はてなキーワード: 夫婦別姓とは
法律婚を願う、かつどちらの姓にするか揉める男女は女性が改姓するパターンが多いのでは、という話を聞いた。データ取ったわけじゃないんだろうが、まあそうなっても不思議じゃないなと個人的に思う。
私自身は選択的夫婦別姓導入して欲しい派かつ絶対苗字変えたくない派だ。ゆえに、これは女性が苗字を変えることを推奨する意図の文章ではない、と先に明記しておく。
まず男女平等の観点から言うと、9割以上が女性側が改正している現状を変えるためには男性に変えてもらう方がいいだろう。『女性が苗字を変えるのが当たり前』という現在の風潮は『多くの場合、女性が苗字を変えている』という事実に支えられているから。
ただ、結婚してどちらが姓を変えるかというのは結局のところ個人と個人の間の話だ。ゆえに議論するにあたり『いかにして男女差別を無くすか』よりも、『いかに落とし所を見つけて良好な関係を継続するか』が大切になる。(男女差別に日頃から意識を向けている人間同士であれば前者の方向性で話を進めることもできるかもしれないが、稀有な例だと思う。)
日本人の女性の多くは『結婚したら自分が改姓するだろうな』と、きっと一度は思ったことがある。ゆえに自分ごととして、改姓までの道がとても面倒なことも理解している。そこで男性が改姓する場合はさらに、『希少性』が追加される。
例えば男性が改姓することとなれば少なからず周囲に「どうしたの?」と聞かれるだろう。また、自分の息子には苗字を変えてほしくないという親もいるだろう。
相手の立場で考える女性ほど、周囲の視線や親戚の説得といった『改姓によって生じる男性ならではのコスト』を相手に背負わせることに躊躇する。だから自分が変える、ということになってしまう。『相手に思いやりを持つこと』は結婚生活を続けるにあたり、重要なことだからだ。
私個人としては、だからといって常に女性が改正すべきだとは思わない。女性は「結婚するの?苗字何になるの?」と当たり前のように苗字変わる前提で話を振られる。『苗字を変えたくない』という気持ちを伝えただけで、相手や相手の親戚に拒否反応を示される。苗字を変えたくない女性だって、風潮に晒されて傷ついてきたのだ。男性サイドがそうゆう女性の傷つきに寄り添って苗字変えてくれてもいいんだよ?と正直思う。
話を戻す。要は、女性(特に苗字変えたくない女性)の方が男性より改姓に伴うアレコレを考える機会も多く、そのため相手の負担も見えてしまうし考えてしまう。そして、自分が譲らざるを得ないという結論になってしまうのではないか。
ただ、そのようにして女性が我慢して改姓したことについて、どれだけの男性が感謝しているのか、また感謝を忘れないでいられるのかとも思う。
これは『当たり前のことに感謝するのは難しい』という話だ。
例えばこの国では蛇口をひねれば水が出るし、スイッチをつければ部屋は明るくなる。でも、そのことをありがたいと日々感じている人はどれくらいいるだろうか。
改姓もそれと同じで、男性にとっては『相手が変えるのが当たり前のこと』だ。なにせほとんどの夫婦がそうしている。
幸い、水や電気に日々感謝の意を示さなくても料金を払う限り日本人は当たり前にそれを享受できる。ただ夫婦関係は、金さえ払えばいいってものでもないだろう。
相手が自分のために何かしてくれることは当たり前ではない。これは人間関係の基本ではないかと思う。パートナーが苗字を変えてくれた側は、それはパートナーがあなたとの関係を思って出した結論だということを心に留めておいてほしい。
ここまでは、法律婚をしたい男女に対して私が思うこと。ここから先は私個人の話だ。
冒頭でも書いたが、私は絶対に苗字を変えたくない。そして、嫌がる相手に苗字を変えさせたくもない。選択的夫婦別姓が無理なら事実婚だ。子供を持つ気もないし。
私はもし自分が苗字を変えるとなれば一生根に持つ。それこそ、その後のあらゆる選択の主導権を全て自分が握ったとしても気が済まないだろう。逆に嫌がる相手に渋々変えさせても一生負い目に思うだろう。
日々の感謝は忘れられがちだが、負の感情は意外と長持ちするものだ。片方が一生モノの恨みや負い目を抱えてる夫婦ってどうなんだろう?と思うので改姓を伴う結婚はしない予定だ。
このような問題で各々が悩むのは、現行の制度で法律婚する場合どちらかの苗字に統一しなければならないためだ。1日も早く、選択的夫婦別姓が導入されることを願っている。
前略、主語が大きい。
与党が国会収集しないという記事に対して『憲法違反だ!』というコメントが多数あったので調べてみたが、最高裁での憲法判断や違法認定は無かった。(地裁や高裁までで、それでも判断や断言はされてない)
