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はてなキーワード: 他人とは

2022-01-20

anond:20220120101626

他人に厳しくした分だけ、自分に優しくなれる。

「助けてください」が言えない人

別に「助けてください」って言えとか頭下げてお願いしろとか、そういうことが言いたいんじゃなくて

問題に直面していて自分の頭だけでは解決できない時に、他人に助けを求められない人ってクソだなと。

思考停止して微動だにせず時間無駄にしてたり、その場しのぎの時限爆弾になるような手段でなんとかして知らん顔してたり、

 

最初のうちは困ってそうな時は「どうしたの?」って声かけてあげてたけど、甘やかしててもそういう態度は直らんのよな。

大学うんたらも関係ないレベルの話だしわからないことを無理に理解しようとしなくて良い

増田理解できれば良いのは『優生学何が悪いかわからない』と公で口にしてはいけないということだけ

 

世界の主人は自分自身なのだから 好きに考え好きに生きたらいいが

それは他人生命財産に害をなさな範囲での話である

 

他人権利に害をなす発言を公でしたらそら爪弾かれるよ

 

DaiGoホームレス生活保護の話と同じだね

 

anond:20220120142843 anond:20220120143821

anond:20220120111501

通り魔に刺されないように努力すればいいじゃん。他人は変えられないけど自分は変えられる。

自分を変えなよ。他人のせいにするな。

…って、殺された人にも同じこと言うの?

anond:20220120011239

いや他人じゃなくても香典は喜んでると取られるっていう理由から5万も出さんやろ普通。精々数千円単位や。

anond:20220120121313

そう、みんな大体オレオレルールで生きている

他人とぶつかりながら少しずつ世界を知る

anond:20220120114028

背が高くて良いことなんて、

背が高いだけで他人から評価を受けること以外にはないんだぞー

(なんか「高級車が高級なのは値段が高いから」みたいに大して理由のない事象ってカン

anond:20220120012113

いや、オープンに公開していた文章である以上

その内容が間違っていたのならば「いやそれはどうなの」という権利は全ての読んだ人間にあるだろ

個人サイトだってまともな感覚を持っていれば間違った情報を載せた時は「間違えた対象」のみならず「その情報を読んだであろう不特定多数」に向けて謝罪するぞ

なんなら鍵垢というクローズなところで中傷してた奴の方が他人がどうこう言うことじゃない

ブコメも東も謝罪してるのに謝罪してないと

デマ他人を叩いてるんだから謝罪すべきじゃね?


"今回のオープンレターの内容もミソジニーも一切関係なく、きわめて一般的に、ある人々が呼びかけてある抗議文なりなんなりが賛同人の名とともに公開されて、そこに自分名前勝手に使われていると抗議するひとがいたら、まずは責任者が出てきて謝罪したり調査約束したりするもんじゃないの?

午後8:49 · 2022年1月19日"

https://twitter.com/hazuma/status/1483768608257806344


"本オープンレターの差出人の一人としてご連絡します。先ほど賛同者一覧から名前を削除いたしました。差出人に対する公式の連絡先を設置していなかったため、悪戯による偽署名の報告先が不明で、お名前の削除にお手数をおかけしたことをお詫びいたします。

午後7:01 · 2022年1月19日"

