はてなキーワード: 資源とは
前から非モテ論とか、最近でいえば弱者男性論とかよく読んでいた。
その中で、フェミニスト系の論者が良く言っていたのが、「モテないことが辛いなんていうのは『女を獲得して一人前』という価値観に囚われているからだ。それを捨てれば治る」とか、あるいは「結婚したらエラいという男社会の価値観から自由になりましょう」というものだった。
一見、もっともらしいのでそれを受け入れて生活することにした。
「結婚して子供をつくらなければならないなんて決まりはない。そうしたって別にエラいわけではない」 「誰かと付き合うことは必須ではない」と自分に言い聞かせながら毎日のイライラをやり過ごそうとした。
だがすぐ無理だと悟った。
理由を一言で言うと、「私個人がその価値観を捨てたところで、社会は結婚して子供をつくるのがエラいという価値観で動いていて、その前提のもとに福祉や支援体制をはじめとした社会構造が構築されているんだから無理、というか激しくムカつく」である
具体的に書く。
「男社会から自由になった価値観」に基づいて社会を見てみると、まず子育て支援というものにイラつくようになった。
子供をつくって子育てするのも、結婚も子供もつくらずに一人で生きるのも、生き方が違うだけで対等であって上下の差はないはずである。なのに、前者の方は国家と法体系によって手厚く保護され、孤独な人間にはなんもないのである。社会的リソースの元手は税金なのにだ。
それはつまり「結婚して子育てするのはエラいし、皆そうするものだ」という男社会伝来の価値観があるからじゃないか。社会をそういう価値観が貫いてる以上、それは「非モテが自由になった姿」と衝突する。
不思議なのは、そのような価値観を捨てさるように言ってたフェミ系の人達はどうも、子育てを手厚くすることには反対してないようだったことである。なんだそりゃ。
次に福祉というものがそんなにいいものではないと思うようになってきた
だって、「福祉社会」の中で、独身で一人で生きてる層と、子育て世帯と、どっちが優遇されるかなんて論じるまでもなく明らかじゃないか。
独身だと持病でもない限りはセーフティネットくらいしか福祉を利用しないんだから、だったら反福祉の新自由主義社会の方が得である。
前に反自民の政治系の知り合いと話したときに「なんで若者は貧しいのに福祉国家を志向しないで自民党みたいな弱者切り捨て政党を選ぶんだろう」と嘆いていたから、私が「だってあんたたち子育て支援とか障害者支援とかしかしないじゃないですか。独身で健康ならそんなんされても得しないですよ」と言ったらガッカリされた。
次に独身税のような、もっと強力な圧力に晒されるという点である。
なにも子育て支援とか福祉とかの社会資源の分配の話だけじゃなく、独身子無しには独身税・子無し税という直接的な政治的弾圧が課されるという恐れが常にある。
罰金を取られながら自由なんてことは絶対にありえないわけで、つまり独身税が課された時点で「モテという価値観から自由になって楽」なんてルートは永久に閉鎖される。「モテない奴はスタートラインから負け組確定」である。
そうすると、モテという価値観から自由になるために必要なのはそのような弾圧に抗する闘争力なのではないか。
これだけコンプライアンスだのうるさい世の中なのに独身へのヘイトスピーチなど問題にもされないのも不自然である
本当に「自由になる」ためには、その辺を糾弾して是正するような活動を行う権利団体が必須不可欠なのではないだろうか
そんなこんなで、「男社会の価値観から自由になった状態」から社会を見ると衝突することばかりで、これを解決するためには独身の権利を社会に主張し、団体をつくり、差別撤廃に向けて動くような、そういう方向性になっていくのでないかと思われる。それは個人的にモテないことを克服するよりもはるかに巨大な社会的コストがかかりそうな塩梅である。
そんな無茶な、と思われるかもしれないが、実社会はもうすでに闘争する方向に行きかけているのだろうと思う。この価値観の闘争は非モテ男よりは女の間で勃発しており、離乳食を提供したスープ屋が炎上したり、反出生主義だの男児ママ叩きだの、つまり「子供をつくるのはエラいんだし、社会の皆で助けようね」的な価値観を打ち砕こうとしているのだろう。
しかしその先に行きつくものが全員が幸福になるものとはとても思えない。
あのフェミ系の人たちが「モテという価値観を捨てる」ことを説いたときに、そんなことまで見通して言っていたようには見えなかった。
多分、女を獲得して一人前という価値観から自由になった非モテは、未練を解消した亡霊のように消え去って、それ以降は自分の前には永久に現れないとでも思っていたと思う。新しい価値観に基づいて社会構造を俯瞰したらどうなのかとか、そのまま権利を主張しだすとか、社会の変革を求めるんじゃないかとか、そうしたら福祉が成り立たないんじゃないかとか、そういう社会的な方向での発想は何もなかったんじゃないだろうか
