はてなキーワード: 追従とは
https://anond.hatelabo.jp/20230912211531
こんな増田が話題になっていますね!この増田に向けてと言う訳ではありあせんが、日常的に山道を生活道路として走っているので、アドバイスしておきます。
こういうドライバーは後ろから追いつかれても絶対に譲らない。チンタラ走り続ける。制限速度で走る場合その速度をキープしてくれればまだマシなのだが、上り坂でアクセルを踏まず大減速して渋滞を作るし、下りではローギアに落とさずブレーキをパカパカ踏んで減速するため傍から見ていても危なっかしい。カーブのライン取りも甘く、インから入って外に膨らみ、曲がりきれずカーブ後半で急旋回する。同乗者はたまったもんじゃないだろう。車内はきっとゲロまみれだ。
こういった運転の細かい所まで観察でき、その影響をダイレクトに受けるようなレベルでは車間距離が短すぎます。一般の平地に比べて、2倍から3倍くらい、車種がわかるかな?ぐらいの長い車間距離をとりましょう。
そうする事によって、上り坂に入った直後の急減速や、下り坂でのカーブごとの減速などに追従出来るため、ストレスなく走る事ができます。
山道はカーブやアップダウンが激しいことがありますし、カーブの先が全く見通しがないこともよくあります。そしてそれぞれの車や荷物をの状況などによっても挙動が変わってきます。その差を吸収するのが車間距離です。先に進んでいる車が自分の車と同じ挙動をすることはありません。とにかく車間距離をとりましょう。仮に増田の妄想が正しいとしても、事故に巻き込まれる可能性を減らす事ができます。
もっと言うと、ライン取りの評論が出来るくらい近い車間距離は、山道でなくとも近すぎます。場合によってはあおり運転と解釈される場合もありますから、いつも車間距離を長くとりましょう。
すぐに追いついてしまう? それは単にスピードの出し過ぎです。流れに乗ってください(笑)
とにかく時間に余裕を持って行動することが大切です。そして増田は相手が自分に会わせて譲らないことが大切だとおっしゃっていますが、なかなか分かってもらうことは難しいです。
ドライバー感の譲り合いの精神、大事ですね。身振り手振りやアイコンタクトなどによる非言語コミュニケーションかなり大事だと言うことが言われており、自動運転で難しいのがこの辺りだという研究結果も存在しています。ですから、その総論には賛成できます。
ですが、それを相手に求めたからといって、貴方自身になにかよいことがあるのでしょうか?私は無いと思います。
また、相手は、山道に不慣れだけれど、何か特別な用事があってやむを得ず運転している場合があるかもしれません。と言いますか、山道を深夜走るのは、日常的にその時間に通勤などで使う人でなけえば、大抵はそう言う人々です。コミュニケーションとは、相手の事を察することも含まれるわけですから、まずはそこから心がけてみてはいかがでしょうか。
それでもどうしてもイライラしてしまう、そんな増田にお勧めなのが「自分の時間を譲る」という方法です。路肩の安全なところに車を止めて、10分ほど時間をおいてから出発する「時間を譲る」考え方です。なあに、10分なんて、Youtubeで大好きなDQN動画でもみればあっという間です。
貴方はスピードを出しているつもりかもしれませんが、実際には到着時間にしてみると、5分も差が無いことが殆どです。ですから、それだけズレていれば、貴方が一方的に恨みを募らせている被害者に追いついてしまうことは無いと思います。
まずは隗より始めよ!ですね。
これは運転に限らずです。どうしてもリズムがあわないと感じたら、相手に向かって呪詛を吐くよりも、自分がうまく譲る事を覚えましょう。
次の低速車が来てしまうかも? それは…そんなに低速車に当たるようなら、お祓いなどを検討された方がいいですね!
もちろん冗談です。まずは、低速車認定する閾値が低すぎるのではないか?と言う所を考えてみた方がいいかもしれません。常に心と時間と車間距離には余裕を持ちましょう。
趣味がドライブ!いいですねえ。昼間のドライブで、道の駅などを巡って美味しいものを食べて、温泉入って、地元にお金をとしていただくことは大変うれしいです。助かります。でも、深夜の山道、ですか……?
