はてなキーワード: ゲーム機とは
部屋には私だけだ
つける気は起きなかった。その頃、我が家は貧乏でゲーム機なんか無かったし暇を潰す様なおもちゃもあんまり無かった。仕方なく天井を眺めていると、誰かがこちらを見てるような気がして
目を逸らした。目を逸らして気がついた
その静けさに
そうだ、ここには私しかいない
台所で水が垂れた音が自分に近づいてくるみたいで震えてしまった
どうしよう、どうしようと自分のにおいがする
毛布を引っ張ってきてその中に身を隠した
だけど変わらず周りは静かで
静かで
静かすぎて不安だった
もう寝ようと思ったけど、こんな時にねむれない
目をつぶっても誰かが私を襲ってくるんじゃないか知らない内にとそう思うとねむれない
そうだ、テレビをつけて気を紛らわそうと
毛布を出ようとしたが、誰もいない部屋と目が合ってやっぱり出られなかった
すきま風が私を凍らせようとしていた
毛布の中は冷えていくばかりで
涙が止まらなかった
気づいたら母親が帰ってきていて
毛布の上に掛け布団がかかっていた
それでもまだ涙が出てくるので
しばらく毛布に隠れていた私である
これ分かるわ。
自分は長男だけど、机は母のシックなやつのお下がり、自転車は従兄弟の知らんキャラもののお下がり。
逆に弟は、机も自転車もその年齢らしい新品。(私のお下がりを使うには耐久年数を超えてた)
親も若い時期はお金がないから私に使うお金がなく節約しているんだろうと
弟が新品を気兼ねなく弟自ら選んで買って貰っている様を見るとくるものがある。
「兄弟と待遇が違うこと」「最初の重要な時期に自分で選ばせてもらえなかったこと」「親は私に金を使う気がない」
10歳になる前に尾を引いたのは大きくはこの三つ。最初がそうだともうねだれない。
そのくせうちの両親は「長男」に面倒を見てほしいというのが度し難い。
タイトルの通り。末端のケースワーカーやってるけど最悪。そろそろ異動かなってくらいにはやってる。年度末を控えてるけど、正直今年で終わりじゃなかったら辞めてると思う。
何が嫌かって言うと、命を預からされるところとやりがいがないところ。あと制度が古過ぎるのが目につくところ。そこに付随する様々なイライラ。
人を見下しちゃいけないって道徳で学ぶけど、一人一人寄り添って真面目に対応してると持たない。最初は真面目に話聞いてたけど、酷い目に遭うことも多かったし気持ちの面で負担感があった。今はナマポほとんどをクズだと思ってるし、人生の価値は年数とかじゃないなって思った。あいつらが80年生きてこっちがその半分にも満たなかろうが、間違いなくこっちの人生の方が総合的な価値も世間への貢献も上だと思う。
配属されたらいきなり担当させられて、あれこれ相談に乗ったり時には厳しく赤の他人の生活のお世話をさせられる。100は行かないけどそのくらい。みんながみんな手取り足取り教えないとってレベルじゃないけど、一人で生きていけないような奴は全然いる。
そんなことする意味ないくない? 言うこと聞かないで好きに酒飲んだり勝手に退院したりして、それで死んだら公務員が悪いんだって。叱る以外になにしろってんだよ、20超えて自分で出来ない、理解しようとしない方が悪いだろ。親族も文句言う前に引きとって手前でやれよ。誤嚥で施設が訴えられてのあったけど、あんな感じのことなんかよくある。養えない支えられない、そのくせ一丁前に訴えはする親族。生きてるうちは親族の役に立たないし地域住民のお荷物だけど、せめて死後に親族のゴネる理由になれたのは生まれて来た意味があったのかもね。
なんで知らねえやつの人生背負うんだよ、金と介護とかの手間を消費するだけの人生なのに。
あとやりがいもない。大体のこっちがやるのは家に行って話聞いて、金出せる出さないの話するだけ。何でもかんでもとにかく金が出るか聞かれて、例えばテレビの修理代は出せないって言ったらすぐゴネゴネ。大人しく諦める人ももちろんいるけど、面倒臭いやつはとことんワガママ。議員連れてくる時もある。そう言う時はもっと面倒臭い。
