はてなキーワード: 義務とは
それをまともと評するか、おせっかいじゃないと評するかは、そこに住んでいる人じゃあないので
元増田の話に関しては親が教えてくれていないと困る話だし、実際教えている
常々言ってるけど、表自、実在ロリで商売する権利、世界に向かって股を開く権利、
こう言う人が勘違いしてそうなのが特に健康保険だけど、健康保険って、使う月だけスポット加入とかは不可能なんで大人しく払っとく方がいいぞ。
また、公的年金も利回りが無茶苦茶よい金融商品なので、iDeCoとかNISAとかの前にこちらを使った方が得。まぁこっちは健康保険ほど致命的じゃないけども。
若いうちは健康だからと未加入、そろそろ医療費が嵩み出すからと加入しようとすると、未加入期間分全額の支払いを求められる。これ結構知らない人多いよな。指摘するとびっくりされる。普通の人は知らなくて好い知識だし。
支払わされるときは、通常遅滞金も含めて払わされる。分割払いなども認められるけど、破産しても支払い義務は消えない。また行政が自動的に督促する仕組みがあるからそのたびにリセットされ時効にもならない。
不注意や貧困などのやむを得ない場合では3年前まで徴収というルールにしているところがあるが、未払いの場合無限に遡られる可能性がある。
例えば事故を起こして全身を強打、救急車で運ばれ緊急手術、となった場合、そのままだと手術だけで数百万円の支払い請求が来て、その後リハビリが必要になると標準でも1ヶ月あたり100万以上の請求になる。保険に加入していれば3割負担、さらに高額療養費制度という一種のキャップ制で自己負担10万程度で済むが、加入していないと人生詰む。
そうなると加入せざるを得ないが、過去に遡って支払いを求められる。金は無いと居直ったところで、月数千円でもいいから上乗せして払えと分割組まれるのが普通。
一方で、今まで全額払った医療費の請求権は2年で消滅するため、そのギャップから払い損になる・
ざっくり計算してみるとわかるが、一般的な人の場合、一生かけて支払う健康保険料と、実際にサービスを受けた健康保険料はほぼトントンになる。まぁ当たり前で、そうじゃなきゃ制度が成立しないんだけど。
老人を若い人が支えている、と言うのは、日本の健康保険や年金制度は積立型ではないと言うことを比喩的に表したものに過ぎない。
計算してみるとわかるが、年金はもちろん、健康保険も一生分計算すると、自分が払い込んだ金額と使った金額がほぼトントンになるようになってる。
また、これから日本経済が継続的にマイルドインフレしていくようになるとすると、払い込んだ額より自分が受けるサービス額の方が高くなることは確実だ。
公的値金は、年金収入と運用益に従って支払額が決まる仕組みになっているため、破綻する事は無い。
これ基本中の基本だと思うんだけど、公的年金は払っても破綻するから無駄、と未だに言う人がいて、特に若い人でこれを真に受けて払ってない人がいてびっくりした。
これ、「現在受け取っている人より下の世代は不利だ」という意味ならその通りなんだが、そう言う話を「年金は払うだけ無駄」って受け取ってる人がいるよう。
だけどこれも間違いで、年金は
健康保険では、手続き無しで未払い期間であっても、後から今までの分の保険料を支払えば保険金が出るにはでる。しかし、年金の方のはもっと厳格。成人の場合、障害の原因となる治療が加入期間に入ってないと対象にならない。後から払いますでも無駄。
なので、払わないなら払わないで猶予手続きをやっておかないと詰む。
いざとなりゃ生活保護うけりゃいいと言う人がいて、よく「国民年金は満額払っても生活保護費より低い」ことを根拠に払わなくて良いと言う人がいるんだが、生活保護費って、貯金・金融資産はもちろん、各種の資産を処分するとか自助をやりきった後じゃ無いともらえない。蓄財が一切できない。原則的に、自動車や土地建物はもちろん、趣味の品物も換金できるなら全部売り払わないと受給できないケースが多い。
用途も限定される。10年前はエアコンすら贅沢品にカウントされていて、購入費が出ないと言う話もあった。
更に額も違う。よく「国民年金を満額支払っても生活保護費より低い」と言われるかが、生活保護費の方は住宅補助などを入れた金額なので、純粋に現金で支給される金額は低い。
更に住宅補助も公営住宅を想定した金額で各地設定されているため、国民年金だけの人は必ず住民税非課税家庭になることから、家賃はほぼタダ同然になり、公営住宅に入居する方が使える金は多くなることもある。
なので
と言う状況を自ら望むならそれでもいいけど、と言う世界になる。
