はてなキーワード: の憂鬱とは
2年ぐらい前から、仕事に対する気力がなくなった。元から仕事に対する気力があるのかは疑問だが、それでも人並みに取り繕う程度は仕事してたと思う。
しかしもう最近はこんな仕事に意味あるのか、自分に出来る仕事なんてそもそもあるのか、よくわからなくなってきて苦痛になってきた。
43あたりで冒険して死ぬとか、40代前半になんかやろうとして失敗とかみたいな記事をはてブで見たけど、気が付けばもう40歳丁度。これもそういう病気なんだろうか。
90年代の音楽は自虐や諦めのオンパレードで、大体何でも鬱屈してたよ(個人の見解です)!
逆に鬱屈さを積極的な商売道具にする人たちまでいた始末だけど、
よく言えば鬱屈した音楽がどんどん世間に出ることができた時代でした。
※URLを沢山張ると登録できないみたいなので、リンクは絞りました。
クロニック・ラヴをご存知なら知っている可能性が高いですが、一応挙げます!
歌詞とOutroが最高!
事変前の林檎嬢は、どうしても隠しきれない本当の自分の照れ隠しとして
…と思わせる何かを確かに持っていたと思う!
まぁそれも含めて、自作自演に翻弄されていると思うのだけれども。
https://www.youtube.com/watch?v=n58rRVU38I4
曲の好みはかなり合うのではないかと思うので、
興味があれば色々聞いてほしいです。
さっきまであった鬱屈がすぐ後ろに見える…気がする。
そして、言うほど同系統じゃない気がしてきた…。
https://www.youtube.com/watch?v=A-kSzKb8FTQ&t=26s
https://www.youtube.com/watch?v=3oW88_GfJ5w
ブクマで大正義「強く儚い者たち」が挙がっているので、鬱屈+爽やかで別の曲を一つ。
最近こういうメンタリティが「メンヘラ」の一言で片づけられることが多くて、おじさんは悲しい。
音は90年代初期なのでこの中では若干異色。
これも、どちらかと言うと鬱屈を垣間見せつつ鬱屈から抜けた後の曲。
この方自身は、当時は結構鬱屈していたので色々聞いてみると面白いです。
https://www.youtube.com/watch?v=iLl25wdDUVc
当時の中国でメタルやってたこと自体がとんでもない鬱屈だと思う。
この時代の洋楽はNirvanaに始まり鬱屈した音楽の宝庫でした。
2000年代に入り完全にただの色物になっていったMarilyn Mansonはじめ、
nine inch nails、smashing pumpkinsなど、挙げると切りがないです。
ただ、残念なことにさわやかな曲は少ないです。
そして、鬱屈した気持ちをアメリカ社会に対してぶつけていた方々は、
まぁ、このころから洋楽聞かなくなったので、私が事情を知らないだけかもしれません。
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と、色々書いているうちにブクマで同じような曲も挙がっていました、すいません。
3つのpをここで根拠に使うのはよくないとしても、それ自体報道の恣意的な切り取り方をされている可能性は高い。新聞は自衛のためならなんでもする。
また、
https://twitter.com/the_tanukist/status/1514903226117951490
怪力たぬき on Twitter: "たわわな女子高生だった者ですけど、あの漫画通りの視線や行動を向けてくる輩が多くてめちゃくちゃ嫌だった。逆効果だよ、月曜日の憂鬱の原因はまさにアレだよ。"
という意見があるとおりだ。
日経新聞社は、女性の学生には経済学などは全く関係ないから憂鬱にしてやる、読むな、とでもいうのだろうか。
日経新聞4月4日号に、ヤングジャンプ連載中の漫画「月曜日のたわわ」の全面広告が掲載された。その1日後の4月5日に、その広告が「女性を性的消費している」「新聞広告にはふさわしくない」と燃えている。
この問題で気になるのは、掲載の翌日の4月5日に炎上したこと、掲載された広告のイラストは制服姿の少女のものだが、漫画の最大の売りである彼女の大きな胸がほとんど隠れていることである。