都会の人が地方に来て「こんな立派な道が何故山奥に?」と驚かれることがあるのですが、こういった道は、昔からの街道筋にあることがほとんどです。そして、かつての産業を支えた道でもあるんですね。そして現在は、都市間をつなぐ役割は高速道路に譲ったものの、その街道を支えた集落と集落の間をつなぐ道として存在しているわけですね。
そして、地方部の場合は、その道一本しか無い場合もあります。この道が潰れたらもう出勤もできないし、救急車も通れないわけです。ですから、人々の生活を守るための道として存在しています。
趣味が車、ドライブであるというのは否定しません。否定はしませんが、深夜の山道を珍走する行為は、そういったライフラインを無闇に危険にさらしている用に思います。またただでさえ過疎化で維持コストが高まっているところで、生産性もなく走るだけと行ったフリーライダー行為は控えてほしいと考えています。
少なくとも、そう言った存在に、地元の人たちは迷惑している、と言う事は表明しておきたいです。
皆さんは、道路の制限速度はどういった形で決まっているかご存じですか?
近年作られた道ですと、設備(歩道が別けられて中央分離帯があるか、など)やカーブの有無などによって、設計速度というものがあり、そこから一定の係数をかけて最高速度が決まっています。
例えば、新東名高速道Rは140km/h と言う設計速度で作らていますが、ついこの間まで100km/h でした。そう考えると、速度を超過しても安全である、それよりも流れが大事だ、と言う考え方は一理あるように思います。もしかしたら一部の状況ではそれが正しいと言える事があるかもしれません。
しかし、山道など昔からある道はどうでしょうか? 実は、こういった道は「過去の経緯」で、現在の規制基準に比べると、高い制限速度になっているケースが多いのです。現在の基準で当てはめると40km/h や30km/h になるべき所が、50とか60とかになったままになっていることがあります。例えば、トラックなどはその速度でカーブに突入すると、横転まであり得ると言うような急カーブが存在していることがありますが、制限速度はそのままです。これは、高速道路が整備されるまでは、そこを基幹輸送を担うトラックなどが走っていたことのなごりかもしれません。
そして、そんな山道でも、突然制限速度が厳しくなっている箇所がありますよね。あれは、そこで以前、重大な事故があった証拠です。山道はあまりお金をかけられません。道路を改良するより、速度規制を厳しくすることで対応しているのです。
そういった状況で、15km/h の超過ならつかまらない、といった「捕まらなければその速度で走って良い」と解釈するような動きをするとどうなるでしょうか?
もしかしたら、増田はスーパーカーを持っていて、走れるかもしれません。しかしトラックや、軽のハイトワゴンなどはどうでしょうか?
制限速度は守りましょう。どうしても自分は超過して良いと考えるようでも、他人にそれを強要するのはやめてください。それぞれ事情があるのです。少なくとも言える事は、早い速度で走って問題ない車を遅く走らせる事はできますが、逆はできないと言う事です。
あおり運転で捕まった人間のうち、ほとんど「煽ったつもりはなかった」というそうです。もちろんしらばっくれている人もいるでしょうが、実際には本当に本人は煽っているつもりはないと思っているかもしれません。
また、そういう方ほど、ご自身の運転に自信があり、車間距離などを短くとる傾向があるそうですから、それが端から見るとあおりに見えている、ということがあるでしょう。
日本には、反・電動キックボードみたいな連中がいて、事あることに電動キックボードを否定する。
以前に電動キックボードを借りた。
正直、15km/hは遅すぎる。
その代わり、景色を見る余裕があるので、観光向けの乗り物だとは思った。
特定小型原付としての20km/h制限は、ちょっと遅すぎる気もするが、現実的なラインだろう。
酒を飲んで運転する。
二段階右折で右折しない。
歩道を爆走する。
一時停止箇所で停止しない。
電動キックボードの事故・迷惑行為はだいたいこういうところに起因する。
こういうことをしたら、別に電動キックボードでなくても、自転車であっても危険だし迷惑だ。
