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2024-11-20

マスクの潤いの喉への影響を信じる増田棲丸人士をうょ紀伊への屁殿の井尾ルウのくす間(回文

おはようございます

乾燥しているという今朝の私の感想だけど、

そこで!

マスク登場よ!

しばらくもうマスクの無い生活もやっと送れるのかしら?って思っていたけれど

ここになってこの乾燥マックスさ加減にやられている感じで、

明らかに乾燥のせいで喉が喉が喉の調子が怪しいのよ。

でもここ何日か

口紅するの面倒だからってのがきっかけにマスクしてみたら快適なの!

超快適!ってマスク名のブランドを作って売ったら爆売れ間違いなし路線一直線だと思うんだけど、

ちょっと私の愛用しているマスクとは違くて、

耳の負担が少ない引っ張られる感じがしないものなの。

一時期はマスク超高かったじゃない!

1箱50枚入り5000円とか!

もう世紀末か!北斗の拳マッドマックス世界観

人々は街中マスクを求めて長蛇の列!

それはもう今は昔の風景なのよ。

私は辛うじてマスクを安いときに買い込んでいたのがあり、

その国始まって以来の米不足もさることながらマスク不足に陥ってもなんとか暮らせていたの。

でも今はもう50枚入り990円とか!

社長!安ーい!って

その通販番組は一切見たことないのにもかかわらず、

その社長!安ーい!って声ははるか遠くの私にも届いてくる、

声だけは聞こえてくるんだけれど、

結局何を売ってるのかよく分からないレガシー過去遺産をディーブイディープレイヤーだのカセットテーププレイヤーだの売っているのかも知れない鴨鹿。

そんな声に悪寒を感じながら、

いや悪寒を感じたのは

マスクをするのをここ最近忘れていたイエスタデイ!

寒気がするのでぞくぞくもうこのタイミングでは風邪引きさん間違いなし!

きっと

風邪の引き始めに飲むでお馴染みの葛根湯ももう飲むには遅いタイミング

あれって風邪の引き始めに飲む!ってあるんだけど、

風邪の気配に気付いたときにはもう遅くない?

葛根湯!って思い出したときにはたぶん間に合わないんだわ。

ファイナルファンタジータイムアクティブバトルで

死にかけのメンバーパーティーエリクサーを使うんだけど、

順番が前後してエリクサーを瀕死メンバーに使いたいのに

自分が先にやられてしまうという、

あの攻撃態勢に移行するグラフが一杯になるまで間に合わない!

えーん!

結局パーティーが全滅しちゃうかのような私も今この時期の気付いたときには

風邪の引き始めさんのタイムバーが刻一刻ともう増え続けているの。

そのメーターが増えたときにはもう風邪引き気配を感じているので

葛根湯を飲むには時すでにお鮨!

へいおまち!

私はそんな光り物のアジの握りを大将マスターに頼んで

よーし!今日は大好きな光り物たくさん食べちゃうぞ!って腕まくりして腕をブンブン回して

光り物の魚のお鮨を楽しみにしている待ちきれない気分なほど遅いもう風邪を引いているの。

そう気付いたときにはね。

から

あーヤバイ風邪引くかも!

って思ってマスク用心で着用しだしたら

喉の辛い感じが軽減されて今日は全くゼロなのよ!

凄くないマスク

風邪ウイルス防御には抜群の装備じゃない?

まだ幸い私にはマスクストックがたくさんあるので、

予備も念のためもうちょっと買い足しておきましょうか?って思ったけど

いまが50枚入のよく使うお気に入り銘柄マスクがなんと980円!

社長!安ーい!もうここまでがワンセットにしたいところ。

うーん、

でも通販ですぐ頼んだら置き配ですぐ届けてくれるから

無くなる間近でいいかーって思ったの。

マスク素敵!

効果抜群よ!

マックスマスクしといた方がいいわ。

お陰で喉ももちろんだけど悪寒迫ってくる風邪の気配を感じつつ

もう葛根湯を飲むには遅い季節になったにもかかわらず、

風邪の気配も感じることが無くなったの!

これってチャンスじゃない?

葛根湯飲むの!

私はそう思って葛根湯チャンス!と思ったけれど

普通に元気なときに早めのパブロン級に竹下景子さんから勧められたら、

そりゃー飲むかも知れないけれど

もはや葛根湯の飲むことすら忘れていたぐらい通常体力まで

風邪の引き始め異常ステータスは消えたの!

それなんてファイナルファンタジー?って思うけれど

マスクして吸い込む外気が適当湿度が加わって加湿されて

喉の潤いを与えていたの。

マスク凄いわ。

私が忘れていた感情

マスクの偉大さ!

国内生産が追っつかなくなったかシャープも加勢して創り出したマスク

今はもはやマスク供給過剰とも言える状況でも今でもシャープマスクは作り続けられているみたいで、

人類が滅びたのに

もう誰にも使われることのないマスクをずっと生産し続けている

それなんてエスエフディストピア感的なことすら感じてしまうわ。

ずっとずっと誰に使われることもなく生産され続けるマスク

もう世の中はマスク安定的供給されているというのに。

その多分無人工場ではずっとずっとマスクが作られ続けるのよ。

もう人類はとうの昔に滅んだというのに。

「ああ、ここは空気が悪い!肺が犯されてしまう」

私は荒れ果てた大地を前にバイクにまたがりながら

かつて人類で大繁栄してい荒廃した都市へと向かう途中だった。

これから先は大気汚染されている。

マスクは欠かせない。

そんなハードボイルドエスエフ的なイキフンの雰囲気

私はマスクをしっかり着用し

喉の潤いが与えられたことを確認して

荒廃した都市に向かってバイクを走らせ向かったの。

人類はとうの昔に滅亡したと言われているけれど

辛うじて生き残った人々がいるの私のようにね。

「さて、今日はなにかいスクラップの掘り出し物があるといいわね」

再度私はマスクをして喉に潤いを感じると同時にバイク今日も走らせるのよ。

うふふ。


今日朝ご飯

久しぶりにタマサンドしました!

以前のお店はタマゴ薄くなったなぁってちょっとガッカリしてたんだけど、

違うお店のタマサンドたっぷりタマゴがタマタマゴしているので、

こっちの方が大満足感高めね!

ションテン上がるわー!

やっぱり1日の始まりタマタマゴなのよ!結局。

デトックスウォーター

な!なんと電気ポット朝お湯が沸くようにタイマーを仕掛けてつけておいたのに

電源ケーブルが抜けていてお湯が沸いてなかったわ!

オーユー!

私はそんなオーマイガッな気分とは裏腹にすぐ沸かせるタイプで秒でお湯を沸かして

いつものように

ホッツ白湯ストレートウォーラーを楽しんだのよ。

今日ストレートホッツね。

電源ケーブルには気を付けるわ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2024-11-17

もう老人やサヨやマスメディアスクラム組むと逆効果とはっきりしたでしょ

1 流れが読めぬ老人たち

おれ兵庫の件は全然知らんし興味薄い

趣味の場で週2回会う同年代高卒自営業(彼は斎藤立花支持)から情報だけなんだけどさあ

  

まず

20くらいの市の市長が連名で斎藤に反対の声明だしたって聞いて

うわーそれはマジで不味いと思ったんだよな

 

だってそんなことは市長に口出されることじゃないぜ?

有権者からすりゃ「指図された」ってなるに決まってる

市長が言ってるから従おうなんてなるべきじゃないし、ならんよ

異様な印象を刻み付けるだけ

 

で、たいして親しみのないどっかの市長20人と

斎藤さん」「立花さん」の解像度になってる親しみのある人物像と

明確な対立構造なんか作られたらどっち味方すると思う?

 

こんなの本当にガキでもわかることだぞ

市長の連名声明やろうなんて言い出したバカ

斎藤再戦の功労者だぞ

スパイか超無能かどっちかだぞ

 

「指図された」になるのはまだいいほうで

陰謀論強度高い有権者は「やはり何かある」と確信を深めるよな

高卒自営業も多いに不信感を持ってたよ

斎藤陣営のノリを見ててそういう効果予想できなかった?

無能すぎるだろ

  

2 嫌われてるのを自覚したがらない左翼たち

それで有田ヨシフとかしばき隊とかが兵庫入りしたのもダメすぎた

俺は立花有田しばき隊区別なく同レベルのアレだと思ってるけど

立花は機を見るに敏というか変なカリスマ性はあるのにたいして

有田しばき隊なんて本当にただただ鼻つまみもん嫌われもん

参戦することにマイナス効果しかないだろ

 

この間の選挙でもそういう行儀悪いオール左翼候補応援体は総崩れだったんだから

世間はもうあの手の人たちにたいして明確にマイナス好感度だってわかったろ

  

から稲村を勝たせたいなら家でじっとしておくべきだったのに

現場応援に行ったりするから頭を抱えるんだよな

彼等の参戦を狂喜して拡散したのは稲村応援側じゃなく斎藤応援側だったよ

「あれが敵陣営ならやっぱり我々は正しい」ってなもんよ  

  

3 説得力で負けるメディア

メディア説明が負けてるのよ

立花の語りの方が有権者の頭に入ってくる

なのにメディアは公正中立と行かずに

はっきり方向性を感じさせちゃうじゃん?

 

有権者脳内ではメディアから方向性感じた時点で

メディア立花は同レベルなっちゃうのよ

どっちも方向性のある人たち

 

そしたらより人間味を感じさせて

より解像度の高い語り口の方に親しみ持つに決まってんじゃん

まりメディア無能な上に不偏不党ですらないか

そういう「信頼」を毀損されきってて

口のうまさや距離の近さ対決になってるわけ

 

そしたら立花には勝てないよな、

だってメディアの中の奴らは大体あのトップチンピラより無能だもん

気迫胆力場馴れ口の上手さ顔の近さ

メディア立花に勝てないね

 

 

別に立花がはじめて現れた英傑とかじゃなくて

扇動者ってのは人類社会には繰り返し現れてきたけど

近代社会健全ジャーナリズムってものがそれを封じ込める筈だった

 

でも実際にはマスメディアって全部クソだろ?

