はてなキーワード: 信者とは
っていうか、MMTって「財政赤字を厭わず支出を増やすという選択肢もあるよね」と言ってるだけで、別に「支出を増やせ」と言ってるわけではないよね。
まあでも、氷河期世代の人材活用とかも含めて、現代日本の特殊事情を踏まえれば、今は確かに支出を増やすべき時な気はするんだよね。
今回の衆院選で自民党以上に厳しい状況に追い込まれた党がある。
公明党の候補に投票する人ってのは、個人的・組織的なつながりがある人たちを除き
ほぼ例の宗教団体の構成員であるということは、公然の秘密である。
共産党と並んで老衰による信者の減少が響いた党ともいえるだろう。
それにしても信者の老齢化による減少を加味しても今回の結果は厳しい。
そこで思い出した。
もしかして最近、公明党は戦略上最も重要な人物を失ってしまったのではないのだろうか、と。
創○○会を支えている「票割りおじさん」の存在を。
各地の調査結果と信者の実数から、どの地区の候補者に何票割り当てるかを鉛筆ナメナメ決め、
そのおじさんの指示に従うことで最高の効率で当選議員人数を増やすという選挙職人がいるのである。
だが、少し前に聞いた話では、すっかり高齢になってしまったものの、
ただ芸術的な票割りはあまりにも職人芸過ぎて後継者がいないという話であった。
もしかしたら票割りおじさんがコロナか何かでぽっくりと逝ってしまったのかもしれない。
R.I.P.
票割りおじさん。
その名は歴史の闇に消えていくんだろうが間違いなく戦後日本を裏で動かす偉大な男であった。
まだ生きてたらゴメン。
最近10~20年前の漫画をアプリで読んでると、親子愛の際立つ回でコメントが「こんな子欲しい」って目線なのが目立つ。中には胎内記憶信者みたいに「母親を自分で選んで生まれてきた」って幼い主人公の言葉を真に受けたりする輩も。
旧統一教会(現在の「世界平和統一家庭連合」)と日本の自民党との関係が問題視される理由は、多角的な視点から見ると以下の点が挙げられます。
旧統一教会は過去に信者への高額献金や霊感商法などの問題行為で批判を受けており、その団体との関係が発覚したことで政治家の倫理が問われています。宗教団体と政治の癒着は、政治家の活動に偏向をもたらし、市民の利益より団体の利益が優先される可能性を示唆しています。また、政治家が特定の宗教団体を支持することは、信教の自由や政教分離の原則に反する疑いがあるため、民主主義の健全性が損なわれかねません。
2. 国民の信頼低下
政治家が旧統一教会と繋がりを持つことで、一般市民が「政治は市民のためではなく、特定団体のためにあるのか」という疑念を抱きかねません。特に旧統一教会の過去の問題行為を考慮すると、政治家の姿勢に対する不信感が高まります。このため、政治家や政党への国民の信頼が低下し、民主主義制度に対する不安が広がる恐れがあります。
3. 政策への影響と透明性の欠如
宗教団体と政治の密接な関係は、政策決定の過程に影響を及ぼし得ます。旧統一教会は家族の価値観や伝統的な役割に重きを置く傾向があるため、政治家がその影響を受けた政策を提案・推進する場合、ジェンダー平等や人権に関する政策に悪影響を及ぼす可能性があります。また、こうした団体の影響が政策に反映されると、市民は「なぜその政策が採用されたのか」についての透明性を欠くため、政策への理解が不十分となり、さらなる不信感が生じます。
旧統一教会は信者を通じた選挙支援や献金などで政治家に支援を提供してきたとされています。選挙支援を通じて組織の影響力を増すことは、民主的なプロセスにおける公平性を損ない、政治家の独立性を危険にさらす要因となります。選挙における公平な競争や、市民の意思に基づいた政治がゆがめられる可能性も問題です。
旧統一教会に関する被害者への支援は、宗教団体の被害者を保護する必要性を示唆していますが、政治家がその団体と関係を持っている場合、被害者支援の取り組みが遅れたり、十分な対応が取られないリスクがあります。このような場合、政治家の責任を問う必要が生じますが、癒着がある場合には支援の動きが進みにくくなることが指摘されています。
これらの理由から、旧統一教会と自民党の関係は多くの問題点を含んでおり、特に政治倫理、政策への影響、国民の信頼低下という面で、日本の民主主義に深刻な影響を及ぼす可能性があるとされています。
前回、松丸市長はなぜやる気がなく見えるのか について書かせていただきました。
https://anond.hatelabo.jp/20241028233555
X経由でも約700名の方に閲覧いただけたようで、ありがとうございました。
今日は、市長選の重大論点の1つである、守谷駅前の開発議論について考えてみます。
日々Xで皆さんと交流していると、要するに様々な論点がごちゃまぜになって語られており、
このままだと議論が平行線を辿ったままになると思ったので、まとめました。
一応、一定のデータを集めた上での考察ですが、自分も当事者なので、実感値も交えた話が散見されます。
引き続き、事実・解釈を上手に分けてお読みいただきますよう、お願いいたします。
また、最後にも書きますが、私は自民党員でも松丸信者でもありません。
ただの暇な人ですのであしからずです。
なお、こちらのページの特性上、画像貼り付けやエクセルファイルの貼り付けはできないっぽいです。
まず本件については、以下の3つの論点がごちゃまぜになっていることに留意が必要です。