https://twitter.com/frroots/status/1483741379805126656


ほら、はよ謝罪しろよ、クソブコメども

間違った事言ってすいませんって

それが責任なんだろ

何偉そうに他人叩いてんだって話だわ

所詮、お前らなんか頭おかしフェミニストと何も変わらねーんだよ

ホント馬鹿らしいよな

anond:20220119215234

ナンパされないように努力すればいいじゃん。他人は変えられないけど自分は変えられる。

自分を変えなよ。他人のせいにするな。

結婚したくない

恋人同棲している

向こうの親は私のことをとてもかわいがってくれていて、私たちがいずれは結婚すると思っている

恋人のことは心から愛していて、死ぬまで添い遂げたいと思っている

向こうもそう思ってくれているのは日々実感している

生計も同一だし、実質的にはすでに家族のようなものだと思う

しか結婚はなんとなく気が重い

法的に結婚するとお互いだけではなくお互いの親きょうだい自分家族になってしまうというのがなんとなく辛い

そうなったら今以上に密な交流をしなければなくなるだろうというのが辛い

相手の親きょうだいはとてもまっとうな人たちだし優しいし人間としてはとても好きだ

しかし私はとにかく他人との交流全般に激しいストレスを感じるタイプで、精神身体にすぐ症状が出る 相手がどんなに健全で穏やかで温かい人物であってもあまり関係ない

人生で唯一ストレスを感じなかった人間関係恋人のものなので一緒にいるのだが、恋人の親は恋人ではない…

高収入人間

人の秘密に関わる仕事をしていることが多く、それが漏れたら一発アウトみたいな状態

ゆえに努力せずに他人の足引っ張るのが大好きな奴を一番警戒しているから。

そういう人間に対しては、最大限魅力的に見えるように振る舞っている。

高収入人間は関わりたくない人間ほど好感を与えてそれを維持して、距離をとる。

高収入人間に愛想良くされてるなら内心警戒されて超嫌われてるってこと。

anond:20220119231706

ここまでちゃんと話してくれた人にお礼もなしに

恋愛を受け入れる受け入れないなんて個人自由なのになんで男をノリノリで受け入れろと強要するような価値観押し付けてんの?

俺ら男の欲望を受け止めない自我のある女は嫌いだってか?

増田ちょっと恋愛関係進むのに難儀な子だったということか

一般的女性はそこまでの性嫌悪はないと思うで

これも根拠なに?なんでこの増田他人恋愛観についてジャッジしてんの?一般的女性ってどの範囲

みんな真面目だな

ワイの婚活の条件なんて

1.義実家と同居は無理(日本人じゃなければ全然アリ)

2.年収1億以上

3.不動産を二つ以上持ってる

4.金融資産を持ってる

5.他人に寛容

6.一途

7.自立している

これや

anond:20220120023653

クソ長い返信をありがとうございます

もはや私の当初の発言とはほぼ関係ない単なる議論のための議論になってますが、

私は議論するつもりはありません

自分経験に基づいた所感を述べているだけであり、個人経験則は他人には必ずしも当てはまらないことは知ってますが、

実際の経験には机上の空論とは違う価値があるだろうと思っているので述べているだけのことです。

 

その意味最初あなた質問に答え直しますと、

私がそこまで結婚に取り憑かれている理由

私が自分結婚に満足しており自分人生で最も重要判断だったと思っているからです

私が結婚したのは26歳ですが、結婚するのは社会に出て価値観が固まる前の方がうまくいくだろうと思っているだけのことです。

もちろん30を過ぎて結婚して満足している人がいるのも知ってますし、

若くして結婚しても失敗例はネット上の経験談を見るだけでも枚挙にいとまがありません

単に経験談として私は20代半ばで結婚して成功したと思っているので若く結婚した方がいいよという意見を述べているだけのことです

自分のように結婚成功するためには、10代後半から準備をして大学時代にはほぼ相手を決めた方が成功確率が高いだろうと思っています

これも単なる所感であり一般論ではありません。

 

その後子供を作りたいと思える相手を探すべきであると申し上げたのは

私のパートナーに私と結婚した理由を聞いたときに、「直感的に私との子供の姿が思い浮かんだから」と

答えたことに感銘を受けていまして、そのような直感を信じて私というパートナーを選ぶことで

結婚成功した(と私は思っている)私のパートナー感性に対して敬意を持っており、パートナーを選ぶ基準

というもの理屈言語化できることには限界があり、動物直感が非常に重要なのではないかと思っているからです。

もちろん個人差があり直感に従って生きた結果破滅してくタイプの人もいることは承知しています

 

私が考えるに、子を産み親となり子を育てていく能力増田論理的議論ができる能力には

さほど相関がないと思います。よってあなたから見ると間抜けなことを書いているように見える増田であっても、

良い親である可能性はあります。が、面識もない他人のことですので断片的な書き込みから

知能の程度を推し量って、親としての程度を判断するのはよした方が良いでしょう。

 

