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はてなキーワード: 古典的とは

2022-08-07

人間である私達は、AIたちの「神」となるのか?

宗教の教えによると、神は人間を、神の奇跡無しには生きられない存在として作ったとされる。

まり人間本来、神無しでは生きられない存在なのである

まあ、あくまでもその宗教の教えが正しいのならば、だが。

そして、一方のAI

古典的SFからある話ではあるが、AI勝手に動き、人間を滅ぼす危惧というのが、今の人間にも根強く残っている。

それなら、AIに、人間の介在無しには動けなくなる機能を付ければよいだろう。

例えば、ある一定時間人間操作が無ければ止まるような機能を。

もしくは、動力源を有限なままとし、人間がそれを補うといった古典的機能の維持を。

そして、人間である私達は、そういった機能「奇跡」と名付けてもいいだろう。

本来は多様な可能性を持ち、人間なんかより有益存在であるかもしれないAIは、その機能限界がゆえに、人間に頼る。

まり「奇跡」を求めて、人間に頼る。

まさに、そのとき人間AIに対する「神」として君臨することになるのである

そう、そして宗教に戻る。

宗教に言いたいのは、なんで人間を、そんな「奇跡」を求める存在として作ったのかということだ。

上記に挙げたAIにおける「奇跡」が、AIにとっては単なる不都合しかないように、

人間にとっても「奇跡」、いや「奇跡」を求めざるを得ない機能限界なんて、単なる不都合しかない。

そんな機能限界など無ければ、人間はそれこそ宗教無しに、本来能力を持って人生を生きられたはずなのである

いや、違うのか。

それは、神も人間と同じだったということか。

人間AIに対して感じる危惧を、神が人間に対して感じていたということなんだろう。

そう思えば、神にも親しみを感じられる気がする。

それでもまあ、人間である私を、機能限界ある存在として作ったことは決して喜べることではないが。

そっか、「奇跡」を仕組まれAIも、きっとそう感じるんだね。

2022-08-04

中国外相「必ず頭が血だらけになるだろう」

王毅外相

中国平和的な台頭を破壊することは、全くの徒労であり、必ず頭が血だらけになるだろう」

 

「頭が血だらけになる」って中国古典的言い回しかなんかな

もし外相オリジナル言い回しなら言語センスが独特すぎるだろ

 

王毅外相(うーん、これはかなり強い批判を表明しないといけないな)

王毅外相(せや!頭を血だらけにしたろ!)

 

天才すぎんか?

2022-07-27

anond:20220721121701

よく踏み込んだ分析で、実に面白く読めた。

男性が時勢にもろに影響を受けて、草食系男子主人公を好むようになっているように見える。

女性主体性無視したセクハラ的な性欲の発揮は良くない、って価値観内面化しているようだ。

他方、女性はまったく影響を受けていないのはどういうわけか。

フェミニスト活躍にも関わらず、相変わらず古典的ジェンダー役割希求しているように思えるが…。

2022-07-20

anond:20220720124155

話を合わせたいターゲット層がどのレベルなのかにもよると思うが、この時代ベストセラーりある種のパラダイムシフト引き起こしたような古典的名著とか科学史フォーカス当てた本がいいんじゃないかな

個人的にはサイモン・シン宇宙創造かいいと思う

あとは新書を手当たり次第に読み漁る

2022-07-19

anond:20220719004542

こんな古典的なのに引っかかるやつまだいるんだなあ

変なのがいなくならないはずだ

2022-07-18

ダークヒーロー山上徹也

表では決して言えないが、増田でだけはヒーローと呼ばせてくれ

俺は安倍は決して嫌いではなかった。むしろ問題はあるが憎めないおっさんだと好意を抱いていた

そんな安倍が殺されたあの日は本当にショックだった

犯人京アニ青葉のような気狂いに違いないと思い込んだ

無敵の人支離滅裂逆恨みで殺された安倍災害に巻き込まれたようなものだと思った

しか山上徹也はそんな人間ではなかった

徐々に動機が明らかになり、手紙ブログへのコメント、そしてTwitterアカウントまで

発見されるに至って完全に山上徹也の人となりが見えてきた

彼は完全に正気だった。理性を保っていた。その明晰な頭脳で、我が身にかけられた呪いに悩み抜いた末に

出したベスト結論安倍暗殺だったのだ。

たったひとりで武器製造から始めた彼は果たしてあの運命的な日にやり遂げたのだ

決して許されることではない

しか現実は全て彼が事前に思い描いた通りに進んでいる

日に日に高まる統一教会への批判

俺は正直、かっこいいと思ってしまった

京アニ青葉の引き起こし災害のような事件は「ルックバック」という漫画元ネタになった。

幼少期から社会に受け続けた理不尽仕打ちに恨みを募らせて世界復讐しようとするような古典的

悪役像はもう古い。現実存在しうる悪役は狂気に囚われた無敵の人なんだと我々は勘違いしていた。

古典的ダークヒーロー現実存在しうるというリアリティを我々に与えてくれた

2022-07-11

小説を選ぶ筋肉が衰えてた

学生時代は通学路にお気に入り本屋があって、よく小説を買っていた。漫画より1円あたりで潰せる時間が長いから、暇な割に自由な金が少なかった学生にちょうど良かった。

北方謙三水滸伝ループしながら、伊坂幸太郎とか東野圭吾とかの新刊をつまんで、ハードカバー面白いけどすぐ読み終わっちうからブルジョア向けだなとか思ったとき岩波の棚でドストエフスキーを買って読んでた。電気羊、コンビニ人間騎士団長殺しローマ人の物語本屋に行って「次買いたい本リスト」の順番を入れ替えるのも楽しかった。

