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はてなキーワード: 思索とは

2019-05-07

anond:20190507153010

いやもうもどってこんといてほしいw 単純に性器連呼が見苦しい

もう屈強な変な人に成り果てていて思索の深いロリマン研究者もいないし  ロリマンコのことは無視して独自世界独り言言ってるようなクソカスしか  いないから、ロリマン...

なんて書くやつほんと増田にこなくていいんだわ

2019-05-02

アイドル育成ゲーム疲弊した俺の心はゾンビランドサガで救われた

これから俺がやろうとしているのは、オタクありがちなしか絶対にやってはいけないとされる

『新しいコンテンツにハマった時に、前にハマっていたコンテンツを腐して後ろ足で砂をかける』という行為だ。

こんなことをしても誰も得しない、双方に悪印象を与える。ツイッターや某匿名掲示板対立煽りに使われるのがオチだ。

だがしかし、書かずにはいられないのだ。書くことで救われるものがある。これは俺のエゴだ。

アイドル育成ゲームプレイする人々の目的はなにか、愛するアイドルを育成して、トップアイドルに導くことか、違う。

アイドル育成ゲームプレイする人々はある暗黙の了解のもとにプレイをしている

アイドル育成ゲームプレイする人々の目的は、某アイドル育成ゲームが続くことにある。

アイドル育成ゲーム運営は某アイドル育成ゲームが続くために、あらゆる手段を講じる。

ゲームにとどまら漫画アニメと多方面に展開する。矢継ぎ早に新展開、ここぞという時に新アイドルを登場させる。

だがそうする中で、設定はとっちらかって、媒体ごとにブレが生じる。

新展開、楽曲グループ活動はやがて人気のある特定アイドルに偏り始める。アイドル人格もウケが良かったもの矯正される。

気がつけば、自分の愛するアイドルは他のアイドルの割りを食って無下にされることが当たり前。活躍たかと思えば別人のようになり

それまでのそのアイドルの歩みを否定するような望んだ活躍とは程遠い。お前はそんなことを言わなかったはずだ、と思うことがざら

にある。

でも仕方がない、全ては某アイドル育成ゲームを続けるために必要なのだ人格が変わったのは成長したからだ決してキャラ崩壊ではな

い。人気のあるアイドル活躍を集中させるのもビジネス的に考えたら当たり前だ。それが運営判断なのだ。それが正しいのだ。

そう自分に言い聞かせてるのが某アイドル育成ゲームプレイする人々だ。

だが冷静になって考えて欲しい。いちプレイヤーに過ぎない俺達が、なぜ運営の言うことに盲従しなければならなかったのか

今ならハッキリ言える。某アイドル育成ゲームは、アイドル人質にした運営のやることなすことに盲従するゲームだ。

俺達はもっともっと運営に対して抗議の声をあげるべきだった。もっとちゃんアイドルたちのために考えてくれと、愛するアイドル

ために声を上げるべきだった。もっと自らのエゴを隠すことなく表に出すべきだった。

アイドル育成ゲーム人生に例えられることがある。だがいつしか自分を押し殺して運営に盲従することで、心は疲弊して、その人生

は生き地獄となる。終わりのないのが終わり、それが某アイドル育成ゲーム

ゾンビランドサガは、死んで生き返る物語だ。

そうだここには物語がある。

ひとつひとつ意味がある。

アイドル育成ゲームで僅かな描写から限りない考察を続けたが、ろくすっぽ設定も顧みられず憤懣やるかたない思いをしたあなたの望みを叶え

ものがある。

愛するアイドルが成長したかとも思えば、別人格のように変わり果ててなかったことにされてやるせない思いをしたあなたの望みを叶え

ものがある。

アイドルたちに平等活躍して欲しいという当たり前のあなたの望みを叶えるものがある。

ここには、成長がある。物語がある。私達が滂沱の涙を流したこと意味がある。なかったことにはされない。

そして何よりエゴがある。

アイドル育成ゲームプレイする中で一度ならずも思ったはずだ。「なぜこの子アイドルをやっているのだろう、この子にとってのアイドルとはなにか、アイドルを続けることがこの子にとって本当に幸せなのか、こんないい子が自分なんかに追従しているのが幸せなのか、なんのために自分が居るのだ、自分アイドル関係はなんなのだ

アイドルとして活躍してほしいと思う一方で、アホみたいなクソでかい思索があった感情があったエゴがあった。だがそう思いながらも関係なしに運営に盲従してきたのが私達だった。

ゾンビランドサガのアイドルたちにはそんなものはない。

ゾンビランドサガのアイドルたちはゾンビであるアイドルとなりアイドルとして生きる、死んでるけど生きる。それ以外に道はない。

そしてゾンビランドサガのアイドルたちの目的佐賀を救うことある。そのために無茶振りをされる。それに応えるのがゾンビランドサガのアイドルたちだ。

ゾンビランドサガには理屈を超えたでっかい何かがある。そしてその裏には無私の心などではない。どでかいエゴがある。

ゾンビランドサガには、理屈抜きにもっともっとアイドルとして活躍しろという純粋エゴをむき出しにしていい。それが俺達にとって救いにもなる。

繰り返すが、俺達はもっとエゴを出すべきだった。

そして俺は確信しているゾンビランドサガには、こうしたエゴを何ともしない何かがあると、そして某アイドル育成ゲームにはない。

この駄文が、今もなお某アイドル育成ゲームを苦行のようにプレイする人に届いて救いにつながることを願う。

2019-04-11

元読者で元同業者ですが

楠本まき先生にはがっかりした。

嘗て好きなように書けず苦労したのち、好きなように書ける御身分になった作家が、今度は言うに事欠いて己の意にそぐわない表現に対して「ガイドラインを作れ」(検閲)とか「滅びろ」(処分)と言うのが許されていい訳がない。

そもそも少女漫画のせいで」とか「少年漫画の女キャラ自我がない」などと決めつけること自体が古臭い思い込みによるバイアスのものではないのか。

あと20日で令和だが、正直ご自身ジェンダー齧ってた昭和時代から時が止まってないか

自身が求める、ジェンダーバイアス排除した(私は全然排除できてないと思うけど)芸術的アーティスティック作品を追求していくのは勿論構わない。

しかし「そうあることが好ましい」の範囲を超え「それが正しい」として漫画業界または漫画という文化のもの、他の作家や読者など他者にまで「かくあるべき」として強要すべきではない。

ジェンダーバイアスを逆手に取り活かして売れ筋作品を作る権利も、ジェンダーバイアスに嵌まらなかった故に嵌れた場合世界模倣する権利も、創作においてはある。

様々なバイアスにそれぞれガイドラインを作るの?そんな雁字搦めになったら新しい表現は生まれなくなる。

そして読者がどんな作品を選び、何を見て、どこをどう感じ、どのような選択するかという内心の自由もある。

それを「漫画に影響されてる」と決めつけ、他者想像力、取捨選択能力を蔑み、作品から何かを読み取り思索し、新たにイマジネーションを得て空想する自由まで蔑ろにし、侵害している。冗談じゃない。

作品に在る女性像のように見目麗しく恵まれており社会性に極端に乏しく自分のことでいっぱいいっぱいな女性ばかりになったら社会が良くなるとは到底思えない。

ちなみに余談ですが、ジェンダーバイアスは設定詰めてないからとまるで作家スキルが低いかのように仰ってたが、ご自身の思うジェンダー論=別のジェンダーバイアス自己投影した人物セリフで言わせるのは漫画プロとしてはスキルが低い。

そもそも漫画と言うものにかなりのバイアスかけて蔑んでるのが感じ取れるので、漫画における表現というものに対する研究向上心はないんだろうけど、キャラクターの特性、行動や性格に絡めて物語に組み込むのがセオリーだと思う。

エッセイコミックじゃないんだから

2019-03-19

Daydream1-格差社会幸福への思索

闇のない世界存在しない。

理想郷存在しない。

長所の裏側には短所があるし、

楽しそうな人々の裏側では我慢している人々がいる。

贅、快、愉、愛、そうしたものは恵まれた人々の特権なんだろうか....