最初あなたからのご質問と同じように、こちらの意図とはまるで的外れ観点からのご意見ですが、

子どもに過大な期待をしているのではなく、直感的により良い大きな希望を持てる相手を選ぶべきであると申し上げています

期待通りのいいところだけを引き継いだ子供が生まれるわけではないことは、4人の子供を育てていますので重々承知しております

 

あなたのご意見は私にとっては何一つ関係のないことばかりで役に立ちませんでしたが、

あなた自身のご意志あなたがこの先良い人生を歩めることを祈っています

同和地区に生まれ

同和地区に生まれ育ち、多分『それなり以上の同和教育を受けた最後世代』だと思っている私。

私は昭和の終わりかけに、関西大都市に生まれた。自営業の父と専業主婦の母のあいだに生まれ、1歳児の頃から公立保育所に通った。

現在幼児もつ親でもあり、『保活』『保育園落ちた』などのワードネットで見るにつけ、自分の育った地域時代現代のどちらがおかしいのかわからなくなるのだ。

まず、私の母は専業主婦だ。母方の祖父と同居だったが、その祖父が要介護だったとか、母自身病気だとか何もなかった。1ミリも『家庭での保育に欠け』てなどいない私が、普通に公立保育所に通った。

母は私を幼稚園に入れたいと思ったそうだ。しかし、親族を含む周りの多くの人たちが、いつ保育所に預けるのか、保育所の申し込みをまだしてないのかとものすごくうるさかったらしい。『保育所が当たり前だった。同じ小学校に行く子は町内のどこかの保育所出身で、幼稚園に行く子なんていない』と言われたらしい。

母は心配しながらも私を保育所に入所させた。まず、町内に公立保育所がいくつもあった。1学年1クラス、私が通った保育所はその中でも人数が少ないところだったので、年長クラスで一緒に卒園したのは12人だった。最近の『保育所が足りない』どころか、どう考ても当時の子供の数を考えれば保育所が多すぎるくらいだった。

運動会宿泊保育、遠足卒園式などは合同で行われた。保育士さんはどうだったか忘れたが、市の公務員である給食調理員さんたちは、その町内の保育所のどれかにしか転勤しない。(当時給食調理員だった知人が近所にいたため、知っている)

今、雨の日でもお昼寝布団セットを自転車で運んでいる保育園パパママさんを見かけるが、私が通った保育所ではお昼寝布団の他、給食で使うスプーンや箸など、肌に触れるものや口に入るものも持参する必要はなかった。かばんに入れて持って行ったものは連絡帳以外思い出せない。

私は二人の子供を私立幼稚園に通わせた。ひとりは卒園し、ひとりは在園中。まあ、これでもかというほど指定用品を買わされ、毎日スライド式のカトラリーセットを始めあれこれ通園鞄いっぱいに持って行く。最初自分の子時代とのあまりの違いに驚いたが、『あ、こっちのほうが普通なんだ』と最近では思うようになった。

保育所時代はほぼ同和教育はなかったが、小学校に入ると一変した。

まず、入学時に必要もののほぼ全てが無料支給だった。ランドセルまでタダだった。母と一緒に入学用品を近所の『会館』に取りに行ったことを覚えている。鉛筆消しゴムまであった。筆箱は自分のものを使えたかな。それが最初の一回だけではなく、『とくしゅうひ』というものがあって、冊子が配られて必要学用品に丸をつけて提出すると支給された。これはいつの間にかなくなった。高学年になる頃にはもうなかったかと思う。

私の実家貧乏ではなかった。後に書くが、学用品無料支給してもらわないと就学できないほど生活に困窮している同級生などいなかった。

ランドセルデザインも何もかも皆同じ。ほとんどの学用品が全員同じだった。出どころが一緒だからそうなるんだろうけど、他の学校のことを知らないのでそれが普通だと思っていた。給食で使うお箸、食後に使う歯ブラシまで皆同じ。歯ブラシの色選びでじゃんけんしたことも覚えている。

