はてなキーワード: 変則的とは
オレオレFCは30日、来月2日にホームで迎えるFC東京戦に向けて、オレフィールドで練習を再開させた。チームは29日のアウェイ浦和戦に1ー5で大敗し、今季2度目の3連敗。この日の練習前、相田満博監督はオレルームにイレブン、コーチングスタッフらを集め、約1時間の緊急ミーティングを行い、後半戦に向け、熱いメッセージを送った。
練習前ミーティングは約1時間に及んだ。相田監督はオンライン取材で「(ミーティングは)現状が現状なので、景色を変えようと思って(行った)。ここに来て、積み上げてきた自信が変な方向に向かっているように見えた瞬間があったので、もう一度謙虚に戦おうと。2日が後半戦の初戦ですし、ゼロから始めようと伝えました」。練習は35度以上の酷暑だったため、午前中は室内で筋力トレーニングとリカバリーに充て、午後は4時30分から約2時間、パス回しや変則的な6対6のミニゲームで選手は実戦さながらの本気モードでボールを追った。
前節の浦和戦は前半開始早々に失点すると、ズルズルと3失点。1点返し、反撃ムードが高まった後半もすぐに失点し、結局5失点して大敗した。10試合負けなし後、今季2度目の3連敗。特にボールを奪った後のパスのズレや、セカンドボールの奪い合いで劣勢に回る場面が目立ち、早い時間帯や流れが来た時に失点するケースも増えた。
常、日頃の成長が勝利につながる。ミーティングで指揮官は「基本路線は変えない」「これまで積み上げてきたものをより高いレベルに持って行く準備すること」「同じ過ちを繰り返さないよう、3連敗を真摯に受け止めて戦うこと」を強く求めたと言う。
後半戦初戦となる2日はFC東京とホームで対戦する。アウェイでの前回対戦(4月10日)はスコアレスドロー。指揮官は「同じ展開には絶対ならないと思います。後半戦の初戦をホームでやれるので、ゼロからの気持ちで戦いたい」と視線を向けた。これまでの反省を生かし、チーム一丸で東京に立ち向かう。
まず1stのなかでもザク、グフ、ドム、ゲルググなど世代交代しているので、ザクだけを敵の象徴には絞れない。当初のプランでは最初から最後まで敵MSはザクだけしか登場しない予定だったというが、もしそれが実現していれば続編作品でも敵はずっとザクだったかもしれない
映像作品で最初の続編Ζガンダムが「敵が地球連邦軍」「途中からそれとは別にジオンの残党も出てくる」という変則的な作品だったことも関係してきそう
また作品によっては敵MSがザクとジムを兼ねるときもある。たとえばガンダムWの敵量産型機リーオーは、主役ガンダムにやられる雑魚という作劇上の役割はザクに類似しているが、物語設定上は敵エース機トールギスの量産型という位置づけである。トールギスはガンダムWの劇中世界においてRX-78に相当する機体であり、その意味ではリーオーはジムの性格も有する。実際に顔つきもジムともザクともとれるような風貌をしている
そのMSがザク役かどうかは外見や役割から判断することできるが、型番からも見て取れる(ザクIIの型番はMS-06)
ガンダムF91で敵クロスボーン・バンガードのザク役といえるデナン・ゾンの型番はXM-01とザクらしくない。XM-06はダギ・イルスという偵察機にあてられている
Vガンダムにおいて敵の宇宙用量産型MSゾロアットの型番はZMS-006。同作で最初に登場する(赤いエース機も出てくる)敵雑魚機は地上用のゾロだが、そちらはZM-S08Gだった
先に述べたガンダムWのリーオーはOZ-06MSといかにもザクっぽい
ガンダムXはメタっぽい作風だけあって宇宙革命軍のMSにはネタ元になったMSをモロに連想させる型番が付けられている。ザク役のジェニスはRMS-006
∀ガンダムではムーンレィスのフラットがFLAT-L06Dなのでザク役なのだろう。同作にはまんまザクのボルジャーノンもいるけど
SEEDでザク役のジンの型番はZGMF-1017とザクっぽさがないが、実はSEED DESTINYのザクウォーリアもZGMF-1000と型番だけならまるでザクっぽくない
ガンダム00では3大国家群がすべて別個の量産型機を保有するが、型番だけで言えば人革連のティエレンがMSJ-06IIともっともザクに近い。色もザクっぽいしモノアイだし
農道っぽいとこで50km→40km→50kmに制限時速が変わる場所で40kmのところで速度超過
というか後から地図見ても40km/hの理由がさっぱり分からん
多分昔は何かしら施設とかがあったけど今は無いとかそういうのじゃないの
100歩譲って実は危ない場所って言うならもっと注意喚起しろよ
何にも無かっただろうが
GWで観光客に事故を起こして欲しくないなら手前に警察立たせて注意喚起せーよ
こんな変則的なところをわざわざGWの観光客相手に取り締まって何がしたいんだよ
二度とこんなとこ通らないから何の教訓にもならんわ
〇注意
この記事には「鬼滅の刃無限列車編」「クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶアッパレ戦国大合戦」「FF10」「ダンガンロンパシリーズ」「うみねこのなく頃に」の重大なネタバレが含まれています。これらを楽しんでる最中の方やこれから楽しむ予定の方は注意してください。
小説にしろ漫画にしろアニメにしろ映画にしろ演劇にしろ絵本にしろ…
物語には始まるがあるように結末がある。
作者が亡くなってて永久に未完の作品や今も尚連載をし続けてて終わりが見えない作品もあるけど大概の有名作には結末がある。
そんな作品の「結末の付け方」を私なりに好き勝手考えた結果四つに分けられたのでここにメモとして残しておく。
まず、主軸になる基準が二つある。それは「主人公が一番の目的を果たせたかどうか」と「主人公本人が満足の行く結末を迎えられて幸せになれたか」の2つが重要になっていく。この両方を満たせた場合は我々がよく知る「ハッピーエンド」となり片方だけの場合は「メリーバッドエンド」or「ファジーエンド」となる。そして、両方とも満たせなかった場合は「バッドエンド」になる。以上4つに分けられるのだが、これだけでは説明不足なので一つ一つ具体的な作品例を挙げつつ解説していく。
