はてなキーワード: 00年代とは
なんで鬱展開がオタクに嫌われるかって
エロゲで「こんな客を無視した展開できる俺らまじクリエイタ~」みたいな
ただこれが出来る俺ら凄いだけで生み出された数々の無意味鬱展開があったから
例えばアベンジャーズインフィニティ・ウォーはヒーロー負けてガモーラ殺されて人間50億人ぐらい殺されて終わって一年以上続きが見れない超クソ鬱展開だけど、
だからこそものすごい気を使ってやって、次回作は超明るいアントマン2だったり超無双映画のキャプテンマーベルだったりするのよ
そんでEndgameでは開始20分ぐらいでサノスぶっ殺して復讐完了するスピード展開っぷり、そーいうアフターケア、鬱展開にしたからこその超楽しいお話を後でやるから、物語の“谷底”が成立するんだけど、
日本のアニメ業界、そういうことを一切せず、ただ急に鬱展開にすりゃシリアスになってすごいみたいな
無責任で無意味で、ただクリエイターがこれが出来る俺らまじサブカルチャー作ってるぜ~みたいな、意外性以外感じられないクソみたいな鬱展開をいろんなアニメでずーっとやり続けて、
だからアニメで鬱展開が始まると、エヴァとか富野とか影響を受けたアニメとか、エロゲアニメみたいな、あっこのアニメ何も考えずに鬱展開初めた、あーあーこの後何も考えずに適当につまんない話が続くなーってわかっちゃうわけよ
だから鬱展開は嫌われる
信用がない
アヴェンジャーズインフィニティ・ウォーが成立したのは、10年と20作品という“信用”があったから成立したわけよ
なぜ日本のアニメ業界で鬱展開が嫌われるかって“信用”が無いから
それ程に90年代~00年代で鬱展開を多用し無責任に放り投げた実績がある
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D4プリンセスとか、明らかにシリアス展開を見たいと思って見てないのに、
Wind -a breath of heart-はなんか急に鬱展開になってテレビ放送終わったからな
ナメとんのかってマジで思った
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富野由悠季に影響を受けたのか
エヴァに影響を受けたのか
あの頃はマジでアニメでクソ鬱すれば一流クリエイターの仲間入りや!
みたいなゴミみたいなやつがたくさんいた
そういうのを10年ぐらいやってたから
見るのやめよ
ってなるわ
そういう事散々やってきたのに
今更ちゃんとした鬱展開です!信用してください!とか
信用できるか
ほんとまじで、そういうクソ鬱が見たくてみてるわけじゃねぇのに
「やっと時代が追いついた」
っていうぐらいの感覚…。
「人口が多い国が栄える」理論が正しいなら、とうの昔に失墜してる国はいくらでもあるし、栄えたとして次のステップにシフトできるかは別問題
「自分の高校時代にはもう構築されてた仮説が、ようやく現実になったのがつい最近」
社会の現状に合わせないで、仮説を信じてたら良かったぐらい。
逆に文化や科学技術については、急速に進化しすぎて置いていかれそう。
逆に、「立憲だけはない」と言い続けてる30代だから、上の世代からはけっこうブロックされてたり、反発受け続けてるのよね。
私に時代が追いついてきてよかった。
野党に入れること自体はいいと思うんだが、立民だけは…民主党政権を見た身としてあり得ない。
俺が10年前から言ってる事だよ。一部の例外を除いて基本的には作品と作者は切り離せないってずっと言ってる。やっと気づいてくれた人がいて時代が追いついたなって思った
00年代に年の24時間化とかほざいてた政治家や経営コンサルタントに10年越しで勝利した。よかった、俺に時代が追いついた
よくも悪くも世界が保守化してきたし、自分の国の利益の話をし始めた。地球市民とか言ってた人がバカだと10年前から思ってたが、やっと時代が追いついた
という事例が複数あるけど…これ、逆の事も言えるよね。
「今の高校生たちは、世の中はおじさんや老人が多く、彼らは全然勉強しないか、すごく古いやり方にしがみついてるから、君たちが正しいと思うものが実現するまで20年かかるぞ」
とも言える。
高校生の時のぼくは
という考えで仮説を組んだ。
それはおとなになって実際に見聞きしてみるとそのとおりだった。
新しいことも勉強してるとも限らない。
勉強し続けてる大人ももちろんいるし、勉強どころか実行力もドンドンアップしてる大人もいる。
ただ、社会や政治や経済は、図体がデカすぎるから基本的に動きは遅い。
図体が大きいほど、他人がわかるほどの変化が実現されるのは時間がかかる。
その辺を読みそこねたなぁ…
自分がデブだからデブの話で例えると、デブが10キロ痩せても世間的にはデブなんです。
でも、デブの方が普通の人と同じ運動したくても、体への負担が2倍3倍かかることもあれば、骨格に負担がかかるからできないことも出てくる。
図体が大きいのは色々な意味で強みになるけど…それを変えるのは大変
喜多ちゃんのおかんがまともに見えるって人、毒親経験ないやろ?