もし4月4日の掲載日にこの問題が炎上したとすると、新聞を読んでいた人が電車内や会社で大きな胸も露わなイラストを見て「これはよろしくない」と騒いでいることになるが、炎上までに1日の誤差がある上、イラストは振り向きショット、腕で胸がほとんど隠れておりパッと見ただけでは彼女の胸が大きいことはわからない。となると別の理由で炎上している可能性が高い。
4月4日の昼に、webメディアの「コミックナタリー」が広告掲載意図について編集部のコメントを載せている。
「4月4日は今年の新入社員が最初に迎える月曜日です。不安を吹き飛ばし、元気になってもらうために全面広告を出しました。」
なるほど、掲載意図としては、4月1日入社の新入社員を元気づけたい、と言うものだったと言う。そう言う意味では、可愛らしい少女のさわやかなイラストや「今週も、素敵な一週間になりますように」は、一定程度意味があるように思える(若干アイキャッチ的に女性を使ってるともいえるが、まあ漫画のヒロインなので、そこは置いておく)。ただ、なぜこの漫画が、「月曜日の憂鬱」を吹き飛ばし、元気になるに値するのか。ナタリー編集部がご丁寧にも説明している。
「「月曜日のたわわ」は、月曜日が憂鬱な社会人に向け、豊満な体型をした女子を中心に描かれるショート作品。」
月曜日が憂鬱なのは社会人に限らず、学生、主婦、みんなそうである。休み明けは力が入らない。なんとなく憂鬱だ。そんな人を元気付けるために用意されるのは、さわやかな青空でも綺麗な花でもおいしい朝食でもなく、「豊満な体型をした女子」であるという。
一般論的に、豊満な体型の女性を見て「元気が出る」のは異性愛者の男性かと思われる。ただ、月曜日が憂鬱な社会人には、異性愛者の女性もいれば、セクシャルマイノリティ男女もいる。そうなると、この理論は極めて限定的な人へのエールであるともいえる。そんな思い切り異性愛者の男性だけに向けた広告を、「新社会人へのエールとして」日経新聞に掲載されると、日経新聞読者のうちの何割(異性愛者の女性、同性愛者の男性など)かはムッとするのではないか。おまけに、女性に至っては、自分が「月曜が憂鬱な男性を元気付けるための属性」というレッテルを貼られてしまうため、よりイラッとする可能性がある。男性には月曜日を元気に迎えてもらうために手当が用意されてるのに、同じ思いをしている女性(特に豊満な体型の女性)は、自分の感じる月曜日の不安や憂鬱は無視される上、己が属する性が逆に男性を元気づけるために「利用」されるを目の当たりにしなくてはならない。これでは女性が怒るのも当たり前である。
今回の広告は例えば「宇崎ちゃんは遊びたい!」の献血ポスターに比べると、胸元がほぼ見えず、絵だけを持って性的な表象としていると訴えるのは無理筋だと思う(まあアイキャッチ的ではあるが、漫画の新刊の宣伝なのでヒロインが描かれるのは当然である。)。また、この広告は漫画の新刊の宣伝でもあるので、広告を掲載していけない理由はない。ただ、この漫画の成り立ちや訴えたいもの、広告掲載意図がインタビューで語られた途端、この広告、この漫画は極めて限定的な人に向けた情報であり、女性を含めたいくつかの属性の人は無視され、また女性に関してはある種「自分の属性がレッテル貼り」されるのを目撃している状況になってしまった。
個人的には漫画は好きなので、月曜日のたわわが悪いとは思わない。新刊の宣伝もしていいと思う。ただ、講談社は本当に新入社員へのエールとこの漫画の宣伝を掛け合わせる必要があったのか、コミックナタリーは、「「月曜日のたわわ」は、月曜日が憂鬱な社会人に向け、豊満な体型をした女子を中心に描かれるショート作品。」という文を書く必要があったのか。誰かのことを無視して、広告掲載を擁護する人は「日経新聞なんて男しか読まないんだからマーケティング的には合っていた」などと言うのが正しいのか。もう一度考えた方がいいと思う。
わたしは大学を卒業してから総合病院の医事課で働いた。職場の人はみんな優しいし仕事を覚えるのは苦労したが今思うととても充実していた気がする。だが、激務が続いたり少し特殊な病院だった事もあり、ストレスで双極性障害Ⅱ型と偏頭痛であると診断された。それでもなんとか働いていたが後に休職、そして退職をした。上司がわたしの事をとても努力して頑張っていたと言われたことがとても嬉しかった。
