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はてなキーワード: SNSとは

2019-03-15

こういうやつって増田をなんだと思ってんだろうな

anond:20190314072249

仲良しSNSでもやってればいいのに

なんでこんなとこ見てんだろう

2019-03-13

黒歴史日記を消したいけどIDもパスワードもわからない

エンピツ日記のIDもパスもわからないし、

登録メールは解約したプロバイダのものだし、

もっといえばそのプロバイダ会社もう無いし

いつか方法が見つかるんじゃないかと思って

アドレスだけブクマしてるけど、本当に消したい。

オタクになり立てで

こんな考察したり(浅い)

あのキャラが好きだからここまでできる私すごい(浅い)

おしゃれにはまりたてで教えたくて仕方ない(誰でも知ってること)

オタクなのに見えないでしょ、おしゃれでしょ、すごいでしょ

イベントのために県外でるのすごいでしょ(普通だよ)

・・・っていう

イキってた頃の自分日記が多分3年分くらいある。

恐ろしくて何を書いていたのか読み返せない

あれを当時自サイトで公開してた自分正気じゃないと思ってる

自分サイト作って日記を公開するのが普通時代だった)

サイトは消したし、ブログも消した、掲示板も消した。

SNSmixiとか)の日記も消した。

あとエンピツ日記だけなんだ。

本当にどうやって消せばいいの。

2019-03-08

まあ、人間なんてそんなもん

明日は我が身! スマイリーキクチに聞く「ネットデマ」との戦い方

https://withnews.jp/article/f0170613002qq000000000000000W03610701qq000015255A

正義感」の裏側には

「19人の名前出身地を聞いても、全く知らない人たちでした。年齢は17歳から46歳まで、職業バラバラ。ただ大半の人に共通していたのは、デマを信じて『正義感からやった』と供述したことです。しかし本当に正義感のある人が集団で、匿名で、誰かを追い詰めるでしょうか。『チンカス社会ゴミキクチ』なんて書き込むのが、どこが正義なんだと」

「私は被害者なんだ、ネットにだまされたと言い出す人も多かった。2ちゃんねる書き込みコピーしただけだと主張した人もいました。なぜ犯罪なんだ、元の書き込みをしたヤツが悪いんだと。他人言葉は徹底的に責任追及するのに、自分言葉責任はとらないのだなと恐ろしく感じました。検事さんから起訴しなかった理由を『調書にはすぐ謝罪するとあった』と説明されましたが、そのとき謝罪に来ていた人は一人もいませんでした」

 「ネット炎上防止の講演会などを聞きに行くと、参加者に『悪口を書いちゃダメ』と教えていることが多いんですね。しかし私を中傷した人たちは罪の意識希薄で、そもそも悪いことをしている自覚が無かった。単に『悪口ダメ』と言って防止策になるのか、いつも疑問を感じています

怒り感じたら「寝かせて」

――キクチさんは、子どもたちへの講演会でどんなアドバイスをしているのですか。

 「ネットにはフェイクニュース陰謀論など、人の怒りをあおって拡散を狙う情報にあふれていますネット情報に怒りを感じたときほど、その情報を寝かせてくださいと伝えています。それが加害者にならない方法ですと。しかも今、その怒りはSNSなどで簡単に共有できる。共有すると、怒りは増幅します。みんな怒っている、だから俺は異常じゃ無いんだと安心できる。そうして罪の意識がないまま、他人を傷つける加害者になってしまう」

 「この事件は許せない!と思ったときこそ、すぐにツイッターなどで拡散しないでください。数日間、1週間と時間をおく。そのあいだに冷静になるでしょうし、ネット情報もふるいにかけられて、情報の真偽が明らかになっている可能性があります

 「そしてネット情報を疑うこと。知名度の高いサービスでも、情報を書き込んでいるのは匿名他人であることが多い。たとえばウィキペディア辞書代わりに使う人も多いですが、ずっと私は自分の項目に『殺人事件に関与』したと書かれていました」



