はてなキーワード: ヤンサンとは
これだけは明言しておくけど、正真正銘、自分は今回のヤンサンの記事しか書いてない。
今までの記事を書いた人に先を越されないかヒヤヒヤしながらアップした。
こんなこと隠したり嘘ついても何のメリットも無いから、信じてくれ。
もし、セレクションの傾向が似ているように見えたとしても、それはたまたまかと。
その漫画家のピークをどこに定義するか、というのは確かに面白い視点だけど、自分は作家の中のピーク作品という視点ではあまり見てなくて、漫画史における重要性で選んでるだけ。
ベスト5も作家の中のピークという視点では考えずに選んだんだけど、正直に言うとヤンサン創刊初期の頃は購読していなかったので、意図せずに後期の作品に集中しがちになっているのは言い訳しておく。
だから、例えば初期の看板作家である原秀則のマンガ史における重要性や独自性が、今いちわからないというのもそのせい(例えば村生ミオのように、ベテラン勢だがどこか凡庸に見えてしまう)。
ヤンサンだけは、当時欠かさず購読していた俺が書かないと、という義務感から書いた。
異論は受け付ける。順不同。
この作品を世に遺せたことだけでも、ヤングサンデーという雑誌が存在した価値がある。世界規模で暴力と正義を等価値に描いた、怪作にして超名作。マクロな視点のテーマ性や劇的なストーリー展開と、市井の人々のエゴをディテールたっぷりに描いたミクロな視点の描き込みの両立が天才的。「宮本から君へ」はモーニング連載だが、この作者で一作だけ選ぶならこれだと思う。
「のぞき屋」の頃から片鱗が見えてはいたが、変態的なキャラクター造形と淡々とした描写が素晴らしい。そして前作からの画力の進化にも驚く。海外でも評価が高い。この作風はスピリッツ連載の次の怪作「ホムンクルス」へと繋がっていく。
ヤンサンは、山田玲司を育てた雑誌でもある。個人的には『アガペイズ』の方が圧倒的に好きだが(最高傑作だと思う)、知名度や重要作品としてはこっち。オタクがモテ男に変身していくHowToマンガの側面もありつつ、純愛を志向することでバブル期の軽薄な恋愛観へのアンチテーゼになっているメタ的な作品。ちなみに作者はヤンサン廃刊後、「山田玲司のヤングサンデー」という人気のYouTubeチャンネルを運営していて(後から出版社公認に)、マンガ評論がかなり面白い。
共著の「サルまん」を除けば、これが相原コージの最高傑作だと思う。白土三平的な王道忍者マンガと、「勝手にシロクマ」「コージ苑」的な不条理ギャグと、「サルまん」的な実験的アプローチとを高度に融合して、両立どころか鼎立させた奇跡的な作品。
遊人は、青年誌エロマンガにおいて未到達だった性表現の境地を切り拓いたので、漫画史的にも取り上げる必要がある。散漫なストーリーはともかく、今見ても女の子の絵が抜群に上手いし、性的描写のお下劣さが限界突破している。新宿の風俗店にイラストが無許可で使われ続けてて可哀想。
最初はベスト10作品にしようかとも思ったが、逆に絞るのが難しかった。
冬物語、シーソーゲーム、SOMEDAYなど。ヤンサンの看板作家だとは思うが、これといった新規性は感じられない。
どれも安定した名作揃いで、ほぼ外さないのが凄いのだが、逆に言うとヤンサン時代には、まだ突出した作品がない。
他誌で『ブラックジャックによろしく」があるからなー。名作だが、ドラマ化されるまでは割と知られていなかった。
アオイホノオ、おやすみプンプン、Dr.コトー診療所、クロサギ、イキガミ、土竜の唄などの名作・人気作が、廃刊と同時に他誌へと移転している。本当に、こんな良い作品が集まってた雑誌を廃刊にするとか、何考えてんだよ……。
よくある不条理ギャグと思わせつつ、後半からの哲学的なヤバい展開。しりあがり寿の弥次喜多に通じるところがある。
長尾謙一郎の作風は、ヤンサン以降の「ギャラクシー銀座」などで完成されたので入れなかった。
ちなみに作者は、最新作ではギャグを完全封印して、爽やかな青春空手マンガ「三日月のドラゴン」を書いていて、これもめっちゃ面白い。
前身の「少年ビッグコミック」からの移籍だし、代表作は他誌で『あずみ』があるからなー。
ここは、かなり迷ったが、入れなかった。作者で入るとしたら、「へうげもの」「望郷太郎」かな。しかし、とんでもない傑作SFになる可能性を秘めていた度胸星を未完結で打ち切った当時の編集部の罪は重い。
喜国雅彦は独特すぎて扱いづらい……。「月光の囁き」はシリアス路線で作家史的には価値があるが、基本的にギャグ漫画。どうなんだろう。
忘却のサチコでブレイクした阿部潤、帝一の國などで知られる古屋兎丸、さそうあきらなども、漫画家としての初期は、この雑誌で育てられたという印象が強い。
https://anond.hatelabo.jp/20241023001913
ツリーを見てみると週刊チャンピオンやあろうことか少女漫画を一緒くたでまとめ切った方もいらしてすごいなと思いつつ、自分が愛読している雑誌で自分の手でどうにか出来そうなのはどこかな?と考えた末に選んだのはこの雑誌でした。
自分が読んだ時の実感と漫画史においての位置とこの雑誌の不遇というか地味というか中途半端なところを捉えつつ僭越ながら書かせていただきます。
この雑誌の創刊から連載されているレジェンド。中居正広がごきげんようでSMAP内での格差をボヤいてすぐに企画されたテレビドラマでも知られている、あともう少しで40年というロングセラー。
初っ端で辻調服部に喧嘩を売ったり最近ではマナー講師を血祭りにしたりするが普段は素朴な和食職人物で『江戸前の旬』をはじめ青年誌に多数のフォロワーが。
ストーリーテリングが下手なので先輩後輩が突然消えたりするがそれも意外と飲食店あるあるなので気にならないという奇跡。最近再遊記の久部さんが合流したのでもう少し話が落ち着きそう。
ヤングサンデーで武田鉄矢と組んで坂本龍馬を描き切り名実ともに小学館巨匠漫画家のひとりへ。『おーい龍馬』のときでもたまに見せる残虐シーンの迫力にただものではない雰囲気を出していたがスペリオールへ移籍した今作でリミッターが脱落。