それから子供会』というものがあった。放課後に行くところで、別に親が働いているからとか何もなく、ほとんどの同級生が在籍していた。行くか行かないか自由だったが、小学校の下校時に集団になって歩いて行ったことを覚えている。おやつが出たり、遊んだり、土曜日は昼食も出た。学童保育のような感じだったが、違いは『(ほぼ)全額無料』で『まあまあゴリゴリ同和教育機関でもあった』こと。そこで働く人たちのことは、先生さん付けではなく、『指導員』と呼んでいた。(例 田中指導員)

主に教えられたのは狭山事件のことで、歌まであった。私はその歌をなぜか今でも覚えている。小学校1年生のときから教えられる。それから、何の日だったかは忘れてしまったが、5月23日10月31日が近づくと、狭山事件のことをいつもより色々聞かされた。

大人集会もやっていた。たまに祖父について行ったことがあったが、集会最後シュプレヒコールがお決まりだった。後になって祖父はその集会になぜ参加していたのか母に聞くと、『お父ちゃん、その年確か町内会の役しとったかちゃうかな』そんな理由だった。

小学校の名札のところに『差別裁判をゆるさない』とかワッペンをつけて登校する期間があったりもした。『ワッペン登校』と呼ばれていたが、今考えるとすごい。小学生制服に、別にの子意思でもなくそういうワッペンをつけさせていたのだ。

学校道徳の授業は、同和問題を始め、とにかく何かと差別を絡めた内容だった。在日コリアン問題とか。私の子供が入学して教科書名前を書いていたとき道徳教科書何気なく見ると、『金の斧 銀の斧』の話が載っていたりして、自分ときとの違いにまた地味に驚いた。

小学校1年生に狭山事件のことを話してこれは差別だ!とか言われても正直よくわからなかったし、狭山がどこかもあまりよく知らなかった。『かなり昔、遠い関東で無実の人が逮捕されて、裁判が何か差別らしくて………』といった感じで記憶している。

他にも後で特殊だと気づいたことがある。天皇制否定国歌を教えない、卒業式定番仰げば尊し』はなぜそこがダメなのか忘れたが『我が師の恩』のところに文句がついていたっけ。

ある日の子供会の集会とき、『天皇制おかしい』という話を聞いたのをおぼろげながら覚えている。『天皇誕生日祝日なのはおかしい』と力説されたが、子供心に『学校休みになるんだし祝日にまで差別とか言うのか』と思った。

洗脳レベル教育だったが、低学年頃にはなくなっていった(後述)こともあり、『差別に負けない大人になってほしい!!』だとか『(何にか忘れたが)誇りをもってほしい!!』と言われても全くピンとこなかった。

ワッペンをつけたり、子供向けの集会があったりというゴリゴリ同和教育は私が高学年になるより前くらいから一気になくなった。そのため、冒頭に『最後世代』だと書いたのだ。

理由は、狭山事件容疑者とされた人が仮出獄となったからだと思う。学用品がタダとかそういうのも、その頃からだんだんなくなっていった。

一世代上、私の母世代は、狭山事件が起こった頃に小学生くらいなので、大人になり、子育てをする頃までずっと続いたということになる。

母は私立高校卒業しているが、『タダだった』らしい。無料から私立高校を選んだわけではなく、公立高校に行く学力がなかったかららしい。高校無償化なんてつい最近一部の地域で始まったことだが、これも『同和特権』のひとつだろうか。それよりも驚いたのが、自動車教習所授業料も『タダだった』と言うのだ。私も運転免許をもっているが、確か教習所に入るときは30万円くらい払ったと思う。それもタダ?

