はてなキーワード: 若さとは
考えてます。
ええ、考えてますとも。
生まれた時代だけに限らず、生まれた国家・人種・血統・健康・宗教・家庭や地域の環境などなど、生まれながらに平等なことなど何一つないのではとかつては考えてました。
そして、考えに考え抜いた結果『若さ』だけは誰にでも平等に付与されるという結論に至りました。
そうした私の苦悩の末に生み出した意見を腐しておきながら、平等ではないものの一つとして生まれた時代による格差だけを取りざたして、いったい何のつもりでしょうか?
あなたが生まれた時代による格差を主張したいのなら勝手になさればいいのですが、私の主張を出汁にするのは不愉快極まりないのでやめていただきたいです。
逃げないでください。
無視もしないでください。
この、「誰にでも若さは平等に付与される」ってよく聞く言い回しだけど、
こういう事を言う人って生まれた時代による格差には思い当たらないのかね
就職氷河期世代とか、もっと酷いと戦中生まれとかは考えない訳?
https://b.hatena.ne.jp/entry/4742602753260080495/comment/BARUBARU
女性キャラは生殖能力(≒若さ)が魅力で、男性キャラは生活能力(年齢との相関が弱い)が魅力っていう
ウホウホいいながらマンモス狩ってた頃から染みついた価値基準があるんじゃないかなと思った
これを男女差別というならそうなのかもしらんけど、父親を臭いと思うのは本能に刻まれた云々みたいな話もあるじゃん
ドラクエも、父親を臭い扱いするのも、しょうがない差別なんじゃないかね
どっちも許容するか、どっちもやめさせるか
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210810181919
https://web.archive.org/web/20210810225700/https://anond.hatelabo.jp/20210810181919
原著の刊行は71年、当時の部落解放同盟書記長の中山氏とともに長野県内の被差別部落の古老たちを訪れて聞きとり調査したもので、現代よりずっと差別が苛烈で激しかった時代や大正デモクラシーの波にのった解放運動の記憶もまだ生々しく覚えている人が多く、本当に大変貴重な証言ばかりだった。
(まず基礎知識ですけど、部落をよく知らない人はなんとなくイメージで、関西にしか無い、関東は関係ないと漠然と思っている人が多いみたいですが(私もそうでした)葬儀や処刑人、農村で使ってる牛馬の解体処理など死に関わる仕事(ケガレの仕事)全般を請け負っているので、基本的にどこにでもある(最北端は旧松前藩あたり、最南端は奄美大島らしい)。私も北海道には存在しないと思っていたが間違いのようです)(被差別部落の中でも同和事業を適用される同和指定地区をうけなかった地区も多いのがこのような認識を生んだ理由でしょうか)
この本はまず信仰の話から始まるんだけど極貧の生活のためか日頃より信仰心が篤いのに死んだら畜生と同じ埋葬方法で墓が作られても墓地の北側の日のあたんねえ所とか、雑で差別的な戒名つけられたり、それでも檀代は一般(部落外)より高い額ふんだくられてたりもうさんざんで、序盤からひどい話ばっかりなんだけどこのあともひどすぎてこれがジャブ程度に思えてくる。長野といえば教育県を掲げているけど部落民は一般と同じ学校に行かせてもらえない、行かせてもらえても徹底的なイジメが待っている、教師すら[チョオリッポをチョオリッポと呼んで何が悪い]と差別に荷担する。さらに生活苦ゆえに家の仕事を手伝わなくてはいけないといった理由も加わってまともに学校通った人の方が珍しくて、聞き取り対象の老人のなかにはいまだに文盲の者も少なくない。それから公衆浴場も別々で回り風呂といって運搬が可能なお風呂が部落じゅうを回ったりしてたらしい。ケガレの仕事だけでなく、今でいう巡査や牢屋の見張りのような危険な仕事を押し付けられたり、農家の手が足りないときだけ日雇い従事したり季節労働をやったり等収入が安定しない..
