終わってるから……」
これだ。私が聞きたかったのは。
鍵アカウントの方へ移行していった。
Aからもらった絵も、渡すはずだった年賀状も、一緒に撮った写真も何もかもすべて。
Aの魂のこもった絵を処分していくのはさすがに心が痛んだが、私にはもうすでに必要のないものだった。
実家を出て、新居に必要なものだけ持ってきたはずだったのに、やたらとAの痕跡が多かったことを私は忘れないだろう。
(余談……事務的な手続きをやり残したまま処分を始めてしまったため、後始末に少し苦戦した。
他人も巻き込んでしまったためここは大いに反省すべき点だと思う。)
タイムマシンがあったら戻るか?と聞かれても、私はもう戻ることはない。
やりなおしたいわけではないが、自分の行動のどこがまずかったのかは今でも考える。
私はあのとき、ポンと1万円を支払っていればよかったのだろうか。
そもそも、お礼に何をするかを前もってすり合わせておくべきだったのか。
いっそのこと、自分の本なのだから他人に絵を描いてもらおうなんて思ったこと自体が間違いだったのか。
……恐らくすべての点で間違っていたのだろうと思う。
Aはきっと、私に対して「自分の絵(=自分の人生そのもの)に対して1万円の価値もないと思われた」と
感じているのだろう。
もちろんこれは断固否定するが、そんなことは決してないし、Aの絵と絵に向き合う姿勢にリスペクトしていたつもりだ。
私の思いはAに伝えたつもりだが、その通り受け取られなかったのなら、それは私の言葉や表現方法が悪い。
そもそも受け取ってもらえなかったのはきっと今までの積み重ねもあるのだろう。
私の信用は、もっと前には既になかったのだろう。
Aが私に対して「許せない」と感じているのはもう仕方がない。
許されないことも仕方がないと思っている。
しかし、今でも私はきちんとした謝罪ができなかったことを悔やんでいる。
Aは私の謝罪を必要としていないのかもしれない。だが私が謝罪をしない理由にはならない。
人間として、相手のことを本当に大事に思うのならば、きちんと謝罪をするべきだったのだ。
ない頭を振り絞りAの立場に立って考えたつもりではあるが。本心はAにしかわからない。
Aの本心を聞けなかったこと、強引な手段でしか本音を聞けなかったことも非常に後悔している。
何にせよ、もう私たちは戻れない。二度と戻ることはできない。
Aが私を許せないのと同じくらい、私もAのことが許せないのだ。
かつての親友であっても、二人の共通の友人とは今は関わりがほぼない。
共通のコミュニティに属していない以上、時間とともに価値観の相違は生まれるものだ。
Aも私も、少しずつお互いにずれていっただけなのだと思う。
Aが使っていた「ばかたれ可愛い」という語彙がなんとも下品で嫌いだった。
家に招いたとき、部屋中に飾った好きなキャラのグッズやぬいぐるみを見て
「ちゃんと定期的に埃とか取らないと汚い」と言ったことが許せなかった。
言いたいことをはっきり言わずに態度に出まくりなところが本当に嫌だった。
誰が聞いてるかもわからないオープンな場所で人の悪口を言ってる姿が情けなかった。
「もうとっくに友達じゃない」と思っていたのならさっさと切ってほしかった。
「友達として終わってる」なら私の結婚関連の祝いの言葉は何だったのか。
これらは全てAが悪いのではなく、私の価値観に合わなかっただけである。
それでも私はAを許さないと思う。
原著 "Irreversible Damage" の内容について "科学的に否定されている" などの攻撃がしきりに行われるのですが、これは主に 米国 "ジェンダー肯定モデル" の医療を推進している主に米 "業界医師" や活動家の人々がそのように主張しているだけです(代表はハフポスト日本語版のサイトに書評が翻訳されている医師のジャック・ターバン氏です)。
