はてなキーワード: 帰国とは
以下は、ロバート・パリー氏(米国の調査報道ジャーナリスト)の記事『文鮮明の蛇はいかに米国にはびこったか』のChatGPT要約です。
この記事は、文鮮明(Rev. Sun Myung Moon)と彼の組織である統一教会が、アメリカ政界と犯罪組織とのつながりについて探求するものです。以下に、要約いたします。
文章の背後には、ジャーナリストのRobert Parryがいる。記事では、文鮮明の新聞であるワシントン・タイムズの経営状況が悪化していると報じられ、その新聞の建物にはヘビとネズミが侵入していると述べられています。ワシントン・タイムズは長らくアメリカの右派政治に対してディスインフォメーションを広め、アメリカの民主主義に不合理さや汚い手法を持ち込むプロパガンダの温床となっていました。
ワシントン・タイムズの財政危機は、文鮮明の90歳を超えた統一教会の創設者の子供たちの間での激しい後継者争いが原因であると言われています。統一教会のアジアでの活動を統括しているJustin Moonと、ワシントン・タイムズを統括していたPreston Moonとの間での対立が影響しています。現在、ワシントン・タイムズは売却の交渉中であるとされています。
ワシントン・タイムズのスタッフは、厳しいリストラの連続に生き残っていますが、建物内にヘビとネズミが入り込んでおり、駆除のための資金が不足していると述べています。記事は、資金力ある保守派がアメリカ右派の旗艦新聞を救う可能性があるものの、ワシントン・タイムズが外国に支配され、疑惑の資金供与のプロパガンダ機関としての役割が終了する可能性が高いと指摘しています。
文章は、アメリカ政界がワシントン・タイムズの奇妙な存在に無頓着であったことについても言及しており、文鮮明が数十億ドルの資金を投じてアメリカ政治の決定に影響を与えてきたことに驚きを表しています。文鮮明はその資金源についての詳細を明かさず、アメリカ政界における保守派の指導者たちとの関係を活用してきました。
また、文鮮明は保守派の政治家たちと提携し、彼らの政敵を中傷するプロパガンダを広めることで役立つ存在でした。特にレーガン大統領とブッシュ家との関係が重要であり、文鮮明は彼らを支援するためにプロパガンダを行いました。彼らもまた文鮮明を保護し、特に1970年代以降はそのような関係が強化されました。
記事は、文鮮明とその組織がアメリカ政界において犯罪組織とのつながりを持つようになり、その中には日本のヤクザや南米のコカインカルテルなどが含まれていたと指摘しています。これらのつながりはアメリカ政府によって無視され、文鮮明はワシントン・タイムズなどにお金を投じて右派のメディアを支援し、保守派の政治家たちにも資金提供を行いました。
文章は、文鮮明の組織が疑わしい活動にお金を使う手段として、アメリカ内外のビジネスを利用していた可能性を示唆しています。彼の組織は、外国からのお金をアメリカに持ち込むために、ビジネス取引や不動産取引などを利用していたとされています。統一教会の元嫁であるNansook Hongは、現金をアメリカに密輸し、税関を欺いたという証言を提供しました。
さらに、文鮮明の組織と犯罪組織とのつながりはアジアや南米での交渉から始まり、彼の組織は莫大な資金を洗浄し、右翼の反共主義組織を支援しました。彼の組織は「World Anti-Communist League」などの国際組織で活動し、これらの団体は元ナチスやラテンアメリカの死の部隊と連携しました。
一方、アメリカ政府は文鮮明の活動にあまり干渉せず、その資金源についても公式には問題視しないことが多かったとされています。統一教会がアメリカ国内外で犯罪組織と関与し、多額の資金を洗浄していた可能性があるにもかかわらず、政府の監視が不十分であったとされています。
記事では、文鮮明と統一教会のアメリカ政界と犯罪組織との関係についての深刻な懸念を提起しており、アメリカ政府の対応についても疑念を投げかけています。
以下は記事の残り部分で、文鮮明(Rev. Sun Myung Moon)と彼の組織である統一教会が、アメリカ政界および政治家、特に共和党関連の活動にどのように影響を与え、不正な活動に関与してきたかについて探求しています。