これに関してはほぼ説明は不要だと思う。主人公が作中で掲げた目的を達成して満足し幸せを得るという事で大団円を迎える終わり方だ。童話の「桃太郎」や「赤ずきんちゃん」なんかがこれに当てはまるだろう。
主人公の桃太郎は鬼退治という目的を掲げてそれを明確に達成しその結果金銀財宝を持ち帰り、幸せに暮らす。
主人公の赤ずきんはお婆さんのお見舞いという目的があり途中狼による邪魔はあったものの最終的にはお婆さんと会いお見舞いを完遂している。
恐らくありとあらゆる創作界隈でもっとも多いであろう結末の付け方である。
②ファジーエンド
ここから先は何かしらが欠けてる結末になってくる。そしてこのファジーエンドは「主人公の目的は達成出来たけど幸せにはなれず満足出来なかった」という終わり方だ。目的は達成出来たのに幸せになれないってどういうこと?となるだろうが、具体例を聞けば納得出来ると思う。
これに当てはまるのは鬼滅の刃無限列車編である。主人公の炭治郎の目標は「列車を乗っ取った魘夢を倒し乗客を助けること」だ。これに関しては映画を見ればわかる通り、しっかりと完遂している。しかし、突如として現れた猗窩座により恩師である煉獄を殺されて、失意の底に落ちる事になる。最後の煉獄の言葉に多少は救われるもののあの結末を見て炭治郎が満足し、幸せになったかというとほとんどの人がNOと言うだろう。このように最後の最後で主人公にとって親しい人物が亡くなる終わり方だとこの結末になりやすい。クレヨンしんちゃん映画の「アッパレ戦国大合戦」や主人公が最愛のヒロインの元から消え去り幸せにはなれなかったものの目的は達成出来てる「FF10」なども挙げられるだろう。
また、「ダンガンロンパシリーズ」のような所謂「俺たちの戦いはこれからだエンド」もこちらに分類される。ダンガンロンパ1作目と2作目なんかは学園や島から生還して出るという目的を掲げており、合間に仲間の死はありつつもどちらも達成は出来ているが、外の世界が世紀末であったり、自分たち自身が外の世界を世紀末にした絶望の残党で多大な罪が残っているなど新たなる問題が山積みになっている。それでも希望を信じて絶望に打ち勝つというテーマを胸にこれからを生きるという終わり方なので、ぶっちゃけ苗木や日向は満足気に見えるものの幸せになったかどうかで言えば微妙なので、私の解釈としてはファジーエンド判定である。(V3は人によって結末の解釈が異なるのでハッピーエンドにもなるしファジーエンドにもなるのでここでは解説しない)
今度はファジーエンドの逆で「主人公は目的が達成出来なかったけど満足し幸せになれた」場合である。結構人を選ぶ終わり方なのでどうしても有名作を挙げるのが難しい。(あるのかもしれないが思いつかない)その為、ややマイナーなものになってしまうが「うみねこのなく頃に」がこれに当てはまる。
主人公が戦人と縁寿の二人いるが最終作のEP8は縁寿が主役なので彼女を主体に考える。縁寿の目的は六件島の事件の真実を知り家族が自分の元に帰ってくるのが主な目的だが、真実は知れたものの家族は帰ってこなかった。それどころかその真実がどうしようもなく惨たらしいものであり、本人は不幸のどん底に突き落とされることになる。しかし、それでも亡くなった親族及び両親を信じてどんなにそれらを世間に悪く言われようとも自分の中では暖かい思い出として心に留めておき、前向きに生きる決心する。その後、絵本作家として大成し幸せになっている。またさらにその後には変則的な形であるものの家族である兄と再会するので、一応ハッピーエンドになるのだが、作品内で兄は死亡したという解釈が明示されているので、それに則りメリーバッドエンドという解釈をしている。
このようにファジーエンドとメリーバッドエンドは作中内の特殊設定の解釈や考え方次第では他のエンドにも解釈できてしまうのが難しいところ。極端に振り切っているハッピーエンドやバッドエンドの方が理解しやすいだろう。
④バッドエンド
ハッピーエンドの次にわかりやすいと思われる。目的も達成出来なければ幸せにもなれないという悲しいオチである。有名な作品というか例えとしては鬱エンドと言われるものやホラー映画、B級~Z級映画でありがちなものだろう。具体的な作品名を挙げるとすれば「フランダースの犬」だろう。ネロが死んだ後のナレーションで「これからは痛い事も苦しい事もありません」なんてフォローしてるけど村中から冤罪かけられるわお爺さんは死んでしまうわで踏んだり蹴ったりの末の死亡なので中々に濃度の高いバッドエンドである。ルーベンスの絵は見られたのでそういう意味で救いがあったのは良かったが。他にも「ロミオとジュリエット」や「浦島太郎」なんかがバッドエンドになるだろう。良くも悪くもかなりインパクトのある終わり方なので、案外有名な作品も多い。しかし、よっぽど上手く話の構成を練らなければただひたすらに胸くそ悪い作品になってしまいクソ呼ばわりされてしまうので面白いものを作るのに一番難易度が高い終わり方である。
以上、大体の作品がこの四つにカテゴライズ出来ると思われる。但し、メリーバッドエンドの項目でも話した通り、作中内の特殊設定など、作品の主人公が複数いるものではどの終わり方をするのか人によって解釈が変わってくる事が十二分にある。例に挙げた作品でもこれを読んだ方の中には「いやあの作品の終わり方はそうじゃないだろ」となったり、ここで挙げてない作品に対しては「あれはこの終わり方かな」なんて思ったりしただろう。そういった方は是非コメント欄で各々の解釈を語って頂きたい。なんなら独自のカテゴリ分けの仕方まで解説して頂いたら嬉々として読みに行く。ぶっちゃけメモとして書いたもののそれらが読みたいのもあってこれを書いたぐらいだ。
いいのか?増田!?Kh-47M2 Kinzhalを「だたの弾道ミサイル」で「極超音速ミサイル」ではないと言っちゃっていいのか?