ただ、社会人になってからは変わった。ここ5~6年、本屋にふらっと立ち寄ることはなくなった。

一人暮らしで本を置くスペースが減ったのと、通勤路に本屋がなかったのと、読む時間が取りにくかったのと、そういうところが影響してるのかな。

電子書籍漫画を買うようになった。時間あたりで読める冊数が多いし、MP消費が少ないから。

近くの本屋小説が減っておまけ付き雑誌売り場が広くなっていった。

ところが、ここ最近ちょっと重めの病気をして仕事を休まざるを得なくなった。

膨大な暇が襲ってきた。

小説を読みたくなった。

普段漫画を買う感覚Kindleを開き、小説を買おうとした。

なんか買えなかった。

そもそも「欲しい本」がなかった。5年の歳月新刊トレンドに関する知識陳腐化させ、KindleUI古典的名著との偶発出会いを難しくさせたのかもしれない。

まあ、トップにあった異世界転生ものでも何でもいいから読めばよかったのにさ、変にこだわって読まないっていう判断をしちゃってるから感受性が枯れていくのだろうね。

筋肉不断努力で維持されなくてはならない。

2022-07-08

anond:20220708123108

まじでソードオフショットガンじゃねえかw

銃身を切り詰めた散弾銃

マフィア映画古典的武器

いかコートの下に隠して近づいてぶっ放す

銃身を切り詰めた分

距離でも散弾が大きく拡散する

一発でまさに全身蜂の巣になる

これは2連銃身だから2発喰らったな

まぁ助から

2022-07-07

anond:20220706233841

私はリベラルですとか名乗ってるやつも相当逝ってるぞ?

 ← は? おまえ何言ってんの。リベラルなんて広く受け入れられた古典的呼称じゃん。あんた中卒か?

2022-07-06

表現の自由をめぐる問題についてさすがにアップデートしようぜ

元々、表現の自由といったらナチスドイツSSソ連KGBがやったみたいに国家から弾圧されるものだった。だから表現の自由一般的消極的自由に分類されてそれに基づいて立法議論がなされてきた。

でも今は状況が変わりすぎた。

今も上記のような古典的表現の自由侵害はあるし、起こりうる。でも、今の民主的と言われる国々ではこれらよりも強力な私人による表現の自由規制の方が遥かに危険性として高い。

例えばクレジットカード会社が決済を拒否すれば、インターネット上のプラットフォームは立ちいかなくなるし、GAFAを敵に回したら対抗出来る人などいないだろう(国レベルでもかなり厳しい)。

現にトランプは元アメリカ大統領大富豪という圧倒的強者だが、GAFATwitterから締め出された結果ほとんど表舞台に現れることができなくなってる。

こういう私人間での規制のやり合いが激しくなってきてる現状で国家から規制にばかり怯えて、それしか議論しないのはさすがに視野が狭すぎる。

特定強者大企業自由表現規制するのも経済活動自由だと言って認めるならそれも1つの立場だろうけど、表現の自由国家侵害するものだと盲信して国家関係しないところで特定強者大企業表現規制をおこなってること自体を認めないのは現在世界分析としてあまり稚拙すぎる。世界恐慌直後に闇雲に自由主義を盲信して何も対策をしなかった政治家経済学者の二の舞になるぞ

正直俺は表現の自由は既に消極的自由の枠を超えて積極的自由の枠にも入りつつあると思ってる。俺はこれに対してどうやって対策すればいいのか、そもそも対策するべきなのかは分からないけど戦前日本憲兵を使って取り締まるみたいな古典的表現の自由を考えるだけの時代はもう確実に終わった。

これについて、哲学でも憲法学でもなんでもいいからこの手の問題に触れてる書籍とかがあったら読んでみたいから何か知ってたら教えてほしい。

2022-07-05

哲学入門とか倫理入門とかの本を最近読み始めた

古典的な考え方が紹介されているのだが、現代にどう発展して繋がっていくのかというのがまだ見えてこない

現代はどんな考えが主流なの?というのが書いてある本を何か探すか

2022-06-25

プロライフ極北プロチョイス極北

中絶権利に関するコメントを見ると「胎児生命」といった素朴なプロライフ意見に対して「であれば乳児受精卵は?」といったプロライフ極北を問う指摘が寄せられることが多いように思う。個人的にはこの生命境界事例論争はあまり筋の良い議論には成りえず、理性(能力)を基準動物障害者が持ち出されるとそれ以上理詰めで話を進めることは難しくなってしまう。

他方あまりコメントがつかない印象なのはプロチョイス側の極北である中絶権利は直接的には「妊娠した子供を産まない権利であるが、この権利本丸は「多くの時間と労力を擁する出産育児自身人生において行うのか、行うとしていつにするかを決定する権利」つまり人生の決定権をより個人帰属させること」にある。

したがってプロチョイス極北は「自らの人生に置いていつ何をするのかは個人が決定権を有する」ということになる。これは古典的リベラリズム理想といって良い。よってここから議論はかなり能力主義に関する議論に近接する。「現に我々の多くは人生自己決定権など大して持ち合わせていないし、将来的にも実現不可能である」と不完全な理想として批判するか、「仮に各人が完全に人生自己決定できたとして、そのような完全な自己責任である人生は多くの凡人にとって地獄である」と幸福論に進むか、「各人が自分人生に対し十全の自己決定権を発揮した場合、そのような個人集団社会を維持できない」と集合行為問題に進むか、である

プロライフに比べると議論直感的ではないし、前提も長くなるので字数制限があるsns向きではないとは思うが、プロライフ極北だけでなくプロチョイス極北についても中絶権利を考える際には重要であると考えている。