私の母も「なんだかよく知らないけど」が口癖だったので、喜多母はどこに出しても恥ずかしくない毒親やぞ
「知りたくないし、知る気もないけど、お前にはブチ切れてる」
とかいう、社会で通用しないであろうことを子どもにやってる親だぜ?
それがまともに見えるって、目が腐ってるか、読解力がないとしか俺には思えないんだけど
「あー!00年代の萌え萌えじゃない方のアニメの名作ひと通り見てこい。」
って発狂しそうになってる。
悪い癖が出そうというか、ちょろりと出てる
アホな人、レベルが低い人について考えすぎると、心も思考も歪むから程々にしとこ。
よしんば優秀な学校や職場に入っても働きアリの法則で4分の1は組織の中でまともに働けない。
他にも、学ぶ学問や立場、健康や心理状態…人間が賢く生きられない理由は山ほどあるさ
という話を、叡智業界の人から聞いたのですが…素朴な疑問がわいてきました。
ならどうやって映像にしてるか知りたい
でたらめにもほどがある。
創作物である以上、本当に「必要な戦い」は認めるしかない。この点が憲法9条や非武装主義を掲げる日本のリベラルとは相性が悪い
闘争を否定しないとネトウヨならば(ルフィのやってることは戦争ではない)、「三里塚闘争」「辺野古基地闘争」をしている人たちはネトウヨなのだろうか。
それにワンピースもガンダムも「国家」や「権力」を全く信用のできないものとして描いているんだが、なぜそこに触れないのか。
ガンダムのニュータイプ表現なんて当時の欧米のインテリリベラル層に流行したスピリチュアル思想の改変だろ。
あとワンピースは反権力反政府なのに反感を抱く左派がいるが、彼らはインテリの嫌う「任侠的な空気」に反発しているのであって、
「リベラル」がインテリ好みの世界観でない=右翼的と決めつける癖がある(そうして庶民を振り落とす)証拠でしかない。
エヴァが流行った90年代にもオタク層は反権力やリベラルの方にややシンパシーを感じる者が多かった。
宮崎事件でオタク叩きが激しかったから、一般社会に怨念を持つものが多くいた。権力による表現規制も含めて。
このあたりの流れが00年代以降に反政府ではなく反マスコミに回収されたことのほうが反「リベラル」の風潮には直接的に影響しているのでは。
そもそも「ラピュタ」「トトロ」「魔女の宅急便」のどこに日本ホルホルにつながるものがあるのか。
ガチ左翼の網野史学を取り入れ、リベラル読書層が持ち上げた「もののけ姫」以前には日本称揚につながるような話はほぼない。
トトロの農村コミュニティへの懐古(それもインテリが「腰掛ける」対象としての)くらいではないか。
これだって「火垂るの墓」と併映で、セットでのキャッチコピーも「忘れ物を届けに来ました」で現代日本批判だったことを忘れてはいけないし。
加えて、90年代には「日本軍が米軍をかっこよくやっつける」話も流行したが、アニメオタク層とはズレたところでブームになってる。
「沈黙の艦隊」も「紺碧の艦隊」もオタク層の外側での流行。日本ホルホルの流れは宮崎よりは荒巻の方がずっと直接的で影響が強い。
荒巻が受け入れられたのも、今からは考えられないくらい日本が経済的に強くて全能感に社会全体があふれていて
なのに湾岸戦争で1兆ドル分捕られたとかで「反米」感情が高まっていたことが背景。中国も韓国も問題にもならない雑魚だったから。
90年代の世界的な反米ブームが忘れられているんだな。アメリカメディアが自分たちの嫌われっぷりにショックを受けて特集を何度も組むレベルだったのに。
現状の「反中反韓」をベースにした流れは教科書問題と日韓ワールドカップとどちらもアニメと無関係。
そうした流れが一般メディアの黙殺に反発する形でネットコミュニティ、とりわけ2ちゃんねるに流れ込んで、
同じくネットコミュニティを拠点としたアニオタ層と一部クロスオーバーするようになったって流れではないのか。
それがアニメオタクに受け入れられた(とするなら)その理由はまた別に考える必要はあるし。
やり直し。
自分は三重県鈴鹿市出身で現在も鈴鹿市在住、幼い頃から鈴鹿という言葉に囲まれて育ってきた。
私の地元には鈴鹿と名のつく施設がたくさんある。遊園地、学校、山脈、企業、デパート等、様々な場所で鈴鹿という言葉が使われているが、それらはもちろん鈴鹿に縁を持つから鈴鹿を名乗っているわけだ。
そんな自分が同じく鈴鹿を名乗る、新進気鋭の俳優「鈴鹿央士」を見ると、どうしても「鈴鹿央士って誰に許可得て鈴鹿を名乗ってるのか?」と感じてしまう。