もう要するに公権力が徹底的にそうやって差をつけている。また、同じ人間であると思わせないためか、部落民は睾丸が四つある、あばらが足りない、血の色が違うなどいわれのない身体的特徴をでっちあげられてそれを理由に侮蔑される。今でこそ誰もが馬鹿馬鹿しいとわかるけどこんなことが真剣に信じられていたんである。
それから今でこそ同和事業で部落のインフラが整備されて、見かけは一般と変わらない町並みになり、住民の流出・流入が容易になり、その結果元々部落だったと知らずに引っ越してきてずっと知らない人などたくさんいるけど、明治の末ごろの話だけど比較的裕福だった部落の老人が一般の大通りに家を建てたら村じゅう大騒ぎになって、
村役場が主導して執拗な嫌がらせを開始。果ては物理的に家ぶっ壊されて(!)老人は訴訟をするけど村役場が殺し屋を差し向けてきたり費用の問題などで訴訟断念するしか無かったらしい。役人が殺し屋を雇う???????????????? ???????
明治といえばその初頭に四民平等令、部落解放令がやっと出た時代なのに..この解放令ってやつもうほっとんど意味なくて、差別は続いて、でも以前は免除されていた税金が一般と同じように徴収されるようになっていっそう生活が苦しくなっただけらしい..てかまじ、体制側が一市民に殺し屋を差し向けてくるとかまるでフィクションの話みたいであまりに信じがたくてここ読んだとき一日くらいずっとポカーンとしてた。殺し屋て…殺し屋て..明治の末とかって歴史上からみたらほとんど最近じゃん 最近の話じゃねえか ひでえやばすぎる。どーなってんのよ
どこそこの地域が部落みたいな程度の浅い知識ならネットでちょこっと調べれば出てくるけど、こういう具体的な差別事例ってこんなふうに本でも読んで能動的に調べないとわからないんだよね、、まぁこういう時代からは随分ましになったとはいえいまだに部落の人にたいして暴言吐く人、差別する人はゼロにはなってなくて、全然過去の問題じゃないんですけど、同じ部落の人のなかでも[部落問題を知ってほしい][寝た子を起こさないでほしい、学校なんかで教えるから差別が再生産されるんだ][もう差別なんかないんだからほっとくべきだ]とさまざまに意見が分かれていて人間だから当然と思う。
でも悲惨な歴史にふたをして忘却してしまうと過去の人々の苦しみまで無かったことになってしまわないか?というのと、現代の人間が過去から教訓を得られなくなってしまう、それと苦しみだけでなく部落にも豊かな文化と生活があり、(著者は部落の文化遺産と呼んでいたが)文化そのものも葬られてしまう。そういう理由から、現在の、部落の[ぶ]の字すら言ってはいけないようなタブーの空気はいやだなと思うので積極的に気軽に部落の話をするようにしてる。
でも後述するけどこのタブー化が差別の緩和に繋がったわけで、でもそれを加味してもやはりもうそろそろタブ一の段階は終わっていいだろうと思う。
私は部落民ではない女性なんで女性差別にしか興味がありません。主にどうして被差別部落がここまで差別を打破できたかの部分に興味があって調べておりその歴史に女性が差別に対抗するすべを学べないかとそう思い何年も前からあれこれ勉強しています。
はっきり申し上げておきますと部落差別より女性差別のほうがひどい。上記にあげたような苛烈な差別事例を知った上で言うことです。その理由のひとつに無徴の存在である部落民に対して女性は有徴の存在であり、部落差別から逃げるために素性を知られてない遠方に引っ越すという手段もあり実際多くの人がそうしていたようですが、女性が女性であることから逃げる手段は自殺しかありません。
(当然、無徴ゆえにだれも[被差別部落][部落民]とはなんなのかをはっきりと定義できないゆえに権力側に恣意的に身分を決められていた歴史もあるでしょう。それも知っています。でも、なお..なのです。ちなみに、部落民とは一般と先祖やルーツが違う別人種なのではと思う人もいるでしょうが、一般人でも部落民になったりするし、どうもそのへんあいまいというかはっきりしていないようです。本書には、とある部落民にむかって自分たちは先祖が同じだ]と言った一般民がいたという証言もあります。差別の根拠など全くないのです。さらに言うなら死にまつわる仕事がケガレというのも恐らく権力が恣意的に決めたことがし、ケガレの仕事ではない、たとえば内職などしかしない部落民も沢山あってケガレともイコールで結びつかないのです。)現在進行形でさ女は毎日女ってだけでなぐられ殺され犯されおとしめられてんだよ
家から一歩出るだけで醜いおっさんがジーロジロ品定めここから逃げる手段ないんすよ
女性の参政権だってGHQの鶴の一声であって日本の男はんなもん女に与えてくれたこと無いんですわ
すいません話それました!