楽だから金出すって言ったって税金なんだし、それに一回金出すとズルズル文句を言うから基本は渋る。でもまたゴネ始める。普通の人って欲しいものあったら働くなり節約なりすると思う。それをまず職員にゴネ続けて目標達成しようっておかしくね? 働けよ。仕事よりゴネるの楽なのは理屈はわかるけど、他の住民の皆さんは働いてそれを実現してんだよ。なんで当然のようにあれもこれも要求できるのか教えて欲しい。
引越し代、マッサージ代、タクシー代とかは自治体が待つことが多い。引越しはこの中だと要求されることは多くても金出すことはすくないか。
意味わかんねえ。引越しなんか普通の家はそうそうしねえし、マッサージなんて受けねえ。タクシー使わねえと病院行けないなら、入院かお看取りのある施設でもどうぞ。
あと制度の作りが甘い。と言うか性善説すぎるから悪いこと考えてる人に対して後手に回るし、古いから最近のお金の流れの実情に沿ってない。
て言うかみんな言えば働くって前提だから、病気ですって言われるとまた手間かかる。ちょっと腰が痛い、体がだるい、気持ちが乗らないですぐ病院の先生は診断書書くから、そうなるとこっちはお手上げ。病気ですって言われたらもう何も言えなくなる。
そんくらい通院して我慢しながら仕事してる人もいますやって言ってやりたい。でも言ったら揉めて面倒になるから任期ギリギリまで見逃すのが一個人から見たら一番楽、でそれが横行する。
不服審査とかも簡単にやれてスラップ訴訟みたいに出来るし、それでこっちの体力使わされるのもしんどい。制度の悪用に弱いのはどこもそうかもだけど、こっちは不正受給やらなんやらある上に、税関係みたいに本人の意思をガン無視して差押とかまだはできないのが歯痒い。
色々言ったけどセーフティネットに頼る人間がみんな嫌いなんじゃない。障害があっても出来るだけ働いてる人もいるし、高齢でフルタイムは無理だけど調整しながら頑張ってる人もいるし、シングルマザーで逃げて来た中仕事と子育てに奮闘してる人もいる。
自分にできることをやった上で、冷静にこっちに相談を投げかけて欲しいし、実際にあったこと、貰った金をちゃんと言って欲しい。これって無茶言ってないと思うんだけど。これが出来ないから社会の爪弾きなんだろうけど。
確かにこの制度がなくなると治安悪化ってのが見えてくるので、何かしらの形で必要なのはわかるけどもっと縮小していいんじゃないかな。それか事務系の公務員じゃなくて、警察とかそう言フィジカルに長けた人がやるのがいいと思う。言ってわからない平均未満の人間なんだから、暴力で躾をやってもおかしくないと思う。
先月まで子供関係の伝票処理してました! みたいな人がいきなり来て金返せとかヤクザ上がりと揉めるのってめっちゃ辛いと思うし辞める人がいても不思議じゃない。でもそれで辞めちゃうって生活保護の連中が生きてることによる外部不経済だろ。なんでこんな連中のせいで人生を狂わされるのかわかんねえ。
総じて気に食わないことばっかり。他の仕事も気に食わないなってことはそりゃあるけど、この仕事の不快感はまた別だなと思う。俺の税金がこんな無駄遣いされてるなってのを見るのはやるせない。その分社会保障費が減れば家計に余裕も生まれるし、子どもだってもっと持てたかも。貧困の問題で切り捨てるのか! みたいなこと言う人いるけど、こんな連中のためにみんなが共倒れする方が馬鹿らしい。こんな連中に税金泥棒って言われると鏡をくれてやってその分収入認定してやりたくなる。もっと金締め上げて生きていけなくするべきだ。
全体の割合でいくと年寄りばっかなんだけど、若い時備えてなくて死ぬ間際は生活保護って本当にムカつく。俺たちが老いた頃には亡くなってるだろう制度に乗っかってオムツ代貰って偉そうに。しかもたまーに仕事の仕方とかで説教してくるやついるんだよな。いやそろそろ人生の総まとめの時期だろうけど、人に説教できる人生じゃないじゃん。
障害に関しては一括りにすべきじゃないと思う。身体、知的と大体はそのお母さんの世帯とかは生活保護と別制度で手厚くして欲しい。知的の人ってすごい素直なんだよ。仕事をする意味が収入以外に日中活動の確保とか社会とのつながりとか、他の側面でやるべきって事情もあるけど、結構ちゃんと仕事してこっちに報告してくれる。普通に話して普通に言ったことを聞いてくれるから、話をしてて全く困らない。噛み砕いたりする時や、メモにまとめて渡す時もあるけど、別にそう言う個別対応は苦じゃない。あの時やってくれたとかでその後ゴネることはないし。