競争社会相手を蹴落として、優位に立ち、自分の周りのコミュニティにだけ還元し、その恩恵享受する....

持たざるものを、自己努力不足だと切り捨てる....

競争社会で優劣をつければ、上下関係が出来、負のエネルギーは下に下に淀んで溜まっていく。

社会への憎悪を膨らませた人間がそれを爆発させた時、その責任個人にあるのだろうか。。。異常者として、その人の生きてきた世界を僅かも想像できない恵まれ立場人間断罪できるものだろうか。

憎しみや復讐は何も生まない。

傷つけ合うことはやめよう。

暴力はいけない。

数々の戦争を経て平和を尊ぶ社会になりつつある現代でも、やはり我々はまた資本主義という新しいベクトル競争社会を生み出した。そこでも、勝者と敗者がどうにも存在するようだ。

足るを知ること。

少しでも多くの人が幸せにいきられること。

助け合うこと。

違いを認め合い尊重すること。

この考えは生物本能に背くものだろうか...?? 個の追求ではなく、全体幸福を考えることは、綺麗事のようでしっくりこないのは、生物学的なシステムによるものだろうか。動物本能の未熟さによるものだろうか。仮に人がそれを行動規範にしたとしたら、幸せを感じられるのか?競争をやめたら、人類は衰退していくのか?

人はなんのために成長したいのだろう....

食物が充分にあり、さまざまな娯楽を享受出来、住む場所があり、病気ケアも受けられる状態で、これ以上何を望むのだろう...???

なぜ、格差が生まれるのだろう。。。

優秀な人間とそうじゃない人の違いは何だろう。。。資本主義の全てを手に入れたように見えて、幸せを感じられないのは何故だろう...。幸福とは、なんだろうか。

人類は何処を目指しているのだろうか。

---

自分はどちらかというと恵まれた側の立場です。だからこそこんな無益に思える思索に耽ることができるんだろう。

2019-03-03

anond:20190303135738

いかにも釣りだと思ったしな。

おそらく、天才思考のリミッターが働かないんだなとは思う。

から、とことん深い思索に入れ、今までになかったものを考えつく。

だけど、思考のリミッターが働かないということは、例えば、解のない答えなんかに執着して、疲労し、そして精神を病む可能性がある。

考えても意味がない問題だったたり、疲労してきたら、やっぱりそこで思索を止めないと。

他にも、偉人の子供で狂人となったやつはちらほらいる。

「いわゆる偉人の子供」だけで作られた社会は、みんなが思索に入りやすく、そして精神病みやす人間から構築されたディストピアだったりするんじゃないかなと思う。

2019-01-30

anond:20190129111135

個人的ニューアカ風味に欠けてるなーというのが不満だったので、ちょっと添削してみました。いかがでしょう?

神経医学の、医学全般への漸進的な貢献は、敬虔さという態度変更を伴わない状態では、あらかじめ(つねに/すでに)構造化されうるものではない。

医療技術分野での最新の知見により近時あらためて問題提起されたこの<貢献>という主題が、なぜ現状のようにじゅうぶんに構造化されえないのか(あるいはまたそれが如実にあらわれてしまっているか)は、だから自明ことなのではないだろうか。

今日では歴史の地層に埋もれてしまった感もあるが、19世紀末にスウェーデンからアメリカへと活動の場を移したエリファット・フォン=ハシュヴァルツという精神科医哲学者がいる(とはいえ、当時はなかば詐欺師のような扱われ方をされていたようでもあるのだが)。彼女精神分析医として働きながら哲学神学領域にまで思索の幅を広げ、まるでのちの構造主義を予見するような理論Kalmia Theory提唱している。その思想はひじょうに複雑にして晦渋きわまりないものだが、暴力的単純化すれば、神経医学においてキリスト教認識論の軛から逃れ、世界多面的・多声的にとらえる・そのための方法とでもいうものだったらしい。

倫理がなぜ神経医学において重要なのかという問題は、これもまたいっけん自明に思えるかもしれないが、実はそう簡単な話ではない。簡単な例を挙げれば、経頭蓋磁気刺激法という術式は、磁気増幅器を使用するため被験者の神経パルス信号の異常をもたらす場合がある。しかしこれを即座に危険とみなせるかどうかもまた「時と場合によって」しか決定されえないのである。そしてその場の恣意的判断によってただ闇雲に積み重ねられ溢れかえっているこうしたミクロ事象をどう扱うかという問題は、当時の精神医学界の躓きの石であった。だがある日、その状況に待ったをかけた言わばコペルニクス的転回ともいえる現象観測されたのだった。

2019-01-27

anond:20190127125449

同じような思索に取り組んだことがあるけど、一番馬鹿に近づいてきた辺りで、人から馬鹿にされても気づかない、自分他人とを比較できない、馬鹿比較という概念自体理解できない、そもそも何も知覚できないといった厚い層が存在することに気づいた。

一方的馬鹿にされ、サンドバッグになるこの層が衝撃吸収クッションの役割を果たすことで、マウンティング社会は上手く回っている。

福祉が誰にとっても必要だという話は、こういう側面もあるんだなあと感じた。

2019-01-25

老害」とは言うが、いつまでも若いつもりでいるおっさんも痛いよな

思索を深めるわけでもなくただ新しいものを大量消費してるだけだから老成という風にはならない

老害批判するおっさん自分自身はただ幼稚なだけだろう

成長すれば世の中がくだらないもので満ち満ちていることに気づいていくものなのに

anond:20190125161900

運動するとアイデアが閃きやすいらしい。散歩しながら思索とか特段珍しい話でもなかろうに。職務規定抵触しないならほっとけよ。

2018-12-31

anond:20181230180125

本能がどうのといっているが、それは社会でそう言われているだけに過ぎん。聖書以外を信じず地動説進化論子供に教えないキリスト原理主義の人たちに、本能、種の保存の意志がどれほど大事増田は教えられるんだろうか?