実際には精神医学専門家M.Grossman が証言しているように、この主題は専門家の間で立場によって完全に見解が異なり、数年来大きな論争の対象となっています。
すでに英国や欧州・北欧各国(最初に始めたのはスウェーデンです)の当局や専門家は、先日の英国NHSの正式な "思春期ブロッカーの停止発表" のように、未成年者への思春期ブロッカーやホルモン投与を当然のものとする "ジェンダー肯定モデル" についてはその多くが基本的な見直しを開始しており、そのプロセスの途上にあります。
米国の "ジェンダー肯定モデル" 推進派として有名な医師であるジャック・ターバン氏らの同原著に対する主張は、すでについ先日の英国NHSの公式な正式決定(医学的な大規模系統レビューの結果を受けた "ジェンダー肯定モデル" の見直しと "思春期ブロッカー" の処方停止の発表)で、その主張の根幹となる前提(未成年 "肯定モデル"の医学的エビデンスレベルの評価)が否定されているため、主張の正当な根拠をほぼ失っています。
同原著出版時から数年が経ち、政治・医学的論争・世論・メディアの状況は少しずつ動いています。
米国リベラル派代表紙であるニューヨークタイムズ紙(NYT)にもすでに、ディトランスの若者たちを取材した同書とほぼ同趣旨・同主題の記事が昨月掲載される状況になっています。
同原著の内容を間違っていると否定されるならば、NYT紙(ニューヨーク・タイムズ紙)までも出版されるべきでない "科学的に間違った新聞" や "ヘイト新聞" というようなことになってしまい、論理が破綻してしまいます。
一日中窓の近くで寝そべって新聞を読んで、テレビを見ているだけ。糖尿病で大の酒好き。心配した母がお酒を取り上げると料理酒にまで手を出す人だった。
でも私は祖父のことが大好きだった。囲碁や将棋を一緒に遊んでくれた祖父が、父のいない私の父親代わりになってくれた祖父が、大好きだった。
冷たくなった祖父を見て私はわんわん泣いた。人目も憚らず泣いた。葬儀屋さんに「お爺様が亡くなられてこんなに泣くお孫さんは見たことない」と言われたくらい泣いた。
顔面の神経痛があるため病院で薬が複数種類処方されているが、カレンダーやテレビを見ているのにも関わらずなぜか日付感覚があいまいなせいで用法容量通りに飲めない。
そのせいでしょっちゅう「薬が効かない」「痛い」と喚く。母が曜日と時間帯ごとに薬を小分けにし、わかりやすくしても文字を読まないのか読めないのかわからないが、これでもちゃんと飲まない。
更年期障害を抱えながら、一家の唯一の稼ぎ手として休まず働く母はこの事にイライラを募らせ祖母を何度も怒鳴りつける。
祖父が死んだタイミングで色々と親戚間で揉めてしまい(私はよく知らないので割愛)引っ越しているのだが、四年目にしてまだお風呂を沸かすことも、お風呂場の換気をすることも、インターホン越しに会話することも出来ない。
「文字が見えない」と言い訳するので、じゃあ新しい眼鏡を買えというと黙りこくって無視をする。祖母は絶対に自分の否を認めない。
私の部屋には鍵が無い。そして私はやましいことがあるとか部屋が汚いとかではないが自室に入られることをすごく嫌っている。だから母は部屋に勝手に入らないし、何か用があってもノックをしてくれる。
しかし、祖母は嫌だと伝えても何度も部屋に勝手に入ってきた。自分でストールを仕舞ってその場所を忘れたのに、「私が取った」と思って勝手に部屋を漁った。
明らかに物の位置が変わっていたので「また部屋に入ったのか」と聞くと「知らない、入ってない」としらばっくれた。何度も問い詰めたらついに「入ったわよ!だからなんだっていうの!?」と逆ギレされた。
