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はてなキーワード: コースとは

2017-06-22

長い間憧れてた人がいる女の子がやっとの思いで付き合ったら上手くいかない説

あると思います

ソース自分の周りだけどね

このケースで付き合った子、実は男側が次付き合うまでの短期セフレコースでしたって泣いてること多いよね。

2017-06-20

おっさん若い女の子結婚するためにしている努力を知っています

32歳独身リーマン

32歳ということは、普通に考えてあと1,2年以内に20代彼女を作れなければ、その後の人生結婚できる相手は同世代のおばさんになる。

月の手取りは30万円くらいなのだけれど、まじめに自分磨き婚活してるだけで全然お金が貯まらない。

将来への投資だと思ってるのだが、そんなに贅沢してるわけじゃないのに、結構生活シビアになってきた。

みんなはどうしてるんだろう?と思ったので家計簿晒すよ。


支出総額  28.1万円

------------------

生活費 5.7万円

 スーパー食品購入 0.4万円*月4回 =1.6万円

 日用品補充 0.3万円*月2回 = 0.6万円

 下着補充  0.3万円

 固定回線SIM  1.2万円

 家電買い替え 3万円/3ヶ月に一度 = 1万円

 スイカチャージ 1万円

------------------

ちんこ磨き 4.2万円

 床屋白髪染め 1.2万円 

 服・靴・鞄 4万円/3ヶ月に一度 = 1.3万円

 青汁プロテイン 0.5万円

 専門書 0.3万円*2冊*月2回 = 1.2万円

------------------

まんこ遊び 18.2万円

 まんこ維持

  (外食2万円+水族館映画等0.5万円+ホテル1.25万円)*月4回 = 15万円

 まんこ補充

  婚活イベント 0.6万円*月2回 = 1.2万円

 まんこ購入

  (60分3.3万円+ホテル0.7万円)/2ヶ月に一度 = 2万円

 

 

外食の2万円って、なにも贅沢してるわけではなく、20代後半の女性を連れてっても恥ずかしくない店で適当コースを頼んでワイン数杯でも飲んだら到達する金額

本命彼女ができてから削れるのは、最後の2行の3.2万円だけ。生活きついよこれ。

2017-06-16

anond:20170616184826

お疲れ様

うちも米軍基地に近いけど、離陸・着陸コースからは外れているので我慢できる程度。

空母との間を行ったり来たりする訓練の時はうるさいけどね。

それも今年中にはよその基地に行ってしまうみたい。

2017-06-15

商業高校verの高専ってなんでないの

15歳のときから簿記経済経営系の勉強をみっちり4年間勉強させる

あとはビジネスで重視される英語やITも重点的に学習

会計系のコース卒業時点で日商簿記1級レベル知識を身に付けることを目標にする

正直、理系専門教育ほど効果は発揮しないかもしれんけど、全国に1・2校でもそういう教育機関ができれば面白いことになると思う

2017-06-14

[]

首相動静―8月11日

6時42分山梨県山中湖村ゴルフ場富士ゴルフコース

     高橋精一郎三井住友銀行頭取

     加計孝太郎学校法人加計学園理事長らとゴルフ

16時15分東京富ケ谷の自宅

18時14分東京元代々木町ピザ店「エンボカ東京

     高橋三井住友銀行頭取夫妻

     秘書官らと食事

20時35分自宅

http://www.asahi.com/articles/ASJ8C5QW9J8CUTFK008.html

朝シャン、朝風呂に続いて











ソープというもの提案したい。

30分ぐらいの短いコースで体も心もスッキリする的な。

2017-06-13

http://anond.hatelabo.jp/20170613193247

いやハード生存競争が待ってるコースって、それ全然ドロップアウトじゃないよ

おまえにはpha生存競争してるように見えるのか?

http://anond.hatelabo.jp/20170613190122

学校社会ギャップだな

情報量があまりにも少ない資料説明不足の講師作業没頭型のやつ、誰の発言にも否定してくるやつ、「残業はするな」と言うくせに突然の修正要求してサービス残業をさせる上司

とっても、ふつうのことです

これが現実世界です

出来るだけ早く体と頭を慣れさせて、自分価値基準を上書きしましょう

人生ドロップアウトコースに入ると更なるハード生存競争が待ってるので、

そういうプリミティブな世界に魅力を感じない人は尚更早く切り替えた方がいい

格式張ったイタリアンってホテルとかデパートにある一人一万円くらいのコースでいいの

学生時代の友人が鬱になって人との距離のとり方がおかしくなっていた話。

先日、夜1時頃急にラインが送られてきた。迷惑なやつだ。

増田久しぶり!相変わらずタバコ吸うてんのか??笑笑

自分学生時代ヘビースモーカーだった事を差し置いても約4年、連絡すら取っていなかったのにこの下手くそ話題の振り方はなんだと思った。もしくはヘビースモーカーだった印象しか無いのかもしれない。

その友人自体学生時代の大きなグループの内の一人で、大勢で遊ぶことはあれど少人数で一緒になることは無いし2人で出かけるなんて以ての外。一緒にコンビニ行くぐらいはあったが。

それでも仲が良いかいかで言えば間違いなく良い部類に入るわけだし、学生時代と変わらないノリで返事をしたら急に電話が掛かってきた。


友「今どこで働いてるん?東京だっけ?」

増「東京だね。急にどうした」

友「そっか、そっか。東京のどこ?」

増「会社新宿だけど」

友「新宿のどこらへん?」

増「それ聞いて意味ある?笑 どうしたん?」

この時点でなんだか違和感があった。距離のとり方が下手くそすぎる。冒頭のラインも久々に連絡する一言目とは思えないので、宗教の勧誘とかアムウェイ的な話をされるのかとすごく身構えた。

自分最後卒業したのは所謂専門学校で、今振り返るとゴミの掃き溜めだった。掃き溜めの中でも意識の高いゴミが敗者復活を目指すような2年制の学校

友人は卒業後に環境省で働きだし近畿事業所だったかその辺で勤務していたが、2年後に東京本部的なところに行かされたという話は他の友人伝手で聞いた。

一方自分はまともな就職先が無くダラダラと数ヶ月送っていた後、実家から離れないと怠け癖は消えないと使命感に駆られ上京東京フリーターを1年続けた後にベンチャー正社員へ。