精神障害者はもっと働けって思う連中や、処方された薬を自己判断で飲まずに困ってるようなのが多くて最悪。ここの連中も割と職員からは嫌われてると思う。うつとかでも作業所に行くなりしてくれてればまだわかる。仕事をまだやろうって意思を感じるし。
後結構いるのは発達もあるのかもだけど、精神的に辛いですってゴネまくって仕事をしない若い奴ら。20代で家にいて、いざ訪問すると普通にゲーム機とかあんのね。こいつらゴミだなって思う。このまま一生制度に世話になるんだなって、何も生み出さねえ国民ガチャのハズレ。
あと人格障害の連中は本当無理。比喩じゃなく死んで欲しい。一番手間がかかるし、精神的にも負荷がかかる。無理と言って理由を述べても、自分の納得する答えが得られるまで延々電話したら窓口に来たりする。仕事もしないし友達も家族もいなくて暇だから。大体家族は手を引いてることが多い。病院やらも出禁になり、関わりがあるのが生活保護と障害の窓口だけになるけど、こっちは出禁までは出来ない。聞く価値のない話を丁寧に繰り返して時間を取られて残業する羽目になるのはもらえる金より精神的な負担が重くて辛い。
後ヤクザとかすぐ怒鳴るタイプの連中。こう言うのに性別関係なく担当をつけるのは社会の進歩だなぁと思ったのも束の間、お尻を触ったりするような奴がいるらしくそれじゃ意味ないなって思った。てかそんなのあったらすぐ通報したらいいのに。職員の尊厳の問題なのに何を躊躇ってるのかわからない。
実際こいつらも言い合いになると本当体力使う。たまに病院でもらった薬転売してるやつとかいるし。
普通の国民の生活とかなり切り離されてるし、他に色々日本に問題があるからこれも取り上げられないけどこれも早く直した方がいい問題だと思う。
新型メガドライブを発売するのは、ブラジルの企業Tectoy社です。
Tectoyは80年代以降、セガとライセンス契約を結び、正式にメガドライブの互換機を製造販売してきた会社です。
それにしても、なぜいまになってメガドライブの新型を発売するのでしょうか?
PlayStation4を輸入販売しようとすると、日本円にして単価18万円ほどにもなってしまうそうです。
そのため、日本製の最新型ゲーム機の輸入販売は事実上不可能と言える状況になっています。
しかし、セガとライセンスを結んでいるTectoyは国内でメガドライブを生産販売できるため、関税の影響を受けることがありません。
そのため、ブラジル国内では現在もメガドライブが現役のゲームマシンとして活躍しているのです。
発表された新型メガドライブは、従来のメガドライブ用ゲームカートリッジが使用できるほか、本体に22本のゲームソフトを内蔵しているとのこと。
兄は何をやらせても人並み以上にでき、そしてそれ以上に嫌な奴だった。自分ができる側であることを鼻にかけてもたついている他人を馬鹿にしてくる、そう言う人間だった。逆に俺は何をしてもコツを掴むのに時間がかかる方だったのでよく兄のいじめの標的にされた。
兄に馬鹿にされて、俺は向いてないんだと色々な事を諦めてきた。勉強もスポーツもそれ以外の趣味も誇れるところはなく、唯一身長では最終的に兄に勝てそうなところだけが救いだった。幸い実家が零細企業を営んでおり、外に出てやっていけるだけの自信も無かった俺は後を継ぐことにした。兄は家業を継ぐつもりはなかったようで、親戚中見渡しても中卒と高卒半々の環境からその親戚連中でも知っているような大学に合格した。
これだけならまだ良い。単なる出来の良い兄と出涸らしの弟のよくある話だろう。その後、兄は結婚して変わった。最初はあんな嫌な奴が結婚したところですぐに愛想を尽かされると思っていた。でも結婚して子供が産まれて、今は仕事も家事も育児もこなす優しいお父さんなんだそうだ。兄が常に子供に優しく話しかけている様子を見て母は「人ってこんなに変わるのね」と驚いている。