この記事は、過去25年間にわたり、文鮮明が顕著な共和党関係者に多額の投資を行ってきたと指摘しています。その一方で、アメリカ政府は彼の不正行為に対する無関心さを維持し続けました。文鮮明の元信者たちが犯罪陰謀への自身の関与を告白した際も、政府の無関心は揺るがず、文鮮明の不正な活動は続いてきました。
例えば、元統一教会信者であり、ニューヨーク市にある音楽会場およびレコーディングスタジオであるマンハッタンセンターで働いていたMaria Madelene Pretoriousは、1993年の12月または1994年の1月に、文鮮明の息子のひとりであるHyo Jin Moonが韓国から帰国し、「父親から受け取った60万ドルの現金」を持参したと証言しました。この現金は、Manhattan Centerで働く他の3、4人のメンバーと一緒に、バッグに入った状態で確認されたと述べました。彼女によれば、アジア系の統一教会メンバーは現金をアメリカに持ち込み、それが文鮮明のビジネス組織を通じて洗浄される手段として使用されていました。
文章は、この金融オペレーションの中心にあるのが「One-Up Corp.」というデラウェアに登録された持株会社であると述べています。この持株会社は、マンハッタンセンターやワシントンタイムズの親会社である「New World Communications」など、多くの文鮮明の企業を所有していました。現金がマンハッタンセンターに到達したら、それを帳簿に記載する必要があり、それは現金を洗浄する手段として行われました。
1996年には、ウルグアイの銀行従業員組合が文鮮明のもう一つの資金洗浄計画を暴露しました。約4,200人の日本の信者が、文鮮明が支配するウルグアイのBanco de Creditoに訪れ、最大で2万5,000ドルずつ預けたとされています。このお金は「Cami II」という匿名の協会の口座に入り、それは文鮮明の統一教会がコントロールしていました。この協会は1日で1,900万ドルを受け取り、最終的には約8000万ドルに膨れ上がりました。このお金の出所や、文鮮明の組織が「スマーフィング」として知られる追跡不能な現金をウルグアイに移動させるためにこの手法をどれだけ使用したかは不明ですが、当局はこの資金洗浄の捜査を進めなかったようです。これは文鮮明の政治的な影響力とウルグアイの銀行業界を乱すことを恐れたためかもしれません。
文章は、文鮮明がアメリカ政界において数十億ドルの資金を広め、共和党のトップ層に多額の資金を提供してきたことにも言及しています。例えば、共和党のダイレクトメールの専門家であるRichard Viguerieが1980年代末に困難な状況に直面した際、文鮮明はその財団が指導するBo Hi PakによってViguerieの財産の一部を1,000万ドルで買い取りました。文鮮明はまた、ワシントンタイムズおよび関連出版物を使用して、資金を個人や企業に流すための合法的な経路を作成しました。
また、文鮮明は保守派アメリカ政治家の演説に多額の報酬を支払う手段として、Women’s Federation for World Peaceを使用しました。例えば、元大統領ジョージ・H・W・ブッシュは、文鮮明主催のイベントで演説するために報酬を受け取りました。さらに、ジョージ・H・W・ブッシュは、1995年に文鮮明の支持者に向けて東京で行った演説でも報酬を受け取りました。
1996年には、文鮮明が南アメリカで新聞「Tiempos del Mundo」を開設しようとしましたが、彼の歴史との関連性、韓国の情報機関との関係、および様々な新ファシスト団体との関連性について不正規なレポートが南アメリカのジャーナリストたちによって取り上げられました。このため、アルゼンチンの選出大統領であるカルロス・メネムは文鮮明の招待を辞退しました。しかし、文鮮明は元米国大統領ジョージ・H・W・ブッシュの支援を受けました。ブッシュは新聞の就任式で演説し、文鮮明の影響力を高めました。