それに対して、夫婦別姓は最高裁が法律は合憲であると認定が間違いなくあるのに、それを無視して我が意見こそが正しいぞ、というコメントが多数ある。
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/054/091054_hanrei.pdf
twitterで回ってきた渡辺恵理子裁判官の意見がもやもやしたので正体を突き止めるべく書いた。
一応推敲した。
"客観的な合理性が認められ無い限り"民法が憲法に違反しているとし、合理的理由になり得る2つの例として、"家族の一体感の醸成"と"家族の識別制"という利益を挙げたのに自明な事として"氏の変更を余儀なくされた一方当事者の現実的な不利益"を正当化し得ない、と結論づけていて、客観的な合理性に欠ける。法律婚の家庭と事実婚の家庭で、利益として挙げられた上記2点に置いて定量的に差があり、定量化された不利益を優越する場合は客観的な合理性があると言えるので、客観的な合理性が無いというには逆に定量的にその差が無い事を示すか、定量化された不利益が利益を優越する事を示す必要がある。今は同氏でも別氏でも上手くいってる家庭もあれば上手くいってない家庭もある。という話で、一般論的な傾向や差が分からず、利益と不利益が曖昧なまま何故か説論だけ示されている。
子供の福祉は最大限尊重すべきとした上で、既に国際婚、離婚、事実婚などで親と氏を異にする子供が存在する事と、それらの子供が家族同氏制の社会によって受けている不利益の存在を持って、子の福祉の点で客観的な合理性の不在を挙げているが、別氏夫婦に生まれる、家族同氏を望む子供の声を全く考慮していないし、加えて言うならば、両親と同氏である事が自分の氏への執着を発生させ得る事は容易に想像がつく筈なのに知ってか知らずかその点に関する記載も無い。氏が持つ人格や個人の尊厳の問題、離婚再婚によって氏が変わる子の人格形成への問題などに触れておいて、別氏家庭に生まれた子の人格形成に何も問題が無いとするのは、まとめると"自分は死ぬまで両親と同じ氏でいたいが、これから産まれる子供は別氏制を当然の事として受け入れるべき、だって今でも別氏の子供はいるのだから"という思考であり、やはり発言権の無い子供に不利益を被せている事は明らかである。夫婦別姓が導入されても、離婚する親のどちらかに連れ添う子の姓はこれもまた両親のどちらかの姓であり、選択的夫婦別姓でも親と子で氏が異なれば氏は変更する事もあり得るし、逆に子供の姓を盾に子と同じ姓の側の親が親権を主張するなどすれば"片方の親の子"という人格が形成され得る。離婚する親の子の人格の問題は、夫婦の姓制度ではなく離婚する親に問題がある為、夫婦別姓を導入しても解消されない。解消されない問題を根拠に起こり得る子供の福祉の問題を無視するのは不誠実である。
自分はこの話題はてっきり子なし夫婦が別姓の方が良いのに、と言う事かと思えば、子供の意思とか不利益は考えないor無い事にして話を進めているのが不思議だった。
自分は子なし夫婦(or子を持つつもりが無い夫婦)が選択的夫婦別姓を適用する事については賛成です。後自分は凡庸な苗字なので、改姓したい派です。
氏と名は子がいる限り根本的に異なるけど、子供がいない場合、氏が"名化"してしまうのは理解できる、ただ子を持つ人間は氏と名が違うことぐらい受け入れた方がいいと思う。
家制度の大事さを論ずる人がいますが、これってもうほぼ崩壊してますよねって話。
家ってなんで成立するかと言うと、家と結びついた職業や生産手段があってこそだ。
例えば古代でいうと、摂政や関白になれる家、大臣までなれる家、大納言までの家、などがある。
親から子へ、親のついた地位や経済的要因(荘園など)が継承される。だから家が生まれる。
その土地や、その土地から生まれる利益の継承者を明確に定める必要がある。
芸事でもそうで、親の芸を継承しうる芸術であれば家元となりうる。
商家も同様で、百貨店でも呉服屋でも、親が築いた商売上の生産手段を継承する場合、家制度と相性が良い。
政治家も同じだ。親が築いた信用や政治基盤を継承するのであれば、家が生まれ、結果二世三世議員が生まれる余地を生む。
皆さんは親が引退したら、親の職業や親の地位につけるだろうか。
もちろんそうなる人もいるだろうけれども、多くの人は親の社会的地位を継承しないだろう。
私の親が副市長を引退したら、私が副市長になるだろうか? そんなことは許されない。
一方で、会社の社長が息子に移り先代社長は会長になるだとか、芸事で何代目だれそれを襲名した、とかは違和感が薄いと思う。