現代メディア中の人間一人一人の知能や人格に触れられてしま

社会の木鐸でもなんでもない、

頭が悪いのに思い上がった老人がだらしない人格で片寄ったこと書いてる落書き帳だとバレた

  

既存メディア権威信頼性を自ら毀損たか

これからはもう立花みたいなのに対抗する手段がないの

これは陰謀論じゃなくてただの人気勝負だよ

 

老人世代のサヨとマスメディア

やってはいけないことをやりつづけた

そのせいで立花みたいなのと平場で腕力勝負する羽目になってる

立花は人品卑しいけど奸雄的な能力には優れてて

なんの能力もないサヨやメディア腕力勝負で勝てやしない

  

 

もう老人やサヨやメディアスクラムしても

誰もそこに権威や信頼を感じなくなってしまった

当人たちの傲慢無能と長年のズルのため

スクラムするほど逆効果にすらなるようになったってこと

  

老人にとってこの先の社会はずっと悪夢だと思うから

はよ死んだ方がいいよ

それか端末閉じて田舎晴耕雨読の余生を送るのがいい

  

  

ブコメ

akutsu-koumi

結果が出てからあれが勝因だ、これが敗因だと理屈を付けて解説するのは誰でもできる。なのでこの記事にもパーを出した相手に後からチョキを出して勝った人を見かけた程度の気持ちしかならない。なんの啓発もない。

2024/11/18

もう一人も個性のない同じことかいてるけど要するに

「お前の書いてることは事前にわからなかったことだー!」

だってw

   

さすがに負け惜しみがすぎるでしょ

都知事選では蓮舫石丸にも負けて落選

衆議院選では有田萩生田にも負けて落選

兵庫県知事選でまた斎藤に負けて落選

 

いずれも不祥事直後でメディアに物凄い叩かれてる奴に

必勝の構えで挑んで負けてんだよな  

まりパヨパヨした中高年が結集した選挙

勝てなきゃおかしいだろみたいなとこでも落としてるの連続

  

こう同じパターンと同じ結果を繰り返してるのに

予測不能だった!」「後知恵だ!」「偶然だ!」

そんなこと言い張ってなんになるの

オジジもオババももう向き合おうよ、現実

  

 

石丸に勝った後任はここにある負けパターンあんまやってない

プレーンで真面目でちゃん仕事できます、だけ

小池百合子乱闘には全く乗ってこなかった

相手瑕疵があるんだからそれが当然の正解なのに

わざわざボルテージあげて人気対決にして負けてんだよ

 

そう、好感度対決にしちゃって負けてんの何度も

からもう自分たちが嫌われもんなことくらい自覚して作戦たてりゃいいのに

しろ人気者やスターぐらいの立ち居振舞いするよな

   

社民党党首が来てくれました!」 

有田さんが来てくれました!」

しばき隊が来てくれました!」

これで一般有権者から歓声上がると思ってるのマジどうかしてる

間内で誉めあったりしてるから感覚バグるんだと思うぞ

世間からずれきった白髪頭ども

  

あーだから

負け惜しみだろ」とは書いちゃったけど

こいつらマジで事前にこれが見えてないのかもな

  

何がどういう風に自分達の不利に働いてるのか、

どういう負けパターンになってるのか、

ってことが 

  

ブコメ2

ireire

逆効果だと思ってるなら、泳がせればいいと思うんだけど、なんで書くんだろ

2024/11/18

彼等には修正能力なんかないので

こんな話してもキーッて怒るだけだよ。

彼等は目的のためじゃなくて自己実現のためにやってるから

  

俺は彼等に邪悪目的があるとかは少しも思ってなくて

ひたすら低能なんだと思ってるの。

からもし俺のこの話聞いて反省して修正できたなら

それはもう俺の嫌悪するサヨではないのよ。

出来ないけどね彼等には。  

  

「壺はどうなんだ」みたいなブコメあるけど

あいつらは老人サヨに比べりゃ極めて正気だぞ。

あいつらの内部には「人類最高のお母様韓鶴子マンセー」みたいなノリがある筈だけど

選挙応援するときにそんなことおくびにも出さねーだろ。

ひたすら裏方の労働力に徹してる。

 

統一教会信者キチガイでも

指導部は極めて正常な認知能力があるんだよ。

「ウチとソト」を使い分けてる。

自分達が外部の一般から見ればキモいだけとわかってる。

内部の感情論理では素晴らしいスター級の人物でも

一般有権者から歓声もらうことなんかないと理解してる。

 

その程度の認知判断すら出来てないんだぜ老人サヨや旧来メディアは。

壺よりはるか能力劣るわけ。

anond:20241117115028

そこまでの覚悟があるかどうかは知らんけど

証明することは不可能だと確信たからこそ研究ではなく社会運動に訴えているのだとは思う

これが社会学系の人間社会運動ばかりやってる理由だと思う

差はない、と証明するよりも

差はない、と社会に受け入れさせる方がはるか簡単だということよ

2024-11-16

anond:20241115195932

こういう人たち典型的によく見るけど、ネバーランドに生きてるんだよね

精神的に自立できてなくて、常に何かに寄生して何かをもらうことしか考えてないのになぜか自立したつもりでいて自他の認識の差がえげつない

社会助け合いで成り立っていると理解できておらず、責任も負わず子供のころの庇護された状態で好き勝手生きてるだけなのに、それをどうにか自己正当化しようとするとこんな感じになる

親父はクソとか言いながら実家金銭的援助を期待してたり、福利厚生だのなんだの書きながら結局自分他人に何を提供できるのか一言言及してないのがすべての証拠

お前がクソって言ってる親父も、他人奴隷扱いしてたと認識してたのかもしれんが家族を養ってどうにかしてたんだよ 自分はそれ以下で、さらにその金をアテにしてる自分はそれのはるか下だった認識するところから始めないといけないのでは?

こういうことを指摘されると、自己正当化のために男は楽に稼げるのが楽でいいよなと女は稼げないからとか妄想を初めて、ミサンドリー全開の終わってるおばさんに進化していくのもたくさん見てきたけどね

そら常に周りから何かをもらって好き放題生きるのは楽しいに決まってんじゃん?でもそれが永遠に続けられるわけないじゃん?いい加減に子供部屋から出ろよっていつも思う

いつまで上の世代からの援助で社会を食いつぶす気なんだよ

2024-11-15

anond:20241115134037

マイルドインフレはおそらく正しいよ

問題なのはインフレ目標が2%っていう日本の基礎体力をはるかに超えた値に設定されてること

2024-11-14

HTMLPDF化の記事

おすすめに出てきたこ記事

https://qiita.com/heapjp/items/1682c467deb2284a707b

 

個人開発らしいし好きにすればとは思うものの、書きたいことがあったので

 

専用のエンジンのとか用意したのかなって思ったのにpuppeteerらしい

より便利になってるplaywrightとかあるのにpuppeteeerかよってのもあるけど、pupeteerなら誰でも手元で簡単にできるのに有料サービスにするの?

誰が使うの?

 

pupeteerってことは基本chromeエンジンだろうけど、現状のブラウザって印刷周りの機能がかなり弱い

ヘッダーやフッターに表示みたいな機能ですら長年実装されず最近リリースされた131でやっと実装されたレベル

 

しかもこれも完璧ものじゃないので章タイトル自動で表示させるとか柔軟なことはできない

ほぼ固定文言かページ番号に限定される

 

その点weasyprintは独自エンジンでやってる分、印刷周りのCSS対応が充実してる

代わりにかなり遅いし、高度な新しいCSS機能対応部分的だが

 

しかし、ネットに落ちてるそのへんのページをPDF化するわけでなく、印刷用に作ったHTMLPDF化と考えるとこっちのほうがはるかに適してる

 

まあそんなわけでタイトルで期待したのになんか残念に感じましたとさ

anond:20241111094624

最後の一文に対しては追加に書いたんだけど、すごく自分に似てるけど自分よりはるかに良い人だなと思う。

自分も男女間問わない創作してる。恋愛は絡めないことが多いけど、恋愛ものもつくる。文章イラストかいてる。キモオタから二次創作もしてる。「そういうもん」の自分雰囲気だけで作ってる。

【おおよその人が息をするようにしている恋愛自分だけ知らなくて悔しくてモヤモヤするわ】

ここが本当にそうで、自分がそこに羨ましさとか妬ましさを感じてるって思い知った。今までずっと友人と恋愛の話になったときにはテキトーな気になってる人の名前言ったり、逆に言わないことでいる感じ出したり、今はそういう気分じゃないとか言ったり、すっごいテキトーに流して生きてきたんだけど本当はその話でみんなと同じように騒ぎたかった。自分が知らない娯楽でみんなが楽しそうに遊んでるのが悔しかった。

エーミール少年の日の思い出を語る

 正しい人でありなさい。

 それが、僕に課せられた唯一にして最大の教条だった。

 幼い頃から、僕は常に「先生の家の子であることを意識させられてきた。両親は僕を品行方正な模範少年に仕立て上げることに腐心していたし、周りの人(大人子どももだ)は皆、僕の素行や成績の優秀さを褒めそやした。

 今思えば、僕は他人眼差しに見張られ、他人の期待に縛られて暮らしていた。だが、当時の僕は、それに不満や苦痛を感じることは(少なくとも意識の上では)全くなかった。むしろ、どんな時も「正しい人」として振る舞うことに、ある種の誇りすら感じていたように思う。