2022年3月19日 17:49 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB192IB0Z10C22A3000000/
2022年3月19日 18:35 https://twitter.com/show_murano/status/1505115692579786752
そうなら、イスカンデルM=短距離空力弾道ミサイルだって、変則的な軌道をとる、極超音速ミサイルになる。キンジャールが極超音速兵器だというのは、ロシアがそう言っているだけで、実質的にはイスカンデルの空中発射型にすぎず、意味のない区分けです。
2022年3月19日 21:43 https://twitter.com/smith796000/status/1505162966747942915
朝日新聞がただの弾道ミサイル「キンジャール」をロシア軍の発表のまま極超音速ミサイルと報じて煽ってしまったので謝罪します。
2022年3月19日 22:26 https://anond.hatelabo.jp/20220319222627
■朝日新聞がだたの弾道ミサイルをロシアの発表どおりに極超音速ミサイルと報道
左側の人らはロシアや中国好きだし、右側でもロシア支持の人らがいるし、やっぱ先鋭化するような人は権威主義の国が好きになるのかね。
モノローグが主人公のものだけで、他の登場人物の心理描写が言語的にはなされないもの
はてなで大人気の「僕の心のヤバイやつ」はかなり上手くやってるよね
他にもオススメのあれば教えてください
やれたかも委員会(毎回の独白者視点)みたいな変則的なやつとか
東京大学物語みたいなギミックとして使ってるのも面白いのがあれば知りたい
コメントありがとうございます。単純に主人公以外の思考内容が記述されない、くらいのつもりでした(主人公が出てこない場面があっても気にしない)。真のFPS漫画はそれはそれで面白いけど。
他者の思考がわからないことを絡めたドラマとか執拗な心理描写の面白さがあると嬉しい。
エッセイ漫画は確かにほとんど当てはまるね。一方ストーリー漫画で且つ一貫しているのは割と限られるような?エロ漫画、少女漫画に多そうな印象はたしかにある(イメージです)。
タコピーの原罪 「僕の~」と2大ブクマ多い連載漫画?この漫画もタコピー視点限定が効いている、と思いきや何故か東くんだけ心理描写多めだった
水は海に向かって流れる 結構早い段階で他者視点入る!でも面白そう!
雪女と蟹を食う エロ注意だけどタイトルとか導入が意味不明で良い!2冊無料でした。続きも買うと思う。
panpanya 読んだことなかったけどネットでは評価されてる方ですね。おもしろそう!
血の轍 それがあった!確認してないけどこの先生の作品大体主観視点なんじゃないだろうか
おやすみプンプン はうろ覚えだけど、デッドデッド(略)は群像劇っぽいのに主人公のモノローグ以外の心理描写は一切ないようだった
お笑いオタクとそれ以外でけっこう感想の分かれる大会かもしれない今年。
ネタは言うまでもなくどれも素晴らしかったので、ネタ以外の感想を書きます。
時間も20分程度だしほとんどボケしろもなく淡々とした抽選会だった。グダることなく短尺で華麗なモノボケを繰り出したヨネダ2000が抽選会のMVP。
去年の反省を踏まえて夕焼け小焼けタイムを設けた今年。爆発した組も多く、見応えある戦いだった。中でもM-1の歴史に残るであろう狂気の捨てネタことからあげ4を繰り出したさや香は平場も100点の出来だったと思う。ということでさや香二人にMVP。
トップにモグライダー、二番手にランジャタイと地下の風変わり初決勝組が早々に消化されてしまい、彼らのインパクトが薄まったのが残念だった今年のM-1。8組目からは錦鯉→インディ→もも→インディ→錦鯉とお祭り騒ぎのバカたちが初決勝の20代を取り囲む地獄の出順で、ももがインパクト残すのも不可能になってしまった。笑神籤って恐ろしい。
とは言え客はしっかり暖かく、平場でも何度も拍手笑いが起きていた。中でもランジャタイの暴れっぷりを会場全体が今か今かと待ちわびている空気は画面越しにも伝わるほどで、映っていない時でも彼らの名前が上がるたびに確実に笑いが起きていた。M-1の熱血ショー化を全力で拒否し、あらゆるボケしろでボケまくり、名誉の最下位を獲得して存在することそのもので大会を盛り上げたランジャタイが文句なしのMVP。
今年は大反省会と打ち上げは省略。これを書き始めた2018年は直後に暴言騒動があり、王者の霜降りはおろか敗者復活戦や本線の平場で爪痕を残した芸人たちがまったく顧みられないことに不満があった。順位が振るわなかった芸人たちが反省会や打ち上げで必死で取り返そうとする姿を自分なりに記録したかった。なので売れっ子や高位者よりもまだ知名度が低かったり、目立たなかった組を重点的に取り上げたつもり。
しかし反省会も打ち上げも当時のようなカオスさはなくなり、きちんとした「番組」になった。もう福徳が5位なのに準優勝ばりの号泣する姿も、滑り倒した川瀬が死にそうになる姿も見られない。なのでわざわざ記録する必要性を感じなくなった。
2018年の平場で金属が注目されてライブやテレビの出番が増え、翌年は錦鯉、去年はランジャタイとキュウがその枠になった。敗者戦まで来なかった組も予選で注目されればどんどん売れるようになってきている。書き始めた頃はM-1に出ていない中堅芸人がラジオで感想を話す程度だったのが、今は出場者本人がYouTubeで「平場で誰々が面白かった」と話すようになっている。ネタの順位だけが重要じゃないと多くの人が理解している今が本当に嬉しい。そういうわけで、これを書くのは多分今回が最後になると思う。来年書きたいことが出たらわからないが、とりあえず。もし読んでくれた人がいたらありがとう。これからもM-1とお笑いを楽しんでいこうな。MVPとか偉そうでごめんね。
錦鯉、本当におめでとう!