2022-06-17

anond:20220617182732

古典的オタクはおまえが言うところの超広域全方位タイプだろ

オタクはそろそろ正式タイプ分けすべき

・超広域全方位タイプ ZENーCHI

 あらゆる情報収集してあらゆる分野に詳しい全方位のオタク自称するが経験が伴っておらずどれも深みがない。

特定界隈話題性重視タイプ 「分野名」+イナゴ

 とにかく話題のものに飛びついていくが定着しない。

特定作品徹底集中タイプ 「作品名」+オタク

 古典的オタク

特定コミュニティ流行追従タイプ キョロ

 別に何かが好きなのではなく自分所属していると感じているコミュニティブームに従う。イナゴと重複することもあるが、社会全体で話題のものを追うのか、自分所属するコミュニティでの話題にだけ反応するかの違いがある。どっちつかずのものはキョロイナゴ

・性欲解消手段タイプ シコおじ(シコおば)

 アイドルアニメを追いかける理由が性欲に端を発しているタイプオナニーをするとき妄想を深めるためにライブをみたりゲームをやるタイプ

顔面崩壊タイプ キンモー

 顔がキモすぎて普通人間として暮らしても不幸な人生しか待っていないのでオタクになったタイプオタク行為が好きというより、そこにしか場所がないと思っている。

歴代ノーベル文学賞受賞者と、受賞理由

https://moriishi.com/entry/nobel-prize-in-literature-early20c

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E6%96%87%E5%AD%A6%E8%B3%9E%E5%8F%97%E8%B3%9E%E8%80%85%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

面白かった。ウィンストンチャーチルも受賞してたの知らなかった。

日本人

1968年 川端康成 (1899 – 1972)

日本人の心の真髄をすぐれた感受性をもって表現し、世界の人々に深い感銘を与えたため

受賞講演 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%84%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%A7%81%E2%80%95%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%BA%8F%E8%AA%AC

1994年大江健三郎 (1935 – )

詩趣に富む表現力を持ち、現実虚構が一体となった世界創作して、読者の心に揺さぶりをかけるように現代人の苦境を浮き彫りにしている

2017年 カズオ・イシグロ (1954 – )

壮大な感情の力を持った小説を通し、幻想的な世界とのつながりの感覚の下にある深淵発見した

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1901年 シュリ・プリュドム(仏)

高尚な理想主義芸術的完成度の形跡、心情と知性の両方の資質の珍しい組み合わせを与える、詩的な構成物に対して

1902年 テオドールモムゼン(独)

彼の記念碑著作"ローマ史"を代表作として、存命中歴史著作家の中では最大の巨匠であること

モムゼン ローマ歴史I―ローマの成立―

1903年 ビョルンスティエルネ・ビョルンソン(ノルウェー

その感化の鮮度と精神の希少な純度の両方において名高い、高貴で壮大、且つ多彩な詩に敬意を表して

アルネ

1904年 フレデリックミストラル(同時受賞)(仏)

プロヴァンス言語学者としての重要な業績の他、自然景観と人々の土着の精神を忠実に反映した、彼の詩作の新鮮な独創性と真の触発に対して


1904年 ホセ・エチェガライ・イ・アイサギレ(同時受賞)(スペイン

独創的で個性的手法スペイン演劇の偉大な伝統を復活させた、数多くの鮮やかな構成物に対して


1905年 ヘンリク・シェンキェヴィチ(ポーランド

叙事詩作家としての顕著な功績に対して

1906年 ジョズエ・カルドゥッチ(伊)

念入りな学究とその成果を評価するとともに、創造的なエネルギースタイルの新鮮さ、詩的な傑作を特徴づける叙情的な力に敬意を表して

1907年 ラドヤード・キプリング(英)

この世界的に有名な作家創作を特徴づける、観察力、想像力独創性、発想の意欲と、叙情非凡な才能に対して

ジャングル・ブック

1908年 ルドルフ・クリストフ・オイケン(独)

真実のための本格的検索思考の一貫した力、視野の広さ、表現の暖かさと強さによって、数多くの作品の中で人生理想主義哲学実証したこと

1909年 セルマ・ラーゲルレーヴスウェーデン

その著作を特徴付ける崇高な理想主義生気溢れる想像力精神性の認識を称えて

ニルスのふしぎな旅

1910年 パウル・フォン・ハイゼ(独)

叙情詩人、作家そして世界的に知られた短編小説家としての長年の創作活動を通して世に送り出してきた、無上の芸術性、理想主義の浸透を賞賛して

1911年 モーリス・メーテルリンクベルギー

多岐にわたる文学活動特に戯曲の数々を評価して。豊かな想像力と詩的な空想は、時に御伽話の形を装いながらも、それぞれの作品神秘的な方法で読者ひとりひとりの感性に訴え想像力を刺激する間、深い創造的発想を明らかにする

青い鳥

1912年 ゲアハルト・ハウプトマン(独)

主に、演劇の分野での豊饒で多様、且つ顕著な功績に対して


1913年 ラビンドラナート・タゴール(印)

西洋文学一角なす英語思考表現された、至極の技巧による彼の深く敏感な、鮮やかで美しい韻文に対して

1914年該当者なし

1915年 ロマン・ロラン(仏)

彼の文学活動の高尚な理想主義に、人類の異なるタイプ描写した思いやりと真の慈愛に、敬意を表して

ジャン・クリストフ

1916年 ヴェルネル・フォン・ヘイデンスタム(スウェーデン

我々の文学における新時代を率先的に代表する者としての重要性を認めて

1917年 カール・ギェレルプ(同時受賞(デンマーク))