退職をしてすぐに家から近いクリニックで働き始めた。ほぼワンオペ状態の医療事務だった為大変だったが患者さんとの距離が近いクリニックだった事もあり、すぐに患者さんがわたしの顔を覚えてくれて世間話をしたりケーキの差し入れを貰ったりした事もあり患者さんのために仕事を頑張っていた。そして間もなく異常な偏頭痛に襲われ仕事を1日休んだ。この事がきっかけで職場に精神科に通院中という事がバレて正社員からパートになり、なんだかんだで退職して欲しいという内容の事を言われ腹が立ってすぐに辞めた。
その後、通院先の精神病院でWAIS-IIIを受ける事になった。そしてIQ63の軽度知的障害と診断された。わたしは少し嬉しかった。今まで仕事を覚えるのに苦労したり学校の先生や塾の先生に人一倍頑張ってやっと一人前になれると言われた事がありわたしは必死で頑張ってきたつもりだったが上手くいかない事の方が多くもしかして自分の障害のせいだったんだと思うことで今まで辛かったことが嫌な思い出にならなくなった。
そして、わたしは初めて障害者雇用で働く事になった。事務補助の仕事だった。働き初めてすぐに壁にぶつかった。すぐに就労支援センターという障害者の就労支援をしている施設に電話し相談をした。するとすぐに支援センターの担当と上司と3者面談になり、苦手な仕事はしなくても良いという事になった。わたしは最初はこれで仕事に行く時の憂鬱さから逃れられると思ったがそうはいかなかった。自分がわがままを言って上司や職場に迷惑をかけてしまった無能社員だという悩みに変わってしまたったのだ。そして、会社に迷惑をかけたくない死のうという思考に陥り退職した。
そして、どこかで働かなければならないという思いでいっぱいになりA型作業所で働いた。半年くらい経った頃突然作業所の責任者であるクソ女からうちの社会福祉法人でB型作業所を設立する事になったからそこに移って欲しいと言われた。わたしは驚いてしまい頷くことしか出来なかった。数日経って冷静になったわたしは会社都合退職という形で退職届を書いて提出した。しかし、クソA型作業所は自己都合でないと受け付けないと言い雇用保険の手続きもしてくれなかった。すぐに縁を切りたかったから仕方なく自己都合退職をした。労基やハロワに相談したが労基はあまり取り合ってくれずハロワでは今そのA型に行きたいと言う人には注意喚起をしてくれている、らしい。後で分かったことだがその設立すると言っていたB型作業所は役所によるとB型作業所が出来るという事実は無かったし未だに設立されていない。
なんだかんだで行く場所が無くなったわたしはB型作業所の体験に行った。工賃が700円近いという理由だけで。体験をしてる間は楽しかった、パートのおばさんが優しいし楽しい。喫茶店の厨房で仕込みをしたり一緒に働いている障害者もコミュニケーションに難があったが困った時はいつも助けてくれた。入所について案内をされた時、雨の日とかちょっとしんどいな〜って思ったら電話してくれれば休んでいいからねと言われた。わたしはその時はへぇ、そうなんですね…と言ったがそんな甘い考えで良いのか…と少し過ぎった。B型は雇用契約を結ばないしそんなもんかと考え自分を納得させた。それから正式入所になり何日か通所したが、時々一緒に作業をしている障害者にお前はやる気あんのかと言ってしまいそうになる事があった。厳しい環境で働いてきたからか仕事に責任を持ってやっていない人を見るとイライラしてしまう。障害者だからって怠けて良い訳では無い、もちろん鬱とか体調が悪いなら休息は必要だが。わたしはだんだん今の状況に腹が立ってきた。双極性障害がほぼ寛解状態になり、薬を一切飲んでない状態で次の障害年金が切られる可能性が大きい事もあり焦っているのかこんなところでぬくぬくしてていいのか不安になった。なにより自分より無能な障害者を見ていると自分の無能な社員時代を見ているようで嫌になった。だからわたしは今日作業所にしばらく休むと連絡を入れた。この先どうするか考えていない、働きたいが仕事が見つかるか不安だ。
障害者はしねばいい。無能人間、社会の荷物。本当に生きてる価値ないよ、努力しないで国から金もらって生活して幸せなの?障害者しね!
