はてなキーワード: サッカーファンとは
上の世代の頭が切り替わってねーのよ。
今みたいに簡単に社会に物申して縦横無尽にバズるということが出来ない。
80年代バブルのイキり文化のウンコの残り香だけが漂ってたせいで
当時は男への滅茶苦茶高い要求を煽るようなメディアばっかりだった。
ああいう情報で気が大きくなった女や委縮した男は沢山いたと思う。
当時の平均的な若い男女が頑張った結果成立するような
あの当時の「デート文化」的なものからの攻撃の空気が嫌で仕方なかったし
あの時に恋愛市場からの退場者やミソジニーはぐんぐん膨らんだと思う。
俺は男だから男側しかわからないけど当時女はどう思ってたのかな。
「年収〇〇〇万って聞いたらぞっとしてしまって」の玲子さんっているだろ
こんな長いこと晒されてるの気の毒だけどああいうのの走りもこの時代よ。
(ちなみに玲子さんが求める水準はあの中では誰よりも低く常識的で
「ぞっとしてしまって」のフレーズや表情の面白さのせいで残っただけ。
テレビ番組の他の女は3000万とか5000万とか平気で言ってた)
ガチバブルの時は全員頭狂ってたから誰も気にしなかった(んだと思う)けど
俺達バブル残滓の時代には「値踏みと高望みと否定をかましてくる女の情報」だけが残った。
それに付き合うようなバブルの経済力も元気も俺たちにはないのにさ。
女と付き合うにはこういうレストランに連れて行かなきゃだめだこういう服を買わなきゃダメだこういう情報持ってなきゃだめだってそんなんばっか。
俺はエスカレーター私立入れてもらう程度のプチ裕福家庭子弟として過ごしてたけど
そういう多少余裕のある目からもあれは見ててうんざりの一言だった。
金もそうだけど要求の圧迫感と従わない人間への否定の空気が本当に嫌だった。
わかるだろ?
今じゃもうやってたやつ全員中年だけどさ
今じゃ考えられないだろうけど、
日韓W杯ぐらいの頃は韓国社会の対日ヘイトやレイシズムは一切報道されなかった。
厳重に禁じられてたよ。
あっちの国は日本への憎悪剥き出しで国を挙げて日本の対戦国応援して
なんで日本のテレビは一切報じず「韓国応援!」とか無理言ってるんだよって言う対抗心だった。
しかもあの大会は韓国チームがどう割り引いてみてもプレイがダーティすぎて
それがまた日本では全然報じられないからサッカーファンの怒りも合流してたな。
「スイーツ(笑)」みたいなのも甘味がどうこうって話じゃなくて
「たかが甘いもんを雑誌文化の提唱するままスイーツなどと呼んで紹介された店へ出かけて貪り食うメディアに踊らされるバカ女」
って意味なわけよ。
もちろんこういう罵りや憎悪の文化は必ず程度の悪い成員を含むので
ただのコリアンレイシズムや女へのヘイトになっちゃうやつはいたが。
なおバブルノリで俺達消費者に規範による尻たたきをしまくった時代の尻尾。
今よりはるかに硬直して現実見てないメディアからはバブル方式のネタばっか。
俺達がどれほどマスメディア全般を憎悪するようになったかわかるだろ?
俺達は車が嫌いだし酒が嫌いだし恋愛が嫌いだし女が嫌いだ。
極端に当時の気分を言えばそんな感じ。
全部メディアが消費を煽ろうとして
「これに物凄いリソースをつぎ込まなきゃダサい!」ってキャンペーンはったものだ。
きれいに全部大嫌いになった。
元々「すげー頑張ったイケメン以外は恋愛市場にエントリー不可!」
ってイキり散らしてたのがメディアなんだよ。
でも実際はついていけなくなってみんな退場してった。
だってバブルのような収入や希望はないんだからね。煽りだけバブル気分されてもさ。
あまりに自分達の扇動が時代錯誤で響いてないってようやく気付いたメディアが
指値を大幅に下げて「最低限のことしてればいいだけなのに」「だから恋愛してよ」って言いだした。
わかるだろ?