英雄とされた数々の武将たちやその配下の忍者、刺客その他が凄腕のスナイパーである無垢な美少女あずみの手によってどんどん殺される。味方もモブも平等に斬られて命を落とす。そしてちゃんと血みどろに表現する。
そしてこのあずみという美少女、無垢という設定の元よく全裸になる。修行の滝行で全裸。お風呂で全裸。戦って切り刻まれて半裸。よく本番やらなかったな。作者の好みがそっちじゃなくて良かったな。(当時実写主演が決まってた上戸彩に過大な期待と心配があったという)
実写化も落ち着き人気が下火になったなと思ったら話をまとまらないまま終了。突然題名が『AZUMI』舞台が幕末となる。というよりは舞台は前作『おーい龍馬』の世界に入りあずみはついに…(これは読んでくれ)
小山ゆう恐るべし。今ビッグコミックで描いているけど大丈夫かな……。
天才原田の「イエース!!」が話題になりついにこの作品がこの雑誌の看板まで登り詰めた。だって最初の頃このマンガで一番目立ってたキャラクターは藤本くんでも佐倉さんでもあの芹沢達也でもなく「ラーメン王石神秀幸」だったんだから。化けたよホント。
オーソドックスな主役藤本くんの成長譚だった発見伝の次に「誰も共感できない天才」ゆとりちゃんを主役に据え上司芹沢の苦労を引き出しラスボス芹沢とは違った側面を引き出したのも憎い。『銀平飯科帳』(たまには新作書いてください)を挟んで再び出てきたときには芹沢達也というキャラクターが完成していた。その間に脇のキャラクター造形が一段と深みを増し(永友とか坪内とかよく考えついたな。モデルが誰だろう…)現在にいたる。
麺一郎・汁二郎・具三郎のあとどういう風に物語を作っていくのか、ちょっと目が離せない。
トリリオンゲームと迷ったが池上遼一の「ストレート」を分かっていないと「魔球」が分からないということでこの作品を。
ヤクザと政治家という表裏のサクセスストーリーを同時進行に描き10巻という巻数でまとめ上げた手腕が見事。
マイケル・クライトン原案の『ER緊急救命室』がブームとなり医療もののドラマやマンガが作られたが程よいエンタメ性とキャラクター造形の上手さで最大の影響を与えた作品。2006年の実写化ドラマ化からフォロワー作が目白押しとなる『コードブルー』から『ドクターX』に至るまで医龍が無ければ存在し得なかったと言っても過言ではない。
もともと他の小学館の青年誌に比べて年齢層がなかなかはっきりせず漫画家が集まりづらかった。転機はヤングサンデー休刊によって作家がここまで辿り着いたことだと思われる。
今回選べなかった作品は以下の通り
岡崎さんの話より自分語りの方がやりたそうな感じがずっとあったが、本当に岡崎さんと仲が良かったのかねえ?
きれいなサイバラ。まあ少しずつキレイなままでいられないところがチラホラ。
汚いサイバラ。画力勝負は羽海野先生を担ぎ出したのが最大の功績。高須のアレはもうすでにギャグですらならなくなった。クマでごまかしているが細かく見るとさあ。
哲也の頃から星野先生の眼がたまらない。ヤバい人の描き方いつもすごいよなあ。森高先生はグダるクセどうにかして下さい。
星里もちるがギアに入ったのがスペリオール時代。特に『本気のしるし』は凄かった。凄かったけど選びたくない。あとこころ掴まれたのは『夢かも…』の方。
すごい作品ですよ。よくこんなの描けるなと。これからどう評価されるかちょっと分からないけど、選びたくない。そういう作品なので覚悟を。
モーニング、ヤンサン、スピリッツで傑作をものにしながらここは合わなかった。
最悪の想像をしながらコタロー中心にコミュニティができてくるし現実の苦さが時々感じるのもいい。結末もベストじゃないけどそれしかないのかあという納得も。
書いていたはずなのに抜けてて顔面蒼白に。とはいえギリギリ次点なのは吾郎と理代子の性的な強さについて行けなかったのと第二部になってから長官になり責任に押し潰されつつある吾郎のキャラに違和感を感じて。
サンダーボルトもすごい作品だしムーンライトマイルで培った描写力が生かされて思わずため息が出るのだがこれはファーストガンダムありきなんだよなあと。
芥川・直木同時候補はさすがに冷ややかになる。曽田正人や細野不二彦ならある程度カタチを見せるけど『龍と苺』もそうだがサンプルの出し方が下手。
身体のことは多分どのサッカーマンガより知識量が多い。だからプロ選手からの支持が大きいんだろうな。下部リーグにしては上手すぎるのはご愛嬌か。
これはこれから。『覚悟』や『シグルイ』とは別の話の流れが見えるのが頼もしい。
佐村河内サイドからもう一度盗作事件を掘り起こすつもりだったのに聴覚障害について触れていくうちにいろいろ見えてくることに。それでも佐村河内夫妻はひどいけど。
ジャンプでやった増田(https://anond.hatelabo.jp/20241012181121)に触発されました。30年近く愛読…というよりはたまに頭を傾げながらずっと読んでいるビックコミックスピリッツ誌から独断と偏見で漫画史や社会への影響を考えて5作品をセレクト
同じくランキングではなくて連載開始順に並べました。
高橋留美子の最高傑作にして恋愛マンガにおける最重要作品。初期のスピリッツはスピリッツという雑誌名よりも『めぞん一刻』で一般的に知られていたという。
最初の頃の響子さん、可愛くも何ともなかったのにねえ。回を重ねていくうちにルックスはかわいくなって性格は反比例するように嫌らしくなるという。
こちらは料理漫画における最重要作品。料理人を主人公からあえて外すことで「料理以外の食べ物に対する多面的なアプローチ」に成功した。
山岡士郎と海原雄山という日本漫画イチ有名な親子で知られているが読んでみるとキャラクターより原作者の方がうるさいうるさい。しかも全く調べていないのがミエミエ。衝撃的だった現時点最終話は雁屋哲の限界が露呈してしまったんだろうなあと。
連載休止直後編集部の企画で花咲さんは『のぼうの城』のコミカライズを担当したが…。食べ物は上手い方ではあるが。
柔道さらに格闘マンガといえば各スポーツマンガの中でも特に汗と男臭さが強いという伝統があったがそれを江口寿史と大友克洋とのハイブリッドな画風で遥か彼方まで吹っ飛ばした。いきなり巴投げのパンチラというね。