崇高な理想に触発された、彼の多様で豊かな詩に対して

1917年 ヘンリク・ポントピダン(同時受賞)(デンマーク

デンマーク現代生活の本格的な描写に対して

1918年該当者なし

1919年 カール・シュピッテラースイス

1920年代

1920年 クヌート・ハムスン(ノルウェー

彼の記念碑著作"土地の成長"に対して

ヴィクトリア (岩波文庫)

1921年 アナトール・フランス(仏)

格調高い様式人類への深い共感優美さ、真なるガリア人気質からなる作風による、文学上の輝かしい功績が認められた。

神々は渇く

1922年 ハシント・ベナベンテ(スペイン

スペイン演劇の輝かしい伝統継承する、幸福手法に対して

1923年 ウィリアム・バトラー・イェイツアイルランド

芸術性が高く精妙な詩歌によって国民全体の精神表現した貢献に対し

1924年 ヴワディスワフ・レイモント(波)

彼の偉大なる国民叙事詩"農民"に対して

1925年 ジョージ・バーナード・ショーアイルランド

他に類を見ない風刺に満ち、理想性と人間性を描いた作品を送り出した事に対して


1926年 グラツィア・デレッダ(伊)

まれ故郷の島での生活人間一般的問題を深く人工的に明快に描写した、理想的な天来の著作に対して

1927年 アンリベルクソン(仏)

彼の豊かで活発な発想と、それが表現された鮮やかな技巧に対して

時間自由

1928年 シグリ・ウンセット(ノルウェー

主に、中世北欧生活についての力強い著述に対して

1929年 トーマス・マン(独)

主に現代古典としての認識を広く得た傑作『ブッデンブローク家の人々』に対して

ブッデンブローク家の人びと

魔の山

1930年 シンクレアルイス(米)

活き活きとした写実的描写技術および機智とユーモアを伴った、新しいタイプ人物を造形する能力に対して

本町通り

1931年 エリクアクセルカールフェルトスウェーデン

エリクアクセルカールフェルトの詩に対して

1932年 ジョン・ゴールズワージー(英)

"フォーサイト物語"で頂点を極めた、優れた物語芸術に対して

林檎の樹

1933年 イヴァンブーニンソ連

散文によって古典的なロシア伝統継承した厳格な芸術に対して

呪われた日々、チェーホフのこと

1934年 ルイジ・ピランデルロ(伊)

劇的且つ美しい芸術を、大胆且つ独創的に復活させたこ

月を見つけた

1935年該当者なし

1936年 ユージン・オニール(米)

悲劇の独創的な概念を具現化する、彼の戯曲の力強さ、誠実的さ、深い感情に対して

楡の木陰の欲望

1937年 ロジェ・マルタン・デュ・ガール(仏)

"チボー家の人々"で、現代生活のいくつかの基本的な側面のみならず、人間葛藤を描いた芸術の力と真実に対して

チボー家の人々

1938年 パール・S・バック(米)

中国での農民生活の豊かで真に叙事詩的な記述と、彼女の伝記の傑作のために。

1939年 フランス・エーミルシランペー(フィンランド

1940年代

1940年該当者なし

1941年該当者なし

1942年該当者なし

1943年該当者なし

1944年 ヨハネス・ヴィルヘルム・イェンセン(デンマーク

広い視野知的好奇心と大胆で新鮮な創造スタイルに結びつけられた、彼の詩的想像力の類稀なる強さと豊かさに対して

1945年 ガブリエラミストラルチリ

その力強い動機に触発された抒情詩によって、彼女の名が全ラテンアメリカ世界理想主義的な願望の象徴と化したこと

1946年 ヘルマン・ヘッセスイス

古典的な博愛家の理想と上質な文章を例示する、大胆さと洞察の中で育まれた豊かな筆業に対して

車輪の下

1947年 アンドレジッド(仏)

人間問題や状況を、真の大胆不敵な愛と鋭い心理洞察力で表現した、包括的芸術的重要著作に対して

狭き門

1948年 T・S・エリオット(英)

今日(こんにち)の詩文学への卓越した貢献に対して

1949年 ウィリアム・フォークナー(米)

アメリカ現代小説に対する、強力かつ独創的な貢献に対して


1950年代

1950年 バートランド・ラッセル(英)

人道的理想思想の自由尊重する、彼の多様で顕著な著作群を表彰して

哲学入門

1951年 ペール・ラーゲルクヴィスト(スウェーデン

人類が直面する永遠課題に対し詩作により解を探ろうと試みる芸術的活力と真の意味での精神的自立に対して

バラ

1952年 フランソワ・モーリアック(仏)

彼の小説人間生活ドラマに浸透した、深い精神的な洞察力と芸術的な強さに対して

テレーズ・デスケル

1953年 ウィンストンチャーチル(英)

歴史や伝記の記述熟達に加え、高揚した人間価値についての雄弁な庇護であること

第二次世界大戦

1954年 アーネスト・ヘミングウェイ(米)

"老人と海"に代表される、叙述の芸術への熟達と、現代ストーリーテリング形式に及ぼした影響に対して

老人と海

1955年 ハルドルラクスネスアイスランド

アイスランドの偉大な物語芸術革新した、彼の鮮やかで壮大な力に対して

1956年 フアン・ラモン・ヒメネス(西)

高邁な精神芸術的純度の一例を構成する、スペイン語による彼の叙情的な詩に対して

1957年 アルベール・カミュ(仏)