ブッシュの支持により、文鮮明は南アメリカでの影響力を高め、ビジネス、宗教、政治、メディアの帝国を広げました。ブッシュの演説は文鮮明の信者にとっては大きな意義があり、彼の言葉に安心感を感じたと伝えられています。
文章は、文鮮明が共和党関連の活動に多額の資金を提供し、共和党に対する影響力を行使し続けたことを強調しています。ワシントンタイムズのようなメディア機関を通じて、共和党の政治的な優越性を築くのに貢献しました。ワシントンタイムズは左派および中道派のアメリカ政治家を攻撃し、その正気性に疑念を投げかけ、しばしば彼らを非難しました。
また、文鮮明のメディアは2008年の選挙戦で、バラク・オバマ上院議員の選挙運動を破壊しようと試みました。文鮮明のオンラインマガジン「Insight」は、オバマがイスラム教の「マドラサ」に通っていたという主張を広め、彼を「欺瞞的だ」と描こうとしました。この記事は後に証拠不十分とされましたが、その後も右派メディアとティーパーティー運動の中でオバマに対する怪しい擁護が続きました。
この記事は、文鮮明のメディアの政治的な干渉が終わりつつある可能性についても指摘しています。その要因は、文鮮明の子供たちの対立以外の何かしらである可能性があります。また、右派のメディアの世界では、文鮮明よりも問題の少ないメディア機関や自己資本の蓄積されたトークショーのホストが台頭しているため、文鮮明の宣伝機関の価値が低下した可能性も考えられます。
要するに、この記事は文鮮明と統一教会の長い歴史にわたるアメリカ政界への影響と、彼らが不正な活動に関与してきた可能性について詳しく説明しています。文鮮明の活動は資金洗浄や政治への影響力行使、メディアの操作など多岐にわたり、アメリカ政治への影響は大きかったとされています。
仕事で同じチームのフィリピンメンバー4人が先週来日してきた。
約1週間ほどの来日で、初日の夜にチームメンバー10人ほどで居酒屋で飲んだ。
そのときに、横に座っていた4歳年下のフィリピン男性と自身の拙い英語でお話をした。
翌日はテレワークだったため彼と直接は会わなかったが、会社のTeamsに「昨日はありがとうございました」という英語でのチャットが入っていて、朝1時間ほど会話を交わした。
その翌日、出社して再度フィリピンメンバーと直接会う機会があった。
仕事内容についてのフリーディスカッションの後、別のオンライン会議に出るため、ディスカッションの部屋を後にしてお手洗いに行くと、その彼と鉢合わせた。
そこで「LINE教えて」と言われて、LINEを交換した。英語を学びたいという気持ちがあり、かつてより海外の友達が欲しかったので嬉しかった。
このLINEを交換した翌日から休日で、フィリピンメンバーはうちの上司や英語を喋れるメンバーと観光の予定が入っていた。私はこの部署に移動して日が浅いのもあり、その観光には呼ばれていなかった。
彼から「明日は暇?観光は一緒にこないの?」と言われたが、「予定あるからいけない」と断った。
その日の夜に「今から電話できない?」というLINEもあった。私は寝る準備がすでに整っており、英語を喋る気力も残っていなかったため断った。
LINE交換をしてから、ほぼ毎日のようにLINEが来るのと電話をしたがっている。
どうせ帰国するから、嫌だったら無視できるのだけど、またいつか仕事絡みで出会うのかと思うと無視はできない。
友達でいようって伝えなきゃなとなってる。
日本のツイフェミが言ってる性加害の話は、安全圏でワガママ言ってるだけ。
アメリカではもっと深刻なレイプ被害などがあるから議論が進む。
そんなに欧米のような国がいいなら、さっさとアメリカにいってきて、半年か1年過ごしてみて、その上で
https://nypost.com/2023/09/04/virginia-school-kept-teen-gender-transition-secret-suit/
バージニア州の高校生が家出し、複数の州で性的人身売買を受けた。その理由の一つは、高校が彼女が男性であると認識している児童の両親に告げず、そのことで執拗ないじめを受けたことが訴訟で主張されている。