当時は公務員になった友人が「勝ち組」で、フリーター自分は「負け組」の図式が出来上がっていたと思う。


そんな勝ち組負け組だった自分仕事について根掘り葉掘り聞いてくるわけだ。

労働時間や月収、会社の住所や社員数まで。

流石におかしいと思ったので「どうした?この4年ぐらいで人との距離の取り方わからんようになったか?」とズバッと聞いてみた。

すると

「実はちょっと前に鬱って診断されてな。今実家帰ってきてるんや。」

理由を聞くと給料が少なすぎるという。

労働環境自体ホワイトホワイトで9時半-17時半、仕事も辛くない。辛くないが残業で稼ぐタイプなのに残業が出来るほど仕事がないそうだ。

月収に関しては手取り自分の1/3以下。飲みにも行けないし自分趣味も辞めないとやっていけないレベルだとか。

因みに増田はさっきも書いたがベンチャーでそれなりに貰っているが、毎日みなし残業で週の労働時間は60~70時間ぐらい。

ボーナスは出ないので、年収にすれば同年代より少し多いぐらいだし、バリバリ残業する奴には追いつかれる。

それを伝えると初めは月収の多さに羨ましがっていたが、労働環境で軽く引いていた。もう慣れたということもあるが、実際このぐらい世間では結構普通だと思っていた。公務員の中でも特にゆるい場で働いてきたからか辛く見えるらしい。

友「そっかーいっぱい貰ってるのな。お前アホやったのにな。」

増「今でもアホは変わらんけどな。気張るとこ気張ったからかな。」

友「で、ちょっと折り入って話があるんやけど」

増「金か。貸さないよ笑 うちの会社入っても多分きつくてやめるからおすすめしないよ。」

友「いや違う最後まで聞いて。」

増「ごめんごめん。はいどうぞ」

友「仕事復帰してまた東京戻ったら・・・ラーメン奢ってくれん?」


飯に行くのは問題なかったので適当にあしらって電話を切ったが、人との距離のとり方がおかしくなったのはマジみたいだった。鬱か原因かどうかは分からないが昔はそれなりに面白いやつだったと記憶している。

給料こそ少ないが、恐らく金に困ってるから奢ってくれとかではなくてただ会って話がしたいだけだと思うんだけれど、もっとストレートに言ってくればいいのにと思う。

電話しててもずっと退屈だったし、自分の話をするために回りくどくこちらの仕事をこれでもかと聞きまくる。まず導入が長いし不審

最終的には久々に会って話をする誘いをとんでもなく鋭角から攻めてくる。今がそんな状況なら周りから避けられてないかなあと心配すると同時に少し哀れに思う。

仕事会社人間関係楽しい収入面では楽させてもらっているので今だけでも少し勝ち組の自負はある。独立も見えだしている。

一方、安定コースを歩むかと思えば理想現実ギャップに悩み、精神的にも変わってしまった現在負け組側に片足突っ込んでる友人。

お互い20代も半ばを越え収入面での世間的な体裁も気になりだす時期だと思うが、彼はこれからどうするのだろうか。今のままだとどこにいってもやっていけなさそうだ。



7月休職から明けて東京だそうで、その時に会って話すとなると逃げ道がないので自分も鬱になりそうである

想い出ビデオダビング工房 結局

日曜日に届く 30枚中 2枚

一番遅い(安い)コースだったのだが枚数が少ないせいか早かった(約3週間)

DVDはラベルなし

シールのみ貼っていてどれのダビングかはわかる仕組み

簡単トールケースに入っている(袋かた思ったので意外)

画質はもともとなのでどこまでクオリティ下がってるのかは不明

チャプターはなし。

だめだったテープ理由かいシールはってあって(カビ、テープ切れ、等)

どういうチェックしたか不明ですが、あとのメンテナンスはしないとのことなので、別のところにだすしかない(検討中

とりあえずダビングできたのは、子供の出生当時のものと、新婚旅行(いらねー)

ダビング料金800円と送料700円ですみました。

まあ満足です。なんせ30年ぐらい前のビデオなので

http://anond.hatelabo.jp/20170613070901

結婚して何十年も経って、夫はそろそろ定年退職が見えてきたか定年退職たかという人たちの話ね。

シニア世代関係を作り直すことに成功した人たちは妻からこうやって疎んじられることはなさそうな気がする。

現役時代に家のことを全て妻任せにして、妻の話を聞かず、関係悪化させていったんだろうね。

今の人たちはそっちのコースに進む人と、そっちのコースに進まない人の二種類居ると思う。

美大に行けなかった女

祖父画家だ。

美大卒業してすぐに専業画家として独立

その道の人が喉から手が出る程欲しがる賞なんかも受賞して、

から見ると画家として順風満帆人生を送ってきたように見えると思う。

しか祖父プライベートでは周囲にかなり迷惑をかけてきた。

戦争で家が燃え盛る中、貴重品には目もくれず画材だけ持って逃げたり、

駆け出しの頃余裕のなさからちょくちょくヒステリーを起こしたりとか、

そういう話はよく祖母とその息子(=私の父)から聞いたし、

画業が軌道に乗るまではかなりの貧乏暮らしをしていたらしい。

そのせいでうちの家系アート関係仕事に対して風当たりが強い。

父が美大ではない一般大学を出、一般企業サラリーマンとして就職した際は

一族からまともな奴がでた」と周りが泣いて喜んだという。


孫の私は小さい頃よく祖父の家に預けられていた。

(私も祖父都内住みなので、母が忙しい時、面倒を見てもらっていた)