そもそも鈴鹿という言葉の出自は非常に古く、地名の成立から定かではない。
最も古いところでは日本書紀(西暦720年完成)にも鈴鹿の名は登場し、それでいうと我々鈴鹿市民は1300年以上鈴鹿という地名を守ってきたことになる。由来も鈴をつけた鹿がいたとか、鹿に鈴をつけて川を渡ったとか、古い地名によくあるように色んなふうに言われている。
だいたい鈴鹿をスズシカでなくスズカと読むのもその成立が古いことを表す証左だ。古代の日本では鹿のことを単にカとか、カノシシなどといった。もし令和の時代に鈴と鹿を使った地名を作るならスズシカだろう。でも鈴鹿市は1300年代々住民がその名を守ってきたからスズカと呼ぶのだ。
日本には他に鈴鹿という地名や鈴鹿と呼ばれる事物はない。正真正銘鈴鹿の民がずっと守ってきたからこそ、鈴鹿という日本語が存在するわけである。
鈴鹿央士に関して特段の説明は不要かと思う。それでも知らない人のために説明すると、彼は映画やドラマで広く活躍している俳優だ。最近だと2022年に大ヒットした木曜劇場のドラマ「silent」にも出演していた。要は期待の若手俳優である。
この鈴鹿央士なる人物がテレビに出てきた頃、自分はてっきり鈴鹿という名字は本名なのだろうと思っていた。しかし、名字は芸名で後からつけたものらしい。そうなると鈴鹿という芸名はやはり鈴鹿市に由来するような名前なんじゃないか?とちょっと期待してしまう。鈴鹿央士の芸名命名についてのエピソードがあるので紹介する。
央士が高校2年生だった2016年、ある映画のロケが通学していた高校で行われ、エキストラとして参加。その際、出演者の広瀬すずの目に留まり、広瀬がマネジャーにスカウトするよう進言した。
2018年、スカウトをきっかけに、東京の大学へ進学すると同時に芸能事務所に所属。広瀬すずの「すず」にちなんだ芸名として「鈴鹿央士」とした。
驚いたことにこの俳優は鈴鹿を名乗りながら鈴鹿市とは何ら関係がないらしい。ただ広瀬すずになぞらえて鈴がつく名前なら何でも良かったようだ。
鈴鹿の民が1300年守ってきた鈴鹿という地名、なんら鈴鹿との関係も持たない俳優が、ただ鈴が付く言葉なら何でもよかったという理由で自分の芸名として使っているのはなんだか釈然としない。
それに加えて情報汚染である。最近ニュースサイトでも鈴鹿が踊る題目をたびたび目にするようになった。しかし中身を開いてみると鈴鹿央士の話題である。テレビを見ていても「鈴鹿が〜」という話を聞くことがあった(日テレ系だったと思う)。なんだなんだとテレビを見るとこれまた鈴鹿央士の話題。鈴鹿と言うのに鈴鹿市関係なくガックリくる。
鈴鹿という言葉はこれまで我々鈴鹿市民が使い、我々鈴鹿市民のためにある言葉だったはず。どうして鈴鹿の地に関係のない人間の話題に吸い込まれないとならないのか。
鈴鹿市民だからといって鈴鹿央士の名にケチをつけるな、鈴鹿を名乗ることぐらいいいじゃないかというご意見ももちろんあることと思う。おそらく鈴鹿央士に対するこの憤りは、幼い頃から当たり前に鈴鹿という地名に囲まれてきた人間でないと通じない。なので1つ思考実験をしてみたい。以下はあくまでフィクションの話だ。
最近ハリウッドで新進気鋭のイケメン俳優がデビューした。身長190cm、ふわりとした金髪に青い目、スーツのよく似合う長い足は白人の特徴をよく表している。彼は芸名Mr. Japanを名乗り、現在もドラマに映画に大活躍している。
Japanを名乗った理由は意外だ。彼は学生時代、Justin Bieberに声をかけられそれをきっかけに俳優の道を歩むことになった。この道を進むきっかけになったJustinに感謝の気持ちを込めて、芸名はJで始まるものにしたいと考えた。別に日本に思い入れはなかったがJから始まる適当な単語でMr. Japanを名乗っている。
彼の活躍はニュースサイトでもよく見かける。「Japan映画が大人気!」「いま大注目のJapanに密着」。日本で生まれ育った私達が密かな期待を込めて記事を開くと、その中身はMr. Japanのニュースだった。テレビでもJapanの声を聞く。「Japanの演技は最高ね」「会ってみたいセレブはやっぱりJapanだよ」。メディアではもうすっかりJapan=日本のイメージではなくJapan=イケメン映画俳優になった状況に、日本で生まれ育ったあなたは深く溜息をつくのだった。