変わるのね、じゃないんだよ。勝手に過去にするな。例えば俺は未だに人前で歌う事ができない。その理由は、昔兄に歌の下手さを死ぬほど馬鹿にされたからだ。兄にいじめられたのは過去だとしても、その影響は過去じゃない。過ぎた過去は変えられないのだとしても、せめて兄の子供が同じように、馬鹿にされてひねくれて自尊心を失いながら育たないとフェアじゃない。
俺が高校生で兄が大学生の頃、兄が「本気で家業を継ぎたいと思っているのか、自分がやりたい道はないのか」と聞いてきたことがある。ふざけるなよ。学歴を手に入れてどこにでも行けるお前と違って、お前に馬鹿にされて何も手に入れられなかった俺には選べる道なんてなかった。どの面下げてそんなことを聞けるのか。
今俺は30歳で年収300万、このまま順調に家業を継いだとしても500〜600万がいいところだろう。恋人はできたことがないし、きっとこの条件では結婚相談所も門前払い。大学院を出た兄はもっと貰っているんだろう、でも俺は毎年、兄の子供たちにお年玉を渡さなければいけない。
何が書きたいのかわからなくなってきた。ここに書き切れない、兄の悪行が沢山ある。一人でゲームしていたところを友達と遊ぶからと強制的にゲーム機を奪い取られたとか、文章にしてしまうと一つ一つはなんでもない。でもそれらが積み重なって俺は兄が憎いし、すっかり過去のことにしようとしている奴らが許せない。
1980年ならテレビに接続できるゲーム機はすでに出てたので、「トランプとか花札作ってる任天堂が家庭用ゲーム機を出して大当たりする」ぐらいシンプルな説明になりそう
こうなるとなにを書くことがある?
2ちゃんねるにある未来人のひとのように覚えてることや画期的なことで教えられることってなにかある?
・アップルとグーグルがスマートフォンを発売する。携帯電話位の大きさのネット端末をほぼ全員が持ち生活が大きく変わる(2010年ごろ?)
・コロナが流行している中東京オリンピックは開催される(2021年)
・ジャニーズと宝塚と松本人志と日テレがスキャンダルで壊滅的な打撃を受ける(2023年)
・統一教会が安倍総理暗殺をきっかけに打撃を受ける(2022年)
・全体的に値上げする(2024年)
・イチローも長かったけど流石に辞めてる
・任天堂はすごいまま
【追記】
・公衆トイレはほぼ洋式で公衆トイレですらウォシュレットが装備
・コンビニは淘汰されまくりでローソンファミマセブンがほとんどになる
・2001年にアメリカで旅客機をビルに突っ込ませるテロが起こる
・宮崎駿は何回も引退宣言しつつも映画を作り続けて海外でも賞をとる
・天皇陛下が上皇して年号が変わる(平成天皇も2024年現在は生存)
・パソコンはなんかすごいまま
・こち亀終了、ゴルゴ13やクレしんは作者が死んだけど連載続行、ガラスの仮面とHUNTER×HUNTERは作者健在だけど進行しないまま連載も継続
・ソニーが任天堂に対抗してゲーム機を出す今は5台目。一方残念ながらセガは、、、
(んー、書き込めることねえなあ)
休憩中は何をやっても自由。
そんなオイラがごくわずかに取れる休憩時間でゲームを楽しんでいた。
47歳、管理職。
「管理職なのに休憩中にゲームとか、みっともないからやめろ。」
「勤務中にゲームしているわけでもなく、人に極力見られないように一人で音無しで壁に向かってプレイしてますが?」
「休憩中に何やってもいい訳じゃないから。」
「いや、無理です。」
顔を真っ赤にして怒り出す理事。
「は?どうぞ。違反してませんし。」
「処分の内容は書面で出してくださいね。私も弁護士立てるので。」
こいつら、頭沸いてるなマジで。
ちょっと調べればわかるだろうが。
でしょうね!だからいったじゃん。
「休憩中にゲームを禁止しないが、職場へのゲーム機の持ち込みは禁止する。持ち込み禁止に違反したら懲戒処分する。」
「は?オイラだけ?なんなんこいつら。」
「全職員にやれよ?じゃあスマホは?他のゲーム?意味わからん。バカなの?」
ゲームやらんからわからんのだろうけどさ、何でもできるんだよ。
じゃあ、ゲーム機の持ち込み許可と私物PCの持ち込み許可とコントローラーの持ち込み許可出してみるか。
「持ち込み許可申請するから、拒否する場合、理由を書いて書面で出せよ。」
妬みか?恨み買ったか?