「私は自室に入られるのが嫌いだから入らないでくれ」と怒るのはこれで四回目だった。
電子レンジもボタンが見えていないので、何も入れていないのにあたためを押し始める。ガスもついていることに気づかず放置をして、私が家にいなかったら火事になっていたのではないかと思うこともあった。
だが、祖母は認知症でない。MRIをとって正式に異常無しとされた。
私や母はしばし祖母を怒鳴りつける。私は今大学生で、社会一般的に見れば大人とはいえずとも「ハンカチ持った?」や「傘持った?」と聞かれるような年齢ではないと思う。
しかし未だに祖母はこれを聞いてくる。そのうえ曜日感覚がないため日曜日にも「今日は学校?」と聞いてくる。
そして、それに「日曜日だから学校は無い」と答えたとしても、覚えていられないので次の週にはまた「今日は学校?」と聞かれる。
気が狂いそうになる。毎日毎日同じような質問をされ、答えたとしてもその回答を覚えてもらえない。やめろといってもやめない、いくら教えても覚えない。毎回尻ぬぐいを私がさせられている。
当然、会話をしたくなくなる。私と祖母はめったに会話をしない。
私が祖母と話すのは祖母がまた間違ったことをしてそれを怒るときか、祖母が「今日はバイト?学校?」と聞いてくるときだけだ。答えたって忘れるんだから無駄なので聞かないでほしい。
よく「それでも家族なんだから」とか「小さい頃はお世話になったでしょ」とか「年を取ったらそうなるのは仕方ないことだから受け入れなさい」とか、そういう言葉を目にする。
そんなこと考えられないくらいに、辛いのだ。そういう人たちは実感していないからわからないのだ。自らの心を傷つけられてまで、加害者にどうして優しくしなければならないのだ。
祖母に「部屋に入らないでくれ」と頼む私は、悔しくて辛くて泣いていた。家族なのに、目の前の祖母が、老婆が憎くて仕方なかった。
目がよく見えないから汚れがほとんどついたままになるためするなと言われていた皿洗いを勝手にして、案の定汚れが付いたまま仕舞おうとし、いつも仕舞っている場所がわからないためぐちゃぐちゃに仕舞い、母を激怒させた日があった。祖母はそれでも「ごめんなさい」とは言わなかった。「あら?そうかしら?」と、とぼけるばかりだった。
しばらくして、母はトイレで吐いていた。
高血圧も患っている母は祖母とのやり取りで一気に血圧が上昇したため吐き気の症状が出てしまったのだ。「気持ち悪い、頭がいたい」と便器に向かって胃液を吐く母の背中を擦った。
祖母は耳が遠いのでそれには気づかず、ぼーっとテレビを見て、笑いながら誰かと電話をしていた。
その時の私は、一晩中殺人を犯した際の刑期について調べていた。
自分は軽度のうつ病を患っている。中一で自殺未遂をしたあの日から「何かあったら死ねばいいや」とある意味無敵の人状態になってしまっている。
被害者2倍!怖さも2倍!
というわけにはいかなかったね……残念。
今回の被害者は黒人少女のアンジェラとその友人で白人少女のキャサリン。
この二人がココット占いとかいう明らかにヤバい儀式を行った結果
悪魔に取り憑かれるという話。
キャサリンのバックボーンを完全にオミットしている点だと思う。
アンジェラは母親を妊娠中に亡くしていて父親との関係は友人のように好調。
ちょっとおませなティーンちゃんだけど、母の愛に飢えているといった風に
詳しく描写されているがキャサリンに関してはその描写がマジで一切ない。
なんでこいつがアンジェラの友人なのかも不明だし、なんで儀式をやろうとしたのかも不明。
一人娘が悪魔に取り憑かれて苦しむキャサリンの両親が描かれるけど
この作品では最終的に悪魔が「2人のうちどっちかを選べ。選ばれなかったほうを殺す!」と宣言。
全て悪魔の掌の上だったのだ!