父が幼かった頃はまだ生活に余裕がなく、祖父子供の面倒を見る事はなかったが、

絵が売れるようになってからできた孫の私の事はかなり可愛がってくれた。

祖父は私にお古の画材をくれ、好きに絵を描いていいと言ってくれた。

仕事をする祖父の近くに陣取り、見様見真似で絵を描き始める。

幼稚園児の絵なんてプロの目から見なくても下手くそだし、祖父から絵を褒められた事は一度もない。

それでも下手な絵を量産し続ける私を見る祖父の目がとても優しかったのは覚えている。

やがて私は外で鬼ごっこをするよりも絵を描く方が楽しいと思うような子供に育った。

近所に住む幼馴染の友達も絵を描くのが好きな子で、

放課後はその事一緒にスケッチブックを持って公園に絵を描きに行くのが定番コースになった。




そんな私に家族はいい顔をしなかった。

小学生の頃、近所のお絵かき教室に行きたいと何度頼んでも全部無視された。

でもテレビでみかけた新体操選手を見て一言可愛いと言った次の日には新体操教室を探してきてくれた。

数学が苦手だとぼやいたらすぐにそろばん教室に行かないかと勧められた。

家族は私が絵を描く事以外に興味を持ってほしかったのだと思う。

一回だけ口を滑らせて「美大とか美術専門学校に行きたい」と言ってしまった事がある。

父は大激怒あん鬼のような形相をした父親を見たのは後にも先にもあの時だけだ。

親戚中に言いふらし、それから何人もの親戚から連日の様に

「お前に祖父のような才能はない」

美大に行くような奴はそれしか生き方を知らないろくでなしだけだ」

「お前は絵の為だけに人生を棒に振れるのか、そうとは思えない」という電話がかかってきた。

安定した仕事に就いてほしいという彼らの気持ちもわかる。

でも「美大楽しそう」は中学に入ったばかりの小娘の言葉だったのだ。

それからずっと絵を描くのが好きだという気持ち封印し、

隠れてノートに絵を描いてはいものの、普通大学に入って普通にOLとして就職をする道を選んだ。

それでも社会人になっても絵を描きたい欲が抑えきれず画塾に通い始めた。

美大の夜間コース金銭的にも時間的にも無理だった)

この頃になるともうこれから芸術の道に進む事はないだろうと安心したのか、家族から白い眼で見られる事もなくなったし、

祖父コネでもらった展覧会チケットも興味があるのなら、とくれるようになっていた。

画塾に通い始めた事も「社会人になって趣味を持つの大事な事」と肯定的な目で見てくれるようになって、少し認められた気がして嬉しくなった。

ただ一言「お前、絵描くの好きだったんだな、知らなかった」と言われるまでは。

あぁ、幼稚園小学生の頃あんなにお絵描き教室に行きたいと頼み込んだの覚えていないんだ。

後、大学一人暮らしを始めてから同人漫画も描き始めた。もちろん家族には言っていないけど。

同人イベント金銭のやり取りをするようになってから、絵一本で祖母、父、そして父の妹を食わせ、大学まで行かせた祖父のすごさを再認した。

親戚が私に才能がないと言った気持ちもわかる。私は祖父になれなかった。なろうとする事すらおごましい。

でもこの趣味出会った友人達には美大とかアート系の専門学校に通っていた人も多くて、やっぱり羨ましくなってしまう。

そしてその人達ほとんどは家族の言う「芸術の道に進むしか能がないろくでなし」ばかりではないし、

卒業普通OLとして社会人をやっていけている人にもたくさん出会った。

デザイン系の仕事をして会社に雇われている人もいれば、

祖父自営業画家として生計を立てていたように、フリーランスとしてやっている人もいる。

何より皆、人より絵を描くのが得意な「社会常識のある普通の人」だったのだ。

美術系の学校に進む人は全員頭がおかしいという親戚の言葉は、

美術を専攻するとOLという道は閉ざされるから絶対に稼げないという親戚の言葉

嘘だった。

そして思ってしまうのだ。

正直言ってしまうと同人誌はそこそこ売れているので、私に絵の才能が全くなかった訳ではないと思う。

もし美大に行けてたら…祖父の様に専業画家として大成功する事は無理でも、デザイン系のOLとかで生活できる程度に稼ぐ事はできていたのかな…と。

甘い考えだってのはわかっているけれども。

父の口癖はこうだった。

「本当に何かをやりたい人はどんなに反対されても勝手にやる。祖父は家が燃え盛る中、泣きながら画材を持ちだして死にかけた。手塚治虫戦争中、絵の具がなかったか自分の血で絵を描いた。芸術の道に進むというのはそういう事だ。」

きっとそうなのだ

私が本当に美大に行きたかったのなら、親戚中に反対された中学の時点で家出でもすればよかったのだ。

バイトをできる年齢になったらお金を貯めて、学費自分で賄えばよかったのだ。

そうしなかったのは心の底から美大に行きたいと思っていなかったからなのかもしれない。

ないとは思うけど、明日北朝鮮ミサイル東京に降ってきたら、私は真っ先に通帳とか印鑑とかを持って逃げると思う。

そして、足腰が弱ってあまり歩けなくなってしまった祖父は、それでも若かった頃と同じようにパニクりながらカンバスと絵の具を持って避難するだろう。

そういうところなのだ、親戚が「芸術家ろくでなしだ」と言うのは。

通帳は全部祖母に任せて自分画材だけ持って逃げるから

明日おまんまがなくなって、家族全員打ちひしがれていても、スケッチブック燃えなかった事を泣いて喜ぶような人だから

本物のミサイルなんてそうそう見れるもんじゃないと喜び勇んでスケッチを始めるかもしれない。

因みによく一緒に公園スケッチに行ってくれた幼馴染は高校から画塾に通う事を許され、無事美大合格卒業後は有名なゲーム会社就職した。

彼女ものすごい努力をしていたのを私は知っているし、就職の報せを聞いて私も嬉しかった。

でも北朝鮮ミサイルに対して彼女はどういう行動をとるだろうか?

私が趣味世界出会ったデザイン系の仕事に就いている人達は?

紙と鉛筆を持って逃げるだろうか?