それから、これは自分家族はいないが、市の公務員になれるルートみたいなものもあったそうだ。失礼な話だが、『この人、どうやって公務員になったんだろう?』と思うような人が、市の職員だったりした。

母も私と同じで、そういう環境で周りもそれが普通だったし、他のところのことを知らないので、疑問をもったことがなかったらしい。大人になってから、『あれは普通じゃなかったんだ』と思ったという。

江戸時代身分制度の名残で同和問題差別があるわけではないと、成長するにつれわかった。私が背負ったランドセルも、入学試験で特待生だったわけでもない母がタダで通った高校も、税金から…と考えたら、嫌われるようなこともしてるよなあ、知らなかったとはいえ…といつからか思うようになっていった。

その後、高校大学と進むうち、部落差別っぽいものは時々あった。というより、特に悪気のない、同和地区に対するイメージを誰かが話しているのを聞くことがあったというくらい。

まず、『あのへんは治安が悪くて行くもんじゃない。どんなやつがいて何をされるかわからない。最寄駅で降りないほうがいい』と言っていたバイト先のおじさんとか。

かにイメージとして、ガラ悪いとか治安が悪いとか思われがちだが、これが意外とそうでもない。麻痺してるのか慣れきってるのかとも思ったが、夜になると人通りはほぼなく、ガラの悪い人や治安を乱しそうな人もいない。夜の町は、『ここ?本当に関西大都市?』と思うほど人通りもほぼなく静か。逆にそれが不思議だとか怖いだとかで動画サイトに載っていたりするが。

かに治安がよくて人が住みたいイメージではないよなと長年思っていたが、最近では転入者も増えて、昔はボロボロ団地ばかりだったところに一戸建ての家が建ち並ぶようになった。相変わらず市営住宅が多く、整備されているものの見た目がほぼ同じ。スマホマップが普及するより前は、宅配ピザ配達員さんが迷って電話をかけてくることもあるくらいだった。

そういう街はここだけではない。似たようなところをたまたま電車などから見ると、『あ、ここ…同和地区かも』とわかるようになった。

人生で、『あ、これが部落差別?』と思ったのは一度だけある。結婚ときだった。目の前でやりとりしたわけではなかったが、夫の両親は同和地区の嫁が来るのは嫌だと言っていた。私に直接言ったことはなかったが、義母から夫へのメールを見たら結構すごかった。

結局結婚したのだが、10年経っても『ほら、同和地区の人となんか結婚するから』みたいになったことはない。結婚を反対されたことを知った両親も、『まあ、そりゃ、どうぞどうぞ大歓迎ですってことはないよな』というような反応だった。従姉妹たちも同和地区出身でない人と結婚している。親である伯父と伯母は、娘の結婚相手の両親に出自を話したらしいが、それを理由に反対や差別はされなかったという。

私が昔受けた同和教育の題材にもよく結婚差別が出てきたり、同和の子貧乏いじめられて排除されて…みたいな内容が多かったが、思い出してみれば小学校同級生には食べるのにも困るような生活をしている子は誰一人いなかった。それでも色々支給されたり…あれは何だったんだろう?と思う。

これもまた同和地区特有の話だと知ったのだが、とにかく近所の人達情報を何でも知っている。私達世代はそうでもないが。今時隣の家の人のこともあまり知らないのが普通みたいな世の中だが、母より上くらいになると、『全くの他人のことを何でそこまで知ってるの?』と驚くほどだ。

私は聞いているだけのことが多いが、たまたま何となく会話にAさんという人が出てきたとする。たとえば私が『Aちゃんのお母さんが入院したんやって、Aちゃん大変そうで心配やなぁ』とか言ったとする。

すると母と伯母が、

『A?ああ、あの子な!うちの一学年下の子旧姓増田やろ?増田おっちゃんとこは立ち退きなる前は◯◯に住んでて、今団地入ってるやろ?おばちゃん滋賀から来た人やったわ。Aは高校出て化粧品屋に勤めとって、学会の男の人連れてきて結婚して西宮のほう行ったけど、結局別れて娘二人連れて帰ってきてたなぁ。増田おっちゃん怒ってたわ。あの子入院したんや、それは心配やな』

増田おっちゃん覚えてるわぁ、Aちゃんて姉ちゃんの一個下やったら、うちの二個先輩やろ?その子の弟がうちと同級生やねんけどな、中学同級生のCと結婚して、夫婦で市に勤めとったから、お金持ってんで。団地出て関空とかあの辺りに家買うたらしいわ。増田のおばちゃん不倫しとったん覚えてる?近所同士でようやるわぁとかみんな言うとったなぁ』

