はてなキーワード: 題名とは
https://note.com/syosin_kai/n/n86f654833d52
1997年から2002年のゲーム関連の店舗の減少をあげて、何があったのかを解説した記事なんですが、これに対して「なぜダウンロード販売の影響を書いていないんだ。この記事は信用できない」って反応があってとてもビックリしたことは心に残っています。そして教訓になっています
https://x.com/syosin_kai/status/1833986674063487342
上記のnote記事では、序盤のほうで1997年から2002年までの店舗数の激減をデータとしてあげており、その後の文章でも2002年までに刊行された文献を参考に当時の状況を分析している。ダウンロード販売の話題が入る余地がないことは明らかだ
しかし、当時のはてなーの反応はこのようなものだった。題名しか読んでいないはてなーしかいない
tsutsumi154 ダウンロード販売に移行してるのに旧態依然だったからでは CD屋と本屋と物理媒体を必須としないのに勘違いしてる まだ物理
workingasadog-kt ん?ダウンロードする方が便利なのに実店舗いらんやん、で終わる話と思ったけど違うんか…(ビデオレンタル店が消えたのと同じ話じゃないの)
tettekete37564 中古対策としてベスト版出し始めたのとダウンロード販売の一般化。中古屋のネット移行、のあたりと思われ。/ あー確かに> “店舗に行ってはいるものの、店頭にある情報は参考にしていない”
mayumayu_nimolove ダウンロード配信主流になったからでは。あ、その前にAmazonが現れたからもあった。
aratety 競合となる蔦屋が現れた(そしてそれは町のゲーム屋としてカウントされない)・ネット販売が普及した・DL販売などの直販が普及した これに対してプラス要因は0 そりゃ潰れるわ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/syosin_kai/n/n86f654833d52
UhoNiceGuy ダウンロード販売やAmazonが普及する前の2000年より前の話やぞ//ゲームソフトが小規模店に合わなかったのかねぇ。でも、個人店の八百屋も見なくなったし、小規模店は現代では厳しいのでは ゲームマーケティング歴史
いっぱいトラックバックが付いてるのに
というか最初に付けてくれ
「colaboの仁藤夢乃先生、トー横キッズ支援事業(きみまも)を痛烈批判」
https://anond.hatelabo.jp/20240910183149
「colaboの仁藤夢乃先生、都のトー横キッズ支援事業を痛烈批判」
https://togetter.com/li/2427482
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2427482
それでも時間かかるんだけど
皆 器用だなあ
便所の落書きみたいなもんだが、思ったより読まれてて、みんな興味あるんだなーと。
これは私も思った。1社目は最悪だっただけに。
2.それでもなぜ外資系?
(1)自分のことだけやればよい的思考。みな自分の仕事にしか興味ないし。ロール違うと助け合う発想にならないし。無駄なことが少ない。
(2)ジョブホッパーなので、外資系くらいでしか雇ってくれなさそう。
(3)重厚長大系に勤める妻いわく、「あなたは絶対日系大手は無理」とのこと。清濁併せ飲み、人と長期的に関係築くのが苦手でしょ、と。自分もそう思う。
(4)お金。
(5)ワークスタイル柔軟。働き方について細かくあれこれ言われない。基本ほったらかし。
3.パッケージどうだった?
それぞれ。ただ言えることは、条件交渉は絶対すべきということ。条件交渉すれば、多く取れます。
共働きとはいえ、家族養っていかないといけないからね。ジョブホッパーになってしまって、履歴書汚れたな、と時々落ち込んでます。
5.基本的に優秀なんだろうな
6.「2社目だけどこかわかった」
おお、あの場にいた同志かな?頑張ってね。私も頑張る。
7.3つとも違う会社なの?
8.退職金長者?
いいえ。雀の涙よ。
言われたその日はすごくショックよ。自分を責めるし、情けない気持ちでいっぱいになるし。でも、1時間後には仕事探しを始めている。慣れだと思います。
外資系だと、部下のリストラの責任の一端は上司にある、という発想がそもそもないと思います。会社によって違うとは思うけど。
日本の外資系は退職勧奨を利用して、人をバンバンやめさせる、ある意味無法地帯みたいな感じだが、よいとは思わないです。労働者の権利は強いほうが良いと思います。
(追記終わり)
上司の上司からの対応が最近冷たいなーと思っていた矢先のこと。
直属の上司(アメリカ)から、よくわからない題名の打ち合わせが設定された。
そして、Teamsを開くと、上司だけでなく、参加者ではないはずの人事(日本)も出席していた。
(この時点で終わったと思った)
そして、以下の通り話がされる。
「あなたはこれができていません」
「あれもできていません」
「この点も指示通りできていません」
「●●もだめです」
リストラと決まったら、「私はちゃんとできています」などと言っても無駄なので、言うことに抗弁はしなかった。
で、後から知ったのは、上司の上司は、常にリストラできる社員を一人残しておいて、彼/彼女には冷たく接しておく。
そして、誰かやめさせる必要ができたときには、その一人を切る。で、私が切られたわけ。
4月のある日に、日本法人の全員に対してメールが来て、「来週火曜日の午後2時に重要なミーティングあるので、全員参加してね」と連絡。
Teamsに参加すると、APACの営業ボスと人事と弁護士の3名がカメラに写っている。
そして、
「先日のリーダーシップ変更により、選択と集中を推し進めることになり、日本法人はなくなることになりました」
といった感じで、15分程度で終了。
一部、怒っている社員もいたが、大半の社員はショックを受けつつも、次どうするかなーと白けた感じだったのをよく覚えている。
日本法人の社長が打ち合わせに出なかったのは、日本法人を閉めるという判断に納得がいかなかったからだそうな。
年明けの上長(イギリス)との週次Meeting時に、Zoomごしに下記言われる。
「今日は残念な話をしなければなりません」
「正直にいって、期待したパフォーマンスには達していないと思う」
「でもそれも仕方ないと思う。うちの会社はIBMみたいな会社でなく、一人で何役もやらなければならないハードに働く会社だし」
「退職の詳しい条件については、人事より別に面談を設定されます」
「何か私がお手伝いできることがあればいつでも知らせてください」
旧帝から外資系の企業に就職して、少し前から産休中の20代後半。
物心ついてからずっとビアン寄りのバイで、交際相手の性別は6:4で同性の方が多い。
大学の人口比は男性に偏っていたので、彼女を探したい時は所謂レズビアンバーみたいなのに通っていた。
レズビアンと聞くと、男を必要としない強い女みたいな人物像をイメージするかもしれないが、実際はそういう女性の割合は少ない。(男性に稼ぎ手を期待しない分、ヘテロよりは多いのかも?)