現在16歳の祖母であり養母でもあるミシェル・ブレアさんはワシントンのセージ審査官に対し、「彼らは娘を守る権利を盗んだ」と語った。
問題のある幼少期を過ごし、精神的健康上の問題を抱えていたセージさんは、2021年8月10日、14歳でアポマトックス郡高校に通い始め、そこで男性代名詞や男性名で呼び、男性用トイレを使うなど、自分を男性であると認識し始めたという。ミシェルさんが先月バージニア州連邦裁判所に起こした訴訟に対して。
しかし、学校職員はセージさんの男の子になりたいという願望に積極的に関与し、彼女が度重なるいじめを受けていたことを知っていたにもかかわらず、性転換を「意図的に隠蔽」し、手遅れになってセージさんが逃げ出すまで両親を巻き込むことはなかった。その後、彼女は4つの異なる州で数か月間にわたって複数の男にレイプされたと訴訟は主張している。
2021年8月11日、新学期が始まったばかりのある日、セージさんはバスの中で男子生徒たちから悪質ないじめを受け始めた。少年たちに「男の子に見える」と言われ、「男の子が好きになるまでレイプする」と脅され、学校から締め出すと脅迫された。訴状によると、彼女が謝らない限り彼女の髪をバスの窓に押しつけ、どこに住んでいるか知っていると言って撃つと脅したという。
翌日、セージさんは2人の指導カウンセラーと面会し、自分が少年であることを伝え、バス事件について話し合った。しかし、職員らはミケーレさんにいかなる情報も開示していないと裁判所文書は述べている。
訴訟によれば、セージさんはその月を通じて、男子トイレや廊下で男子生徒らに「触られたり、ナイフによる暴力や強姦で脅されたり、廊下の壁に押しつけられたり」していじめられ続けたという。
カウンセラーらは、新学期の最初の12日のうち8日はセージさんと会ったが、ミシェルさんには、子どもの「性の不一致」についてカウンセリングを行っており、「彼女を男性として肯定している」ことは伝えなかった。訴状によると、男子生徒からの既知の脅迫にも関わらず、女子生徒が男子トイレを使用したという。
裁判所文書によると、いじめがあまりにもひどくなったため、他の保護者もいじめについて学校に報告し始めたという。
8月25日になって初めて、カウンセラーはセージが男子トイレを使っていること、そして「安全上の懸念」だけを理由にミケーレさんに伝えたが、それでも親には子供の性自認の変化や、そのせいで彼女が受けたいじめについて伝えていなかった。と提出書類は主張している。
同紙によると、カウンセラーはミシェルさんに「(セージさんの)体に自傷行為の傷があることに気づいた」と語ったという。その同じ日に、ミケーレさんは「ドラコ」という名前が記載された学校の定期券を見つけ、セージさんは自分が男性であることを母親に告げ、彼女が受けた脅迫と感じていた恐怖を打ち明けた、と訴訟は主張している。
訴訟によれば、セージさんはミシェルに対し、カウンセラーが「そうするように指示」していなかったら「男子トイレを使わなかっただろう」と語ったという。
しかし、恐怖に駆られた少女は「精神異常に陥り、逃亡を決意」し、その夜、寝室の窓からこっそり抜け出し、両親に宛てたメモを残した、と訴状は主張している。
訴状によると、メモには「あなたは自分の仕事を果たした。イエスはあなたを愛している」と書かれていたという。
「このまま残ったらどうなるのかが怖い。用心してください。ここには悪い人たちがいます」と彼女は言い、「愛を込めて」と手紙に署名した。
セージさんは「見知らぬ成人男性に誘拐され、レイプされた」後、ワシントンDCに連れて行かれ、他の2人の男たちに残されたまま、やはり薬物を投与され、レイプされたと訴訟は主張している。
その後、この2人の男が彼女をメリーランド州まで車で連れて行き、登録済みの性犯罪者と一緒に彼女を置き去りにし、その男が彼女を強姦し、他人に性的人身売買を行った後、彼女を部屋に閉じ込めた、と訴訟は主張している。
ブレア首相の弁護士バーナデット・ブロイルズ氏は、ボルティモアでセージ氏は最終的に連邦当局によって救出され、「悪夢は終わるはずだった」とワシントン審査紙に語った。