無理な追い越しはしない。
追い越し禁止区間であれば、制限速度以下の車両をゆっくり追従する余裕を持つ。
結局のところ、交通ルールはかなり安全マージンを取った相当に機能する安全の指針なのだ。
未だに旅行会社からFAXが来て、返す時にこちらについている敬称を消して、相手の名前に敬称をつけるマナーの感じ、仕事のグループラインでも発生していて、メンションする時に名前の後ろに様をつける人が出てきた。
皆それに追従して@増田 様と敬称をつけるようになり、自分だけつけずメンションしていたらついに「失礼なのでは?」と上司から小言を頂いたので、「LINE上で様をつけないことで相手を敬っていないとか、馬鹿にしているとか、下に見ているとか、そういう態度を私が持っていないことわかるでしょう?余計なマナーをLINE上に持ち込むのもそれを押し付けるのも反対です」と返答。
「なんか……ごめん」と上司謝る。
【追記】
こんなもん自慢するに決まってんだろ。
反応見ても称賛7割、お追従2割って感じだしマジで笑い止まらんわ。
人は肩書きとスクールカーストに弱いのね。このパワーアップした肩書を存分に利用して生きていきますわ。
自分の例だけど、
「資格は一つもないっす!でも元気っす!マジうるさいっすけどキャラなんで勘弁してください!w」
1年生のときに遊ぶためだけに通って半年間で辞めた芸人養成所のエピソードを1から50に盛って話し、
結局、10社くらい面接受けたところで内定した売上数千億の専門商社に入った。
外回りは既存取引先のメーカーを回り続けて世間話するのみで、定期的に案件もらって、会社戻ったら事務仕事ぶん投げて、
先輩と仕事と関係ない話を面白おかしく駄弁りながら夜8時くらいになったら退勤して、
そのまま先輩や上司や同期と飲みいったり、大学時代の仲間と合コンしたりそんなことばっかりしてた。
そろそろ転居を伴う転勤があってもおかしくないって年齢になった頃、付き合ってた彼女から
「絶対に東京通勤圏から動きたくないし、遠距離するつもりもないからそうなったら別れる」
と突き放されて仕方なく、「経理採用で東京本社の大手でもいくか」と適当に簿記の勉強始めて1年半後に2級取って、
あとで知ったけど、経理未経験×簿記2級でこういう転職活動するのはあまりに世間知らずで無謀だったらしい。
でも面接でペラペラ適当に喋って押しまくったら普通に受かった。
なんだこれ。
俺なんも身についてないぞ。
高校3年生の頃の自分に全く同じワークを課しても今の自分と同じくらいに働くはずだぞ。
少なくとも、貰っている年収相応のスキルなんぞ俺には間違いなくないし、年収相応の成果だって会社に与えていない。
仕事を辛いと思ったことないし、仕事について深刻に悩んだことない。
社会人になってからもサークル活動の延長線程度に面白おかしく適当に生きていけるよう、キャラをアピールしたり、先輩や上司と仲良くなったりして、要するに依怙贔屓してもらってるの。
帰社してからの仕事は、3年目になったくらいからは、超真面目で賢い後輩に9割くらい肩代わりしてもらってる。
基幹システムの使い方なんぞ実は知らんし、やや複雑な案件になるとスキームも決裁ルートも全く理解できてないし、
ていうか新卒からずーっとやってきていた基本的な仕事ですら、この書類がなんのために必要なのかとか、その仕事の大枠の流れはどういう感じなのかとか、悪いけど15%くらいしか理解できてないし知らない。
それでも、年齢考えたら日本人のサラリーマンの上位5%くらいの給料を転職後は貰える。
周りの人間と仲良くできる、図々しい、芸人ノリってだけでこの身分が手に入った。
特に『高専→大学3年次編入→大学院進学→メーカー入社』みたいな、
早いうちに将来設計して、目的や夢から逆算して何を学ぶか決めて進路選択して、しかも人生の大半の時間を勉強かスキルアップに費やしてきたような人からしたら、マジで文系学部卒の人生って意味不明なんだろうな。
ましてや、俺みたいにクソ適当に生きてきたくせにもっと上のステージに君臨してる人間とか怪奇現象なんだろうな。
他ならぬ俺も自分自身の人生を省みて日本ちょっとおかしくねえか?とは結構本気で思ってる。
もしかして身長って現代上流階級の世界行くうえで超大事だったりする?