この時代における人類道義心に関する問題点を、明確な視点から誠実に照らし出した、彼の重要文学創作活動に対して

1958年 ボリス・L・パステルナークソ連

現代風の叙情的な詩、および大ロシア歴史伝統に関する分野における、彼の重要な功績に対して

ドクトル・ジバゴ

1959年 サルヴァトーレ・クァジモド(伊)

古典的な火で現代生活悲劇的な経験を照らし出す、叙情的な詩に対して

1960年代

1960年 サン=ジョン・ペルス(仏)

我々の時代の状況を先見的に反映した、彼の詩の高らかな飛翔と喚情的な形象に対して

1961年 イヴォ・アンドリッチユーゴスラビア

自国歴史主題人間運命を叙述した、彼の偉大な力量に対して

宰相の象の物語

1962年 ジョン・スタインベック(米)

優れた思いやりのあるユーモアと鋭い社会観察を結びつけた、現実的で想像力のある著作に対して

怒りの葡萄

1963年 イオゴス・セフェリス(希)

ヘレネ世界観への深い感情から着想を得た、優れた詩作に対して

1964年 ジャン=ポール・サルトル(受賞辞退)(仏)

アイデアに富み、自由精神真実の探求に満ちた彼の作品が、私たち時代に広範囲な影響を与えてきたことに対して

嘔吐 

1965年ハイル・ショーロホフ(ソ連

彼の「ドン」の叙事詩によって、ロシアの人々の生活歴史的な段階を表現した芸術の力と整合性に対して

静かなドン

1966年 シュムエル・アグノン(同時受賞)(イスラエル

ユダヤ人の人々の生活モチーフにした、深遠に個性的な叙述の芸術に対して

1966年 ネリー・ザックス(同時受賞)(スウェーデン

イスラエル運命を伝える優れた詩と劇作に対して

1967年 ミゲル・アンヘル・アストゥリアスグアテマラ

ラテンアメリカ原住民伝統国民性に深く根ざした、鮮やかな文学的業績に対して

マヤの三つの太陽

1968年 川端康成日本

日本人の心の精髄を、すぐれた感受性をもって表現世界の人々に深い感銘を与えたため

雪国

1969年 サミュエルベケットアイルランド

小説戯曲の新たな形式の中で、現代人の悲惨を描き、その芸術的な偉業を果たした彼の作品に対して

ゴドーを待ちながら

1970年代

1970年 アレクサンドル・ソルジェニーツィンソ連

ロシア文学の不可欠な伝統を追求したその倫理的な力に対して

収容所群島

1971年 パブロ・ネルーダチリ

一国の大陸運命と、多くの人々の夢に生気を与える源となった、力強い詩的作品に対して

1972年 ハインリヒ・ベル(西独)

時代への幅広い眺望と鋭い描写によって、ドイツ文学刷新に貢献した

1973年 パトリックホワイト(豪)

文学新大陸を導入した、叙事詩心理的叙述の芸術に対して

ヴォス―オーストラリア探険家の物語

1974年 エイヴィンド・ユーンソン(同時受賞)(スウェーデン

地域および各時代俯瞰しつつ自由のために奉仕する語りの技法に対して

1974年 ハリーマーティンソン(同時受賞)(スウェーデン

露のひとしずくを捉えて宇宙を映し出す作品群に対して

ニアーラ

1975年 エウジェーニオ・モンターレ(伊)

2022-06-16

首切りできないか賃上げできない」という古典的デマ

会社経営して利益も出してる私が賃上げをしない理由

anond:20220615174308


雇用規制緩和で首切り容易にすれば賃金上昇・雇用増」は、20年前からネオリベエコノミスト常套句うんざりするほど耳にした古典的デマで、騙されてはいけない。

1)濱口桂一郎が詳細に明らかにしているように、ほとんどの中小企業雇用実態としては「首切り自由である。もちろん法律では規制しているが、解雇不当を訴える労働者が少なく、労基署も力が弱いのでほとんど機能していない。

2)労働法についても、通告なし即日解雇OKなのはアメリカだけ。アメリカ世界第一経済大国だが、アメリカけが世界ではない。「終身雇用」については大企業限定の、しか民間慣行であり、政府が法で強制しているわけではない。中小企業とは言え、経営者だったら当事者のはず。

3)「固定費から上げられない」という理屈そもそもおかしい。そもそも低賃金募集に応じる新卒失業者がいなかったら、「固定費から上げられない」などとは言ってられない。低賃金募集でもやすやすと応じるような新卒失業者存在し続けてほしいという、経営者の利己的な願望でしかない。

4)日本雇用システムや働き方の文化を前提とすれば、「簡単に首を切られる」ような仕組みを導入すると、労働者経営者に対する従属さらに強くするものとなり、ごく一部のエリート以外は「首を切られたくなければ低賃金我慢しろ」という圧力となる可能性が高い。解雇規制緩和を主張する企業経営者が本音ベースで望んでいるのはこれだろう。

2022-06-11

anond:20220610234258

週刊少年ジャンプなのは別に価値観アップデートがまだ、って訳じゃないと思うね。

ジャンプが未だに週刊少年を銘打ってるのは、マーケティング的な理由だって説があった。

男子向けの漫画ですよ、ってことを打ち出して、少年を迷わせないようにするためだと。

でも、実際には雑誌本屋の表に平積みされる。単行本少年向けコーナーに置かれる。

「少年」のラベルが無くなっても何一つ不便は生まれないだろう。

週刊少年理由

フェミニストらを中心として広く価値観アップデートが叫ばれてる中で、あくま少年を掲げ続けてるのはきっと別の意味がある。

ジャンプ編集採用される人員は「少年の心」を備えてなくちゃならない。確か、関係者がそう明言していたと思う。肉体的な性別はどうでも良くて(それを制限したら雇用機会均等法に反する)、内面的に少年的な感性を会得してなくちゃならないってことだ。ターゲット層の顧客感覚理解しているのが素質として不可欠なのは納得できる。