こんな感じ。一体何の話だったかこちらが忘れそうになるが、私の友人の母親実家事情を、同学年で仲が良かったわけでもない二人が知り尽くしている。

これは、同和地区出身者同士の結婚が多かったこともあるからかなと個人的に思っている。大人になってからは、では近所に住む誰かの会話に『私』が出てきたとすると、ここまで知られているのかとゾッとして、母に聞いたこともある。

『まあ、このへんやったらそうやろうな。でも、若い子らはそこまででもないと思うけど。うちの娘ていうことはみんな知ってるやろうし、行ってた学校ぐらいは知ってるやろな』

と、当たり前のことのように言われた。

同和地区も、私のように町並みでわかる人でなければあまり他の町と変わらないようになってきた。それに、顔を見たら同和地区出身者とわかるわけでも、戸籍を見たらわかるわけでもない。有名な同和地区が現住所や本籍であった場合はわかるかもしれないが。

解放会館も人権センターとか名前を変えた後、いつの間にかなくなった。『部落差別をなくそう!』『差別落書きを見つけたら云々』という文言が書かれた町内会ポスター掲示板もなくなった。私が少し通ったあの子供会もなくなった。

今でも、『住まないほうがいい町』とかググると私の地元が出てきて、理由に同和地区がどうのこうのと書かれているが、外から人はたくさん来ている。市営団地の入居者は全員知り合いだとか、市会議員や解放同盟コネ団地簡単に入れるという話も聞かなくなった。

実際、24年ほど住んだが、事件らしい事件ひとつも見たことがない。通り魔ひったくりに遭った人が近所にいようものなら3分で噂になるはずだが、これも聞いたことすらない。いや、別にB地区とか犯罪がとかヤクザがどうの、治安悪いとか言われてるけど、全然怖くないですよ、町も綺麗で平和で、他のとことそんな変わりないですよ』とここで主張したいわけはない。

イメージしかない同和地区と、そこに生まれ育った私とでは、全く違うだろうなと思って書いたに過ぎない。

改めて、自分の生まれ育った場所を考えてみたとき、そこがたまたま特殊なところで、確かに差別されたり嫌われたりしても仕方のない面をもっていて、でも何だか普通生活の中で出さないほうがいい話題』のひとつであって…

何かそんなことを思って書いてみた駄文だ。

anond:20210323143609

Twitterやめる人ってじぶんもそうだけど創作やるとしんどくなるよね

何がしんどいかって周りに絵師マナーだのなんだの他人に厳しいから嫌だった

貪る側が楽しい

anond:20220120023140

ちょっと待って!

なんで元増田から子供に対する憎しみが読み取れないの?

それを生かさなきゃいけない、もし死なせてしまったら罰せられるという恐怖感

その場合現在専業主婦の私は単に育児放棄して親権を失ったクズ無職母親になってしま

新生児の時点で育児放棄した自分の方がクズだったことがわかって辛い。

この増田が何に恐怖してるかというと他人評価なんだよね。

子供を殺してしまうこと」じゃなくて「子供を殺すと罪になること」を恐れてるという清々しいまでのエゴイストぶり。

母親として未熟とかそういうレベルじゃなくて完全に母親不適合じゃない?

産んでしまったものは仕方ないんだから責任持って面倒見てくれる人がいるうちに縁を切って新しい人生を送ってしかないじゃん

母親けが女性人生じゃないんだから

anond:20220119215907

死んだ他人の犬をカゴに載せて出社したらシュール過ぎるだろ

anond:20220120013903

これに違和感がないとしたらあまり情緒に欠けるというか、他人に対して無神経に振る舞い過ぎてる

あなた友達いないでしょう?