それぞれについて、細かく見ていきたいところですが、まずはデータを集めてみました。
(1)市民の実感値
これに関しては、守谷市のまちづくり市民アンケートは、論拠のひとつとなるでしょう。
https://www.city.moriya.ibaraki.jp/shisei/gyouseihyouka/1006780/1006785.html
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※令和元年→令和2年→令和3年の数字を手集計
ある 5.7→ 4.2→3.8
どちらかといえばない 41.4→ 46.7→48.4
ない 27.7→28.7→27.6
単位は全て「%」
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・守谷市民は、実感値では、75%の方が「駅前ににぎわいがない」と考えているようです。
・毎年 、実際ににぎわいが減っていっている、もしくは市民の意識が高くなっているためにぎわいがないと認識するようになっている、どちらかであることが読み取れます
(2)地価
にぎわいとは若干異なるとは思いますが、地価を見ることで、守谷駅周辺の価値をはかることも重要でしょう
https://www.city.moriya.ibaraki.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/004/138/suii.pdf
↑本当は他自治体もこういう資料が欲しかったんですが、つくばは塩対応、流山もたらいまわしにされてしまい面倒なので一旦断念しました。
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H25→R6のデータを拾ってきました
1,730/H25→1,730/H26→1,730/H27→1,740/H28→1,770/H29→1,850/H30→1,940/R1→1,990/R2→2,070/R3→2,200/R4→2,400/R5→2,700/R6
ざっとですが、約10年で1.56倍になっていることがわかります。
※単位は全て「百円/m2」 つまり、平成25年は1平方メートルで173,000円なんだそうな
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(3)人口
一旦、以下の通りまとめてみました。※手集計、地獄
ひがし野1丁目+4丁目・中央1丁目~4丁目・百合ケ丘2丁目3丁目・松並青葉の人口推移
https://www.city.moriya.ibaraki.jp/shisei/toukei/1005522/index.html
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ひがし野1丁目+4丁目 1091/H29→1110/H30→1226/H31→1304/R2→1298/R3→1337/R4→1341/R5→1370/R6
中 央1丁目~4丁目 2327/H29→2354/H30→2401/H31→2366/R2→2334/R3→2331/R4→2556/R5→2584/R6
百合ケ丘2丁目+3丁目 4737/H29→4825/H30→4781/H31→4840/R2→4849/R3→4930/R4→4931/R5→5001/R6
松並青葉1丁目~4丁目 1463/H29→2123/H30→2717/H31→2366/R2→2334/R3→2331/R4→2556/R5→2584/R6
※単位は全て「人」
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(4)その他
駅徒歩圏内でこの10年で新たにできたモノやコト(私の記憶の範疇)
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<事実>
市民アンケート:「守谷駅前ににぎわいがない」と感じている人が75%いる
人口:この7年で、ひがし野1・4丁目で1097人→1370人と25%増 百合ケ丘2・3丁目で4737人→5001人と5.6%増 中央1~4丁目で2327人→2584人 と11%増となっています
その他:駅前イベントはコロナ禍も乗り越えて定着、商業ビルやブランチ守谷もオープン等、受け皿自体は増えている状態ではあります。
ただし、ブランチ守谷やダッシュビルでもテナント撤退は続いている状態。
<考察>
人口が増えている。それに伴ってかは不明だが、地価も商業施設の発展も見られている。
駅前での毎月のイベントやブランチでの町内会イベント等、定期的に人が集まるイベントも開催。
ただし、実感値として「にぎわい」は発生していない。
つまり、駅前の開発が失敗しているのかについては、実際として地価も上がっていることからも、
現時点では「失敗していると言い切れない、むしろ経済的には成功している」と考えるのが合理的かもしれません。
※これ、人権に配慮してかなり優しく表現してます。個人的意見は、経済的には成功しちゃってるんだよなぁ・・です。
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そもそも、駅前再開発が必要なのか、皆さんは考えたことはありますか?