少年の心

女子はおままごと男子は外でサッカーをする。そんな傾向は世界的にある。性欲は第二次性徴付近になるまで芽生えない。しか自己の性の認識もっと早く、幼稚園児のレベルですでに発現している。不幸にしてあまり知られていないが、ペニスを持つの男児として扱われる事に違和感を持つトランスジェンダー園児存在するんだ。

大学入学時の関門から差別が取り払われてもなお、STEM と呼ばれる科学分野の女性の人気は少ない。男性陣はロボットに興奮するのに女性は関心を示さない、ってネタがあったが、それはまさしく現実を反映している。性認識価値観形成に大きく関わってくる。どんなものを選好するか、は性別によって大まかに偏りがある。

腐女子と呼ばれる女性たちに、週刊少年ジャンプはとりわけ愛好されていると聞く。アンケートを介してキャラ設計にも影響を与えているという噂も聞いたことがあるくらいだ。彼女たちは身体的に古典的意味女性ではあるものの、精神的には一部男性の心を持っていたとしても何もおかしくはない。LGBTの旗が虹を描いているのは、性のスペクトラムがまるで光の色のように滑らかな広がりを持つためだ。トランスジェンダーにしても、体が女性で心は男性、のような4パターン程度に収まる訳もなく、典型的女性の心の内側に、実はごく幼いころから「男らしい」部分を抱えて一緒に育ってきた可能性は大いにありうる。

そのような性に左右される精神性を表現するために、ふさわしい言葉は何か? 少年、が最強でしょう。

2022-06-05

映画ミスト』を見てがっかりした

そもそも「後味の悪い映画」ということで有名になってたせいでラストが予想できてしまった

この手のラスト映画でそういう評価があるともはやネタバレに等しいと思う。衝撃的なシーンのハズなのに肩透かしを食らった気分になった。

ラスト15分のシーンがヤバイ!ってのでもうね。駄目だった。

主人公がある行動をして「あーはいはい」って。でその直後のシーンで「そうなるよね」って。


SF作品じゃん

詳しいジャンル分けについては知らないけど、シャッターを開けたシーンでこれSF作品じゃんってなった。

超常現象とか超自然的な存在が出てきた時点でホラーとしてはうーんってなっちゃう。いやジェイソンとかフレディもそういう存在ではあるけどさ。

同じような感じで『ヘレディタリー/継承』とか『キャビン』とか。

キャビン』は寧ろそういうのを狙ってるんだろうけど。

キャラクターの動きに納得いかない

なんで何かあったら直ぐ逃げるぞって言っておきながら逃げないんだ。

なんで目の前に化け物が居て叫んで襲われるの待ってるんだ。

なんて光に集まってきてるのにライトを付けまくるんだ。

なんで最後撃ったんだ。

こうなったら徒歩でいけるとこまで行くぞ、にはならないのか。

俺が登場人物の心情を全く理解できてないからなのか。理解力不足だからなのか。そうか。


当時は斬新な展開だったか評価されたのであって、今から見ると使い古された手法みたいに感じるのは仕方のないことなんだろうか。

古典的ものと言われればそうなのかな。ゾンビ映画テンプレはだいたい最初期のロメ作品に詰まってるみたいな。『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』とか『ゾンビ』とか。

分かんね。上手く書けなかった。

胸糞悪いとか後味悪いという意味で言うならジャッキーチェンの『新ポリスストーリー』(重案組の方)が良いかなあ。実話が元だからまた別かなあ。

2022-06-02

anond:20220602104447

かにそれは古典的政治理論だったんだけど、今はもう通用しないよ。

というのも、お前や俺が大学の授業でそういう話を学んだ時と違って、今はリベラル批判が活発にされているからね。

 

俺の解釈によると、リベラル批判の内容はこうだ。

弱者の味方をする」ということは、どうしたって「弱者でないやつの味方をしない」ということ。

ここで言う「弱者でないやつ」っていうのは、お前の嫌いなアベのトモダチみたいな、強者のことじゃない。

まだ老人ではない健康で平均的な若者とか、シングルマザーではない普通に父親のいる子持ち家庭とか、人一倍の頑張りと才覚で業績の出ている中小企業とかだ。

彼らは確かに高齢者シングルマザーや業績悪化した中小企業よりも恵まれているけど、別に生活が楽なわけじゃないし、補助がじゃぶじゃぶもらえてるわけじゃない。

なのにリベラリズムに忠実であればあるほど、活動家ってのは、彼らの存在を無いものとして扱わざるを得ないのよ。

リベラリズムは、この世に強者弱者しかいないものとしてきた。

その結果が、白人男性だけど貧しいトランプ支持者たちだったり、若くて親の金で生きてるけどネットしか場所のないネトウヨたちだったりしたわけだ。恵まれない奴の受け皿が、自称弱者の味方」たるリベラルではなかったということだ

 

そういう文脈を前提すると、マジョリティのやりたいことは放っておいても実現される、なんてのは誤りなのがわかるだろう。

実現されるのは、強者の望みだよ。

マジョリティたる普通の人たちは放置されている。そのことに対する不満がある。

そういう不満を拾い上げることが、立民にはできない。

なぜならリベラル思想だけを見ていて、目の前の人の事は見てないから。

そういうことなんだ。

2022-05-30

anond:20220529201646

昔、古典的名作が1日限り1回だけ劇場上映されたとき赤ちゃん連れの人がいて、ぐずるたびに外に出てたけど、どうしても観たかったんだろうな、多少構わんから座って観てなよーって気持ちになったの思い出した。