最近はLGBTへの認知度が上がってきたせいか、「男が無理」「セックスが無理」だが精神・経済的拠り所として恋愛は必要、みたいなタイプの、言ってはなんだがテイカー気質の人間が増えたように思う。
外見はフェム(女っぽい)だけど、私みたいな人間はこういうテイカーレズ層に爆モテした。
私はアセクシャル?ではないバイなので、当然女体に性欲が沸くんだけど、彼女達は結構露骨に行為を避ける。その割に、同棲(何故か私のほぼ一馬力前提)の約束は急ぐ。
異性愛男性の多くはこの仕打ちに耐えているのかもしれないけど、ビアンの場合はこれに「実際は性別の段階で相手の性愛対象じゃないかもしれない」という疑念が重なるので、社会人一年目くらいでもう疲れてしまった。
彼女たちの「強い女」に対する欲求というか依存は凄い。ありとあらゆる手続きや電話を自分でしなくなっていくし、別にこっちの専門じゃないことでも平気で投げてくる。
本来誰かに扶養されないと生きていけないような層がミサンドリーという狂気に取り憑かれた結果、「誰かの娘であり続けたい」という甘えた感情をビアンと取り違えてしまったんだろうな。
タイミング良く経歴の近い異性に告白されたので、そのまま付き合って結婚した。
バイで良かったな〜と思う。これで(追記:私みたいな性格・女の趣味で)純度100%のビアンだったら、多分生涯のパートナーを見つけるとかはできなかっただろうな。
【追記】
・元カノのことを考えながらむしゃくしゃして書いた文章が伸びてしまい、少し動揺しています
・かなり主語が大きい話になってしまいましたが、ビアン=テイカーという意図はなく、「私の問題で」テイカーな女性との接点が多かったという話です
(こんなに読まれることを想定しておらず、わからないと言う声が多かったので)
・パワーレズ:社会的スペックの高いレズビアンの意味で使っています(諸説あり)
・テイカーレズ:完全にこの文章の造語です。そのままの意味で「テイカー気質のレズビアン」という意味で使っています。そんな言葉は存在しないので、私が言えたことではありませんが、この単語でレズビアン界隈を攻撃するのはやめてください
・レズ:そもそも、一般的にレズは蔑称なので使わない方がいいです。通りやすさ重視で題名にしましたが、最近はビアンの方がよく使います
<追記:予想以上に伸びて困惑しています。コメントにお答えさせていただきます。>
とりとめなくいろいろ書いてしまいましたが五郎さんが質問にまともに答えてくれないように見えたことなど
じつは質問云々は言いたいことの一番ではなくて(もっといえばどうでもいい)、文中にもあるとおり、
私は誰かがバカにされている姿を見るのがどうも苦手になってしまったみたいだなあって話です。
その過程で、このチャンネルの「質問者をバカにするスタイル」に対して多少批判めいた内容になってしまっただけです。
・まともに答えようとしないの件については文中に追記しました。>まともに答えてるけど
・この切り抜きチャンネルは公認であり、たまたま見ただけです。本編も見ています。>切り抜き動画は常に信用するに値しない
・題名は何となくです。別に批判とかじゃないです。書いてあるとおり「悲しくなった」だけです。>「某」とタイトルで書いておきながら
・もちろん見ましたよー。語弊があったようなので追記しておきますね。>マグリットは少し前に同チャンネルで取り上げていたよ
・別にムカついてるわけじゃないです。書いてあるとおり「悲しくなった」だけです。>増田のムカつきどころがわからん
<以下本文>
https://www.youtube.com/watch?v=0jBFi5zGuJs
1年前の切り抜き動画で申し訳ないけど、たまたま山田五郎さんのYoutube動画を見てたらさ。
「”作品はすばらしいけど人間的にはクズ”という芸術家は過去にたくさんいましたが、
現在、そういった破天荒な芸術家は絶滅してしまったんでしょうか?」
みたいな質問に五郎さんが答えてたんだけど、これが、なんというか、終始、相手を一笑に付しているというか、
ずっと相手をうっすらバカにしながら「芸術家以外にもクズはいるだろ!」とかいうストローマン論法でもって
なんか、つい最近、自動車運転免許のクソ問題が話題になったじゃん。
そんとき「AはBである」は決して「AだけがBである」を意味しないってコメントついてたけどまさにそれ。
この質問者は「芸術家だけがクズ」なんて一言も言ってないのに五郎さんはなぜかそこに執着して
ひたすら「芸術家=破天荒ってのは偏見だ!」という主張を、半笑いしながら繰り返すのみ。
(追記:ブコメで指摘あったけどまったく答えてないとは言ってません。1割2割の話なんじゃないのと答えてくれてはいます。言い訳すると、この質問者はおそらくそのような一般論ではなくて五郎さんの個人的なもっとおもしろい見解や、具体的なエピソードを挙げてほしかったんじゃないかと勝手に思って、「まともに答えようとしない」と書いてしまいました。そこは訂正します」)
まあ、もともとこのチャンネルはワダさんっていう天然系キャラのお姉さんがアシスタントしててさ、
何もわからない役のその子に五郎さんが西洋美術史を教えるっていう体裁でやってきたチャンネルだから
彼の「おまえ、そんなことも知らないのかwww」っていう相手をバカにするスタイルは定番というか、
最初からなんだけどさ。そのスタイルを質問してきた一般の視聴者にも適用しちゃってることに対して、
なんだか、ものすごく共感性羞恥(バカにされバージョン)みたいな感情が湧いてくるんよ。
「そんなイメージがあるのはこのチャンネルの影響かもしれない。なぜなら破天荒な芸術家ばかり取り上げてるから」
と彼なりに主張を軟化させたかと思いきや「そういった意味でマグリットを取り上げないのは話すことないから」
「彼はまじめな人間だし作品も見たまんまなので」と、意味不明な論理でマグリット作品を切り捨て始めるんだよね。
五郎さんくらいの人間がマグリットや彼の作品をおもしろおかしく語れないはずがないので(追記 実際、今年の6月にやっています)
ああ、このひとは今主張してることを補強するためだけにこんなこと言っちゃうんだなあって、ものすごいガッカリしたし、
極めつけは5:15あたりにポロッと出た「だってマグリットは銀行員みたいな暮らししている人なんだもん」という言葉。
おいおい。とうとう馬脚を現してんじゃん!
自分は銀行員に対して思いっきり「まじめ」って偏見もってるんかいwww
こんな調子で終始言ってることはめちゃくちゃで、しかも質問者に対してあまりにもボロカスいうもんだから
アシスタントやスタッフがひたすら質問を言い換えたりフォローしまくってるんだけど、五郎さんはぜんぜんとまらないわけ。
挙句の果ては11:08あたりで、スタッフの「芸能界なら炎上したら仕事なくなるけど芸術家ならまだいけるんですか」
という角度をかえた質問にして、思いっきり噴飯しながら「何言ってるの!?」とあざけり倒すシーン。
「そんなもんいけるだろ。作品買ってくれればいいんだから」と、またおかしなことを言い出す始末で。
あのですね。このスタッフさんは「芸術家も炎上したら仕事なくなるのか」と聞いたわけですよね。
それに対して「炎上したって仕事があれば大丈夫」って。答えになってませんよね!?