まず第一に、増田はおのずから答えを述べている。

――「どうしてわざわざ美人イケメンを取り合うのか」

取り合う。限定された資源である。そして美人イケメンという「有価」である。決して醜女醜男という「マイナス」ではない。取り合うのは至極当然。

次に、我々は「正しい」ということを正確に測ることができない。「正しい」ことは「いい」ことなのだ。それ以上の思索を要しない。それだけにそこから先には進めない。

金をもっていればいい。なぜ? いろいろなものを買えるから。それはなぜいい? 欲望を満たせる。欲を満たせることはいい? ――さあ?

人格者であればいい。なぜ? ――さあ?

妻子を守り子を産み育てるのに適している頑丈な体はいい。なぜ? 守り、次に世代を残せる。それは人間自分種族にの適用できる主観的な願望ではないか? ――さあ?

ある程度つきつめると、価値観とは「自分」を中心に据えたまさに「自己中心的」な見方にすぎない。

この増田の言っていることは正しい。正しい。正しいのです。だから価値なのです。

正しいとはなにか。ベクトルとして「正の方向」を示すにすぎない。

増田は「よくわからん」と言う。「わからない」ことを不思議に思う。だが「わかる」ということを不思議には思わないのはなぜか。自分にとって「正しい」からね。正しいこと、わかっていることをわざわざむやみやたらに掘り返すやつはそういない。

価値観自己中心的であると見なせば、「なぜ美人イケメンが好きか?」という問いにはすぐさま答えが返せる。「好きだから」。

金も人格も、頑丈な体も、どれもこれも「本人やその種族にとって都合がいいから」以上の価値観ではない。

2018-10-11

anond:20181011182257

おまえいいな

コミュニケーションをとる、っつーのはどうだ。前提の論理感情分割はあくまシンプル化で実際は男の中にも感情があり、女の中にも論理があるわけじゃん。だったら相手感情理解することも、論理を教えることもできるはず。

ここしばらく「性的消費」の概念を調べてたんだけど、結局解らなかった。どうも彼女たちの中で言語化できてないっつーか、概念を支える複数モデルが競合して安定してないように思えるんだよな。考えたんだけど、こういうときコミュニケーション議論っつーより相手思索に手を貸すというか、「あなたは何を考えてるんだ?」って疑問を投げかけるスタイルがいいかもと思った。返答に詰まったらそこで追い詰めずにフォローを入れる。

そんなつもりで話しかけようとしてるんだけど、現れた途端容赦なきラッシュを受けて逃げちゃう

2018-09-12

今、大学の授業中

教科書ノートは机の上に出ていない。視線の先も手もいつもスマホ。毎回授業始めに配られるプリントには授業のパワポスライド印刷されている。教授達は雑談でさえパワポに詰め込んでくる。後からスライドwebで公開されるので、メモを書く隙間もないそのプリント意味を持たない。

教授が焦ってる。パソコン強制終了したらしい。少し前からポップアップの様なアラームが何回も出ていたが教授はよく読まないで「いいえ」を押していた。すぐ内線で事務に連絡し別のPCが届けられる。

こういう事は今日に限ったことではなく、呆れるほどよく起きてる。機械音痴教授と安い機材を使っていれば当然といえば当然だ。だらしなく聴く学生とだらしない授業。大学名前社会的には有名な方で真面目な大学の印象がある。それは表面上の姿で、大学のことを口コミに書くのは一部の熱心で真面目な学生だ。

から見たときと内に入って見たときでは印象も実態も違う。就職するのが怖い。大学の二の舞を踏むのは避けたいが、仕事と割り切るしかないのだろうか。でもこの恐怖心は働きたくない感情からくる逃げなのではないだろうか。

などと無意味思索にふけりながら増田に書いていたら授業は終わっていた。

2018-09-05

https://anond.hatelabo.jp/20180904133315

元増田です。長年の悩みに対して反響があったことが嬉しい。お返事くださったことに心より感謝します。活力が湧きました。

近年では野党リベラル政治家自らが表現規制を進めかねない動きを取っている印象があるのが厄介。それでも、少しでも応援できる方の支援は続けたい。

安楽死オランダベルギースイスカナダアメリカの一部の州で合法。そのうち、日本人でもOKなのはスイスのみ。渡航できる語学力はつけねばなあ。日本法制化されるにはまだまだ世代交代が求められそう。

>本が読まれなくなって、今までの本が死蔵されたりどんどん処分されていくことだと思うので古い本をたくさん読んだらどうですかね

>こんなひどい社会で生きていく意味がないというのは古典的テーマから

その中から解決法が見出せるといいね

物語が滅んでいくと書いたとき表現規制で新たな物語が生まれなくなる方に意識が向いていた。コメント読んで、物語や本の死には死蔵、処分、更には焚書もあることを思い出せた。

古典といえば、大学時代元彼希死念慮で病んでいた自分キューブラー・ロスon death and dying(流石に和訳)を貸してくれた。当時、現代人の思索が誰かのいつか来た道であることに気付かされた。偉大な先人に知を求めるのは最初に打てる手だ。

まだ、自由論大学時代に読みたいと思った本も、文章を読んだ程度に留まっている。死ぬ前にやりたいこと、残っているじゃないか

2018-08-24

【本編】ダジャレ10スター貰わないと出られない部屋

ズキズキとした後頭部の痛みで、目が覚めた。

目に入ってきたのは、真っ白な天井と壁の殺風景な部屋。

俺が着ていたのは、入院患者が着るような水色の服だった。

部屋にも服にも見覚えがない…。

あわてて、昨日の記憶を探ってみても、なぜ、ここにいるのか思い出せない。

会社忘年会の帰り、自宅の最寄り駅までは覚えているが、そこから記憶がない。

記憶が飛ぶほど飲んだわけでもないのに…。


連絡もなしに朝帰りとは、妻にどれだけ怒られるか…と心配し、携帯を探したところで、手荷物がないことに気付いた。

昨晩、転んで頭でも打って病院に運ばれたのか?

とりあえず、看護師さんを探そう。

そう思って部屋から出ようとしたが、ドアが開かない。

鍵がかかっている…?

混乱しているうちに、人工音声のアナウンスが室内に響き渡る。

「この部屋からは、ダジャレ10スターを集めないと出られません。

繰り返します。この部屋からは、ダジャレ10スターを集めないと出られません。」

一体、何を言っているんだ…?