幼馴染とは今でも仲がいい。

同人活動を通じてできた友人の中にはジャンルが変わっても付き合ってくれ、一緒に旅行に行くような仲の人もできた。

積極的美大とか専門の話はしないけれども、そういう話題になっても自分の知らない世界の話を聞くのは単純に楽しいし、新刊ネタになるかもとワクワクすることもある。

でも嫉妬心を全く覚えないと言ったら嘘になる。

日本火の海になった中で、紙と鉛筆でなくて通帳と印鑑を持って避難するような人だったとしても、彼女達が美大進学を許された特権階級である事は変わりないのだ。

そう思うと何だかもやっとしてしまう。





一時期このもやもやから逃れたくて、絵を描く事を伴わない趣味を探した事がある。

スポーツをしてみたり、美味しいご飯屋さんを探してみたり。

このスポーツ団の制服可愛いから模写したいとか、肉の「照り」の部分を絵の具でどう表現しようかとか気付くと考えてしまっていたけれども、頑張って思考の外に追い出していた。

そんな中、某韓国アイドルにハマった。

お気に入りだったのが音大出身で抜群の歌唱力を売りにしている子。

彼の美しい歌声に乗った異国の言葉は心地よくて、生まれて初めて海外アーティストの曲を買った。

ある日、彼が番組企画ファンの為にイラスト色紙を書いてくれる事になった。

その日の彼は機嫌が良かったのか、普段はあまりしないプライベートな話をしながら色紙を書いてくれた。

小さい頃から歌う事が好きだった事。

母親に勧められて合唱団に入った事。

歌手を目指し挫折した経験を持つ母が、音大合格した時泣いて喜んでくれた事。

色紙を書き終えた彼はそれを満足そうにカメラに見せ、言葉をつづけた。

「歌も好きだけど…絵を描く事も好きです。上手くはないけどね。僕の従姉妹がこの絵を見たら笑ってしまうかも、彼女美術大学に通っているんだ。」

頭を鈍器で殴られたような感覚がした。

今までアイドルと言うのは自分とは全く別の世界に住んでいる人間だと思っていた。

この世に存在しないくらい見た目が美しくて、スタイルが良くて、歌やダンスが上手で。

からどんなにイケメンアイドルを見てもこんな人と付き合いたいとか、

どんな美人アイドルを見てもこんな風に美しい女性になりたいとか、そういう気持ちが湧いてきた事はなかった。

自分人生と関連づけられなかったのだ。

特に彼は外国人だったので、そうした傾向が強かったんだと思う。

でも彼の口から美術大学」という言葉がでてきた瞬間、一気に身近な存在になってしまった気がした。もちろん悪い意味で。

音楽芸術だという当たり前の事を思い出し、生まれて初めてアイドルに対して悔しいという気持ちが湧いてきてしまった。



彼は芸術家になる事を親から応援されてきたんだ。従姉妹さんも美大に通っているという事は、きっと一族の大半が協力的なんだろう。

羨ましかった。私も応援されたかった。

美大に行きたいという言葉を発した時に、罵詈雑言を浴びせられるのではなく、彼の母親の様に応援してほしかった。

彼が歌うのが好きだと気付いた母が、彼を合唱団に入れてくれたように、お絵かき教室に行きたいとせがんだ私の事を父に認めてほしかった。

本当は新体操選手なんかに憧れてはいなかったんだ。

お絵描き教室が駄目なら新体操も駄目だろうと思って発した言葉だったのに、すぐに新体操教室を探してきてくれた親に対してショックを覚えたんだ。

美大コンプレックスから離れる為に始めた趣味だったのに、またもや同じ気持ちを味わったあの日、結局このコンプレックスはどこに行ってもついてくるんだなという絶望感を覚えた。

もちろん、高校から画塾に通って美大進学をした幼馴染、趣味を通じて知り合った美大出身友達

皆親を説得するために苦労をしたんだと思っている。

そしてただでさえ狭き門である芸術系就職活動成功させる為に、

反吐を吐く様な努力をして作品ポートフォリオを作り上げたんだろう。

きっと私には想像もつかないような辛い道のりだったに違いない。

大好きなアイドルと彼の従姉妹だって日本よりさらに厳しい学歴社会と言われる韓国音大美大進学を決めるのには相当な覚悟があったはずだ。

音大合格して彼の母が泣いたのだって、その一悶着があったからという事もあるかもしれない。

でも。本当に悪いけど。その内誰だって祖父レベルに達しているとは思えない。

祖父の様に絵の神童と呼ばれていたという話も聞かない。

祖父彼女達と同じ年齢だった頃に描いた絵を見ると、素人から見ても月とすっぽんの差がある。祖父の様な天才じゃなくても美大に行かせてもらえる彼女達。特に幼馴染は「本当は美大に行きたかった母親が大賛成」してくれて、祖父の様な絵に対する執着心もないのにすんなり画塾に通わせてもらえて、本当に羨ましかった。

もし、私の祖父画家じゃなければ。天才じゃなければ。

しかしたら説得できたんじゃないかって思ってしまう。

家出なんかしなくたって、絵の具の代わりに血を使わなくたって、北朝鮮ミサイルが降り注ぐ中、愛用の画材を泣きながら探し回らなくたって。

しかしたら、私にも美大に行かせてくれと説得できたのかもしれない。

彼女達が本当に羨ましい。泣くほど羨ましい。

祖父の様に絵を描く事しかできないわけでもなく、(少なくともデザインOLをやれる程度のコミュ力はあって)、でも祖父の様な並外れた才能があるわけでもない彼女達が

家族から美大進学を許されたのが、本当に悔しい。

祖父天才じゃなければ。数回頭を下げただけで私も美大に行かせてもらえたかもしれないのに。


祖父の事は聞かれない限り他人に話してはいない。父の職業ならまだしも祖父の事を聞かれる事は稀だし、自分から言いふらすような事でもない。

でもごくたまにある。お祖父ちゃんは何をしている人なの?と聞かれる事が。

そして答えると大抵「だから増田さんも絵が上手いんだね!」と返ってくる。

(もちろんお世辞だ。私は下手ではないと思っているけれども、上手くもないと思う。ただ、そういう仕事をしていない限り社会人になってまで絵を描いている人は案外少なく、相対的にそう見えるだけだ)

そんな時自分がどんな顔をしているのかはわからない。

絵を描く楽しさを教えてくれたのは祖父

お金にならないのに、今まで絵を描き続けてこれた情熱を持てたのも、祖父遺伝なのかもしれない。

でもそれを仕事にしなかったのも間接的には祖父が関わっている。

そして何より、私には祖父ほどの才能がなかったのだ。

2017-06-12

女はそれを待てない

自分の持ち物を褒められることに快感を覚えるため、自分の子供が将来有名大学に進学するプロセスがいちいち公立では満足できない。それまでのんびり待てないという人が多い。

有名私立に早くから通わせることで経済的にも恵まれていることをアピールできるし、とにかく早く出世コース確約が欲しいという気持ちの焦り。

なんでも先回りする親は子供のためといいながらも、自分自身不安解消やマウント材料のためのエゴしかない。

http://anond.hatelabo.jp/20170611193846

http://anond.hatelabo.jp/20170612132959

カウンセリング室行って相談してこい。精神疾患出てくる手前。薬なしで戻れるぞ、今なら。

完璧主義じゃなさそうだし、昼夜逆転してる?運動してる?食事バランスいか太陽の光5分でもあびてる?