そしてわたしもしにたい。
現役で慶応に入って、体育会に所属していた彼(おまけに男前)は
「なんかよくわかんないけど、エッチな小説だよ。」とのことだった。
翌週、その本を買い、その後30年程の間に、何度か買い直して
今はKindleの中に入っている。合計10回くらいは読んだと思う。
“誰かを幸福にすることなどできない、他人にしてやれることなんか何もない、
他人をわかってあげるのも無理だ、他人に自分をわかって貰うのも無理だ、
他人を支配するのも不可能だし、支配されることもできない、他人に対して
できることはキラキラと輝いている自分を見せてやることだけなのだ”
“キラキラと輝いていなければ、その人は死人だ。キラキラと輝くか、輝かないか、
その二つしかない。そして、もし何か他人に対してできることがあるとすれば、
キラキラしている自分を見せてやることだけだ。キラキラする自分を示し続ける自信
ある程度本を読んできたと思うけど、自分の行動原則みたいなものに最も影響を
50歳で既婚者の私には彼女(40代前半、既婚者、デートしだして1年3ヶ月)
がいるけど、私が彼女にしてあげられることなんて何もない。彼女はお金には
困ってはいないし、気持ちいいセックスだって私以外に提供できる人はたくさんいる。
私が彼女に何をしてあげられるかっていうことじゃなく、私が楽しく生きている私で
あり続けて、そして、そんな私と一緒にいることが、彼女に楽しさみたいなものを
感じさせるってことなんだろう。
28歳くらいまで、商売がまあまあうまくいっていて、3~5人くらいの女性と定期的
にデートし続ける生活を続けていた。(当時独身)、まあ女性からしてみればクズ死ね
っていう人間だったと思うけど、それはまあガンになって死にかけたので罰も少しは
あたっているし、今後も小さな十字架は背負って生きていくので許して欲しい。
それで商売がうまくいかなくなったときは、自信をなくしてしまって、おまけに病気
(別の病気、ガンは5年後)にもなったりして、けっこうしんどかった
そうしたら、仲良くしていた女性達もみんな私から離れていった。
商売がうまくいっているといっても、金持ちとかそんなレベルではなく、おいしいご飯
を女性達と食べたりすることができるくらいのレベルだったので(車も持ってなかった)
金の切れ目がってことではなかったんだろうなと思う。(回数を減らせば同じデートはできた)
楽しそうにしていない、不安を抱えている私と一緒にいることは女性にとって
楽しくないことで、それがゆえに私から離れていったんだろうなとだいぶ後で思った。
2020年の10月に今の彼女と初めてデートして、そこから1年ちょっとは商売の調子もいい。
基本、私は陽気な人ではあるんだけど、仕事が調子よくて、さらに陽気な人になって
いただろうと思う。そして、それもあって、彼女とこの1年3ヶ月程関係性が継続できて
いたのかもしれないなあって思う。セックスでどれだけ彼女を気持ちよくさせたとか
楽しそうに生きている私がいて、そして私は彼女のことが大好きであるっていう事実
がそこにあればいい。彼女に好かれたいとは思って、グチグチ悩んだりもするし、
そのために、彼女が読んでる本をかたっぱしに買ってみたり、ジムいったり、ランニング
したり、たまにはプレゼント買ってみたりもする、もちろんそれはマイナスではないだろう
けど、リスクだけある関係においては、あんまり大きなことではないんだろう。
幸い、大きめの仕事が決まりそうなので、今年1年くらいはキラキラしていられそう。
今年1年、彼女と仲良くやれたらいいなあ。
きっと子どもの頃に、家族が親族に裏切られる様を見たことが根本原因なので、根深い。
家族親族友人知人、心の本当の奥底で信頼に値する人などいるわけがない。
そんな心で人と世の中を見ているので、友人は少なく、無宗教、無党派。
簡単に人を信じてえらい目に遭う人を見たり、宗教にはまりこんで金をむしり取られたり、支持政党に裏切られたりする様を見つけては「ほら見たことか」と自分の性質を肯定する。なんというピュア、なんという無策。人は信じるに値しない。他人を信じては、ならぬ。
ただ本当のところは、自分のマインドを肯定するための事例を探しているに過ぎないこと、他人を信じてうまくいくケースがあることを知っている。自分にそのケースが当てはまらなかったと言うことも。