国を動かしての解放令発布でもやむことがなかった差別が現在ここまで緩和されもはや部落問題を全く知らない人も多くなった、その主たる理由はやはり水平社(のちの部落解放同盟)の強硬な、時には暴力的な闘争姿勢によるものだったのではと思います。著者の柴田いわく、長野のなかでも東信地方は寒風が吹きつけてひどく底冷えがする地域で、昔から気骨のある男、気性の荒い男が多く、それが東信で水平運動がさかんだった理由ではないかと分析しています。逆に寒さがゆるやかな地域では[寝た子を起こすな]の論調が強かったり水平社よりも穏健だった同仁会がさかんだったらしい。でも同仁会も交渉の場では「水平社の連中よぶぞ]が殺し文句だったらしく虎の威を借りてたとか..そして水平社と同仁会、歴史に名を残したのはどちらかというともうこれは言うまでもありません。ふだんから竹槍の戦闘訓練も行い、武力闘争も召さなかった水平運動こそ歴史を変えた。彼らが起こした暴力事件の仔細はネットでも簡単に読めます。部落民は乱暴だ、奴らは犯罪者だといった風評も辞さない徹底的な闘争で、部落は怒らせると怖いと、部落がなんなのかよく知らない人すら何となく感じて、アンタッチャブルな話題だと感じる。タブーだと思う。その空気を牽引したのがテレビ等マスメディアの徹底的な自主規制でしょう。部落解放同盟ににらまれたら厄介だという理由で前述のように部落のぶの字も出さない、触らぬ神にたたりなし。先日もエタヒニンと発音しただけのアイドルが活動自粛に追い込まれたけどそういう過剰なまでの自主規制が、差別の存在そのものを透明化した。長い間メディアは頼まれてもないのに四本指の表現すら自主規制していた。
そのような、暴力や脅迫で勝ち取った自由の歴史を勉強していると、心底彼らがうらやましく、やっぱり権力もなにもあてにならずとにかく徹底的に相手に恐怖という根源的感情を植え付けて支配するしか対抗の方法は無いのかなと思ってしまう。なんだかわからないけど女性差別問題は怖いから少しでもセクハラと誤解される表現は自主規制しよう、万が一表に出てしまったら即座に責任者の首とばそう、そんなふうになってくれたらいいのにと夢見て泣きそうになります。
しかしながら水平運動に加わった男たちがそこまで暴れることができたのも男という性別ゆえかなと、同時に諦念を抱きます。
女はやさしさや思いやりといった(あえて言いますが)宿病をかかえています。それは先天的なものか、それとも後天的なものか、両方だろうか?とにかくフェミニストを自称する人たちすら、女性は優しくなければ、人の気持ちが分からなくてはという教条に縛られているので、そういう人たちと肩を並べて武力闘争が可能かどうかはあやしいものです。ねえ、やりすぎは良くないよやめよう、とお目目ウルウルのいい子ちゃんが必ずまざってしまい男たちはそのすきをついてくる気しかしません..
この本書のなかにはある村の一般の村長が出てきます。彼は比較的リベラルで、部落の子でも学校に入学できるようはからったとのこと。そのせいで彼は妻の実家の敷居をまたぐことを拒否されるなど反発され、水平社の者も彼のそのような行いを知っててもそれでもダメな所は徹底的に糾弾したので、「両方から突き上げ食らってもうさんざんだ]といったことを自嘲してるんですけど女性たちも同じように全く糾弾の手を緩めないってことが可能かと考えると難しい。
痴漢の手に安全ピンぶっさそうという(本来痴漢は殺されてもいいくらいなのだから穏当すぎるくらいなのに)呼び掛けにすらいい子ぶりっこがそういうのよくないよとたしなめるしまつ。
繰り返すけど殺されてもいいのに。
やさしさというのは女たちが生まれつき体に埋め込まれた起爆装置なのだろうか?差別に抗戦しようとした瞬間、それは作動し、女の体は爆発四散するのでしょうか?