対処しないと発症→自宅で社会生活終了コース

2017-06-11

え?ベーコンってそのまま食べれるの?

え?嘘でしょ?

俺、マミからベーコン絶対に火を通せって、そういうコース教育受けてきた。

でも、食べれるんだ。そのまま食べれるんだ。

食べたよ。

食べてみたよ!

美味い!

美味いじゃねぇかよ!!!

マミー―!!

なんで嘘吐いたんだ!!

ワインビールつまみにピッタリじゃん!!!

ベーコン黒胡椒ふってオリーブオイルとかかけてさ!!

俺はその時間無駄にしたよ!!!


追記

ソーセージOKなのかよ!!!!!!

社会子供を持つ人が尊敬される(た)理由はというのを考えた

 

 人間は未熟なまま生まれてくる

 それを18年くらいかけて御する

 それで性欲を残してあとの欲(睡眠欲食欲など)をまあ取り繕える程度にコントロール可能になったころ独り立ちといわれて

 結婚就職をしたりしなかったりする

 自分社会コントロールというか、社会適合努力に全精力をつかいはたして死ぬ人もいる

 結婚をして相手に性欲をぶつけて社会コントロール一助にして安定する人もいる(結婚に失敗する人もいる)

 結婚をして性欲をコントロールしながら行使して子供をつくる人もいる

子供をつくったら夫は妊娠する妻を守り、妻は妊娠子供の過労から自分の心身を守り、生まれ子供を育てねばならない

 しか妊娠すると妻はマタニティブルーになる

 子供社会性がないままうまれてくる

 時をわかたず、昼夜まんべんなく夜泣きとかメシ要求とか排便とかする

 妻は育児ブルーになる

 子供子供子供なりのコントロールに親の手があって当然と思っている

 成長するとアレがほしいのに何故買ってくれないとか、なぜこのように育てたとか、なぜ産んだとのと文句もでてくる

 これはこどもの社会性が期待できないから親がすべて(かなり高度な部分まで)代理してやっている

 

というわけで親という立場強制的に思いやりを持たされる、自分以外の社会性まで補える器量を要求され、そこまで器量を拡大される

というわけでやっぱり子供独り立ちさせるという人生の追加クエストってすごい大変。

結婚出産の追加コンテンツダウンロードするかどうかは人次第だけど

22年くらいかけてクリアしたころには社会テクニックは山ほどもってるよなあ、そりゃあ。ということを思いました。

 

警察官事件放火自衛官事件も、途中で大失敗してアンインストールしようとしてるんだけど、

奥さん育児ブルーだったのかなあ・・毎回名前連呼され状態まで詳細に報道される奥さんがかわいそうだけど

かわいそうだからといって身内への捜査が甘くなってもしょうがいか普通に発表し報道するしかないんだろうけど

正直奥さんの冥福を祈って、これ以上彼女の魂に苦しみが来ませんようにと祈るしかできない

高瀬舟だとしてなんで苦しみをわかちあった人の手で殺されねばならなかったのか、

そんなに苦しかったのか、生存コースからなにか助けられる手はなかったのかと。

聞いてみるとだれしも育児中はキレたり他人に苦しみを転嫁したりなんかするんだけど。

自分からはなかなか他人に言わないけど、

女性同士仲良くなると「実はうちはこういうズルをしてたから楽だった」って言えるもんだけど、

公務員の奥さんって名乗ってしまったらそういう話にいれてもらえなかったりするんだろうか。

 

別にズルでもないんだけどなあ。

ナマポだってなんだって使えるものならガツガツ使ったらいいのに。

シミとりのレーザー治療を受けようと思ったんだけど

顔のシミが気になってレーザー治療を受けようとネットで調べて某全国展開してる美容皮膚科に予約した。

よく分かってなかったけど、初回は無料カウンセリングしてくれるらしく、カウンセリングのお姉さんにシミの治療をしたいと伝えたら、治療コースと金額の提示があった。

ただ本当に治療コース説明しかなくて、うーん、これってカウンセリングというよりただの商品紹介じゃね?しかも各治療コースの違いが「早くシミを取りたい方はこのコース」、「化粧で隠せる程度でいいならこのコース」、セットコースならいくらお安いですよ、ぐらいの説明しかなくて(しか早口でよく聞き取れない)、どういう治療方法かとか治療後の家でのケア方法とか、だいたいどれぐらいの期間治療をするかとか、そういった具体的な話もなくて、無料カウンセリングからなのかなあ?と思って戸惑っていたら、「今から治療されますか?されるなら、この後、先生に診察してもらいますが」って聞かれてびっくりするなど。

今の話でどうしたら今すぐ治療をすると言えると思うんだろう?とさらに戸惑っていたら、シミの治療は早くされた方がいいですよ、と決断をせかそうとするし、薦められたコースは一番高い金額だったし、そもそも、個室の壁に貼られていた「撮影、録音、録画は禁止」の張り紙にも不審感があって、「次に来る時に治療します」と答えた。