社会的影響でいえばこの作品以上の作品はない。何せ谷亮子というモンスターがこの影響で出現してしまったのだ。あとこの後浦沢直樹はちゃんと物語をたたむことができなくなるのは余談として。
そりゃ相原コージ『コージ苑』も偉大な作品であるし中川いさみ『クマのプー太郎』も名作ではある。とはいえ実際2コマ目に「ねたみ」というプラカードを持ったカワウソくんを見たときの衝撃が忘れられない。下ネタもダジャレも少なくて笑いと恐怖の紙一重をずっと行き来する新しさ。
ファミ通の『はまり道』サンデーの『ちくちくウニウニ』ときはそこまで感じなかったしその後の『ぷりぷり県』もそこまでの凄さはなかったが『伝染るんです』はやばい。
今のサイバラを見ると悲しくなる。高須克弥の人となりが白日になった今、高須クリニックのCMの痛い姿とか気持ち悪いし娘さんの事とか鴨ちゃんのこととかいろいろ足蹴にして今を生きているのも胸糞悪い。そんなクソババなのに『ぼくんち』はやはり歴史に残る傑作なのだ。
時々一太のことを考える。連載が終わって25年ぐらい経ってもだ。そして誰もいなくなっても二太は笑ってくれた。この話は多分その事だけを描いた作品だけだったかもしれん。だけどこの頃のマンガの中で1番涙を流した作品だった。
一応5作品に厳選したが意外と異論が少ないのではないかと思う。というかこの雑誌これらの作品から「ちょっと惜しい」作品がやたらと多すぎる気がする。
今回除外した作品
知名度や社会的影響は大きいだろうがこれはマンガ単体の評価じゃないし最近どんどん画面が汚く下手になってるのが気持ち悪い
唯一無二のアート漫画。とはいえ『猿飛』『ガンモ』ほどの知名度がない。村上隆に対する批判はマンガ界でもアレが許せない人は多数いるんだなという感想に。
『ナニワ金融道』は偉大だなと読んでて思う。多分真鍋先生と青木先生は合わないよなあ。
悩んだ作品その1。国民的アニメになり損ねたアニメも含めていろいろ惜しいし最終回も唐突に終わった記憶がある。お姉さんに似てたお母さんが年月を経るに従って今のお母さんになるというシーンに腹を抱えて笑った記憶。
悩んだ作品その2。とはいえここに書いておく事が中崎さんらしいと。定年迎えて連載辞めてもう絵の道具さえも捨てられていらっしゃると聞いて少し茫然としてた。
弘兼憲史より嫌いだし苦手。原作ドラマも含めてなんで受け入れられるのかが分からない。(『東京ラブストーリー』は坂元裕二が整えたので作品になった)それでもあすなろはまだ読める。しかし続編を最近描いたときはクソババアふざけんなという感想に至り。
レースを真正面から描いた黎明期の傑作。とはいえキャラクター造形の途中で削ってきたテーマを集めて煮込んだ『ICHIGO二都物語』の方が面白いのには…。
初回が見事すぎたし、連載開始のときわざとタイトル載せなかったのは反則だよなあ。あと実は『いいひと。』の方が好きでフジテレビふざけんな。
実は次点作を書いていた途中でUPしてしまったしトラバとブコメで記述もあったので次点の続きと言われた作品や言及があったものについて。
忘れてた(その1)ただし僕がなあばす派(学研派)だったことが主な原因かと。なあばすでの耕平ちゃんはすんごい丸くなっちゃったし。
こっちは次点として書く前にアップしてしまったので。しかしながら多分これがなければ実録系マンガもエッセイマンガもマンガ批評もなかったから歴史上重要な作品ではある。
入れ替わるなら『ぼくんち』なのは激しく同意。好みの問題というかボクの責任で
これは『伝染るんです』で言及した通り僕の思い入れの差で選ばなかったという。あと相原先生の最高傑作は『ムジナ』だと思ってます。
江口寿史アンド望月峯太郎ミーツ島本和彦という鬼才。絵がキレイな人ほどかっこいいブサイクが描けるという証明。ただ僕より上の人の方が思い入れが強い気がする。
不条理ギャグブームの最中にあってその中でも素直な笑いを提供していた印象が強いし、最近のマンガ製作マンガがすごい面白かった。歴史的ではないけどいいマンガです。
個人的な感情で言えば大好きなマンガ。いずみちゃんで性癖が壊れたしウチの妹は不破くん推しだった。あ、あと『結婚しようよ』もビターで好き。
『哭きの竜』と『昭和天皇物語』のちょうど中間点に位置する作品。中原誠のその後を予期したような描写や谷川さんからクレーム出ないかなと思ったキャラ造形が良かったがその後に羽生善治が出現し現実が超えていったのには閉口。
この人ここでも大きな足跡を残してた。『宮本』『ザワールド…』に比べると知名度は薄いがキャリアを決定づけた名作。ばあさん描かせるとエグいよなあこの人も。
忘れてた(その2)『あしたのジョー』の模写もすごいが『キャンディキャンディ』を完全模写したのには戦慄が。
長期連載化し始めて逆に評価が難しくなった気がするのは俺だけか?ダレないのがただただすごい。
近年のスピリッツを支えていたと言っても過言ではない極めて真っ当なスポーツ漫画。
ロードス島戦記と間違えて塩野七生の『ロードス島攻防記』を読んで、そのままズブズブとヨーロッパ史へと行った人向け。このあと阿部謹也『ハーメルンの笛吹き男』が待っておる。
いやだから例えば『まことちゃん』と『漂流教室』どっちがすごいか選べるか?というと。
アイアムアヒーローはその中でも抜け出すかなあと思ってたがなあ…。
土竜はちょっと続きすぎた気もするし他はそのままヤンサンで全うできたはずマンガだからスピリッツの評価に繋がる訳ではない。
ちなみにスピリッツが死に水を取ったマンガとしてはクロサギとイキガミ以外に『ブラックジャックによろしく/佐藤秀峰』がある。
『シャカリキ!』『め組の大吾』から読めばこの人が本当に描きたいものは天才なのは分かる。ただ同時連載には向いていない。他連載の犠牲になったような終わり方。
じっくり野球を描くというタイプではないことに気づくのが遅かったなあ。『冬物語』『部屋においでよ』の方が資質だったと今思えば。
大塚英志と長崎尚志ならどっちの方が害悪なんだろうか。Happy!だって話を途中で下方修正してたぞ。