今まで言ってたことと全然違うなあ?どうせその場しのぎの嘘だろ?って意味よ。
もうとっくに大っ嫌いだったわけよメディアや女が。
マスメディアも嫌いで嫌いで滅茶苦茶叩いて疑ってネットを伸ばした。
24時間テレビでゴミ拾いする予定地をネット有志が先にきれいにしてやったりね。
当時はあらゆることがメディアの陳腐なセンスと加工で覆われてたから
ああやって風穴を開けることに意味があったんだ。
今の若い人に意味が伝わらなければ社会はそれだけよくなったってことさ。
貧しくなってることはかわいそうだと思うけど社会の空気はましになってるような気がする。
腐れメディアと団塊とバブルの屑どもの掃討がおれら世代に最後にのこった下世代への責務だと思ってる。
どうせ俺らが老いる頃は福祉も減って今ほど長生きせずに害になる期間少なく消えていくだろう。
そういえば当時女側からはどんな気分だったんだろうな。
同世代のネットの女の証言を聞きたいような、今はもうどうでもいいような…
lacucaracha
『ネットの世界の住民』が有る種の選民意識を持ってた時代だということが良く分かるエントリーですね。結局その後、何者にもなれなかった感も醸し出していてポイント高いです。
2022/06/07
なんかいい加減なブログ書いてるイキりコンサルおじさんが食って掛かってきてるけど(どこが癇に障ったのかマジでわからん)
この「何者かになる・なれなかった」ってのいつ見てもなんのこと言ってんのかわかんねーんだよな
白クマのおっさんとかこのおっさんとかいい歳して人生に迷ってる自意識過剰のおっさんが言ってる謎ワードという印象
inose660 90年代後半から、バブル期までの社会全体が上昇志向だったモノカルチャーからストリート由来の世界観が入ってきてマルチカルチャーになった。増田氏は育ちが良かった分、まだ上昇志向の世界しか見えてなかったと推察
2022/06/07 リンク
バリバリ上昇志向の人なんてそんな居なかったというのが俺の印象だけど
メディアや社会は「めちゃくちゃシバキ主義で叩けばこいつらは動く」と考えてた気はしたな―
casm その頃が大学生性交経験率最多なので、今よりブサイクでもSexできた世代よね。 https://www.nippon.com/ja/features/h00354/amp/ だからこそかもしれんけど。
2022/06/08 リンク
これは俺の感覚に合ってるよ
バブルがはじけた後も残滓だけが空走距離みたいに人の尻を叩き続けて
俺は人間というものは尻叩かれなきゃそんなに結婚もセックスもしないんじゃないかと思ってるんだよね
先進国で少子化するのは人権無視して尻叩くのやめようってなるから(俺はいいと思うそれで)
crimsonstarroad ルーズソックスに援助交際の時代だっけ。今はパパ活の時代。 素人が素人のまま性を売れる時代の共通性ってなんだろ?規制の少ないコミュニケーションツール?
2022/06/08 リンク
パパ活の実態も良く知らんで言うのはあれだがそういう素人売春は多分今の方がずっと多いだろうに
そんなにいなかったコギャルのエンコーの方がめっちゃ言われてたしそのイメージのまま国連にまでちくるやつとかおったな
buu 「クリスマス・イヴ」というドラマがあって、イヴにデートするために命をかけるという内容だった。北海道のど田舎でスキー合宿中だった俺たちは「いつからクリスマスはこういうイベントになったのだ」と感じた。 hatena
2022/06/08
なんかねえ
環境的には去勢されてんのに都合のいい時だけ性欲由来っぽい「元気の良さ」を期待されてる感あったよね
幾ら煽られたってそんなことのためにそんな頑張らねーよっていう
mayumayu_nimolove でも知ってる?お前と同い年のやつってその年代を同じく歩んだんだよね?なんで差が生まれるんだろうね。次そこを書いてみて。
2022/06/08
俺と誰にどういう差があるという想定で話をしてんの?
・コンサルおじさんもそうなんだけどお前が俺についてどんな妄想をしてんのかわからん
・そのピキピキ来てる敵意の理由がさらにわからん(煽りで言ってるのではなく純粋に分からん)
お前もこのへんを書いてみてくれ。
pon00 ねるとんとかの見過ぎだな
2022/06/08
うわー思い出したねるとん
俺は見てなかったけど周りは見てる奴一杯いた
修学旅行でみんなが見てて「なにこれ?」って言ったらバカにされたわ
cinefuk 「当時の俺たちが信じていた〇〇は、全て『反メディア』の旗印として掲げていたもの(正義)で、俺たちを誘導した"オルタナティブメディア"の流したデマだったなんて言われても知るかよ」という文意を読み取った 90年代 マスコミ 情報リテラシー 増田
2022/06/08
ん?ん?