違う立場になったら今までの経験なんてほとんど役に立たないってことよ。

殺人犯にまで仕立てられて得た教訓でも忘れちゃうのが人間

2019-03-07

SNSが出来てからいじめが酷くなった

なんてよく言うけど、私が受けてきたのを聞いてから判断してほしい。

SNSなんてなかった時代、私がいじめられたのはざっと7年ほど。SNSがない時代に起こるいじめは大体無視、仲間外れぐらいだろう。私もそれを受けてきた。

幼稚園からの近所の付き合いがあって幼馴染の女の子がいた。その女の子をAとする。そして小学一年の時にAと友達になって、私とも友達になった子をBとする。

ほぼ毎日一緒に遊んで、時にはお泊りもした。

小学校四年

私に好きな子が出来た。ませているかも知れないが、バレンタインで盛り上がっている時期だ。丁度好きな人告白するチャンスだと、AとBが後押ししてくれた。家に招いてチョコレートを渡そうと、ABが家に来て一緒にチョコを作り、当日家にやってきた好きな子チョコを渡した。OKをもらって、すごくうれしかった記憶がある。

お返しが気になって仕方がなかった。お菓子の詰め合わせをもらった。その後付き合った子の妹と遊んだり、家にお呼ばれして遊んだことがある。ただ一回か二回ぐらいで、他はABと、付き合っていた子の友達と一緒に遊んだぐらいか

五年生。

AとBが私に無視しだした。ただ私は鈍感だった為、それがいじめであると気が付かなかった。BがAに対して愛称で呼んでいたので、私も呼んでいいかと聞いたら「XXは駄目」と言われた。そうか、私はだめなのか。でもまぁ名前で呼べるからいかな。とも思ったが、どことなく心は傷付いていた。だれもいない所で、なんで呼んだらいけないのだろうと思って泣いた。

そして無視があったり、一緒に遊んだりするときに、Aが「あれが欲しい」と言ったので、私はお年玉から少し高価なおもちゃを買った。Aがとても喜んで私といっぱい遊んでくれたので、「お金を使ってモノを買ってプレゼントすれば、みんなが私とお話ししてくれる」という方程式が出来上がった。

そしてあまりしかけてくれなくなった付き合っていた子も、プレゼントを渡せばいっぱい話しかけてくれた。無視していたAとB,好きな子その男友達に、500円を放り投げて取った人にプレゼントという、投げ銭までしていた。そういう遊びをしていたのだ。私が無視されず、かつ喋りかけてくれて、この友達の輪に入れる「手段」だった。

クリスマスパーティーもAB,付き合っていた子とその男友達がやってきて、一緒にパーティーをした。なんとABは前日泊りでケーキも作った。そしてみんなでケーキを食べた後、出かけて「私が財布を出して物を買って喜んだ」その帰り、実は下剤が私のケーキに忍ばされていて、帰りに腹具合が悪くなった。漏らす手前まで来るほどの痛みに、周りがにやにやとしていたのは覚えている。結局近所の家に駆けこんでトイレを貸してもらった。今でも感謝している。

そして、友達という夢が目覚める。

付き合っていた子の妹が私に話しかけてくれたのだ。休み時間の賑やかな中庭で、偶然出会った。今でも覚えている。

「本当は、XXさんの事お兄ちゃんきじゃない。XXさんを虐めようって話になって、チョコを渡すから受け取って付き合って喜ばせて、あとで振ろう。その後無視したりして虐めよう。それを前に体育館相談してた」

とても、意味が分からなかった。まず「私は虐められていたのか」という自覚から始まる。そして「幼馴染だった子が、五年生でも家にきて遊んで寝泊まりし合ったのに、虐めの輪に入っていたのか」という事。そしてじわじわと「あれは虐めだったんだ」と、悲しみが湧き上がってくるのだ。だが、ほんの僅か「冗談かもしれない」とも希望している。

付き合っていた子の妹に「ありがとう、分かった」と伝えたあと。私はすぐに付き合っていた子に「ごめん、好きな子が出来たから別れる」と言ったのだ。これは実は自暴自棄になったわけではない。虐めていた奴がずっと付き合っているフリをしているのがむかつくから先手で振った。あと本当に少しだけ気になっていた子が居た。

振ったことを聞いたのだろう。AとBが「好きな人は誰」なのかを必死に聞いてきた。なぜそんなに聞いてくるのかは今になっても良く分からないが、私は名前を告げて、本当に振った日の放課後、その気になっていた子にアタックした。