私は旧来の「男社会の価値観」を維持したほうがずっと平和でいられると思う。
みんなのコメントを読んで返信を書いていく。
1 30歳は高齢じゃない
はいそうですね。この記事タイトルの元は「高齢童貞」だったんだけど、タイトルに「童貞」があったら性的な記事だと認定されていろんなとこから弾かれるかもしれないとか思って「高齢非モテ」にしたんだ。流石に30代童貞は「高齢童貞」でいいだろう
これすごく多かったのは意外だった。この記事は「こういう価値観をアンインストールして社会を眺めてみたが、社会制度はその価値観をインストールして動いていたんで、社会に生きる以上は個人的なアンインストールは不可能もしくは無意味でした」という、ある種の思考実験の結果発表のつもりで書いた。
だから、反響が、内容の論理そのものよりも書いている人間へのアドバイスや心配が多く来るというのは予想外だった。気にしてもらって悪いが、ただの思考実験を試行してみただけの人みたいなもんだと思ってもらっていいよ。
3 福祉がいらんとは何事だ。お前も老人になったら子供の世話になるんだぞ。生まれてくる子供が国家や社会を維持するんだから優遇されて当然
どうも記事を読んだ読者が一番頭にきたのがこの部分らしい。この種の話題は福祉や反福祉、子持ち子無しの論争の時の定番ネタだからここで内容には触らないが、
だったらなおさら、フェミ系の人達のいう「男社会の価値観から自由になる」というのは不可能じゃないかな。別の理由があるにせよ、男社会の価値観に沿った人間の行動が前提にある社会構造だというのならその価値観は捨てられないじゃん。むしろこの意見は私の結論を補強するものとして受け取った。
あと(こういう意見もあったが)本当に「子育てを大事にしてるのは未来の人口と労働力を再生産するため」でいいのか?それはファシストもびっくりの生産力主義、富国強兵主義じゃないか。「子供や子育ては尊いものである」という価値観ナシで福祉を成り立たせようとして平気なのか?それはとても殺伐とした、恐ろしい世界認識のように見える。
それなら多額の養育費・教育費が必要になる子供よりも、すぐ労働力になる移民の方が遥かに尊い存在ということにもなる。いいんだろうかそれで。今すぐ子育て支援廃止して同じ金で移民入れりゃいいのでは。
あとさ、蛇足ながら、これは独身子無しへのよく聞く脅しだから書くけど、30代の人間に「老後」のことを盾にしても効かないよ。30年も未来の話のことで感謝するには流石に先すぎて無理。まあ、30年後には感謝すると思うからそれで許してもらうしかないね。そもそも現行の年金制度がそのまま残ってるとは信じがたいけど。
「福祉に文句いうなら病気やケガになっても保険使うなよ」みたいなのもあったが、ほら、独身への福祉の恩恵としてセーフティネットしか挙げられないじゃん。セーフティネットはどんな新自由主義社会にだって用意されてるんだから、別にそこまで捨て去れとは言ってない。
うん。そこ誰も否定してないけど。なぜそんなことを自慢げに言うのか分からん。そっちの方が価値観闘争などはじめるよりは平和だよねって書いただけだよ。
5 別に社会から優遇されたり金や社会リソースをもらわなくてもいいのでは?そんなこと気にするなよ
それは女性が社会的地位が低くて給料も低くても、気にしなければいい、別の楽しみを見つけようで解決しろというのと同じですね。
流石に社会構造が自分の属性に不利にできてるのにそれを見ないフリしろというのは無茶だと思う。まあ、個別的には皆実際にそうしてるんだろうけど、これ社会構造と価値観がテーマの記事なんで。
6 その他雑感
子育てについて「エラい」と表現したせいで、そこで引っかかって語弊が生まれた気がする。「価値がある」とか「尊いとされている」とか書けばよかったかな。
非モテ論や弱者男性論が論じられる際に私が気になっていたのは、「非モテや弱者男性が生まれるのは社会的な要因があっても、それを解決するのは個人的な精神の問題であって、社会的に救うもんじゃない」と思っている人が多いことだった。フェミ系の人が言っていた「女を獲得するという価値観を捨てれば楽になる」もその一つだろう。個人の精神改革で対処しようという思想だ。別にフェミだけでなく、弱者男性本人も個人的にどうするかしか考えてないようだった。もっと独身の権利を主張したり、差別撤廃運動したりしてもいいと思うのだが、そんな方向には向かいそうにない。それに私は前からずっと違和感があって、いや社会的な方向でできることいっぱいあるでしょ、というか、大勢の非モテが価値観を変えたら社会も変わっちゃうよ、と思っていた。
それは女たちの間で流行っている反出生主義や、「子持ち様」論争とも関連するものだろうと思う。ただし彼女らは、「非モテ」で「弱者女性」だろうが、そこから生まれる不満は社会的方面で解決させようとしているわけである。あくまで個人問題にしている男の非モテとは違った。だが問題は通底してるんじゃないか。