オルタナティブ?なに?
なんかいまいち何言ってるかわからないレスが多いのは何故なんだ
俺はそんなに難解な話とか誰か怒らせる話とかしたつもりないんだが
arrackarrack 「ヤラハタ」という言葉があって恋愛煽る空気が半端じゃなかった。結果婚活でのアレな30後半〜40代女性うまれた。男女平等の意識や柔軟に変化した今の若者が羨ましい
うわーあったあった!「ヤラハタ!」
そういう圧力よな
こういう感じに話通じたり思い出せたりすると同窓会みたいでちょっと楽しいな
今の若者の方がいい感じになってそうだよねっていうのもわかる
rikuzen_gun 中年男性ネトウヨorサヨク叩き論者、に多い典型例。野党・サヨクが嫌いなのは分かるけど、なぜ若い人と違い自民党の良悪報道があった時代なのに、女性と違い自民党支持率がほぼ若年層と変わらないぐらい高い理由は? 韓国 世代 メディア ネット レイシズム 文化 ネトウヨ 増田 歴史 日本会議
2022/06/08
日本語も壊れてるし落ち着いて書いてほしい
nanamino 90年代後半語りにしては違和感あるな。イメージで語ってない?今の30代くらいがバブル世代だと思ってそう
2022/06/08
違和感はいいんだけとここがこうおかしいって具体的に言ってくれないと応答不能だし「なんか腹立つから言い返したいけど何も思い付かない」って人なのかなとおもっちゃう
サッカーファンが選手のこと、チームのことをよく知っていてもそれは『ファン』でオタクとまでは言われない方が多い。
なら、アニメやゲームが好きな人のファンとオタクの境目はどこなのだろうか。
私は、広く浅く色んなものに興味を持つ。
ゲームなんかはファミコン以前のテレビゲームにも手を出してきた。
アニメも昔のアニメから現代のアニメまで気になるものは全て見てきた。
しかし、コアな人たちと違って見たもの・プレイした程度の知識しかない。
それでも周りにはオタクだよねと言われてきた。
正直、自分がオタクなのかが分からない。基準が分からないのだから。
例えばガンダムの話をしたとしよう。
しかし知識は、アムロがニュータイプで最後は生き延びたくらいのものしかない。
この内容であるとファーストのガンダムが『好き』といっただけで周りがオタク扱いしてくる。
しかし、知識でいうとアムロがニュータイプで最後は生き延びたという程度しか知識がない。
これでオタクと呼べるのだろうか。
ゲームもそうだ。
私は、メタルギアソリッドが好きだ。PS4のファントムペインは、やり尽くしたくらいハマった。
しかしストーリーを語ろうとすれば、詳しく語れない。ヴェノム・スネークが本当のスネークじゃなかった程度の知識だ。
が、この内容でも『やり尽くしたくらいハマった』が周りからはオタク扱いになる。
サッカーファンが選手の事、チームの事をよく知っていてサッカー自体が好きというのはオタク扱いされないのはなぜか?と。
私は特定の作品は好きだが、内容を多く語れるほどではないのにオタク扱いされる、この違いは何であって、そして基準を教えてくれ、と。
しかし、周りはアニメやゲームは好きと言った時点でオタクという回答をした。
よくわからない。
サッカーの場合はファンに変わり、アニメやゲームはオタクに変わるという。
ちなみに私がサッカーも好きな事は周りも知っているのだが、それに関してはファンという扱いをされた。
一体どこに基準があるのか。
目下W杯最終予選中のサッカー日本代表ですが、とうとう森保監督を支持する人がどこにも見当たらなくなりました
昨日のオマーン戦も、勝ちはしましたが、Twitterでは#森保解任がトレンド入りするなど、サッカーファンからの評価は目も当てられない状況になっています。選手起用と采配が、殆どのファンにとって納得できないものだからです
ポゼッションこそすれど、チャンスを全く作れなかった前半について「そんなに悪かったですか?」と振り返るなど、森保監督がきちんと内容を分析できていないのは明白なのですが、これは目指しているサッカー像が古くて、そもそもの戦術解像度が低いからでしょう。問題を把握できないのは、問題に対処できないよりもまずい事態です
ビルドアップのコンセプトがない。アタッキングサードでバリエーションがない。フォーメーションありきで、ポジションに選手を当てはめるだけの古いサッカー観。謎のメモ。繰り返される精神論。森保監督の仕事は、ピッチの中は選手に任せて、外から鼓舞するだけの簡単なお仕事に見えます
「W杯の切符を掴み取るために毎試合トーナメントのつもりで戦い抜く」と森保監督は言いますが、日本代表の目標はいつからW杯出場になったのでしょうか?僕の記憶では目標はW杯ベスト8だった気がするのですが、もしかして森保監督だけは、まだドーハで戦っているのでしょうか?
