はてなキーワード: 他人とは
底辺ネット世界では自分の間違いを認めた瞬間に絶対他人の間違いを許さないマンに執拗に人格攻撃されることがあり、そういう経験が重なるごとに人々は徐々に自分の無知や間違いを認めなくなっていく
宮台の発言は、最低のイジメであり、差別発言であり、誹謗中傷だろ
これ全て言論ってことになるけど、まあ、宮台みたいな、死ぬべき害悪アジテーターのゴミ屑は、そうして他人をけしかけて争わせたいんだろうな。
こいつが、一番差別を煽ってる。
ひろゆきにでもかぶれたのか論理論理データデータ言う人って、「なぜそうするか」を突き詰めれば必ず価値判断にぶち当たる事をちゃんと分かっているのだろうか。
大抵の思考の根にある「よく生きたい」だって「お気持ち」ですよね。
リズムギターは曲を数回聴いたら弾けるけど、アドリブとかギターソロが全然弾けなかった。理論や練習方法はわかるが進まない。なぜなら楽しくないから。
ただ弾けるようにならないといけない気持ちがあって、それが非常にストレスだった。練習はするが数週間すると手につかなくなり、結局別のことをしてしまう。ギターソロの練習は最初ギターを覚えたときのような弾けた時の多幸感というが全然ないからだ。
あまりにも嫌で練習から逃げて、合間に子供のピアノを弾いていたら、ピアノの弾き語りができるようになってしまったくらい現実逃避してしまっていた。
転換があったのは好きな曲を100曲聴いて、その曲の好きな所を書き出してノートに残すという事をやっていたからだ。
自分はギターが特に好きというより楽器同士の組み合わせと音の使い方が好きなようだった。だからギターを極めるというより下手でも自分の扱える楽器を増やす方がおそらく向いているのかと気がついた。あとは他人から見られた時のギターが上手くないといけない脅迫観念みたいなものがあるんだろう。
それに気がついてギターの練習を適当にするようにした。というよりやりたい事をやるようにした。
ギターでリズムを刻んで作曲したり、キーボードと音源とか買ってDTMしたりしてる。これはギターを覚えたての時のように、少しは頭がうねうねする感じがある。
あのとき「人殺しの顔をしろ」って言った人は漏れなく非表示にしたから気付かなかった。何を偉そうに…って感想です。
他人を人殺し呼ばわりなんて本当の殺人犯相手くらいにしか許されない暴言だし(それも場合によってはだめだと思うが)、実際元発言の人も自分に向かってこの言葉を使ってるんだよね。都合良く暴言に使われて可哀想。
一点の言い訳もなく、純粋に殺すための道具を手にすることで、人は罪を背負うのです。
しかし、ヴァナディースとオックス・アースのモビルスーツは違う!
相手の命だけでなく、乗り手の命すら奪う。
これは道具ではなく、もはや呪いです。
命を奪った罰は、機械ではなく人によって課されなければならない。
人と人が、命を奪い合うことこそ、戦争という愚かしい行為における最低限の作法であるべきです。
自ら引き金を引き、奪った命の尊さと、購いきれない罪を背負う。
デリングはこう言ってる。そしてミオリネは、他人が撮影したものとはいえ、この演説を聞いている。
だから、スレッタはこの理論に基づき、救ったミオリネから一度は断罪される。
奪った命の尊さ故に。
その上で、ミオリネはスレッタに対し
https://anond.hatelabo.jp/20230129011741
俺は元増田じゃないけど、こいつの反論読んだけどムカっ腹しかたたなかったわ。
https://take-it.hateblo.jp/entry/2021/11/28/232151
いろいろあるんだけど一点特にこの部分。
なおライブに行く際、自分は自宅勤務なので感染させる=人殺しになる覚悟はしておらず、自分への感染リスクしか想定していなかったため、「人殺しの顔」をし損ねていたのは反省しなければならないだろう。
お前今更何言ってんだ?人殺しの分際で。お前が殺した人の前で同じこと言えんのか?