タイトルの通り、コンプガチャを揃える確率の変化形のような問題なのですが解説していただけるとありがたい。
くじが33本があったとします。そのうちの9本が当たりくじであり、当たりは各個区別され一度引いた種類の当たりは記録しておく。
一回につき2本引くこととする。クジは引いた後に戻される。
また一回引くごとには「はずれのくじ」が一本追加される。つまり、たとえば二回目には34本の中から当たりを引かなければならないということだ。
このようなくじにおいて、n回引いた時点で初めて全種類の当たりくじを引いたことが記録されている確率はいくつだろうか?どういう風に考えて立式していけばよいのだろう?
なんて質問を某サイトに挙げたがどうしてこういう疑問を投げかけざるをえなくなったのかにはもっと業が深い問題が絡んでいてかつ長文なのでここに書く。
ㅤ
ネット上にはクリエイターに月々お金を払うとその対価がもらえるパトロンサイトと呼ばれるサービスが存在する
私はイラストが好きで特に好きな作風の作者に対してそういったパトロンサイトを通じてお金を払うという形で支援をしている。
そのなかで複数のパトロンサイトにまたがって受け口を用意している作者がいる。
支援期間において一か月ごとに閲覧可能な作品がまとめられているのはどのサイトでも同じなのですがそれ以外のところで少し事情が異なっている。
entyというサイトでは支援していなかった月の作品を見るにはその月支援していた人が払っていた額と同額を支払うことで、バックナンバーの購入という形をとるようになっている。
しかしentyでは作者は2021年2月以降のバックナンバーを用意してないのだ。
一方fanboxというサイトではそれを補うようにして、支援した人限定で閲覧可能なページの中に、作品が置いてあるドロップボックスへのリンクが貼ってある。
その月の作品が置いてあるリンクと、2019年以降の過去作品が置いてあるリンクを「ランダムで2か月分」だ。
また閲覧可能なページの中に記載されているリンクは一か月ごとに入れ替わる。たとえばある月に支援を始めた人に対して、翌月から支援し始めた人は、その月の作品は当然閲覧できるが、先月分も含め過去の作品が見られるかというについてはランダム性にかかっているのだ。
しかもどの月のもの選ばれるのかという対象範囲は、一か月経過するごとにひと月ずつ増えていくことになることが分かると思う。
つまり、前述の問題におけるくじ33本というのは2019年1月から2021年10月までの期間に対応する。ランダムで2か月分見られるということはくじを2本引くことと一緒だ。
当たりが9本というのはバックナンバーとして買えない月である2021年の2月から10月という期間に対応する。それ以前の月はバックナンバーとして購入すればいいだけなので、いわば「はずれ」なのだ。
またはずれが一本ずつ増えるということは、たとえば11月から支援を始めた人にとっては翌月になると、11月の分も「ランダムで選ばれる2か月分」の対象になりますが、その月の作品へのリンクは既に知っているのでそれが選ばれた場合も「はずれ」ということになる。
ようするに確率に興味を持った背景が長々としていてしかも問題を把握する側にとっては本質的な情報がそのうちの一部であるため、くじを引くという形に単純化して質問するに至った。
つまりひと月3000円かかることもあり、一体過去作品が全部閲覧できるまでには何円かかるものなのだろう、何ヶ月かかるものなのだろうと心配になったのだ。
そもそも規制されたコンプガチャだって100回に1回はそれなりの確率で当たる計算だしアマチュアだからってこんな舐めた商売が許されるのだろうか。
嫌なら金を払わなければいいというのはいわゆる絵合わせさせる食玩も同じだ。しかしあれには絵合わせすることで得られるものには価値を見いださず絵(たとえばカードという形態である)自体に価値を感じて購入している人もいたわけだ。それでも規制された。
これを逆に考えれば、絵師の作品というのは「全ての作品を持っている状態」に一定の価値を持つ層がいてそのために支援を続ける人がいるわけで、しかしその状態に持っていくには何百回何百ヶ月と試行しなければならないのだから、やはりこれもコンプガチャの類型として問題視されるべきではないかということだ。
どのような期待値なのかもわからない不安のなかで諦めの目安もつけられなくなり支援者を縛り続けることが問題なのだ。コンプガチャもまた確率的なブラックボックスのなかで購入者を錯乱させていたように。
https://anond.hatelabo.jp/20211003134639
児童は小、生徒は中高、学生は大学だがまとめて生徒と呼ぶことにする
ギャルゲエロゲは「ゲームとしてはアニメや漫画に近い」に入ると思う
https://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/sai_arts
https://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/IkaMaru
ぷよぷよ通と書くつもりだった。以降のシリーズはすまん知らなかった
通のストーリーの簡素さは初代〜64のマリオシリーズに近いと感じる
通より後からは急にストーリー濃度が上がるのはサンシャインに近そう
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/tsz
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/miruna
学校通ってたら旅できないじゃん
主要キャラが生徒という描写が少しでもあれば生徒主題と認定している
学校「や生徒」が主題と書いたのはここをはっきりさせるためだったが
さすがにさりげなさすぎて伝えられなかったようだ。申し訳ないと思う
生徒が主要キャラでも学校シーンはあまり描かないアニメや漫画は多く
例えばドラえもんやセラムンは学校の話は少なくコナンにはほぼ出ない
むしろ授業シーンに力が入っているハリポタなどの作品のほうが珍しい
だから生徒が主要キャラでも旅できるのは多くの作品で証明されている
ジョジョ三部など生徒でありながら数々の国を巡る大冒険を繰り広げた
お遍路の区切り打ちのように旅の途中で家に帰る変則的方法も行われる