 友達をえり好みするのは「正しくない」ことだ、という両親の教えに従って、僕は誰にでも人当たり良く接していた。その甲斐もあってか、ほとんどの級友は僕に好意的だった。先生たちも僕を気に入っていたようで、贔屓と言われるような特別扱いを受けることも少なくなかったが、誰も文句を言わなかった。僕は何の迷いもなく、己に与えられた特権享受していた。それが自分の「正しさ」に支払われた報酬だと受け止めていたからだ。

 そんな僕が、一人だけ「友達」と呼べない少年がいた。隣の小さな家に住んでいた彼は、見た目も成績もパッとせず、不器用どんくさい、いわゆる劣等生だった。当時の僕にとって「優れていること」と「正しいこと」はほとんど同じ意味だったから、僕は「正しくない」彼のことをうっすらと見下していた(そしてそれを「正当な評価」だと信じていた!)。

 だが、もし彼がただの冴えない少年だったら、僕は彼とも親しくしようとしただろう。僕に「誰かを嫌う」という悪徳を犯させた(当時は本気でそう思っていたのだ)のは、彼の蝶に対する異常な情熱だった。

 あの頃の僕たちにとって、蝶の収集最大級の関心事だった。少年たちは蝶を捕まえては標本を作り、互いに自慢し合っていた。

 はじめのうち、僕はあまり熱心な収集家ではなかった。捕らえた蝶を完璧な標本に仕上げる作業は楽しかったけれど、蝶を捕まえること自体にはさして魅力を感じていなかったのだ。

 だが、彼は違った。彼は「蝶狂い」としか言いようがないほど、生活のすべてを蝶捕りに捧げていた。「蝶を探していた」という理由遅刻して先生に怒られるのは日常茶飯事で、彼の母親が夜に戸口の前で息子が戻ってくるのを待っているのを見たのも一度や二度ではなかった。

 それほど蝶に入れあげているにもかかわらず、彼は自分の標本を他人に見せようとしなかった。標本を級友たちとの「社交」の手段と捉えていた僕は、そんな彼に不気味さすら感じていた。こいつは一体何のために蝶を集めているんだ? 遅刻の罰として教室の前に立たされている彼の、何を考えているかからない顔を見るたび、僕は疑問に思わずはいられなかった。

 ある日、僕は虫取り網を片手に近所の森に出かけた。新しい標本を作るために蝶を仕入れに行ったのだ。あらかじめ目星をつけていた場所で狙い通りの蝶を捕まえ、さっそく家で標本にしようと帰りかけた時、近くでガサガサと物音がした。音の方を見ると、一人の少年が森の奥へ向かっていた。彼だ。彼は僕に気づくこともなく、上の方を見ながら歩みを進めていく。僕はほんの少し迷ったあと、彼の後を追いはじめた。誰かのあとをつけるなんて全く「正しくない」ことだと思いながらも、なぜかそうせずにはいられなかったのだ。

 十分以上歩いただろうか。少し開けた川べりで、彼はようやく足を止めた。僕は木の陰に隠れて、彼の様子をうかがった。彼は静かに網を構え、宙の一点を凝視している。彼の視線を追った先には、一匹のコムラサキがいた。生きたコムラサキを見るのは、これが初めてだった。

 彼はじっと、コムラサキの隙を狙っている。爛々とぎらついた瞳には、きっと蝶の姿しか映っていない。こんなにも獰猛空気を纏った人間を、僕は見たことがなかった。

 不意に、彼が動いた。突き出された虫取り網がひらりと宙を舞い、すぐに地面に伏せられる。彼はかがみこんで網の中を確認した。僕からは蝶の姿は見えなかったが、狩りの結果はすぐに分かった。彼が、長い安堵の息とともに、うっとりと微笑んだからだ。

 彼が立ち上がる前に、僕は踵を返した。早足はいつの間にか駆け足になり、何度も転びかけながら、それでも走り続けた。「逃げなければ」という言葉が、身体の中に繰り返し響いた。何が怖いのか、そもそも全身に満ちたこ感情が恐怖なのか、何もわからないまま、僕は家まで走り通した。捕まえた蝶がいなくなっていたことに気づいたのは、自分の部屋に戻ってからだった。

 それから二ヶ月ほど経った頃、紙箱を手にした彼が僕の家を訪ねてきた。彼が何か言う前から、僕には箱の中身が分かっていた。彼はあの日コムラサキを見せに来たのだ。僕は彼に気づかれないよう息を整えてから、紙箱の蓋を開けた。

 箱の中のコムラサキは、お世辞にも良い状態とは言えなかった。展翅には粗が多く、足も欠けている。褒められたものじゃないな、と思いながら顔を上げると、彼は得意げな笑みを浮かべていた。驚嘆と賞賛を欲しがっている顔だ。それに気づいた途端、胸の中にどす黒い感情が湧き上がった。

 せっかくのコムラサキがこんな不完全な標本になってしまたことへの落胆、その粗雑さに全く無頓着で恥じる素振りもないことへの呆れ、そして何よりこんなやつに一時でもおそれめいた感情を抱いてしまった自分への怒り。そういったものが渾然一体となった感情だったと、今にして思う。だが、子どもだった僕は、それらを「不快もの」として一括りにすることしかできなかった。そして、その不快感を、標本への批判という形で吐き出したのだ。

 僕は、彼のコムラサキ欠点を、ことさら辛辣な言い方で並べ立てた。彼の顔はみるみるうちに曇っていき、最後にはすっかり不機嫌な表情になった。

 紙箱をひったくって部屋を出ていった彼の後ろ姿を見て、僕はかすかな罪悪感を覚えた。人を傷つけるのは、明らかに「正しくない」ことだ。

 違う。僕は彼を傷つけたわけじゃない。僕はただ事実を述べただけなのに、彼が勝手に傷ついたのだ。直すべきことを指摘するのは「正しい」ことだから、僕は何も恥じる必要はない――

 僕は自分にそう言い聞かせた。都合の良い言い訳だと、心のどこかでは分かっていたけれど、気づかないふりをした。僕はただ、「正しい人」でいたかったのだ。

 彼のコムラサキの標本を見てから、僕は本格的に蝶の収集に取り組み始めた。少数の個体完璧に仕上げることで満足していたのが、より多くの種類の蝶を捕まえたいと思うようになったのだ。

 勉強友達付き合いに割く時間限界まで減らし、僕は蝶の採集に出かけた。珍しい蝶も、そうでもない蝶も、とにかく片っ端から捕まえた。両親は泥だらけの服で帰ってくる僕を見て顔をしかめ、級友たちは僕と遊べないことに不満げだった。採集自体も、楽しさより苦痛のほうが大きかったが、やめようとは思わなかった。

 僕の目的は、彼よりも優れた収集家になることだった。彼が捕まえるよりも多くの種類の蝶を、彼が作るよりも美しい標本にする。それは僕にとって、ほとんど初めての私的欲望だった。誰に求められたわけでもないのに、「正しい」ことでもないのに、せずにはいられない。自分でも理由のわからないまま、僕は取り憑かれたように標本作りを続けた。

 時折、蝶を探しに行った先で、彼の姿を見かけることがあった。彼はいつでも心底楽しそうに野山を駆け回っていて、その姿を見るたびに嫌な気持ちになった。僕が彼に声をかけることはなかったが、彼が僕に気づくこともなかった。彼はいつも蝶しか見ていなかった。その事実もまた僕を苛立たせていたのだが、あの頃はそんなことは思いもよらなかった。

 季節がいくつか過ぎる頃、僕は蛹の採集にも手を出していた。森に分け入って成虫を捕まえるよりも、自分の部屋でじっくりと蛹や繭を羽化させる方が性に合っていると気づいたのだ。時には予想外の成虫が出てくることもあったが、それもまた楽しみの一つだった。

 そんななか、とんでもないことが起こった。偶然手に入れた繭からクジャクママユが羽化したのだ。クジャクママユといえば、僕たちの間では秘宝のような扱いの、まさに幻の存在だった。ゆったり広げられた翅に浮かぶ特徴的な斑点を確認した時には、全身の震えが止まらなかった。

 何も考えられない興奮状態の後に、真っ先に頭に浮かんだのは彼の顔だった。彼が教室の片隅で、級友のクジャクママユの話に目を輝かせていたのを見たことがある。あの様子だと、きっと彼はまだクジャクママユを見たことがない、ましてや持っているはずがない。

 千載一遇の好機だと、僕は思った。このクジャクママユを完璧な標本にして、彼に見せるのだ。何が「正しい」標本なのか、誰が「正しい」収集家なのか、彼に見せつけてやるのだ。この思いつきは、僕をひどく高揚させた。

 僕はこれまでにないほど慎重かつ丁寧に、クジャクママユの展翅に取り組んだ。その出来栄えは、今までのどんな蝶よりも素晴らしいと自負できるものだった。もうしばらくすれば、非の打ち所がない美しい標本が仕上がるはずだ。僕はすっかり舞い上がっていた。

 常に地に足をつけていることこそ「正しい」。そう知っていながら、浮かれきった僕は級友にクジャクママユのことを話してしまった。噂はあっという間に広まり大勢少年たちがクジャクママユを見せてくれと押しかけてきた。

 僕は彼らの頼みを「完璧状態で見せたいから」と全て断った。それも嘘ではなかったが、一番の理由でもなかった。最初に見せる相手は彼だと、最初から決めていた。

 僕は実のところ、彼がどうしてもと乞うならば、未完成状態でも見せてやってもいいとさえ思っていた。にもかかわらず、彼は何も言ってこなかった。コムラサキの一件以来、彼が僕を避けているのは分かっていたが、彼の僕への嫌悪感クジャクママユへの興味を凌駕していると考えると、妙に胸がモヤモヤした。

 その日は、何ということのない平凡な一日になるはずだった。少なくとも、蝶の採集を終えて帰宅し、自室に入るまではそうだった。だが、そこで僕を待っていたのは、変わり果てた姿のクジャクママユだった。