当時のお前は自身が自宅勤務で感染もしてないから直接殺すことはないとか考えてたんだろうな。それってちゃんと検査してる多くの選手だって同じじゃねーの?自分は感染してなくても、大規模イベントなんだからそこに来る人たちが感染するし医療圧迫するからやめろっていうのがお前のロジックなんじゃねえの?お前が自宅勤務できるご身分で感染リスクが低いとかそんなの知ったこっちゃねえだろ。そんなことちょっと考えたらわかんなかったんか?頭パープリンかよ。
で、そんな人殺しっていう重大犯罪を自分がしたことは反省しなきゃでかる~く流せちゃうのよ、こいつ。どういうことなの?って思うわな。こいつの中で他人に投げつける「人殺し」という言葉が軽すぎるんだわ。他人に投げつける言葉を相手がどう捉えるのか真剣に考えてない。感情にまかせてこの指全く止まらないんだわ。
そのくせ、自分に投げつけられた言葉には敏感に反応して自己正当化の長文レスしゃうのよ。そういう所もムカつくよね。
俺は選手は人殺しの顔をする必要はなく、選手は選手の仕事をしただけだし、開催自体の方については反対してても全然問題ないと思ってる。
その点ではお前が冒頭で書いてる
選手個人のSNSとかに直接「辞退しろ」云々というのは違うだろとは思っていて、世論として明確な反対の声をあげるべきだと考えていた
と同じなんだけど、お前これだけの暴言吐いといて「直接選手には言ってませーん」とかよく言えたな。それ「○○人は汚れた血の民族」って書いても直接○○人個人に言ってませーんとか言ってるのとぜんぜんかわんねーから。
これだけの暴言吐いといてこの発言を平気な顔してできる大馬鹿野郎なとこも本当に腹立つわ。
そんでこんな記事書いてよく「反論はこれ読んでからにしてね」とかドヤ顔で書けたな。恥っていう概念があるんだけど覚えた方がいいよ。多分知らないからこんな記事書けるんだろうけど。
ただ言いたいのは、同性婚に賛成するのであれば「私は現代日本ではこういう家族の形であるべきだ」というような一つの家族観を社会に強要する主張だということを自覚した上で活動すべきだと思う。
同性婚の賛成派は、ともすれば「同性婚賛成は倫理的優越した思想であり、自然に考えれば賛成するのが当然」だとか、「好き合っている者同士が結婚するだけなのだから他人が反対する理由がない」だとか主張しがち。
これは、主張じゃなくて事実がそうなの。
同性婚は、近親婚や多妻婚どころか、普通の異性婚と比べても優越した婚姻形態だといえる。
異性婚は妊娠を伴う非対称的な性暴力や、子孫を残したいという脇に逸れた目的を果たすためだけの婚姻が、高い確率で発生する。
それに対し、同性婚は社会学でいう「純粋な親密性」に相当し、生殖と完全に切り離された純粋の愛情だけで結ばれた形になる。
同性婚における性暴力は無視できるレベルだし、正しさを本当に徹底するなら、異性婚が廃止で同性婚だけを法律で認める状況ですらも考えられる。
子育てに限らずさまざまな支援を「家族」という括りでやってるから、「結婚」という他人を家族にする制度が必要になる。
スマホの家族割を「恋人だったら割引適用してくれよ」とか「俺と仲のいい隣人の子供も家族扱いしてくれよ」とか言っても日本ではなかなか納得されないし、
仮に「家族」という仕組みを廃止してもどちらにせよ「パートナー登録」「被保護者登録」的なものは必要になるだろう、という話だな。
今回の件で明らかになったのは、婚姻制度はどんな形のものであれ内在的に差別を含むということだろうね。
同性婚、近親婚、多夫多妻、どの制度にしても「婚姻はこういうもの」「家族はこうあるべき」という一つの思想、家族観でしかない。
同性婚の賛成派は、ともすれば「同性婚賛成は倫理的優越した思想であり、自然に考えれば賛成するのが当然」だとか、「好き合っている者同士が結婚するだけなのだから他人が反対する理由がない」だとか主張しがち。
でも同性婚も近親婚も多夫多妻も、一つの家族制度を社会に強要する行為である以上、上記の主張には妥当性がないと言える。
ただ言いたいのは、同性婚に賛成するのであれば「私は現代日本ではこういう家族の形であるべきだ」というような一つの家族観を社会に強要する主張だということを自覚した上で活動すべきだと思う。
それを自覚しない主張や活動は無用な反発の原因となる。リベラルやポリコレが嫌われる理由の一つでもあると思う。
『反差別』を掲げて自らに正義をエンチャントして"敵"の同性愛差別を殴ってきたことのツケだろバカ
ホモ(サヨク)が正義こん棒でこれまで他人を殴ってきたから逆手に取られてるだけだろ
お前の正義こん棒奪って殴り返されてるってだけ