この本の巻末、作者の生前の夫だった人による復刊によせての解説で言及されてた2014年の長野県連続差別事件がやばい。部落民の女性に対して、真ん前に引っ越してきた男が差別語連発で罵倒するのをやめない。裁判所から禁止令が出てもやめない。逮捕されても執行猶予で、けっきょく彼が万引きという別件で再逮捕され収監されるまでの2年間なにも解決しなかったそうです。
昔も今も権力なんてなんのあてにもならないどころか被差別階級にとっては敵でしかないんじゃないのとますます不信感がつのります。2014年とか最近じゃん昨日じゃんか
みんな本気で、ハッシュタグ(笑)だのツイッターデモ(笑)なんかで女の現状が救われるとおもってんのかな..こんなのなんにもならんってうすうす気づいてるんじゃないかな。男に殺される女が一人でも減るかそんなんでって思う。やってる感だけ得られたらいいんすか? けっきょくレベルを上げて物理で殴るしか無いんじゃないのか。それもわたし一人がやったところで社会的にインパクトないから組織だってやるしかないけど、以下ループ
水平運動の男たちは献身的に支えてくれる妻がいてそれで運動なりたってた部分でかいと思うけど女には妻おらんのですよな~
暴力ができないならせめて男がみんな自分に正直にホモ願望を解放してホモセックスし、抑圧している内的女性を現実の女性に投影するのをやめればミソジニー無くなって平和になると思うんですけど、でこう書けばホモは差別語だから差別はいけませんとかほざくぶりっこがフェミニズムの邪魔をしてくるのでもうどうしようも無いです! バーカ!ちんこ—
それで思い出したけど水平社=部落解放同盟は徹底したシングルイシューで在日朝鮮人を差別して反省しなかったり、男と女で日当に差をつけて差別してたという話も聞きます。イシューを抱え込まないことがやはり運動の成功の秘訣のひとつであったのかと感じますが女性は女性というだけでやはりシングルイシューではいけないといった脅迫をされます。色々な差別問題に敏感ではなければいけないような圧力にかかって、あらゆる差別に眉をひそめなきゃなんないあの感じ、全ての弱者のために涙しなきゃいけないような義務感、女だから聖母を求められてるんですよね。それもバーカ死ねでございます。女性差別以外知ったこっちゃねーでいいんだお
ところでこの本の作者柴田道子は童話作家で部落民じゃない一般です。長野市に引っ越してきて被差別部落と接触し、興味を持ち、この本を上梓したあとは狭山事件の被告のサポートに尽力、当該事件の本を執筆中わずか41歳の若さで急死したとか。
解説文でだんなさんが男社会のなかで女性としてうけていた差別があったから部落問題に熱心だったのでは的なことかいとるけどんじゃー女性差別問題に集中すればよかったのでは、女なら自分が当事者である女性差別問題に注力すればいいのに、しろよと思ったし、そうすべきだろがいすら思うんだが、そういった、正しくない女柴田の正しくない思いで発刊された、正しくない存在である力作のこの本によって後世の人間である私が歴史を知ることができたわけで、そしてこれは間違いなく後世に保存し読みつがれるべき大名著なんです!!!何が正しいか間違っているのか、どう思うべきか、どう行動すべきかって本当は一切なにもないのかもしれない。なのでフェミニストならこうすべきだ、こう思うべきだ、こう感じるべきだみたいな考えに固執している人はちょっと考え直したほうがいいな、正しいか間違ってるかなんて時代によって基準がぐにゃんぐにゃんで明日にでも真逆になるけど、なんか結果だけ見て、他人がジャッジしてもシャーナイつか、結局ね、なにかに汗かいて真剣にがんばったりさえして、懸命に生きさえすれば、それはもう…だれにも、文句は..まあいいや
一方、性産業は風俗なんなら水商売含めてそもそも税金自体払っていないでしょ
加えて、男性客の間で本番行為があったとしても、それは自由恋愛であり、店として関与しないって
アホに性や若さを売ればいいを覚えさせて職業スキル積む機会を奪う連中はすべて腹を切って滅ぶべし
若い頃に楽して稼いじゃったからだぞ。風俗だけじゃなくて水商売も同じ
水商売の接客が出来るなら、同性の同僚はともかく(フツーにキャスト同士で揉めてるし)
異性の同僚や上司なんて転がし放題よ
転がしまくって初アサインでフルリモートかつ残業ゼロの仕事を勝ち取った人おったよ
やり甲斐やスキルアップやある程度の給与求めるなら、英語が出来るんだし、