その途端、「では、次に来られて治療をされる場合、前に伝えたコースで、と言えば大丈夫ですので。ありがとうございましたー」とあっさり追い出されてしまった。

コース金額が書かれているパンフレットすら渡してくれなかった。

今すぐにとは言わないが、ここの病院治療するつもりでいたのに、今日治療するって言わなくて本当によかったな、と。

こんな対応治療するなんて言う人いるんかいな。

就活生だけど痴漢にあった

当方就活中の女子大生です。


私は面接会場に向かうために駅構内を歩いていたんだけど、歩きざまに手の甲を手の甲でスッと撫でられて、思わず振り返ってしまった。

就活ですか?」「僕も就活してる大学生なんですよ」「大学この辺なんですか?」

就活中なことぐらいリクスー見りゃわかるだろ、ていうかお前私服じゃん、大学生とか嘘だろ老けすぎ。


最初無視していたがあまりにしつこいので

はい面接あるんで。急いでるんです」と返事をして歩き続けた。


なのにめっちゃついてくる。歩きながらお尻触られたような気がした。

「どこ受けてるんですかー」「僕は中野に住んでてー」

胸の前にスマホを構えて、あーライン交換しようと言われるのだろうな、と思った。

「や、本当に面接遅刻できないんですみません


面接を控えた緊張もあって、パニックになってほとんどコンコースを小走り状態

でもずっとお尻には歩調に合わせた一定タイミングで手が伸びてくる。

ここでやっとこれナンパじゃない、痴漢だ、こういうタイプ痴漢もあるのか、と気づいて

「何してるんですか」「なんなんですか本当に」「触るのやめてもらえませんか!」と言ったのに、「当たっちゃっただけですw」って言われた。


声を荒げた&改札を出たので振り切れたんだけど、怒りと気持ち悪さで涙目

電車の中で、面接で言おうと思ってたこと復習してきたのに真っ白。

でも行かなくちゃならない。十数分後には、ニコニコ、ハキハキ感じよく喋らなくちゃならない。


30分と言われていた面接は15分で終わった。

一緒に部屋に通された他のどの子より早く終わってしまった。

面接官はなんだか疲れてそうだった。


面接をなんとか終えて、痴漢から時間ほど経ったころにその駅の交番に行った。

何があったのかしゃべってきたけど、「その場で捕まえて、はっきりこの人がやったって言えないとあなたが不利になるから」って警察の人に言われた。

「まあ後はここでしばらくあなた気持ち落ち着けて」とかなんとか言われたけど、

警察おっさんの前で「お尻触られたんです」って言ったのが恥ずかしかたからその場を早く去りたくて、

「もしまた他の子にこういうことがあったら、その時は宜しくお願いします」と言って去った。


帰路につくため改札内に入る。

そしたら!!!!!

そしたら!!!!!!!!!!!!!!!


さっきの痴漢まだいた!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

スマホ手に持ちながら歩いてた。ターゲット探してるみたいだった。

覚えてるよさっき交番でお前の特徴話してきたばっかりだもん。

お前のダサいリュックと、メガネと、スニーカーと、短パンと、ポロシャツ。背が低くて色白。


あっ、と思った瞬間に痴漢のこと追いかけてた。

私に気づいたのか気づいてないのか、痴漢中野行きの電車ホームへ。


脱げそうなパンプスで走って追いかけて、勢いで声をかけた。

「さっき、お話しましたよね?」「中野に住んでらっしゃる方ですよね?」


「違いますよ」


それ以上何もできなかった。まぁ認めるわけないよね。


すみません、人違いでした」

悔しい。腹が立つ。なんで私とっさに謝っちゃったの。たった一時間前のことなんだよ。覚えてるよ。

でも、もし本当に人違いだったら?そもそも相手が認めたとしてどうするの?腕を引っ張って交番まで連れて行くの?

ぐるぐる考えてしまってダメだった。

リクスー着て泣いてる子がいたら面接失敗したかわいそうな人って思われそうだから我慢した。

私の就活心配して、でも口を出さないでいてくれる親にはこんなこと話せない。



触られたお尻がまだ気持ち悪い。



6/13 追加

面接通過のご連絡いただきました。

よかった……

2017-06-08

デートで嫌われることってなに?

ネットで仲良くなった人とデートしたら嫌われた。

何がだめだったのか分からなくて聞いたら

「え、わからないの?たくさんありすぎて1つも思い当たらないのが不思議。だから童貞なんだね」

と言われてブロックされた。

いったい何をやらかししまったんだ…

誰か教えて…

追記

自分工場勤務、23

相手フリーター20代前半だと思う

デートに至る経緯→同じ趣味で仲良くなって自分から誘った

どんな嫌われる行動をしたか全然思い当たらなくて困ってるんだけど、そりゃ書かなきゃわかるわけないか

ほんと何したんだろう…

一応奢ったんだけど、割り勘がよかったとか?

追記2

コースカフェゲーセンカラオケ

マナーの悪さ→育ち良いほうじゃないかちょっと自信ないけど変なことはしてないと思う、でも姿勢は悪いか

店員への態度がでかい→でかくない

変な服装→着れればいいってタイプで母がしまむらとかで買ってきた服着てる

身嗜みがなってない→んーよくわからないけどヒゲは剃った

自分の速度でずかずか歩く→自分の速度だけど割と遅いか大丈夫

距離が近すぎ→カラオケは間に3人座れそうなくらい距離あけて座られたしそんな近くないと思う

プライベートを聞きまくる→基本趣味の話と向こうから質問されたことと同じこと聞き返しただけ。こっちからはどこの高校出身腐女子?って聞いたくらい

胸を凝視→みてない

ディタッチ→ちょっと触って睨まれた…けど結構肩空いてる服でブラ紐見えそうだったから直してあげただけなんだけどなー

大声で喋る→逆に声小さくて聞き返された

テンション高すぎ →可愛くてテンション上がったけどにやけたくらいで騒いだりとかはしてない

2017-06-06

今のままだとヨッピーさんは切り込み隊長と同じコースに行く

ヨッピーさん自身というより、ヨッピーさんを過剰に持ち上げようとする考えなしのフォロワーどもに言っている。

豊田ヨピ夫さんの人格まで立派であることを期待するとどっかで破綻するゾ。

やまもといちろうについては、有能であると同時にゲスなところがあるのはわかってたはずだ。文章に独特の味があって面白い憶測まがいの信憑性が疑われる記事を書いているのも前からだった。