 翅がもげていた。触角も片方取れていた。展翅板の上には、粉々になった翅の残骸が散らばっていた。

 どうして。何で。誰が。どうすれば。

 絶望的な言葉の断片が、次々と頭の中に浮かんではぼろぼろと崩れていく。早く直さなければ、と震える手で修復道具に手を伸ばす。今までの経験は「これは無理だ」と告げていたけれど、その声さえ聞こえなかった。

 日が落ちかけた頃、僕はとうとうクジャクママユの修復を諦めた。僕は絶望的な気持ちのまま寝台に倒れこみ、腕で目を覆った。このまま何も考えずに眠ってしまたかった。そして朝になって、すべてが夢だったと気づきたかった。

 そんな幼稚な空想を打ち砕くように、女中さんが僕の部屋の戸を叩いた。彼が来ていると言うのだ。僕はのろのろと起き上がり、玄関に向かった。

 僕の酷い顔を見て驚いたのだろうか、彼は何も言わずこちらを見ていた。僕は半ば操り人形のような心地で、クジャクママユが台無しになったことを告げた。すると彼は、それを見せてくれと言った。僕は頷き、彼と共に重い足取りで階段を上っていった。

 僕はクジャクママユの残骸を彼に示した。ろうそくの明かりでも、彼の顔に全く血の気がないのがわかった。彼はしばらくクジャクママユを凝視していたが、ゆっくりと僕の方を向いて、言った。「ぼくが、やったんだ」と。

 僕は耳を疑った。意味がわからなかった。彼が、これを?

 僕が凍りついていることに気づかず、彼は堰を切ったように喋り始めた。どうしてもクジャクママユが見たくて、僕がいない間に部屋に入ったこと。見ているうちに魔が差して、クジャクママユを盗んだこと。返そうとした時には、クジャクママユがつぶれてしまっていたこと。

 彼の話を聞くにつれ、僕は胸がどんどん冷たくなっていくのを感じた。同時に頭に浮かんだのは「彼は裏切ったのだ」という言葉だった。何を裏切ったのかはわからない、ただ彼が裏切り者だという考えだけが、強く強く繰り返された。

「そうか、そうか、つまり君はそんな奴なんだな」

 そう告げた声は、自分でも驚くほど平板だった。こんなに誰かを軽蔑するのも、こんなに誰かに失望するのも、初めてだった。

 彼は必死に許しを乞うてきたが、僕はありったけの皮肉を添えて彼の謝罪を切り捨てた。彼は一瞬、殺さんばかりの形相で僕を睨みつけた。そんな表情を誰かから向けられたのは初めてだったので、僕はほんの少したじろいだ。だが、彼はそれに気づくことなく、何も言わないまま、僕の部屋から出ていった。

 僕はろうそくを吹き消し、再び寝台に横たわった。毛布に繭のようにくるまると、両目から涙があふれだした。

 僕はどうして泣いているんだろう。当然、大事クジャクママユを失ったからだ。でも、本当にそれだけだろうか。僕は、何を失ったんだろう――嗚咽の合間にそんなことを考えながら、僕の意識ゆっくりと沈んでいった。

 次の日、僕は級友たちに、不手際クジャクママユが駄目になってしまったと話した。彼らは、ぜひとも見たかったのにと嘆き、僕らしからぬ失態に戸惑った様子だった。だがそれも一時のことで、しばらくすると彼らの興味は別のものへ移っていった。

 そして、その日以来、彼を野山で見かけることはなくなった。遅刻することもなくなり、真面目に授業を受けるようになった。ほどなくして、彼が蝶の収集を一切やめて、標本もすべて捨ててしまったらしいという噂が聞こえてきた。級友たちが、あいつとうとう正気に返ったのかとか逆におかしくなってしまったのだとか好き勝手を言っているのを聞き流しながら、僕は教室の隅でぼんやり座っている彼を盗み見た。

 彼は罪を犯した、言い逃れできないほど「正しくない」人間だ。彼の罪を糾弾し、正当な罰を与えることこそが「正しい」行いだ。そう考えながら、僕はそうしなかった。彼をかばうためでも、ましてや許すためでもない。僕はただ、逃げたかったのだ。

 あの夜、僕はまぎれもない被害者で、彼は明らかな加害者だった。誰もが、僕が彼を非難するのは「正しい」ことだと思うだろう。けれども僕はあの時、「正しい」ことをしようと思ったわけではなかった。正しいとか正しくないとかい基準から外れた場所あるむきだしの感情――「彼に裏切られた」という気持ちにまかせて、僕は彼を言葉で刺したのだ。

 思えば、彼に関わる時の僕は、いつも「正しい人」から遠ざかっていた。標本箱の中の蝶のように完璧優等生はいられなくなり、破れた翅で不格好に飛び回る、身も心も薄汚れた自分になってしまうのだ。そして、その先にはいつも彼がいた。僕よりはるかに劣っているはずの彼は、森の中では僕よりはるかに美しく羽ばたいていた。にもかかわらず、彼は自ら泥の中に墜ちていった。それらすべてが許せなくて、耐え難くて、そう感じる自分自身を認めたくなかった。だから、僕は彼との関わりを絶ち、自分が「正しい人」でいられる場所へと逃げ出したのだった。

 結局、僕は逃げ切れなかった。「正しい」ままで生きることな不可能だということを悟り自分の中の「正しくない」ものを受け入れて飼いならすことを覚えた。世間ではそれを「大人になる」と呼ぶのかもしれない。

 彼とは、学校卒業してから顔を合わせていない。今では蝶への興味もすっかりなくなって、作りためた標本はほとんど全て人に譲ってしまった。

 それでも、一つだけ手元に残したものがある。翅のもげたクジャクママユだ。痛々しくて不完全で、なのになぜかひきつけられる。そんなクジャクママユこそ、僕にとっての少年の日の思い出なのだ

anond:20241114001334

  1. 路傍の石も  歴史を語り
    はるかに遠い 昔の夢の
    埋もれている ふるさとの土
    空ゆく雲が  われらにつげる
    学べよ新しき 学びの窓で
    ああ 西階中学校

  2. 城址の森に  茂るときわ
    五ヶ瀬の水は 清らに流れ
    春さりくれば 萌ゆる若草
    吹きくる風が われらにつげる
    鍛えよ新しき 学びの庭で
    ああ 西階中学校

  3. 見よかがやかし われらが母校
    若き生命は  泉のごとく
    希望の歌は  つきることな
    いざ手をとりて 共に進まん
    栄えあれ新しき わが学園に
    ああ 西階中学校

2024-11-13

財務省に舐められる文科省無能さよ……

教員不足だから調整手当をどうにか増やそうとする文科省に対して、時間外労働を減らせば考えなくもないと言う財務省

ただ財務省雇用費を減らしたいとも考えてるから、彼らの言ったことを鵜呑みにしたら最終的には教員給料はむしろ減るだろうというのは予想に付く。

とはいえ時間外労働を減らすように何か業務を削れという至極真っ当な言葉に対して、文科省はキョウインノシツガーキョウインノミリョクガーとしか言わないあたり、教員不足の原因から目を背けてるとしか思えない。

 

今どきブラック残業代出ないし事務仕事が大半だけど子供達の成長を共に歩めますよ、なんて言われても人は集まらない。

これから就活する人や転職を考えてる人たちが見てるのは、仕事内容と給与バランスキャリアアップに繋がるかどうかであって、仕事の魅力は二の次

もといそういう部分に仕事の魅力を見出す人が多い印象。

 

教員採用試験にも多くの問題を抱えてる。

試験日時を他県とずらしたり早めることで人を集めようとしてるけど、受ける側からすると滑り止め程度の物でしかないし、複数受けてるから増えてるようでそうでもない。

しか若い人が欲しいからって長年学校を支えてきたフルタイム非正規は半ば無視

10年ほど前から一次試験パスみたいなことも各県でやってるけど、新採で入ってくる大半が20代~30代前半。

んでそういう若いのが教員世界に入ってくるんだけど、理想現実ギャップというか……。

まりにやること多すぎて潰れて、その穴埋めで人手不足という負のスパイラルを生み出してる。

あと女性基本的に0.5人分で数えて欲しい。

女性男性に比べて仕事が出来ない?

否、むしろ出来る人が多いし、仕事も早い印象。

生徒達のコントロールうまい

しか男性に比べると時間制限がある人が多くて、その穴埋めを男性残業までしてやってる現状。

妊娠産休なんて取られた日にはそれも主に男性が穴埋め。

時間的にコスパは良くても総合的に働ける時間男性よりはるかに短い。

今の現場では単純に数と時間が欲しいこともあって、時間制限のある人材現場にとって爆弾しかないし、いざ爆発すると過労死レベル残業を要されることもあった。

 

そんな状況を変えられる存在はいるのか?