着眼点は早く『恋に落ちたシェイクスピア』よりだいぶ前。結局話をまとめ切れずヤンマガに復帰。ただいまは休載
こういうテーマのときに真っ先にダシにされる作品。しかも終わり方が『代紋take2』と全く同じという。その後『坂の上の雲』のトレースに失敗する。
わりとみんなコッソリ始める人が多くて全然知られてないし知られたくないのかもしれないけど、知りたいから教えて。かわりに知ってるのまとめる。
CLAMP4人がラジオ形式でいろいろ喋ってる。Xのスペースとは別。普段の生活が垣間見える。
数本の動画投稿で終わっているが超レジェンドインタビューが載っているので一度見るべき
■浦沢チャンネル
日常などで知られる作者のとんでもないクオリティの自作アニメがアップされてる
■VRYOG
横山裕二の公式チャンネル。十勝ひとりぼっち農園読んでる人は必見
とりあえず勢いで始めてるけどしっかりとした番組。勢いが凄い。山田玲司のヤンサンがサポートして始めた
■大童澄瞳
映像研には手を出すな!の作者がイケメンVTuberになってライブ配信などをしている。漫画家はVTuberになる時代
■石田衣良
石田衣良の番組。いろいろな内容があるが各著名作家へのインタビューが面白い。賞予想なども
■AkubiLR
一見しても誰のチャンネル?って感じの森博嗣チャンネル。なんと2009年からある。日々製作している庭園鉄道の記録が載っている。
https://anond.hatelabo.jp/20230326003519
の続き
https://www.marymond.jp/post/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E5%A4%A7%E5%88%87%E3%81%AA%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B :<マリーモンドからの大切なお知らせ>]
マリーモンドを応援してくださっている皆様、ありがとうございます。
既に韓国では公表されているのでご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、マリーモンドは2021年11月をもって、活動を休止することになりました。
マリーモンドは2013年に韓国の若者たちが立ちあげました。「慰安婦」にされた女性たちの尊厳を取りもどすために、一人一人の人生を学び、彼女たちを象徴する花を選び、その花をモチーフにしたアイテムを販売し、その利益を「慰安婦」問題の教育や支援に寄付していくというスタイルで、多くの人々に支持されるブランドとして成長してきました。また、その活動は「慰安婦」問題にとどまらず、児童虐待の被害者支援、性暴力被害者支援へと拡大し、暴力のない、人権が尊重される社会を実現するために行動する企業として歩みを進めてきました。
2018年にマリーモンドジャパンをたちあげ韓国の運動に連帯してきた私たちも、今回のマリーモンド本社の活動休止を、辛く悔しい思いで受け止めています。
マリーモンドが休止に追い込まれた背景には、フェミニズムに対するバックラッシュ、人権や平和を守ろうとする運動に対するバックラッシュがあります。「慰安婦」問題に取り組み続けてきた団体への理不尽な攻撃や、メディアによる誹謗中傷にも関係者は苦しめられてきました。それはマリーモンドが継続できなくなるほどの力となっています。
そのバックラッシュの空気は、「慰安婦」問題に関わり続けてきた私たちには痛いほどわかるものです。だからこそ今、韓国のマリーモンドが切り拓いた希望や、意思を絶やさずに継続させ、韓国との連帯の意思を表明するための取り組みを、日本から発信したいと思います。そのため2022年以降、当面の間、マリーモンドグッズの販売は日本を中心に行っていきます。
(略)
新しい商品の制作の準備や、韓国の休止に伴う商品の整理などにしばらく時間を要しますが、これからのマリーモンドジャパンの活動を、多くの方のご協力をいただきながら進めてまいります。韓国のマリーモンドと共にある、これからもある、という思いでブランドを大切に守っていきますので、今後ともマリーモンドを一緒に育てていっていただけるよう、心よりお願い申しあげます。
マリーモンドジャパンは2018年12月にはじまりました。3回目の冬は、すこし寂しいお知らせになってしまいましたが、新たな出発の月にもなりました。
皆様への感謝を込めて、ポップアップショップ・セールを開催します。東京と大阪で同時開催です。ぜひ皆様、ポップアップショップにいらして下さい。
ところが法人が解散してしまった。するともう韓国のマリーモンドどころか、人身取引組織の支援者である希望のたね自体も再生が課題となってしまった。
JudyさんはTwitterを使っています: 「@himasoraakane @YouTube 「あの団体」御一行様ですが… 3月22日 正義連の水曜集会に参加していました。 https://t.co/okcohd1eWW」 / Twitter
https://twitter.com/SXMKPQtD7a4OB2F/status/1639586449044672512
このツィートは確認した
23.03.21 16:32l最終更新23.03.21 16:33l
ユン・ソンヒョ(cjnews)
希望種子基金日本青年たちは3月20日に陽山を訪れ、「キム・ボクドンの道」を通った
日本の青年たちが日本軍「慰安婦」被害者であるキム・ボクドン(1926~2019)、祖母の慶南(キョンナム)量産生家を探して22日、ソウルで開かれる「水曜集会」にも参加する。
21日、キム・ボクドン平和公園陽山市民推進委員会(下記推進委)は、希望のたね基金(代表ヤン・ジンジャ)が日本の青年20人余りと一日前日(20日)の陽山を訪問し、「キム・ボクドンの道」を歩いて関連活動を行ったと明らかにした。 。
2017年6月に日本で結成された「希望のたね基金」は翌年から韓国で青年ツアーを進めてきている。 コロナで中断されてから3年ぶりに日本の青年たちと一緒に訪れたのだ。 この団体は2015年慰安婦関連した日韓合意以後、日本で「若い世代に事実を正しく知らせよう」という趣旨で結成された。