それなのにアシスタントもスタッフも「なるほどー」とかいって全肯定しちゃってるの。
なんかもう裸の王様みたいで、見てて悲しくなってきちゃった。。。
題名そのままだが、ネットではとにかくイジメが第一次産業になっている。普段から反労働勢がいそいそとイジメの加担に積極的なのね。
問題はその行為自体になんの決着も目的もないこと。例えば相手を完全に失脚させるとか、金をもらうとか、そういうことがどこにもない。
真剣に何かと対峙して互いの主張を言い合うってことが誰もできてないし、喧嘩ですらないことが大半。
今まさに増田とブクマカで論破合戦やってるけど、あれも誰がどう決着つけたがってるのかわからん。単に相手をたたきたい欲求に突き動かされてるのを見ても楽しくない。
題名の通り。去年までは両方とも発売されていたけど、今年になって消えた。
以下要因を邪推
戦隊もののソーセージは畜肉、プリキュアのソーセージは魚が主な原材料となっている。で、昨今の円安や世界情勢の混乱により、原材料となる魚製品や畜肉などの価格が値上がりした。
一方でこの手の商品は子供向けである以上大幅な価格転嫁ができず、結果として利ザヤが減ってしまった。
そもそもこの手の商品は版権料とかの問題もあるのでもともと利ザヤが少なそうに見えるが、資源高でさらに減ってしまい製造する企業にとって旨味がなくなった。
水産庁の資料(図表1-8 食料品の消費者物価指数の推移)を見る限り2020年以降原材料となる魚介類や肉類の価格が一気に高騰している。
バンダイが発表している数値によると、2023年時点での年間売り上げ(国内トイホビー)は
となっている(参照)。翌年の売り上げ見込みは微増しているが、全体的にはそこまで高くない。
参考までに10年前(2013年)の売上を見ると(参照)、戦隊シリーズは96億、プリキュアシリーズは106億円であった。
少子化とか娯楽の多様化とか放送時間変更とかいろいろな要因があるのだろう。ただ、これらのシリーズの商品の大部分を出しているバンダイの売り上げが減っているということは、他社が販売する関連グッズの売れ行きも鈍りがちになっているということはなんとなく想像はつく。
当然そこにはソーセージも含まれるわけで。結果として高い版権料を払ってIPを取得しても売り上げが…という事態になりかねない。当然会社にとっては旨味がない。
(※なぜ「IP別売上高」の数値を比較しないのかといえば、戦隊シリーズのそれにはバンダイが海外で販売する『パワーレンジャー(※海外向けにローカライズされた戦隊シリーズ)』の売上が含まれているからだ。
それだけなら何の問題もないような気がするが、パワーレンジャーのおもちゃ販売権?が数年前にバンダイからハズブロに譲渡されたのだ。結果として一部を除いた海外での売り上げがごそっと抜けてしまった。そういう事情を理解せずにその前後で数値を比較をするのは不適切。)
この手のソーセージにはおまけが欠かせない。昔はキン消しみたいなミニモデルが同封されていたりもしたが、戦隊シリーズの場合雪印からプリマハムに版権がうつった2002年にミニモデルからカードに移行している。プリキュアは基本シール類である。
で、これらの商品は同作品のほかのおもちゃなどと連動することはない。少なくとも戦隊ものだとカードを使って云々…というのはあんまりないわけだし(直近だとゴセイジャーとか?)。
最近だとおもちゃはもとより、インターネット経由の廉価なのにリッチリッチハイカー教授な中身のアプリ類も子供の周りにあふれている時代である。そんな時代にただのカードやシールをおまけにつけても、目が肥えた子供がどの程度欲しがるかは未知数である。
そう考えると、アーケードゲーム『ガンバレジェンズ』で使えるカードを同封している仮面ライダーのソーセージはおまけの中身としては優秀なのかもしれない。9月から始まる『仮面ライダーガウ』のは出るかどうかは知らないが。
幼稚園のころから「キャラクターもの=まずい」という認識だった自分の偏見ですが一応。まあ自分は舌が肥えたクソガキだっただけなので敷衍することはできないよなぁ…
アサクリの弥助・黒人奴隷と、そこから派生したロックリー・岡美穂子両氏の言説の元ネタっぽいものを見つけたので要約しておく。
○著者:David Wright
○題名:The Use of Race and Racial Perceptions among Asians and Blacks: The Case of the Japanese and African Ameridans
○出典:1998年、一橋大学社会学ジャーナル(https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/8321/)
・16世紀半ばから、ポルトガル人の奴隷等としてかなりの数の黒人が日本を訪れていた。
・日本人は彼らに好意的で、彼らは尊敬の対象だった。特に弥助という者について、信長は厚遇した。
・ポルトガル人が頻繁に黒人奴隷を献上するので、日本人も彼らを見下すようになり、明治維新の頃にはその見方が定着していた。
・というか白人との接触前から日本では白い肌が美しいと言われてたけどね。(その割にはお歯黒は何故?)
