はてなキーワード: 他人とは
https://x.com/bachelotte9/status/1728269500066542016?s=20
このツイートがバズってXで賛否両論になってるんだけど、散々言い尽くされてる「代替要員用意しない会社が悪い」とかいうのはおいといて
って言うんだけどでも申し訳ないと思いつつ自分の生活優先で帰ってるんだよな?
会社の居心地が悪いとかみなに迷惑かけて申し訳ないって思うなら辞める選択肢もあるのに辞めないの自分だよね?
だって子持ちが辞めたら新しく人雇えてしょっちゅう帰ったりしないフルタイムの人が来て部署のみんなは楽になるのわかってても、自分が勤めたい気持ちを優先してるわけだよな?
別にそりゃそれでいいけどだったら「申し訳ないと思ってます」ってなんで言うんだろう
本当に申し訳ないなら辞めろよ
辞めないんだから申し訳ないなんて思ってないんじゃないの?すごい被害者ツラするのが不思議きわまりない
お金がいるから? うん、だったら自分が金が欲しいから他人に迷惑かけてでも居座りたいんでしょ? 中途半端に申し訳なさぶってるのまじわからん
子持ちが「負担を皆さんにかけてもうしわけない」って言うのみる度に「申し訳ないと思ってるのにやめないのなんで?自分が勤めたいから他人の迷惑わかってていすわってる現状と言葉が矛盾してない?」って思う
みんな!
クリスマスまでひと月を切ったよ!
準備してる〜〜?
ウチは…
理解不能になってきた…
格好も性格も以前と変わらないはずなのに
これって蛙化現象ってやつなのかな…
一緒にいたくない
歳の離れた妹は、人間関係は色々あっていいんだよ、とアドバイスしてくれた
ここには実経験のある方、あるいは耳年増な先輩もいると思う
蛙化現象を止めたい
私は昔から、足で何かをするのは下品なことだと育てられてきたので、足で扉を閉めたりするだけでも抵抗がある。なので当然、足で他人様を触ったり、他人様を足置きにするなんて無礼なことには抵抗感が拭えない。
しかし旦那は、ごろごろしていると事あるごとに、自分の上に私の足を乗せて、自分を足置きにするように言ってくる。
私は上記のことを説明して、抵抗があるわと断るのだが、彼は置いてほしい、自分も昔兄弟によく足を乗せていたから無礼とか思わないからと粘るので、いつもなんだかそわそわしながらちょこんと足を置く。
子供の頃から死ぬのは苦しそうだという恐怖がパラノイアのようにまとわりついていた。ある時気絶を経験してみて、死なんて案外こんなものなのかもしれないと思った。睡眠は死のイトコとはよく言ったものだ。身体的な苦痛に対する恐怖は薄れていった。恐怖は抽象的なものへスライドしていった。
「無」になることが怖くなった。
意識の断絶。経験したことのない状態。体験した者は一人残らず口が聞けなくなっている。これはどういう思考の過程で恐怖が薄れたのか忘れてしまった。どう足掻いた所で避けようもない。火の鳥や吸血鬼はきっと存在しない。ならば不安になったって仕方がない。考えるのをやめることでいつしか怖くなくなっていたのかもしれない。
存在を忘れられることが怖くなった。
無になっても、他人を介して自分に存在を繋ぐことが出来るのではないかと考えるようになった。それが成し遂げられないことへの不安だった。
大抵の人がそうであるように、自分という存在もまた忘れられれば初めから無かったかのようになってしまう。結婚して子供を残せば自分の存在を残せるかもしれない。でも4代5代も先になれば、誰も読みやしない墓石に刻まれた文字だけの存在になるだけだ。遺伝子を残した所で、それが自分のアイデンティティを為すものだとはどうしても思えなかった。それはただのモノだ。いつか朽ち果てる墓の中の骨と変わらない。そこに自分の考えや言葉や性格は何もない。そもそも血が途中で絶えない保証なんてどこにもない。
思春期の自己実現への焦燥感や全能感と合流して、偉大な存在になれば望みは果たされるだろうと思うようになった。教科書に乗るような存在になれば永遠になれる。誰も自分を忘れない。
しかし自分が大それた存在ではない事を薄々受け入れていく内に、この望みも薄れていった。ビートルズだって数百年先も人々の記憶に残っている保証はない。バッハだってカエサルだって仏陀だって、いつかは忘れられるかもしれない。