昔、私の推しは2次元にしかいなかった。その時はアニメ見て、ゲームして、twitterで感想呟いたりTL見たりでほとんど外に出ず推し活できていた。
この頃は他人に自分を見られる機会というか、〇〇のファンの一人として見られることが少なかった。だから別に自分の好きな濃さの化粧をし、動きやすく機能面重視の服を着ていた。特段自分の顔は嫌いではなく(大好きでもないが)、BMIも適正体重だけどぶくぶく太ってる風には見えないから特段気にしていなかった。
たまーに行くリアイベやコラボカフェはちょっと苦痛だった。周りはさして気にしてないかもしれないが、ファンの一人として行く以上、私がおかしな真似をするとそのイメージが作品に付きかねない。ヤベェヲタクがたくさんいるからってどんどんファンが離れていく作品も少ないが存在するから気をつけないといけない。だから私は普通の枠からはみ出ぬようなファッション、メイクをなるべく心がけていた。でも大勢のファンもいるし、何より推しは生きていないので自分を視認することもない。小綺麗にして外出するプレッシャーは辛かったけど、特別重く精神にのしかかっている訳ではなかった。
まず、同担を見る機会が多い。当然現場に行けば同担が存在する。二次元の現場でもいたが、買い物をしたりご飯を食べたあとは即解散するのでそんなに同担をまじまじ見る機会はなかった。三次元の場合、衣装替えのときや推しを見たときに端に映る同担がまぁよく目に入る。
そして色々考える。めっちゃ細いなあの人。良いな可愛い服似合って。うちわ気合入ってるな。そうかと思えばあの人、なんであんなに毛先ボッサボサなの。爪の甘皮そのまんまか?眉の処理も甘くない?だが、その自分の心の中に浮かんだ言葉は自分にブーメランで刺さる。twitterで見るようなオタク嘲笑はそのまま自分にぶっ刺さるのだ。
更に、推しがこちらを見る可能性がある。自意識過剰だとか認知がほしいとかそういうことではない。汚い自分を見られる可能性があるということだ。本当にやめてほしい。モブFくらいでいさせてくれ。こんな変なやつがファンにいると思われたくない。
そんなこんなで毎度毎度強迫観念のように化粧をし、普通の人から逸脱していないか心配になりながら現場へ向かっている。昔はどうとも思っていなかったが、今は自分の丸い肩も大根足も集合体恐怖症の人が倒れそうな鼻も大嫌いである。私より金を費やす偉い同担もいるし、私より可愛い同担もいる。自己満足で推しを消費してる価値のない生き物がもさっと存在しているだけ。
前回のあらすじアルバムで音楽を聴くというのがやはり理解できない
とにかくお前らの言い分を把握するために一通り聞いてみることにした。
どうせ家では一日中パソコンの前にいるからゲームしたりSNS見ながら聞いてりゃいつの間にか大体消費しきれたぞ。
最初に言っておくが12勝8敗であったとこっちは思ってる。
こっちの勝利条件は「これは単なる詰合せであり単品で買えば良いものがお得に集まってるだけだ」とこっちが思ったかどうか。
逆を言えば「このアルバムの曲はこの曲順と組み合わせじゃないと駄目っぽいな」と感じたらそっちの勝ちだ。
そもそもなんで勝ち負けなんか決めなきゃあかんのかは知らんが、お前があんまり反論してくるせいでこんな感じになっちまった。
これがコンセプトアルバムだ!みたいに言う割には似たような曲を揃えて最初と最後にそういう設定を入れただけじゃんっていう。
これこそまさに「詰め合わせセット」だ。
なんだろうな……まさしくアルバム単位で売る以外のやり方が存在しなかった時代の遺物って感じ。
「交響曲というシステムをパクってみせることで抱き合わせセットを売りつける」というアイディアを持ち込んだのは凄いと思う。
だが今の時代にこれを聞かされても「その市場に他所のアイディアを持ち込んだ事が凄いだけ」としか思えんね。
むしろ「コンセプトアルバムのスタート地点はこの程度だった」という意味で、音楽業界が歩んできた距離の長さを感じた。
まあ「参考」にはなったよ。
「100年前、100m走の世界記録は10秒6だった。この100年で人類はそれを1秒丸ごと縮めたのだ」みたいな「感動」もね。
これも普通に詰め合わせパック。
ある程度時代が固まっているけどその中でも方向性がいくつかあるんだなーって感じで終わってる。
まあ「一時期を切り取っている」というコンセプトの公式プレイリストとしては成立してるんでファンがCDラックに並べてニンマリして時折聞くためのファングッズとしてありなんかもだが、それシングルでもよくねっていう。
izumiya1948 例えばベートーヴェンの第九を第4楽章から聴く(第4楽章しか聴かない)、なんなら「歓喜の歌」だけでいい、ようなやつなんだな。
単品で聞いちゃ駄目なのか?