1.不純さへの疑念
「あの有名クリエイター」が亡くなった、と聞けば確かに大きな喪失感はある。
だが、自分のような一般オタクはあくまで、コンテンツを通して当該人物を知っていただけのいち消費者に過ぎない。
それはつまり、本人の存在の消失というより、その人が生み出すコンテンツがもう増えることがない、という事実に対しての嘆きに過ぎないのではないか。結局は己の損得でしかないのでは。
そのように疑ってしまうと、「ご冥福を心からお祈りいたします」とは軽々しく言うことができない。
2.消費への抵抗
SNSとは一種のUGCであり、そこに参加するということは、互いに言葉をコンテンツとして消費し、消費される関係に同意することだと思っている。
ふだんはあらゆる出来事をネタにして軽薄に笑い合っていても、人の死と「お悔みの言葉」まで消費の輪に組み込むことにはどうしても抵抗がある。
それならば、心の中だけで冥福を祈って、表面的にはいつも通りのくだらない大喜利ツイートを続けていた方が、まだしも純粋な追悼の気持ちを守れるのではないか。
死は、人間にとって最も重大な出来事の一つだ。故人の存在が大きければ大きいほど、それは残された人々を激しく動揺させる。
そんな状態で口を開けば、余計な本心や、逆に思ってもいないようなことをつい言葉にしてしまい、あとで後悔することにもなりかねない。単純に炎上の可能性もある。
安全性の点からいえば、何も言わずに済むに越したことはないだろう。
同業者や関係者など、半ば義務としてひとこと言わざるを得ない立場の人々には正直同情する。
とはいうものの、そんな小理屈は当然わかっているがそれでも何かを言わずにはいられないんだ、という意見もあるだろう。
そこまでの強い衝動が生まれないのなら、それはその程度の悲しみに過ぎないのだ、と言われれば返す言葉もない。
なんにせよ、あくまで自分はこう考えた結果として訃報をスルーしているという話であり、他人の行動を制限するつもりは毛頭ない。
皆、それぞれの形で故人を悼めばいいと思う。
はしか(以下、麻疹)は大人がかかると危険性が高い感染病だ。現在は子供の頃にワクチン接種が義務になっているが、どうも23歳以下からは2回接種になったようで24歳以上は1回なのでもう一度打つべきらしい。
しかし経験談や周囲の話を聞いても親世代が麻疹をここまで怖がっていたような話はなかった。
自分の親は60代だが50代、70代の方にも聞くと危険性をそこまで危惧していなかったし、40代でも同じくだ。30代でも親の「なにが怖いの」を見てるから危険性について正しく認識していない率は高い気がする。
予防接種に関しては51歳以上は一度も義務では接種を受けていないのに、だ。
なお結論を言うと51歳以上は子供の頃に麻疹になった経験がある率が高いから免疫があり、大人になってから感染しても危険性は低い。
麻疹への対処法や予防接種が始まり、ある程度の効果を見せて麻疹が「日本では」流行の気配が収まる。
そして一度も麻疹にかかったことが無い世代が親世代になった。しかし実はその24〜50歳の世代も完璧に麻疹を防ぐなら二度接種すべきだと知らなかった。
2000年ごろ麻疹の流行や2007年に成人麻疹の流行で大学の学級閉鎖などが話題になっているし、2000年4月に2回接種義務化が始まっているのを見ると、この1回予防接種層の麻疹免疫はもうほぼ消えているし、人々の認識と油断により一定周期で襲ってくるものなのだろうが、そこに外国人が増え、海外で流行が広がった今、また日本で流行が始まってしまった…ということなのだろうし、今後鎖国でもしない限りは収まると言ったことが無いのかもしれない。
麻疹はコロナよりも感染力が非常に高く、命に関わる率も後遺症率も高い。マスクも意味なくワクチンしか対応策がないと言う現状。さすが「現存するウイルスの中でも最も感染力が強いウイルス」と呼ばれるだけあるだろう…
若者も女もこんな書き込み信じてしまう馬鹿を見ると頭悪いのかなって引いてるわ
こんな反論がとんでくる
これは一部を抜粋したまでだが、「全て」の書き込みがツッコミどころしかない基本的な誤りを含むもの「しかない」んだわ
驚くだろ?こいつら映画館経営者でも立法者でもないんだよ。映画館経営者や立法者から見たら知らない有象無象の狂ったおじさんがなぜか映画館経営や立法者かのように語ってんだよ
対応できないってwお前誰だよ
何の知識もないくせに間違った事を偉そうに語っているが根拠はネットの書き込みか漫画アニメのフィクションのセリフが出てくる