この記事はそういった面での問題提起がしたいという動機もあって書いた。
反響を見ると、やっぱり誰も非モテや弱者男性を社会的なリソースの分配という問題としては捉えてなかったというのはよくわかった。
ただ私は今後はそういう流れで論じられるようになっていくと信じている。
2028年、アメリカ大統領選挙で波乱が起きた。共和党から立候補したのは、誰もがその名を知る企業家イーロン・マスクだった。マスクは革新的なテクノロジーと未来志向の公約で国民を魅了し、若者層から高齢者層まで幅広い支持を集めた。彼の公約は、未来のための新たなアメリカの創造、そして地球環境の回復といった野心的な目標に満ちていた。支持者たちは彼を未来への希望と見なし、選挙は彼の圧勝で終わった。
だが、勝利の影には不安が漂っていた。マスクの政策には、地球上でのリソース配分を最適化するための「人口再配置計画」が含まれていたのだ。選挙期間中はあまり注目されなかったこの計画が、今や多くの人々を震撼させるものとなっていた。
マスクが示したのは、急激な環境劣化とリソースの枯渇に対処するため、地球の人口を抑制しつつ、火星を人類の新たな故郷とするという計画だった。火星移住は自由選択で行われるものとされていたが、2029年になると状況は急変した。
マスク政権は、火星移住の対象として特定のグループを優先すると発表した。それは主に、マスク政権に反対する民主党支持者たちだった。彼らは「環境負荷を減らすための貢献」として新天地での暮らしを求められ、選択の余地は限られていた。
「火星での生活は、我々の未来のために必要な犠牲です」とマスクは演説で語り、火星の開発状況や豊かな資源の可能性について熱く語った。しかし、彼の言葉の裏には冷たい合理性が隠れていた。彼に反対する者たちを「新しいフロンティア」へと送り出し、地球での問題を減らす。それは単なる移住ではなく、意見の分断と統制のための計画だった。
あとはどう書き出すかだよなぁ🤔
いつも通り、思いつくまま適当に書いとくか、出来る範囲で読みやすくしとくか、うーーーん
とりあえず、忘れないうちにメモ書きしとく
ワイは以前、『差別』というものは、生死に関わる問題や経済的な困窮、戦争といった深刻な問題に直結するケースのみに限定されると考えていた
なので、無礼な態度や高圧的な態度は、単にその人の問題であり、べつにどうでもいいと考えていた
そもそも、一般的に高所得と言われる立場にある人間にとって、気持ちを鈍感に保ち、何か言われても気にせずスルーするのは、持っていて当たり前のスキルだ
もちろん、ハラスメントや名誉毀損・侮辱罪として取り上げられるレベルの罵倒や侮辱は除くが、それに至らない範囲の言動にいちいち反応しているのを見ると、
『稼ぐ気がないんだな』『働く必要がない裕福なご家庭の人なんだな』『生まれつき過敏なんだな。生きづらそう』と感じずにはいられなかった
だが、他者を『バカだな』とか『ボンクラだな』と感じるとき、よくよく考えるまでもなく、"自分の方が上だ" という考え、頭にあるよね?
人の価値はお金で測れるものではないにもかかわらず、経済力という一点で優位に立っているという理由だけでーーー・・・とか、いろいろグダグダとやるまでもなく、
『自分の方が価値が上だ』ってやった時点で、<ハイ、差別そのもの>で話は終わりだと、ふと気付いた
『差別』とは、特定の属性(例えば経済力やさまざまな社会的地位)に基づいて、自分を他者より上位に置き、他者を不当に扱う態度のことだからね
自分と同等以上の能力がない人や、自分と異なる興味や能力を持つ人に対して、『やる気が足りないのでは?』と傲慢な態度を取っていたかもしれない
※ 年収に影響する要素で1番大きいのは『運』、ついで『社会制度』、それらに比べたら『能力』の影響は小さいことも、他人の能力を見誤る要因になっている
※ それ以前の問題として、『自分と他人は違うを理解する機能』がそもそも未搭載なので、何度学習しても、つい他人の能力を見誤ってしまう
例えば、女性を『おばさん』と綴り、男性を『男』と呼称しインタビューに応える某皇族は、自分のことを『ガチ貴族』と思ってるし、実際に貴族なんだけど、
(あれがなんでウケてるのかマジでわからん。中世か? 本当、膝を折って各地を訪問した平成天皇だけが皇族の例外でしたわ)、
政財界の人間は、皇族と違って、いちおう一般人の"ハズ"なのに、日本以外の国でかましたら、
失脚、株価暴落、活動家に永久粘着される or 永久に身の危険を覚えることになるような暴言を マスコミにすっぱ抜かれたとかではなく、
公の場で自ら積極的に発信してるのマジでなんなんだろ?って思ったわけです(ナチス発言ほかキリがない)
『オメー、平等絶対の日本のどこでそんな教育を受けてそうなったの?』、『オメー、ガチ貴族ではなくね?』みたいな
だけど、べつにガチ貴族や上級国民でなくても、無限に無礼な人/上からな人いますよね?