それなら駄目な奴ばっかだぜ日本人は。
音楽オタク様にゃそういう粗雑なイエロモンキーと同じ血が流れていることがずいぶんと恥ずかしいらしいねえ?
進歩はしているがサージェント・ペパーズの域を出てない印象だ。
ある種の時代を切り取っている感はいいが、その背景にある時代の物語を描ききれているかという微妙。
未来趣向をテーマにした結果として発売当時の時代感の再現が弱まっている気がする。
うーん……シングルで聞いた場合との違いがあんまりわからない。
異世界冒険譚とか人生の底でファイティングポーズみたいなコンセプトの曲だけで固めていれば……と言う気もしなくはないがそれでも単なる詰合せになりそう。
まあお得ではあるとは思う。
mamemaki こういう人がいるからプリンスのlovesexyは曲送り出来ない形でリリースされたんだよね。「黒人の命のようにアルバムも大事」とはプリンスの言葉。
この曲は売れてるんだろうなあってのがあるのはいいんだけど、そこまでの流れにきちんと相乗効果があるかって言われると微妙な気がする。
当たりと微妙が入り混じった福袋をそれっぽく並べ直しただけというか。
ランダム再生よりはちょっと上なんだろうけど、アナリーゼ100%の作者本人が並べ直した割にはって感じ。
これなら当たりの曲だけで聞く側が自分でプレイリスト作ればよくねって気がする。
ただ詰めているだけじゃない気はするけど、この順番で聞かせることを推奨するだけの何かがあるのかという疑問が。
anepan 椎名林檎のアルバムの曲構成が線対象になってる話とか曲名の頭文字を拾うとアルバム名になってるプロトタイプナナクジャクの話する?
だから何?って感じが凄い。
単にパッキングされた曲を聞いてるだけなのにLIVEにおける曲感のMCやちょっとした特殊な入り、繋ぎに似た感覚が得られる。
ライブ・ビューイングの缶詰を開けたような体験だ。
なるほどこれはアルバムじゃなきゃ無理だな。
だが逆を言えば、この感覚がない大部分のアルバムはシングルをユーザーがプレイリストにしたものと大差はない「詰め合わせパック」でしかないということなのでは?
映画のようなある種の段取りに合わせて何か長い物語のイメージが共有されていくような錯覚がある。
音楽によって表現したい世界観をいくつもの曲を組み合わせることで多角的に伝える感じか。
相互に作用し合うことで一つ一つの曲の解像度が単品よりも上がっているな。
単品で聞くと「あの映画の曲だ」にしかならなかったモノが、その奥にあるTMの世界観に意識を向けられるようになる。
なるほど、ドラクエ1~3を詰め合わせて一気に遊べば世界観の解像度が上がるに決まってるだろという話か。
単品で聞いても意味わかんねになるような曲をいくつも聞くことでいつの間にかノリが見えてくるこの感じはアルバムじゃねーと無理だわ。
強烈なクセや世界観があるアーティストにとっては束ねることによって理解度を深める機会を得られるアルバムは追い風になるか。
レイン・ドッグと比べると単品でも成立しやすい曲は多いがシナジーの効かせ方はそれ以上にさえ感じる。
この辺は公式推奨プレイリストとしてしっかり仕事してるのでアリだと思う
narukami ユニコーンの風を聞いた後忘れた頃に風IIがかかるからいいのであって風IIが先に来たり連続してたりするとあまり笑えないので
はい。
実物聞いたらまさにその通りでした。
初めて聞いたがいいバンドだな。
表題曲を聞かせるための下準備に1/3を使って、その後もマイルストーンになる曲によってアルバム内でサビの曲みたいなのを作っていってる。
捨て曲があるという程ではないけど盛り上がる曲とそれ以外にやはり別れるんだが、その中でいい感じにカタルシスを得られる。
単に好きなものを詰めただけの個人制作プレイリストではやりにくい、「公式から押し付けられたプレイリストだから貯めを委ねられる」みたいなノリだなあ。
「三部作のセットは、ただの詰め合わせではない」とでも言いただけだな?