光の石の伝説や日帰りクエストなどローファンタジーではよくあること
有名なのはソードアートオンラインのアルヴヘイム編とガンゲイル編か
劇場版ドラえもんもどこでもドアやタイムマシンで一旦帰ることがある
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/aa_R_waiwai
妙に多いといえば現代日本の子供が学校に通っている割合こそ妙に多い
現代の文明社会に生きる子供キャラを描いたらほとんど100%生徒だ
ttps://anond.hatelabo.jp/20211004124738
ゲームもオブジェクトを用意する手間が割としんどいのかもしれない
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/gabill
漫画の場合は授業時間などをスキップして学校行事や放課後だけをつまみ食いできるけど、ゲームだと省略し過ぎると没入感が削がれる。
納得がいくようでもありいかないようでもある。識者の登場が待たれる
しかし例えばドラクエ2の勇者は王子らしい生活がほぼ描かれてないが
そのせいでプレイヤーが没入しにくいという話を聞いたことはないから
生徒の生徒らしい生活描写もほんの数カット程度で足りたかもしれない
一揆をする農民や色を揃える医者もゲームの中ではただ戦ってるだけだ
初めはアキネイターぽちぽちしながら適当にぶちあげた理論だったけど
ブコメ見ながら考えてたり返信書いたりしていたら頭が整理されてきた
またブコメやトラバで学校が舞台のゲームとしてあげられているものが
想定となんか違ったので自分の立てた疑問がずれていることに気づいた
そうして浮かんできた思いつきとこのブコメが符合したので貼っておく
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/AKIYOSHI
ゲームはプレイアブルコンテンツだから、物語のベースにいわゆる「学園的共通体験」がなくとも自分ごとになるからでは。だから最初から世界で戦える。
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/cotbormi
言われてみればゲームに少ないのは学校のような特定のものというより
平凡だった人間がある日突然変わった出来事に巻き込まれる物語構造だ
生徒が主要キャラになりにくいのはこの傾向が生む結果の一つのようだ
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/nakex1
マンガ等なら学生が思いがけないことから冒険や戦いにってするところを,ゲームだと最初から戦士や兵士ってことは多いかもしれないな。
https://anond.hatelabo.jp/20211003134639
児童は小、生徒は中高、学生は大学だがまとめて生徒と呼ぶことにする
ギャルゲエロゲは「ゲームとしてはアニメや漫画に近い」に入ると思う
https://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/sai_arts
https://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/IkaMaru
ぷよぷよ通と書くつもりだった。以降のシリーズはすまん知らなかった
通のストーリーの簡素さは初代〜64のマリオシリーズに近いと感じる
通より後からは急にストーリー濃度が上がるのはサンシャインに近そう
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/tsz
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学校通ってたら旅できないじゃん
主要キャラが生徒という描写が少しでもあれば生徒主題と認定している
学校「や生徒」が主題と書いたのはここをはっきりさせるためだったが
さすがにさりげなさすぎて伝えられなかったようだ。申し訳ないと思う
生徒が主要キャラでも学校シーンはあまり描かないアニメや漫画は多く
例えばドラえもんやセラムンは学校の話は少なくコナンにはほぼ出ない
むしろ授業シーンに力が入っているハリポタなどの作品のほうが珍しい
だから生徒が主要キャラでも旅できるのは多くの作品で証明されている
ジョジョ三部など生徒でありながら数々の国を巡る大冒険を繰り広げた
お遍路の区切り打ちのように旅の途中で家に帰る変則的方法も行われる
光の石の伝説や日帰りクエストなどローファンタジーではよくあること
有名なのはソードアートオンラインのアルヴヘイム編とガンゲイル編か
劇場版ドラえもんもどこでもドアやタイムマシンで一旦帰ることがある
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妙に多いといえば現代日本の子供が学校に通っている割合こそ妙に多い
現代の文明社会に生きる子供キャラを描いたらほとんど100%生徒だ
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ゲームもオブジェクトを用意する手間が割としんどいのかもしれない
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漫画の場合は授業時間などをスキップして学校行事や放課後だけをつまみ食いできるけど、ゲームだと省略し過ぎると没入感が削がれる。
納得がいくようでもありいかないようでもある。識者の登場が待たれる
しかし例えばドラクエ2の勇者は王子らしい生活がほぼ描かれてないが
そのせいでプレイヤーが没入しにくいという話を聞いたことはないから
生徒の生徒らしい生活描写もほんの数カット程度で足りたかもしれない
一揆をする農民や色を揃える医者もゲームの中ではただ戦ってるだけだ
初めはアキネイターぽちぽちしながら適当にぶちあげた理論だったけど
ブコメ見ながら考えてたり返信書いたりしていたら頭が整理されてきた
またブコメやトラバで学校が舞台のゲームとしてあげられているものが
想定となんか違ったので自分の立てた疑問がずれていることに気づいた
そうして浮かんできた思いつきとこのブコメが符合したので貼っておく