調べてみるか。
結果、他の所属長がおいらのことを陥れようと画策していた模様。
倍返しだ!
第4の壁によってそれらは真っ二つに区切られている。
「一度もゲームオーバーになることなく最終決戦まで生き延びる主人公たちの物語」
「何度もゲームオーバーになりながら、リトライを繰り返しながら成長するプレイヤーの物語」
もちろんこの二つを両立させることは出来る。
それはゲームオーバーと死を結びつけないことだったり、周回プレイさえも含めてキャラクターの設定に組み込んでしまうことがそれだ。
クリアと同時にセーブデータを消去したり、更にはセーブデータを消した事実さえゲームの中に組み込んでくる作品も出てきた。
それでも、新しいゲーム機やPCを購入すればプレイヤーは0から世界をスタート出来てしまう。
同時に、まだプレイしたことがないゲームのネタバレを知ってしまえば、0からゲームを始める機会は永遠に失われる。
「ゲームの物語」と「プレイヤーの物語」は絶対的に独立している。
それを打ち破ったのがMMOゲームの凄さであると語る人もいるが、たとえゲームの中の時計を止めることを不可能にしても、プレーヤーの物語をゲームの中に組み込もうとしても、結局それらはゲームであることから脱することはないと私は考えている。
ゲームがスポーツとしての側面を追求することでプレーヤーの物語をゲームの勝敗に引きずり込むことは出来ても、そこまで来ると今度はゲームの中におけるストーリーは形を失い、競技のための触媒でしかなくなるのではないか?
将棋盤の上に広がっていた国盗りの物語は、プレーヤーの技術向上に伴いただの記号となる。
その昔、「物語が素晴らしい」と語られるゲームは「ゲームの中の物語」に対して送られる言葉だった。
だが、時代と共にそれは変化し、ナラティブの重要性が語られるようになる内に「プレーヤーの物語」こそが重視されるようになった。
たとえばSEKIROだ。
主人公では死の淵から蘇る設定こそあるが、ボスキャラクターに敗北したときは世界の時間そのものが巻き戻る。
第二形態になるまで痛めつけたはずの敵は無傷へと戻り、登場人物は同じ会話を何度も繰り返す。
「主人公の物語」は「ただ一度の敗北を除けば、不死の力により強敵を打ち破り続けた豪傑」であるが、プレイヤーは「何度も敗北しながら相手のモーションを盗み、時に攻略サイトや動画を覗いて対策を練り上げることにより遂に勝利した」という物語を歩んでいる。
そして、SEKIROで評価されている物語は、この後者、「プレーヤーの敗北と復讐の物語」である。
プレーヤーはコントローラーを通して画面上の何かをラジコンのように操作し、それによって何者かを演じる。
独裁政権の暴君であったり、愛らしいマスコットであったり、不気味な怪物、英雄たちの指揮官、様々なものに乗り移り成り代わる。
ゲームがまだ全くリアルでなかった頃、ゲームセンターや喫茶店でレバーを握っていたプレーヤー達が演じていたのは画面のキャラクターではなかった。
「難しいゲームをスイスイと攻略するゲーマー」という役を演じていた。
レトロな世界は人間の想像力を掻き立てはしたが、そこにある没入感には限界があり、プレーヤーと画面の中のキャラクターの間にある第4の壁の厚さは現代の比ではない。
そんな中、ゲーマーを名乗る者達は「ゲームというごっこ遊びを上手にこなす自分」を演じたくてコインを投入し続けたのである。
段々とゲームは映画のように物語を見せるものへと変化していき、プレーヤー側も「キャラクターの冒険を追体験する」という感覚を求めるように変化していく。
そのうちにゲーマーは観客となり、コントローラーを握る行為が本のページを捲るのに似通ったものとなっていく。
ゲームを薦めることはストーリーを追うための手段であり、それ自体は目的ではなくなっていった。
そんな時代が続くと今度は、「自由度」「選択の影響」といったものが重視されるようになった。