どうやらそうらしいな。
なんだったんだこの戦いは……
ここまでやられると「コンセプト」を認めるしか無い。
「コンセプトアルバムっていうけど似たような曲詰めてるだけだよね~~~」ぐらいの奴多すぎるから油断してたわ。
本当にコンセプト突き詰めるとここまで尖るのね。
味が定期的に変わるすげー長い千歳飴食ってるような気分だ。
いやいやこれは映画のストーリー通りに音楽が流れてくるだけでしょ。
……いや……それでいいのか……。
物語にそって流れるサントラはそれ自体が巨大な物語を表現した一幕のオペラか。
いやいや……それは反則だろ。
あーでもアルバムの定義次第だからサントラが無しとは言えないんだよな。
じゃあとりあえず負けでいいや。
あちこちで言われているだけはあるな。
噂の「猫背の虎」とやらを一番最初にやることで「どういうコンセプトのバンドであるのか」を紹介してくるのか。
最初の数曲は全体的に基礎コンセプト紹介しつつ万人受けしそうな感じの曲が並んでいて、「まずは名刺配りますんでよろしくお願いします」みたいな礼儀正しさがある。
そういう態度を取られるとこっちもまあ残りも聞いてやろうかなってなるな。
いきなり「忘れてやんない」とか言われたら「は?お前がそもそも誰?」にしかならんかったと思うし。
アルバムという形に込めた一つのライブという感じだが、押し付けがましいようなコンセプトもなくただ満足した気持ちで聞き終わった。
単純に出来がいいアルバムは単純に出来がいいので単純に評価が高くなる。
オタク君に人気のスパロボ歌手だと思ってたけど、オタクくんもライブ行ったら最後の曲で肩組んで「ララ~~ラ~~ララ~~~ラ~~~」って脂ぎった体でやるの?
というイメージが浮かんできた時点で今回のルール的には完全にこっちの負け。
曲順によってこういう曲単品で聞いただけでは存在してなかったであろうビジョン見せられるアルバムの例として良かったぞオタク君。
この話題でそれ出されても「そりゃそうだろ」にしかならんと思う。
ああいうのは一つのミュージカルを章ごとに分けてるだけだからアルバムって名前だけど実際には「長大なシングルに近い」と思うぜ?
こっちは別に「スターウォーズなんて三部作最後の3と6だけ見ればいいじゃん。どうせ途中の話は前回までのあらすじって感じで分かるだろ」みたいなことは言ってないぜ?
同上。
音と向き合える素晴らしい名盤だとは思うが、「この組み合わせ、この曲順でなければいけない」と言えるかというと微妙に思う。
まさに「お中元用の定番セット」のような……最高が揃っているが、最大公約数的な組み合わせには凡庸さがあるという印象だ。
まあ期せずしてベストアルバムみたいになってしまった物の一種として考えれば最高にお得だし、これを買った当時の人達は盛り上がったんだろうなと思う。
今の時代になってから戻ってきて「こんなの自分でプレイリスト作れば~~」と言っているこっちがおかしいのは分かるが、「アルバムってのはよ~~単なる詰め合わせじゃなくてよ~~~」で上げてくるのもなんか違うと思う。
対戦ありがとうございました。
さてまあ今回色々と紹介してもらったわけですが、アルバムごとに個性ってやっぱあるもんですね。
そもそも個性のあるアルバムみたいな題で聞いてるんだからそうなんですけど、どういう形を目指すかっていうのが色々あったと思います。
アルバムってシングルと違って「始まり」と「終わり」があるわけで、そうすると勝手に他のも「始まりからいくつ」とか「ちょうど真ん中ぐらい」とかになるわけで、するとそこに何らかの意図が絶対産まれるんですよ。
シングルだと結局はメインとサブっていう真っ二つの役割だけになりがちで、何故この流れでこの曲を流すのかの意味が単品で感じさせにくくなる。
もちろんアーティストの歴史の中で曲を出した順番やタイアップ、近況とかも把握して追っているファンであればそれぞれの中に意味を見いだせるんでしょうけど、そういった意味をキャッチアップするのは音楽を日常的に聞くほどではない人間には厳しいです。
アルバムはその点において構成によって意味を補ってくれるというか、「曲を単品ではなく何らかの奥行きを持って味わいたいけど、そのために調べるほどの気力はない」って人間にマッチする部分があると感じます。改めて感じました。