◯◯やった方がいいとかXXやった方がいいって言ったけど、
子どもがいるから家にストレス持ち帰りたくないとか言ってやらないよね
苦労する=スキルアップ出来る ではないので、無駄な苦労はしない方がいいが、
かといって若さや性を売って簡単に金を稼げるは覚えさせてはいけない
後の就業に大きな影響与えるし、年取ったら水商売や風俗は給与安いし自尊心傷つくぞ
身なりに気を遣ってなかったし、昔の写真を見ても見た目は確かにひどい。
初対面の人にもどんどん話しかけて、あえて接客業をしてコミュニケーション能力も上げるよう努力してきた。
職場でもどこでも「自分は一番下の身分だ」と無意識に思ってしまう自分に気づいた。
「私は誰より劣ってる」
「私と話しても楽しくないだろう」
「私と一緒のチームでごめん」
例えば複数人で会話してる輪があっても、
「なんで輪に入ってくるんだよ」
「気持ち悪い」
って思われてるんだろうなと思って輪に入らずポツンとしている。
飲み会などでも席に気をつかう。
席移動がはじまると居場所がなくなりひとりで食事するだけのパターン。
「私になんか助けられても気持ち悪いだろうな」
「いや…あなたに助けられても…と思うかな」
と声をかけずにいる。
「こいつ気持ち悪い」
と思ってるだろうなと感じ、近くに寄らない、関わらないようにしてしまう。
気の優しそうな男性ならいいのだが、ヤンチャ系男子だっただろう男性がいまだに苦手だ。
年齢を重ねて若さで誤魔化せてた部分も、また誤魔化しがきかない見た目になってきた。
肌も汚くマスクがいまだに手放せない。
動きも話し方もいまだにオタクっぽい。
自己肯定感を保って生きてるの?
教えて欲しい。
精神障害があると性や若さを売るしかないってことはないと思うけど、
それがその人にとって事実であるならば、福祉に繋がれば良いと思う
どうせ稼げなくなったら私達は買われましたとかやるんだから
増田のお仕事創作記事は気が滅入るレベルで酷い化石が多いけど、
キャバ・スナックなどで働いている水商売やっている人(当事者)の思考のそれらしさ、
風俗嬢(アプリのフリーの立ちんぼも含む) やっている人(当事者)の思考のそれらしさ、
これはマジでズバ抜けている
https://anond.hatelabo.jp/20200304103252
引きこもり男性のような、あからさまに態度がヤバくて入り口で拒否されるパターンではなく、
数か月した頃に「こいつ、うまく言えないけど、なんかイラつくな…」みたいになるから言語化・可視化しづらく厄介というか。
こういう子は、最初はみんな愛想よくしてくれたのに、数か月するとみんな冷たくなるという経験を何度も味わっている。
そのせいで、子供を欲しがるんだよね。子供は母親から逃げていかないから。
同世代からするとイラッとくるような人でも、子供はママしか頼れないし、ママ、ママとなつく。
だから可愛い。大人はすぐ冷たくなって離れていくけど、子供は長い期間を母親に執着するから、母親が子供に依存してしまう。
そうして、子供を作ったはいいけど夫がイラついて離婚されて…、養育費は払われず…、世代をまたいで連鎖してしまう…。
女性の弱者は初対面で好意的に接してもらえた成功体験があるのか、男性よりも孤独への耐性がなくて我慢できないのか、
人懐っこい態度や、縋りつくような態度をとることが多い。(媚びや縋りつきと同時に不快な言動もある…)
モラルがある男女からは「居心地悪そうな苦笑い」と「そっと距離置き」、
モラルない女性からは「イジメ」、モラルない男性からは「ヤリ捨て」「孕ませ捨て」をされる。
そして「悲しい」という気持ちでいっぱいになってしまって、食べ物・アイドルやアニメなどの力で悲しみを乗り越えて……
……同じことを繰り返す。
初手で風俗行く子はよっぽど訳ありだね
キャバ嬢の方が稼げるんだが、
キャバで稼げなかったり、キャバで勤怠がうんこだったり、他キャストとトラブル起こしがちな、
アホに性や若さを売ればいいを覚えさせて職業スキル積む機会を奪ってる、
これが将来的に生むのは、メンヘラ無就業者・低賃金労働者・メンヘラママと、
自分で性売ったくせに被害者ぶってネトフェミ活動しながら性嫌悪ばら撒くヤツだからな
生活に困窮して自活せざるを得なければ、性や若さを売った連中の末路なんて幾らでも知る機会あっただろうし、
なんだったら自分の親がそうだったりもしただろうにな
やっぱ世の中すべて運ですわ