文科省である

でも肝心の文科省はキョウインノシツガ―ミリョクガーしか言わないし、教員不足の原因たらしめてる現場ブラック状況から目を背けて改善の具体案のグの字も出てこない。

それでいて現場教員に寄り添ってますアピールまでするから、もはや腹立たしさを通り越して呆れてる。

から財務省に舐められるし、マジで終わってる。

2024-11-11

anond:20241111185135

原神のストーリーは、正直1年そこらで理解できるほどのもんじゃない。

厳密に何が起きてるのか知ろうとせず雰囲気で感動できる人はいるかもしれないが(それが多数派だろう)、理解しようとするタイプの人がちゃんと感動するにはガッツリ考察勢にならないといけない。

初期から現在にいたるまでゲーム内外あらゆるところに情報が散らばってて、しかも昔の期間限定イベント等にも世界観理解するための重要示唆が含まれてるので、コンシューマゲーの感覚シナリオ評価することは不可能

初期からリアルタイムで遊んでても、後発の配信者とか見て昔のシナリオを振り返ってる時に、自分遊んだ当時は何とも思ってなかった部分で気づきがあったりするし、どう考えても求められる教養の幅的に一人じゃ気づくのが不可能意匠などが織り込まれてるので、公式コミュニティSNSnoteなどを漁っていくこともしたくなる。

そうして初めて、完全とは程遠いながらも「こういうことなんだろうな」とぼんやり分かる部分が積み重なって解像度があがっていく。最新のシナリオまで読破してもまだ明らかでない要素が山ほどあるので、常に追いかけながら認識更新していかないと面白さがわからない。わからない状態面白いと思える素養が要るというか。その点はほとんど「開発者に対する信頼が築かれてるかどうか」と同義かもしれない。

まり運営ゲームにおける巧みなシナリオの展開というのは、本や映画コンシューマゲーム脚本面白さの作り方とは根底からして異なるということ。

そのへんをよく理解しているネトゲ経験値の高い人でないと、特に高齢孤独ゲーマーは振り落とされてしまやすいだろう。

会話スキップ機能を求める人はそもそもこのゲームに向いていなくて、この手合は開発が心を込めて作ってる部分までも「石集めのためのハードル」としか捉えていない節がある。

これはスマホでやるゲームじゃなく、スマホでもできちゃうだけで、虚無作業をこなして当たりを引くソシャゲガチャゲーの文化とは似て非なる次元にあるPCオンラインゲームだと気づく必要がある。

普通ソシャゲ運営の頭なら、もっと復刻をして集金しようだとか、無料10連やガチャフェスを開催して課金煽ろうだとか、キャラ属性バランスよくバラけさせて実装しようとか思うかもしれないが、まったくそうしない。

おそらく、物語の展開や設定にあわせた形で登場させていくことが最優先になっている。ヌヴィレットや召使が飛び抜けて強いのも納得させるだけのシナリオムービーがあっただろう。

キャラ戦闘力を充実させるための道具としか見てないソシャゲに過適応したユーザーにとってはこの采配が歯がゆく感じられるのかもしれない。

はっきり言うとこのゲームにおいて、戦闘部分やキャラはおまけ。おまけとしては尋常じゃないほど作り込まれてるけど。

おまけ加減はイベントを見れば分かる。毎回テーマイベント毎に異なるミニゲームをわざわざ開発して3つほど提供する中で、戦闘はそのうちの1つでしかない。

戦闘キャラ部分はかなりカジュアルゲーマー意識してボトムを広く取ってると思う。お試しが手厚いのもそうだし。

それがなんのためかというと、できる限り多くの人に世界観に浸って、いろんなことを感じ取って、ファン同士で感動を共有しあってもらう、ファン輪作りが主だからだと思う。

自分崩壊3rdも初期からやってきた。これはかなりオタクくさいニッチな嗜好をしているゲームだが、内部的に崩壊4作目として作られた原神の役割を考えたら腑に落ちるところだ。そして見事それを成し遂げてる。

から楽しむという面においては、無凸無餅でぜんぜん構わないか可能な限り全キャラ確保して箱推しみたいなスタンスで遊ぶのがゲームコンセプトとしては理想的だろう。

ソシャゲみたいに強さに注目しすぎないほうがいい。そのことは天井が引き継がれるガチャシステムから如実に伝わってくる。

ログインだけでもらえるような配布は少ないが、やり込んで獲得できる石はかなり多いので、月額+2倍石までの微課金でも新規追加キャラの8割くらいは確保できる部分もそうだ。

自分サービス開始日から毎日遊び、キャラはリオセスリ以外全員とっているアラフォーおじだがかなり正解な楽しみ方をできていると思ってる。

それからバグについてだけど、まったく同意できない。

原神をやっていて、致命的なバグに遭遇したことがあるだろうか?

自分は4年やってるが一度もない。ペェモンみたいなバグを見つけるのが上手い人もいるが、ネット民バグだと騒ぐのは5chでも話題にならないような些末なものだ。

四半世紀ほどネトゲ俳人をしていたから分かるのだが、バグがひどいゲームというのはコミュニティでそのバグについての話題しょっちゅう愚痴のように出てくる。

でも原神、というかミホヨゲーではそういうゲームにならないような重大なバグは目につかないか、起きてもかなり迅速に修正される。

またメンテがいつも定刻で終わり、緊急メンテナンスが入ることも滅多にないという点だけでも、ここの技術力が今まで見たこともないほど高いのが分かる。

国産ゲーや韓国ゲーだと終わらないメンテどころかサーバーが開いていてもログインできないようなネットワーク周りの不手際しょっちゅう起こるのだがここでは見た覚えがない。

それからかい不満点についてだが、確かに新作のゲーム配慮が行き届いてる部分が多く、一方で原神では不便なままのところが多かった。

最近はそれら新作を並行プレイしているユーザーからせっつかれるせいか、かなり利便性面のアップデートが入っているが、スメールくらいまでは遅々としてシステム改善が進まなかった。

でも、自分はこれも理解できる。

なぜかというと、原神は開発規模が同社のタイトルの中でも依然最大なくらい、コンテンツ量が膨大なのだ

6週間おき、それから隔verおきのマップを考えると、細かい既存部分の調整よりもそれら新規コンテンツクオリティに割いた方が、ゲームとしては魅力的なものになるであろうことは明らか。

そして、この4年間、どのバージョンアップでも期待を上回る内容を見せつけてくれた。

これが平凡なネトゲソシャゲで、お決まり更新しかしないようなオンラインゲームだったら、細かい部分を修正して遊びやすくしてくれよ、思うだろう。

そういう無料ゲーでは、利用者は「プレイヤー」ではなく「ユーザー」になってしまっているんだと思う。ゲーム射幸性を満たすツールのような心地で使うわけだから。感動よりも快適を求める。

でもあくまでこの会社は、利用者に「プレイヤー」でいてほしい数少ないモバイルゲームメーカーだと思ってる。

もちろんユーザーの声を無視していいと思うわけじゃないし、自分も一部のコアな原神声優さんたちが言うような不満点、というか要望をよく理解できる。

でも、ことさらネット民がいうほどそこをあげつらうべきなのかというと、正直不満をはるかに上回るレベルのものを受け取っているし、こういう水準で運営ゲーム提供できている競合も存在しないので、贅沢かなとおもってしまう。

まーーーでも個人的には過去シナリオの回想やパイモンボイスの再開機能それから祈聖オイルが掘れる花芽とその倍加イベは可及的速やかにほしいと思ってるが。

あと、売上を見るのに関して、セルランというのは当てにならない。瞬間風速的なものしかあらわれないからね。

原神をはじめとしたホヨバゲーは月額勢による収益がかなり分厚くて、二次元ゲーム界隈では依然としてトップにいる。

2次元(アニメ系)ジャンルゲームグローバルの売上を統計している人がbilibiliにいて、中国語だがこれ見るとわかるように

https://www.bilibili.com/video/BV1LSSHYXETX

9月データではスタレがトップだが、原神もそれに次いで売れてる。111604万人民元~なのでおおよそ月間セールス240億円だ。

時期的には5.0あたりだと思うが、同じ人が8月以前のデータも毎月あげている。

これ見た上で安定していないと言えるなら、安定しているゲームなんて存在しないだろう。

食後一時間はあけてから風呂に入らないと消化に使う体の熱が全部お風呂の熱にされるので胃によくないみたいなのをはるか昔にうっすら聞いた気がしてそれからずっと律儀に守ってるんだけど正直食後一時間程度ではぜんぜん消化されてなくない?ぜんぜん胃に残りまくってて胃重くない?と思ったんだけどもしかして世の中の人はそんなにたくさん食べないんだろうかってかおなか一杯ではちきれそうこれ以上一口も食べられないって状態まで食べるの普通に体に悪そうだよね。でも腹八文目じゃ我慢できないんだわ。お風呂がどうこうじゃなく普通に食べすぎてて良くないなあ痩せないわけだわ

クリックボット陰謀論と分断から社会を救う救世主

世界は分断されているという話をよく聞くようになった。


実際、知り合いが反ワクチンだったり、好きな漫画家財務省陰謀論に染まってたり、といったことが増えてきたように感じる。

地球平面説から田布施システム在日特権まで、人々に分断することを訴えるあらゆる陰謀論が現れては過ぎ去り、もはや陰謀論を信じていない人などどこにもいないように思えることすらある。また陰謀論の中には地球温暖化懐疑説のように、政治社会に甚大な影響を与え、巨大な分断をもたらし続けるものもある。

このように、過激バカバカしく、まともな神経をしていたら信じないような話を多くの人が信じ、吹聴し、社会に影響を及ぼす時代が到来してしまった。その原因は、実のところみんなが理解している。


YouTube代表されるアテンションエコノミーだ。


インターネット広告ビジネスから発展したアテンションエコノミーは、インプレッション数に応じて広告主が広告代をプラットフォーマーだけでなく、コンテンツアップロード者(コンテンツ作成者とは限らない)にも共有するという手法運用されている。

具体的には、広告主がインプレッション数に基づいて広告掲載代金をプラットフォーマーに支払い、プラットフォーマーアップロード者にその金額のうち数%を支払う、というインプレッション数に基づいた成果報酬の図式だ。

したがって資本主義原理に基づき、よりインプレッションを稼ぐためにアップロード者は人の目を惹きつけ、注視させるコンテンツを量産することとなる。

その結果、プラットフォーム動物動画英雄的な物語、そして「悪党」を告発し敗北させる物語で溢れるようになった。


後者2つ、資本主義原理に基づき流布される英雄物語と成敗物語陰謀論の流布と伝播をもたらしたものの正体だ。

これらの形式に則った物語は、YouTubeTikTokなどの動画文化コミュニティ上において実質的反論不可能形式で、なんら検証されることな責任者不在のまま転載を繰り返すことで流布されており、その影響力は旧ツイッターブログなどの文字文化コミュニティはるかに凌ぐ。

もしあなた動画コミュニティの影響力を疑う日本語文字文化コミュニティの住人なら、「ポリコレ」が原因で炎上した海外コンテンツへの旧ツイッター上での反応を時系列で調べると良い。

「火元」に近い時間帯に海外の反「woke 」レビュー匿名掲示板への書き込み翻訳転載した動画とその視聴者が高い確率で見つかるはずた。

少なくとも陰謀論や分断をもたらす過激物語の流布において、文字文化コミュニティはもはや動画文化コミュニティから一方的な影響を受ける立場にすぎない。

あなたが旧ツイッター上で目にする陰謀論や分断を招く言説は、実のところあなたが思っているよりもはるかに多くがYouTubeから二次的な拡散・余波にすぎない。

そして動画文化において「反論」は極めて難しい行為だ。

コメントは表示されなくなり専門家による解説動画は多くの場合見向きもされない。

また、社会合意を得たうえでなんらかの規制を行う方法抵抗の大きさのために不可能である

プラットフォームを通して提供される物語は、プラットフォーマーアップロード者に経済的利益をもたらしているだけでなく、その視聴者であるユーザーにとってもストレスの解消であったり世間の多くが知らない情報提供元として有益とみなされうるためだ。


ではどうすれば良いのか?