なのにそういうところから目をそらし、全面的に持ち上げて勢い付けさせ、落ち目になったら手のひらを返したように何でもかんでも否定するという考えなしのはてブ民には本当に失望したものだ。

それでもやまもといちろうバランス感覚が優れているので、ネットでの勢いこそ衰えたものの、しっかり自分立ち位置キープしている。

彼が落ち目になったと思っているのは、自分たち評価が全てだと思ってるアホのはてな民だけである


だが、ヨッピーやまもといちろうほどは立ち回りがうまくない。自分制御するのも上手くない。


いまのままだと、おだてにのって簡単に木の上に登ってそのまま落ちてどっかで死ぬ。今回の件もかなり危うかった。


記事PRをつけるかどうかってのはかなり危うい話題なのだが、その話題に触れる割には立ち回りが下手くそすぎる。


わざわざ地雷原に触りに行った挙句、それを晒して「僕も性格が悪いな」などといい出しているあたり、もうかなり万能感に毒されている。


自分意識して作り上げてきた好かれるキャラを維持する努力を忘れて、そんなことしないでも自分が愛されると思い始めている。



その周りの人間の反応を含めて、マックスむらいキッズたちの関係に近づいてきていると言える。


もう半年くらい放っておいて、彼がキッズ化した自分の支持者の方だけ向いて仕事をするようになったら、事故死はもう避けられなくなってしまう。


自意識ってのは厄介なもんで、一度駄目な方向に膨れ上がったら、そうそうもとには治らないなんてことはそれこそ広告業界の人が一番良くわかってるだろう。


笑いの旬が過ぎて、我が出すぎた芸人ほど使いにくいものはない。芸人にとって傲慢さは最大の天敵。



しかサイバーエージェント批判ときだって調子に乗ってシャドウバースをよく調べずに叩いた挙句にクソみたいな言い訳して、それをよくわから擁護するアホがたくさん湧いていた。



彼をあと半年もおだて続ければ、アレのもっと笑えないようなことをやって、対応を誤ってしまったら、こいつは扱いにくいやっちゃな、なんてことになりかねない。



からフォロワーどもは、時々しょうもないことをやってたら冷水をかけてやるくらいでちょうどいいんじゃないっすかねー(適当

2017-06-05

http://anond.hatelabo.jp/20170605123709

兄が結婚して2人子供いて家建ててバッチリ幸せコースを進んでいるので、次男の僕はもういいかな…と甘えています

両親に自分の子供を見せて笑顔にしたいという気持ちもありますが、それよりも失敗したらどうしよう…の方が勝っています

仕事、頑張ります奇跡が起きたら報告させて下さい(笑)

それ男もずーっとやられてきたことだからな?

こうすればもてます諦めないで!とか

こういうデートコースで、こういうスポットで、とか

こういう清潔感のある服装で、とか

こういう気遣いで、とか

髪の色どころか生活習慣まで女に評判のいいことを延々御指南してくれるうっぜえメディアが押し寄せててさ

からはいはいただしイケメンに限る」っていう言い方が産まれた訳で


つか今気付いたけどああいうのすごい減った気がするな

効果がないどころか憎悪を産んでることにやっとライター広告主も気付いたんかな


http://anond.hatelabo.jp/20170523214137

象牙の塔にこもってる」ってのは、ずっと大学にいて職を得られてない、いわゆる博士ワープアみたいな意味もあるかもしれんけど、

学者としてのエリートコースを歩んで年収もかなりある一方で、「ずっと学問の道にいて社会を知らない」的意味で使われる場合もあるし

それとこれとは別の話なのでは。

別に学者に限らず、専門バカが叩かれるってと、それに対して反論がされるってのはいろんな職種である話だよ。

2017-06-04

このまま終わりたくない

中学生の頃、半ば強制的駅伝部に招集された。

3km走るのがほんとに辛くて、夏が終わって大会に合わせて作られた駅伝部の活動が休止した時かなり嬉しかった。

中学1年の冬、何故か駅伝部の顧問に目をかけられていた僕は朝6時半に集合させられ30分ほど走るようになった。

辛かったけど先生が怖くて辞めたいと言い出せず言われるがまま走り続けた。

中学2年の夏になり、また駅伝部が設立され、当然のごとく僕は招集された。

1年生の頃はゴールした時「よくがんばったね」と教師陣に拍手されながら迎えられたドンケツの僕は、誰よりも速く3kmを走りきった。今度の拍手は心地よかった。

その年、一つ上の先輩と自分の力で県大会進出することができた。東北大会の出場も圏内だったが、6区最後を走った先輩が失速し4位。東北大会に進めるのは3位まで、僕らの夏は終わった。