「キム・ボクドンの道」は、メギドゥル村学校で量産を人文学の観点で体験するために開発した地域化教育プログラムの一つで、キム・ボクドンおばあちゃんの生家から小説<スラド>の中の日本軍慰安婦共出場所である土橋まで続く区間だ。
特に非営利団体の「キム・ボクドンの希望」が民主化運動記念事業会とともに昨年10月末に「キム・ボクドン希望学校」を開き、量産を訪れて「キム・ボクドンの道」を回答しながらさらに知られた。
ヤンジンジャ代表は「コロナ19で青年期が中断されている間に状況が変わった。 なくなった」とし「これまでおばあちゃんたちはずっと帰ってきて、もう直接会える方を見つけるのが大変な状況になった」と話した。
ヤン代表は「生存者に会えない世代として記憶を継承していくためにどんな活動をしなければならないのか考えなければならなかった」とし「そんな中、「キム・ボクドンの道」の存在を知り、記憶を継承する良い事例だと思った」と付け加えた。 。
青年たちはこの日ソウルからリョウサンに来て、推進委執行委員・会員たちが出て歓待した。 パク・スヨンさんは、金の祖母の生家で故人の生涯を日本の青年たちに聞かせた。
当時通っていた住民も関心を見せて応援した。 参加者たちはキム・ボクドンおばあちゃんも歩いた道に沿って量産南部市場サムジ公園に移動した。
サムジ公園には日本軍慰安婦被害者を称える「少女像」がある。 推進委はここで「金福洞平和公園、平和の少女像」を市民の手で作ろうとする意義と進行経過を話した。
この時、日本のある青年は「どんな力が市民をこう動かせるか」と尋ねた。 これにイ・ホンスさん(ヤンサン)さんは「あまりに遅く分かるようになったごめん」とし「キム・ボクドンおばあちゃんの訃告」を新聞で報告書だと量産での日本軍慰安婦の病気の歴史を知ることになってごめん、故郷で一緒に戦わずキム・ボクドンおばあちゃんだけ 苦軍奮闘させた申し訳ない」と答えた。
続いて参加者たちは春秋公園にある春秋園寺を訪れた。 ここはキム・ボクドンおばあちゃんが1947年帰郷して壊れた体と心を療養したところで、おばあちゃんが療養される前には母親が石火を持って置いて引かれた娘が無事に戻ってくるためにいつも訪れた場所として知られている。
当時、キム・ボクドンおばあちゃんの母親が持っていた石仏は、まだ法廷の隅にある。 日本の青年をはじめとする参加者たちは石仏の前にお寺に参拝もした。
イ・ジヤン執行委員長は「切る姿は痛みを一緒に覚えている人々の切実な祈りだった」とし「春秋原師を出る道には天理香の香りがいっぱいだ。 同行する私たちの心が天理万里に広がり溢れることを望む心だったはずだ」と話した。
希望のたね基金青年ツアーは最後の場所として通道士白蓮がんを訪れた。 ここにはキム・ボクドンおばあちゃんが立てた石などがある。 彼女は1992年に公開証言を皮切りに日本軍慰安婦問題解決のために国内外活動し、以後釜山にしばらく拠点を置いてここに石などを建てた。
李執行委員長は「おばあちゃんが証言し、日本軍の戦争犯罪証拠が生きて証言するにも日本は認めようとしなかったし、日本軍慰安婦問題は解決の兆しがなかった」とし「おばあちゃんは休息のため釜山に降りてきて、その年が 1999年だ。1947年の帰郷ほど体も心も疲れただろう」と話した。
彼は「釜山に降りてきて、おばあちゃんは通道師白蓮岩に石灯を見た」としながら「石灯を見てどんな心だったのか私たちは推測すら難しい。 ソウルに行った」と説明した。
キム・ボクドンおばあちゃんを最後まで祀ったキム・ドンヒ「キム・ボクドンの希望」運営委員も青年期行に共にした。 彼は「おばあちゃんは「私は希望を持って生きています。私に従ってください」と言われました。 心を読む"と目を覚ましたりもした。
希望のたね基金青年ツアーは推進委に平和公園の造成に使ってほしいと20万ウォンを寄付し、推進委は「平和の少女像」が描かれたバッグと「キム・ボクドンバッジ」をプレゼントした。
推進委は22日から今後毎週水曜日午後4~6時の間、量産イマートの前で「キム・ボクドン平和公園、平和費少女像作り水曜活動」を繰り広げる。
去る18日韓国を訪問した希望種子基金青年たちは22日景福宮見学に続きソウルで開かれる'第1588次水曜デモ'に参加した後日本に帰る。
김복동 생가터 찾고 소녀상 앞에 선 일본 청년들 - 오마이뉴스
20万ウォン?不正送金としか言いようがない。事故がなかったのが幸いだ。もし事故が起きたらアイセックのように誰が責任を取るのかよくわからない状態になっていた。
またこのお金はどこから出しているのか。法人はもうないのである。本来は法人の名前では出せないはずである。
登記をこのままにして活動することはできない。会社のような法人と違い、税金はかからないのだろうが。
契約はすべて取り消すことができる。なぜなら、法人格が存在しないからである。おそらく課税されないから放置しているのだろうが。
しかし、その一方で登記を再生するには、まず過料に処せられる可能性がある。
募金をいくら正確に扱っていようが、そもそも韓国国内の活動が違法である。
認知プロファイルすると、この団体の法人登記住所には誰もいないため、法務省からの通知も気づかなかったのだろう。つまり実態のないペーパーカンパニーであることがわかる。
ということであれば、韓国へ旅行している以上、希望のたね基金は全く実体がなく、양징자が寄付金を一人で使っていたにすぎないということになる。
オーマイニュースには希望のたね基金のツアーと書いてあるので、個人的な旅行だという主張は無理である。
さらに正義連は批判されこそすれ、同情する余地は全くない。慰安婦をかわいそうだとか、なにか支援したいと思うときには絶対に正義連の関係者と取引してはいけない。こいつらは完全にクズだ。
以上から、この団体には実態がまったくないうえに、代表者が個人的にお金を使い込んでいる可能性が高い。
以上から、寄付したり、マリーモンドの製品を買ったりしてはいけない。