時間の混乱の後、俺は、この狂ったアナウンスが、どうやら本気だと悟りはじめた。

部屋でどんなに大声を張り上げても反応はなく、施錠されたドアを開ける方法は見当たらない。

外部に連絡を取る方法もない。

部屋の隅にあったノートパソコンは、かろうじてネットに繋がる。

しかし、アクセスできるのは、はてブ関係のページ(ご丁寧にも、俺のはてブアカウントログイン済みだ。)とブクマされたページだけ。

webメールログインや、ブコメ以外の書き込みなどはできなかった。

設定の裏をかけば、他のページに行ったり、助けを求めたりできるのかもしれないが、ITに疎い俺にはどうしようもない。

俺は、どこかの狂人監禁されたのだ…。


この狂人が理性に目覚める可能性や、警察がこの場所発見する可能性にかけるよりも、スターを集める方が良さそうだ。

そう思い始めたのは、数回の食事(ドアについた郵便受けのような小窓から支給された)と、数え切れないほどの脱出のための悪あがきを終えたあとだった。

他にやることもないし、ここは、狂人論理に従っておこう。

そいつ刑務所にぶち込むのはここを出てからで良い。

こうして、俺は、ダジャレスターを集めることにした。


試しに何日かブコメをしてみると、いくつか分かったことがあった。

第一ブコメで助けを求めようとしても、コメントは反映されない。

俺のブコメは全て、反映までに少し時間がかかっていた。

問題ないコメントけが投稿・反映されるのかもしれない。

第二。ダジャレスターをもらうと、その日の夜に、パソコン上に表示された数字が減る。

最初は、100000と表示されていたから、解放までに獲得すべきスターの数ということだろう。

第三。ネットに繋がるのは、午前9時から午後5時までだけ。

それ以外の時間は、暇を持て余した。

第四。ダジャレ以外でスターをもらっても数字は減らない。

政治関係過激コメントスターを荒稼ぎしようとしたが、その試みは無駄に終わった。

セルフスターダメサブアカ・複アカの利用もダメ

その他、ありとあらゆる抜け道を試してみたが、全て徒労だった。

結局、地道にダジャレブコメしてスターをもらうしかないようだ。

考えないようにしてはいたが、1週間も経つと、10スターという数字の途方もなさに直面せざるを得なくなる。

1日に数十スターというペースでは、10万に達するのはいつになることか…。

数を撃つにしても、限度がある。

やりすぎて、垢バンされれば、それで終わりだ。

妻は、子どもは、一体どうしているだろうか…。

仕事はどうなっただろうか…。

俺の失踪ニュースになっているのだろうか…。

焦りをつのらせた俺は、効率よくスターを集める方法を考え始めた。


監禁されて数ヶ月。

俺は、ダジャレについての思索を深めつつあった。

ネットに繋がらないのは、午後5時から午前9時まで。

時間だけはたっぷりあった。

ダジャレブコメにつくスターの数は、大まかにいって、ダジャレの完成度とブコメの閲覧者数に依存する。

面白くないコメントには、当然、スターはつかない。

どんなにスゴいダジャレでも、数人しか見なければ、多数のスターは望めない。

ブコメにおけるダジャレの完成度は、①困難性、②新規性、③内容関連性で構成される。

①困難性とは、そのダジャレを思い付くのが困難な度合いだ。

基本的には、文字数が長いほど困難性が高い。

濁音・半濁音・促音・長音符を無視せずともダジャレが成り立つ方が、高度でもある。

例えば、「布団がふっとんだ」より、「アルミ缶の上にあるみかん」の方が難しい。

新規性は、既に人口膾炙しているダジャレでないか、の基準である

上記の2つのダジャレは、有名過ぎて新規性ゼロだ。

また、イカ関連のダジャレイカ娘などで使い尽くされているので新規性が低い、といった具合である

③内容関連性とは、そのダジャレが、ブクマ先の内容にどれだけ関連しているか、というものだ。

どんなに困難で新規性のあるダジャレでも、ブクマ先と無関係では、閲覧者に感銘を与えられない。

ダジャレがなくても完全なマジレスとして成り立つような内容が理想的といえるだろう。

スターを集めるには、ダジャレの完成度を上げつつ、ブコメの閲覧者数を増やすことが重要だった。

ダジャレの完成度をあげるに、絶対必要もの。それは、語彙力。

ダメ元で、「ダジャレのために辞書をくれ」とブコメしたら、コメントは反映されなかったが、食事と共に広辞苑差し入れられた。

同様に、Wikipediaや韻検索サイトへのアクセスも認めさせ、語彙力のアップに努めた。

振り返ってみれば、ダジャレのためを装って、脱出のための道具を調達することも出来たのかもしれないが、この頃にはもう、破壊による脱出など頭になくなっていた。

ブコメの閲覧者数をあげるには、ホッテントリに入るページをブクマすること、早期に人気のコメントに入ること、お気に入られ数を増やす重要だ。

ブクマが伸びるページを早い段階で見極めて、ダジャレねじ込む必要がある。

また、お気に入りに入れてもらうには、ダジャレブクマカとしてのブランディング必要だ。

暇を持て余してもマジレスすることはやめて、ダジャレブクマしかしないことに決めた。

そのうち、俺は、尊敬するジェイ氏と並び、ダジャレブクマカとして認知されていった。

ネットができる時間をフルにダジャレのために使えることも重要だ。

夜の時間には、筋トレをして体力作りに励んだ。

ルームランナーダンベルは非常に役立った。

昼の集中のためには、栄養ドリンクスマートドラッグ差し入れさせた。

腰痛対策アーロンチェア重要だ。

もはや俺は、ダジャレのために全てを注いでいた。

やがて、そのときは来た。

獲得したスター10万に達したのだ。

扉が開く重厚な音のみが部屋に響いた。

自由の身になったということだろう。

しかし、そこでふと考える。

くろうして入ったのに、ブラックだった会社

女子にだけ人望 がある 常識のない上司

妻子の世話も面倒くさいし、

室外に行ったら、ブコメの質が維持できない。

至高のダジャレ志向するには、たゆまぬ試行思考必要だ。


俺は、10万1個目のスターを得るべく、ブコメを書き込む作業を再スタートした。

https://anond.hatelabo.jp/20180822170557

2018-08-19

おっぱいの魂はどこにあるのか

こんにちは思索の申し子、増田マンです。

哲学なのか医学なのか、分野はよくわかりませんが昔から「人の心はどこにあるのか」という議題があります

「心が大事だよ」というジェスチャーをするとき恐らくほとんどの人は、胸を叩いたり、指したりすると思います。でもそこにあるのは心臓で、心はないですよね。

「そんなことは分かってる。皆イメージでやってんだよ!」

もっとも。心というのはつまり感情意思のことですから、当然脳にあるわけです。でも脳を指してもしっくりこないので、胸に手を当て考えるわけです。

では、魂はどうでしょうか。

そもそも「魂は存在するのか!?」という議論もありますが、ここではその辺はフワッとした概念的な感じで話を進めます。つまり、"職人魂"だとか"魂の一球"みたいな感じの魂です。これも脳にあるのでしょうか...うーん、いまいちしっくりきません。

私が思うに魂とは「そのものをそのもの足らしめている一番重要もの」なのではないでしょうか。「画竜点睛を欠く」の「点」ですね。...答えは闇の中。

閑話休題

日本人が生きていれば必ず直面する疑問の一つに、R18の謎モザイクがあります

誤解を恐れず率直に例をあげるならば、乳首

地上波テレビ番組少年漫画などで女性の上裸が映る時、一体どの部分がハレンチ(死語)なものとして規制され、隠されるかといえば、ヘソでもワキでもなく、チクビです。

ではなぜ規制が入るのか。それは「卑猥から」に他なりません。なぜ卑猥もの規制されるかと言えば話は簡単で、見た人が性的な劣情を催すからです。つまり男性でれば勃起してしまうからです。