それを見たAとBは「ごめん。XX。実はXXの事虐めてた。(好きだった子の名前)と(その男友達)とグルになって虐めてた」と私に伝えた。

虐めた理由は「うざかったから」というものだった。

そして、学校先生や親を巻き込んで私に虐めていた親たちが謝ってきた。私はただ幼馴染と友人を手放したくなかった。それだけでお金というものを使ったのだ。お金は返ってきた。

私の親が幼馴染に「家の泊りあいっこまでして遊んでいたぐらいだから、これからも一緒に遊んであげて。」と言ってくれたが、結局それ以降遊ぶことも、学校でしゃべることもなかった。

中学になったら、私の妹の友人である男、女二人組に石を投げられた。罵声も浴びせられた。それを私の友人が見ている。恥ずかしさの方が勝った。

その三人組に渡しがなにかしたとかではない、面識がなかった。結局意味が分からなかったので、生徒指導先生に伝えたら大人しくなったが、未だに謎である

とにかくいじめと言うのはSNSが出来ていなくても酷かった。それだけ。今でもクリスマスバレンタインは苦い思い出だが、きちんと信頼できる友達も、彼氏もいる。だが、謝ったかおしまい、というのはやはりちがう。結局傷ついていて、今でも思い出す事にかわりはない。

虐めをしている人。マジでくだらないからやめとけ。

虐められている人。虐めている奴は結局お前の反応を見て楽しんでるだけだから、どんなに友達だろうと縁を切れ。私は縁を切った。友達そいつだけじゃない。

2019-03-04

二次創作あくま自分のためにやってるとは言っても、やっぱり反応がもらえると嬉しいよ。自分場合はだけど

ただツイを始めたらその反応を求める気持ち肥大化してしまった。手軽に反応してもらえるから作品書くよりもツイで呟くことが中心になった。ツイで呟いて反応がもらえたらスッキリしてしまい、二次創作投稿SNSに乗せる回数はめっきり減った。そしてついでにブロックフォロー解除されることをとても怖れるようになった。フォローが解除されるたびに落ち込んだ。フォローされる喜びよりも外されたショックの方がいつも気持ちを上回った

交流も嫌ではないけれど得意ではないから、毎回誰かとやり取りしたあとはなにか失礼なことを言ってしまってないか不安になっていた

これでは駄目だと思ってツイを辞めたらまた投稿できるようになったけど、今度はモチベーションを保つのが難しくなってきた

ツイに比べると反応も閲覧数も桁違いで低いから、最近では「これ書いたところで誰も見てなくない?」って思うようになった。誰も見ないならそもそも作る必要がないのでは?って思ったらまた凹んできた

自己満足なんだって自分で完結できる強い気持ちが欲しい

2019-02-24

ツイッターの居心地が悪いんで別のSNSに移動したい

知らない人に気軽に話しかけたい

2019-02-18

厳しすぎる職業倫理が「バイトテロ」を生む

バイトテロ雑感 - ←ズイショ→

http://zuisho.hatenadiary.jp/entry/2019/02/15/203839

しろバカッター」が少ないことに驚く - シロクマの屑籠

https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20190217/1550390275

 

この二人を読み比べると、自分は完全にズイショ氏の方に同感なのだけど、ブックマークだけだと書ききれないことも多いので、こっちで書いてみる。なお、id持ってるのになぜ自分ブログで書かないのかというと、ブログで書くと情と執着が移るから嫌、というだけの理由である

 

自分仕事海外出張が多く、実はこの文章日曜日の昼に外国で書いているのだが、海外接客業店員に接すると、日本と比べて驚くほど職業倫理が低いと感じる。コンビニ店員はガムを噛んでスマホを見ながら接客するのが普通であるし、ファストフードで注文をすっぽかされても"Sorry! We will do it now."の一言で終わりである。あるときなど、客の少ない時間帯の大手ドラッグストア雑貨店を兼ねている)では、店員同士が売り物のゴムボールバレーボールをして遊んでいた。微笑ましいものである

 