自分は188cmあるからもしかしたらこの要素デカかったのか?と結構本気で考えたりしてる。
【追記】
しっかりしてて1年目で窓際50代のおっさんを即効で超えちゃうような後輩には結構恨まれてました。
本当に全部仕事ぶん投げていたので。
出身大学は最近スキャンダルになって一時これ以上ないのではというほど評判が落ちたあそこです。(【追記】早慶って決めつけてる人まあまあいて俺の過大評価され力すげえなと思った。ニッコマです)
>当たり前の話だけど内燃機がなくなったら無くしただけでいいわけじゃない
>日本が有意なものを捨てて外国から買うようになるから日本の雇用が失われるという事
e-axleとバッテリは、EV化で失われるだけの雇用を生み出すことにはならない、って書いたじゃん。どっちも内燃構成部品に比べて圧倒的に資本集約型の生産設備で作るパッケージ度の高い部品だから、そうなる。国外流出で雇用が減るって話はしていない。純国産EVでも雇用は減る。
実際e-axleは国産いっぱい出てるよね。日本電産とかジヤトコとかデンソー(ブルーイーネクサス)とか。旧系列系がe-axle作ってる企業(トヨタと日産)はそこから買うし、そうでないメーカーは電産から買うだろう。バッテリは国内だとパナとトヨタがやるしかなくて、実際やるって言ってる。でも、どっちも、今までの内燃が生み出していたビジネスボリュームを埋め合わせることにはならない。
あと、EV時代のECUは、多数のチップでやってたのを3チップ程度に高度に統合する路線なので、これも関連雇用は減る。熱マネも同様に統合型に持って行ってるので、これも関連雇用は減る。メガキャスティングも圧倒的にボディ部材の点数や工数を減らす。この3つは全部テスラがはじめて、中国勢もトヨタも追従してる路線。
おれはテスラの作る車は別に好きじゃないし、今後買うこともないだろうけど、テスラが乗用車製造においていろいろな生産革命(e-axleのパッケージ化、統合ECU、統合熱マネ、メガキャスト、アンボックスド・プロセスなど)をぶちこんで、今後のクルマ作りのあり方を変えたのは事実(この中にはEVじゃなくてもできたこともあるけどね)。その方向性は、基本的にはモジュール化と総部品点数削減と無人化。自動車部品のうち内燃ベースの駆動システムに紐づく部品類(エンジン部品+駆動・伝導・操縦装置部品)の割合は35%程度と言われている。ここがごっそりなくなって、生産自動化に好適なe-axleとバッテリに置き換えられていく。こんなん、安くならないわけないじゃん。
こういう、女性はその性別があるから抑圧されて当然だ、自由があると思うな、と主張を述べて同意する人がいる恐ろしさを社会が孕んでること自体が苦痛。
権利とか言ってる時点で女を下に見てちんちんついてるだけでど昆虫並みの脳味噌でも偉いという発想とその追従の同意意見、男様が幸せになる為には女性蹂躙も致し方なしですか。両性が普通に余暇を余暇として楽しめる社会の方が生産性も高いけど頭悪いからそこには至らない?