女性の方はわからいかも知れませんが、意図しない場面で勃起してしまうととても困ったことになってしまうのです。最悪、捕まります。そういった事件を防ぐため、規制がされているのでしょう。しかし、ここで一つの疑問が生じます

みなさん、おっぱい好きですよね?興奮しますよね?おそらく程度の違いはあれ人類は皆おっぱいが好きです。大好きだと言っても過言ではありません。生れたばかりの頃などは毎食おっぱいを貪るしまつです。嫌いな人などいるはずがありません。

だとするならば当然おっぱい規制されてしかるべきです。

しかし、現実はそうではありません。例を出すならアニメ水着回テレビ温泉リポート。それどころか、なんですかマイクロビキニとか貝殻とか、挙げ句の果てには絆創膏!何も隠れていません。胸部の99%が露出しているではありませんか。

では隠れている1%がどこかと言えば、それが乳首です。つまり我々は乳房ではなく乳首おっぱいを感じ、恋い焦がれ、興奮していると。となれば、仮におっぱいから乳首を分離し、乳首だけを皿に盛って「どうぞお納めください」と提供されても興奮できるということです。

.....ダメだ!私には出来ません。どれだけ乳首を山盛りにしてもフルコースにしても興奮できるビジョンが浮かびません。これ、凄く不思議じゃないでしょうか。

規制されている卑猥ものおっぱい全体ではなく乳首だけなのに、それ単体で提供されても意味がない。だとすれば我々は一体おっぱいのどこに魂を感じているのでしょうか。

画竜点睛の意味で言えばもちろんそれは「乳首」なのでしょう。故事に言う「おっぱい乳首を欠く」ですね。しかしそれだけでは不十分。いくら乳首がたくさんあってもそれがあるべき乳房がなければ意味がありません。つまり乳首が魂の居所ではなく、乳房乳首が付いて初めて魂となりうるのです。とするならば魂とはどこかにあるものではなく、存在のものなのです。人であれ、芸術であれ、それを構成する必ものが揃って初めて魂へと昇華するということなのです。

以上のことからおっぱいの魂は、乳首にも、乳房にも、ましてや脳にあるわけでありません。おっぱい存在のものこそが、我々を魅了し、時として争いをも引き起こす至高の果実のものこそが、魂であるということなのです。

御静読ありがとうござました。

2018-08-17

anond:20180817095957

想像と決めつけるのはおかしくない?

俺は確かにそういう印象を抱いたし、俺とお前では読んでた記事ジャンルが違ったかもしれない。

少なくとも、経済系の優秀なブクマカとかはだいぶアクティブな人減ったと思うよ。

というかね、回顧的なフレーズを見かけたら「はい懐古厨」っていうしぐさ。

それも完全に条件反射レスに脳が最適化されちゃってる人のそれだよ。

もっとアウトプットの前に、思索を巡らす習慣をつけたほうがいい。

2018-08-14

一夫一妻制とジェンダーロールは格差縮小策としてかなり実効性が高い

まあ散々言われてることなんだろうけど、思索メモがてら。

10からなる自由経済を考える。年間GDP100、一人当たり1とする。自由経済なので、年収には格差がある。下から0, 0, 0, 1, 3, 7, 10, 10, 19, 50 である

次に、この経済に、性別と一夫一妻制とジェンダーロールを与える。すると各人の年収は以下のようになる。

女: 0, 0, 0, 0, 0

男: 3, 7, 10, 30, 50

この男女がくっつくので、男性年収世帯年収とすると、各人の事実上年収は以下のようになる。

1.5, 1.5, 3.5, 3.5, 5, 5, 15, 15, 25, 25

最初経済比較する。

あ、格差が減ってる。

2018-08-01

ジャンル形成

ジャンル形成される場合にまず必要なのが意志である

そのジャンル足らしめようとする意志である

ここではそれぞれのジャンル本質的意味においての差異を持っているかを論じることはしない

ジャンル形成過程とそれにおいて生まれる状況というのを語ってみたい

まず第一にある一定の傾向を持つと認識される作品群が意識されそれを求めるもの、好むもの達が生じる

ここに需要が生じ供給が生まれるこの時点でこのジャンル過去に対してのそのジャンル類型の再発見ではなく二次的にジャンルのものを扱ったを作品を創出するという過程に至る

またそのジャンルという認識確立が様々な媒体社会に間接的に直接的に影響を与え、様々な領域へと拡散、浸透していくこうしてそのジャンル一定数以上の知名度を得、また一定以上領域拡散するとそこに社会文脈が生まれ

そしてそのジャンルに対しての評価が下される

このジャンルに対しての評価に大きな役割を担うのは二次的にジャンルのものを扱い創出された作品であると考えられる

それらがそのジャンル体現した存在と見られるから

そしてこの時にくだされた評価によりそのジャンル肯定する意志否定する意志が生まれ

この辺りからそのジャンルに対しての本格的な定義付け議論が生まれ

容認される領域容認されない領域の間で少しずつそのジャンル存在可能範囲が確定するようになる

少しこの部分について実例を交えて説明してみよう


例えばラノベというジャンルがあるがこれは軽薄であまり稚拙であるという評価から様々な分野から攻撃を受けており

最も厳密と思える定義の仕方で言えばレーベルという出版社から出版されているもの極めて限定的範囲に押し込められる結果となっている

それどころかラノベ小説文学にさえ含まれないと言った論調すら生まれている

このラノベに対する定義付けは一定解決を見るには至っていないそれは私見ではあるがその共通項がラノベが持つ構造により見出されたものではなく読み手側の持つ感覚により見出されたものからだと思う


次に純文学を見てみよう

こちらに対してはあまり詳しく知らないため多くを語ることはできないが語ってみる

純文学拡散を自ずのうちにやめてしまったように思える

ジャンル差別化を図り自らを自らの内に神格化したように感じる

その結果、彼らは過去に縛られ新しい作品を作る術を失ったようだ


次に私の好きなSF

SFは当初、低俗大衆文学であるとされていたようだが現在地位が向上し特に否定されるような作品ではなくなった

最近ではSF作品自体の勢いは衰えているように感じるがこれは人類に対して未知の部分の多くが失われたからだろうか?