という感じで終わるのだが、そもそもキャサリンに何一つ感情移入できる要素がないから
アンジェラが生き残ってキャサリンが死んでしまった!と言われても「でしょうね」としか思えない。
神父、牧師、祈祷師、医者、セラピストが集まって悪魔祓いに挑むのは
マイフェイバリットホラーの「来る」の除霊フェスを思い出して胸が熱くなった。
そんだけ集まってまったく手も足も出ないのも「来る」リスペクトを感じられてよい。
ハロウィンもそうだったけど、伝説的な作品の登場人物の「その後」を登場させて
正式続編ですよとするリブート作品増えてるけど、ハリウッドもネタないんだなぁ。
総じて60点くらいの映画だった。
オレオレFCは5日、ポルトガル3部ポルトガリアSC所属するMFルーカス・ピニェイロを獲得する事が分かった。既に基本合意に達しており、近く正式発表される。順調にいけば最短で14日のアウェイ・名古屋グランパス戦から出場が可能となる。
ルーカスはドリブル技術と高精度の左足を持つ攻撃型のウィンガーで、サイドバックなど両サイドをこなすことができる。チームはサイドの選手層が薄く、様々な起用が見込まれるルーカスに白羽の矢が立った。
チームは5日、ヴィッセル神戸戦に敗れ、リーグ戦3連敗に本拠地5連敗を喫した。既に加入しているMFミリオヴィッチ、GKキム・ソンジュと含め、低迷するチームの起爆剤になる。
やるも何もググればいくらで出てくるぞ。下記のように
double minority asexuality asd adhd
Are Autism Spectrum Disorder and Asexuality Connected?
Asexuality is a lack of sexual attraction to any gender. There is some evidence to suggest that many self-identified asexuals have a formal diagnosis of autism spectrum disorder which is characterized by deficits in social interaction and communication, as well as by restricted and repetitive interests and behaviors. Additionally, the literature shows that asexuality and lack of sexual attraction or low sexual interest is overrepresented in people with autism spectrum disorder compared with neurotypical samples. Nevertheless, no studies have been conducted to investigate the relationship between autism and asexuality in depth. We conducted a systematic review of the literature to examine whether asexuality and autism spectrum disorder are connected. We conclude that asexuality and autism share various aspects, such as a possible role of prenatal factors, reference to romantic dimensions of sexual attraction and sexual orientation, and non-partner-oriented sexual desire, but future research should explore and clarify this link.
無性愛とは、どの性別にも性的魅力を感じないことを指します。多くの自己認識された無性愛者が、自閉症スペクトラム障害(ASD)の正式な診断を受けているという証拠があります。ASDは、社会的相互作用とコミュニケーションの欠陥、ならびに制限された反復的な興味や行動によって特徴付けられます。さらに、文献によると、無性愛や性的魅力の欠如、または低い性的関心は、神経典型的なサンプルと比較して、自閉症スペクトラム障害を持つ人々に過剰に表れています。それにもかかわらず、自閉症と無性愛の関係を深く調査する研究は行われていません。私たちは、無性愛と自閉症スペクトラム障害が関連しているかどうかを調べるために、文献の体系的なレビューを行いました。私たちは、無性愛と自閉症が、出生前の要因の役割、性的魅力と性的指向のロマンチックな側面への言及、パートナー指向でない性的欲望など、さまざまな側面を共有していると結論付けましたが、将来の研究はこのリンクを探求し、明確にする必要があります。
あるものなんか下記から始まって笑っちゃったw そっかw一般的な概念だったんだw
This chapter challenges the commonly held notion that individuals with ASD are asexual or inappropriate in their sexual behaviors.
この章では、自閉症スペクトラム障害(ASD)を持つ個人が無性愛者であるか、性的行動が不適切であるという一般的な概念に挑戦しています
アセクシャルやセックス依存症が発達障害である可能性は高いだろうけど、別にイコールではないだろうよってねw
ちなみにこれは発達障害=アセクシャルは不適切、社会的助けがあれば、異性愛者として楽しめるとかいう内容みたいよ
あと、ずっと『なんでセックスするんだ😡』って言ってるが、アセクシャルはセックスするやつはするぞ。なんなら性依存症だっているし
セックスで情が深められないだけ、恋愛以前に人や気持ちに対する関する関心が無いか薄い、それにグラデーションがあるだけ