単に決められたフラグを順番にこなすだけの作業は、ごっこ遊びとしては退屈になってきたのだ。
選択がゲームの世界に影響を及ぼすことにより、その世界の構成要素としての没入感がより強まることが発見される。
だが、その時代も少しずつ陰りを見せ「結局はトゥルーエンドがある」だとか「何周もするのが面倒だ」とか「どうせ全部動画で見る」だとか、そういった体験が積み重なることで、自由な選択もまた単なるフラグ管理の確認作業へと認識が変化していったのである。
「自由な選択」や「選択の責任」といった要素が飽きられだした今、ごっこ遊びはどこへ行ったのか。
再び「ゲームを遊び倒しているゲーマーの自分」を演じる遊びへと帰ってきたのである。
トロフィーの獲得状況を見せ合ったり、考察を語り合ったり、配信で盛り上がったりと、プレーヤー同士の交流が盛んになることによりゲーセン時代の「ゲームやりまくりな俺凄くね?」の遊びがインターネット上で繰り広げられるようになった。
その中で伸びていったのが、「高難易度と成長しやすさを両立したゲーム」だ。
「遊びにくさと難しいを履き違えるな」という金言があるが、これを完璧に守りきり「遊びやすいが難しい」を完成させたゲームがこのジャンルだ。
一見理不尽なほど難しいが、プレーヤーが成長することによって確実に強くなれる丁寧な階段がその中に仕込まれているゲームである。
それの亜種として「入り組んだ設定があるが、情報を整理すれば読み解けるゲーム」も人気となっている。
苦戦した強敵を軽々と倒し、まだクリアしてないプレーヤーが苦戦しているのを高みの見物をするゲームと、何回な設定について考察サイトで議論を重ねたり盗み見て理解し、それに初めて触れたプレーヤーに「いずれ分かるさ」と上から目線をかますゲーム、コントローラーを握っている間の難易度こそ違うが、そこの性質は良く似ている。
「やり込んだプレーヤーが自分の成長(成功)を感じることが出来る」という点だ。
ゲーム内外にプレーヤーの成長(成功)の物語が散りばめられており、その成長(成功)を「つい最近始めたばかりで苦戦しているプレーヤー」との比較によって実感できるようになっている。
人は、昨日よりも優れた自分になりたいという願望がある。
現代人気のゲームは、その願望を実現したかのような気持ちにさせてくれる機能があるゲームだと言えるだろう。
カルトな人気を誇るゲームを「ものすごい体験をした」と持ち上げるプレイヤーの中にある心理も、「物凄い体験をした自分」と「その体験をまだしてない自分」を比べて、成長や成功の感覚を、自分の物語として味わっているのである。
このような状況での感情や考え方は人それぞれ異なりますが、一般的に言えることは次の通りです。
まず、兄が高額なVRのゲーム機を購入したことに対して、あなたが「そんなん買うくらいなら〇〇ちゃんにランドセル買ってくれたら良かったのに」という言葉を投げかけたことについて、それがあなたの本音や感情の表れであるならば、それはあなたの立場からの正直な意見だと言えます。ただし、その表現方法やタイミングによっては、兄とのコミュニケーションを円滑に保つことが難しくなる場合もあります。
兄が高額な買い物をすることに対して、あなたが憤慨するのは理解できることです。しかし、その感情を伝える方法には注意が必要です。相手を攻撃するような言葉や、過激な表現を使うと、喧嘩に発展してしまう可能性があります。
一方で、兄が高額な買い物をすることによって家計に負担をかけるなど、家族全体に影響がある場合は、それを問題提起することは適切かもしれません。しかし、その場合も相手の感情を考慮し、冷静かつ適切な方法で伝えることが重要です。
最終的に、あなたが悪いのかどうかは状況や相手との関係によって異なります。そのような状況であっても、相手の感情や立場を考慮し、適切なコミュニケーションを取ることが重要です。