HPにもある通り、もはや慰安婦とは関係がないことが明らかである。
さらにもとの正義連自体が韓国で刑事告訴されている。他ならぬ慰安婦の証言をきっかけに、である。したがってファクトチェック以前に直ちに謝罪すべきなのである。
でなければ慰安婦の告発を無視する以上、慰安婦なんて本当はどうでも良くてお金儲けの道具にすぎないという連中でしかない。
また、法人格はない以上、現時点では契約したり、お金を受け取ったり支払ったりはできない。例えばマリーモンドの商品を買おうとしてお金を支払っても商品は来ない。なぜなら、法人格がないのでそのお金がどこに行くのかがわからないからである。
以下から始まる当記事ですが、どうやら注目されているようだ(?)。せっかくなので、話の流れが読みやすいように言及記事を要約しておく。元の記事の作成者さま、著作権などで問題があったら何かしらの方法でお伝えいただきたい。
格差や下流というものの実感がない。年収200万以下と聞いて理由がわからない。
普通の家に生まれ、公立の小中学校に通い、高校受験は公立に落ちて私立の男子校に行き、大学受験も落ち、浪人した。ゲーセンばかり行き、週に授業を4時間(コマ)しか受けない生活をしていたら、センター試験で酷い点を取り、それから1日に18時間ぐらい勉強してMARCH(明治 青山 立教 中央 法政)の下位に合格。
インターネットが流行り、毎日チャットやネットゲームをして夜型の生活をし、毎日バイトして、パチンコしていた挙句留年。3年の年明けぐらいに就職を意識して危機感を感じ、就職対策の勉強を必死でやり、大学主催の就職セミナーや体験面接に全部出て研究し、早期に面接を実施する企業を練習台にするような就活の結果、社員6000人くらいの大きな会社に就職。
4月から4年目で、今年収が500万ぐらい。
流されて生活してて失敗ばかりしていて、頑張ったのは浪人のラストスパートと就職活動のみで、それでこれだけ貰ってるから、自分より収入が低い人がいる理由が理解できない。周りの友達もそんな感じ(要約注:友人たちの年収は、500万円なのか、それより低いのか、どちらなのか読み取れなかった。「そんな」ということは校舎かもしれないが、細かい文法にこだわって書かれた記事でもなさそうだから)。
毎日早くから仕事して家には寝に帰ってるだけくらいの生活で年収200万と聞くと理由がわからない。本当なのか疑ってしまう。
もしかしたらこういう俺みたいな人間が格差を生み出してるのかもしれないなぁ、とちょっと思った。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http%3A//anond.hatelabo.jp/20070312004915
まぁ、そういう意味での既得権者ってのは多いんだろう。っつーか、はてな界隈で文章ものして目だってる人の多くにもそういう既得権者のにおいがする人は多い気がするのは、偏見?
既得権ってなんだよ?実際にリアルタイムで生産行為を「実際に行いながら」生きてるんだよ、「いま社会に貢献」してるんだよ。そんな奴と「これから何かやるかどうかわからない奴」に同じ評価がなされるとでも思ってんのか?
この人は「生まれつき天才でほっといたら勝手に大学に受かった」わけじゃないんでしょ?朝青龍じゃないが、「勉強して頭をよくしたら悪いのか?」って感じ。
たらればはマジでどうでもいい。この人は理屈の上で生きてるんじゃないんだ、「実際に勉強」して「実際に大学に入った」んだ。運とタイミングが良い奴は、運とタイミングが悪い奴に対して悪いことをしてるのか?あと蛇足かもしれないが(こういう蛇足は絶好の揚げ足取りポイントだぜ、みんながんばれ)、脳科学や心理学で言えば、運やタイミングは、肯定的な思考回路や「実際に行動してみる」みたいなものにくっついてくるんだ。茂木ケンイチローの本にだまされてみればいい。
なんだかんだいっても、ここぞというときに頑張っている人は強いかも。
かも、じゃない。実際に行動してる=強い、なんだ。少なくとも“下流”ではない。“上流”に行くにはもう少し工夫がいるだろうけどな。
これが一番腹たった。大学生だろ?で多分文系なんだよ。はっきり言って、授業出なくても単位がとれる。ちょっと工夫してバイト選びすれば年間100万円くらい楽に稼げるんだ。大学生にもなって親の許可がないと行動が取れないのは、それはまぁ育ち方だから本人の責任とも言いづらいが、所与の環境を言い訳にしてる限り“下流”は抜け出せないだろうよ。これは俺の経験則だから論理的に納得させることはできないけどさ。
リアル植木等か。 ま、これはこれで仕方ないと思う。文章から下流を見下す臭いがない分健全かも。 俺は逆に上場企業就職しても薄給の友人が目の前にいるから実感したわけで。
下流を見下してない、これは本当に大切なことだと思う。俺はいまカナリ頭にきてるから文章が荒れてるかもしれないが、人を選ぶときに過去は問わないことを信条にしてる。現在、いま、話をしているその瞬間に「工夫」や「行動」をしているか、体が動いているか、顔の筋肉を使っているか。一時間後に自分の思いをカタチにするための最適な行動を自分の頭で考えて、「めんどくさい」とか「周りから見たら痛いだろうな」とかそういう意識をどうにか振り払って、「実践」をしているだろうか。そればかり考える。評論家がダメだとは言わない、行動を伴う評論家は強い。しかし名が知れている評論家を全て見渡しても、行動を伴わない評論家はほとんど居ないんだ。
…なんか生まれて最大の速度でタイピングしてるかもしれない。日本酒って凄いな。
また所与か。「生まれつき」とか「育ってくる間に身に着けた」とかか。過去しか見ないのか。あなたに現在や未来は無いのか。要領や世渡りを何かしらの方法でいまから身に着けようとは思わないのか。単純にめんどくさいだけなんじゃないの?そんなの言い訳にもならない。言い訳なんて聞かないけど。俺は、今からどうするかしか興味は無い。
こんなもんだろうと思う。私事だけど、学生時代にバイトしてなかったら「大学に行かない世界」は多分未だに理解できなかった。 こういう物がそこかしこにある事、それにより視点は幾らでも変わる事の認識は大事。