また、雇用者の側も、ある程度の「あそび」「緩さ」をアルバイト定員には許容している部分がある。アメリカマクドナルドCMでは、就業時間中に「俺、念願だった大学合格したんだ!!」と言ったアルバイト高校生を、クルー全員が拍手喝采してお祝い(英語で言う"Applause!"だ)するシーンがある。

  

これらは、日本であれば炎上したり、あるいは炎上を期待して「拡散」されたりしかねないことである

などと書かれてもおかしくない。

 

このような日本特殊さの元凶の一つは、「先生に言ってやろう」「世間に言いつけてやる」という日本人の多罰的傾向にあると思う。日本人は、クレーム相手に直接言えないチキン性格なので、自分が受けた不愉快や、自分が感じた不平等さ(例えば「自分職業倫理に縛られて生きているのに、なんでアルバイトあいつらは自由にしているんだ?!」という怒り)を、「先生」や「雇用者」や「世間」「マスコミ」に言いつけることで溜飲を下げる。そして、そのような「言いつけてやる」行為が、正義だと見なされている。

 

ところが、外国特に念頭に置いているのはアメリカであるが)では、そうはいかない。自分利害関係者でないのに他人の非倫理的行為告発して溜飲を下げるのは、どちらかと言えば「卑怯な」行為とみなされる。そんな「告発者」は"mind your own business!"と言われるだけである。また、自分が直接被害を受けていないことに対して、憤ったり「言いつけ」たりしてやろうという発想がそもそもないのである(逆に、直接の被害を受けたのであれば、その場で immediately に抗議すべきだ。「上」や「世間」に言いつけて叱ってもらうなんて悠長なことは言っていられない)

 

私は、実害のある「バイトテロ」と実害の無い「アルバイト店員のおふざけ」とは峻別すべきであると考えるし、今後の日本社会が今までのような窮屈な職業倫理アルバイト店員に求められるような社会はいられないと考えている。実害のある「バイトテロ」は許されるべきものではないが、それとは全く別個に自分に直接の利害が無いことにまで「世間に言いつけてやって」溜飲を下げようとするその他大勢の人々の行為意味がないと考えている。なぜなら、彼らのそのような行為は、「自分職業倫理に縛られて生きているのに、なんでアルバイトあいつらは自由にしているんだ?!」という僻みからまれる部分が大きく、自分強制されている職業倫理理不尽さについて、使用者教師に対して抗議して適正水準に是正するという正しい問題解決道筋から目をそらしてしまっているかである

 

たぶん、日本人口に占める外国人の割合が今よりずっと増えているであろう10年後には、日本流の接客過剰サービスや、サービス本質関係ない職業倫理や、感情労働の類は、今よりもだいぶ廃れているものと思われる。外国労働者は労働に対して合理的な考えを持っているので、お客に実害を与えるわけではないのに、儀式やしぐさを強制されるのは理解できない。おそらくそれらの、「お客様に気を使った」振る舞いは、ガラパゴス的な宗教儀式のようなものとして無意味ものとなっていくことだろう。そしてそうなった時代には、アルバイト店員の振る舞いにはアルバイト店員なりの「緩さ」「適当さ」が許容されるようになり、それがガス抜きとなることで、実害を生むような「バイトテロ」は減っていくのではないかと期待している。

 

追記

なお、諸外国でも「企業」や「有名人」が炎上することはままある。たとえば先日のユナイテッド航空オーバーブッキング乗客引きずり下ろし事件では、「ユナイテッド航空」が炎上し、多くのSNSユーザが「ユナイテッド航空」の非道さを告発した。だが、実際に乗客を引きずり下ろした客室乗務員警備員の氏名を特定したり、その客室乗務員警備員本人を告発したりするような流れは殆どなかったように思う。この展開は合理的であるユナイテッド航空告発したSNSユーザは、実際にユナイテッド航空顧客である場合が多く、自分たちも同じ目にあったかもしれない、ということが想像できるからである。一方、個々のSNSユーザにとって、客室乗務員警備員本人は、自身人生で直接関わる可能性が殆どない相手であるから、個々人を「特定」したり「告発」したり「言いつけ」たりしても、意味がないのである

(追記2)