気をつけなくてはならないこととして、市のアンケートは「駅ににぎわいがあると感じているか」であって、「駅ににぎわいが必要か」を聞いたものではありません。
皆さんは、「守谷市にとって、駅ににぎわいがあったら良いと思いますか?」と聞かれたらなんと答えますか?
なぜなら守谷駅は、つくばエクスプレスが茨城県に入った最初の駅であり、関東鉄道との乗り換え駅。
そう考えた際に、守谷市にとって駅のにぎわいが、あった方が良いか、なくても良いかと聞いた時に、「なくても良い」と答えるのは、もはや非国民でしょう。
では、問いを変えます。
「「【あなたにとって】駅ににぎわいがあったら良いと思いますか?
駅のにぎわいは、恐らくここでは商業の発展や人流を表しているものと思います。
その上で、守谷駅のにぎわいは、あなたの守谷生活において、良いものとなるでしょうか。
実際にこの質問をXで投げかけると、主に以下のような回答が返ってきます
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・駅では特に滞留しない
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かなりの駅近に住んでいる私でも、上記と同様の考えです。
駅で買い物をする=荷物が多くなるため、駅近くに求めるものは買い物需要ではないのではないかと思います。
もちろん、「守谷市にとっての駅のにぎわい」や「あなたにとっての駅のにぎわい」について集まったデータがないため、軽々しいことは言えませんし、私の実感値レベルで申し訳ないのですが、
「守谷駅のにぎわい」は、実生活におけるニーズとしてはそこまで高くないのではないかなという考えがあります。
※ただし、私や一定の方が、このアンケートを取ると、結果が恣意的なものになることが多分に予想されるため、当方では集計等はしません
人口推移を見る限り、駅近くがあきらかに人口空白地帯になっているワケではない(むしろどこも満員御礼に近い)ことからも、買い物の利便性に乏しいという実態がない、もしくはあっても、転居を検討するほどのレベルではないということは十分に推察されるでしょう。
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にぎわいを「人流」「商圏」ととらえた際の、駅前再開発の必要性について考えてみます。
先ほど、駅周辺に直結している人口が増加していることを記載しました。
そう考えると、行政が手をつけずとも、民間での商業発展は既に達成されている可能性はありそうです。
ただし、やはり市民として「駅前で仕事帰りに買い物をして家に帰る自分」が想像できないのも事実。
実際に、最も利用者のニーズに敏感なコンビニの品ぞろえとしても、守谷駅のファミマでは野菜・タマゴといった生鮮品は置いていなかったと記憶していますし、ファミマで夕飯買って帰った!という体験をした人はほぼいないでしょう。
スーパーマーケット機能としても、東口の守谷コレクション・西口のブランチ守谷で、仕事帰りと思われるお客さんで賑わっている様子はあまり目にしません。(※ブランチ守谷の半額品漁りは別)
実際、twitter(当時)においても一部のユーザーの熱意で守谷コレクションが夕食時に弁当を改札近くで売る様に働きかけ、実際にそのような動きがありましたが、あっという間に撤退したのは記憶に新しいところです。(いやせめて言い出しっぺの人は、日常で買ってtwitterで拡散してやれよ・・・)
西口:コンビニ機能こそ不足しているが、お買い物機能として、中央1丁目側はベニマル・中央4丁目・百合ケ丘はイオン(カスミ)で成立している
東口:コンビニ機能が豊富(ローソン・セブンイレブン)、ブランチ守谷・ヨークベニマル、本町側はストッカーが商圏として成立している という状態が読み取れます。
現状で生活と消費のバランスがとれていることを考えると、守谷駅周辺に新たに商業施設(少なくともスーパーマーケット施設)は必要なさそうだなと考えられると思います。
ただし、買い物ニーズがないというのは恐らく外れてはいないと思いますが、