俺の受けた印象と近い。視点(価値観)が固定的なものでないと表明していて、その点は特に強く共感する。
よく読むとこの人ポイントを押さえて努力してるし結果もだしてんだよね。だから有能な人なんだと思う。さらに読むと中流以上の家庭なんだなってことが判る。これぞ格差社会。
俺の中で「能力」の定義は「現在進行形で成果を出し続けていること」だ。過去にタイミングよく努力して成果を出してきた人はこの意味での「能力」を「持っていることが多いという傾向にある」のは事実だと思う。しかし中流かどうかは知らない。嫌な奴だったが、大学の同級に生活保護家庭の奴が居たが、そいつはスロットで稼いで学費を捻出した上に家にカネまで入れていた。親の収入と子の「デキ」に、マクロなデータ上で相関があるのは事実だが、それは個人個人を見るときに考慮すべき話ではない。個人の力は凄いんだ。凡人だってちょっと変なことを延々しつづけて生きていれば、それだけで歴史に名を残せるんだ。
早熟?欠陥を持った自意識のことかな?「自分は考えすぎる」と思っている奴ほど、はっきりいって世間知らずで考えたらずだ。同じ方向性でしか思考ができないことは恥ずかしいことなんだが、小学校でヘンテコな定義の「平等」や「個性」といった言葉で洗脳されてしまうと結構あぶない。しかし「いま」「実際に」「体を」「動かして」「実践」すれば人生は変わる。生きる方向は自分で考えればいいし、自分らしさとかそーいう言葉に不安を感じるんなら、どっかの偉人の伝記買ってきて、それをそのまんまパクって実践してみればいい。カーネギーの人を動かすでもいい、GTDでもいい、なんでもいいから、自分の外から「具体的な手順」を探してきてそのまんまパクって実践してみればいい。ダメだったら諦めて別のことをやってみればいい。何もしなけりゃ人生が変わる可能性は低い。宝くじに当たるようなこと期待して生きてるんだとしたら、それは「バカ」だって客観的に認識したほうがいい。できることなら主観的にも「これはバカげてるんだ」って感じたほうがいい。
こういうタイプの奴が中小企業に就職したらどうなるかわかるかい?周りがしていない努力と工夫を実践することで、すぐアタマひとつ抜けた奴になるのさ。成果が出せていないのは「工夫」と「実践」が足りないだけだ。わかってないのはおまえだ、と言いたいけど別に俺は自分がそこまで言えるような立場にないな。
この感覚はわかる。そういう体感と、情報のギャップに違和感とか覚えず感覚だけ信じていられれば、自分が転落するまでは幸せな人生が送れると思ふ。
転落?なにか失敗したとしても、この人は挫折とは感じないだろう。問題を単純化して、作業をこなすようにそれらを解決していくだろう。体感は固定的なものでもないし、外部的な情報(たぶん社会とか、環境とかのことだろう)は、自分が働きかけていくことで変えていけるもんなんだ。これも経験則に過ぎないけどな。
格差社会 ポイントとして、(1)スタートで恵まれている、(2)それほど有能そうではない(アンテナ、想像力)、(3)年収が少ない人にも問題があるのかもしれない、(4)能力的問題はないが家庭事情や運などがある ほか
3だよ。スタートや家庭や運なんて、関係ないとは言わないが、「いま行動を変えれば」近い将来が変わるだろう。
あー。この感覚わかる。この場合でだしの「普通の家」って時点で多分恵まれてるんだよな。
だんだん冷静になってきた。まぁ正直、「自分を変える」タイミングに恵まれているのは親が「有能」な場合が多いだろう。傾向があるにすぎないけどな。
無知はオメーだ
過去も実力のうちだろう。就職活動で使った労力によって今の立場があるんだ。そして、今の能力を手にしているんだ。うえで書いたとおり、辞めても彼はニートにはならないだろう。だって彼は、行動しちゃうんだもん。体が動いちゃうの。いままでの経験で培った能力までも含めて「既得権」って言うつもりか?「いま」「体を動かして」「実践」している彼の個性そのものを「既得」だって言うのなら、そりゃあもう、どーしようもないわね。
「機会の格差」ってやつはかくほどに不可視なのか
機会なんて自分からいくらでも得られるだろう。世の中の多くの上級企業は、全ての社会人に開かれたセミナーや勉強会なんかを開いている。人脈だって作れる、スキルだって身につく、知識や知恵やモチベーションだって得られる。ただし、自分が「実際に」「参加」すればの話。しないんじゃ、仕方ない。言い訳のしようがない。してみればいい。してみればいいじゃん。してみようよ、実践。チャンスはさぁ、タダでごろごろ転がってるじゃん。現実を確かな自分の目で見てみたらいい。
世の中にはびっくりするほど無能な人間が結構いる、ということを分かっていなければならんよ。そういう人間はネットで発言したりしないし、知識人はそこを見ようとしない。格差の問題ではなく無能者の福祉の問題だ。
完全に同意だ。教育で最低限のコミュニケーションの手順ハウツーさえも教えないのは日本の欠陥だろう。しかし国に頼らなくても最近は社会的企業家くんたちが居たりする。まことに頼もしいものだ。
きっと巧妙に隠されてる、もしくは自分が見ないようにしてる かもです。よく見てみたら、電車に乗っている人たちの中とか、町歩いてる人とかに、いるとおもいますよ。
どこにいるかわからないというのは、元のエントリーを書いた彼の見落としだろう。たとえば場外馬券売り場、パチンコ屋。ただ、家にこもってる奴が目に付かないのは当たり前のこと。
日本型経営は新卒採用絶対主義なので。新卒時の就活で成功すれば"終わりよければすべて良し"となり、逆に失敗すればそれまでうまくいっていてもすべてご破算
世間知らずだと思いますよ。自分の経験からくる知識が全てだと思わないほうがいい。
就職のときに逆転してるパターン。3年目で年収500は優良企業でしょ。公務員とかでもそうはいかない。/他はおいといても受験と就職で努力しているのは効率いいな。