二つの事例を見たが現代社会ではどちらの職業のパターンが多いだろうか。
圧倒的に前者ではないだろうか。
もちろん、後者のシステムを否定することに直結しないことも重要だ。
ということで現代では、家産や家職の関係から、家制度はほぼ質的要因を失っていると結論づけられる。
個人的には(といっても見田宗介あたりの受け売りなのだが)、1961年の農業基本法が重要と思う。
人口の多くが農業をしていた日本において農業を機械化し、余剰人員を2次産業3次産業に従事させる動きを生んだ。
明治時代以降、第二次大戦後でも解体できなかった江戸時代以降の家制度はこの法律によりついに解体された。
日本人の多くが農民だったから、田畑という家産で生活していた関係上、多くの人々が家制度の中にあった。
サラリーマンになった農家の子孫たちは、もうその地位を子孫に継承できない。
親の地位を継承できない子孫たちはやがてマイナビ・リクナビを頼ることになるだろう。
高度経済成長は経済成長だけが起こったわけではない。家族の観点からしても革新的政策だったのだ。
だから家職や家産を継承しないところに生まれ育った場合では、気軽に別姓にしたり、あるいは現段階だと妻の姓をなのってもいいんじゃないかな、って思う。
夫婦別姓でぶちきれてる人の話とか、あと壁ドン恋愛講座とか、そういう、見ててほんとに意味わからん、どんなに想像しても頭の中身が想像つかない、みたいな事案を見すぎて、義憤にかられてもの申すぞ、みたいな気分になっちゃったんだけど、鰯の頭も信心からっていう言葉を思い出したら急になにもかもどうでもよくなった。信仰ならどうしようもない。自分に直接の迷惑がかかるときだけ義憤にかられることにして、今日はエロ漫画読んで寝ます。
でもそう考えたら、少なくともインターネットから見る日本って、際限なく異端審問ごっこやってるように思えてきた。別の宗教より同じ宗教内の派閥だとかの争いのほうが激しくてより陰惨、みたいな。ま、日本に限らずどこでもそうなのかもしんないですけど。
新しいパートナーシップ制度作ってそこで自分たちの目的実現すればいいのに
結婚以外のパートナーシップ制度なんて世界中で生まれ始めてるじゃん
結婚なんて古臭い文化慣習宗教に基づく本当どうしょうもなく古臭い制度なんだよ
いや、分かる
わかるよ
お前たちがしたいのは否定行動なんだよ
みんなその欲求あるんだよ
けど、そんなの真剣10代しゃべり場までにしようよ
そうだろ?
夫婦別姓の制度になんの反論もないしさっさと選べるようになるといいと思ってるが、同姓にしたい人はこれからも別にいると思うしいていいと思うんだよね
ただ、今夫婦別姓を推し進めている人の大半とまでは言わなくても、結構な割合の人らが夫婦同姓を求める人を差別的に批判すると思うんだよねねー
それがなんなイヤ
そんなに熱心になる話題かね
調査で夫婦別姓にするつもりの人ってめちゃくちゃ少ないって出てたでしょ
当事者以外の人は何がどうなってこのトピックに熱くなってるんだろ
単なる反自民の一貫かね?
しずかちゃんが「野比しずかになりたい」と言ったのを、時代遅れでけしからんという声が有ったが、夫婦別姓派がそれを批判するなら考えるよ。自分が同姓でありたいという考えは批判されないんでしょ
しずかちゃんが「野比しずかになりたい」と言ったのを、時代遅れでけしからんという声
しずかちゃんが「源しずかになりたい」と言ったのを、伝統を壊してけしからんという声
批判するではなく、両方のけしからんが存在する世界を許容するんやで
表現の自由戦士たちもそんなこと良く言っとるやろ
しずかちゃんが「野比しずかになりたい」と言ったのを、時代遅れでけしからんという声が有ったが、夫婦別姓派がそれを批判するなら考えるよ。自分が同姓でありたいという考えは批判されないんでしょ
夫婦別姓へのファイナルアンサーは「正直別にどっちでもいい」しかない。
苗字変えなくてよくても、99%の人にとっては「郵便局と銀行に連絡する手間が省ける」程度の意味しかない。
まじでどっちでもいい。
で、どっちでもいいなら楽なほうがいい。
苗字と家族制度に妄想を抱いているアホを、わざわざキャリア賭けて説得したい政治家や官僚はいない。
夫婦別姓のワンイシューで政治家に立候補したやつがいても、そいつに賛成する選挙民もいない。
お前らはネットで書き込むだけだから賛成だ反省だと言うけど、書き込むだけだからそれができるんだよ。
実際、お前ら自身がそれについて全力を出す気なんてない。
ていうかこれに全力を出すべきじゃない。他にやるべきことをやれ。