・一方で、肌の黒い聖人もいたことから黒い肌に対する欧米のような差別感情は持ってなかった。オランダから入れ知恵されてたのに不思議だね。
(以下開国時の話が続く)
この、「日本人は彼らを尊敬していた」「肌の黒い聖者もいた」が、ロックリー・岡美穂子両氏による「弥助は神とされた」等に変換されていったのではないだろうか。
なお、知る限り弥助を神とした、または神に近かった、神のようだったなどとする史料は発見されておらず、専門家によるものでは、ロックリー氏や岡美穂子氏が述べているものがすべてのようだ。
特に八幡神は南無八幡大菩薩(那須与一)で有名な武士の神であり、これになぞらえるというのはとてつもない厚遇だし、文献にも残っていると思うのだが何を根拠にされたのだろうか。
信長に関する史料では弥助のビジュアルイメージが「八幡神に近かった」と言われています。あるいは、中国の史料ではアフリカ系の人を「黒鬼」と表記している。ですから、実用的な屈強さを求めただけでなく、そういう人間を自分の近くに置くことで「こんなに強いヤツを従えているんだ」という格付けに役立つと考えた、イメージ戦略の部分もあったと思います。
弥助もそもそもアフリカ大陸内の部族間闘争で生け捕りにされ、外国人に売られたといわれます。
(略)
ロックリー・トーマス氏によると、当時の都だった京都の住民と同様、信長は弥助の背丈や体格、肌の色に畏怖の念を抱いたという。
(略)
信長は弥助を「大黒天」ではないかと考えた。大黒天は豊穣(ほうじょう)の神で、寺院では通常、黒い像によって表現されている。信長は弥助の肌の色は墨によるものだろうと思い、こすり落とそうとした。本当に黒人だと納得すると、直ちに宴会を開いて敬意を表したという。
→通常の中国語ではその通りで、日本語に訳すと「黒い幽霊」といった意味合いになる。
あとは道教では鬼というのは死後の世界の人に該当するもので、鬼世界があって普通に鬼が暮らしていて鬼の役人がいたりもする。
いずれにしても中国語の「鬼」には日本のように「強い」「屈強な」という意味はない。(例えば「悪党(中世)」・「悪源太(源義平)」・「悪太郎(堀内恒夫)」という使い方はしない)。
なので、岡美穂子氏が「屈強な黒人」「神格化」という意味で取り上げたのは、解釈の誤りのように思う。御本人の説明を求めたいところだが。
ただ中国史については良く分からないので、昔はそういう使い方をしていたというのであれば補足よろしく。
→弥助はモザンビーク出身って記述があるんだけど、前半生は全くの不明で、岡美穂子氏が「部族間闘争の結果生け捕りになった」とした根拠は不明。
当時のモザンビークってインド人も大勢住み着いてるので、インド人とか混血の可能性は十分にある。
とりあえず「○○は不要だ(じゃないか)」みたいな論調は無視している
最近だと「デスクトップPCは不要論」を見たけど内容が酷すぎだった
電気代などを比較してノートPCやスマホでいいという意見だったが、具体性がないうえに用途がゲームとかに限られて全然読む気になれない
基本的に何かを不要と断定する記事はそれを結論付けるために無理やりな論調になりやすく、大抵こたつ記事だ
けどそういった題名の方が読まれるし、突っ込みどころが多い方が自称有識者がこぞって見に来るのでPVもあがりやすい
結果、そういった極端な不要論はなくならない
いうて不要論自体が全部が全部間違っているわけではなく、中にはそういう考えが当てはまる人が多いんだよ
よくある「ドラム式洗濯乾燥機は不要」みないなのは実際にそう思ってる人が一定数いる上に批判もしやすく簡単に対立煽りになるしさ
これが超マイナーで本当に不要なものになると全然話題にも上がらない
適度にみんなが理解できて浅い意見で対立煽れるものが一番書かれる
なのでそういうのは見ないのが一番
(普段日記みたいな物を書かない癖に勢いで書き殴っているからすごい読みにくいと思う、また題名でお察しだが反AIに対し攻撃的な事書くから嫌な方はブラウザバック推奨)
「何でAI絵師をリツイートやフォローして回るオタクがこんなに居るんだ?気が知れなすぎる。脳に障害あるだろコイツら、それとも全員業者なのか?」
数週間前、上記のようなツイートがフォローしていた絵師のリツイートから流れてきた。
大元のツイート投稿者も絵描きで、完全に一言一句を覚えている訳ではないが「脳に障害あるだろ」という言葉はよく覚えている。
一応私はAI絵と分かる投稿垢は気分的に殆どリツイートもフォローもしていなかった。法に照らして問題は無いんだぞと言われても倫理的には別だろう、三店方式スパチャや転売等と同じであまりにやり方がモラルを欠いていると否定的な意識を抱いていた。
しかしFF内の友人達には違う者も多かった。特に親しい親友の一人もAIに嫌悪感が少なく、プロフにAIと記載してある絵垢にもお気に入りの投稿垢が存在してそれをリツイートしていた。(ちなみにブルアカの健全絵オンリーで、6万以上フォロワーのいる投稿垢だった)
しかし親友たちのこれが好きという感性は余程否定できる物ではないし、たかがリツイート程度に何も言う気もなかったし何も思わなかった。
その親友を。高校の頃からよく一緒に飯を食べに行った、共にポケカの大会に出たり劇場版ウマ娘やグリッドマンユニバースを観に行った親友を反AIはいきなり「脳に障害」などという鋭利な言葉で侮辱してきた。
絵師にトレースを仕掛ける等の嫌がらせはおろかAI生成ツールを使ってすらいない、AI絵をリツイートしただけで親友を脳障害と言い放った。AI絵師ではない、反AI、しかもシラフの絵師がだ。
何でアイツがここまで言われなくてはならないんだ?アイツがお前らにそこまでの事をしたのかよ?そもそも人が何を良いと思うかの感性をそんな簡単に、乱暴に否定して良いのかよ???
そこからは不信感も反感も強まる一方だった。絵に感銘を受けてフォローしていた絵師の方からそのリツイートを投げつけられた事も非常にショックが大きかった。
繰り返すが私は生成AIをめぐる問題は元から著作権など法の問題ではなくモラルの問題であると受け取っており、その上でAI絵師側の方がモラル的に許容し難い存在だった故に今まで否定的だった。
それがその一件で完全に反AI絵師側の方がずっと許せないと振り切れてしまった。
もう一切の味方をしたくない、そう感じてしまった。
障害とまでは言わずとも、AI絵師憎悪が勢い余ってただ絵を描かないだけの層(絵以外のクリエイター含む)を丸ごと範囲に含むような中傷を乱射し、差別心を剥き出しにしてくるような絵師はXに居ると最早一人や二人ではないと感じてしまう。
絵師の側からも呆れ果てて界隈と距離を取っている人が多数居るのも知っているが、その解決策は「自分が身を引く」事でほぼ一貫している。
正面から今の反AIを諭す発言をしても逆上されるだけだろうし当然といえばそうなのだが、残されたコミュニティは更に過激な人間が幅を効かせていく。
ブラック企業をマトモな人から順番に辞めて行って更に深淵のブラック企業が醸成されて行くような悪循環が起きてしまっている。
私は少なくとももう「反AI思想を持つ絵師」にはどれだけ実績や画力が凄かろうが敬意を抱く事は出来ない。
私は今まで周りの人より生成AI論争に対して批判的な人間だったと思っているが、元から「AIでも何でもよくね?」という立ち位置の人には今の反AI活動はどこまで醜悪に見えているのだろうか…
ここ二週間ほどは、都知事選候補だのも地獄の様相を催していたのもありずっとXからログアウトしていた。
でも数週間経った今も尚この件を時折思い出してはイライラしてしまうのでこうやって匿名で愚痴を書き殴らせて貰った。