自分が前に書いたエントリ

https://anond.hatelabo.jp/20190212141859

バイトテロ」と、「文明人」という幻想

2019-02-17

anond:20190216095736

右か左か関係なくて、

自分違和感のない事は感知できなく、自分の味方がすることは何か理由があるはずだと思い込み

自分違和感のある事は敏感に感じ取り、自分の敵がすることは理由なく無茶苦茶なことだと思い込む

左が現状の現実に対して困難だったり純粋だったり稚拙だったりするとは感じる

右は現状の現実に対して支配者的だったり不純だったり迂闊だったりするとは感じる

特に

左が大声で活動家してるのは、まさにそう感じる

でも、国民の大半は、政治なんて興味が無くて、安全に暮らせなくなるギリギリまで、左に賛同することはない

政治ってもともと面倒な上に、最近SNSニュースが大騒ぎするようになったので、ますます面倒で関わりたくない

正しくないとわかっても、政治で、今の生活が脅かされると感じないし、反対に、政治で、今の生活バラ色になるとも感じない

ただ、自分仕事をすればいいだけで、政治シニアの娯楽というのが、ほとんどの国民感情

2019-02-14

失言したり数字依存になったりしたかツイッターを辞めたけど、投稿SNSで黙々と上げるようになったら今度は孤独感がすごい

ツイッターはいいねの数とかフォロワー数とかすごく気になって呟く言葉も常に数字を気にしてたし、フォローを外されたりブロックされたときはめちゃくちゃ落ち込んでそのとき話題にしてた作品をまともに見れなくなったりと精神衛生上よろしくない部分はたくさんあったけど、一つのことについて共感しあったり語り合えたりしたのはたしかに楽しかったんだよ。悪いことだけじゃなかった。ただ自分にはこのツールが向いてなかったってだけだ

ただ一度、誰かと一緒に共通話題で盛り上がったっていう経験をしてしまたから、好きな作品を見て気分が高揚しても、一人で発散消化するしかないという状況に、物足りなさというか寂しさを感じてしまっている

ツイッターをする前はこんなことなかった。一人でもそれなりにハシャげてた。他の人たちが仲良さげにオフ会したりイベント行ったりしてるいの見て、羨ましく思うことはあったけど、それだけだった。自分の中で「いいなあ」で終わってた