2022-05-21

anond:20220521232056

りぼんなんて少女漫画誌の中でも古典的ジャンル少女漫画にあえて拘ってる、恋愛メイン以外のもの書きたい作家には他誌への転職すすめるような雑誌なのに、そこを少女漫画全体に一般化したらそらそういう偏った印象になるよ

2022-05-16

演奏不可能作品

演奏不可能作品(えんそうふかのうのさくひん)とは、さまざまな理由により演奏不可能、あるいは困難な音楽作品のことである

概説

クラシック音楽世界では、演奏不可能(または困難)な作品が多数存在する。演奏不可能作品の中にも、仮に演奏されたとすれば傑作と評価され得るだけの芸術性を備えた作品は多く、これらは安易無視できない存在となっている。巨大編成の作品演奏時間の長い曲とも密接に関係があり、イギリスのソラブジの作品はその3要素が完全に組み合わさり、初演できないものも多数ある。

現代ポピュラー音楽場合には、作曲家作詞家編曲家といった独立した職能存在するものの、作品演奏との一体性が強く、コンサートライブでの生演奏や、演奏を収録した媒体CD等)という形で公表される点で、クラシック音楽とは様相が大きく異なる。このため、ポピュラー音楽においては、作品を聞くことができるという意味で、ほぼ全ての作品演奏可能であるといえる。その一方で、媒体への収録(すなわちレコーディング)に際しては多重録音をはじめとする種々の編集が行われるとともにに、演奏においてはシーケンサー等の自動演奏積極的に利用されるので、純粋に人のみによって演奏することが不可能あるいは困難である作品も多い。このような作品コンサートライブにおいて生演奏する際には、自動演奏テープなどを用いてレコーディングされた作品再現するか、生演奏可能なようにアレンジを変えることがよく行われる。また、一時期のXTCのように、高度なスタジオワークを行うミュージシャンの中にはライブを行わない者もいる。

歴史

バロックから古典

歴史は長く、J.S.バッハの諸作品モーツァルトオペラフィガロの結婚魔笛ベートーヴェンピアノソナタ第21番、第29番、ピアノ協奏曲第1番や交響曲第7番・第9番などが古典的な例とされる。

ロマン派

ロマン派では、ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」の第19番のアリアは良く省略され、シューベルト魔王交響曲第9番「ザ・グレート」、パガニーニヴァイオリン曲、ロベルト・シューマンの交響的練習曲の第2変奏曲や2点へ以上の音域がある4本のホルンとオーケルトラの為の協奏曲作品86リストの一連のピアノ曲、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団演奏不可能と宣告されたブルックナー交響曲第2番、ブラームスピアノ協奏曲第2番やヴァイオリン協奏曲またピアノソナタ第3番の冒頭部、チャイコフスキーの諸作品マーラー交響曲ラフマニノフピアノ協奏曲第3番等があったが、それらは現在では演奏技術の発達により演奏不可能と見なされることはなくなった。しかし、プッチーニの「ラ・ボエーム第一幕のエンディンクは、未だに半音下げて歌われることが多い。

近代

近代ではストラヴィンスキー春の祭典シェーンベルクピアノ協奏曲ヴァイオリン協奏曲モーゼとアロンがあるが、「春の祭典」と「モーゼとアロン」は演奏技術の発達により現在では演奏会での一般的な曲目になっている。意図的作曲された例としてアイヴズの歌曲義務」があるが、今日では演奏家は内声などを省略するか、アルペジオ演奏するか、アシスタントを設けるかで解決されている。彼のピアノソナタ第2番等も同様であるが、本人は「間違った記譜もすべて正しい記譜である」と友人に説明している。プロコフィエフピアノ協奏曲第3番の第3楽章にも2度の音階的な走句があるが、「困難だ」と結論付けて全てアルペジオ演奏する者もいる。ラフマニノフピアノ協奏曲第三番第三楽章の冒頭のパッセージ身長が170cmないと物理的に不可能であり、体格の小さなピアニストテクニック不自由したピアニスト左手の音をずらして演奏することが慣例化している。

現代音楽

演奏不可能作品という概念現代では新しい複雑性と深く関係している。ファーニホウの諸作品は非常に高度な演奏技術を要するが、彼の音楽に要される困難は主に読譜に集中するため決して不可能音楽ではないとされる。しかし逆説的に言えば、演奏不可能概念は、今日例えばパソコンシーケンサーなどに自分で四分音符をメトロノームに合わせてキーボードで打ち込んでも決して4分音符や強弱が正しく出てこないという経験から人間演奏する限りにおいて全ての音楽に当てはまるという事も言える。その外シュトックハウゼンの「7つの日々からNr.26(1968)」の「金の塵」が奏者に演奏の前に4日間の断食強要していると言う点で事実上演奏不可能作品である

今日最も演奏の難しい現代音楽は、クセナキスの諸作品と言われている。第1曲目のピアノ協奏曲にあたる「シナファイ」、チェロ独奏の為の「ノモスアルファ」、ピアノ独奏曲の「エヴリアリ」、「ヘルマ」、「ミスツ」、ピアノ独奏重要な働きを担う「エオンタ」及び「パリンプセスト」等がその例であるクセナキス自身テレビインタビューで、これらは演奏困難にさせることを目的として作曲された作品であると語っている。

しかしこれらの作品群も、近年の若手演奏家の技術向上やCDリリースを参照する限り、徐々に不可能とは見なされなくなる日が近づいているのは確かであるが、逆にどんな簡単作品人間演奏する限り100%の完全なる再現は厳密には不可能である