まあ何にせよこのような全盛に比べれば少し停滞気味の状況とSFの持つ2つの特性から面白い状況が生まれ

1つ目の特性は極めてその定義けが難しいこと2つ目の特性は多くの作品に対してSF要素を見つけやすいということだ

こうしてSFを広めたいもの商業的にSFを盛り上がらさなければいけない者達は多くの他ジャンル作品群にSF的要素を見出しこれをSFだと吹聴して回るのだ例えばガルパンまどか☆マギカなどがそれに当たる私としてはアイロニーを感じてとても良いと思うが

ハードSFこそがSFだと標榜する輩にとっては不快のようだ


話を戻そうこういった様々な場所や形においてそのジャンル肯定しようとする意志とそのジャンル否定しようとする意志が衝突する

先ほどの例でも見たようにこの肯定否定には様々なレベルベクトル存在する

こうした中で生まれてくる本格的定義議論とその様々な結論によって更にこれらのジャンルは影響を受けそのジャンル本質とされる部分がクローズアップされその点が更に深められた作品群が生まれ

このような過程においてはレーベルから出版されたものラノベであるという解釈は単に便宜上そのように定めた事実を表すに過ぎず意味を持たない

この時にその作品群は本質的とされる意味の深化とともに無駄な要素が削ぎ落とされる、この過程を繰り返し最終的にそのジャンルは別の分野やジャンル侵犯する能力を失う

有り難いことにSFはこの過程が未だ生じておらず縦横無尽傍若無人にに他人の畑を荒らすことが出来るのだ

このような過程を経てジャンル一定の恒常状態に入る

この後は内的思索が主たる課題となりこの地点からの逸脱は亜型と処理される

そしてそのジャンルから失われた何にか、新しい何かを望むものはまた新しいジャンルを見出す旅に出なければならない

2018-07-18

anond:20180718022926

内向内省思索的な人間はこれからどんどん辛くなるよ。

後生大事に抱えた内面成果物(知性も感性自己憐憫批評精神も)も、言葉にするしかない以上、ネットから逃げられないし、

賢しい連中に語りつくされ解剖されつくし陳腐ものであることが明らかになるだけだし、小賢しい連中にはあくちゅありてぃの添加物として似ても似つかないもの解説され置き換えられる。

酒でも薬でも賭博にでも、早々に依存リタイアすべし。

上手く立ち回れば一緒に堕ちてくれる人間は現れる。

2018-07-05

anond:20180705052508

あなたのやりたいことは「なにもやらなくても生きて行ける生活のもの」では?

そのための思索を重ねることこそが、あなたのやりたいこと。

2018-06-24

anond:20180624120214

そういうつまんない脊髄反射的な言葉遊びが「評論ごっこ」なんだよ

内容がない

思索もない

ただ目に映ったもの自動的パターン分けしてるだけ

少しは本質を探って議論してみろ

2018-06-18

料理について

俺は一人暮らし歴もう20年近いけどな

未だに自炊すんのかすげえなとか言われるのが違和感ありまくりでさ

野菜と肉を煮るか炒めるかすりゃあそれはもう立派な料理だと思うわけよ

味付けなんてのは初心者でもなくても、基本は塩だけ

もやしと肉を炒めて塩で味付ける

食ってみる

何が足りないかを考える

そうすると今度は油を使ったりコショウを使ったりする

すべての料理において、そういう考える過程が大切なわけでさ

料理スキルの高い人なら、その過程が見えるから調理法についての批判

もっとこうしたほうがいいよってのが出てくるけど

基本的には美味しい不味いってのは二の次であって、火を使うってのが大事なの。何より。

そこから始めりゃいいのにって思う。

不味い理由は大抵が調味料で、かっこつけて味覇使ったりオリーブオイル使ったりするってのが失敗の理由でさー

あるいはインスタ蝿たかってるような料理な。見た目とか腹が減ってる人にとってはなーんも気にならない

とにかく肉と野菜、あと火を使う。塩を少し使う。そこからまらないとどうにもならんよ料理は。

太古から記憶を刺激させるんだよ料理で!!調理自体カルチャーなんだわ。思索一種なんだわ。

からレトルトのやつ温めましたとか、コンビニ弁当とか、そういうのばかり食べていると

人間大事な部分を削り取られていくようなイメージなんだわ。

ただ食うだけの動物に成り下がってしまう気がする。

2018-05-25

anond:20180525174142

対話から独白

実験的な取り組みとして、しばらく、他の増田トラックバックコメント)を付けるのを控えてみるか?

自分の思いや意見投稿するだけにしたら、どのような変化が生じるだろうか?

2018-05-17

LGBTQの原因が少し分かりかけてきた

自身ノンケヘテロ。LGBTQではない。彼らがなぜそうなるのか?理由理解できる説明出会えていない。

https://twitter.com/ChisaCado/status/995212941354876930

世の中には「こうしたら幸せになれます」というテンプレが多くあって、「フツウの人はこうしたら『フツウの幸せ』を感じられます」というマインドセットなのですが、そもそも私はフツウではなかったことに気づいたあの日から自分思索の力で「心の声を聞き、尊重する」に辿り着く必要があったのです… https://t.co/PcCt2oiq68

この文章を見て「なるほど」と思った。

変身願望

自分場合は、女になりたいという願望はない。

その代わりに、子どもの頃「神になりたい」と思っていた。

そのとき記憶では、男でもなく女でもなく、そのどちらでもない=中性でもなかった。

自分は神になりたい」という願望は、後になって「グノーシス」というジャンルに近いことを知った。(グノーシスのものとはちょっと違うけど)

人間本質と至高神とが本来は同一であることを認識することにより、救済、すなわち神との合一が得られると説く。

2018-05-16

ゆりしぃ引退感情の一部を見つけたオタクの話

よぉオタク、よく来たな。

え?何で読み手オタク呼ばわりするのかって?

そりゃタイトルオタクなんて入ってるのにわざわざ読んでるようなのは

いかなる理由があってもオタクだろうさ。

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さて、attention!

そう、pixivlogかによくあるあれだ。オタクよろしく頼む

.

・このエントリにはガルライブ5thの両日ネタバレが含まれます

オタク独りよがり解釈が含まれます

オタク独白がメインです

・例え話がアニメネタで、ネタバレを食らうかもしれません

・流れでラブライブの話もしま

・一発書きなので多分誤字脱字がある(恥ずかしくて通読してない)

・なんでも大丈夫な方のみどうぞ

・無理そうな方は無理せずブラウザバックして、どうぞ。




さて、それでは話を始めます

.

私は昔から感情の薄い人間でした。

はいっても感情が無かったわけではありません。

悲しむこともあったし、怒ることもあったし、楽しくなることだって、感動することだってありました。

ただ、小学校低学年を過ぎてから、泣かなくなりました。

CLANNADの汐みたいに、「泣いていいのは~」みたいなのを決めてたわけでもありません。

ただ、とにかく、何か起きても概ね因果関係を把握してしまい、Aが起きたなら結果はBだ、というように世の中を処理するようになりました。

オタクなのでアニメ見たり映画見たりするのですが、「あ、ここ泣き所だな?」みたいな所で

定まった型のような感動を味わおうとする、そんな風な性格をしています

.

さて、そんな私の過去ですが、物心いたこから捻たタイプ百合厨でした。

わざわざ百合と銘打って検索し始めたのは少女セクト見てからのような気もしますが、

それ以前の私は女子プロレスキャットファイト的興奮を素で覚えるような人間だったので、

嗜好としては推して知るべきといったところでしょう。

.

一方で成績も悪くなく、本が好きデブとしてオタクの例に漏れインドア派の青春を送っていた私は吹部にそれを捧げます

バイエル程度のピアノを履修したことのある私にとって、吹部はい場所でした。田舎だったので周りのレベルが低く、

演奏技術として課されるノルマ相対的に低かったので、熱くなることもなく、無難な日々を過ごしていたと言えるでしょう。

感情に疎いので、コンクールの結果も概ね予想通りだなくらいの感想しかなく

――そりゃ金賞取ったら嬉しかったですし、銅賞なら悲しみもしました。でもそれはメンツレベル推し測ることができるものです――

ユーフォ一期一話の久美子ちゃんみたいに、「あ、皆悔しかったら泣くのか」みたいな感想を持つような人間でした。

まぁそれは今も変わってないのですが。

.