せいぜいあっても年収2000万程度で、なんならワイ以下の年収でも無限にいます
つまり、これは生まれや社会的な立場の問題じゃ無さそうだな・・・ってなったわけです
単純にその人の態度(attitude)、人間性の問題なのでは?ってね
なお、アリストテレスは『ニコマコス徳倫理学』で、徳(美徳)は習慣(ēthos)化によって形成されるとって言ってるし、
人間の行動が繰り返されることで習慣となり、それが最終的に性格や人格を形成するって言っているので、
※下記は、マザーテレサでもウィリアム・ジェームズでも無いらしいです
自己責任論って突き詰めたら、森羅万象あらゆる事象は自己責任を主張している本人のせいに全部転嫁できるはずなんだけど、いまだかつてこの主張が自己責任論者に聞き入れられたことがないので、自己責任論者は自己中心論者だと思っている
これは 1000000000%、それはそう
森羅万象ではなく、もっと単純な日常的な視点で言っても、それはそう
例えば、通貨が弱く教育や医療システムが整っていない国からやってきた人々や、スラム街から成り上がった人々にとって、先進国での一般的な悩みは『甘え』のように映るだろう
同じ先進国に住んでいても、呼吸や歩行、食事など、日常生活の基本的なことすら困難な人々からすれば、健康に恵まれた人々の日常的な悩みなんぞ『甘え』に感じられるだろう
でも、先進国で自己責任を説いたり、ぼくあたちは頑張った!努力した!をやる人は、上記の人々と同じ立場に身を置いたことがないどころか、
居所不明児童 の悲劇、 川口高齢夫婦殺害事件(2013年) の当事者に近い環境に身を置く人は今日もいるだろうし、
殴る蹴る性加害など緊急性の高い虐待ではなくても、電気ガス水道が止まるのが日常な環境で暮らす児童は今日もいるだろうし(貧困ではなくて親が生活能力がない)、
ネグレクト・機能不全家庭でなくても、教育DVや暴言が日常とか過干渉とか条件付き愛情とか、基盤を壊すものは無数にあってひとつひとつ挙げたらキリがない
そして、自己責任を説いたり、ぼくあたちは頑張った!努力した!をやる人は、上記の人々と同じ環境に身を置いたことがないどころか、
人類は自然に完全に打ち勝ったわけでも、自然から独立した存在でもない
だが、他の動物と異なり、『優れた貯金力(資源を蓄積する能力)』と『高度な想像力』を持っている。そのため、先進国では、福祉制度や社会保障が充実しており、動物のように弱者を切り捨てたりしない。
また、見て見ぬふりをしてしまうこともあっても、自ら手を下して積極的に弱者を切り捨てたいという輩は異常者とされるし、自分自身が社会から切り捨てられたいとも思うのも異常者だ
したがって、裕福な立場や恵まれた環境にあるすべての人は、たとえエリートでなくても社会的責任(ノブレス・オブリージュ)を意識する必要がある
持てる者が傲慢な態度であることは、エクイティ(公平性)や共通善の観点から見ても、批判されるべきだ
批判的ではありつつも、バーカ、バーカ、と言うのは控えたいと思います
資本主義や民主主義の限界に対する修正や改善を目指す学問や思想は多岐にわたり、特に近年では貧富の格差や社会の分断などの課題に対応するための議論がさまざまな分野で展開されています。以下は、その代表的な取り組みです。
1. ポスト資本主義(Post-Capitalism)
ポスト資本主義は、資本主義に替わる新しい社会経済の枠組みを模索する思想です。経済学者や社会思想家の中には、技術の進展や労働の自動化が進む中で、資本主義に基づく経済システムの持続可能性に疑問を持つ声が増えています。ポール・メイソンやトーマス・ピケティなどは、資本の集中が引き起こす格差の拡大に着目し、持続可能な経済の実現のために富の再分配や共有経済を含む新しい制度の導入を提唱しています。
2. 社会的市場経済(Social Market Economy)
ヨーロッパ、特にドイツを中心に発展した「社会的市場経済」は、自由市場経済と社会的福祉政策を融合させたモデルです。市場競争の効率性を維持しながら、労働者や弱者を保護し、公正な所得分配を目指します。社会的市場経済は、資本主義の自由経済と民主主義的価値観を調和させる試みとされ、欧州の福祉国家の基盤となっています。
分配正義(Distributive Justice)は、財や資源の公平な分配を考える哲学的・倫理的分野で、アマルティア・センやジョン・ロールズが代表的な思想家です。特にロールズは「公正としての正義(Justice as Fairness)」を提唱し、社会制度が公平に機能するための条件を提示しています。この流れから、貧富の差を是正する手段として「ベーシックインカム」が注目されており、すべての国民に一定の所得を無条件に支給することで最低限の生活を保障し、貧困や格差の縮小を図ろうとしています。
4. 修正主義的資本主義とESG(Environmental, Social, and Governance)投資
修正主義的資本主義は、持続可能性と社会的責任を資本主義に組み込むことでその問題を解決しようとするものです。ESG投資は、この理念に基づき、企業の収益性だけでなく環境、社会、ガバナンスに配慮した投資活動を推進することを目指しています。企業活動が長期的な社会的利益に貢献するための枠組みを重視し、企業が利益のみを追求するのではなく、持続可能な成長を図ることが期待されています。
5. デル・メトリオクラシー(Deliberative Democracy)と共同体主義