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/AKIYOSHI
ゲームはプレイアブルコンテンツだから、物語のベースにいわゆる「学園的共通体験」がなくとも自分ごとになるからでは。だから最初から世界で戦える。
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言われてみればゲームに少ないのは学校のような特定のものというより
平凡だった人間がある日突然変わった出来事に巻き込まれる物語構造だ
生徒が主要キャラになりにくいのはこの傾向が生む結果の一つのようだ
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/nakex1
マンガ等なら学生が思いがけないことから冒険や戦いにってするところを,ゲームだと最初から戦士や兵士ってことは多いかもしれないな。
33歳、子どもの頃にスーファミ→64→PS2と通ってきたが、高校の頃からなんとなくゲームをやらなくなり、その後ハードを買うことはなく、コロナ暇もあって20年ぶりぐらいのハード購入。
Switchにしたのは持ち運びたかったからというのもあるし、はてブでよく見るインディーゲームがそこそこ充実してるからという理由。
インディーゲームのレトロな雰囲気をSwitchの画面でやるの楽しい。
高級なグラフィックのものはYouTubeとかで見るとPS4とかと比べるとかなり劣ってるけど、まあこれはこういうものと思えば全然マイナスでもない。
とにかくこの1年睡眠を削って夢中でゲームばっかりやりまくったのでいくつか感想を残しておきたい。
Switchで最初のソフトがこれということで一番最初にやった。時のオカリナやトライフォースは小学生には難しかったがゼルダは好きだった。で、大人になって久々のゲームがこれだがちょっとこれは衝撃を受けすぎた。
見渡す限り広がる美しい景色、その見えるとこどこでも行ける。山は登れるし登ったらまた行きたいところがあるし、自由でありながらそれとなくやること行くとこを示してくれる感じがとにかく気持ちいい。
謎解きそのものが楽しく見つけることのご褒美になってる祠やコログのおかげでどこにでも何かしらの発見があり、隅々まで見たくなる。
プレイ時間は850時間、達成率は97パー。残り数十匹のコログを見つけるのが寂しいが未だに毎日ちまちま探すのが楽しい。
不満を言えばボスの個性のなさとかあるけど、まあ格闘メインに思ってないから微々たるもの。
個人的ベストゲームはスーパーマリオ64で、思い出補正というよりはリアルタイムで3Dという時代の変化を感受性豊かな子ども期に感じられたというのが大きい。
なのであれ以上の感動はないだろうと思っていたが、ぶっ飛んだアクションの数々に圧倒された。
実際同年代と思われる人のレビューにもそういうものが多く、3Dアクションゲームのアイデアなんて出尽くしただろうと思われる2010年代後半に出てるのがすごい。しかもマリオっぽさは全開で。
高難度のものでなくても歯応えと達成感を感じさせてくれるようなコースを作れる人すげーなーって思う。
人のコースをやってみて自分ならこうするとたまに作ってみるけどなかなか納得出来るものが作れない。
しかしアイデアさえあれば子どもでも作れるUIは見事。適当にいじってれば思いつくこともあるし、クリエイティブして人に遊んでもらえる喜びを与えられるゲームというのが素晴らしい。
個人的には超難易度で有名な「第一作 三段跳び」がベスト。土日丸々使ってこのコースだけをやり続けようやくクリアできた。
マリカーは64止まりだったが、わちゃわちゃ度がアップしていて単純に楽しい。
アイテム逆転が嫌いな人もいるだろうけど、あのあちゃーーって感じは友達とやってる時なら笑えて、あらためて面白いバランスやなと。
週末は小学生の甥っ子とやりまくってる。
もう少し歯応え欲しいかなと思ったけど世界観を堪能するにはこれぐらいがちょうどいいのかも。
このゲームやってるとなんでもDIYできるんじゃないかという楽しい気分になってくるので、定期的に起動してる。
めっちゃ面白いけど、散々言われてるマッチングの問題もあるし、64時代のスマブラの面白さを越えるものはそんなにないかなと感じてしまった。
まあそれはクラシック化したってことで凄いんだけど、マリカーはもうちょい進化感を感じたんよね。
マルチエンドで多くのプレーヤーがだいたい同じ順番でエンディング見ると思うけどその構成が鬼だった。ゲームプレーヤーならこういうプレイが好きでしょというのをうまーく見透かされてるし、細かいところにまで仕込まれたネタにもただただ感心。
アンチRPGとかメタネタとか言われてるからひねくれたゲームかと思っていたが、ゲーム性もあってクリアする達成感とか純粋な楽しみも存分に味わえるのが良かった。
変で愛着のわくキャラクターも音楽も本当に好きでちょこちょこ周回してる。
白黒でアートみたいなグラフィック。謎解きの難易度は高くないが、タイミング重視のアクション要素などあってやりごたえ十分。
セリフは一切ないけどストーリーをクリアしていくとどんどん世界観が明らかになってきて、現実社会の問題も思わせる暗いものが浮かび上がる。
結局なんだったのかの説明もないが、白黒画面と合わさって頭の中で物凄く禍々しいものを見た気になる。
こっちはかなり衝撃的な展開があり、エンディングは頭殴られたような感覚で何も考えられなくなった。
LIMBOもそうなんだけど、都合よくギリギリクリアできる謎解きというのもゲーム内世界の何者かが何らかの目的で作ったものという見方が出来るのが面白くて怖い。
何故か乗った人みんな死んじゃった船を調べて名前と死因を確定していくミステリーゲーム。
死の痕跡を調べるとその人の死の瞬間を見れるという仕組みなんだが、そうだとしても全員分は無理だろという難易度の高さ。
脱出ゲームと違ってインタラクトできない場所の情報が重要で、隅々まで調べて推理する楽しみは至高。
グラフィックも特徴的で、白黒2色で3D感があって世界観もドンピシャだった。
Switchの他にプリントアウトした間取り図が必要。公式からダウンロードできる。
このデジタルと紙ペンアナログのミックスが非常にうまくいっていて、難しいから解けた時の感動もえげつない。マジで一人で声出すほどおっしゃーーってなった。
これ書いてる時はセールになってるのでやる前にあまり情報見ずにやってほしい。