もしあなたが上記の思考実験でため息を付いた人物であったら、Mr. Japanに「誰に許可得てJapanを名乗ってるの?」と文句の一つでもつけたい気持ちになったりしないだろうか。そうであればその気持ちは今自分が鈴鹿央士に感じているものと同じものだ。
私は鈴鹿央士に特に攻撃的な感情があるわけではない。ましてバッシングしようとか活動止めさせようだなんてことは微塵も思っていない。ただそれでもやはり、鈴鹿市になんのルーツも思い入れもないのに勝手に鈴鹿を名乗っていることに、深い憤りを覚えてしまうのだ。
最後に、どうして携帯電話でスズカと入力して一発で鈴鹿と変換できるのか、それは鈴鹿市民がこの地名を大切にし守ってきたからこそなのだ。鈴鹿央士さんが鈴鹿市で1300年守られてきた鈴鹿という地名になんの思いも持たないのであれば、さっさと改名してもらいたいものである。
90年代は、ドラゴンボール、スラムダンク、るろうに剣心あたりで、00年代はナルト、ワンピ、ハンター、ブリーチとかで。
自民党が旧統一教会の問題に真摯に向き合っていれば、去年の辛いテロは起きなかった
(青野慶久/aono@サイボウズ@aono)
これって、サイボウズに不満のある人はサイボウズを攻撃していい(問題に向き合ってたら攻撃はされなかった)って理屈の肯定だよ?
まぁサイボウズなら、不満を持つ人は既に退社していて存在しないから実害がないのかもしれない。
でも国の場合は万人に受け入れられる施策なんてないんだから、何かしら不満を持った人は出てきてしまう。
そういった人がテロを起こしたとして、そのすべてに「そういった問題に向き合わなかったからだ」とでも言うの?
例えばオウム真理教によるテロだって正に問題(とオウム真理教が思っていること)に真摯に取り組まれなかったから起こったものだよ)。
ロシアのウクライナ侵攻のロシア側の理屈にもバッチリ当てはまる。
だからこそ、その理路に関わらずテロはダメ、だけで終わらせる必要があって、「テロはだめだが~」なんて言説を展開するのはよくないんだよね。
(「オウム真理教の要望(日本国の支配)に向き合わなかったからだ」「ロシアの要求(ウクライナの支配)に真摯に向き合わなかったからだ」って理屈と同じことを言ってるんだよね)
もっとサイボウズに引き付けて言うと、サイボウズのサービスに不満が貯まっている人がいるとする。この人がネット上でサイボウズの誹謗中傷や業務妨害をやりまくったとして、「サイボウズが真摯に対応していたらこんなことは起こらなかった」って言うことだよね?
⇒テロはテロ。それとその原因は繋げて語るべきではないってことだよね。原因が解決すべき課題と思うなら独立して意見表明すべき。絡めて話すとテロリストの思う壺
○「テロは起きなかった」は事実の推測で、「攻撃してもいい」は価値判断なので、両者は異なると思う。
○“ちゃんと問題に向き合ってないからテロが起きた”と言う命題は、“ちゃんと問題に向き合ってない相手にはテロを起こしていい”という命題と等価なのだろうか? 微妙に詭弁の匂いもするが。
⇒上で書いたように「テロと事案を絡めること自体がテロリストの思う壺」なんだよね。で、サイボウズの社長はその意味でテロにメリットを与えている(正義の問題ではなく、メリットでメリットの問題としてテロを起こした方が良いって理屈を語っている)。
○オウム真理教によるテロとカルトに人生を壊された人間によるテロを同列に語る時点で論外。こんな意見が支持される世の中では、またテロは起こるだろうね
⇒ちゃんと読んだ?「その理路に関わらず」ダメとしなきゃいけないことなんだよ。誰だって相応の理屈はあるんだから
○青野さんは続けて「Q. 御社では暴力的な手段を受け入れるということ?→まったく受け入れません。それを防ぐためにも民主的な問題解決手段を用意し、日々従業員に啓蒙して実践しています」と書いてるんだよ。
あえて「自民党が旧統一教会の問題に真摯に向き合っていれば、去年の辛いテロは起きなかった」と書いている意味はなんなの?
もう書くつもりなかったけどひとつだけ
○増田と同様の論調の人が「統一教会はとりあえず脇に置いといて」みたいなスタンスをとるのがすげー気になるんだよ。まずベースとして統一教会は問題ある組織という認識はあるの?これ追記で答えてくれないかな。
ただ、それとテロと絡めるとテロの肯定に繋がり(少なくともそう理解する人がいる)、またテロを起こすインセンティブになるから、テロの否定はテロの否定、統一教会批判は統一教会批判で別にしなきゃならんってこと。