民主主義において、社会の分断やポピュリズムの台頭に対抗するため、「熟議民主主義」や「共同体主義」といった思想が見直されています。熟議民主主義は、市民が公共の場で意見を交わし合うことで、合意形成を目指すアプローチであり、単なる多数決ではなく深い議論に基づく意思決定を重視します。また、共同体主義は、個人の自由とともに地域や共同体の価値を重視する思想で、アミタイ・エツィオーニなどが提唱しており、社会的な絆や共通善を再評価する動きが見られます。
ブロックチェーン技術や分散型台帳技術(DLT)は、新たな経済システムやガバナンスモデルとして注目されています。これらの技術を活用することで、中央集権的な管理を排し、分散的かつ透明性の高い社会システムが可能になると考えられています。ブロックチェーンを基盤にした分散型自治組織(DAO)や、暗号資産を用いた経済圏が試みられており、伝統的な資本主義や民主主義の枠組みを再考する材料となっています。
これらの思想や学問的検討は、資本主義・民主主義の限界に対して、社会の持続可能性や公平性を向上させるための試みとして重要な役割を果たしています。
おいおい、聞けよ。経済成長がずっと続くなんて、そんな甘い話あるわけねーだろ。
1. 収束仮説: 経済学者どもが言ってる「収束」ってやつだ。後発国がバリバリ成長して、先進国に追いつくってわけよ。長い目で見りゃ、みんな同じレベルになるってことだ。
2. 条件付き収束: 最近じゃ、そう単純じゃねーってことになってる。国の制度とか政策で、収束する水準が変わるんだとよ。
1. 資源の制約: 地球の資源は無限じゃねーんだよ。いくら成長したくたって、物理的に無理なもんは無理だ。
2. 環境問題: 経済成長で環境ぶっ壊して、気候変動起こしてりゃ、そりゃ持続可能なわけねーだろ。
3. 生産性の伸び悩み: 先進国じゃ技術革新も頭打ちで、高度成長なんて夢のまた夢だ。
1. 質的成長: 量じゃなくて質を重視しろってか。環境とか社会的価値を大事にしろってわけだ。
2. 循環型経済: 資源の再利用とか再生可能エネルギーとか、そういうのを使って経済を回せってことだな。
3. 幸福度指標: GDPだけじゃダメだ。生活の質とか幸福度を重視しろってんだ。
経済成長が永遠に続くなんて、確かに「集団妄想」みてーなもんだ。
経済のあり方を根本から見直して、地球環境と仲良くやっていける新しい発展モデルを探すのが、今の社会の大事な課題なんだよ。
わかったか?
https://www.statista.com/statistics/273579/countries-with-the-largest-oil-refinery-capacity/
すべてが原料を中国に送って精製しとるんやで
なんやで
いや結婚すればいいだけなんですよ。
性的にだらしない人って世の中けっこういますけどね、若いころヒッピーみたいな生活をした人間の末路もセットで知るべきですよ。
いいですか、自分の妻を抱く度に、昔の女を思い出して、アッチの方がいい具合だったなあと思い、昔の女の顔を想像しながら妻の膣で果てる、そんなことをするんですよ。
大体60回くらいセックスしたところで、どういうわけか急にその方法ではセックスが無理になってしまうんですよ。
セックスレスが重大な問題であるということは、知っといた方がよいです。
女側も頭の中は同じようなことになってると思いますけど、なかなか口を開く人に会ったことがなくて知りません。
誰か語れる者おる?
いいですか、結婚すればいいだけの話なんですよ。
その簡単な解決策が出てこないならば、今のお付き合いはアソビなんですよ。
学生の分際でアソビの付き合いをするということは、恥ずかしいことなんですよ。
堂々とやるもんじゃないですよ。
そして、アソビで付き合うというのは、彼氏には大変無礼な態度ですよ。
時間も感情も有限の資源です。一生で愛せる総量には上限があるんです。
わかつていますか。
あなたの挙げた主張には、いくつか事実に基づく部分もありますが、一部の点で正確性に欠けるところがあります。以下に、それぞれの主張について詳しく解説します。
古典的自由主義では、市場の自由や個人の権利が尊重されるため、富や資源が特定の個人や企業に集中する傾向があり、結果的に経済的格差が拡大することが多いです。自由主義的な経済システムは、競争を促しイノベーションを生む一方で、収入や資産の差が生じやすい側面もあります。この点は多くの経済学者や歴史的なデータからも支持されています。
2. 「経済的格差の問題に対して自由主義のアンチテーゼとして、平等こそ真の自由では?平等の為に自由を制限すべきでは?の社会主義、共産主義がうまれる」
自由主義へのアンチテーゼとして、平等を重視する社会主義や共産主義が提唱されてきたのは事実です。マルクスやエンゲルスが理論化した共産主義は、資本主義の下での格差を批判し、平等な社会を目指すものです。ただし、「平等こそ真の自由」という表現は社会主義の理論では明確に定義されていませんが、平等な機会の確保や富の再分配によって、より多くの人が実質的に自由を享受できるとされています。
3. 「冷戦時代、社会主義国であるソ連、共産主義な中国と対立によってアメリカで赤狩りが行われる」
冷戦時代にアメリカとソ連(社会主義国家)、中国(共産主義国家)は確かに対立しており、アメリカ国内で「赤狩り」(レッド・スケア)が行われました。これは、共産主義の影響を恐れた米国政府や一部の市民が、国内の共産主義者や社会主義者に対する監視や弾圧を行ったもので、特に1950年代に強まった運動です。この点については、歴史的な事実として正しいです。