選手選考とスタメンについても、お気に入りのベテラン選手に固執しているという批判があります。もしかしたらこれは、ステークホルダーにいい顔をしたい田嶋会長のゴリ押し、またはそんな田嶋会長への忖度があるかもしれません。森保監督は気遣いの人らしいので、十分にあり得るでしょう。あとは、森保監督は頑固で負けず嫌いな性格だそうなので、外から批判されればされるほど意固地になっているという説もあります。Twitterやネット記事に目を通しているかは分かりませんが、これもあり得る話です。戦術の解像度を高め、旬の選手をうまく活かせるチーミングと選手起用をお願いしたいものです
試合中の修正力の無さ、というのも批判されているポイントです。先制した試合では負けなしだが、先制されると勝てないというデータがあるそうで、これが試合の状況に応じた臨機応変な采配がないことの証左だといわれています。因果関係を示すには一足飛びの論理ですが、森保監督が臨機応変な采配ができないことは試合を見ていれば明らかです
サッカーの最新トレンドを作っている欧州リーグで活躍している選手も多い中で、いまだドーハに魂がありそうなザ・ドメスティック・メモライター、森保監督。田嶋会長がおしすすめるジャパンズウェイの未来は、果たして明るいのでしょうか
という話に熱を上げ、最後には怒り出すような人間にだけはなりたくないものだ。
「やってみなければ分からない」「だがやれない」「だから分からない」で終わりだろう。
もしも「いいやそれでもコッチの方が強い」と言いたい奴には言わせればいいし、せっかくだから楽しく競馬論でも語ってみようじゃないか。
たまにいるんだ……「○○は俺達世代の代表、○○をバカにされると自分までバカにされたような気分になる」とか抜かす頭のイカれた人間が。
何を言ってるのか全く分からないのだが、彼らの中ではそういう感情は当たり前のものらしい。
たとえばこれが「ウサイン・ボルトは黒人の代表だから、彼が活躍することは黒人の可能性を証明する素晴らしいものだ」という意見ならまだ分からなくもない。
だが、馬だぞ?
それも、たまたま自分が競馬にハマっていた時代に活躍していたという繋がりしかない馬だ。
さっき、「ウサイン・ボルトは黒人の代表だ」という意見なら受け入れると言ったが、これが「○○は俺達の時代の代表だから」と言うならそれも軽蔑の対象だ。
たまたま自分と同じ時代を生きた人間が結果を出したというだけで、自分まで凄い人間であることが証明されるなんて言い出すのは脳がイカれているとしか思えない。
ハッキリ言うが、「ウサイン・ボルトが活躍した。俺は黒人だ。俺は凄い」というのなら、そんな黒人は軽蔑の対象だ。
「黒人であっても白人に劣りなんてせず、人種の違いで人を差別するのは馬鹿馬鹿しい」という意味で、ウサイン・ボルトの栄光を称えるのなら理解できるだけで、他人の成果を笠に着て自分が偉いなんてふんぞり返るようならタダの気狂いに他ならぬ。
なんでその例に競馬を上げたのかだが……まあ競馬ってのにはどうにもそういう奴が多いんだよ。
理解に苦しむのだが、自分が熱を上げていた時代に活躍した競走馬が褒め称えられると自分まで立派な人間だと思いこんでしまう人種が殊更に多いのだ。
まあ、「そんな時代の競馬を楽しんだ俺は勝ち組」ぐらいならいいのだが、いつの間にかその時代のヒーローと自分を同一視して、やたらと繊細であることが人格の清らかさを証明するとさえ勘違いしている。
信じられないことだ。
彼らにとってはよっぽど自分の人生そのものが誇れるものじゃないらしい。
そうでなければ、「自分のヒーロー」のために自分自身の人生や、他人の人生を平気で投げ捨てたりはしないだろう。
ヒーローの名誉のためなら、普通の人間の価値なんてゴミに等しいと信じているのだろうか?
天皇のためなら玉砕することこそが幸福だと信じていたあの頃の帝国軍人のように。
まったくもって気が知れない。