受験や就職で労力を払うというのは、普通の人生から考えて妥当なタイミングだろう。妥当なタイミングに妥当な努力をすれば、妥当な生活を得られるのは当たり前のことじゃないか?私の恩師は「必要なときに必要なことをすれば、あなたに必要なものはたぶん得られるんじゃないですかねえ」なんて言っていた。
頑張ったらうまくいったからといって、頑張れば「誰でも」うまくいくとは限らない。椅子とりゲーム状態では全員が同じくらい頑張っても座れない人が出てくる。
がんばらなければ普通はうまくいかない。「頑張る」気力があれば、価値観に重大な欠陥が無い限り“下流”には落ちないだろう。仕事は椅子とりゲームではない。椅子を作ろうとする人間はチャンスを自分から作り出せる。これはちょっとした意識の違いにすぎなくて、一冊の本によって変わりうるような部分だ。「マニュアル人間」なんて言葉にだまされて「啓蒙本を読むような人生は嫌だねー、プwww」とか言ってる限り、それは自分に限界を作ってるだけだ。本を一冊読むくらいで完全に崩壊してしまうようなチンケな個性しか持ち合わせていない人間など居ない。ためしにやってみる、これくらいの行動力はちょっとした意識の切り替えによって拾うことができるものだ。
こんなにネチネチと書き綴ったのは人生で初めてだ。他人のことにすぎないけど、でも私はアンタラと同じ社会に住んでる。私が社会に貢献すればあなたたちが良い暮らしをできるし、アンタラが社会に貢献すれば私の暮らしが良くなる。社会でのポジションを相対的なものだと思わないほうがいい。他者がある地位を得ているから自分がその地位を得られないんじゃない、よそはよそ、うちはうち。
家庭内の家事にでもたとえてみようか。4人家族のひとりが家事万能でぜんぶこなしちゃう家と、1人が家事万能、ほかの3人も向上心を持って家事を担当してる家と。アンタはどっちの構成員になりたいのか。
最低限のルールにしたがっていれば、行動をする限り、また100人居る中で最悪くらいのよっぽどの環境に居ない限り、アンタに絶望は無い。
[追記][これはひどい]
風呂はいってあがって読み直したらなんかウソばっか書いてあるな、この記事。啓発本てw読んだことねぇwあったとしてもヤンサンに連載してる山田玲司の絶望に効くクスリくらいかw中谷アキヒロとか立ち読みしたことあるけど、うん、あれはキモい。彼の本が啓発本なのかどうか知らんが。
まぁグズグズして何もできないようなひとは、一冊くらい読んでみてもいいかもしれんけどさ。読みすぎて目が据わったような表情になると宗教くさくなって周りからキモがられるから、成功から離れたりしちゃってなw
ただまぁ、いまでも同じ主張をしたいことっつったら、流行りみたいだからどうしようもないのかもしれんが、「痛い」とかいう概念で「いま」の「行動力」を制限しちゃうのは割ともったいないぜー、って部分だな。行動を伴わない思考のみからは何も生まれないってことくらいは理解しとかないと、だまされる。誰かしら尊敬できる有名人とか居るだろうけど、その人のことをよく観察したほうがいい。もしかしたらそいつ、甘美な言葉を発してアンタから好意を受けることで儲けてるのかもしれない。そいつが主張してるようなことを、そいつが実際にやってるか、確認してみたほうがいい。価値観にもリテラシー意識を持たないと、いろいろね。だまされるからね。
あと、なんか上でコメントにいろいろ文句つけてるけど、文脈理解してなかったり前提を誤解してたりするようで申し訳ない。思い込みから生まれる非難はみっともないですね。気をつけます。
[ハテブ]
くれくれ論批判か。たぶんオレの現在いる環境のほうがこの人や元エントリの人より良いわけだが・・。 格差うんぬんについては長くなるので ⇒(リンク先も全部読んでね) http://muse-a-muse.seesaa.net/article/35314889.html
現在いる環境とかどうでもいいっつってんのに。こいつほんとにいい立場に居るのか?未来志向の人間がこんなこと言うとは思えないな。「リンク先」は人に読ませる気のある文章だと思えない、私流に言い換えれば工夫をしようという意識の感じられない文章だ。10行読んで前提が見えなかったので、申し訳ないが「読んでね」という依頼は丁重にお断りします。ごめんなさい。
発言責任を明確にして恥ずかしくない文章ならば、ハナから実名で世間に公表してます。別に酒飲んでたから書いたわけではありません。一部の考えなしなフレーズはそうかもしれないが、別にコレを書いたのがリアルでの私であると特定されたとしても、私は胸を張って「そうです、書いたのは私です」と認めます。内容が内容だけに、バレたら恥ずかしくはあるが、無責任に基づいてなした記述ではありません。
自分の見た世界が社会の全てだと思い込んでいるのではないかというような反応もあるけれど、そんな思い上がりはしていないつもりだ。「出発点」とか「能無し」とか、そんな概念は取っ払う工夫をしたほうがいい。現時点まででどうかは関係ない。どれだけ経営が苦しい企業でもどんな変わった共同体でも、そこが何かしらの価値をもつ集団である限り、集団に対して「貢献しよう」と「頭を振り絞って考えながら」「思いついた」「行動」を「逐一」「実践しようという姿勢」を「見せている」人間を排除したりはしない。頑張っているのに排除されたとしたら、それはおそらく、あなたの価値観が根本的に社会に不適合であるか、その集団がそもそも存在価値が無いかのどちらかだと考えればいいだろう。
どちらにしろ、その時点からの自分がとる行動によって、その時点以後の人生は変わる。そこに気づけるか気づけないかが分かれ目だ、とかじゃない。そんな考え方の人間がいるということを「いま、あなたは目の当たりにしている」のだから、いまこの瞬間のアンタにとって妥当な行動は、「ほんとにそうかな?」と公平な視線で考慮してみることだろう。その上で「こいつが書いてることは宗教的で洗脳行為のようなものだ、絶対に自分は認めない、自分は自分の考えに基づいて生きる」と思うのなら、そうすればいい、そうしてくれれば私は嬉しい。それこそが私の本望だからだ。
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