それほどまでに「脳に障害」という言葉を敬意を表していた界隈から親友に向けられたのは私にとってショッキングな出来事であった。
https://anond.hatelabo.jp/20240703191053
ワイ、昨日書いた増田が250以上ブクマされ、ビビり散らかす。まあ逆張り&背伸びしたい勢は想像以上にいるってことなんだろうか。それにしても「百年の孤独」文庫版マジで見つからんな、4件本屋行ったが見つからん。だからまあアレだ、今度は“「百年の孤独」文庫版売ってないのでもういっそ「百年の孤独」は読まないで逆張りしたい人に薦めるラテンアメリカ文学”というテイでお薦めするわ。逆張りしてる/したいやつ、そもそも「百年の孤独」読まんよな。
アウグスト・ロア=バストス/吉田秀太郎「汝、人の子よ」(パラグアイ)
まず名前カッコよすぎだろ、アウグスト・ロア=バストスって。ラテンアメリカの小説家で一番カッコええよ。まあそれは措いといて、これはパラグアイの現代史とかそういうの描いてんだけど、語り方がめちゃ混乱してる。1人称で進んでたと思ったら3人称語りになったり、日記の文章出てきたり。時間軸もめっちゃ変わる。何かググったらロア=バストス、映画の脚本家でもあったらしいけど、脚本っぽさが違和感の理由かもしんない。こういうわけで読んでて何回もは?とかなるけど、その錯綜っぷりがパラグアイの現代史なのかもね、知らんけど。
そう、日系ブラジル人のナカザトさんが書いた日系移民についての小説。月並みなんだが日本の知られざる歴史ってやつを、ある移民の家族史を通じて教えてくれてめっちゃ面白いよ。これ読んでたら、戦前とかにブラジルだけじゃなくパラグアイとかペルーとか、あと他の地域の国とかに行って生きたり死んだりしてた日系移民めっちゃ多かったんだろうなとかしみじみしてしまったわ。水声社から出てる現代ブラジル文学コレクションで一番好きやね、これが。
ある時起きたら見知らぬ部屋にいて、ドアを開けたらまた別の部屋が広がっていて、その部屋のドアを開けたらまた別の部屋が広がっていて……こういう悪夢みたいな状況を描いた作品がこれなんだけども、こっからまた別の意味で変なことが起こっていって、変なことのバーゲンセールが開催されながらも文章は結構淡々としてて、この素っ頓狂さをどこまでも真顔で書いてる作者の顔面が自然と浮かんでくる。訳者によるとウルグアイは“奇人の国”らしい。これ読むと、まあ納得や。
ソル・ケー・モオ/吉田栄人「穢れなき太陽」(マヤ/メキシコ)
これはラテンアメリカの先住民の1つ、マヤ人の小説家が書いた小説集。マヤ語とスペイン語の2か国語で、先住民社会とか女性差別とかそういうのを描いてる。マヤ人の社会やら文化やらについて当事者が書いた本は少ないし、そういう意味でもかなりオススメ。ていうか俺は、ラテンアメリカ文学の入門としてこの人の作品も出てる「新しいマヤの文学」がマジでうってつけだと思ってる。フェミニズムやら、ファンタジーやら、魔術的リアリズムやら色々てんこもりで、薄めでしかも字もデカいから読みやすい。図書館とかじゃスペイン語文学の棚じゃなくて、海外文学の最後のその他の文学の枠に置いてある時多いから注意な。
ラテンアメリカ文学好きは“三大独裁者小説”って聞いたことあるかもな。カルペンティエールの「方法異説」とロア=バストスの「至高の我」とガルシア=マルケスの「族長の秋」ね。この本はそこに並んでもいいようなブラジルの小説だけど、またクソ分厚いわ、出した出版社がそこまで有名じゃないわで。日本じゃ全然知名度がない。てか翻訳過程がオモロイ。訳者、実は三菱UFJ銀行の元理事で、若い頃にこの本読んで感銘を受けて、50年越しに翻訳したらしい。すげえ執念だ。まあこれは俺の文章より、ラテンアメリカ協会の書評読んだ方がええ。https://latin-america.jp/archives/55186
ソル・フアナ・イネス・デ・ラ・クルス/中井博康「抒情詩集」(メキシコ)
前にスペイン語勉強してた時、メキシコの人に「スペイン語話者にモテたいなら、この詩人を読んでスペイン語での口説き方を学べ」って言われてこの人を教えられた。で、図書館行ってとりあえず見つけたこの日本語版の詩集読んでみたんだが……いや全然そういうのじゃなくね!?一体全体何を以てこれ読んで口説き方を学べと言ったんか、それともジョークで言ったんか、マジ分からんが、詩を諳んじられればメキシコひいてはスペイン語圏でモテるってことかね?日本じゃ現代短歌読めればモテる、みたいな。
マヌエル・プイグ/木村栄一「このページを読む者に永遠の呪いあれ」(アルゼンチン)
ブコメでマヌエル・プイグの話が出てたが、プイグったらこれやろ。「このページを読む者に永遠の呪いあれ」やろ、これくらい印象に残る本のタイトルないやろ。この本の表紙の写真と、何か一言だけつけてXで呟けば一発でバズるやろ。というか多分、もうバズってるやつはいるやろ。内容に関しては、忘れた。前の「ポーランドのボクサー」パターンのやつや。今回はタイトルだけ異常に際立って覚えてるやつ。だって「このページを読む者に永遠の呪いあれ」やん、忘れられんやろ、これは。
サルバドール・プラセンシア/藤井光「紙の民」(メキシコ/アメリカ)
これ、ラテンアメリカ文学として紹介されてるの見たことなくて不思議だわ。英語で書かれてるけども、著者がメキシコ出身で主人公たちもメキシコから移住してきた家族だし、土星戦争みたいに常軌を逸した出来事の数々が起こってる感じ、ラテンアメリカ文学求めてる人に面白がられそう。だがこれが曲者なのが、内容や文章も実験的なら、文字のレイアウトでまで実験しまくりなことで、本引っくり返したりしないと読めない部分すらある。だから本のフリをした現代美術を楽しむノリで読むというか、体験すべきというか。
エリザベス・アセヴェド/田中亜希子「詩人になりたいわたしX」(ドミニカ共和国/アメリカ)
これも英語作品だけども、作者がドミニカ共和国出身で主人公も同じ境遇の少女や。で題名通りに主人公が詩人になろうと色々と頑張るんやが、それが詩の形式でめちゃ改行しまくって書かれてるんだよ。これ読んだ時、マジでビックリしたわ。そんな風に小説書いちゃっていいの?みたいな。内容と合ってるのはもちろん、ドミニカ共和国の伝統音楽も出てきて、そういうリズムも感じられんだよな。もち読みやすいし、こん中じゃ一番気軽に薦められるやつ。みんな、児童文学も読めよ。それが周りの読書好きに対する逆張りや。
フェルナンド・デル・パソ/寺尾隆吉「帝国の動向」(メキシコ)
すまんが、1冊まだ読み切ってない本を薦めるわ。ラテンアメリカ文学のクソデカ本の頂点はロベルト・ボラーニョの「2666」だけど、それには全然劣りながらもページ数880でしかも字がめっちゃ小さい。メキシコ第二帝政時代の皇帝マクシミリアンとその妃シャルロッテのクソデカ悲劇を描いたクソデカ歴史小説で、マジで何度も読むの挫折してる。「百年の孤独」関連じゃ“読むの挫折した”って悲鳴をXで何度も見てきたが、俺にとってのそういう本だ。俺の代わりに読み切ってくれ、ホンマに。
あと友田とんの「『百年の孤独』を代わりに読む」もちろん知ってるで。でもいきなり早川で再販されて、何かサンダンス映画祭でやりそうな面白いインディー映画作ってた監督が、いきなりMarvel作品の監督に抜擢された感じで、嬉しいけど寂しい感じやな。その後にMarvel映画作んなくてもずっとハリウッドで大作作り続ける監督とかザラだし、今後はずっとそういう感じで新作も大手から出し続けんのかね?