単純に、現在陰謀論•分断ナラティブの氾濫をもたらしている広告を基盤としたアテンションエコノミー破壊すれば良い。

最も確実な方法アテンションエコノミーにおける侵略寄生であるボット」を利用する方法だ。

種々のボットは視聴数に基づき広告代が分配されるシステムをハックし、プラットフォーマー及びユーザーにとってなんら有益と見なされない方法広告代を掠めとっている。

なかでも重要な種類のボットは「クリックボット」と呼ばれるボットで、文字通り人間ユーザーのように振る舞いながら手当たり次第にあらゆるコンテンツクリックすることで、虚偽のインプレッションを稼がせている。

この行為により、ボットによるコンテンツ(大抵はAI生成された意味不明な数秒程度の動画文字列)のような、実際にはユーザーに人気が出るわけもないコンテンツ広告業にとって重要であるかのように誤認させる事ができる。

現在のところ、このボットは、インプレッション数に基づく広告効果という性善説を基盤として成り立つアテンションエコノミーをハックし、広告主たちから広告代金を詐取するために運用されている。

気づいただろうが、この行為インプレッション数と実際の広告効果に大きな差異を作り出し、プラットフォーマーアップロード者、広告主間の暗黙の信頼関係破壊し、アテンションエコノミー破壊する可能性を秘めている。


したがって、もしあなたアテンションエコノミー下で拡散される陰謀論とその結果もたらされる社会の分断にうんざりしているのなら、取るべき手段は一つだけだ。

動画サイト対象クリックボット運用せよ。

くだらない動画コンテンツインプレッション数を稼げる有用存在であるかのように装い、プラットフォームアルゴリズムを騙せ。

広告効果を生まないようにコンテンツ評価操作しろ

広告主に代金を払うのが無駄だと理解させよ。

インプレッションに基づく成果報酬システム破壊、それがプラットフォーマーとそれを支える広告主たちへの最も簡単効果的な反逆の方法だ。


作成運用についてはGoogle検索すれば簡単にわかるはずだ。

クリックボット個人運用可能な、アテンションエコノミー破壊社会の分断と陰謀論蔓延を止める事ができる、数少ない手段であり、まさに救世主だ。

2024-11-10

anond:20241110134251

最近若いやつはろくに勉強してないくせに偉そうで頭でっかちカスばっかりだな

ちゃんと年長者を敬えクソガキめ

いか、当時は今よりはるかに貧しかった

みんな正社員所得が高かったとか大嘘

まあ、今と違って頑張れば豊かになるという希望はあったけどな

それを信じて貧しい中を一緒に生きていくのが夫婦とか家族ってもんだったんだ

お前らの感覚は行き過ぎた豊かさのせいで捻れておかしなっちまってんだ

2024-11-09

anond:20241108220932

おそらくあなたの周りには、貯金財産額であなたを遥かに上回ってる人は何人もいると思うよ。

でも、それがばれるとあなたが傷つくのが明白だから、隠してくれてるんだよ。

それが親友の優しさだよ。

 

私の過去経験資産を持ってる人を書いとくね。

 

まり残業も頑張らず昇進も出来ない人が、実家不動産物件複数持ってる大富豪の息子だった。別に給料が多少多くても少なくてもどうでも良い人生のようだった。

副業で大きく稼いでいるけど、会社では仕事できる雰囲気を全く出さない人もいた。

 

たいして稼いでなさそうなフリーランスが毎年数千万稼いでるのを知ったときはびっくりしたけど、意外といた。

潰れそうな小さな会社創業社長が、役員報酬は抑えているけど、会社に億単位お金がもう溜め込み済みで老後まで安泰だったのも驚いた。

 

今回みたいな、社会的幸せそうな方の、低月給・貯金なしアピールも嘘が多いよ。

だって給料貯金まで上回ってしまったら、周りからさらに妬まれるのがわかってるから

 

増田さんは、平均値比較すると多いのは事実だけど、身近にあなた資産はるかに超える人が複数人いると思う。

貯金金額だけで自尊心を保ち続けるのは難しいと思う。

 

増田さんは金額多寡ではない、何か別の事でプライドを持てるようになると良いと思うよ。

貯金額って他人との比較簡単にできてしまうので、もしもそれが自尊心の拠り所なんだったら、他人に負けたらプライドが傷つくしね。

例えば好きなグループ推しているとか、こどもが好きとか、友達旅行に行くのが好きとかって、どちらが幸せ比較が難しいし、競争にならないんだよね。

障害児を持つ親の皆様へ

映画ルックバックを見ました。

直接関係は無いけど、なんか昔書いた日記の事を思い出しました。

読み直してみて、これが誰かの何かの助けになればと思い共有します。

誤字脱字含め当時のままです。

子供名前があったのでそこは消しました。

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2011.4.20

障害について。

障害者は生きる価値がないなんてことは絶対にない。

それは絶対に正しいと思う。

というかそれが正しくないなら、逆に正しいってことになんの意味があるのかと問いたいくらいだ。

最近障害について真剣に考える時間が増えた。

○○と○○が生まれた時、今後どうなるか分からなかった、今もそうだ。

子供だけの話ではなく、自分がいつ障害を負うことになるのかも分からないのだからこれを考えておくことは重要だ。

人生の豊かさや幸福というのは、その人自身が決めるというのは真理だと思う。

なので、障害人生に寄り添っても、その上での人生の豊かさと幸福を追求すればよいだけだと考える。

ただ、そのためには、それを含め幸福だと思える物の考え方に沿った人生にしなくてはならない。

なので、その考え方を決めることは重要だ。人生を決めるというのと同義な程に。

から障害者は生きる価値があるという正しさを自分の中で納得しなければならない。

障害者にも生きる価値がある、のではない、障害者は生きる価値がある、のである

私は生きる価値がある、と言いたいということだ。私にも生きる価値がある、ではない。

その考えを血肉にしなくてはならない。

様々なことを考える時に、その考えの元となる軸として機能させる程に自分が納得していなければならない。

その考えを自分の考えとして相手を説得できる程でなくてはならない。もちろん相手を説得することが重要なのではない。

相手を説得することができる程、自分の血肉になっていることが重要なのだ

自分の中で納得できない考えを元にして、自分の行動に結びつけることはできない。

自己矛盾を抱えたままでは強い意志が持てない、堂々と人生を生きていけない。

なので生きる価値について考える必要があるのだ。

まずは、ここから始めたい。

障害者は社会の役に立っていない。医療費介護治安の面で社会負担となっているのではないか?」

まり

社会負担から生きている価値がない」

ということである

まず、治安の面だが、これは社会負担ではないと言い切れる。

障害者→治安という結びつきは、多分知的障害等のコミュニケーションがとれないことを想定していると考え、話を進める。

知的障害者は、

コミュニケーションがとれない

→何を考えているかからない

→何をするか分からない

→怖い

このような経緯で治安の面の負担という議論が上がってくるのだろう。

しかし、実際治安の面で言えば、知的障害者よりも健常者の方がはるか犯罪率が高いのが事実である

ソースは忘れてしまったが、調べれば裏付けがとれるはずだ。

しかし、そうは言っても、やはり怖いものは怖いという人がいるかもしれない。

それに関しては、それでもいい、としか言えない。

怖いなら近寄らなければよい、そっと離れればよい。

街にいる健常者で危険そうな人にはそのように対応するだろう、それと同じでよい。

自分の身を守るという行為非難されるべきではないからだ。

というより、こうした議論に上げるまでもなく、そうした対応に関しては相手障害者かどうかが重要なのではないはずである

医療費介護の面で社会負担となっているということに関して、これは費用対効果ということになると思う。

障害者に対して、かかる費用とその効果だけを考えれば、それだけを考え社会負担だと判断するのなら、多分、そうだろう。

その事実に対しては否定はできない。

ただ、その見方では視野が狭過ぎるだろう。

人通りの少ない道の電灯は費用対効果がないと言っているようなものだ。

その電灯の明るさがもたらすものに目を向けていない。

人通りが少ないからこそ本当に必要な場面があるのだ。そこに電灯がついているという安心感が何をもたらすかということなのだ。

たばこなどにかかる医療費だって社会負担ではないか。それと同じなのだから障害者の医療費だけ問題にするのはおかしい。

このように、同じような他の悪者を上げて、その問題と比べると・・・といった議論の進め方をする人がいるが、こういった進め方は自分はあまり好きではない。

この方法では、本質に近づく議論にならないからだ。

例えば、たばこ議論に上げた場合なら、

たばこを吸う人は税金を納めているのだからプラマイゼロ位だろう

―いや、肺ガンになったらかかる医療費の方が大きいから少しはマイナスだろう

障害者でも、税金納めて自立している人もいる

―じゃあ自立してない障害者は社会負担ということか

―健常者で社会負担しかならない人もいっぱいいるじゃないか

押し付け合い、悪さ探しでは、生きる価値の答えからは遠ざかるばかりだと思う。

障害者は医療費介護の面で社会負担となっているので生きる価値がない。」

まりこれは、価値判断する側から見て、いらないのでいなくて構わないということである

本当にそうだろうか。

障害者がいないことが社会にとってプラスになるのだろうか。そうではないと思う。

もしも、障害者がいないことが当然という社会ならば、自分が健常者であってもそういった社会で生きること自体不安であると思う。

自分だって事故病気でいつ障害者になるか分からない。そうなったら自分は生きる価値がないんだ。

自分の子供が障害を持って生まれてくるかもしれない。そうしたら社会は誰も助けてくれない。

このような不安社会全ての人々が抱えている状態は、はたして幸福なのだろうか。

こうした不安を緩和するという点だけでも、障害者は生きる価値があり、安心して暮らせるようにすること自体社会にとって大きなメリットがあると言える。費用対効果は正確には表せないが、医療費とか、そういった細かいレベルではない。