また冬が来た。

去年と同じように指導者に流されるまま朝から30分校庭をジョギングした。

「凄く速い生徒がいるらしい」と今年の活躍口コミで広がっていたのか、ちらほら見学する生徒が現れていた。

真冬太陽も出ていないのになぜかサングラスを掛けている顧問は何人かに声をかけ朝練習に合流させた。

一人で走り込んでいた僕に仲間ができた。

巡って中学生最後の夏が来た。

冬場の合同練習の成果が出たのか市大会簡単突破できた。

大会に駒を進め、前年度の雪辱を果たす機会を得た。

僕が三区で襷を受け取った時順位は3位だった。

東北大会に進めるのは3位までの学校で、全国大会に進めるのは1位だけだ。残念ながら東北大会から全国にはつながらない。全国を目指すならこの県大会で優勝するしかない。

勾配の強い山道を駆け抜け、中間地点となる1.5kmを突破すると一気に下りとなる3区。

僕は前半2位との距離が極力開かないようにペースを抑えて走り、1.5kmを過ぎた時点で勝負をかけた。

ストライドを狭めて脚への負担が大きくならないよう気を付けながら、ピッチを上げてペースを速める。

2位を抜き、襷を受け取った時点で1分近い差のあった1位の後ろにつけて4区に襷を渡した。

そこからの流れは疲れ果てて休憩しているうちにレースが終わったので分からないが、僕らの学校は1位を取った。

設立から何十年と経つ学校だったか、特段スポーツに力を入れているわけではないので全国大会運動部が出場するのは初の快挙だった。

僕らは涙を流しながら抱き合った。

顧問は「当然だ」とだけ言い拠点を黙々と片付け始めた。いつもはこういった雑務をしない人なので多分照れ隠しなのかなと思う。

数ヶ月が経ち、東北大会でのレースを済ませた僕らは全国大会舞台に立った。

1区を出走することになった僕は、正直自信過剰だった。

実際3kmの持ちタイムは9分を切っていて、全国でも上位を争えるレベルだった。

全国大会当日、会場であった山口県は小雨の降る肌寒い日だった。

詳しくは知らないがまるでゴルフ場のような芝生とタータントラックのみのコースだったので7mmピンのスパイク大会に臨んだ。

だがこの判断が間違いだった。

ほとんどスパイクで走ったことのない僕はスパイクの引っかかりの強さが予想以上に強かったことに焦った。対応できなかった。

下りになるたびに引っかかりのせいで止まってしまい、体力を無駄に使った。

集団に揉まれながらゴールへとたどり着いた時には全校50近い内20位ぐらいだった。

僕が入賞圏内でタスキを渡し、後半逃げ切りという作戦を立てていた僕らはそのままズルズル順位を落とし入賞県外で終わった。

僕は泣きながら仲間たちに「ごめん」と謝った。

仲間たちは僕のおかげでここまで来れた、むしろ僕らがもっと速ければともらい泣き?していた。

自信に満ちていて、いつも問題があれば僕らを叱った顧問は「この結果はすべて俺の責任だ」といい腕を組みながら謝っていた。

同級生たちが受験勉強に明け暮れる中、僕は色んな所からきた特待生勧誘やらを前に迷っていた。

「これから先でも戦えるのだろうか」

全国大会天狗の鼻はボキボキに折れていて、地元友達皆が行く近場の学校入学しようと考えていた。

そんな話をどこから聞きつけたのか駅伝部の顧問が僕を放課後呼び出し、スポーツ科の存在する学校への入学を促してきた。

僕はなんだかんだ付き合いは長いけれど、まだ顧問のことが怖く、流されるままスポーツ科のある学校へと進学した。ただ迷っていたのもあったのでこの言葉は当時嬉しかったと思う。

県内同級生に噂は聞いていたが僕より速いやつがいた。

正直有名すぎるのでマニアにはバレるため詳細な情報は伏せるが全国大会3000mで異常な成績を残したとだけ書いておく。

そいつが僕と同じ学校入学するらしい。

僕は期待と不安を抱きながら、その高校入学した。

高校生活は人生の中で最もつらい時期だった。

教師は怖く、理不尽が人の形をしたような奴だった。

結果を出さなければ殴られ、結果を出しても褒めることはせずもっと行けただろと怒られる。自尊心ボロボロだ。

それでもなんだかんだタイムや実績を残してきた僕には優しい方だったが、やはり大分精神的に消耗していた。

ただ教師陣には恵まれなかったが仲間には恵まれた。

前述した僕より速いやつは相当に人間ができているやつだったし、他の部員たちも僕のことを知っていて仲良くしてくれた。

色々ありながら高校1年の夏を終え、雪が降る季節になった頃事件が起きた。

僕の身体は厳しすぎる練習に耐えきれず、股関節が剥離骨折した。

この事実教師に伝えた所、「お前は逃げるのか?迷惑から走れ」と練習強制された。

当時はつらすぎて逃げ出したかったがスポーツ科だったため、部活を辞めれば学校もやめなければいけない。

僕は言われたとおり痛み止めを投与しながら練習を続けた。

そして怪我はよりひどくなり最終的に歩けなくなった頃、「もう限界です、休ませてください」と伝えたところ毎日誰よりも早く来てグラウンド整備をすれば許可しようと言われた。

今思えばおかしい条件な気がするが、当時は「ありがとうございます!」と心から感謝していた気がする。頭がおかしい。

歩くのも痛かったが処方された痛み止めを飲めば我慢できたし、走るよりはマシだったので頑張って毎日グラウンド整備をしていた。

この剥離骨折は結局治るのに1年近くかかった。

1ヶ月ぐらい経つと教師に「もう治っただろ走れ」と言われるので走り、また悪化させるという繰り返しがこれだけ怪我を長期化させた原因だと思う。

ようやく治った頃にはもう高校3年生で同級生や後輩に大きく実力差を付けられていた。

それでもなんとか自分なりに練習を重ねた結果冬場の駅伝には出場できた。3kmの高校生にとって繋ぎ区間だったが。

少し時期は前後するが3年の夏頃、僕は進路を迷っていた。

怪我はなんとか治っていたがこれ以上走るのは明らかに限界だと感じていた。

それでもなんだかんだ高校1年生の頃に5kmを14分台では走れていたので、タイムだけで弱小校ならスポーツ推薦が可能な状況だった。

僕は迷った。

でも中学生の頃卒業文集にも書いた「箱根駅伝出場」を諦めきれずスポーツ推薦を選択した。

高校での陸上生活が終わり、大学へと進学した。

だけど僕の身体はもう限界だった。

1ヶ月以上練習継続できないのだ。

少し走れば足首が、膝が、股関節が、どこかに痛みが出てしま練習ができなくなる。

救いなのは大学はある程度自由トレーニングメニューを組めたので、怪我をすれば悪化する前に休息を取れたことだろう。

ただこんな練習頻度で化物揃いの大学陸上を勝ち抜くことはできず、関東インカレの出場はできたが成績はダメダメで、結果は出せなかったし、箱根駅伝メンバーに選出されることなど夢のまた夢だった。

僕は多分中学生の頃の栄光をまだ引きずってるんだと思う。

大会で全国出場を決めた時の高揚感、あれをもう一度でいいから味わいたいんだと思う。

大学4年生になり、実業団に進むか就職をするか悩んでいる。

正直箱根駅伝メンバーにもなれない人間実業団に進んだところで伸び悩み3年以内に首を切られるの分かってる。

でも頭ではわかっていても感情が走ることを求めてしまっている。

現実は厳しくて、身体が急に良くなって20km以上の距離を走っても壊れなくなるわけがないのに。

中学生の頃の栄光が、高揚感が、僕をこのまま終わりたくないと感じさせている。

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