題名は某ホッテントリのオマージュ。当該エントリの人、頑張ってはるなぁ。
自分は170cm/95kgから、この9ヶ月ぐらいで85kgぐらいまでダイエットした。今もしている。
まだまだ全然太ってるが、大して頑張っちゃいないのにこれぐらい減らせて良かったなぁと思ったのでそのメモ。
同じぐらいの体重のおっさんで、食べるの好きで、ダイエットめんどくせぇなぁという人の参考とかになればいいな的な奴です。
まぁ、この2ヶ月ぐらいは停滞してるので、なんか追加の工夫が必要なんだろうけど。
高タンパク(100~110g)摂取を意識しながら、総カロリーだけ考えて好きなように食べる。
摂取総カロリーは大体1800~2000kcalぐらいにしている。管理はあすけん。
(最近体重減らないので、運動量を増やさないとだめかと思っている)
タンパク質しっかり取ろうとしながら、カロリー摂取量を抑えようとすると糖質や脂質の取る量は勝手に減る。
塩分とか食物繊維とか気にしない。サプリでマルチビタミンだけ一応飲んでいる。
なお、自炊は一切しません。外食or中食オンリーなのでエンゲル係数はだいぶ高いです。
だいたいこの5つのうちのどれか。ベースブレッドや、コンビニのタンパク質が取れるロールパンを食うこともあるし、それらに加えてプロテイン飲んだりもする。
ごはん少なめにすることを徹底して、揚げ物多い定食は週1にするぐらいで好きなように食べる。
もう残りのカロリー摂取可能量が決まってるので、その範囲で適当になんでも好きなものを食べる。
なんも食わないけど、たまに食べたって良い。その分晩飯が貧相になるだけである。
飲み物はウーロン茶か水かレモン炭酸水か、ゼロカロリーの何かしか基本的に飲まない。
たまにジュースを飲んだって良い。その分晩飯が貧相になるだけである(テンプレ)
毎日8000~10000歩くだけ。土日祝日も歩く。テレワークの同僚が多いが、これもあって自分は出勤勢である。
スクワットもランジもプッシュアップもプランクもクランチもバービーも腹筋ローラーも一切何もしない。
何もしない代わりに歩く。靴はちゃんとしたの履いたほうが良い。足底筋膜炎になるぞ(なってる)
自分の場合、普通に出勤して帰宅するだけで4000歩ぐらいは歩く。
他に、昼休みに飯屋行くときに適当に2000歩ぐらいその辺を歩く。
あとは、駅のホームで電車待ってる時間にホームの端っこまで歩いて戻って来る活動をしたり
帰宅時は適当に遠回りしながら帰ったり、階段をひたすら使用するとかして歩数を稼いでいる。
土日祝日は、遠くの飯屋やスパ銭まで歩いたり、目的の駅の一つ前で降りたりして歩く。
散歩はタイムパフォーマンスが悪いって人もいるが「飯屋とかどこかに移動する」という行為にするとその気持は薄れる。
そして、自分の場合はYoutubeで配信者の動画アーカイブを消化する時間に当てることで、効率化しています。
食事制限ではなく、食事管理をするところから始めるのはやはり基本だと思う。
んーで、食事制限だけはだめだぞ運動しないと駄目だぞ論に対してはタンパク質たくさん取るのと路線で対抗していく。
とにかく、食い意地張ってる美味いもの食うのが人生の楽しみなんだおっさんには
「このカロリーの範囲なら自由に何でも食って良いはずなんだ」という思考を定着させるところからスタートである。
そうすると「朝昼にガッツリ食うと夜になんも食べれない(´;ω;`)」となる。
じゃあ、朝は軽めにしておこう、となり、でもタンパク質は取らないとなぁ、となった結果
プロテイン飲むしかねぇなってなるし、そうすると他の食事は大分自由度があがるのでストレスフリーであった。
体重計はリビングのど真ん中に置いといて気が向いたら乗るぐらいで、そんなに毎日乗らなくてもいい。
まぁ、毎日乗ったほうが良いけど、トイレに行ったりするだけで数百グラムぐらい変わるし、
細かい数字の変化は本当に気にしても仕方ない。長い目で見よう。
被害妄想だったりジロジロ見てるのでは?と問われれば、否定できる材料はありません
ただ気を付けてる点として、普段は目線を少し上に持って行くようにし、会話時は相手の顔上半分を見るようにしています
コンプライアンス教育の1つとして、不信感を持たれないよう一定の高さの視線を保って会話をするよう教えられましたので、男女関係無くそのようにしています
また女性は胸を見られてると分かるという話を聞いたことがあり、視線だけでセクハラ認定されれば社会的に抹殺されかねないということもあります
社会的抹殺という点で移動中も周りをざっと眺めて女性が見えれば少し離れるように移動します
これがもしかしたらジロジロ見てるということになりかもしれないけど、昨今のセクハラや痴漢事情は服同士がほんの少し触れ合った程度でも発生する可能性はあります
君子危うきに近寄らず
警戒するに越したことはありません
>むっつりすけべか?
スケベです
これはセクハラとは関係無く、仕事中に余計な思考は集中を妨げるので、一息つくまでは仕事のこと以外考えないようにしています
少なくともフェミニストでは無いです
ただ女性を敵か味方かのように二分化して見るのはどうかと考えます
しかし女性全てが自分を嫌ってるわけではなく、仕事を通じて信頼関係を築けることも知っています
もっとも女性という大きな主語を題名の最初に使ったのが良くなかったと反省します
正確には睨みつけてくる見知らぬ女性が怖い、ですね
おっしゃる通り
え~
そんな名も知らぬ個人の発言を知ってることで優越感浸ってるのか
AEDは単に救急救命の一手段に過ぎないだろ?だったらまずはそんな程度の低い発言よりも救急救命自体の話をすべきじゃない?
女性とAEDなんてのは単なる炎上しやすい題名であって、根底の話は「そんなことで救急救命できないとか馬鹿なんじゃねーの」でしょ?