ただ、障害者が幸福に暮らせることは社会にとってもメリットなのだ。だからあなたには生きる価値がある。

これでは、社会の人々から障害者が攻撃を受けることを防ぐ効果はあるかもしれないが、

障害者本人が―だから僕には生きる価値がある―と自己肯定するところまでには至らないだろう。

それではまだ、障害者には生きる価値があるということの本質には至ってないように思える。

生きる価値があることの社会的なコンセンサスを得ることも大事なのだが、それは本質ではない。

極端に言えば、どんなにおかしな考えだろうが、本人が自分には生きる価値があると納得できる方が大事なのだ

そういった個人的ものの答えを求めようとしているのだから、答えも個人的ものになるのかもしれない。

―例え両腕が無くなろうと、自分には生きる価値がある―

自分が強く思えるような納得できるような考えを見つけること。

―僕は歩くことができないけど、僕には生きる意味があるの?―

と言った子供の問いに、意味があると心の底から答えられること。

それが大事なのだと思う。それこそがこの問いの辿り着くべき姿なのだと思う。

逆に言えば、一般論では難しいのだ。

この手の問いに一般論で正解が出たことなんていまだかつてないのだから

費用対効果の部分で考えたこと―視野を広げて考えれば、障害者が幸せに暮らすこと自体社会的な大きなメリットがある―について、それではまだ、心に響く答えではなかった。なので、コストという面でもう少し掘り下げてみる。

コストという面から障害者を見ることは、コストという面から健常者、もっと広く言えば人間を見ることにつながると思うからだ。両者の答えが異なるならば、異なった考えが必要だし、同じならコストという面から障害者と健常者を分けて考えること自体無意味であるということかもしれないと考えるからだ。

障害者はコストがかかる。では健常者はどうなのか。

多くの健常者はコストより社会への還元の方がまさるだろう。

ただ、何を持って社会の役に立つ還元だと判断するかにもよるが。

環境破壊を伴う経済活動は、短期的には社会賞賛をもって迎えられるかもしれないが、長期的には何もしないよりもデメリットが大きいといった場合もある。

しかし、ここでは、世間一般視野レベルにおいて好ましいと思われるレベルと考えれば良いだろう。簡単に言えば社会的な成功(スケールは問わず単なる賃金等小さなものも含まれる)ということで良いだろう。

その基準判断するならば、やはり、障害者はコストの方が勝るだろう。

個別で見ていけば、社会的に成功する障害者も、社会的な害悪しかならない健常者も存在する。

だが、障害者、健常者という全体のくくりで見ると、障害者というグループに分けた場合にそのブループはコストが勝ると言うことができてしまうだろう。

コストに関して、障害者、健常者と分けて考える必要はあるのだろうか。どうであれ、コストが勝る人がいるということだけである

なので、障害者、健常者といった区別自体無意味だ。

と、言ってしまいたいが、生きる価値という部分を産むべきか否かといった側面から考えた場合には残念ながら簡単には言い切れない。

一生体を起こすことはできない、一生自分自分認識することができない、といったように、ほぼコストが勝るであろうということが、生まれる前から分かってしまうという事がありえるからだ。

ただ、これについても、ドーキンス博士のように例外もいる。彼は生まれる前ならコストが勝ると判断されても仕方がない状態であったと思われる。だが、彼が社会に与えた功績は非常に大きい。

これの意味するところは、コストが勝るなどと正確に判断はできない、ということだが、この判断と同様のケースにおいて、数が増えれば平均コストが勝ることになるだろう。

平均という概念にはその平均を算出するためのくくりが必要である、そのくくりとして障害者、健常者といった分け方がなされることになる。

平均コストで話を進めるなら、もうこの議論手詰まりだ。

あと残っている議論障害者と健常者の線引きをどうするかといったことだけだ。

この議論では生きる価値には辿りつかない。なのでこの方向で進めるのはもうやめることにする。

コストという面から人間を考えてみる。

もうこれは、誰にとってのコストかということに尽きる。

人間人間以外にとってほぼコストしか過ぎない。

他の生物にとって人間特に価値がない、地球にとっては逆に諸悪の根源かもしれない、宇宙にとっては人間などなんの意味もないだろう。まとめれば、人間は等しく生きる価値がないということだろう。

それでも、大部分の人々はそれぞれ自分には生きる価値があると思っている。

意識していないと言う人がいるかもしれないが、それは、自分には生きる価値がないわけではないと思っているということだ。

なぜ、大部分の人々はそう思えるのか。

それは、必要とされているという気持ちがあるからだ。

いや、もしかしてこれは、必要とされている度合いから、かけている迷惑を引いてプラスになるからということなのかもしれない。

あれ、よく分からなくなってきた。

この考え方で生きる価値があるという答えに辿り着けるのだろうか。

いったん、ここでやめる。

下記にネットに載っていた、何か訴えかけられた気がした文章をのせておく。



同じように重い障害を持って生まれてきて、

の子が死んで、この子がまだ生きていることの理由やその不思議

いったい誰に説明できるというのだろう。

そんな、人智はるかに超えたところにある命に、質もへったくれもあるものか。

「生きるに値する命」だとか「命の質」だとか「ロングフル」だとか、

そんなのは、みんな人智の小賢しい理屈に過ぎない。

まれてきて、そこにある命が

生きて、そこにあることは、それだけが、それだけで、是だよ。

本当は障害のあるなしとは無関係

誰がいつ死ぬかなんて、誰にも分からない。

から

の子もこの子も、生きてこの世にある間は

生きてこの世にある命を、誰はばかることなく、ただ生きて、あれ──

それを、せめて大らかに懐に抱ける人の世であれ──と

2024-11-08

高齢非モテだが価値観を捨てることで救済されるのは無理だと悟った

当方、30代の高齢童貞非モテである

から非モテ論とか、最近でいえば弱者男性論とかよく読んでいた。

その中で、フェミニスト系の論者が良く言っていたのが、「モテないことが辛いなんていうのは『女を獲得して一人前』という価値観に囚われているからだ。それを捨てれば治る」とか、あるいは「結婚したらエラいという男社会価値観から自由になりましょう」というものだった。

一見もっともらしいのでそれを受け入れて生活することにした。

結婚して子供をつくらなければならないなんて決まりはない。そうしたって別にエラいわけではない」 「誰かと付き合うことは必須ではない」と自分に言い聞かせながら毎日イライラをやり過ごそうとした。

だがすぐ無理だと悟った。

理由一言で言うと、「私個人がその価値観を捨てたところで、社会結婚して子供をつくるのがエラいという価値観で動いていて、その前提のもとに福祉支援体制をはじめとした社会構造が構築されているんだから無理、というか激しくムカつく」である

具体的に書く。

「男社会から自由になった価値観」に基づいて社会を見てみると、まず子育て支援というものイラつくようになった。

子供をつくって子育てするのも、結婚子供もつくらずに一人で生きるのも、生き方が違うだけで対等であって上下の差はないはずである。なのに、前者の方は国家法体系によって手厚く保護され、孤独人間にはなんもないのである社会リソースの元手は税金なのにだ。

それはつまり結婚して子育てするのはエラいし、皆そうするものだ」という男社会伝来の価値観があるからじゃないか社会をそういう価値観が貫いてる以上、それは「非モテ自由になった姿」と衝突する。

不思議なのは、そのような価値観を捨てさるように言ってたフェミ系の人達はどうも、子育てを手厚くすることには反対してないようだったこである。なんだそりゃ。

次に福祉というものがそんなにいいものではないと思うようになってきた

だって、「福祉社会」の中で、独身で一人で生きてる層と、子育て世帯と、どっちが優遇されるかなんて論じるまでもなく明らかじゃないか

独身だと持病でもない限りはセーフティネットくらいしか福祉を利用しないんだから、だったら反福祉新自由主義社会の方が得である

前に反自民政治系の知り合いと話したときに「なんで若者は貧しいのに福祉国家志向しないで自民党みたいな弱者切り捨て政党を選ぶんだろう」と嘆いていたから、私が「だってあんたたち子育て支援とか障害者支援とかしかないじゃないですか独身健康ならそんなんされても得しないですよ」と言ったらガッカリされた。

次に独身税のような、もっと強力な圧力に晒されるという点である

なにも子育て支援とか福祉とかの社会資源の分配の話だけじゃなく、独身子無しには独身税・子無し税という直接的な政治弾圧が課されるという恐れが常にある。

罰金を取られながら自由なんてことは絶対にありえないわけで、つまり独身税が課された時点で「モテという価値観から自由になって楽」なんてルート永久に閉鎖される。「モテない奴はスタートラインから負け組確定」である