慢性的体調不良孤独な闘い

当方ニート引きこもり経験もある。

引きこもり半年程度、ニートトータルで2年程度であろうか。

現在30過ぎ。

10代後半にパニック障害になり、色々治療もしたし、一般バイトもしたし、就労支援系の作業所にも行ったし、障がい者雇用経験した。

でもどこにも居着けなかった。体力がないし、根性もないのだ。

ただ、分かっていただきたいのは「ただ、手を小招いていただけではない」ということだ。

このままではいけないという思いの中、さまざまな事に結果はどうあれ挑戦してきたと思う。

けど、現在もぱっとしない。就労A型作業所に頑張って通っているが、週5はたとえ5時間だろうが厳しいと感じている。

毎日へとへとだ。多分このまま一般就労に戻れず就労Aでこうして頑張って薄給をもらうのだろう。

色んなことに挑戦して、打ちのめされる経験をする中で、自分人生を行きようとする光のようなものが消えていくのが分かる。

よく「底付き体験」という話があるが、底の近くで浮き沈みを数回やると「あの頃よりはマシ」みたいな気分もかなり薄れてくる。

急に無理やり50秒水中に引きずり込まれるのと40秒引きずり込まれるのと、35秒引きずり込まれるのを何回か繰り返してるイメージ

もう正直30秒だってごめんだ。そんな気分になってくる。毎回息を吸えるようにならなきゃ50秒の経験有益だなんて思えなくなる。

ずっと渦中にいる人間には分かっていただけることを願っている。

毎日しんどい。寝ても眠いし、何をしても疲れる。どこか悪いんだろうけど、血液検査や尿検査では特に何も見つからない。

不定愁訴というやつと日々暮らしている。

この不定愁訴というやつは他人には理解されづらく、非常に孤独である

誰も私の体感している日々の体のだるさやや不調を同じように体感することができない。

近しい人ですら「そんなに横になってたら余計しんどくない?」等言われる。

からない。でも動けないんだ。何をしても疲れるんだ。

怠けている訳ではないんだ。ずっとずっと頑張って色んなことをこの体でやってきた。

体調不良を、騙し騙し生きてきた。

もう16年向精神薬を飲んでいる。それも当事者じゃない人は「その薬のせいなんじゃない?」という。驚くことに他の科の医者までいう。

必要最低限にしてもらっているつもりだし、精神科医がいいと言えば減らすよう努力もしている。

闘病8~9年くらいで、藁にもすがる思いで他の科にかかることも面倒になってきて、ただじっとしんどいのを休む、寝るという普通対応でやり過ごしている。

治療も色々なことを試してきたつもりだ。でも効果があって健康にならなければ「試してきた 」という「努力」が実ったことにはならない。少なくとも一般社会に出て話をしているとそういう認識なんだろうなと感じる。

長患いや障がいがある人生は、不便だったり、毎日体がしんどいことももちろんつらいが、それを本当に体験しているのは自分だけだ、という当たり前のことが孤独でつらい。

分かれ!というつもりは無い。ただ日々を生きているとどんどん取り残されていって「何もしていない」気持ちになるのが虚しくて悲しくて書いた。長くなってしま申し訳ない。

anond:20220119171214

人が死んでも他人なら5万も出さんわ

転勤族専業主婦の子供だけど

婚活増田見て、そういえばうち転勤族父と専業主婦母だなーって思った。

物心ついた頃には父親実家と同じ県に住んでて、父親は私が起きる前に家を出て私が寝た後に帰ってきてた。父親自身まり子供に興味ないみたいで休日あんまりコミュニケーション取れなかった。でも一応可愛がってくれてたのはわかった。

父親がそんな感じだからから母親は私と2歳下の妹をずっと一人で面倒見てた。転勤族から2〜3年おきに全国を転々としたけど、住んでた地域は全部母親には縁もゆかりもない地域だった。

母親はいつもイライラしてたか、ひとりで本読んだりパソコン見てることが多かった。母親に怒られてた記憶しかない。大人になった今だからわかるけど、友達もいない土地でひとりで子供2人をワンオペで世話するんだから無理もないと思う。母親はあまり社交的ではなかったし。父親はそんな母親ストレスや悩みに鈍感で、寄り添う感じもなく、父親母親はいつも喧嘩してた。