サービス系の業態(ジムや塾といったサービス)に対するニーズはある可能性があります。
実際、守谷駅は学生の電車通学者が少なくない(実数不明)ため、後述の通り、勉強スペースのニーズはあるかもしれません。
また、ジムに関してもエニタイムフィットネスほか、パーソナルジムやエステが乱立していることからも、サービス系の業態でればペイできる可能性はあるかもしれません。
※現状では供給が不足しているのか等については不明。あえて言うなら買い物以外で頼むぜ、そうしないと失敗確率高いぜ程度の温度感です
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日常使いという点を考えると、中央・ひがし野1丁目や4丁目に居住されている方が、守谷駅の商圏と捉えて良いでしょう。
一方、日常使い以外の点、例えば駅から遠くに住んでいる方が駅に定期的に集まる機会はどの程度あるのでしょうか。
つくばエクスプレス沿線にあるショッピングモールから想定してみます。
・流山おおたかの森SC:1753台
・つくばのトナリエ:4000台
どちらかというと流山や柏の葉よりもつくばレベルの郊外化が進んでいると想定される守谷でも、2000台~4000台の駐車場の準備は必要と考える必要はあるでしょう。
また、商圏外からの流入と考えると、自動車・バス・電車での移動が中心になると思います。
そうなると、市内でもイオン・アクロスモール・守谷テラスとも競合
市外でも上記3施設や、取手でまさに今作ろうとしている広大なイオンとも客を取り合う必要が出てきます。
それらの施設、あまつさえ市内の他施設と客を取り合う必要も出て来るため、駅前再開発においてはかなりの競争力がある施設を考えなくてはなりません。
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そうはいっても、守谷駅前の再開発が必要だととなえる市民はいます。(何人いるのかは知りません。データもないし)
市長候補3名中2名が、駅前再開発について発信されていることを考えると、市民にとっては大きな関心ごととしてとらえているのでしょう。
※今まさに再開発しようとしている新守谷駅周辺はほぼスルーするのに、何十年後にできるかわからない守谷駅再開発について盛んに発信する程度には関心があるようです
かじおか香織さん https://kaori-moriya.com/agenda/
(要約)
・市民の声には不満が多い
・具体的には市の施設(保育ステーション・図書室や自習室・公共施設を整備)を設置、商業施設が連動した再開発を推進する
わたなべ秀一さん https://go2senkyo.com/seijika/136729
(要約)
・若い世代に選ばれる街になるために駅前再開発にチャレンジしたい
・具体的には市の施設(保育ステーション・行政・郵便・図書室・市民ホール)を設置、民間企業とともに再開発を推進する
松丸修久さん https://www.nobuhisa.jp/
前回の記事の通り、松丸氏はハード面で何かを建てます系の主張は特にされない方です(2024.11.1時点)
かじおかさん、渡辺さんとも、駅前再開発の必要性や行政施設の設置によるにぎわい創出を提案されています。
ただし、それによってどういったにぎわいが創出され、市にどのような良い効果が表れるのかについての記載がなく、ここまで論を組み立ててきた当方としては、若干消化不良とみなさざるを得ないです。
経済効果の発揮を主張するのであれば、現在の経済規模→再開発後の経済規模を明記してほしかったというのが本音ですが、
政策の一貫性という観点から見ると、市内全域の交通とも論理を接続しているわたなべさんには、一貫性は感じます。
ただ、現状私が駅前再開発として読み取れているのは、「情緒的価値への訴え」のみです。
日常の利便性や、経済的価値(=私たち個人にとって、何がどう良くなるのか)に関しては、試算の上公表いただきたく思います。
ーーーーーーーーーー
と、ここまで
に分解することを目的とし、