貧国ならともかく先進国で、高等教育受けたり、受けることを希望しているのに、パパ活したり水商売したり売春するヤツってほんま救い難い
しかも大抵はガチの知能障害者でもないのに30歳辺りから被害者ぶる
バリバリの学歴主義で移民もハッスルしてて新卒枠などなく席取りゲームが苛烈なアメリカですら
データサイエンティスト・データアナリスト・データエンジニアって呼ばれる職に
高等教育を受けていない人も就いているのに
アホに性や若さを売ればいいを覚えさせて職業スキル積む機会を奪う連中はすべて腹を切って滅ぶべし
若い頃に楽して稼いじゃったからだぞ。風俗だけじゃなくて水商売も同じ
水商売の接客が出来るなら、同性の同僚はともかく(フツーにキャスト同士で揉めてるし)
異性の同僚や上司なんて転がし放題よ
転がしまくって初アサインでフルリモートかつ残業ゼロの仕事を勝ち取った人おったよ
やり甲斐やスキルアップやある程度の給与求めるなら、英語が出来るんだし、
◯◯やった方がいいとかXXやった方がいいって言ったけど、
子どもがいるから家にストレス持ち帰りたくないとか言ってやらないよね
苦労する=スキルアップ出来る ではないので、無駄な苦労はしない方がいいが、
かといって若さや性を売って簡単に金を稼げるは覚えさせてはいけない
後の就業に大きな影響与えるし、年取ったら水商売や風俗は給与安いし自尊心傷つくぞ
整合性というか、さっき言ってたことと違うこと言ってるやん…、
ギャグ漫画みたいなものなんだ、と思えばマシなのかもしれない。
こういうの何ていうんだろう、メランコリーというのも違うか。
感情がブレてる、ふらついている、というのが芸なんだろうか。
その段階で違和感があると、共感どころか文の解釈の段階で違和感を禁じえない。
あと、私がペドフィリアであること、主観でないと抜けないことから、
彼女のAVもいくつか眺めてみたが、視聴する興味さえわかなかった。
でも、AVに好意的ならジュニアアイドルにも肯定的なんだよね?
だったらJSはピークなんじゃないかという考えだっておかしくないよね?
何か主題があって論じている文章だとするなら、読んでてつらい。
ギャグなんだ、これは読者のツッコミを待っているんだ、と思わないと読めない。
あと、他人とは分かり合えないことを強調するけど、
それって、あなたの文章、というか、あなたが良く分からないと他人に言われることが多かったのではないか。
他人と大きく価値観がづれているけど、慶応東大元日経元AV元風みたいな肩書で、
一方で、その肩書だけでも感動したり評価してくれる人もいるわけで、
巨匠が描いた意味のない意図のない落書きに勝手に客は感動するみたいなもので、
無意味な数列を勝手に意味があるものとして解釈したりとか、そういう感さえあって、
本当にそんな意図があるんだろうか、なんとなく観て、なんとなく読んで、
そのとき琴線に触れなかったら、それはnot for meなんだし、
つまらなかった、理解できなかった、と素直に述べること=バカ、扱いされる恐れ、
脳内ダンプしたので、この自分の文章も無茶苦茶だし、論理的に破綻しているかもしれない。
いずれにせよ、文章がちゃんとしていても、自分はペドフィリアな時点で、
文章が破綻している時点で共感できるできないまでたどり着くのが遠いと思った。
なんか、こういうのがあるから、だから女性は駄目なんだ、みたいなのを逆に引き出していないか?
ペドフィリアの自分としても、優れていたり尊敬できる成人女性はいる。
寧ろ、多くいる。
あと、他人の評価を凄く気にしている、気にしすぎている、自意識過剰なのがどの文とかインタビューからも滲み出ていて、
承認欲求魔神というか、近年のバカや暴力行為を自慢するTwitterとかYouTubeとかバイトテロとかと原理は同じで、
そこまで他人に振り回されるの辛くない?と心配にまでなるレベル。
というか、他人の評価を気にする割に、AVや風俗で働く気持ちが自分にはまったく理解できない。
だとすると、根底にあるのは自己破壊衝動的なものなのかな、と思いもするわけで、
だとしたら、この世の多くの他人は、大衆は、あまり共感しないのではないかとさえ思ったり。
他人の人生だから、コンテンツとして、ピエロとして消費されるというのはあるだろうけど。
まあ、だから文章で見返してやりたい、みたいな感情が奥底で支えている人生なんだろうし、
それはそれで幸せではあると思うんだけどね。