全て手書きという昔のアニメ風のグラフィックがとにかく素晴らしい。
背景、ボスのキャラクター、音楽と、それぞれのステージの作り込みが凄くて見てるだけで楽しいが、楽しんでる余裕はないほどの難易度。
ロックマンとかで空中ダッシュや打ち込みには慣れてたが、ボスごと形態変化ごとに初見殺しのオンパレードでとにかく何回も死ぬ。
リトライの速さと、クリアまであとどのくらいかを死んだ時に見せてくれるから何度も挑戦したくなる。
バトロワは色々触ったけどこれが一番ハマってプレイ時間1000超えた。
建築要素もそうだけど、HPが高めで回復してれば知らん間にやられてしまうことがないのが良い。
スピード感も早めだし、建築も徐々に他のレベル高い人がやってくることの意味がわかってきて成長も実感できる。
Switch版はグラフィックどうこうよりたまにカクつくのが致命的。
上を見るとキリないけど、マッチングも今のところちょうどいい感じだし個人的にはSwitchで十分。
ソロがないチーム戦メインのFPSというだけあって連携が重要。
で、たぶんもっと連携が重要だということを実感していくゲームだと思う。
気楽にソロやりたいからあんまりやらなくなったけど、それぞれの特殊能力など奥が深くてたまにやりたくなる。
バトロワの中ではSwitch版でもストレスなくプレイできるものだと思う。
わしゃわしゃ魔法撃って楽しいんだけど、終盤になると誰もあんまり考えずに撃ちまくるという図になりがち。
あと敵倒した時のエフェクトが地味で、なんか知らん間にキルが増えててなんだかなーという感じ。
あっという間に過疎になってマッチングもしなくなったのでアンインストールしてしまった。
街の中を駆け回ったり飛び回ったりしながら転がってるボールで3vs3で戦うのがメイン。
撃ち合いと違ってキャッチできるのと、照準オートなのでエイム力は一切要らないのが肝。
ボールがない時はプレイヤーがボールになったり、一人を集中攻撃してスコアしたりと連携が決まった時の快感は凄いものがある。
実際もうちょっとボイス無しでもゲーム的に上手く連携させるようにはできると思うけど。
レベル上がるまで無料で出来るけど、そのころちょうどマッチングしない過疎状況になり放置。
ニンテンドー以外が撃ち合いじゃない面白いオンラインゲーム作ってるのは応援したいんやけど、プレイできないゲームにチャリンする気持ちにはならず。
確かに倒されないからコノヤローって気にもならず、何回も何回もって気にはならんのよね。
クリアまでもそんな時間かからないし体も疲れないけどしっかり登山とゲームの達成感がある。
中に出てくるキャラクターのセリフ一つ一つが良く、会話するごとにのほほんとした気持ちになれる。
ストアにあって気になったからやってみたけどスマホなら無料でできる模様。別にスマホでも十分楽しめるかな。
これはまあ脱出ゲームで、部屋の中に隠されたゲームを探すというもの。トラップや変則的な隠し場所などアイデアも面白い。
シリーズ全て、最終ステージがちょっとしたストーリーになっていて、特に一作目はこれがめちゃくちゃ面白かった。
あとはまあPS時代に遊んだDMCやらFFXやらを懐古的にたまにやったりしてる。
だいたいこういう感じの好みの人間です。
おすすめあったら教えてください。
ぱっと思いつくのでは、いちいち他のキャラが「あの○○を倒しているんだぞ」と主人公を評するという手があるな。
ニンジャスレイヤーでは、ソニックブームやバジリスクがこれだったな。
あと思いついたのは、幽遊白書の鞍馬や飛影は、ダイ大のクロコダインやヒュンケルは、仲間になることによって、結果的に主人公といっしょに永遠に格が上がりづ付けたな。
ワンピースで言えばバギーあたりも変則的だけどこの枠かもしれんな。
そもそも漫画全体をインフレさせない、というのもやっぱり有効なんだろうな。
ジョジョとか、今だとアンデラとか。能力バトルで勝ち負けは全部相性と作戦の問題ですって話にする。
90年代前半、自分が18歳の時に区役所に住民票と戸籍謄本を取りに行った際に父親の名前を聞かれたので答えたところ、違うと言われて怒られた。「君、自分の親の名前なんで知らないの?おかしいでしょ」
父の名前は音読みで通っていて、父の親、つまり祖父母も音読みで呼んでいたし父自身もそれが本名だと言っており仕事で使う名刺の振り仮名も音読みだった。
更にもっとおかしな事に気が付いた。父方の祖父母の名前も違う。普段使っていて手紙や軽い法的文書(学校に出す認書など)にも書き、預金通帳にも記され、付き合いのある人に呼ばれる名前は通名だったのだ。本人が全く名乗った事もなく出てきた事もない本名が別にあったのである。
更に自分の苗字も今まで使っていた当用漢字と違い、戸籍では旧字体だという事にも気が付いた。知らなかったので学校の学生証も卒業証書も銀行口座も当用漢字で、それで通っていた。
何れも父方の関係である。何故こういう風になっているのか良く判らなかった。が、調べる方法を知らなかったしものを知る大人が近くに居なかったので説明を得られなかった。
その後10年以上が経過して図書館で調べる方法を知り、更にネットという道具を得た。その結果歴史的な背景がある事が判った。我々はほんの十数年前の事すら知らない。核家族化によって大文字の伝統から外された風俗も伝授されない。
日本は中華文化圏の周縁にあった。独立した文化ではあったが風物の認識には漢籍(中国で書かれた書物)が参照される。梅雨があるのにそれを無視して「四季」なんていうのもそうだ。漢詩での季題に倣って詩やうたを詠んだ事に由る。
昔の中国では親に貰った本名を親を除いて他人が呼んではいけない。本人も使ってはいけない。これは諱(忌み名)であり墓場まで持って行く。他人が本名を呼ぶのは殺人に値する非礼である。
この風習が日本でも倣われ、江戸時代まではやはり出生時に親に貰った本名は親以外が使ってはいけなかった。幼少時には幼名を使い成長した後には仮名(けみょう)を使う。仮名というのは後世の歴史用語であって当時の人達は本名を絶対使わないのだから「名」といったらこれのみである。
武士の場合は朝廷の官名を名乗った。大岡越前守の越前守は律令制時代の越前国の長官だ。それを名乗っている。水戸黄門は変則的で黄門は中国での中納言の事である。漢籍=知的であるので漢語で名乗ったものだ。~~左衛門~~右衛門というのは宮廷の衛兵の事だ。だから家光公なんて言い方は後世のもので当時の人は絶対に言わない。言ったら死刑だ。