ということはそれはAEDの話以前なんだよね
そんなことで炎上して盛り上がってるってことは、いつものように男女論したがってる連中の餌なんだし、まじでAED関係ないじゃん
救命措置って色々あって、救急車呼ぶのも医師を呼ぶだけでもいいんだよ
傷病者に触りたくない人だって当然いるだろうからできる人ができる限りすればいいし、傷病者だってむやみに触られたくない感情は当然あるだろう(意識があればの話だけど)
周りの人だって、単に女の乳揉みたいだけだろうなって不審なオッサンに触らせるより、きちんと倫理観と責任感ある人がやった方がいいって思うのは当然だ
でも有事の際ってそんなのすっ飛ばすことも多い
だから割り切って勇気を持って取り組むのが救急救命なんじゃない?
そういう話もなく「オンナガー」言ってるから幼稚なんだよ
またヒット件数が出なくなった。。。
LINE | JOYオフィシャルブログ「JOY STORY」Powered by ...
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2017/01/03 — #LINE #流出 #事件 #パイパン #勝手にアンダーヘアトーク開始 #冷静に打ち直してるけどミスについては語らないスタンス #パイパン #パイナルパンタジー.
エブリスタ
2010/01/28 — 「パイナルパンタジー」 略してパイパン(゜∀゜) 嘘ですwwwまだ題名決めてませんwww 内容も先のストーリーも書きながら考えていこうと思い ...
http://customhell.blog.fc2.com › blog-entry-135
2016/02/19 — オレはパイパン女のことパイナルパンタジーって呼んでるし!!! どうも!実際はエフエフって言うてるし、パイナルパンタジーの人はピーピーって呼ん ...
X
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パイナルパンタジー略してパイパン. ... パイナルパンタジー略してパイパン. Translate post. 2:47 PM · Aug 28, 2011 · 1. Like.
パイナルパンタジー略してパイパン : 羽曳野の性欲魔神烈伝 - ライブドアブログ
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パイナルパンタジー略してパイパン. 2007/05/10 16:14; 0. 前の記事 · 次の記事 · ホーム. 風邪が治らん(´Д`ι) 鼻水とタンとオタマジャクシのせいでティッシュを一箱空けてしまった。 ポカリと ...
孤独の鶏 on X: "パイパン(パイナルパンタジー)" / X
X · _Mg_penguin
1 年前
...
あなたは映画を見に行った時、エンドロールを最後まできっちり見るひとだろうか?私は”当然”見るし、なんなら明転してからも謎の余韻に浸って、劇場を最後の方に出ることもある。
私が”当然”といったのは、題名にもある通り、映画のエンドロールで帰る人が理解できないからだ。エンドロールを見ずに帰る人たちは何をそこまで急いでるのだろうか?そんなに忙しいなら、そもそも映画を観に来る時間があること自体不思議だ。
映画館に来るということは、行きかえりの移動含めて、少なくとも2~3時間の余裕を抑えてるはずで、その中のたった5分や10分すら待てないほど忙しいとは、どういうことなんだろう。
その数分をねん出したいほど忙しいということは、そのあとのMTGの資料がまだできていないのだろうか。だとしたら優先順位のつけ方やばすぎだろ!
だいたいそんなに重要な用事をあとに控えて、映画の内容に集中できなくないか。絶対そわそわして楽しめないと思う。だからこそ私は、基本休日か仕事を片付けたあとのレイトショーしか見ないようにしてる。
エンドロールとは映画の感動をじっくりと噛みしめる時間で、映画制作に関わったクリエイターの人たちの努力や才能に敬意を表す瞬間という意味でも映画の重要な一部分だと語る人も多い。正直私はそこまで高尚な考えをもって座れてはいないけれど、それでもその5分を切り上げると切り上げないとでは映画体験の深まり方が違う気がする。
あとなによりマーベル映画に代表されるようにエンドロールの最後にちょっとしたサプライズや続編の予告が含まれていることもたまにあるから、どんな映画であっても「この映画にはないだろうな」と思いながらも、
ちょっと期待して待っているふしもある。あと最近映画料金の値上げも激しい中で、その5分にも値段発生してると考えるとなんか悔しいから消化して帰りたい。
もしかすると、彼らはただ「忙しいフリ」をしているだけなのだろうか。映画が終わった瞬間に席を立つことで、自分がいかにも重要な人物で、やることがたくさんあるというアピールをしているのかもしれない。
あとはお腹or膀胱が決壊寸前の人だろうか。まあこれは仕方がない。人間の尊厳とエンドロールを天秤にかけたら、私だってそうする。
でもエンドロールで帰る人の素振りをみると、大抵は別に急いでいる素振りもなく、さらには「もう映画終わってるからいいっすよね?」といわんばかりに、かがむことすらせず歩いている人すらいる。
臨界状態に至らないように肛門をあえて締め付けながら歩いている可能性もわずかに存在するが、もしそうだったならたぶん最後の30分くらいの内容頭に入ってないだろうしもっと早めに出るべきだと思う。
Yahoo知恵袋で私と同じような疑問をぶつけている質問を見つけた。そこにはこんな回答があった。※それぞれ別の人による回答
「あなた方は駅や電車内での、アナウンスの違いや電車の走行音に興味はあるか?ないだろう。ないのが普通だ。あるやつはマニアとかオタクだ。私もそこまで鉄道キチガイではない。乗るのが好きなだけだ。
あなた方は映画マニアであって、鉄道マニアではないから電車の走行音や道具などには興味がないが、エンドロールに価値を見いだすわけだ。だが興味のないやつにとっては、
なるほど。なんだかこの回答を呼んで妙に納得してしまった。映画を見に行っている人はみんな一律に熱量が高いわけではないのだ。
私は何をここまでイラついていたんだろうか。
男女それぞれに相性テストをかけあうのは、何も間違っていない。
ヒトのお見合いを長く見てきたが、お見合いは試しあい、真剣での試合そのものであり、鋭くしかし華麗に行う必要がある。
婚活においてサイゼリヤデートという話題で炎上するたびに思うのだが、題名とは違って実はかなりの人間がデートの中に"サイゼリヤ"を組み込んでしまうことがある。
以下において"サイゼリヤ"は、"マクドナルド"でも"ドンキ"でも、"スターバックス"でも良い。好きな単語に置き換えて読んで欲しい。
試される側からすれば、実はお試しとしては悪く無い。価値観を知る良い機会だからだ。
問題は、それが意図せずに組み入れられてしまったのか、意図してそこに行こうとしているかの差だ。意図しているのだとしたら試し方としては相当に幼い。
ただ、相手の価値観を変えてやろうと思ってなかなか変わるものでもなく、矯正すれば良いかと気楽に考えていると概ね悲惨な結末を迎える。