しかし、ボルチモアの国選弁護人アニーサ・カーンが両親がセージ君の新しい性自認を「十分に肯定」していないと主張したため、州がセージ君の監護権を取得したと訴訟は主張している。
セージさんは少年のための少年施設に収容され、「そこで再び性的暴行を受け、薬物にさらされ、医療的および精神的医療を受けられなかった」と訴状は主張している。
セージさんは2021年11月12日にその施設から逃走し、別の小児性愛者に拾われてテキサス州に連れて行かれ、「そこで再びレイプされ、薬物を投与され、飢えと拷問を受けた」と訴訟は主張している。
裁判所文書によると、2022年1月24日に当局がテキサス州でセージさんを救出した後、最終的にセージさんはミシェルさんに返されたという。
彼女に起こった出来事の結果、セージさんは複雑性心的外傷後ストレス障害と診断され、「おそらく残りの人生で治療が必要になるだろう」と訴訟では述べており、セージさんは入院と外来を繰り返していると記されている。帰国してからの治療。
ブレア氏の別の弁護士、メアリー・マカリスター氏はポスト紙に次のように語った。「もしセージさんの両親が彼女の精神状態を十分に把握しており、彼女が最初に自分のアイデンティティに疑問を持ち始めたときに必要なメンタルヘルスカウンセリングを提供する機会を与えていたら、こうしたことはすべて防げたはずだ。」
「むしろ、学区も国選弁護人事務所も、自分たちのほうが親よりもよく知っていると判断したのです。彼らの傲慢さの結果、セージは何度も犠牲になりました。」
遺族は現在、アポマトックス郡教育委員会、スクールカウンセラー2人、カーン氏に対し、不特定の損害賠償を求めて訴訟を起こしている。
顔が可愛くて声が特徴的で、でもおとなしくて。今でもあの子に勝る可愛い子は出てきていない。
最後に見かけた18の夏、何故勇気を持って話しかけなかったのだろう。あの子は今、どこで何をしているのだろう。
もう40歳が見えて来ている年で何をやってるんだと自分でも思うんだが、過去の記憶を頼りにFacebookやInstagramを掘り起こして何とかあの子にたどり着けないか奮闘してみた。
その過程で地元の女たちの情報も得られたのでここに残しておこうと思う。実際に最近(と言っても数年前)に会った人の情報も含む。
・好きだった子
10数年前の誕生日に取ったプリクラだけアップされてたのだが、ギャルギャルしく加工されており、もはや面影はなく悲しかった。
あのときのあの子はどこへ。。その年でその見た目は大丈夫なのか。。
元々おとなしくて人付き合いも少なかったからか、地元の人から近況を聞いたことはない。
・その次に好きになった子
高校から進路は別れたけど、大学、就職後もちょいちょい連絡をくれてた唯一の人物(好きになったのはそういう思わせぶりなところだ!)、だったのだが、ここ数年は連絡が途絶えていた。
海外を渡り歩いて帰国したあと、結婚して首都圏に住んでいるようだ。
・1番頭が良かった子
医者になってた。子供ももう小学生くらいになるみたい。確か親が医者で、中学の時から医者を目指していた記憶。医者って目指しててなれるもんなのか。
・2番目に頭が良かった子
こいつも医者になった。ど田舎の公立小学校の同級生で2人も医者が出るとは。
ITベンチャーに勤めているらしい。大学は留学していたらしい。そういえば親が金持ちだったな。
・1番モテてた子
数年前地元ののみ屋でばったり会ったが、そのときはまだ独身で、仕事も男もとっかえひっかえという状況だった。
その後どうなったかは知らんが頭は良かったから、うまいこと人生収束させたんじゃないかな。
・だんだん書くのめんどくなってきた。
・地味な子 中堅国立大に行ってた。地元で名前だすと普通にスゲーってなるレベル。妹も大学言ってるし、こいつも親がまともだったのかな。
・いじめられてた子1 妊娠して高校中退した後、結婚して離婚して、再婚したらしい。幸せそうな写真をうpしていた。
・スポーツ万能子1 体育大学行ってた。ある競技で県大会上位は常連だったから妥当か。その後は知らん。
・スポーツ万能子?2 中高でそれほど実績ないけどこいつも体育大学行ってた。割りと普通の進路なのか?