性別が財になるという発想自体がミソジニーの顕著たるもので、その財を持って本物の財のように得になることなんか一つもないんですわ、安い仕事では更に安く差別されるとか受験に受かっても操作されるとか。
それこそ、ソロキャンもろくにできないくらいの不自由な世界を甘んじて生きろとかミソジニーでもないとできない発想で、そんなお前が呼吸してこんなこと書いてるのが苦痛。
「男性は女性にとって、ゴキブリとハイエナを足して二で割ったようなものに見えていると思っておくくらいが丁度いいんです。 」か。
学年に1クラスだけある特殊な科で、クラスに男は俺一人だった。
最初はからかわれたりキモがられたりという感じだった。たった一人の男子なんだからそれはまあ仕方ないと思っていた。
しかしそれは次第にエスカレートしていき、気づけば俺は女子数人からなるグループに完全にいじめられていた。
俺につけられたあだ名は「ゴキブリ」だった。理由は髪がツヤツヤでキモいからだ。
「ゴキブリはキモい」というのは俺がキモいということだったし、「 ゴキブリを殺したい」というのは俺をそうしたいということだった。
当然いじめがゴキブリ呼ばわりだけで終わるはずもなく、蹴られたり持ち物をグチャグチャにされたり土下座させられたりの毎日が続いた。
クラスの他の女子はいじめにうっすら同調していて、積極的に何かしてきたりはしないものの、いじめグループが俺を罵倒したり踏んだりしたらそれを見てくすくす笑う、何なら追従して馬鹿にしてくる、という感じだった。
そして学年にこの科のクラスは1つだけなのでクラス替えもない。3年間一緒だ。
結局俺は2年の途中で退学した。
最後までいじめの事実は誰にも伝えられず、ただどうしようもなく無気力で学校に行けなくなったクズということになった。
女性と電車で一緒になるのも耐えられないし、コンビニでレジ打ちしてもらう程度でも無理だ。
いじめてきた奴らと目の前にいる人間は違うと頭では分かっていても、その口から「ゴキブリ死ね!」という言葉が飛び出してくるビジョンが反射的に頭に浮かんでしまう。
当然外に出るのが恐ろしくなり、俺は引きこもりになった。
それでも何年か経つ内に傷も癒えてきて、少なくとも以前のように女性を見るだけでその場にしゃがみ込んでしまうようなことはなくなった。
社会にも徐々に復帰していける、と思っていた。
そこで冒頭の言葉が目に入った。
見知らぬ人間が突然肩を組んできて、「お前は女性から見たらゴキブリ野郎なんだ、そう思っておけ」 と耳元で囁いてきたようだった。
俺は吐いた。それはあまりにつらすぎる。
俺はこれからもすれ違う女性全員からゴキブリ扱いされている、とそう思いながら生きていくのが「丁度いい」 のか。
ソロキャンプ中にしつこく付きまとわれたら恐ろしいだろうな、迷惑だろうな、というのは理解できるし、そんなことをする人間はろくでもない迷惑者だ。
女性の身になって考える、というのは俺にとって女性が縁遠すぎて難しいが。
件の言葉も、そんなことして好かれるわけないんだからしつこくつきまとったりするなよ、という事を言いたいのだろうというのは分かる。頭では理解している。
全固体電池は眉唾(これまでもずっと「数年後に実現」と言いながら全くロードマップが進んでいない)だから今回はスルーするとして、遂に来たかというのがメガキャスト(ギガキャスト)。
モノづくりの軸では、車体を3分割の新モジュール構造とし、ギガキャストの採用で、大幅な部品統合を実現することで、車両開発費、そして、工場投資の削減にも貢献します。さらに自走生産の技術で、工程と工場投資を半減します。
https://global.toyota/jp/newsroom/corporate/39288466.html
ばかでかい金型を使ってアルミのダイカストでフレームを一体成型する、テスラがいち早く採用し、他社も追従している技術(テスラは「ギガプレス」、他社は「メガキャスト/ギガキャスト」と呼ぶことが多いが、同じこと)。今までは複数パーツの分かれた鋼材部品をスポット溶接でやっていたのを、一発で作れる。当然コストも製造期間も激減する。
「メガキャスティングなんてちょっとぶつけたら溶接で直せないクソみたいな技術」
「トヨタみたいなクルマ作りを分かってる企業がメガキャスティング採用するはずがない」
とさんざん息巻いてた人達は何だったんだろうかと思う。
トヨタを擁護する人達が良く言ってた「たとえ後発でも、トヨタのパワーで追いつけばイーブンで何も問題ない、EVだけにベットするよりその方が戦略として良い」みたいな話、あれは「後発」側がどれだけのディスアドバンテージを背負うか分かっていない。テスラはメガキャスティング導入に伴って、トポロジー最適化シミュレーションで構造的にリブやトラス構造などの変形部を持たせてクラッシャブルゾーンを確保するための特許を多数持っている。こういうノウハウを知財化できることは先行企業の特権で、この関連特許は、トヨタ他、今からメガキャスティング導入にトライする企業にとって重い足枷になるだろう。「トヨタは全方位戦略、EVが主流になるなら後から総取りすればいい」みたいなことを言ってるうちに、こうなってしまった。
これからこういうことがどんどん増えるんだろうな。
俺は「どんな害があるか言ってみろ」って言ったんだぜ?