生きている間だけ存在し続けるのも、死後せいぜい数十年、数百年、数千年の間人々の記憶に留まるのも、永遠に比べたら誤差のようなものだ。それに身も蓋もない話をすれば地球だってどうせいつかは爆発するらしい。他人を介した方法でも、永遠の存在になろうとすることは諦めた。今思えば、地球がなくなっても宇宙へ住処を広げない可能性がないとも言い切れないけれど。
これらはすべて理屈の問題というよりは納得、受容の問題だった。
後悔を抱いて死ぬことが怖くなった。今に至るまでこれだけが怖い。
死は避けようもないが、しかしたった一度きりの生があるのもまた事実だ。
生きる意味などどこまで考えても見つからなかった。理詰めで問うていけばどれもこれも絶対的な地盤などなく、あやふやなものの上に成り立っていた。宗教というものの意義が肌感覚で理解できた。しかし自分なりに意義を見出す事は出来るはずだ。ならば心からの納得が欲しい。
死ぬ間際に人生こんなんで良かったのかという思いが頭を過る事に対して、強迫的な焦燥感を抱くようになった。
映画を見漁っても、友達付き合いをしていても、方々を歩き回ってみても、楽器を弾いてみても、曲を書いてみても、心からの納得は得られない。
それを振り切れるほどの情熱もないままに、存在の不条理なんていう目を向けてはいけないものを凝視し続けて頭がおかしくなってしまった。
情熱を持って生きるか、それが出来ないならせめて日々の気晴らしにかまけて人間存在の不条理など忘れ去ってしまった方がいい。
くだらない考えもほどほどに目の前の生活を淡々と送る。それが地に足のついた人生であり、そういうバランス感を模索していく事が人生の中で生き甲斐を見逃さないための誠実な生き方というものなのかもしれない。
そう頭で思っていても、情熱の燃料にもならない湿った焦燥感がどうしても捨てられず、後生大事に抱えている。これを捨てたら比喩ではなく石ころと同じ存在になってしまうように思えてならない。石ころと同じ存在になってしまうのはとても恐ろしい。仏教はそれを肯定しているらしいが、何をやっても納得してくれない心がそれだけは強く否定している。
思えば初めからそうだったのかもしれない。子供の頃から、普通に楽しく生きていれば、生きている実感を見逃さなければ死になんて目も向かなかったかもしれない。鬱病の素質があっただけかもしれない。
世の中の人間は意識的にでも無意識にでもこんな事は踏まえた上で、バランスよく自分なりの賢い生き方をしているのだろうか。まあ他人のことはどうだっていい。
といったような考えに10代の大半と20代の少しを費やしたが、同じような内容が大学の哲学系の講義でサラッと語られていた。
読書をしていればこんな考えに時間を浪費する事もなかった。車輪の再発明だ。無学の悲劇だ、と笑われそうだが、自分はそう思わない。そこには単に理屈だけではない実感が乗っている。価値観のDIYのようなものだ。拙くとも自分で辿り着いた事に意義がある。今更のポジショントークなのかもしれないし、それのせいでバカみたいに勝手に苦しんでるんですけど。
正直まだ意味は分かりませんが
あなたが自分が何を書いてるかすら理解できない人だというのは分かりました。
でもあなたは先に他責思考をやめて努力すればモテるって言ってますよね?
そんなことは一言も言ってないです💦
えーと、うーんと、
の人間の中には努力もせず他人へヘイトを向ける人が多いから、それをやめて努力しようということです💦それだけが言いたいだけで、因果とかは関係ないです。
なんというか社会に出たらこういう性格じゃやっていけない気がしており悩んでおりました。自分よりも他人を優先しすぎてしまう性格といいますか、強く言えない状態なのですが、こういう性格でも(長期的に見れば)特になるのでしょうか……?
いや、「他責思考だから努力しない、モテたいなら努力しろ」というロジックじゃん。
これを批判されて「他責思考だからモテないと言ってるのではありません」は話ずらしてますよね?
「他責思考だから努力しない、努力しないからモテない。」が基本ロジック、そしてタイトルに他責思考を持ってくるんだからあなたが論点にしたいのは「他責思考」じゃないの?