・上記1.守谷駅前の開発は現在失敗しているかの議論・2.守谷駅前の再開発は必要なのかの議論
について記載して参りました。
ここまでまとめておいてなんですが、私は現状、「守谷駅の再開発は経済合理性は低そうではあるが、情緒的に必要性を訴えている」であると読み取ってしまっています。
こんなことで本当に良いのか。
続けて「守谷駅前の再開発は実現可能なのか」について見ていきたいと思います。
と、ここまで書いて大変申し訳ありません。
なんと、後半記事が文字数制限に引っ掛かってしまい、以降の掲載ができなくなってしまいました。
後半については、以下URLよりご参照ください。長くてごめん。
日本の民主主義ってこう、一般の人々の声を聞いてまとめる代議士がそれぞれの地方や地域にいて、その代議士たちが集まって議論する感じじゃん。
そういう人の集まりに行くのも、なんか既存の知り合いの人たちの輪ができてる感じがして近寄りがたいし、そもそもそういうのがあるのかすら知らない。
あるいは政治家の人たちは地域のイベントとかに顔を出すって話も聞くけど、それも縁がない。
リアルな場が難しいならSNSと思ったけど、多分その線で調べてみるとアンチと信者ができてしまっていて直接声をかけにくいんじゃないかなとか。
増田に書き込んでる時点で本末転倒かもしれないけど、俺は俺という個人の声を聞いてくれる政治家に投票したい。
正直裏金疑惑があったとしても、綺麗事を言ってる人より頼りたくなるんじゃないかとすら思ってる。
政策で政党や政治家を選ぶっていうのも、この「声を聞いてもらう」の段階をすっ飛ばしてるように思えてしっくりこない。
投票にはずっと行ってるけど、「この人に入れたい」と思って投票したことは一度もない。
これは偏見かもしれないけど、自分より年長の人たちにはひいきの政治家を身近に感じる経験があって、若い世代には少なかったりするんじゃないかな。
この問いには、宗教とオカルトの区別が難しいとする疑問と、信仰の合理性や必要性への問いかけが含まれています。これを考えるには、宗教とオカルトの定義や役割の違いを整理しつつ、不合理であるものの意味を深掘りする必要があります。
宗教とオカルトは、どちらも非科学的な領域に含まれる場合が多いですが、いくつかの重要な相違点があります。宗教は一般に、特定の歴史や教義、道徳的価値観、信者間の共同体意識を伴い、社会的に長く受け入れられてきたものです。一方、オカルトは神秘的・超常的な現象への信仰や、個人の体験や啓示に基づく要素が強く、体系的な教義や道徳的基盤がない場合が多いです 。
宗教が「不合理」だという指摘は、科学的根拠の不足や、死後の世界など検証不可能な要素に根ざしています。しかし、人間の行動や価値観には、必ずしも合理性だけが求められるわけではありません。多くの宗教は、死後の救済や幸福感、人生の目的を提供し、精神的な安らぎや共同体の絆を築くための役割を果たしてきました。こうした側面は、必ずしも科学的根拠があるからこそ価値があるのではなく、非合理的であっても人々に意義をもたらすという側面が重要です 。
不合理の必要性について
宗教が象徴的に示すような「不合理」なものの存在は、人間の心の多様なニーズに対応するものです。例えば、日本の伝統行事や信仰も、社会的な絆や儀式性を高め、文化的アイデンティティを支える役割があります。合理性に重きを置く社会でも、不合理なものが心の拠り所や心の整理の手段として機能する場合があります 。
この問いにある「人間が死ぬと無になる」という断定も、科学的に完全には証明されていません。無論、魂の存在も立証されていないため、いずれの側にも「完全な合理性」がないと言えます。また「不合理なものは不要」という前提には、感情や文化的背景を軽視する面があるかもしれません。合理性を超えた価値が、特定の社会や文化において役立つ場合も多いことを認識する必要があります。
まとめ
宗教やオカルトの価値は、必ずしも合理的な根拠の有無だけでは測れません。不合理な信仰も、精神的な拠り所や社会的な絆の構築に寄与するものであり、人間にとって「不合理」が全く無意味だとは言い切れません。