今はダメ。羨ましさと嫉妬で落ち込むことが多くなった

どうやったら元の一人で楽しめるオタク生活に戻れるんだろう

2019-02-12

FACEBOOKからいきなりBANされた件

ライター田口和裕FBからBANされた記事話題になっている。

https://note.mu/tagkaz/n/n5211f2a355ac

Facebook スマートに使いこなす 基本&活用ワザ 210」の著者だそうだ。

Facebook毎日14億人が使う無料サービスで、不心得者に対するBANはAIによって自動化されている。

そのAI99.999%正確に機能したとしても1万人以上の人間が誤ってBANされる可能性がある。

BANの基準を明かしてしまうと、必ずその基準に掛からないギリギリのところを攻めてくる不心得者が現れるので、

BANされた人間に詳細を教えることはできない。

例えば児童ポルノ関連で

子供を犯したから撮った写真です→BAN

子供おかしたから撮った写真です→BAN

子供を丘下から撮った写真です→○

基準が分かってしまえば、皆、「丘下から撮った写真」をアップするようになってしまう。

もちろん、基準を明らかにしないのはただの時間稼ぎにしかならず、不心得者は

やがて「丘下から撮った写真」なら問題無いことに気づく。

そしてAIも「丘下から撮った写真」がポルノであることを学習自動BANを始める。

何も知らない一般人は、無邪気に遊ぶ子供を「丘下から撮った写真」でBANされる。

ごく一部の一般人犠牲にすることで、無料SNS全体の秩序が保たれるのなら、それは甘んじて受け入れるべきだろう。

そして、このような誤BANから身を守るには、何も書かない。何も投稿しない。のが一番である

2019-02-11

未成年SNS禁止したほうが良い

ポルノとき禁止されてSNS禁止されてないほうがおかし

例を出すまでもなく悪影響があるのは圧倒的にSNS

とっとと法改正して18禁しろ

anond:20190211125224

盗んだバイクで走り出す」「夜の校舎窓ガラス壊して回った」

今はそれをやってSNSに上げると、みんなに叩かれておしまい

から、やらないんだ。

anond:20190211153528

経営陣は分かってるんだよ。

若者バカは止められないって。

なぜなら、それは仕事に対する息抜きとして必要不可欠なものから

からこそ、バカを止めるよりも、それを発覚させないようにSNSへのアップを禁止するのがもっと有効施策なのだ

衛生上問題の無い範囲バカをやる分には問題ないだろう。

2019-02-10

コードギアス 復活のルルーシュ

※本文には「コードギアス 復活のルルーシュ」のネタバレを含む。

10年前のR2放送物語が終盤に差し掛かり最終回というもの意識した時、本当に比喩ではなく毎週の楽しみであり、

生き甲斐だったコードギアスが終わるという切なさを感じつつ、その分素晴らしいものをみれるのではないか

という期待感もあった。

早くこの物語の結末を知りたい、観たいという気持ちと、

この素晴らしい物語が終わってほしくないという気持ちが重なる、そんな期間だった。

  

最終回放送された西暦2008年9月28日

ルルーシュスザクと行った本当のゼロレクイエムナナリーフレイヤでやろうとしていたこ

この二つの類似性に打ち震え、あの悲しい最後のシーンはルルーシュスザクナナリー物語を終わらせるにふさわしい、

素晴らしいもので、それまで見てきたどんな作品最終回よりも美しいと思った。

  

それまでの話数は放送後何度も見返したが、

R2最終回は、その後しばらく見返すことができなかった。

私にとって不可逆で不可侵の素晴らしい思い出だった。

      

最終回放送から8年後、西暦2016年にそのコードギアスが、ルルーシュが復活するとの特報が出る。

    

思い返せば亡国のアキトシリーズの放映や、パチンコ化などのメディアミックス情報は、

アニメ放送後も途切れることはなく、コードギアスは死なないコンテンツになったのだと気付くべきだったのかもしれない。

    

情報は少しずつ鮮明になり、総集編としての劇場版3部作が放映されたのちに

完全新作エピソード劇場で公開すると発表がある。

    

総集編はテレビシリーズとの小さな、だが物語に大きく影響を

与える変更点を加えつつ次々と公開していく。

  

そしてルルーシュが死んでから10年がったった昨日、西暦2019年2月9日平成最後の冬に

コードギアス 復活のルルーシュ」が公開された。

  

タイトルからして復活である

ルルーシュは死んだのに。

美しく、そして気高く世界から憎しみを無くすために文字通り命をかけた主人公

もういないはずで、それでも世界は続いていたのに。

  

復活

  

実は復活と銘打ってはいるが、概念的なことだけで

肉体が蘇るわけではないよ。

ルルーシュがいない世界必死に、彼が求めた願いを実現するために

戦う残された者たちが一生懸命戦う。そんな物語だよ。

それでもよかったのではないかと考えた。

  

だがし復活したのだ、

嘘つきのルルーシュは大切な約束を守るために。

  

復活してルルーシュは、まぎれもなくルルーシュだった。

味方が、特にナナリーピンチの時には全身全霊をもって、

策を練り、有無を言わせぬ迫力で味方を鼓舞し、指示を出す。

  

私が10年前に美しいと感じたルルーシュがそこにはいた。

あれがルルーシュだということに異論を唱えるファンはいないだろう。

それほどまでに素晴らしくルルーシュだった。

  

そして、物語はこれもまたまぎれもなくコードギアスであった。

国の陰謀、計略する首謀者、そこかしこに仕掛けられた罠、

激しく火花を散らし戦闘するナイトメアフレーム

世界の理を変えてしまうほどの強大な力、ギアス

  

コードギアスという作品に込められているものすべてが

詰め込まれており、それでいて色褪せない、新鮮さも感じることのできる、素晴らしいストーリだった。

  

この作品コードギアスであることに間違いはないが、

賛否両論あるということも間違いないのである

  

  

論点は一つ、ルルーシュの復活である

  

  

コードギアスという作品ルルーシュの死をもって

完結した作品であるはずという思いが強い人が多いのではないか

実際私もそうであったからこそこの「復活」にずっと懐疑的

感情を抱いていた。

  