そうやって生きてきた感情の薄いオタクは、――まどマギ見て胸がいっぱいになって人生で初めて感動で泣きそうになったりしましたが――

大学受験に失敗し、ラブライブ出会います。あ、ガルパのサービス開始はオタク大学に入ってしばらく経ってからなのでもうちょっとかかるよ。

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高校で悪い友人に音ゲーを仕込まれオタクは、project DIVAにのめり込みます

extendを一日2~3時間くらいやってたのであえなく浪人LPのあるゲームなら大丈夫やろと安易スクフェスに手を出します。

浪人期の私にとって、スクフェス勉強を除けば全てでした。リズムゲー、三話で現実を見るアニメ二次創作無限供給される百合

オタクオタクたる所以がそこには三つの柱として屹立していました。ちなみにデレステサービス開始一年前とかの話です。

オタクラブライブを認めた理由は多岐に渡りますが、大きく三つ、曲と「演者である」というアニメの見せ方とライブです。

曲はスクフェスやってたので無限に聞き込みました。結果、メチャクチャ好きになりました。

アニメは三話が全てでした。オタクは吹部だったので、幕が上がった瞬間に、あれだけの宣伝をしたにもかかわらず客がいないその絶望共感することができたのです。

このときオタクは思い出していました。

自分たちの初めての演奏会、そんなに凄いものじゃなかったことは分かっていたけれど、やはりお客さんが少ないことに一抹の悲しみを覚えたことを。

理屈では分かっていても、目に見えて人が居ない、というのは堪えるものです。シンデレラガールズNG披露目回での未央ちゃんの反応も納得です。

そこを乗り越えてライブをするμ's二年生の姿に共感と誇らしさのようなものを覚えて、かつて一話切りしたアニメを見始めました。

ストーリー死ぬほど面白かったか、と言われると人によって意見が分かれるところですが(いつもの私なら茶化してつまらなさを弄るところです)、

どうしても穂乃果ちゃんから逃げきることができず、オタクは穂乃果ちゃんオタクになります

普段の私からすると元気おバカ、それも主人公にハマるなんてひっくり返っても起こらないことです。

そして何気なく見てたyoutubeで、オタクラブライブライブ映像を目にします。

始めは何気なしにアニメライブか、程度で見ていたのですが、オタク気づきます中の人マジでパフォーマンスしていることに。

ラブライブアニソンの例に漏れ歌唱難易度が高く、その上ライブではもともとアニメーションとして動いているダンス再現しています

このヤバいことを同時にやってのける凄い人たちがいる――。オタクはいよいよラブライブオタクになりました。

しかし時は5thライブ直前、ラブライブオタクとして日々思索するうちに、パフォーマーとしてのμ'sの中の人の体力的限界問題について考えるようになりました。

アニメ二期の流れ、μ'sが実は5周年を迎えていること、そういった諸々を鑑みたオタクは、μ'sの引退を予見し、取り乱し始めます

結局、6thがファイナルとなった訳ですが、オタクは再受験に失敗し、μ'sが終わるという現実にも上手く対応できず、

それまで全て歌えたラブライブ楽曲も、PSYCHIC FIRE以降、把握してるかすらも怪しいまでになります

そうして、初めてコンテンツ興隆寿命なんてものに触れたオタクは色々な感情を整理できないままラブライブから疎遠になっていきました。

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さて、ラブライブ疎遠期のオタクですがデレステやってました。CoolP、主にかえみゆPとして性懲りもなくスマホ音ゲーに手を出し、沼に浸かる日々です。

あ、ナナシスは曲が好きです。WUGは未履修です。すまない。アイカツは一番古いOPEDしか知りませんが適当に聞く曲が大体好きなので大丈夫そうですね。

プリパラ3Dのやべー奴だしアイドル事変も未履修ですすまない。何を書いているんだ私は。

とりあえず大学に進学し、サークルに授業に忙しいオタクは、またしても感情を動かさなくなりました。人並みの情動はあれど芯が動くことはない、そんな感じでしょうか。

二次創作百合に手を出し、癒され、適宜アニメ干渉するような生活でした。そうしてリア充と言えなくもない時期を過ごし、

他人からホントヤバいやつ」扱いされぬよう感情を覚え、心の外縁でそれが機能してるようなふりすることがちょっとずつできるようになっていきました。

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そんなあるときガルパの配信が始まり、少ししてからオタクの好きな曲がいっぱい収録されていることを知って、オタクは徐々にガルパをやるようになります

大体半年くらい経った頃でしょうか。オタクキョン子、久美子を始めとするクーデレのような何か(久美子は解釈が分かれるところでしょうね)が好きなので、

奥沢君が推しになります。その一方で曲の割合はポピパとRoseliaがメインなので自然とそれを聞くようになりました。配信サービスに乗っかってたのが大きい。

オタク音楽趣味ですが、F、Δ、7といったマクロスが履修済み、シンフォギア(履修中)の曲が好きすぎてパチンコを打つといった具合なので、

大ヒットしたのはRoseliaでした。今も昔も推し奥沢君ですし、バンドとしては昔のアフロ推しから一転、箱推しになりましたがそれはそれとしてRoseliaめっちゃ好きです。

Roseliaの何が好きって、Re:bitrth dayです。バンドストーリー本編最終話から再生の曲、何度聞いても胸が熱くなります

dearestに似た浮遊感すら感じますし、もはやロボットアニメ最終話主人公覚醒シーンとかでかけた方がいいんじゃない?みたいな妄想もよくしてました。

とまあ、いつものようにオタ活に励んでいたわけですが、Roseliaプレイリストを聞くうちに、またうっかり好きな曲が増えました。

ここでようやく登場する本題、陽だまりロードナイトです。attention含めて3500字近い何かになってきましたね。なげぇよ。

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さておき、もともと私はこの曲のサビが大好きでした。今までのRoseliaの曲から一転、ボーカルの友希那を包むようなコーラス

片方が主旋律で片方がハモりのはずなのですが、どうしても主旋律が二つあるように聞こえます普段、好きな曲はある程度聞いたら歌えるようになるのですが、

この「どっちが主旋律か分からない問題」のせいでオタクは久々に一人で歌えない歌に出会いました。しかオタクはこれはこの曲の良さだと素直に受け止めます

それから、忙しさにかまけてRoseliaへの解釈リサゆきメインの百合厨にそれをゆだねる日々を送っていましたが、その中でリサ姉はRoselia精神的支柱だという気付きを得ます

そして友人のゆりしぃオタクから引退の報を聞きます。この友人、プロジェクト東京ドールズガルパにめちゃんこハマっており、それはまぁゆりしぃオタクなのでした。

引退。よくあることですね。ラブライブオタクとしてμ'sの実質的引退経験した身としては、来るべきゆりしぃロストに向けて色々と語る友人に昔の自分を重ねつつ、

Roseliaメンバー中の人が一人交代するのか、位に捉えていました。オタクFGOエンジョイ勢だったので丁度FGOでのマシュみたいなもんかな?といった感じです。

このオタクホント感情の動かなさが種田さんにも高橋さんにも失礼だな?ともあれゆりしぃ引退を聞いた時はそんな印象でした。心の外縁が悲しんでいる様子。

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それから暫くして、ラッキーボーイだったゆりしぃオタクの友人から吉報が届きますガルライブ5thに当たったから一緒に行かね?と。いやほんとこいつ神だな?