・部落の子1 ナースになってた。ボーナススゲーもらえるって自慢してた。
・部落の子2 いい年してドギャルの風貌だったがちゃんと子育てしてるっぽい。
・バカ1 数年前飲み屋で再会したが、こいつと結婚したいやつおらんやろという感じ。兄弟も全員ヤバかったし。
・バカ2 バカ1とつるんでおり、ほぼ同上。兄貴は優しかったんだけどね。
感想:親がまともならそれなりに育つ。ま
ホームシックがひどくなってきた。
日本は素晴らしい場所だ、田舎に居てもコンビニというギリギリ精神を保てる娯楽が存在する
しかし自由の国のコンビニを見てみよう、脂ぎったソーセージにスプレー缶から出るチーズ、一日分のカロリーが摂れる菓子パンが並び
おっと何か音がするぞ、遠くを見ると車が燃えている
そもそもこいつらは都会が何かというのをわかっちゃいない
高いビルさえあればいいと思っているし、ユニークな店というものが存在しない
日本だとサブカルの店やら、何かの専門店が多いが、こっちは同じ内容の店がひたすらに並んでいる
日本で大麻が許されず、この国で許されるのは当たり前に思えてくる、それぐらいつまらないのだ
追記 9/8
学生だと思われているようだが、私は高校1年生の時にこちらに留学して、そのまま居ついている10数年選手なのだ。文化的にはもうこちらの方が慣れ親しんでいる。
現地の友人もいるし、稼ぎもそれなりにあるし、結婚もしている。近いうちに家も買う。完全に基盤が出来上がってしまった。だからこそ日本にはもう帰れないのでホームシックになったのである。マリッジブルーみたいなもんだと思う。
それでも帰国したきゃしろよ、と言われるかもしれないが配偶者が日本語を読めず話せず、かつ私の仕事は日本で需要があまり無いためなかなか難しいのだ。
あと確かに都会の一部にはユニークな店もあるが、そういったエリアは家賃が高すぎて住めないし、
西海岸の大都市にも住んでいたが正直なところ、ドンキホーテの方が確実に楽しい。
ちなみになぜ車が燃えているのかはわからない、しかしたびたび燃えているのだ。
それとコンビニに行く理由は田舎だからスーパーが遠かったり、ガソリン(こちらではコンビニの駐車場にガソスタがある場合が多い)を入れに行くからだよ。
ああ、あとこの国が嫌いなわけではないという事は主張しておこう。もちろん素晴らしい面の方が多いし、私には合っている。
技能実習生として働いていたベトナム人女性(29)が不当解雇されたなどとして、約520万円の損害賠償を求めた訴訟が広島地裁福山支部(東根正憲裁判官)であり、実習先企業の代表と、実習生の受け入れ窓口となる「監理団体」が不当解雇の責任を認め、計200万円の解決金を支払う条件で4月に和解したことが6日、分かった。
女性は2016年6月、総菜製造会社「ホーユー」(広島市)の実習生として来日した。3カ月に約3万円しか支払われないなど、最低賃金以下で働かせられ、同11月に待遇改善を求めた直後に解雇されたと主張。監理団体「協同組合TTK」(広島県福山市)の関係者に空港まで連れて行かれ、強制帰国を迫られたとも訴えていた。
こんなアホらしいことで毎日心臓がきゅーっとなってる自分が情けない…
今月上旬、留学先の高校で知り合ったメキシコ系アメリカ人に好きだと言われた。
4月くらいからインスタのDMでやり取りしてて、6月に僕が帰国したあとも毎日何かしら話している。
で、僕も好きだよーって言ってじゃあ今度ビデオ通話しよう!ってなって明日することになった。
で、まあ前日の今日から緊張してここに謎の書き込みをしているわけです。
その人めっちゃ優しくて可愛くて、僕と違って痩せすぎてないところが凄く好き…
あほ丸出しの文章ですが、これを書いている僕は10ヶ月の留学でTOEFL110点取ったし、都内トップの中高一貫校に通っているので成績は悪くないです。(謎の自分語り)
問題は、来年から理系の受験生になる高校生が、他にやることもたくさんある中で恋愛にうつつを抜かしていいのだろうか…ということです。
強力なハリケーンが東海岸を襲いましてアパラチア山脈に抜けました。
その後にこれだけ素晴らしい青空をニューヨークに残していったのであります。
わたくしはまたこのクイズの都へ、とても自慢できる若者二人を連れて参って参りました。
やっと秋桜が咲き始めた残暑の日本を後にしましてハイビスカスのグアム島へ。
赤道を越えまして山の頂に雪を被りますニュージーランドでは、美しい桜の花が迎えてくれました。
季節を飛び越え、敗者を捨てて、勝者はひたすらニューヨークへ。