だけれども、観て、楽しんでしまうのだ。

どんなに抗おうとしていたとしても、

観終わった後に私がどんな感想を抱こうが、

劇場で金を払ってみたという事実があるのならば、

コンテンツとして、興行としては大成功だ。

それは全くもって否定できない。

10年前に完結した物語の続きなんてみたいに決まっている。

観ないわけにはいかない。

  

観終わった後、自分感想賛否両論のどちらかなのか

すぐに決めることはできなかった。

この「復活」はあまりにも消化に時間がかかると感じた。

少しでもこの胸のつかえがとれないか

「復活」に関する評価感想ネットであさっていたところ、

監督インタビュータイトルに「批判覚悟制作に踏み切った」とあった。

  

この文言に納得しかかった自分もいたが、

冷静になってみればそれはそうだろうという感想だ。

物語を美しく終わらせるのではなく、

死なないコンテンツとして継続し続け、興行として成功する。

素晴らしいことだが、コードギアスというコンテンツを死んだと

解釈する私の様な人間から批判が出るのは覚悟していただかなくてはならないだろう。

  

10年の歳月コンテンツ評価に対する指標も変えた。

もはや視聴率はその指標としての能力を失い、

配信ツールの普及はいわゆる円盤の売り上げを

抑制するものになった。

  

からネット感想が正しいというつもりはないが、

例えばツイッター等のより個人、とりわけ趣味嗜好を

把握しやすSNSにはおおむね好意的にこの「復活」を

とらえている人が多いように感じる。

  

また、劇場でも終幕後に涙を流し、

良かったと感想を漏らす人も多くいた。

  

これだけでもこの興行成功であったと言えるであろうし、

どんなに賛否両論意見が出たとしても、「賛」の意見が出続ける限り

今後も興行収入を伸ばし続けるであろう。

  

否定というものさらなる否定を己に

向けられる覚悟がないといけない。

ルルーシュ言葉を借りるのであれば

「撃っていいのは撃たれる覚悟がある奴だけ」だ。

より情報を発信した個人特定されやすいこの環境では、

批判否定という行為は行いにくいだろう。

  

しかし、「復活」でルルーシュはこのセリフ否定するかのような言動を行う。

  

C.C.と同じ、撃たれてもその命を失うことがない

L.L.にはその覚悟がない。

いや、人ならざる力を持ち、さらには死すらも乗り換えたもの

人とは違う理で生きている。その悲しさを物語っているのかもしれない。

  

思えば10年前は視聴率を上げるために放映時に見る、

円盤を購入するという行為に我々は「支援」という意識を持って行っていたと思う。

  

大量のコンテンツであふれかえる世界から

自分の「好き」を少しでも延命させるために。

  

それはコンテンツというものが、傲慢かもしれないが

我々の支援なしには生き続けることができないと、

その支援が乏しく、延命繁栄をすることができずに死んでいったコンテンツ

観ていたからこそ、そうした感情が行動させていたのではないか

  

私が「復活」を劇場で鑑賞した際に

最も涙腺を刺激されたのは、お調子者だが愛されキャラ

本作でも重要役割を担う「玉城真一郎」のクレジットを見た時だ。

  

ご存知の方もいると思うが、「玉城真一郎」をTVシリーズで演じていた、

田中一成」さんは、西暦2016年に亡くなった。

  

もちろん総集編の劇場版で「玉城真一郎」を演じた演者の方の演技は

素晴らしく、引けをとっているだとか、優劣があるといいたいのではない。

  

私は「田中一成」さんの訃報を聞いたときしかった。

その悲しさは、当然のことながら亡くなった人はもう「復活」しない

ことを理解していたかである

  

10年の歳月があれば、悲しい別れを経験する人も多いだろう。

実際私もそうだった。こんなことを書くと現実フィクション理解していないと

否定されそうではあるのだが、私が10年前に愛した「コードギアス」には

壮大で近未来的なSFとしての要素もありながら、リアリティがあったのだ。

ルルーシュが何度もシャーリーギアスをかけようとしても、

にゆ人間を救うことはできない。そんな現実を突きつけられるような、悲しい物語だったのだ。

  