4. 「アメリカ国内の社会主義者や共産主義者が『私のはコミュニズムではなくリベラリズムだ』と主張して赤狩りを逃れる」
これは正確ではありません。冷戦時代、リベラリズム(自由主義)はアメリカ国内で広く支持されていたため、多くの社会主義者や共産主義者がこれを名乗って保身を図ったというよりも、単に社会主義や共産主義への疑念が強かったため、共産主義と距離を置く人が増えた、もしくは意見を控えるようになったと見るのが妥当です。また、アメリカにおける「リベラリズム」は当時、資本主義の枠内で福祉や公正な競争を求める立場であり、共産主義や社会主義とは異なる理念を持っていました。
5. 「平等を錦の旗に他人の自由を制限するのを是とするリベラルがうまれる」
現在のアメリカにおける「リベラル」という言葉が、平等を重視して自由に一定の制限をかける政策を支持する立場を指すこともありますが、これは「自由主義(リベラリズム)」そのものと完全に一致するわけではありません。現代リベラリズムは、経済的平等と個人の権利や自由のバランスを目指す思想です。必ずしも他者の自由を積極的に制限するという意味ではなく、むしろ公正な社会を作るための規制を支持するというのがより正確な表現です。
2013/12/16
https://president.jp/articles/-/11570
日本ではいわゆるアベノミクスにより急激な円安・株高が続いていました。
多くの人がこの政策をもてはやしていますが、はっきりいって災厄以外の何ものでもありません。
傍目にはとても感じがよさそうに見えるこの政策によって、安倍首相率いる自民党のお仲間とごく一部の人々、たとえばトヨタ自動車などに関わる日本人の懐だけは一時的に潤うでしょう。
名古屋の人にとってはいいかもしれません。でも1億2000万もいる日本人の多くの生活水準は下がっていく。
何兆円ものお金を人工的に市場に送り込めば、人々は一時的に心地よく感じるものです。
円が安くなれば生活必需品の値段が上がる。
なぜ2%のインフレを目指すのですか?
インフレでもデフレでもなく、自国通貨を安定させ、健全な状態で現実的な成長を目指すべきなのです。
私は常に、投資で成功したければ哲学や歴史を学ぶべきだといってきました。
いつの時代も根本的な部分で世界には何も新しいことなど起こっていません。
過去に成功しえなかった政策というものは、時をおいてもうまくいった試しがないのです。
大昔から、経済的に行き詰まると政治家たちはお金を刷るという手段に走ってきました。
けれど歴史を紐解くと、この手の政策が長期的に、いや中期的にさえよい結果をもたらしたことはありません。
自国通貨の価値を下げるということは、結局、不健全なインフレを引き起こし、自国民を苦しめることになるのです。
おそらく近い将来、日本は大変なことになるでしょう。
人口が減っていること、債務が天井知らずに増えていること、そして、安倍晋三首相がまだいることです。
日本株に投資している私も、メリットを得られています。今後も日本株への投資は続けると思います。
でも、それが日本経済や日本国民にとってよいことかというと、それは別の話です。
天皇制は現代奴隷制であり廃止すべきである。天皇制支持者はクズである。
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前提が真であり、推論に論理的誤謬がなければその結論も真である。
「本世界推計で定義されている現代奴隷制は、強制労働と強制結婚という 2 つの主な要素で構成されている。どちらも、脅迫、暴力、欺瞞 、権力の乱用やその他の形態の強制によっ て、本人が拒否することも離脱することもできない形で搾取されている状況を指す。」
を採用する。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
①
前提1 「脅迫、暴力、欺瞞 、権力の乱用やその他の形態の強制によっ て、本人が拒否することも離脱することもできない形で搾取されている状況」を現代奴隷制と定義する
前提2 天皇制は、「脅迫、暴力、欺瞞 、権力の乱用やその他の形態の強制によって、本人が拒否することも離脱することもできない形で搾取されている状況」である。
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①前提1に対しては反論がないだろうが①前提2には反論があるだろう。それも論証する。
②
前提1 天皇制は憲法と皇室典範により定められた国家の制度である。
根拠:https://hourei.net/law/321CONSTITUTION
前提2 国家の制度は暴力装置に基づく暴力と脅迫により維持される。
根拠:https://kotobank.jp/word/%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E8%A3%85%E7%BD%AE-628731
当然皇室典範も法律であるため、違反し訴訟され敗訴した場合、強制執行という国家の暴力により規律される。
前例がないだけで当然そうなる。
第三条(裁判所の権限)裁判所は、日本国憲法に特別の定のある場合を除いて一切の法律上の争訟を裁判し、その他法律において特に定める権限を有する。
https://laws.e-gov.go.jp/law/322AC0000000059
前提3 天皇及び皇室は、憲法と皇室典範により職業選択の自由が制限されている。