摩天楼は今年も息を殺して今や遅しと私たちを待っていてくれたのであります。
穏やかな西日を受けまして2機のヘリコプターが戦場へと向かって参ります。
先頭のヘリコプター乗っておりますのは神戸市出身、ハンドパワーこと永田喜彰くん26歳。
子供の頃からウルトラクイズに憧れ、いつの日かニューヨークへ行こうと夢を見てまいりました。
しかしグアムのドロンコで敗れ、以来苦節3年やっと今人生最大の山場を迎えようとしています。
Mr.マリックの助けがなかったら、今こうしてヘリコプターに乗る事は出来なかったことでありましょう。
後方のヘリコプターにはマルタの恋人こと長戸勇人くん24歳が乗っております。
この春から休学をいたしまして、南米大陸放浪の旅を続けアルゼンチンとチリの国境で、あのマルタに巡り会ったのであります。
今度は医者の注意も聞かず、もう一つの夢ウルトラクイズに出場。
ゴールドコースト・トマトクイズの体力戦をやっとの思いで勝ち、遂にニューヨークまで辿り着いたのであります。
永田君と長戸君にとってウルトラクイズは、人生の大きな目標になっていたことは間違いありません。
しかし単にクイズマニアという言葉で片づける事が出来ない何かを持っている二人です。
自由の女神が前方に見えてまいりました。
今年の新聞発表の第一問、ニューヨークの自由の女神はかつて灯台であった。〇か×か。
大西洋から入って来る船にとって、彼女は水先案内人そのものです。
いよいよ世紀の一瞬が近づいてまいりました。
元増田です。
貴重な経験を教えていただきありがとうございます。
海外移住は、海外転職とセットで考えた時期もあったのですが、今は主にFIRE(アーリーリタイア)後のオプションとして捉えています。
物価の安い地域にして生活費は投資からの収益で賄う、仕事する場合はリモート前提、ゆえに就労ビザは不要、のイメージでした。
ブコメにもあったのですが、「移住=永住」というイメージもあるんですね。言葉足らずでした。
私の感覚では取れるビザで滞在できる国に行って、いられるだけ/いたいだけ居て、想像と違ったら帰国すればいい、半永久的に滞在できる国もあるし、家具付の物件を気軽に借りられる国もあるし~という感じで。
おっしゃる通り永住したい場合は話がいろいろ変わってくるので、大変ありがたい知見でした。
記事、編集します。ありがとうございます!
こういうつるし上げをしてもらうことでまた昭和を過去のものにできる
この手の最低最悪の事件としてはどっかの市議会の「東南アジアレイプツアー」だったと思った
「令和5年女性局フランス研修 研修ノート」と題された冊子には、出発(7月24日)から帰国(28日)まで3泊5日の日程が記載されているのだが、純粋な研修に充てられていたのは、たったの6時間。
ガイドツアーや、在仏日本大使らとの食事会を含めても、10時間にしかならないのだ。ここからは詳細にスケジュールを見ていこう。
初日は、入国手続を終えてホテルでの結団式となっているが、食事にうるさいセンセイ方のためだろうか、そこにはわざわざ「肉料理」と記されている。
2日めは朝食の後、10時からは国民教育・青少年省の担当者からブリーフィング(簡潔な説明)を1時間。なんと、午前中の予定はこれで終了だった。昼食として一行は、「魚料理」を堪能している。
「1949年創業の老舗レストランです。ランチは30ユーロ(約4700円)からコースが食べられます」(現地駐在員)
午後にはフランスの国会議員2組と1時間ずつ面会が設定されているが、“お仕事” はここまで。リュクサンブール宮殿(国会議事堂)をガイドツアーで見学し、「10分程度」とされるエッフェル塔での観光には、旅程表では30分が割かれていた。
そして夜こそが、この日の目玉だったのかもしれない。2時間の自由行動の後、20時半からセーヌ川で、2時間半の優雅なディナークルーズが組まれていた。
3日めは、さらに観光色が強い。国会議員らには午前中に1時間の保育園視察があるものの、他の参加者は14時40分まで研修はない。国会議員らも早々に合流し、シャンゼリゼ通りでの自由行動が2時間以上。旅程表には「ショッピング等をお楽しみください」とわざわざ書かれ、はしゃぎっぷりが伝わってくる。
元自民党職員で政治アナリストの伊藤惇夫氏は、この「実働6時間」の旅程表を見て、「“観光旅行” と受け止められても仕方がない」と思ったという。伊藤氏が続ける。
「これだけ自由時間がある視察を見たことがありません。この日程を決めた人物は、視察の目的がこれで果たせると、なぜ考えたのか。団長の松川さんは、党費を使ったことは認めているので、党員に説明する責任があります」