からこそ私たち最終話ゼロの剣に貫かれたルルーシュを見たとき

そこにリアリティを、死んだ人間は蘇らないという現実フィクション

コードギアスの中に見出し、涙したのではなかったのだろうか。

  

もしこれらを強引に、好意的解釈するとすれば、

私は10年前の最終話ルルーシュの死によって完結した素晴らしい物語

味わうことができたこと。

そして感情胃もたれしそうなほど甘い、

デザートのような続編を味わえたと、いうところだろうか。

  

それならば、一度飲み込んでしまったものは、咀嚼して

何とか消化吸収に努めないといけないのだろうか。

  

私がどれほど批判否定インターネットの海に

吐き出したところで、何にもならないのだから

  

批判覚悟で」

  

私の批判という弾丸は、放ったところで制作側には届かない。

コードギアス」というコンテンツは「復活」したルルーシュ

同じく「死なない」コンテンツに「復活」した。

  

私の撃つ弾丸は、もうルルーシュを殺せない。

  

anond:20190210110737

そりゃ、大量廃棄の衝撃的な写真SNSに上がったからに決まってるじゃん。

2019-02-09

anond:20190209172607

録音されたな。

多分ネットに上がってる。

SNS拡散されまくるぞ

2019-02-07

anond:20190207163214

ESは、いわばSNSプロフ欄です。

あなたによほど興味があれば「このはてなとは・・?」と聞きます

その他学習内容・スキルのほうが興味がありますから

質問優先順位としては低くなります

2019-01-28

anond:20190128205921

SNSとか性別欄にその他設けるところ多いよね。

2019-01-25

anond:20190124171815

男子高生に口淫ねだり…函館68歳の宮司は最高位「大教正」

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/newsx/246219

 昨年4月12日、澤口容疑者ゲイ向けのSNSを通じて知り合った、当時17歳の男子高生に「3000円でどう?」と性的行為を持ち掛け、現金を渡す約束をした。

函館市内の高架橋下の橋ゲタの付近で、自らの男性器を高校生の口にくわえさせたか、それとも高校生のをくわえたのか。どちらかははっきりしないのですが、いずれにせよ、口淫行為があったことは確かです。その対価が3000円でした」(捜査事情通

 なんだ口なのか。なら68歳でも満足できるんだな。

2019-01-24

神社宮司児童買春容疑で逮捕

https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20190123/0007299.html

逮捕されたのは、函館市上湯川町にある高穂神社宮司、澤口廣容疑者(68)です。

警察の調べによりますと、澤口容疑者は去年4月、函館市当時17歳の男子高校生現金を渡す約束をしてわいせつ行為をしたとして児童買春の疑いが持たれています

澤口容疑者SNS交流サイトを通じて高校生と知り合ったということで、警察によりますと「わいせつ行為をしたが相手の年齢については覚えていない」と供述しているということです。

 68歳でもホモホモなんだな………

英国発の新トレンド話題になっている。

多くのブロガー若者、他の影響力のある面々が「ノー・バイ(買わないで)」運動に参加し、新しい服や化粧品の購入を止めている。英紙ガーディアン」が報じた。

1年間新しい物は買わず、既にある物を利用するというのが活動家たちの考えだ。

先月「ノー・バイ」のマラソン運動に加わった活動家キャサリン・オルメロド氏の考えは、「SNSお金がない人に支出強要する」。

オルメロド氏は「流行おくれの衣服」のような考えはもう存在せず、結局はオシャレに見せるため全てを購入する必要がないことにみんなに気付いてほしいと期待している。

統計によれば、平均的な英国人がファッションのためにはたく金額は年間1千ポンド(14万円)以上。活動家たちは、この分野はエコロジー的に最も危険な分野の1つだと強調する。

地方出身首都圏私大文系卒のサブカル中年」が放つ悪臭の極み

劣等感に由来する過剰適応の成れの果て。

アンテナ感度の高さ/速さで「頭の悪さ/センスの無さ」をカバーしようと躍起なカス

スケールの小さな国内版「出羽守」。

あなたの周りやSNSで見かけませんか? 「万年◯◯青年」的なキショい自意識

持ったまま年だけとった若者気取りの最新型老害を。

昔の老害と違い「若いつもり」なのが更に痛い。

オイ、お前。お前の事だよ。

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