「お得な詰め合わせ」というのも単に悪い意味だけでなく「シングルにあの値段を出すほどの熱意は音楽に持てない」という人間でも新しい体験にドンドン踏み込んでいける緩さがあると感じます。
ただ、そうして手に取ったアルバムがただ「とにかく最近のを入れました」だと、ずっと追ってきた人なら「最近はこういうのが増えたんだね」と感じ取れたとしても、そうじゃない人間は順番に曲を聞くだけ、それもシングルほどには気合の入ってない、時には捨て曲のようなものが混じった体験をすることになるわけで。
この辺がちょっと悔しいと素人は思ってしまうんですが、音楽が好きな人はそういった「シングルなら世に出られなかったような曲」も味わせることにも価値を感じたり出来るのかなと羨ましくもあります。
今回漠然と「勝ち」「負け」なんて決めたわけですけど、実際にはそれぞれの価値観において音楽との向き合い方があり、そこに他人をいちいち踏み込ませたくないようなパーソナルスペースのようなものもあると思うと、ちょっと言い過ぎたのかなと思いますので最後に一言誤ります。ごめんね。m(_ _)m
寂しかった、緊張をまぎらわしたかった、ストレスを忘れたかった。だから、すすきのに居た時は酒を飲んでいた。
おさけは凄かった。普段は言えないことも、お酒の力で言うこともできた。緊張がやわらいだ。酒を飲むことによってストレスはむしろ増えていたけれど、酒を飲まないというストレスに耐えられなかった。酒を飲まなければ私じゃなかった。酒を飲んでる時のわたしのことを私は好きだった。お酒も好きだった。お酒のつまみも好きだった。お酒を飲むところが好きで、いる人たちも好きだった。だからバーでミルクを頼む気にはなれなかった。
いつも1杯だけと思って、お店を訪ねた。飲み始めるとブラックアウトをするまでのんだ。初めて入った店のトイレで気絶していたこともあった。酷い飲み方に拍車がかかってから、友人が減った。毎日ブラックアウトするまでのんだ。資金繰りに困るようになった。
当時同居していた7年付き合った彼氏と酒が入るとよく喧嘩するようになった。その人も酒が好きな人で、飲んだら暴言とかるい暴力をふるってくるような人だった。いつも彼が何か粗相をした時に、何とかしてたのは私だった。私がそうなってみれば俺が恥ずかしいからやめて俺の世話をしろと言っていた。そのうち帰ってこなくなった。他にも決定的に課題があって別れた。知り合ってすぐの人と見せびらかすように付き合い始めた。弱ったようだったけど、いない時にしか私に関心がないんだな、と思った。その知り合ってスグの人とは割とすぐ別れた。
終盤は休日であれば朝から飲んでいた。それは友人が教えてくれた悪くて楽しい飲み方だった。その友人と一緒に、その友人の休日には朝から晩まで飲んだ。仕事がある日も夜に毎日飲んだ。楽しかった。わたしは仕事をやめていた。何もかもどうでもよかった。いつ死のうかと思っていた。アルコールをやめたかった。
アルコール依存症の初期症状が出始めてから4年、とんでもないような田舎に引っ越して四苦八苦して半年の禁酒に成功した。その4ねんの間に結婚した。最近街にまたこしてきた。大丈夫だと思ったから。少し楽しみだった。夫と少し距離が欲しかった。夫のことは好きだけれど、一緒に居るのはすごく窮屈だった。
そうして、このあいだ夫に隠れて初めて飲みにいった。ブラックアウトはしなかった。バーボンのダブル三杯と水をゆっくりのんだ。私は変われたんだ思った。夫は心配しすぎなのだ。
でも昨日は違った。明細を見ると日本酒3合、バーボンのダブル4杯、ハイボール1杯をハイペースでひとりで飲んでいた。ブラックアウトした。帰宅の時間も定かでない。完全にスリップした。案の定、夫にはバレた。やめる、今後一切行かないと約束した。これは空手形だと思った。後悔してるしやめたいけれど、そんな簡単じゃないことを知っている。お酒が飲めないように工夫をいくつくかするつもりだ。でも、本当は自信が無い。AAに通うのは夫が許してくれないと思う。夫は私か他人とかかわるのを嫌がっている。夫のことも大好きなままでいたい。でも、私どこかで、やめたいと思ってるアルコールのために離婚してしまうような、そんな気がしていて怖い