ラブライブしか知らなかった頃と違い、大学に行くために実家を出たオタクは、物理的にライブ参戦が可能になっていました。もちろんOKの返事を出します。

もともと田舎出身貧乏学生だったオタクにはライブ参戦という発想がそもそも無く、何もかもが初めてでした。オタクの知っているライブは、youtube公式が上げている

映像か、親切な友人等が貸してくれる円盤かのどちらかでした。そもそもOKした時はワンチャン黒沢さんが出るんか?みたいな印象でした。いやHPくらい見ろよ当時の私。

ラッキーボーイ友人のラッキーは流石に両日は保たず、day2が近所でLVとなりました。その時の私は「初日遠征、二日目がLVRoselia」くらいの認識だったと思います

許せ、リアルがごたごたしとったんや。そうしてライブの週になってようやくライブの中身を把握し、ポピパとRoseliaの聞き込みを始めます。一月前からちょいちょいやってたけどね。

その週、気の利くラッキーボーイGiGSを読ませてくれて、Anfangを貸してくれました。おまけにAnfang付属Roselia1stライブまで見せてくれました。ほんまいい奴やな……。

これが幾つもある今回のタイトルの原因のうち、最大のものでした。

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GiGSに載ってたのはRoselia中の人達が本気で楽器をやっていることの証明でした。吹部だったのでジャンルは違いますが、書いてあることは大体分かります

全ての楽器の詳細な設定とか、横でそれの担当の奴が弄ってたな……。なんて読みながら感慨にふけりました。そしてその全てはたった一年で為されたのです。一年

かつて私の部活にもいたのですが、途中から入部して毎日本気で練習して、最高のパフォーマンスをこなす凄い奴。横でその軌跡の一端を眺めてたからよく分かります

Roseliaは考え得る最高の教育を、最高の形で受け取って、そして最高の形でそれを昇華したんだということを心にすっと感じました。芯に、真っすぐ感情が入ってきたのは久しぶりでした。

そして見せてもらった1stライブ中の人たちのキャラを知るには十分でした。あいあいぽんこつだし、くどはるはアクが強い。めぐちは良い人だし明坂さんはりんりん。

そしてゆりしぃリサでした。まごうことな今井リサでした。ツッコムトークを回すわリサゆきだわでオタクRoselia中の人たちにもメロメロでした。

キャラ作ってるのは知ってますが、そんなことはキャラとしてのRoseliaに、そして中の人としてのRoseliaメロメロオタクにはあまり関係ありません。

というか罹りたくて罹っている催眠が解けるはずないじゃないですか。そんなことより、これはパフォーマーとしてめちゃくちゃ優秀だということの裏返しだということにしましょう。

こうやってライブ数日前、私の中でRoseliaは完全にRoseliaとなりました。

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さて、ライブ当日です。一日目の遠征は最高でした。Light Delightのサビのサーチライト演出とかほんま神だったしポピパの中の人新曲への熱意が凄かったしでオタク普通に楽しんでいました。

ここで、オタクはかなりの感傷に浸ります何となく生きてきた人生とは、全力でパフォーマンスする演者による素晴らしいパフォーマンスとは、そして自分とは――。

ポプテピピックの「明日死んじゃったらどうする?」状態です。今までの情動しかない人生に比べて無限に大きな感情がやって来た。処理しきれなくてバグっていました。

そうして帰りの夜行バスの中で最後に落ちてきた風船を眺めながら、パフォーマンスライブとしてのラブライブちゃんと終わらせてなかった、

ラブライブから逃げ出してしまっていたのかもしれない、というところまで何とか思考が帰ってきました。このぐちゃぐちゃと感動、感傷、とにかく感情のすべてを解くカギとして、

幕張から持って帰ってきた風船は捨てずにとっておこう、なんてことを考えていました。そう、遠征一日目はこんな感情だったのです。外縁で処理しきれることも多かった一日目でしたが、

それでもかつて心の中心に居た何かを呼ぶには十分だったのです。

.

そして二日目、LVでした。始まる前からゆりしぃ引退が頭をよぎり、「今日はタダじゃ帰れないな」と気が気でなかったような思いがありました。

何事もなくライブは進み、そして陽だまりロードナイトが掛かりました。どこか冷めた自分が、「お、陽だまりロードナイトだ」と心の中で平坦に言ったような気がしています

Bメロでもうダメでした。

.

声となって

表情となって

導いてくれる

やさしい人よ

.

リサ姉はほんとにそんな人なんです。こんなにも長い間音楽と触れ合ってきて、歌詞のすべてが心の芯まで揺らしていたのは、人生で初めてのことでした。

.

二番に入り、

.

離れていても 帰る場所がある

どんな時でも 傍にいてくれた

.

Aメロリサであるゆりしぃことなんだな、というのがさっき心にやって来た衝撃以上の共感となって、瞬時に理解できました。

たとえRoseliaパフォーマーとしては離れることになっても、ゆりしぃにとってRoseliaは帰る場所であることができるし、

Roseliaメンバーにとって、ゆりしぃリサとして、ゆりしぃとしていつだってRoseliaに居たんだ、そんなことを思いました。

.

太陽となって

月となって

照らしてく

つよい人よ

.

陽だまりロードナイトを聞くとき、これはリサの歌だと思ってたんですけど、ライブでここが流れたのを聞いた瞬間にその思いは少し変化しました。

Roseliaベーシストとして、太陽のようにファンの前で、Roseliaの中で輝いてきたリサとしてのゆりしぃが、

これからRoseliaとして表舞台に立つことはないけれどメンバーの心を照らし続けるように、Roseliaに、そしてファンの中に残り続ける。そんなことを思いました。

.

この曲では、語り手が「語り掛ける相手」が居て、二回出てきますがどちらもリサを想定することができます

.

ます魔法のように 囁いたの

あなたがいれば、怖くないよ」

.

.

名前を呼ぶ声

こんなにも特別な事だと

想い あふれてゆく

.

です。文字通り、リサが、ゆりしぃがいればもう怖くないし、たとえそれがRoseliaのなかであってもそうでなくとも、という感情がやって来ました。

これからいなくなってしまゆりしぃが呼んでいた誰かの名前Roseliaメンバーが呼んでいたゆりしぃを呼ぶ声。その一つ一つが、全て特別ものだったんだよ、と語り掛けてくるようでした。

.

最後は、全てのファンメンバーからリサへの、ゆりしぃへの「感謝を…」

カーマインの海の波間で、たくさんの感情や思いが奔流となって

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