(価値観を後から変える成功例は自分の知りうる限り一組だけで、あとは残らず離婚している)
以下は、結婚相談所での経験も含めて、なぜサイゼリヤデートがダメなのか、なぜ相手を試す行為が良くないとされ、実は試す必要があるのかを解説する。
(具体例は当然フェイクや組み合わせを変えたりする)
総じて、結婚相談所は「結婚できる下地はあるが出会いが無かった」お相手同士の縁を結び、そのお手伝いをするところであり、
新兵訓練所ではなく、また訓練するインセンティブも薄い(よほど成婚率が悪いとかでないかぎり、ズルズル在席してもらった方が楽)ので、
多少の背景調査が入るお堅めの合コンだと思ってもらってほぼ間違いない。
多少の違いはあるが概ね合コンセッティング業者と言われても反論はできない。
いやいやお見合いと合コンは違うじゃん!と思ったあなた。貴方の感性は正常です。
そう、男女が出会う場所として本質的に同じだとしても、やはりお見合いと合コンは違う。
事前の準備の面倒さやドレスコード、会食場所を含めて、その差異は、マナーという言葉に集約される。
けっきょっくのところ、これは礼儀、つまり相手に敬意を表すことが出来るか、という点を見られているわけだ。
試しあいだとしても、相手に敬意を持ち、それをきちんと表現した上で、さらに相手を試したり知ることができますか?という。
つまり、サイゼリヤデートは、相手にきちんと敬意を払ったうえでセッティングしましたか?と問われている。
一般的には、初回のデート場所にサイゼリヤに行くのは、試し方としては拙く、無礼だ。
そんなこと言っても、初回の相手にどうやって敬意を表せば良いのだ!と憤るかもしれない。
自分がどう思うかではなく、相手がどう思うかにフォーカスして考える経験が足りていない。
そもそも結婚数そのものが下がってきている昨今、礼儀作法にうるさいご家庭はかなり減った。
実際のところ、気の置けない友人同士であれば、手土産無しにお宅訪問しても陰口をたたかれることはまず無い。
ただ、家を訪ねるのであれば手土産くらいは持参するだろうという常識が薄れても、それが礼を尽くすことになるかもしれないと思い至れないのは致命的だ。
(ブコメにハレとケの概念について触れているものがあったが、それでピンとくるようであれば読み飛ばしてもらって構わない)
じゃあ、デートにどこに行けば良いのだ!とキレるようであればまだ救いがある。調べたり改善する余地があるからだ。
サイゼリヤでも良いような女性とお付き合いしたいのだから、良いじゃないか、と考える場合は概ね笑顔で肯定し、長く在席してもらうことになる。
パブリックとプライベートとを、それぞれに応じて異なる振る舞いをすることが求められる、ということからわかっていないことが多い。
プライベートで、例えば家にいるとき、家族になった後での家の中での振る舞いで、厳格な礼儀作法を求められると疲れる、というのはわからなくもない。
「だから、サイゼリヤで価値観のすり合わせを」となるところがマズイのだ。デートはパブリックな場所で行われるものであり、特に初回のデートはパブリックよりだからだ。
さて、デートはプライベートな行事ではあるが、パブリックな空間で行われる。
次にこれが"婚活で行われるデート"の場合は、ここに"非日常"という軸が加わる。
冠婚葬祭に普段着で行ってはいけないというのは、それは非日常だからだ。
逆に言えば、高校生のデートであればサイゼリヤであっても問題ない。日常と地続きだし、場合によってはそもそも男女で食事をするだけで非日常だったりするからだ。
最後に、相手と自分との区別がついていない、という点があげられる。
これはもちろんグラデーションがあるだけで誰しもそうだが、極端に自分が中心になっていることがある。
相手が人格を持つ自分とは違う人間なのだということが分かっていないような振る舞いをされる方がまま居る。
これは男女問わずだし、誰しもが多少なりともあるが、自分の考え方が正しく、それに沿うべきだ、と考えてしまいがちだ。
サイゼリヤデートであっても相手は楽しむだろう、それが初回のデートであっても自分は嬉しいから、というものだ。
その時にお誘いした相手はどう思うだろうという視点が欠落している。
ここが"サイゼリヤ"を組み込んでしまうことがあると言った理由だ。
休憩にスターバックスによることが優しさであると感じる方もいれば、騒がしいスターバックスにデート中に寄るのは常識外れだと怒る方もいる。
どちらが正しいとか間違っているかということではなく、その相手がそう感じるという点が重要なのだ。
そんな初回の相手をエスパーでもないのにどう感じるかわかれなんて無理だろ!と憤るのもわかる。
そう、相手のことを心から理解するのは家族であっても難しいし、逆にそんなにピッタリだと不安になる方もいる(相手が自分に無理に合わせていたのではないかと)。
その解消がコミュニケーションであり、ここで相手と意思疎通ができるかはとても重要だ。
自分の言葉で相手に伝わるように言ったはずなのに伝わらなかったというのは大きなマイナスになる。
例えば、「相手からはデートのランチの場所はどこでもいいと言われた」というのが、「どこでもいいと言ったらどう伝わるか」とすでに試されているのだ。
もちろん、慣れていないと、ディナーの予約をしたつもりが、高くてあまり美味しくない居酒屋になってしまうこともある。それは仕方がない。
問題はそこから、どう軌道修正できるか、もしくはそういったところが良いのか実は非日常のデートなら違うところが良いのか、価値観のすり合わせが出来るかが重要なのだ。
際限なく譲歩する必要は無い。ここは譲れないラインだというのをぼんやりとでも持っておくことはもちろん重要だ。
いつもデートは帝国ホテルのディナーを予約してほしいというのは、受け入れられないとか。手違いでも居酒屋を予約するような手際ではムリだ、とか。
まだ家族になってもいない相手を試すのであれば、相応の礼儀を尽くしたうえで、失礼のないように試すべきなのだ。
だから、何度かデートを重ねたうえで、段階を踏んで、「お互い普段はファミレスに行くって言っていたし、どう?」と誘うのであれば何の問題もない。
両方がともに普段着で集まって、いつも行くような店に行こうとコミュニケーションが取れてからなら、焼肉でも二郎でも好きに行ったらいい。
いきなり相手を連れて行って試すような真似をするのは、本当に止めた方が良い。考え方が幼すぎる。
礼儀を尽くしてサイゼリヤに行ったんだと主張するのであれば、それはそれでも良いと思う。似合う人が見つかると良いね。
あなたから見れば、あなたは人生の主人公で、それ以外の人間は登場人物に過ぎないと感じるかもしれないが、実際はそうではない。
まあ、そう無理することも無いと思うんだよね。業界的にはその方が助かるし儲かるから。増田にしか書けないよこんなこと。
つーか、ぶっちゃけオマエ試してる場合なの?ってことの方が多いから、経験則的に言えば全員一律相手を試してる場合ではないでフィニッシュです。
相手を試さないといけないくらいひっきりなしにアプローチを受けてますなんて人は、ホントに出会いが無いだけで結婚相談所の能力と無関係に成婚するしね。