そして、この「研修ノート」には、さらなる問題が隠されていた。視察の参加メンバーが掲載された「団員名簿」では、同行していた松川議員の次女が、38人の派遣団員に含まれているのである。
《38名の参加者は、全国の女性局所属の地方議員及び民間人で女性局幹部となっている方々》
自民党に入党できるのは、満18歳以上だ。松川議員の次女は小学4年生で、当然その資格はないはずだが――。
自民党関係者によれば、今回のフランス視察で、国会議員以外の派遣団員の自己負担額は20万円だったという。もちろんこの金額で渡仏できるわけもなく、つまり次女の渡航費にも、党費が使われた可能性があるのだ。
「党本部は、報道で初めて松川氏の次女が視察に同行していることを把握したようです。松川氏は次女の渡航費について帰国後、党に実費を追加で支払うことになったといいます」(自民党関係者)
さらに松川議員は、初日の結団式で乾杯の音頭を取って以降、旅程表にその名前が登場していない。
「自分が知る限り、視察中の食事会で乾杯の音頭を取るのは、常に責任者である団長でした。松川さんが別行動を取り、研修を欠席していた可能性があります」(伊藤氏)
レズビアンカップルでヴィーガンというマイノリティ×マイノリティな家にホームステイさせてもらってた。
当たり前だけど、スペインで有名な生ハムもオムレツも海鮮だしのきいた飯もマジで出てこなかった。
ひたすら草と豆食ってた。
問題なのが、ホストマザー×2はすごく親切かつ2人とも料理が趣味なのもあり、みんなお弁当とか持たせてもらえなかったのに俺だけ毎日弁当持たせてもらってた。草の。キヌアとかの。あと豆からできたおやつも。喉がむず痒くなるやつ。しかも大量に。3食きちんと用意してくれた。だからあんまり外食できなかった。「異国の地で体調を崩させたら可哀想だからきちんと食べさせねば」という気持ちが伝わってきたから今日はいいよとも言いづらかった。たまに朝ごはんにチュロス食ったら脳汁出た。
みんな太ってたのに俺だけ痩せて帰国したという。
大学のクラスの先生はなぜか俺の食事事情を知っていて、授業終わりに数人で飲みに行った時に俺に向かって「遠慮はいらない。好きなだけ食え。」と肉やら魚やらたくさん食べさせてくれた。
今度スペイン行くけど、あの時以上にうまい飯は食えないだろうな。
ホストマザー×2が連れてってくれたヴィーガンレストランも行く。あのなんかにんじんと別の種類のにんじん炒めて固めたみたいなやつまだあんのかな。クソ不味かったけど思い出の味だから食べたい。
帰国後留学組で飲んだ時、仲良かったやつが別のやつに「こいつの家マジで芋と肉しか出てこなかったらしいwwずっと愚痴ってたよなww」と言われていてみんな笑ってて、そいつやっぱ優しいなと思った。だって俺には愚痴ったことなかったから。
ある人の徒然なる、日記。
最近はちょっと走ることを大切にしている、元々陸上部だったからかな、あんまり嫌じゃない。
家の近くに1kmを周回できる場所があって、そこをちょうど何周か走っていた時の話。
帰国する前にちょっと話したSHEとの会話。SHEは彼氏がいて、それは僕もい”た”から別に問題ではなかった。
帰国してからというと、この地でSHEの姿ばっかり探していた。元々人の顔を見る癖があったけど、SHEっぽい人がいたらちょっと追いかけちゃうくらいに。悲しいな、
周回する僕のちょっと前を水色の自転車と、ダサいT -shirtsの女性が向かってきた。見たことのある黒シャツ、マジで気にしてない時の格好だ。
僕は一瞬諦め、その後すぐにやっぱり話したい、と思った。
風を切る、差が詰まらない。あの時練習していた僕は、もうどっかに消えていたってことに走りながら気づいた。
風というのは二パターンある、自然現象のパターンと自分が走ることで生まれるパターンだ。
昔の僕はきっと君という風に追いつくくらい風を切れたはずだ。でも今の僕にはそれができない、SHEは風を切って角を曲がって消えた。
風と共に去りぬという話がある。
きっと最初聞いた時は、風とともに去ら”ない”と誰もが思うはずだ。僕もそう思ってた。
でもそれは本当は”去った”という意味ってことを後から知る事になる。英語で見ればわかりやすい、"-Gone With The Wind-"である。
僕もSHEは風とともに”去りぬ”と思っていた、どっかでもう一回交わるんじゃないかって。でも本当は風とともに去りぬ、なのかもしれない。君の思いをアンビバレントに捉えたい、そんな僕の気持ちが裏返しになって。
彼女は風とともに去りぬ