根拠:https://www.homemate-research-public.com/useful/19123_publi_024/#%3A~%3Atext%3D%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%AE%B6%E3%81%AF%E8%81%B7%E6%A5%AD%E3%81%AB%2C%E5%9B%A3%E4%BD%93%E3%81%AB%E9%99%90%E5%AE%9A%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
前提4 職業選択の自由を制限することは「本人が拒否することも離脱することもできない」状況である。
根拠:職業選択の自由とは「自分の従事したい職業を任意に選択する自由」であるため、それが存在しないということは「本人が拒否することも離脱することもできない」状況であることは自明である。
https://kotobank.jp/word/%E8%81%B7%E6%A5%AD%E9%81%B8%E6%8A%9E%E3%81%AE%E8%87%AA%E7%94%B1-80115
根拠:https://hourei.net/law/321CONSTITUTION
根拠:https://www.kunaicho.go.jp/activity/activity/02/activity02.html
前提7 搾取とは、他者の労働力や資源を自己の利益のために過度に利用する行為を指す言葉である。
根拠:https://www.weblio.jp/content/%E6%90%BE%E5%8F%96
前提8 職業選択の自由がない状態は前提7の「過度に利用する行為」といえる。
根拠:搾取には、労働者の過重労働や賃金未払い、不適切な労働条件など、多くの形態が存在する。
当然職業選択の自由がないことは「不適切な労働条件」に該当する。
結論 前提1〜前提8より、天皇制は、「脅迫、暴力による強制によって、本人が拒否することも離脱することもできない形で国民の自己利益のために搾取されている状況」である。
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私が天皇制支持者に「あなたは生まれ変わったら天皇になりたいか」ときくと「なりたくない」と答えた。
それにも関わらず天皇制を支持している。
これは
「俺の愛国心やナショナリズムを満たすために天皇制を支持するがそのコストは全部天皇が引き受けろ!!!俺は非天皇だから損しないし」
無知のヴェールに基づいた社会設計をすれば、上記のような発想にはならないはずである。
天皇を尊敬することや崇拝することは奴隷制を継続する理由にはならないのである。
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天皇制は自由競争や選挙といった誰もが参加可能なシステムによって決まるわけではない。
これは明らかに公平ではないし公正ではない。
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本当に許し難い。
■anond:20241104165710言及先エントリを開く
要約すると「天皇制はクソ」ということですね。書いてあることはあってるんだけど、重大なことが書いてないよ。
「天皇制はクソ」であっても、他の制度がもっとクソだったら相対的に天皇制は優れているということになるだろ。
意図的に省いているのか、それとも気付いていないのか。
意図的に省いているなら増田はとんでもない詐欺師だし、気づいていないのであれば増田はバカ。
おまえ友達いないだろ。
←このようなコメントが来たので返信する。
保守派は「天皇制は存在しない」「皇統、皇室と呼ぶべき」といっているように制度そのものを重要視してない。
郵政民営化では効率化やコストカットが叫ばれたが当然予算カットにもなる。
良いことである。
ばら撒き=円安はさすがに周知されてきただろうけど
減税も円安要素だよ
ずっと為替見てきて円について考えてきたけど、1番の円安要素は日本国民なんだなと思ったよ
自分の怠け者っぷりや頭の悪さには目を向けず批判ばかりして、「公平感」を出してくれる人にすがってる こんな国民がいる国の通貨なんかいらないよね普通
手取りを増やす!とか保障を増やすとかそういう話してる段階じゃないんだよ
資源もなく経済が落ち込んで高齢化してる国が「減税します」とか言い始めたらどうなるか
本当に円からだけは逃げとけよ
日本の漁業資源管理は、多くの専門家から「甘い」と批判されることがあり、その背景にはいくつかの要因があります。日本の資源管理と他国の取り組みを比較し、問題点や原因を分析します。
• 漁獲量の管理:日本は長年、特定の魚種に対する過剰な漁獲量で指摘を受けています。特にマグロやサンマ、イワシなどの資源が減少しており、これが資源管理の不備の証拠とされています。科学的データに基づく漁獲制限が導入されることはあるものの、これが十分に徹底されず、違反に対する取り締まりも甘いとされています 。
• 漁業者の規制遵守の難しさ:日本国内の漁業には多数の小規模業者が存在し、彼らを全て対象にした厳格な管理を行うのは難しい状況です。そのため、管理の適用が十分でない魚種や地域が生じています。