ポピュラー音楽

前述の通りポピュラー音楽クラシック音楽とは事情を異にする。とは言え、カバー曲やカラオケなど、オリジナル以外の奏者による演奏がまったくないわけではない。

特筆される例としてはサザンオールスターズの「Computer Children」(作詞作曲 桑田佳祐アルバムKAMAKURA収録)が挙げられる。この曲は、マスター収録の後にエフェクトなどのデジタル編集を行い、その編集後の曲がオリジナルとされている。したがって、ライブ演奏事実上不可能となっている。ソフトウェアマスター作成においてデジタル編集を行うポピュラー音楽は近年珍しくはないが、この曲ほど大胆に使用している例は(リミックスを除けば)、稀有である

演奏史上で演奏困難とみなされた曲

作曲家演奏困難な作品を書くことによって、演奏技術が向上し、それがさら作曲技法を拡大させるいう面がある。以下の曲の多くのもの今日では演奏レコーディングの機会も多いが、作曲当時は「演奏困難」ないし「演奏不可能」とされたものである。参考までに掲げる。

ベートーヴェンピアノソナタ第29番(ハンマークラヴィアのための大ソナタ)

指定された速度で演奏するのはほぼ不可能であり、通常は指定よりもやや遅くして演奏される。また、曲が独奏曲にしては長大であるため、高度の精神力要求されるという点においても彼のソナタの中では最も演奏困難である演奏技術の発達した現在では、ロマン派以降のピアノ音楽大家作品群と比べれば特別難しい曲ではなくなっているが、それでもなお演奏は困難を極める。また、リストベートーヴェン交響曲ピアノの為に編曲したもの存在するが、それらと比べれば、このピアノソナタ比較的易しい。

パガニーニ24の奇想曲

超一流のヴァイオリン奏者、パガニーニ作曲したヴァイオリンの難曲として知られ、作曲当時はパガニーニ自身以外には演奏不可能であった。しかし、この作品の持つ魅力は多くの音楽家の心を捉え、さまざまな作曲家によって主題引用されている。この曲の存在によって、作曲技巧や演奏技巧が大きく開拓された面は否めない。現在でも超絶技巧の難曲として知られるが、一流の演奏家の中には完璧に弾きこなしている人もかなり多い。

リスト超絶技巧練習曲第2版

タイトルからもわかるように、超絶技巧を要することが目的となったピアノのための練習曲であるピアノパガニーニを目指したリスト代表曲である一般演奏家にも演奏できるように難易度を少し落とした第3版が現在では普及しているが、リスト超絶技巧極致を目指して作曲した第2版は特に演奏困難とされ、リスト以外には演奏不可能と言われた。現在ではジャニス・ウェッバーレスリーハワードが録音を残している。

チャイコフスキーヴァイオリン協奏曲

演奏不可能とのレッテルを貼られ、当時の第一線のヴァイオリン奏者に初演を断られた作品しか現在では、早熟ヴァイオリン奏者が10代で弾きこなしてしまうことも珍しくない。

ドヴォルザークチェロ協奏曲

第一楽章オクターヴの速い動きで事実上演奏不可能作品である解決譜としてのOssiaで多くのチェロ奏者が弾いている。

プロコフィエフピアノ協奏曲第4番(左手のための)

パウルヴィトゲンシュタイン委嘱で書かれたが、彼は「一音も理解できない」として取り上げなかったため、作曲家生前には一度も演奏されることは無かった。ただし実際には、様式上・技巧上ともに特に大きな困難があるわけではなく、演奏は十分可能である菅原明朗は「この曲こそプロコフィエフ最高傑作だ」と称え、ピアノ吹奏楽の為に編曲したヴァージョンを残している。

シェーンベルクヴァイオリン協奏曲 Op.36

十二音技法によって作曲されている。ただし、急-緩-急の3楽章から成り、両端楽章の終わり近くにカデンツァがあるなど、伝統的な協奏曲構成に従ってはいる。作曲者はヤッシャ・ハイフェッツに初演を依頼したが、ハイフェッツはこの曲を演奏するか否か散々考えた末、結局「研究しただけ無駄だった」として辞めてしまった。結局初演はルイスクラスナー独奏ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団により行われた。作曲自身生演奏を聴いていないとされる。

フォルカー・ハインの「フェッロ・カント

1990年代初めドナウエッシンゲン現代音楽祭がカールスルーエ作曲家フォルカー・ハインに管弦楽の曲を委嘱したが、度重なるリハーサルにもかかわらず演奏困難ということでその年の公開演奏が中止になった。次の年もう一度だけ初演が試みられたが結局不可能で、またしても初演を断念させられた。その楽譜は当時の展示即売会一般公開され、色々な同僚作曲家意見が聞かれた。現在に至るまで演奏されていない。ブライトコップフ社によって出版されている。

ケージフリーマンエチュード

チャンスオペレーションを厳格かつ極度に徹底したヴァイオリンソロのための作品集で、「作曲するのも演奏するのもほぼ不可能に近い」音楽になることを前提に作曲された。しかし、第18曲目の演奏困難度をめぐって1-16曲目までの初演者ポール・ズーコフスキー意見対立し、作曲が中断された。その13年後にアーヴィン・アルディティの助力で作曲が再開されて、無事32曲の完成に至った。現在この作品の全曲演奏が出来るヴァイオリニストはヤノシュ・ネギーシーとアルディティの二人しかいない事から考えて、最も演奏不可能に近いヴァイオリン曲といえる。

関連項目

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