義務化って立法府の専門家たちが妥当性や市場への影響、というのはごく一部でありとあらゆる全てを網羅的に細かくさんざん議論して高度な専門技術を駆使して作られる
専門技術ってことは、判断や遂行に長期の経験や訓練や特殊な知識を要するものってこと
経験訓練知識の蓄積がない人にはできない事だから専門なんだよ、、、
家も似たようなもの使ってた。けど、塩じゃ不十分って事で洗剤を使ってたな。
家の奴が、その食洗器が故障したのでメーカーに修理を依頼したら、もう生産終了で部品が無いので修理できない、
それで俺は、家電品は生産終了後7年間保守用部品をキープする義務があったはず、それはおかしいなと言ったら、
習い事での移動も必要なら車出してあげて、家事もちゃんとやってるし
勉強見てくれって言われたら見るし誕生日もクリスマスもプレゼントは俺持ち。
外食も旅行も他の家庭に引けを取らないくらいには連れて行ってる。
妻がテレビでいじめを扱ってる番組見てる時にもし自分の子供がいじめられてたらどうしようとか聞いてくるけど、知らん、勝手に解決しろ、できなきゃ自殺でもすりゃいいだろ面倒くせぇなくらいしにか思えない。
実際にそういうことになったら「親らしさ」に照らし合わせた行動をとる自信はあるけど内心はそう。
子供が怪我した時もちゃんと手当とか優しい言葉をかけるけど、本当は興味ない。俺は痛くないしとか思ってる。
高校の時の友達に会った時にそういう話をすると「中二病みたいなこと言ってんじゃないよ」って言われるけど、別になんていうかニヒルぶってるつもりはなくて純粋に子供本体には興味ないんだよな。
親子という役割をこなすこと自体は別に不平も不満もないんだけど、この個体としての子にあんま興味がない。
今日もアフリカでは子供が飢え死にしてますの写真の子供に対する興味くらいしか持てないんだけど。
ちなみに妻は好き。愛してる。
ばっかじゃねーの。現場への負担無しに社会は変わんねーよ。現状に不満を持つ人を増やさなきゃなんねーんだから。
黒人が黒人席や黒人トイレを大人しく使ってたら白人が席やトイレを開放することなんかなかっただろうよ。
声をあげる人がいるから社会が変わる論はまあ否定しないけど、その対象は社会みたいな大きな単位にするべきで、限られたリソースで懸命に働いている現場の人間に義務以上の負担をかけるやり方は、俺は否定的に見る。
乙武氏のレストランの件や奄美大島でのバニラエアの対応、社民党関係者とJR、そして今回のイオンシネマ、どれも事前の通告なく合理的配慮をこえる要求を事業者にしていて正直トラブル上等の当たり屋的な活動家だよね。
まあ障害者であっても健常者と同じ体験が保証されるべきっていう信念があるんだろうけど、現状は合理的配慮の義務ってところが事業者との綱引きの結果だよね。それを強引に越えようとすると体制が整わない中で通常業務の隙間で対応させられる従業員が出てきて、その負荷を無視して過剰なサービスを得ようとしている点が炎上している理由だと思う。
そもそもこういった活動が現代においてどの程度有効かという点についても非常に疑問。現状合理的とされる範囲をこえて、例えば突発的な要求に対応可能な介護資格を持つ余剰人員を置きますとなると当然そのコストを誰が負担するのかという問題が当然出てくる。その時、価格に転嫁するにしても公費で負担するにしても国民の理解が前提にあるわけで、現状の活動は車椅子ユーザや一部活動家が盛り上がってるだけで理解からは寧ろ遠ざかっているようにネットを見ていると思う。
ただ諸悪の根源はこういった活動だけが注目されて騒がれることにあって、事業者と障害者団体が話し合って実現可能なサービスを検討しました、みたいな地味だけど建設的な活動が伸びていくような社会にならないといけないんだろうね。
国なんて福祉やセーフィティネットを現象させるための要素としか思ってないから、国のために命をなげうつなんて本末転倒なんだよなあと。
ウクライナがロシアに併合されたら旧ウクライナ人は全員処刑されるのか?違うでしょ?被差別民にはなりそうだけど属する国が変わるだけだよね。
有事に際して今の国籍にこだわる必要なんてない。生きれればそれでいいので、生きるために戦わず逃げる人を徴兵するのは…国を存続したいという気持ちなんだろうが、それってほとんど為政者のエゴだよね
思ったこと羅列
この件について、自分はイオンシネマ側の対応に問題はあったと思っていて、それは何かと言えば、車椅子を担いで上の席まで移動させなかったことではなくて、障害者当事者と話し合いをしなかったこと。
この件について色々意見はあって、「合理的」配慮なんどから、「合理的」でないことは断って問題ないってのは、間違ってないと思う。