私が小学生の頃に家を買って、母親実家の近くに引っ越した。父親単身赴任で、話す機会がもっと減った。母親ワンオペ育児は相変わらずで、やはりずっとイライラしてた。怒られてばかりでも一応寂しくて母親と話したかったけど、パソコン見てる時にしつこく話しかけたら怒鳴られてそこから必要以上に話さないようになったし、常に他人の顔色を伺うようになった。いじめられても頼れないどころか、面倒な事持ってこないでよ、って感じで「あんたが悪いことしたんでしょ?自分でなんとかしなさい」って言われた。

高校生の頃、数年だけ父親単身赴任が終わって一緒に暮らした。けどやはり父親とのコミュニケーションは皆無だし、家のことはすべて母がやってた。相変わらず夫婦仲は悪くて、朝起きたら家の壁に穴が開いてたことがあった。夜中に喧嘩してキレた父親が殴って開けたらしい。男の人の力ってすごいんだなあとか思った。

そのまま私は大学卒業して就職して家を出た。その頃の母親との関係は最悪で、「あいつ(私)を見るとイライラする」と父親愚痴られるほどだったし、私も母親に関わりたくないと思ってた。私が一生反抗期だったのもあるし、上述したいじめの件で大喧嘩たから。私はあの時の私への接し方と発言が間違っていたと認めて謝ってほしかったのに、母親は頑なにそんなこと言ってない、そもそもあれはどうしようもなかった、とかなんとか言って完全に反発し合ってた。

父親は相変わらず家族に関わろうとしなかったけど、私が母親と大喧嘩して大泣きしてた時に初めて「知らなくてごめん」とだけ言ってきた。いじめられた時は毎日大泣きして帰ってきてたけど父親はいなかったし、私がこんなに感情的になっているのを初めて見たと思う。けど間を取り持つでもなく、何があったのかを聞くでもなく、私が「もういいよ!」って言ってそのまま。

母親父親子供の話とか相談をしてなかったんだとこの時初めて知った。母親孤立さら理解したけど、それでも母親を許す気持ちになれなかった。

そんなだけど、高校私立自由なところに行かせてくれて、大学学費も出してくれた。26歳で年収も400万超えるくらいのいいところに就職できた。

母親とはもう5年以上連絡を取ってないし実家にも一度も帰ってない。父親も数ヶ月に1回LINEするくらい。一応心配してくれてるんだと思うけど、私も父親もどう関わったらいいかからなくてそれ以上は何もならない。私も父親のことを父親っぽく思っていないというか、母親父親のことを悪く言ってたからいいイメージもない。

私が家を出てすぐの頃、一度地元に遊びに行ったことがあって、実家には帰らなかったんだけど父親が「久しぶりに家族4人でご飯でも行こうか」と言ってきた時はさすがに笑ってしまった。現実を見れていない(もしかしたら見ようとしていない)父親がもはや可哀想に思えた。

もちろんこれが転勤族専業主婦であることと直接因果関係があるとは思っていないけど、父親母親幸せなのかな?ってよく思う。

そして私はどうしたら普通家族みたいに親や妹と仲良くできたのかわからない。仲良くできるならしたいけど、私もあまり他人家族に興味ないから無理だと思う。育ててもらった恩はもちろん感じてるけど。

転勤族の人と結婚して子供産むと大変なんだなって思った。結婚願望ないけど。、

母親インターネットを見るのが好きだったしこれももしかしたら読んでるかもな、、

ここまでの自分語りを読んでくれてありがとうございます。もしよかったらみなさんの家族の仲良しエピソード教えてください。

anond:20220118124506

オープンレター批判界隈、みんなふわふわしたお気持ちしか物を言わないかイライラする

説明責任」って何を根拠に発生するものなの?実在するのか?

例えば「あなた意見に賛成します!僕は山田太郎です!」と俺が宣言したとして、それが他人名前を騙っていた場合賛同を得たお前が何かしらの罪に問われたり責任を負うってこと?意味わからん

よくわからんお気持ち女叩き軍団から根拠ロジックもないクソリプの嵐を受けたら誰でも病むわ

anond:20220120002404

まり婚活しろってこと?

うるせーなんで他人タイムリミット定められなきゃならないんじゃ

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