そうすると、モテという価値観から自由になるために必要なのはそのような弾圧に抗する闘争力なのではないか

安寧とか安心とかとは程遠いところにいきそうである

これだけコンプライアンスだのうるさい世の中なのに独身へのヘイトスピーチなど問題にもされないのも不自然である

本当に「自由になる」ためには、その辺を糾弾して是正するような活動を行う権利団体必須不可欠なのではないだろうか


そんなこんなで、「男社会価値観から自由になった状態から社会を見ると衝突することばかりで、これを解決するためには独身権利社会に主張し、団体をつくり、差別撤廃に向けて動くような、そういう方向性になっていくのでないかと思われる。それは個人的にモテないことを克服するよりもはるかに巨大な社会コストがかかりそうな塩梅である

そんな無茶な、と思われるかもしれないが、実社会はもうすでに闘争する方向に行きかけているのだろうと思う。この価値観闘争非モテ男よりは女の間で勃発しており、離乳食提供したスープ屋が炎上したり、反出生主義だの男児ママ叩きだの、つまり子供をつくるのはエラいんだし、社会の皆で助けようね」的な価値観を打ち砕こうとしているのだろう。

しかしその先に行きつくものが全員が幸福になるものとはとても思えない。


あのフェミ系の人たちが「モテという価値観を捨てる」ことを説いたときに、そんなことまで見通して言っていたようには見えなかった。

多分、女を獲得して一人前という価値観から自由になった非モテは、未練を解消した亡霊のように消え去って、それ以降は自分の前には永久に現れないとでも思っていたと思う。新しい価値観に基づいて社会構造俯瞰したらどうなのかとか、そのまま権利を主張しだすとか、社会の変革を求めるんじゃないかとか、そうしたら福祉が成り立たないんじゃないかとか、そういう社会的な方向での発想は何もなかったんじゃないだろうか


私は旧来の「男社会価値観」を維持したほうがずっと平和でいられると思う。





追記)2024/11/09 19:35

目についたコメントへの返信 別に読まなくてもいい 

えらく注目されたこ記事

みんなのコメントを読んで返信を書いていく。

1 30歳は高齢じゃない

はいそうですね。この記事タイトルの元は「高齢童貞」だったんだけど、タイトルに「童貞」があったら性的記事だと認定されていろんなとこから弾かれるかもしれないとか思って「高齢非モテ」にしたんだ。流石に30代童貞は「高齢童貞」でいいだろう


2 俺のメンタルやら認識やら人生へのアドバイス非難心配

これすごく多かったのは意外だった。この記事は「こういう価値観アンインストールして社会を眺めてみたが、社会制度はその価値観インストールして動いていたんで、社会に生きる以上は個人的なアンインストール不可能もしくは無意味でした」という、ある種の思考実験結果発表のつもりで書いた。

から反響が、内容の論理のものよりも書いている人間へのアドバイス心配が多く来るというのは予想外だった。気にしてもらって悪いが、ただの思考実験試行してみただけの人みたいなもんだと思ってもらっていいよ。


3 福祉がいらんとは何事だ。お前も老人になったら子供の世話になるんだぞ。生まれてくる子供国家社会を維持するんだから優遇されて当然

どうも記事を読んだ読者が一番頭にきたのがこの部分らしい。この種の話題福祉や反福祉、子持ち子無しの論争の時の定番ネタからここで内容には触らないが、

だったらなおさらフェミ系の人達のいう「男社会価値観から自由になる」というのは不可能じゃないかな。別の理由があるにせよ、男社会価値観に沿った人間の行動が前提にある社会構造だというのならその価値観は捨てられないじゃん。むしろこの意見は私の結論を補強するものとして受け取った。

あと(こういう意見もあったが)本当に「子育て大事にしてるのは未来人口労働力再生産するため」でいいのか?それはファシストもびっくりの生産主義富国強兵主義じゃないか。「子供子育て尊いものである」という価値観ナシで福祉を成り立たせようとして平気なのか?それはとても殺伐とした、恐ろしい世界認識のように見える。

それなら多額の養育費教育費が必要なる子供よりも、すぐ労働力になる移民の方が遥かに尊い存在ということにもなる。いいんだろうかそれで。今すぐ子育て支援廃止して同じ金で移民入れりゃいいのでは。

あとさ、蛇足ながら、これは独身子無しへのよく聞く脅しだから書くけど、30代の人間に「老後」のことを盾にしても効かないよ。30年も未来の話のことで感謝するには流石に先すぎて無理。まあ、30年後には感謝すると思うからそれで許してもらうしかいねそもそも現行の年金制度がそのまま残ってるとは信じがたいけど。

福祉文句いうなら病気やケガになっても保険使うなよ」みたいなのもあったが、ほら、独身への福祉恩恵としてセーフティネットしか挙げられないじゃん。セーフティネットはどんな新自由主義社会だって用意されてるんだから別にそこまで捨て去れとは言ってない。

4 旧来の男社会の方が非モテ弱者男性にはキツかっただろ

うん。そこ誰も否定してないけど。なぜそんなことを自慢げに言うのか分からん。そっちの方が価値観闘争などはじめるよりは平和だよねって書いただけだよ。

あと昭和に戻れなんて言ってないからね。そこ誇張しないでね。

5 別に社会から優遇されたり金や社会リソースをもらわなくてもいいのでは?そんなこと気にするなよ

それは女性社会的地位が低くて給料も低くても、気にしなければいい、別の楽しみを見つけようで解決しろというのと同じですね。

流石に社会構造自分属性に不利にできてるのにそれを見ないフリしろというのは無茶だと思う。まあ、個別的には皆実際にそうしてるんだろうけど、これ社会構造価値観テーマ記事なんで。

6 その他雑感

子育てについて「エラい」と表現したせいで、そこで引っかかって語弊が生まれた気がする。「価値がある」とか「尊いとされている」とか書けばよかったかな。


非モテ論や弱者男性論が論じられる際に私が気になっていたのは、「非モテ弱者男性が生まれるのは社会的な要因があっても、それを解決するのは個人的な精神問題であって、社会的に救うもんじゃない」と思っている人が多いことだった。フェミ系の人が言っていた「女を獲得するという価値観を捨てれば楽になる」もその一つだろう。個人精神改革対処しようという思想だ。別にフェミだけでなく、弱者男性本人も個人的にどうするかしか考えてないようだった。もっと独身権利を主張したり、差別撤廃運動したりしてもいいと思うのだが、そんな方向には向かいそうにない。それに私は前からずっと違和感があって、いや社会的な方向でできることいっぱいあるでしょ、というか、大勢非モテ価値観を変えたら社会も変わっちゃうよ、と思っていた。

それは女たちの間で流行っている反出生主義や、「子持ち様」論争とも関連するものだろうと思う。ただし彼女らは、「非モテ」で「弱者女性」だろうが、そこからまれる不満は社会方面解決させようとしているわけであるあくま個人問題にしている男の非モテとは違った。だが問題通底してるんじゃないか

この記事はそういった面での問題提起がしたいという動機もあって書いた。

反響を見ると、やっぱり誰も非モテ弱者男性社会的なリソースの分配という問題としては捉えてなかったというのはよくわかった。

ただ私は今後はそういう流れで論じられるようになっていくと信じている。

2024-11-07

anond:20241107162634

Youtube発祥なのかな。

それよりはるか前に、2chで、好きなことで生きていくってどう思う?みたいな話題を見た気がするからもっと古い元ネタあるのかなって思ってる。

芋女話題がXで流れてきてたけど一つはっきりわかるのは

でもオタクキモ男よりははるかにマシであんなやつらと一緒にだけはするな、という部分

2024-11-06

anond:20241106130656

そもそもハリス支持層は高所得層に多くてそちらは完全にユダヤに逆らえない

トランプ自身スタンスは別としても支持母体で考えればトランプ支持者の方がはるかイスラエル中指立てられるよ

2024-11-05

アンフェを叩けるなら女性差別肯定するブクマカたち

これ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2460507

女子枠の試験問題簡単すぎるというアンフェに対してブクマカたちは

サイエンスコミュニケーション視点必要

・幅広い科学知識必要難易度

大学の専攻レベル

学部レベル

・凡人には回答できない

・上位1%を選抜できる

受験勉強レベルを超えている

院生なら回答できるかもしれない

などなど大絶賛している

しかし、これはそもそも大学受験問題受験するのは高校卒業見込みの女性のみに出題されるもの

男性にも女性にも出題される一般入試問題と比べて、女性のみに出題されるものが前者よりもはるかに難しくてもよかったの??

女子枠の女性けが受験レベルを遥かに超えてて院生にも難しいような問題が出題されるって差別じゃないの?

女性だけ難問が出題される(点数が取りにくい)」が差別じゃないなら「女性だけ一律減点される(点数が取りにくい)」も差別じゃなくなっちゃうよ。

まりブクマカはアンフェを攻撃できるという目先に利益につられて女性差別をしてるんだけど、これってアスペ的な特性誘導されてるのか、本心からやってるのかどっちなんだろう

anond:20241105122940

ブームが終わって浸透したのって一般化と言えるだろ。

ロックだってブームが終わって浸透しきって、ロックを聞いてる人って「愛好者」の層でしょ。

クラシックだって聞いてるのってごく一部の「愛好者」の層だよね、ロッククラシック一般化されていない、ブームが終わっただけだとするのって無理あるよね。

人気曲のチャートで言ってもクラシックって日本ではKpopよりはるか一般化されていないことになるんだけど、その定義って正しい?

好き好んで選んで聞いてる人がごく少数だったジャニーズ時代の有名曲だって一般化されている」といって差し支えないでしょ。

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