• アメリカやEU:アメリカやEUでは、魚種別の漁獲可能量(TAC)の設定が科学的根拠に基づいて厳格に行われ、違反に対しても高い罰金や規制が設けられています。例えば、アメリカの漁業管理では、特定の種が絶滅の危機にある場合、漁業自体を数年間禁止することもあります 。
• ノルウェー:ノルウェーは資源管理の先進国であり、漁獲量の把握から違反者への罰金まで徹底的な管理を行っています。ノルウェーの漁業者は、漁獲量や捕獲方法の違反が発覚すると、ライセンスの取り消しなど厳しい処罰を受ける可能性があります。また、ノルウェーは持続可能な漁業を掲げ、国際的な基準や科学的調査に基づいた管理体制を構築しています 。
• ニュージーランド:ニュージーランドも資源管理の徹底が進んでおり、厳格なTACや違法漁業の監視体制が整備されています。また、漁業資源の状況を毎年評価し、漁業者と科学者が協力して資源の持続的利用を目指す政策がとられています。
• 漁業者の多様性と規模:日本では漁業者の規模が非常に多岐にわたります。小規模漁業者が多いため、統一的な規制が難しく、地域ごとに管理手法が異なりやすい状況です。また、地元の漁業者組合などが強い影響力を持ち、政治的にも漁業者の生活を守ることが優先されやすい傾向にあります 。
• 産業の保護:日本では水産業が地域経済や伝統文化に密接に関わっているため、厳しい規制を導入すると地域経済が悪化する恐れがあります。これが政治的な配慮を生み、科学的なデータに基づく管理を難しくしている要因の一つです。
• 違反への対応の弱さ:日本の漁業には、違反行為があっても罰則が緩い場合が多く、抑止力が十分ではありません。これに対して他国では、罰金やライセンス取り消しといった強い措置を講じることで、漁業者に強い抑制効果を与えています 。
4. 今後の改善に向けて
日本は、資源管理の強化に向けて科学的データに基づいたTACの厳格な設定や、違反行為への罰則強化を進める必要があります。また、漁業者への教育や支援を通じて、持続可能な漁業の重要性を広め、地域経済への配慮と両立させた資源管理が求められます。
まとめ
日本の漁業資源管理が甘いという指摘には、漁業者の多様性や地域経済の影響、違反行為への対応の甘さが絡んでいると考えられます。他国の資源管理手法を参考にしつつ、日本も持続可能な漁業に向けた改善を続けることが重要です。
2013/12/16
日本ではいわゆるアベノミクスにより急激な円安・株高が続いていました。
多くの人がこの政策をもてはやしていますが、はっきりいって災厄以外の何ものでもありません。
傍目にはとても感じがよさそうに見えるこの政策によって、安倍首相率いる自民党のお仲間とごく一部の人々、たとえばトヨタ自動車などに関わる日本人の懐だけは一時的に潤うでしょう。
名古屋の人にとってはいいかもしれません。でも1億2000万もいる日本人の多くの生活水準は下がっていく。
何兆円ものお金を人工的に市場に送り込めば、人々は一時的に心地よく感じるものです。
円が安くなれば生活必需品の値段が上がる。
なぜ2%のインフレを目指すのですか?
以下、グダグダ解説するが読む必要は無い、結論は出てる。議論の余地は無い。
人生の損得を論理的に選択しろ、すると選択の余地は無い、日本から逃げるしか無い。
違う、そうなることがわかっているのに逃げなかったオマエだ。
選挙行くだけで自分は責任を果たし、当選者は国民を幸福にする義務を付託されたと勘違いしてるオマエが悪い。
この国が衰退を続けるのは政治の問題ではない、民主国家なんだから国民に原因がある。
そして根深い。
戦わずして逃げろ、個人の利益が最大になる環境に身を移すことだ。
せいぜい日本国籍の恩恵を受けながら、効率よく利益と幸福を掴め。
きっちり標準治療、日本で莫大な納税と社会保障費を払ってるマヌケと同じ内容の治療。
金銀銅石炭、当時のレアメタルとエネルギーが無尽蔵にとれた、そして人口ボーナス。
第二次世界大戦の敗戦で明治期の資本蓄積はさほど毀損していない。
工業生産力、特に復興困難な重工業はアメリカは復興を見越して攻撃対象にしなかった。
製鉄所高炉は戦後すぐに再稼働していた。
ところが社会制度や法制度は復興を最優先としたため矛盾だらけ筋論を無視したパッチワーク。
つまり、カンフル剤、一時的な救命措置の効果はあるがそれを続けると副作用が出る、いずれ根本治療をしなきゃならない、のだが、日本国民はそれを避けて今まで来た。
ならば病状は進むだけ。
日本衰退の原因をいくら論じても意味がない、どうでもいい、不可避なのは明確だから。
国家国策に従わず戦っても勝てない、抗えない、ならば選択肢は「逃げる」しか無い。
決断と行動は早ければ早いほど利得を得られる。
いつまでも若いと思うな、肉体と精神の柔軟性を保持できると思うな、あめぇよ
あと、日本人の海外移民のハードルは日本衰退と反比例して上がっていく。
日本衰退が本格化しイザとなれば逃げればいい?あめぇよ
今が最後のチャンスだよ
最後に、
じゃぁてめぇはどうなんだ?行動したのか?海外在住なのか?
残念ながら日本で十分に食える所得、地位、能力がある。だから日本で暮らしている。
だが俺もあと30年もすりゃ寿命だ、それまではかろうじて日本にアドバンテージが残っているだろう。
日本の公教育は優秀だよ、バカにするやつが多いが、なぁになぁに、世界最高です。
美味しいところは頂きましょう。
無論、子供の人生は子供が選択するもの、示唆誘導はするが強制はしない。
いずれにせよ子どもたちはいつでも海外に出られる身分とパスポートを持っている、自由度は高い
ここまでしてやりゃ十分だろう
この国はもダメだ