だから、結果として車椅子を担いで上がるという対応をしなかった(出来なかった)ことについては、決して違法性はない。
事業者による合理的配慮が、この4月から「努力的義務」から「義務」になる。ちょうどいいタイミングなので、ぜひ皆に勉強しといてもらいたいんだけど、
https://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/sabekai_leaflet-r05.html
結局、コミュニケーションの問題なのかなと個人的には捉えていて、
例えば、2階にある店に行きたいからエレベーターつけろって言ったって、めちゃくちゃ金かかるしそもそも間借りしてる分際でそんなこと出来ない。
求められてるのは、そこで、「出来ないです」って無碍に断ることではなくて、対話すること。
エレベーターはつけられないですけど、1階のスペースにテーブルは置けるのでここで食べませんかとか、持ち帰って食べられるようにお包みしましょうか、とか。例えばね。
実際、現場でどんなやり取りがあったか分からないので、何も断定は出来ないけど、もし何のコミュニケーションもなしに、頭ごなしに断ったのであれば、それは「合理的配慮」の規定に違反していると思うわけ。
以前に、熱海の来宮駅での事件があって、あれなんかは個人的には、JR側は十分に「対話」したんじゃないかと思っていて、障害者当事者が「合理的配慮」以上の配慮を求め過ぎじゃないかと思って見てたんだけど、今回はどうだったんだろう。
例えば、本人が、とにかく足を投げ出して映画を見たいんだ、それが主訴だったしたら、「車椅子席しかご用意できませんが、足を投げ出せるように、足を載せる小机を用意しましょうか」とかね、
コミュニケーションをとっていれば、出来る配慮もあったのかな、とかね。
それにしても、今回の件の反応を見て、なんか悲しい気持ちになったから、長文書いちゃったよ。
俺ら健常者はラグジュアリー席でくつろいで見る権利はあるけど、お前ら障害者は、車椅子席用意してやったんだけら、そこでおとなしく見てろよ。
思ったこと羅列
この件について、自分はイオンシネマ側の対応に問題はあったと思っていて、それは何かと言えば、車椅子を担いで上の席まで移動させなかったことではなくて、障害者当事者と話し合いをしなかったこと。
この件について色々意見はあって、「合理的」配慮なんどから、「合理的」でないことは断って問題ないってのは、間違ってないと思う。
だから、結果として車椅子を担いで上がるという対応をしなかった(出来なかった)ことについては、決して違法性はない。
事業者による合理的配慮が、この4月から「努力的義務」から「義務」になる。ちょうどいいタイミングなので、ぜひ皆に勉強しといてもらいたいんだけど、
https://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/sabekai_leaflet-r05.html
結局、コミュニケーションの問題なのかなと個人的には捉えていて、
例えば、2階にある店に行きたいからエレベーターつけろって言ったって、めちゃくちゃ金かかるしそもそも間借りしてる分際でそんなこと出来ない。
求められてるのは、そこで、「出来ないです」って無碍に断ることではなくて、対話すること。
エレベーターはつけられないですけど、1階のスペースにテーブルは置けるのでここで食べませんかとか、持ち帰って食べられるようにお包みしましょうか、とか。例えばね。
実際、現場でどんなやり取りがあったか分からないので、何も断定は出来ないけど、もし何のコミュニケーションもなしに、頭ごなしに断ったのであれば、それは「合理的配慮」の規定に違反していると思うわけ。
以前に、熱海の来宮駅での事件があって、あれなんかは個人的には、JR側は十分に「対話」したんじゃないかと思っていて、障害者当事者が「合理的配慮」以上の配慮を求め過ぎじゃないかと思って見てたんだけど、今回はどうだったんだろう。
例えば、本人が、とにかく足を投げ出して映画を見たいんだ、それが主訴だったしたら、「車椅子席しかご用意できませんが、足を投げ出せるように、足を載せる小机を用意しましょうか」とかね、
コミュニケーションをとっていれば、出来る配慮もあったのかな、とかね。
それにしても、今回の件の反応を見て、なんか悲しい気持ちになったから、長文書いちゃったよ。
俺ら健常者はラグジュアリー席でくつろいで見る権利はあるけど、お前ら障害者は、車椅子席用意してやったんだけら、そこでおとなしく見てろよ。