あなたも私のことを勝手に決めつけてますよね…全く悪く思ってないって書いてありますが、それこそ藁人形的な観点でしょ…?私もしっかり馬鹿だし反省しています。中々論理的になれなくて、ここまで議論させて申し訳ないです💦関係の無い人まで巻き込んでごめんなさい。
おそらく私の文が悪いのだと思います。書き方も下手くそだと思います💦なかなか自分の意見や感想、感情を他人に伝えるのって難しいですよね…
具体的にどのへんが、あなたにそう感じさせる原因になったのか教えて貰えたら嬉しいです💦
<<モテないのは他責的でオシャレな人間を攻撃するからと決めつけてるし
これは違います💦
つまりはモテてないと、それを受け止めきれなくて他責思考に陥りやすい、ひねくれやすいということです。その前に自分磨きしろ!ということなんですよ💦
悲しいですが、具体的にどの辺がそうか教えて欲しいです💦時間取らせてしまってごめんなさい🙏
感情的になりすぎていました…。
あなた、実際全く悪いと思ってないでしょ?
単に「他責思考はダメ」という話題で始めたから防御のために私が悪いのかなとか言い訳のために言ってるだけで。
流石にそれは横から見ても
他人を根拠なく藁人形的に「モテないのは他責的でオシャレな人間を攻撃するから」と決めつけてるし
しかも匿名だし、そんな相手にまともになれとか言われても当然響かない、ってあなたの文章読むほうが思う事ですよね。
って意味なんですが。
ごめんなさい、やめると言ったのに。
私の言いたかったことがあなたは理解出来ていないようですね。あ、あなたはここでも、「私が理解できないのはあなたの文章力が足りないからなのであなたの責任だ」と仰られるかもしれませんが💦
他責思考と他責は違いますよ。なんでも都合よく他人の責任にしてしまう方と、本当に他人の責任だということは違いますよね?理解できますか💦私の言い方が悪いのかな💦
私はあなたに根拠の無い言いがかりをやめて欲しいと言いました。これって私の責任でしょうか。あなたの行動は私の責任になるのでしょうか?あなたこそ他責が過ぎますよね。言ってる意味分かりますか?
確かにそうですね!
ただここぞとばかりに他人のせいにする人間が多い気がしましたので……💦そしてそうやって他人のせいにしている人ほど弱くて魅力の無い人間だと感じてしまっていました。
吉田で貧困論や格差社会論とかを研究・貧困調査していた増田だけど、
(今はしがないサラリーパーソン)
昨日底辺や低学歴の男がYouTube好きなのはなぜ?っていうエントリが投稿されてて
コメントもいっぱいついてたので見てみた
すると、「高学歴や金持ちの方がYouTube好き」とか「低学歴はYouTube見ない」コメントが結構散見された
「底辺や低学歴がYouTubeを好む」って、社会政策学や教育学等
社会科学の分野ではよく知られた当然の知識だと思ってたけど、世間一般ではあまり知られてないんだなあって思った
例えば、近くにあった論文で言えば
ヤンキー等底辺高校の生態形について初めて研究したと言われている「ヤンチャな子らのエスノグラフィー(青弓社)」でも
底辺高校の生徒の大部分はYouTubeが好きな『陰キャ』だと観察されてるし
また、都市下層階級の労働者(派遣や日雇など)もYouTube好きだと報告されている先行研究(近くにあった本では「飯場へ(洛北出版)」に記載があった」)も結構見かける
国の調査で言えば、日本で最初にYouTubeについて行われた調査と言われている総務庁青少年対策本部の『非行原因に関する総合調査』では、
非行少年や虞犯少年はYouTubeの視聴時間が、一般の少年より高いと調査が出ている。またこの調査を利用した研究でも上記の非行少年や虞犯少年は学歴が低いという傾向出ている。
海外でも似たような事例が観察されると見たが、雑誌が書庫の方に片付けたので、ちょっと手元にないわ。すじまんこ(i)
というか教職課程とかでも教育社会学のテキストに書いてたりするよなあ
こういった研究で出てくるYouTube好きな低学歴や貧困層ってたいてい男だから
昨日の増田が低学歴が貧困層の男にYouTube好きが多いって思ったのも然もありなんかなあ
機会格差の改善が多くのボランティアの方々が改善に取り組んでるけど
(私の後輩の友達の知り合いの元彼の元彼女の知り合いの親の息子という近くて遠い関係の人も取り組んでいる)
あれも貧困層の子供はYouTubeばかりで子供の頃の経験が少ないから
大人になってもYouTubeを見続けて人生が貧しくなるって話からきてるんだってな
他人が必死で子供の貧困を改善しようとしてるのに、「YouTubeは高学歴がする」とか「金持ちの方がYouTube好き」とか「俺は高学歴だけどYouTube好き」とかマジでやめろよ
真面目に貧困対策や格差社会改善に奮闘している人に迷惑がかかるんだわ