外国の報道では天皇の名にemperorを付けるが日本語の報道では絶対に名を呼ばないのはその名残である。
明治になるとこの風習は廃され、どこでも本名を使う事が定められ、諱の併称も禁止された。だから明治以後は本名一本主義である。
…のだが実際は人々は従わなかった。相変わらず通名も使われ続け、更に一般化したのが有職読みだ。
有職(ゆうそく)読みは訓読みする語を音読みする事である。特に名前での使用が顕著であった。
例えば名付けする時に音読みも訓読みも出来る名にする。本名は訓読みとして戸籍に記す。だが一般に使うのは音読みの名前とした。
一般と言っても法的な行動含めほぼ一生の生活の全部である。不動産を買ったり婚姻届け出す以外ではそれで問題は起きなかった。現在常識化している正しい本名をどこでも使うのを求められるようになったのはバブル以後の30年位でしかないからだ。
だから歴史で伊藤博文(ひろぶみ)と習っても、当時の人はひろぶみなんて呼ぶ人は恐らく一人も居ない。呼び方は「はくぶん」だ。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13120057343
「イヌカイ キ」とフリガナを振っている。日本人の名に「き」はちょっと変だが、訓読みの本名を音読みするのが当たり前なのでそう書いてあるのである。当然本人の名乗りだけでなく世間の通りも「き」なので当然の事だ。
戦前の新聞を見れば歴史で習うのと違い、政治家の名前はほぼ全て音読みのフリガナが振られている。原敬なら「ハラ ケイ」である。
戦後になると流石にこの風習は廃れた。特に戦後生まれの団塊世代はこの倣いに従わなかったし、その親である戦中派の多数派も有職読みで子を呼ぶ事をしなかった。
しかし保守的な家庭ではこの倣いを続ける所もあった。それが私の父方だったのだ。祖父は旧職業軍人で戦後も神社や右翼人士と付き合いがある右翼シンパであった。
こんな感じで段々とこの倣いは細くなって行ったのだがバブル期~90年代前半にトドメがさされた。
銀行口座はそれまでハンコと通帳だけを参照するもので、本人確認もろくに行っていなかった。だから仮名での口座開設も簡単であり、銀行自体がそれを止めていなった。日本人で外国人名の口座をもっている人もいるし、法人格獲得していない社名でも口座が開設出来た。
だが当時日本はストックの急拡大により急激に国際的な地位を獲得しつつあり、マネーロンダリングへの対策を求められる事になった。これで仮名での口座開設は不可能になり、本人確認書類も必要になった。口座の文字は本名の字と一致させる必要がある。
更にIDカードが常に参照される社会になって行った。90年代初頭では「欧米では何するにもIDカード提示させられるのでID携行必須なんだよ」というのが珍しい事として語られていたのだが、90年代後半の日本はその欧米と同じ状態になっていた。
こうして本名との完全一致は常に求められうようになったので有職読みとか通称使用とかは完全に無くなって行ったのであった。
だから私が区役所で怒られる数年前までは細々と続いていた風習であったが、現代っ子であった私は自分の周囲がそういう古い倣いに従っていた事に気づかずに居たのである。
そして私を叱った区役所の役人は自分が生まれた頃にはまだかなり現役の風習に気づかず40年以上生きてきたのである。更に戸籍や住民票を扱う部署に配属されてなお知らなかったのである。常識とは視野を狭くする事の一例だ。常識があるが故に保守的な風習が認識できないというのは寓話的だ。
こういう事が判ってから母型の家系を調べると、やはり曾祖父母として認識されていた名前が戸籍に出てこないケースがあった。認識されていた名前と本名が違うのだろう。
現代っ子の自分は時代の常識に則り祖父母の名を本人に代わり書く時も本名を使うようになったが、この辺の知識が無かったのでその時バツが悪い思いをしているだろうという事に気が付かなかった。直接聞いた訳ではないが生まれてから数十年それが名前であったのだから言うまでもない。
親にキラキラネーム付けられて成人してから変名するケースが増えているが、この問題も昔の知恵なら問題にならない。
そもそも親がまともかバカかというのは子がベット出来ないギャンブルだ。そしてやたらとおかしな名前をつける親というのは戦前には結構いた。ダジャレで付けたり有名芸者の名前付けたり、バカ親は戦前でもバカ親である。
でも通名を別につける方法が残されているから問題が無い。「親に貰った名前を変えていいのですか?だって?親に貰った名前を名乗れるかよ!」と言えたのだ。
更に変な読みを付けられても有職読みすればいいのだから問題ない。「今鹿」で「なうしか」と付けられても「こんろく」と名乗ればいい。これは今でも教育現場でも会社でも本来の読みに固執しているのが問題であってそんな例外なきルールなんて精々30位の歴史しか無い。困った問題が続出しているなら破棄すればいいだけの問題だ。
なので硬いルールと思っているものが実は30年程度の風習でしかない事に気が付くべきだし、柔軟にしたら解決する問題もあるという事に気づくべきだ。伝統というものは伝統と思っているものの外側にある事がある。そしてその伝統が問題を解決する術を持っている事もあるという事に気づくべきだ。
最後に、あの区役所のおっさんにこの「自分の親の名前の読み方を知らない理由」を言って聞かせたいもんだが、もう鬼籍に入っちゃってるだろうなぁ。あんたの叱責のおかげで日本の伝統について知ることが出来たぜ。
いまいちだよね。
対戦チームは、ほかのスポーツから転向してきた選手がそのスポーツのテクニックをバレーに活かすとか、異常に身体能力の高いアタッカーいてそいつに全部ボールを集めるチームとか、変則的なチームばかりでそれをいかに攻略するかって展開だけど、決勝のチームは奇策は使わずに王道のバレーをやって強いってやつ。
アイシールドも、たしか全国一をきめる試合は、全部のポジションの能力が高いってチームだったし。
はじめの一歩のリカルドマルチネスも、なにか特徴的な能力があるってわけじゃなくてただの完璧超人だし。
まあそのほうがラスボス感はでるけど、試合が始まると「絶望的な差があるようだけど、主人公チーム、わりと戦えてるじゃん」って肩透かしになる。