トラックバックなどを精査したが
lacucaracha さん
匿名の返信は筆者を悪魔化しているが、しかし自説を誠実に答えた lacucaracha さんを筆者は追い込んだりはしていない。
にも関わらず、追従する人は現れない。
…などなど、話を逸らす人々ばかり。
賭けてもいいけど、悪意があるからそーしてるんじゃなくて、
でも人間は完璧にはなり得ないから、他人を説得できるような理屈をつける必要がある。
性のモノ化を題目に規制を推し進めるなら、それがメイントピックにならなきゃいけない。
何が性のモノ化に当たるのか、どうしてモノ化が悪いのか、…
モノ化にどんな害があるのか。
なんか少子化がいよいよ進んできたという現実がアホのはてな民にもようやく認識できたみたいだが
所詮はアホのはてな民なので、少子化が各国政府の政策の「成功」だっていう大前提を認識できてないので割と驚く。
前世紀末、とくにローマクラブ以降の流れで人類にとっての一番の危機は人口爆発による環境破壊や破滅的戦争リスクってことになり
各国政府や産業界の上層部は少子化の流れを作って官民は粛々と従った。
それはいわゆるグローバルノースの先進国だけでなく、一人っ子政策の中国や不妊化手術のインドをはじめとするアジアなどはユースバルジによる政体崩壊リスクを鑑みてむしろ先進国より積極的だった。
南米はキリスト教やらなんやらで抵抗もしたが、欧米からの支援の見返りと脱貧困化のため避妊キャンペーンを地道に推進、その甲斐あって立派に出生率2を切った。
人口抑制に成功しなかったのはアフリカぐらいだが、これはただ単に政府が人口抑制政策を成功できないほど崩壊していた地域が多いというだけの話で
その他の地域も要するに「少子化政策を行って成功した国」と「少子化政策を行ったがうまくいかなかったorまだ顕著な効果が出ていない国」でしかない。
日本はもちろん日本人口会議を作って「子どもは2人まで」という大会宣言を採択して非常に早くいつもの欧米追従を行い、世界に先駆けて少子高齢化社会を作り上げた優等生だ。
だから最近人気の、「政策を失敗したから人口が減ってしまったんだ!」「○○世代を棄民したから失敗したんだ!」みたいな、はてな民大好きな失敗ポルノはマジでアホとしか思えない。
それらは全部「ちゃんとエリートがまじめに計画してやったこと」「成功」なんだよ。現実を見ろ。
さらに言えば、彼らの認識は現在もそこまで変わっていない。SDGsなんかもEU主導なのも含め完全にローマクラブの世界観の延長線上にある。
日本でも少子化がヤバい!と言いつつ、本当に人口が増えるような政策は全く推進されていない。
やばいやばい言っているのは少子高齢化で介護や短期労働者などの奴隷身分が一時的に足りないというだけの話で、特定技能2号の拡大などが回答になる。
当たり前の話だ。世界人口増やしたくないけど労働者は欲しいってんなら移動させるのが当然の解決策だ。
というかそもそも論として、人口増加そのものをを望んでいる奴はマジョリティではない。
子供を持ちたい夫婦は自分の子供を持ちたいだけであり、社会資源獲得競争の相手である他人の子供は別に増えてほしくない。
独身こどおじこどおばは自分の世代の恨みを社会にぶつけたいだけで赤の他人の子供にお金を払いたいというのは逆張りで言っているだけが大半だろう。
すでに子供を作り終わった夫婦は安い食事やサービスや介護のために外国人移民と自国民が労働者として競争してくれたほうが嬉しいだろう。
若者だって面倒くさいし褒められない子作りをしたいのは少数派だし、その少数派だって愛情を注ぐ対象の子供は1,2人でもう十分だろう。
こういった人々の利害調整の結果、「政策」として少子化が日々推進され、それに官民を挙げて世界中で「実現成功」しているのが現代の少子化だ。